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2017-10-29

中学時代ディベートの授業を受けた時の話。



日本人議論ができない 議論が成立しない人の特徴18タイプはてな村定点観測

http://hatebu.me/entry/discussion

読んだ。果たして議論が出来ないのは日本人だけなのか?むしろ人間議論が出来ないのではないか、なんて思ったけどどうなんだろう。

それは置いといて、そういえば私は小中高の間に何度か、ディベートの授業を受けた事があるんだよなぁ。たぶん小学校で一回、中学で二三回、高校で一回くらいだろう。充分に数をこなしてはいないがやったのはやった。しかしながら同級生の皆がそれで議論が上手くなったという事は全然無い。

ディベート(一つのテーマについて賛否に別れて討論すること)と議論(互いの意見を述べて論じ合う事)は違うからディベートやったって議論は上手くならないだろって事?そういうことなの……。

まぁよくわからんけど、とにかくサイバメ氏のエントリ読んで学生時代ディベートの授業の事を思い出したっていう話ね。

で、小中高で受けたディベートの授業の中で討論が討論として成り立った事は一度も無いし、クラス人間関係にかなりの悪影響を及ぼすという残念な結果だけが残った。私個人には得るものがあったけれども、そういう人は少数だったんじゃないかな?もう二度とこんな事はしたくない、うんざりだ!という人達が多かったんじゃないかと思う。私の見た限りでは。

中でも私的に最悪だと思ったのが、中二の時に社会科の授業で行われたもので、「ルーズソックスに賛成か?反対か?」というテーマでの討論。

討論のやり方は、まず皆で目をつぶって賛成か反対かに挙手をすることでクラスを二分し、論戦するというもの。皆必ず一回は発言する事、相手罵倒しない事がルール

どうなったか

たった一人の賛成派VS反対派30人で討論をし、反対派が圧勝を主張したが教師が賛成派の勝利宣言、賛成派一人が授業後に散々非難罵倒を受け、しばらくの間一部のクラスメートから嫌がらせをされる事となった。

なお賛成派って、私。孤独な戦いだったなぁ。授業後はいっそ負ければよかったんじゃね?って思ったし。でもある意味私の一人負け(私の勝ちと認めたのは先生だけで他全員は私の負けだと言ったので)だったお陰で、クラス人間関係クラッシュ度は低く、最も平穏無事に終わったかもしれない。

そのディベートの賛成派の勝因(教師曰く)は複数意見を出した事であり、反対派の敗因(教師曰く)は全員が全員自分意見を言わなかったからだ。

校則で決まっているから」「校則を破るのは悪い事だから」反対派はそれしか言わなかった。(私としてはそれらが「自分意見ではない」というのはどうなんだと思うが)

今になってみれば、双方の論がどうこういう以前に、テーマの設定もディベートのやり方もおかしいし、それより何よりディベートの授業を行えるだけの土壌が無かったのがよくないと、私は思う。

まず、「ルーズソックス」という、学校側としては明確に禁止とされており、不良の象徴として風紀指導対象とされているものテーマにすることが良くない。

そして、ディベートのやり方がおかしい。賛成派と反対派のバランスが悪い上に、勝敗を決するのが教師一人というのは良くないだろうと思う。5対5くらいで、審判も生徒数名にやらせ、他の生徒には感想を述べさせる、くらいでないと不公平だし教育効果も得られなくないか?(ま、そういうやり方でもやっぱり荒れるんだけどな)

でもって酷い事に、そもそも生徒達は教師学校を信用していなかったのであろう。これは授業後に散々叩かれた際に言われた事からの推測なのだが。

「どうせ内申点下げられると思って反対派についたのに」

「依怙贔屓されていい気になるんじゃねーよ」

ディベートの授業において、生徒がどちらの立場に立とうとも、その場限りの事としてくれるとは、皆思っていなかった。

敢えてこんなディベートやらせるのは罠だと思った。

教師は正しさではなく感情で生徒を判断する。

そのように生徒達は思っていたから、自分の本当の考えを言わず求められているとしておぼしき正解しか言わなかったのだ。

この例は極端に酷いにしても、ディベートなんて、根底教師学校、ひいては他者への信頼感がなければ成り立たないんじゃないかと私は思う。

発言した事により自分立場が脅かされるという恐怖が少しでもあるなら、いくら訓練しようがダメだし、僅かでも訓練に問題があれば、やはり自由発言してはいけないんだという思いは強化される。

しかしながら、適切に訓練を重ねる事によって他者への信頼を獲得できるのではないかという気も、するんだよねー。

どうしたもんだろう。

【追記】

http://b.hatena.ne.jp/entry/347188536/comment/masara092:embed]

ディベートって自身の信条の外側で意見を交わすことに意味があるのに自分の意見だけでどちら側になるか決めるって全く意味が無い感 - masara092のコメント / はてなブックマーク

ですよねー……。

ブコメトラバで言われている通り、ディベート練習なら自分とは関係ないテーマでするか、逆の意見で論じるかしないと効果無いと思う。

ちなみに私はルーズソックスなんかわざわざ学校に履いて来る事無いだろ、服装自由かいうけどルーズだって一部の集団の中でほぼ強制されているに近いし、と思っていたにも関わらず、賛成派の方に挙手したのだった。

何故かっていうと、これもある種の点稼ぎ。

当時高校入試小論文で、「ある問題について、対立する意見Aと意見Bのどちらかを選んで論じろ」(どちらを選択たかで加点減点はされない)っていう形式流行っていて、学校定期テストで出る小論の問題入試対策として大体いつもそれだったんだ。

その形式テストを何度か受けているうちに、自分の元の意見で論じるのがベストな結果(小論として)を出せるとは限らないと知った。自分の考えと論じ易さは関係ない。

自分脳みその引き出しに入っているもので充分戦えるかどうか、それが大事だと思った。

ルーズソックス問題に関しては、私もやっぱり突き詰めると反対派は「校則違反からダメ」くらいしか言える事がなく(よくよく考えれば他にもあるんだろうけど)、難しい戦いになるだろうと予想したから、賛成派にまわった、それだけの事だった。

2017-10-26

夢を捨てたわたし反省

本当は後悔文だけど、敢えて反省文、と書こうと思う。ある日夢を捨てた。それからのまだ短い人生について書く。

何のために大学に入ったのか。最近よく考える。何のためだったんだろう。今更レールから外れて生きていこうとは思わないけど、そうしたら全然違う将来みたいなのがあったのかな。そんな風に。

努力は嫌いだった。嫌いだったけど、全くしないわけではなかった。できるだけ最小の努力で得られる中で、世間的に一番いい未来を選び取ってきた。

夢がないわけではなかったけど、いつの間にかこっちを選んでいた。大切な家族わたしの夢を嫌っていたし、わたしは夢よりも家族を選んだ。その程度の夢だったんだと思う。

18の春に、田舎高校から都内国立大に進学した。一般入試は面倒だったから、公募推薦で入った。昔から小論文は得意だった。自由に述べる文章は苦手だったけれど、テーマを与えられるものはそうだった。何故だかいつも、求められている答えがぼんやりと分かった。課題文や、設問の言葉の選び方や、注の入れ方で、いつも何となくこう書けばいいんだなと分かった。その時も、生まれてこのかた考えたこともないような"自分の考え"を、誰かの本で読んだことのある言葉を、自分言葉に言い換えて目の前の紙に書き連ねた。志望理由書でも面接でも自分本心には一つも触れなかったけれど、滞りなく合格通知が届いた。

努力は嫌いだった。嫌いだったけど、努力の使い所みたいなものは分かっていたつもりだ。海流を捕まえることができたときにはただ流されて、いつの間にかそこから外れてしまったときにだけ、ほんの少し自分の力で泳いだりした。そうしてまた流れを捕まえた。その繰り返しで生きてきた。その海流が、自分をどこに連れていくのかなんて誰にも分からなかったし、わたしにも分からなかったのに。今考えると馬鹿っぽい。

大学で学びたいことなんて、多分一つもなかった。学ぶことが嫌いだったとは言わない。学ぶという行為が好きだった時期も多分あったし、ずっと好きだった分野も、多分あった。でもわたし大学に行って手に入れたかったのは、世間的に良いなと思われるような人生への海流だけだったと思う。そういう意味ではわたしは行き着く先を分かっていたし、実際その流れは、確かにわたし目的地まで運んでくれたんだろう。

ゴールデンウィークの前、早々に内定が出た。何個か落ちて、何個か受かった。受かった中から選んだのは、かつての夢とは程遠い位置にある少しお堅い大企業だ。来年春になったらわたしはあの企業で働く。かつて夢を思い描いていた自分には、きっと考えられなかったことだと思う。それでもこれは、リクルートスーツを纏って精一杯背伸びしたわたしが掴んだ一つの未来だった。それは本当だった。わたしが本当に辿り着きたかった場所だったかどうかは別として。旅というのは、案外そういうものだ。目的地なんてない方が上手くいく。少なくとも、到着して辺りを見回したとき、「こんなショボいところだったんだ?」なんて思うことはないだろうから

一昨日、卒論を書く手を止めて、ふと、何のためにこの大学に入ったんだろうなと考えていた。窓の外に、台風でぐちゃぐちゃになった道が見えた。校内にイチョウを植えるなんてどうかしている。銀杏を潰した女の子が、隣の友人ときゃあきゃあはしゃいでいる。悩みなんてない風に見える。彼女たちも、いつか思ったりするのだろうか。何のためにここにいるのだろうと、考えたりするのだろうか。そうだとしても、わたしとは違って夢を持ってこの大学に入ってきたんだろうな。そう思ったら、少しだけ羨ましいような気がした。

羨ましい、というのは少し違う。わたしは何も捨てられなくて、何も得られなかった。そんな自分が少し恨めしかっただけ。それでもわたしはこれからもそうやって生きていくんだろうな。

今朝、窓を開け放して鼻から思い切り息を吸い込んだら、鼻の奥がツーンとした。台風が去れば気温は上がる。暖かい日はしばらく続くのだろう。それでもわたしは、もうすぐ冬がくるんだなぁと、そう思った。わたしペンを握る。この論文が書き上がったらわたしは新しい海流を見つけて、もうあの頃の夢を思い出すこともなくなるのかもしれないと、そんなことを考えながら。

2017-10-19

論のお作法議員候補演説

昔、家庭教師として小論文指導していたことがある。

小論文の基本は、弁証法構成にある(と思う)。

その構成を具体的に示すと次のようになる。

導入部の後には、まずテーゼ(命題)としてある説・論・主張を略記する。

そしてテーゼに含まれる美点、たしかにと首肯できるところを挙げる。

続いてアンチテーゼ、つまりテーゼの汚点、賛同できない点を挙げる。

最後ジンテーゼ、つまりテーゼの美点は継承しつつも、アンチテーゼとして掲げられた汚点は克服されている、素敵な第三案を提示する。

以上だ。

テーゼテーゼの美点、アンチテーゼジンテーゼ

具体例の挿入とか論拠の提示とかの肉付けは残っているが、論の骨子としてはこの4つが揃っていれば、必須要件を満たしていると言える。

裏を返して逆に見ると、つまり対偶をとると、論の骨子が必須要件を満たしていないという時は、必ず4つのうちのいずれかを欠いていると言える。

さて、ここまでは前置きとしてのヘーゲル弁証法の紹介だ。

ここからが本題なのだが、同時にここからは単なる主観でもある。

経験則で言うと、この4つのうちでもっとも欠きやすいのが「テーゼの美点」だ。

しかし、テーゼの美点を踏まえていないジンテーゼは、美点の継承 + 汚点の克服という要件の前者を欠いたものとなるために、単なるアンチテーゼの焼き直しになる。

そのような論には進歩も深化もなく、ただ話者の言いたいこと投げっぱなしジャーマン痕跡があるだけだ。

はいえ、一般人が何かを私的に論ずる時、常にヘーゲル弁証法的な構成手続きを踏むのは現実的ではない。

議論目的が必ずしも進歩や深化を求めるものばかりではないからだ。

さて、翻って政治議員の話である

議員とは、主権者幸福度をより効果的に維持・向上するよう、行政司法コントロールするための立法に、(少なくとも形式上は)議会での議論を通じて取り組む労働者を指す言葉だと思う。

果たして現実議員がそのような定義に沿った実態を伴っているかについてはさて置くとして、定義からすれば彼らに求められる必須技能は以下の3つになる。

すなわち、

■ 1. 正しい目的意識

= 主権者幸福度の維持・向上

■ 2. 適切な統治能力

= 現況の中での目的への最適解を適切に見出し行政司法を最適解に向かうよう制御できる能力

■ 3. 適切な議論能力

= 議会での議論を適切に行える能力

だ。

ここで問題としたいのは3番目の、適切な議論能力である

選挙演説討論番組を観ていると、どうも耳目にする議員(候補)のほとんどすべてが、その論説に「テーゼ(ここでは議員対立する意見政策)の美点」の提示継承を欠いている。

自分には資質があるから票をくれと訴えるプレゼンテーションたる演説ですら、アンチテーゼとその焼き直したるジンテーゼもどきを延々垂れ流す人たちが、どうして議会対立意見を持つ別の議員たちと健全議論を繰り広げられるのだろうか。

これは別に右派は」とか「左派は」とか、枝野氏風に言うなら「上からの人は」とか「草の根からの人は」とか、そういう話ではない。

しろ、そのいずれに属していたとしても、揃いも揃って議論のお作法が出来ていないという話なのだ

自公について言うならば、民主党政権には本当に何も功績や合理的取り組みがなかった暗黒時代なのか、あるいは安保改憲反対派の言うことにはまったく理解できるところはないのか、ぜひ顧みて欲しい。いや、どうせ顧みられないだろうけど。

立憲や共産党社民について言うならば、アベノミクスは本当にすべてまやかし格差を拡大しただけの何ら益ないものだったのか、あるいは安全保障上で米国の協力を引き出そうとみっともなくもがくことを本当に完全に無意味と断じられる客観的根拠があるのか、ぜひ顧みて欲しい。どうせ顧みられないだろうけど。

希望の党について言うならば、いや、希望の党そもそも何をテーゼとしているのか理解が難しいので、何も言うまい

ともあれ、テーゼの美点を継承しつつ汚点を克服する、真のジンテーゼ提示する不断努力を見せて欲しい。

そうでなければ、対立するアンチテーゼ同士のどちらが好きかを選択するだけの、単なる人気投票に堕してしまうだろうというか、もうずいぶん長いことずっと堕したままだ。

こんな状況を見れば、プラトン先生も「ああ、やっぱ民主制ってダメだった」とニンマリ笑うだろうし、子ども政治活動ってのは耳を塞いで言いたいこと言い合うだけのお祭りだと思うし、はてサ彼女はできないし、ネトウヨ財産はできないし、俺はオナニーして死ぬ

2017-10-18

小論文日本における格差是正について(1000字以内)

 経済的な不平等問題はいまや公的議論最前線であり、その原因は多面的だ。日本においても世代・家庭・男女・所得間など様々な格差があり、それぞれに異なる原因がある。これらの格差を打開する為には、多面的対応必要である。従って私は、日本格差是正の為に三つの政策提案する。

 一つ目の提案は、年金給付方式に積立方式を追加する事だ。この政策目的は、年金世代間格差を緩和する事だ。現在年金は、既に受給が始まっている世代は納付額より受給額が多い一方で、将来的に受給額が納付額を下回りかねない状況にある。この不平等解決する為には、国の年金を受け取る退職者が、賦課方式と積立方式のどちらでも受け取れる様にするべきだ。これにより、納付額が受給額を下回る事が無くなり、受給額の世代間格差が緩和される。少子化が進んだドイツでは類似したリースター制度実施されたが、日本でも同様に制度改編を実施するべきだ。

 二つ目提案は、母親対象とする児童手当の確立だ。この政策目的は、育児環境格差と、男女間の給与格差是正する事だ。教育費や保育施設利用費の支援を行う事で、家庭間の教育格差環境格差を緩和する。さら母親対象支給する事で、男女間の給与格差を緩和する。日本先進国の中で育児に対するGDP支出が最も低く、育児における環境格差が大きい。東大の進学率と両親の収入が相関を示すという調査もある。男女の地位格差先進国の中では大きい。これらの格差は、今後の社会保障を安定させる為にも、是正する必要がある。将来世代担い手は、社会全体で積極的支援するべきだ。      

 三つ目の提案は、累進課税の累進度の引き上げだ。この政策目的は、前述した社会保障制度の財源を確保する事と、低所得者高所得者格差是正する事だ。日本は上位一パーセント所得階層所得割合10%を超えている。応能分配の法則から見れば、現在の状況は不平等だ。累進度を引き上げれば、高所得者層の富は低所得者社会保障として再分配が可能となる。従って、累進度は引き上げるべきである

 これら三つの政策により、現在世代・家庭・男女・所得間の格差是正する。同時に、将来の担い手である児童支援を行う事で、財政健全化を図る。これを持って、さらなる格差是正に向けた社会保障の拡充を目指すのである

(979字)

小論文練習です。ご指導・ご指摘など頂ければ幸いです。

2017-08-31

子供読書感想文コンクールに行く

学校から帰ってきた子供が目を輝かせながら言った。

しかし、手放しで喜ぶにははいささか不安が残る。

なぜなら、その感想文は100%子供が書いたものではないからだ。

ここで少し、自分過去の話をしたい。

自分子供と同じ頃、じつは自分の作文もコンクールに行ったことがある。

結果は佳作としてローカル新聞に載る程度のものだったが。

このとき100%自分で書いた。しかも、子供がどの目線文章を書けば大人が喜ぶかを計算した上で書いた。

子供らしい向こう見ずな文章や、出て来る数字も敢えて理解よりも大げさに書いた。

なぜなら、周囲の子供たちはまだそのレベルだったからだ。

の子供らしい部分を大げさに表現すれば、間違いなく大人は喜ぶだろう確信があった。

果たして思惑の通りの評価が並び、子供ながらにしてうける文章とは何かを理解することになった。

しかし、賞に選ばれることはあまり嬉しいことではなかった。

少し特殊な生い立ちを持つ自分は、できるだけ目立たないように生きることが習慣づいていたのだ。

それでも中高の小論文は毎回と言っていいほど自分文章がお手本として選ばれた。

議題に対する切り口だけはこだわってしまった結果だろう。

遠慮して書いてもそのレベルなのだと感じられることに悪い気はしなかった。

ついでに言えば、その頃はすっかり本の虫としての毎日を送っていた。

今で言うライトノベルと呼ばれそうなジャンルから本格ミステリ純文学など節操なくなんでも読み漁った。

電車通学の30分を使って年間100冊は当たり前に読んでいただろう。

絵で描かれる物語とは決定的に異なる、活字が与えてくれる想像余地がたまらなく好きだったのだ。

ちなみに今でも心から尊敬する作家川端康成先生だ。

自分現実世界はいわゆる色弱としての生活を強いられているのだが、彼の本の中では健常者以上に鮮やかな色彩を感じられる気がしたのだ。

モノクロ世界淡々と描いておいて、突如蜷川某氏を思わせるような原色が巻き散らかされるようなシーンの移り変わりに脳天をかち割られるような衝撃を受けたものだった。

それに、彼自身折り紙つきの変質者であるのに、全くそ自覚を持たず純度の高い無邪気さのままに書き上げらる文章に、まるで自分の心の醜さを試されているような感覚もたまらなく好きだった。

しかし、生い立ちの都合でその時代一般的企業への就職を諦めざるを得なかった自分には進学という選択肢はなく、過酷肉体労働に進む以外の道がなかった。

今でこそ現場を離れて机に根を生やす生活を送っているが、最前線現場を仕切っていた時代文章は縁遠い存在になってしまっていた。

そんなある日、家に帰ると子供原稿用紙とにらめっこをしていた。

ひらがなで3枚を埋めることが目標だったのだが、あと一枚がどうしても埋まらないらしい。

どれどれとそこまでを読んでみると、いわゆる子供が陥りがちな感想文がそこにはあった。

本文を抜き出しては、ただ一言おもしろいとだけの感想がつく文章が並んでいたのだ。

どうやらここにたどり着く間にも母親の力を借りていたらしいことを聞いて思わず苦笑してしまった。

そうなのだ大人だって大半はこのレベルなのだ

自分面白いと感じた部分を掘り下げることばかりがうまくなっているだけで、それがあらすじなのか感想文なのかの違いをわかっていない。

そこで少しだけ手伝ってやることにした。

「この本の中で、一番おもしろいとおもったところはどこ?」

「それをどうして面白いと思った?」

「もし自分だったらどういうふうにしたいと思った?」

大切なのは、その時代、その人間しか感じられない感性を切り出して言葉に残すことだ。

思った通り、大人では絶対に思いつかないようなポイントに興味を惹かれていて、そしてそれに対する代替え案も、まさに今の時代を生きるこの子しか思いつかないような言葉が返ってきた。

それを子供の口から言葉にさせ、内容は変えないままに言葉より子供らしく無邪気なものに置き換えて子供に伝え返す。

子供はそれを黙々と書き写した。

そして、あえて終わりを歯切れの悪いものにした。

れいに終わらせることにこだわるのは大人だけのエゴだ。

文章とはもっと自由もので、それにそれこそが味と言われるものになりえるからだ。

小学校先生ときがその良さに気づくとは到底思ってもいなかったことだけが誤算だったが。

しかし、子供の話を聞いて驚くことが一つあった。

どうやらこの読書感想文に対して、コンクール前に先生と一緒に手直しと加筆をするというのだ。

なんだ。それではやってることが家でのことと変わらないではないか

結局子供大人エゴに躍らされるのだ。子供を通じて子供らしいと思えるもの大人同士がやり取りして楽しんでいるに過ぎないのだ。

願わくば子供大人言葉押し付けられることで文を紡ぐ楽しみを見失ってしまぬことを。

コンクールで賞を取ることなんかよりも、よっぽど大切なことからだ。


さて、蛇足をあえて加えさせて頂くと、卒業後しばらく疎遠だった物書きだが、このところは比較的高い頻度で文章を書くことができている。

はじめて誰に遠慮するでもなく、思っていることを好きなように書いてもいい場所を見つけたのだ。

そして、それに対して見ず知らずの誰かが色々とリアクションをしてくれるという、まるで夢のような場所がこの世に存在していたのだ。

おかげさまで、自由文章を書くということがこれほどまでに楽しいことだったのだと喜びを噛みしめる毎日を送っている。

子供読書感想文コンクールに選ばれたのもそこでの経験が大いに活かされているといっていいだろう。

ありがとう増田。そしていつもありがとうブクマカ

子供の作文がコンクールで賞に選ばれた暁には、スペシャルサンクスに今までブクマしてくれた皆の名前を載せようと思う。

2017-08-23

三重否定

東京新聞が「圧縮効果を知らないのか」と馬鹿にされているが、おれは全く別なことを指摘したい。

https://twitter.com/tokyoseijibu/status/900202551534129153にこうある。

この写真を見て、危ないと思わない人はいないのではないでしょうか。

高校生向けの小論文の書き方講座では二重否定を使うとガタガタ言われるが、このツイートでは豪快にも三重否定である

初見理解できる人はいるのだろうか。おれは三回読んでようやく理解した。米軍ヘリは危険存在、という暗黙の前提があってはじめて意味がつかめるのではないか

ちなみにこのアカウント

東京新聞中日新聞政治部公式アカウント部員がその日の政治に関する注目記事話題つぶやきます

だそうである。このレベル日本語能力新聞記者がやれるということには正直驚愕せざるを得ない。

いや、むしろ世の中ちょろいもんだという意味希望を持つべきかもしれん。

2017-08-03

作文苦手だからブログ続かないし書けないからなあ 2

https://anond.hatelabo.jp/20170803172914

 上を書いたのでね、まあ、まあ、ちょっと続きを書いていきたいと思いますがね、ちょっと、手が疲れているので、だるいんですがね、まあ、なにか、こう、書いていると発散できる気がするので、この疲れが気持ちいい気がするので、もうちょっと続けていきたいと思いますはい。さっきからちょっとミスタピングが多すぎる……。

 で、続きを何を話そうかって考えますと、まあ、こうやって書いていると、まあ、さっきから文章書くのが苦手だみたいなことを言ってたんですけどね、まあ、こういう何も言ってないような、つまりただ頭の中にある思ったことをだらだら書くことな全然できなくもない、まあ、それも気分によりますがね、まあ、毎日絶対できないですけどね、まあ、二千字とか三千字ぐらいならそれぐらいのことはできるんですが。

 しかしながらね、まとまった、ちゃんとした。ある一定水準の内容と形式?に沿った文章を書こうとするとね、とたんに書けなくなっちゃうんですね。たとえば、読書感想文とかね、これ、昔から苦手でした。もう、まともに書いた記憶すら無い。うん、たぶんちゃんと書いたこほとんど無い。他には、何だっけ。学校って、中学あたりでも何かあると作文の授業みたいなものを書かされた記憶があるんですよ。個人的に何かやらかしての反省文じゃなくって。何かたとえばクラスいじめがあったときに、自分はどう思うかみたいなのをクラス全体で書かされて。うん?これはまあ反省文のたぐいか? まあ、とにかくそういう、『あなたの思ったことを書きなさい」みたいなことを言われてもね、全然、何も感情がわいてこないんですね。いや、本当はそんなことはなかったのかもしれないけど、とにかく全然書けない。何か授業があったり、学習ビデオを見たりして、その感想メモに書けみたいなことを言われても、全然。もう、全然書けない。ほんとただのメモ用紙ですよ、ぎっちり書いても字数は100字とかその程度だったかもしれない。とにかくそう言うのでも、自分感想とか感情とか考えとか思ったこととか、そう言ったたぐいのものを書くことが昔っからひどく苦手だった。なんででしょうね。わかんないけど。それでまあ、小論文とか、かたちがある程度決まっているものなら書けるのかというと、それも全然駄目。もうね、しっかり構造のあるものを書こうとしたら、文字のつながりが頭の中で崩壊し始めるというか、どこがどう繋がっているのかとか、そういうことが全然考えられなくなってしまタイプなのでね、だから全然駄目でした。じゃあ国語が苦手なのかというとそういうわけではなくて、むしろ得意な方でした気がしますです。はい特にマークシート式ね、選択しに答えが書いてあるようなものから、すごく楽だった気がします。逆に筆記はね、国語でもひどく苦手。だからまあ、とにかく文章出力能力が昔から低くってねえ、大学に入ってからレポートだの卒論だの、そのときはとにかくまあとにかく別に提出さえすれば何でもいいやみたいなレベル講義ばっかだったので、まあ、自分でも何書いてるのか良く分からない怪文書を書いて提出して難を逃れてなんとか卒業してそれで今無職ですが。だからまあ、なんだっけ。

 お、気がついたら1400字ですね。頑張ったな俺。だからそう。

 こういう文章。つまり何も考えていないって言うか、文章だけで考えてるって言うか、うん?なに言ってんだ?つまりこう今の状態って、頭で考えたことを文章にしてるって言うか、もう、この、文字が表示される液晶画面と、タイピングしてる指先に意識が言っていて、頭の方はほとんど動いていないような感じがするんですよね。不思議文章書くの得意だぜって人はいつもこんな感じなのでしょうか。いいなあ。

 まあ、それで、つまり、こういう思ったままのことだーっと打ち込んでいくタイプだと、まあ、こうやって、ずだだだだだだーって感じでタイピングはできるんですけど、これもね、今、さっきのと併せて4000字とか5000字とかあるけど、そういう感じで、だいたい1000字ぐらい過ぎてからじゃないとそういう、ずだだだだーって気分にはならないのでね、ちょっと何か気が乗ったから書いていこうとか思ってもやっぱり難しい。そして疲れる。そして自分でなに言ってるのか分からなくなる。ちょっと疲れてきたから。休むか。えーっと今17時52分ですね。はあ。もうちょっとで2000字ですね。だからなんだって話しですけども。さっき増田は3000字ぐらいまでしか投稿できないみたいなこと書いたけど、ほんとなのかしら。結局自分で試してないから分かんないんですね。まあ、どうすっかな。どうもこうも無いわな。あ、2000字超えましたね。俺の大学ではレポートがだいたい2000字ぐらいでしてね。それをまあ、俺は苦手だから二週間とか三週間とか一ヶ月とか悩むこともざらでしたが、こうやってただだただたタイプするだけならこんなにあっさり済むんだから。だからなんだって言うと、レポート別に字数問題じゃないから、それでどうって話しでもないんだけど、まあとにかくレポートは苦手だったね。構造を先に考えて当てはめていけば良いみたいなことを言われますけど、その構造とかね、全然ね、思いつかんからね。よくわからんのよね。まあだから文章力以前の知能とかそういう問題になりますね。悲しい。友達もいなかったから、「お前アレどうやって書いたノー」みたいなこともちょっと聞けなくってね。悲しい。

 まあ、どうでもいいことだが。

 さっきのエントリで3000字言っちゃいそうだったから本題は次のエントリで言おうと思ってたんだけど、これでもやっぱり今2400字だから、ここからだとなんかちょっと足りない気がするなあ。

 そもそも本題って何だっけ? そうそう 作文が苦手だってことだね。だからまあ、あれ? さっきもうその話しはしたっけ? ちょっと今疲れちゃってね、手とか。主に手とか、手が何を打てば良いのか分からなくなってる感じで。頭はさっきから何も考えていないんですね。だから今この文章、書いてるのはほんと運自分なのかなって不思議な気分だけど、どうなの?そこんところ?

 別に問題ないってばよ!

 そうか!

 じゃあ大丈夫だぜ!

 そうか!

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!

まあ、どうだっていいんだけど。もうちょっと何か書いて発散したいから、まだ書きたいんだけど。今ちょうど18時ですね。だからなんだって話しですけど。どうでもいいけど。ちょっと休憩しようかなって思うんだど、どうせなら3000字に行ってから一休しましょうかね?はい。だからあと100字ちょいとなりますが。何を書こうか逆に分かんないですね。なんか無理矢理水増ししてる感しかないので、自分でもちょっとモチベーション下がってるんだけど、まあ、だから、次のではもうちょっと何かお話ができれば良いなって思うんだね。

 じゃあ、そろそろ、休むね。でもまだ3000字行ってないからもうちょっと。あとちょっとはい

2017-03-18

論文の書き方自体調べりゃ一応出てくるわけで

小論文程度なら中~高校入試勉強するわけで

もっと言えば他人に読んで理解評価されるための文は小学生読書感想文や作文で書かされるわけで

大学行ったかどうか以前の問題

2017-02-19

疑問増田

疑問形タイトルで始まり

自分なりの結論に至った流れを記述していく小論文型の増田あるじゃん

あれに対して増田結論と同じことをブコメに書く奴いるじゃん。

タイトルしか読んでないな?みたいな。

ももしかしたら二人はとっても仲良しなのかもしれないと思った。

2017-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20170203003421

小論文書かせるのやめて欲しい・・・誰が始めたんだよあれ・・・30超えて何で夢見る青年みてえなこと書かないといけないんだ・・・

2016-12-23

給付金奨学金もいいけど社会人枠拡大もね

最近給付金奨学金給付金奨学金言われてるのを見聞きしてて思うんだけどさ、

お金をかけずにこの問題改善解決とは言わない)するために社会人枠の拡大をするってのはどうよ。

お金がなくて大学に行けないっていう問題の数ある躓きの石には、高校卒業から間隔をあけることな大学に行くからっていうのもあり、この場合は各家庭の経済力に完全に依拠することになる。

とすれば、この各家庭の経済力への依拠部分的ものにするため、浪人したと思って高卒一年二年働いて学費を貯めることで大学に行く、というのが選択肢の一つとしてあってもいいんじゃないか。

どういうわけか日本では(といっても他所事情は知らないが)こんな風に異様にライフステージの順序についてこだわる人が多い気がする。高校を出たら切れ目なく大学それから新卒正社員就職っていうパターンとか、青春時代恋愛に明け暮れなければならないとか、いい年こいてフリーターは恥ずかしいとかそんなの。

閑話休題

金を貯めて大学に行けと言っても、現状では働きながら勉強するというのはまる一日勉強できる現役生に対して学力において大きな不利になる。

意識の高いはてなーたちならわかると思うが、一日働いて疲れて帰った後に「さーて勉強するか!」って気にはとてもなれない。

差は開くばかりだ。

さて、そこで社会人枠の拡大拡充だ。

ただ単に必要教科を減らすなり面接をするなり小論文やら経済事情説明書類を書かせるなりやり方は各大学が決めるとして、これによって貯金浪人にある程度下駄を履かせれば、貧乏な家の子でも意欲があれば学習の機会をある程度持つことができる。

しかもありがたいことに、似たような効果を得られる割りに給付金奨学金とは違って直接金がかからない。これが最大のセールスポイント

できることな学校に行きたい子全員が無負担学校に行けることが望ましいし、これが100点満点の解決策だ。

その点ではこの提案100点満点の解決案ではないだろう。

しかし、社会人枠の拡大によって0を100にすることはできないまでも、0を1020にはできる。

100点満点の解決策に固執し、一挙に解決を図るのではなく、こういう部分的改善の積み重ねこそが近似的に100に近づく最短ルートだと俺は思う。

2016-12-19

保育園に落ちた! てか、保育園に落ちるのはお母さんだけじゃない!!

現在求職中の24歳の息子がまた保育園採用面接に落ちたと、すまなそうに報告してきた。

世は保育園不足、保育士不足と言われている。

職安でも、男性保育士さんは引く手あまたですからすぐに仕事が決まるでしょう!と言わたというが、すでに半年以上受けては落ちる日々を過ごしている。

理由は息子に保育園での勤務経験がないことだという。

息子が保育士を目指そうと思ったのは、高校3年の時。

小論文時間課題に取り上げられた「育児放棄」の記事きっかけだったそうだ。

育児放棄されて餓死寸前だった3歳の男の子を、児童相談所の方が救ったという記事だったという。

もともと子供好きで面倒みの良かったむすこは、その記事を読んで、こんな事が二度と起こらないようにしたいと思い保育士資格を取るために3年制の専門学校に進んだ。

だが、男性保育士職場環境想像を超える厳しいものだった。

2年生の時の実習先の保育園では、男子学生の実習を受け入れたにもかかわらず男性更衣室はなく、掃除用具を入れる用具入れの中で着替えをさせられたという。

しかも、実習生にも関わらずまるで用務員のようにありとあらゆる力仕事担当させられた。

自分が行った園だけかと思ったら、ほかの園に実習に行った男子学生もみな同じような体験をしていることに驚き、将来の保育園就職不安を感じたという。

3年生の実習で赴いた、重度心身障害者の入所施設スカウトをされ、その施設就職をした。

しかし、椎間板ヘルニアを2か所発症してしまい、勤務を継続することができずに退職することに。

手術を受け半年治療の後、今年の夏ごろから新たな気持ち保育士仕事に就こうと求職活動を始めた。

しかし、応募をしようと問い合わせをしても、「今は経験者の方を募集しておりますので」と門前払いを食らうことも多々あるという。

いざ面接を受けさせてもらえたある園では

「できれば君みたいな人を採用したいと思うんだけど、今人員に余裕がないか経験者が欲しいんだ」と、不採用を告げる電話口で謝られたらしい。

同じように保育士求職中だった友達に話を聞くと、やはり彼も同じような経験を重ねたあげく、仕方なく今は老人介護施設職員としてアルバイトを始めたという。

いったいこれはどういうこと?

初めから経験がある保育士さんなんているわけないのに、男性だという理由

経験がないという理由で、保育士になろうと熱意をもっている若者に門戸を閉じてしまうのはなぜ?

保育園子供預けられなくて困るのはお母さん達。

保育士採用されなくて困るのは、求職中の未経験若者達。

決して、保育園ではないってこと。

本気で、待機児童をなくそうなんてしていないってことなんだろう。

息子は保育士になることをあきらめて、別の職を探すことにすると告げてきた。

2016-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20161126201638

マジレスすると、どんだけ教育改革ガーとか言ってやれ小論文面接グループディスカッションだとかいテスト以外の方式を導入しようとしても、それをゲーム化して商売にしようとする奴らがいる以上は無理。

新しい方式ができるとそれを数値化して分析して効率のよい合格方法を割り出して、それを金を持ってる家庭の子供に洗脳的に教えていく。

からいつまでたっても金持ち家庭に生まれ従順想像力に欠けたタイプの子供が高学歴を独占してそういうやつらが「国際競争力のない」仕事をしていくことになる。


面倒なのは合格パターン分析して提供する塾講師連中がおそろしく優秀であるということ。

下手をしたら新しい受験方法をガーガー言ってる有識者よりもずっと。

変な例えで言うと、それまでは感覚とか経験をもとに作られてきた芸術作品を細かく分析してパターン化して抽出してその中で一番評価が高いもの総合して作品として発表するとかい感覚

あいう連中の知恵の使い方をもっと他のところに生かせたらいいんだろうけどさ。

2016-11-25

昇進試験を控えると、上司から過去資料問題の傾向を資料として渡される。もちろん自分でも資料をかき集め必死勉強をするが、調べてみて考えてどうしても分からないことは教えて貰えるし、頼めば小論文添削もして貰える。そして一次試験合格すると、面接練習もして貰える。他のところではどうなのかわからないけれど、うちの会社には、職場には、そういう風土があって、自分もこれまで何度かお世話になっている。

ただ先日、一人の先輩はこう言った。

「あの人たち(上司)が本当に部下のことを思いやって付き合ってくれてると思ってる?そういうところ、今の若い子たちはわかってる?みんな自分休みの日にまで出てきて(面接練習)やるの、正直なんかさ…心配というか…。上司対策をした、練習をした、それに付き合ったという実績とか、合格者を自職場から出したという実績を求めてるんだよ。振り回されてない?親身になってくれてるようで感謝してるかもだけどここにいるうちは考えた方がいいよ」

自分もうっすらとは知っている。部下の出す数値・実績・昇進試験の結果……そういったもの上司評価になること。でも先輩が言うほどの思惑に満ちたものだろうか?穿った見方をして、本当にそこにある厚意や優しさまでゴミ箱に投げ入れるようなことをしたくはない。少なくとも、自分時間を割いてくださることへの感謝はしないといけない。自分一人ではなかなかたどり着けないこたえを一緒になって考えてくれるのは、たとえ実績のためだとしてもありがたいことにかわりはない。

上司の知恵をあずかっているのだから面接練習の回数が少し上司の実績に織り込まれるくらい、気にしなくてもいいと思うけどな。上司を盲信しているわけでもないし、本当に休みたいときは休んでいる。でも、先輩にそうは言えなかった。

2016-09-30

(2) 知性の欠片も感じさせないブログツッコミを入れてみる http://anond.hatelabo.jp/20160930081102

続き。

意見を言うから嫌われてる?それ本当?

http://www.amamiyashion.com/entry/2016/07/24/193000

日本社会問題点として、「空気を読まずに意見を言う人間を淘汰しがち」ということを挙げてあれこれ論じています

わかる。すごくわかる。日常生活で真面目に意見をぶつけ合うことってほとんどないし、ある程度結論が見えてて(もしくは偉い人の方針があって)形式的議論してそこにたどり着くだけ、みたいなのが多すぎてバカバカしくなったりしますね。

でも雨宮さんの場合は「知らないことを知らないと認めない」「間違いを認めない」「それでいて知ったかぶりや間違った知識に基づいて、飛躍した論理意見を展開する」「そしてそのことを指摘されると逆上する」から嫌われるのでは?

そういう人は日本でなくても嫌われますよ。というか、ドイツのように議論を大切にする社会のマトモな知性を持った人ほどこういう人を嫌いますよ。

要は作法を知らないということなので。

雨宮さんの普段を知りませんが、このブログのような調子議論に参加しているとしたら、それは「散髪直後で髪の毛を撒き散らしながらレストラン入店し、入るなり大声で所望の品を叫び料理が出てきたらガチャガチャクチャクチャと耳障りな音を立てながら食し、代金を店員に投げつけるようにして退店する」というくらいの無作法です。つまみ出されて当然です。

議論好きのドイツ人といえど、議論できるレベル結構ばらつきがあります。言いたいことを言うだけ(相手意見をよく聞いていない・聞く気がない)という人も結構多いです。雨宮さんの周りにはそういう人が多いのではないでしょうか。

雨宮さん自身、せっかくドイツに長くいるのに飲食店パートタイムで働いたりセコセコ内職したり微妙大学に通ったり、ということしかされていない(学問ビジネスもされていない)ようなので、そもそもドイツ人シリアス議論をしたことがない可能性も大いにあります

可愛い日本人女の子に下心を持った男に「君は賢いね」などとおだてられて自信をつけた、というのもありそうです。ここまで来ると邪推ですが。

意見をいうときの鉄則...?

1.自分意見には根拠をつけよ
例えを使うのは王道ですね。具体的な数値を上げるのも効果的です。自分リアル体験談を引き合いに出すのもOK。

例えや体験談根拠にはなりません。根拠を補強するだけです。補助輪です。雨宮さん自信の主張に根拠があったことはほとんどありませんね。メインの車輪なしに補助輪だけでは走れませんよ。

2.意見を言ってまわりに問いかける
わたしはこう思います意見
なぜならこうだからです(根拠
からこうした方がいいと思いますが、どうですか(まとめ・提案、問いかけ)
という3段論法オーソドックス簡単かつ有効です。小論文なんかでも使われる手ですね。

えっと、これを3段論法とは呼びませんし、小論文に問いかけとか書きません。

まわりに問いかけること自体大切なことですが、上記はよく意味がわかりません。

4.反論には先に反論しておけ
説得力が増すし、相手反論ネタを奪うこともできます

「どのように反論されても言い返せるように十分準備しておけ」という意味なら大賛成ですが、だいぶ違う様子。

相手が言い返してきそうなことを予め否定しておく(ただ否定形にするだけ、根拠なし)」ということのようです。

「お前のことバカにするわけじゃないんだけど、お前って頭も悪いし不細工だし体力ないしどんくさいよなw」とかそういうことのようです。

説得力は増しません。単に「反論は受け付けません」と宣言しているだけです。図星を突かれるのが怖いから予め自分から晒すことで恐怖から逃れる、という幼稚な手法です。

5.相手共感させる

これは大事です。

ブログ全体から漂う無知

この雨宮さんという方のブログから漂ってくるのは

ということに基づく「平凡な日本人」に対する謎の優越感だけで、読めば読むほど「薄っぺらい(無知なのに尊大な)人間だなあ」という感想が湧いてくるのです。

これとか、「ご自分に向けて書いたんですか?」と尋ねたくなるほどです。 選民思想をこじらせてるただの自己中、多くない? - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース

はいえ、「外国人」とか「グローバルな視点を持っている(ように見える)日本人」の言うことを無条件でありがたがってしまう人たちというのも多いので、そういう人たち相手の「ブログという芸」で小銭を稼ぐ人がいるのも当たり前だなあ、という感じです。

路上物乞いとか、不幸な身の上話をして小銭を集めて回っているような人に対するのと同じように哀れんでしまうけれど、本人が惨めに感じていないだけマシだな、とは思います

観光地陳腐な空中浮遊芸やってるようなエセ大道芸人と同じようなものですかね。

同意できる記事

彼女の書いた記事で「その通りだね」となったのは以下の2つくらいです。

雨宮さんや同類ブロガー諸氏へのアドバイス

良い本をたくさん読みましょう。インプットが「自分身の回りで見聞きしたこと」だけに偏りすぎです。

2016-09-27

ワイ、某公的機関パート

はてなブックマーク - 【悲報】ワイの職場、25年務めたパートのおばさんが辞めそうで現場大パニック【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】

ちょっと前の記事だけど読んだ。ここのブコメで挙がってる疑問や意見勝手に答える。

このおばさんが正規雇用じゃないのなんで

ウチの職場と同じなら、たぶん正職員になるのに公務員試験と同等の筆記試験小論文面接必要

公的機関だと正職員はほぼ公務員みたいなもんだから…。

また、正職員になるとジョブローテーションの対象になる(後述)ので、必ずしも同じ仕事を続けられるとは限らないし、転勤もあるかもしれない。

もろもろのリスクを背負ってまで正職員になりたがるパートさんは少ない。上から打診はあったかもしれないけど。

その人がいないと回らない組織がクソ

まぁクソなのはその通りなんだけど、正職員ジョブローテーションのために、長くても2~3年で異動してしまうという事情がある。

あとは上部機関からの出向だったりで、とにかく一つの職場に居つかない。

そうすると10選手20選手パートさんの方がよほど業務に詳しく、正職員がお伺いを立てる状況が発生する。

しかゼネラリストを育てるためとは言え、短期間でじゃんじゃん異動させて意味があるのかね?

(補足すると、正職員さんたちは流石に優秀で、短期間で業務理解して破綻なく回しているのは本当にすごいと思う。

ただ一方で前例主義と言うか、過去案件を参照することがすごく多いので、そうすると必然的パートさんが頼られるわけです。)

この問題職場が変わればいいね

変われるよ、現に俺は変わった。主に法改正で。

ウチの職場ではすでに、無期雇用ではパート職員採用していない。最長5年。

さらに、平成30年3月はいわゆる「平成30年問題(※)」で大量の雇い止めが出る模様。

(※改正労働契約法(H25.4)で勤続5年以上の契約パートを無期雇用に転換するというルールになったものの、無期にしたくない雇用主が施行から4年11か月のH30.3に契約満了にするんじゃねえかという問題。詳しくはおググりください。)

まり

という人員構成になる見込みです。

ヤッタネ!!これで属人化から切り離された職場になれるね!!! 具体案?しらね

かつて無期雇用で雇われた、あるいは頑張って無期雇用を勝ち取るベテランパートさんも一部は残るだろうけど、全体数から見ればごくわずかだろうし、20選手なんかだと60歳定年が迫ってたりするんだなこれが。


ということでH30.4以降、さまざまな職場で「職場を回せるベテランパートさん」すらいなくなる事態が発生するかもしれません。

まぁワイもH30.3で契約満了なんで関係ないですけどねプー

2016-09-01

若者の「読書体験」とネトウヨ

 最近の若者ネトウヨ化しているのは、読書体験によるものではないかと思う。

こう書くと、「読書体験が足りないか右傾化した」論者に思われるかもしれない。

しかし、私が主張するのはだいぶ違う内容だ。むしろ逆の内容だ。読書体験は、本来の形でないにしろ多くなっていると思う。


 最近の若者は、「読書体験」の多さによって、ネトウヨ化しているのではないか


 若者人生経験が少ない。筆者もまだ10代だから、はっきり言って人生経験と呼べるものなど殆ど無い。

その若者が、足りない人生経験を補うのに必要なのが、読書体験である


本来的には、人生経験の足りていない若者は、理想主義に走りやすいのではなかろうか。

中村光夫氏の『老いの微笑』では、恋愛永遠性や、社会正義の実現の夢などが、青年の持つ錯覚の例としてあげられている。

私が思うに、かつての若者の中にあった新左翼は、社会正義の実現の夢をいだき、いわゆる学生運動などへ傾倒していった、「理想主義」者であった。


 しかし、今は異なる。読書体験はいわば、文章を読むことで、他者人生を擬似的に経験することだ。

この体験を増やしたのが、ネットであろう。インターネット特にツイッターなどで語られる「他者人生」を

今の若者はかつてよりも大量に読み、結果として現実を知り、「現実主義者」と化したのではなかろうか。


 つまり現代若者は、インターネットによって他者人生を知る変則的な「読書体験」を多く積み、結果として「社会正義の実現」などといった

理想主義不可能性を知り、現実主義者となった。そして、それが「ネトウヨ」と呼ばれるようになったのではないか

インターネットには、地獄とも言える生々しい現実が多数描かれている。togetterまとめなどが代表例だ。

昔の若者は、このような現実を知らぬまま、理想主義に向かっていったが、いまだとネットによって辛い現実を知る、ということだ。

キェルケゴールが言うところの「絶望を経て、次の段階に達している」というようなことことかもしれない。

変則的読書体験」で理想を砕かれた絶望の上の、現実主義者ということだ。

昔は情報がなく、世の中を若者がわかっていなかったというのは、「出口小論文講義の実況中継②」で、出口先生も語っておられた。

その中で先生がおっしゃっていたように、だからこそ昔の若者は夢をより持てたのだから、必ずしもこの読書体験の増大は良いことばかりではない。

 

 そもそもネトウヨと呼ばれる者達の思想は、政治的右派と言うよりは「現実主義である

もちろん、現実主義が100%良いものではなく、理想を考えることも時には必要であろう。

以上の理由からして若者現実主義者となってしまい、それがネトウヨ思想親和性を持った結果の、若年層における

右傾化」なるものの発生、そして続く自民党の若年層からの人気なのではないか

より踏み込んで言えば、情報社会こそ、「ネトウヨ化」の根源なのかもしれない。

追記です。

キェルケゴール云々は、要するに「絶望」→何らかの変化をいう段階の比喩として使ってるだけで、本来キリスト教関係だってのは理解してます

ちょっとこれ以外にうまくあげられるような例が見つからなかったので、変になってしまってすみません。一応比喩を明示しておきます

 

2016-08-23

続【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞記事批判する

前回のまとめと補足

前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。

その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テスト記述試験大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法採用を後押ししてしまっているという点にある。

いくつかのコメント飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。

しかし、その一方で、私は文科省国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解バイアス資質問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。

これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。

今回批判したいこと

今回私が批判したいのは、8月19日朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である

前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。

はじめに結論をかけば、

氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。

私が特に重要視している記事記述は次の2つの記述に集約されている。

この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。

記述問題形式

氏岡氏の8.19付解説記事最初記述について考えたい。

私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述問題において何を問うかという点に関する検討理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである

特に、「文章理解説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者可能になったと断定している点である

国公立大学二次試験国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章記述の内容把握や根拠説明要求するものになっている。

一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学2016年度だと例えば滋賀県立大静岡大首都大学東京島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。

では、新共通テスト記述問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。

高大接続システム改革会議の最終報告には、

国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報多角的視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)

とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句一見氏岡氏の記述合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分言葉説明することを指していると通常は解釈するように思う。

実際、

大学入学希望学力評価テスト仮称)」の記述問題については、現在国立大学二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力評価と採点等テスト実施に当たっての課題解決の両立を目指す。(p.56)

と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。

まり「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。

仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、

自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。

では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。

解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価観点を踏まえつつ、各大学学部)はアドミッションポリシーに基づき独自の採点基準採用することができ、各大学学部)の主体性が発揮できる。

ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。

というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものからだ。

全国共通試験への記述式・論述問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力評価するための大改革であり、適切にその能力評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧あり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。

これは、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテスト場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。

また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テスト問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいか記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである

また氏岡氏は自身ツイッターで次のように述べている。

入試改革を引っ張ってきた国大協の委員会ででた案。出題の幅がぐんと広がる。注目です。

「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。

しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。

読売新聞8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。

国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテスト1月中旬実施しても、大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。

これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。

「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。

上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?

また国公立二次試験を見ても、単独で200~300字の記述要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である

もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。

今回のまとめ

まり考えられることはいろいろある。

といったことだ。

 しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告から乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。

 実は、国立大学協会論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。

そもそも、記述式・論述問題評価すべき能力いか構造化できるかは、根源的な課題である評価すべき能力構造化があって初めて、各大学学部)はアドミッションポリシーの中に、記述式・論述問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識ノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力構造化に向けた記述式・論述問題設計理論構築、体系化が喫緊課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学個別試験における記述式・論述問題に関する実績を調査分析することなど、この課題積極的に取り組んでいきたい。

これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述問題形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。

2016-08-08

http://b.hatena.ne.jp/entry/297368198

肯定的意見が多いが、絶対的否定する。

結論部分の偽善的な成長ストーリーめっちゃくちゃ気持ち悪い。

それに、将来に役立つとかいうなら、小論文勉強をさせるとか、「3分PRを考えて作文しろ」ってやればいいんで、それとこれとは全然別な話だよ。

読書感想文構成全然一種類じゃないんだが、学校でこんなマニュアル配られたらこの通り書かなきゃダメかって思うだろ。

書き出し・・・小説の一部を抜き出す

じゃねーよ、冒頭を抜き出し以外で書く構成もあるんだよ。それを書き出しに限定するなよ。

から画一的」なんだよ。

これが分からんっていうんだから、そりゃ増田ブコメ文盲ばっかりになる訳だわ。

2016-07-15

院試勉強が出来ない状況が苦しい。

私は、文系院卒(修士)だ。事情により鬱病発症したが、それに伴い発達障害(未診断ではあるが、ADHDアスペルガー合併症の恐れがあるスペクトラム)の疑いも担当医に伝えられている。

再就職をするにあたり、自分適材適所を探すべく、GATBやウェイス3、学生時代アルバイト経験での失敗・成功体験を思い起こすも、いかんせんこの「成功体験」が思い当たらず、なかなか職種見立てが出来ない。

思い詰めて悩みを、公的機関キャリアカウンセラー心療内科担当医に相談したところ、「もう一度、学校に通ってみては。」という事だった。違う大学、他の研究科でも良い、コツコツと興味関心のあるもの研究出来る環境が一番、あっているのでは。と言われた。

結論から言うと、それは難しかった。経済的な事もあるかもしれないが、もっと悲惨な状況になっていたからだ。それは、勉強のコツが思い出せない、集中して勉強出来ない、といった私は明らかに学習能力が低下していたのだ。

因みに今、院試に向けて勉強している分野は遺伝だ。自分発達障害の一件がきっかけで一度じっくり研究したいと思った。文系出身学位で学べるアプローチが、某大学院研究科の「遺伝領域だった。特定出来てしまうかもしれないので、これ以上は言えないけれど、自分が携わる事が出来る所(居場所)欲しさに、とにかく躍起だった。

けれども、ほぼ初めてに近しい理系勉強は困難でしかなかった。恥ずかしいけれど、今まで出来ていた文系受験勉強や、文系分野の研究に対する学習能力に、疑問を持つ程に理系勉強が出来ない。理系と言ってもすべての範囲を網羅する訳では無くて、あくま研究科で出題される「遺伝分野」だけ。にもかかわらず、自分はなかなか頭に入ってこない。

自分はこんなに馬鹿だったのか。今までの自分は何だったんだろう。鬱のせいなのかな。それとも、実は興味・関心が無いのでは…?

そんな自己嫌悪で一杯になった。

じゃあ、他に何かやりたい事や現実的に私が「出来る事」はあるのか?一から戻って考えても、私がやれる事(成功体験)は思い出せない。

他の何らかの進路に切り替える事が出来る選択肢が浮かばないのだ。

そうこうしている内に、受験申込の日程が迫っている。志望理由所は書けても、本題の基礎知識が頭に入らない。英語もある。小論文もある。プレゼンもある。もう、自分の頭の悪さに劣等感で一杯だ。

夜遅くに吐き出してごめん。ここまで読んでくれて、どうもありがとう

2016-06-19

小論文を書いているんだが、普段からはてなにいるとどうしても思想が左寄りになってしまう。

助成金に応募するための作文なんだけど、内容的には自民党的なというか日本は成長・拡大していくのでその原動力になりま~すというのが100点なんだろうけど、どうしても人口減少でシュリンクしていく日本撤退戦の真っ只中、如何にして社会を看取るか、みたいな方向に筆を運んでしまう。

でも受け取る側はそういう答えは望んでないだろうし、という感じで踏み絵を踏まされている気分になる。

やはりSNSに居ると見ている世界へのバイアス、というのが出てしまうよな~と反省している。

2016-05-07

就活でつまずく書類選考の壁

私が就活をしていたのは、リーマンショックが起こる年。

今、就活を頑張っている人とは始まる時期は違うし、景気も違うだろう。


けれど、いまだに就職活動の仕組みはあまり変わっていないようだ。

説明会書類選考面接

そして、書類選考で提出する書類には、その会社でやりたいことや自己PRを書かされるのであろう。


書類選考用の作文で悩んでいる人はなので、開き直って1%の真実に99%の嘘で盛った作文を書けばいいよという話を下記にダラダラ綴る。。


書類選考書類を書くたびに「企業はなんでこんなことを聞いてくるのだろう」という疑問。

すでに就活が終わっている人たちは「このぐらいのおべんちゃらや建前が書けないやつは就職しても使えないヤツ」と言うかもしれない。

実際にそういった建前を書いて入社した身としては、この疑問はなくならなかった。


「その会社でやりたいこと」そこそこ大きい会社だと、配属先によって業務が異なる。

その会社でやりたいことと違う部署に配属されることはままあるし、一生配属されないことだってあるだろう。

入社してからいわれるのは、「ロールモデルを探せ」だ。

身近な上司や先輩、もしくはその人たちの良いところをパッチワークのように継ぎ接ぎしてロールモデルを作れといわれる。

考えが至らない私は「やりたいこと」と「ロールモデル探し」の時点で、会社の言うことが乖離しているようにしか思えなかった。

新卒で入った会社にたいして、ただ給料をもらってやることやって定時で帰りたいということだけしか考えていなかったので言われるままに淡々と処理していた。

夢や希望みたいなものを持たずに入社すると、過剰な期待をすることもなく幸せに生きることができるなと思った。



「その会社でやりたいこと」以上に、就活中に悩んだたのは「自己PR」だった。

半年ほど寝込んでいて、周囲から遅れをとって就活をはじめた私にとってとてもしんどい作業だった。

自信喪失をして寝込んでいて、少し回復したら自己肯定感たっぷりの作文をしろって言われても何を書いていいのかわからなかった。

就活サイトアマゾンのレビューを参考に、自己PR文の書き方の参考書を購入した。


参考書を読んでも、なんだか立派な人生経験をしている人の文例ばかりで参考にならなかった。

アルバイトリーダーになったとか、留学経験があるとか、父親を亡くしたことがきっかけで生命保険の大切さが分かったとか。

アルバイト経験があってもリーダーになったことはないし、留学する時間金も情熱もない大学生だった。

父親は私が産まれてすぐに自殺未遂をしたり、うつ病になって気分で怒鳴ったりニコニコしたり寝込んだりしていたけれど生きていた。


自分を偽ったり、盛る作文は苦手だ。

小論文のように決まりきった構成があり、データをもとに賛成か反対かの根拠を書いていく文章のほうが得意だ。

どうしたら、キラキラした自己PR文を書けるのか毎日悶々としながら書いては消しを繰り返していた。

悶々としている内に、どうも自分には自己肯定感が足らないことに気づいた。

自己肯定感が強い人間は、私から見て大した経験もしてなくても、その経験がいかに立派なものかをキラキラした自己PR文に落とし込み

それをさも立派なことのように発言できるようだ。


どうにかして、自己肯定感たっぷりキラキラした人間を偽らなきゃいけない。

改めて、大学生活中にやっていた委員会アルバイトのことを書き出してみた。

自分としては大したことではないが、人事に受けそうなネタを2つほど出てきた。


1つめは、学祭実行委員をやっていたこと。芸能人を呼んで交渉したりしていた。

なんとなくススメられ、先輩に教えてもらうがままに作業しただけで終わったことである


2つめは、光回線勧誘電話をするアルバイトをしていて、在職していた3カ月ほどの間売上TOP3に常にいたこである

マニュアルを読んで、面倒なクレーム社員に投げるだけの簡単お仕事である


私の中ではこの2つは立派なことではなく、ただ流れにそって作業しただけだ。

たまたま運良く上手くいっただけだ。自己肯定感が育った経験とはとてもいえない。

書類選考用の文字数をうめるものとして、この2つは役に立った。


就活って自分否定されて嫌な気持ちになることもあるから、ほどほどにやればいいと思う。

2016-03-15

べきだ、じゃねえよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160314221723

なんだこのアタマの悪い文章

男は種をまき、女は産むべきだ。

なぜなら生物学上男は種をまく存在で、女は産む存在からだ。

しか言ってねえじゃねえか。

それが経済の発展につながるわけだし種の存続につながっていくのではないだろうか。

根拠は?

もっと言ってしまえば女は産むべきだし男はいろんな女に種を仕込むのが生き物として当たり前の行動だと思む。。

根拠は?

お前この2つを説明不要事実だと思って話ししてるだろ。

違うんだよ。ここはお前の主張なんだよ。説明しなきゃいけないところなんだよ。

わかるか?

説明しなきゃいけないのに説明してないところはないのと同じなんだよ。

生物学上そうだが、現状そうなってない理由についてなにも考えてねえじゃねえか。

説明はしない、事実認識できてない。

お前はそのなになにするべき、という部分について何一つ価値のある話をしてねえよ。

小論文だったら0点だカス

中学生までだったら許すが、高校以上でこの文章書いてるならお前は学校で何を教わってきたんだ。

ちょっと教師名前書いてみろ。ちょっとその教師とっちめてやらにゃいかんわ。



わかったか

お前のは意見として扱うにすら値しないんだよ。


お前友達うぇーい以外の会話したことあんのか?ねえんだろ?


何か一つでも、家族友達以外に対して説得するということをやったことがないんだろ?


それじゃ何一つ人の意見を動かすことなんか出来ないんだよ。やるべきことちゃんとやれよ。

意見もクソもねえよ。もう一回最初から書き直せボケ

書き直したらもう一回読んでやるからよ。

2016-01-18

とある高校生の夢

 初めに、文章なんてもの学校小論文の授業ぐらいでしか書かないのでおかしなところが多々あると思います

そこは大目に見てください。

 なんで僕がこの匿名ダイアリー自分の夢を書こうかと思ったか自分でもわかりません。

たぶんあふれ出る僕のパッションが抑えきれなくなったからです。

 冗談はさておき(←使ってみたかった)僕の夢について書こうと思います。長くなるかもしれませんが、もしよかったら読んでください。

僕の夢は、ITエンジニアです。ITに興味がある高校生なのです。

 きっかけは中学の時、ゲームクリエーターになりたいと思ったことでした。

調べてみるとゲームクリエーターには、企画を作る人、音楽を作る人、絵を描く人、そしてプログラマというのがありました。

僕は芸術方面の才能が乏しかったので、音楽、絵は無理かなと思っていました。(実際僕の描いた絵は酷いです)

そしてゲームをとりあえず作るならコンピューターの知識がいるから、プログラミング必須だなあと思ったので、プログラミング勉強をし始めました。

初めてのプログラミング言語Javaでした。

最初入門書を一通りやって、そのあといよいよゲーム作りだと思って、インターネット見ながら作ろうとしたんですがね・・・

これがなかなか難しいわけですよ。

周りにコンピューター好きの友達かいなかったので一人で考えたり、プログラマならググれとかいうのを聞いたのでグーグル先生にお尋ねしたりね。

そんで壮大なストーリー面白いシステムを兼ね備えたゲームが完成した・・・

とはならなかったです。ならなかった。

そもそも一からゲームを作るのなんて無理なんだ。ふつう何かしらのソフトとか使って作るんだよ。

自分に言い聞かせて、Unityかいゲーム開発ソフトをやり始めたんですけどね、これJavaつかえねーじゃん。

ってなりました。でもなんかJavaScriptかい言語でなんか名前が似てるからいけるんじゃないかなあ(適当

とか思ってやってみたんです。ググってサイトプログラムから使えそうなものを持ってきて何とか、ゲームっぽいもの作りました

でもプログラミング全然してないじゃんとか思って、ゲーム作りは中断したんです。

もっとプログラミング使えることしよう。特にJavaが使えるやつを。

そう思って始めたのが、Androidアプリ開発でした。

自分スマホ自分アプリが動いた時の感動は、今までで最高でした。

でも、Androidアプリプログラミングって、今までやっていたJavaプログラミングとだいぶ違うと思いました(少なくともその時はそう感じた)

それに、技術を学ぶのはいいんですけど、当初の目的ゲーム作りから外れてしまって作りたいと思うものがなくなってしまったんです。

それでプログラミングあんまりやらなくなってしまったんです。(この時がだいたい高校一年生の夏ぐらい)

 このころ僕は高校に進学していました。

僕は田舎に住んでいるので、いける高校は限られていました。

その中でも、私立高校の進学コース最近実績を出しているようだったので、そこに行きたいと思いました。

私立なので親に反対されましたが、頼み込んでいっていいといわれました。

ただし面白いことに(面白くないが)大学お金とかは一切出さなから自分で何とかしろ(笑)と言われました。

中学ではそれなりの成績だったのに高校に行ったら、上には上がいるんだなあということを痛感させられました。

高校1年生の最初模試偏差値が50でまあ50ならいいだろうとか思っていました。

しかし校内順位が下から数えたほうが早いぐらいのところで、期末テストとかはまあまあい順位だったので、がっかりしました。

それからプログラミングと代わって勉強を少しやるようになりました。

一年後血のにじむような努力の末(実際そんなに頑張ってないです)偏差値65ぐらいで安定するようになりました。

 プログラミングやらなくなってからそっち系情報だけはしっかり集めてました。

インターネットプログラミングに関するブログを見たり、ITの本を買って読んだり。

ちょっと別の言語Python)を勉強したり。ほんのちょっとだけですよ。

まあそんな中で自分人生について考え直してみたんですよ。

ほんとにプログラマになっていいのか?

真偽はわからないが、プログラマは最弱の職業労働時間は長く、給料は低い。

そのうえ30歳過ぎたら使い物にならない?みたいなことがネットで言われていた。

ネット情報鵜呑みにするのは愚かだと思うし、すべてが真実ではないのだろうけどやっぱり不安だ。

別にそんな危険を冒してまでプログラマにならなくてもいいんじゃないかとも考えた。

 しかし、しかしですよ。プログラミングに触れなかった空白の1年間でいろいろな知識を得たんです。

株やFXプログラムを使って自動取引している人とか、コンピュータ作曲させるプログラムとか。

自動車自動運転プログラムですよね。

プログラミングっていろんなところで使われているんだなあ、と感動しました。

面白いアイデアを見るたび、

「そういうアイデアもあったのか」

と悔しい思いをしました。自分にはアイデアがあっても実現する技術がないとおもってさらに悔しい思いをしました。

きっとこれからも新しくて便利で面白いものが出てくると思います

僕もそんなものを作りたいと思っています

自分の書いたプログラム世界を変えるものになったらどんなに愉快なんだろう。

 世の中にすごい人っていっぱいいます

高校でも絶対勉強でかなわないなって人はいっぱいいます

僕は初めてのことが比較的苦手ではじめは全然できないんです。みんながぱっとできることができなかったりすることに劣等感を感じることもあります

つい先日センター試験があって、僕は高校二年生だけど問題を解いてみたんです。

僕は数学が得意だと思っていて、模試でも数学が一番点数が取れるのに、センターマーク形式になったとたん思考停止しました。

友達は僕よりはるかいい点数を取っているのに僕は全然ダメちょっと自信を無くしました。

 世界を見ればもっとすごい人がいます

iphoneを作ったスティーブ・ジョブズとかはほんとにカリスマだと思います

世界を、僕たちの生活を変えた(少なくとも僕はその影響を受けている)

でも僕はジョブズにはなれません。

一度世の中に出たもののまねをしても世界は変わりません。(もう変わってしまっているから)

なんか哲学っぽくなってきた。というか言いたいことが分からなくなってきたなあ。

まあつまり、新しくて面白い作ってる自分がわくわくするようなものが作りたいと思ったわけですよ。

 結局僕の夢というか人生コンピュータの道に進むことになりそうです。

一年間は受験勉強をして、大学に行くことがこれから一年目標になりそうです。

でも大学に行くことは最終目標ではありません。

僕の人生の道の途中のほんの些細な事。

 もし道を見失いそうになったら、ここに書いたことを思い出したいと思う。 

 とっても長い文を書いたと思います。(自分的には)

なんか本が作れそうですね。自叙伝みたいな。

というかきっとここまで長くて下手でつまらない文章最後まで読んでくれる人はいないと思います

僕だったら読まないから

でももし読んだ人がいたら、「ひっどい文だな」とか「お前みたいなやつにが新しくて面白いものを作れるほどこの世界はあまくねぇよ」

とか「そもそも新しくて面白いものってなんだよ、もっと具体的に言えよ」などなど文句があると思います

なんか自分で書いていて悲しくなってきました。

本当にごめんなさい。

                                                                           ―終わり―

2016-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20160107001346

新卒正社員選考広告も含めて、一人当たり1000万円と言われている)を参考にするのは無理だろう。入学金で回収するにしても、かけられる予算=手間は、せいぜい数十万円だから、ぜんぜん違う方法をとらざるを得ない。全く共通点がないわけではないだろうが。


AO入試では、就職活動より、一目でわかりやす差別化要因が必要になる。特に新卒採用で使える大学名という便利な足切り道具がないからなおさらバイオリンコンクール優勝とか、天文部で成果を出したとか、そういうものがないといわゆる難関大学には入るのは難しくなるだろう。実際、ハーバードにはそういうもの(もしくは強力なコネ)がないと入れない。小さい時から環境大事ものになるから、家が貧乏でもビリギャル的に挽回できる今と違って、階層間の流動性が下がるだろうね。日本アメリカと違って就職したあとに下から這い上がるルートが狭いし。

あと、面接スキル小論文スキル数学歴史に比べて体系化されていなく、独学がしづらいから、そういう意味でも環境に恵まれた豊かな家庭は有利だよね。

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