はてなキーワード: 史跡とは
国立〜三鷹が似てるって言うけど、わりと個性があるんじゃないかな。生まれ育った身近な環境だからこそ見えないものがあるのかな。まあ確かに武蔵小金井/東小金井/武蔵境は駅名も駅付近の雰囲気も似てるかもしれん。駅名はともかく、雰囲気が似てしまうのはディベロッパーのビジョンの無さが悪いと思うわ。
国立は一橋大のある学園都市で、かつ多摩地区屈指の高級住宅街でもある。ただ、線路沿いを歩くとわからないかもしれない。線路から少し離れると豪邸がたくさんあって高級車が並んでる。
国立駅前には大正時代に建てられた貴重な木造駅舎が修復されて復元されている。市の予算でやったらしい。誰でも無料で入ることができて、人々が休んだり待ち合わせしたりしてる。原宿駅は復元しないのかな。渋谷区民はどう思ってるんだう。
国立駅から西国分寺駅方面に向かう線路沿いにも、沖本亭という昭和初期に建てられた屋敷が現存している。最近カフェとして営業しているので、建築に興味がある人はぜひ行くといいと思う。
久保田早紀さんの異邦人という歌は国立駅前の光景を歌っている。増田は全く世代ではないけど、今聴いても色褪せない不思議な歌だと思う。あそこでうたわれてるような憩いの光景がずっと残るといいなと思う。
国立駅の北側は南側みたいにデザインされた街ではないけど、鉄道総研があって、新幹線ひかりが開発された街として有名。それにちなんで街の名前を光町に変えたらしい。0系後継の試作として作られた951形が展示されてる。あとその近所にラーショがあるんだけど、ラーショの中では一番美味いと個人的には思う。
国立駅と西国分寺駅の間には、武蔵野線支線の出入り口がある。運がいいと貨物列車が地下に潜っていくところを見ることができる。鉄道輸送の意外な要所。貨物列車には一般人は乗れないが、国立駅からむさしの号というやつに乗ればこの地下には潜ることができる。ちなみに増田は甲種輸送?だか配給輸送?だかのスーパービュー踊り子が地下からグワッと出てくるところに偶然出くわして、めちゃくちゃ興奮した。撮り鉄はなんであそこ狙わないのかな。国立駅で駅員に叱られてるのを見るたびに不思議に思ってる。
西国分寺駅はちょっと面白い構造をしている。国分寺周辺はハケと呼ばれる丘陵地帯になってるんだけど、中央線はそこを東西に掘削して開通している。丘陵の上を南北に走る武蔵野線がここで中央線を跨いで直交する。西国分寺の駅舎は丘陵の上(武蔵野線の高さ)にあるため、中央線では珍しいホームが改札より低い位置にある駅ということになる。
西国分寺駅と国分寺駅の間は野川という川が流れていて、そこだけ丘陵を削るようにグッと低くなっている。水源は線路北側の日立の敷地内にあるらしい。川を下って調布の方まで行くとオイカワや夜はナマズなんかが釣れるとのこと。
西国分寺からすぐのところには、都内に2つしかない都立図書館の片方がある。ここではあらゆる雑誌が読める。地方ではとても望めない圧倒的な贅沢。それと、ちょっと南側の方に行くと多摩総合医療センターというクソデカ総合病院がある。こういうのがある地域ってのはほんとに恵まれてる。
それと、武蔵国分寺跡という史跡がある。付近は公園になってて、小春日和や秋晴れの日にこの辺りを歩くとなんとも言えない良い気分になる。歴史の趣というか諸行無常感みたいなものを感じるし、それに対して昔から変わらないであろう草木の臭いとか小川の音がいいんだろうな。色んな想像が広がるし、逆に頭の中空っぽにもなる。
国分寺駅周辺は古き良き中央線の猥雑な雰囲気が(なんとか)今でも残っている。村上春樹が若い頃にジャズ喫茶をやってたこともあってか、今でもジャズ喫茶だったり中古レコード屋だったりがちょっとだけある。こういう街の空気感はこれからも失われないでほしいけど、難しいだろうな。
国分寺市の際立った特徴として、大学進学率が90%を超えているらしい。全国平均は50%とかで頭打ちしてるはずだから、凄い外れ値だ。たしかに早稲田実業とかあるけど、なにがそんなに国分寺を勉強熱心な土地柄にしてるのか不思議。
武蔵小金井/東小金井/武蔵境は似てると書いたけど、そういえば武蔵小金井にはラーメン街道というのがある。その名の通りラーメン屋がたくさん軒を並べてるんだけど、正直おすすめの店は特にない。あと、ラーメン街道ではないけど、大勝軒の新しい一番新しい分派の武蔵小金井大勝軒というのができていたりする。
そんなラーメンが盛んな武蔵小金井に対して、東小金井と武蔵境は油そば屋が多い。油そばの発祥の店の珍々亭が武蔵境にあって、そこから広まったらしい。ただ、油そば発祥の店には別説があって、それは国立にある三幸という店なんだけど、国立に油そば屋専門店は全く無い。この違いはなんだろうな。この三幸の油そばはかなり美味いのでおすすめ。
つらつらと書いてきたけど疲れたな。三鷹以東とか、高尾〜立川とか、青梅線沿線とか、まだまだ色々あるけどもう終わりにするか。明日も仕事だしな。
最後にひとつだけ、東京農工大の馬術部が売ってる馬のLINEスタンプがおすすめだから馬好きな多摩地区民は買おう。中央線から見えるあの馬たちだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20230613/k10014098111000.html
むしろこうでもしないと向こうも飲まない、逼迫する世帯に結局ゼロ円。
そういうことなのでは。
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子供の犯罪より母親の犯罪が多いことが問題なの?母親は子供が犯罪に巻き込まれないよう、仕事をし、子育てし、家事のほぼ全てをしなければならない。それは、とてつもない負担だ。日本中の母親がこのような社会規範に則って生活をしているのに、自分は子供の
会社から「2030年、あなたの仕事は?」と言われたときにありがちな3つのこと。会社で2030年の役立ち系の仕事を任されているのですが、ありがちな疑問がわいてきましたので質問します。おしえて史跡。 仕事が休み
位置ゲーやってる?やってない?そりゃそうだよな
位置ゲーはタイパが悪く、物理的に身体を動かさなきゃならんし、複数タイトル同時プレイも辛いので万人向けじゃない
しかしながらNianticのIngressもリリースから10年を超え、Ingressのエージェント(プレイヤー)たちの活動はポケモンGOなど他のNiantic製位置ゲーにも反映されるので未だにIngressをプレイし続けるエージェントたちは存在する
このエントリはそんなIngressエージェントたちの生態を報告するものだ
「Ingressでエージェント同士がキャッキャウフフしてる様子なんてどうでも良い!俺は人間のクソさ加減、町中をウロウロする不審者どもの下らない喧嘩の話が聞きたいのだ!」という下劣な期待と需要へまず応じることで読者の皆さまの貴重な時間を無駄に消費させないよう努めさせて頂きます
よくわからない理由から特定のエージェントへ粘着をしはじめ、特定のエージェントの行動圏から居場所を推測し、特定のエージェントが操作したポータルをわずかの時間で再操作したり、特定のエージェントの自宅を囲むようにアイテムをドロップして「お前の自宅を知っているアピール」をするなど、どんなに甘い判定をしてもストーカー行為に少なくとも片足は突っ込んでいるタイプのエージェント
当然ながらIngress運営はこれらの行為を禁止しており、エージェントの活動はポータルの操作やアイテムドロップなどの行動にも内部的に紐付けられているらしく通報すると粘着エージェントは垢BANされる憂き目に遭うので粘着するのは辞めよう
主にGPS位置座標偽装を行って徒歩で移動して楽しむという位置ゲーの根幹を否定する不正行為
前述の粘着エージェントがチーターを兼ねていることもあり大変面倒くさい
ただしGPS位置座標偽装は「あまりにもGPS受信精度が良すぎる」ため不正が明らかになりやすいものの、チーターは不正行為の方法をググりはするけれど、どのようなシステム上の振る舞いで不正行為が実現できているのかをあまり調べたりはしないのでチートを乱用して直ぐに垢BANされる
複垢エージェントは自分が敵対する陣営のアカウントを取得し、敵対陣営がコントロールフィールド(3つのポータルを三角形で結んだ状態)を作りにくくするようなポータルリンク(通称クソリンク)を作成して妨害をしたり、自陣営しか見ることの出来ないCOMMチャット欄を覗き見てスパイ活動をしたりする
Ingressは複数のアカウントを所持することを禁じているが複垢エージェントは「みんなやっている」などと主張して罪の軽減を計ろうとするものの「複垢がみんな通報されてるからお前も通報されてんだよ」と返すと押し黙る
ちなみにIngressは攻撃側が有利になるようゲームバランスが調整されているためスパイ活動をするよりも現地へ行ってポータルを攻撃したほうが勢力拡大できるし経験値も獲得でき実績も得られやすくなるためスパイ活動の効果はそれほどない
Ingressは対戦型ゲームなのだがポータルを長期間維持した実績を獲得したいがために身勝手に自治をはじめてココからは青チームのココからは緑チームのエリアなどと線引きを始める
Ingressには旅人などまったく地域コミュニティの事情など知らないエージェントも存在する上に、ポータルを奪い合うというIngressのゲーム性を否定する行為なので嫌われる
Ingressは別に悪質プレイヤーばかりでない、というかリアルが密接に関わるためアホが悪目立ちしやすいだけなので優良プレイヤーも紹介する
近隣に新しい目立つオブジェクトが建築設置されたら速攻でポータル申請をして地域のポータルを増やそうと活動しているエージェント
繁華街でもないのに異様な数のポータルが存在するのであればその地域にはボランティアエージェントが存在する
IngressポータルはポケモンGOのポケストップなど他のNiantic製位置ゲーにも反映されるためボランティアエージェントの存在は非常に心強いものとなる
ボランティアの上位存在でオラが故郷の史跡をポータル申請することへ熱意を見せるエージェント
ボランティアとの違いとして、ボランティアは新しいものへ即座に反応するが郷土史家は新しいものにはそこまで興味を示さない
郷土史家エージェントが活動するエリアでは神社、仏閣、石碑、建造物、古墳、古道などなど膨大な史跡がポータル化されており、何と言うかIngressで遊んでるだけなのに「コレそんなに歴史的価値のあるもんだったのか」と勉強となる
運動場が併設されているような広い公園の周辺などにしか現れず陣営COMMチャットにも書き込まないが異様に高いレベルを誇る謎に包まれがちなエージェント
自身がウォーキングするエリアで非常に淡々とコンスタントな長期活動するため位置ゲーでは恐るべき強さを発揮する
高齢の傾向があるため落ち着いているのか自己主張があまりにも少ないためBotかと疑われることもあるが、本当に極稀に活動しない日もあるので実在する人間だったのかと気付かされる
ヌシのように振る舞う自治厨エージェントよりも特定の狭いエリアではよっぽどヌシである
Ingressでは写真を登録できるが稀に素人目で見ても雰囲気の違いがわかる写真がある
Ingress運営の審査を通すというレギュレーションを守りつつ高画質かつ美麗で芸術性の高い写真を登録する写真家エージェントが活動するエリアではポータルの写真一覧が楽しく👍ボタンを押してポータルの代表写真にしたくなる(Ingressでは👍評価の多いポータル写真が代表写真となりポケモンGOなど他の位置ゲーにも反映される)
写真家エージェントは陣営勢力争いにはそんなに興味ないらしくレベルはそこまで高くない傾向があるものの、審査に通りやすいポータル申請のコツに関しては流石と言えるほど詳しい
写真家にも2種類居て、リアリティ路線とアーティスティック路線のがあり、アーティスティック路線の人の写真はどうやって撮影したか理解不能なまるでゲームCGかと思うような写真が投稿されていることがある
あまりにも写真を加工するとレギュレーションで弾かれる可能性が高まるため、Ingress運営に許されるギリギリを攻める手腕は見事としか言いようがない
普段はIngressをプレイしないが気が向いたときにアプリ起動して目に付いた敵陣ポータルを思うがままに焼き尽くすエージェント
自治厨が特にヘイトをぶつける存在で「協定破りだ」なんだとわめき散らかすがエンジョイ勢や旅人は協定の存在など知るわけがなく、そもそもその協定の締結も勝手にやってるので協定の効力に強制力はない
エンジョイ勢や旅人は一過性の台風のようなものでウォーキングあたりの人たちはどこ吹く風で気にせず次の日に塗り替えたりしてるのでマジで騒いでるの自治厨だけである
山小屋や山頂部のポータルを奪取することに執念を燃やすエージェントで、富士山山頂部での勢力争いはSNSでもたびたび話題となる
稀に危険な場所のモノをポータル申請してしまい叱られてしまうことがあり、山では害悪化することがあるけれど都市部では静かなのであまり目立たない
都市部以外の僻地ではIngressポータルが少ない傾向があるため登山家エージェントの存在は非常に位置ゲー界隈としては助かる
登山家は絶景を好むためか写真家を兼ねていたり、僻地に詳しいので郷土史家を兼ねていたりもする
ポータルリンクやコントロールフィールドで絵を描こうとするエージェント
凄さがわかりやすいのでIngress界隈の話題だけで済まずSNSなどでバズることもある
しかし芸術家エージェントの活動はその作品の美しさを維持したいがため自治厨エージェントを生み出すこともある悲しい存在
Ingressの楽しみ方は十人十色!郷土史家やっても良いし写真家や芸術家をやっても楽しいぞ!
他のNiantic製位置ゲーにも反映されるしモンハンナウのタイミングでIngressエージェントデビュー!もしくは復帰しようぜ!
私は歴史が好きなのでトリビア的な歴史エピソードはだいたい知っているしそれにいちいち心を動かされることはなくなった。
ただそんな中でも「大黒の芝」のエピソードは時々思い出してグッとくることがある。
710年に造られた平城京は、その後長岡京〜平安京と遷都の中で主役の座を譲り、810年の平城太上天皇の変以降は周囲には水田が広がるばかりになっていた。
時は流れて明治時代。関野貞という人物が平城京の跡地を探していたところ、付近の農民たちが「大黒の芝」と呼ぶ小高い場所があることを知った。
関は「大黒って大極殿がなまったんじゃね?」と考え、実際に朝廷の中心である平城京の大極殿がばっちり発見され、現在への史跡整備につながっていく。
1000年以上よく農民が語り継いだなぁと思う。
大極殿の意味は失われたが、音だけが残り、近い言葉で信仰でも身近な大黒になった。
それでも残ったわけだ。実際の建物がなくなっても、言葉の意味が分からなくなっても、それでも残った。
藤原道長とか足利尊氏とか織田信長とか西郷隆盛とか色んな有名な日本史を彩ってきたけど、その一方で誰もしらない農民たち誰もその重要性を鑑みず、ただ土地を示す言葉としてひたすら1000年語り継いできたとものなのだろう。
もちろんここは水田地帯で、おそらく遺構部分は水田造成に不向きのため芝生として残ったという現実的な考え方もできる。
それでも、世の中失われるものはいくらでもある中、なぜか語り継がれ、明治の考古学者のヒントになった。
このエピソードから思うに、自分が何気なく喋ったり伝えたりしているものの中にも、何か未来へ伝えるべき内容(未来の人が知りたい内容)が僅かながら含まれているのかもしれない。
何も知らない農民と同じで、私はそれに気づくことはできないだろうけれども。
迷っていることがある。
とある史跡の多い地域で育ったが、今はそこから車で1時間弱ぐらいの距離の田園地帯の中にある会社(工場)でSEやってる。(現在は自然豊かな場所にある賃貸で職住近接と言えなくはない生活を送っている。)
そこの社員は大半がいったん工場の近くから通う生活をするが、子供の進学を考えてどこかのタイミングで東西南北どっちかの方向の地方都市に移住する選択をする。
自分の出身地の付近もその選択肢の一つとして割と選ばれているような(というか自分もそうするつもりで働き始めた)のだが、
いざ移住先を検討し始めると、気持ちが他の候補地の方に傾いてしまいがちであることを発見してしまい戸惑いを隠せない。
昔は、「この町は史跡が多くてなかなか面白い風情だな」と思っていて
(いちばん長く過ごした場所ではあるが生まれた場所ではないし、物心ついた時は別の地方都市で暮らしていた)
将来またその場所で生活することを割と望んでいた。・・・が、勤務先との通勤距離のこともあって別な方角の地方都市を片っ端から比較のために調べてみていると、
出身地を積極的に選ぶ理由が意外と乏しいことが浮き彫りになってきた。
考えてみれば当然のことで、史跡まみれの町ということは大胆な都市計画ができなくて、さらに観光業っぽい地元の商店の既得権のせいで
郊外かごく限られた地域にしか新しめの商業施設が営業できない状態になっているし、鉄道や道路といったインフラも地元住民以外に観光客のためのものとして整備されていて
普通の生活が(そういうシガラミがない地域と比べると)なにげに不便なのだ。比べる対象を持っていなかった時には気にならなかったが具体的な比較をするとその弱点が際立ってしまう。
もちろん歴史上のエピソードに関連した場所が沢山あること自体はマイナスではないのだが、
その価値(すなわち日本の歴史を勉強する価値)は相対的に下がってきているのではないか・・・?という気持ちが沸くようになってきている。
端的に言うと、そんな優雅なことを守り伝えていく余裕は今後の日本にあるのか?という事への疑念が強くなってきてしまっていて、ただの不便な場所に見えてきているという話である。
(科学的な発見がされた場所とかならまだ良かったのだけど・・・)
いちおう土地勘があるとか友達も若干数いると言う利点はなくはないのだけど、
きれいな水と空気に囲まれた生活に慣れた後では、不便なくせに空気が汚い出身地に戻って住むことが大して魅力のない選択肢に映って仕方がない。
ただいずれ帰るという暗黙の了解のもと両親にはいろいろ支援してもらってしまっているし、今より実家が遠くなるのは良くないという認識はあるし、
地縁もないのに子供を会社周辺で育て続けることはとてもする気にならないので、どこかへの移住はすべきなのだと思っているが、
どうせなら合理的な街づくりができている所に住みたい気持ちがある。
通勤時間さえ長くて良いなら条件を満たす場所はなくはないが、通勤時間がかなり長くなるので即決できない。候補のバリエーションは以下のような感じで、一長一短である。
A:実家の割と近くで駅とショッピングモールの中間(古い住宅地で道路が狭く空気はよどみがち。通勤40分)
B:実家と同じ市町村の辺縁部でバブル後も開発が継続していた地域(商業施設が充実しており斜面が多いが道路は広くて空気も奇麗。通勤60分)
C:実家の隣の市町村で最近開発された大型分譲地(空気は奇麗で道路も広いが、切り開いた斜面であり地盤に不安。また将来ゴーストタウン化の懸念あり。通勤50分)
D:会社のあるところの隣の市町村(会社のある市町村よりはメジャーなチェーン店が多く来ていて道路も広い。人口は同等で実家からは30分ぐらい遠くなる。通勤30分)
E:実家とは別の方向の現在人口増加中の地方都市(大都市に近い場所であり利便性は格段に高いが、実家からの距離はやはり遠くなる。通勤40分)
F:実家とは反対方向の地方都市(県内の最大都市なので、利便性最重視の場所からゆったりとした郊外まで幅広い選択肢がある。実家からは当然遠い。通勤45分)
気持ちを整理するために書き出してみたが、やはり決心を付けづらい・・・。なお通勤はいずれも自家用車。体調的な理由で長時間運転は苦手なので40分以上かかるところはしんどいと思っている。
ふいーいてきたー
えっといくついったんだ
おもてむきにアリバイで少し一般のうってるけど本体はえろうってるむかしながらの本屋3個
マンガ倉庫とブックオフゲオをあわせて2,3こくらいと思ってたのにいざ出向いてマップアプリでみたらいっぱいあるんだもんなー
まあこれでせいせいしたわ
とちゅうでマックスバリュで割引になってた弁当をかってたべたらくそまずかった
けっこういくとちゅうに住宅街とか山方面をとおったら史跡とかよーわからん個人美術館とかあって、そっちメインでのんびりまわりたかったなと思ったりした
ただ自転車はやっぱきついなー
かったのはゲーム2つくらいだけど、知らない店、場所にいくのがメインだったしいいんだ
溜池にはからだくろくてくちばしがオレンジの親子の水鳥がいて正体不明
ねこはみなかったな
工場っぽいのの横に犬がつながれてた
昔ながらの団地っぽいとこの裏に、めっちゃさびてくちはてたシーソーがあって、うおおおおおおお!めっちゃえもい!!!と興奮して写真とりまくった
石井閘門 - 宮城県石巻市。北上川にある閘門。1880年(明治13年)に完成した、日本初の西洋式の本格的な閘門。現在日本国内で稼動する閘門の中では最古のものであり、国の重要文化財に指定されている。
脇谷閘門 - 宮城県石巻市。1931年12月竣工。北上川本川と旧北上川間の船の通行のために、脇谷洗堰に併設された。
見沼通船堀 - 埼玉県さいたま市。見沼代用水と芝川とを結ぶ閘門式運河である。昭和初期以降から使用されておらず、現在はさいたま市緑区にその復元された遺構が残る。1982年(昭和57年)、国の史跡に指定された。
荒川ロックゲート - 東京都江戸川区小松川。東京都を流れる荒川と旧中川を結ぶ。大震災時などの災害時に水上交通が有効であることから改めて水路が見直されることになり、2005年10月に供用開始された比較的新しい閘門。
扇橋閘門 - 東京都江東区猿江一丁目。1976年(昭和51年)完成。小名木川に設置されている。
中島閘門 - 富山県富山市。1934年(昭和9年)8月完成。富山駅北側付近から富山湾の河口まで南北に続く、富岩(ふがん)運河中流にあるパナマ運河式閘門。現在も運用されており、観光船が運行し往来できる(冬季運休)。国の重要文化財に指定されている。
牛島閘門 - 富山県富山市。中島閘門と同時着工し1934年(昭和9年)8月に同時完成。富岩運河最上流部(南端)の富岩運河環水公園(旧 船溜まり)内にあり、並行するいたち川とを結ぶ現在も運用可能なパナマ運河式閘門。国の登録有形文化財に登録されている。
松重閘門 - 愛知県名古屋市中川区。堀川と中川運河とを結んでいた。1968年に閉鎖され、現在は閘門としては使用されていない。名古屋市の有形文化財、1993年(平成5年)には名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されている。
船頭平閘門 - 愛知県愛西市立田町福原。木曽川と長良川の間をつなぐ。1899年(明治32年)に着工、1902年(明治35年)に完成した。1994年(平成6年)にはそれまでの手動から電動への近代化・改修工事が行われた。2000年(平成12年)5月には明治期に建設されて現在でも使用されている貴重な閘門であるということで重要文化財に指定された。冬季を除き、木曽川上流の葛木港より観光船が運航。一般には無料での往来解放がされている。
三栖閘門 - 京都府京都市伏見区。宇治川と濠川を結ぶ伏見港に1929年(昭和4年)に建設された。いまは遺構が三栖閘門資料館として開放されている。
毛馬閘門 -大阪府大阪市北区。淀川と旧淀川(大川)を隔てる閘門。明治40年(1907年)8月に完成した旧第一閘門は1976年(昭和51年)まで使用され、現在は重要文化財に指定されている。
尼崎閘門(尼ロック) - 兵庫県尼崎市西海岸町地先。日本初のパナマ運河式。物流機能としての運河を今なお支える船舶の重要な玄関口となっている。
下関漁港閘門 - 山口県下関市の本土と彦島を隔てる小門海峡(関門海峡小瀬戸)にあるパナマ運河式水門。1936年の設置以来、現在も稼動中。
三池港閘門 - 福岡県大牟田市。1908年(明治41年) 完成。2008年機械遺産に指定。2015年世界文化遺産に認定された明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業構成資産の1つ。