はてなキーワード: 本が好きとは
いちおうネタバレ注意で。
幼少の頃より本が好きだったが、自分でも二次創作とかラノベとか書き散らすようになると、改めてレベルの高さを思い知らされるのが児童文学である。
もちろんピンキリなのだろうが、特に記憶に残っている作品を書いとく。
『どうぞのいす』
100%の善意で作られた物語であり、読むと安心できたので大好きだった。
『チリンの鈴』
アニメ映画から入ったのだが、原作はちょっと展開(というかチリンの心の動き)が違う。
孤独を知ると、ウォーがどれだけチリンに救われたのかも想像できる。
子供の頃、押入れという空間が好きだった。布団に埋もれる事も出来たし、暗くて狭い空間に無理矢理入るのも好きだった。
が、この本は怖かった。押し入れのシミがだんだん人の横顔に見えてくる展開が完全にホラー。
なんか汽車が出てきたような記憶があるが、物語にどう絡んでたのかよく覚えてない。
『がまくんとカエルくん』
ガマくんが出不精。春がきたんでカエルくんが頑張ってガマくんを布団から出そうと奮闘する話と、ガマくんがアイスクリームをカエルくんに持って帰ろうとして途中で溶け出してえらいことになる話だけ覚えてる。
『ピーターラビットのおはなし』
あとマクレガーさん。
キャラは覚えているのだが、お話自体はいまいちよく覚えてない。
『まよなかのだいどころ』
なんか幼心にも不潔なことやってんなという気分になった絵本。
最後がなぜか主人公に感謝して終わったような記憶がある。「おかげでわかったよ毎朝パンが食べられるわけが」みたい締めだったけど、そんな話だったっけ?
なんかしらんけど『きのいいサンタ』という別の絵本と勘違いして読んだ。
さむがりやというより、偏屈でブツブツ文句言ってるサンタだったような。肝心の『きのいいサンタ』の方は全く話を覚えてないが、さむがりやの方は煙突から入って煤だらけになったとブツブツ言ってたのを覚えている。
※番外
『ぼくいたくない』
大人になってからチリンの鈴を探していたときに本屋でなんとなく手に取ったのだが、余りにハードな内容にギャアという感じになった。
もしかして、子供に買ってあげる絵本を探してる親達に、これでも読めやという意図でわざと絵本にしたのだろうか。そうだとしたらなかなかの策士だと言える。
好きで好きでしょうがなかったけど、パリンパリンの童貞だった自分には彼女にアプローチを仕掛けていく術など無く、「彼女に触れたい」という思いはいつしか「彼女が触れたものに触れたい」という気持ちに転化して、必然的に変態行為に走ることになった。
しかし変態行為が彼女に発覚してしまってはすべてが終わってしまう。表面ではあくまで紳士的にふるまいつつ、悟られぬように事を行わなければならない。言ってみれば変態紳士だ。
手はじめに、蔵書整理の時に彼女が使った軍手を持って帰って匂いをかいだ。ホコリの匂いがした。
それからおもむろに股間にはめてオ○ニーをしたが、終わったあとはものすごい罪悪感におそわれて、彼女をそういう卑猥な対象にするのはやめようと思った。ホコリまみれの軍手をはめたせいで股間に雑菌が入って大変なことになったが、天罰だと思って耐えた。
彼女が使っている髪留めと全く同じものを買い求め、こっそりとすり替えて匂いをかいだ。ゴムの匂いがした。
もっと強く嗅げば彼女の匂いがするかもと鼻の穴にねじ込んだら、奥まで入りすぎて勉強机の上に嘔吐した。親から勉強のしすぎでストレスがたまったかと疑われて検査入院させられたり、いない間に机の掃除をされて秘蔵のエロ本が軒並み廃棄されたが、天罰だと思って耐えた。
ある夏の日、彼女の水泳バッグが準備室に置いてあった。準備室には自分ひとり。逡巡の後バッグを開けて顔を突っ込んで、思いっきり匂いを吸い込んで元に戻した。塩素の匂いがした。次の日の水泳の授業の時にそのことを思い出して勃起してしまい「勃起ング」という不名誉かつ月並みなあだ名をつけられたが、天罰だと思って耐えた。
放課後の貸出カウンターで彼女は私物の本を持ち込んで読んでいることが多かった。図書館にはこんなに蔵書があるのに、それ以外にも読む本があるとは!との畏敬の念と、集中して本を読むその横顔を眺めるのに夢中でついぞ声を掛けることなどなかったのだけど、勇気を出して何を読んでいるのか聞いてみた。尾崎翠の「第七官界彷徨」だった。もう何回も読んでいるから興味があるなら貸すよ、という申し出に一も二もなくうなづいて借りて帰った。
自室で正座して本を広げると、わずかに花のような香りがした。劣情を催すよりも、どうしてお互い図書委員で本が好きなのは分かっているのにこういう普通の交流が思いつかなかったのかと、自分の浅はかさに慟哭した。
一週間かけて何度も読み直し、いかに素晴らしい本であったかを控えめかつ熱意をこめて感想を述べると彼女は微笑んで「気に入ってもらえて良かった。今度は君のお気に入りの本を貸してね」と言った。
しかし自分は吉川英治や山岡荘八などの時代小説しか読まないうえに、自分で本を買う金を惜しんで図書委員になっているくらいだったから蔵書というものもなく、あれこれ悩んでいるうちに受験シーズンとなり貸出業務のローテーションから外されて、彼女に本を貸す機会にはついに恵まれなかった。
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彼女は女子高に進学し、それから全くの音信不通となった。クラスも違えば共通の知り合いもなかったので、彼女がどこで何をしているのか知らないままに僕は大学を出て地元に戻って就職した。
働き始めて1年たってようやく気持ちに余裕が出てきたので、久しぶりに本でも読もうと市の図書館へと足を運んだ。何冊か物色して貸出カウンターに行くと、そこには彼女が、当時の面影を残したまま、いや、それよりもだいぶ/かなり/相当きれいになった彼女がいた。
「「こんなところで何やってんの?」」
貸出の手続きを終えて「それじゃあ」と言って図書館を出た後、しばらく外のベンチに座って頭の中を整理して、もう一度貸出カウンターに向かった。
「どうしたの?」
「裏にケータイのアドレス書いてるから、時間があるときにでもメールちょうだい」
と言って返事もまたずに家に帰った。本当は、
「借りるのを忘れた本があるんだ。君という一冊の本を。あの時読みたくて、読めなかった本。貸出期限は無期限で頼むよ」
と言うつもりだったが、言うのをやめて本当によかった。言っていたら多分、天罰だと思っても耐えきれなかっただろう。
幸いなことに彼女からはその日の夜すぐにメールがあって、何度かのやりとりの後には映画に行ったり美術館に行ったりして、なんやかんやあって今年の秋、彼女と結婚することになった。
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中学高校大学と、華やかで彩られた学生生活とは無縁の人生を過ごしてきたけれど、人間地道に真面目に生きていればいいことが起こるんだなあと、しみじみ思っている。なので、現在のところ暗い学生生活を送っている人も、自暴自棄にならないでいい感じに頑張るといいと思う。
それと、件の変態行為については彼女は全く気がついていなかったようだ(勃起ングという不名誉なあだ名は伝わっていたけれど)。そのおかげで今の生活があるのだと思うと、変態行為を行うのは男として仕方のないことだけれでも、あくまで紳士的に、相手になるべく迷惑のかけない形で行うのが良いよ、と伝えたくてこの文章を書いた。今では思う存分、彼女の脱いだ靴下や下着の匂いを嗅いでいます。
ステージ3なので手術は行わず、放射線治療と薬物療法を行うこと。
親も決して若くはないので、むしろ自然なことだと思うけれど、いざ自分の親のこととなると受け止めるのに時間がかかりそう。
自分は故郷を離れて大学に通い、就職して、結婚して、子供も生まれ、転職して地元から離れた他地方に根を張って生活している。
父の癌宣告を聞き、近くに居てあげれない悔しさと、今の生活を切り上げて父を看取るために地元に帰るほどの優しさがない自分にも気付かされた。
誰も見ていないこちらで文章にして、自分の気持ちを整理したい。
母から連絡があったのは、5時半を少し過ぎた時間。いつも電話してこない時間帯の電話だったので嫌な予感はしていた。
母:今、大丈夫?
私:仕事の合間だけど、どうしたの?何かあった?
私:どうしたの?何かあったなら聞かせて?
母:いいよ、また後で大丈夫
上記のような問答が続き、ついに父の癌のこと(進行がんがみつかり、ベッドが空き次第入院治療になること)を話してくれた。
頭の中に色々なことが浮かんだ。
本当に?診断は間違ってないの?ステージは?父の仕事は大丈夫?母に心労はない?いつまで生きられるの?
ぐるぐる色々なことを考えながら冷静を装った。
根掘り葉掘り聞くのも憚られたし、あまり深刻な質問はしないよう心がけていた。冷静に話を聞く自分に対して、冷たいなとも思った。
その一方で、冷静ぶることで自分を保っているような、不思議な気持ちになった。
母曰く、病気については父からでなく母から私に伝えてほしいらしく、もうすぐ父が病院から帰ってくるらしい。
その後自席に戻ったが、さきほどの冷静さはいつの間にか消え、色々なことをぐるぐる考えていた。
それでも冷静ぶる自分もいた。
やはり仕事が手につかず、帰路へ。
帰り道、父に電話。
思ったよりも深刻な様子はなく、病気を受け入れている様子。
自分も大病を患ったことがある(何なら今も。付き合っていく系の持病)から、病気と向き合うのがスタートだよね、と話。
それに頼んでもいないのに母に電話を代わった。
もしかしたら、息子にこの話をするのが辛いのかもしれない。
もともと仲が良くないこともあり、そっけない態度。
おまえは帰ってこれないんだから、心配だけしてもしょうがないとのこと。
全くそのとおりで、入院の世話とかができないけど、なんとか母を手伝ってほしいこと、その他にできることがあったら何でも言ってほしいことを伝え、兄も体に気をつけて、と話しした。
家に帰って色々調べたが、わからないことだらけ。
もともと医療業界に近い仕事を過去していたが、自分の親のこととなるとさっぱり。
せめて、入院中にたくさんテレビ電話をして孫の顔を見せてあげたいと思う。
一歳を過ぎた次男の顔をテレビ電話でしか見たことのない父に次男を抱っこしてほしい。
恥ずかしくて一緒に飲んでいない酒も飲みたい。
父の作った野菜を孫に食べさせてあげたい。
父の癌種は5年生存率3割以下だそう。
父がいなくなる日はきっとそう遠くない。
いまだ、信じたくない。
こうなって思い出すのは小さい時の優しかった父ばかり。
大人になってからも、思い出になるようなことをしてあげればよかった。
黒歴史アアーってなったので吐き出し。
小学4年生の頃図工の時間に「あなたが好きな本のワンシーンを描きましょう」って課題があって「チーズはどこへ消えた?」を選んだ。
チーズとネズミと小人と壁しか出てこなくて描きやすそうだったから。
もっと他に好きな本もあったけど、草とか木とか城とか描くの大変そうだったし。
いつも授業時間過ぎても描ききれなくて、今回も持ち帰りで描くの嫌だったし。
むしろ話は嫌いだった。
新しくチーズ探しに行っても見つからないかもしれないじゃないか…たまたま見つかっただけじゃないか…見つからなければ行き倒れじゃないか…
ていうかなんでそんなに明るい考え方なの?説明が無いんだけど…
小人は今までどうやって生きてたの?何故かチーズがいっぱいな場所があるとか、おかしいなって疑問に思わなかったの?
チーズが古くなったことに気づけとか、別にチーズが古くなったからってお腹壊した描写とか無かったじゃないか…その世界だと別に古くてもいいっぽいじゃないか…
と思ってあんまり好きじゃないなと感じてたけど、ラクに描く誘惑には逆らえなかった。
いっぱい売れてるって帯にも描いてあったし。
お父さんとか大人が読む本で読書感想画を描いたらかっこいいぞ…私は大人が読む本を読んでるんだぞ…
と思って選んだ。
そうやって好きを偽り見栄を優先しラクな方に逃げた結果、授業時間2時間の内1時間で描き上げることが出来た。
早く絵の具セットを洗いに行きたかったけど、先生にからサボってると思われるのが嫌だったから適当に時間を潰した。
廊下に貼り出された全員の絵を見て「やっぱりこんな大人な本読んでる子は私以外いないな…」って心の中でドヤった。
あああああああああああああああ
そもそも本の伝えたい事わかってないじゃん
あれは「起業とか新しいチャレンジをしたいけど勇気が出ないから背中を押してほしい」人向けの本じゃん
それをわかっててツッコミいれたり、好きで絵の題材に選ぶのはいいけど、わかってないならただの勘違いした間抜けやーーーん
本当にその本が好きなら勘違いしててもまあいいよ。でもお前その本嫌いじゃん!!!!!!
「大人が読んでる本を読んでるなんてかっこいい」ってその選び方が限りなくダサいもーださい。かっこよさくらい自分で考えて見つけてーーー保育園の子でもやってるよーー
出来上がった絵もしょぼいよーーーー明らかに描き込み足りないじゃん迫力無いじゃん周りと比べて浮いてるよーーーー「壁の色塗ったよ?白紙の部分がなけりゃいいんでしょ?」ってそういう問題じゃねえーサボるなーーー線が!足り!!ないの!!!
ネット見てると今でもたまに「チーズはどこへ消えた?」を勧める文を見ることがある。
その度にこれを思い出してウワアアアアってなる。
もちろんその文の作者が私みたいな雑な考えで勧めてるとは限らない。けどもうどうしようもなくウワアアアアってなってしまう。
いちいちウワアアアアってなるのが嫌なので供養。
藤原 元々、家庭や地域社会での教育がうまくいっていないのなら、学校に子供たちを囲い込もうと考えたんです。最初はビジネスマン感覚で、先生が授業に集中できるよう、余計なことは外部に発注すべきだと思った。部活も、たとえばサッカーなら校外のクラブチームの方がいいだろうと。ところが、赴任して2カ月で、その考えが間違いだと分かりました。
なぜなら、今の生徒の3割は、家庭で学習をフォローできない。1割は完全に家庭が破たんしている。3割の子は、サッカー部があるからこそサッカーができる。ビジネスマンは強いもの同士の世界だから、どうしても世の中のそういう面が見えていなかった。そこで、むしろ生徒をできるだけ長く学校にいさせるべきだと考えて、ドテラ(土曜寺子屋)を始めたんです。土曜の午前にその週に出た宿題を学校でやり、分からなければボランティアの大学生に聞く。午後は部活です。
次に部活をしていない子の放課後。まず、図書室にカーペットを敷いて、漫画も入れました。7コマ授業の日もあるから、勉強の後は、横たわって漫画を読んだっていい。改装後は、PTAのOG、地域のおばちゃんたちが運営してくれています。本が好きで、中学生の女の子と語るのも楽しいからと。
中学生って、反抗期だから自分の母親には「てめえ」とか「ばばあ」とか言うけれど、人の母親には絶対そう言わない。よそのおじちゃんやおばちゃんには、ある意味で心を割って話す。そういう、「ナナメの関係」ができるんです。
次は夜や土曜に、もっと勉強をしたい子向けに英語を教え始めた。後の夜スペ(夜スペシャル)へつながるものです。これは中野区にある私塾の塾頭が来てくれた。この成果で、今の3年生は、昨年度末時点で英検3級以上が過半数。しかもその子たちが、ほかの子に英語を教え始めた。それで、以前は区で23校中16〜21位だった英語の平均点が、断トツ1位になった。夜スペは「上の子だけを持ち上げておかしい」と言われましたが、それは学校のダイナミズムを分かっていない人の批判。上の子が伸びれば、中下位層も引き上げられます。
校庭の緑の手入れも、地域に適した人たちがいた。マンションに住むガーデニング好きなお父さんたちです。狭いベランダしかなかった彼らが、10畳、20畳の広さを任せられると、喜んで芝を刈り、ブルーベリー園やハーブ園を作るんです。
地域全部が同じ形で学校に協力するのではなく、それぞれが一番いい形で学校と結びついた。その総体が地域本部です。単に地域の世話好きに学校を任せた、ではないんです。
【旅行記】
数ヶ月アジアを旅したことがあり、旅の前後に何冊も読んだ。その中から。
深夜特急/沢木耕太郎:ベタだがそれでも外せない。文庫でいうと3巻くらいまでが面白い。
漂蕩の自由/檀一雄:たしか上記の本経由で知った。この人、どうやら人格はかなりアレ。しかし話は味わい深い。メシの描写も良い。
チベット旅行記/河口慧海:読みかけ。坊さん大冒険。RPGかと思うレベルの体験の連続。
いつも旅のなか/角田光代:色んな国での話を少しずつ。次は何が出てくるのかな?とサクマ式ドロップスでも舐めるように気軽に読める。
行かずに死ねるか!/石田ゆうすけ:チャリで何年もかけて世界一周した人の。段々たくましくなっていく。
人生の100のリスト/ロバート・ハリス:好き嫌いが分かれそう。ヒッピー?旅とドラッグとセックスと本が好きなオッサンの旅行記というか半生記というか。
【自己啓発/似非科学/特定の政党の考えを強く押したもの、これら以外】
新書のくくり無し。ここ数年で読んだ比較的カッチリした本の中からおすすめの著者を挙げる。
仏教:魚川祐司
投資:ウィリアム・オニール、マーク・ミネルヴィニ、ジム・ロジャーズ
【エッセイ】
設定をコピペして考えるに、
可憐:ピアノが得意なお嬢様タイプ。楽器演奏に付き合ってもらえそう。
花穂:チアリーディングをしているドジっ子。リアルでドジっ子はあまり役に立たない…。
衛:スポーツが得意なボーイッシュ。持病でウォーキングぐらいしかできなくなったが、三日坊主を矯正してほしい。
咲耶:オシャレが好きな小悪魔。なんでもいいから服買って来てほしい。ジーパンとタートルネックだけでいい。
雛子:12人の中で最も小さい、素直で元気。身体が小さいと狭いところに入れるとかで重宝できるのだろうか。
鞠絵:本が好きで、遠慮深い。蔵書整理とか?積ん読の一部は代わりに消費して廃棄してもらってもいいぐらい。
白雪:自分を「姫」と呼ぶ、料理好き。量は少なめで塩とか砂糖を使わないで美味しい料理を作ってほしい。
鈴凛:発明が趣味の、理系。電子回路設計や機械設計やプログラミングを代わりにやってほしい。スゲー生活が楽になるな、おい。
千影:魔法が使えるらしい、ミステリアス。オカルトは興味ないけど、売れてる本は自己啓発でオカルトなんだよな。本書いて。
春歌:ドイツから来た、大和撫子。大和撫子の価値が分からんが、とりあえず🍵でも入れてくれると助かる。
四葉:イギリスから来た、自称名探偵。物を良く紛失するので重宝しそう。論理的思考で人生相談にも乗ってくれそう。
亞里亞:フランスから来た、泣き虫。異性に泣かれるのが一番困るんだが…。というか、スゴイ名前だな、他もだけど…。
なぜなら異性はもちろん、自分も時間と共にチャームは劣化していくわけで、
そうなると資本主義的価値観というか、いかに実生活やビジネスで役に立つかに自然と特化して考えていくというか、
少なくとも自分はそういう視点でしか他人を見れなくなってくるわけで、
逆に考えるなら12人の妹とは、他人から要求される能力を箇条書したもの、とも言えるわけであり、
本屋が好きだったし、一度は書店員として頑張ってたこともあるけどもう嫌になって辞めた。
最近どこの本屋にもヘイト本やトンデモ健康本(スピリチュアル・ニセ科学)コーナーが絶対にある。しかも店の配置的にイチオシ商品を優先的におくような場所に平積み・ドカ置きで激推しされてることが多い。
店員だった頃、年配のお客さんたちが新聞の広告に出ていたから〜とニコニコしながらそういう本を買い求めていた。私たちが探しやすいようにってわざわざ新聞の切り抜きまで持ってきてくれるんだよ。いつもレジでなんでもないことにありがとうって言ってくれる、取り置きしただけでも感謝してまたくるよって言ってくれるような優しい感じの人も、そういう変な本を買っていく。キツい。例えば年配の人がトンデモ健康法を信じて病院の治療を拒否したりして最悪のことになったらどう責任取れるの?こんな優しい物腰の人たちがヘイト言説を吹聴するようになって晩年に身近な人たちの信用とか一気に失っちゃったらどうするの?自己責任って言うの?いい加減な内容の本を大量生産して、勝手に配本するのやめてくれないかな。私は店長とかじゃないから拒否する権利がなかった。そのまま並べて売れないでくれって願うしかなかったけど売れていく。ほんとキツい。
たぶんこういう人たちは本の権威をまだ信じてくれていて、本になるくらいだから立派な内容と認められたものを立派な先生が書いてくれたんだろうなーって楽しみにしてるんだと思うよ。すごい、そんな不思議なことで病気が治るんだ!とか、テレビ(ちょっと軽薄なメディアという認識?)は扱わない、難しい内容とか歴史問題の真実を硬派で堅実なメディア、本こそが教えてくれるんだって信じてるんだよ。
本が売れないのはわかるよ。でも、こういう過激なものに頼らなきゃ本当に売りたいものが作れないとか仕方なかったとかそう言う言い訳、トンデモ本にハマって亡くなったり人間関係失った人に向かって言えるの?
本が好きだから本が売れない時代でも頑張ろうと思ったけど無理だったよ。最低賃金も長時間重労働もきつかったけど頑張れた。でもデタラメ本を売り切るためにいっぱいPOP書いてオススメですってニコニコ笑顔で言うのは無理だわ。
いつも来てくれるおじいさんが「おすすめの広告?書いたの君なんだ!内容がわかりやすかったし上手だから買っちゃったよ〜読むね〜!」って買ってくれた本、だめだよ。絶対信じないでほしいし二度とこんな本を置く本屋さんなんかに近寄らないでほしい。だから続けるのは無理だった。こんなことしてたら「本屋」は死ぬ。本はもう少し生き続けると思うけど。
いいものも悪いものもある、受け取り方によって毒にも薬にもなるのが本だって簡単に言うことはできるよ。でも何が正しいかすら思考停止するようならもう、本という権威はどこかに返上しといてくれ。
本が好きで積読していたり、旅先の様子を撮影すべくカメラやレンズを買いそろえたのだけど、すべてに興味とやる気ががなくなった。本はどんどん断捨離をしていっている。
うつ病は大体1年ぐらいで快方に向かうらしいけど、どんどん悪くなっていっている。
今は一人暮らしをしているが、抗うつ剤を朝ごはんにして出社しているので、そろそろ限界。実家に帰りたい。(実家からも通える職場)
しかし、異性関係で借金を抱えた子どもなど、両親にとっても荷が重いだろう。
この歳で借金ある男となんて誰も結婚してくれないだろうし、将来は下流老人になるのが目に見えている。
友人何人かは心配してくれているのはありがたいが、しかしこんな俺に生きる価値があるのだろうか。
だからこそ、生きる意味ってあるのだろうか、と日々思っている。
追記:
日記への反応ありがとうございます。弁護士にも相談しましたが、一度ハンコをついたら覆すのは難しいみたいです。残された方法は自己破産か債務整理と言われました。何の借金か詳しくは言えません。すみません。