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はてなキーワード: 定期試験とは

2024-02-19

  平成28年春先に、 旧Twitterに現に書き込みをしている者が好きであると断言した。

  平成28年10月30日、  同氏は倉敷市で、私は宮崎市数検1級を受けた。

    同氏は、一次試験、複素等式の解き方で、LOGをつけなかっただけで不合格となったが、二次試験は、行列固有値物理の周期、関数解析問題しか出なかったため、

  合格した。 なお、行列問題は、PPAPと俗に呼ばれていたが、求めることが出来ていなくても合格した。

   平成29年3月10日、 同氏は、 東大理科一類合格し、杉並区に住んでいた。

   平成29年3月29日、 私は、佐藤大土竜と面会をした。  

   平成29年5月1日頃から、 延岡市美山町83-912において、柳田伊都子の許可を受け、柳田彩花に家庭教師をしたが、柳田洸亨は2階にいて降りてこなかった。

   平成29年6月24日、 柳田彩花は延岡高校定期試験が始まるので、家庭教師を打ち切った。

   平成30年3月29日、  生活保護が開始された。

   平成31年1月6日に、  板橋ジャパンが閉鎖の運びとなった。

   平成31年1月14日、  板橋ジャパン店舗の後に、スギ薬局が出来たが、中身は一緒であった。

2024-02-13

   ああ、違った、私は、東大法学部時代に、定期試験ストレスで、 脂質が優に30gはあるのが分かっているにもかかわらず、毎日松屋牛丼ばかり食べていた。

   それなので私が東大生の頃は相当に腹が出ていたと思う。しか全然覚えていない。

2024-02-01

自分の脳が日々退化していくのを実感する。そろそろヤバいかもしれない。

去年、自分内定無しのまま大学卒業し1年間就職浪人してようやく数日前に内定をゲットした。

なんだか、ここ数年間で自分のあらゆる能力が凄まじいスピードで退化していくのを日々実感している。これは一体どういうことだ。

自分でこんなことを言うのもアレだが、小中学生時代は100点以外ほとんど取ったことがない上、さら夏休み自由研究では小1〜中3まで毎年、学内選抜で市や県の科学展覧会出展表彰されるなど非常に成績優秀だった。高校県内有数の進学校入学できた上、卒業するまでの三年間、中間期末試験では常に学年ベスト5に必ず入っていた。1位になったことも何度かある。

その後は有名私立大学指定校推薦入学したのだが、この頃から徐々に様子がおかしくなっていった。大学講義自分にとって興味深いものばかりで、毎日楽しく熱心に受講し、学内図書館毎日時間も入り浸って関連書籍を読み漁ったりと勉学に励んでいたにも関わらず、次第に学んだ内容が全く頭に入らなくなり(というか記憶できなくなり)、さらには講義を聞いても何を言っているのかサッパリ理解できなくなった。

文章力も極端に低下していき、レポート課題小論文定期試験記述問題などを書くたびに物凄く時間がかかる上に内容も支離滅裂意味不明ものばかりになってしまった。自分で後から読み返してみても、どれもこれも何が言いたいのか分からないようなグチャグチャでまとまりのない文章ばかり。そんなだから当然評価も低くつけられた。もともと自分文章を書いたりレポートを上手くまとめるのが得意な方だったのに。大学4年間、レポート評価試験結果も本当に悲惨だった。よくこれで留年せずに済んだな、というギリギリレベル

自分がこの数年間で実感した能力低下は、こういった学業面だけではない。

周囲の人と喋る時もまるで思考が停止したかのように言葉咄嗟に出てこない(他愛のない雑談ですら)、「うん」「そうだね」などの簡単な相槌すらもすぐに打てず、あはぁ、ふふ、などの辿々しい相槌とも言い難いような返事しかできなくなったり、ほんのちょっとした質問にもすぐに返答できなかったり、講義内で行われるグループディスカッションでも思考が停止し全く発言できない、そもそも何を話し合うのかも理解できないなど、コミュニケーション能力が著しく低下。さらには「おはよう」「こんにちは「ありがとう」すみません」など簡単挨拶すら咄嗟に出てこず、「ありがとうございます」と言うべき場面で「いただきました」だの「おはようです」など意味不明なことを言ってしまう。

自分子供の頃から社交的なタイプではなかったが、それでも対人関係で支障が出るようなことは今まで殆ど無かったのに。

就職活動でも面接時に全く言葉を発することができず、ようやく口を開いたと思えば質問された内容からかけ離れた支離滅裂言動になったりして、結局どこにも採用されず、内定無しのまま大学卒業となってしまった。それから約1年間の就職浪人の末、ようやく先日内定を貰うことが出来たが。

日常生活においても、何かやろうと思ってもすぐに忘れる、しょっちゅう物を落としたり無くしたりする、食事の時にお茶碗やラーメンの丼をひっくり返したり落としたりする、ごく簡単家事作業すらまともに出来ず家族に叱られる、会話相手言葉理解できない、何に対しても気力が湧かない、1日のほぼ大半を寝て過ごす、イライラすると衝動的に自分の顔や頭を殴りつける(そのせいで奥歯が欠けたこともある)、自宅の住所や電話番号を忘れる、外出時に突然笑いが止まらなくなる、30分おきに歯磨きをする、意味もなく家族電話をする、自分が今何をしているのか突然分からなくなる、など、ありとあらゆる面で異常な行動が出てしまう。

数年前の自分と比べても、明らかに知力や生活能力社会性、人格などあらゆる面で退化していると感じる。

一体何故こんなことになってしまったのか全く分からない。日に日に様々な能力が低下し、異常行動が増えているのを身に沁みて実感する。そろそろヤバい領域に達していると思う。

4月から内定貰った会社で働く予定だが、こんなことで務まるのだろうか。

ここに書いても仕方のないことだが、ストレスを吐き出す意味で。

コメントくれた人たち、ありがとう

少しだけ荒んだ心が和らいだような気がする。

2024-01-29

anond:20240128021537

自分もこれだめだな。

実家専業主婦の母がいつもちょこちょこ家事をしてる人で、ダラダラしてると罪悪感を感じていた。

別に手伝えと言われてはいないが、やらなきゃいけない気がしてくつろげなかった(実際時々は手伝いをした)。のんびりしている専業主婦って実在するのか。

受験勉強とか定期試験とか勉強部屋にこもるほうがいいと思ったこともあった。

ちなみに実家にいたのは学生までで、就職後は一人暮らしを始めた。めちゃくちゃ気楽でいい。

なお妹は全くプレッシャーを感じていなかったらしく、今も母と同居している。

2024-01-23


  H22年   インターネット上の、鏡音レンきゅん画像等が猖獗を極めていた時代だったと思う。 H21からそういうのはあった。

  H22

   H23.12.28  延岡市プール事件の取り調べも終結し、といった状況。

    H25.6.18~7.7    教育訓練工場3週間連続実施

    H25.7.8~H26.4.17    第10工場、第5工場、 連続実施   実施者   長谷川順一 森脇進一  警備隊

     H26.9.14   延岡市中学校花火打ち上げカマシ

     H26.11.10  延岡で物を売ろうとしたが結局実行せず、不発に終わった。  R1.5.31 練馬区練馬をやろうとしてすぐやめた。  実施者  にんかい のに似ている。

   H27.1.23ごろに、ピノキオ延岡に行ったらそこに、散弾銃が置いてあったので買った。 今山の上の墓が並んでいるところから試し打ちした。

   H27.1.26頃に、散弾銃発砲活動が開始されたので、延岡のクソ女のせいで自転車で大けがをした。  ※ 特徴  虚を突かれた一回的な銃撃に反応し連日にわたる活動には無反応

                                                   延岡人の特徴

  なんで散発的になったかは分からない。こういうのは一回的な試し打ちで、連日にわたってはやっていなかったように思う。

    H27.11.27  延岡検察庁に向けてしているが、  羽賀秀博が狙いであったと思う。反応はなかった。  羽賀秀博 30代の裁判所書記官犯罪者クズ

   H28.1.1 マイナンバー法施行

   H28.8,8  生前退位が発表される   さいわいに、健康であるとはもうせ、今後、天皇もまた、高齢化するとき勉強は、無理であろうと思われます

   H28.12    町子脳梗塞で倒れる

   H29.1.28    板橋区内で話題持ち切りの、ワシの実父(利幸)死去

   H29.3.14    黒羽刑務所に到達  何も変わっていない。

   H29.4.6      ありゅようにみせているだけでないんですよという大声を上げる  K-コーポレーション

   H29.6.24            延岡高校定期試験開始    柳田彩花 1999.6.28出生

   H29.7.5      岩佐鉄男死去

   H29.7.12    生活保護申請却下決定

   H29.7.19

   H29.12.28   黒羽刑務所 その他、4か所の閉鎖決定

   H30.1.26     宮崎旅行

   H30.2.12      上京

   H30.3.29      保護開始

   R1.9.4     荒川土手で訳の分からないことをわめいている。処分しても理解しているのかどうか分からない。

   R1.11.12       厚労省二次審査の日に、現場検証をした可能性   送検して不起訴   ガキの遊び

   R1.11.19    荒川新大橋の下のA面から何かを喚いている。        H27.11.27の 悪夢再来      ずらすから

   R3.3.31      志村警察署文書廃棄

   R4.3.31       黒羽刑務所閉鎖     R3.10 喜連川社会復帰センター移管移動

   R4.6.8     古俣CW訪問  生活感があった。

   R4.7.1     黒い男、マイナポタルをいじっていた。

   R4.7.8      近鉄大和西大寺駅で、安倍前総理演説を開始して5分後に、一発目の銃声。

   R4.11.30    東京都立大学宮台真司が襲われる

2024-01-19

                  フランス語第3列までの授業が終結し、対応する定期試験を受けて、教養学部を修了していた。

  平成17年4月1日      法学部進学

  平成17年6月1日頃の状況    本駒込本郷東京大学の間の道の様子  L'Arc-en-cielの歌という感じで、新鮮だった。

                  徒歩により、霊園を抜けて、開成高校の前の歩道橋に至ったときの様子  携帯電話心霊写真が映り込んだ。

    平成19年4月17日      長崎市でいとういっちょうが撃たれた。

    平成19年12月        久美子と秀行が自宅訪問寒い時期に突然来たという。発話趣旨は、これからはもうそういう時代じゃないという一言だけでそれ以外は趣旨不明

    平成20年12月20日     本藤警察署留置場風邪をひいている。当直員3名で本郷病院連行する。

    平成21年1月         留置管理官が、これからちょっと違う場所に行くという言動をして、小菅東京拘置所移送

    平成21年3月26日      小菅の係員が、荷物の中に、かつらが入っていますがこれはなんですか、ぷぷぷぷぷといった様子。東京拘置所玄関の様子。

                     H20.11.30の新聞が出回ったことにより、ほとんど俺が支配している感じ。久美子が横で作業をする中、大声をあげると、玄関にいる女性等が

                    従う感じ。

2023-12-27

    最近流行っている言葉が、刺されるだけ、そうやって誰かが言う。  平成25年6月19日、 カットハウスふみひろがある家の近くの学校で、日本人現実的最悪があった。

   いつの話をしとんねんな、そうやって誰かが言うが誰が言っているのか分からない。

     なんでこうなったのか、分からない。恋愛至上主義が開始されたのは、 平成18年3月。 2月に、西田典之先生刑法第2部の定期試験があって、その後に、引っ越した。

  涼宮はるひが出たときは確かに悪質だった。

    平成18年8月からである。  増田建設されたのは、 平成18年9月24日。 だから、 はるひが開始されたときは、増田はなかった。

    最近は本が売れない、そうやって調布本屋が嘆いていたのは、平成19年3月。

  延岡裁判所の近くに、食堂がある。 裁判所の人はここに食べにくる。 当時は、晴生がそういっていた。しかし、どうも、うそではないか

   なんで刺されるだけか、それがよく分からない。分からないものが分からない。

2023-12-25

聖夜なのでスケベゲームは女主人公RPGが好きだと言いたい

⁉⁉⁉⁉ ハッピークリスマス ⁉⁉⁉⁉

朝起きたら女の子と魂が交換されていたことも、気が付いたらTSFしていて美少女になっていたことも、金輪際経験していない生まれから男歴を連続更新し続けている男だけど、エッチゲーム主人公少女のやつが好きだ。

女性主人公。そこには無限可能性がある。(一部の肉食系を除いて)エッチなことは縁遠い少女が、すけべ? そんなのこの世界ゲーム>に存在しませんけど? と徹底的にエロ排除した歴史通称処女プレイ)をたどるのもよいし、誘蛾灯に惹かれる夜の虫のように昏い闇に引き釣りまれて転がるように身持ちを崩していくのもよい。

エロハプニングを通して成長していくエロステータス。性は遠い存在であり清純そのものだった少女がその身に刻んだ体の歴史。たった一度だけの想い人との大人経験に興奮を覚えるのも、性経験数字を雪玉のように膨れ上がらせるのもプレイヤー自身の采配の行方次第なのだ

心。樽を調べるとた〜るというように、世界ゲーム>とプレイヤーの橋渡しをしてくれる翻訳機としての主人公。輝かしい友情を見つけた時の瑞々しい煌めき、やりきれない悲しさを抱えた時の痛み、エッチイベント経験したときのうぶな気持ち、身も心も擦れきってしまサンドバックのようになってしまった時の痛々しさ。高品質テキストで描き出される万華鏡のように変化する多感な少女の心は、0と1で造られた世界に艶めかしい彩りを与える。

妊娠への恐怖。ただ種を撒くだけの男と違い、十月十日の間、自分の命の危険と引き換えに子をお腹の中で育てることへの本能的な警告。愛する相手への気持ちがその危険を乗り越える助けとなることもあれば、生活の足場を失い墜落していく中で残された一時の快楽に溺れた結果であることも。往々にしてERORPGでは妊娠はバッドエンド=ゲームオーバーであることもあるが、中には家族計画ゲームシステムに織り込まれているものもある。

何処へ行き、何を経験して、何かを得たり失ったりする。その心境は赤裸々なテキストで綴られ、変わっていく少女の軌跡がステータスセーブデータに刻み込まれる。

以下では二つ、おすすめの女主人公RPGを紹介したい(両方とも現在DLsiteにて50%オフ販売中)

レリィ・ナビゲーション!~少女路地裏紀行~

ダウザー見習いのレリィが、相棒シエルちゃんと一緒に一人前のダウザーになるべく駆け回って、見識を広め、挫折を知り、そして大切なものを見つける物語だ。とにかく前向きで明るいレリィを見ているだけで元気をもらえるような爽やかな作品になっている。ゲーム難易度も高くなく、非常に丁寧に作られた良作である

明るく楽しい掛け合いに、ぷにぷにコミカルグラフィック、そしてドキドキするようなちょっとエッチイベント。R18パートが無くてもこれだけで十二分に面白い作品だと言えるのだが、本作の真骨頂はそんなレリィがふと路を踏み外してしまうところを丁寧で端正なテキストでこれでもかと表現しているところだ。

自分のことよりも他人のことを優先してしまう優しいレリィは、裏を返せば自分の軸をもっておらず、流され、捨鉢になって、他人判断を委ねてしまう。そしてダメ自分・悪い子な自分をそこに見出す。何もかも台無しにすることで自意識存在を確かめる「悪い子」だ。この、明るくて元気な娘が、ふと日常にブレを見出ししまい、堕ちていく様。表にレリィの明るい冒険があればこそ、裏の路地裏に導かれたレリィの曇り様が浮きだつ。

知り合いの子供に懐かれて一緒にお風呂に入っていたら性の目覚めをされて〜親切心から絵のモデルを引き受けただけだったのに〜おじさんと話していたらパジャマの裾から胸チラしてた〜などなど多くの導入がドタバタエロハプニングから始まる本作において、筆者のお気に入りはそれらの真逆を行く情報屋のおじさんとの再開だ。再び会いに行ってはならないと分かっているのに、気持ちを聞きたくて行ってしまい、老練な話術により心を丸裸にされ、自ら進んで幸せを感じるために言いなりになってしまう。作者による容赦のないテキストにより、レリィの心が壊れておじさんの都合の良いように均されていくいく様がまざまざと描写される、本作きっての救われないイベントである。いや、エロいんすよ、何もかも放り出して目の前の気持ち良いに溺れる女の子を端的に描写している絵も文章も。

レリィ・ナビゲーション、明るくて楽しいエロRPGを気軽に遊びたいなーって人に超オススメ。逆に乳がでかいしかダメとかモンスターの子供を産むことが出来ないとダメとか女の子精神的に肉体的に追い詰められてないとダメなんて人には、そこまで響かないかも(いや、レリィの精神の追い詰められっぷりはすごいんだけど)。

-少女異聞録-

加藤梢という、どこにでもいるような平凡な女学生となって、仲間たちと日々交流しながら、約一年かけて街に起きる謎の神隠事件の謎を追うという現代伝奇作品ぶっちゃけ○ルソナ(4)の直球のフォロワー。なのでワンモアとかプレスターンとか知ってる人はすんなり遊べるだろう。膨大な差分により自分の好むシチュエーションいくらでも生み出せるのが本作のストロングポイントだ。

本作を一通り遊んで、二週目に行き、また違ったロールプレイをしたときに気がつくのが、本作に盛り込まれた膨大な差分遊び。ほぼすべてのスケベシーンに主人公と仲間たちの服の着せ替えと髪型の変更が反映され、過去経験したあれこれで様々な場面のテキストが変化する。例えば、主人公エッチシーンの一つを取っても、現在エロステータスに応じたテキスト×現在髪型(7)×着用している服(制服5、シーズン毎の私服3〜6、その他10程)×着用している下着(5)がほぼ差分として存在する。また弟と関係を持った後に父とも関係を持つと専用の棒比べセリフが追加されるなど、過去経験テキストに反映される。NTRに優しいあったら嬉しいサービスバッチリだ(?)。

本作はオマージュ元と同じく、ゲーム内のスケジュールカレンダーで区切られているため、普通の(エロRPGには無い時間的制約が生まれているのだが、逆にその制約を上手く活かしているのがこの作品白眉たらしめているところだ。この月のこの週には海水浴イベントがあり、あの週には修学旅行という決まったスケジュール学生時代の制約のある自由プレイヤーに思い出させ、梢の学生生活にのめり込ませる効果がある。ただ、これだけだとオマージュ元の単なる転用である。本作のもうひとつの特長が、カレンダー妊娠システムを組み込んでいることだ。

一般に(エロRPGでは妊娠システムというのは人気のある要素ではあるが扱いが難しい。妊娠期間をどうするのか、出産をどうするのか、生まれ子供をどうするのか。多くは妊娠はバッドエンドの一つとして取り入れているが、中には本気でシステムを構築している作品存在する。本作はその一つであるといっても良いだろう(なんでDLsiteタグに入ってないんだろ)。通常のRPGと異なり作中時間リニアに経過する本作では上記問題点に対して、妊娠するとそれ以降のゲームサイクルを妊娠しっぱなしにするという力技で解決をしている。5月に妊娠しましたー、はい、では以降のイベント定期試験海水浴修学旅行などは妊娠状態で行われまーす、と。これにより、女学生の梢となって現代学生生活シミュレートするというゲームストーリーとまったく破綻すること無く妊娠システムを取り入れることが可能になっているのだ。

そして前述の膨大な差分というのはこの妊娠の有無にも掛かっている。特に主人公の梢は妊娠していない・しているけどお腹は目立たない・外から妊娠が分かる、の三状態ですべて差分があり、それらの状況に沿った心情を吐露するため、シチュエーション好きにとっては夢のシチュを大量に実現できるのだ(なお、仲間キャラも一人?を除き妊娠差分がある)。

例えば、ラブラブだった弟に正式カノジョが出来たからとフラれて、ヤケになって売春するが、実はそのお腹には既に命が宿っていた、とか、敵に負けてしまたことが原因で全員妊娠してしまうのだが、実は生徒会長の先輩だけは先月の副会長との生徒会室での秘密情事ですでに妊娠していた、とか出来るのだ。(ちなみに主人公の梢は危険日だと専用の差分セリフがあったりする)

なお、筆者が一番好きな差分は、修学旅行に行って、男子に誘われて男子部屋で遊んでいたら先生が見回りに来てしまい、急いで布団に隠れたら男子と一緒に閉じ込められてしまい、なんやかんやあってしまイベントでの妊娠差分男子生徒にとっては、実はずっと目をつけていた地味可愛い女子である梢と同衾してしまラッキーイベントを引き当てるも、実は彼女はずっと前から他の男のモノだった、というあわれが実に響くものがある。

サンプルを見て、梢ちゃんかわいいーってなった人は、本編では梢ちゃんと美羽ちゃんをはじめとする仲間達のもっといっぱいかわい(くてエロ)いところ見られるのでおすすめ。着せ替えはいいぞ! 乳はあふれんばかりにでっこうないとな…って人は、まあ隠れ腐れオタクで残念美人白鷺先輩で我慢しておくれ(あと隠しキャラ二名も)。

⁉⁉⁉⁉⁉ メリークリスマス ⁉⁉⁉⁉⁉

2023-12-21

  わたしがまだ東大法学部卒業していない、定期試験を受けているときに、白山本屋に入ったら、 女の子になりたいという本が出ていて驚愕

   平成19年8月24日以降です

  学位記は、 9月28日に取りに行った  もらってぽかぽかした道をぼーっと帰って部屋に飾った

   むかしからいた、 利幸の親戚の、ごついのが、もどきになっていて、憎たらしい顔で、  よし子の葬式で、 プリエール野田で、挨拶されましたが、覚えてない

  MONO君に、BBSを通じて、お前えろいかっこうしろやと赤裸々に命令したは、 平成19年12月頃です。で、そのとおりに本人がやったのが平成20年3月。

   平成20年6月8日、 テレビつけたら加藤智大事件があったが何も思わなかった。アパート名前木村荘202号室

  ネットBBS女子供からブサイク不細工言われて発狂した人の事件しかないので、

   懐中電灯の 光度は  ルーメンといいます。 どのくらいの輝度があるか。  実は消防が凄いルーメンのものをもってるのですが使わせない

   ネットで入手したいと思ってもない  電灯の輝度と、  小橋輝彦は、関係ない。 ルーメンには限界があるか、あるわけがない。人は空を飛んで、いまや、成田から大分空港まで

  1時間でいける時代である。 そうだったら、懐中電灯の ルーメンが、その程度であるけがない。

     要するに、 すでに死亡済み、 そう考えると気が楽である   という 養老節 は、  5年くらい前か、  最近の 養老節は、

     要するに、 今実行中、 ごらんあれ、 そういうしかない。     令和5年8月11日発売。

   養老節、 とはなにか。  養老孟司特有の、いいまわしで、本の中で大量に使用される。

2023-12-13

千葉大学医学部医学科落ち早稲田大学先進理工学部生命科学科卒おじさん、中学生の時点で数学1Aと高校英語を終えた妄想でワクワ

あの頃は無知インターネットにも馴染みがなく田舎だったのでその時その時の定期試験期末試験範囲だけ勉強して学年順位1、2位とって大喜び

予習するとしてもせいぜい次の学期の範囲勉強する程度

妄想世界の僕は高校に入ったら早々と数2B,3まで終えて1年、2年のうちから英語数学過去問は解ける状態にして、化学生物古文世界史などに余裕を持って取り組んでそして余裕で「千葉大学医学部医学合格!」

あー!脳汁バドバ!気持ちいいー!

大学どこ通ってるの?」

千葉大学医学部でぇーす!将来の上級国民でぇーす!両親は孫の顔が見られることが確定してまぁーす」

しかし、明日外回りの予定を思い出しふと妄想効果が切れ、自分千葉大学医学部医学科に落ち早稲田大学先進理工学部生命科学科卒であり外科医になれなかった現実を突きつけられ無事死ぬのであった

2023-11-22

増田の開始が実行されたのは平成18年9月24日朝の6時なのでそれ以前に何をしていたか探求してみる

   増田履歴は以下の通りに閲覧することができるが、 現在からみると不都合書き込み微妙に削除されているので何も参考にならない。そこで、9月24日以前に何があったのか

   推測してみる。

    平成15年3月10日   前田ゆきが、まだ、宮崎の自宅で食べるものを作っていた

    平成16年            トリビアの泉などの放映

    平成17年4月     俺が法学部に進学

    平成17年8月4日   ドラゴン桜放映

    平成18年2月  西田典之刑法学)先生刑法第2部の定期試験実施 ロースクールから出向していたきちがい行政法学者太田匡彦発狂している

    平成18年4月   調布アパートに晴生が来て、寿司を食って帰って行った

    平成18年5月    秋田県米山豪憲殺害 2名

    平成18年8月   ハルヒ開始

    平成18年9月21日   安倍総理就任

         9月24日   絶対に許さないよ

    平成18年12月31日    恋愛至上主義社会で、 俺とえご太が同時期に発狂する   

    平成19年1月         渋谷区警察官志望の兄が、姉から、 お前さきないじゃんと言われて発狂

    平成19年6月

    平成19年9月28日         法学部卒業

    平成19年10月13日       卒業証明書発行

    平成20年6月8日         電車男  ブサイク必要ないんだね  秋葉原テロ    

    平成20年11月30日   増田が色んなところに仕掛けていた監視装置が全部ぶっ壊れた

    

2010 010203040506070809101112

2009 010203040506070809101112

2008 010203040506070809101112

2007 010203040506070809101112

2006 09101112

2023-11-15

   とある不定方程式の解が存在しないことは、x^n+2y^n=4z^nが存在しないことは、15行程度で証明できるので、ファーでもなんでもなくこれはただの練習問題

   係数がないとき数学の本番なので、係数があるときにファーと思う人もいるから、フェルマーというのは孤立した骨董品であるとも言われる一方で非常に有名な定理である

   なぜなら似たような方程式で解けないわけではないので、係数に2,4がついたものはすぐに解ける。しかし、本番になると解けない

   ヴェイユがこの問題エベレストであるというのは?

    証明技術としては、 補完定理やなんかを思い付く方法によってもできますが、え?過激ものと簡潔なものを重ねると、そこでぐるぐる回るようになっている。

   大体同じ。はい。え?正方形の面積のことを2回指摘しただけだから最後正方形の面積を使う。変数の入れ替えの場合は、過激な奴と簡潔な奴を使うだけ。

    それが一体となっているとき定理で、そうでないとき技術の1つです。柳田彩花? はい進研模試偏差値は45くらいで、読んだら分かるけど自分ではできないと

  申してました。多分人間ではない。5月3日に児島伸一に紹介されて、6月23日まで黄色チャートを教えたんですけども、24日から定期試験に入るというので、

   コンプレックスなので、コンプレックス一次元方程式、2倍のc2が、c1のスクウェアよりも大きい。言い忘れましたが、7月3日に東京駅で禿もぐらが便所を壊していたのを目撃した。

  目撃したんですけども、ちっとも分からない。

2023-10-26

anond:20231025110856

良くも悪くも自己評価が歪んでいるように感じる。自分自身も似たような生活だったからその歪みは親による矯正が生んだものだと思うが。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、

地頭じゃなくて幼少期からのやらされていたお勉強貯金がなくなって回りの子たちが頑張っただけだと思うよ。

 

増田中学受験までのどこかのタイミング勉強放棄して自分のやりたいことをしていたらダンス成功していたかもしれないししなかったかもしれない。

今得られているであろうもの学歴及び進学実績、友人や彼氏、親との関係部活特定スポーツ)の経験などなど)が良くも悪くも得られていなかったことは確か。

勉強嫌いも無かったかもしれないが間違いなく言えるのは学校に通っているだけで十分に学力を培えるカリキュラムは受けられなかっただろう。

増田は何のためにダンスをしたいのか。ダンス成功たかったのか、10代のうちにステージでちやほやされるためか、煌びやかな中高を送りたかったのか。単純にダンスをやってみたかった、今の人生否定可能性への憧れという事以上には見えてこない、隣の芝生は青いという感覚に近いもののように感じる。

から見て増田に飛びぬけた才能があったり、増田成功できるまで芸を磨ける持久力があるようには見えなかったから堅実な道を強制したのかもしれない。

 

もし増田自分欲求に従って受験を蹴ってダンスを始めて現状と同じくらいうまくいっていないと感じたら、親の言う通り受験しておけばよかったと後悔していたことは想像に難くない。

表現がやりたいのであれば大学からでも全然遅くないと思う。知り合いに大学時代からダンスを始めて、大きくはないながらも色々な劇場ステージに立っているという人もいる。通っている高校ダンス部が無いか社会人サークルに入って始めてダンス仕事をしているという子もいた。一見してわかる以上のリソースの掘り起こしができれば変われるかもしれない。

はてな投稿するしないはさておき、まずは増田自身過去の穿り返しではなくこれからどうしたいかを考えたほうがいいと思う。

お受験はゴールではなく、その後も就職、交友関係結婚子ども、親の看取り色々な分岐が待っている。

考えるより本当にやりたいことをやったほうがいい。

2023-10-25

anond:20231025123205

未婚のシングルマザーの母の一人息子だけど、普通に生きている。

母は大学中退して俺を出産し、家族とも絶縁して建設会社事務員をやりながら俺を育ててくれた。後から聞いたが実父には産んだことすら教えていないらしく養育費は貰っていなかった。

小さい頃から何故か女の子モテて、運動もできて小中9年間リレーアンカーだったし、中学定期試験や実力テストでは常に3位以内だった。

県立高校卒業して県外の大学に進学した際に母から実父の存在を教えられ、向こうに話した上で会った。

財閥総合商社に勤務する男性。母の大学時代の先輩で、ラクロス部マネージャー選手という関係だったらしい。

向こうは既に結婚して子供(異母兄弟になる)もおり、迷惑をかけたくないので会うのはそれきりだった。

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-09-17

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2225200

飛び級飛び級言ってるけど、漫画みたいに天才小学生大学に!みたいなの想像してるんだろうか

実際は小さい子がずっと大きな子と同じクラスで学ぶのは人間関係的に無理があるし精神成熟度も違うしそんな極端な飛び級弊害の方が多いし

アメリカでも元々ホームスクーリングだとか、一科目だけ一つ上の学年で学ぶだけとか、そういうのが多いみたいだが

アメリカホームスクーリングってただ学校行かずに家で勉強しまーす!って言うだけでOK、じゃなくて

何学んだかのレポートだの課題だの出して定期試験受けて一定の成績納めなきゃ進級も卒業も出来ないし通学授業もあるしで日本通信制に近い

となるとこの人の「高1で中退通信制高校卒業大学進学」って経歴は、アメリカの「高1でホームスクーリングに切り替える→18歳で高校卒業大学入学」と同じようなもんじゃね?

日本でもホームスクーリングは認められるべきだとは思うが、それと飛び級とは話が別だよなあ

2023-07-31


  東京大学法学部には学位規則というのがありましてそこの規則抵触して学位が取り消されるのは不正試験合格した場合だけに限定されています。ところで、平成20年11月30日

   に本学の卒業生が当時の総理大臣である安倍晋三を撃ち殺す事件が発生しましたが、本件の学生に関する本学の採用の経緯をみますと前期試験は出来が良好だったので採用したという

   ことで、記録によると、教養学部の全ての単位法学部の全ての定期試験を撃ち抜いて卒業認定されておりますので学位を取り消す基準に当たらないと考えております。次に平成20年

   11月30日に当時の総理大臣安倍晋三であるとかそれより以前の平成18年頃から霞が関就職した者が警察官を含めて本学の学生に撃ち殺され愕然と死去したことにつきまして

   社会情勢など諸般の事情に鑑み当然のことで悪質な事案であるとは考えていません。

        令和5年7月31日

                              東京大学法学部学部長   中谷

2023-07-08

[]学校楽しいか?(東大阪市島之内1丁目)

子ども被害情報など(東大阪市島之内1丁目)

 7月6日午後4時10分ころ、東大阪市島之内1丁目付近路上で、女子生徒が不審な男に、定期試験はどうだった、学校楽しいか」等と声を掛けられ、握手を求められる事案が発生しました。

 不審な男は、年齢50歳から60歳くらい、身長160センチメートルくらい、体格やせ型、上衣青色半袖シャツベージュキャップ帽を着用していました。

 不審者を発見すれば、近づくことなく、すぐに110番通報してください。

https://www.gaccom.jp/safety/detail-1089542

https://www.gaccom.jp/img/safety_avatar/1089/1089542/1089542_avatar_detail_1688726478159.png

2023-05-02

大学単位を分かりやすく言うと、1分のショート動画120本×15週と予習復習課題作成で2単位

ここにレポート定期試験の成績や手を上げたり人前で発表するといった貢献、論文中間発表が単位取得の条件になる場合

インターンシップ夏季休暇中の集中講義単位が取れる場合

学部卒なら必修科目やゼミ卒論で130単位必要になる

他大と学術的な交流積極的に行うゼミもある

2023-04-21

大学入学したけど、努力もしないくせに劣等感がすごくて辛い

小学生の頃、先生と(後述の問題もあり)性格が合わなかったのかすごい色々言われるのが嫌で中学でも不登校気味になってしまい、受験では内申と出席日数の問題第一希望GOサインが出ず、高校定時制高校に進学した。

小学生の頃から授業への集中力が無くて自由帳でお絵描きしたり寝てたり、勉強は全くできないし、問題児だった。

それでも、自分の得意分野になると記憶力や集中力が極端に上がる。自分の好きな分野については小学生ながらもそこらへんの大人よりも知識があったと思う。

中学生の時は、さすがに授業に参加してノート必死に取るし、頑張って集中力継続できるよう頑張ったけど、いつの間にか寝ていて、それも本当に記憶が無かった。

中学公立のくせに住んでいる街が街だからか、親が金持ち教育熱心家庭が多くまともな生徒が多くて、俺以外でもちょっと違うと攻撃されたり避けられたりしていた。

おまけに教育熱心な家庭に合わせて授業が進むため公立にしてはハイペースな授業だったと思う。授業にもついていけず先生とも合わず人間関係も辛くて、中学ではついに不登校気味に。

朝起きると、平日だけ何故か頭が痛くて起き上がれない。通学路で涙が止まらない。本当に行きたくない日は行かなかった。

なんでみんな1時間も机であんな授業受けれるんだろう。勉強もできないし自分おかしいのかな。なんでだろう。ってずっと思ってた。

親は「学校休みがちならせめても…」ということで家庭教師をつけてくれた。その時は定期試験も少し点数上がった。高校受験に向けても対策をした。

でも、やっぱり勉強が苦手。覚えられない。計算ができない。集中力が続かず、結局バックレて(家庭教師時間になったら外出して逃げた。)家庭教師も中2終わり頃に解約した。

同時期、初めてインターネットで知り合った人と実際に会って遊んだ学校が辛くて、学校を行くふりしてその人の最寄り駅まで行ったり。自分の最寄りまで来てくれたり。

新しい世界が見えた気がして、その時は精神的にも心からしかった。その人と、はまだ繋がっていてたまに遊んだりしてる。本当に感謝

ちなみに家族めっちゃキレてた。「なにしてんだよ」「学校行け」「学校行かないと近所の人から変な目で見られる」。結局家族世間体だけで、多分俺がサボってるとしか思ってなかったんだと思う。まぁ確かにサボりだし。今思えばそうだなと思う。でもその時はこれしか逃げ道がなかったのもわかってほしかった。

そんな中、中3に。周りはみんな受験モード自分はぎりぎり行ける近所の全日高校を狙っていたが、内申点と出席日数的に第一希望として認められず、

定員割れ定時制高校へ進学した。定時制にも理由があって、学校行く前の頭痛体調不良が午後になれば少しはマシになるかな。というのが大きな理由安直だけど。

定時制高校は驚きの毎日だった。本当にごくせんGTO世界

まず、日本語が通じない。噛み合わない。俺よりバカな人がいる。

行動が高校生っぽくない。(言葉に言い表せない感じ。なんか子供っぽいというか…)

イキっている絵にかいたようなギャルヤンキー

覚せい剤を使って同級生逮捕タバコお酒は当然。喧嘩窃盗無免許運転。まだまだある。

本当にこんなことって現実にあるんだ。フィクションじゃないんだ。

自分で選んだ学校から文句は言えない。けど辛かった。中学校とは違うベクトルの辛さ。

学校の最寄り駅降りると蕁麻疹が出るくらいには辛かった。

でも勉強簡単すぎて余裕だったし、校則も緩い。悪いところだけではなかった。

バイトも始めた。

バイトは、本当に向いていたと思う。接客業。高1の1学期から始めた。

お客様「ありがとう」って言われると本当に心からしかったし、クレーマーは来たらちょっと嫌だったけど。

店長社員さんから褒められるのも嬉しかったし、仕事を任されるのも嬉しかった。気づいたら本部研修を何回か受けて名札の★が増えたり。

勉強以外で、自分が認められて本当に楽しかった。週5~6入って必死に働いた。大人との接し方も、電話応対も、社会のアレコレもたくさん教えてもらった。

高校で学んだことよりもバイト先で学んだことの方が今の自分にとって大きいと思う。

高3の頃、大学に進学したい気持ちが強くなった。

小学生の頃から好きだった分野を仕事にしたいと思い始めるようになった。そのためには最低でも専門学校大学はいかないといけない。

専門学校も考えたけど、大学のほうが分野についての授業や設備が幅広くて自分のやりたいことはそっちの方が強かった。

でも、小学校の頃からまともに授業受けていない自分には無理だな。というのが第一に思った。

先生にも相談した。「●●(俺の名前)さんのやりたいことは、大学しか学べないよ」この言葉が決め手だった。

から一般勉強なんてビルギャルじゃないんだし、無理だなと思った。すでに7月

分野が若干特殊なせいか、やっと見つけた大学は、日東駒専レベル大学日東駒専と言えば、インターネット上ではよくバカにされている印象だが

それでも偏差値測定不能高校に通っているヤツが受かる確率は1桁ほどだろう。

そんな中、先生からAO入試を進められた。プレゼンテーションをするだけでよいらしい。

パワポを作るなんて簡単だし、プレゼンの内容を考えるのも楽しそうだった。でもプレゼンするだけでって、そんな都合よい話があるんだろうか…?

あった。

受かってしまった。それも数人しか取らないAO入試だ。倍率はまぁまぁ高かった。

学校行ってないときPCスマホをいじるのが生活の一部になっていたせいかプレゼン資料作るのも苦じゃなかったし、

資料で出典元を見つけたり自分考察、案を考えるのも苦ではなかった。

 

面接からは「高校生でこんなプレゼン初めてみました。」「完成度高いですね」「すごいですね」…。

まさか褒められるとは思っていなかった。面接から鋭い質問されると思ってドキドキしていたのに、プレゼンが終わるとすごい褒めてくれた。

さすがに受験会場で誉められたくらいで、受かるなんて思っていなかったけど、忘れもしない11月とある合格発表日、ウェブサイトには合格表記が出ていた。

正直実感が無いのと、やっぱり勉強についていけるか心配だった。焦って大学に向けて中学校の範囲から少しずつ勉強をし始めたり。

そして入学

もう2~3週間経つけど、割と授業は楽しい小学生の頃から関心があって自分なりに勉強したり調べていた分野だったから専門的な授業は簡単に感じる。

高校までまともな学校行ってなかったのに、大学AO入試で入って授業も割とついていけてます!!!!!!楽しい!!!!」みたいな記事ではない!本題はここから

入学して数日。幸いにも数人、話すような仲の友人…(少なくとも自分はそう思ってる)ができた。

話し方や行動、高校の時の話、上京してる人の地元の話。。。聞く限り「アオハル」を満喫した「ガチ高校生」なんだなと思った。

いや、「ガチ高校生」ってなんだよって感じだけど、自分定時制高校という特殊構造学校でお世辞にも普通高校生活とは程遠かった。

テレビ中学時代の友人を見るたび「青春」が羨ましかった。もちろん、もし普通高校に通ってても青春できる保証はないけど。思うだけなら自由じゃん?

それも、日東駒専レべルだからか、偏差値50後半くらいの高校から指定校推薦や、滑り止めで来た人が多かった。

そんなやつらが勉強もまともにできない底辺高校出身の俺と一緒の大学で一緒に過ごしてる。

本当に申し訳ない。自分は何も努力していない。勉強全然頭に入ってこない。興味ないことは全くできない。人間としての欠陥品。

ちょっとその分野が得意なだけで、取柄もなんもない。

自分バカ出身って明かしても全然みんななんも言わないんだ。

なんでお前がここにいるんだよとか。中学校の頃みたいになんか言われたり距離を置かれるんじゃないか不安だった。

ある日、入試の話になった。周りは共テ利用だったり一般入試だったり。そんな中プレゼンだけのAOなんて言いたくなかった。

けれども、聞かれて正直に答えたら「AO入試!?すごいね!」「才能あるんだね!」って褒めてくれた。お世辞でも嬉しかった。

AO入試で入ったからずるいとか、避けられるかなって思っていたから。優しい。泣きそう。

みんな、高校でフツーの青春をして、人並みかそれ以上に勉強ができて、こんな自分にも優しく接してくれて。

そんなやつらと一緒にいると毎回自分が醜いなって思うのと同時に、

集中力があって、興味がない勉強理解できていれば、自分普通高校生活を過ごせたのかなとか。

普通ってなんなんだろう。なんで自分は頭悪いんだろう。集中力尽きると記憶が無いまま寝っちゃうんだろう。とか。

たらればばかり。

からといって努力もしないくせに劣等感を感じる自分が一番つらい。

日本語めちゃくちゃで見にくい文章最後まで読んでくれてありがとう

追記 4/21 22:55

いつもの流れでトップページ開いたら自分記事があってビックリしました。

ちょっと指摘された部分や日本語おかしい(不適切な)部分を修正しました。

ADHD発達障害の傾向は小学生の時から言われていました。現在正式な診断は受けていないですが、小学生の頃は毎週カウセリングを受けていました。

高校先生について

記事内の大学相談に乗っていただいた先生と当時担任先生には本当に感謝しています。周りの生徒とは少し合わなかったけど、高校先生は本当に優しかった。

小中の先生みたいな人だったら辛かったと思います

優しい言葉、もちろん意見も、いろんな言葉ありがとう。なんだか泣きそうです。

2023-03-21

高校の頃の倫理教員は、授業中にanother brick in the wallのMVを見せる(多分フーコーかなんかにこじつけて)痛い人だった。

いわゆる進学校で、生徒も教員も事あるごとに「自由」と「個性」を口にするし、その倫理教員特にそれに乗っかっているような感じだった。生徒からは良く言えばゆるい、悪く言えばいい加減という専らの評判で、その教員自身もそれを自負してこと演じている節があった気がする。

他の環境を知らない一貫校で、しかもそこそこ以上に裕福な家庭の男子という画一的環境。そんな場所で周りがしきりに個性だのキチガイだの変人だのと口にするのがいけすかなかった。捻くれたガキだったから。だからそれに乗じて「変人エピソード披露するその教員にもあまり良い印象はなかった。

最後定期試験に「倫理教員イメージ」というアンケート欄があり、多くの生徒の答えは「変人」だったし、それは教員の想定ないし期待する答えでもあったんじゃないかと思う。私はそのノリが気に食わなかったので、確か「哲学科に入ったかと思えば教員職を得る、趣味人なのか現実志向なのか分からない、でも運任せの人。変人巣窟の凡人」みたいな事を書いた。真面目にそう思っていたのだが、「すげえブラックジョーク!」と書かれて返された気がする。その辺はちゃん大人だったんだな。

彼の授業のスタイル大学のそれっぽかった。教科書は使わずプリントを配り、指導要領通りの内容もほどほどに授業内容とこじつけた内容の映画を見せられた。定期テストも、映像レポート(という体の感想文)のウェイトが結構大きかった。

生徒を大人として扱いたかったのか、ガキ相手のなんか型に嵌った授業をするのがバカしかったのか、どうだったんだろう。

なんにせよ、倫理なんて3年の選択で取る少数以外には無縁な科目だし、それならばと好きにやりたかったのかもしれない。

作品ラインナップは、映画好き1年生みたいな感じだった。

マトリックス

エターナルサンシャイン

トゥルーマンショー

2001年宇宙の旅(一部)

フルメタルジャケット(一部)

空気人形

愛のむきだし

マルコヴィッチの穴

あとなんかインディーズ映画と事変だか椎名林檎だかの百色眼鏡ってMV

こんな感じのを見せられた。愛のむきだしが一番好きだった。あの作品が好きなのか『空洞です』が好きなのかは未だに分からんけど。

映画垂れ流し授業には結構人生に影響を与えられたような気がする。その後ネット映画好き必修作品に挙がるようなのを片っ端から観るようになった。

今や映画鑑賞は自分人生の核に近い部分にある。本当は何か自らの手を動かして脳内のものを描き出すアウトプット趣味を持ちたいのだけれど、怠惰には中々勝てないな。

あの教員の嫌いな部分は嫌いなままだが、悪い人ではなかったなと思う。

2023-01-24

23日朝、広島県岡山県北海道など少なくとも11道県の7つの公立大学12私立大学の合わせて19の大学に、爆破を予告するファックスが届きました。

いずれも内容は「爆弾しかけたので指定する口座に30万円を支払え」などと金銭を要求するもので、特定弁護士名前をかたっていたということです。

このうち8つの大学では、23日の授業を取りやめるなどして朝、もしくは午後から臨時休校とする措置を取りました。

定期試験が嫌な学生仕業かな?

2022-09-27

山上モデルに『セヴンティーン』みたいなの書くのはセーフ?

主人公「おれ」は自涜に惑溺している少年である。「おれ」は過剰な自意識を抱えて他人の目に怯えている。「おれ」は死について、自分が無になることについて、強い怖れを抱いている。十七歳の誕生日食卓で「おれ」が自分の中でもあいまいな考えで皇室批判自衛隊批判を口にしたところ、自衛隊病院看護婦をしている姉から着実な理屈で論駁されてしまう。「おれ」は逆上して姉を蹴りつけてしまうが、そのことにすぐ後悔し、自責の念にまみれながら、逃避的に自涜を行なって寝る。「ああ、生きているあいだいつもオルガスムだったらどんなに幸福だろう」


翌日は、古文定期試験の日だったが「おれ」は試験に全く歯が立たない。試験が終わり、東大志望の優等生の連中は小賢しく試験問題の論評をしている。クラス剽軽ものの「新東宝」は試験問題下ネタにしてクラス女の子を笑わせている。どちらも「おれ」には疎ましい。試験の次の時間は体育の800m走であった。「新東宝」は「おれ」が密かに恋情を抱いているクラスのマドンナの杉恵美子に「マスをかくやつはすぐへたばる」と怪情報を流したと冗談を言う。「おれ」は他の走者より完全に遅れてゴールインする。ゴールインしてみると「おれ」は走りながら失禁しており皆の嘲笑の的となった。


絶望しながら自治会をさぼって帰宅の途につく「おれ」に「新東宝」が声をかけてくる。右翼街頭演説サクラにならないかという。右翼サクラをやっていることは「新東宝」の秘密のようである。連れ立って新橋駅前にいくと街宣車の上で「皇道派」の逆木原国彦が演説をしている。演説は全く盛り上がっていないが、逆木原はまったく気にせず演説を続ける。「あいつらは売国奴だ 、ヘドだ 。おれは誓っていいが、あいつらを殺してやる」「諸君自分の弱い生をまもるためにあいつらを殺しつくそう、それが正義だ」「おれ」はこの言葉に胸を打たれる。


気がつくと後ろに三人組の女事務員がおり「おれ」を指差して「あいつ、《右》よ、若いくせに。ねえ、職業的なんだわ 」と言っている。逆木原演説に感化された「おれ」は他人の目を跳ね返す力を得ており、こう怒号する。「 《右》がどうした、おい、おれたち 《右》がどうしたというんだ、淫売ども!」これをきっかけに「おれ」は「皇道派」に入党し、家を離れ「皇道派本部で暮らすようになる。「きみは天皇陛下の大御心にかなう日本男子だよ、きみこそ真の日本人の魂をもっている選ばれた少年だ!」


「おれ」の学校での立場は180度変わる。「皇道派」のサクラを隠れてやっていたことが負い目の「新東宝」が宣伝係となって、俺の《右》としての武勇伝学校中で広める。「新東宝」によると、800メートル走での「おれ」の失禁の失態は 、懲罰的ランニングをさせた体育教官への「軽蔑の 《右》的表現」ということになった。自治会の《左》の秀才が「おれ」に議論をふっかけてくるが、「おれ」は自分自身がかつてあいまいな考えのままにしていたところを突くだけでよかった。杉恵美子は「おれ」に興味津々の目でいう。「あなたみたいに時代錯誤の 《右》少年防衛大学にでも行くことね 」


「おれ」には他人の目が怖くなくなってきた。逆木原に性欲を抑圧せず「トルコ風呂の女にきみの男根をひともみさせるんだね」と言われたとき不安だったが実際にいってみると杞憂だった。俺は「鉄串のような男根」を持つ男だった。「おれの男根が日の光だった、おれの男根が花だった、おれは激烈なオルガスム快感におそわれ、また暗黒の空にうかぶ黄金人間を見た、ああ、おお、天皇陛下!燦然たる太陽天皇陛下」。「おれ」は他人の目を克服したこと、そして自分天皇陛下の御子であることを確信する。


「おれ」は逆木原書庫天皇陛下ときあかす書物を探し出す。谷口雅春の 『天皇絶対論とその影響 』を読み、求めていたものをかちとる。 「《忠とは私心があってはならない》」 「天皇陛下精神も肉体もささげつくすのだ。私心を棄てる、おれのすべてを放棄する!」「おれ」は自分があれほど恐れていた死の恐怖からまぬがれているのをさとる。逆木原が「七生報国天皇陛下万歳」と書いてくれた稽古着で「おれ」は柔道空手に熱中して取り組む。


安保闘争国会デモでは「おれ」は十万の 《左》どもに立ちむかう二十人の皇道派青年グループの最も勇敢で最も兇暴な最も右よりのセヴンティーンとなった。デモ最中女子学生が死んで、デモ隊が打ちひしがれて泣きながら黙禱していた時、「おれ」は強姦者のオルガスムを感じ、黄金の幻影にみな殺しを誓う、唯一人の至福のセヴンティーンだった。

セヴンティーン - Wikipedia

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