はてなキーワード: 行政法とは
増田の履歴は以下の通りに閲覧することができるが、 現在からみると不都合な書き込みは微妙に削除されているので何も参考にならない。そこで、9月24日以前に何があったのか
推測してみる。
平成15年3月10日 前田ゆきが、まだ、宮崎の自宅で食べるものを作っていた
平成18年2月 西田典之(刑法学)先生の刑法第2部の定期試験実施 ロースクールから出向していたきちがいの行政法学者の太田匡彦が発狂している
平成18年4月 調布のアパートに晴生が来て、寿司を食って帰って行った
平成18年12月31日 恋愛至上主義社会で、 俺とえご太が同時期に発狂する
平成19年1月 渋谷区で警察官志望の兄が、姉から、 お前さきないじゃんと言われて発狂
平成19年6月
平成20年6月8日 電車男 ブサイクは必要ないんだね 秋葉原テロ
平成20年11月30日 増田が色んなところに仕掛けていた監視装置が全部ぶっ壊れた
2010 010203040506070809101112
2009 010203040506070809101112
2008 010203040506070809101112
2007 010203040506070809101112
2006 09101112
横増田だがこの件、当初(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20231118-OYT1T50127/)が政教分離(憲法20条)に反する(違憲だ)、から始まってるからおかしなことになるんだよな。
法的問題と政治的問題、道義的問題を区別すべきというのはもっともで、法的に問題ないからと言っておのおのの政治的合理性や道徳心から批判が生じるのはあるだろうし、それを表明するのは全く問題がない。
ただ「法的に問題がある」が最初にぶち上げられちゃったんだよな。国葬の一件(行政法上、内閣に実施の権限があることに問題がない(侵害留保説)が、あくまでオレオレ法解釈に基づき食らいつく)でもあったが、批判者側が法曹でもなく法学に精通しているわけでもないのに法を振りかざし過ぎなんよ。
末永祐治先生が平成12年の一斉授業で、授業を受けていればどこの大学にでも行けるという言動があったのが高等学校行政事務執行上の学校行政の力に過大な過信を
していたからだと思うが、末永先生の数学ⅡBの授業を受けていればどこにでもいけるというようなですね、確かに一般的にはそうだったかもしれないが、末永祐治先生の授業が
行政法上、学習指導要領の実施の上で完全無欠であり、他の体育やイベントともあいまって、授業だけでどこの大学にでも行けるというのは語弊があるように思うし、
平成13年になってからも、文系では数学2Bが終わっていなかったし、教科書の指導が終わっていないままにセンター試験に突入したんですよね。平成13年も、文系数学は末永祐治
先生がしていた可能性があるが、理系数学は有村芳郎教諭がしていた。しかし、有村芳郎教諭の理系数学は見ていないから知らないとしか言いようがない。平成13年の文系数学を
誰から教わったかほとんど記憶がないというか、それにこう、当時の在校生には、ももかとつながりがある、明治大学卒業後に32歳で司法書士になって現在、延岡市で司法書士をしている
山之内隆樹も知能指数が高いとは思いませんよ。逆に、ももかという者は5年くらい前に初めて見た人で、自分は昔は頭がよかったが今はバカになっていると言動があったがそもそも人生で
見たことがない人がそういう発言をされても理解できないんだよね。どこの人かも知らないし。延岡西高校は、現役でも、平成14年3月1日時点で、一番偏差値が高いところでも広島大学で
異常な制度であり、極めて異常。
https://twitter.com/K_JINKEN/status/1715650236406988962
@K_JINKEN
杉田水脈代議士への人権侵犯認定ですが、これはニュースになること自体がおかしいです。私自身が同様のことを何度もされているので、その理由を説明します。
人権侵犯は法的根拠がなく、非公開で、処分性がない手続きです。
これは「人権侵犯事件調査処理規程」という法務省の内規で行われており、法律でないので国会の議決もされていません。官僚が勝手に決めた手続きで、これによって「国民の権利を制限し、義務を課す」ことはできません。法律家の方は私が言いいたいことが分かると思います。
非公開の手続きであり、識者による審査会なり委員会があるわけでもありません。毎年度の人事異動でたまたま赴任した法務官僚が勝手にやっているだけです。人権侵犯認定の過程は密室です。
「処分性がない」というのは、何の強制力もなく法的な効果もないので、それに対して行政不服審査法により異議を申し立てたり、行政事件訴訟法により訴訟したりすることもできません。法務官僚が一方的にお気持ち表明して終わりです。行政不服審査法の対象にさえなりません。
人権侵犯事件調査処理規程には「この規程に定める事務を行う場合においては,関係者の秘密を守らなけ ればならない」と書かれており、建前上は非公開の手続きです。なので杉田水脈代議士への人権侵犯認定は法務局が公開したことではなく、おそらくは法務局に申し立てた側が勝手に言っていることです。事実かどうかも含めて法務局側は答えないし、責任を負うこともありません。
人権侵犯事件調査処理というのは、とてつもなく無責任な制度です。
#同和
@K_JINKEN
法務局側が責任を取らない以上、報道した側が全ての責任を負う義務があるので、今後同様のことをされたら、報道機関を訴えてください。法務局はノーコメントを貫くでしょうから、報道機関に対してボロクソに言ってやりましょう。
https://x.com/K_JINKEN/status/1715657246842278339
Tasuke Kiya
@KiyaTasuke3832
以前の宮部さん発の情報によれば、人権侵犯の認定は当事者のみしか知らない筈ですよね。何故マスコミは記事にできるのが疑問です。第三者が法務局から当該認定の確認を取る方法があるのでしょうか。
まず、こいつが理解しなければならないのは、これは行政書士や税理士といった士業の扱う専門領域である、ということ。
問題なのは、単純な行政文書であれば「行政書士にお任せするべきだ」「素人判断はできない」と考えてきたであろう市民が、
もしこれが企業の会計問題であれば、素人には理解は無理だとまず考えただろう。
というか皆さんにとっても行政書士や税理士など一般的なので、このようなことは、普段から素人には無理だと考えてるでしょう。
経理や行政法に関する基礎的なリテラシーや作用が全くないにも関わらず、適当にネット記事(特に情報ビジネス屋のクソ雑煽り)だけを信じて耳学問で適当に意見を持つと、こんなにも的外れになってしまう。
何らかの専門家の方ならお分かりいただけるだろうが、普通は素人は自分で判断できることなど何もないので、専門家に丸ごと相談したり、丸ごとお任せするんだよな。
@otakulawyer
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」の5人いる実行委員(キュレーター)のひとりだった人がこんなこと言っていることにびっくり。この人の表現の自由=サヨク表現の自由なんだな。
@arai_hiroyuki
埼玉県営しらこばと水上公園で開催予定の近代麻雀水着祭が紛糾している。女子中学生の出演の是非が問われているため。未成年の水着撮影会は性的搾取の典型例で、高校生で
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
2時間
あいちトリエンナーレ2019の企画展の1つである「表現の不自由・その後」(そもそも開催はされた)と埼玉県の都市公園利用中止の件とを比較するツイートが多いが、法的にみても、前者を開催して、後者は中止に追い込むというのは、はっきりいってアンバランスだろう。詳細は次のツイートのとおり↓
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
あいちトリエンナーレ2019の企画展の1つである表現の不自由・その後は、①公の施設の利用許可を得ている、②補助金適正化法上の補助金が出ている、③チケット制クローズド、④少なくとも他の企画展の中止の行政指導なし(実際に開催されていることからみると、表現の不自由展・その後への全面中止の行政指導もなかっただろう)、⑤政治家(政治屋)らの不当な圧力や妨害にあって開催後3日で中止に追い込まれるも、自治体や警察の協力もあり、開催された
埼玉県の都市公園利用の方は、①公の施設の利用許可を得ている、②補助金は出ていない、③チケット制クローズド、④一律に同種のイベントの主催者にまでイベントの全面中止の行政指導を行う(実際に不開催に追い込まれ、多くの関係者が重大な不利益を被っている)、⑤政治家(政治屋)らの不当な圧力や妨害にあって、再開も何も、最初から全く開催できず、中止に追い込まれ、自治体も警察も主催者側に(まともな)協力をしてくれない
以上、いかがでしょうか?
なお、自分でいうのもあれですが、あいちトリエンナーレ2019や表現の不自由展・その後に関する法律問題については、私は、日本の行政法研究者の中でも、それなりに調べている方ですよ。素人のお気持ち感想文のような、リーガルマインド・法的素養にかけたツイート群と一緒にされては、正直迷惑です。関連する文献(いずれ拙稿ですが)はこちらです↓
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
45分
私は、各拙稿↑でも立場を明らかにしたとおり、あいちトリエンナーレ2019/表現の不自由・その後も、埼玉県の都市公園利用も、両者ともイベントが開催されるべき(開催条件が必要であれば条件付したうえで開催はされるべきであり、不開催・全部中止は不合理だ)という立場。ここに党派性などありません
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
41分
党派性を帯びた議論を展開するから専門家でも話がおかしくなってしまう。そういうのは本来は説得力も信用性もないわけだが、いわばオンラインサロンのフィルターバブルの中でお仲間とお気持ち表明ごっこをしていればその人たちは幸せでしょうよ
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
①あいちトリエンナーレ2019/表現の不自由・その後は開催されるべきだが、②埼玉の都市公園利用イベントは開催されるべきではない(同種イベント全部中止支持)という、ねじれた立場を採る人たちって、結局法的なことは、あいトリから何も学んでいないんだなと…。法的には一貫性なし。大変残念ですよ
埼玉県営プール水着撮影会一律禁止の問題:性嫌悪フェミニズムと女性表現者の自由
https://note.com/shiba_eri/n/n668205de3d17
柴田英里
@erishibata
共産党のフェミニズム政策やAV新法、性交同意年齢引き上げ年齢差条件撤廃派、一部の性教育インフルエンサーなどの問題は、こんどのイベント、「「フェミニズム」は女性を代弁するのか?」とも共通するテーマなんですよね。Colabo問題だけでなく。
フラワーデモのババアとか日本共産党、津田大介、朝日新聞もそう。マジで狂っている。
宇佐美典也(本物)
@usaminoriya
@fd_kawagoe
「都市公園法第1条」には「この法律は、都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて、都市公園の健全な発達を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする」とあります。このイベントは明らかに目的に反しています。イベント参加費用は1万円~3万6千円と高額。
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柴田英里
@erishibata
ラディカル・フェミニズムの提唱する「性の商品化」という概念自体が、他のフェミニズムから批判されてきた概念で、そうした経緯を無視して「性の商品化」をごり押しする共産党の政策はおかしいですよ。
徳重龍徳(インタビュアー、グラビア評論家)@ちいかわ好き、ホークスファン
日本共産党埼玉県議会議員団が埼玉県営公園でのプール撮影会ができないよう貸し出しを禁止に動き、今週開催のプール撮影会が続々中止に。
共産党埼玉県議会のホームページを見るとグラビア=性差別、性の商品化で確実につぶしにきている。未成年が出なくても開催は無理そう。
これなんて分かりやすく行政法の問題なのに良識(笑)で否定しようとしてるの反ワクあたりの陰謀論者と何も変わらないな
その上で拒むなら正当な理由があるかどうかだけど
「正当な理由」に該当するかどうかは、個々具体的の場合に判断するほかはないが、一般的には、公の施設の利用に当たり使用料を払わない場合、公の施設の利用者が予定人員をこえる場合、その者に公の施設を利用させると他の利用者に著しく迷惑を及ぼす危険があることが明白な場合、その他公の施設の利用に関する規程に違反して公の施設を利用しようとする場合等は、正当な理由に該当すると解される。
これが通説なわけだけど、これに該当する可能性ある?
俺はないと思う。
@kfpause
通りすがりの環境法・行政法教員ですが、これは一番まずい「1条・目的規定の使い方」ですね…。
Kamei, Gentaro
@gk1024
都市公園法1条は「この法律は、都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて、都市公園の健全な発達を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。」との規定に過ぎず、これにより利用制限をさせようとするのは、なかなか味わい深い試み。他の場面でも恣意的な利用制限が可能になる。 twitter.com/jcp_sai/status…
このスレッドを表示
@kfpause
ちょっとなぜまずいのか、自分のツリーで補足します。通常、法律の構成としては、目的規定、定義規定という総則を置いた後に、具体的な権利制限に関する規定を置いていきます。その権利制限規定の解釈に当たって、目的規定が参照されることがあります。原告適格の範囲とか、濫用に至っていないかとかね
@kfpause
で、目的規定(1条)というのは、その法律で定めている施策等の概要(これが手段)を述べて、それがどういう目的に資するものなのかを宣言するという構図になります。つまり、具体的な施策の内容は他の条文にある、というわけです
@kfpause
問題になっている都市公園法はかなりシンプルな目的規定ですので、見てみましょう。1条「この法律は、都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて、都市公園の健全な発達を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。」https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=331AC0000000079
@kfpause
さっきの説明から敷衍すると、「都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて」までが施策の概要で、「都市公園の健全な発達を図り、もつて公共の福祉の増進に資すること」が目的です。
@kfpause
そして、この「都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて」の内容は、具体的には、2条の2以降(制定当初は3条以降)にある、という構図になります。何らかの利用制限とかをしたいのであれば、これらの条文に基づいた、要件と効果というかたちで規律されるべきということです。
@kfpause
元の政治家の発言がどこまでの意図を持っているかわかりませんが、例えば想定されるのは、6条の「都市公園の占用の許可」に関し、その許可を与えるべきではない、という主張であれば、わかるのです。あるいは、管理基準(3条の2)に適合しない利用をしようとしているから、禁止すべきだ、などならね
@kfpause
これらの規定に基づくのであれば、公園管理者がどういう要件に該当してその活動を「禁止」するのか(許可を与えない、も含む)が、決まってきますので、それはそれで議論すればよいことになります。このように、法律の「根拠規定」とは、具体的な要件と効果について定めている条項を指すのです
@kfpause
そうではない「目的規定」でその禁止を許してしまう、というのであれば、たしかに「都市公園の健全な発達」という言葉は出てくるのですが、他の利益との調整であるとか、どういう尺度で判断するのかが判然としません。恣意的な禁止も行われうる、きわめて危険な法運用です。
@kfpause
ですから、元のツイート主は、「法1条の『都市公園の健全な発達』との観点で、行使すべき権限を行使して、禁止してくれるよう要望します」なら、まあ、わかるのですが、目的規定だけでそれが可能だというのであれば、それは間違いですし危険ですよ、ということです。
不服審査 原則書面 口頭求められたら必ず口頭の機会与えなければならない。
廃棄物処理業の許可は根拠が法律なので行政手続法が適用される。
拒否理由を示すこと。あきらかに適合しない時は聞かれた時に答えるでよい。
蚊がくん、造幣くん独立してる。靴を履いて立っているイメージ 羽が透明で透明性。民間人。
特殊性癖のあるエリートNHKとタバコ野郎。相当ダーティで総務省。
力づくで加入させるマッチョなコウキは健康体取っ組み合いが得意。
債権者代位権 できない
夫婦、財産分与、慰謝料、認知、遺留分、債権譲渡通知(債権譲渡通知請求はできる)
登記、賃借、債権譲渡通知請求、担保価値維持、共同相続人の代位債権
東京に賃借して🦏を譲り受けて飼う🦏の名前はタンポで共同で相続して飼うのでお金の分担するから請求
詐害行為取消権 基本金、特定物おk、詐害行為前に発生原因が起こってたら取り消させられる。方法は裁判のみ。
取り消せない
コンソーリ🦏つーちゃん
司法試験は7科目(憲法・行政法・民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法)と1科目(倒産法、租税法、経済法、知的財産法、労働法、環境法、国際関係法)の選択科目からなり、短答式試験と記述式試験が合計4日で行われる。
肌感覚でいう分量的にはこの1科目がそれぞれ応用情報・NW・SCなど高度試験と対応するイメージになる。
なので、
応用情報、CCNP、AWS SAP、DBスペシャリスト、NWスペシャリスト、SCスペシャリスト、ITストラテジスト、E資格
を一斉に受けて全部で7割以上取るというくらいの分量と言える。
それか未受験なので難易度が分からないがAWS7冠を同じ日に取るようなイメージ。
もちろん、これら資格ほど各科目の共通する部分が少ないので、各々の試験を1から勉強するくらいの難易度。
あと、論述がエグい。(論文試験と言われる。理系出身なので学術論文じゃないものをそう呼ぶのは個人的に好きじゃないけど、書く量は論文と言える程の分量)
アホな素人がソースくれソースくれ言ってるのがもう悲惨。ネットにちょっと落ちてるソースで簡単な理解を求めてるようなレベルの奴に理解できるわけねえから
もし裁判がその辺の素人がちょっとネットに落ちてるレベルの適当なソース読んだ程度で簡単に理解できる程度の簡単な話なら司法資格が難関資格になってないっつーの。法学部と法科大学院出て会計の資格取れば?専門知識を得るのにインターネットでソース探そうとするのリテラシー終わりすぎててやばい
本当に理解できるレベルの人はこいつが増田のバカな素人に質問して素人の憶測まみれアホな答えが返ってくるのを待ってる間に既に行政法の基本書と実務書読み込んで弁護士になって簿記会計と行政書士の資格とって行政訴訟の判例読み込みしてるって
増田ソースでしったかでゲームのルールうんぬんとか語って理解できると思ってしまう浅はかさ頭の悪さがもう悲惨
こういうまともな記事にも、ついてるトラバがろくに根拠もなければ知識もない感情論陰謀論ばっかなの地獄すぎて笑う
化学リテラシーも大事だけど、何というのかな。人文系リテラシーが終わっとる中学生みたいなやつばっかやな
社会学とか、政治学とか、近代史とか、行政法とか、権利義務民法とか、会計とか、みたいな基礎的な人文系リテラシーがないんだけど自分が何も分かってないことすら自覚できないゾンビの群れ
基礎知識が全くないので、感情論と雰囲気でデタラメ主張をしている
理系版のリテラシーオワコン野郎が反ワクチンとか水にありがとうと唱えると癒しの力を持つ教に行きつくとすれば、文系版のリテラシーオワコン野郎がアンチフェミとかネトウヨになってる感じ
ネオ同和
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
憲法学者個人のアカウントのツイートのついて、当該研究者の所属大学の採る見解と同一であるわけもないのに、インフルエンサーらが当該学名を晒した上で、それは大学の見解か?とか、そんな研究者を雇っているのか?とか、処分すべき旨述べ、炎上させキャンセルを煽る行為のどこが「リベラル」なのか?
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
2時間
返信先:
@YusukeTaira
さん
キャンセルの標的とされた教授の見解は、私自身は反対だし、誤解を招く表現もあると思うので問題はあると考えるが、法律時報2022年6月号の建石真公子「同性婚と憲法―フランスの同性婚法をめぐる『婚姻の自由』と『平等』」等を読めば問題のツイートの意味は一応把握可能だろう
https://nippyo.co.jp/blogjihou/jihou-backnumber/jihou2022/2022-06/
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
·
2時間
なお、私自身は、同性婚の論点について、2021年3月の札幌地裁判決(違憲判断)の立場に概ね賛成する立場を採っています
札幌地判令和3年3月17日の感想(憲法・行政法の観点から)――「国民感情」vs「国民感情」の調整と、司法の本質 - 平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ
yusuketaira.hatenablog.com
札幌地判令和3年3月17日の感想(憲法・行政法の観点から)――「国民感情」vs「国民感情」の調整と、司法の本質 - 平 裕介(弁護士・公法研究者)のブログ
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
·
2時間
以下は1つ前のブログのスクショですが、リベラルといえる札幌地裁でさえ、憲法24条違反は認めておらず(勿論この点には異論があるわけですが)、24条2項に広い立法裁量を認めているわけです(そのうえで14条1項違反と判示)。自称「リベラル」の方々も、こういった知見を踏まえて議論すべきでしょうね
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
·
1時間
ちなみに、日本学術会議問題の政府の対応に対して憲法違反だとか学問の自由・大学の自治の危機だとか声高に主張する人たちが、他方で、研究者個人のツイートについて、キャンセル炎上を仕掛け、所属大学へのお問い合わせという名の抗議連発を容認するか態度を採ることには一貫性がないなと感じます
めちゃくちゃだがアメリカがこれだ。
同じことをやるのはアウト。
この元増田です。
前回で最後の投稿と言いながら申し訳ありません、今度こそこれで最後です。
前回までで書いた監査結果の違和感、多分これが答えかな、という推論が自分の中でまとまったので記録しておきます。
前回までにいろいろ書きましたが、本件監査結果への違和感の大きな部分は以下の3点です
(1)監査委員がColaboの帳簿、領収書その他の諸記録を調査して新たに作成した【表3】をもって請求人の申し出の多くを退けているにも関わらず、その【表3】の信憑性に疑義があるような記載がある。(※1)
(2)実施状況報告書の信憑性について、請求人の主張を「本件実施状況報告書に不正があることの合理的な疎明はなされて おらず、請求人の主張は妥当でない」として退けたにも関わらず、その実施状況報告書について、「本件契約の履行確認において、(略)その実態が把握できず不適切である。」とその信憑性について疑義がある旨を示している。
(3)行政不服審査法上の審査請求では、請求人の主張に結論を付ければそれで終わることが一般的なところ、何故か請求人の主張しない論点まで深堀して「妥当性を欠く」と結論づけている。(※2)
(※1)「按分の根拠となる考え方が不明瞭で、その実態が不統一であり不適切である。また、按分の考え方に基づき按分すべき法定福利費、税理士報酬等については按分せず全額計上しており不適切である。」「領収書として認められるか否か疑義が生じるような領収書が含められていることは不適切である。また、領収書が示されていない事項が本件経費に計上されていることは不適切である。」「事業実績額の内訳には実際とは異なる備品や購入していない備品が記されており」等
(※2)請求人の主張が一部認容なのであれば、「請求人の主張の一部に理由がある」で終わり、意見を付すとしても請求人が主張で触れた部分に意見を付すのであって、請求人の主張外の部分まで意見を付すのは不自然。主張外の部分で不適切なものがあれば、事実上の是正で終わるのが一般的と思われる。
(1)と(2)は同じですね。請求人の主張を退けながら、後でその根拠に疑義を呈している部分です。
(3)はもしかしたら住民監査請求では通常のやり方なのかも知れません。そうであれば御指摘ください。
通常であれば、監査委員は関係人調査や監査対象局からの説明・資料等をもって、少なくとも監査委員の立場として自信を持って間違いのない判断を下すものと思われます(たとえそれが行政寄りと言われようとも)。
私は住民監査請求に触れたことはありませんが、少なくとも審査請求であれば通常はそのように対応しているはずです。
今回の場合でいうと、【表3】を信憑性のあるものに仕上げてから、請求人の主張を評価していく必要があります。
ただ、住民監査請求の結果は60日以内に出さなければならない、と非常に厳しく、またこれをオーバーすると即住民訴訟の対象になります(地方自治法242条の2第1項)。
行政不服審査法上の審査請求には期間の定めがなく(標準審理期間を定める努力義務があります。)、特に作業量が大きい場合などについては標準審理期間を超過することもままあり、それが直ちに違法と評価はされません(「相当の期間」内であればよく、標準審理期間を超える場合には役所から説明があったりします。)。
今回の場合、
「60日以内で終わらせなければならない、という条件をクリアするために、とりあえず監査対象局及びColaboの言い分を丸飲みした資料をもって請求人の主張を退けた上で、その資料の信憑性はおって精査する」
としているように読めます(厳密には【表3】に直接疑義を呈しているわけではないので、言い逃れしようと思えば可能ですがかなり無理がありますね)。
しかし、これ(とりあえず退けておいて、資料は後から精査する方式)をアリにしてしまうと監査期間の定めが有名無実になってしまいます。好意的に解釈すると行政の実情に合わせた柔軟な対応、悪意をもって解釈すると脱法行為と考えますがこのあたりできれば行政法学者の解説をお伺いしたいところです。審査請求と比べて住民監査請求の期日の規定が厳しすぎ、改正の必要がありそうな感じですかね。
確かに60日という期間は厳しいですが、事業の規模からいって調査し、評価するための期間としては十分なものと思います(あくまで肌感覚です。)。
当初行っていた事務処理の方向性を急遽変更する必要があり、そのためどうやっても期間に間に合わなくなった、などの理由が考えられるでしょうか。
そして再調査の結果、仮に【表3】が正しくなかったとしても請求人の主張の多くを退けた監査結果はすでに決定しておりますので、「請求人の主張に理由があったもの」ではなく、「監査委員から意見を付されたため再調査をしたところ〇〇な点が認められた」という結論になると思います。
つまり、請求人の主張による是正ではなく、監査委員からの意見による是正とした方がダメージが少ないと判断したのではないか、ということですね。
それが行政のメンツの問題なのか、政治(政治家に限らず広い意味で)の問題なのかは知りませんが。
例によって監査委員は相当に行政寄りの判断を下していると思います(それが悪いとは言いません。)。
例えば、上述の(※1)についてあえて今回の監査請求で触れるのであれば、監査期間中に根拠書類の再提出を求め、それができなかった時点で返還対象にしても良いくらいでしょう。
それなのに延長戦を認めていますので、行政寄りの姿勢が伺えます。
その行政寄りの姿勢の割には(※1)の按分以外はわざわざ請求人の主張外で検証し、意見を付してるのは違和感があり、「あえて請求人の主張外のことまで触れざるを得なかった理由は何か」ということですね。少なくともここで触れる必要ないでしょ?という意味で。おって議会で突っつかれるにしても。
Colaboの事業の是非や会計の適法性については一切触れませんが、少なくとも東京都の行政の在り方については大きな一石を投じることになっていると考えます。
その追加論点は監査のヒアリングに出た暇空氏が追加で述べた項目だけど、報告書にその内容が何故か書かれていないから、監査委員が突然自我を出して調べはじめたように見える。
人件費の按分については御指摘のとおりですね(請求人の主張には出てこないものの、請求人が追加で主張したらしいです。)。
第3の4の(3)のエについては「請求人は~旨主張している」との文言がないので、監査委員による独自項目と思われます。
・ただしその不備があった項目を合算しても、必要経費の総額2,900万から都の委託料の総額2,600万を引いた300万を超えなかった。
この可能性はあるかなと思っていて、これまでも「ⅰやⅱをすべて計上せずに【表3】を作成した可能性もありますが、それならそうと一言添えるべきでしょう。」と触れさせていただきました。また、今回の本文でも「厳密には【表3】に直接疑義を呈しているわけではないので、言い逃れしようと思えば可能ですがかなり無理がありますね」としましたとおりです。
ただ、領収書がないだけでなく、按分率まで指摘があるなかで最低限の数字を確定させるのも厳しいと思います。
会計検査院は、通常検査でも特別検査でも何ヵ月も前から来るのを教えてくれるのが通例です(基本的に抜き打ちはないはず…たぶん)。
今情報が入っても検査は来年と思いますし、通常検査であれば何年かおきに間違いなく入りますので、会計検査院に見られて不味いような監査結果にはしないと思うんですよね。
少なくとも急遽方針転換が必要になることってないと思うんですよ…好意的に見すぎですかね。
○監査委員が関係部局にヒアリングした結果、請求人の指摘の妥当性はなくなったものの、その結果としてできた表3の妥当性が逆に怪しくなった、という話だと理解していた。
普通ならそこまでの作業を行った上で、監査結果を出すのではないか、という話ですね。
○とりあえず表3というこれまでと異なる数字の表で請求内容は退けつつ、その表3を支える根拠はColaboに直接問い合わせても出てこなかったので再提出。普通の監査なら根拠のないtableは無視すべきだと思うがね
本当にそう思います。
本文で触れた「監査期間中に根拠書類の再提出を求め、それができなかった時点で返還対象にしても良いくらいでしょう。」に該当しますね。
の元増田です。
詳しくはこれまで投稿したとおりですが、大まかな所感としては次のとおりです。
総論
○行政に対する訴訟・不服申立ては、行政側にとって百戦百勝して当然であり、監査請求も同様(たぶん)。
○裁判では原告(監査請求でいう請求人)の主張に反論しなければ、反論しなかった部分はその主張が認められる。よって、多少粗雑でも指摘しうる点はすべて主張に盛り込む方が戦術上お得。
○そのような中で、請求人の主張が一点でも「理由がある」とされたことは重大。(請求人大勝利)
○したがって、「請求人の主張の大部分が退けられたから請求人は誤っている/ほんの小さな事」という主張は、少なくとも行政的には妥当ではない。
各論
○Colaboを調査して新たに作成した資料【表3】により請求人の主張の多くを退けているが、【表3】の信憑性に疑義を呈するような文言が監査結果に含まれており、文書中で矛盾していないか。
○請求人の主張にない部分まで踏み込んで是正を求めるのは、通常の不服審査事務から見ると不自然ではないか(極めて異例、とまでは言えないかも)。
○その他文書中で矛盾と思われる箇所が複数あり、違和感がある。
(以下の2点の可能性があるのでは、と考えています。①急遽結論をひっくり返す必要があった、②事務方の原案に納得のいかない委員側が自ら筆を取った。)
これを踏まえた上で、Colabo弁護団による声明(https://colabo-official.net/20230104/)を見ていきます。
本件監査においては、なんら違法行為は確認されず、監査請求人が主張した事実のほとんどは認定されませんでした。
一部について「不当」との指摘がなされましたが、後述する通りこれも、都の明示の指針にColaboが従っていなかったと認定されたわけでもなくより透明性の高い行政に向けた、担当部局に対する改善の指摘というべきものにすぎません。
(声明文第1の2)
○前述のとおり、論点になりうるものはすべて取り上げるのは通例であり、その中で一点でも不当と指摘されたことは重大であることから、この声明文は妥当ではないと考えます。
(というか弁護士なら当然それを知ってますよね?という思いからこの声明文を見る目が自然と厳しくなってしまいます。)
○住民監査請求は都に対してのものであり、「担当部局に対する改善の指摘」というのは制度上当然です。その中で
「領収書が示されていない事項が本件経費に計上されている」
「仕様書に記載される文言そのものからは委託事業の経費として計上することに妥当性が疑われる」
「受託者に対し、本事業が補助事業ではなく委託事業であること、また、本事業が公金を使用する事業であることをあらためて指導徹底すること」
などとの指摘は、担当部局を通じたColaboへの指摘といえるのではないでしょうか?
声明文第2の1~8については、監査委員がColaboを調査して新たに作成した【表3】に基づき請求人の主張を「妥当ではない」としたことをもって、自らの正当性を主張しています。
これはこれで良いのですが、これまでColaboが公表してきた資料と矛盾が出てくるような気がします。Colaboとしては、【表3】が正しい、という理解でよろしいのでしょうか?
人件費・法定福利費(税理士および社会保険労務士の経費)(略)について一部、妥当性に疑義が指摘されました。また事業全般についての改善についての勧告も行われています。
Colaboとして不正な経費の利用を行ってきたとは考えておりませんが、(略)
(声明文第2の9)
Colaboとしては、「税理士報酬及び社労士報酬を全額計上しており、本事業の実施に必要な経費以外の経費が含まれること」(監査結果文書)について、不正ではないと考えている、という理解でよろしいでしょうか?
領収書の記載が抽象的であることについては、監査委員も「本事業の特性上やむを得ない事由があることは理解できる」としています。すなわち、虐待やDVから逃げてきた若年女性を保護するという本事業の特性上、その女性やスタッフの居場所の特定につながり得る情報は記載できず、このことは一般的な必要性として監査委員も認めたということです。
(声明文第2の9)
これはさすがに誤読です。
本事業の特性上やむを得ない事由があることは理解できるものの、証ひょう書類としての性質上、領収書として認められるか否か疑義が生じるような領収書が含められていることは不適切である。また、領収書が示されていない事項が本件経費に計上されていることは不適切である。
「本事業の特性上やむを得ない事由があることは理解した上でも不適切」
であり、かつ
「そもそも領収書すら示されてない事項が計上されているのは不適切」
と指摘された(Colaboの理屈を受け入れたとしても不適切と指摘された)ものであり、真逆の解釈といっていいでしょう。
領収書か抽象的であることを良しとする監査結果についても疑義がありますね。そもそも公務員には守秘義務がありますから。
Colaboの言い分を認めると、世の中の相当数の領収書は抽象的で良くなりそうです。国税庁は認めてくれないでしょうけど。
○こういう文書では「何が書かれているか」も重要ですが、「何が書かれていないか」の方がより重要であることが多いですね。議会でのすれ違い答弁を見ているみたいです(あれは大部分があえてです。)。
○監査結果の、請求人の主張を退けている部分はともかく、結論部分はかなり強い筆致で担当部局による当該事業の監督状況を批判しています。あそこまで書くことはそうそうないことを受け止めるべきと考えます。
○この監査結果及び声明文をもって「結論が付いた」「大した問題ではなかった」などとしている方が、大学教授等を含めて数多く見受けられます。おそらく大部分の行政職公務員はそうは読みとりません。研究経験のない行政職公務員の、大学教員への転職(天下り)は批判的に見ていましたが、需要がある意味が少し分かった気がします。
○いずれにしても2/28までに実施されるという、担当部局による調査及び措置を待ちますが、それまでにもいろいろ動きがありそうですね。住民訴訟も行われるようですし。
○「行政側にとって百戦百勝して当然」いや、行政訴訟及び法に詳しくない人の意見であってそれは違う。近年行政法も色々変えていて、行政は住民の意見を取り入れようとしてる。必ずしも勝つのが絶対ではない。
○民間 対 民間の訴訟じゃ無いからな。Colaboは一応、行政側なので、100%清廉潔白で当然。1%の疑義を証明された時点で即死。仮にも弁護士がコレを分かっていない筈は無いのだが……。
語弊がありましたね。
もちろん行政側が100%勝つわけではなく、敗訴事例もあります。ただ、行政側は百戦百勝するつもりで行政を行っています(リスクを判断しています)し、その上で負けた者は法的な責任は負いませんが相応の評価になる、と御理解ください。
その上で、①原告が勝訴することは稀であり、その場合は大きく報じられること、②Colaboは今回行政側に立っており、負けは許されないこと、という結論に変わりはありません。
○都庁の担当部局の人がこんな声明文見たら頭の血管切れるんじゃないかと心配になる…。 民間で言えば下請け業者の不始末で大恥かかされた上に「私たち何も悪くありませーん」みたいに言われてる状況でしょこれ
都庁の担当者とうまくコミュニケーション取れてないんじゃないかと心配になりますね。
報告書の類いや領収書など、あらかじめコミュニケーションを取っていれば問題になる部分ではありません。
前に投稿した、音喜多議員の「もっと柔軟な対応ができないのか問い合わせ」など、政治の力が悪い方向に働いていなければ良いのですが。
○『議会でのすれ違い答弁を見ているみたいです(あれは大部分があえてです。)。』が分かりやすい。議員・役人が「そうすること」にメリットがあるのは分かるが、弁護団は議員でも役人でもないのにああなのは謎だ
これは相手の出した論点をすべて潰さなければ負けである、という通常の訴訟戦術からくるものだと考えています。
ただ、これをする場合は相手の論点をすべて潰さねばなりませんし、ネット上のレスバで潰したところでほとんどメリットはありません。
今回のColaboの場合は、行政争訟の行政側のように黙して語らず、主張は法廷で行うのがよろしいのではないかと考えます。
あえて書かないってのは分かる
自分もそうしてるし
突っ込まれたら答える(その答え方も事前に用意しておく。その内容も玉虫色にしておく)
書かないなら割りきって全部にコメントを出さず「都の指導に紳士に対応していく」とだけコメントするのがよかったのでは、と感じています。
一部に触れ、一部に触れないと目立ちますよね。
Colaboと東京都との契約が「公法上の契約」とのことで、その取扱いについて話題になっている。
また、先行したまとめもあるが、
もう少し詳しく見ていこうと思う。
結論を先にいうと、
と考えている。
どのように区分されるのか。
国や公共団体(市町村がその典型)の内部や相互間の関係を規律するルール、および、それらと私人との関係を規律するルールが《公法》であり、私人相互間の関係を規律するルールが《私法》である。
具体的にいうと、公法に該当するものとして、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法、国家行政組織法などがあり、私法に該当するものとして、民法や商法、会社法などがある。
ただし、公法に区分されている法律にも私人間について規定した部分があったり、私法に区分された法律にも国家について規定した部分があるなど、法律単位で明確に区分できるものではないので、概念的なものと理解してほしい。
公法と私法はそれぞれ別の法体系として捉えるべきかどうか、という議論がある。現在の通説は一元論(というより区分の意味がない)であり、判例・実務も一元論寄り(あえて区分しない)と理解されている。
法解釈技術的に見る限り、今日、公法私法二元論を取って取れないことはないにしても、その場合、一元論に対比しての独自の意味は余り無く、従って、どうしても二元論に固執しなければならない、という理由もまた無い、というのが実態
公法上の契約に入る前に、行政庁がその活動を行うにあたって、どのような形式があるのか見ていこう。
一般的に、私人間の法律関係・権利義務関係を作るものは契約である。
契約という手段を用いることもある(後述)が、そのほかに「行政行為」という概念がある。法律上の用語ではなく、講学上の用語であるが、便利なのでこれを用い、具体例を挙げて説明する。
行政行為にはこのような種類があるが、それ自体は余り重要ではない。重要なことは、行政行為とは私人に多大な影響を与えるものであり、法的な根拠が強く求められる(行政の好き勝手は許されない)ということだ。
行政行為は権力的行為の象徴としてとらえられ、その限りにおいて行政権についての法の拘束を問題とする法律による行政の原理を中心とする行政法の諸原理が直接妥当する。
例えばあらゆる行政活動につき妥当する「法律の優位の原則」は言うまでもなく、「法律の留保の原則」に至っては、そもそもそれ自体が行政行為を中心とする個別具体的な行政活動をめぐって展開されて来た
ざっくり言うと、「法律による行政の原理」とは、行政は法律に従って活動しなければならない、という大原則(例外あり)のことであり、この原理から導かれる「法律の優位の原則」とは行政は法律に違反してはならないということで、簡単に理解できると思う。
また、法律に反しなければ行政は何をしても良いわけではない。そこで登場するのが「法律の留保の原則」である。これは、「行政活動を行うには法律の授権を必要とする」という考え方だ。ただ、これはすべての行政活動に妥当するとは考えられておらず、例えば純粋な私経済作用(例えば文房具を購入するなど)については妥当しないと考えられている。
しかし、我が国における一般的な行政慣行として、行政行為に至る前に、行政指導というものが行われている。具体的にいうと、役所に「こんなことできませんかね?」と質問した際に「それじゃちょっと難しいっすね。ここをこうしてもらえるならできまっせ」と回答して貰ったり、役所から、「建物が壊れそうで、このままだと行政処分をせざるを得ないから、今のうちに危険を除去しといてね」と指導されたりするやつだ。
これは行政行為(処分)ではなく、単なる事実上の指導であるので、基本的には法的な根拠は不要であるし、訴訟の対象にもならないと考えられてきた(例えば行政指導を信じた私人が不利益を被った場合、行政庁に責任はないと解されてきた)。
行政行為には法的根拠が必要で、手続き守らなければならず、訴訟の対象にもなるということで、面倒くさい行政行為ではなく、行政指導を活用してきたということだ。
しかし、あまりに便利で幅広に使いすぎたせいもあり、一定の手続きの整備や訴訟の対象とすることは必要だ、と解されているのが現在である。
行政指導には何らの法的拘束力も無いという基本的な考え方からして、行政指導に対する私人の信頼の保護ということが、行政法学上重要な問題とは考えられなかったような時期はもう終わった、ということだけは明らかとなった
第三十二条 行政指導にあっては、行政指導に携わる者は、いやしくも当該行政機関の任務又は所掌事務の範囲を逸脱してはならないこと及び行政指導の内容があくまでも相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであることに留意しなければならない。
2 行政指導に携わる者は、その相手方が行政指導に従わなかったことを理由として、不利益な取扱いをしてはならない。
第三十五条 行政指導に携わる者は、その相手方に対して、当該行政指導の趣旨及び内容並びに責任者を明確に示さなければならない。
2 行政指導に携わる者は、当該行政指導をする際に、行政機関が許認可等をする権限又は許認可等に基づく処分をする権限を行使し得る旨を示すときは、その相手方に対して、次に掲げる事項を示さなければならない。
(略)
第三十六条の二 法令に違反する行為の是正を求める行政指導(その根拠となる規定が法律に置かれているものに限る。)の相手方は、当該行政指導が当該法律に規定する要件に適合しないと思料するときは、当該行政指導をした行政機関に対し、その旨を申し出て、当該行政指導の中止その他必要な措置をとることを求めることができる。ただし、当該行政指導がその相手方について弁明その他意見陳述のための手続を経てされたものであるときは、この限りでない。
(略)
行政行為と行政指導を見てきたが、大まかな考え方として、「行政のフリーハンドは認めない」方向で議論が進んでいる点が重要である。
行政の意思の実現は、これまで見てきた行政行為や行政指導以外に、契約という形式を用いることがある。例えば、住民と水道局との給水契約、官公庁舎の建築契約、消耗品の売買契約等々、幅広く存在している。
そして、これらの範疇に含まれない、公法上の契約というものが存在する、と議論されてきた経緯がある。
しかし、先ほど見てきたように、そもそも公法私法二元論自体に疑義があり、公法契約にも疑義が呈されているのが現状である。
いわば狭義の行政契約すなわち公法契約(公法上の契約)という行為類型が存在する、という主張が、伝統的になされて来た。
(略)
特に「公法契約」というカテゴリーを解釈論上設定する意味は極めて薄い、と言わざるを得ないことになる。このような事情にあるために、現在わが国では、公法契約なるものの存在可能性自体は否定しないにしても、現実には極めて例外的にしかその例を認めない見解が、多数であると言ってよい。
そこで、これら行政の行う契約をひっくるめて、行政契約(行政上の契約)として議論されることが多くなっている。
いずれにしても、大きな議論の流れとして、契約であるから行政庁は好き勝手して良い、という方向では議論はされておらず、行政行為・行政指導で見たように行政庁の自由裁量を認めない方向で議論が進んでいることは間違いない(もちろん契約内容にもよるが)。
したがって、行政契約であることをもって、契約主体(行政庁と契約相手)が自由裁量を得る、というのは誤りであると言える。
特に、公法契約が存在するとした場合、行政庁と私人の自由な意思に任せることが原則の通常の契約よりも行政庁の裁量の幅が狭くなることはあれ広くなることは考えにくい。
この方法には、私人との合意があったことを理由に、行政主体が好き勝手なことをなし得る、という危険が内在することをも意味する。先に見たように、現行法上、行政主体の結ぶ契約について、様々な制約が付されているのは、まさに、このような危険を防ぐためである
Colaboと東京都の契約は、「東京都若年被害女性等支援事業委託仕様書」に基づいてなされた一般的な委託契約(請負契約か準委任契約かは結論に影響しない。)であり、公法契約という概念が出てくる余地はない。
従来の行政法学では、行政上の契約を公法に属する「公法契約」と私法に属する「私法契約」とに二分し、前者のみを行政法学の対象としてきた。そして、「公法契約論」においては、報償契約・公用負担契約などを念頭において、こうした公法契約を締結するには法律の根拠が必要とされるかとか、いかなる要件のもとに締結が可能かといった問題(公法契約の許容性と可能性)を主に議論してきた。
また、仮に公法契約であったとしても、競争入札において、予定価格を定めなくて良いという特別法がない以上、一般法(地方自治法)の規定が適用されるものである。
したがって、東京都の「公法上の契約のため当該資料は存在しない」という説明は、①公法上の契約とは考えられないこと、②仮に公法上の契約だとしても予定価格の算定は必要なこと、と二重の意味で誤っていると思われる。
(予定価格の算定をしなくて良いのであれば、地方自治法第234条3項が適用されない法的根拠の説明が必要だ。)
第二百三十四条 売買、貸借、請負その他の契約は、一般競争入札、指名競争入札、随意契約又はせり売りの方法により締結するものとする。
2(略)
3 普通地方公共団体は、一般競争入札又は指名競争入札(以下この条において「競争入札」という。)に付する場合においては、政令の定めるところにより、契約の目的に応じ、予定価格の制限の範囲内で最高又は最低の価格をもつて申込みをした者を契約の相手方とするものとする。ただし、普通地方公共団体の支出の原因となる契約については、政令の定めるところにより、予定価格の制限の範囲内の価格をもつて申込みをした者のうち最低の価格をもつて申込みをした者以外の者を契約の相手方とすることができる。
すなわち、競争入札でなければ予定価格を算定する必要はない、ということだ。
では、東京都若年被害女性支援事業は競争入札で行われたのだろうか。実は、この公募関係のウェブページが全部削除されているのである。
かろうじて、平成30年度は公募が行われたらしきことが見て取れる。
[都]平成30年度東京都若年被害女性等支援モデル事業の一部を実施する事業者を公募します
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/jakunenjosei/jakunenjosei.html
https://www.tcsw.tvac.or.jp/php/contents/mailmagazine.php?key=617
だが、リンク先を見てもらえばわかるようにすでにリンク切れであり、ウェブ魚拓・ウェブアーカイブさえ見つけることができなかった。そして、平成31年度~令和4年度までは公募が行われた形跡すら見つけられない。
通常、こういった公募手続きについては終わった後も消すことは余りないように思うのだが、何故見つけられないのだろうか。(見つけた方はぜひ御提示ください)
不意に予定価格と出てきて、何のことかわからない方もおられると思う。
予定価格とは、ざっくりというと契約金額(落札金額)の上限だ。
不思議なところであるが、例えば議会で予算が1000万円と認められた事業について、入札を行う際には予定価格は950万円くらいになったりする(なので980万円で入札しても落札することはできない。)。
予定価格の算定方法は公表されてないが、一般的には業務ごとに一定の割合を乗ずることによって算出している(例えば役務(労働力)の提供であれば予算額の95%等)。
(ここではそういうものだとご理解ください。詳しくするとまた長くなるので)
ここに書いてきたことは、「東京都が、都とColaboの契約を公法上の契約ととらえており、また、予定価格を定めていない」という情報が正しかった場合です。
個人的には何かの間違いだったと思い
https://anond.hatelabo.jp/20221220151735
暇アノン落ち着けは自分も思うところでそもそも「公法上の契約」って何を言ってるかを理解した方がいい。元ブコメ見る感じ、トップブコメは何人から理解してるようだけど、なんか雰囲気でよくなさそうと思ってる人が多そう。
そもそも「公法」ってなんぞや? という話から入るけど、法律には一般市民同士の関係(私人と私人)について定める「私法」と、一般市民と国(私人と国家)の関係を定める「公法」で大きく分類できるのよ。私法は民法とか商法みたいな社会生活、後者は憲法とか刑法、行政法みたいな領域ね。
この二つの何が違うかって、公法は基本国家権力を拘束する為のものなのね。国とか警察、地方自治体って基本一般市民より強いのよ。なんでもやろうと思えばできちゃう。好き勝手動いてもらったら困るのよ。だから、行政のやることは法律でガッチガチに固められてる。法律で決められてること以外はやっちゃ駄目。
でも、それって逆に言えば法律で決められたことなら一定レベルで一般市民に不利益になるようなことでもやっていいってことなのよね。これが行政処分と言われたりするもので、たとえば道路拡げるために(本来は一般市民に権利があるはずの)土地に新しく建物建てられなくするとかは「行政が私人の権利を制限する」ことに該当する。こういうのを決めたりするのが公法、特に行政法なのね。
他にも公法と私法は訴訟法の関係で民訴・刑訴・行政訴訟(行政と私人間の争い)とかに別れたりもするんだけど、本題とはずれるので割愛。
じゃあ問題です。「東京都と法人が契約を結ぶのは公法・私法どっちの領域の話?」
答えは「場合による」です。
たとえば、「東京都が備品を会社から買う」とかの一般社会におけるありふれた売買契約は私法的なものですよね。だから普通に民法や商法が適用される。これが俗に言う「私法上の契約」なんですよ。で、東京都は公法によって縛られるから、ものを買うといった契約ひとつとっても法律に従わないといけない。そのための規定が地方自治法230条以下の「契約」の項なんですよ。「公法上の契約なので地方自治法の規定が適用されない」の含意とは、「地方自治法の契約の項に書かれてる内容は私法契約に関することですよ」という意味です。
じゃあ、「公法上の契約」って何か。ざっくり言えば「公益の見地から、私法とはちょっと変化したルールで行われる契約」のことです。たとえば、警察官って労働組合入れないですよね。労働者が労組入れないのって私法的にはアウトです。でも公益の見地からセーフなんです。
このように、「公法上の契約」とは、民法や商法の私人契約ではそぐわないような性質の契約を、公法で定めたような契約を指します。川崎高津公法研究室の行政法講義ノート14回から引用すると以下のような説明がなされてますね。
http://kraft.cside3.jp/verwaltungsrecht14-6.htm
公法契約は、その名の通り、公法による契約のことで、公務員の勤務契約、公共用地取得のためになされる土地収用法上の協議などが該当する。なお、行政主体が一方当事者であるから公法契約であるという訳ではないので、注意を要する。
ちなみに、行政契約の中でも「補助金の交付」はケースバイケースでしか判断できないファジーな領域なんすよね。
たとえば、千葉県の公開してるpdfでは、地方公共団体による補助金の交付決定は行政処分ではなく負担付贈与契約ですという説明がなされてます。
https://www.pref.chiba.lg.jp/seihou/gyoukaku/newsletter/documents/letter15-3.pdf
地方公共団体が行う補助金の交付決定の法的性質は、原則として、いわゆる行政処分ではなく、
契約1の申込み(交付申請)に対する承諾と考えられています2。
一方、佐々木総合法律事務所の公開してる何かの雑誌のpdf「補助金を過大に交付した場合の返還請求」では、補助金の法的性質について以下のように記載してます。
地方公共団体が交付する補助金の法的性質は、法律上は明確に定まってるわけではなく、これを行政処分と捉えるのか、それとも贈与契約として捉えるのかは、それぞれの補助金の内容、支給の根拠、支給要件等に応じて判断せざるを得ません
さて、やっと本題です。
当該noteでは、「colaboと東京都間で締結された委託契約は根拠法がない有償契約である」とあります。
そう、↑では補助金の話をしましたが、問題のやつって委託事業なんですよ!
文部科学省の公開するpdf「委託費と補助金の違い 資料5」では、補助金と委託費との対比で、委託事業を「民法上の準委任契約」と明記してますね。これは主体が地方公共団体ではなく国なので少し違いますが……。
ここまでの前提知識があってはじめて「公法上の契約」というのがおかしいことがわかるわけですね。
というところで、やっぱり東京都はおかしくない? というのが今回のまとめでした。……おいおかしいぞ、俺は暇アノンどもにマウントを取ろうとしたのに!
この増田は10年前に行政法を落とした人間が1時間ググって理解した(と思った)内容をまとめただけなので内容の正確性を一切保証しません。一瞬でももっともらしく信じかけた人は自分で調べることをおすすめします。
それはそうと、委託事業って請負契約じゃなく準委任なんですね。請負なら成果物に対する支払いだけど、準委任は普通成果ではなく稼働に対する支払いがなされるから、よく考えると業務内容に対して云々言う権利は発注側には……まさか、ない……? いや、事業内容的に請負にするのはそれもそれでよくないと思うが。
やっぱり、何を以て東京都側が検収としたのか、契約内容見たいよね。俺仕事で準委任契約をコンサルと結んだとき検収とかめちゃくちゃ細かくやらされたんだけど、その経験からすると東京都が発注者としての責務果たしてんのかは気になるところですよ。活動内容のヒアリングとか、たとえば活動内容の効率化なり適正化なり図ったのかとかさ。
全部が全部事業の中身見れないから委託してるんだろうけど、保護した女の子を沖縄の反対運動に動員したのでは疑惑はせめてはっきりさせてほしいと思う増田であった。