はてなキーワード: 鞍替えとは
自らの正義に基づいて思想に共感したからこそ一政党をあれだけ持ち上げてたんじゃないの?
立憲は今になっておかしくなったわけじゃなくて前々から指摘されてた歪みが今になって表出してきてるだけなのに、
そういった数々の忠告をすべてアベ自民の手先として無視してきたってことはそれだけ確固たる信念を立憲と共有してたからじゃないの?
常にソースに当たってファクトとエビデンスを重視する姿勢をいつも見せてるブクマカだからこそ辿り着いた結論としての立憲支持だったんじゃないの?
なんで急に実は前々から立憲は危ういと思ってましたみたいな顔してんのか理解できないんだが
汚職してようがなんだろうがそれでも自民がいいと言ってる側の方がまだアホはアホなりの一貫性あって好感持てるわ
別に鞍替えしてもいいけどだったらまずは今までのブクマカ全体の傾向としてあった論調をまずは省みて総括するべきじゃないのか?
自由と民主主義を謳歌しているはずの日本人にもどこか権威主義をあがめる気持ちがあって、
ユーラシア大陸東側のロシア、中国といった権威主義大国に巻かれたいという気持ちがあるんだと思うよ。
元々忖度大好きだし、今ですら大日本帝国に自らのアイデンティティーを重ねる人も少なくないようだし。
まあ、日米同盟の保護下にあって、台湾とならんで西側諸国の一員として自由の恩恵を大いに被っているわけだから、
鞍替えなんてのは自分の立場を貶めることがあったとしても高めることはないわけだが。
ウクライナと同じように自由という理念のために西側の防波堤となって戦えるか、といわれると
米国や NATO のウクライナに対する支援が限定的なのを見ていると、
ウクライナとは違って、日本には日米同盟があり自衛隊に加え在日米軍もいる。
一方で中国はロシアよりははるかに強いだろうから、米国の関与に生殺与奪をゆだねている不安定な状態であることには変わりない。
ということで、有事のときにあわよくば平和裏に西側から東側に鞍替えできないか、ということを日本人は無意識に考えているのだと思う。
まず定義として何を『少女漫画』にするのかもわからないので、ここではざっくり掲載誌が少女向けなのかを基本に話を進めていく。
(少女向けにも『りぼん』『なかよし』のような小中学生向けのものから、高校生くらい向けの『マーガレット』、学生から社会人以降までの女性に向けてそうな『Kissz』『Flosers』などあって、たぶん元増田さんたちは、この辺もざっくりひとまとめに『少女漫画』としているようなので、私もそれに倣います)
当方、四十路オタ女(夢女気質)で、小学生の頃は『なかよし』派。特にあさぎり夕の作品が好きで『なな色マジック』や『アイ・Boy』をバイブルに生きていました。どちらかというと強めの女の子・頑張る女の子に自分の願望を乗せて楽しんでいたんだと思う。
中学校からは『SLAM DUNK』、『幽遊白書』のブーム到来でジャンプへ鞍替え。アニメで『ママレード・ボーイ』や『美少女戦士セーラームーン』を、ちょっと小馬鹿にしながらも毎週欠かさず観るというちょっとこじれた楽しみ方をしていた。いつかのセーラームーンのED曲だった『乙女のポリシー』は、当時、元気をもらえたので今でも大好き。
高校からはどっぷりサンデー派。『名探偵コナン』や『らんま1/2』『俺たちのフィールド』『からくりサーカス』『GS美神』『パトレイバー』『ジーザス』。あの頃のサンデーが一番好きでした。(今も楽しい作品があるんだろうけれど、ちょっと追いついてない)
社会人になってから、まわりが「オタクから足抜けいたしやす!」とリアル恋人を見つけては、生身の男たちとの逢瀬の話を聞かされ続け、流されるように男の人と人並みに恋愛し、結婚。そして離婚した。相手にもいろいろ問題があったけれど、私自身まだ二十代前半で未熟だったし、それまで読んできた少女漫画の影響を受けすぎてて『自分が献身的に尽くしていれさえすれば、相手も同じように(もしくはそれ以上に)愛情を返してくれる』と思い込んでいたのが敗因だったと思う。察してちゃんも入ってた。結婚生活に必要なのは明確なコミュニケーションで「皿洗って」とか「誕生日には花をプレゼントして」とか、要望をきちんと言葉にしなければいけない。共同生活において気持ちや要望の言語化は男女ともに必要なスキルなのだと全部が終わった数年後くらいに反芻してやっと理解した。それと共に恋愛ごとで自分の感情がコントロールできなくなるのがイヤでたまらなかった。ドラマや映画や漫画の恋愛はフィクションだからこそ楽しいのであって、自分の人生で実践するものではないなと痛感した。恋人期から結婚生活期へと移行した段階で、自分がか弱いヒロインでいては生活が成り立たないことにショックを受けつつ、自分をソルジャーへクラスチェンジさせた。そうするとみるみるうちに配偶者は私を『オカン』として扱うようになって、『なんでやねん』と思ったものだ。実践できてる人もいるかもしれないけれど、私には恋愛と結婚を両立させるのは無理だなと再婚した今でも思っている。(現夫との関係は「たまにセックスする親友」といった感じ)
そうやって再びフィクションの恋愛や冒険やバトルやミステリの世界に舞い戻った。結婚前との明確な違いは『少女漫画』が楽しめなくなっていたことだ。リアルな恋愛をしてしまったあとではヒロインと王子役のディスコミュニケーションにいちいちツッコミ入れてしまい、どのキャラにも共感できなくなった。『俺様』とか『S系王子』とかに顔がいいだけの情緒不安定な男に振り回されるのなんてゴメンだし、恋人関係でもない男に壁ドンされたら即通報だ。いやいきなり通報はしないまでも「ちょっと、近いです」といって距離は取る。
全部が全部ダメになったわけではなく、『君に届け』とか恋愛を中心にしつつも女友達の友情とか主人公の頑張りとか描かれている作品はやっぱり楽しい。最近は『スキップとローファー』が面白かった。
あと、『ミステリと言う勿れ』は恋愛を主軸にしてないし、男性でも楽しめるかなと夫にオススメしてて3巻くらいまで一緒に読んでいた。ドラマ化を機会に、続刊を一気買いしたんだけれど、ここ最近のはてブ界隈を読んで「そうか男性には楽しめない内容だったか」と続きは私一人だけで楽しんでいた。
本棚で続刊を見つけた夫は「続きがあるなら教えてよ!」とぷんすこしながら続きを読み、10巻の最後でまんまと涙ぐんでるのを見て、この人と結婚してよかったな…と思った。それと同時に、楽しめる作品てやっぱり人それぞれだよな…と再認識した。
もちろん他にも夫にオススメしたけれど、ピンとこなかったらしい作品は女性向け・男性向けともに何作かある。逆に夫にオススメされたけれど、私が楽しいと思わなかった作品もある。
つまり、長文書いて何が言いたかったかというと、女性だってその時その時で読んでて楽しいと思える本は違うので、でっかい主語で『男性も楽しめる少女漫画』に楽しめなかったとしても、その作品、果てはジャンル全部を貶めないで欲しい。
それはそうと恋愛マンガを揶揄したコメディ『LOVELESS』、『月刊少女野崎くん』はちょっと読んで欲しいと思う。((『月刊少女野崎くん』はガンガンコミックなので、少女漫画の枠に入れていいかどうか迷うけれど)『LOVELESS』の方は、『ペケ』を描いていた新井理恵の作品で、斜に構えて難癖付けたがる人には刺さることが多い。ここまでツッコミを入れてくれたなら、もう私にやることはないなと思わせてくれた。自分の中のモヤモヤが昇華され、憑き物が落ちたように、再び少女漫画の世界を斜に構えながら楽しめるようになった。
楽しめなかったのならすまない。
はてブやTogetterだと、「日本の一大事」みたいな感じで言及されるけど
世間では何の関心も持たれてないんだよな
温泉地にしてみれば「温泉むすめ」で来る人は、こんな炎上関係なく来る
知らずに来る人は日本全国ありふれた萌えキャラの一つ程度(言ってしまえば何もないのと変わらない)
実際、国の表彰対象になる程度には地域に貢献していたし、フェミがクレームを入れまくるという営業妨害しなければ、変わらず貢献するだろう
んじゃ、旗振りの著名活動家は除いて、SNS上だけで批判に賛同し、オタに反論することしかしない、似非フェミの活動が何に寄与したかって言うと、「なんにも」という所だろう
あえて言えば、「議論が深まっ太郎」か
Dappiもそう
大体、Dappi程度のことで野党に入れなきゃって人は、とうに投票に行って野党に入れてる人で、それで鞍替えって考えられないだろう?
Dappiをありがたがる人間はもとからネトウヨで、それで鞍替えって考えられないだろう?
でも、マスコミ動員してスクープぶち込めば、世間が変わるに違いないみたいな、旧態依然とした意識で活動しちゃう
国民を「知らずに扇動されてる道化」と見ちゃうから「知れば扇動できる道化」と考えちゃう
みんな、手元にツール持ってるんだからさ、肌感覚でわかるんだよ
Dappiみたいな存在がどういう物か