はてなキーワード: 関の山とは
Togetterって誰がまとめたのかにあまり注目されないのがまとめの質を損なってるなあと思う。
まとめってそれを読んでる人に賛成させるか非難させるかある程度誘導できてしまうよね。
特にTwitterのような玉石混交で言いたい放題の場所では、いくらでも自分の欲しい主張が見つかるし、それを偏向的にまとめれば信憑性の乏しい話題に盛り上がるエコーチェンバーの出来上がり。
そこがほんのりとしか書いてないTogetterは、まとめサイトという信用性が低い業態の中でも更に信用性の低いサイトだと思う。
例えばTwitterでははてなでバズると「増田 on Twitter: おはよう」のようにまず誰が書いたものなのかがタイトルに出てくるが、Togetterもそうして欲しいところ。
他にもRedditのように、まとめに対するDownvote/Upvoteを導入するとか、もうちょっと真摯にまとめの質に向き合って欲しい。
現状一番良いのはTogetterを見ない事になっている。
https://twitter.com/tokoroten/status/1524689864054444032
これが流れてきたんだけど、農業をICT使って効率化しましょう!みたいなのって全然割に合わない
10aの農地で年間1万円のコスト効果とか全然クソみたいな額だから誰も商売にしないよ
そうなると「北海道の大規模農家なら」とか言うんだけど、大規模農家って何軒あるんだよ
50haだと年間500万円のコスト効果あるとして、滅茶苦茶頑張って年間200万貰って頑張って10件契約して2000万ですよ
農業法人が自分たちでエンジニア雇ってコスト削減するためにやるなら分かるけど、年間500万だと人件費すら出ないよね
結局、日本は小規模農家が大量にあるからそこをマスにして広く売るしかないんよ
小規模農家をやめて大規模農業法人にしよう!みたいなのは散々議論し尽くされてるし
できるとこはやってるし、できないとこにはそれなりの理由がある
ヤンマー・クボタあたりが農耕機具の付加価値としてやるのが関の山かな
「AIを使ってコンビニを無人化!」みたいなのが前に流行ったけど、どう考えてもバイト雇う方が安いから廃れてるし
英語が難しいっていうやつって2通りいて
もうレベル高すぎて何が難しいかわからないとこまで言っている人、この手の人はもうどうしようもないですね、っていう感じなんだがもう一方の
レベル低すぎて何やっていいかわからないけどあほなのばれたくないから「英語が難しい」といっている輩だ。
英語のレベルが低すぎるっていうのは要は現在形から怪しいっていう感じのやつらなんだが、こういうやつらに少しアドバイスしようと思う。
なぜ難しいのかを書いてみることにしよう。
という点において現実世界で使われている英語とは違いものになっているからだ。
ここまで書いてみて勘のいいひとはわかるかもしれないが、「英語という言葉は簡単だ、ある程度のレベルまでは」という事であり、そのある程度のレベルというのは、生きていく上で不自由しない程度の知識が身につくという意味だ。
当然ジャーナリストや政治家が使うような英語はレベルが高い。一切の間違いは許されず、豊富な動詞を使って文章を彩り、適切な長さでセンテンスを切っていく必要があるが、そんなのはネイティブの大卒とか日本国内のすごい奴らに任せとけばいい。
次に日本で英語を難しくしているのが、ネットに出てくる「字幕なしで洋画が見れる」とか「辞書なしでニューヨークタイムスが読める」とかそんなのだ。
俺は英語はそれなりにできるが、映画TAXIで最後までフランス語だったことに気付かない程度の間抜けでもあることは先に言っておく。
なんだよこいつら酷い訛りだなといってみていて後日友人に「あれフランスの映画じゃないの」といわれた経験は今も美しい思い出として胸の中にしまわれている。
というように、字幕なしで洋画を見るとか、辞書なしで英字新聞を読むというのは英語とは別のスキルが実は必要なものでもある。逆にそっちのスキルがしっかりしているとある程度検討をつけてみたり読んだりすることができる。
映画なら各キャラクターについてしっかり把握している、物語の背景や何やかやといったものであり、新聞ならその国の直近のニュースや歴史、文化、常識といったものだ。
逆にこれがないなら映画も新聞も無理だといっておく。それら抜きで映画も新聞も行けるならもうその人の言う英語が難しいは全然違うレベルで言っている。プロのミュージシャンが楽譜が読めないといっているようなもんだ。
英語が大してできもしないくせに難しいといっている奴らの言う英語がこういう英語だから難しいんだということを言いたい。
多少支離滅裂だがこれでわかってくれるだろうか。
べつにアイユーライクでも通じるといえば通じる。よくわからんかも知らんが言葉なんて言うのはそんなもんだ。
会話の世界ではテンスも三単現のsも複数形もなんもかもでたらめだ。俺が言うんだから間違いないぞ。
だが重要な単語のチョイスさえ80点くらいをキープできてれば大体どうにかなる。まずはそこを目指せばいいんだよ。
海外に行くとわかると思うが、TOEIC200点台で英語普通にしゃべるやつらがいる。あいつらの英語は全くのでたらめだ。だが通じている。これは実は不思議でもなんでもない。
次に言い直すことを躊躇しない
そして聞き間違えてわかんない時も聞き返すスキルがすごく高い。相手を不快にしないで聞き返している。
パードン?とか使わないんだよな。
たとえば勝手に相手の言ったことを自分なりに理解して怒ってみて「ほんとあいつらショーがネーナ!」とか言ったりしたら行った側が誤解を与えているから言い直すし、それによって誤解が解けると緊張と緩和によって笑いが起きる、こういったよくわからないがコミュニケーションの極意のようなものを身に着けているから英語が喋れるし、上達のスピードも速い。
だが、おそらくTOEICをやっても400点台が関の山だろう程度には英語はでたらめなままだ。
そもそもあいつらは人が好きだから何の躊躇もなくしゃべるという特技がある。
だが、俺が何度でも言いたいのは「英語そのものは簡単だ」ということだ。英語の難しいレベルに入ってから愚痴ればいいよ。
お前らが「英語が難しい」っていうのは俺には「ぼくちゃん勉強したくないパープリンナンデチュー」くらいにしか響いてないから気をつけろよ。
【追記】ガチャりあむじゃなかった。はず。でもそれを受けて記事を改稿するのはもっとダサいのでそのまま残す。
【追記2】大外ししてた。はっず。
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モバゲー版アイドルマスターシンデレラガールズで開催されている、ドリームユニット決定戦の予想記事。
デレマスアイドル190人の中から、2~5人の好きなユニットを組んで投票。既存ユニットでもオリジナルユニットでも可。発表は3位までで、1位にはモバマス内でのSRが確約される他、去年は公約にはなかったが描き下ろしのグッズが出たり、プライズかなんかでちょっとした優遇があったりした。去年の1位はフリスクで、イベントはアイプロ、ガチャ/上位/完走/完走の全員27コスの強SRが来た。2位はユニ募、3位はブルナポ。
投票券はログボ、イベント報酬、ガチャのおまけで、ログボのみだった去年とはかなりパワーバランスが異なり、従来の総選挙に近い票配分に近づいた。総選挙との違いはラウラン報酬、10社報酬と、ガチャのおまけは3000MCで500枚という壊れっぷり。
と、いうわけで、1位はユニ募だろう。
と役満である。ユニ募のPってそもそもモバマスやってんのかよ、と思うのだが、去年の結果に出てる以上は「やってる」もしくは「既存のPがこの3人のPになった」もしくは「他担Pからの支持が厚い」ということは言える。さらに言えば「#ユニット名募集中」というのも、見方によれば公式ユニット名がまだない、このユニットはまだオリジナルユニットとも捉えられるわけで、このイベントの趣旨にピッタリなのでは、と考える人もいるかもしれない。そこまで考えてこの3人の展開をコントロールしてきたのだとしたら余りの手腕に恐れ入る。総選挙で声をつけるという体験を提供したことも含め、いわば「推せば結果につながる」というのが手軽に味わえるポジションなのだなあ、と思う。
これでガチャりあむじゃなかったら笑ってくれや
『B型作業所でハナクソ入りのパンとかクッキーでもこねてろ』ってのは中二臭いどころかむしろ年齢を感じるんだよな。
それなりに世慣れてないと出てこない表現っていうかさ。まず中二病程度の精神年齢と型作業所を知ってるほど発達障害について掘り下げて学んでることとは相反してる気がする。
まあ単語レベルでは知ってることはありえるにしても、鼻くそ入りのパン云々は中二病患者としてはあまりにも弁舌さわやかで流暢すぎる。
中二病はもうちょっと『アメリカは汚い』とか本当に漠然とした単にかっこよさげな感じのフレーズをぎょうぎょうしく言うのが関の山なんじゃないか。
ウクライナとロシアはお互いに戦車をぶつけ合っているからお互いに主張をぶつけ合えるんだ。
もしも片方だけが戦車を持っていたら交渉のテーブル自体が最初から生まれなかっただろう。
少なくとも、交渉のテーブルの上でウクライナが発言力を持つ事なんできず、朝鮮戦争のようにどこかの傀儡となるのが関の山だったはずだ。
たった一言、心の奥底で伝家の宝刀として持ち合わせなければ何も始まらないものが有るのだ。
「俺たちの意見を蔑ろにするなら、俺は最悪お前らと刺し違えるからな」
このたった一言を胸に誰もが収めていて、始めて交渉が始まるのだ。
大人だけが銃を持つ社会で、子供だけが銃を持つことを禁じているというのは、子供に交渉の権利がないということだ。
屋台の店主が釣り銭をちょろまかしてきたとき、大人であれば縺れた交渉のはてに相手の五体に銃弾を撃ち込むという選択肢を胸ポケットに入れたまま交渉に挑めるだろう。
そうなればどんなに世の中を舐め腐った店主だろうと、最後には銃弾という神の目を恐れうやうやしく罪を認めるはずだ。
だが、子供にはそれがない。
それは公正や正義を司る神の庇護から外れて生きていることにほかならない。
騒ぎ立てても「子供の言っていることですから」とはぐらかされても、その舌に鉛の鉄槌を叩きつけることが出来ないのでは、そこに交渉など発生しない。
ただ、子供という存在に対して慈悲を持って接しているだけなのだ。
対等に扱おうなんて気持ちはどこにもない。
そんな社会でいいのか?
子供が銃を持つことに対する是非についての議論は、ある特定の人間を交渉のテーブルにつかせる事を許可しない社会を容認するのかということだぞ。
まあ俺はそれでもいいと思うけどね。
ボケた老人からは運転免許証を取り上げるべきだし、免許さえ取り上げられた機能障害のポンコツに対しては慈悲を持って接してやるべきだ。
だが、そういった他人を見下し権利を制限することに端を発する社会をおかしいと日頃声を上げておきながら、いざ子供が銃を持とうとすれば規制すべきだというのは自己矛盾が過ぎやしないかね?
そのことを考えろと言っているのだよ。