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2021-09-16

anond:20210915201122

バス停車場の案内音声で史跡の案内を一切しないことかと思った

2021-09-14

見て閘門

石井閘門 - 宮城県石巻市北上川にある閘門1880年(明治13年)に完成した、日本初の西洋式の本格的な閘門現在日本国内で稼動する閘門の中では最古のものであり、国の重要文化財指定されている。

脇谷閘門 - 宮城県石巻市1931年12月竣工北上川本川旧北上川間の船の通行のために、脇谷洗堰に併設された。

見沼通船堀 - 埼玉県さいたま市。見沼代用水と芝川とを結ぶ閘門運河である昭和初期以降から使用されておらず、現在さいたま市緑区にその復元された遺構が残る。1982年(昭和57年)、国の史跡指定された。

荒川ロックゲート - 東京都江戸川区小松川東京都流れる荒川旧中川を結ぶ。大震災時などの災害時に水上交通有効であることから改めて水路が見直されることになり、2005年10月に供用開始された比較的新しい閘門

扇橋閘門 - 東京都江東区猿江一丁目。1976年(昭和51年)完成。小名木川に設置されている。

中島閘門 - 富山県富山市1934年(昭和9年)8月完成。富山駅北側付近から富山湾の河口まで南北に続く、富岩(ふがん)運河中流にあるパナマ運河閘門現在運用されており、観光船が運行し往来できる(冬季運休)。国の重要文化財指定されている。

牛島閘門 - 富山県富山市中島閘門と同時着工し1934年(昭和9年)8月に同時完成。富岩運河最上流部(南端)の富岩運河環水公園(旧 船溜まり)内にあり、並行するいたち川とを結ぶ現在運用可能パナマ運河閘門。国の登録有形文化財登録されている。

松重閘門 - 愛知県名古屋市中川区堀川中川運河とを結んでいた。1968年に閉鎖され、現在閘門としては使用されていない。名古屋市有形文化財1993年(平成5年)には名古屋市都市景観重要建築物等に指定されている。

船頭平閘門 - 愛知県愛西市立田町福原木曽川長良川の間をつなぐ。1899年(明治32年)に着工、1902年(明治35年)に完成した。1994年(平成6年)にはそれまでの手動から電動への近代化改修工事が行われた。2000年(平成12年)5月には明治期に建設されて現在でも使用されている貴重な閘門であるということで重要文化財指定された。冬季を除き、木曽川上流の葛木港より観光船が運航。一般には無料での往来解放がされている。

三栖閘門 - 京都府京都市伏見区宇治川と濠川を結ぶ伏見港に1929年(昭和4年)に建設された。いまは遺構が三栖閘門資料館として開放されている。

毛馬閘門 -大阪府大阪市北区淀川旧淀川(大川)を隔てる閘門明治40年(1907年)8月に完成した旧第一閘門1976年(昭和51年)まで使用され、現在重要文化財指定されている。

尼崎閘門(尼ロック) - 兵庫県尼崎西海岸町地先。日本初のパナマ運河式。物流機能としての運河を今なお支える船舶重要玄関口となっている。

下関漁港閘門 - 山口県下関市本土彦島を隔てる小門海峡(関門海峡小瀬戸)にあるパナマ運河水門1936年の設置以来、現在も稼動中。

三池港閘門 - 福岡県大牟田市1908年(明治41年) 完成。2008年機械遺産指定2015年世界文化遺産認定された明治日本産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業構成資産の1つ。

2021-09-11

デンタルフロス性的同意年齢は似ている

子供の頃、歯医者とこんな会話をした。

私「デンタルフロスリステリンも使ったほうが委員ですか?」

歯医者「あれは子供が下手に使うと歯並びに負荷がかかるだけだから必要ないよ」

看護師もっと歯茎スカスカになってニラとか挟まるようになったら使おうね」

歯医者増田くんはまだネギとか挟まらないだろ?」

私「うん。親父はよく爪楊枝使うけどなんでだろって思う」

看護師「羨ましい~~~」

あれから何年経ったのか、私の歯にもネギは挟まるようになった。

時折褒められていた歯並びの良さは親知らずが生えてきたせいで失われ、歯はガチャガチャと立ち並び妙な隙間ができるようになっていた。

ある日史跡を綺麗にしてもらおうと歯医者に行った日にこんな会話をした。

看護師「フロス使ったほうがいいですね」

私「必要ですか?」

看護師「フロス使わないと5割しか取れないんで」

私「実質必須ということですか」

看護師「そう思ったほうがいいと思いますね」

私「リステリンとかは」

看護師「。。。変なの使うとかえって歯肉が荒れるんでまだいいです」

私「そうですか」

看護師「フロスは指に巻くタイプの方が安いけど初心者はY字の方がいいですよ」

私「そうですか」

いつからだろう。

はいからフロスを使うべきだったのだろう。

子供の頃はあれほど禁止されていた子作りが大人になるとやらないことそのもの国家反逆罪のように言われるのによく似ている。

いつからフロスが解禁され、いつからフロスを使わないことが悪になっていたのか。

2021-08-13

anond:20210811210729

史跡が多いから道の拡張(ゴミ集積場所の設置)は無理」

こういう結論があるのに文句言ってて馬鹿みたい

史跡大事にしない京都人とか馬鹿みたい

2021-07-01

共産主義って男はともかく、女にとってそれほど拒絶するような思想か?

まず、男女平等が「建前だけでも」あるってのがデカ

ソ連からこの理念は固くて、女を主体にした銅像ロシア史跡に割とあったりするんだよね

社会主義に近い北欧も女政治家が多いし

(まあ中国はアレだけどね でもセクハラ防止法とか、女共産党員増えたり、わずかに改善しつつあるんだぜ)

 

であることのプライドが(体裁だけでも)最低限保障されてる思想

「いざとなったら性奴隷にも産む機械にするぞ?ぶん殴るぞコラ」と常に男から脅される日米の弱肉強食思想

あなたはどっちを選びたい?

 

ちなみに中国では女性経営者がむしろ日本より多いという皮肉

 

 

次に、創作物主義主張モラルが国によってきちんと守られるということ

新自由主義かぶれた日本アメリカでは、貧困層女の職業売春に固定されるほど

経済的優位性を持つ男の主張、企業経済的合理性が通ってしま

 

例えば性要素を前面に出した萌えキャラ跋扈する日本

ポリコレ以前は女がBitchCuntと当たり前に呼ばれ、どんな女性歌手でも半裸でパフォーマンス

大物プロデューサー性接待してたようなアメリカ

(これの反動からか今ものすごいことになってるよね、アメリカ(笑)自業自得というか(笑)

 

当然共産主義ではそういう表現禁止されてる

中国ソシャゲでも、国内においては女性差別にあたるような露出は抑えられてるという

アメリカでは(なんと!)当たり前のように存在するネオナチグループなんて

中国で近しいの作ったらあっという間に当局に潰されんぞ(つかそうして当然だバカ)

 

そして今話題のT問題

資本主義に任せてああいった手合の自由が叫ばれてるねw

そんで案の定、「好き勝手トイレ使わせろ! あ、チンポついてま~す❤ はいトランス無罪www」

変態連中がのさばってるけど 中国ならそんな事あり得ないというね

 

まあ全女性に伝えたいのは

「本当にあなたの味方をしてくれる思想を守ろう」ということだけよ

新自由主義なんつう、名誉男性サッチャーババアのこ汚い産道からまれ思想

40年で既にガタが来てんだぜ?

それに比べりゃ、100年以上歴史ある共産主義の方が遥に持続可能性あるでしょっつうw

2021-06-10

インターネットはもう池袋の超絶雑語りをやるのをやめろ

以下元増パクリの尻馬雑学開陳です。

引用URLは無い。ネットとかTVでの池袋の扱い全般への反駁&雑語りと思ってくれい

池袋の名の由来は西口南方にある弦巻川源流の袋池から

これ嘘だから!元池袋史跡公園っていうのを豊島区がこしらえちゃってるけどこれ嘘だから

あのさ、駅周辺のこの辺が池袋になったのって日本鉄道池袋駅を開設してからの事なんだけど?

それまで池袋っていうのは東上線二駅目の下板橋駅周辺が池袋だったの。今でもこの辺は「池袋本町」って地名でこれは池袋本村、池袋村のメインの集落だった所なのよ。

「袋」っていう地名は川が湾曲してその内側の土地の事を指すのな。江戸袋とか大袋とか色々あるがみんなそう。

今は暗渠化された谷端川っていう川が屈曲しててその内側の高台池袋本町(村)。池やら沼があったんじゃないかと言われているが記録が残ってないので池が付いた理由不明だ。

そもそもこの元池袋史跡公園がある場所っていうのは昔は雑司ヶ谷村だったのな。池袋村と雑司ヶ谷村の境界は大体今の池袋駅南通路の辺り。

それなのに遥か数キロも離れた池袋村の名の由来になるはず無いだろ。豊島区は誤解の元だからあの公園撤去するか説明書書き換えろってーの。

 

余談だが山の手台地の上で井戸を7~10m程掘ると水が出てくるんだが、それって粘土関東ローム層の下に砂礫層があるから。だからこの谷端川がそれだけ谷を刻んだ下流では小石だらけになる。なので下流小石川って呼ばれて地名にもなってる。

もう一つの理由農業水利権問題

東京山の手って山あり谷ありって言われるけど、そうじゃなくて谷だけがある地形なんだな。富士山伊豆の山が噴火した火山灰が積み重なって西高東低のかなり緩い勾配のまっ平らな台地ができた。

ここに多数の小河川が切り込みを入れた地形になっている。だから尾根の部分はほぼまっ平らな訳です。これは国道246の赤坂渋谷手前とか国道254の春日池袋六差路とかを走れば判る。この二つは尾根道の街道車道化したものでとにかくまっ平ら。

因みに上野赤羽等の線で台地がきっぱり切れ落ちて下町になってるのは海進時にそこからが海だったから。

というか、台地もっと東に伸びていたが波に削られて海食崖が後退したと考える方が自然上野赤羽って京浜東北線に乗れば判るが崖が真っすぐでしょう?これって海食崖の特徴ですわ。

あと、陸地が角になっている所って波の入射方向、角の先に真っすぐな海岸線が延長されるように砂嘴砂州が出来るけど、上野赤羽の角地形の先には砂嘴痕跡がありますよ。上野場合根岸砂州というのがあり微高地になっていてこの上に日光街道千住宿が作られていた。赤羽の方は名前不詳なれど川口戸田の喜沢の辺りに筋状の微高地がある。

 

脱線したがこういう地形だから山の手ではまっ平らな尾根部分では水を引けない。だから水田は出来ない。水利は限られたもので貴重だった。

農村である雑司ヶ谷村の水源だけ池袋村に属してる訳無いし(トラブルの元だ)、遥か離れた他村の水源地の名前に因んで池袋村名が決まる訳ないやろ。

から駅周辺が池袋になったのは駅が出来て以後の事なのだ。因みに古典落語でも池袋結構出てくるんだけど、当然それは下板橋駅周辺の事ですよ。

WEロードという汚いガードが池袋駅の設置場所を決定した

駅にはそこに至る道路があるのが当たり前。でもそれは今の事であって日本鉄道って鉄道官営鉄道1本しか無い時代鉄道を敷いた道なき道を行くパイオニアだった訳。だから日本鉄道側が既存街道に面して駅を作らなきゃいけない。

でも江戸時代には道路というのは軍事施設でもあった。だから数少ない街道以外は道らしきものはない。勝手に道を普請して罰せられたケースは数多くあり、その殆ど死刑だった。

それで、品川線(現山手線赤羽線)から新規開業する土浦線(現常磐線 当初の始発駅は田端)に繋げたい日本鉄道目白分岐としたかったが、雑司ヶ谷村に難色を示され更に巣鴨村に建設予定の近代監獄巣鴨拘置所、現サンシャイン)に重なると政府ダメ出しされてしまう。

そこで目白北側のまっ平らな辺りで分岐する事にした。ここまではよく説明される事だ。

問題はここからで、雑木林しかない、集落すらない場所乗客が駅に来れる様にするにはどうすればよいか

中山道板橋宿平尾追分から川越街道(現首都高中央環状線JCT大山サンロードハッピーロード)が分岐し、そこから直ぐに分岐して雑司ヶ谷を抜けて早稲田に至る雑司ヶ谷道という道があった。これは金井窪~ローソンストア100池袋本町1丁目店を右折して平和通り~WEロード明治通り鬼子母神電停前~と続く現存する道だ。

この道と日本鉄道線路が交わる所は踏切になっていた。駅を設置するならここしか無い。他に適当街道に接近するところがないからね。

って事で今のP'パルコ左側に駅が作られることになったのだ。WEロード正式名称雑司が谷隧道だ。線路が増えすぎて踏切では危ないのでガードになったのだな。

Wikipedia池袋駅の項には日本鉄道時代の駅の写真が貼られている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E8%A2%8B%E9%A7%85#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ikebukuro_Station_in_Meiji_era.JPG

これはWEロード前身踏切から撮られたもんだ。場所はP’パルコの裏手。

なのでこの汚いガード(の前身踏切)は池袋の全ての始まりなんであるのよ。

埼玉植民地化と洋菓子店タカセ

サンシャイン前身巣鴨プリズンで有名だがそれは東京裁判が決する迄の一時期で、東京拘置所だった。

東京拘置所を小菅移転して跡地の再開発の話になった時に周囲の地権者縁故者を集めて合意形成の場が開かれることになった。

ここで特に問題になったのが池袋駅直通地下街の建造で、強硬な反対派が居てその筆頭が東口洋菓子店タカセだった。当時タカセ小売店の有力な顔役だった。地下道ができたら当然人の流れは変わり地面店は売上激減する。

その為に駅直結地下道の話は流れてしまい。東急ハンズからの短い地下道東池袋駅アクセスルートとなる中途半端な形になってしまった。

この地下道建設流れで当時タカセ地元での評判はかなり低下したらしい。

しかしその後の埼玉植民地化=池袋駅~ハンズ学生向けの店舗の隆盛を見れば反対して正解だったとしか思えない。通路を兼ねた地下街なんてどうせ碌な集客力がない。そもそもハンズ前の道には丸の内線が埋まっているか地下街の幅は取れないんである

なので学生向け店舗経営者は出退勤の途上に今はやや寂れた感のあるタカセ前で一礼すべきである。若年向けのP’パルコだって地下道があったら出来てなかっただろう。P' のテナント一同もタカセ参りはすべきである

西武百貨店搬入口だけの為の信号機不思議

ここなんだけど、池袋行く人でここのおかしさに気づく人ってどれだけいるだろう?

https://goo.gl/maps/UQN2f86tQk8xXQPv5

逆を向いてほしい。西武搬入口だけがある。なのに信号機管制されている。何故だろうか?

そのわけは南のびっくりガードの途中にある。

https://goo.gl/maps/BR5VUwN7iYPUv5Zx5

ここから入るとJR線路と西武線の間の空き地に出る(入っちゃダメよ)。実は当初のびっくりガードはここを上がってから西武線を踏切で渡って明治通りに出るというルートだった。

この坂の上はJR用地で昔は国鉄貨物駅だった。つまり初代びっくりガードは国鉄をガードで潜って直角に折れて急坂を上り国鉄貨物駅の中を通り西武線を踏切で渡る。そして出てきた先がさっきの搬入口前の交叉点だったって訳。

 

現在中央東口っていうのは元は西武線の改札だった所で、西武運営するデパート武蔵野デパートエルメスがあるあたりにちょこんとあった。

西武はこれを増床したい。そこで改札の上にデパートを作った。

しかし当時の西武社長貪欲堤康次郎堤義明もっともっと増床だ!でも駅が邪魔だ!ならば線路を縮めて駅を向こうに追っ払えばいいじゃん。

という事で駅をずらすのに邪魔踏切廃止。その代わりに国鉄ガードの延長にガードを作った。そして踏切跡はデパート搬入口に転用

井の頭線渋谷駅や世田谷線三軒茶屋駅とか、商業ビル建てるために駅をその向こうに追いやって客はその分歩けっていう工事するのがあるじゃないすか。あれムカつきますよね。

あれを最初にやったのが西武って事ですわ。

こういう訳で「西武デパート搬入口だけの為に信号がある」状態が生まれた。一見それに見えなかったものトマソンである事を発見するとその由来が見えてくるって事ですわ。そしてびっくりガードなんて間抜け名前公的使用されてる事の方がびっくりだわ。

池袋 古いビルが多い

昭和29年地下鉄丸の内線が開通することになりそれに合わせて建築されたビル結構残っている。LABI建物代表格でここは元三越。今も所有者は三越な筈。

昭和28年頃の完成なので今でも売り場の裏は非常~に古い。客用エレベータもエレガ時代は真鍮蛇腹式だった。それでは客がセルフオペ出来ないのでかごは替えられてしまった(着床位置も手動ハンドルで調整する方式だった)。

LABIの裏にマックがあるがここは三越が所有していて地下にLABI搬入通路がある。マックの裏の建物LABI搬入口になっている。

新しそうなパルコ昭和32年竣工東京丸物デパートの居抜き。

いけふくろうの事の起こりは国鉄マンオヤジギャグ

昔は携帯電話が無かったから待ち合わせ場所を家の電話で打ち合わせておく必要があった。新宿駅東京駅には待ち合わせ場所としてアルプス広場銀の鈴があるが池袋駅には無かった。

そこで末期の国鉄の人らが考えて作ったのがいけふくろう。いけぶくろだからいけふくろう

国鉄はそれまでの親方日の丸体質ではダメな状況に至り、色々とサービスアップの為の試行錯誤をしていた。現在JRより熱心だったが如何せんセンスダサい

いけふくろうもかなりの失笑を買ったと言われているがその後豊島区などがフクロウの里などの歴史修正主義を始め定着するに至った。

いけふくろう像があるのは北通路階段付近という半端な場所だがこれはパルコ土地ぎりぎりのJR土地であるからいけふくろうダジャレを考えた国鉄マンの同定をしなくていいのだろうか?疑問である

サンシャインの地下に変電所

サンシャインの地下駐車場のそのまた下には地域暖房施設があって付近ビクトリアスポーツや東池袋駅ハンズビルなどに熱供給を行っている。

これは触れている本やサイト番組が多いが、実はその下に東電変電所がある。これはサンシャインで働く人も知らない秘密なのだが、数年前にあった新座でのケーブル火災による東京停電での停電地域によって変電所場所割れしまった。

城北線豊島変電所というのがここで、終端変電所内幸町東電本社の地下である

https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/hoan_shohi/denryoku_anzen/pdf/014_06_00.pdf

平和通り戦争状態

雑司ヶ谷道の駅北側戦後商店街となって平和通りと名付けられた。だがどういう訳だかヤクザ事務所がこの道路沿いに林立するようになり、やがて抗争が勃発、殺し合いまで始まった。

90年代後半になるまで路上駐車というのはルーズに見逃されておりその辺にとめるドライバーが多かったが、事情を知らぬ者は平和通りの組事務所前にとめてしまう。

玄関前塞いで車止められたら誰でもいい気分はしないが組となればメンツ問題でもある。戻ってきたドライバーはそのまま事務所にお持ち帰りとなって凄まれ絞られ少なくない詫び賃を置いていく羽目になる者もいた。

お巡りさんに泣きついても「こんな通りに駐車したら身の危険になるのは当たり前でしょ」と説諭される始末。平和通りなのに。

やがて銃撃事件などが相次ぎ非常線で封鎖される事もしばしばとなった。シャブ錯乱したヤクザが突然暴行を加えたり物を破壊したり自分を刺して血だらけで歩いていたり警察保護具で簀巻きにされている所がみられる事もあった。結構な高頻度で。北口レンタルビデオ店G〇〇が入居するマンションなどは上がほぼすべて893となってしまった事で有名だった。

暴力団新法の施行ヤクザは激減してこれらの風物詩過去のものとなった。

飯塚上級国民事故付近事故が多い

あの事故のあった道路はほぼ直線なのだがどういう訳か事故が多い。飯塚のは運動能力問題だろうがスピードを出しすぎる車&Jウオークする歩行者両方に問題があるケースが多い。見通しが良すぎて油断するのだろう。

過去の事例では130km/hで邁進するフェアレディZUターン中の1Boxカーに衝撃して1Boxの助手席女性が死亡するという事故があったが、普通Uターン側にも責任が問われる所、相手の速度が速すぎて予見不能として1Box運転者無罪判決が出るという事件があった。

10年近く争っての事だが異例な判決である。その後も事故が続くので信号機を増やしたりしたのだがあんな予見困難な大事故が起きてしまった。

10年位の命だった国鉄駅舎があった

池袋にいわゆる駅ビルみたいなものはなくてデパートばかりだが、戦争で駅舎が燃えしまったので戦後に鉄筋コンクリート国鉄駅舎というのを作った…のだが直後に民間資本建物を誘致する民衆ビル構想が立ち上がったので駅ビル解体され丸物(現パルコ)や西武デパートが建つ事になった。計画性無さすぎである。いや勢いがあったのか。

東に西武で西東武だが…

開通当時は武蔵野鉄道(買収)→西武東上鉄道(買収)→東武だったか最初は変じゃなかったよってのが定番豆知識記事だが、「東に東武」もあった。

サンシャイン手前~飯塚事故現場辺りの一帯は戦前東武鉄道根津嘉一郎が所有しており根津山と呼ばれていた。雑木林だらけの池袋駅~護国寺道路都電を通す事になり全部手放したのである

赤尾由美見た事ない

池袋東側の住人なら赤尾敏は誰でも知ってるけど日ころとか朝生かに出てるらしい赤尾由美見た事ある人いない。だってあん道場に居なかったじゃんよ。何赤尾敏赤尾敏って名前使ってるの?

小池百合子お祭りによく来る

お祭りには欠かさず来るね。で、それだけで「地元の人」って認知受けちゃう。贅六の落下傘なんだけどな。

以上、長々と書いたが結局池袋歴史ってあんまないのよな。だって鉄道来るまで下板橋池袋だったんだから

そういう事で池袋愛溢れる増田から最後に言いたいのは

雑司ヶ谷の方が渋くて古いものがあって面白い

2021-06-08

anond:20210608125953

神社や寺は史跡でほぼ不変的・永続的に存在する

電柱はそうじゃない

歴史的構造物などじゃない限り誰も興味など持たないのだ

2021-06-04

anond:20210604155215

私は中国人の人たちは好きですよ。中国文化史跡も好きです。

仕事関係する中国人の人もいます

それと、中国政府が行っている、香港市民への弾圧行為や、ウィグル人に対するジェノサイド行為は別物ですし、それを批判することをヘイトと呼ぶべきではないと思います

2021-05-19

できたこ

昨日そういえば史跡を除去した。見える部分にまで付着しているってことは歯医者さんに出向いた方が良いってことだろな

2021-05-08

田舎でできること・できないこと

できないこと

気軽に映画を見に行く

片道1時間以上かけないと映画館がない 交通費馬鹿にならねえ

カフェーでくつろぐ

カフェー、ねえ

チェーン店談義

チェーン店、各カテゴリ(牛丼屋、コーヒーショップハンバーガー屋など)ひとつあればいい方なので、比較して盛り上がることができねえ

ウィンドウショッピング

かい店、スーパーしかねえ

イベント

地域史跡めぐりみたいなやつしかねえ

ライヴ

何もねえ

できること

チャリ・ウロウ

走って気持ちいい場所が多い

名物観光

俺の田舎には毎冬██が来るので、それを見に行ける ██博物館なんてものもある

わりと立派な████もあって、悪くない

海に行く

海、近え!

3LDKに住む

俺の部屋、月5万で3LDKだぜ

2021-04-08

anond:20210406154303

>> お葬式に出席したり <<

親戚付き合いが大きい。行かなくていいなら行きたくない

自分が死んでも別にしてもらわなくても構わない。どうせ何されたか認識できんし。

>> 結婚式チャペル<<

イベントごとの側面が大きい。

神父代掛からいか最近人前式が多い。宗教的側面よりも値段。

>> 本当に宗教を信じていないならば、神社に行ったりなんかしないはずです。 <<

城や史跡なんかと同じ感覚かなぁ。成り立ちや歴史には興味あるけど、別に祀られてる神に興味はない。

歴史人物神格化して祀られてるとかなら別だけど。

>> 「神様」みたいなキャラクターが出てきたり、神話みたいなもの抵抗なく受け入れている <<

フィクションからゾンビかいるわけないじゃん?でも受け入れてゾンビ映画みるじゃん?

2021-02-19

作品舞台なんだから、そこに描き表されているわけで

遊郭ってどんなとこ?」なんていう疑問が出てくると思うことがおかしいでしょ。

もちろん単に漫画に出てきたというのを超えて、史実はどうだったとかを調べたい勉強熱心な子供だったら、その手助けをしてやればいい。遊郭についての文献なんて多々あるのだし、あるいは浅草に行けば(吉原に入らなくも)史跡があったりするから連れて行ったり。

anond:20210218230048

2021-01-31

anond:20210128221455

海外旅行先で出会った、何年か日本仕事してたというインド人と仲良くなってある観光地を一緒に回ったのだが、キリスト史跡のなんてことなレリーフの前で「マリア様」がなんなのか質問された時、みんなが知ってるものなんて無いと思ったね。

2021-01-18

なぜ私は聖地巡礼をするのか(の話をかくはずだったが)

聖地巡礼とは中世ヨーロッパ封建社会においてキリスト教徒あいだで流行した、キリスト教聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である

転じて、現代においてはアニメ映画などの熱心なファンが、創作物キャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。

私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組ロケで訪れたり雑誌メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。

大塚天祖神社バッティングセンター千歳船橋喫茶店ぱおーん、五反田デニーズ……

思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。

それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。

聖地巡礼には楽しさがある。

思えば私は日本史世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画ロケ地を訪れることもある。

(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)

今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代マゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。

そう、私はフランシス・ドレーク足跡を辿りたいのである

乃木坂メンバーが参詣した神社自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分バットを振るいたいのだ。

そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである

この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。

バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティング最中乃木坂のことは忘れて純粋ボールバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。

しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。

私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。

この違いは何に由来するのか。

まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼動機に深く関わっている。

私は何も藤田ニコル西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡自分足跡を重ねたいとは思わない。

フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)

では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。

これは極めて重要着眼点である

恐らくは、その人物との関係性および距離感聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ

想像するに乃木坂メンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地巡礼したいという衝動はなくなるだろう。

同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ

友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。

ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。

「手の届かない特別存在を思うこと」が聖地巡礼の肝なのだ

そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。

その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。

私は宮崎駿監督映画が大好きで、監督ハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。

フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周ロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。

しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼラン足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。

(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)

「手の届かない「聖なる存在である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。

ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂メンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。

一年彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアル追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為限定するべきだったかもしれない)

聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ち自分も受けたいかというと難しい。

例えばメンバーの誰かが過去イジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。

しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。

キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいねはい。))

体験総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。

心地よい感情が動きがあればよい。

郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。

いや、違うな。

上に述べたエモさは体験のものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。

例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為のもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋巡礼っぽい)

先例のイジメのように行為自体許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。

追体験行為包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼追体験包含する」よりも「巡礼追体験が付随する(ことがある)」が正しい)

距離重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理距離感である

遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。

「ここまで来た」という感覚聖地巡礼には必要である

私は電車移動含めて一時間もあれば十分であるしかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。

遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂メンバーが訪れた場所比較として、私の現在地から大塚バッティングセンターパリ街角にあるカフェとの物理距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。

これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂メンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェ目的渡仏する気にはならない。

いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為のもの乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋巡礼価値は何によって決まるのか。))

これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行のものに少なから体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。

でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフ聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。

眠いし目も疲れたので「過去自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。

おやすみなさい。

2021-01-05

INTERVIEW 戸隠神社中社大鳥居 建替えにあたり(戸隠そば祭り実行委員会

戸隠神社中社境内正面に建つ大鳥居。今春から秋にかけて、老朽化に伴う建替え工事が行われました。

新しい大鳥居設計したのは戸隠出身在住の建築士宮川和工さん(40歳日本伝統建築事務所)。

国の重要伝統的建造物群保存地区にあり長野県指定史跡にあり、何より"地域シンボル"である大鳥居の模り役は大変な重圧であったに違いありません。

工事がひと段落して、どこか安堵した表情の宮川さんに、新大鳥居のこと、旧大鳥居のことを伺いました。

四六時中、鳥居のことを考えていました

 旧大鳥居が建立していた19(令和元)年11月新大鳥居の建替えに向け、測量調査が行われました。新大鳥居は旧大鳥居と同じ寸法・形状とされ、そこには時代地域を見守ってきた旧大鳥居と、当時建設に当たった人々への敬意が込められています。84年の時を過ごした旧大鳥居は風食し、建設当初より小さくなっているため「同じ」大鳥居を建てるには、測量値から当初の計画寸法に「戻して」設計する必要がありました。この頃、旧大鳥居設計史料は見つかっていませんでした。

 そこで、宮川さんは江戸時代初期の木割書「匠明(しょうめい)」を参考に寸法を「戻して」設計したといいます。匠明には柱と柱の間の距離から各部の寸法を割り出す比率が記されており、これを基に当初の旧大鳥居の寸法、つまり新大鳥居の寸法を予測していました。

 しかし、測量調査の結果、貫(ぬき:地面に近い方の横木)が木割書より長いことが判明。これにより、笠木や島木の切り口の勾配が変わるため「古い鳥居フィットする」よう設計し直す必要がありました。言うは易し行うは難しとはまさにこのこと。宮川さんは、旧大鳥居の「オリジナリティ」を生かすため、この山場に挑みました。

 宮川さんが設計の山場としてもう一つ上げるのは、笠木や島木(かさぎとしまぎ:貫の上にある横木。島木の上に笠木が重なっています)の反り具合「反り形状」の決定です。こちらも「戻して」設計する必要があり、何パターン計算して反り形状を算出。 旧大鳥居に一番合うものを編み出しました。

 年が明けて2月初旬、「原寸検査」の日、宮川さんが頭を悩ませた末、出来上がった設計図が敷き詰めたベニヤ板に実寸大で描かれました。集まった関係者とともに大鳥居上部の笠木や島木の反り具合や寸法・形状を入念に確認しました。

失われた技法

 3月下旬、旧大鳥居解体工事の無事を祈る「清祓式」が執行され、4月中旬、新しい大鳥居材木戸隠の地へ。いよいよ建替え工事の始まりです。まずは、旧大鳥居解体作業クレーンで笠木と島木が取り外され、貫と柱がゆっくりと地面に横たわりました。「地域住民観光客の皆さんにご覧いただけるように」と、分解された旧大鳥居中社近くに保管。旧大鳥居には、当時建設に携わった面々の名前が記されていました。

 実は5月ごろ、旧大鳥居建設に関する文書戸隠神社中社境内発見されました。文書から、旧大鳥居のそのまた前の大鳥居は1934(昭和9)年の正月吹雪の中倒れたこと、その2年後の昭和11年に奥社のスギを使って旧大鳥居が建てられたことが判明。そして、今回、新大鳥居建替え工事を監修していただいた「日本建築工藝設計事務所」の前身設計者が旧大鳥居設計を手掛けていたことも分かりました。

 また、柱の下には十文字の土台が据えられ、そこに柱が刺さっている状態であったこから、旧大鳥居は持ち上げられ、上から土台に下ろす方法で建てられたと考えられます。それも、人力で。

僕たちは、昔の人たちがやってきたことを踏襲しているだけ

 新大鳥居工事は着々と進められました。柱は、宮大工職人の手作業によるかんなかけで、八角から六角形に、十六角から三十二角形に、そして丸に。並行して行われた基礎工事も順調にいき、迎えた9月1日。多くの戸隠人が見守る中、新大鳥居が建ちました。職人たちが地上で柱に貫を差し込んだ後、それをクレーンで持ち上げ基礎に差し込む。そして、島木、笠木と重ねる。「建て方」と呼ばれるこの工程が終わったとき自然拍手が湧きました。祝福と労いの音が戸隠に響き渡った良き日。一部始終を見届けた地元の子供たちの歓声も印象的でした。

一流だけど戸隠が好きだから居るっていうのがかっこいい

 地元の子供たちは、新大鳥居工事見学だけでなく、実際に柱にかんなをかける体験会にも参加していました。かんなかけ体験会は宮川さんが企画新大鳥居に親近感を持ってほしい、将来「あの鳥居の柱にかんなをかけたんだよ」と語り継ぎ過去の積み上げを大切に思ってほしい、そしてプロ仕事を見て将来楽しく仕事をしてほしい…。いろんな想いが込められた体験会で、真剣に丁寧にかんなを進めていた子供たちの表情は大変頼もしいものでした。

 コロナ生活が一変しました。これから居住地と勤務地にこだわらない生活スタイルが主流になっていくかもしれません。宮川さんはいます。「戸隠のおそば屋さんって一流で、その技術日本そば好きを戸隠でもてなしている。一流になれば日本からオファーがある中で、それでも都会に住まず戸隠が好きだから戸隠に居るってかっこいいですよね」。謙虚宮川さんの代わりに言わせてもらうと、宮川さんも一流で、とてもかっこいい戸隠人です。

 11月1日、工事を無事に終え、竣功祭が執り行われました。生まれ変わった"地域シンボル"を一目見ようと多くの戸隠人の姿がありました。これから平穏ときが続き、一流の姿と想いが受け継がれることを祈って。

 最後に、宮川さんはじめ、今回の建替え工事にご尽力いただいた皆様、本当に本当にありがとうございました

2020-12-22

anond:20201222114751

じゃあワイには無理やん

長年地方に住んでて地方歴史本30巻とか県の歴史20巻とか地元新聞100年分とか読んで地元史跡全部巡っただけの歴史が好きなだけの何の取り柄もないアホやし

2020-12-21

anond:20201221214427

色んな観光地に行きたいじゃん

滋賀県とかだと史跡あるけどぱぱぱーっと移動できないし

もうどこでも簡単史跡めぐりが出来るようにしてほしいし

どこでも自由に行けるようにしてほしい

2020-12-07

地方創生は無理

地方創生って、東京レベルにまでなることだとして絶対に無理だろう。

まず電車網を東京近郊レベルにまで発展させることが無理。金がないから。

バスにしても無理。これも金がないから。

金がないのは人口密度東京よりも少なくて財源がないから。

でも人口を増やすためにはそもそも公共交通機関が発達しているなど利便性がないと駄目。

地方土地が余っているからか一軒家が多い。マンションが無いか人口密度は低い。

そして人口密度が上がらないということは、そこで商売しても利益は少ない。

よって発展する事がない。

地方しかない食べ物はあることにはあるが、大体東京でも食える。通販でも可能

だとすれば地方だけの特色のある場所を作らなければ集客性なんてない。

だがわざわざ地方ちょっとした何かを知るためだけに旅行にする人はどれだけいるのか。

ネット画像とか動画があるのでこれまた別にそこまでこだわらなくていい。

日本一高い東京スカイツリーとか、大規模な遊園地ディズニーUSJ富士急ハイランド並みのものでもあればいいが

そこまでのものはない。

温泉関東にいるなら箱根熱海にいけばいい。

水族館なんて横浜シーパラダイスがある。動物園上野動物園がある。科学館も天文台美術館上野にある。

わざわざ地方公共施設などに行く必要がない。

史跡巡りなら鎌倉があるし、関西ならまぁ京都がある。そこに行くくらいだろう。

まり、どう足掻いても地方創生は無理。

本気で東京に勝つ、戦国時代で言えばすなわち天下を取りに行くレベルで考えるのなら

国が公共交通機関の発展に金を出しまくらないと無理だし

公共施設だとか超大規模で見所があるものについても金を出しまくらないと駄目だ。

でもそんなことをやるわけがない。財源がないから。金がないから。

だが地方創生には金が使われている。

て、その地方創生の例というのを見てみると、「は?」と言いたくなる。

どこかの農場を新しく作ったり、作物を獲れる体験ができる施設とかそんなのばかり。アホか。

都市として発展させたいのなら、大規模な都市開発をしなきゃいけないのにこんな事例ばかり。

農場を作った?だから何だよ。

もっと期待できるようなものを作れよ。

青森県は食べると癌が治るとかいりんごでも開発してみろよ。それを青森県だけで限定販売しろ

愛媛県は食べると髪の毛が生えてくるみかんとか開発してみろよ。それを愛媛県だけで限定販売しろ

新潟県は食べると腹が細くなるコシヒカリとか開発してみろよ。それを新潟県だけで限定販売しろ

こういうのなんだよこういうの。勿論無理なのは分かっている。

俺が言いたいのは、地方創生は無理ってことだからな。

本気で地方創生できるチャンスがふるさと納税にあったのに折角の返礼品の価値を下げたりとか国はろくなことしなかったしな。

地方に金をじゃぶじゃぶ落とさないか地方もそんなことやったんだろうが。

本気で日本を盛り上げていこうとか思っていたらそんなことはしないだろう。

というかもっと地方を盛り上げるために公共交通機関の大発展計画でもやるだろう。

四国開発計画とか立てて四国のど真ん中の山にディズニーマウンテンを立てるとか、その周辺区域の山を削って居住区にして

マンションを建てまくって、電車が数分に1回来るようにして、新幹線四国全体を行けるようにして、四国ドームとかの球場を建てて、

459メートルの高さの四国タワーを作り、四国温泉帰郷を作り、四国天王かいう、香川うどん愛媛みかん徳島あわ、高知ミレー

みたいなキャラクターガンガン押し、アイドルを作り、巨大な城を建造し、巨大な神社と寺を建造し

大規模な歓楽街を作り、公共施設を作り、山のてっぺんあたりには四国天文台を作り、商業区を建て

四国消費税が5%、所得税法人税も減税、固定資産税も減税、

ここまでやってようやく東京ちょっと追い付ける。

地方創生とか本気でやるならここまで考えてやれ。

というか地方創生という言葉を聞いてこのくらいやると思っていた。

でもここまでやる気がない。

地方創生という言葉は強そうなのに弱く見える。

天地開闢とかも創生ではあるんだぞ。だから創生というのはそのくらい大規模なことなんだ。

言葉だけ強そうにしても何の意味もない。

おとなしく「地方開発」って言葉にしておけばまだ農園とか作るのに納得したが

お前「創生」だからな。規模が違うんだよ。

それだけ強い言葉を使ったからには東京を超える!首都を新たに作り出す!ってレベルでやって当然なんだよ。

でもそれをやるつもりがねえ。

結論最初に言った通り地方創生は無理。

以上。

2020-12-06

関東東海関西の人のが歴史を身近に感じられてずるい。

九州を出て初めて気づいたが江戸までの歴史の授業は地方のためにあるのではない感がすごい。

テレビ教科書しかなかった史跡や争いの舞台となった場所などが盛りだくさんすぎる。

そりゃ日本史つまんなかったわけだわ!と納得もした。

この地続きじゃない感はわかってもらえるだろうか。

今は色んな身近な史跡資料を見るのが楽しい

2020-11-28

40代婚活したけど

適齢期を過ぎると結婚が難しい、○歳までに結婚しないと、的な言説に違和感があって書く。

なお、子どもについては考えていないので、出産育児観点は皆無。そこを重視する人には全く参考にならないであろうことは、最初に断わっておく。

10代の頃は、人見知りな性格のせいで、男子生徒と親しくなるということが、そもそもなかった。恋に恋する的なやつで、ほとんど話したことのないイケメンに憧れてみたり、話したこともない男子から告白されて付き合ってみたけどすぐに別れたのが、10代の恋愛と呼べそうな経験のすべて。大学生になって、デートする機会は何度かあったけど、それ以上の進展はなかった。

20代

就職した職場出会った人と付き合った。ひと回り年上(婚歴なしの独身)で、会社員だけどちょっと世捨て人ぽい雰囲気があって、ガツガツしていないところが、当時の私にはちょうどよかった。映画や本や音楽や、芸術の鑑賞と、恋愛の温もりを教えてもらった、と思う。結局5、6年付き合って、多分恋愛時間が終わったのだと思う。生活感がなくて、実年齢より若く見えると思っていたけど、だんだん年寄り臭く感じるようになってきて、理不尽かもしれないけど、旅行先のホテルで、彼が旅行カバンから取り出した着替えがコンビニの白い袋に入っているのを見たとき、なんかすごく嫌になって、それだけが理由ではないけれど、その後別れた。

30代。

環境を変えようと転職して、そこで出会った人を好きになり、時間をかけて仲良くなったつもりで、告白して振られて両想いと思い込んでいたのでびっくりした。世界の見え方が変わったし、どんなに思っても望み通りにならないことがあるんだと知った。おそらくまともな人々は子供の頃から知っていることなのだろうが…。あともう一つ知ったのは、本気で好きな女に対して、草食系な男などいないということ。そんな学びの多い失恋体験ではあったが、失恋は辛かった。新しい恋を求めて、マッチングアプリを始めた。アプリ出会いは玉石混合。「下着泥棒再犯)で捕まりましたが、今は更生を目指して頑張っています」というメッセージをもらったこともあるし、何度か会って好印象だったけれど、ちょっとした違和感があって、その人のフルネームでググったらお金を騙し取られたという被害が見つかって驚愕したこともあった。けれど、実害(お金身体、心)は被ることなく、良い出会いもたくさんあり、自分職場や交友関係だけでは出会うことがなかったような人たちと、食事をしたり、親しく話す時間を過ごせたのは良い体験だった。新幹線に乗って会いに来てくれた人や、ランボルギーニドライブに連れて行ってくれた人、ミシュランの3つ星レストランでご馳走してくれた人、史跡を案内してくれた人、新しい趣味を始めるきっかけになった人。そのうちの一人と1年ほど付き合って、でも結局別れたりしているうちに30代が終わった。

40代

改めてマッチングアプリ出会いを探す。そろそろ結婚したくなってきたので(それまでは婚活というよりは恋活。性欲は強くなく、不倫とかセフレとかは嫌で、真面目なおつきあい希望なんだけど、結婚願望が強い人は無理だった)、プロフィールもその方向で作成。1ヶ月で良い人と出会って、数ヶ月デートして、半年くらい付き合って結婚した。価値観が合って、人生で会った誰よりも素の自分でいられる人と結婚することになってよかった。その上、収入は今まで付き合った彼氏たち(平均より少し高いくらい)とは桁違いに高い。

だらだら書いてしまったけれど、女性はある程度の歳を過ぎて独身でいると、「結婚したいのにできない」というキャラか、「結婚なんて必要ないと肩肘張っている」キャラ二者択一を迫られる場面が多くて、それがずっと違和感だった。結婚したい人と出会ったら、結婚したいタイミングになったら、結婚する。結婚したくないわけじゃなく、でも何歳までに結婚したいとかそういうのはない、とずっと思っていたから(それを言うと、後者強がりキャラに分類されるだけ)。

精神成熟経験で、適齢期は人それぞれなので、自分の適齢期で結婚したらいいんじゃないでしょうか。

40代でも出会いはあるよ。

20代の時に比べたら少なくはなるけれど、若さに群がってくる人に時間を割く必要がなくて、有益出会いも多い。

私の場合20代や30代で結婚しなくて本当に良かったと思っている。

相手問題ではなく、当時は自分自身が未熟過ぎて、自分にふさわしい相手についても、一緒に生きるということにについても、理解できていなかったから。

2020-11-14

anond:20201114082849

幸せのものだと思うよ

俺の場合だけど、お金があったら毎日自宅で朝から晩までだらだら寝まくって

図書館行って史跡巡りして、ネットにくだらない駄文投稿して

あとだらだら寝まくって、風呂入って、寝て起きて

ゲームして漫画読んで、ジョギングして、寝て起きて

この生活が一生保証されると思うと心が穏やかになる

2020-10-22

旅のことをよくわかってるじゃん

anond:20201020160713

伊集院光深夜の馬鹿力とか聞いてみ?

最近伊集院テクテクライフやドラクエウォークのために色んな所に旅をしている。彼は本質的には一人で静かに家にいるタイプで、何もすることがなければ永久にそうしていられるタイプ。だけどそれだと色々と駄目だから、あえて外に出る目的を作っている。位置情報ゲームスタンプラリーはその一環。だけど彼自身は、観光名所とか道程のものとか電車とか飛行機かには一切興味がない。

例えばドラクエウォークのために城に行っても、その城自体には全然興味がないのでお土産がもらえる地点に行ければそこにはもう用事がない。スタンプラリーだって自分が好きなキャラ作品があるからではなく、単に移動して集めることがだけが目的だったりする。その反面、彼は普通ではしないような道程を果敢に挑むし、何よりそれを面白く話せるという最高のセンス環境を持っている。

ようは旅自体に明確な目的や関心がなくても、意外となんとなるってこと。

から増田の言う通り、宿と移動だけをしていても全然いいんじゃない

増田は、図書館に行ったのに膨大な書籍の中で雑誌1冊しか読まないことをどう思う?毎日のように通い詰めて図書館を全制覇するっていう意気込みはすごいかもだけど、そんなことが図書館目的じゃないよね。

自分図書館雑誌一冊だけ読むことを、「おれは図書館になんの目的に来ているんだ?」って否定する必要はない。

増田はそこにもうスグたどり着けるんじゃないかな。旅も似たようなものだよ。

俺も位置情報ゲームIngressを通じて色々と見聞したけど、実際に観光らしいことをしたのはほぼない。基本的スマホを見て歩いたり、自転車市街地を爆走したり、仲間と食事したり、体感速度160kmのクルマ房総半島拉致されたり。どれも別に観光とか史跡巡りとかを目的にしていないけど、それでも楽しかった記憶はいまでもありありと思い浮かべられるよ。アノマリーに参戦しても、宿に泊まってただ移動するだけの日々だけど、それでもその土地独特のものを味わえたと思う。

2020-10-02

anond:20201002002113

無知って情けないよな。

史跡巡りいろいろあるのに。

滋賀県って可哀想だよな

京都大阪愛知奈良に囲まれているけど、滋賀県だけ何の魅力も感じられない

観光に行くなら京都大阪愛知奈良に行くけど、わざわざ滋賀になんか行かないし

まぁ三重も似たようなものだけど、滋賀通り道みたいなもんだからさ、誰もよらないでスルーちゃうだろ?

京都みたいに史跡巡りもできなさそうだし、大阪みたいににぎわってもいないし、愛知名古屋城だとかレゴランドがあるわけでもないし

奈良の大仏みたいなクリティカルヒットするような構造物が無い。

ただでかい湖があるだけ。しかもその湖には京都範囲に含まれている。

THEただの通り道可哀想だよな。

2020-09-25

GoTo地域発見旅行プラン最高だった

GoToキャンペーン地元バス屋が「地域発見プラン」なるものをやっており

で、参加してみたら最高だった。

初日朝は7時に集合すると、バスに乗って移動5分もしない内にまず地元梨園に連れて行かれる。

ここ俺の通勤経路の途中なんだけど……とか思っても、実際に入ったのは初めてだった。

観光なし園の広々とした芝生の上で地元料理店が作った弁当と梨で朝食。

弁当炊き込みご飯天ぷらとかシンプルだったけどうまい。好きなとこで座ってくって良いということで、控えめに言ってこれだけでもう最高。

そして梨狩り。その場で喰うなら食い放題、持ち帰りは5個まで料金内という贅沢。綺麗に観光用に整備された果樹園で好きに散策できると言うだけで最高。

地元民みんな直売価格知ってるから追加価格ちょっと高めだとわかっていてもテンション上がってその場で買って親戚に発送する奴多発(俺とか)

その後、地元史跡公園になっている場所に案内。たぶんそれより前に行ったのは小学生遠足とかそれぐらいぶり。

顔見知りのオッちゃんが案内役で出てきて、お、おう、ってなったけどおっちゃん観光ガイドボランティアだったらしく、楽しく歴史勉強しつつ、リフレッシュしてしまう。

昼飯は併設のバーベキューサイトに移動して、コンロを1グループ1つ占有という贅沢な条件でバーベキュー

飲み物アルコールはこの後の工程上でなかったけど、生搾りジュースとか出てきてもう最高。別料金で酒より高いのに追加してパカパカ飲む奴多発(俺とか)

午後はこの日のメインイベントであるボートによる川下り体験 or 美術館博物館巡り 俺は美術館は行けるので川下りにした。

下りソーシャルディスタンス対応で定員が半分で運行。ほどよく水量もあって、バスから川辺に降りたらもうそれだけで最高。

簡単な訓練をやって、装備をかためて、結構距離を川下りで下って、ざっぱーん、きゃー、つめたーい☆とか野太い声を上げる奴多発(俺とか)

ドローン撮影された写真に死にかけた野武士みたいなツラで写っても最高だったので、1000円出して追加で写真買ってしまう奴多発(俺とか)

美術館博物館巡りのほうも後で聞いたら、学芸員の方の案内はもちろん、なんと芸術家の方のLIVEパフォーマンスなどもあったそうで、なんで選択式なのか?後で恨む。

宿は地元でもちょっといい旅館。部屋で夕食。

田舎から知れてると思ったら、もうね、季節の野菜を使った料理に、川魚フルーツ、最高以外有り得ない。

温泉もあるし。別料金なのに高い酒を追加で頼む奴おそらく多数(俺とか)

そして翌朝、希望者向けに日の出ツアー眠い目をこすって参加した。地元ちょっと高い山に連れて行かれて、ご来光を拝む。

なんかすげえ神秘的で、無駄に涙が(たぶんあくび)知らなかったが、この場所でのご来光は、昔から修行僧などが大切にしてきた者らしい。へー。

その後旅館に戻って朝食。

ビッフェスタイルだったけど、食べ物は全部小鉢にとられていて、旅館の人が手渡ししてくれる方式

正統派旅館の朝食で、卵かけご飯用の醤油が4種類くらい出てきて最高。

二日目朝は日曜日地元農家がやってる朝市へ。

噂は聞いたことあったけど実際に来たのは初めてで、このコロナ下でも活気があって驚く。

無駄野菜とか買っちゃう奴多発(俺とか)

農家の朝市のはずなのに何故かソフトクリーム屋とか。北海道ソフトかいやここ北海道じゃねえし、って感じだけどテンション上がって喰いながら散策とかしちゃったりして。

その後、朝市をやっている近くの地元で一番大きな神社にお参り。ここは毎年初詣お祭りに来てるけど、それ以外で来たのはたぶん遠足とかそれぐらいぶりというパターン

神主さん?だかが出てきて中まで入れてくれる。

その後、落ち着いて見て回ると大量の痛絵馬発見

何事かと恐れ慄いていると、なんと知っているアニメ聖地だったことが判明。

マジで? もう最高という他ない。

声優さんプライベートで訪れた時のサイン色紙写真の前で自撮りちゃうやつ奴多発……はしてない。たぶん俺だけ。たぶん神様相手より拝んだ。

昼飯は地元農協がやっているレストラン食事

実はここは俺のお気に入りのお店で、エネルギーをためなきゃ行けないときによく来る。

顔見知りの店員さんに、馴染みの味、そして美味しいお酒(別料金)。最高という他にない。

午後は施設に併設している観光農場で、かご一杯取り放題で自由時間

トウモロコシとか美味しそうでもいでしまうが、よく考えるとトマトとかもっと単価の高い物を取った方がよかったのか?

と思いつつ、太陽に輝くトウモロコシの魅力には勝てない奴多発(俺とか)

施設には温泉も併設されていて、誘惑に勝てず温泉に。

本当は子どもらに混ざってアスレチック冒険してやろうかと思っていたがもう歳ですね。

そして夕方は、たぶんツアー全体のメインイベントであるナイトツアーへ。

この季節は花畑営業をやっている山奥のスキー場へ。実はコロナが来る直前の地元観光の呼び物はこの星見ツアーだったりした。

スキー場ロッジで夕食。これはまぁ普通。 そして、外へ!

スターガイドさんがは解説をやっていて混ざりたかったけど、なんかちっちゃい子ばかりみたいだったのでちょっと自重

広い広い園内で、草を押しつぶしてごろんと寝っ転がる。

次第に、自分の手が見えないくらい真っ暗になっていく。

寝っ転がって星を眺める。もうそれだけで、虫も、近くでカップルがいちゃいちゃし始めても気にならないくらい最高。

と言うかこんなに星があったんだね。星の光にあまり浄化されすぎて消えかかった。

誰かが花火を持ち込んで花火大会を始めていたのも、いいBGMだった。

そして、家の近くまで送り届けてくれて、もう最高だった。

その他にも

地元では評判が評判を呼んで、もう現在実施する分は予約一杯になっている模様。

検索してみるといろんな地方地元対象ツアーをやっているようだ。

たぶん今だけだと思うので、お前らもよかったら参加して欲しい。

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