はてなキーワード: 高畑とは
宮崎駿は原作からかけ離れたアニメを作ることで有名だが、高畑勲はもっと恐ろしい。
高畑勲は原作と別の存在としてアニメを作るのではなく、原作を再解釈し、異なる意味を与えるアニメを作る。だから高畑勲アニメを視聴してから原作を読むと、「アニメとは別モノだね」ではなく、「アニメはおおむね原作通りだったね」という感想を抱きつつ、知らず知らずのうちにアニメの解釈で原作を読んでしまう。
『火垂るの墓』の原作は野坂昭如という作家の自伝的な小説で、それ故にこのアニメは3層構造の原作になっている。
清太=作者なのに、死んだはずの清太が戦後に小説を書いて直木賞を受賞し、歌手デビューしたり、国会議員になったり、テレビのレギュラー番組を多数抱えているのは明らかに矛盾している。
野坂昭如の妹は小説の通り亡くなったが、兄は小説と違い生きている。
高畑勲のアニメでは、そのあたりの冷ややかな視線をさり気なく盛り込まれている。
高畑勲は原作のメインプロットを尊重しながら、原作者に対しこれでもかと悪意をぶつけている。
アニメでは子供時代と大人時代が交互に描かれていたが、原作には大人時代が存在しない。
アニメ版の子供時代の描き方は高畑作品としては珍しく、キャラクターがとても『かわいく』描かれている。このかわいさはジブリアニメとしては異質で、悪く言えば観客に媚びた絵柄とも言える。
一方で大人時代の絵はだいぶ様相が異なる。27歳のタエ子は令和の基準で見ると40代から50代のように見える。成人した子供がいてもおかしくない顔をしている。
自分探しの旅に出て田舎体験する夢見がちなアラサー女と、幻想の世界の可愛らしい少女漫画のキャラクターを残酷に対比させ、「お前らの自己認識はこんな感じの少女漫画キャラだろうけど、現実はコレだよ」と突きつけ、夢から覚めない都会の女が最後は『農家の嫁』になるというハッピーエンドともバッドエンドとも分からない結末で物語は終わる。トトロで田舎を知った気になる人たちへの痛烈な皮肉とも言える。
ジブリの経営を傾かせるほど金と時間と才能を注ぎ込んだにも関わらず、作られたのは昔話そのままのかぐや姫で、公開当時の観客は拍子抜けした。
それは『かぐや姫の物語』というタイトル。教科書にも載ってる原作は『竹取の翁の物語』という題名だ。
竹取の翁の物語はタイトルの通り、竹取の翁が竹藪でかぐや姫を拾った、という形でお爺さん視点で物語が語られる。
一方かぐや姫の物語はストーリーの骨格こそ原作に忠実だが、感情移入する対象が かぐや姫になるように作られている。
『ドラえもん』をのび太視点で描くかドラえもん視点で描くかでぜんぜん違う話になるように、かぐや姫の物語はさり気なく視点をずらして「かぐや姫という異質な存在が周りのみんなを翻弄する話」から「かぐや姫が社会に翻弄される話」にすり替えている。
あまりに見事なテーマのすり替えで、多くの観客が昔話とは別物の作品を見せられているとは気付かなかった。それ故に映画の評価はイマイチで、「作画は凄かったよね」としか語られない映画となった。
しかし水木しげるが妖怪のイメージを上書きしたように、ウォルト・ディズニーがヨーロッパの民話をアニメ化してイメージを上書きしたように、今後数百年のかぐや姫の解釈は高畑解釈で上書きされるだろう。
冷静に考えてみると作劇上で別にそんな一致はしてないのよね。
劇中では別に眞人と大叔父って大して関わりないし・・・全然大叔父に青春を捧げてなんかないわけで。
単なる人物造形上のモデルでしかなく、関係性はそこまで物語に落とし込んでなかった気がする。
むしろ父・母との関係性の方が大部分を占めていたのに、あの番組ではそっちは全く深掘りしてなかったので、個人的に物足りなかった。
要するにジブリで働いていたということだけが自慢の人なんだろう。
ジブリで宮崎や高畑の近くで働いたことがあるんだぞ!というのが自慢の種、飯の種なんだよ。
そういう人が宮崎駿という人をある意味で矮小に描いたドキュメンタリーを見たときに怒りを覚えるのはわかるような気がする。
宮崎駿は神であってくれねばならないんだ、そういう人にとっては。
でなければ、神の側近くで侍っていたということが自分の存在価値である人間にとっては大いなるダメージなのだ。
媚びへつらう。
ということを彼は批判している。
実際に媚びへつらっているのかどうかは知らない。
でも媚びへつらってあの映像が撮影できるなら幾らでも媚びへつらってやる、と思わねばドキュメンタリーなんて制作できないだろ?
なぜそんなことが理解できないのだろうか?
あの映像があるおかけで、大叔父というキャラクターが高畑勲を描いたものであるというのが実感を持って理解することが出来た。
例えば、書籍や雑誌などで鈴木敏夫がインタビューに答える形で、いや実は大叔父っていうのは高畑勲を描いたものなんですよ、と発言していたとしてもピンとは来なかっただろう。
しかし映像の中で宮崎が絵コンテを見せながら、これパクさんに似てるでしょ、と嬉々としているのを見せられれば1万字の文字で説明されるよりも遥かに伝わるものがある。
あの映像は貴重なんだ。
その貴重さがなぜ理解できないんだろうか?
その貴重なものを撮影するための手段として、媚びへつらいが必要ならなんぼでもやってやる、と思えなければ人に何かを伝えることなんて出来ない。
多分そういうところを理解できない人は創作というものは出来ない。
ものを作るということは並大抵のことじゃないんだ。
忘れたくないのでつらつら。
●まひとさんは吾郎さん。
宮崎駿が幸せにしなきゃいけない人間だと思ってるのは吾朗さん。それは パンダコパンダから変わらない。
一方で 創作をしながら 築き上げてきた あれやこれやのご縁。その中で 高畑さんとの出会いや製作を助けてくれたおばあちゃんたち。動かしたらダメ、なるほど。守ってくれてる。
創作という魔力を持った大きな石の力を利用して世界を築き上げていく。宮崎駿はかつて世界を愛せるかどうか 鍵 という話をどこかでしていた、愛せる世界であってほしいと。
そのための創作 なんだと思う。これで1日は持つっていうセリフの意味はよくわかってないけど、これであと1日はこの世界を愛せるって意味なんじゃないかなと思う。あの石は宮崎駿の創作 なんだと思う。
世界を捉え直して綺麗に積んであげることで世界を1日だけ愛せる。そういう作品を送り出してきたんだと思う。
3日に1個積みなさいと言ってた。3日っていうのはそのままの3日って単位じゃない気がする。3年とかなんじゃないかな 適当だけど。
それぐらいのスパンで作品を送り出してあげることで世界が愛せる 手伝いをするっていうのがあの創作の石に見られた人たちの任務で、宮崎駿がずっと それをやってきたけどもう限界があるから 誰かにつぎたいと。
まろさんに失敗したこともあったけどそこには 言及してなかったような気がする。とにかく 真人さんに継ごうとしてた。まあつまりはごろうさんなんですけど。
だからこそ今までお世話になってきた人やあの人や この人もういなくなってしまった人に思いを伝えたいというのが、切実すぎるほどに伝わってきた。
ひというのが 何かの脅威を表すとしたら、創作の炎に焼かれていった高畑勲さんらふのことじゃないかと。
今まで戦ってきた数々の戦友たち、その人たちが次々となくなっていった。それでも背負うものがあるから足を止めることはできなかった 宮崎駿さん。その 宮崎駿さんの懺悔と逆にそれを肯定していかなきゃいけないという背景から生まれた作品 なんじゃないかなと思う。
そう考えると最初から最後まで本当に真人さんを中心に動いていて、
創作で今までお世話になった人たちへの感謝や気持ちが全部現れてるように思った。
残すべきものは残した。
さあ君たちはどう生きるか そう 投げかけられてるような気分になった 。これは個人の感想です。
さらに個人的な感想を述べていくと、宮崎駿 眞人さん好きすぎんだろ。作品 全部つぎ込んで 真人さんへのお手紙 じゃん こんなん。
スタッフも豪華。
まだ宮崎駿さんはご存命だけど、献花に近いような作品だと思った。
伝えられなかった思いの言語化と、
まるで遺書。
この話は難解という感想をよく見るが、その実は全く逆で、宮崎駿が監督作品として一貫して伝えたかった事を、教養のない愚かな大衆の為に限りなく簡潔で単純なストーリーに落とし込んだ結果、宮崎駿自身も「訳が分からなくなった」作品である。
この作品は宮崎駿の自叙伝であることは既によく知られているが、彼の内面やバックグラウンド、そしてこれまでの作品で彼が伝えたかったテーマの一貫性を保っている。
彼はそもそもこれまでの作品にも自分と周囲の環境とを幾度となく投影してきた。ただし、それは一部のマニアにしかわからないものであった。今回は、そのベースに加えて現実の宮崎駿自身の回想を複雑に絡ませて投影されているだけでなく、そのものずばりで作品のオマージュという形で追想しているのだ。
そしてここからが重要な点だが、当然それは単なる追想ではなく彼が監督作品で一貫して伝えたかった「生きるとはどういうことか」というテーマに対して「自分はこうしたがダメだった」のだというメッセージになっている。
戦闘機の風防を量産する軍需工場の経営をしていた父のもとで軍国少年として育ち、裕福ながらも厳しい家庭で母の愛を十分に受けることができなかった宮崎は、敗戦後左翼に傾倒して東映アニメーションで高畑功と出会い、強い影響を受けて監督作品にそれを秘めるメッセージをこめてきた。
これまでの監督作品で散りばめられていたオマージュや背景設定には、子ども向けの作品でありながら大人には「鑑賞者の教養」をもってして強烈な現代資本主義と衆愚政治に対するアンチテーゼが展開されてそれこそが深みとして楽しめるものになっていたのだ。
だがそれは一部のマニアだけが知るものとなり、実際に「大人」である大衆が想定以上に教養がなかったがためにジブリ作品のストーリーやアニメーションとしてのレベルの高さといった表面的なものばかりが「良い」とされ、宮崎駿や高畑功が伝えたかった事は伝わらなかったのである。
それでも宮崎駿は諦めず、本作のアオサギたる鈴木敏夫にそそのかされて愚かな大衆と私腹を肥やす連中のために作品を作り続けた。いつか伝わるだろうと鑑賞者を信じて。
いや、もう飛べないのに何度も何度も鈴木敏夫に首根っこをつかまれて。
そうして作った過去の作品たちだが、まるで伝わらなかった。そして彼は遂に「諦めた」のである。「諦観」にも近いだろう。戦後の日本人が当然に持っていた強く気高い教養は、戦後75年高まるどころか全く失われてしまった。
まさに劇中のインコのように、脳みそが小さく何も考えることができない、ただぴーちくぱーちくインターネットで喚き、特異なものを攻撃する。コンテンツをひたすら消費する愚かな大衆に対する、宮崎最後の強烈にシニカルな表現である。
そして現代日本人を代表するように庵野のような表現と個人主義的な自己実現による自己救済、新海のような風刺のない純潔な大衆作品、そして特に何もない残せていない息子が残った。中盤から終盤にかけて、継母のタッチが明らかにジブリのキャラではなく、庵野や新海といった顔の印象を残しているのは、「俺はこう生きた、お前らもあとは好きにやれ」という餞であろう。
こうした自身の溜まりにたまり、ある種の呪いに近しい諦観を、いよいよ吐き出し昇華せんと最後の力を振り絞って、教養が無くてもそれとわかるように単純かつオマージュもジブリ作品にし、走馬灯のように仕立てた。大叔父は死期を間近に控えた自分自身であり、13個の積み木と世界はスタジオジブリそのものである。自分自身が、自分自身に対してケジメをつけた作品なのだ。
「作家は経験したことしか書けない」は宮崎駿とて例外ではない。自己を総括するように、母性に対する渇望と周囲の女性達との思い出が上手く母・継母・見守るおばあちゃんたちといった具合に添えられている。
だが、この作品は紛れもなく宮崎駿の自伝かつ遺書であり、「君たちはどう生きるか」はこれまで一切メッセージが伝わっていなかった人間達に対する、まっすぐな問いかけである。
追記:
残念なことに、この作品を観て本当の意味で「あぁこれはねぇ~」と嬉々としてはしゃいで満足するのは岡田斗司夫ぐらいで、上記のような内容を今にYoutubeでレビューをするだろう。
ジブリがまさにこれだよな
過去のIPこすったジブリパークなんて作って何するんだって思ったけど、息子に仕事を提供してやるわけか。
こういう多角化戦略をスタッフがいるときは作らなかった。スタッフを食わせる気はなかった。
解散とかいう首切りやった後に残った身内食わせるために作った。
首切りを解散なんて言葉で濁すなよって話だよ、加齢による首切りを卒業とか言ってるアイドルグループかよ。
こざかしいにもほどがあるがツイッターじゃそのへんスルーで宮崎駿という巨匠を今日もほめたたえている
元スタッフも信者ばかり集めていたのでそのへんの不満が一切表に出ることはないのがすごい
統一教会みたいだ
そんでまたアニメ作りたくなっちゃった~とかいう教祖のために月15万円で再集結をする元スタッフたち。
しかも作ってるアニメのタイトルが君たちはどう生きるかだっていうから笑える。
高畑は「他は何もいらないから近ちゃんだけ欲しい」、宮崎は「近ちゃんが入ってくれないなら僕も降板する」と言ったという逸話が残っている(結局、仲裁に入った鈴木敏夫の「宮崎は自分で絵が描けるから」という助言で、
それ以外のスタッフについては積極的勧誘をしなかったと記している[10]。米を茶碗に盛り付ける際、手首に付着した米粒を舐め食べる動作など、高畑アニメが追求するリアルな描写の実現は、近藤の強く鋭い感受性あって初めて可能なものだった。その後、再び高畑の元で『おもひでぽろぽろ』のキャラクターデザインと作画監督を担当する。
同作の製作中、近藤と宮崎の間では何度も衝突があり、時には宮崎が演出の変更を求めたり脅すようなこともあったという。
と述べている[11]。また、鈴木によると近藤の葬儀の際、火葬場で関係者が待つ間、あるベテランアニメーターが「近ちゃんを殺したのは、パクさん(高畑の愛称)よね」というつぶやきを漏らすと、間を置いて高畑は無言でうなずいたという[