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2021-08-31

補・鴻巣友季子の時評は何が問題なのか:フェアな考察

 「続・鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」(https://anond.hatelabo.jp/20210829124450)の「鴻巣解釈検討」の項だが、Twitter鴻巣自身から、その読み筋についてのツイートは削除したので言及するのはアンフェアだと指摘されたため、これによらない形で検討する。

 なお、その後鴻巣は私のアカウントブロックするアンフェア挙動に出た。「そういうツイートをしていた」ことは紛れもない事実なので、記事の当該箇所を修正するような対応は取らない。

 さて、参照できるのはEvernoteくらいなので、解釈に相当する部分を引用しよう。

 ここで、帰省して初めて、母と二人で話した。

 父が体調を崩してからの二十年、幸せだった、と母は噛みしめるようにしみじみと言った。(わたしは-筆者註)驚いて声を飲みこんだ。

 記憶の中の母は、わたしから見ると、家庭という密室で怒りの発作を抱えており、嵐になるたび、父はこらえていた。

 不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた。p28

母本人の意識記憶と、傍から見た"現実"に齟齬があるのだなと思いました。

じつは、父が体調を崩してから(も)「不仲なころ」はあったということだろうと。

その後に、主人公の母が父を「いじめ」ていたことを父の亡骸に詫びる場面があります

いよいよ蓋を閉めるというときになって、母がお棺に顔を寄せ、「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」と涙声で語りかけ始めた。「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい……」と繰り返す声を、ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。p43

このいじめが二十年間の看護介護中に起きたとは特に書かれていませんが、いつ起きたことなのかの明示もありません。

父が病気になる前にも、看護介護中にもあったのだろう、そういう物語として、わたしは読みました。ここが、作者の意図と違うと指摘されているところです。

鴻巣友季子、「8月の朝日新聞文芸時評について。」https://t.co/x7kg81XQPc?amp=1 強調は原文ママ

 

 二つの問題があるので先に整理しよう。

①「記憶の中の母は、わたしから見ると、家庭という密室で怒りの発作を抱えており、嵐になるたび、父はこらえていた。/不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた」。〈わたし〉がここで思い浮かべている「記憶の中の母」が介護であるか否かという問題

②単純に母が「覚えてない」と言ったことを理由に、記憶全般あやふやになっていると判断し、「母本人の意識記憶と、傍から見た"現実"に齟齬がある」と解釈してよいか、また「じつは、父が体調を崩してから(も)「不仲なころ」はあったということだろう」と解釈してよいかという問題

 ①については「鴻巣解釈検討」の項目で、鴻巣Evernote無視している「それから、/「もしかしたら、病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない? この二十年は病気という敵と一緒に戦っていて、関係が変わったとか」/と言ってみると、母ははっと息を呑み、「そう、その通りだ」と大きくうなずいた。」の記述から否定した。また、ここは母との会話であるから、母も「病気になる前」と「この二十年」は別だと、つまり「不仲だったころ」は「病気になる前」であるという〈わたし〉の前提を共有していると取らなければ非合理的である。無論、実は会話が噛み合っていないのだと読んでもよいが、その読みがテクストを豊かなものにするかよく考えた方がよい

 ②についても、母は「母ははっと息を呑み、「そう、その通りだ」と大きくうなずいた」ので、記憶が全く失われてしまっているとは考えにくい。言われれば思い出すのだ。また、「母本人の意識記憶と、傍から見た"現実"に齟齬がある」と仮定する(鴻巣は「思いました」としか書いておらず、そう判断する合理性説明していない)のであれば、父の棺の蓋を閉める際の「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」が介護中を/も指しているとすることは非合理的である。この仮定は、「夫を虐めた記憶」を含め、母のすべての記憶そもそも偽りかもしれないという、読みの未決定状態をもたらすからであるこの仮定のもとでは、「弱弱介護密室で」「虐/待した」を事実であると確定することは、〈母〉も含めた作中人物の誰にも、テクストを読む誰にもできない。よって、介護中の虐/待を作中世界で起きた出来事として捉えることは、合理性を欠く、評者の「主観的」な決定行為にすぎない

 

 鴻巣の読みがいかに非合理的であるかをここまで確認した。私は「非合理的である」ことを示したまでで、「不可能である」とは言っていない。また、「非合理的な読み」は「解釈」と呼ぶに値しないと考える。

 なぜ鴻巣の読みが合理的でないと示さねばならなかったかといえば、それが鴻巣の主張が成り立つための必要条件であることを、鴻巣自身が認めているかである

 鴻巣友季子の読みは合理的ではないと私は考える桜庭の代弁ではない。私個人の考えである。だが、私の考えは合理的であると考える。

 よって鴻巣自身の読みが合理的であるということを説明してから議論するよう提言したところ、このやりとりを最後鴻巣ブロックされた。

 鴻巣桜庭議論リアルタイムで、公開で、Twitterで行われており、何が自分の主張を正当化するかについてもツイート宣言している。この「応答」はTwitter上で行われているはずだが、私には確認することができない……わけがないんだからブロックなんてしない方が得だと思うんですけどね。

 私は、「介護中の虐/待を作中世界で起きた出来事として捉える」「評者の「主観的」な決定行為」は自由であると認める。

 しかし、それを個人の読みとしてではなく、作品の要約(としてどう見ても読める箇所)に断定で書くという行為は別の問題である

2021-08-29

続・鴻巣友季子の時評は何が問題なのか

 「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」(https://anond.hatelabo.jp/20210826203711)の著者です。

 非本質的な、《誤読か否か》を議論するコメントが依然として多いので、記事を改めて補論を書きます(文中敬称略)。

 元の記事では鴻巣意見から矛盾を示すために使ったまでで、解釈」という言葉を本文で一切用いずとも問題を整理できるし、他にも鴻巣矛盾を指摘できるのでそうします。

論点整理・集約版

 少なくとも桜庭が問うている本質的問題は、

 「作中に描写がないこと」を「作品に書いてあるかのように読める断定で書いた」こと

 である

 そしてこの点について鴻巣スルー、もしくは無理筋意見を出しているのみである

①27日13時39分

②27日16時43分

 桜庭自身鴻巣との対話をやめたが、外野はこの点について把握しておくべきであろう。

 鴻巣意見無理筋なのは以下ツイートから明らかである

③27日1117

 このツイート議論として成立するためには、「描写がある」「明示的な記述はなく」という仮定客観性を持たねばならない。「主張が正しいか」という検討以前の条件である

 よって鴻巣は、桜庭が言う「直接描写されていないこと」は、主観ではなく客観としなければならない

 ところが③の直前の、桜庭に宛てたツイートはこうだ。

④27日11時6分

 お分かりいただけただろうか?

 鴻巣桜庭の言う「直接描写されていないこと」を「なに」という言葉に置き換え、「あるひとりの読者=作者の主観だ」としている。この矛盾について解決しない限り、鴻巣意見無理筋であり、鴻巣桜庭議論する土俵にも立てない。

 なお、鴻巣は主張が成立しないのだから、厳密には「平行線」ですらないだろう。

 論点整理は以上である

 

 以下、元記事にやや補足しておきます

 テクストに「ない」ことを「ある」かのように書いた(ことが検証できる)あらすじなどという珍妙ものを読む機会がないので、そのようなあらすじを目にしたのちにいざ対象テクストを読み始めた者がどう反応するのか、筆者には確たることは言えないが、あらすじに書かれた鴻巣解釈だけを前提とし、桜庭提示した(あるいは以下で私が説得的に示す「真っ当な」)解釈に思い至りもしない、という可能性はあるだろうと考える。

 それは「読み」が閉ざされたことを意味する。なお、「どこかでおかしいとわかるはずなのでそうはならない」と言うのであれば鴻巣の書いたあらすじが頓珍漢だと認めることになる。

 また、鴻巣Evernoteでは「作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいことです」と述べていたが、「むずかしいこと」ではなく「不可能な」ことにすり替わってしまった。

 こうしたすり替えをわざとやっているのであれば大した度胸だと感心する。同時に、不誠実な書き手だと評価する。

鴻巣解釈検討

 ついでなので、鴻巣の読解が「曲解であることも示します。(「誤読」とは言いません。桜庭が使わないので。)

 不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた。離婚の話が出たことなど具体例を挙げてみるが、「そうだったっけ?」と不審げになる。それから急に目を光らせ、「人の記憶って、その人によって違うね?」と言った。

 瞬間、母とわたしが同じ過去の〝ある時〟……七年前に最後に会った時のことを思いだしているとわかったが、いま対立するのは不毛だと、「ふーん……?」と目をそらした。

 それから

「もしかしたら、病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない? この二十年は病気という敵と一緒に戦っていて、関係が変わったとか」

 と言ってみると、母ははっと息を呑み、「そう、その通りだ」と大きくうなずいた。

桜庭一樹「少女を埋める」https://note.com/sakuraba_kazuki/n/ne3b7aa29cd58

 「不仲だったころ」は病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってた」を指すのではなく介護していた「この二十年」を指すというのが鴻巣の読解です

 この読解を支持できる方は根拠をつけて教えてください。「病気になる前」であるという解釈をあえて却下する理由込みで。

 なお、この点についてのツイート鴻巣はなぜか削除していますが、ツイートこちら(https://twitter.com/maffumi/status/1431506303784943616?s=20)へのリプライの形でした。(スクリーンショットを見たければTwitterに上げても「私は」構いません。)

 さて、(桜庭言及している)「母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた」に呼応する、

 いよいよ蓋を閉めるというときになって、母がお棺に顔を寄せ、「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」と涙声で語りかけ始めた。「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい……」と繰り返す声を、ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。

 内心、(覚えてたのか……)と思った。

(Ibid.)

 の「内心、(覚えてたのか……)と思った」も、「不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞」いたのも、「もしかしたら、病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない?」と言ったのも、すべて〈わたし〉なので、「不仲だったころ」をいつとするかによって、母が「お父さんを虐めた」のがいつだったと〈わたし〉が考えているかも決まる(と考えるのが普通だと思いますがどうですか?)。

 当然のことですが念のため言っておけば、実際にいつ「虐めた」かは、作中世界では〈母〉のみが把握し、〈母〉の心中作品視点は入り込めない。よって問題となるのは〈わたし〉がどう考えているかを、〈わたし視点文章解釈することです。

 私は「不仲だったころ」を「病気になる前」としか解釈できません。よって「虐めた」のも「病気になる前」としか解釈できません。

 困りました。私の読解力がないんでしょうか。解釈自由標榜する皆様、お知恵をお貸しください。

 最後に、本から引用します。

 「テクスト解釈可能性は無限である」と言っても、それは「解釈対象、つまりは焦点を当てるべきもの事実テクスト)が存在しない」ということにはなりません。「テクスト解釈可能性は無限である」と言っても、それは「どのような解釈の試みもうまくいく」ということではないのです。

ウンベルト・エーコウンベルト・エーコ小説講座:若き作家告白』、和田忠彦、小久保真理江訳、筑摩書房2017年、48頁)

2021-08-26

鴻巣友季子の時評は何が問題なのか

 朝日新聞翻訳家鴻巣友季子氏が連載する文芸時評に、取り上げられた小説の作者である桜庭一樹氏が抗議の声をあげた(以下敬称略)。

 争点となっているのは、「弱弱介護密室で」母は「夫を虐/待した」という記述である。これが、(テクストに書かれた/現実に起きた)事実であるかのように断定口調で書かれていることに、桜庭懸念を示す。

 抗議を受けて、鴻巣は時評について補足するEvernoteを公開した。

 その後、Twitterで両者はやりとりし、当該の記述解釈であればそれは批評として受け入れられること、解釈が読者に開かれているという点については意見の一致を見たが、桜庭はなおも以下のように批判する。


 すなわち問題は、

①「作品紹介のあらすじと解釈を分離する」ことはどれほど「むずかしい」(鴻巣Evernote)のか

 また、

解釈が「混同」されたあらすじは悪いのか

 の二点である

 以下、この二点を検討するが、最初にこの件に関する筆者の個人的感想を示しておけば、今まで自らの未熟さを自覚せずに仕事を続けてきた鴻巣の不幸と、巻き込まれ桜庭に同情する。

 また、鴻巣解釈がどれだけ妥当であるかについては議論しない。

作品紹介のあらすじと解釈を分離する

 あらすじを書こうとしていたのだが意図せず解釈が混入してしまった、という事態は、なるほど確かにありそうである

 要約に際して、物語内の複数出来事行為を紹介する必要が生じる。そこで出来事Aと行為Bを結びつける際に、「主人公はAによる寂しさからBに及んだ」などと(うっかり)書く。

 ここで、対象テクスト主人公の寂しい感情について明確な記述がない場合、これはあらすじと解釈が分離できなかった例だと言える(本当は憤りからかもしれない)。

 小説に明記されていないからといって「Aが起こった。主人公はBした」とだけ書くのは文章としてあまりに不自然なので、それを補おうとして解釈が入ってしまうというのは大いにありうるだろう。こうした場合、分離は「むずかしい」。

 またことき読者は、「寂しさ」が対象テクストに書かれているのか、評者の解釈なのか判別できない。

 一方、解釈によって生み出された記述であるということを評者が自覚している場合に、「これは解釈だ」と読めるように書くことは容易である

 「〜〜であろう」「〜〜と思われる」「〜〜のではないか」「〜〜が見て取れる」「〜〜のようだ」「〜〜からか」など、日本語には断定を避ける言葉遣いが様々あり、あるいはストレートに「〜〜と評者は読んだ」などと書くことができる。

 最後の例は稚拙に映るかもしれないが、プロ書評家の文章にも頻出する(具体例は省く)。

 さて、鴻巣は当該の書評文について、「そういう物語として、わたしは読みました。ここが、作者の意図と違うと指摘されているところです」と明記している(鴻巣Evernote、強調原文)。

 自らの解釈だと自覚しているである。(ところで、「作者の意図」という言葉桜庭は使っていない。)

 そのためこれは「詭弁」であり、断定的な言葉は避けられたはずだ、と桜庭は指摘している、のだろう。

 意図せぬ解釈の混入はありうるとはいえ解釈産物である自覚した文章について、「作品紹介のあらすじと解釈を分離する」ことはさほどむずかしくないと思われる。

 それが「むずかしいこと」だと感じるのであれば、それは単に書く力に乏しい(「未熟」)からである

 では、解釈があらすじに混入した場合、何か不都合が生じるのであろうか。特に不都合がないのであれば勝手にやればよいだろう。

「読み」を閉ざす「書き」

 あらすじに解釈が入っていると何が困るか。

 当事者である桜庭は、「わたし懸念は、私小説として発表されたこ作品の評で、ある人物が「病人介護し虐/待した」と書かれたことにあります。そうも解釈できる、ではなく、あたかテキストにそう書かれていたかのようにです」とツイートしている(https://twitter.com/sakurabakazuki/status/1430736782979596290?s=20)。

 ここでは、「作品私小説であること」が重大なファクターであるかのように受け取ることも可能であろう。前掲ツイートの「またそのような事実もありません」という記述からも、現実にそのようなことがあったか否かが問題とされているようにも読みうる。

 もちろん、私小説に固有の問題は別個に検討すべきものであろうが、本稿では、作品私小説であるか否かによらず、鴻巣の弁明が妥当性を欠くものであることを示したい。

追記:実際桜庭個人懸念としては現実としての事実にあるのかもしれないが、続くツイートにある「問題としているのは「評者が読み解いた解釈を、テキストにそう書かれていたかのようにあらすじ説明として断言して書いた」こと」をここではこの問題本質として考える。その意味で、「わたしは一つの小説」として読んでいますので、作者のご家族に関する「事実」については切り離して考えさせてください」[鴻巣Evernote]という鴻巣の主張に乗る)

小説は多様な「読み」にひらかれていると思います。また、作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいことです。

 鴻巣のこの文章は奇妙である

 解釈である部分についてあらすじとして断定的な書き方をすれば、それは小説の「読み」を閉ざしうるかである

 前節で扱った例で言えば、「寂しさから」とあらすじにあれば、それは対象テクストに寂しさが理由である旨が書かれていると読者は「読んで」当然である。この時、「憤りからであるという「読み」の可能性は閉ざされる。

 すなわち、解釈解釈である自覚した上で断定的な言葉選択した鴻巣の行いは、小説は多様な「読み」にひらかれているという鴻巣の信念と矛盾しているのである

 「小説は多様な「読み」にひらかれている」べきであると(は明確に書いていないので本当は思っていないかもしれないが)思うのなら、「むずかしいことですが、作品紹介のあらすじと解釈を分離する努力をするべきでした」と続くはずなのだ

 鴻巣にとって「作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいこと」かもしれないが、それを果たせないことにより、作品の「読み」は閉ざされる。

 評者自身の読みの自由を主張し、それを反映させる(無能力により反映してしまう)ことにより、他者の読みの自由を奪うことは、単純に暴力である。「書き」に注意すれば避けられたはずの、いわば過失致傷である

 それは評する作品を損傷し、また、時評の読者(の能力)をも傷つけうるだろう。

 書くこと/書く者は、読むこと/読む者に対してこうした暴力を為しうる。

 「自分文章をどう読むか」ではなく「自分文章を読んだ者がどう思うか」まで思いを至らせることができて初めて、自らの読みを主張する正当性が備わるのではないだろうか。

 まさか、「すべての断言には解釈が含まれいるかもしれないと思って読め」などと「むずかしいこと」は言うまい

2021-08-12

[]2021年8月11日水曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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2021-07-27

海外の反応」がキモい

テレビオリンピック開会式ダイジェストを見ていたら、

司会が

海外の反応は...」

海外報道...」

イギリスでも話題...」

CNNでは大々的に...」など

海外の反応ばかり気にしたコメントで、

日本視聴者の自立した評価認識がない様を見せつけられてきもい

日本人ですまん。

 

 

 

 

 

日本人をやめる方法ちくま文庫

2021-07-24

海外の反応」がキモい

テレビオリンピック開会式ダイジェストを見ていたら、

司会が

海外の反応は...」

海外報道...」

イギリスでも話題...」

CNNでは大々的に...」など

海外の反応ばかり気にしたコメントで、

日本視聴者の自立した評価認識がない様を見せつけられてきもい

日本人ですまん。

 

 

 

 

 

日本人をやめる方法ちくま文庫

2021-04-11

雑誌映画秘宝』の記憶(47)

【サタニストの美学とは?】

 高橋ヨシキがサタニストを自称していることは、よく知られています

 田野辺尚人は、恫喝DM事件に対する対応において「責任能力が無い」と見做された有様ですが、最近ちくま文庫から再刊された高橋ヨシキの著書『悪魔が憐れむ歌』に解説文を寄せていることから、今だに田野辺高橋の結び付きは固いことが窺い知れます

 田野辺尚人解説に拠れば、サタニストとしての高橋ヨシキが影響を受けたとされるのはAnton Szandor LaVey(米国The Church of Satanの設立者代表著書『The Satanic Bible』)であるとのことです。

 さて、このSatanismにおいては「9つの罪」が定義されていると言われています

 そこで今回は、この「9つの罪」を挙げて、旧体制映画秘宝』陣の実態と照らし合わせて見ていきたいと思います

(1) 愚鈍さ:恫喝DM事件で「アカウントを乗っ取られた不正操作だ。自分(=岩田和明)は事件に関与していない」と虚偽の弁明で岩田が逃れようとした際に、この無理が有る岩田の言い分に安易に乗った田野辺尚人は、この罪に該当していると言えそうです。

(2) 虚栄:本質的には女性蔑視同性愛差別思想の持ち主であるにも関わらず、それを知らない人間たちの前では「我々は差別と戦う」と正義ヅラ有識者偽装することから旧体制映画秘宝』陣は、この罪に該当していると言えそうです。また、非モテ過去を無かったことにして「大人の男の恋愛論」を語っていた町山智浩は、虚栄の典型と言えます

(3) 唯我主義:「町山智浩が大好きだから」という理由自分女性パートナーの肉体を献上した高橋ヨシキと、それを享受して面白おかしく語った町山智浩は、明らかに女性自身の意志人権尊厳などを微塵も考慮していません。自分たちの快楽欲望だけを優先しているのですから、間違い無くこの罪に該当していると言えそうです。高橋ヨシキが力を持つ旧体制映画秘宝』で切り株派が依怙贔屓によって優遇されていたことも理解せず、体制変化に伴う優遇の終了に不満を漏らしたナマニクも「唯我」の例と言えそうです。

(4) 自己欺瞞:悪い意味子供じみた言動に終始していて、明らかに大人になりきれていないにも関わらず、自分自分に「オレ(たち)は『大人の男』である」と言い聞かせる。あるいは、自分たちが繰り返し差別を行っているにも関わらず、自分自分に「『映画秘宝』は社会不正義や不公正と戦う雑誌」と言い聞かせる。そうして、自分自分に吹き込んだ「嘘」を信じ込もうとするのは、この罪に該当していると言えそうです。俗に言う「詐欺師自分自分の嘘を信じるようになる」と云う状態なのかもしれません。

(5) 群れに従うこと:ホモソーシャル集団病理として「身内が絶対正義」と云う考えに凝り固まり自分たちの身内にだけは異常に甘い態度を取るので、間違い無く旧体制映画秘宝』陣はこの罪に該当していると言えそうです。町山智浩の『実写版進撃の巨人』の失敗に対する批判の声を不自然なまでに小さく控え目にしたこと柳下毅一郎が吹いた犬笛に侍功夫が逸早く反応して付き従う姿勢を見せたことなど、その実例には事欠きません。

(6) 見通しの欠如:切り株映画至上主義者は『映画秘宝』を私物化して「自分たちの価値観けが常に正しい」「自分たちの好みに合わないものには価値が無い」と盛んに吹聴し、閉鎖的な態度を取り続けてきました。これが、将来の幅広い読者を開拓・獲得することを阻害して、雑誌未来を閉ざす結果に繋がると理解していなかったことは、この罪に該当していると言えそうです。(「少し考えれば馬鹿でも分かる」ようなことを理解していなかったと云う意味では(1)にも該当すると言えそうです。)

(7) 過去の正統の忘却ムック形式時代の『映画秘宝』は「予算芸術性や出来の良し悪しに関わらず『好きな映画は好き』と云う気持ちだけは平等だ」と云う基本理念を示していました。それを忘れ去り、異なるジャンル価値感の間で優劣を付けるように悪い変化を遂げたことは、この罪に該当していると言えそうです。

(8) 非生産的プライド:「オレたち男と違って、女たちは『ユー・ガット・メール』を見て喜ぶような馬鹿どもだから、オレたち男は女よりも偉い」と云う男尊女卑思想。「オレたちストレートの男は、同性愛者よりも立場が上だから、奴らを嘲笑してもよい」とする同性愛差別思想。「オレたち切り株映画ファンは悪いことをしないが、萌アニメが好きな奴らは犯罪者予備軍だから叩いてよし」とするジャンル間の優劣思想。「若い奴らや女は物事を知らないから、何でも知っているオレたち大人の男が教えてやろう」という説教願望。旧体制映画秘宝』陣は、肥大化して歪んだ自尊心の持ち主の見本市ですから、確実にこの罪に該当していると言えそうです。これだけ社会多様化が進めば「オレ(たち)は何でも知っている」という仮面を被り続けることは無理があるのですが、それでもその仮面を手離さないのは、他人から「物を知らない」と思われることに堪えられないというチンケな自尊心に囚われていることの顕れでしょう。てらさわホークが『マン・オブ・スティール』について嘘八百を書いた際、自分よりも知識豊富人間から間違いを指摘されて逃亡したのも、チンケな自尊心の持ち主だからと言えるでしょう。

(9) 美意識の欠如:間違いや過ちを指摘されても目と耳を塞ぎ続ける自分たちの振る舞いが、客観的に見れば非常に格好悪いということに気づいていない、もしくは気づいていないフリをし続けていることは、この罪に該当していると言えそうです。ロマン優光言論反論できないか誤植に赤丸を付けるというみみっちい行動に出た柳下毅一郎は、その一例でしょう。

 ざっと見てきましたが、もしもSatanismに価値説得力を見い出し得るとするならば、それはイズムの信奉者を自認する人間が「内省を伴う批判精神」の持ち主であればこそでしょう。

 自分たちホモソーシャル集団にとっての「敵」と見做した他人執拗に口撃するのは大好きで、自分自身や身内には異常なまでに甘いという高橋ヨシキらが、そのような「内省を伴う批判精神」の持ち主であるか否かは、誰の目にも明らかです。

 「論語読みの論語知らず」という諺は、高橋ヨシキ旧体制映画秘宝』陣の実態形容するのに、実に相応しい言葉と言えるでしょう。

 この投稿は以上です。ヘイル・サタン

2021-04-05

雑誌映画秘宝』の記憶(42)

旧体制映画秘宝』と「女性(を含めた他者)との関係構築」の話】

 枕から始めますが、世の中には「勝ち負け」を付けたがり、その基準として「異性との性交渉経験(の有無)」や「性交渉を持った異性の人数(の多寡)」を持ち出したがるタイプ男性存在します。

 一つの例を挙げます

 某男性お笑い芸人は、過去に「オレのことを批判したり嫌ったりしている人間よりも、オレの方がいっぱい女たちを抱いとるねん!」という主旨のことを著書に書いていました。つまり、これを言うことによって「オレよりも異性との性交渉経験人数が少ない奴には、オレを批判する資格が無い!」と彼は言いたかったわけです。他にも似たような物言いで「オレを批判する人間は、オレよりも金稼いどるんか?」等も有りましたね。そのように言いながらも、彼とは段違いと言っても過言ではない『才能が有って、しか興行収入の実績も有る映画監督』のことを「この監督は『映画の基本』が分かってませんねえ」と批判していたのだから面白いものです。5本目の映画は撮らないのでしょうか?

 ところで、その某お笑い芸人は、自身が司会を務めていた音楽番組の場で、番組ゲストミュージシャンたちから以下のような暴露トークをされて、全国放送電波で流されました。

 曰く「後輩芸人たちがセッティングした合コンの場で、その某お笑い芸人が『お持ち帰り』の対象として狙いを定めた合コン参加者女性を、後輩芸人たちが複数人で囲んで『✕✕さんに抱かれたいと思ってんのやろ?!』『✕✕さんに抱かれたいて言え!』と囃し立てる」(※飲食店で、その某お笑い芸人合コン現場を目撃したと云う、番組ゲスト男性ミュージシャン)

 曰く「劇場出待ちをする女性ファンたちの間では『中学生ぐらいがストライクゾーン』と云う噂が共有されていたから、自分(=音楽番組ゲスト女性ミュージシャン)も中学生の頃に、その某お笑い芸人からナンパされるのを狙って劇場出待ちに行った」(※番組ゲスト女性ミュージシャン)

 そういえば、その某お笑い芸人番組に度々ゲスト出演していた梅宮辰夫が、若い頃の話として「狙っている女性がいた時は、自分の所有するプレジャーボートに乗るように誘い、逃げられない沖合の海に連れ出してから行為に及んだ」と語っていましたね。梅宮辰夫は「面白おかしい話」として語っていたようですが、私は「身の毛もよだつ、おぞましい話」と思いました。

 こういう「異性との性交渉経験(の有無)」や「性交渉の人数(の多寡)」を矢鱈と持ち出したり、面白おかしく語りたがり、自慢したがる人間には、警戒した方が良いと思います。それは兎も角。

 この手の男性は「『経験人数』や『経験場所』や『風俗店遊んだ話』などを自慢したがる一方で『紳士的な方法で異性と距離を縮めていった過程』を話さない/話せない」と云う特徴があります

 彼らが何故それを話さない/話せないのかを考えるに、彼らが「女性と『対等な関係』の下で『一対一で向き合う』ことを怖れている/避けている」もしくは「女性と対等な関係になることは『男としての恥/屈辱である」と云う考えの持ち主であることが理由ではなかろうかと、私は推測しています。おそらく「上下関係」や「力関係」が介在しない場では、彼らは自力女性口説くことも満足にできないのではないでしょうか?相手が「弁えない女性」の場合には特に

 さて、長い枕から本題に移ります

 はてな匿名ダイアリー引用するために『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』その他を読み返し始めたところ、町山智浩らが話す「女性に関する話題」に関する『或ること』に改めて気づきました。

 曰く「ラムちゃんみたいに、奥さんの方から転がり込んで来た」

 曰く「高橋ヨシキが『自分女性パートナーの胸を揉んでいい』と言うから、揉ませてもらってキスもした」 

 曰く「女性から聞かされた話を(聞かされたことも忘れて)、その女性当人に対して上から目線で教えようとした」

 曰く「どこそこの風俗店が云々」

 曰く「誰それのオコボレを目当てに、後から着いて行って云々」etc.

 このように、町山智浩らの周囲から出る「女性に関する話題」には「『対等な関係』として『一対一』で女性と向き合った話」が乏しいことに気づきます。聞かれてもいないのに、わざわざ自分の方から女性に関する話題」を持ち出しているのにも関わらず、明らかに乏しいのです。「奥さんが転がり込んで来た」という話も、要するに「棚ボタ」なのであって、決して「自ら主体的能動的に動いた話」ではないことにも注目して下さい。

 おそらく、町山智浩自身にも「自分たちは『きちんと一対一で対等に女性と向き合った』と云う経験に乏しい」という自覚と、それに伴う「劣等感」が有るのではないでしょうか。そのことが、目下の者や読者に対して頻りに「オレたち『大人の男』ってのはさあ」という『説教』をかまそうとする町山智浩らの動機になったように思えます

 しかし、いくら説教をかまそうとしたところで「経験していないこと」や「体現できていないこと」を語るのは土台不可能なわけですから、いずれどこかで無理が生じます

 一時期の町山智浩は、頻りに「恋愛論」を語っていました。あれだけ『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』等で自ら何度も「若い頃はモテなかった!モテなかった!」と書いていたのに「今さら正気か?」と私は感じたものです。それでも町山智浩は、自分に都合が良いように捏造/美化した記憶を語って流布させることで「過去を上書き改変すること」が出来ると考えていたのでしょう。

 しかし、某地方映画関係者などから情報漏れ出した途端、町山智浩は「恋愛論」を語るのを止めたようです。おそらく、自分実像を知る人間から情報暴露をされたら、薄っぺらい「恋愛論」による目眩ましなど一溜まりもないことを理解たからだと考えられます

 例の騒動の時には「女性から教えてもらったことを、その女性に教えようとする『マンスプレイニング』の気質の持ち主である」ことをも示唆されていましたが、このマンスプレイニング気質も、根本に「女性(を含めた他者)との『対等な関係』に堪えられない」という気持ちが有ることの顕れだと思います

 この「女性(を含めた他者)との『対等な関係』を構築することができないのではないか?」という疑いは、高橋ヨシキてらさわホークについても同様に向けることができます

 現在高橋ヨシキてらさわホークは、自分たちよりも年齢の若い女性アメコミ翻訳家ヒップホップミュージシャン等とばかりつるんで配信に勤しんだり、あるいは、自分たちよりも知識が乏しい人間が集う『共感シアター』など「上から安心してマンスプレイニングすることができる場」に閉じ籠もってばかりいますが、これは何故でしょうか?

 私はこれも、結局は彼らが「女性(を含めた他者)との『対等な関係』に堪えられない」ことの顕れだと推測しています

 対等な関係に堪えられないから、自分理解できないコンテンツ/ジャンル自分女性パートナーが楽しむ姿に我慢ならず、その価値観否定したり、馬鹿呼ばわりしたりするのです。

 そんな高橋ヨシキ著作悪魔が憐れむ歌――暗黒映画入門』が、ちくま文庫から目出度く再刊されました。同書に田野辺尚人が寄せた解説を読むと、高橋ヨシキは「魂の自由を重んじている人間」とのことです。

 そんな「魂の自由を重んじている」人間が、自分女性パートナーの肉体を町山智浩に献上したところを見ると、高橋ヨシキは「女性には魂が無い。したがって、女性の魂には自由が無い」と考えていると見ても、さほど間違いではなさそうです。

 よかったら皆さんも一度、高橋ヨシキの本を読んでみて下さい。

 長くなったので、とりあえず今回はここまでにします。

 ヘイル・サタン

2021-02-22

必読書コピペマジレスしてみる・日本文学

方針

森鴎外舞姫

留学先で女性妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしま自分がいて、実はこれ、レトリック文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分おすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい

余談だが、鴎外自身東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなた写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りうまいよな。

樋口一葉にごりえ

古風な文体挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文いるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。

舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソード結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。

泉鏡花高野聖

僧侶山間で美しい妖怪出会う話。文庫ちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズ日本の近現代文学作家ベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。

話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。

国木田独歩武蔵野

とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分リズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。

夏目漱石吾輩は猫である

我輩を吾輩に修正

ここ最近漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本近代文学開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。

で、肝心の内容だが。基本的おっさんおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。

余談だが漱石留学時代日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。

島崎藤村破戒

素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。

被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。

田山花袋蒲団

女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的ダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまたか

で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。

有島武郎或る女

読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。

志賀直哉小僧の神様

読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテいからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。

ちなみに、自分が初めて関係を持った女性貧乳だった。だがそれがいい

お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐視点の「児を盗む話」もよかった。

内田百閒『冥途・旅順入城式』

大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品日記もあって、そうした印象ばかり残っている。

関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。

宮澤賢治銀河鉄道の夜

めんどくさいファンがいることで有名な作家全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。

思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。

江戸川乱歩押絵と旅する男

知り合いにいつもぬいぐるみキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫全集でだった。

横光利一機械

狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫場合表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人夜逃げする「時間」と、ナポレオンヨーロッパ征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。

谷崎潤一郎春琴抄

実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章リズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中生活爆弾が実際に降ってくるまでは震災コロナでただよう自粛雰囲気そっくりだったこととよくわかる。

ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロイン名前が母と同じだったのですっかり萎えしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。

夢野久作ドグラ・マグラ

ミステリ編参照。anond:20210215101500

川端康成雪国

高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生川端康成エロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコン発症させたことくらいだろう。

太宰治斜陽

太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇パーソナリティの偏りや性的虐待疑惑に求める説は多いが、そういう心理普遍的ものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。

もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。

三島由紀夫仮面の告白

天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれ文章のせいかもしれない。

武田泰淳ひかりごけ

極限状況下でのカニバリズムテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニーク小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。

人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?

安部公房砂の女

祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカ父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカ男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。

大西巨人神聖喜劇

未読。不条理陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分戦争もの小説漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。

これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。

大江健三郎万延元年のフットボール

大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。

燃え上がる緑の木」は新興宗教原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリック宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。

萩原朔太郎『月に吠える』

大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現ひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである

福沢諭吉福翁自伝

祖父学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。

子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。

正岡子規歌よみに与ふる書

読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。

石川啄木時代閉塞の現状』

ローマ字日記しか読んだことがない。たぶん日本最初フィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。

小林秀雄『様々なる意匠

詩集翻訳しか読んだことがない……。

坂口安吾堕落論

堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇天武天皇家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。

哲学編に続く→anond:20210222080300

関係ないけど芥川が載ってないのは納得できないぞ。

2020-08-24

理系だが人文系学者の主張の恣意性を知りおののいてる

やれと言われた勉強以外一切やらずに無知教養なまま大学卒業した。

語学以外の文系単位なんて10も取らなかったと思う。

から文系学者が何やってるのか全然知らなかった。


で、最近まり無知教養だと人間との会話が成立しないことに気付き、本とか読みだした。

ちくま文庫とか講談社学術文庫とか中公文庫とかそういう系の。

それで思ったんだが、人文系学者が書く本、めちゃくちゃ親切じゃん。サイエンスライターはともかく理系学者が書く本は死ぬほど不親切なのに。


でも、親切で分かりやすものは、分かりやすいように情報が切り取られ体系立てられた恣意的ものだ。

そりゃあまあするする頭に入ってくるが、それお前どうなのみたいな主張が多すぎる。

そもそも結論があり論理があるというか、真実の究明よりも持論の証明目的に喋ってると言うか、へー、それが学問なんだ、みたいな。

正しいものが正しいんじゃなくて、偉い先生が言うそれっぽいことが支持されてる状態死ぬほど驚いた。


いや法学とか工学とか実学系はあれだが、理学部文学部ぐらいは真理の究明を目指してくれたっていいのに。

っていうか、工学部が兵器作るのは一発アウトなのに、文学部左翼とズブズブなのは良いんだ。

文系アカデミック世界、全スルーで生きてきたので、適当に足を突っ込んでみてあまりのあれさにおののいている。

そんなもんなの?

2020-08-10

anond:20200810122723

追記ありフェミニストによる「一人一派実例

このフェミニストを騙る輩は無知なのか歴史修正主義者なのか。

自分観測範囲ではそもそもフェミニスト自称しつつ一人一派と主張する人」を殆ど見かけない
・むしろフェミニスト一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方
・またフェミニスト自称しつつ一人一派を主張する人がいたとして、それはフェミニスト思想全体への批判に繋げられるほど一般化された主張なのか?
フェミニストの中で明示的に「一人一派理論採用している人は少ない。一人一派との指摘を行っているのはアンチフェミニストが主である

フェミは多様なものよ。一人一派、それ以上あるかもしれない。それらがぶつかり合うことはあっても、正統と異端という考えは全くない。(p186上野)上野千鶴子×田房永子上野先生フェミニズムについてゼロから教えてください! 』、2020年刊)

フェミニズムは一人一派、まさにそのとおり。/小倉:フェミニズムは一人一派だから、考え方が対立して当然なのだ。/フェミニズムとは一人一派と書かれているので上野 千鶴子,小倉 千加子 ザ・フェミニズム (ちくま文庫)、2002年感想

フェミニズムは一人一派だ、というのは(多分)田中美津の言葉だけれども、別にフェミニズムでなくたって人間は基本的に一人一派である。(私は愛されたい、私はピンクが大好き、それゆえ私はフェミニストになれない(のか?) )

上野 千鶴子氏など著名なフェミニストが「フェミニズムは一人一派」と言い続けているのに、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」と嘘をついてアンチフェミ批判するあなたは、無知なのか歴史修正主義者なのか、どっちなんでしょうか?

そしてこういった汚れた輩から高潔フェミニズムを守るために、一人一派は役立ちます

追記

あなた理解力が著しく欠けているので、質問義務教育を終えてから。まずは学校勉強に専念しましょう。

第二に、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」のはすべて事実です。

これらは全部あなた観測範囲にもとづく主観です。これが証拠になるのは、小学校までです。客観的事実なしに主張するなら、フェミニストを名乗ることで他に多大な迷惑を及ぼしていることを自覚なさい。

第一に、上野氏ほかの主張は彼女自身の説・主張であって、フェミニスト全体の総意ではありません。

総意なんて存在しないもの議論する価値がありません。上野氏は活動家でもあるという事実(後述)から目を背けて、自分正当性固執するあなたの姿は醜い。

自分の耐え難い苦しみがこれまでのフェミニズムに相いれないときに、自分の苦しみを優先して個人社会活動として訴えることを認めるのが、本来の「一人一派」で、あくま最後の手段です。それを、自分の気に入らないことすべてに安易に使うからフェミニズム全体の信用が失われ、アンチフェミニストが指摘するときの便利な道具になってしまったのです。

あなたには無理ですが、あなた以外が「一人一派」の一般性を理解できるよう、フェミニストによる「一人一派」をいくつか引用しておきます

「ザ・フェミニズム」p.303(上野によるあとがき)

第二に、小倉さんが言うように、フェミニズムは「一人一派」。だってわたしわたしであること」がフェミニズムなんだもの、人の数だけあってあたりまえ。ある人はこういうが、別の人はああいう。批判されても、ああそういう人もいるわね、でもわたしは違うって思っていればいい。(略)
何はともあれ、矢はとっくに放たれている。小倉さんとわたしの「一人一派」に、読者のあなたにもうひとりの「一派」を付け加えてもらえれば、この本の目的は達せられたことになる。

トランスジェンダーとフェミニズム ツイッターの惨状に対して研究者ができること 堀あきこ (2019.2.4)

一方、フェミニズムは、フェミニズム内で意見対立を抱え続けるものでもあります。(略)
この対立は、しばしば「フェミニズムは一人一派」という言葉で例えられます。なぜ、統一しようとしないのでしょうか。

Where We Are Right Now :多義的に進化するフェミニズムの現在地 清水晶子 (Harper's Bazaar 2017年6月号掲載

でも、そもそもフェミニズムって何だっけと考えると、これが意外にわかりにくい。「フェミニズムをひと言で定義してください」と言われたら、専門の研究者アクティヴィストでも一瞬たじろぐだろう。
女性男性と同等の権利尊厳を持つと考える人はすべてフェミニストだ、という言い方がある。出発点として、これは間違いではない。
同時に、「フェミ一人一派」という言い方もあって、これもある意味では正しい。実際、フェミニストの間で「それってフェミニズムとしておかしくない?」「いやそれはありでしょ」という議論が交わされることは、珍しくない。

大学に行かずにフェミニズムを学ぶ方法 小松原織香 2019.11.2

フェミニズムは一人一派と呼ばれ、それぞれが「私のフェミニズム」を語ることで成り立っている。それがどんなに間違っていると他人に言われても、「私のフェミニズム」は誰にも否定されるものではない。それが大前提だということはおさえておきたい。

プラスαの読書大特集(第2弾)新書だけで学び直す一般教養15講+α 著者不明

論座 (通号 86) 2002.7 pp.188 - 236

204 ページ

フェミニズムは一人一派というひともいるくらい多岐にわたっているし、その内容もきわめて多様である。だから、どんな考え方がフェミニズムなのかという根本はともかく、一口フェミニズムといっても実にいろいろな考え方があるという

ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか? 髙崎順子 ハフィントンポスト 2020.2.7

文字数制限で略)

上野千鶴子氏の社会活動に関する Wikipedia記述

上野 千鶴子 NPO法人ウィメンズアクションネットワークWAN理事長古市憲寿との対談にて、「ジェンダー研究フェミニズムのツールです」と自身研究運動に利用するためと答えて、小熊英二に「活動家としては正しい」と言われている。堀茂樹上野自身運動不都合なことは隠すと答えていることで、上野を「救いがたいレベル」と評し、小熊と古市批判し、研究者且つ社会運動である事は許されるが、「研究者として社会運動家のように行動するのは詐欺」と批判している。

2020-07-23

全書・叢書・大系・文庫の類を適当

珍名文庫冨山房

冨山房漢文大系」

国民叢書(民友社)

立川文庫立川文明堂

岩波文庫岩波書店

岩波現代文庫岩波書店

岩波書店日本思想大系」

岩波書店日本近代思想大系」

岩波書店シリーズ世界周航記」

岩波書店日本古典文学大系」

岩波書店新日本古典文学大系

岩波書店新日本古典文学大系 明治編」

講談社文庫講談社

講談社学術文庫講談社

講談社ブルーバックス講談社

講談社文芸文庫講談社

講談社「興亡の世界史」

ちくま文庫筑摩書房

ちくま学芸文庫筑摩書房

筑摩書房近代日本思想大系」

筑摩書房現代日本思想大系

筑摩書房明治文学全集

筑摩書房世界古典文学全集

中公文庫中央公論新社

中公クラシックス(中央公論新社

中央公論社世界の名著」

中央公論社日本の名著」

平凡社ライブラリー

平凡社東洋文庫

平凡社世界教養全集

平凡社中世思想原典集成」

平凡社中国古典文学大系」

角川ソフィア文庫

光文社古典新訳文庫

河出文庫

戦史叢書防衛研究所朝雲新聞社)

ミネルヴァ日本評伝選

吉川弘文館歴史文化ライブラリー

国書刊行会叢書

大日本史

日本古代法典

古典文庫吉田幸一

国史大系経済雑誌社、吉川弘文館

日本評論社「明治文化全集」(明治文化研究会)

集英社「全釈漢文大系」

明治書院「新釈漢文大系」

明治文化資料叢書明治文化資料叢書刊行会、風間書房

明治大正農政経済名著集(農文協

昭和前期農政経済名著集(農文協

河出書房新社世界の大思想

春秋社世界思想全集

明徳出版社陽明学大系」

明徳出版社朱子学大系」

日本評論社「学生叢書」(河合栄治郎

こぶし書房こぶし文庫 戦後日本思想の原点」

有朋堂「漢文叢書

早稲田大学出版部漢籍國字解全書」

国民文庫刊行会「国訳漢文大成

国民文庫刊行会「続国訳漢文大成

2019-06-04

増田もの読本

日本人をやめる方法ちくま文庫

日本人を縛る概念は「班」と「籍」であり、班では区切られた組織の中での相互監視を行い、籍では所属が個より社会性を表すものとされているとする。

決して反日本ではない、日本人のための本。

2018-10-28

援交は普通だし大麻も当たり前だし妊娠中絶も大したことない

って、知り合った女子高生が言ってたのがショックだった

俺の中で援助交際は「貧困にあえぐ未成年しかたなく手を染める性的犯罪」だったわけで、なにか重い感情が背景には隠れており、その裏にはまた複雑な社会問題が隠れているのだった

でも彼女はあっけらかんに言うのだった「彼氏最近構ってくれないから」

しかに、彼女を幾通りにも深読みすれば「複雑な社会問題」を取り出せるのであろうが、俺にはそれをする意味理由動機もない気がした

彼女からすれば所詮ただの変態親父が意味不明なことを言っているに過ぎない

なんというか、当たり前ではあるんだけどこの世の中は岩波文庫ちくま文庫じゃ覗けないものがあるんだなってわかった

俺はそれなり高学歴の世界に身をおいてきてその世界しか見れなかったように、彼女たちもその世界しか見えないのだろうな

そりゃそれぐらいの高尚な世界、高い高い目線世界を見下ろせば全てわかった気になる。でも、俺は全然わかっていなかった

なにも、そう言った文書にすべてが書いてあると思って見てたわけじゃない

「ああ、現実もっとひどいんだろうな」とか「もっと多種多様、一人や二人では形容できないようなことが現実では起こっているんだろう」とは考えていたのだ

しかし、現実を目の当たりにすると違った

俺の文章を読んで鼻で笑うのは自由だし、以前の俺ならこの怪文書に対して「なんとなく気に入らず」ひたすらマウントして記憶の隅からも追い出そうとしていただろう

だがそれをしれただけでも良かった。世界は無数にあるのだ

オナニー文章失礼した

2018-08-20

anond:20180819021032

ちくま文庫目録を手に入れてから講談社現代新書目録を手に入れる。ついでに講談社学術文庫目録も手に入れる。さら岩波新書目録も手に入れてみる。岩波文庫目録もあるといいかもしれない。これら目録kindlepdfで公開されている。

2018-08-16

anond:20180816185744

『伝わる・揺さぶる!文章を書く(PHP新書) 2001/11/1 山田 ズーニー』

自分文章苦手さんだったが、これ↑読んで「おおぅ」となった。なんか著者の名前がヘンテコだが、進研ゼミ小論文指導してた人なのでそれなりに信用できるかと。

ついでに話し下手とも思ってるなら、同じ著者のこれ↓もいいかもしれない。

あなたの話はなぜ「通じない」のか(ちくま文庫) 2006/12/1 山田 ズーニー』

まあ文章指南の本は腐るほど出版されてるので、自分の好みに合う本を選びに書店Amazonに今すぐ行け

2018-08-14

anond:20180814000208

知的生き方を支える技術みたいな本ないっすか

以前に同じようなこと考えて色々探してリストアップしたものの、買ってすらいない本の一覧。

迷ったら古典とか長いこと売られてるのを選べと偉い人が言っていたような気がする。

すべて読んで感想をここにアップしろやコラ

anond:20180814005212

ちくま文庫 という括りがあったのか…

(代数的構造情報理論現代思想教科書など、学芸の方でお世話になってる)

全教マニュアルとかもちくまか。

ちらっと調べたら気になる人が数人いたし、今日図書館行ってみるわ。

ちなみに自分もそういうものを読んでいないわけではなくて、

森博嗣新書とか同著者のクリームシリーズ(http://kodanshabunko.com/morihiroshi/Creamseries.html)とか、

よしもとばななの夢について(http://amzn.asia/91qTO16)とか好きだよ。

anond:20180814004658

自分で探すのも一興な気がするので書名は挙げないけど


自体じゃなくてちくま文庫文庫本って超マニアックな分野の本ばかりじゃない

あいう本書いてる著者で気になった人の名前調べて、生き方でも参考にしてみたら?

本を出すぐらいには生活できて社会適応してるってことだから

2018-03-22

ハヤカワ文庫SF

ちくま文庫

ブルーバック

がそれなりにおいてある本屋は信用してる

多くても少なくても悪い

2017-08-31

https://anond.hatelabo.jp/20170830205726

R.O.D』の元ネタ山田風太郎の『魔界転生』。

このことは『R.O.D』の原作脚本倉田英之が、『忍者六道銭』(ちくま文庫)の解説の中で述べている。

一方『Fate』の元ネタは『魔界転生』の石川賢による漫画版

こちらは確か雑誌ファウスト』に載った奈須きのこ武内崇笠井潔の対談(インタビュー?)で述べられていたはず。

まり元をたどれば源流はどちらもいっしょ。

2017-07-30

安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」が素晴らしい

安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」という文章が素晴らしい。是非読んでいただきたい。

http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous01

http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous02

http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous03

安田さんの文章でも前提とされているし、知っている人も多い話だと思うけど、江戸時代銭湯混浴だった。昔の人はハダカを恥ずかしく感じなかったのか? 異性のハダカに欲情しなかったのか? という疑問が浮かぶが、どうもそうらしい。昔の銭湯のお湯は熱く、湯冷ましのため男女とも服を着ずにハダカで家に帰ったというから相当なものだ。また夏は道にタライをだして行水の習慣もあった。

明治時代になって、西洋人から男女がハダカで混浴したり、公共の場所にハダカでいることが破廉恥だと非難されたため、政府により街場の銭湯混浴禁止される。しか田舎温泉宿などは、いきなり浴場をもう一つ増やす財力が無いので、ロビー活動をして混浴という状況を許してもらう。その後世情により徐々に男湯女湯の区別が作られては行く。しかガチ混浴の習慣はいつまで残っていたのか?

1961(昭和三十六)年、押田氏が栃木県鬼怒川温泉投宿したときのことである。同氏は同僚と飲んだ後に二度目 の入浴のため大浴場に向かう。時間も遅かったので先客は誰もいず、一人湯船につかっていると、やがて脱衣場の方から声がする。そして二十代から五十代 の女性七、八名が、浴場に入ってきたというのである。いずれも仕事がはねた 仲居さんたちである。人数的にも圧倒され、湯船から出るに出られなかったと押田氏は当時を述懐する。

中野明. 裸はいから恥ずかしくなったか ──「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫)

1960年代まで田舎では、特に裸は恥ずかしくなかった可能性がある。観光旅館ではなく、地域共同浴場なども混浴が残っているケースは多く、70年代ドキュメンタリー番組で「若い人は気まずい」という解説とともに紹介されていた記憶自分にもある。

ハダカはともかく、ムネはいから恥ずかしいのだろうか? 昔の海女さんや炭鉱で働く女性は、男性のように上半身ハダカだったらしい。これもどうやら1960年代女性の間にブラジャーが普及するのと平行して、恥ずかしいという意識も広まっていったようだ。

しか女性が一旦胸部にブラジャーをつけると単に美しく見せるだけではなく、それとは別の副次効果が現れる。先の井上章一氏の言葉を応用すると「ブラジャーをつけだしたその後に、女性は胸部により強い羞恥心をいだくようになった」と言える。こうして、従来は羞恥心対象外だった女性の胸部が質的に変化する。昭和三十年代には普通に見られた、街頭で母乳をやる女性たちも、授乳室の中に隠れるようになる。

中野明. 裸はいから恥ずかしくなったか ──「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫)

いずれにしても上記のことから女性のハダカを見て男性が興奮するのは、決して本能などではないことは容易に推理できる。欲情する気持ちは、文化により形作られた、女性羞恥心を感じている様子に引き出されるもの、あるいは国家権力規定された禁忌を破ることによる興奮なのだそもそも男性女性欲情することが自然なのかどうかもわからない。橋本治さんの受け売りだけど、森鴎外時代男子大学生は硬派と軟派に分かれていたが、硬派とは下級生男子欲情するもの、軟派は女性欲情するもので、鴎外は性暴力被害を恐れナイフ携帯して通学していたという。

少し前に少年ジャンプ論争とも言うべき話題があったので、↓の本を読んでみた。そして考えたことを書いてみた。

http://amzn.asia/cCmI3qf

2017-06-19

https://anond.hatelabo.jp/20170619184905

たいした定義存在しない。

火付け役になった書籍が先日ちくま文庫から文庫化されてたので気になるなら確認してみては。

マウンティング女子世界: 女は笑顔で殴りあう (ちくま文庫 た 82-1) 瀧波 ユカリ (著), 犬山 紙子 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4480434313

いい加減消えればいいのに。

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