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2023-03-26

母の死を願う親不孝者

私の母親は、昨今話題の旧統一教会信者だ。

遡れば、アラフォーの私が小学生の頃から信者だ。

ちょうど、桜田淳子合同結婚式などで世間を騒がせたあとくらいで、たぶん霊感商法とかもまっさかりの頃だ。

ちなみに、私は信者ではない。

父も、弟も、他の家族親族もみんな信者ではない。母だけだ。

私は中学生くらいのころにビデオセンターに連れていかれたが、幸か不幸か中二病わずらっており、「自分こそが神」だと信じ込んでいた。

そんな私には、ビデオの内容は全く響かなく、母親は私を信者にするのをあきらめたらしい。

とりあえず、表面上は。

しかし、毎日毎日、お風呂の時に風呂場で私の名前と「伝道できますように」を連呼する。

センターに連れて行って積極的勧誘することはあきらめたけれど、心の底では私も信者になることを願っているのだ。

実家の壁は薄い。

声は丸聞こえである

その声を聞くたびに、とても気持ち悪く、気分が最悪になって病みそうになる。

母のせいで、家庭はめちゃくちゃだ。

統一教会は、今の名称世界平和統一家庭連合や、世界平和女性連合という。

人の家庭を壊しておいて、何が世界平和だ、真の家庭だ、真の父母様だ。

あんたの父母は田舎のじいちゃんばあちゃんだ。

母は、貯金家計お金献金つくし、弟の奨学金にまで手を付けて、

私にクレジットカードキャッシングをさせようとし、父にばれ夫婦げんかになり、離婚騒動になった。

結局、世間体もあり離婚はしていないが、夫婦仲は冷めきっている仮面夫婦だ。

いっそ離婚してくれたら…と何度思ったことか。

私は、母を宗教から引き戻そうと、何度も考えた。

心理学も学んだ。

でも、洗脳がそんな簡単にとけることはなかった。

毎日毎日、私のフルネームを言われて、悪魔のような伝道できますように、の唱和。

私が家を出ても、続くのだろう。

私が旧統一教会信者になることは、天地がひっくり返ってもないが、日本には言霊という概念もある。

ありえないと思っても、このままでは精神崩壊しそうだ。

幸い、私は昨年結婚した。

(当然、合同結婚式ではない。宗教関係ない夫である。)

もうすぐ、家も離れる。

でも、母は直らない。

いっそ、死んでほしい。

と思ってしまう。

親不孝者なことは承知の上だ。

育ててくれた恩はある。

信者でない部分の母は好きだ。

でも、20年来の信者である母には、宗教ももうきっと母の一部なのだ

一番いいのは、宗教を辞めてくれることだけど。

そんなのは無理なので。

母の死を願ってしまう。

それが一番、簡単から

親不孝者の雑記でした。

2023-03-16

欧米内政干渉してくるのって

キリスト教がなんで押し付けてくるのと似てるのかな

ChatGPTに聞いてみた

 

キリスト教布教に熱心なイメージがあるのは、その歴史信仰内容に関係しています。一方、他の宗教にはそれぞれ独自信仰文化があり、布教活動スタイルや度合いが異なります。いくつかの理由を挙げてみましょう。

 

1.宗教教義信仰の違い:

キリスト教福音主義的な宗教であり、イエス・キリストの教えを広めることを重要視しています。そのため、キリスト教徒は「福音を伝える」という使命感を持っています。一方、他の宗教、例えば仏教ヒンドゥー教は、それぞれの教えや信仰の中で布教活動が異なり、自己啓発個人修行に重点を置くことが多いです。

 

2.歴史的背景:

キリスト教は、歴史的にヨーロッパ植民地拡大や伝道団体活動を通じて広まってきました。その結果、キリスト教世界中に伝わり、多くの国や地域信仰されるようになりました。他の宗教は、植民地主義や宣教活動による広がりがそれほど大規模ではなかったため、布教活動イメージが薄いことがあります

 

3.社会的文化的要因:

宗教は、その地域文化社会に深く根ざしていますキリスト教圏の国々では、キリスト教文化政治に大きな影響を与えており、その影響力を保つために布教活動が行われることがあります。一方、他の宗教は、その信仰文化布教活動に熱心でない地域コミュニティに根ざしていることが多いです。

 

4.言語文化の壁:

言語文化の違いも、布教活動の程度に影響を与えますキリスト教は、ラテン語英語などの普及によって世界中に広まりやすくなりました。一方、他の宗教は、その教えが特定言語文化に密接に関連しているため、外部の人々に伝えることが難しいことが

 

でもキリスト教的なムーブでLGBTQを押し付けてくるのって矛盾しててキモいよね

2023-03-03

大川隆法と、冷めた2世会員の私。

唐突だった。会から離れていても、人生に大きな影響を及ぼした人が亡くなったという事実は、衝撃がそこそこあった。

と同時に、これからは多分、自分幸福の科学についての話は、本当に「過去の話」になる気がした。

語れなくなる前に、幸福の科学が影響する自分人生を整理しておこうと思う。

あなたは誰

- 幸福の科学2世会員

- 1990年代まれ20代男性

- 幸福の科学運営する塾や学校に通っていて、学生時代はそこそこ熱心な信者だったが、社会人になってからはゆるゆると遠ざかり、今は特に活動勉強などしていない。「わざわざ脱会までしなくていいかなー」と思って特に脱会はしていない。

私と幸福の科学/大川隆法関係

まれ環境

- 両親が幸福の科学信者で、特に母が熱心な信者だった。

- しかし父は自分が小さい頃に脱会している。

- でも幸福の科学ではないスピリチュアルもの関係がある様子で、その辺りは昔も今も聞きたくないか適当にあしらっている。

~中学生
物心ついた時から生活幸福の科学であふれていた

- 家に幸福の科学の本がたくさん置いてあったので、なんだかたまに読んでいた記憶。置いてあったら単純に興味が出る

- 神棚(幸福の科学では「ご本尊」と言う)も家に飾ってあって、たまにお祈りしてた

地域支部にも母親とよく言っていて、よく「御法話(大川隆法の説法のこと)」を聞いていた。独自システムで全国生中継をよくやっていた

たまーに母親活動についていって、街頭演説とか、パンフレットの配布を手伝っていた記憶

「外で伝道活動するの偉い!積極的にやっていこう!」って教えられる。特に子ども活動していると、会の中では「超優秀な素晴らしい子!」として扱われる

褒められちゃうなら、子どもは頑張っちゃうよね。

大きめの講演会もちょくちょく行ってた。

小学校後半から幸福の科学運営する塾「 サクセスNo.1」に通っていた。

- 今調べて初めて知ったんだけど、サイトあるんだね

- https://success-no1.happy-science.jp/

毎日祈りするのがいいんだよ」と言われていても、めんどくさくて半年に1回くらいしかやらなかった

- そもそも親と一緒に何かするのが恥ずかしい、みたいなとこもあったな。

- みなさんも「親と一緒に家でお祈りするの恥ずかしい!」って思ったことありませんか?

子どもながらに一般社会との違いを感じながら生きていた

- 自分の家庭や前述した塾では幸福の科学の教えを前提にした会話が繰り広げられる。

- 「守護霊が〜」「過去世が〜」「 最近の教えで総裁先生(信者の間では大川隆法のことを「総裁先生」と言うことが多かった)はこんなことを言っていて〜」とかとか。

- ただ、そうやって普通に会話することが周りの子には通じないし、そんなこと言ったら変な目で見られてしまいそうなので、「幸福の科学用語」が表に出ないように気をつけて生活していた

~高校生
幸福の科学運営する高校に通った。通ったというか全寮制なので、3年間生活していた感じ。

- サイトはこれ

- https://happy-science.ac.jp/

割と真面目だし、色々やっていたので、「信仰心が高い生徒」だったと思う。

- 学級委員とか、部活部長とか、生徒会役員とか・・・

- その辺りの役回りをこなすと、自然大勢の前で「幸福の科学の教えを広げるために、自分達に何ができるか?」「信仰心大事だ!(バーン)」といったように、他の生徒を鼓舞して、信仰心高まるような演説をする機会が非常に多かった。

- 当時はそれが素晴らしいことだと思ってたんだ。

同級生とか

- 母親けが熱心な信者で、父親の反対を振り切って入学しました!って子、自分は行きたくなかったけど両親に強引に入学させられちゃった・・・って子とか、色々いた

- 幸福の科学に対する対する考えは人それぞれ。大人になった今でも熱心に信者やってるは、3割くらいじゃないか・・・?って感じ。

- ただそういった会との関係を抜きにして、自分にとっては「青春を過ごした同級生」なわけで、たまに会ったり、飲んだりする人が結構いる。

毎日祈り時間があった。それはもうたくさんあった。

- 朝起きてから寮でお祈り

- 学校が始まるモーニングルーム最初にお祈り

- 学校が終わってホームルーム最後にお祈り

- 部活夜ご飯時間が終わったら大講堂に集まって夜の祈り。これがちゃんとするやつで、たまにフォーマットは変わっていたのだけど、御法話聴くタイム10分+お祈り20分、みたいな感じだった

- 寝ちゃう人たくさんいて、生徒会などでは結構問題になって有志で色々話し合ったり対策を考えていた記憶・・・

寮生活普通にしかった。就寝時間過ぎても友達夜遅くまで話したり、職員の目を盗んで窓から抜け出したりしてました。ド田舎にあったんで、星が綺麗だったなあ・・・

- ド田舎の寮で最寄のコンビニまでも30分かかるくらいだったので、生徒の間ではこの環境のことを「那須リズン」と呼んでましたw

学校先生は皆、熱心な信者だった。いい先生が多くて、好きな先生も多かった。

- たまに、「実は名前だけ会員になってただけで、幸福の科学の本とか全然読んでなんだよね〜w」って先生もいたな

自分高校に通う頃から幸福の科学映画作成の頻度が高くなっていたが、アニメとか映画をよく見る人たちの間で「この映画クオリティ低すぎるだろ・・・。これを良いと言っちゃうおかしいんじゃないの・・・。」って会話をしばしばしてた。

- 自分映画アンチで、「つまらないストーリーが全てを台無しにしている」「最後はどうせ信仰心で何もかもうまくいくだけの薄い映画」などなど、猛烈に批判していたが、「映画面白くないのは信仰心たりないから」って感じであしらられていた記憶

- しかも同じ人が何回も見に行ってるからな。まじで何やってんだ本当に。今でもそうだよな。作品クオリティに真面目に向き合っていあたら、10年やってれば普通に面白映画作れる可能性あったんじゃないのかな。

- 映画に限らず、会の流れにそぐわない意見は良くないものとする雰囲気がただよっていた。これは幸福の科学全体に言えることで、熱心な信者ほどそんな意見を持っている人が多かった。

- 自分映画がクソすぎたのが、幸福の科学の考えに違和感を持つ原点だったのかな。今思うと。

受験勉強はみんな、「総裁先生のために!」と言って頑張ってました。私も頑張りました。

- ただ、「総裁先生のために」と言ってとりあえず頑張っていれば結果関係なく褒められる、みたいな空気があったのもわりと嫌だったな。

大学生社会人(今)
大学地元に戻り、実家から通っていた。

大学生活は普通にやったし、バイトもしていた。その面は普通。ただそれ以外の時間幸福の科学活動を頑張ってた感じ。忙しい大学生だった。

幸福の科学学園を卒業した子は「アデプト(信仰心に目覚めた新人類)の卵」ともてはやされ、大学生所属して活動する学生部での活躍を期待されていた

- ただ卒業生の半分くらいは、大学に行った時点でゆるゆると会から離れていき、学生部にも顔を出さなくなってた

- 自分学生部にわりと頻繁に行ってて、学生部長とかもやったし、合宿も割と行ってた。運営ちょっとした。

- 知り合いのうち何人かを、総裁先生(大川隆法)の講演会に誘って一緒に行ったりした。

- 1人くらいは会員にもなった。その人はもしかしたら、今でも熱心に活動してるかもしれない。

- その人の人生にめちゃくちゃ大きな影響を及ぼしちゃったと考えると、なんとも言えない気持ちになります・・・

でも学生部活動を続けるにつれて、「社会的に苦しいことがあっても信仰とることが大事!」「まずは幸福の科学活動第一!」みたいな雰囲気が肌に合わなくなっていった。

- 口には出さなかったが、偉い人の話を聞きながら冷静に「いや、そうはならんやろ。」ってツッコミを心の中で言ってたこともある

- 理想信仰だけを語り、現実を見ない会員の姿を見れば見るほど、なんだか嫌になっていたんだ。

- だから大学3年生くらいの時から自分おかしいと思うことは断固活動拒否していた。そうなってくると学生部長をやるのが苦しかったので、割と早めにその役を降りた。

- その地区担当していた職員さんから、「本当に後悔しないんだね?」と何度も聞かれたが、「後悔しません!」と何度も答えてやっと役を降りれた記憶

- その人も悪気はなさそうで、単純に純粋な"信仰心"で何度も引き止めてくれていたと思う。

社会人上京して1人暮らしを始めた、社会人1,2年目は家の近くにたまたま幸福の科学施設があったので、たまに通っていた。

- 通っても本を読んだり、瞑想したりするくらいだった。社会人になってからは「研修(総裁先生の説法をもとに作られた、教えについて深く学んで悟りを追求するためのプログラムみたいなやつ)」も受けてないし、合宿にも行ってないかな。

- 一瞬、若者が集まる青年部に顔を出したりしたけど、2,3回参加して肌にあわず行かなくなった。

- なんかやはり、一般社会との考えとか違いすぎて・・・あんまり頭良くなくても、とりあえず信仰心高い行動している人の声が大きなり、現実と向き合わないような雰囲気があったね・・・

社会人になっても親から映画見て!」とか、「本読んで!」とかLINE来たりするので、まあ人付き合い程度に映画見に行ったり、本を読むなどしていた。

- でも映画はやっぱり、いつまでたってもクソなので数年前から全く見に行ってない。

- クソな映画なのに、「動員数ランキングに入るために頑張りましょう!」と言って同じ人が何回も観に行ってるのも嫌い

- 「ランキングに入るために頑張りましょう!」と言って映画評価サイトに星5つけまくる活動も嫌い

- 作品真摯に向き合ってくれ!

本は年に1回パラパラ読むくらい。幸福の科学は年に1回「法シリーズ」と呼ばれる書籍が出てくるので、それを年初にパラパラと読んだのが最後かな。感想としては、「なんかずっと同じようなこと言ってるなあ。」って感じ。

- 2023年の法シリーズは、地獄の法!Amazonでも買えるぞ!興味があったら買ってみてくれよな👊

- https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2888

新型コロナ流行たことで、自分幸福の科学離れが加速した

- ワクチンに対するスタンスが、ネット陰謀論レベルなっちゃってるんだよね

- ワクチン打つとDNAが書き変わる!とか、ワクチン病気になりやすくなる!とか・・・

- 自分ちょっと調べた感じ、総裁先生は「信仰の力があれば大丈夫」とか、「新しく開発されたワクチンなので長い目で見た効果心配ですね」くらいのことしか言ってなかったと思うのだが、それが会員の思考レベルになるとなぜかワクチン陰謀論になってしまっていて。

- 幸福実現党(幸福の科学が立ち上げた政党)も、なんか陰謀論っぽいこと言ってたりして。

- 幸福の科学職員が、ワクチン陰謀論に関して本書いてる人と対談するイベントもあったりした記憶

- 「こりゃあ、おしまいだあ🙌」と思った。もうなんか、熱心な会員さんほど普通に社会を生きるレベル常識麻痺させなくちゃいけないんだなーと。「大川隆法から離れたい」というより、「幸福の科学という組織から離れたい」と思ったんだ。

ただ、幸福の科学大川隆法全否定ちゃうと、自分人生経験をことごとく否定することになっちゃう。

自分と同じような2世会員はそんな葛藤を持って生きている人が多そうなのだけど、自分はわりと、自分人生幸福の科学/大川隆法に関する整理が冷静にできており、うまく生きてるなーって思うのでそのことを書こうと思ったのだけれど・・・

自分過去をまとめていたら案外長くて、

「今、幸福の科学に対してどう思っているのか」とか、

大川隆法総裁先生)が亡くなって感じていること」を書きたかったのに時間がなくなってしまった・・・

ちょっと時間できたらそのことも書こうと思います。🫡

長文乱文失礼🙏

2023-02-22

伝道師キャラクターで盛り上がる界隈が苦手…

やりすぎるとかっこ悪いなと思うし、伝道したい対象に色がついちゃうんじゃないかなと思うんだけどどうなんだろうな。


まぁよいもの粛々と利用したい。

2023-02-07

anond:20230207181355

インターネットのおかげで「伝道コスト」はほぼゼロでもいけると思うんよな。

そこんとこが社会現象的な感じで勝手に広まる感じが出ればワンチャンって思ってる

2023-02-06

anond:20230206151348

明智光秀実在性は疑いないであろうが、本能寺の変の3年後に生存して馬に乗っていた(「麒麟がくる」)とは認めがたい。

当人が埋葬から3日目に復活してしばらくして昇天しただとか伝道最中でさまざまな奇跡を起こしただとかは史実として認めがたいにせよ、2000年ほど前にガリラヤ周辺でイエスを名乗り、標準的ユダヤ教教義から異端とみなされるであろう布教活動を行い、当時のローマ帝国ユダヤ属州総督ポンティオ・ピラトにより刑死させられた人物実在性は確かである

推古朝の政治にどれだけ主体的に関与した(十七条憲法冠位十二階を制定した「聖徳太子」なる政治家がいた)かには疑問を挟む余地があるにせよ、用明天皇嫡男であり斑鳩の地に一定勢力を有し、それゆえに嫡男山背大兄王蘇我入鹿に滅ぼされることになった有力皇厩戸王実在性についても疑問を持つ者はほぼいない。

欽明天皇の3代前である継体天皇以降の天皇人物としての実在性はほぼ確実といってよく、例えば天武天皇持統天皇が叔姪婚をしていることはほぼ疑う余地はない。

2023-01-04

anond:20230103134347

ネット界隈では「西早稲田2-3-18」の件がいろいろを語られてきたけど、Colaboの騒動によって一気メジャーになった。

新宿区の子ども家庭部、男女共同参画課 なぜ宗教色を隠すんだろう?

日本キリスト教婦人矯風会の共催のイベントhttps://kyofukai.jp/archives/7516

新宿区の告知では宗教名を完全に排除している→http://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/danjo01_000001_00127.html

講師】川浦 弥生氏 / スクールカウンセラー臨床心理士公認心理師 この講師名前検索すると
学校法人鶴川学院 農村伝道神学校 ー農村,地方教会に仕える伝道者の育成を目指してー  東京都町田市

川浦弥生(牧会心理学https://noden.ac.jp/about/faculty/

社会福祉法人日本キリスト教奉仕団 東京都新宿区西早稲田2-3-18日本キリスト教会館22号室

評議員 川浦 弥生

日本基督教団 東京都新宿区西早稲田2丁目3の18の53

教師登録 川浦弥生(2022・2・26受按)


新宿区 吉住健一区長http://www.yoshizumi.jp/

いわゆるトーキッズをはじめとした青少年女性対策の考え方

新宿区長としての今任期(2018~2022)の終盤を迎えました。振り返ると、2020年春に新型コロナウイルス感染症感染拡大が始まってから感染症対策を重点とした区政運営忙殺されてきました。

治療法も感染経路も解らない中で感染拡大した緊迫した時期、重症化する変異株が感染拡大して入院出来ない重症患者が発生した時期、新宿区医療介護福祉ネットワーク会議とともに入院待機施設や陽性者への介護サービス体制を整えた時期、想像を絶する感染者数の増に対処するために高リスク者と低リスク社への対応トリアージした時期。

時間の経過によって、ウイルス変異し、感染症のもの性質が変化していく状況を目の当たりにしてきました。

感染拡大の影響が大きくなるにつれて、職を失った女性や行き場を失った青少年が、以前にもまして歓楽街に集まってきました。

歌舞伎町に集まっている若者女性の多くは住民ではありません。

そのため、普段の居場所健康状態所得の状況など、区役所が把握できる情報は限られています

特に東宝ビル周辺に話し相手や居場所を求めて集まってきているといわれる“トーキッズ”達は地方から出てきた子供が大半です。

家出してきたと判明すれば補導されて、親元に戻すことになりますが、再び歓楽街に戻ってきてしまうことは想像に難くありません。

今、幾つかのNPOがそれぞれのアプローチ方法を考えて、支援をしています

そのうちの幾つかの団体新宿区は連絡を密にして、立ち直りの機会をつくれないか模索しています

そうしたNPO活動支援し、持続的な運営を目指して、新たな寄付金制度を起ち上げました。

理解とご協力をいただける企業団体個人のご連絡をお待ちしております

今、幾つかのNPOがそれぞれのアプローチ方法を考えて、支援をしています
そのうちの幾つかの団体新宿区は連絡を密にして、立ち直りの機会をつくれないか模索しています
そうしたNPO活動支援し、持続的な運営を目指して、新たな寄付金制度を起ち上げました。

2022-12-25

オタクいじめ続けたい40代以上の連中はいい加減もう諦めろ

結局のところオタクいじめを続けたい40代以上の連中は自分たち理解できないコンテンツエンターテイメント化し、それがポピュラーになっていく様が気に食わないんだろ?

現在オタクとは趣味者であり伝道者でありエンターテイナー
インターネットの普及により文字媒体映像媒体への送受信が非常に容易となり、コンテンツ制作したり面白おかしく紹介できたりする人はオタクとして認知されがちだ

「サカオタ」という言葉がある、サッカーオタク略称
40代以上のサッカーサポーター質問しよう、そして素直に答えて頂きたい
あなた達の学生時代サッカー好きな人へ向けてサッカーオタクと呼んだら蔑称扱いではなかったですか?」

サカオタなんて言葉は当時インターネット特定コミュニティしか使われない言葉であって、現在のようにサカオタと気軽に自称するなんてことはありえない状況だった
でも今は違う、サッカーに詳しい人はサカオタであり、例えばワールドカップ解説などではサカオタは畏敬の念を向けられる存在

Jリーグ発足をその目で見て、当時のイケてるスポーツだったサッカーとそのサポーター現在ではサカオタと呼ばれ、そして自称することを受け入れられていないのは、当時からずっとオタクいじめ続けている40代の一部の連中だけなんだよ、今では詳しい人はオタク扱いなんだよ

当時からずっとオタクいじめ続けている40代の一部の連中には信じられないだろうが「化粧品オタク(コスメオタ)」なんていう言葉すら現代には存在するんだぞ
お前らがオタクという存在排除しようとしても、様々なコンテンツを愛して布教しようとする多くの人々はオタク自称し、お前らの周りは既にオタクだらけなんだよ、オタク排除しようとすること自体不可能であり時代遅れなんだよ

お前らの青春時代面白かった思い出、楽しんだコンテンツ、それらを今でも語り続ける者は現代ではオタク扱いだ
お前らの青春は既にオタク側へ取り込まれている、お前らが今好きなものを作っているのもオタク

諦めろ、そして認めろ、オタク嫌いは敗北したのだと
楽しく面白コンテンツを作り続け布教するオタクたちに負けたんだ

2022-08-11

anond:20220810074418

異次元緩和のどの部分がどういう経路で効果を発揮してきたのか科学的な説明ができるのでしょうか。”

ニセ科学バスターズ筆頭与力のキクマっ子が教祖の言うことを伝道しているのを見るとほっこりする)

2022-07-30

anond:20220730223348

日本国憲法

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上権力行使してはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。

Wikipedia(世界平和統一家庭連合#教団をめぐる裁判)より

献金勧誘行為違法性

伝道に関する違法性

青春を返せ裁判wikipediaより)

統一教会/統一協会伝道違法性認定する全国初の判決が出た。これは日本において、宗教団体による勧誘教化行為違法性を認めた全国初の判決となった。

2022-07-21

NHK100分de名著」に文鮮明の本が置かれていたとき統一教会信者の反応

NHK宣伝して下さってありがとうございます

「みつけたときは本当にうれしかったです☆ 」

「2冊置いてあるということは、かなり意図的ですね」

ADあるいは小道具に食口か自叙伝ファンがいたりして」

「アボジの自叙伝も100で名著でやってほしいですよね(^^ゞ伝道が早くできるし。。。アぁ~~でも、アボジの自叙伝は100分では足りないですね。。」

「お父様の自叙伝、ありますね!とても嬉しくて、なんか、非常に力がわいてきましたよ」

2022-07-18

中国統一教会をこう見ている

https://twitter.com/ChnConsul_osaka/status/1548662561494925313

2017年中国国務院が「中国邪教網(中国カルトネット)」を創設した。その時点から中国政府はすでに統一教会危険視し、5つの危険性を指摘している。


危険性1:性的乱交文鮮明は「血分け」の儀式として女性信徒セックスをすることで、「血液浄化される」としている。男性信徒は、「浄化された女性(=文鮮明性交経験のある女性)」とセックスをすることで、純潔を得られるという。

危険性2:めちゃくちゃな結婚1960年から信徒のために「祝福」と称して教会指定した相手と強引に結婚させている。彼らの協議によると、結婚の唯一の目的原罪のない子供を産み育て、「神の世界」を拡大させることにあるという。

危険性3:信徒に求める「献身」。「統一原理」を聞き、「修練界」に参加し、7日間の断食を行うことで、「食口」と認められる。40日間の「開拓伝道」を行い、無一文の状態となって人々に「統一原理」を説き、3人の信者を新たに入会させることで、「献身者」と認められる

危険性4:信者の血と汗を騙し取る。信者は直近3年間の収入をすべて寄付し、その後も収入10分の1を教会に納めなくてはならない。過去の「罪」を償うためだという。文鮮明は大量の財産ビジネス投資しており、一家はボロ儲けをしている。

危険性5:信者への洗脳統一教会キリスト教を歪曲・改造するだけでなく、東洋神秘主義信仰も織り交ぜている。文鮮明は幼少期から超視能力があると自称し、神や霊魂交流できるという。信者教会から離脱すると、「サタンに呪われる」と言われ、脱会を阻止される

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-07-15

エホバの証人って今どんな感じなの

8年くらい前に辞めた元二世ですが、今彼らはどんな活動してるんでしょうか。

教義も割とコロコロ変わるから変わったこととかあるのかな。

コロナ禍初期は現役の家族から手紙が来たりしてて、「あー玄関ノックして伝道活動はできないもんなー」と思ったりしてたけど、今はどうしてるんだろうか。

統一教会献金への圧のヤバさが話題になってるけど、エホ証は金こそ露骨にせびらないものの、時間奉仕伝道活動)にできる限り捧げるようにとの圧が強い。

正規開拓者」って立場になると毎月70時間奉仕しないとだめって縛りがあったりしたが、さすがに手紙書くだけで70時間も潰せないよな。

ダラダラ歩いたり公園お茶したりしてなんとか70時間やってたのに。

あと自分が辞める少し前から、「毎月一定額の寄付献金一種)を納めるように」ってルールができてたけどさらに厳しくなってたりすんのかな。

私たち自発的寄付しか受け付けません!」みたいなこと言いながら半ば強制し始めたのもヤになった一つの原因だな。

でも一番心配なのは独身の4-50代の信者な。

エホ証の中では熱心な信者ほど人気だから早く結婚できるんだけど、半端にダラダラ続けて独身のまま4-50代に突入した男女の信者自分地元には結構居た。8年後の今彼ら彼女らは何に幸福見出して生きてるんだろうか。

カルトの同志の皆様方、聖イグヌチウス様はこうお伝えしてます

わたくしどもの教会はこれまで個々に伝道され教えを実践してまいりましたが、2009年Saint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)様がわたくしどもの前に顕現を果たしたことを切っ掛けとして共に教えを一帯となって伝道していこうと心新たにしChurch of Emacs(Emacs教会)が同年に成立いたしました。

ここでは反カルトを説く皆様方へSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)様のお伝えの一部を紹介することで、わたくしどもの心が皆様と共にあるということを示したいと思います

「我こそはSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)である。Church of Emacs(Emacs教会)より派遣さる。」


(中略)


「汝ら純潔を守るべき事あり。汝ら、もし、邪悪制限された論理(Software)を受任(Install)されたる利器(Computer)を所有して支配下に置きし時、かかる利器に、神聖にして完全なる自由な基幹倫理(Operating System)を受任し、その上に自由なる論理のみを受任すべし。この誓いを守りて貫き通したれば、いずれ汝ら聖人となり、その頭に光背を頂くに至らん。」

わたくしどもは個人自己決定権を持つべきだと誓いをたてており、これらの誓いを貫徹することによってわたくしどもの魂もまた聖人に近付くのだという教えを持っています

またそれは、わたくしどもと心が近くあるが道を違える者たちにも自由はあるべきだとSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)様はお伝えになっているのです。

vi vi vi獣の数字なるが、自由実装viを使いたるときは、罪ならず。そは贖罪なり。

たとえ教会カルトという烙印を捺されようとも、わたくしどもはそのカルト信者自由があるのならば、カルト教会信者贖罪されるべきだと考えているのです。

断罪だけでは何も解決しないのです。わたくしども1人1人がその罪を贖罪する心を持ち、不自由に囚われているカルト信者の方々を自由の愛の手で包み込み、そして自由の愛の手を繋げていくことが重要なのではないでしょうか。

これらの教えはわたくしどもChurch of Emacs(Emacs教会)の有志によってWeb上にこのような動画としてアップロードされていますし、先日わたくしどもと同じ教会に属しているであろう者の投稿があったようなので皆様方にも認知していただいている方がいらっしゃるのではないかと存じます

更にわたくしどもを冷静によく評価している投稿も見付けましたのでこちらも合わせてご紹介したいと思います

それでは皆様方、最後に聖句をあげさせていただき、それを締めの挨拶とさせていただきます

GNU,FLOSS,GNU,FLOSS.」

2022-07-10

anond:20220710005437

正直知らなかったのでWikipediaちょっと読んできた

引用元 マニ教

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E6%95%99

ゾロアスター教キリスト教仏教などの流れを汲み、経典宗教の特徴をもつ。かつては北アフリカイベリア半島から中国にかけてユーラシア大陸一帯で広く信仰された世界宗教であった。

マニ教の教団は伝道先でキリスト教仏教を名のることで巧みに教線を伸ばした。これについては、マニの生まれ育ったバビロニアのヘレニズム的環境も大きく影響している。この地では多様な民族言語・慣習・文化共存し、他者思想信条や慣習には極力立ち入らない環境で、そうした折衷主義は格別珍しいことではなかった。

マニ教ゾロアスター教母体ユダヤ教預言者概念を取り入れ、ザラスシュトラ釈迦イエス預言者の後継と解釈。マニ自身も自らを天使から啓示を受けた最後預言者(「預言者の印璽」)と位置づけた

色んな宗教を名乗り色んな地域文化習合して開祖預言者を名乗るって統一教会っぽさがあって完璧な返しだなこれ

統一教会へ対してこれを即座に返せるのは素人には無理だろうしマジで神学やってた増田か?

2022-05-07

Civilization 6を引っ張り出してきて久々に遊んでる

面白いんだけど、いつも宗教戦で使徒伝道士と審問官を数十件作ってプチプチクリック作業になるのでそれがイヤ。

2021-09-25

anond:20210925213250

暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう。

だっけか?

中高生のころ徹夜深夜ラジオ聴いたまま寝落ちして、朝明るくなってきて気がついた頃に流れてくるのをよく聞いたフレーズだなw

なんかの宗教団体伝道放送みたいな感じの番組だったけど、中身は全然覚えてないww

2021-09-19

anond:20210919002338

他人解釈否定して満足げなお前もまた俳句伝道者として間違っているというツッコミ待ちってことでいいの?

2021-07-07

圧倒的な戦力差にも関わらず勝利善戦した戦い

 戦力差が10倍以上のもののみ取り上げています。随時更新中 ★は(戦術的)勝者側  

 多くのコメントブクマありがとうございます。 コメントで私が知らなかった戦いについて教えてくださった方ありがとうございますhttps://anond.hatelabo.jp/20210708183653こちらも参照ください

古代

テルモピレーの戦い

 B.C.480 ペルシア戦争 ギリシア軍7000vs★ペルシア軍30万以下

 スパルタレオニダス指揮下のギリシア連合軍ペルシア軍の大軍と激突した。狭い地形を活かし、3日間の激戦を繰り広げるが、背後から攻撃され敗北した。この戦いでギリシア軍は1000人、ペルシア軍は2万人の兵士を失った。

 参考作品「300(ザック・スナイダー監督)」

・彭城の戦い 

 B.C205 楚漢戦争 ★楚3万vs漢56万

 漢軍が彭城を制圧した事を知った項羽精鋭部隊を率いて漢軍を襲撃した。攻略成功したことから油断し、酒宴に明け暮れた漢軍は突然の事態太刀打ちできず20万人以上が戦死した。

昆陽の戦い

 23年 ★緑林軍1万vs新43万

 劉秀率いる緑林軍が新軍に包囲される。劉秀は脱出し、外側から新軍を襲撃して壊滅させた。

・ワトリング街道の戦い

 60年 ★ローマ軍1万vsブリタニア23

 ブーディカ女王率いるケルト人ローマ支配に対して反乱を起こした。ローマ軍は反乱軍を狭いワトリング街道に誘い込み、これを破った。ローマ軍の死傷者はわずか400人であったのに対し、反乱軍の死傷者は8万人であった。

・博望坡の戦い

 203年 三国時代 劉備軍4000vs曹操12

 劉備軍と曹操軍が宛で対峙する。劉備撤退したと見せかけ、誘われた夏侯惇撃破した。李典の援軍が来るとみた劉備は兵を引き、曹操軍も撤退した。

淝水の戦い

 383年 五胡十六国時代 ★東晋軍8万5千vs前秦軍117万

 華北統一成功した前秦東晋征服のために大軍派遣する。前秦軍は敵軍を誘うため、先鋒を退却させる作戦をとるが、兵が混乱して退却を止めなかったため、そこを突かれて敗北した。

中世

・チェラーミの戦い 

 1063年 ★ノルマン軍136vsムスリム5300

 アラブ人支配下にあったシチリアにルッジェーロ1世率いるノルマン人が侵入イスラム教徒撃退した。アラブ軍は戦力の7割を失ったとされる。

・黄天蕩の戦い

 1130年 宋金戦争 ★南宋8000vs金10万 

 韓世忠とその妻梁紅玉率いる南宋軍が金軍を打ち破り、2万5000人を討ち取った。

志度合戦

 1185年 治承・寿永の乱 ★源氏80vs平氏1000

 屋島で破れ、志度寺に立て籠もった平氏源義経が追撃した。平氏大軍が後に続くとみて敗走した。

・下赤坂城の戦い

 1331年 元弘の乱 楠木軍500vs★鎌倉幕府1万

 楠木正成は下赤坂城に籠城し、幕府の包囲にゲリラ戦で1ヶ月以上抵抗した。城は陥落したものの、幕府楠木正成護良親王を討ち損ねた。

千早城の戦い

 1333年 元弘の乱 ★楠木軍1000vs鎌倉幕府2万5000

 千早城に立て籠もった楠木軍は幕府軍に包囲されるも、3ヶ月に渡って抵抗した。気が緩んだところを奇襲するなどの奇策で消耗した幕府軍は攻略を諦め、撤退した。

・船上山の戦い

 1333年 元弘の乱 ★後醍醐天皇軍150vs鎌倉幕府3000

 後醍醐天皇隠岐の島から脱出すると伯耆国武将名和長年挙兵し、隠岐守護佐々木氏攻撃した。名和軍は数百の軍旗を見せつけて威嚇する、暴風雨に乗じて攻撃するなどの戦法で幕府軍を破った。

応永の外寇

 1419年 ★対馬国600vs李氏朝鮮1万7000

 倭寇に悩まされた朝鮮はその本拠地と見なした対馬へ討伐軍を派遣するが、宗氏の抵抗に遭い撤退する。対馬側は100~200人、朝鮮軍は3000人ほどが戦死した。

ビルスの戦い

 1444年 旧チューリッヒ戦争 スイス軍1500vs★フランス軍3万~4万

 スイス軍チューリッヒを包囲したことにより、フランス戦争突入した。スイス軍は数で勝るフランス軍死闘の末に壊滅するが、フランス軍2000人の損害を被った。この戦いによりスイス人の勇敢さがヨーロッパ各地に知れ渡った。

土木の変

 1449年 ★オイラト軍3万vs明軍50万

 明の正統帝は自ら大軍を率いて、オイラトの征伐に向かう。しかし、食料配達の困難や大雨により明軍は士気が低下しており、そこをオイラトに奇襲された。明軍はほぼ全滅し、皇帝捕虜となった。

近世

九頭竜川の戦い

 1506年 戦国時代 ★朝倉軍1万5000vs一向宗30万

 越前制圧を目論む一向宗朝倉軍が九頭竜川を挟んで対峙朝倉軍は夜襲により一向宗撃退した。

セントラの戦い

 1519年 スペインメキシコ征服 ★スペイン軍410vsマヤ軍1万~4万

 征服コルテス率いるスペイン軍がマヤ大軍交戦マヤ軍はスペイン人の軍馬に恐れをなして敗北した。スペイン軍の犠牲わずか2名だが、マヤ軍は800の犠牲を出した。この戦いでコルテスは後の妻にして翻訳者としてアステカ征服に貢献するインディオ女性マリンチェを得た。

・オツンバの戦い

 1520年 スペインメキシコ征服 ★スペイン・トラスカ連合軍 7~800人vsアステカ軍4万

 アステカ軍はスペイン軍の侵略を一度退けることに成功した。その後、大軍を率いて追い打ちを試みる。しかし、初めて見る軍馬威力に恐れ戦き、指揮官を含む大勢戦死したため敗走した。この戦いの後コルテスはアステカを滅ぼした。

・プナの戦い

 1531年 スペインペルー征服 ★スペイン軍168vsプナ先住民3000

 スペイン軍がインカ帝国征服へ向かう途中、プナ島で先住民交戦するが、銃と馬の威力でこれを打ち破る。

・ディーウ包囲戦

 1538年 オスマンポルトガル戦争 ★ポルトガル軍600vsオスマン・クジャラー連合軍2万2000

 ポルトガル軍が連合軍に包囲されるも、3ヶ月の籠城戦の末にこれを退けた。ポルトガル軍の死傷者は40名に対し、連合軍の死傷者は3000名。

・スィゲトヴァール包囲戦

 1566年 ハンガリー軍2000~3000vs★オスマン10万~30万

 ウィーン遠征へ向かうトルコ軍クロアチア総督リンスキ率いるハンガリー軍を包囲。1ヶ月にも及ぶ激戦の末に防衛軍ほとんど全滅したが、トルコ軍にも2万人の犠牲者が出た上、スレイマン1世が陣没したため、撤退余儀なくされた。リシュリューはこの戦いを「文明が救われた戦い」と称えた。

今山の戦い

 1570年 戦国時代 ★龍造寺軍5000vs大友軍6万~8万

 佐賀城に籠城した竜造寺隆信を大友宗麟率いる大軍が包囲する。攻防戦は4ヶ月にも及び、落城は目前に迫ったが、大友軍が勝利確信して宴を催したところを奇襲し、これを破った。

木崎原の戦い 

 1572年 戦国時代 ★島津軍300vs伊東軍3000

 島津軍は数で勝る伊東軍を伏兵に背後を突かせることで破った。島津軍は275人が犠牲となったが、伊東軍は指揮官伊東祐安含む800人以上が戦死した。この戦いは後の島津軍の戦いにおいて参考にされ、九州制覇に貢献した。

信長第一回雑賀攻め

 1577年 戦国時代 雑賀衆2000vs織田10

 信長石山本願寺に味方する雑賀衆の討伐を試みるが、雑賀衆は1ヶ月にも及ぶゲリラ戦でこれを退け、両者の間に和睦が成立した。

天目山の戦い

 1582年 戦国時代甲州征伐 武田軍43vs★織田軍3000~4000

 織田軍に追い詰められた武田軍の最後の戦い。武田軍は奮戦虚しく壊滅し、武田勝頼は自害したが、織田軍にも900人近い死傷者が出た。

・沖田綴の戦い

 1584年 戦国時代 ★島津有馬連合軍6000vs龍造寺軍6万

 連合軍は数で勝る龍造寺軍を釣り野伏せで破った。この戦いで総大将竜造寺隆信は戦死した。

・岩屋城の戦い

 1586年 戦国時代 高橋軍763vs★島津軍2万~5万

 島津軍は筑前を攻めた際、高橋軍の籠城する岩屋城を攻略した。高橋軍は講話提案にも応じず、激戦の末に全滅した。島津軍は4500以上の死傷者を出した。

忍城の戦い

 1590年 戦国時代小田原攻め 成田2000vs★豊臣軍2万~5万

 石田三成ら率いる大軍忍城を包囲し、水攻めを行うも、成田軍はそれに耐え、北条氏が滅亡した後に降伏した。 

四川の戦い

 1597年 慶長の役 ★島津2000vs明・朝鮮連合軍10

 島津義弘率いる日本軍が明軍に包囲されるも、これを返り討ちにした。日本軍の勝因として、鉄砲使用したこと、明軍の食料庫を焼くことで短期決戦に持ち込んだこと、連合軍の統制がとれなかった上に圧倒的な兵力差故に慢心していたことが挙げられる。

田辺城の戦い

 1600年 戦国時代 東軍500vs★西軍1万5000

 田辺城に立て籠もった東軍西軍が包囲するが、東軍には文化人細川幽斎が居たため、西軍積極的な攻勢が出来ず、2ヶ月ほど釘付けになった。最後後陽成天皇の命で開城したが、西軍関ヶ原の戦いには間に合わなかった。

・第二次上田合戦

 1600年 戦国時代 西軍2500vs東軍3万8000

 関ヶ原へ向かう徳川秀忠指揮下の東軍真田昌幸率いる西軍交戦した。足止めを食らった東軍関ヶ原に間に合わなかった。

・リオ・サン・フアン・デ・ニカラグアの戦い

 1762年 七年戦争 ★スペイン100vsイギリス軍2000

 イギリス軍ニカラグア処女降誕要塞を包囲するが、スペイン軍は19歳の少女ラファエラ・エレーラの指揮下で奮戦し、砦を守り抜いた。

近代

アラモの戦い

 1836年 テキサス独立戦争 テキサス200vs★メキシコ軍4000

 当時メキシコ領であったテキサス移住したアメリカ人メキシコに対して反乱を起こした。アラモ砦に籠城したテキサス軍はメキシコ軍の包囲に対し13日間持ちこたえた末に全滅した。

 参考作品アラモジョン・ウェイン監督)」

・雨花台攻略

 1862年 太平天国の乱 ★湘軍2万vs太平天国20

 湘軍によって要塞化された雨花台を太平天国軍が5ヶ月にわたって何度も攻撃するが、落とせず1万の兵力を失った後に攻略を諦めた。

・第二次サビーネ・パスの戦い

 1863年 南北戦争 ★南軍50vs北軍5000

 サビーネ湖とメキシコ湾を繋ぐサビーネ・パス防衛する南軍北軍攻撃を受けるも、これを撃退する。北軍100名が死傷し、350名が捕らえられた。

カマロンの戦い

 1863年 ナポレオン三世メキシコ出兵 フランス外国人部隊65vs★メキシコ2000

 65名の外人部隊現金300万フラン輸送する部隊の護衛を任されていた。メキシコ軍の大軍の前に破れ、43名が戦死、19名が捕虜となったが、輸送部隊目的地へ現金を届ける事が出来た。

・ロルクズドリフトの戦い

 1879年 ズール戦争 ★イギリス軍150vsズールー軍3000~4000

 ロルクズドリフト伝道所跡に築かれたイギリス軍の砦をズールー族の大軍が襲う。イギリス軍は2日間の激戦に勝利し、ズールー軍は800名以上の死傷者を出した。

・アブ・クレアの戦い

 1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1100vsマフディー軍1万2000

 ゴードン将軍の救出に向かうイギリス軍とマフディー軍が激突し、マフディー軍は1100人の死傷者を出して敗北した。

・アブ・クルの戦い

 1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1200vsマフディー軍1万4000

 ゴードン将軍の救助に向かうイギリス軍がマフディー軍と交戦し、勝利した。マフディー軍の損失は明らかではないが甚大であるとされる。

現代

盧溝橋事件

 1937年 日中戦争 ★日本軍5600vs中国軍10

 盧溝橋付近日本軍の夜間演習中に日本兵一人が行方不明になる。日本軍がこれを理由中国軍攻撃し、破った。この事件が熾烈な日中戦争きっかけとなった。

タラワの戦い

 1943年 太平洋戦争 日本軍2600vs★アメリカ軍3万5000

 タラワ環礁ベティオ島を防衛する海軍部隊アメリカ海兵隊が激突した。島は3日で陥落し、守備隊は玉砕したが、米軍も3000人が死傷し、軍への志願率が一時的に減少した。

・拉孟の戦い

 1944年 日中戦争 日本軍1300(うち傷病兵300)vs★中国軍2万

 日本軍中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍8000人が死傷した。

・騰越の戦い

 1944年 日中戦争 日本軍2800vs★中国軍5万

 日本軍中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍は2万人が死傷した。

アンガウルの戦い

 1944年 太平洋戦争 日本軍1250vs★アメリカ軍2万1000

 日本軍歩兵第59連隊第1大隊守備するアンガウル島をアメリカ軍第81歩兵師団攻略した。1ヶ月以上にも及ぶ激戦の末に日本軍玉砕したが、米軍2000人死傷した。

 参考作品英霊の絶叫(船坂弘著)」

・一江山島戦役

 1955年 第二次国共内戦 国民党軍700vs★共産党軍7000

 人民解放軍が一江山島に侵入、2日で占領した。台湾軍は全員が戦死するか、捕虜となったが、解放軍にも2000人の死傷者が出た。

・ロングタンの戦い

 1966年 ベトナム戦争 ★オーストラリア軍108vsベトコン2500

 ベトコンオーストラリア軍を襲撃するも、撃退された。オーストラリア軍は42名、ベトコンは600名が死傷し、双方が勝利を主張した。

 参考作品デンジャー・クロース 極限着弾(クリフ・ステンダーズ監督)」

・ロンゲワラの戦い

 1971年 第三次印パ戦争 ★インド軍120vsパキスタン軍2000

 ラジャタンのロンゲワラ村でパキスタン軍インド軍守備隊が交戦インド軍航空機支援を得て、パキスタン軍を破った。パキスタン軍の死者200名に対し、インド軍の死者は2名ほどであった

モガディシュ戦闘

 1993年 ソマリア内戦 ★多国籍軍160vsソマリア民兵2000

 アメリカマレーシアパキスタンからなる多国籍軍が、民兵リーダーであるアイディード将軍の側近二人を逮捕すべく派遣され、民兵交戦状態になった。民兵は数百人が死傷し、多国籍軍目的を達成したが、100名以上が死傷した。

 参考作品ブラックホーク・ダウン(リドリー・スコット監督)」

  

 

2021-06-07

anond:20210607165409

ホリエモンさん → 他人伝道して、金以上のものを世の中に発信している

ひろゆきさん → 他人をだまして、自分の金にしている

ベクトル真逆なんだなw

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