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はてなキーワード: 高慢とは

2019-04-20

ロスジェネつの大罪

暴食 「老人子供の手当てよりロスジェネに手当てしろ!」

強欲 「ベーシックインカム/生活保護レベルの手当てを寄越せ!」

怠惰 「ロスジェネ放置するとテロ起こすぞ?いいのか?…誰かやれよ」

色欲 「女をあてがえ!」

高慢 「介護職/地方なんて嫌だ!!」

嫉妬 「かわいそうランキング

憤怒 人生設計第一世代にブチ切れる

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ロスジェネ 怖い/ロスジェネ 棄民/ロスジェネ 年収/ロスジェネ 年齢/ロスジェネ 非正規/

就職氷河期 甘え/就職氷河期 自己責任/就職氷河期 性格悪い/就職氷河期 性格悪い/

人生設計第一世代

2019-04-16

anond:20190414185523

エリートどもは恵まれない環境弱者を憐れんでいる高慢なやつらだ』

ほい、新理論完成だ

2019-04-15

anond:20190414233813

どっちかっつーとその例えの年収を800万くらいにしたのが元増田だと思う。

自分ハイスペ激務ムリなのでそこそこの仕事年収800万で、正社員共働きかつ家事育児の大半をやってくれる嫁と子供

育児助けつつ子供学費援助してくれる親&義親がいる、だけど世間では年収800万の男は価値がないとか言われてる、自分みたいのは落伍者なんだよな」

って言ってる感じ。

で、「いやいや年収800万は世間一般じゃあ高収入な方だよ!しか環境にも恵まれてんじゃん、あんた十分勝ち組だよ!」と言われてる。

実際元増田立場で「仕事と家庭を両立してる有能勝ち組ワーキングマザーな私。独身子なしだの専業だのといった能無し女共と一緒にしないで」

とか言ってても何もおかしくない。

つーかそういう事言ってる高慢ワーママ連中の中にも元増田と同程度かそれ以下な人沢山いるだろうよ。

なのに「私落伍者なんですぅ」と言われると、本気で思ってんのか?それともただの自虐自慢か?

或いはそう本気で思えるくらい恵まれてる&世間知らずな上流階級戯言か?と感じられてイラっとくる人が多いんだと思う。

2019-04-14

上野千鶴子祝辞は「俺達の理論」を奪った

社会学者上野千鶴子東大入学式で述べた祝辞の内容がネットで話題になってる。

俺は自分TwitterのTLでたまたまこ祝辞が回ってきたので軽い気持ちで読んだ。

そしたら冒頭から女性差別の話が始まったので、「あ~上野千鶴子っぽいなぁ……」と思ってた。

ちなみに俺の上野千鶴子に対する前提知識フェミニスト学者のお婆ちゃんって感じ。

詳しくは知らない。

だが祝辞が終わりに近づいてきたところで俺は問題文章に行き当たった。

具体的には祝辞の以下の部分だ。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会あなたたちを待っています

そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。

あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます

がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれ環境と恵まれ能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」

これを読んで俺は絶句した。

何故ならここで上野が述べている理論は正しく「俺達の理論」だからだ。

こんなことを言うと統合失調症患者造語みたいに思われるかもしれないけど確かにこの理論は「俺達の理論」だ。

上野が述べていることって要するに、「東大生はたまたま環境能力に恵まれ東大入学することが出来た存在なのだからもっと謙虚になれよ🦁」ということに尽きると思われるが、これは俺達の様な低学歴低所得で親が子供への教育の大切さを理解せず教育投資してくれなかった者達が自分達の不遇を慰める為にこれまでずっと援用してきた理論だ。

決して上野の様なエリートが「環境能力に恵まれなかった者」として俺達を規定し、「環境能力に恵まれエリート諸君」は彼等を慮ってあげましょうね、という帰結に導く為に使ってはいけない理論なんだ。

ここで唐突に俺の話をするが、俺の父親は「子供中学まで出たら働かせてそれまでにかかった費用返還させる」というパンク教育方針の男だった。

だが俺が中学に在学してる時に父親DVが激化したことにより母親に連れられ母親実家へ逃亡し母子家庭になった。

それから離婚まではもう暫く時間はかかったけど。

それでなんとか高校まで進学させてもらえるようになった俺だが、俺の母親父親ほどのパンク教育方針こそ持ち合わせてはいなかったもののやはり教育の大切さを知っている親ではなかった。

本や参考書を買い与えてくれることもなく、塾にも当然通わせてはくれなかった。というより通わせる金もなかった。

当時の俺のお小遣い2000だしな。

俺がこの2000円を本や参考書を買うことに使ってたら今よりもう少しまともな頭になれてたかもしれないが、俺もまた環境的に教育の大切さを知らなかったので漫画買ったり牛丼食ったりしてた。

そして俺は高卒労働者になったわけだが、そうして社会に出て初めて俺は高卒だと差別する人達がいるということを知ったし、高学歴が高所得の道に通じてることも知った。

さら遅かったわけだが。

そうした俺達の様な低学歴人間高学歴所得人間をある時は貶め、またある時は自身の不遇を慰める時に使ってきたのがこの理論だ。

例えば官僚政治家不祥事を犯したりすると

所詮親に敷かれたレールの上を歩いてきただけのボンボンからな」

嘲笑する。

自分低学歴について馬鹿にされたり、単純に学歴話題になった時には

「親が全然勉強させてくれなかったからさ」

自己弁護して慰める。

こういう具合に俺の様な低学歴は恵まれなかった環境を盾に自分正当化したり弁護したりしてきた。

なのに上野のようなエリートが俺達を「たまたま環境能力に恵まれなかった者」と規定してエリートが憐れむことを推奨し出したら、それはかなりまずい。

ぶっちゃけて言えば俺は東大生のようなエリートには高慢でいてほしいとすら思う。

自分環境下駄を履かされたのではなく1から10まで自身の卓越した才能で苦難を乗り越え東大入学したのだ、というくらい自惚れていてほしいとすら思う。

彼らが自分達を「たまたま環境能力に恵まれた者達」だと自覚しそれを理由に俺達を憐れむ社会なんて地獄だ。

上野の述べるように東大生が謙虚エリートになってしまったら遂に俺達低学歴の立つ瀬はこの社会から消えてなくなる。

これが俺のお気持ち表明に過ぎないことは百も承知だがあえて言わせてもらいたい。

上野千鶴子は「俺達の理論」を奪うな。

2019-03-30

最近オタクの先鋭化はやはりラノベ元凶なのでは?

このまとめを見た。

【またお前らか】『なんでここに先生が!?』のブースツイートに、いつもの連中がイチャモン付けに来た。 - Togetter

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1331836

このおっぱい展示を擁護してる人を見るとある共通点に気づく。それはラノベオタクばかりということだ。

最近社会学VSオタクという構図になってきているが、同時にほとんどの場合社会学VSラノベオタクでもある。

なぜラノベオタクラノベという人文・社会科学産物を超好意的に嗜んでいながら反文学部的なスタンスなのかは興味深い話題でもある。

ひとつの仮説として考えたのは、ラノベオタクは人文・社会科学系の専門書を大して読んでいないということだ(多くの人は理系なのだろう)。そして彼らはラノベや彼らが「一般小説」と読んでいる類の大衆文学ばかり読んでいるということ。

彼らは人文・社会科学産物であるラノベを大量に読んでいながらも、その文脈理解しないままただ漫然とストーリーを楽しんでいるということになる。

これでは人格の涵養など望めないし、ネトウヨ感性のまま年を取っても仕方がないのかもしれない。

ラノベオタクたちは「俺たちは賢い」「他のやつらはバカ」というスタンスが基本になっている。

とても自信に満ち溢れているように見える。

彼らは自分は「読書家」だから知的人間だと思っているのだろう。

彼らが読んでいるのはたかが「小説」にすぎないのだが、しかし「小説」も「本」には違いない。

「本を読んでいる=賢い」というような思い込みがあるのではないか

ラノベオタクたちの高慢さ、傲慢さを見るとそういったものを感じる。

彼らを観察していると、年齢の割に教養のなさ(雑学的な浅い知識だけは豊富)、バランス感覚のなさ、他者への配慮のなさ、といったものをすごく感じる。

深い理解に基づく知識のなさや教養の欠落などは大した問題ではない。問題なのはラノベオタクたちが社会の中で厄介者化していることだ。彼らは被害者意識がとてつもなく強く、他者への攻撃性が高い、ということは外から観察している人にはよく見えていることだろう。

いい大人なら社会というのは人と人との衝突(それも陳腐な衝突だ)が日常的に起きるということを知っている。主義主義思想思想、思惑と思惑、そういったものは衝突するものだ。

彼らが絶対原理として掲げる「表現の自由」だが、もちろんこれも他の主義思想との衝突は避けられない。どんなもの絶対不可侵はいられない。それが社会というものだ。絶対安全圏などない。ここは永遠安寧の天国ではない。

だが、ラノベオタクたちにはこういったことがわからない。社会とは他者との関わりあいだということが理解できない。教条主義に陥っているラノベオタクたちは結果的文字通り「信者」のようなものと化す。したがって、思考は粗雑になり、「正義オタクVS悪のフェミ」という安易な構図・構造でっちあげられるに至る。ここには「対話」「相互理解への意志」といったものはない。

表現規制への反対」これは大いに理解するし共感もする。ただし、攻撃的だったり刺激的・煽情的表現はつねに他の主義思想と衝突することにもなる。だからそこで「対話」が必要になる。議論をして社会の中で落とし所を見つけていくことになる。もちろん一方的排除であっては絶対にいけないし、かといって完全な許容にもならないだろう。

社会の中で生きるということは自分を全肯定されることでもなければ全否定されることでもない。こういったバランス感覚ラノベオタクには欠けているように見える。とてもナイーブで0か100かという思考になっている。彼らには「中間」の状態理解できないのかもしれない。

あるいは溢れる想像力が「中間から「極端」への推移を瞬時に見越してしまって危険信号を受信するのかもしれない。

だがそれこそが教養のなさというものであり、現実の複雑性を理解していない証拠ともいえる。極めて幼稚な思考といっていいだろう。幼稚な想像力に溢れる彼らには大人想像力がない。

ここまでいろいろ書いてはみたが、ラノベオタクには何を言っても無駄だろうということも感じている。

したがって、社会ラノベオタクという厄介者をどう取り扱っていくのかという問題になってくる。

今回書いたようにオタク一方的排除であってはいけない。オタクにも生存権を与えなければならない。ただ、オタク表現社会規範と衝突することが極めて多い。

からゾーニング」という話になってくる。

しかオタクは「ゾーニング」を「表現規制」と言い換えて反発している。

さあどうしたものか。

2019-03-29

最近オタクの先鋭化はやはりラノベ元凶なのでは?

このまとめを見た。

【またお前らか】『なんでここに先生が!?』のブースツイートに、いつもの連中がイチャモン付けに来た。 - Togetter

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1331836

このおっぱい展示を擁護してる人を見るとある共通点に気づく。それはラノベオタクばかりということだ。

最近社会学VSオタクという構図になってきているが、同時にほとんどの場合社会学VSラノベオタクでもある。

なぜラノベオタクラノベという人文・社会科学産物を超好意的に嗜んでいながら反文学部的なスタンスなのかは興味深い話題でもある。

ひとつの仮説として考えたのは、ラノベオタクは人文・社会科学系の専門書を大して読んでいないということだ(多くの人は理系なのだろう)。そして彼らはラノベや彼らが「一般小説」と読んでいる類の大衆文学ばかり読んでいるということ。

彼らは人文・社会科学産物であるラノベを大量に読んでいながらも、その文脈理解しないままただ漫然とストーリーを楽しんでいるということになる。

これでは人格の涵養など望めないし、ネトウヨ感性のまま年を取っても仕方がないのかもしれない。

ラノベオタクたちは「俺たちは賢い」「他のやつらはバカ」というスタンスが基本になっている。

とても自信に満ち溢れているように見える。

彼らは自分は「読書家」だから知的人間だと思っているのだろう。

彼らが読んでいるのはたかが「小説」にすぎないのだが、しかし「小説」も「本」には違いない。

「本を読んでいる=賢い」というような思い込みがあるのではないか

ラノベオタクたちの高慢さ、傲慢さを見るとそういったものを感じる。

彼らを観察していると、年齢の割に教養のなさ(雑学的な浅い知識だけは豊富)、バランス感覚のなさ、他者への配慮のなさ、といったものをすごく感じる。

深い理解に基づく知識のなさや教養の欠落などは大した問題ではない。問題なのはラノベオタクたちが社会の中で厄介者化していることだ。彼らは被害者意識がとてつもなく強く、他者への攻撃性が高い、ということは外から観察している人にはよく見えていることだろう。

いい大人なら社会というのは人と人との衝突(それも陳腐な衝突だ)が日常的に起きるということを知っている。主義主義思想思想、思惑と思惑、そういったものは衝突するものだ。

彼らが絶対原理として掲げる「表現の自由」だが、もちろんこれも他の主義思想との衝突は避けられない。どんなもの絶対不可侵はいられない。それが社会というものだ。絶対安全圏などない。ここは永遠安寧の天国ではない。

だが、ラノベオタクたちにはこういったことがわからない。社会とは他者との関わりあいだということが理解できない。教条主義に陥っているラノベオタクたちは結果的文字通り「信者」のようなものと化す。したがって、思考は粗雑になり、「正義オタクVS悪のフェミ」という安易な構図・構造でっちあげられるに至る。ここには「対話」「相互理解への意志」といったものはない。

表現規制への反対」これは大いに理解するし共感もする。ただし、攻撃的だったり刺激的・煽情的表現はつねに他の主義思想と衝突することにもなる。だからそこで「対話」が必要になる。議論をして社会の中で落とし所を見つけていくことになる。もちろん一方的排除であっては絶対にいけないし、かといって完全な許容にもならないだろう。

社会の中で生きるということは自分を全肯定されることでもなければ全否定されることでもない。こういったバランス感覚ラノベオタクには欠けているように見える。とてもナイーブで0か100かという思考になっている。彼らには「中間」の状態理解できないのかもしれない。

あるいは溢れる想像力が「中間から「極端」への推移を瞬時に見越してしまって危険信号を受信するのかもしれない。

だがそれこそが教養のなさというものであり、現実の複雑性を理解していない証拠ともいえる。極めて幼稚な思考といっていいだろう。幼稚な想像力に溢れる彼らには大人想像力がない。

ここまでいろいろ書いてはみたが、ラノベオタクには何を言っても無駄だろうということも感じている。

したがって、社会ラノベオタクという厄介者をどう取り扱っていくのかという問題になってくる。

今回書いたようにオタク一方的排除であってはいけない。オタクにも生存権を与えなければならない。ただ、オタク表現社会規範と衝突することが極めて多い。

からゾーニング」という話になってくる。

しかオタクは「ゾーニング」を「表現規制」と言い換えて反発している。

さあどうしたものか。

2019-03-18

タイタニック観終わったけど

タイタニック三角関係

宮崎アニメ感性に近いな

純粋な絆で結ばれる二人の男女と

高慢金持ちヒールの男

女性ヒールを拒絶

タイタニック冒険活劇じゃないか

ヒール世界征服とか野心はないし

女の両親はこの縁談を後押ししてるけど

2019-02-28

日本本質的な男女格差問題って

女性側の無自覚受身投げっぱなしな姿勢も原因のひとつな気がする

役割への旧世代的な根強い意識は同性による偏見意識問題として挙がるけど、問題意識があってアンテナはってるような今の若い子でも権利は勝ち取りに行くのじゃなく享受できるようになるまでただ待つものって無意識言動に出てるの結構見るから

頭のどこか深いとこに世の中男性社会男性に決定権があるから女性は前に出ないってそういう事を自ら認めてるとこがあるようなそんな感じ

どうせ女性じゃ何も出来ないんだから男性が全てやるべきでやってくれないなら現状維持しかないと思ってて愚痴や不満こぼして溜飲下げてるっていうか

要望だけ伝えて待って無理なら受け入れるしかない、不公平だって考え方

自分男性優位に思考を傾けてるのに洗脳状態に近いのかすりこみなのかその自覚がない

ある意味逆にお姫様思考みたいなもんなのかもしれないけど

自分問題なんだから言動にはどんなものでもそこに責任はのるものなのに男性側がそれも負うのが当然て感覚

昔は男性側が責任負う代わりに女性権利男性側に預けて(奪われて)たけど

その状況から脱する事、変化を望んでるはずなのに自分言動への責任感が薄い

大人なら女性側も選択して状況を判断して行動を起こすか起こさないかの決定権は皆持ってるしそこに責任も伴う

配偶者パートナーへの意識格差への不満はよく聞くけど、それなら解消のために行動すべきなのに多くが要望を提出してそれが通らない事に怒り嘆いてるだけのように見える

それか夫婦平等立場なのに、となぜ相手が変わる事に自分が苦心しなければいけないのかと憤ってるか

望んでも変わらない自ら行動を起こしてくれない相手自分が選んだ事、その関係を維持してる、または関係破綻した場合とを天秤にかけて維持する事を選択しているその責任存在理解してない

子供金銭面や人間関係環境が行動を制限させる、出来ない、というのも聞くけどそれはされる、出来ないんじゃなく自分自身メリットデメリットを考えて制限し、やらない事を選んでるに過ぎないから(暴力なんかの問題は当然別

そういう意識が薄い

もし生活する上で権利と義務に対する価値観の違う人間と共にいる事を受け入れ一定環境の維持を望むのだとするなら、平等権利を主張できる状況で相手に変化を求める上で、不平等を訴え相手を変えさせ自分理想とする環境を手に入れるためそれを口に出す事、そこへ向けて行動する事が必要になるのは当然で

から男性側は当たり前にやっていて、それは自分が言ってやらなきゃ分からない言えば思い通りになるだろう、というような蔑視的なとこからから権利平等にする自立した他者への視点とはまた違うんだけど

その高慢さのような"別の人間を変える事"に必要一種の当然の労力の存在への理解が足りないように思う

環境が変わるのを自分を哀れんでただ待って、夫が言っても変わってくれない酷い夫だ男は酷いなんてただ言うだけなら、夫ったら酷いのよ、と鬱憤を隣の奥さん愚痴って家ではそれはそういうものから仕方ないの、って言ってなあなあに問題のある男性達を増長させて来た旧世代とかわらないし問題意識がある分余計に根が深いように見える

なぜ相手を正すのにこっちがいちいち、という憤りはまるで、言わなくても自分理解して気を回して変わるもの常識を考えろお前は何も知らんのか、なんてそれこそ上の高圧的な男性達よりもっと酷い旧世代の悪しき男性像のマインドのものだし、そんな傲慢さはもう今はどんな人間関係にも必要ないし、平等さじゃなくそういう男性立場自分が求めてる人なのかなと思ってしま

それともそういう傲慢人間同士で平等に殴り合い罵り合いがしたいのか

家事育児参加(家事と同グループ育児を入れる事も参加って使い方も好きじゃないけど)の第一歩に簡単ものから教えて手伝って、やった仕事には感謝して、というようなのも、中には表現によって違うんじゃないそれはと思うものもあるけど自分がそういう相手を選んだという責任の下で大筋は極々普通の事で

自分が望まずかもしれないけど少なくとも一旦は受け入れた労働の不均等の是正のために負担共通のものとし、と始める折にノウハウがある方がそれを伝える事、出来なければ手を貸して、労わり合い、負担を共有するなら相手が成した事は自分負担の軽減でもあるのだから共に感謝を、なんて人として本当に当然の事に対して、なぜ謙らなければいけないのか、と憤り、立場平等からこそ必要な、男性側だけでなく多くに求められる相手への敬意を、甘やかす事だ、単なる隷属だというように捉えて何で自分がと嫌悪する姿はまるで近年顰蹙を買う居丈高な夫よりまだ旧時代的で

それが女性平等権利の主張、理想立場だと思っているのだとしたら頭が痛くなる

そういう男性が今非難されるのは、人として当然の敬意を欠いた言動時代による権利優越性で許されていたのがそうじゃなくなって来たからで、男性から、ではないのに女性から男性へ矢印が向けばそれは許されると思うのはどういう感覚なんだろうと思う

ものを望むなら行動を起こさなければいけないし、相手に変わる事を望むなら相応の行動が必要で、ただそこには人としての敬意でもって臨むべきで

権利バランス平等にとるために必要なのは男性がそうあったような人としての当然の敬意を女性にも勝ち取る事であって、女性立場女性自らのその意識が何も変わらないままで男性権利を奪う事ではなく、また公平な権利であるとした時に問題になるような立場女性からと許される状況を作る事でもないし、そんな考えで権利平等化に現実的必要不可欠な男性側の意識改革なんてなせるわけないのに

それじゃただの悪政を敷く王の首の挿げ替えでしかないんだからそこに大義平等を訴える正当性もない

女性が声をあげ行動に移すっていうのは男性判断を仰ぐって意味でも、女性を虐げて来た男性そのままになり代わる事でも、行動しない責任男性押し付ける事でもない

色んなものを強いられて、奪われて、虐げられて来たんだからそそうして来た男性が行動すべきだって声も聞くけど、男性が悪いのにどうして被害を受けて来た側が、男性が何もやってくれない、お前らが変われよと何もしないまま言ったところでそれまでそうやって生きてきた大人が変わるわけないし、その結果女性が何も得られず、それでそんな問題象徴のような男性は何か困るのかって話で

本当に丸投げで変わるならどこの国のどの時代のどの女性もストもデモ権利を得るための暴言吐かれながらの運動も何も必要なかったはずで

女性が行動しなければ、行動してもまだ変わらない男性傲慢理不尽さの話とそこから権利を得るために、守るために必要ものとその責任は別の話だから混同すべきではなく

これはブラック企業社蓄なんて話とも同じなんだけど

そういう男性がそうなった事、旧世代女性にしても個人個人にその責任は求めるべきではないし、暴言を吐いたり自分の事ひとつまともに出来ないのはその男当人責任で、そんな環境に望んでもいないのになってしまった、それ自体にも女性責任はない

ただそれを維持し続けるという何かしらの選択を日々している今の自分への責任はある

どうせ何も変わらない、何で自分がと行動しないのも何を思うのも自由だけど最低限それは一人の人間責任において状況を判断し、そうする事を選んだんだって意識は持つべきで

そうじゃなきゃそれは自分自分庇護される幼い子供のように一人の人間としてその行動に責任が生じない程度の存在だと認めてるようなもの

そういう責任区別への意識自身への責任意識の有無が女性の生きる上での権利負担に影響してもいるように思うし

それは女性自尊心が関わる話で、時代過去の扱いも関係してるものから責任意識の薄さそれ自体への責任も無いんだけれど

無いんだけども日本における意識格差問題の一旦にはやっぱり思える

難しい

2019-02-17

そもそもノーベル平和賞ってなんだよ

何を持って平和に貢献したと位置づけるんだろうな。

始皇帝暴力によって中華統一を成し遂げた行為だって平和への貢献って言えるじゃん。

その一方でガンジーみたいな非暴力主義こそが平和への貢献って風潮もある。

じゃあ何を持って平和賞って言うんだよ。

個人的意見としては、そもそも存在しちゃいけない賞なんじゃないのかノーベル平和賞って。

科学文化の発展に貢献した人物を決めるぐらいならいいけど、平和という概念についてまで踏み込んでくるのは流石にやりすぎだろ。

試しに恐山イタコが頭に蝋燭の代わりにダイナマイト巻いて降霊してみたら、俺はそんなことやれとは言ってないんだけど何やってくれてんの?、みたいなコメントが頂けるんとちゃいますかね?

あくま個人的意見ですけどね。

別に、そうやって誰かが平和定義を決められると考える高慢な発想こそが争いの原因なんだお前らみたいな奴らこそがこの世界戦争を撒き散らす張本人なんだトランプノーベル平和賞なんて言い出したのは単なる世迷言なんかじゃなくてノーベル平和賞性質トランプ政権性質の近さがあってこその物であってあの大統領は本気で自分こそノーベル平和賞に相応しいとすら思っているだろうしそれに対して胸に手を当てて考えろというのならノーベル平和賞を選んでいる奴らこそがまずは一度それをやってみせるべきななんじゃないのか、とまでは言うつもりは無いわけですけど。

2019-02-08

anond:20190208212728

判断するのは下方婚くんじゃないんだけどね。

まあ、自分醜態よく見てみなよ。

稼ぐ女に選んでほしいと言ってるのに、女への気遣いゼロ

稼ぐ男に選んでもらうために女がどんなことをしてるか考えてみな。

ああ、例えて言うなら、わがままたっぷり高慢なのに、高年収の男が選んでくれると言ってる勘違いしている女が君の女バージョンだ。うん。君が叩いている人間だね。

2019-01-30

オタクって教養バカにしてるけど、反知性主義なん?

ほんとにちゃんとした大学行ったのか謎だ。オタク教養バカにした方が頭いいみたいなスタンスだけど、こういう意見って世間ではどう思われるんだろう。一種中二病にも見える。バカ自分より優秀な人間をけなして俺すごいしてるようにしか見えないのだけど。日本では院卒の高学歴が不遇だといつも問題になる。オタク教養叩きもそういう世間の風潮に一役買っているという自覚はあるのかしら。

きみたちの大好きなアニメ漫画ラノベだって比較教養のある側の人によって作られているんだよ。消費するだけのオタク教養がなくてもいいかもしれないけど、きみたちが漫然と大量に消費してるコンテンツも作り手の教養によってうまく成り立っているの。教養のない人間ものを作ると『ポプテピピック』のようになるわけ。

比較高学歴が集うという設定になっているはてなですら高等教育の失敗を感じるって悲しいことだ。

こういうことは教養のない人間に言ったところで意味がないのかもしれない。ただ、上位3%程度の人たちには届いてほしいなとは思う。オタクたちの声に惑わされないで勉学に励んでほしい。何事にも好奇心を持ち、情報鵜呑みにはせず批判的な視点を持ち、多様な知識や物の考え方に触れてほしい。そしてじっくり自分で考える習慣を持ってほしい。薄っぺら知識の寄せ集めで自分が全能であるかのような錯覚に陥り、高慢に世の中を冷笑してみせることは教養を持つ人間のすることではないのだから

anond:20190128193504

落ち着け、まだ1年が終わったとこだ。先輩や指導者ときちんとコミュニケーション取れ、相談していいし泣き言も言えばいい。ほとんどの人が多かれ少なかれ通ってる道だ、そしてまだ巻き返せる。

高慢に気づいたのを幸運と考えろ。かなりラッキーだ。学究は常に真摯であるものにのみ実るのだから

2019-01-12

anond:20190112141101

キャリアもあって、活動の末旦那も手に入れ、これっていわゆる勝ち組ツイッターものろけまくってみんなに羨ましがられて自己顕示欲満たしてホルホルしてたら

旦那の行動でそれが壊れてしまったわけで

今まで上から目線で偉そうに言ってたのに「旦那失敗した」とかプライド邪魔して言えない

散々内心馬鹿にしてたシングルマザー貧乏人や不仲な家庭っていうのが迫ってきて、それにだけはなりたくないと発狂

だが今までウエメセで集めたフォロワーからは同情をえられるわけもなく、それ見たことかと馬鹿にされ、アイデンティティずたぼろ

旦那を捨てることで、「バツイチキャリア女性」の地位を保とうとするが、あくまでも自分は悪くないという設定が必要なため、「フォロワーがぐだぐだ言うから降ろしてやることにしたよ!こうなったのはおまえらのせいだ!」

責任転嫁して自分の心を無理矢理納得させてカワイソウナアテクシを演じようとしている。

見ててサイコー楽しい

衝動的に煽られて子供殺して離婚して、二度と産めない身体になったらどーすんだろーね

産めという人はお金全部出してくれるんですか、って言ってるけど、じゃあ降ろした後に二度と産めない身体になったとしたら、責任フォロワーもとらないのに

こういう偉そうなプライド高慢ちきな人が周囲に煽られて転落していく様、囲いの気持ちがわかるぜwwww

2018-12-15

anond:20181215230001

いや東大の奴らもあれ口で言ってるだけだって

俺も京大現役で受かったけど一応努力してました風味出さないと高慢に思われるかと思って、そういう話題になったら死に物狂いで勉強しましたっていつも言ってたもん

2018-12-01

anond:20181201170127

「本を読むことは高尚」のような高慢さがこぼれています

大衆小説を主に読む人をふと見下してしま

読書が好きだ」と言ってしまうと、だいたい「どの作家さんが好きですか?」といった話になる。その時点で「あぁ」と合点がいったような気持ちになる。

「しいていうならフィリップKディックかなあ」というふうに答えれば、「どの作家さんが」という質問のっけからかましてくる人がこうした作者たちを知っていないことも多く、読書が好きという共通点がない人よりも話題がなくなってしまって距離が広がってしまう。ひどい人になると「作家知っていますクイズ」をいくつか繰り出して、その正答率如何によっては「あなた全然作家さんを知らないんですね。もっと本を読んだほうがいいですよ」というふうに忠告してくることもある。それは苦笑しつつもひとつ警鐘としてうけとっている。

ぼくははやりの作家さんの本を読まない。そういった情報をあえて取り入れようと思っていない。たまたま本屋に行ったときに「ベストセラー」「話題の本」というのが目につきやすいところにあって、さらに興味があれば手にとって見るものの、だいいち本を読むにあたって作者の名前を見ることが稀なので、読んだことがある本でも誰が書いたということはあまり記憶していない。まず大衆が多く好んでいるという時点で何割増しか批判的になってしまう。

ぼくが小説で読むものといえばSFノンフィクションあるいは伝記(とくに自伝)に偏っていて、東野圭吾さんの作品など全く読まないではないけども、基本的にみずから手にとることはない。ぼくが読むものの多くは専門書や入門書か、そのあらましを記述したものあるいは小論・随筆が主であって、文庫本の中でもそういった方面のものをよく買っては読んでいる。したがって「小説的なものというのは頭を使いたくないときに読むものだ」と己の中で分類されきっている。

その上で「読書が好き」という言葉の組み合わせが耳に入ると「きっと大衆小説を読むことがという意味なんだろう」と穿ってしまって、最近ぼくは自分のことを「読書好きではないのかな」と感じ始めている。

本をたくさん読むことは悪いことではないと思うけど、「本をたくさん読んでいるから偉い」「本を読むことは高尚」のような高慢さがこぼれ出ているようにみえて、ぼくは表題のとおりに感じてしまう。まあそれはぼくにもあるんだけど。

2018-11-26

その後の紆余曲折についての疑問が散見されたので、簡単に概略しようと思います。概略の分量でも無い気がしますが。

都会に飛び出してから数年は、まだまだ地獄のような生活を送っていました。他人を人と思わないサイコパス気質と持ち前の高慢さ・プライドの高さや、さしたる目標が無かった上に、非常に怠け者というのがありました。職は責任感もなく、入ってはすぐ辞めてと、点々としていました。同僚と思うように関われず、一方で女遊びは続けていました。同僚はどんなにふざけた人でもぼくから見れば異様なほど仕事熱心で、お金を稼いで生きることに特に疑問を抱いていないようでした。会話が噛み合わないことも多く、どこでも孤立していました。女遊びは、遊ぶというより、それが唯一の生きがいとして、ひとつミッションのように感じていました。経験人数が1人増えるごとに自分が認められているような気がしたからでした。

いろいろと挫折したあと、2度ほど地元Uターンし、でもまた熱に冒されて都会に出るというようなことも繰り返しました。両親の状況も糞のようになっており、順風満帆とは言えませんでした。でも、そういうふうに生きているうちに「自立することが大事」だと思うようになっていきました。当時はそんなふうに言語化できていませんでしたが。曲がりなりにも仕事をして、めちゃくちゃなりに人生を生きて、他人と接し「これが現実か」とうなだれていました。

ある日「こんな人生はもう嫌だ」と思い至りました。この時点ですでに当時から5年ほど経過していました。そんなことは常に抱えていた問題だったとはいえ「何かしら対策を打たなければいけない」とここで初めて思いました。すでに「死ぬ」という選択肢はかなり小さいものになっていて「ぼくにとってやりたいこととはいったいなんだろう」という風に考えていました。大してやりたいこともなかったわけなので全然思いつきませんでしたが、「もしこうなっていたらいいな」という夢物語のようなものがありました。それは漠然としていて、およそ目標とは言いがたい、「世界平和になったらいいな」というような感じの類のものでしたが、とにかくそれを考えました。これはぼくのアイデンティティに関わってくるもので、身バレしてしまうので伏せておきます。いつか話したいと思っています。以下すべて抽象的な話になりますが、申し訳ないです。

ともかく、ぼくはそれに身を捧げる覚悟を決めました。首を吊ったとき覚悟とある種同じで、大した勇気はいらず、ただ、よしと決めて落ちればいいだけでした。情熱とか成功とかそんな上品ものではなくて「俺はこれで生きる」「これで失敗しても構わない」「これで終わって地獄に落ちても仕方がない」「少なくとも今よりはマシだろう」という悲愴に満ちたネガティブな、他のもの犠牲にする落ち方でした。「死ぬ気でやってみろ」という言葉ポジティブさとは似て非なるものだと思います

「怠け者が一夜にして努力できる人間に変わる」なんてことはありませんでしたが、離散的だが継続的であるような一定献身によって、少なくとも状況がだんだんマシにはなっていきました。少なくとも日常世界では、何かに殉じる人はそれほど多くないからかもしれません。ぼくの選んだものが良かったからかもしれません。ただしそんなにうまく行かず、その後、絶望と言えるほどではないけどまた鬱々とするような状況がやってきました。死がどうとか考えるときがありました。ただ、これはもはや癖みたいなもので「死なないって決めたからなぁ」のようなのんびりとした気持ちもありました。今度は金が尽きかけたときに「そろそろ働かないと」「ただただ働きたくない」という思考になりました。すでに地獄の底ではなくて、地獄の地下1階程度にまで移動していました。

そうした好循環によって、ある日「人生制御可能」だと思えるときがやってきました。「お金に困らなくなった」という状況も心に余裕を産ませる原因になりました。「自分が動けば事態は良くなりはじめる」という信念が、非常に強固なものになりました。それで、まあ、そんな感じです。あまり参考にはならないかもしれません。

2018-11-20

普通とか常識という概念をこうも軽々に使う人って、

自分はそれらに守られてきた社会的強者ですって高慢さが透けて見えて感じ悪いよね。

その普通常識人種LGBTを殴ってきた歴史は忘れたんだろうか。

2018-10-29

ドイツ人LGBTの人に対する本音も結局は

ドイツ日本よりも差別に対して不寛容だし、多様性を受け入れることこそが正義、みたいな風潮がある。

LGBTパレードがあればLGBTでない人もレインボーの旗を振り回して行進するし、街によってはパレードがある日に多くのお店が店頭レインボーの旗を吊るしたりディスプレイしてたりする。

もちろん差別をなくすのは良いことだと思うんだけれど、ただ最近やはりドイツ人のこの態度は表面的なものなのかなと思い始めた。

ドイツにある下らない(けど面白いドキュメンタリー番組Germany's next Topmodel。

ドイツから若くて綺麗でスタイルの良い女の子たちが集まって来て、毎回水着姿とかで撮影をしてどんどん選別されるというどこか残酷番組なんだけれど、今シーズンLGBTの人が出ていた。

https://www.youtube.com/watch?v=BAwLbRdUAFQ

https://www.youtube.com/watch?v=5BwNTzVx3JA

彼女番組が始まってすぐに落とされるんだけれど、YouTubeコメント欄でかなりDisられている。

ハッキリ”気持ち悪い”と書いている人までいて、しかもそのコメントをたしなめる人もいなくて驚いた。

そもそも低俗番組だし、YouTubeコメントしているのも子どもなのかもしれないけれど、普段ドイツから想像できないコメントだった。

彼女高慢キャラクターが余計に反感を買っている部分もあると思うけれど……

(「あんたたちとはレベルが違う」って他の子に言ったりかなり感じ悪い。)

後、関係ないけれどメイン審査員ハイディ・クルム彼女アヒル口批判してて、アヒル口が嫌われるのはドイツでもなのか~と思った

2018-10-14

anond:20181013125548

こういう形の批判をする人ですら、「オタクがやったこと」にして叩くんだよな。なんで後半で「高慢な態度のオタク」と急に言い出したの?

2018-10-13

ネタタグ不快感やばい

他人が考えて発言したものに対して、「ネタタグつけて冷笑している人間はてなには多すぎる。古くからあるはてなー流のマウント芸ではあるが。

もはや真面目に物事を考えようという意志存在せず、気に入らない発言はすべて「ネタ」扱いで茶化して冷笑するのが癖になってる。

彼らは「俺は一段も二段も上のステージにいるぜ。世間バカどもときたら今更こんな話かよ。やれやれだぜ」そういってニタニタしながら全能感に酔うことにしか興味がない。

冷静に考えてほしいんだけど、きみらって別にそんなに頭良くないよね。なんでそんなに自分が偉い、正しいと思っているの?

高慢な態度のオタクがほんとに増えた。ネット時代になり、検索すれば各分野の初歩的な解説は出てくるようになった。でもなんでそれだけ読んですべてわかった気になっているのか。

自分の好きなものに対する雑語りを絶対に許さなオタクたちが、自分の知らない他分野、他ジャンル問題に関してはたった今検索して知ったような浅い知識だけですべてを知った気になって冷笑している。他人に厳しく自分に甘い。自分被害者意識だけは強く、他者に対する攻撃性は高い。

30歳を過ぎたいい大人たち(あるいはすでに50歳近いのかもしれない)が「ネタタグつけていまだに冷笑家やってる。斜に構えることしかできなくなった。いつの間にかそれが自分生き方になってしまった。そんな人たち。当事者意識がなく、上から見下ろす全知全能の神のような態度が当たり前になってしまった人たち。

科学的態度は人に客観性を身につけさせたが、そのせいで人は高慢になってしまった。実際に物事の中に入っていって役割を演じる人たちのことを、自分安全なところで冷笑するだけ、そういった観察者、傍観者が増えてしまった。「俺は批評するだけ」

勘違いしないで欲しいのは、きみらは観察者でも傍観者でもなく、プレイヤーの一人だということだ。

2018-10-10

アニメ漫画ラノベオタク理系ネトウヨって自分の知らない世界についても自分知識常識だけで雑語りするんだな。単純な文章読解力のない人が多いし。決めつけがひどくて、他者(の発言)を理解する気などまったくなく、やたらと攻撃的で高慢

自民党としてはこういう連中が増えてくれると助かるんだろうな。

2018-10-08

もっと世の中の常識を教えてほしかった。

かなり変わった両親。自分の作った安っぽいワンピースを着て親戚の結婚式に出たりするような母親。当然子供自分母親の作った服(着づらいしださい服)とかを押し付けられてた。そうじゃなければ従兄弟達が着古してダンボールいっぱいに詰め込んで送ってきたボロくてサイズも合わない服とか。

両親というか自分一家は親戚からも浮いてた。親戚のあつまりでも、そうじゃない場でも、母親はいつもその場の空気を凍らせるような発言ばかりしてた。自分学校友達になじめない毎日だった。親を見習って無神経で自己中な態度だったから従兄弟たちからも嫌われてた。

大人になり、自己肯定感が重要自分の事を好きになれ、自分ありのまま受け入れろって言われても無理だった。大人になって、自分いかに世の中の普通とか常識ほとんどなにも知らないで育ったか思い知る事ばかり。(母親の口癖は「そんなもの常識」だったけどね)

自分無知さが恥ずかしい。仕事の会食でもマナーがわからなくて恥ずかしい。空気とか読めない。服装もなにが普通なのかよくわかってないかユニクロ無難そうなものを選んで着ているだけ。流されやすくて、気がついたら自分の好きでもない苦手な事を必死でやっていて一人でつらくなってたりする。

自分非常識で変わり者で恥ずかしい。消えて無くなりたい、生きている価値ない、社会に何も貢献できない、と感じる。でもそれと反対に、人より意識高い面もある、と思い込みたい高慢な面もある。幸せに生きて行くには、自分を受け入れる事からっていうけど、嫌いだから受け入れられない。もっと別の人生を生きたかった、別の両親のもとに生まれたかったって毎日思ってる。

2018-09-19

anond:20180919011427

団塊世代高卒中卒が現代人よりも一貫してハッピー経験しかしなかった苦労知らずのように一方的に決めつけるのは、さすがに後世の人間高慢を感じる……

そういう側面もあろうが、そりゃ団塊ちゃんたちが能天気に見えるのはしゃーない。

そもそも増田には世代論や社会論を誰かに伝えるための知識ボキャブラリーが欠けているとも感じる。

団塊世代が後の世代と比べて異なる点は、単に数が多いだけではなく、「未来はただ明るく希望に満ちている」と思える時期に若者だったという点だ。

団塊世代戦争を知らない世代でもあり、朝鮮戦争特需のころに子供時代を過ごし、生活が「どんどん良く変わっていく」ことを実感して育った世代

一方でそんな都合のいい景気成長が続くわけでもなく、また、社会が豊かになるにつれて入ってくる情報量自体も増えるから耳触りの悪い情報も増えてく。

なので、団塊世代以降は、成長する日本恩恵と同時に公害やら高齢化やらオイルショックやら冷戦やらなんやかんやの事件社会情勢を見ながら、未来は必ずしも明るいと限ったわけでもないと感じて育ってきた(らしい。自分の親がそんなことを言ってた)。

この辺は自分戦後史と戦後風俗の年表でも作ってみたら。年表に団塊世代の年齢とその後の「シラケ世代」とか言われたりしてる世代の年齢をあてはめたりすると実感しやすくなるよ。彼らが14歳の時に、17歳の時に何が起こったかと見ていくと面白いし、少しはマシなことを考えるための材料にはなる。ついでに自分の年齢も現代史年表にあてはめてみてみると面白いよ。

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