はてなキーワード: 派遣先とは
もともと来月で契約解除になる予定ではあったのだが、契約解除決定後に社内的に割と大きな事件(?)を犯し、それが理由で即日解雇となった(派遣の世界的に解雇という言葉が正しいのかどうかはわからないが)
ちなみに、事件が発覚した当日付けでの解雇だ。スピード解雇。めちゃくちゃ早い。 朝に問題が発覚して、夜には退職書類にサインをしていた。
まぁ、即日解雇は良い。派遣社員である以上、派遣先のルールに従うしかない。
むしろ、俺は職場の狭く、そしていびつな村社会的人間関係に、ほとほと嫌気がさしていた。
その職場からの収入源は途絶えてしまうが、もうあそこに行かなくてよいと考えると、ウキウキしている。
だが、自分なりにその仕事で頑張ってきたことはあるわけで、積み重ねてきたものはあるわけで(時間、労力、そして何よりも人間関係(嫌いなヤツもいたけど、いいヤツもいた))
その積み重ねがこんなにもあっさり終わってしまうのかと思うと、ちょっと寂しいところはある。
また、「イイヤツ」達に対して何の別れの挨拶も出来ず、いきなり「出勤は今日で終わりにしてください」と言われるのは、少し不思議なものがある。
「あれ、これまで頑張って作ってきた人間関係にはもうアクセス出来ないのか」 「終わるときはこんなにアッサリしているのか??」 など。
外資系よろしく「荷物をまとめて午前中に出て行け」ならまだしも、業務終了後、オフィスを出た後に呼び出されて「週明けからは出勤しないでください」と、後出しじゃんけんのように言われるのは、名残惜しいところが無いと言えば嘘になる。
1時間でもいいので、せめて退社前に通告してくれれば「あ、もう戻って来れないのね」と名残惜しさをすべて置いてこられるが、急に「はい、終わり」と言われるのはちょっとな。
まぁ、それが派遣の世界なのだろう。使えないやつはクビ。いらないやつはクビ。腐ったリンゴは排除。
現に自分も使えない側だったろうし、上司やチームの一部メンバーとも相性が悪くよく衝突していた。
残ったメンバーから見ると、わたしは今すぐにでもいなくなってほしかった人間だっただろう。だから、彼らから見ると「ようやくいなくなってくれた。これからは楽しく仕事が出来る」という気持ちだと思う。わたしからすると、チーム内の特定のメンバーや上司がうざったかったように、彼らからするとわたしは今すぐにでもいなくなって欲しかった人間だったのである。
ま、契約解除が決まった段階からゆるやかに退職の方向にマインドをシフトしていたので、思ったよりもダメージは多くは無かったのが幸いしているという感じではある。
まぁ、今日の件は寝て起きたら忘れるだろう。
そもそも、あの職場の仲間たちは本当に”仕事だけの付き合い”だったように思う。
以前の自分であれば、解雇された仕事に執着心を持ったかもしれないが、現在の自分は複数仕事を抱えていたこともあり、そんな気持ちにはならないから不思議ではある。
あの職場に幸あれ。
私の会社で働いていた元派遣さん(女性)の結婚式が非常識すぎた。
そもそも正社員だったならまだしも以前の派遣先の人達を招待するって普通なの?
しかも元派遣さんは担当社員を目の敵にしていつもトラブルを起こしてた。
担当社員は派遣で元派遣さんと同じ仕事をやってたんだけど正社員登用された。
元派遣さんはいつも担当社員は性格が悪いと触れ回ってたけど正社員登用が気にいらないのがミエミエ。
担当社員の指示にことごとく反発してトラブル起こしまくりで契約終了となった。
涙ながらに性格の悪い担当社員に切られたとか訴えてたけどさ。。。
それで結婚式なんだけどなんと担当社員だけ招待されてない(苦笑)
私も同僚もいくらなんでも出席できないでしょうって話してた。
元派遣さんはレポートラインを無視して担当社員を飛び越してその上司に仕事の指示を仰いだり相談してた。
みんなそれを「告げ口」って呼んでたけど(笑)。
それは私だけじゃなくまるで派遣先の会社の正社員だったような言いようでした。
さすがにヤバさに気づいたのか担当社員の上司がコソコソ「二次会とか行かないよね?」と聞いてまわってた。
その上司が元派遣さんのレポートライン無視を容認してたのは立場を利用して男女の関係じゃないかって噂もあった。
32歳の奴が「基本情報取りました!ITで働かせてください!」と言ってやってきて取るのは人売りSierだけだよ。
高卒の人が働きながらで4年、もしくは大学生が学校の勉強と並行して2年ぐらい、ないしは君みたいなニートが一念発起して半年ぐらい。
君がまだ25歳ぐらいなら「そうなんだ。頑張ったね」で入れてくれる所もあるかもね。
でも君はもう32歳だ。
高卒で働いていた同級生はもうとっくに15年近く働いてる大ベテランだ。
そんな中に君は「基本情報持ってるだけの素人です!OJTオナシャス!」とやってくる。
会社も困るよね。
本来は22歳の新卒相手に取るような態度で32歳に接する必要がある。
しかも相手は何年もニートをしていて「僕ちゃん傷つきやすいの・・・」なんてやってる面倒な地雷だ。
そうなると君を取ってくれるのは派遣会社ぐらいだよ。
派遣会社が君の経歴をあれこれ偽るんだよ。
たとえば君が「3年かけて勉強しました!」と言ったらそれを「3年間の経験あり(実務経験とは言ってない)」みたいに書き換えるのさ。
そして君は飛ばされた先で「えぇ!?3年やってこんなのも知らないの!?えぇ!?基本情報を取っただけ!?そんなの仕事で何の約にも立たないよぉ!?」と驚かれるわけだ。
猫の手も借りたい状態の職場が、君が貰える報酬の3倍ぐらいの値段で雇ったのは何も知らない新人のオッサンってわけだ。
それでも君は仕事を任される。
もちろん何のスキルも身につかない。
君は晴れて本当の意味での「実務経験」を手に入れるわけだけど、次の場所に行っても同じような扱いが待っているよ。
頭の中に入っているのは前の派遣先の取引先にいた人たちの名簿ぐらいだよね。
当然のようにいつまで経ってもバイトみたいな報酬で働かされる。
職場では時折「いやーマジでハズレを掴まされたわ。トラックの運転手みたいにハンドル握ってるだけでいいから人が欲しいって業種じゃないのにねえ」みたいな声が聞こえる。
君は心を病むだろうね。
そして、ある日君は再びニートに戻る。
何も残ってない状態で再スタートをしようとしても、今度は全く上手くいかない。
アラサーの頃ならともかく、アラフォーになるといよいよ「基本情報だけは持ってます!」では派遣会社も相手にしなくなってくるから。
頑張って応用技術者をとってもなにも変わらない。
「要するに、ちゃんとした実務経験は0で、資格だけを持ってるんでしょう?」とどこでも門前払いだ。
どうしても行くというなら覚悟を決めてね。
ブクマカ共は今なんとなくの脊髄反射で「ニートに優しい俺!優しい!」みたいに調子づいてるけど信じちゃ駄目だよ。
こういう奴らほどいざ職場に君のようなのが来たら「資格だけ持ってるようなアホが一番使えねえんだよ。派遣ガチャ大外れじゃん」って毎日君の悪口を聞こえるような声で言いやがるものさ。
part1はこちら https://anond.hatelabo.jp/20240914181511
GWを興した折口雅博はジュリアナ東京とベルファーレを興した有名人物。防大卒で、任官拒否して日商岩井に就職、同社在籍中にイギリスのディスコ、ジュリアナのライセンスと経営元の出資を受けて芝浦にジュリアナ東京を開店し、社会現象ともなった。次いで六本木にベルファーレをオープンするが、共同出資者のAVEXにクーデターを起こされ社長を解任されてしまう。
AVEXは元はダンス系の輸入レコード卸で、ディスコ用レコードというのは六本木の坂下のウイナーズレコード、六本木WAVEくらいしか扱わず、スモール商売だったが、英国でダンス音楽がメジャー化してきて市場が大きくなって来ていた。そこでAVEXも自社レーベルを作り、更にダンスユニットタレントを売り出すなど商売を大きくしている最中であった。日商岩井を退職して同社とのスジが切れた折口のカリスマの下で商売するつもりはなくなっていた。
労働基準法では人材派遣は基本禁止である。だが1985年に派遣法が施行されると事務職のうち技能職、ガイド、受付係など一部の職種のみが解禁され、終身メンバーシップ型組織に属さない自由な働き方と持て囃された。
だがその一方で、建築現場や工場、引越し、事務所移転、物流など、許されていない業務への違法派遣が増えて行った。これらは業務請負の形を取っていた。偽装請負と呼ばれる。
そもそも禁止業務への派遣だから、ブルーオーシャンである。ノウハウ蓄積も資本も資材も必要なく、口八丁だけで営業可能だ。
最初のGW社もこれら取るに足らない違法零細偽装請負の一つでしかなかった。
だがGW社が違うのは、折口氏が経営者であった事だ。経済誌によくインタビューが載った名物経営者の新ビジネス、という事で、リクルートなどが度々インタビューを掲載した。
折口氏のもう一つの特長が、日商岩井時代に築いた銀行とのコネ、信用である。1997年、介護保険のスタートを受けて、介護事業者のコムスンを買収。ただの偽装請負会社に買収資金を出してくれる銀行はない。折口氏のコネとカリスマがあってのものであろう。
1999年に派遣法が改正され基本自由化、ネガティブリスト方式になる。禁止業務は港湾、建設、警備、医療、製造。製造は後の2004年に自由化。このうち警備は警察の監督事業で、やはりヤクザの企業舎弟排除の歴史と立法趣旨がある。
偽装請負だった業務も一般派遣業として運営できるわけで、ここでGW社は急激に事業を拡大している。
その方法はやはり事業買収で、既存の偽装請負事業者を買収しまくり、従業員と設備、事務所の賃貸物件ごと吸収している。
次に2000年にオープンした六本木ヒルズの1フロアを契約(賃料1000万円/月)。
CMを打ちまくり、携帯電話だけで短期バイトが出来る「モバイト」として労働者を大量募集した。
支店をオープンしまくったらその店長が大量に必要だ。その店長は、買収した業者のバイトで正社員希望の者を募ってあてがった。オープンしたては営業してないから仕事も無いしバイトも来ない。
仕事は買収した業者の既存支店から回して貰う事にして、バイトも増えて仕事が回るようにるまでは店長ワンオペとした。朝6時から22時くらいの勤務となるのでずっと泊まり込みとなるが、ブラック企業ではそれ以上の会社も多いし正社員をエサにしたらそれくらいの激務で音を上げる者は居なかった。
この事業資金は銀行から借りていて、その金額は400億だという。
90年代から銀行は中小零細や個人経営商店と取引しなくなっていて、それらの法人客には子会社のノンバンクを紹介していた。夜間金庫も撤去。最近、小銭の両替料を取る様になったのも同じ理由で、小さい会社は客ではないのだ。客として有用に考えていれば両替は商売に必要だからコストは銀行が持ちにする。偽装請負だった日雇いや短期バイト派遣事業に400億とはべらぼうな話で、零細経営者だったら頭にくる話である。
例えば買収された業者の一つには「ラインナップ」社がある。ここは都内城西城北地区で事業をしていた。基本、偽装請負なのでイベントの設営、引越し、事務所移転、内装など色々な業種へバイトを派遣するのだが、勤務歴が長いフリーターが多いので半職人化して、作業内容を説明したら放ったらかしで養生などの準備から始めて、他の業者との作業のカチ合いを調整、作業完遂、片付けまで出来たり、内装では工具を持参して図面を見て指示通りに工事をしたりと、請負業務に近い事が出来る。
ここの買収額は10億であった。工具や台車、養生材など資材込みの値段だが、元が偽装請負の結構いい加減な会社に10億出すのが適当か、そもそも値段がつく業態なのか、という気がする。
この会社の社長は今でいうFIREして悠々とした生活をしていたそうである。
こういう業者は他にも多く、客先には「モバイトじゃない方です」と案内していた。モバイトは急募されたノンスキルのバイトなのでいちいち説明が必要だが、そうじゃない半職人で指示と監督が最低限の方です、との意だ。
バイトから昇格させた支店長を含め、買収でGW社員となった支店長の意識age、意思疎通の為に月に一度六本木ヒルズ本社に少なくとも関東の支店長を全て集め、店長会議を行っていた。人数が多いので実際は経営方針の訓告や目標の訓告が中心であった。
これで顔を会わせて意思疎通が出来ていた…と思っていた事が後の悲劇を生む。
急成長していたが、元が偽装請負の違法業務でありその構造や客先などはそのままだった。派遣が自由化されて業態を一般派遣業にした為に融資を受けたのだが、禁止業務だった建築、港湾への派遣はそのまま行われていた。しかも建築はその数が非常に多い。
また労働契約は日雇いとしてその日で労使関係が清算されるのだが、その場合、労災事故が起きた時の休業補償をどうするかというのは決めていなかった。事故が起きない事を前提にして経営していたのだ。
そこに2005か2006年頃に、建築現場で事故が起きる。製品名からロングスパンとかピアットとか呼ばれる現場用エレベータが墜落し、載せていた貨物の下敷きになって派遣のバイトが死亡した。
現場用エレベータはラック(平歯車)にモーターで駆動されるピニオンギアが噛んで登っていくという簡単な仕組みで、暴走時の安全装置がない。組むのもエレベータ会社の職工ではなくて鳶職がやる。これに大量に貨物を載せて荷揚げしている時に落下し死亡に至った。
禁止業態である土建に派遣して事故に至ったのでGW本社は立入検査を受け、一部営業禁止処分が下された。
一般的に派遣会社は客先からの引き抜きを警戒し、「毎日来てるから打ちで直接働かない?」といった事を言われたら直ぐに会社に伝えろと労働者に厳しく言うものである。
だがこの時のGW社は、土建業客先常駐のようなバイトをその派遣先の会社で社員として直接雇用出来るように尽力している。
土建業への派遣はもう出来ないのでそのバイトは他の仕事に移るか辞めるかなのだが、だったら派遣先で雇ってもらえないかと話を付けて無償で職業斡旋していたのだ。
この辺から風向きが向かい風になって、世間良しを意識せざるを得なくなったようだ。
この時点で全土建現場への派遣は廃止。ヘルメットや安全帯装備が必要な現場は全て断り、常駐のようなバイトが居たら上記のように就職斡旋をした。
遵法を意識するようになったのだが、見落としによってこの先に決定的なミスをするのだった。
東和リース社はその名の通り、リース会社であった。ローラーコンベアなどの物流用、荷役用機械をリースしていたが、一番需要が多いのはフォークリフトである。倉庫業必須だ。
ところで、フォークというのは操作するのに免許が必要だ。フォークオペの免許持ちを常に確保しておくのは結構難しい。
そこで、同社はオペレータ込みのリースをしていた。これはちょっとグレーな派遣だが、これをやっているリース業というのは多い。
フォークオペが必要な会社では流動的な需要に対する人も必要なことが多い。季節により貨物数が増減して必要な仕分け人の数も増減する。海コンが到着する日にはバン出し(コンテナからバラで出してパレットに積む事)の人数も必要だが、コンテナが来ない日には要らない。
そこで、それらの人間も調達しますよ、という営業をするようになった。最初は自社でバイトを募集していたのかもしれない。だがそのうちに他の派遣会社に派遣を取るようになった。つまりは二重派遣である。
当初、同社の仕事を取ったのは先例に出したラインナップ社だったと思われる。客はそのまま受け継いだのでGW社に変わってもそのまま二重派遣は続いていた。
作業終了後、作業伝票をきって貰うが、実派遣先の会社は東和リースからの派遣と思っている。その伝票で二重派遣がバレるといけないので、伝票の社名(GW社)の部分をハサミで切っておくという姑息な事をしていた。
解雇規制を緩和するならば,派遣は禁止しなければならない。アメリカでは派遣はほとんどないという主張をたくさん見てきたが、あまりピンときていない。
労働政策研究機構のデータ上ではアメリカでは普通に派遣事業者の市場は大きいし、スタッフィング産業に関する論文もいくつかでており日本よりも盛んであるといえる。数よりも市場を見るべきである。
何よりも、解雇規制緩和と派遣制度を一緒くたに考えているのが問題だ。派遣会社が自社の社員、つまり派遣先に送り込む人間をクビにできるようになるわけだが、派遣先の会社はいつでも派遣社員を入れ替えることができるのは変わらない。
そして何よりも滑稽なのが契約社員(有期契約社員)と派遣社員を混同しているやつらが多いことである。雇い止めというのは契約社員に対してであって派遣社員ではない。
むしろ、解雇規制緩和によって派遣会社の数は減るという見解もあり、派遣会社をガンのように見ている奴らにとっては朗報だ。なぜか。そもそも人材の入れ替えを行えないという経営上の課題を抱えていたから派遣や契約社員によって人材の流動性を高めていたわけだ。それが、解雇規制緩和によって解雇しやすくなるということは、派遣会社を通して人材を採用する必要がなくなる。
つまり、派遣会社に支払っていた余分な報酬を直接本人に渡すことができるようになるということだ。つまり解雇規制緩和に反対している多くは派遣会社なんじゃないかと推察する。自分たちの食い扶持がなくなるからである。
加えて解雇規制緩和に対して「人材が集まらない」「働き口がなくなる」、これによって治安の悪化なども懸念があるとの主張もあるが、優秀な人材にはより多くの報酬が支払われ、職がない人は外国人実習生が埋めてきた人材不足の領域に広がるんじゃないかと考える。ゆえに、かえって治安はよくなるという見方もできるんじゃなかろうか。
今年入ってきた他社の派遣社員がまぁ使えない。
使えないだけならまだしも、
皆が守ってきたルールを破りにいき、フォーマットを壊し、勝手に色々やってミスる。
その分のケツを拭くのは私。
業務量が増えているから一個一個にさけるリソースだって限られてる。
そんでミスすりゃ怒られる。なんなら会議室で小一時間詰められる。
そして使えない派遣社員のミスを指摘しようものなら恋人未満の社員が「これそもそもルール変えようと思ってるんだよね〜!!(なお具体的な話は無し)」と全力で庇いに来る。
↑小一時間詰めてきたのもこいつ
穏便に済ませたいとか、我儘だと思われるけど平気?とか言われる
意思なんて持っちゃいけないんだ
意思持ったら我儘扱いされるんだ
鬱の薬飲みながら仕事で死にそうになり
死のうかな
https://anond.hatelabo.jp/20240110081207
あれから半年ぐらい経って、ようやく希望が通ったのか派遣先から契約終了の話が出た。
どうやら後任の派遣が決まったらしく、その人と入れ替わるようにという話を契約先からされた。
始めの増田を書いた時は、現行で動いているシステム情報に対してなんの引継ぎ情報もない状態や、自分の技術的な未熟さに
就業時間中心底イラついていたし、いつマシンが壊れるのかがわからず不安で震えていた。
そこから数カ月経って、環境に慣れることで少しは不安は取れていったが、根本から解決することはなかった。
情報系についての基礎力がないから結局自分の技術力が上がることはなかった。上がったのは社内チャットの検索力ぐらいか?
ただこの能力で得た情報と業務を依頼される中で得た情報や作業工程を、一通りまとめて後任に残すことはできたような気がする。
(まあこれが役に立つのかとか、あと半年もいて、お前の実績それだけかよっていうのも自分で思うのだが……)
あと数日でまた俺は無職に戻るのだけれど、次の仕事どうしようか。
これを書いてみて思ったが、この半年で文章が異常に下手になったような気がする。ストレスで脳がやられちゃったのかもしれないね。
幼稚園児の頃に不思議なCMを見て親父にファミコンごと買ってもらって、内容はよくわからないままに雰囲気が好きで、プラスチックのバットやサンドイッチを持って近所を旅してマザーの主人公気分を味わった。自力でクリアできたのは小学校2年生になってから。エンディングで旅の終わりに泣いた。
マザー2が出た時は小学校4年生でこれも発売日に貯めておいたお年玉で買った。小4ということもあって1以上にのめり込んでネスと一緒に大冒険をした気分になった。自転車で町の端から端まで行った時はこれがネスの気分なんだ!と思えた。ただ野球の才能は俺にはなかった。
マザー1と2を繰り返し遊んで3の64が中止になったあたりはまあしょうがねえなあなんか不気味だったしな3Dとか思ってて、1+2はもうちょっと音楽の再現頑張れよと思ったり、スマブラでネスを使って周りをしばき倒していた。
それから大人になっ頃MOTHER3が出て、泣いた。「マザーを通じて家族の絆を考えてみる」みたいなキャッチコピーがあったが本当に家族の絆を強く感じた。
だが俺は実家とその頃仲が悪くなり次第に疎遠になっていった。中学高校と親は喧嘩ばかりしていた。2人ともあまり信用できなくなり、大学の時家を出てたまに帰ってもそれほど会話もしなかった。
それから就職した後リーマンショックで無職になり派遣で食い繋いでいた所親父が要介護になった。寝たきりの親父の介護を手伝うために実家に戻ってお袋を助けて。
この頃は昔みたいに家族の仲が良かった。悲しいことに。
ただそこからが問題で、俺は実家から通う仕事がなかなか見つからず派遣のまま。介護の親を抱えて恋人などできるわけがない。
そのまま時間が流れて、長い戦いが終わった。それから半年たたないうちに糸が切れたようにお袋も亡くなった。
俺は1人になった。実家に戻ってから長年行っていた派遣先とは関係ないところでようやく正社員になれた。
こうして父も母も亡く、自分の家族もいない。精々正社員なだけのおっさんが出来上がった。
好きだったゲームのコミュニティは若い子や家庭持ちばかり。少しでも楽しいことを…と思って、大好きなゲームだったマザー2のひみつ展に行ったら、家族連れや若い子ばかりで肩身が狭くなった。
昔、マザーというシリーズが大好きだった「ぼく」は、ただの不気味なおじさんにしかなれなかった。あの頃ゲームの主人公になったと思った俺は1の主人公でもネスでもなかった。リュカは流石に同一視したらリュカに失礼。
MOTHERシリーズをプレイしてファザーやマザーになれた奴。
おまえたちがうらやましいよ。おれなんかだめさ。
俺は何も生み出せなかった、作り出せなかった。FATHERになれなかった。俺の努力不足だ、全て。
◆8/27追記
マザー2 30周年おめでとう。
励ましてくれた人、ありがとうな。
お互い頑張ろう。
過去に出会った「あの人の体臭が我慢できない」と人前で言っちゃう3人が全員痛い人だったので、臭い人よりも痛い人の方がイヤだなと思っている。
一人目は高校のクラスメート、二人目は昔の職場の派遣社員、三人目も昔の職場の別の派遣社員。
3人に共通してるのは以下
彼女たち3人にはそれぞれ面倒をかけられた。本当に嫌な思い出。
ちなみに増田自身はスクールカースト的にいうとボッチかつ優等生ポジションになりがちで、集団のもめごとの仲裁をさせられやすい。なので「臭い臭いとうるさい系女子」が本当に嫌いである。鼻に丸めたティッシュペーパーをぎゅーぎゅーに詰め込んでマスクを3重ぐらいにしてやりたい。
実は女の場合、嫌いとかムカつくなど何らかのマイナスな感情を抱いて誰かをいじめてる人とは実はある程度は調整をする余地がある。調整の余地がない場合でも、極論だが悪意があるので周囲を巻き込んで断罪することもできる(これはまぁ最後の手段だが)。
しかし「臭い臭いとうるせえ女」は自分たちはか弱き子羊で被害者であるというポジションから絶対に出てこず、そのくせ臭いと涙目で言い続けるので調整のしようがない。自分が何か積極的に対策する気はない、何かの工夫や努力で改善する気がゼロ。自分は悪くない→他人任せが当然と思っているのか、そもそも人生全般が他人任せなのか(何となく後者な気がする)。
深刻に泣きそうな顔で「あの人が…臭くて辛いの…」などと群れの中でこそこそと言い出して、それが群れ全体に集団ヒステリーとして広がる。そして対象の人をあからさまに避けたりする。外形的にはいじめと変わらんけど自分たちはかわいそうな「臭くてつらい被害者」であることを崩さない。
マスクしてみたら?とか、席替えまで我慢してくれたら席が離れるようにするからとか言っても「でも…」である。
派遣社員の人なんて、臭くて体調が悪くなったと言うなら体調を優先して仕事を替わることを考えても罰は当たらないんじゃとも思う(事務アシスタントなので申し訳ないが誰でもできる仕事だった)のだが「臭い人を異動させてほしい」と言ってきてビックリした。その人が臭いと言っていた対象の人は正社員、それもかなり有能で当時の部署では欠くわけにはいかない技術職の人だったし、彼女が言うほど臭くはなかったと思うのだが(フロアの結構な人数にヒアリングしたが、あーたまにそんな時もあるよね…程度の反応だった)、あの人が臭くて仕事にならないと派遣会社経由で言われてしまうと、派遣先としては従業員が健康に働く環境を確保する義務があるため対応をせざるを得ない。臭いを感じる感度は人によって違うから100人が平気でも彼女は臭かったのだろう。だが、執務中は「臭くて気持ちが悪くなった」といってしょっちゅういなくなるし、気持ち悪くなった日に部の飲み会があったらちゃっかり飲み会には(彼女が臭いと言ってる人もいる会なのに)参加して楽しそうにしてるしで、さすがに当初の2年契約を延長するのは丁重にお断りした。
もう一人の派遣社員の女性は、対策として急な配置替えをしてかなり遠い席に配置したのに、近くを通られると気分が悪くなると言ったりで困った。取りあえずマスクで自衛をしてほしいとお願いして様子を見ていたのだが、いつの間にやら、対象の男性の席の周りに脱臭剤がひとつ、ふたつと増えていって脱臭剤の臭いで逆にフロアのその辺りが「なんかこの辺臭いね、何の臭い?」と言われるようになっていた。
大量の脱臭剤は、その派遣社員の人がたらしこんだ別の社員(男性)にお願いして備品で購入して置いていたらしく、たらしこまれた社員への対応も面倒だった。彼は人事から少しだけ怒られ、そしてその後彼女と結婚して2年後に離婚していた。なんなんだ。馬鹿だから馬鹿に引っかかったのかしらんけどご祝儀返せ馬鹿。
高校のクラスメートはまぁ高校生だし同級生だし、「あんまり大っぴらに言わない方が良いよ」とたまに言うぐらいだったのだが、席替えで対象の人が窓側の席になった時に「風上に居ないで欲しい…」と言ったのがうっかりクラスの割と多くの人に聞こえて不興を買い、その後は逆に彼女が遠巻きにされていた。その後すぐクラス替えになったからそれほど大ごとにはならずに済んだが、マジ勘弁してよという感じだった。
私が経験した「あの人が臭くて辛い」という3人はみんな、他責かつ怠惰で自分から何かを積極的に対策しない。そういえば3人とも、昼をどこに食べに行くか、飲み会をいつにするかなどの日常的な軽い決を採る行為にいつまでもぐだぐだと返事をしないタイプでもあった。グループLINEで返事しないから面倒になって「今返事ない人は数に入れずに店予約するね」とか切り捨ててた。割とかわいい方だから男性からはちやほやされてて、他力で他責で居続けられたのか。でもまぁ私がちやほやする理由は一つもない。
伯父夫妻の息子である従兄弟とは、特に仲が良いという訳では無かったが親類が集まった時には
話したりする程度には交流があった。兄は自分より歳が近かったからもう少し付き合いはあったらしい。
安定した公務員になれた事を伯父夫妻はよく自慢していた。
しかし運の悪い事に配属された部署の上司が所謂ブラック上司だったらしく
従兄弟はかなりキツいパワハラ・セクハラ・モラハラを受け続けたらしく、精神を病み退職した。
一度だけ兄・父と一緒に様子を見に行った事はあるが、どちらかと言えば生真面目でしっかりした性格だった筈の従兄弟が
ここまで生気がなく虚ろな表情を浮かべる人間になってしまったのかと、正直ぞっとしたのを覚えている。
後で聞く所によると、鬱病・適応障害の診断が出ていた様だった。
しかし実際の所は、週1~2程度は単発バイトをしたり在宅で出来る仕事で少額を稼ぎつつ(伯父夫妻に冷蔵庫の使用禁止を言い渡され、
貯金から小さい冷蔵庫を買って部屋に置いていたらしい)働いていた時の貯金を削りながら生活していたそうだ。
また、たまに学生時代の同級生や、ネットのオフ会等には顔を出していたらしく、完全な引きこもりでは無かった。
だが生憎と伯父夫妻は共に「うつ病なんて甘え」「心の風邪とか言うんなら寝てたら治るんじゃないの?」「怠けている、努力が足りない」
という、年代を考えても心の病や現代社会の挫折にはまるで理解の無い類の人達だった。
父もその点を心配して会った時には色々言ってはいたそうだが、まるで響かず聞く耳を持たない様子だったとか。
また母も伯父妻とはたまに会う程度には交流があったものの、ウチの子はまだ働かず家でサボってばかりで困る…といった
愚痴をよく聞かされていたそうだ。
私も知っている人ではあるので多少は心配していたが、正直「引きこもりの従兄弟(と聞かされていた)」と
どう向き合って接して良いか分からず、付き合いが疎遠になった事もあり、特に口を出したり
また従兄弟自身と交流を積極的に持とうとした事は無かった。今ではそれを後悔している。
従兄弟が30歳近くになった頃、母が伯父妻経由で「◯◯君(従兄弟)は社会復帰に向けて色々頑張っている」と聞いた。
何でも、今まで従兄弟の引きこもりに困りつつも特に相談らしい相談をしてこなかった伯父夫妻がようやく重い腰を上げ
知人から紹介されたというニート・引きこもりの支援団体に相談し、その団体の人達の協力で適切な支援の元、社会復帰に向けて動いているという。
従兄弟の状況が改善に向かっている(らしい)と知った時は、素直に驚きと喜びがあった。
本格的に社会復帰に成功したら一度顔を出しに行こうかと両親や兄とも話していたが、既に親元を離れ就職し
それぞれの生活があったので、実現する事は無かった。
それから一年程して、遂に従兄弟が引きこもりを脱し、伯父家を離れ別の場所で支援団体の人達から紹介された
住み込みの仕事をしながら社会復帰に向かっていると母経由で聞いた。
今どき住み込みの仕事、という点に引っかかりを覚えたが、支援団体がやっているのであれば
引きこもり用の簡単な仕事(作業所の様なイメージ)をやらせているのだろうと解釈した。
当時はまだ、支援団体全般に「あまりお金にならない、人の役に立つ仕事をしている人達なのだろう」というイメージを抱いていた。
人間の善性を素直に信じていたといえる。
一体何事かと思ったら、「◯◯君の事で警察から連絡がきた!」と言う。
最初は詐欺?かと思ったけど、父が警察と対応しており、話を聞く限りは本物だという。
何故両親に…と思ったが、父はとりあえず従兄弟を迎えに警察に行った。
落ち着いたらまた連絡するから、と母に言われその時は終わった。
翌日、母から連絡があった。従兄弟の身元引受人となり、とりあえず父が自宅(実家)に連れ帰り、話を聞く事にした。
久々に会う従兄弟は以前顔を見た時より随分やつれており、精神的にもかなり不安定に見えたという。
結論から言えば、伯父妻から母が聞いていたという話は殆ど嘘だった。
伯父夫妻が知人から紹介された支援団体に相談に行ったのは本当だが、「適切な支援」なんてのは真っ赤な嘘だった。
従兄弟によると、実際は無理矢理部屋に入って来て威圧されたり怒鳴られながらの長時間の「コミュニケーション」。
それがストレスでバイトを増やして家にいない様にしたら態度が反抗的と見なされ、余計に対応は悪化するばかり。
また、数万円を渡され家を追い出され、当然お金が尽きて路上生活を余儀なくされたり(最終的には警察に保護されて家に戻されたという)
共同生活体験と称して、タコ部屋みたいな所に住まわされ重労働をさせられ、食事もまともに貰えない奴隷の様な「合宿」をさせられたという。
ますます精神状態が悪化した従兄弟は、余計に部屋に引きこもり両親との会話を拒絶する様になり(それまでは最低限の両親との会話はあったらしい)
家から逃げ出そう、しかしお金も無く(僅かな蓄えは従兄弟が「合宿」中にいつの間にか伯父管理になっていたとか…)派遣のバイトすらも
精神状態の悪化で難しくなり、どうにもならなくなった挙げ句に、最終的には生活保護を受給して生活しろと
支援団体の人間の「支援」の元、半ば無理矢理手続きをされ、家から離れた家で「自立」させられる事になったという。
最初は信じられなかった。が、母の「◯◯君が嘘を言っているとも思えない」とも言われた。
話している時の様子や怯えが尋常じゃないと。
また、従兄弟が引きこもりを脱したと聞いた際、(従兄弟と)一緒にお祝いの食事でも、と伯父妻に母が言った時に
結構強めに断れられた事もあり、何故だろうと内心疑問には思っていたそうだ。
生活保護を受けて住まわされたアパートは、従兄弟曰く「野宿生活していた方がまだマシだった」という地獄の環境だったという。
文字通りタコ部屋みたいな狭い部屋に数人の人間と共に押し込まれ(元ホームレス、明らかに認知症の気がある老人、
知的障害がありそうな中年男性、明らかに薬物等をやっていたかの様な形相の中年男性、という面子だったそうだ)
生活保護費は受給者証と共に取り上げられ、ボロボロのアパートには明らかに見合わない家賃や生活管理費用、
高額な食事代(1日2、3000円程取られ、レトルトのカレーやご飯、安い菓子パンにペットボトル1本、といった内容だったという)を
それすらも色々な名目で「罰金」を取られ更に減らされたり、同室の人間に盗まれたり、
それで少しでも不満を言うと支援団体の人間に暴力を振るわれ、更に罰金や食事を減らされたりするという、まさに地獄の様な環境だった。
話を聞いた両親は「刑務所の方がマシなぐらいの酷い生活」だと思ったという。
仲良くしようとも思えない不潔で異常な性質の人達との不潔で不便な共同生活、従兄弟はその中では比較的まともだった為、
最初は何とか生活を改善しようとしたが、それすらも生活を管理する支援団体の目についたらしく、些細な事で怒鳴られ暴力を振るわれ
罰金の名目で金を取られ食事すら満足に取れない日々に、さすがに耐えられなくなったので、手持ちの小銭をかき集め、遂に脱走を決意したらしい。
しかし、このまま自宅に帰っても、支援団体の言われるがままだった両親の元に戻った所でまた連れ返されるだけだと思い
どうしたものかと考えた挙げ句、何度か行った事があり、最寄り駅や何となくの住所も分かり、そして何よりも「話をちゃんと聞いて、助けれくれそうな」
親類…つまりウチの両親(従兄弟からすれば叔父夫妻)の事を思い出し、向かう事にしたと。
そこからは歩いて叔父宅(実家)まで向かっていた所、不審者として通報を受けた警察に捕まり、事情聴取の際に
身元引受人として叔父(父)を指定したという。両親に連絡したらまた地獄に戻される!と思い、必死にお願いしたそうだ。
正直、驚いたし怒りも湧いた。
嘘をついた伯父夫妻にもだが、怪しい支援団体にも腹が立った。
何でそんなおかしな、ヤクザや反社みたいな人間がやっている様な団体を頼ってしまったのだと。
話を聞いた両親は、伯父に連絡はしたものの、話を聞いてしまった以上しばらくは返せない、支援団体とは手を切って欲しいと言った所
伯父には激怒され、もう金を支払っているのだから(具体的な金額は知らないが、10万20万じゃきかないと思う)それは困る。
アイツには自立して貰わなければいけない、これ以上面倒なんて見きれないから全部(支援団体の)言う通りにしなければならない、と
まるで聞き耳を持たない強行的な態度だったそうだ。
母にも伯父妻から連絡が来たが、同様の態度で全く悪びれた様子も無く、「これでは治るものも治らない」と母は思ったそうだ。
週末に実家に足を運んだ。同様に実家に来た兄と共に、両親と今後の事を話し合った。
伯父にも既に父が連絡をしていたが、結果的に嘘を吐いていた事をロクに謝罪しないばかりか
あちら(団体)は勝手に脱走した事を非常に怒っている、早く返さなと信頼関係が無くなる、勝手な事をするな!
といった事を繰り返すばかりで、話にならなかったらしい。
家族で話し合い、従兄弟から聞いた話があまりに酷かったのもあり、団体の元に返すのは難しいよね、という話になった。
もちろん伯父家の所にも。彼らが引きこもりやうつ病に理解がある人間で無い事は完全に分かったし、おかしな支援団体に
というかぶっちゃけ反社かヤクザみたいな団体の所には返せないという事になった(HPを見る限りはちゃんとした団体に見えたけど)。
やはり、従兄弟が嘘を吐いて逃げようとしているとは思えなかったし、兄が以前聞いた事があるという「貧困ビジネス」の話と
一致する所が多くあり、伯父達は騙されたり付け込まれてしまったんじゃないかと。
伯父は元々思い込みが激しく一度決めたらこう!だと動かない性格だと父も言っていたので、今の状態では家にも
ましてや団体が用意したというタコ部屋みたいな所にも戻せないと。
従兄弟自身は、お金は後で必ず返すからしばらく漫画喫茶で寝泊まりする、といったのだが
両親はそれでは不便も多いだろうと、当面の間は従兄弟を家に寝泊まりさせる事になった。
これには私・兄も反対しなかった。この決断は後に正解でもあり不正解でもあった事を痛感させられた。
受給者証も取り上げられていたので、最寄りの福祉事務所等にも両親は相談に行っていた様なのだが、
これが仇となったのか、従兄弟が実家で暮らす様になって半月も経たない内に、団体のメンバーという人間が実家に乗り込んできた。
団体メンバーは初手から弁護士と主に来襲し、あなた達の行為は何ら解決にもならない、また従兄弟の意に反し(本当に言った)
従兄弟を家に軟禁する行為(これも本当に言った)は誘拐罪に当たると。
とりあえず従兄弟さんを引き取らせろ、それからは弁護士を通して話し合ってくれ、といって強引に連れ帰ろうとしたので、
文字通り押し問答になったという。団体職員を名乗った人間も弁護士も、外見は普通で口調も乱暴では無かったものの
言ってる事やってる事は完全にヤ◯ザかチンピラのそれだったと。どう考えてもまともな輩では無いと、両親は言っていた。
それは、その対応で疲弊した両親の代わりにこちら側の弁護士同席で対応した私・兄も同意見だった。
しかし調べる限り団体の人達に反社の陰は無く、公的な機関や他の支援団体などとも関わりがある様な「ちゃんとした」団体であり
表面上は「まともな人達」「弱者支援をしている正しい人達」だった為、それだけに人を人とも思わない様な彼ら・彼女らの言動が余計不気味に思えた。
団体側の意見は、自分達のやっている事は全て正しく(従兄弟の様な)弱者を助ける為にやっている事であり、
そんな我々を信用せずに悪質な団体だと思い込むあなた達はどう考えてもまともじゃない、おかしいとまで言われた。
あまりにも「自分達が正しくあなた達(一家)が異常である」という様な事を言うので、逆に自分達の常識がおかしいんじゃないかとすら疑った。
団体とは揉めに揉めて、弁護士も挟み何とか受給者証の返却には応じてくれたものの、管理名目で取り上げられていた
従兄弟の私物の大半は返って来ず(従兄弟も「もうあの人達とは一切関わりたく無い」と泣き寝入り)、これでやっと終わるかと思いきや
どこで調べたのか、父の勤務先や母の仕事先に「(父は)長年不正を働いている」「立場を利用して便宜を図っているらしい」
「(母は)職場から少額の横領を繰り返している」「顧客として利用したが(母に)悪口を言われた」等の
嫌がらせ電話がどこからともなくかかってきた。もちろん根も葉も無い事実で、完全に嫌がらせだった。
さすがに皆が真に受けた訳では無いだろうが、嫌がらせをされる様なトラブルを抱えた人間と積極的に関わりたがる人間はいない。
父は定年後も嘱託職員として務める予定だったが、変な噂が立って居辛くなったと、定年まで数ヶ月を残して早期退職。
母も神経を病んでしまい、長年勤めていた仕事を辞める羽目になってしまった。
内容を確認した上司によると「(私が)職務上の立場を利用して不正を働いている」「意図的に顧客の情報を漏らしている」
という旨の密告の電話・メールがあったという。当然強く否定した。そんな事をする訳が無いと。
しかし、信用を大事にする業種・職務・職場だった事もあり、結局私はそれまでの業務を取り上げられ、畑違いの別部署に異動が決定した。
その頃にはどこで漏れたか噂も出回っていた様で、疑念半分、でも皆大人だから直接口に出して疑いはしない、でも強く疑われているという空気は感じる。
そんな空気圧に耐えられなくなり、あっという間に神経を病んで仕事を続けられなくなってしまった。
しかし、ITの特定派遣の正社員というやや特殊な仕事、「正社員だけど派遣、派遣だけど自社(と呼ばれる会社)には所属しているので正社員」という立場だった事もあり
「(自社の業務に)関わった事も無い、そもそも開発業務なんて殆どやっていないだろうに、どうやって業務の秘密事項を漏らすんですか?」
「退職しても良いけど、今の派遣先にはチームとして来ているので、TLの自分が辞めたら契約切られますよ?」と強めに主張して、仕事を辞める事にはならなかったらしい。
しかし後になってから兄は「嫌がらせされているという事実や、(自社の上層部に)変な目で見られる様になったのは辛かった」と零していた。
全て、従兄弟を追い詰めた、あの支援団体と揉めた後に起こった事だった。
当然支援団体を疑ったが、明確な証拠も無く、団体に直接問い合わせもしたが、無視か
「そんな事は知らない」「変な事を言いふらす様なら名誉毀損で訴える」と居直られた。
警察にも相談したが、そもそも犯人が誰だか分からないし、私達が主張する例の団体が犯人という証拠や根拠も無い、
よって捜査をするのは難しいし、噂を真に受けて被害を被ったのであればともかく、最終的には「自分で仕事を辞めたんでしょ?」と、
「不満があるのであればお互い話し合って…」と、被害届けすら受け付けて貰えなかった。
弁護士にも相談したが、仮に嫌がらせの電話が事実でも犯人を特定し団体の関与を認定する事すら難しいと言われ、徒労に終わった。
私達一家は、謎の嫌がらせ犯人に多大な被害を受けながらも、泣き寝入りするしか無かった。
結果的に、従兄弟を助けた事で私達一家の生活は滅茶苦茶になった。
伯父と揉めに揉めて絶縁状態になった事もあり、また地元にも変な噂が出回ってしまった事もあり、両親は長年住み慣れた土地を追われる様に離れ
定年後は、父は嘱託職員でゆるく働きながら、二人でゆったりとした老後を過ごしたいと言っていたが、
今は慣れない土地で慣れない仕事に追われ、二人とも年齢以上に老けて見えるのが悲しい。
自分は仕事を続けられなくなり、適応障害と診断され、当時交際していた相手とも関係が破綻してしまった。
今は何とか別の会社に再就職したものの、人生プランはかなり狂ってしまったし、今の仕事で嫌な事があったり
年収を計算する度に「前の会社にいたらこんな事には…」と思ってしまう。この後悔は一生消えないだろう。