はてなキーワード: 紋章とは
英語版での名前はRoge Fastfinger(GB版のみLagos)。「Fastfinger」=素早い指捌き、という意味なのでこれは名字というより二つ名のようなものだろうか。
水門のカギは【満月の塔】に行くのに必須、さらに言えば敵地【ロンダルキア】へ乗り込むために必要なアイテムの中の一つであるため、このラゴスを探すことが【5つの紋章】探しと並ぶ中盤の大きな目的となる。
捕まって【ペルポイ】の町の【牢屋】にブチこまれた、という所まではあちこちの人の話で足取りを掴むことができる。
やたらと強い【バピラス】や、やたらと弱い【サマルトリアの王子】との格闘の末、ようやくペルポイに辿りついた【ローレシアの王子】に向かって看守が言い放つのは、
という絶望的な一言。町の中でいくら聞きこみをしても、その後の足取りはさっぱり掴めない。
FC版ではここで詰んでしまった人や、ここの謎解きだけに数週間を要した人も少なくないという。
ラゴスを追って【ザハン】へ来た男がいることからザハン内を探し回ったプレイヤーもいるだろう。しかもこの町の隅にいる男、わかりにくいところにいるうえ「オレはラゴス…」の出だしで話し始めるため、一瞬喜んだプレーヤーもいるかもしれない。
【ベラヌール】の看守も、特定の囚人を厳重に匿っていながら意味深な台詞を吐くので、【ろうやのカギ】入手後はこちらを探したプレイヤーもいるかもしれない。
本当のラゴスの居場所、それは「ペルポイの牢屋の壁の中」である。
右側の牢屋の中に入り、上から2マス目の黒い壁に向かって右に進むと突如画面が【屋根】の外に切り替わり、そこにラゴスがいる。また、その上のマスで右を向いて【はなす】を実行することでも話しかけられる。
ラゴスの脱走したマスだけなにか壁に目印があるなどの配慮は一切なく、まるでノーヒント。真っ黒な壁のうち1マスだけ壁の中へ進入できるなどと、誰が思っただろうか?
同じ仕掛けはダンジョンなら山ほどあるが、通路の構造がまったく違う町中で同じようにこの仕掛けに気付くのは、ほとんどの人にとって意外に、そして相当難しい。場所にとらわれることなく分け隔てせず判断する視野の広さと、疑り深さが問われる。
前作では攻略必須の【ガライの町】で同じ仕掛けがあったが、DQ2が初プレイの場合かなり難解な謎解きとなる。見張りの【兵士】の台詞を鵜呑みにして牢屋の中を自分で調べず、ここにラゴスはもういないと頭から信じ込んでしまえば詰みである。逆に、「脱走?一体どこから…」と疑問を抱ければ解決は目前。
一応、間接的なヒントとしては各地のほこらの構造がある。【旅の扉】でワープした先の扉を開けてみたら、外からは見えない黒い壁の中だった、という例がある。また、牢屋のカギ自体も同じペルポイで購入できるというのも配慮された結果かもしれない。
しかし厄介なことに、牢屋は屋根の下にあって、近付くとマップ切り替えが起こるのだが、このときラゴスのいる部屋の一部がぎりぎり見えていて、そこは何もない壁。つまり無意識に、ラゴスの部屋の向こうは押しても何もないと誤認してしまうのである。実際にはもう少しだけ上のほうにラゴスが隠れているわけだが。
上述の通り発見が非常に難しいためか、ラゴスの居場所については当時様々なファミコン雑誌や少年誌にヒントが掲載されていた。
あるラジオでもラゴスに関わる話をしているが、攻略をヒントにしたラジオドラマではダンジョンのBGMを流すことでダンジョンにいるものだと引っ掛けている。
【完全攻略本】には手描きによる町のマップが掲載されたものの、恐らくネタバレ配慮のためかラゴスがいるはずの場所は普通に壁として描かれているため、このマップを見ても仕掛けはわからない。
当のラゴスという人物についてだが、なんでも壁をブチ抜いて脱走を試みたものの、壁の中で引っかかって動けなくなってしまったらしい。
看守に逃げられたと思われている状態で食事やトイレはどうしていたのだろうか?
また、話しかけると潔く観念して水門のカギをくれるが、看守に没収されずに済んでいた理由も不明のままである。
投獄される直前に飲み込むなどして体内に隠したか、他人の目からは価値があるように見えないカギだったせいで看守にも見逃されたのだろうか。
というのも、水門のカギはテパの村民から見れば非常に重要な品だが、ラゴスが持っていても何の役にも立たない代物。
それは他の商人たちにとっても同様で、売却しようとしてもFC版の頃から値段はつかない。
鍵を盾にとって村を恐喝するという手法も考えられるが、ラゴスが村を脅した様子は特になく、犯行動機が全く見えてこないのである。
本人は見つけられたときに子供じみた軽い台詞を吐くので、ただの悪戯や愉快犯的に盗んだのだろうか。
あるいは、「本来のお目当てである金品をごっそり盗んだら結果的に水門のカギも一緒に盗んでしまった」など、ラゴスにとってもある種の事故だったのかもしれない。
返してもらった後の台詞もまるで無垢な少年そのものの口調で話す。
アイテム欄が満タンで持てない場合でも、そのスキに逃げようともせずその場で待ってくれている。余談だがその時の台詞が、よりにもよってそれに似つかわしくない人物に使い回されており、ちょっとしたネタになっている。
SFC版Ⅰ・Ⅱの公式ガイドブックには「人々の耳目を驚かすためだけに盗みを働く」と紹介されている。ただ単純にテパの人々を困らせたかっただけの愉快犯であろう。
さすがに意地悪すぎると思われたのか、リメイク版ではラゴスがハマっている壁の前の床にヒビが入っており、ノーヒントでも割とわかるようになっている。
ただし居場所が牢屋の右上から右奥に変わっているため、画面を切り替えずに「はなす」だけで見つけることはできなくなった。
ガラケー版以降では優遇され、SFC版【公式ガイドブック】のイラストに準じた専用グラフィックになっている。
そしてスマホ版は縦長画面のため、なんと彼の居場所が建物の外から丸見え。そもそも謎解きですらなくなった。FC版と比べると異常なまでのヌルゲー仕様である…。
[No.1]魔々勇々/週刊少年ジャンプ新連載試し読み - 林快彦 | 少年ジャンプ+
本誌で読んで「絵はプロレベルですが……」になった。
2日経って+に来たので皆はどう思っているんだろうとコメント見たら皆褒めてる。
もう一度読んだけどやっぱり俺の感想は「絵や話の繋がりは上手なんだけど、物語そのものが良くわからないよ……」だった。
1話の物語はただシンプルに「勇者とは守るために戦うものである」のみが語られている。
なぜ魔王に引き取られたのか、勇者とはなぜ生まれるのか、魔王に引き取られたはずなのに東軍寮に住んでいたということは魔王も東軍寮で暮らしていたということか、そもそもこの東軍寮とは魔王と人類どちらの軍なのか、といった部分は「そのうち語られる謎」として2話以降に先送りにされているのだから。
だが、私はこのテーマが全くピンと来ない。
何故ならこの物語で作られている「紋章によってある日勝手に決まる勇者と魔王」という設定とそれは全く噛み合ってないからだ。
御仕着せの役割が人格を育てるというなら、平和な時代に生まれた勇者であるコルレオになぜそれが育ったのか?
「1話はあくまで1話であって読み切りではない。作品の起承転結の小さなプロトタイプではない」という意見の元に打ち切り会議の最初のラインとされる10話まで様子を見るべきという意見なら分かる。
私が不思議なのはこの1話の段階でここまで手放しに褒められていることだ。
いわゆる「ウルトラマン型」の物語と言えるが、そこには「勇者とはなにか」というRPG世界観への問題定義が混じりその解読に多くの時間が割かれてしまった。
「勇者」とは何者であるかというテーマについて名作であるダイの大冒険が出した「勇者とは勇気あるもの」という回答は、あの世界において勇者が他者によって名付けられるから成立するものだ。
コルレオが暮らす世界でもエヴァンが暮らす世界でも勇者はあくまで「魔王と一対の特殊な力を持つもの」でしかない。
そこに勇気の必然性はなく、むしろ「もう1人の魔王」以外の何者でさえないと言ってもいいだろう。
なぜ「勇ある者と呼ばれるのか」についての語りは魔王勇者テンプレートの上に載っかった上でそれを再定義するという軒に住み着き家主の権利に問題を投げかける「ぬらりひょん」じみた妖怪ムーブだ。
それが礼儀として正しいか間違っているかではなく、「漫画として成立させられているのか疑問がある」ということが今は問題である。
漠然と存在する「勇者と魔王の役割」という物語はすでに多くの作家によって分解と再構築が繰り返され、作品ごとに多用な価値観の元で扱われている。
神が遊ぶゲームのコマであったり、才能の証明であったり、家督であったり、職業でしかなかったり、そこに来て改めて「僕の作品における勇者とは実は」をいきなり1話でぶっ込まれても、そもそもひっくり返すべき元々の勇者像がまだ読者にはわからないのだから「そうですか」で終わってしまう。
「勇者は勇気があるから皆が勇者と呼んでくれる」という発言は、右手に宿る紋章とそこから生まれる力が否定する。
「右手に紋章が現れたものが勇者と呼ばれる」というシステムが既にあまりにも前から先にあり、そこについて紐解くには時間が経ちすぎているのだ。
「旦那とは仏教から来た言葉であり、キリスト教徒がそれを用いるのは自身の信仰の否定である」なんて話をいきなり21世紀にされたら困惑するようなものだ。
「俺は勇者になったっとして何がしたかったんだろう……」というテーマで突き進めば私もこの展開に納得は出来た。
だがこの物語は「勇者という言葉は何を意味しているんだろうか?」で進んでしまった。
そんなことを言われても我々読者はそもそも「この漫画で勇者を何と定義してるのかなんて知りませんよ。作者が勝手に決めるんですから」としか言えない。
だから私はノレなかった。
それだけの話といえばそれだけの話だ。
大学2年の時にニーチェを読んだ。ニーチェかサリンジャーを読まないといわゆる「基本的人権」が認められない世界観の中で、避けられない選択肢だったので、読んだ。そして意味がわからなかったので、本屋に普通に並んでる様な文化人の解説本をいくつか読んだ記憶があり、その後読んだ年齢の倍以上経てその殆どを忘れてしまってる。
さて、先日「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。何故かネタバレを極端に避ける風潮があって私の周りでも内容に触れる人は極端に少ない。
ただ「理解するのが難解な作品である」といった趣旨の投稿をしている人は何人もいた。
果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったので本増田を書いている。
特にメモをとってわけでもないので、ディテールに齟齬がある部分は勘弁いただきたい。
↓
その後、母親の妹が新しい母親となり、母親の実家に疎開(?)をする
↓
亡くなった母親の思い出もあり、新しい母親に真人は心を開けない
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金持ち仕草に抵抗のない父親が車に乗せて初登校をしたため、ガキ大将的な奴と喧嘩になるがMMAの能力があったため圧倒する
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帰り道に石で自分の頭を殴り✳︎1 かつ犯人を言わないという知的な叱られ対策を行う
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亡くなった母親の残した「君たちはどう生きるか」に出会う ✳︎2
↓
ご覧の様にストーリーは極めてシンプルである。そして、✳︎2の描写が本作品の大部分を占めている。
いやいや、おしいれのぼうけんのさとしとあきらのぼうけんは実際に異世界へ行ったのであるよ。そういう人もいるだろうし、多感な子供がおしいれに罰として閉じ込められるという昭和のみ許された罰によって生じた脳への過大なストレスで発生したイマジネーションの中の世界という人もいるだろう。
今回は後者の説をとらせて貰いたい。
真人はあまりに強く石で頭を打ってしまい、かつ慣れない場所でのストレスから母親が残してくれた「君たちはどう生きるのか」に没頭してしまう。
この原著は小学生の時に読んだことがあり、その歳からは3倍以上の歳となってしまったので
あるが、コペルくんという快活な出来杉くんが日々体験した葛藤とかに、「叔父さん」が真摯に答えてくれるという内容で、漫画化されて話題になった時の売り文句を見ても感じたのだが、児童文学の姿を借りた思想書/啓蒙書である。
うっすら覚えている内容も、格差によるキャズムと父親の金持ち仕草でいきなり浮きまくって喧嘩となり、派手な登校拒否スタートとなった真人とは重なる点も多く、「叔父さん」の回答は真人の心に刺さるものが多かったろう。
聞くところによると反戦主義者であった吉野源三郎は、自由な言論活動が抑制された戦前、戦中において、その活路を児童文学に見出したようだ。
吉野源三郎とニーチェの対比については東洋哲学的視点で語る人は少なくない。戦前、戦中においてはニーチェが死んだと評した絶対的価値観と同様のものがこの国に溢れていたのは事実だろう。
そういった意味では吉野源三郎を日本のニーチェと感じる人はいてもおかしくないのだろうけど、昭和の小学生であった自分には全く刺さらなかった一冊であった。
なんにせよ、真人少年はこの本を読み、心の中のぼうけんへとでかける。
庭にある「塔」はよそから飛来した飛翔体で、大叔父は「これは大事なものだから」と新しい建築物で囲った。
「新しいぶどう酒は新しい革袋に盛れ」(ルカ5章38節)当時の慣例を無視したイエスは、新しい思想は、新しい環境にて受け入れかし的な意味で言ったらしい。
と宿るじゃ大きく意味が異なるので、この辺も解釈によって随分と違う。
さておき。この大叔父の言っている「これは大事なものだから」は絶対的な価値観で、この絶対的価値観を装飾したり保護したものが戦前、戦中に世に溢れていた「常識」なのだろう。
この常識に対して、「君たちはどう生きるのか」は児童文学というN国ハックを成功し、無事相対的価値観を真人少年に届けることに成功する。
✳︎母親も塔で行方不明になった時期があり、大叔父は姿を消したままなのは、絶対的価値観に対する「疑問」を持ったことに対して、思想警察等の介入を招いたという事なのでは?といった解釈もなりたつ。一方で、隠れキリシタンのマリア像的な「進歩的思想」を表すものとも受け取れるがその場合にはいくつかの齟齬が生まれる。
本作でトリックスターとして描かれるアオサギは古代エジプトのベヌウを始めとして様々な宗教で描かれている。
混沌に現れたベヌウがアトゥムとなりそしてラーとなったが古代エジプト神話の創世記で、ベヌウはその後もフェニックスになったり、旧約聖書で忌むべきものと描かれたりと様々な存在であり続ける。
全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言った。これは本当か?!
という問答が本作ではあったが、アオサギは「相対的価値観」のメタファとして描かれたのでは?と私は思う。
見る人によって、見る時によって解釈が異なる存在は相対的価値観の象徴としてこの上ない。
ソクラテスの良き友人であり、ソクラテスをソクラテスとならしめ、そして死に追いやった「ダイモン」はその後「デーモン」となり絶対悪となる。
アオサギは創世の核から、忌むべきもの、そして後世では聖職者やキリストとしても解釈をされている。相対的価値観の象徴として登場するに相応しい扱いのブレブレさ。
嘘つきを「悪」や「忌みもの」と置き換えたとしても時代、そして答えるもののスタンスでその答えが変わるだろうアオサギをトリックスターに据えたのは、アオサギが不死鳥=火の鳥としての立ち位置だと考えても中々に面白いのではないだろうか?
わらわらが空に舞うシーンとペリカンの登場をみて、多くの人が空襲によって生まれるはずの命が奪われていったのをイメージしたのではないだろうか。
出雲大社をはじめ、神道の結婚式では玉串をおさめるさいに、新郎と新婦は螺旋の様に左右に交わりながら神前に進む。
この「螺旋」という存在は、永劫回帰にもつながる東洋思想の根幹となるもので、すべてのものは平等に無価値で、それぞれが相対的な価値をそれぞれに対して持ち、または持たない。
下の世界は明示的に「地獄」と表記されてたのであるが、おそらく描かれてるのは冥界だろう。
ニーチェが死んだと評したものはそれ以前のキリスト教における始まりのある絶対的な価値観というのが有力な説であるが、その絶対的価値観を作った人物の1人である聖アウグスティヌスが「聖心、自己犠牲」の象徴とし、その後も様々な紋章で愛されたペリカンが魚の内蔵餌にし、上の世界での誕生を待つわらわらの命を次々と奪っていくのは宮崎駿のフラットな「反戦思想」が読み取れる極めてシニカルなメタファーではないだろうか。
ペリカンは第二次世界大戦でも輸送機や爆撃機のノーズアートとして愛用をされていたのは、ミリタリーに造詣の深い宮崎駿なら知らないわけはないだろうと考える次第である。
インコの軍団の描かれかたは、当時の日本の軍部の急進派やポピュリズムに扇動された国民をイメージとさせる。
ところが、インコはアオサギやペリカンの様に何かのメタファとして使われてた例を少なくとも私は知らない。
あえて言えば、ポピュリズムに扇動される一定数の国民は今も変わらない、その人たちはみな同じ様ち聞いたことを繰り返す。
これらに対しての皮肉を込めて、鸚鵡はアレだからインコにするか、となったくらいしか思いつかない。
1シーン、インコたちが「陰謀論者」を彷彿とさせるセリフを言ってたのが気になるが、それにしても偶然の一致だろう。
本作は極めてシンプルな構成で少年の成長の数年間を描きつつ、そのきっかけとなった一冊の本のバックボーンを深く掘り下げた作品だと思う。
ただ、その一冊が示すところは当たり前の様に社会に実存する不条理や、固定された常識を「畜知」として個々の持つ倫理観や、相対的価値観を持って超越すべきと描くものだった上に宮崎翁の表現だ。わかりやすく理解が困難であるところが極めてわかりやすい。
現象界では常に変化が起こり、全く同じ真理などは存在せず、全てのものに等しく「無」だけがその拠点として存在すると、ナウシカで宮崎駿は伝えたかった気もするのだけど、これすら三連休の最終日にしこたまアルコールを飲んで歩くのすらおぼつかない私の中だけの相対的な宮崎駿評である。
なんにしても本作の序盤の数分で感じるスパイダーバース同様の狂気は、宮崎駿存命の間しか味わうことが出来ない、スタッフロールと引き換えに命を削った各コマを作り上げた人々の命の結晶である。時間は貴重だ。一方、チケット代なんて酒を2、3杯飲むのと引き換えられる程度の数字が書かれた概念でしかないだろう。
よっぽど忙しい人や、ジブリや宮崎駿が嫌いな人も最初の10分で良いから見てほしい。
昨晩、地下室からのふしぎな旅を改めて読んだ。柏葉幸子は素晴らしい。
宮崎駿は引退するまでに一回で良いから柏葉幸子作品の監督をやりたいはずと、私は勝手に思っており、君たちはどう生きるかもその色眼鏡で鑑賞するといくつかのシーンから妄想が膨らむ。「鈴木くん。柏葉幸子は素晴らしいぃぞぉ」という宮崎駿の声が脳内で響く。
竜の紋章で即最強やったやん
(インタビュアー)──そして『ダイ爆発!!!』で、主人公能力である竜の紋章を得るわけですね。
(三条陸) 本当に弱いところから、だんだん強くなっていくまで描くのは、読者が耐えられませんからね。だから「最強なんだけど、自分ではコントロールしきれない」っていうポイントが必要なんです。紋章が出れば無敵なんだけど、最初のうちは自分の意思でコントロールできないっていう、大きなウィークポイントを持ったキャラクターが、一番いいんじゃないかな、って考えたんです。
ダイの大冒険の連載当初から「本当に弱いところから、だんだん強くなっていくまで描くのは、読者が耐えられません」と作者に思われてたと言うか業界の共通認識だったの草。
よく古参オタクが「最近の若者は最初から最強じゃないと怒り出す」とか言ってるけど、その古参オタクも当時の作者から「だんだん強くなっていく展開に耐えられない」って思われてたのおもろいな。
ウクライナでは体操着のことをСпортивний купальникと呼ぶ。ウクライナ語のкупальникはロシア語のКупальникと同じく、水着も意味する言葉だ。ロシア語とスペルは同じ。Спортивнийとはスポーツを意味する。
19世紀には、レオタードは、体操選手、強者、曲芸師などのサーカスでのみ使用されていました。原則として、その上にショートパンツまたはスカートが着用された(たとえば、パブロ・ピカソの絵画「舞踏会の少女」)
伸縮性のある生地がなかったソ連で、最初にニットレオタードで練習やリハーサルを始めたのはバレリーナのマヤ・プリセツカヤ。海外ツアー中に自分用に購入した。彼女は、 1973年にフランスの振付師ローラン・プティ(衣装デザイナーのイヴ・サンローラン)によって彼女のために上演されたバレエ「薔薇の死」で、伸縮性のあるレオタードをベースにした衣装を着てソビエトのバレエの舞台に初めて登場したそうである。
マヤ・プリセツカヤは先日の亜留間次郎さん(@aruma_zirou)に言及した記事で、レオタードを特注していた人のことだ。
一応通販でブルマを見つけたが、訳語の関係上ブルマか水着かはわからない。
(купальник、burumaで検索)
https://shafa.ua/women/nizhnee-bele-i-kupalniki/kupalniki/125510273-plavki-zhinochi-kupalni
https://shafa.ua/women/nizhnee-bele-i-kupalniki/kupalniki/125446756-trusiki-vid-kupalnika-batal
また、ソ連時代のものを画像検索しても、ロシアのものと資料が混ざっている。
所でグーグル検索って、言語設定を変えると検索結果が若干ぶれる。どういうアルゴリズムなのだろう?
今度はもう少しウクライナのブルマについて調べるか、エアロビの衣装についてかな。
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D1%83%D0%BF%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D0%B8%D0%BA_(%D1%81%D0%BF%D0%BE%D1%80%D1%82%D0%B8%D0%B2%D0%BD%D1%8B%D0%B9)
ファミリーマートに入った時になるメロディはファミマ特製のものではなくて、パナソニック/ナショナルが1982年から作っている赤外線入店センサー、メロディサインシリーズ。
EC5117/EC5227/EC5347型。一番安いのは4000円。
東京などJR東日本の駅には緑の文字盤の時計が吊るされていて、JR東のコーポレートカラーの緑の特注品に見える。
しかしこれはSEIKOの親子時計(駅や工場など時間狂いが許されない箇所に使われるシステムで、正確な親時計が30秒or1分毎に指令を出して子時計が運針する)のうち、バックライトがなくても視認できる蛍光塗料を使った商品で特注ではない。つまりは目覚まし時計が緑なのと同じ。
無印の横長で四角い「駅の時計」は国鉄ものと誤認されがち。だが国鉄は秒が刻まれた時計を採用していたので間違い。
目盛りが分刻みのあのデザインを使っていたのは地下鉄の交通営団。天井の低い銀座線、丸の内線で使っていた。
名古屋でもういろうは売られていたが、ういろうの名産地と言ったら小田原だった。
だが東海道新幹線が開業すると、ういろう販売店の内、名古屋の青柳総本店だけが車内販売権を獲得。当社は電車が名古屋を出ると「名古屋名物ういろう」と売りまくったためにういろう=名古屋と利用者に刷り込まれた。
漢の時代の中国で四季に合わせて漢詩を詠む事が教養となり、それを日本も倣った。漢詩→和歌→俳句→散文と受け継がれ、風流と教養から手紙の頭などに必ず季節を入れるのが常識となった。
この為に日本の特徴的な季節である梅雨などは無視されるか夏に入れられている。
梅雨前線が停滞することで起きるので青森~台湾~中国沿岸部しか梅雨にならず、中国沿岸部の梅雨は軽度でしかなかったため。
商店街が銀座を名乗るのは賑やか、高級のイメージと思われているが、最初に銀座を名乗った戸越銀座がそう名乗ったのは本物の銀座で使われていた煉瓦を舗装に使ったため。
関東大震災の復旧で銀座の舗装をやり直す事になり、それまで使われていた煉瓦の敷石が戸越に譲渡された。戸越は煉瓦舗装で雨の日でも泥まみれにならなくなったので「戸越銀座」を名乗った。つまり銀座の根拠は煉瓦舗装。
ペリーの黒船は蒸気機関車と混同されて鉄製+石炭蒸気船のイメージがあるが、木造の帆船。
木に腐食防止のコールタールを塗っていたので黒く、普段は帆走していて港での移動にのみ蒸気機関による外輪を補助的に使っていた。
昔のヨコハマタイヤが看板広告に使っていた、タイヤの中に濃い顔があるデザインは頭おかしい系怖いデザインとして有名だが、実はヨコハマタイヤの意匠ではない。
アメリカのBFグッドリッチ社がディーラーサイン(取扱店)として配布していたもの。(The Smileage!)。だからヨコハマタイヤのも取扱店の目印で、大村崑のオロナミンCホーロー看板と同じ。
BFグッドリッチが使っていたのは戦前~戦後初期と古く、また白黒イラストに赤文字だったのだが、戦後下ってから何故かヨコハマタイヤが色付けして復刻。その姿で多くの幼子を泣かせた。
錆びると紫外線遮蔽力が弱い白目部分と赤い唇の塗料が先行して剥げ易く、目と口から赤い錆汁を垂らすようになる。サイレントヒル。
尚ヨコハマタイヤは古河財閥とBFグッドリッチの合弁。戦争で関係が切れていたが戦後に関係が復活したのでキャンペーンデザイン統一した意味があったのかもしれない。
BFグッドリッチ社はオーチスエレベータ等も擁するユナイテッド・テクノロジーズ社に吸収されて消滅。タイヤのBFグッドリッチブランドはミシュランが持っている。
google:image:BF GOODRICH TIRES SMILEAGE
新幹線は固有名詞になっているが、元は単に幹線鉄道に平行する新しい幹線、って意味。
元は瀟湘八景で、中国湖南省の水郷地帯を季節を違えて八か所描いた山水画。
「四季」と同じくこれが日本で教養化されたもの。元が侘び寂び的であるので日本で更に洗練された。
山水画だけでなく連句を詠む/選ぶ、散文に登場させる、浮世絵、写真、単に選ぶなどのスタイルで流行した。
晴嵐、晩鐘、夜雨、夕照、帰帆、秋月、落雁、暮雪のテーマをなるべく入れる事が求められ、何も入っておらず単に綺麗な景色8選だと無教養と評される。
金沢八景は全八テーマが網羅された景色であり、多くの漢詩や俳句や浮世絵が作られた。
当地は沈降海岸(リアス海岸)で入り江と小さい島が多く松島のような絶景で富士山詣での返りにわざわざ訪れたりするほどの景勝地だった。
後に埋め立て等で景色は全て失われて八景の由来も判らなくなったが、「眺めが素晴らしい金沢」みたいな駅名である。
だがその駅により周囲の埋め立てが進んで八景が無くなったのだから皮肉である。
数年前の鬼怒川決壊氾濫で、過去にも「鬼が怒った」ような暴れ川だったと考える人が居るが、単に鬼怒川の源流付近を昔「けぬ」と言っていたからである。
前橋から奥日光、群馬から栃木西側に掛けてけぬ(毛野)と呼ばれていた。後に上野国(こうづけのくに)下野国(しもつけのくに)となるが、読みの「こうづけ」の「け」は「けぬ」の「け」であって、漢字の方で脱落してしまったもの。
ビショーネという。google:image:biscione
故安倍晋三前総理も若い時に乗っていたというアルファロメオのエンブレムには十字架とビショーネが描かれているが、これはアルファの象徴という訳ではなく、都市国家ミラノを支配していたヴィスコンティ家の紋章である。
ミラノの商人や貴族はビスコンティ家より紋章が描かれた皿を下賜され、忠誠の証しとして家に飾っていた。
余談だが安倍総理が乗っていたアルファは年代的にアルフェッタという車種と思われる。https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/1978_Alfa_Romeo_Alfetta_GTV_%287254572400%29.jpg
実はこの年代のアルファはソ連製鋼板の品質に由来する品質問題を抱えていて評判を低下させた時期である。自動車用鉄板は防錆の為に亜鉛メッキされているのだが共産国ソ連の生産管理のダメさによって亜鉛メッキがちゃんとされておらず錆だらけになってしまう。
なぜソ連製鉄板など使っていたかというとデタントでソ連との交易を増やそうというイタリア国策である。だがこれはイタリアが東寄りだったいう訳ではなく旧枢軸国の独裁国でフランスなどに経済制裁されていたスペインにも工場進出しており単に節操がない。
当時日本の鉄鋼が米国を打ち負かす程の伸長をしており、日本製鋼板を使っていればこんな事にならなかった。アルファに乗っていた安倍氏は卒業後に日本の鉄鋼会社に勤めていたというのが皮肉である。
あと一つ入らないから続く→https://anond.hatelabo.jp/20230613182714
シン・アナコンダ
シン・オクトパス
シン・クロコダイル
シン・ジョーズ
シン・タイタニック
シン・宇宙戦争
新 仁義なき戦い/謀殺
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新 第三の極道 ~裏盃・流血の掟~
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ぶるまー 2000 攻略
ワクワク あの頃 ぶるまー 2000
毒 エウー
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ザ・ヨーム
よみもの専科
だめニャルラ
O, Sinn, der Sinn
エクピロシスの炎
おやじの海
ムサシ!BUGEI伝!!
FFだけど】FINAL FANTAZY I・II【ロマサガ】 3
茜街奇譚
オガム文字
ローグライクゲームのいい加減な
双頭鷲の紋章
真口の大神
レンヌ・ル・シャトーの謎
黄泉戸喫
グンニョキ
バルジつき
ハナアルキ
Snickersnee
その者の首を刎ねよ
星犬シリウス
スーパーレール
ウィザードリィ 得屋
スパイラルマタイ
ク・リトル・リトル 荒俣
横スクロール シューティング フック アーケード 引っ掛ける
3年で優勝の狙えるチーム
クヴァシル
ヤスウェア
宇宙終末十億年前
伝染性精神病
私のビートルズ
きくたけゲー
榎本 武揚
昴 七姉妹
一等輸送艦
滅・昇龍拳
スペースジェットモグラ
楠正成 菊水
地底王国 デロ
グレーの金魚
山と谷を越えて
テレンス ダービー
吸血エイリアン
良栄丸事件
Ki-83 速度
Ta152 高度
しなちく 割り箸
屋根裏を整理してたら古いパソコン(といっても2006年頃)が出てきたのでブラウザの検索履歴をサルベージしてみた。
当時自分が何にハマっていたのか思い出されていろいろ懐かしい…
パラ様 生え際
ホケマクイ
ブッチーン 灯花
ぶっこぉすぞー
るくしおん しびれるぜ、鋼の
ティプトリー・ショック
「デストロイがいいね」と君が言ったから六月二十四日はUFOの日
わたるが死んじゃう
琵琶湖タワー
猫いらず 口の周り 光る
尸条書
立方晶窒化炭素
ドーマン法
ひだまりスケッホ
空飛ぶ冷し中華
セーラー戦士が全員ブルマーだったら、アニメ史を変えていたと思うね
34歳児
実はまだ2階に
アリオク
緑はいらない子
そうです。あのコが僕の畏敬する天使様なのです
おかしとか食べる
T-34が倒せない
さあ牛だ
セノバイト
omegaの視界
ぽこにゃん
だぞなもし
倒福マーク
ボッキアウト
フムン
ユープケッチャ
目なき顔のジールバ
やったー+1 シヴィライゼーション
ルロス ロルス
玉音盤奪取
ハレとケ
もえたん 06話
路肩のピクニック
白楽電の詩
ガッシボカ
聖なんとか女学園
クートニアン
お脱ぎなさい
グンニョキ
強さ激しく変動
南斗聖拳108派一覧
みなぎる力がみなぎるぜ
力こそパワー
重い生理が来たみたい
4ひえた
ムーミンパパ海へいく
チャンパーノウン定数
見知らぬ国のデイトリッパー
紫暗号
いざり
比留間 京之介
この娘、最後死んじゃうんだよね
旧神なんていないよ
棒シムーン
S級だけどめどいんでB
オレモダビール
"オナホさん"
アントノフ 積載量
黄金の真昼
Let's Beginning to Look Alot Like Fishmen
けいせい出版
共生るんです
ガネッコ
莫迦め 死んだわ
スコープドッグ 装甲厚
かみそり半蔵地獄攻め
クンデラ 不滅
如意棒 重さ
ちびくろサンボ 枚数
俺のケツをなめろ
大胖女人
大司令症候群
gunyoki
グンニョキ
おしつおされつ
どうしてエレクチオンしないのよぉぉぉぉ
こぐにっしょん
虹作戦
燕山夜話
ドラ28
中国人の部屋
エロ イッカイヅツ
菊屋橋101号
システムショック
ゲバルト・ローザ
完全黙秘
唸るコカトリス亭
みずずちん
なんてこった 死の宣告
アンダーダーク
ロンゴ・ロンゴ
ゲオルギウス
毒薬仁
まじかるぴゅあソング
だいす☆くえすと
つめたく冷えた月
フンカーリート
Shang-Du
水エタノール噴射
願望機
舟に棲む
rom ヘッダ 削る
長靴いっぱい食べたいよ
陣形技 閃き
ハリマオ
ぺちんぺちん
カタリナ おそるべし
野月まひる
マライア 多摩
素敵医師
相沢 祐一 最強
みなみおねいさん
あまぞn
夢のクレヨン王国 SONGBOX
振武刀
クリントワン
ロイさーん
レムコレクション
カードゲーム テケリ・リ
グレゴール・ザザ虫
きみはホエホエむすめ
東方夢終劇
ファミソン8BIT
生きなさいキキ
dwarvish mattock
蟹工船 光線
パラシュート部隊 突然に
ゴクイリイミオオイ
アウト・オブ・眼中
モルディギアン
納骨堂の神
ヴェクナ
パラシュート部隊 突然に
情無用ファイア
末期 少女病
唸るコカトリス亭
アカディネの泉
ショスタコーヴィ
ジャック ケッチャム
シャノン 情報理論
ガロアの郡論
ルルスの術
ラヴォアジエ
宇津田さんの死
レムコレクション
佐保姫 信太の森
ころがる石のような俺の生き様
はしれぐずども
紫暗号
白い神兵
火のバプテスマ
清家理論
サールクラフト
lycanthropy
某研究者
アナ姫さま おげんきですか
オナホ 2番目
宇宙麻雀
電戦トリオ
乳ロマンサー
私は痛みだ
くやしい、でも ビルケナウ
グレゴール・ザザ虫
新藤幸司 CV
Chante キミの歌がとどいたら 先生
開路に時限のある リレー
Drizzt
ちんぽ生やして出直して来い
男根 恐ろしいまでに
コロラド撃ち
HEARTWORK
誠ぉっ そこにいるんでしょ
ずっとオレのターン
ぼくはぼくであること
おれがあいつで
アラバハキ
幻影都市
わたしこそ しんの ゆうしゃだ
クトゥル スペースジョッキー
フラッシャー付自転車
神よりも弱いただのオセロ
おがわみめい
水無神知宏
CARNIVAL 小説
じゃこつばばあ
生と死の境界 安置
うぉ、まぶしっ
ゼロで割る
ココロン
有尾人 フィリピン
子供達を責めないで
圧力計 連成計 BV
エドガー ダケェ
おびんずる
にこにこ商事
ひろ
まず君は元増田じゃないテイでこれかいてるんだよね。じゃあ反論ではなく推測援護だよね。
で「ちょっと調べた」だけで書いてる元増田、商標法まで調べたとはいっていないよね。
でもね、表現の業界には著作権法商標法のみならず肖像権だの名誉棄損だのたくさんの法律が入り組んでるんだよ。
実際しいなりんごとかいうヒト(のスタッフ)は公益に反する形の「みだりな」グッズ配布企画までしちゃったしね。
他の商標・意匠・著作でも「ちょっと調べたら大丈夫そうだったから」っつって捕まってる中国人や日本人たくさんいるし毎週くらいでちゃんと報道もされてるんだよ。
僕はまさかこんなわかりやすいミスはやらないよね、みんなどう?というつもりもあって書いたよ。
「元増田はやらないよ!」っていわれてもふーん。でも元増田本人がそういってるわけじゃないじゃんとおもったよ。
「だったらなおさら同人誌だのコスプレAVだのは許されるべきじゃ」ってわざわざ追記してるくらいの意識しかない元増田なら「ちょっと調べたこと」を忘れていつかやりかねないんじゃないの。赤十字はダメだとおぼえてても、菊の紋章や国連マークやオリンピックマークなんか、たまに使いたくなるもんね。緑と黒の碁盤目模様なら伝統模様と言い張って無断利用OKでも、ピンクに蝶の羽根みたいな葉脈はどうだったっけ?
あと元増田だけに向けて言ってるんじゃないんだよ。これ見てる人の数人くらいは誤読しまくって「よくわからないけど追記みたら同人ならOKらしいな!」っつって同人グッズ化やろうとしたかもね。とボクは思うわけ。だから一言レスにしておいたんだよ。目に入るからね。
ま、そのついでに「推測援護」くらいの人にもいちいち回答してあげてるんだけどね。たぶんだれもここまで読まないし理解しないだろね。
終わり。
第三十九条〔標章の使用〕 標章は、権限のある軍当局の指示に基き、衛生機関が使用する旗、腕章及びすべての材料に表示しなければならない。
第四十条〔要員の識別〕 第二十四条、第二十六条及び第二十七条に掲げる要員は特殊標章を付した防水性の腕章で軍当局が発給し、且つ、その印章を押したものを左腕につけなければならない。
第四十二条〔衛生部隊及び衛生施設の表示〕 この条約で定める特殊の旗は、この条約に基いて尊重される権利を有する衛生部隊及び衛生施設で軍当局の同意を得たものに限り、掲揚するものとする。
第四十四条〔標章の使用制限〕 本条の次項以下の項に掲げる場合を除く外、白地に赤十字の標章及び「赤十字」又は「ジュネーヴ十字」という語は、平時であると戦時であるとを問わず、この条約及びこの条約と同様な事項について定める他の条約によって保護される衛生部隊、衛生施設、要員及び材料を表示し、又は保護するためでなければ、使用してはならない。第三十八条第二項に掲げる標章に関しても、それらを使用する国に対しては同様である。各国赤十字社及び第二十六条に掲げるその他の団体は、この条約の保護を与える特殊標章を本項の範囲内でのみ使用する権利を有する。
第一条 白地に赤十字、赤新月若しくは赤のライオン及び太陽の標章若しくは赤十字、ジュネーブ十字、赤新月若しくは赤のライオン及び太陽の名称又はこれらに類似する記章若しくは名称は、みだりにこれを用いてはならない。
>>漫画やイラストやコスプレAVで赤十字マークを描くことが禁止されていると理解されている<< してねーよバーカ。林檎のやつはそのもの「記章」だからモロアウトなの。漫画にはバリクソ描かれてるよ
この文章のどこに椎名林檎の文字がある? どこに椎名林檎の案件を想起させるような表現がある? この文章のどこをどう読めば「『椎名林檎のグッズは問題ない』と増田は主張している」という結論が導かれる? 日本語読解力/Zeroか? 「書いてあることをそのまま読む」というだけのことがなぜできないんだ?
ちなみに、AVのナースキャップにモザイクがかかってたり(https://togetter.com/li/1505415)、赤十字マークを使ったVTuberの配信が消えたりしてるからな(http://doujinsokuhou45.com/archives/6962156.html)。作品中で赤十字マークを使った同人作家に注意して修正させたやつの話も聞いたことあるぞ。そういう勘違いバカは実際に存在するってことだよ。そういう状況を問題視してるの。おわかり?
"職業・身分・所属などを示すために帽子や衣服などにつけるしるし。 バッジ。" 法律の中での「記章」の定義がわからないけどAVの帽子は普通にアウトじゃない?コスプレだから制服じゃないと言い張るのに近いと思う
刑事ドラマかなんかで弁護士資格持ってない役者が弁護士バッジの模造品つけて「弁護士の○○ですが」って名乗ったら職業詐称になるって思っちゃう世界観の人?
ドラマの中で政治家ではない役者に議員バッジの模造品つけさせて「俺は代議士だぞ」って言わせたら議員を詐称したってことで捕まると思ってる頭が残念な人かな?
現代劇やそれに類する話において赤十字に関する話なら、むしろ描くべきだろうが、そうでないなら禁止されたものを描くのはリアリティがない。SF やファンタジーなら好きにすればよろしい。
そういう理屈はわかる。ただ、「それリアリティがない描写ですよ」と指摘するならともかく「それ違法だから消した方がいいですよ」と指摘して消させたり修正させたりするやつがいるのが問題なので(前者の指摘は「銃の持ち方がなっとらん」とかと同レベルなので好きにすればいいと思うけど、後者は脅迫に近いので悪質)。そういうやつらが死に絶えるまで「いや赤十字の標章は漫画に描いていいです。表現の自由です」と言い続けていかないとな。
弁護士とかの記章は、ドラマの中で使うときに「これはフィクションであり…」といれたり俳優名出したりして誤解を避ける努力してるんじゃないかな。警察とか自衛隊の制服は少し違わせるとか。
だったらなおさら同人誌だのコスプレAVだのは許されるべきじゃない??? どう考えても法廷もののTVドラマより現実感薄いでしょ……
原文
https://lb.ua/culture/2022/03/18/509953_cancel_russia_yak_instrument.html
ヴォロディミール・シェイコはウクライナ研究所(日本の国際交流基金にあたる)の長で、ウクライナの文化外交の責任者。訳者の感想は最後に。
ロシアの侵略開始からわずか数日後、ウクライナの文化関係者および団体は、国際社会に対してロシアに対する「文化的制裁」を実行し、プーチン政権やロシア資本から直接的・間接的に支援されている人物・団体に対する協力の停止を呼びかけるアピールを出した。
ウクライナ研究所は、国内・海外のパートナー団体や専門家のネットワークの代表500人以上に対してアピールを送って拡散することを依頼し、それとは別に欧米の学術団体や大学に対しても書簡を送ってみた。この「文化的制裁」に対する公開書簡には3800人以上のジャーナリスト・人権活動家・教育関係者・文化人たちが署名していて、在外のウクライナ人たちも同様のアピールを拡散している。
ウクライナの主張に反論することはできないだろう―――ロシアによって仕掛けられた戦争は、明らかに国際法に違反しており、罪のない人々を数千人も理由なく殺害し、歴史的建造物を意図的に破壊しているのだから。この状況で侵略者と文化的に協力することは戦争犯罪を正当化することであり、ロシアによる印象操作のために新たな場所を提供することに他ならない。ウクライナ研究所は声明の中で、ロシアが数十年もの期間にわたって文化を政治的プロパガンダの手段として利用して国際的評価を高めることで、世界の注目を他国への戦争犯罪から逸らしたり、人文学において帝国と植民地のヒエラルキー体制を確立してきたことを指弾した。このロシアの行為に高名な学者、キュレーター、美術史家、財団理事、美術館、フェスティバル、フィルハーモニーたちは加担してきた。彼らは2014年以降もロシアの政府機関に進んで協力してカネの出所を無視して見なかったことにしてきたし、そんなロシアの芸術的プロジェクトを通じて広められた有害で非科学的な主張に対して反論することもなかった。その象徴的な事例が、ニューヨークのMoMA、ロンドンの王立芸術院、パリのグラン・パレで十月革命百周年の2017年に開かれた「ロシア芸術」の豪奢な展覧会だろう。ロシアから「最恵国待遇」を受けてコレクションを借り出したキュレーターたちは、ロシアがウクライナその他の国の芸術を盗み出してきたことを見なかったことにしたし、その全体主義的な芸術を無批判に美化することを止めようとしなかった。
ウクライナに爆弾が落ちた2022年2月24日、「素晴らしいヒューマニズムのロシア芸術」というメタファーはようやく消し飛んだ。それでも、文化をプーチンの政治や戦争責任と切り離して考えることができるという信じている数百万の海外の人々にとって、トルストイ、ドストエフスキー、ショスタコーヴィチあるいは「ロシア・アヴァンギャルド」は心の中で生き続けているようだ。
全世界とウクライナとの連帯は過去に類を見ないほど広がっており、世界の文化界は言葉と行動によってウクライナに大きな支援を送っている。しかし「ロシアに対するキャンセルカルチャー」に対して西側が示した反応は、ウクライナの文化外交に課題を投げかけた。
メトロポリタン歌劇場、カーネギーホール、バイエルン歌劇場などの多くの団体は、指揮者であるゲルギエフや歌手のネトレプコとの契約を打ち切って、ロシアのアーティストと協力しないことを公表した。カンヌ映画祭はロシアの代表団と政府関係者の参加を拒否した。それとは裏腹に、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスはウクライナの戦争を「人道危機」とした上、ロシアについては何も言及しないという恥さらしの声明を発表した。私たちがコンタクトを取った人々の多くは、ウクライナの難民を支援することを口約束する程度で、ロシアとの協力を停止する呼びかけには大した反応を見せなかった。思っていた通り、ポーランドとリトアニアの団体が最も毅然とした態度をとって、ドイツペンクラブは「真の敵はプーシキンではなくプーチンだ」という声明を出し、フランス人たちは沈黙した。
そして、西側の文化学術団体はウクライナとロシアの「和解」や「異文化交流」を推進する事業を始めたようだ。注目すべきは、彼らがどうやら戦争が始まって4週間でのウクライナにとっての「和解」の必要性への無関心だろう。ロシア人を「プーチン政権の犠牲者」と位置付けることで、戦争の犠牲者となっているウクライナ人と同じ「犠牲者」として等しくとして扱うような形で、ウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人を一緒くたにした沢山の事業が始まった。
こうして、23年もの長期にわたってプーチン政権が継続してきたことや、ウクライナでの起きている戦争や、ロシア社会の政治的受動性、あるいは市民の抵抗が失敗し敗北してきたことにに対して全てのロシア人の責任をなかったことにしたいのだろう。他にも図々しい連中はいる。フリードマンとカーンというロシアのオリガルヒによって資金提供を受けたことにより度し難い妥協的施設となったバビ・ヤールのホロコースト・メモリアル・センターの芸術監督イリヤ・フルジャノフスキーはプーチンの犯罪と戦うことを要求する書簡に署名した。これがウクライナ世論の怒りに火をつけたことは言うまでもないが、逆にブリュッセル、ワシントン、ベルリンでは歓迎されたようだ。
これは偶然そうなったわけではない。西側はウクライナとロシアの関係を完全に誤解してるし、ウクライナには独自の文化もアイデンティティもない軽視すべき存在だという考え方を持っているのだから。よって、国際社会にはロシアによる戦争が新たな植民地主義であることや、ウクライナが脱植民地を目指して何世紀にもわたって独立運動を繰り広げてきたということを理解してもらう必要がある。ロシアの帝国主義とウクライナの独立は絶対に両立しない。ウクライナは武器で遊んでいるのではなく自らの独立をかけて戦っているのである。だからこそ、軍事だけではなく文化も同様に重要な最前線なのだ。
ウクライナがロシアへのボイコットを呼びかけていることへの見下した反応や、侵略者とその犠牲者を「和解」させようとする一際魅力的な欲望は、西側が持つ植民地主義的な考え方を強く反映している。この考え方の根底にあるのはロシアが中心でウクライナが辺境であるという先入観で作られた世界観だ。これは権威あるロシアの文化は周辺の人々の生死よりも重要なことで、ロシアの言うことは聞くべきだが、周辺の人々の言うことに価値はないという考え方だろう。そのようなパラダイムの解体なくして「和解」や「対話」もあるべきではない。
ロシアとの和解は遠い遠い未来に始まる―――まずはロシアがドンバスとクリミアを含むウクライナの領土から完全に撤退し、国際法廷で戦争犯罪が裁かれ、ウクライナに賠償金を支払わなければならない。プーチン政権は打倒しなければならないし、その後に生まれる民主的な政府、市民社会、メディアはウクライナへの犯罪を認めて謝罪しなければならない。そのようなロシア社会の自己批判と深い反省があって、ようやくその時になって始まるのである。
もちろん、こんなバラ色のシナリオが待ち受けていることは分かっているが、だからといってウクライナが今日にでも妥協しなければならないということでもない。ロシアとの「和解」を急ぐことは危険なことだ。それは旧来の考え方に基づいたロシアによるウクライナの再植民地化が開始されることを意味している。要するに、ウクライナを再び文化的辺境へと押し戻し、ロシアが「スラブ」「ポスト・ソビエト」「ユーラシア」の中心であり続けるということだ。世界はロシアの帝国主義や植民地主義の知識人とさらに深く和解することを望むだろう。そうすれば、ウクライナは自分たちの意見を反映した和解のあり方を作るチャンスを失ってしまう。
「戦後のロシアをどうするか」は、ポストコロニアル研究には重い宿題となる。ロシアは脱植民地化の苦痛という歴史を経験しなかった不幸なほど時代遅れの国だが、なぜかは分からないが西側はそのことをよく理解していないらしい。この戦争はそんな西側の目を覚ます機会となるだろう。新しい視点、コミュニケーションや共存の新しい在り方を作っていく機会なのだ。それは理論だけではなく、より重要なのは法的、経済的、人道的な政策として具体化されるべきで、ウクライナはその創造者の一人とならなければいけない。
これが現在のウクライナの文化外交が目指すべき到達点だ。これは長期的な目標になるだろう。ロシアとの戦争という状況下においての文化外交は、対話や和解を促進するべきではなく、ロシアの文化的・言語的な支配という脅威に対して抑止力として機能することで、私たちのアイデンティティを守らなければならない。
訳は下訳を作って機械翻訳とも照らし合わせて作りましたが、あいにく初学者なので文責は持ちません。
ウクライナ研究所はそのブリティッシュ・カウンシルに範をとった機関として2017年に設立されました。ヴォロディミール・シェイコはブリティッシュ・カウンシルで働いた経歴のある人物ですが、日本語wikipediaで所長として示されている指揮者の人とは同姓同名の別人です。
lb.uaはそこそこウクライナでは有名なニュースサイトで、元々は週刊誌のweb版です。
で、このコラムは前半はアリキタリで面白くないんですが、後半からの西側批判は面白い部分かなと思います。特に文化界にありがちな既存のヒエラルキーを温存した形の「和解」を強要しようという流れを戒めているわけですな。
最近流行りのネオナチ問題に絡んでウクライナの右翼問題に言及しておきますと。
途中のバビ・ヤールについてですが、このメモリアルセンターは地元ウクライナのユダヤ人たちによって反対運動が起きたほど国内では評判の悪い施設です。要するにロシアによる情報操作の一環として「ウクライナが反ユダヤ主義的な国であるかのような展示」をするのではないかと考えられていたようで、ウクライナの情報機関SBUが「その証拠は今のところ存在しない」という文書を出すに至り、センターがその御墨付をWebページに掲載しているほどです。フルジャノフスキーもセルフプロモーション目的のクズ扱いされてました。まあドンバスで内戦やらせてる奴の身内連中が集まってきて虐殺を記念するセンターを作ろうなんてグロテスクな話ですわな。
それと、元からウクライナのユダヤ人というのはロシアはもちろんのことイスラエルを中心とした西側のユダヤ人社会とも折り合いが悪く、この反対運動の先頭に立っていたYosyf Ziselsなんかは西側でネオナチ扱いされているほど評判が悪いようです。なぜかといえば、このYosyf Ziselsを始めとしたウクライナのユダヤ人というのはソ連時代に反体制派の経歴を持つことも多く、独立以降はウクライナ人意識が強烈だったりするんで、平気でWW2時代の「ナチス協力者」を擁護しちゃったりするんですな。まあ自分たちユダヤ人が建国した国という意味ではイスラエルに負けてへんぞ!みたいな意識があるんでしょうな。
なのでウクライナ右翼の金主の一人であるコロモイスキーがユダヤ系だったりするのは、それほどおかしなことではありません。
よってウクライナの極右というのは、西側のネオナチよりも、日本の「任侠右翼」と類似しています。靖国神社とか橿原神宮に集まってる右翼のお兄ちゃんが数年後に民団の役員やってるのとかと同じで、思想的背景にはほとんど意味ありません。欧米の学者やジャーナリストは「犯罪的組織の公然部門としての右翼団体」みたいなものが理解できないので頓珍漢な「サッカーフーリガン起源説」を唱えるのですが、そんなものにコロモイスキーが金主になるわけもないし、戦闘力が高い説明がつかないでしょう。要するに軍事的経験のある右翼のアニキが愚連隊を抱えて作ったお国のための組織という説明で日本人ならすぐ分かると思うのですが、これが西側の人には理解できないようです。
鈴木智彦さんがちょっと笑い話みたいな形で織田絆誠のPMC構想をウクライナと絡めて話していましたが、ウクライナの極右グループは実際にチェチェンやグルジアで得た戦闘経験を元に国家機関までのし上がったわけで、割と笑い話にもできません。まあ日本の暴力団と同じで、なんだかんだお上には絶対に逆らえない性質があるので、ナチスの紋章がどうだとかは暴走族が旭日旗振り回してるのと同じだし、奇妙な儀式とかやってるのはヤクザの盃事みたいなものだと思って受け流せばよいと思います。
というわけで反乱の懸念もないどころか、国家親衛隊は普通の大隊の方がヤバい奴多いと思ってるんですよ。なんせ2014年には自腹でも戦争したいって連中が集まってたわけで、金目当てだの兄貴分に言われて参加しただのの方が理由としてはいくらかマシでしょう。ただまあ、いつか武装解除した時には犯罪者を野に放つようなものなので、単純に治安が悪化することを懸念してなくもないです。