はてなキーワード: 予知とは
[地震][前兆][予知][FM電波][電離層][DEMETER][GPS][だいち2号]
フランスは〇四年、電離層での異常を観測するための小型衛星DEMETERを打ち上げ、
既に九〇〇〇例の世界のM4・8未満の地震について、発生数時間前に電離層内でのVLF帯の電波強度が低下することを見出している。
2010年のM_S7.1ハイチ地震前におけるDEMETER衛星で観察した電離層じょう乱 | 文献情報 | J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンター
電離層の変化、東日本大震災でも…予知に有望? : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
大地震、5~6日前に「前兆」 上空の電離層乱れる :日本経済新聞
[B! Science] 大地震前兆現象の仕組み解明 上空の電子変化、予知に期待―京都大:時事ドットコム
[B! 災害] 大地震発生直前に観察される電離層異常発生の物理メカニズムを発見―地殻破壊時に粘土質内の水が超臨界状態となることが鍵―
主人公が未来予知能力で将来スパイダーウーマンになる3人のうち一人の名前がアーニャなので実質スパイファミリー
google "お産 救急車" 破水や陣痛で救急車を呼ぶのは日本では推奨されていないんだけど、NYFDの主人公の同僚(ベン・パーカー)の義理の妹が破水したとき救急車呼んでたよ(そのあとのお約束カーチェイスのため作劇上の必要性優先。日本のテレビだとテロップでエクスキューズが出るか)
主人公らが攻撃系の特殊能力を持っていないからしょうがないんだけど、敵との戦いが「未来予知で都合がいいことが起きるのを利用する」(だけ)だからスカッとしないんですよね
ウーピーゴールドバーグマシンやボンバーマンみたいに「敵にとっての事故が起こる場所を作ってそこに嵌める」ではなくて爆発の破片が飛んでくるタイミングを予想する、とか、崩れてくる看板が直撃する場所を利用する、だから避けようがない。運でピンチを乗り切り不運で悪役は倒される。
…これ楽しいか?
シナリオ教室で「偶然は使いすぎちゃダメだよ」って言われるのが何故なのか身に染みるプロットでした
自己所有の電動キックボードを特定小型原付のナンバープレートも付けて乗っている。
なるべく法規走行を心がけているが、遵法するには何かと辛いので実情を書き残しておく。
いわゆる6km/hしか出せない状態(特例特定小型原付)になれば歩道を走れる!が売りなんだけど、走れるのは「自転車通行可」の歩道だけなんだよね。みんな知ってた? 近所で「自転車通行可」の歩道ってどれくらいあるか意識したことある?
正解を言うと、「自転車通行可」になってるのは広くて自転車用と歩行者用で線が引かれてるような歩道だけ。まずそんな歩道が少ない上に、自転車に混ざって車道寄りを走る必要がある。そこで6km/hってクソ遅くて使いものにならないよ。早歩きより遅いよ。なんなら押し歩きしたほうが早い。
そんなわけで6km/hモードは実運用上全く意味がないので、法律上走れるのは車道だけにしたほうがよかったんじゃないかと思ってる。この「歩道を走れる」が誤解を呼んでLUUPとかが暴走してるんじゃねぇの。走れる歩道ねぇよ。
これは自転車もなんだけど、通行帯に書いてある右左折直進の指示には「従ってはいけない」ことになっている。そして、基本的に一番左の通行帯を走らなければならない。この結果生じるのが、「左折専用車線を直進して渡る」だね。
理屈はわかるけどまぁ危ないし、多分周りの自動車はそういうルールだってこと知らないよね。法規走行してるのにめっちゃ煽られる。そして左折専用の信号があるともっとややこしいね。俺たちはどこで信号待ちすれば生きて帰れるの?交差点で左折専用通行帯と直進通行帯の間に分離帯があったらどうするの?分離帯じゃなくてゼブラゾーンだったらどっちなの?俺はいまだに正解を知らない。
これ、「左折専用には従わなければならない」ってして、一つ右の車線にいたほうが安全じゃないのかなぁ? 自転車乗りの先輩方はどう思ってんだろ。
これも自転車と共有かな。路駐多すぎてマジひどいね。車の人たちは一番左の車線は路駐専用だと思ってるフシがあるね。俺等はその車線を通らなきゃいけないんですよね。追い抜くにも速度出ないから危ないね。水色の自転車専用通行帯なんてまるっと収まって駐車されてることがしばしばでキレそう。
まぁトラックとか商用車は現状しょうがねぇかなって気がしますね。せっかちな国民性と、駐車場を整備しないし駐車場代も出さないのが悪い。コンビニ前の高級車の路駐はお前なんなの?
パーキングメーターがちゃんとあるところもしょうがないよな。あれはそういう制度なので。パーキングメーターもっと作りまくったほうがいいよ。
でも交差点前後で停まってるタクシーは路駐とか以前にシンプルに停車禁止で違反だろ。取り締まれよ。信号の先でタクシーが停まってると、信号明けで発進する車の様子見ながら抜かなきゃいけなくなるからあれが一番やっかい。なんで見逃されてんの?
二人乗りするアホ、逆走するアホ、歩道を爆走するアホ、6km/hモードにしてなくてもゆっくり走れば歩道走れると思ってるアホ、そもそも自転車通行可じゃないのに走ってるアホ。こんなのただの犯罪者量産サービスだろ。法規走行できないのに貸すな。っていうかこんな連中のために法規走行してる俺まで規制強化されるのはかなわんね。LUUPは潰すべき。
どうでもいいけどLUUPの原付ナンバープレートが必ず曲がってるのは何故なのか、誰か調べてほしい。
自転車も負けず劣らずアホだらけ。逆走するアホ、歩道を走るアホ。珍しく車道を走ってると思っても、後方確認しないわ、信号無視して渡っていくわ、なぜか横断歩道を通っていくわ、予測不可能なことをしすぎ。停止線でちゃんと止まる自転車見たことねえわ。
自転車にしてもLUUPにしても、免許制度を設けたほうがいいとすら思っている。違反とか以前に交通法規知らない人が公道走ってるのは危なすぎるよ。
違法モペットやら違法電アシはもう話にならんわ。はよ取り締まってくれ。
よかったことも書いておくよ。
特定小型原付の法規走行は、車道では基本的に自転車と同じ動きをするんだよ。「自転車通行可」に従うのとかもそうだね。ここ数年の自転車用の道路整備の恩恵を受けられているのでとても助かっている。自転車通行マークがない道なんて想像したくもない。東京はあれのおかげで車道の逆走はあんまりないんじゃないかな。二段階右折や直進もマークされててわかりやすいね。
20km/hの一定速っていうのは結構余裕があって、普通の車が40km/hとか60km/hだとするとその2分の1、3分の1のスピードで移動しているわけで、その分状況判断をゆっくりできるので危険予知がとても楽ちん。あと、車の流れに乗れるわけないのでせかせかすることもない。流れに乗らなきゃで速度超過してるのアホかと思う。自家用車も速度キャップ制にしたほうがいいんじゃない?
私は人と話すのが苦手だ。話し始める前から、私と話しても相手にとって何もメリットが無いだろうと結論づけてしまうことがよくある。
それに、会話のオチがあらかじめ予測できてしまうことが多い。相手が返してきそうな内容は大体想像が付く。
話の展開を予想して、お互いにとって楽しそうなこと、プラスになりそうなことだと確信してから、初めてこちらから口火を切る。気心知れた人との会話であればあるほど、この「オチの予知」が働いてしまう。せっかくだから楽しい話題で一緒に盛り上がりたいという私なりの配慮だった。
けどこれって、考えてる間はただ黙ってるだけの奴だし、一緒に居てちっとも面白くない。かたや「一番面白いベストな話題を提供しよう」と脳内で必死に情報処理してるとは理解されず、ただダンマリ決め込んでるつまんねー奴に成り下がってしまう。
だったら思いついた話題からどんどん口に出しちゃえば良いじゃんと思う。現に話題は色々思い付くし。
そもそも、嫌われたくないとか関係を崩したくないとか余計な心配をしなくて済む初対面の人とは結構話が弾む。それが功を奏して親しくなることもあるが、すると徐々に私なりの配慮である「オチの予知」が働いて、口数が減る。結局、つまんねー奴に成り下がって、疎遠になる。
人間関係において一般的に、親しくなればなるほど話題が増えてその人との関係に深みが出るとされているが、私はそのコミュニケーションに質を求めてしまって、良い話題を提供しようと必死になるが故に会話の量そのものが減ってしまい、コミュニケーションとして成り立たなくしてしまうことばかりだった。
会話では一定の配慮は不可欠だと思う。立場をわきまえて、失礼の無いような話題選びをする。ただ配慮も度が過ぎると単なるエゴでしか無い。私が配慮だと思ってやっていた「オチの予知」は、つまらない奴と思われたくないための無駄な自己防衛だった。配慮だと思って私が色々考え込んでる間の沈黙の方が、相手にとって苦痛だったかもしれないし、そもそも沈黙の末選び抜いた話題だって、本当に面白い話題かどうかも分からない。
私は幼少期から、「1聞いたら10理解して行動せよ。そういう気配りの出来る人間になれ」と育てられた。残りの9が果たして正解かどうかも分からないのに。けどそれは気配りなんだから、やってあげる事が正しい。出来ない奴は気の利かない無神経な奴だからダメだと。
もし相手に間違ったことしてたら最悪だったし、そうじゃないとしても残りの9を相手と分かち合う機会を奪っていたかと思うと逆に申し訳ないし、自分にとっても大きな損だった。
こんなバックグラウンドが、私の対人関係にも悪影響を及ぼしてしまった。相手が何を考えているか分からないから、1の情報を使って残りの9を必死に想像して予防線を張る、これを相手への配慮だとこじつけて行っていたが、大きな間違いであった。1から10まで、お互いの楽しいことを分かち合って積み重ねていくのが人間関係であり、そのためのコミュニケーションだというのに。
定期的に「ゲームに飽きてしまった」話があがってくるが、これはゲームだけでなく他のもの全てに当てはまる「人間はいつか飽きる」という問題だと思う。
それが起こるを前提とすることが、いつか飽きる問題への対策となるだろう。
そして飽きることを前提とした物事への向き合い方とは、どのようなものになるか。
・依存し過ぎない
それが無くても生きていける精神状態が必要。特にひとつのものに依存しない。分散する。
・リソースを使い過ぎない
金、時間、人手などを突っ込み過ぎない。飽きた時に後悔しないか?という問いかけを行う。
・飽きた後を想像する
それに飽きた後、そこに使っていた金や時間をどう使うか?そこで得たリターンをどう使うか等を想像する。