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元記事 (Zerohedge):https://www.zerohedge.com/geopolitical/vaccine-mandates-great-reset
執筆者:Philipp Bagus via The Mises Institute,
ワクチンを受けていない人への圧力が強まる いくつかの国では、ワクチンを接種した人たちが、コヴィドの介入によって奪われた自由を取り戻しつつありますが、ワクチンを接種していない人たちはそれほど恵まれていません。彼らは差別の対象となっています。公共の場へのアクセスや旅行が難しくなっています。一部の国では、職業によってはワクチン接種が義務付けられているところもあります。
しかし、なぜ政府は予防接種キャンペーンをそれほど重要視し、これほどまでに圧力をかけているのでしょうか。また、誰が世界的な予防接種キャンペーンに関心を持っているのでしょうか?
これらの疑問に答えるためには、普及しているワクチン接種に関する物語を分析し、そこから誰が利益を得ているのかを問う必要があります。
その際には、国家、メディア、製薬業界、超国家的機関の間の利害関係の連合を取り上げなければならない。
ワクチン接種キャンペーンには、明らかに経済的な利害関係があります。ワクチン接種の普及によって莫大な利益を得ることができるからです。
コビド19の危機において、政治家は恐怖とヒステリーを組織的に増幅させた。これは偶然ではなく、当然のことなのです。国家は、内外の危険から国民を守るという主張の上にその存在意義を築いているのですから。国家は恐怖の上に成り立っているのである。国家の助けがなければ、国民は飢餓、貧困、事故、戦争、テロ、病気、自然災害、パンデミックに対して無防備になってしまうという物語である。したがって、国家は、起こりうる危険に対する恐怖心を与え、それを解決するふりをして、その過程で権力を拡大することが利益になるのである。比較的最近の例では、9月11日の同時多発テロや第二次イラク戦争の後、テロの脅威に対応するために米国で市民的自由が制限されました。同様に、平時には考えられないほど国家権力を拡大するために、市民の基本的権利を犠牲にして、意図的に恐怖心を煽り、コヴィド-19を特異な殺人ウイルスとして描写することは、政府の利益となった。
コロナ危機が始まったとき、ウイルスの潜在的な危険性についてあまり知られていなかったため、政治家は非対称な報酬に直面した。政治家が危険性を過小評価して対応しなければ、過小評価の責任を問われることになる。選挙も権力も失うことになる。特に、死者の責任を問われることになればなおさらだ。集団埋葬の写真はさておき、危険を過小評価して行動しなかった場合の結果は、政治的に致命的なものとなる。対照的に、危険性を過大評価して断固たる行動をとることは、政治的にはるかに魅力的である。
もしそれが本当に前例のない脅威であれば、政治家はロックダウンなどの厳しい措置をとって称賛されます。そして政治家は、彼らの断固とした行動がなければ、実際に災害が起きていただろうと主張することができる。しかし、その対策が大げさであったことが判明した場合、その対策がもたらす可能性のある悪影響は、集団埋葬の写真のように政治家と直接結びつくものではなく、より間接的で長期的なものであるからです。ロックダウンによる間接的かつ長期的な健康コストには、自殺、うつ病、アルコール依存症、ストレス関連の病気、手術や検診のキャンセルによる早死に、そして一般的な生活水準の低下などがある。しかし、これらのコストは、思い切った介入に直接関連するものではなく、政策のせいにされるものです。これらの結果の多くは、次の選挙の後、あるいはそれ以降に発生し、目に見えません。例えば、生活水準が上がれば、平均寿命がどの程度伸びたかを観察することはできません。また、ロックダウンをきっかけに発症したアルコール依存症やうつ病で6年後に誰かが死んだとしても、ほとんどの人はおそらくロックダウンを行った政治家の責任にはしないでしょうし、もし責任にしたとしても、その政治家はすでに退陣している可能性があります。このように、脅威を過大評価して過剰に反応することは、政治家の利益になるのです。
政治家にとって魅力的なロックダウンなどの厳しい措置を正当化し擁護するためには、恐怖心をあおることが必要である。19年のソ連危機の際、政治家が恐怖とヒステリーを煽り、ロックダウンなどの高度な制限措置を実施したことで、経済や社会構造に与えたダメージは計り知れないものでした。しかし、社会は永遠にロックダウンすることはできません。どこかの時点でロックダウンを解除し、正常な状態に戻さなければならないのです。しかし、殺人ウイルスの脅威に対する恐怖心を煽ると同時に、正常な状態に戻すにはどうすればよいのだろうか。
ワクチン接種キャンペーンにより、国家は大きな危機からの救世主としての役割を果たすことができる。国家は国民のために予防接種を組織し、その予防接種を国民に「無料」で提供するのである。この「予防接種レスキュー」がなく、永久にロックダウンされた状態では、市民の権利を制限することによる経済的・社会的な悪影響があまりにも大きいため、国民の間で恨みが募り続け、最終的には不安が脅かされることになります。だから、遅かれ早かれ、ロックダウンは終わらせなければならない。しかし、国家当局が、それ以上の説明もなくロックダウンや制限を撤回し、「結局、危険はそれほど大きくなかった」「制限は大げさで間違いだった」などとほのめかすようなことがあれば、住民の支持と信頼を大きく失うことになるだろう。したがって、政府の立場からは、最も厳しい規制から脱却するための、面目躍如たる「出口のシナリオ」が必要であり、それを提供するのが予防接種キャンペーンである。
国が提供するワクチン接種によって、国家は大きな脅威の物語を保持し続け、まだロックダウンから抜け出すことができる。それと同時に、ワクチン接種によってある程度正常な状態にしている救世主のように見せかけることもできる。そのためには、できるだけ多くの国民が予防接種を受ける必要がある。なぜなら、国民のほんの一部しか予防接種を受けていなければ、予防接種キャンペーンを開放に向けた必要なステップとして売り込むことができないからである。このように、国民の大部分にワクチンを接種してもらうことが国の利益になるのです。
この戦略が成功すれば、国家は前例を作り、権力を拡大し、さらに市民をより依存させることになる。市民は、国家が自分たちを死の窮地から救ってくれたと信じ、将来的には国家の助けが必要になると考えるだろう。その見返りとして、彼らは自由の一部を永久に手放すことを厭わないだろう。国が主催する毎年の予防接種のブースターが必要であるという発表は、市民の依存心を永続させるだろう。
マスメディアは一線を画し、予防接種のシナリオを積極的に支持している。
国家とマスメディアは密接につながっている。有力メディアによるフレーミングと、国民をターゲットにすることには、長い伝統がある。すでに1928年にエドワード・バーネイズは、その名著『プロパガンダ』の中で、大衆を知的に操作することを提唱していたのである。現代の国家では、マスメディアは、covid-19のような政治的措置に対する大衆の承認を構築するのに役立っている。
マスメディアが国家を支持するのにはいくつかの理由がある。国が直接所有しているメディアもあれば、規制が厳しく、国の免許が必要なメディアもあります。さらに、メディアハウスには国家教育機関の卒業生が常駐している。さらに、特に危機的な状況下では、政府との良好なつながりがメリットとなり、情報へのアクセスが優遇される。また、ネガティブなニュースや危険性を誇張して伝えることで注目を集めることができるため、国家の恐怖物語を伝えようとする姿勢も見られる。
コロナ事件では、ソーシャルメディアで拡散した一方的な報道が批判的な声を封じ込め、恐怖とパニックを引き起こし、国民に大きな心理的ストレスを与えた。しかし、メディアにとって魅力的なのはネガティブなニュースだけではなく、国家が国民を大きな危機から救い出すという物語もよく売れる。このように、ワクチン接種という物語は、マスメディアの思惑通りに動いているのです。
国民国家、メディア、製薬会社に加えて、超国家的組織もまた、世界の人口が確実にワクチンを接種されることに関心を持っている。
超国家的な組織は、世界的な予防接種キャンペーンが重要な役割を果たすようなアジェンダを積極的に追求している。これらの組織には、世界経済フォーラム(WEF)、国際連合(UN)、EU、国際通貨基金(IMF)、世界保健機関(WHO)などがあり、これらの組織は相互に密接に関係しています。
これらの組織の中には、目標として「偉大なるリセット」や「偉大なる変革」を掲げているところもあります。パンデミックや気候保護、ジェンダー、移民、金融システムなどの分野で、これらの組織は世界中のすべての人々の利益のために協調した答えを見つけようとしています。これらの組織は、責任の共有とグローバルな連帯を強調しています。ワクチン接種、気候変動、金融や移民の流れを中央で管理することは、新しい世界秩序の特徴でもあります。例えば、WEFの2019年の年次総会のテーマは「グローバリゼーション4.0」でした。Shaping a New Global Architecture in the Age of the Fourth Industrial Revolution" でした。また、超国家的な計画の例として、国連の "Global Compact for Migration "があります。国レベルでは、ドイツ地球変動諮問委員会のWelt im Wandel - Gesellschaftsvertrag für eine Große Transformation (World in transition: Social contract for a great transformation)政策文書に見られるように、こうした過激なアイデアが支持されています。
Raymond Unger(2021, pp.84-89)は、この超国家的計画の推進を、アントニオ・グラムシやハーバート・マルクーゼが想定した文化戦争の一環として捉えている。意見や怒りをグローバルに管理することが、特に気候変動やコロナの分野における恐怖やホラーのシーンと結びついて、新しい社会主義の世界秩序を確立する。実際、WHO、IMF、国連は元共産主義者が率いている。WEFは、製薬会社や大手ハイテク企業などのグローバル企業が出資しています。WEFは、国連の「2030アジェンダ」にも大きく出資しています。WHOもまた、製薬会社やビル&メリンダ・ゲイツ財団から多額の資金提供を受けており、世界的なワクチン接種キャンペーンを先導しています。コビド19危機の際にも、製薬業界はWHOに影響力を行使した。また、IMFはWHOの勧告に従う場合にのみ国家を支援している。
これらの超国家的組織は、コビド19の危機を自分たちのアジェンダを進める機会と考えている。国連の政策文書「Shared Responsibility, Global Solidarity: 国連の政策文書『Shared Responsibility, Global Solidarity: Responding to the Socio-economic Impacts of COVID-19』は、covid-19を現代社会の転換点と捉えている。この機会をとらえ、世界的に協調して行動することを意図しています。大手ハイテク企業は、このようなアジェンダを支持しています。彼らはWEFのメンバーでもあり、マスメディアと同じように、自分たちのプラットフォーム(Twitter、YouTube、Facebook)で、covid-19に関連する不愉快な情報を検閲している。特にYouTubeでは、予防接種に批判的な動画はすぐに削除されています。
IMFのクリスタリナ・ゲオルギエヴァ理事の基調講演のタイトル「From Great Lockdown to Great Transformation」も、超国家的組織がコロナ危機を自分たちのアジェンダのために利用したいと考えていることを強調しています。WEFの創設者であるクラウス・シュワブは、コヴィド-19の危機は、"経済・社会システムの新しい基盤を築く "ための「貴重な機会」であると主張している。COVID-19: Thierry Malleretとの共著である『COVID-19: The Great Reset』の中で、シュワブは決定的な瞬間について語り、新しい世界が出現すると主張している。シュワブ氏によれば、今こそ資本主義の根本的な改革が必要であるという。
したがって、世界的に調整された予防接種プログラムは、偉大なリセットのための超国家的戦略の構成要素と解釈することができる。
世界的な予防接種の構造が確立され、それがその後の世界的な予防接種キャンペーンに利用されるのである。グレート・リセットを提唱する人たちの視点から見ると、世界的な構造と組織の必要性が強調されています。これらの組織は、「気候変動」に効果的に対処し、グレート・リセットを推進するなど、他の世界的な目的のために使用することができます。要するに、国家、メディア、製薬業界、超国家的組織が密接に絡み合っており、予防接種というストーリーに共通の関心を持っているのです。
の自由研究。
ネット上でよく見る話。ネットロアっていうのかしらん。違うかー!
DNA鑑定により家庭崩壊が多発することを懸念し国がDNA鑑定を禁止した。
って話。
で、ついでに托卵検知ができなくなったから婚姻率が激減したってオマケつき。
ネットの日本語情報しかあたってないので温度感はあるかもだけど、今現在伝聞で書かれてるのを見たら「(ネットの)井戸端会議特有の盛ってる感だな」って思っておくよ。
いざやってみるとうまい調べ方がわからないのでid:ibenzoさんの記事をひとつぐらいまともに読んでいればよかったわ。
日本語でぱっとでる以下のサイトによると2005年と2016年に関連法が改正されたようだ?
【託卵大国ドイツ・日本】DNA鑑定は無効「法律と裁判」訴えたらどうなる?
ttps://iirou.com/tom/
托卵が発覚したとしても
通ってしまったのか?
托卵調査の結果
10%が托卵と判明したとも言われる。
てか托卵率10%なら
無数の家庭が崩壊するだろう。
シングルマザーが溢れ、
路頭に迷う子供も多数でてくる。
そのため、
ほんまかいな。
すくなくとも「男たちがDNA鑑定に殺到すれば?」以降は筆者の妄想が入ってそうなんだけど。
素晴らしい法案がまとまった。
托卵であった場合、
托卵女は夫に実の父親(托卵男)の名を
明かさねばならない。
妻の同意によるDNA鑑定後に知る権利や費用の一部を得られるかんじだろうか。
私のググり力(ちから)が足りないために当時の日本語資料をサクッと見つけられなかったので、こちらの資料をお借りする。
ドイツ民法典における家族法 - digidepo_11538862_po_02850002.pdf
ttps://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11538862_po_02850002.pdf?contentNo=1
第1598a 条は、遺伝学的親子鑑定(genetische Abstammungsuntersuchung. 以下「DNA 鑑定」という。)の実施のための要件を規定する。DNA 鑑定の実施を望む者(父、母又は子のいずれか)は、残り2者に承諾及び遺伝情報試料の採取受忍を求めることができ、承諾が得られない場合は、家庭裁判所が承諾を代行し、遺伝情報試料の採取受忍を命じる。ただし、子が未成年者で、その子の福祉に反する場合には、裁判所は手続を停止する(58) ことができる。この条文は、民間のDNA 鑑定の普及により、母や子の同意を得ずに行われた遺伝子検査結果(秘密の父子鑑定)の証拠採用が争われ、連邦憲法裁判所の判決を受けて制定された「否認手続から独立した父子関係明確化のための法律」(59) により新たに追加された。
(59) 否認手続から独立した父子関係明確化のための法律 Gesetz zur Klärung der Vaterschaft unabhängig vom Anfechtungsverfahren (VaterKlG k.a.Abk.) vom 26. März 2008 (BGBl. I S. 441). 同法制定に関する連邦憲法裁判所の決定(1 BvR 421/05)は、秘密の父子鑑定による鑑定結果の証拠不採用を認め、一方で、父子関係否認手続とは関係なく、独立したDNA鑑定請求権を法律上の父に認めるべきであるとした。玉蟲由樹「子の出自を知る父親の権利(BVerfGE 117,202)〔2007〕」ドイツ憲法判例研究会編『ドイツの憲法判例IV』信山社出版, 2018, pp.55-58.
托卵うんぬんではなく勝手なDNA検査はダメで、でも検査が簡易になり、特に子供への同意無いDNA検査が増えてきたので家族法でも法整備し、同意ありでやろうねと明確に示したという考えはどうだろうか。
ドイツにおける遺伝情報の法制度 | 学術機関リポジトリデータベース
ttps://irdb.nii.ac.jp/00835/0002057570
第3に、自発性の原理(Prinzip der Freiwilligkeit)である。『連邦議会審議会答申』は、「遺伝子検査の実施は、被検者(getestete Person)の不可侵性を侵害する」がゆえに、「包括的な説明をしたうえで個人の同意を得てから行われる必要がある」との立場から、「この原理の例外は、法的にかなりかなり限定された範囲でのみ、しかもそれによって被検者の尊厳が侵害されない場合にのみ許されるにすぎない。特に遺伝子検査は、直接的にも間接的にも強制的に実施されてはならない」、と説き、ここから、当然のこととして、インフォームド・コンセントが要求されることに(33)なる。ここで興味深いのは、本人の了解や同意のない DNA解析に関する具体例として、2000年11月28日に下された、DNA分析の導入に関する初のバーデン・ヴュルテンベルク行政裁判所判決(2001年2月20日報道)が示されている点である。本件は、銀行の幹部を侮辱する匿名の文書を書いたのではないかと疑われた銀行員が、採取された DNAサンプルが本人の知らない間に DNA鑑定をされたことに基づき雇用主から無期限解雇の通告を受けたため、その解雇の違法性について争った事案である。本件について、同裁判所は、本人の知らないところで同意なく行われた DNA分析の結果に基づく解雇通告は違法である、と判示 (34)した。これは、注目すべき判決である。本判決を受けて、ドイツ連邦および各州情報保護委員会(Datenschutzbeauftragten)は、第62回会合での決定において、「法律上の権限なしに行われる遺伝子検査、または治療もしくは研究の目的のためにのみ原則として有効とされる本人の同意なしに行われる遺伝子検査を阻止するために、刑法典の中に基本的処罰規定[を盛り込むこと]」を要求して (35)いる。これは、刑法典では実現していないが、遺伝子検査法で実現した
4 つぎに、医療目的以外の検査について特徴を簡潔に挙げておこう。
第1に、出自の解明のための遺伝子検査については、本人への事前の説明と同意により実施することができるが、検査を行うことができるのは、医師のほか、出自鑑定の専門家で自然科学の高等教育を受けた者に限定されている(17条)
5 最後に、制裁について述べておこう。本法でも、規定に違反して遺伝子検査を実施した場合、1年以下の自由刑または罰金刑が予定されており、対価を得てこれを実施した場合には、2年以下の自由刑または罰金刑が予定されている(25条)ほか、一定の行為について秩序違反として過料が予定されている(26条)。
素晴らしい法案がまとまった。
法改正と法案がまとまったではいささか指すものが違うような気がするが、普段立法に無関心なので怪しい。
ttps://twitter.com/akihiro_koyama/status/1338064643328131073
A new German law wants to force mothers to reveal their child’s biological father
ttps://www.newstatesman.com/politics/feminism/2016/08/new-german-law-wants-force-mothers-reveal-their-child-s-biological-father
を翻訳で見ると記事時点では提案段階。ただしakihiro_koyama氏のいうDNA鑑定義務化は読み取れなかったのでどういった文脈でこの記事とコメントを出したのかは不明。
いろいろ検索ワードをがんばってみたが、日本語のそれらしい話題がひっかからず。
コラム 75 「誰の子か白状しなさい」-自分の子が実の子ではなかったら ドイツの場合- 2016/9/2 | 京都の弁護士による離婚相談|姉小路法律事務所
ttps://www.aneyalaw.com/column/_75.html
ドイツで,カップルの子どもが,実は別の男性との間にできた子だった場合,母親はカップルの男性に子の生物学上の父親の身元を明らかにしなければならないという法案がまとまり,議会に提出される予定だそうです。
どうなんでしょうね?
100円ショップで蓋のある箱(蓋は別売なので計220円)を購入
アルミテープ等で覆うのが定番だが、手元に亜鉛のスプレーがあったので、吹いてみた
容器がPPなので、手元にあった模型用のPPプライマー吹いたけど効果あるのかねこれ
ただ、これでも透けそう
密林で購入。できるだけ小さいのが良かったが、あまり安くない。
位置決めが面倒。
線引いて中心決めるまでが面倒。
その後、その中心に下穴開けて、密林で買ったタケノコドリルで穴を拡大。これまた面倒。
どうもインターネッツ見てたら、濃い色のものであってもアルミ等で天板遮光してたんだよな。
というわけで、仕方なく天板をアルミテープで覆って、ポット部分だけ穴あけ。
中身も遮光してるのが多いから、これはアルミホイルを適当に敷いて、その上から黒ビニールの袋をかぶせることにした。
『外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56
篠田治策
明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言の形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面に於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府の公文にも新聞紙の報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争、日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵、上海出兵、満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである。
此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府の公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより
<四七>
宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後の通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三日ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成を注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である。二十三日は我が陸軍の部隊が上海附近に上陸を開始した日である。即ちハル長官も現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府は最初に宣言したる事件不拡大の方針を余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官は支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである。
我が國の國内法に於いては事變と戦争を区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。
即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務を負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場に於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統的武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人に
<四八>
対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場に於いて事變と戦争を区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反の問題を生ずることは殆んど無いのである。
従来我が陸軍は戦場に於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者を従軍せしめたのである。日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。
東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法の理想に於いても欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州に於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力を覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般の利益として祝す可き所なり。
又仏國の國際法学者ポール・フォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。
此の戦役に於いては日本は敵の万國公法を無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま
<四九>
ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産を保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。
日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別の任務を以て米國に派遣せられた法学博士男爵金子堅太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。
米國人は事實の真相を調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料を蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用は参謀部に於いて國際法専攻の学士と協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法を提唱す日本政府の決心は露國は大國なり腕力に於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す
<五〇>
る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争に日本が國際法を破りしことあらば世界の歴史に汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エール・ハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者を従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。
世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏が従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつて組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面の事務に従事したるも、亦國際公法の適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)
過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである。
唯だ、陸戦法規の適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土の性質である。假りに之れを中華民國
<五一>
の領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力を行使すべきか、又南京政府の官吏は既に逃亡し、地方の民衆自ら自治政権を樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である。
宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合に於いて、北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政を施行し治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府の領土となりし場合には、其の地域に行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである。
日露戦役の際は戦闘の地域に性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土と遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍の権力を行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸後直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立を宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域に活動したるも、其の権力の講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。
今回の北支事變に於いても、其の交戦地域の領土の性質が曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参
<五二>
考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。
従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交に政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規の適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後の政治的工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官に禁止事項の外は自由裁量の余地あるかは明かである。
陸戦法規の條項を北支の事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍の名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領地住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである。
凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊の安全と作戦動作の便益を図るが為めに、無限の権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊の安全と作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般の安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業に従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方の官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序を回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の
<五三>
軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限の権力を以て此等の犯罪者を厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般に公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領地人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州軍総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの総司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部は特に詳細なる規定を發布し、旅順口海軍鎮守府も別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。
軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に處すると原則とすべきである。
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
<五四>
六、一定の軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。
帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支を侵略して我が領土となすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊を駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民が自治政権を樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方は一時的にもせよ事實上我軍の占領地である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり、永久に之れを占領するの意思無きが故に此
<五五>
我軍が一時的なりとも北支地方を占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41
https://anond.hatelabo.jp/20210201211448
一枚の切り取り画像をみなで寄ってたかって論評していて、誰も引用元の本を読んでいないようなので、前後を引いてみよう。
古市 上野さんは、社会学者であると同時にジェンダー研究者でもありますが、その2つの間で葛藤はないんですか。
古市 社会学者というのは、それが社会科学である以上、中立的に物事を見るっていう視点が必要だと思うんです。一方でジェンダー研究者としての上野さんは、「社会はこうなるべきだ」という社会運動家の意識も入っているんじゃないですか。
古市 でも、経験的な現実にもとづいて何かを研究結果として導き出すわけじゃないですか。そういう行為と、ある方向に社会を誘導する行為は衝突しないんですか。
上野 正しい戦略を立てるには、自分が戦うべき対象を正確に理解しないと間違ったことをやるのよ。おまけに効率も悪くなる。
私はね、『家父長制と資本制』という本を書いた時に、それがつくづくわかりました。家父長制も資本制も、私が嫌いな二つの敵。それを分析したら、どこが弱点なのかがはっきり理解できた。
社会学者(科学・公平・中立)とジェンダー研究者(社会運動家・嫌い・誘導)は、上野の中では相反も矛盾もしておらず、葛藤はないのである。それは社会学の定義に起因するものだろう。
上野 そもそも社会学というものは、自己言及的な学問。つまり、自分の言説そのものが現実の一部を構成していくという言説活動ですから、そこは戦略的に考えますよ。これはどういうことかというと、社会を外部から「客観的」に観察することはできない、なぜなら誰しも社会の一員であり、社会の内側から見える範囲を照らしていくことしかできない。しかも照らすことによって、社会自体が変わってしまうこともある、というものです。
だから、社会学的に何かを調査・分析する、ということは、社会に対し自分が超然として観察者の立場に立つのではなく(そんなことはできない)、自分は社会の一員であり、自分がどうやって社会を見ているのか、ということを自問自答しながら進んでいくものなのです。
この自問自答から全力で逃走しているのが、「社会学」をヒステリックに叩く人々の実態なのではと私は考えています。なぜ逃げるのかといえば、自分はこう思う、と表明すると、時に間違えることもあるかもしれないし、バカにされたりもするかもしれません。そういったリスクから逃げているのです。
「社会学」叩きをする人々は、やたら人の意見表明を「お気持ち」と、まるで無意味であるかのように攻撃します。それは、実は碌な意見もない自身の空虚を糊塗するために、人を攻撃しているのです。それが誤りであることを指摘した学問こそ、フェミニズムでした。「個人的なことは政治的なこと」という。
だからそういった人々は、「客観的」とか「科学的」といった概念に逃げ込みます。個人的なことは問題ではない、客観的・科学的でなければならないのだ! ですが、社会科学や人文学では、先の図のように、「客観的」というのは成り立たないのです。自分が何者であるかを問い直し続けないといけません。
社会学という学問についての前提が違うから、議論が成り立っていないように思える。
※引用元は古市憲寿『古市くん、社科学を学び直しなさい!!』(2016) pp.73-74 p.76
Paulette C. Flore, Joris Mulder, Jelte M. Wicherts (2018). The influence of gender stereotype threat on mathematics test scores of Dutch high school students: A registered report. Comprehensive Results in Social Psychology, 3 (2), pp. 140-174, 2018.
教室での数学のテストの成績に関するジェンダーステレオタイプ脅威の効果について、いくつかの文化的文脈で広く研究されている。理論の予測するところでは、ステレオタイプ脅威は数学のテストで女子の成績を下げる一方、男子の成績には影響ない。ステレオタイプ脅威の効果の一般化を調べるために、オランダの高校 (N=2064) で大規模なステレオタイプ脅威に関する実験を実施した。この報告書では、女子高校生における全体の効果を再現し、4つの主要な理論的モデレーター(ドメイン識別、性別識別、数学への不安、テストの難しさ)を調べることに着手した。女子生徒に対しては、数学の成績におけるステレオタイプ脅威の総体的な効果も、適度なステレオタイプ脅威の効果も見られなかった。数学の成績における分散は、性別、ドメイン識別、数学識別で説明された。これらの結果に対していくつかの理論的、統計的な説明を議論する。この結果は調べた対象(オランダの高校生、13-14歳)とドメイン(数学)に限られる。
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日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、
明確な理由説明はなく、説明の要求を斥けることは学問の自由の理念に反すると同時に、民主主義に敵対するものであり、
これに断固として異議を唱えます。
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《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力の行使(国民に対する暴力)であり、主権者である国民に説明責任を果たすことが
情報公開の制度は古代ローマの時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。
必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望致します。
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イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)
イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動に適用することは、学会の目的に適う実践的行為と判断し、
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菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民に
理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員の
一員として、政権を批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。
学問は国家に従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、
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学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類に資するものである。与党に資するものだけを学問研究と
みなすことは大きな誤りである。学問研究によって得られる利益は人類全体に寄与するものでなければならず、
判りやすい例を挙げれば、日本は西洋から数学や物理・化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵を無償で受けた。
万有引力定数や相対性理論を発見したのは日本人ではない。その恩恵と利益を受けながら、その使用料は払っていない。
なぜなら学問成果は全人類の共通善として無償で開放されているからである。
日本国には受けた恩恵を人類に返すべき義務があることは言うまでもない。
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国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である。
公務員は政権の《しもべ》ではないからである。公務員は国民全員の利益のために働く。
政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員の義務である。
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古代の中国では臣下が君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。
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翻ってイタリアの地、古代ローマの時代には、時の政権の勝手な振る舞いから国民を守るための公的機関である
護民官が設置されていた。現代の公務員に匹敵する護民官は、時の権力を批判・牽制するために作られた
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次に、菅首相は憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味を理解していない。「学問の自由の保障とは、
学者が学問的良心に従って行なった言動の評価は、まずは学者どうしの討論に委ね、最終的には歴史の判断に委ねるべきであり、
間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授)
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1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会は検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と
ガリレオはローマの異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。
ガリレオは自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究を放棄するよう宣誓させられた。
そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。
教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力の判断によって封殺された。
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「今回、菅首相は、特定の学者の言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》
について自分の権限で判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民に理解され
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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、
そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなのである。
にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の
ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の
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私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである。憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、
国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官)
と見解を示している。
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しかし、菅首相は官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法を無視してきた。
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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官に就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、
元老院議事録と国民日報を編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル」20)
それまで国民は元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。
議員が私利私欲で談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録が速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、
貴族の権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったからである。
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一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書は改竄・捏造、削除され続けてきた。
確かに、日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、
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おそらく安倍・菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。
紀元前 5 世紀のアイスキュロスの作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。
この劇は二人の登場人物がプロメーテウスを連行する場面から始まる。
プロメーテウスは絶対君主であるゼウスの意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、
暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。
この時、彼を連行する 2 人の登場人物の名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。
二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言も言葉を発しない。
ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である。
ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力や強制を意味する。
ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである。
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同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される
(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。
その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、
ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。
逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、
また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。
これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分が逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民は心理的に権力によって完全に支配される。
つまり、《説明しない》ことこそが権力の行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。
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こうした事例からも民主主義がいかに「説明すること」にかかっているかが判る。
説明と情報公開が民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなのである。
たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。
ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。
しかし、問題の本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。
科学分野の基礎研究の予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、
また軍事研究に手を染めない学術会議の方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。
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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣・自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、
国立大学や都道府県教育委員会、日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。
国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。
かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである。
(文責:藤谷道夫)
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ナチスが最初、共産主義者を攻撃した時、私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
ユダヤ人が連れ去られた時、
私は声を上げなかった。
そして彼らが私を攻撃した時、
私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。
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通常の娯楽に加えて、(古代)ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、
凱旋式があった。
(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。
将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆の面前であげつらうのである。将軍が高慢にものぼせ上って、
自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである。
例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人の奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!
あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代の独裁者たちに対しても同じように言うことが
できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。
(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)
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「犬儒派(キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、
《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」
「一周目終わったらハミルトンはパルクフェルメ直行でいいよ」などと言っていたが、昨日のイタリアGPは面白かった
最近はF1よりもF2の方が面白いなと見てたけど、誰が勝つかわからないのがいいよねやはり
ポディウム常連のハミルトンはサインミスで30秒近いペナルティを受け、ボッタス、タッペンはマシンのパワーが上がらず不調
そんな中で先週も頑張っていたガスリーと先週走れずに絶望した姿をカメラに見せたサインツ、そして赤旗を予知したかのようにステイアウトを選んだストロールの三人が表彰台へ
誰が勝っても初優勝というところで非常に盛り上がっていたが、ここの写真はクソコラと言われても仕方のないメンツだった
・自分の観測範囲ではそもそも「フェミニストを自称しつつ一人一派と主張する人」を殆ど見かけない
・むしろフェミニストは一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方
・またフェミニストを自称しつつ一人一派を主張する人がいたとして、それはフェミニスト思想全体への批判に繋げられるほど一般化された主張なのか?
・フェミニストの中で明示的に「一人一派」理論を採用している人は少ない。一人一派との指摘を行っているのはアンチフェミニストが主である
フェミは多様なものよ。一人一派、それ以上あるかもしれない。それらがぶつかり合うことはあっても、正統と異端という考えは全くない。(p186上野)(上野千鶴子×田房永子『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください! 』、2020年刊)
フェミニズムは一人一派、まさにそのとおり。/小倉:フェミニズムは一人一派だから、考え方が対立して当然なのだ。/フェミニズムとは一人一派と書かれているので(上野 千鶴子,小倉 千加子 ザ・フェミニズム (ちくま文庫)、2002年刊 感想)
フェミニズムは一人一派だ、というのは(多分)田中美津の言葉だけれども、別にフェミニズムでなくたって人間は基本的に一人一派である。(私は愛されたい、私はピンクが大好き、それゆえ私はフェミニストになれない(のか?) )
上野 千鶴子氏など著名なフェミニストが「フェミニズムは一人一派」と言い続けているのに、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」と嘘をついてアンチフェミを批判するあなたは、無知なのか歴史修正主義者なのか、どっちなんでしょうか?
そしてこういった汚れた輩から、高潔なフェミニズムを守るために、一人一派は役立ちます。
(追記)
あなたは理解力が著しく欠けているので、質問は義務教育を終えてから。まずは学校の勉強に専念しましょう。
第二に、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」のはすべて事実です。
これらは全部あなたの観測範囲にもとづく主観です。これが証拠になるのは、小学校までです。客観的な事実なしに主張するなら、フェミニストを名乗ることで他に多大な迷惑を及ぼしていることを自覚なさい。
第一に、上野氏ほかの主張は彼女ら自身の説・主張であって、フェミニスト全体の総意ではありません。
総意なんて存在しないものを議論する価値がありません。上野氏は活動家でもあるという事実(後述)から目を背けて、自分の正当性に固執するあなたの姿は醜い。
自分の耐え難い苦しみがこれまでのフェミニズムに相いれないときに、自分の苦しみを優先して個人が社会活動として訴えることを認めるのが、本来の「一人一派」で、あくまで最後の手段です。それを、自分の気に入らないことすべてに安易に使うから、フェミニズム全体の信用が失われ、アンチフェミニストが指摘するときの便利な道具になってしまったのです。
あなたには無理ですが、あなた以外が「一人一派」の一般性を理解できるよう、フェミニストによる「一人一派」をいくつか引用しておきます。
第二に、小倉さんが言うように、フェミニズムは「一人一派」。だって「わたしがわたしであること」がフェミニズムなんだもの、人の数だけあってあたりまえ。ある人はこういうが、別の人はああいう。批判されても、ああそういう人もいるわね、でもわたしは違うって思っていればいい。(略)
何はともあれ、矢はとっくに放たれている。小倉さんとわたしの「一人一派」に、読者のあなたにもうひとりの「一派」を付け加えてもらえれば、この本の目的は達せられたことになる。
トランスジェンダーとフェミニズム ツイッターの惨状に対して研究者ができること 堀あきこ (2019.2.4)
一方、フェミニズムは、フェミニズム内で意見の対立を抱え続けるものでもあります。(略)
この対立は、しばしば「フェミニズムは一人一派」という言葉で例えられます。なぜ、統一しようとしないのでしょうか。
Where We Are Right Now :多義的に進化するフェミニズムの現在地 清水晶子 (Harper's Bazaar 2017年6月号掲載)
でも、そもそもフェミニズムって何だっけと考えると、これが意外にわかりにくい。「フェミニズムをひと言で定義してください」と言われたら、専門の研究者やアクティヴィストでも一瞬たじろぐだろう。
女性も男性と同等の権利と尊厳を持つと考える人はすべてフェミニストだ、という言い方がある。出発点として、これは間違いではない。
同時に、「フェミは一人一派」という言い方もあって、これもある意味では正しい。実際、フェミニストの間で「それってフェミニズムとしておかしくない?」「いやそれはありでしょ」という議論が交わされることは、珍しくない。
大学に行かずにフェミニズムを学ぶ方法 小松原織香 2019.11.2
フェミニズムは一人一派と呼ばれ、それぞれが「私のフェミニズム」を語ることで成り立っている。それがどんなに間違っていると他人に言われても、「私のフェミニズム」は誰にも否定されるものではない。それが大前提だということはおさえておきたい。
プラスαの読書大特集(第2弾)新書だけで学び直す一般教養15講+α 著者不明
論座 (通号 86) 2002.7 pp.188 - 236
204 ページ
フェミニズムは一人一派というひともいるくらい多岐にわたっているし、その内容もきわめて多様である。だから、どんな考え方がフェミニズムなのかという根本はともかく、一口にフェミニズムといっても実にいろいろな考え方があるという
ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか? 髙崎順子 ハフィントンポスト 2020.2.7
上野 千鶴子 NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。古市憲寿との対談にて、「ジェンダー研究はフェミニズムのツールです」と自身の研究は運動に利用するためと答えて、小熊英二に「活動家としては正しい」と言われている。堀茂樹は上野が自身の運動に不都合なことは隠すと答えていることで、上野を「救いがたいレベル」と評し、小熊と古市も批判し、研究者且つ社会運動家である事は許されるが、「研究者として社会運動家のように行動するのは詐欺」と批判している。
印刷会社の者ですが
事前人気に頼らざるを得ないというのはわかります。
確かに刷り部数の決定は駆け引きというか…当初は3万部という話が、出版社内の営業と編集で争った結果5000部になりました…。
とかよくありますよね。
編集さんがプレゼンしなきゃいけないのは、買い手である読者に買ってね、書店さんへ良い場所へ置いてねこの本よろしくね、以外にも多く、
営業や社内へ向けて「出版するか」「何部刷るか」のプレゼンが大変そうです。
それには確かに、数字としての実績や人気を示さないといけなくて…「Twitterで話題で人気の原作(作家、漫画など)です!RT数、フォロワー数はこれくらいです」もひとつの指標ですよね。
「売るための下地」がなければ「部数を刷れない」のは、たしかに現実として正しいことです。
これは事務所や代理店の関わる「売ろう」と決められた本なので、あらゆる媒体で宣伝され、広告がうたれ、「売るための下地」をお金をかけて作りました。
初版1刷は2万部です。
公表につき再刷!増刷!重版(厳密にはちがいますが)!○万部突破!
これもまた実売数を売るための下地であり、刷り部数を増やすテクニックです。
元増田さんは文芸でしょうか?なかなか下地の難しい分野ですよね。
部数を多く、という以前に発行に漕ぎつけるまでが。
コミックスであれば、現在は3000できれば5000部というロットで刷れるようになったため、とりあえず出してみよう、が以前より多く感じます。
POD(オンデマンド)本を勧めてらっしゃる方もいますね、弊社も承っておりますよ、書店サイトから注文が入り即日C1000でプリント、手作業でPP貼りし、手作業で製本して手作業で断裁、そして発送。
正直こちらは一般に流通する書籍などと同等とは言えませんし、刷り部数が確保できないほどの小ロットにしか向きません。
印税(率、または単価が高いことによる額)が良くても総合的には部数が稼げる商業印刷には収入としてはかなり劣ります。
宣伝して売るための予算を取る、初版部数を増やす、これらは買い手への宣伝ではなくて社内へのプレゼンです。このためには、事前の評価が必要なのは事実です。
どんなに編集さんが熱心でも、その予算が取れず部数も減らされてがっかりされていることは日常で、私たち印刷会社も以前より部数が絞られる傾向を感じています。
刊行タイトルが増えて、抱える作家さんが多くなったせいか、宣伝できるタイトルが絞られている印象です。
タイトル数が増えて、個々の実売数が減っている…そうすると人件費率も経費率も爆上がりですからね…。
(印刷会社から見て、印税10%は妥当かなと思うのですよ、物価が高くなったとは言え製品原価自体は微々たるものですが、あまりに一冊をつくるのに人手と時間がかかるので…。)
(売れる本だけ大量に刷れるなら別ですが、大半の利益の出ない売れない本の経費や赤を、売れる一部のベストセラー本が補っている現状です。)
作家さんが増えて「経費」も絞られていますよね、校正校閲を省くという荒業から…作家さんへの接待なども。
我々業者は、作家さんの花見の席取りや、作家さんの趣味の観劇チケット取り、打ち合わせで行きたいとリクエストのあった予約制飲食店の予約…などによく駆り出されたものですが、新人の方への接待で呼ばれることは少なくなったように感じます(大御所さんはいまだにありますが)。
「日本のことしか考えなかったゲームが海外で大ヒットしたゲーム」ってなに?
繰り返しますけど、ドラクエとかのJRPGは間違いなく日本市場のことしか考えてない作品だけど、それアメリカとかの海外ではビックリするほど売れてないからね— すくすく。 (@ScreamoTAI) July 7, 2020
「ペルソナ」シリーズかな?https://t.co/TCSZT2vMNf— 憲之助 (@kogaken1) July 7, 2020
正直最近の作品は「海外意識してません」は有り得ないちゃいますか
売上は日本より北米向けの方がめっちゃ売れるんですから(PS2以前は日本市場だけで食っていけた)— すくすく。 (@ScreamoTAI) July 7, 2020
と主張するオタクをツイッターで見かけたので、当の『ペルソナ5』のプロデューサー兼ディレクター橋野桂氏のインタビュー記事を引用してみたい(強調箇所は増田による)。
さやわか まずは『ペルソナ5』の話から入りたいと思います。国内外の販売数はどれくらいですか。
さやわか 海外のほうが多いのですね。『ペルソナ5』のゲームシステムはオーソドックスなJRPGですが、このスタイルが海外でも受け入れられるのはなぜだと分析されていますか。
橋野 海外では『ペルソナ5』のような作品はめずらしいと言われます。たしかにそうだと思います。現代日本を舞台に高校生が街を歩きさまざまな事件に挑んでいくという、じつに日本的な作品なんです。バトルもコマンド選択式のバトルなので、三〇年以上前からあるオーソドックスなシステムです。
ぼくたちは世界市場のことは考えず、むしろ日本のユーザーのことだけを考えてコツコツと制作に臨んでいました。ヒット作は偶然を含めいくつもの条件が揃って生まれるもので、そこは明確に分析できていません。市場がわからないがゆえに、逆にいままでどおりのやり方を貫いて自分たちが思い描いた作品に仕上げられたのかもしれません。
「インタビュー 経験装置としてのJRPG 橋野桂」 『ゲンロン8 ゲームの時代』(ゲンロン、2018) pp.158-159
橋野 いつか新作情報の第一報を海外でも発信してみたいとは思っています。たださきほども話したとおり、海外進出を念頭に置いたゲーム作りはしない。戦略とも言えない予測ですが、日本人にしか受けなさそうなファンタジーを作るほうが、逆に海外でも受けるだろうと思うんですよ。
そうですね……。比喩でしかないですが、外国にラーメン屋を開くとして、ラーメンにミートソースを入れたりしないですよね。それで失敗したら、もう立ち直れない。そもそも食い物じゃないと言われるかもしれない。
同上 p.168
橋野氏:
『ペルソナ5』【※1】も一緒ですよ。海外はあまり意識していません。
そもそも僕らの場合は、「女神転生」が皆さんも知っての理由【※2】で(笑)、海外にどうしても出しづらいゲームだったので、海外市場への意識は確かにずっとあるんです。でも、だからこそ僕は、海外を目指す必要があるのかと、ずっと疑問に思っています。そもそも「ペルソナ」については、全く意識せずに海外のお客さんから支持して頂けたのだから、それを変えるのはダメじゃないかとも感じています。まあ、その意味で意識しているとは言えるかもしれないですが。
ニーア、ペルソナ等の人気ゲーム開発者が激論! 国内ゲーム産業を支える40代クリエイターの苦悩とは【SIE外山圭一郎×アトラス橋野桂×スクエニ藤澤仁×ヨコオタロウ】
――『キャサリン』は海外でも人気のタイトルですが、これは最初から想定されていましたか?
橋野:橋野:まったく想定していませんでした。もともと『キャサリン』は、アトラスのコアなお客さんに向けて制作していたんです。ファミコン世代の方々に、夜にお酒でも飲みながら軽い気持ちでプレイしていただくという想定だったのですが、『キャサリン』で初めてアトラスのゲームに触れてくださった方もたくさんいらっしゃったようです。また女性がアトラスの他のタイトルよりも多い割合を占めていたのも驚いた点です。
『キャサリン・フルボディ』キーマンに聞く、新たに描かれる大人のアクションパズル・ADVの魅力【電撃PS】 - 電撃PlayStation
うーん、、、やっぱ意識してなくない?
枝野のパンティが死ぬほど叩かれてるのを見て、改めてパンティって大変だなと思った。
パンティ支持者は、パンティが行ったおかしなことは大目に見る、どころか見て見ぬ振りをしまくってる癖に、ブラジャーの人間が1mmでもおかしなことを行った途端「これだからブラジャーは」「こういうことをするから支持されない」「こんな奴らには勝負ブラジャーは任せられない」と、まさにパンティの首を取ったかのように騒ぎ出すよね。いつもいつも。人が死んだ案件は華麗にスルーするくせに、ブラジャーとパンティの上下色違いは絶対許さないって、人間としてやばくない?大丈夫?
「パーフェクトで一寸の隙もない正しいパンティ以外俺は認めない」って人が多すぎる日本では、最早一生政権交代なんて無理だろうなと思った。大好きな自民党と一緒にパンティーが腐敗し衰退するのを楽しんでくださいね。
予想通りお得意のPP論だらけだけど、人が死んだ案件とパンティが「どっちもどっち」だと思える神経を疑うわ。
追記2
人が死んだ案件についてダンマリを決め込んでパンティ履いてる人ってどういう人間性してるの?
追記3
なんかムカつくブラジャーに肩入れするくらいなら、人が死のうが公文書改竄しようがパンティ支持しますって人、生きてて恥ずかしくないんだろうか。
ただの愚痴なんだけどさ あ、お気持ち長文に入ってしまうかもしれない
いや、でもオタクらしく自己愛が強いから結論は「自分が悲しい」で、話題に上がっているどの人間も悪くないです。繊細やくざな私が悪いのです(これは悪いと思っているわけではなく、悪いと言われたくないという予防線の文言です。)
自己紹介すると現実逃避中のクソニートでーす金と時間を浪費するだけのクソニートでーす
前置きが長くて申し訳ない。
で、脳をとろかすために最近ネット人狼ログの身内RP村を読み流すのが好きなのね。無心で2時間とか読める。ここ1ヶ月で200くらい読んだ。
RP村って普通村と比べて大分わちゃわちゃして和気あいあいだからよい。あとキャラクタとして読めるので中の人を意識しなくてもいいのもよい。
別にうまくなるためでなく、読み物として、エンタメとして読んでいる。野球中継を見るのに近い。内訳全部分かった上で、狼目線に立って、夜会話を聞きながら狼陣営がんばれーと応援する。
狩人を一発で噛めて真占い速抜きして、潜伏役が最後の殴り合いで勝てたときの爽快感。
実生活では何も爽快感も充実感も得られないので、現実離れした電脳の世界で代替的に爽快感を味わうのである。無心で時間が無限に溶けていくのでとてもいい。
ただね、最近狼目線で読んでいるから人狼勝利のログばかり読んでいるのだけれど、人狼が勝ったログって荒れやすいのよね。特に信用勝負で人狼勝ちすると。
「これは狼強かったわ完敗」というログを見たいのであって、「村の進行グダグダだったね」というログを見たいわけではないのだよ。
で、ここからが本題なんですけど、本当前置きが長くて申し訳ない
さっき読んだログ(18A猫)でね、狼初手身内切で信用勝ちPP勝利のログを読んだんだけどさ
初手の身内切された狼は多分いい顔していなかったからやるべきでなかったと終了後荒れていてさ
まあ霊欠けで真占いがゲゲゲした占い狂狼で、村負けは仕方ないというべき布陣ではあったのだけどさ。だからこそ倫理面で荒れてしまって。
私本当に悲しくなっちゃってさっき10分くらい号泣しちゃって。
疲れたからここからきちんと説明する文章は書かずに感情を殴り書きすることとする。
だからやはり特攻も身内切もするべきでない。もういやだ。どうして私が怒られなくちゃいけないの。悲しい。悲しいよぉ。
せっかく信用勝ちして狼と一緒に気持ちよくなるはずだったのに、どうして怒られて悲しい思いをしなくちゃいけないんだよぉ。口直しに過去に読んだ面白ログでもよむもんね。もう悲しい。どうして私が怒られなくちゃいけないの。私は反対したし。実際わたしが感情移入していた騙り役は反対してたし。もういやだ
(いい顔をしていないのに初手身内切はすべきでない)というのはそうだと思っていてでも私がそれをしてしまった悪い子だと認めたくないから癇癪を起している。
やはり共有目線で読む方向に変えるべきかなぁ。でも狩人センサーとか呪殺対応とか噛み筋とか見るのが好きなのになぁ。グレー精査が分かんないから共有目線分からないんだよ。あと共有夜会話の黒字に緑文字読みにくいんだもんなぁ
まあぶー垂れていますがそもそも観客向けにできたログではないし、身内村だし、というか5年も前のログだし、私は悲しい!ということをこんなに長文で支離滅裂に言えたので満足です。
これでもひとしきり騒いだら喉元過ぎてまた別のログを読み流すと思う。
私は同人女オタクである。腐っている時もあれば純粋に作品を楽しんでいるだけのときもある。
少年漫画も少女漫画も青年向けも女性向けもラノベも小説もアニメもドラマもエンターテイメントを全力で満喫するタイプのオタクだ。
面白きことも無き世を面白くしてくれる創作活動とそれを有難くも受け取らせてもらっている立場である。
まーたお気持ち日記かと思われるかもしれない。そのとおりだ。お気持ち日記だ。すきに晒せ。
公式からはお布施だと思って好きなキャラを買うし、ランダムなら交換を探すし、同人グッズでは社会で付けられそうないわゆる隠密系のグッズが好きだ。
たまに自分でもそんなん買ってどうするんだただのPP加工された紙だろとかおもいつつも買ってしまう。
そんな中で、自分で絶対に手を出さないと決めているグッズがある。
同人グッズの、公式で使用されているマーク(部活ものの漫画等であれば学校の校章だったり、家の紋章だったり、アイドルユニットのロゴだったり等)を使用したグッズだ。
むしろそういった作品を作る人を恨んですらいる。勿論逆恨みだ。妬みだ。わかっている。
○○モチーフや××イメージ、おおいにありがたい。好きなキャラクターのモチーフを身に着けられる、なんて素晴らしいことだろう。
ただ、モチーフやイメージにするのに、どうして公式のマークを使ってしまうのか。
公式のマークを使ったらもはやイメージやモチーフではないのではないか。
3省堂辞書の林(意味のない検索避け)のイメージでは、心の中に思い浮かべる姿や情景、心象、形象とある。モチーフは創作の動機となった中心的な題材だ。
○○モチーフであれば、創作の動機となったキャラクターが題材だろう。そういう意味では公式マークを使ってしまうのは早いだろう。
公式マークだからまあ題材だよね。そりゃバナナって題材でたからバナナ書いたよって話だよね。
いや、それパクリじゃん。
商業利用じゃないからOKなんですよ!っていわれてもわかんない。
商業利用じゃなかったら公式のマーク使って自分の好きなデザインにアレンジして頒布していいの?
公式のデザインパクってこのキャラクターモチーフでーす!って公にパクリです!って公開してるのってどういう気持ちなの?
わかんない。3歳児だからわかんない。
私のデザインセンスが皆無だから嫉んでるんだろ乙って言われるだろうけどいやパクリとの違いが分かんないんだよな。
本当にいいデザインなのに公式のマークを使ってるってわかった瞬間ああ残念だなって思う。
でもって、それがアクキーだったりポーチだったり鞄だったりすると、ああ公式からもうこのグッズでなくなっちゃたな、って思う。
だって同人で出てて、それが公式で同じのを後から出したら絶対△△さんが作ったデザインのほうがいいとか後出しで公式が作ったとか言い出す奴いるもん。
公式がそのグッズ作るのにまあいろんなところで企画して打合せして生産数やらなにやら決めてってしたらそりゃ出るまでに時間かかるよな。
私はそういった業界には詳しくないけど製造業ってそんなこういうデザイン作りたいからつーくろ!な世界じゃないってことぐらいわかる。
作ろうとした会社が原作あるいはそういった窓口にこういうのどうですかって企画を持ち込んで、あるいはその逆で、キャラクターの使用料払ってって世界でしょ。
いやすごいな。公式マーク使って作ってる人、そういうの一切なしで商業利用じゃないから大丈夫です!って言っちゃえるんだもんな。
たとえば一時期はやってたホテルキーみたいなキーホルダー。あのジャンルででてるから同じ系列の版権だし出るだろって思ってた時期があった。
でもいつまでたっても公式で出ない。同人グッズはあったが私は公式マークを利用したもう言わせてもらうが海賊版が好きじゃないから手を出さずにいた。
そうしたある日、他の人が問い合わせた結果、似たようなグッズがあるから出さないよ、ってのを聞いた。
一瞬で殺意が沸いた。
ただ、一人の同人作家のせいで公式グッズの企画がつぶれた。私にはそう聞こえた。
同人グッズが合って、それが称賛されてるから公式で売っても買わないでしょ?
とばっちりだ。もちろんこれはお気持ち日記なので実際は知らないし妬みで逆恨みだと思う。
わかっているからその同人作家をブロックして信者の相互はミュートした。
海賊版が嫌いだとか言いながら同人グッズという名の海賊版は嬉々として買う人たちには怖気がする。
公式のマークを公式に許可も撮らず版権使用料も払わず勝手に使って、パクリで海賊版とは違う理由が私にはわからない。
いっしょのことだ。公式のグッズと間違われかねないものを作って、利益が出てないからOKなんて言って公式の利益を侵害する。
公式だって出るとこ出ようと思えば出るだろうことをして、まあ公式が出ないと勝手に確信して泥棒している。吐き気がする。
いちいち対応していないだけだ。心の中ではいつか一斉摘発されねえかなと常に思っている。
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