∋かせつぴよ
なんかその記号、ピヨピヨって言い出しそうで気が抜けるワァ
この件は私の中で2つ仮説がある。
その1(隠れた「条件付き確率」)が説明しやすいけど、個人的にはその2(隠れた「発言者バイアス」)の方だと思っている。
∈仮説その1∋
普通、雨が降ってる日には洗車しない。
そして、晴れた次の日に雨が降る確率は、雨が降った次の日に雨が降る確率より大きいと思われる。
そうすると、洗車した日(=晴れた日)の次の日に雨が降る確率は、通常の雨が降る確率より大きいことになる。
これが『洗車したときに限って雨が降る』印象を与えているのだと思われる。
∈仮説その2∋
『洗車したときに限って雨が降る』の『洗車したとき』は定義が決まっていない。
人によっては、洗車した1週間後に雨が降った場合でも『洗車したときに限って雨が降る』と感じてしまうだろう。
そして、『洗車したときに限って雨が降る』なんて言葉を言う人は、洗車する行為にある程度思い入れがあるはずである(無ければ、そんな一般化したようなことは言わないだろう)。
思い入れがあるのならば、洗車したことに対する記憶も長く保たれるはずである。
つまり、『洗車したときに限って雨が降る』での『洗車したとき』も長めに感じるはずである。
このように、『洗車したときに限って雨が降る』と発言する人は、『洗車したとき』で想定する期間を無意識のうちに広めにとってしまうことが、『洗車したときに限って雨が降る』印象を与えているのだと思われる。
女性が不特定多数の男性の生理現象を面白エピソードを求めることは果たしてセクハラではないのだろうか。
立場を置き換え、男性が女性の生理現象の面白エピソードを求めることはどうであろうか。
免許取った人ならわかると思うが、車両側からクラクションをならせる場面は極めて限られるので、免許試験でも「クラクションを鳴らす」の選択肢はほぼ×だと言っても過言ではない。鳴らしていいのは見通しの悪い山道とかで標識が出ている時とかかなりレアケース。少なくとも邪魔な相手がいるから鳴らすみたいのは全部ダメ。自転車は軽車両だからそれに準じる。
僕はドラッグストア関連の消費財メーカー勤務なのだが、同業他社の秋冬の新商品が少ないことに気付いた。
複数の包材メーカーに各社の新商品開発状況をヒアリングすると、延期か中止が多いとのこと。
業界の性質上、3月上旬までには商品概要は決まっており、3月以降に煮詰めるのは販売戦術や包材仕様の確定くらいである。
ヒアリングでは消費財メーカー本社機能が止まってるからではないかとのこと。
ここで疑問に思うのは、通常生産品は滞りなく生産されており、ジャンルにもよるが4、5月の前年比100%はザラである。
消費財メーカー工場は稼働していて、資材(BtoC)メーカー工場も稼働している。
しかし新商品開発が滞っている。これは営業サイドの要望なのか?
先に「秋冬の新商品」と書いたが、次は春夏でこちらで代替できるわけではない。
というか、包材メーカーでは来春夏新商品の開発も滞ってるメーカーが多いとのこと。
ここで本題なのだが、ヒアリングによると外資は本社機能を停止していることが多いとのこと、国内トップ企業も開発が進んでいないらしい。
ところが資材メーカーは割と動いている。容器メーカー巨人のT社は本社機能を止めたと聞いたけど、他は大手でも週の数日は出勤してるとのこと。
僕は研究所勤務なので家でできることはメールのやり取りだけなので、在宅勤務は「呼び出し(メール)に応じるくらい」である。
世の中のテレワーク全体もその程度なのかということ。
コロナ禍で在宅勤務が進んだという体だが、何もしていないのではという疑問だ。
何をしていても常に寂しくて虚しい
理解するという言葉の意味をどう捉えるかだと思いますが、本人が理解していると思っているのがローリングだったりするわけです。
性別というのはなかなかに厄介な概念で、ほとんどの人は生物学的に「決定される」ものと思い込んでいます。精子を製造し吐き出すのが男性であり、その精子を受けて体内で受精し妊娠出産するのが女性だと、多分そんな感じで最初は決めたんじゃないかと思います。
ところが、その男女区別があまりにも社会にとって有用だから、男はこうすべき、こうあるべき、女は云々という別の社会的性別が出来上がっていった。ジェンダーですね。
なるほど、性別って社会的な定義でもあるんだなぁと思っていたら実はもう一つあった。
それが性自認だと思います。自分の性別の有り様を自己認識する能力が人間に備わっていたというわけです。
そして、それがマイノリティではあるけれど結構な確率で発生する。
何れにしても、性自認は言わば本能的なものであり、自分の自由意志ではどうにもなりません。
これを昔は、病気だと捉えて、性同一性障害などと呼んでましたが、今は性別違和と呼ばれ障害という概念はありません。
あるいは勘違いする人が昔は多くて、性別違和である本人ですらも、誤った認識であると捉える人も少なくありませんでしたから、おかしな人だとすら思われていました。
それが、社会がどうにかこうにか理解し始めるようになったのがつい最近です。
ところがこれに強固に反対する人がいるわけです。「性自認といって自分の意志で自由に選べるようになった」などと全く見当違いなことまでい大学教授すらいるのです。
フェミニストにこれが多い。自分たちこそ真の女性であり、あの人達はほんとは男なんだ、というわけです。
これでは理解とは言えません。