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はてなキーワード: 個別具体とは

2020-09-20

anond:20200919212538

下記の増田で書いたけど、「表現規制」は、フェミニズムだとか個々の思想リクエストというよりは、社会のものが求めてるんだと思うよ。

物語うつつを抜かす奴らを、何でもいいからとにかく難癖つけて、現実に引き戻そうという教育ママ的な社会要請が、「表現規制」というメタフィールドからの「行きて帰りし物語」という形を取っているんだと思う。

社会では、物語に耽溺してる時間があったら、その時間分だけ、労働や家庭活動など社会に役立つ行動をしろと思われているわけで、

物語という無駄存在から人々を引き剥がす「表現規制」は、その個別具体的な内容に関わらず、社会では、方向性として正しいもの認識されてるんだと思う。

から要は、「表現規制」って「マンガばかり読んで!」という親の叱りを社会化しただけなんだよね。フェミニズムとか個々の思想は単なる理由付けであって、それを敵視しても全く意味がない。

から、「正しい物語」の不当性を述べる増田方向性筋違いに感じる。物語が「正しい物語」を目指しても目指さなくても、そういう理由で「表現規制」は全く止まないと思う。

そうじゃなくて、物語自体が「行きて帰りし物語」の構造を取り戻す、つまり物語一時的な甘えとして表現し、永続的に物語を読むような人間にさせない構造を取り戻すまで、「表現規制」は続くと思う。

読み終わった時点でその物語から離脱できるような物語を創ること、最終的に「覚める」物語を創ること、それだけが社会からの「表現規制」を回避する手段だと私は信じている。

まり増田危惧する「正しい物語」じゃなくて、「覚める物語」こそ社会要請に沿うものだと思う。

「覚める物語」とは例えば、鬱屈した思いを抱える読者が共感できる妄想をなるべく具体的に膨らませた上で、結末で「罰」として、登場人物にひどい目に合わせるとか。

そういう、個人妄想を奪ってできるだけ膨らませて最後に壊すというスタイルであれば、物語に予防的効果としての社会的意義が生まれ、「表現規制」で妨害されることも無くなるだろう。

しかし、そういう「覚める」構造は、創作者にとって自分パイを捨てることになることになるから、増えてしまった創作媒体を維持していくには、まあ難しいよね。

から、「行きて帰りし物語」は最近流行らないんだよね。だから社会も動いたんだよね。

まとめると、一時的な甘えとして存在の許された「物語」が、常続的に人々の心に巣食うようになった結果、社会がそれを排斥しようと難癖を付けたのが「表現規制」の本質

増田の言う「正しい物語」も個々の思想関係無い。必要なのは「覚める物語」。しか創作者はそれを望まないので解決は難しい、ってとこかな。

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表現規制」は、物語という宗教から人々を解放する社会から要請

https://anond.hatelabo.jp/20200913160034

2020-09-19

anond:20200919063232

>>説明責任は「健康上の理由です」という回答で果たせているよ。<<

どうなるかまで詳細に説明しないと緊急時の備え付きの酸素マスクでさえトラブルの原因になりえるんだから説明責任果たしてるわけ無いやろ.

>>じゃあ聞くけど、その人にどんな弱点やコンプレックスなどがあるのかを衆目の前で個別具体的に説明しないといけない理由を教えてくれないかな?<<

それが弱点,コンプレックスになるかという議論を置いておいて仮定しておくけど,別に乗務員にだけわかるように説明すればいいだけやろ

論破なんてクソつまらん事する気はこっちはなくて説得してるだけ.性悪説で人を勝手に見るな

anond:20200919055459

説明責任は「健康上の理由です」という回答で果たせているよ。

じゃあ聞くけど、その人にどんな弱点やコンプレックスなどがあるのかを衆目の前で個別具体的に説明しないといけない理由を教えてくれないかな?

 

さら蛇足だけど、この方向性で俺を論破しようとするのは筋が悪いよ。

だってマスクおじさんはピーチからマスクをしない理由については一度も聞かれてないんだから

君は「そもそもピーチ側に非は無かった」という所に着地したいみたいだけど、この方向にその着地点は存在しないよ。

しかも着地できても君の2階のブコメ矛盾してしまうという無様さ。

たぶん君は最悪「この増田を書いたのは俺ではない」に逃げたら済むと思ってるんだろうけど、それにしても雑過ぎるよ。

2020-09-13

表現規制」は、物語という宗教から人々を解放する社会から要請

最近、「表現規制」のせいで、物語に集中できなくなってしまった。

読んでる途中で、ささいな表現の端々に「この表現規制嗜好者に弾圧されるんじゃ?」と考え出して、物語世界から度々覚めてしまうようになってしまったのだ。

そうやって、物語から得られる快適な陶酔感が失われたことに、個人的には不快感を禁じ得ないが、でも、それは逆に考えると、「物語」という名の宗教に耽溺してしまって、

物語の人工的に創られた世界から帰ってこられず、その世界観のまま発言や行動する人々を救うための素晴らしいアプローチなんだと思う。

まり、「表現規制という愛は物語患者を救う」とでも言えるだろう。その点では、「表現規制」は合理的理由よりも、社会的圧力の大きさの方が「患者」には有効に働く。

そういえば、物語代表的形態として、妄想的な出来事や企てを具体的に描き切った後、結末でその失敗を描いて、読者を物語から社会差し戻す

行きて帰りし物語」というのがあるが、現在は、豊富物語を人々に消費させ利益を挙げたいという商業的な意味合いから流行らなくなってしまった。

現在物語は、物語という名の宗教から信者が逃げ出さないよう、物語の追及が何らかの失敗に繋がる「行きて帰りし物語」、分かりやすく言えば、

後味が悪く、物語存在に嫌気の差すようなバッドエンドを描いていない。あまりにも不快で、もうこれで社会に戻ろうと思える「最後物語」を、商業的な理由で描けていない。

から社会は、流行らなくなった「行きて帰りし物語」の替わりに、「表現規制」を送り込んできたのだ。

個々の物語に停滞している人々を、社会という大きな場に引き出すために。それが権力側の要求なのか、社会運動側の要求なのは知らないが。

から、「表現規制」の中身など、それが本当に社会のためになるかなど、とりあえず社会にとってどうでもいい。社会にとっての人手を、物語から奪って来れればそれでいいのだ。

まり、まとめると、「表現規制」が本当に実現したいのは、人種差別や性表現など個別具体的な事項の改善ではない。

物語から目を覚まして、社会のために○○しろ!」、端的に言えばそれだけのこと。分かりやすく言えば、マンガを読む子供を叱って勉強させる母親と変わりが無い発言なのだ

その理由として、「表現規制」の多くは社会学者から発言される。「表現規制」は、その妄想めいた物語を捨てて、社会にある現実もっと考えろという要請なのだ

メタフィールドから表現にヒビを入れることで、その衝撃で物語に覚めた人々を社会に引き戻す、そういう意味の「行きて帰りし物語」を実現したいと思っているのだ。

から、件の社会学者の発言のように、「表現規制」に関する反対発言不適切さに対しても、社会は寛容である

それがある程度不適切であったとしても、その発言で、社会のことを考え、働く人間が増える可能性の方を良しとするからだ。

社会は、物語に呆けてるんじゃねぇよ、そんなの捨てて我ら社会のために働けよとでも思っているわけだから発言が少々不適切でも目を瞑るのだ。

2020-09-04

精神的に不健康作品コンテンツについて考えてみた

アブラハム・マズローの書いた『完全なる経営』(日本経済新聞出版 大川修二訳)という本を読んだ。

その中では、精神的に健康人間というものが語られている。平たく言うと、自己実現できる人のことだ。

自己実現とは、本に書いてあった内容によると、こんな感じの人だ。

・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる

創造的やユーモアがある

自分自分に関わる人間幸福を願う

・夢中になれる物がある

自分能力を惜しげなく発揮している

この対極にあるものとして、精神的に不健康人間についても述べている。

本文の中で、精神的に健康人間と不健康人間が対比されている描写は以下の3つだ。

相当高い発達段階にいる人間は、破壊よりも創造を好むものだ。創造する喜びは破壊する喜びよりも大きい。

ただし、破壊する喜びは確かに存在するし、そのことは看過されるべきではない。とりわけ破壊から強い喜びを得るのは、発達段階の低い人間、つまり神経症患者、未熟な人間衝動コントロールできず無意識的に行動を起こす人間サイコパスなどである。 P.63

彼は予想外の事態に直面しても怖れる気配を見せない(強迫観念にとらわれた硬直した人間は、予想外のできごとを怖れる)。創造的な人間にとって、計画とは先に進む道を探すための足場以上のものではなく、それゆえ、後悔や不安をともなうことなく、やすやす放棄することができるのである。 P.319

どのレベル動機づけによって生きているかを判定するには、さまざまな方法がある。たとえば、どのようなユーモア面白いと感じるかによって判定するというのも、その一つだ。低いレベルで生きている人間は、敵意のこもった残酷ユーモア――老女が犬に噛まれる話や精神遅滞の子どもが他の子たちにいじめられる話など――を面白いと感じる傾向にある。リンカーンが示したようなユーモア――哲学的教育的なユーモア――は抱腹絶倒するような類のものではなく、むしろ微笑を誘うものであるが、これには敵意や征服といった意味合いがまったく込められていない。このようなレベルの高いユーモアは、低次の欲求レベルにとどまる人間からは、まったく理解されないものである。 P.367

この3つの中で、一番下が気になった。

精神的に不健康人間は、残酷作品が好きらしい。

それって、どんなコンテンツだろうか?自分もこれまでに楽しんだことがあるのだろうか?

気になって考えてみた。

以下は、私の主観で選んだ『精神的に不健康人間が好きなコンテンツ』だ。

あなたが好きな作品があったらごめんなさい。



漫画

1980年代後半~1990年代前半までのCLAMP作品

 この頃のCLAMPトンガっていた。今の作風からは信じられないほど『精神的に不健康コンテンツ』だったといえる。個別作品ネタバレはしないので安心してほしい。

 人間の手足が千切れる、〇〇の頭部をもぎとって〇〇に見せる、これまで信頼していた人が裏切って主人公ボコボコにして作品完結だったり、自分部族が皆殺しになるのを割と涼しい顔で眺めている〇〇がいたりと、今に比べれば殺伐とした作風だった。(※もちろん例外はある。「CLAMP学園探偵団」「20面相におねがい!!」「学園特警デュカリオン」など)

 このような作品商業誌で描くということは、当時のCLAMP精神的に不健康人間の集まりだったのか?と私は思った。

 そのとおりだと思う。

 CLAMPに関する情報を集めれば集めるほど確信を深めるようになった。どんな情報を集めたかは言わない。彼女達の名誉を傷つけるおそれがあるからだ。あの〇〇〇〇〇〇を作った奴はどこのどいつだろう。訴えられればいいのに。

 CLAMPが今のように精神的に健康コンテンツを作るようになった境は、『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』の辺りだと思う。

 この頃からCLAMP作風が急に丸くなる。魔法騎士レイアースシリアスな場面が多いが、これまでの作品に比べれば緩い。ギャグも多いし、家族同士の愛情恋愛もしっかり描いている。

 ※もちろん今でも殺伐とした物語を描くことはある。BLOOD-Cが好例だ。

 作品内容がジェノサイドな方向に行ってしまうというのは、何もCLAMPに限ったことではない。他の有名漫画家にしてもそうだ。それは雁屋哲だったり、板垣恵介だったり――眉月じゅんのような若い作家でもそうだ。

 初期の作品というのは、どうしてもそういう方向になってしまう。それは、自分がこれまでに受けた苦しみや、社会への恨みや、一発当ててやるといった決意がそうさせるのだろう。

 漫画家として食っていける人間というのは、若いうちは苦労しがちだ。サラリーマンに適合するタイプ人間ではないので、学校で仲間外れにされたり、いじめられたり、日陰の存在になりがちだ。

 そんな環境の中で作品を描く力を磨き上げた人間というのは、自分を虐げてきた社会に対する不満を創作活動を通してブチまけてしまうのかもしれない。

 あくまで推論に過ぎない。デビュー作品も、今の作品殺伐とした雰囲気が少ない作家もいる。大御所だと高橋留美子だ。あの人の作品は、初期の物も今の物も人間愛に溢れている。

 一般的には、一山当てて名前が売れたり裕福になったりすると、作品内のグロテスクな傾向は薄まっていく。

 精神的に不健康状態から精神的に健康状態になるのだ。

 名前が売れると承認欲求が満たされるし、印税が入って裕福になれば、食事旅行ファッションに、いろいろと楽しみ放題だ。

 「恒産無き者は恒心無し」という故事があるが、まさにこれを地で行くのが人間の性だと思う。

 以上は、ほとんどの創作者に当てはまる傾向だ。若い頃に殺伐辛辣ジェノサイドを描いていた人が、有名になるにつれて人間同士の繋がりを大切にした作風に変化していく。

アカメが斬る!

 ここでは個別具体的な作品を扱う。ネタバレはしないが作品の感じは伝わってしまうだろう。

 2010年から月刊誌で連載が始まった作品で、2014年アニメ化された。原作タカヒロだ。

 この物語のいったいどこが『精神的に不健康』なのかというと、

グロテスクなシーンがよくある。身体の欠損や理不尽な死は基本。

②読者に残虐なシーンを読んでもらうことを目的とした話がある。特別編の3人娘など。

グロ以外にも人権を軽んじる描写多数(特に女性田舎者に厳しい世界だ)

 こちらのタカヒロ氏は、ほかに勇者であるシリーズex結城友奈は勇者である)を手掛けている。この作品も、真面目でいたいけな少女を痛ぶることで読者や視聴者プレイヤーを楽しませることを目的ひとつとしている。

 人は、一体なにが原因でこのようなコンテンツを考えつくのか?

 ストレスにほかならない。生きていることが苦しかったり、面倒くさかったり、人が憎いと思ったり――そんな観念が繰り返し脳裏に浮かぶ度に、その邪悪な何かを外に出そうとする。あるいは、他者を自らの仲間にしようとする。

 タカヒロ氏のインタビュー記事可能な限り読ませてもらった。記事内では、常識的言葉作品をPRしているように思える。しかし、毒がある。不満であるとは言明しないものの、コンテンツに関する何かに対して、さりげなく毒を吐いている。

 さりげないから目立たないだけで、さりげなくない表現を使うとコンテンツ関係者ケンカを売っていることになる。そんなインタビューひとつ以上あった。

 精神的に不健康コンテンツを作るのは悪いことではない。それが面白いという人がいる限り、価値あるものだ。

 私も昔は、そういうコンテンツが好きだったと思う。でも、大人になるにつれて、社会で果たす責任が大きくなっていくにつれて、精神的に不健康コンテンツよりも、心を健康してくれる、浄化してくれるコンテンツが好きになっていった。(一例として、のんのんびよりニコニコ動画再生数を見てもらえれば、私の言っていることが伝わると思う。ニコ動で一番売れている有料アニメだ。あれから一時的無料期間があったので今は判然としないが、当時は少なくとも1話あたり3000再生は売れていた)

ゆっくり虐待

 精神的に不健康コンテンツの最たるものだ。

 2010年代の前半辺りが最盛期だったと思う。当時は、ふたばチャンネルニコニコ大百科pixivなどにゆ虐のイラスト漫画を上げる絵師がいたり、ゆっくり虐待小説を専門に投稿する掲示板があった。

 このコンテンツにおいて示唆されている行為は何なのか?ゆ虐の作品を何度も覗いたことのある方ならお気づきだろう。

 人間虐待だ。

 ゆっくりというのは、愚かな人間メタファーだ。そのメタファーを痛めつけたり殺したり、漫画という形で傍目から眺めることで精神的に不健康人間欲求を満たしている。

 精神的に不健康人間はこういったコンテンツを好む。一言でいえば、人権侵害をテーマにした作品や論評や意見を好む。

 同じ時代でいうと、mixiニュース引用日記だ。ニュース引用して記事を書くことができ、投稿すると下にある引用記事一覧に載る。

 今は廃れた光景だが、障がい者生活保護受給者ホームレスタクシー運転手教師公務員などを扱った内容がmixiニュースで取り上げられる度に、心無い誹謗中傷を述べた日記投稿するのを楽しみとする人たちがいた。

 障がい者事件を起こすと「殺処分せよ」、生活保護受給者不正問題になると「貧乏人は死ね」、タクシー運転手が客とトラブルになると「タクシー運転手社会の最底辺」など、差別の例としては完成され尽くした日記投稿する層が一定数いた(しかも彼らは連帯を組んでいる。反論コメント徒党を組んで煽ったり馬鹿にすることで潰す)。

 一番ひどい例だと、東日本大震災が起こった際に、携帯電話絵文字津波に流される人々をアスキーアート風に表現した日記投稿する人がいた。その人自身も、心に問題を抱えているように思える文調だった。

 mixi運営も、一定数の通報が集まるとそういう日記を削除し、ユーザーアカウントも凍結していたようだが、さほどの効果はなかった。

 こうした人権侵害を行う人に共通しているのは、「社会に恨みを持っている」ことだ。

 私が観察したところ、上記mixi日記の数名の投稿者は以下のような環境にあった。

・幼少期に親から虐待を受けている

・夢に破れて外国から帰ってサラリーマンをしている

いい大学を出ていい会社に入ったものの、嫁が公然浮気をしていて、でも子どもいるか離婚できないという葛藤を抱えている

 とにかく強いストレスに晒されている人たちだった。



アニメ

・該当する作品について

 公衆放送アニメでは該当がひとつもない。

 ※後日追記 強いていえばBLOOD-Cだが、あれはどちらかというとシュールギャグアニメなのでは・・・?という印象がある。

 なぜかといえば、公衆放送なので当たり前なのだが、人権侵害コンテンツなど流せるはずがないからだ。

 上記で挙げたアカメが斬る!についても、だいぶマイルドになっている。

 アニメ企画する会社や、アニメ制作スタッフらが自主判断グロシーンをマイルドにしたり、描写自体をなくしている。

 あの3人娘は死なない。むしろ最終回生存描写がある。この改変には痺れた。原作者が精神的に不健康人間であっても、スタッフには良心があったのだ。

 CLAMP作品もそうだ。初期の作品である『X』には、地震ビルなどが倒壊し、多くの人が犠牲になるシーンが幾つかある。グロシーンも多数だ。

 こういう描写問題になり、漫画版のXは最終回を迎える前に編集から強制ストップがかかった(もちろんCLAMPは続けたかったらしい)。

 アニメ版はだいぶマイルド描写になっている。残酷なシーンはあるが、気持ち悪さを感じるほどではない。放送コードの力は偉大だ。

 ※劇場版は見ない方がいい。比較にならないほどグロいので。

 昔のアニメだが、まだ配信されている。興味のある方はぜひ。

 今回はこれくらいで。

 需要があるようであれば続きを書きます

 小説編と、ゲーム編と、あと何かを予定している。

2020-09-02

結局ね、これを言ってしまうと終わりなんだけど、

男女の対立も、黒人白人対立も、小児性愛擁護派と排斥派の対立も、

主語をでかくする」のがすべての根本の間違いなんだよな

でも個別具体的な事案についての話だけだと話が広がらないから、

無理やり概念的な話をするために、お互いが幻想を作り出しながら殴り合ってる

はっきりいって不毛だし、不毛であることに薄々気づいている人も多いと思うけど、

結局暇なんだよな、増田議論してる奴らなんて、俺含めて

2020-07-02

anond:20200702003845

女の場合、成果上げてるのに出世できないとか合格点取ってるのに大学落とされたとか、個別具体的なエピソードが出てくるのに対して

男の場合ホームレスが多いとか自殺率が高いとかものすごくふわっとした話しか出てこない

男性差別を訴える人は、なにか女から酷い目に合わされているというよりは、ふわーっと、この世の中は男に厳しい、女だけ楽でズルいみたいな世界観を持っているのかな。だから提示される「具体例」もふわっとしている?

2020-06-16

あいもしかしてゲイじゃないの」というフレーズは、飲みの場でイジリ・ネタとしてありそうだけど、「あいもしかしてザイニチじゃないの」というのはありえない。イジリになんて絶対ならない。タブー感すごい。口から出せない。出した瞬間、こっちが破滅する、というより、自分自身抵抗感があって発声することができない。

それぞれの所属するコミュニティ雰囲気にもよると思うけど、自分はそんな感じ。大卒ホワイトカラー職場。ちなみに「ゲイじゃないの」もたぶん、一瞬、笑いになるけど、あとで怒られるというか、たしなめられるくらいはあると思う。「そういうこと言うもんじゃないよ」とか。

アスペ」「キモオタ」「DQN」は内輪ではいうけど、職場関係の交友では言わない。通じないと思うからネットジャーゴンだと思ってる。でもそういう言葉遣いをしないだけで、飲みのネタにはしてると思う。なんか別の言い方で。

関西なので、特定地域に対して、歴史的在日韓国朝鮮人が多いとか、かつての被差別地域だとかそういう認識はある。それについて話をすることは職場でもある。でも、たいがいが社会条件とか歴史的経緯についてのことで、個別具体のことは絶対に人前で話すようなことではないという認定。ゆえに、「同和」「ナマポ」「池沼」みたいなのは、「在日」同様、どんな場面でも、自分の口からしたことはない。なんかできない。これらはネットジャーゴン以前に、書き言葉だと思っている。とはいえ生活上、思うことはいろいろあるので、内輪では話のネタになることはないでもない。でも、よくないなーと思いながら話している。

自分の中の差別意識もいろいろだし、用語の線引きもいろいろだなと思った話。

2020-06-04

こばるさん(@sha_k_br)のブログを読んでの感想

私は、ただの通りすがりである

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今までは、ただ荒れている海を時たま平和なところから眺めていただけだった。

そして、たまたま見かけた漂流物に対して思ったことを気まぐれに書いて見ようと思った。

ここから書くことは、現段階書いている私には公開するかもわからない文章であり、該当のブログ記事に対して思ったことを気ままに書くだけなので何かを伝えるというつもりは一切ない。自分のなかのことを整理しようと思っただけのことで、こばるさんが何を思おうと私は興味はないし、これを読めというつもりもない。

発端はそのブログであっても、おそらくは私の思ったことまとめに終始すると思われるからである

以上のことを踏まえて読むかを決めてもらいたい。

これは自己保身という人もいるかもしれないが、私にそのつもりはない。

匿名で、なんの影響を被ることもない場所で、ただ書き散らかす文章から一切の重みはないということを読んだ人皆に伝えるという意図の、私の責任感の表れと取ってほしい。この文章はただの電子ごみだ。

さて、まず該当ブログurlを貼らせてもらう。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ

私は、このブログ題名名前があがっている方のCFにまつわる問題を時たま眺めていた。最近出来事などの一連も一通り見ていたつもりではある。

私には、一切法律的知識CF知識はないため、収支報告を求めるものに、「まあそりゃあ疑念が湧いたら事実確認をしたくなるよね」程度のことを思うことしかできない。これは、お使いに行かせた子供お金をちょろまかしていないか確認したい、というような感覚と似ているのでCF適用できるのかは私には判断はつかない。

私はここで、この方の問題について白黒をつけたことを書くつもりはない。あくまで、こばるさんのブログについて思ったことを書くというつもりだからだ。

このブログ記事は「CFした方がネットリンチをされている」という前提で書かれている。(題名からしてそう)

なので私がそのことについて書くということは、その前提に対して物申すということになってしまう。

そうなると、私の考えたいことと外れていくと思うのでとりあえずそこは保留にしておく。

以下、本文を引用しながら書いていく。

ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ。

あなたたちは愚かです。

優しさに賢さが追いついていない人、賢さに優しさが追いついていない人、その両方が見受けられます

優しさに賢さが追いついていない人は、大局を見る能力がありません。「優しい」という自己イメージに捉われて、その表面的な振る舞いからはみ出す勇気がないだけの愚か者です。

賢さに優しさが追いついていない人は、あなたが学んできた知識を、愛情を持って世界還元しないところを見ますと、やはり愚かだと思います

あなたのための寛容な世界づくりを、自ら放棄し続けているあなた方は、全く賢くありません。

声を上げる人の、精神高潔さを知りなさい。

そしてあなた自身の恥を知り、愛を知りなさい。


正直言うと、私はこの「優しさ」や「賢さ」という言葉が何を指しているのかがわからないため、ここは飛ばす。

ただ、「寛容な世界づくり」という言葉から弱者にやさしい世界をということなのだろうかということを何となく推察するに、この人々は強者に当たるのだろう。そのあとの、声を上げる、などは最近話題トーンポリシングもろといった感じである。これ以降のところで語気語調で判断するな、といった内容のことが書いてあることだし。

トーンポリシングに関しては、議論の場は対等な人同士が様々なものを用いて議論をするという理想があるが、そこにも権力関係があるのだということを自覚しよう、といったものであると私は認識している。(何かで読んだ、何だっただろう…)

恥を知り愛を知る、は、まあちょっとよくわからない。思いやりだろうか。悔い改めるとかだろうか。

あなたは愚かです。しかあなたの愚かさは許されます

5年後、10年後に、あなた自分自身の行いを恥じたとき過去あなたの行いを誰も責めてはいけません。

もちろん、今あなたがそれを行なっているならば、咎められるでしょう。法に基づき裁かれることもあるでしょう。

あなた積極的または消極的加害行為が、今、あなたからの加害を受けている人の心の安寧よりも、優先して認められることはありません。

しかし、あなたの今の幼稚さは許されます

あなたはかわいそうです。然るべき手段で裁かれた後、あなたあなた自身からも許されることを願っています


これはまあ、おおむね一般的な考え方であるように思われる。罪は裁かれ償いをしたら一種チャラである。あとは良心問題

まずあなたは、あなたが何に依らなくても、あなた自身が当たり前に存在してよいのだということを、深く理解してください。

これはまず一番最初に、あなたの心の底の底に置いておくべきあなた自己肯定感です。

あなたが今それを得られていないなら、とても悲しく、残念なことです。

自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になるということを、ぜひ知ってほしいと思います

自分自身の心を明かす勇気を、あなたの愛する、信頼できる人に向けてください。

その信頼が報われたときあなたあなたのための自己肯定感を得られるはずです。

その経験を得たとき、その自己肯定感や誇りが、他者にとっても同じ、誰にも脅かされてはならないものだということを、想像できる人になってください。


ここはいささか唐突に思われた。なぜここで自己肯定感の話なのだろうと率直に思った。

自己肯定感がないからこそ、曰く「愚か」な行為をしているという考えであるのかと推察するが、「自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなた世界を信頼できる根拠になる」という点では、賛同/肯定をされた時点でその賛同/肯定されたものが、結論として善であろうと悪であろうとその内容はかまわないように受け取られる。

それとも、「愚か」なことであってもその自己肯定感が生まれたらばそれ以降回心できるはずといったようなことなのだろうか、私には少々やはり呑み込めない。

ある層に受けることを言ってしまったらその承認におぼれてしまい、そこから抜け出せないこともあるのではないか、等々考えてしまう。

まあやっぱりよくわからない。

また、「中立」の立場をとり、自分を冷静だと思っている方へ。

あなたが行動をしない限り、あなたは無敵です。

あなたが何かを決めない限り、あなたは誰にもジャッジされることはありません。

あなたは、いつでも世情に合わせて、怒られないための「正解」を選ぶことができます

あなた卑怯です。安全場所で、物事を見定めているつもりになっている自分自身のことを恥じてください。

あなた対立する勇気を持っていないのなら、あなたは有力な参謀にはなり得ません。

そのことを理解し、自身のことを省みてください。


私としてはここが一番の山場であった。ここで、こばるさんは他者に対して「対立する勇気」求めている。

私はここが一番引っかかった。

意見を表明する勇気」ではなく、「対立する勇気」であり、「中立」、決めかねるという一つの判断否定していると思うからだ。

以下は、浅い知識によるものから最初に書いたことを思い返して、あまり真に受けないで読んでもらいたい。

私は、この言葉を読んだとき、エポケーという言葉を思い出した。

エポケーは、判断停止や判断中止とも言われる。これは、懐疑的もの見方として生まれもので、常識などを棚上げし、事実を見るというようなことである。「これまではそうだった、だからこれからも違いない」ここに対して待ったをかけるようなものと私は習った記憶がある。思考停止とも違うということも。

判断を停止するということは、結論を下すことを中止するということで、こうだった場合にどうなるかといった想定をしてその場合結論としてはどうなるか、と考えることをやめるわけではない。

判断停止をし、意見表明をしないということは確かに叩かれるものがないという点で「無敵」かもしれない。

しかし、むやみに敵を作るような行為は慎んだほうがよいのではないだろうか。対話可能と思えないのならば、口をつぐむということも選択肢に入って来るのではないだろうか。そこで人は絶対意見を言わねばならないというのは酷であると私は思う。

立場を明らかに意見を表明できないのは、冷笑主義でもない限りそれ相応の判断停止の理由があるのではないか

または、明らかにするほどのことではないという一種の”判断”でもあるだろう。

ここをおして判断を迫るのならそれ相応の論拠を明確に提示していく必要があるだろう。

また、全貌を知らないままに下した判断には危険性があるのではないかと言いたい。

ヨクシラという言葉があるが、ヨクシラで首を突っ込み盲目的に突っ走るというのは恐ろしいことである。むやみやたらに判断を求めたらいいというものではないと考える。

ただ、これはヨクシラで判断を下し動いている人々に対して判断を下し行動することをやめろといいたいのではなく、その判断に基づいて物事を見ることに固執しかねない、という危険性を留意しておくべきではないかという意味であり、柔軟性があるのなら、意見を表明するという言語化を通して自身の考えをまとめることができ、それを叩き台にしていろいろの人との対話をすることで自身の知見を深めることができるため、それ自体をすべて悪いとは思わない。

これはヨクシラでない人であっても同様のことがいえると思っている。固執することは恐ろしいことである

そして、これらの話はどちらか、いずれか、なんらかの想定されるコミュニティに与するという話ではないと思う。

私は、「対立する勇気」という言い方にどうしても、二項対立ですべてを説明しようとする姿勢が見えてならない。

人々はそうそ一枚岩ではないだろう。学校クラスの分裂ですら、賛成反対と大きく分けてみた中をのぞけば、容易にその中の分裂が見える。

「有力な参謀」という言い方も、ある組織構造を持った何かを想定しているように思える。

ここ以降は、声を上げるリスクについての説明などで、黒人男性黒人若者に対し言っていた言葉彷彿とさせるものだった。

以降に関しては特に思うところはない。しいて言うなら、「数は力」という言葉と、黒人差別意識させること自体だろうか。(全体な気がしてきた)

「数は力」に関しては正当性があると思ってのこの書き方なのかもしれないが、それはマイノリティマジョリティの流動にしかならないのではと思ってしまう。

数は結果であることが望ましいのではと、素朴に思う。まあ、綺麗事なのはわかる。正当に数を得られるように頑張ってほしいものだ。

政治について学んでおらず、社会学に関しても知見が浅いので、これは当たらないかもしれない。(田中角栄しかでてこない程度の知識である。)

黒人差別意識させる書き方をしてることが引っかかるのは、これは黒人差別と同じものではないからだ。

ここからは本格的に蛇足であるが、考えたので残しておく。

ネットリンチは悪いものだ。

差別だって犯罪だってそう名のつくものは悪いものだ。だってリンチ差別犯罪からネットリンチ批判することに是非は問われないだろう。

ただ、ネットリンチというレッテルを誰か他者に貼ることはどうだろうか。

私は、この悪者としてのレッテル他者に貼ることが端的に言って怖い。

これを叩かれるのが怖いということだとは勘違いはして欲しくない。

ここでは、叩かれることは問題ではない、他者レッテルを貼ることが問題なのだ

それをするのは、覚悟必要だ。

その時周りなどは関係ない。私とその人との問題しかない。間違っていた場合のことを考え、極力それをしないように努めなければならないと私は考える。気分としては推定無罪、のような感じだ。自分責任を取れないと思うから責任を持って私はどちらに加担することもしない。

私は当事者でもその近くでもないからだ。

誰かが言ってるから、そんなことで自分の行動を決めてはならない。

大勢迎合することも好ましくない。責任に欠ける。

こばるさんのこのブログ記事は、前提がもう、ネットリンチというレッテルを誰かに貼っている。

想定されているだろう個別具体的な人々はいるのだろうが明確にはされていないから、私にはわからない。ネットリンチは無くさねばならない。

しかに当該の方にネットリンチと(法的、公的に)されることをしている人はいるのかもしれない。

それならば、その人は然るべき罰を受けるべきだ。

私もそのネットリンチをしている人々に対してのみに当てられたものだったら特に何も言おうとは思わなかった。

しかしこの記事では、ネットリンチとこばるさんが思うものについて、ネットリンチだと断定しない人間(中立)への批判がされていた。

私はそこにとても引っかかりこんな長文乱文を迷いながら書いている。

繰り返しになるが、ネットリンチだと判断するのは、ネットリンチ批判するその個人がしなければならないと私は思う。少なくとも、公的な場で決まりきっていないなら、そうなる。

それはしかし、「どう見ても正しさの欠片もないもの」と「正しいけど程度として問題があるように思えること」など、いろいろなものがあるのではないだろうか。私刑は正しいことではない。

少なくとも私は、ネットリンチというレッテルは、どこまでいったら貼って良いものなのかの知識はない。

こばるさんはそのような発言をして批判をするのなら、せめて、明確にネットリンチがなされていると自分が思う根拠を示す必要があったのではないかと思う。

このブログは、黒人差別問題彷彿とさせる。

しかし、黒人差別と同等なほどに、誰がみても、正当性を持って、ネットリンチと言えるものなのだろうか。こばるさんがネットリンチだと思っているものは。

ネットリンチというレッテルを使わずに、自分が目に余ると思う行為をしてる人たちについての問題提起をするということだって、一考の余地はなかっただろうか。ネットリンチとされなくても、人道的に嗜められるべき行為などはある。

私は少なくとも、一連を見てて何に義があるかというのは、簡単に言えるものではないと思っている。

いろいろなひとがいろいろなところでいろいろのスタンスで話してるのを見かけるからだ。

そこまで注視してない私ですら様々な意見を目にするのだからもっと様々な人がいるだろう。

私が見てる中にも、見てない中にも、ネットリンチに当たる行為があるのかもしれない。

ただ、私は誰かから困っていると言われたら、然るべき対応を、としか言えない。

手に余ることをするのは、無責任だ。

デマの流布をしないことが、一番私としては誠実な態度だと考える。

こばるさんの想定には私のような問題を外部から眺めている人間などが入ってないのかもしれない。ただ、この書き方はあまりにも広範な人を巻き込んでの批判ではないかと思う。

声を上げることそのもの正義、ではないと私は思う。

後半の論調的にはネットリンチ気づきつつ口をつぐんでいるサイレントマジョリティーを想定されているようにも感じられたし、基本的にこのブログ記事は、正義は我にあり、と信じて書かれているように思われる。

なので、正当な判断をしたらきっとこばるさんの側につくとこばるさんは信じているのだろう。

個人的には、正義は我にありと信じてやまない、揺らがない態度というのは、少々怖いものだと思う。

たとえ考えが変わらなく思えても、問い続けることは大事ではないだろうか。

乱文なので、また編集をすると思います。ここまで読んだ人がいたら、お疲れ様です。文意通らないとこあるかもだけど許してちょんまげです。

頓珍漢なこと書いている気もするけど、暫定的に。

2020-05-31

anond:20200531090206

飛沫感染接触感染で広がる

政府OKと出してるのはその2つのリスクを勘案して出してるのであって

個別具体的にはリアルタイムで条件が様々変化するわけだからそこは自分で考えるべきって話

実際何ヶ月か前、公園OKって言われたもんだから公園に行って遊具ベタベタ触ってた人多かったでしょ

それが危ないって言われたら今度は公園のものに行くのが怖くなって止める人が増えた

基本は自分で考えるって事になってればこんな事になってない

2020-05-24

SNS交通道路に例えるならその運転免許は何なの?

ある芸能人自身noteSNS法規制を求める内容を記載してた。

そこに挙げられていた例えに「交通事故を起こした運転手免停になる」というものがあった。

まり彼はSNS交通道路見立て著名人誹謗中傷リプライを送るアンチ交通事故加害者見立てていることになる。

ここで高卒ニート24歳の俺に1つの疑問が生じた。

――SNSにおける運転免許って何だろう?

暫く考えてみたが自分には適当存在が思い当たらなかった。

ネットでは古くからネチケットと呼ばれる公共マナー提唱されているが、これは人によって定義が異なる抽象的な概念だし、個別具体的な行為規定してるわけでもなく、ネチケットを広く包摂する法律存在しない。

限りなく妥当に近いのはSNS利用規約だろうかと思ったが、例えばTwitter利用規約にはこの様な一文がある。

――利用者は、本サービスの利用により、不快有害不正確あるいは不適切コンテンツ、または場合によっては、不当表示されている投稿またはその他欺瞞的な投稿に接する可能性があることを、理解しているものします。

字義通りに素直に解釈すれば、TwitterユーザーTwitterを利用することでいわゆる″アンチ″ の投稿によって不快な思いを受ける可能性さえも理解して利用すべき、となる。

仮にこれをSNS(この場合Twitter)の運転免許とした場合、「アンチ行為をしたユーザーからSNS発言権を奪うべきである」と唱えるユーザーから言動免許所持者として適切な言動と言えるのだろうか?

もちろんTwitter利用規約に関して言えば

―― 当社は、Twitterユーザー契約違反しているコンテンツ著作権もしくは商標侵害その他の知的財産不正利用、なりすまし不法行為または嫌がらせ等)を削除する権利留保します。

という一文も記載されており、具体的には各々のユーザーが「このツイート/アカウントユーザー契約違反している」と考え運営に報告し、その都度Twitterの各種ポリシーに照らして個別具体的に判断されて、仮に違反が認められた場合にはアカウントの凍結等々の判断が為される、というプロセスになる。

ちなみにTwitterユーザーなら既知の事実だと思うが運営判断杓子定規的ではなく現状ケースバイケースでかなり判断に幅のある恣意的ものになっていると思う。

なので仮に運営判断運営免許とすると運営に尋ねるまではユーザー免許の所持/不所持が判然としないシュレディンガー運転免許になってしまうのではないだろうか。

そして当然のことではあるが、仮に利用上でユーザーによる触法行為が行われた場合には、それこそユーザーの報告やTwitter運営如何に依らず捜査機関による捜査逮捕起訴等が行われることもあり得るわけで、このケースを例に準えるとSNS運転免許違反ではなく日本国運転免許違反妥当するのだろう。

正直な気持ちを書くと俺はSNS法規制を与えるべきではないと思う。

名誉毀損著作権侵害児童ポルノ投稿等の触法行為に関してはこれまで通り国内法で対処可能であるし、個別具体的な暴言等の″マナー違反″に関しても運営に報告してその判断を仰ぐプロセスが用意されているわけで、仮に運営裁定に納得がいかなければSNSの利用を停止する自由もあるわけである

SNSの利用が強制されたものでない以上始める自由も辞める自由行使できるわけである

自分にとって気に入らないSNSを取り巻く環境法規制を求めるのは自由だが俺は上記理由から全く賛同できない。

なおメディアを賑わせている自死された女子プロレスラーの方に関して書けば、彼女は出演されていた番組プログラム犠牲者なのではないかと思う。

リアリティショーだか何だか知らないが生放送でない以上当然事後に編集が加えられているわけで、そのことを思えば脚本台本が全く用意されていないとも考え難く、言うなれば彼女製作陣の指示に従って喜怒哀楽の演技をしていたら視聴者から嫌われ悪辣言葉を投げかけられて精神病み死を選んでしまったリアリティショーの犠牲者なのではないか、と思う。

赤の他人どの面下げて冥福を祈るんだ?という従前からの疑問があるので「ご冥福祈ります」と書くのは気が退けるが、一方で強い社会規範に締め付けられているのが俺という人間なので、ここは素直に「ご冥福祈ります」と書き込ませて頂く。

当たり前だが本当に死者の冥福を祈る気持ちはある。

俺は死者を差別しないポリシーなので麻原彰晃の死にも同様に冥福を祈ったわけで、木村花さんのご冥福祈ります

2020-05-03

FGO剽窃疑惑擁護名言

FGOに歴史書からの剽窃が発覚?「文章がほぼ一致してる」「Fateに今更言うの?」 - Togetter

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673065

そもそもキャラ含めて実在人物説明が何かしらから引用されてなければおかしいし今更問題

そのまま引用しなくても、資料の内容を消化して自分言葉に直すことはできますそもそも件のプロフィールは出典の明記などの引用要件を満たしていません)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673129

どの辺が剽窃なのか理解に苦しむ。線引かれている部分がほぼほぼ歴史的に用いられてきた名称じゃん....。逆に、これに独創性を加えてどうするんだよ。

固有名詞以外の部分の言い回し酷似しているか問題になっています(「歴史的に用いられてきた名称」に関しても、「足速き馬駆る者たち」といった訳は日本でそこまで一般的なんでしょうか?)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673164

ゲーム解説文に何言ってんだ、って感じ。 これが論文などの、後に定説として広まりそうな文書や有料の書籍についての事ならわかるけどさ。 基本無料ゲーでパロディオマージュネタいっぱいのFGO解説文を「定説」にする奴がいたらそっちが笑われるだろ。

定説」にならないか他人文章を借用しても問題無し、とは……?

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673278

史実伝承を書いただけで剽窃と言われてもね。

史実伝承」そのものと、「史実伝承について解説した文章」は違います

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673286

これは剽窃じゃなくね、指摘されてる言い回しは他でも使うでしょ。

たぶんここでの「言い回し」はやはり固有名詞等のことだと思いますが、たとえば「聖エルモの火」自体一般的名称だとしても、「嵐のさなかに船のマストなどに(で)見られる〜」という説明がここまで一致するのは偶然とは考えにくいです。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673351

まあ、引用元が何かアクションを起こしたら、出典明記すればいいってだけで、他人が大騒ぎして炎上させるほどのこととは思えない。

他人が大騒ぎして炎上させる」ことの是非はともかく、引用の出典は文句を言われたら書けばいいというようなものではありません(そもそも件のプロフィールでは、引用部分が「」でくくられてなかったり中途半端に改変されたりしてるので、出典明記以外にも「引用」の形式として不十分です)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673352

パクリ」と「被り」の区別出来ない人っぽい印象。該当部分が剽窃元とされる文献独自解釈でないのなら、本件は「パクリ」ではなく、「被り」の可能性が高いと感じる。

解釈自体一般的ものだとしても、「元来〜として崇拝され」「顕現(だ)と信じられるようになった」「さまざまな危難から緊急に人々を救う神として崇められ」といった言い回しが偶然「被る」可能性はどの程度あるんでしょうか。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673587

日露戦争小説漫画を描いたら「司馬遼太郎許可をもらったのか?」「江川達也許可をもらったのか?」と外野が騒ぐみたいな案件ですね。

日露戦争を描いた完全新作小説が、なんの説明もなく「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。」で始まったらビックリしませんか(このぐらい有名なフレーズならパロディで通るかもしれないが)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673661

しかし、これ剽窃というには抜き出し個所は固有名詞がらみが多くてむしろ「改変するほうがさすがに問題だろ」という発想しか持てないところ。聖エルモの火も説明必要だしアルゴナウティカもカストルボルックスという固有名を出すためには避けられない話だし、正直糾弾するにも微妙ラインしかえんなぁ。

たとえば「聖エルモの火」自体一般的名称だとしても(略)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673821

FGOの『「A」「B」の通称を持ち』が 書籍の『「A」または「B」と呼ばれ』の剽窃だと言うなら 「A」「B」は筆者のオリジナルで、実際には呼ばれてないってことになるんじゃないのか…。 通称が「剽窃だ!」って何ぞ。

「二人の王たち」「二柱の神」自体剽窃だという話ではなく、「固有の名をも(持)っていなかった」まで含めた流れが酷似しているということじゃないでしょうか。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674088

これ本の方は、『ホメーロス風讃歌』と呼ばれる紀元前7から6世紀歴史的ものだぞ、日本語訳こそ何度目かの翻訳2004年なだけで。 個別具体的に内容を知ってるかは別としても、無断転載も何も常識的範疇の内容だぞ。

FGOが参照したと思われるのは、翻訳ではなく訳者自身による注釈・解題の部分です(そもそも、たとえ保護期間の切れた古典翻訳だったとしても訳者著作権は発生します)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674211

「この織田信長逸話歴史教科書から剽窃だ!!」レベル言いがかりしか見えん

ttps://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89-135228

天正 10 (1582) 年6月2日京都本能寺宿泊中の織田信長が,家臣明智光秀の謀反にあって襲撃され自殺した事件

天正10年(1582明智光秀織田信長京都本能寺に襲い、滅ぼした事件

1582明智光秀がその主織田信長京都本能寺に襲撃した事件

1582年(天正10)6月2日明智光秀京都四条西洞院本能寺織田信長を急襲して自殺させた事件

1582年、毛利氏と対戦中の羽柴(豊臣)秀吉救援のため本能寺宿泊中の織田信長が、やはり中国攻めのため丹波亀山城まで先発していた明智光秀に襲われ自害した事件

本能寺の変ぐらいメジャー事件説明でも、このぐらいの言い回しの違いはふつうに発生するようですね。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674244

こういうのは基本「オリジナルにあらざるもの即ち悪」位のフワッとしたバイアス以上のものではないんだけど(件の箇所にオリジナル性があるかって前提になる話すら無いし)、

オリジナルにあらざるもの即ち悪」とは言いませんが、オリジナルでないのなら引用であることを明確にした方がいいんじゃないでしょうか(「件の箇所にオリジナル性があるかって前提になる話すら無い」というのは、ディオスロイ説明は誰が書いてもああい文章になる可能性がある、ということですか?)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674257

クッソめんどくさそう。教科書に同じこと言えるの?

教科書が何らかの著作物文章を(出典を明記せず著者に無断で)これと同じぐらいそのまんま使ってることが見つかれば、この件と同じかそれ以上に問題になると思いますよ。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674514

本の方、中身を確認してきたけど、1990年平凡社から2004年単行本化。正直、この パクられ になって本の方も解題や注の大元は『Dictionnaire de la Mythologie Grecque et Romaine』とかかなり多数の本による物だが、引用明記はしてないでしょ....。(referenceで一括しては乗って居るけど。)

他人著作物を参考にするのと、他人著作物の一部をそのままの形で使用する引用混同してませんか。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674518

ただ単に元ネタ解説必要な事項を抜き出してUIの枠内に収まるようにしたようにしかみえないけど、それって剽窃

しかに「必要な事項を抜き出してUIの枠内に収まるようにした」だけかもしれませんが、それはつまり、参考にした著作物存在が明らかな上で自分言葉への変換が不十分、ということになりませんか。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674600

ゲーム画面に引用元とか貼られても現実に引き戻されるだけなんで、シナリオ公開後にTwitter公式垢が「なお今回の○○はこちらの方々の協力で完成しました!」て公表すればいいと思う。 ん? 違う? 著作権への対価を支払えって話までやる?

FGOプレイヤー満足度って、引用の際の出典明記より優先されるものなんですか?

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674681

noah34266899 確実に70年以上前の古い歴史書には著作権ないよ。

著作権保護期間は、出版ではなく著作者の死後から70年です。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7676622

基本的Fateメガテン系みたいな明確な原典のあるものでなくとも、今時大規模なゲーム作りや映画作りをやろうとすれば植生とか建造物とか諸々で膨大な参考資料を使うわけですけど。クレジット書籍名なんて早々見ないでしょ?大体こういうのは「考証」とか「監修」として、そういう諸々を纏めた担当者が載るわけ

他人著作物を参考にするのと、他人著作物の一部をそのままの形で使用する引用混同してませんか。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7676920

百田尚樹剽窃だと騒がれたときにも思ったけど、引用元の文章そもそも何かの引用だと思わないのかな。歴史的事実だよね。元の文章オリジナルだということがかなり恥ずかしいんだけど。

しかに「引用元の文章そもそも何かの引用である可能性もありますね。元ネタが見つかったら教えてください(それから、「歴史的事実」と「歴史的事実について解説した文章」を混同してませんか)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7677420

仮に、出典を明記するとして、どこに明記すれば良いんだろうね? 部の終了毎にスタッフロールに入れるとしてもそれをみれるようになるまでに何ヶ月かかかるわけで

ttps://togetter.com/li/1501534#c7677424

キャラごとに明記しようとすると文字数が足りんぞ。

あのプロフィール?の下に、(沓掛良彦訳『ホメーロスの諸神讚歌』 (ちくま学芸文庫)より)とでも入れるだけの余裕もないんですか?スクロールバーが見えてるから字数制限特になさそうな印象ですが(もちろん出典書いても引用部分をカッコで括ったりする必要はある)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7677603

というかこれ一部のプロフィール神話ディオスロイとは、というあれなんですよねで別のプロフィール覧ではこの物語(fate)、サーヴァントとしてのディオスロイが語られてるのですのよね

ttps://togetter.com/li/1501534#c7677626

物語上での型月世界にも実在する神話史実物語から型月のエッセンスを加えているのでこうややこしくなるんだなぁと、(あとギャグやパロはやりますがこういう世界解説大事にするみたいなんで尚更

神話伝説歴史由来のFGOキャラクターに、FGOオリジナルの要素が含まれている(FGOに限らずフィクションなので当たり前)ことは、今回の件とは何の関係もありませんね。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7677666

あと他の出典かかない伝奇作品に飛び火はアウトで。ジャンルが消し飛びかねない。

参考と引用混同

ttps://togetter.com/li/1501534#c7678351

元ネタ解説に参考文献があるのは明白だから参考文献として記載しろっていう意見ならわかるけど、パクリ云々は伝承歴史解説だと似たような感じになるんじゃねって気もするしうーん…。

「似たような感じ」にはなるかもしれませんが、細かい言い回しが一致するのは別問題です。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7679688

taiheyou 引用がどうたらならパソコンゲームのころから言わないとおかしいんでねえの。そもそも文章コピペとか以前になんらかの文献を参考に設定作った時点で引用必要な代物なら引用必須たべ?

ttps://togetter.com/li/1501534#c7679708

単語コピペが雑って叩く位ならええけどね。引用要求するならアーサー王説明した時点で必要だわ。参考文献がないわけないもん。

引用と参考の混同

ttps://togetter.com/li/1501534#c7681687

tastasto パクり扱いで訴訟ならまだしも創作物論文レポート基準要求すんのガチでやめてほしいんだが。

論文レポートでも創作物でも、適切な「引用」の要件基本的に同じです。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7682349

翻訳における文章オリジナル性ってどれくらい? I love you.を「月が綺麗ですね」くらいやればオリジナルだと思うけども。

ハードル高くないですか……?

ttps://togetter.com/li/1501534#c7682850

そもそも古代の神や人物なんてそもそも文献が少ないし ロクに記述がないのでちゃんとした訳文も少ないから 同じ出展を当たったがゆえに同じような文章になるなんてよくあること

まりFGO担当ライター沓掛良彦氏の『ホメーロスの諸神讃歌』(の注釈・解題)を参照したわけではなく、さらにその大元資料に当たってあのプロフィールを書いた、という主張でしょうか。それで細かい言い回しまで酷似するとは考えにくいのですが。


正直、この人たちがファンのフリしたアンチに見えてきた。

2020-04-19

ブクマカ糸井重里を叩きサンドウィッチマン伊達を叩かなかった理由

これ完全にダブスタだと思うぞ

つーか糸井重里ツイートは「他人を責めるな、自分仕事しろ」みたいな感じで個別具体的なものを示さな抽象的なメッセージだったのに対し、伊達ちゃんブログは「ほならね?批判ばっかりするならお前が総理大臣やってみろって話でしょ?私はそう言いたい。うん。」っていうめちゃくちゃ個別具体的な言論封殺メッセージだったんだよな

それなのに糸井重里ツイートにはめちゃめちゃ叩きブコメが付き伊達ちゃんブログにはほとんどブコメがつくこともなくスルーされている現状

これ不思議ですね

常日頃から見たくないものを見ようとしない愚か者仕草を叩いてきたブクマカはこれブーメラン刺さってませんかね?

2020-03-09

連日コロナコロナでいいかげん疲れてきた

職場特別対応に終われ、最近は眠りが浅いのか寝た気がせず、頭痛もとれない。

これ、政府は「終息宣言」みたいなのをいつかするのかな。

一斉休校だなんだとと要請してきたのだから、それらに対する「解除」の意思表示は必ず必要だろう。

斉一律とはしないまでも、「本日より状況に応じて再開できそうな学校は再開してよい」程度の宣言は望まれるところだ。

個別具体的な対応よりも、そういうのを徹底してもらいたいものだ。

2020-03-05

anond:20200305002405

まあわかってると思うけど、

君のは一般論で、現実個別具体的な理由とはカテゴリが違うわけよ。

「オレの抽象的な疑問を解決するためにお前らの個人的な話をしろ

ってのは、算数計算問題の答えがわからなくて八百屋店頭りんごミカンの数をリサーチするようなもんよ。

答えない。無駄から。君には聞く資格がまだない

2020-03-04

anond:20200304122535

なんで犯罪が起きるの?みたいな愚問に見えるが

個別具体的な経緯に興味あるんだったら

ここじゃなんとも

2020-02-29

anond:20200228212452

転売一般の是非を言うから話がおかしくなる。

一般論としてそもそも転売は悪じゃない。

ふつうの商行為にすぎない。

ただし個別具体的な特殊ケースにおいても常に悪じゃない、わけではない。

限定百個の商品ぜんぶ買い占めて高値転売するのは悪だ。だってみんなが迷惑するもんね。

悪ってようは自分利益のために他人迷惑かけることじゃん。

今回の場合は、単純にマスク高値取り引き禁止の特措法作ればいいのさ。

それに従わない奴は悪。すっきりする。

国の怠慢だよね。

しかしそれにしても、マスクいるんならハンカチとか晒し手拭いとかで簡単に作れるだろ。なんでバカ高いの買ったり寒空に並んだりするの?って疑問を呈してもなぜか誰もまともに答えられない

2020-01-12

anond:20200112012901

そうは思わないね

戦争はよくあるとかその時代に生きてないから俺には関係ないって主張しかしてない人だよ

個別具体的な事柄に対して検討を加えようとか思ってないだろ

2020-01-09

anond:20200109173511

請求権を互いに放棄する条項は1951年のサンフランシスコ講和条約(サ条約)にもある。後に原爆被害者が「条約により米国賠償請求できなくなった」として日本政府補償を求めて提訴すると、政府は「自国民の損害について、相手国の責任を追及する『外交保護権』を放棄したもの個人が直接賠償を求める権利に影響はなく、国に補償義務はない」と主張した。

90年代には、韓国人戦争被害者日本提訴し始めたが、政府は従来と矛盾する解釈は取れず、「個人請求権消滅していない」との国会答弁を続け、訴訟でも「請求権協定解決済み」とは抗弁しなかった。

ところが、2000年代重要な争点で国や企業に不利な判決が出始めると、国は「条約裁判での請求はできなくなった」との主張に転じた。最高裁も07年4月、中国人強制連行訴訟判決で、サ条約について「事後的な民事裁判にゆだねれば、混乱が生じる。裁判上では個人請求権行使できないようにするのが条約の枠組み」と判断した。この判例日中共同宣言日韓請求権協定にも適用され、以降、日本法廷での外国人戦争被害者権利回復不可能になった。

一方で、この判決では「(条約は)個人実体権利消滅させるものでなく、個別具体的な請求権について、債務者側の自発的対応を妨げない」とも示し、関係者訴訟以外の交渉問題解決する道を残した。政府は「解決済み」と切り捨てず、話し合いで救済を目指すべきだ。

https://www.asahi.com/articles/ASLCN6365LCNOIPE035.html

2019-08-13

韓国徴用工に関する整理

日本裁判所が認めた事実認定や、日本国会が出した解釈や、日本会社が支払った中国徴用工への和解金について無知な人が多すぎるので、まとめました。

徴用問題の始まり

労働力の不足を補うため、昭和19年朝鮮総督が、朝鮮在住の朝鮮人に労働を命じました。正当な理由がなくこれを拒絶すると懲役刑を科される、国家による強制的労働です。その後の日本国内裁判で「徴用に応じなければ家族逮捕される」と脅迫されたことや、「寮は有刺鉄線で囲まれ12 畳の部屋に12 人が収容された」「食事は粗末で量も少なく休日も月1、2 回しか与えられなかった」「こん棒で腰部を20 回殴打された」などの事実も認められており、その当時の基準に照らしても安全配慮義務に反する不法労働日本裁判所認定されています

日韓請求権協定で定められたことと定められていないこと

日本連合国サンフランシスコ平和条約を結び国際社会に復帰しましたが、韓国は「日本戦争をしていない」という理由サンフランシスコ平和条約に入りませんでした。

その後、日韓請求権協定が結ばれ、「両締約国及びその国民財産権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決された」と定められ、特に、「被徴用韓国人の未収金補償金及びその他請求権の弁済請求」は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決された」とされました。

ただし、これは、日本政府は「外交保護権を相互放棄したものであって個人請求権のもの国内法的な意味消滅させたものではない」という公式解釈をしています。つまり韓国内の日本国民資産韓国から取り戻したかったら、ご自由にどうぞ、でも、日本政府は手伝わないよ、という意味です。

このわかりづらい解釈には理由がありますもっと自然な、「朝鮮人の日本人への請求権韓国政府が放棄し、朝鮮にあった日本人の資産請求権日本政府が放棄した」という解釈にしてしまうと、韓国内の日本資産放棄に対して、日本政府が賠償責任を負うことになってしまうからです。

慰安婦に関してはまた別の話があるのですが、本題でないので触れません。)

個人請求権についての確定

平和条約のあとでも宙に浮いていた個人請求権ですが、連合軍捕虜への損害賠償を求める米国最高裁判決で、「サンフランシスコ平和条約第14条によって、戦争遂行中に日本国およびその国民が取った行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権放棄されている」という判決2003年に確定し、話が動き出しました。

2007年には、日本最高裁が、「サンフランシスコ平和条約当事者以外の国や地域との間で戦後処理をするにあたっても、(...)条約の枠組みに従う」という判断を示し、サンフランシスコ平和条約に含まれない韓国中国フィリピン等の国民から訴訟も、原告敗訴が決定づけられることになりました。

ただし、最高裁判決には「個別具体的な請求権について債務者側において任意自発的対応をすることは妨げられない」と述べ、「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人(被告企業)は中国労働者らを強制労働従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」という「付言」が付きました。

それを受け、西松建設中国当事者らの間で、2億5000万円を支払い、補償や未判明者の調査記念碑の建立、慰霊のための費用などに充てるという和解が成立しました。

2012年の韓国大法院判決

三菱重工業に対する訴訟で、韓国大法院は、朝鮮徴用戦争にかかわるものではなくて、植民地支配にかかわるものからサンフランシスコ平和条約とか日韓請求権協定とかとは関係なく、韓国人の請求権は残る、と判示しました。サンフランシスコ平和条約から日本最高裁判決に至る流れをひっくり返すものになります

この判決が確定した以上、先日の損害賠償を命じる判決必然でした。

個人的な感想

法律の話で言えば、日本および日本企業請求権が生じる、というのは疑わしいとは思いますが、一部の日本メディアがいうように韓国司法おかしい、とまでは思いません。韓国徴用日本過酷労働をさせたという事例に対して、日本最高裁が独占的な管轄権を持つ、というのは自明ではないし、個人請求権サンフランシスコ平和条約の枠組みに従う、というのもそもそも07年まで不確定だったわけで、議論余地はあるところだと思います。ただ、韓国の主張は、植民地支配に関して請求権が残っていて、元植民地側の裁判請求ができるという話なので、これを認めると植民地支配していた欧米諸国がすごく困ります慰安婦みたいに国際的な広がりを持つことなく、国際法的には日本が勝つのだろうな、と予想しています。あと、請求権協定に定められている仲裁手続き韓国側が拒絶している、というのはかなり韓国に不利な事実だと思います

条約解釈を超えた道義の話で言うと、徴用工に関して日本の様々な裁判所が繰り返し不法行為を認めているのが印象的です(例:01年東京地裁、01年京都地裁、03年東京高裁、96年富山地裁、98年山口地裁、01年大阪地裁、02年大阪高裁、07年名古屋高裁、05年東京高裁、02年福岡地裁、04年福岡高裁、02年広島地裁、04年広島高裁、09年最高裁)。最高裁については先ほど述べましたが、それ以外にも多数の裁判官が自発的な救済を推奨しています基金などを作って、アジア中の徴用工に対して日本自発的補償すべきものなのかもしれません。ですが、和解癒し財団のたどった運命を見ると、現在日本韓国道義と信義誠実に基づいた基金が作れるとは思いません。韓国はかなりアレだけど、日本側の情報発信も、日本裁判所事実認定に比べると、だいぶ偏っているように思います。次の世代が今の世代より賢いことに期待するしかないのかなと個人的には思います

最後に、判決をいくつか引用します。

歴史的事実真摯に受け止め、犠牲になった中国労働者についての問題解決するよう努力していくべき」(宮崎地裁07 年3 月26 日)

被害の救済に向け自発的関係者による適切な救済が期待される」(前橋地裁07 年8 月29 日)

任意被害救済が図られることが望ましく、これに向けた関係者真摯努力が強く期待される」(仙台高裁09 年1120 日)

「ひとりの人間としては、救済しなければならない事件だと思う。心情的には勝たせたいと思っているが、最高裁判決がある場合には従わざるを得ない。本件のような戦争被害は、裁判以外の方法解決できたらと思う」(長野地裁06年3月10日

被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、被告企業中国労働者らを強制労働従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」(最高裁07 年4 月27日)

参考文献

http://www.ackj.org/wp/wp-content/uploads/2017/12/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%9F%93%E5%9B%BD%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%A0%94%E7%A9%B615_%E7%89%B9%E9%9B%8641.pdf

2019-08-05

anond:20190805162304

それたぶん、リアルの知人かネット上の他人かでだいぶ異なるし、

家族恋人や友人か、赤の他人かでも異なるので

個別具体的に判断するしかいか

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