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「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!
ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。
いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である。文系の研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。
(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様の勅令だったりお役所の行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である。公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)
何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念・方法論レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキルが全然違うので。江戸時代の歴史なら江戸時代の古文書、明治期の歴史なら明治期の文書、中国史なら漢文、イギリス史なら当然英語の古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生が日本の古文書の読み解き方を勉強しても時間の無駄だろう。逆もまた然り。
慌てて言えば分野による。
社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナルな史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。
ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合、史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのものを要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生は修士論文で初めて学会誌に投稿できるレベルのものを要求されることになる。
何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語は大学で第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史やドイツ史やフランス史の場合、韓国語やドイツ語やフランス語は文系の学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツ語フランス語の論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃんと漢文の史料は読めるよね? 現代中国語の論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語やアラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語が必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本でアイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。
なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語で韓国語を選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語はフランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得を義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域に対応できるね! 史学は語学と言われる所以だ。
あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国に植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語やフランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国の言語が使われていたり宗主国のお役所に植民地統治を担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国の言語で書かれている)。さらに前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである。現代日本語の論文はスラスラ読めても古典日本語はチンプンカンプンという人も多かろう。前近代非西洋の征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級の言語+植民地支配してたヨーロッパの言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語+オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーがいるから勉強も簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語を習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまいウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国の外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生の卒論レベルなら日本語+英語or中国語でじゅうぶん、という運用の大学がほとんどだと思う。
(ヨーロッパの植民地についてしか述べていないのは、日本の植民地の場合宗主国の言語を習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本は植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国や台湾の学生あるいはそれらの国からの留学生は植民地時代の自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)
でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家に指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論や博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。
これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国や台湾、フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学のゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家に指導を受けたり、あるいは分野によっては語学の勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガルに留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。
上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系の大学院なんて資産家の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがきに奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋な感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さんの実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか。
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【 後日記 】
本や映画をほんとうに楽しめるのって、金持ちか現実逃避できる底辺だけなんやろな、とつくづく思う。
ラノベやマンガに至っては思考する力もないかストレスで考える体力もない底辺レベルが増し増しになってるんやろし。
いいんじゃね? 物語を楽しめない層っているからね。そういうやつは老後に1番しんどいとお思うけどさっさと死ぬのもそれはそれかね。 - sukekyoのコメント / はてなブックマーク
老後に苦労するの理屈がさっぱり理解できない。本や映画を消費していてもこうやって飛躍した都合のいい結論に着地して安寧としていられるなら、
消費しても人間的成長とかは一切ないんだなぁと実感する。
増田を書いたら人生がうまくいくようになるとかどこから出てくんだろう…増田なんて適当な書捨て&おもちゃ程度でしか思ってないしせいぜい数秒で書いた記事だぞ
このくらい読解力も論理性もカラッポで本読んでるんだとしたらますます人生のムダ感すごそう。
追記に気づいたけど、本や映画にかける時間や金と増田の差異に気づいてないんだからやっぱりカラッポやな
この増田と「人生を楽しんでいる底辺」を比べたら、人生を楽しんでいる底辺のほうが勝ち組だなw - tikani_nemuru_Mのコメント / はてなブックマーク
FOx「俺の人生がうまくいくようになるわけじゃないし」とか書いておきながらも、人生を楽しんでいないと言われると真っ先に否定してしまうほど論理的な思考回路が停止してしまうくらい病んでるんだろうね。お大事に
なぜか人生を楽しんでないことになっててウケる。このくらい読解力も(以下略
「本や映画を消費してもうまくいったり楽しめるわけじゃない」と書かれてるのすっ飛ばしてる事実から否定しているだけなんだが、
真っ先に否定したから論理的思考回路がショート!ってすごい知的ですね笑そのレベルの読解力で(以下略
何でもかんでも自分と結びつけて考えるのやめたら少し楽になると思う - y-abeyのコメント / はてなブックマーク
え!?ラノベ考察で「オタクは俺つえーと思って読んでるんです!」って批評してる連中アホだと思ってたけど、アレ事実だったんですかぁ!(白眼
赤穂浪士を読んでも、俺が討ち入りするわけではないしな…… - sekretoのコメント / はてなブックマーク
こういうユーモアで返せるやつ、余裕ある感すごいよね。それに比べて他のブコメときたら(
イヤミではなく、「こんなの楽しめない俺」を満喫してるじゃないか、と思うのだがそれじゃダメなんだろうか。 - wosamuのコメント / はてなブックマーク
表層の極一部分だけ見てスゲー雑なレッテル貼りしてるバカにこんなスターつくんだから、ほんとブクマカってバカばっかりになったな
登場人物、特に主人公がドイヒーな目にあって特に希望も残らないまま終わるような話が好きです - cloqのコメント / はてなブックマーク
恋愛耐性のなさそうなcloqさんラブ・アクチュアリーとか見たらウワァァァンって叫びそう
すごく好きだったのに、今は見るのも嫌なくらい嫌いだと感じるようになってしまいました。
作品に飽きたのではなく、嫌いになってしまったことが悲しくて、辛くて、まだ自分に折り合いがつけられていません。
私は、「おそ松さん」が好きだった。
初めてアニメ放送された2015年、その頃はアニメから離れていて、オタクから随分卒業したと感じていたし、あまり興味もなかった。ただずっと続けていたTwitterを通して、おそ松さんの存在を知った。
おもしろい、と様々な人が盛り上がり、二次創作もたくさんTwitterに流れてきたのをよく覚えている。その盛り上がり方に興味が湧いて、見てみたのがきっかけ。
いつもなら流行ってるジャンルは見ても食いつかない、もしくは見る気も起きないことが多かったから、興味が湧いたこと自体自分でも意外だった。
見てみて、おもしろいな、と感じた。下ネタはあるけど意外と大丈夫かも、パロディもあっておもしろいんじゃない?と思った記憶がある。
そこから毎週見るようになって、最初は見分けのつかなかった6つ子たちが見分けられるようになって、どんどんハマっていった。結局、アニメだけでなく二次創作にまでハマるほどになった。それはもう、世間でいう沼ってやつだったんだと思う。
1期が終わって、アプリゲーム、グッズ展開、スペシャル(おうまでこばなし)に騒ぎ、熱は引かなかった。映画になれば近くの公開映画館を探して自分の推しの回を見に行って、2期決定をすごく喜んだ。
そして2期が始まって、当然放送日の次の日は無理やりにでも時間を作って見るようにしてた。久々に毎週ワクワクできるんだ、楽しみだな、と思ったし、また動く6つ子が見れることをとても嬉しく思っていた。
でも見初めて、あれ?と思うことが少しずつ増えてきた。なんだろう、1期と何かが違う気がすると思い始めた。
それと同時に、1期からなるべく見ないふりをしていた、あまり評判の良くない行動をするおそ松さんファンを見かけることが増えた。
たぶんこの辺りから、なんか嫌だなと思い始めたんだと思う。
2期と1期の違いは、2期放送時から様々な人が言っていた。私が感じたものも、その中に出てきた意見と大差ないないんだと思う。
最初に思ったのは、前より(1期より)下品。ということ。話数を重ねるごとに少しずつそう思うようになった。
私は2期を見て、随分生々しいというか、そういう描写が増えたなと思った。1期の頃は下ネタ発言こそあれど、そこまで生々しいものはあまりなかったと思う。(個人の感想だから、そうじゃないと考える人ももちろんたくさんいると思う)
生々しく、下品で笑えない下ネタが増えたというのが正直な私の感想だった。
文字として打ちたくないものが多いから細かくは書かないけど、そこまで下ネタに走る必要があったのか?と思うことが多かった。げんし松だったり、あとは排泄描写があったのもなんだか気持ち悪いと思ったのが本音。
話の流れをすぐに笑えない下ネタに持っていってしまう安易さにもがっかりしてしまった。
私は1期の下ネタを見ていて、中高生の頃こういう話で盛り上がる男子たちがいたな、という印象を抱いていた。教室にいる、賑やかな男子たちが盛り上がって話すちょっとした下ネタ。当然生々しい訳ではなく、また言ってるよ〜くらいのもの。そういう印象が1期の下ネタだった。
でも2期はとにかく生々しくなった。1期のように下ネタになる単語を発言する→盛り上がるといったものではなくて、実際に描写する、というものが増えたように思う。げんし松でも実際に描写されていて、引いてしまったことをよく覚えてる。
他にもイヤミが松野家に来て袋に排泄したりとか、ふくわ術でチビ太とハタ坊が漏らしたりとか。
1期では一松の脱糞未遂があったけど、あれは力んでるだけで実際には出してない。十四松がハタ坊の会社で漏らしたのも、気づいたら出てたみたいな、さらっとしたライトな表現だったと思ってる。(私の個人的な感想だけど)
それに比べて2期は、描写がすごいというか。ライトじゃない。見ていて引いたし、気持ち悪いとすら思うくらいにはダメだった。
2期は下ネタが強くて引いてしまう割に、他の話の印象が薄かったというのもあると思う。もちろん面白い話もあったけど、下ネタ分を相殺できるだけの話があったかと聞かれると、私はなかったと思う。
例えば、おうまでこばなしも途中、エグくて引いてしまったシーンがあった。未だにそこはあまり見れないけど他の話が面白かったこともあって、そこまで嫌悪感を引きずることもなかった。こういった相殺するだけの話が、2期にはなかったと思う。
だから2期は1期と違う、下ネタに走りすぎている、という感想ばかり出てくるのではないかと、私は思った。
正直ロボットになろうと、元ネタがわからないちょっと前の作品のパロディをしようと、別に構わない。(面白いかどうかは別として)
下ネタだけじゃなくて、何かが1期と違うところはたくさんあるんだと思う。下ネタに走るより、もっとキャラ個性を活かした話とかあればよかったのに、と思わなくもない。
でも、アニメの内容の変化だけだったら、私はたぶん気持ちは冷めても、別に嫌いになったり見たくないと思うほどではなかったと思う。離れようかなくらいには思ったかもしれないけど。
2期は話の変化と同時に、おそ松さんファンの嫌な部分というのをたくさん見た時期だったと思う。1期からファンの嫌な部分はたくさんあって、なるべく知らないように意識して避けていたこともあったけど、2期は避けきれずに見てしまったものが多かった。
アニメ放送が始まる前・放送後の公式Twitterのツイートに、ちょっとおかしなリプが多くついていたというのが最初の印象だと思う。
一番覚えてるのは、放送が終わったツイート(ご視聴ありがとうございました!みたいなやつ)に、「○○松をオチに使わないでください!」とか、「○○松あんなにクズじゃありません!」とかそういうリプ。ざっくり分けたけど、同じ回の放送後、こんなリプを見た。こんなリプを見て最初に思ったのは、自分の願望を公式に押し付けようとしてて押し付けがましい、見たくないな、だった。
オチに使わないでくださいとか、クズじゃありませんとか、これが原作のある作品に対してのリプで、原作と何か違っていて、それに対しての文句ならまだわかる。
でもおそ松さんは原作がない。くん時代とは別物だし、これはアニメオリジナル。しかも、今まで全くそういう描写がなくていきなりクズにされたわけでもない。ずっと皆クズだし、オチは別に固定じゃないんだから色んな人がやると思う。
だからこそ、このリプを送ってる人たちは自分の願望というか、解釈を送りつけて、そうならなかった内容に文句をつけている、という風に私は感じた。私の推しはこんなことしない!○○松はこうなの!みたいな。
おそ松さんは二次創作が盛んだった。旬ジャンルなんてみんなそんなものだけど、おそ松さんというアニメは解釈を色々取れる、はっきりしない描写もあったと思う。だからこそ受け手の解釈の幅が広がって、二次創作が活発になったと私は思ってる。
それが、このリプに繋がっているんじゃないかと感じた。解釈をする→それに他のファンも共感してくれる→普及。といった感じで、1人の解釈がまるで事実のように扱われる部分があって、それを二次創作だけでなくアニメにまで持ってきてしまう人がいたんだと思う。だからあんなリプが1つや2つじゃなくて、目に入っただけでも結構な数あったんだと思った。
私は公式が全てだと思っているし、そう考える人もたくさんいると思う。でもそれ以外に、自分の解釈が正しくて公式に文句を付ける・解釈を押し付けるファンがおそ松さんにはたくさんいた。
他のジャンルはあまり詳しくないけど、ジャンル外の人からも色々言われてるだけ、おそ松さんファンの特殊な部分は強かったと思う。
他にも○○松が酷い目に合う話だったら許さないみたいなものから、○○(コンビ名)だったら見ないとか、逆に○○は公式!みたいな盛り上がりも多々見えた。公式のツイートを見て、偶然リプを見て、こんなリプばかりだったことに毎回嫌な気持ちになってた。ただツイートしてるだけでも偶然目に入ってしまえばいい気分はしないのに、それがさらに公式への発言だと思うと余計に嫌な気持ちになった。
見ないようにしていても検索で偶然引っかかってしまったり、おそ松さんファンに対しての嫌な感情はどんどん出てきたと思う。
1期から知っていたことではあるけど、おそ松さんのファンは自分の思う通りにならない内容だと抗議する、というイメージが強かった。批判して、改善を求める。でもそれが、ジャンル外の人からは異様に見えていたと思う。(ジャンルにいた人でも異様だと言う人はいたと思う)
色々見てしまったことで、アニメに対するファンの反応に引いてしまったり、怖いと思うことが増えた。それと同時に、この人たちと私は世間で見たら同じに見えるのか、という嫌悪感もあった。(ジャンル外の人からすれば「おそ松さんファンはやばいやつが多い」という印象で、おそ松さんが好きなら印象は一括りだったと思う)
同時に、公式に文句を言っていたファンがほとんど同じキャラ・コンビ推しのファンだったことに気づいてしまった。○○松はクズじゃない!とか、○○(コンビ)だったら見ないとか○○は公式!とか発言していたファンの推していたキャラが共通してて。その上で、そのキャラのいる1つのコンビのファンも、やたら公式に文句を言っている印象が強かった。
私が気づいたのがそのキャラ・コンビ推しの人だっただけで、他にも過激思想のある別のキャラ推しのファンだっていたとは思う。(1期で一番やばいって言われてたキャラのファンとかもいるし)
ただ、2期決定前から、正確に言えば1期が終わる頃からそのキャラ・コンビのファンが少し怖い行動や発言をしている印象があった。(そのときはアニメがほとんど終わってたこともあって、公式にではないけどグッズの公式アカウントとかに色々言っていた印象がある)
それが2期では公式アカウントにも文句を言っていて、段々とそのキャラとコンビに苦手意識を持つようになった。今も苦手で、おそ松さんの中でも特に見たくないと思ってしまっている。いいファンもいるというのはわかってる。それでも、見るのも嫌だと感じてしまった。
2期で気持ちが冷めてきたところに嫌なものをたくさん見て、段々おそ松さんへの苦手意識・嫌悪感が強くなっていった。
さらに、二次創作を見ていて、これはおそ松さんでやる意味があるのか?というものが増えた印象も強かった。
アプリを通してたくさんの派生ができた。他の作品ではパロディとして自ら生みだすものを、公式に近い形で出してもらえた。その結果、二次創作は派生がどんどん出てきた。出てきた当初はそこまで気にしてなかったけど、段々と見ていてこれ、おそ松さんなのかな?と思うものが増えていった。
単純に言ってしまえば、中身(性格)が別人だと思うものが多かった。派生によって、性格が変わるという解釈を否定するつもりは全くない。生活環境が違えば、ある程度の違いはでてくると思う。でも、あまりにも違う性格になってしまったキャラは、私にはおそ松さんの名前と派生作品を使ったオリジナル作品のように感じられた。
そして、二次創作内でも個人の解釈が公式設定のように広まっていくのがあったと思う。それは派生の性格だったり、体格だったりと様々だったけど、公式ではない設定がさも公式設定のように出回ってしまっていたのが苦手だった。
派生作品ばかりが増えていく中で、でオリジナル作品のように感じてしまうものが増えて、1つの解釈が公式のように出回ってしまったことにとにかく苦手意識が強くなり、二次創作も見れなくなっていった。
あくまで二次創作だから、見なくても困るわけではないけど、それでも好きだったものが自分の気持ち関係なく変化していって、それが受け付けなくなっていくのはすごく悲しかった。
アニメの内容も、ファンの反応も、二次創作の展開もどんどん苦手意識がでて、好きでいるのも、見ることにも疲れて、最終的には嫌いになってしまったんだと思う。好きだった作品を嫌いになってしまったことは、すごく辛いことだった。
公式のイラストも、グッズ絵も、着ぐるみでさえ今は見ると嫌だなぁ、と思うようになった。
好きだった気持ちはまだあって、でも見ると嫌い、見たくないと思う自分がいるのがとても辛い。いずれまた、楽しめるときが来るのかはわからない。
今はとにかく、今後新しくハマる作品が出来たときに、冷めることはあっても嫌いになることがないよう、ただ祈っています。
ありがとうございました。