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はてなキーワード: 万有引力とは

2023-05-18

anond:20230517235736

特許権にはうるさいのにUI特許にはクソ甘いネット民

自然法則を利用した技術思想創作のうち高度のものに当たらないとか、計算方法ゲームルール経済法則永久機関のような自然法則に反するもの自然法則自体(万有引力法則エネルギー保存の法則など)などは自然法則に当たらないとか、そんなことばっか言ってきやがる。

2022-12-25

anond:20221225160313

Gは普通万有引力定数の記号だろ。お前の言ってるやつは重力加速度か?3.8m/s^2だから単位系が謎だな。地球重力加速度の0.38倍と言いたいのだろうが、それにしては文章が変。どっかからコピペしてきたのか。

2022-10-20

anond:20221020175847

別に俺やお前も例外ではない。

明日から万有引力を信じるな、とか言われても無理なのと、何も変わらない。

 

内容が正しいかどうかとか、あんまり関係ないということだ。

2022-10-10

ちょっとからないんですよね

本当に、分からない。

あなたのおっしゃってることはひとつも分からないんすよね

あなたがいいって言ってるもののナニがいいのか、僕には分からなくて、

とにかく分かんなくて、ちょっとに僕は分かんないかなぁ

ブラッディって、なにがカッコイイんすか? 血とか嫌じゃないすか 痛いだけじゃないすか

これのどこがカッコイイんすか?

僕、クレイジーのどこがいいのか分からなくて、

罪深いって何すか? 罪状があると何か得するんすか? それただの犯罪者ですよね?

そもそも混沌って何すか? カオス? だから何っていう

闇って何すか? 暗ければいいんすか

正義と悪だと、何で悪がいいんすか? 何かそういうデータあるんすか? 悪いから悪なんですよね?

ミギウデが疼くと何でカッコイイんすか

自分で体調管理できない人って、ただのずぼらな人じゃないすか

ちゃん管理できてる方が良くないすか。おいらは立派だと思います

普段力を隠していると何か凄いんすか?

それって、ただの手抜きですよね。隠したりしないで、全力で取り組む人の方がカッコいいと思います

二つ名とか異名とか色々付ける人いますけど、正直めんどくないすか

英語でもなんでもカタカナつけられると、シンプルに見づらいと思います

鎮魂歌って書いてレクイエムって読まないでくださーい

禁忌って書いてタブーって読まないでくださーい

聖戦って書いてジハードって読まないでくださーい

ギリシャ神話とか聖書とか北欧神話とか日本神話とか、ちょっと調べたくらいでそういう話しない方がいいっすよ

内容もちゃんと教えてくれなきゃ意味がなくて、教えるならちゃんと教えた方がいいと思います

神話に出てくる武器説明されても、あんまりおもしろくないっすよ

グングニルも、ロンギヌスも、エクスカリバーも、デュランダルも、天叢雲剣も、意味不明過ぎ

何がカッコいいのか全然からなくて、

他の用語も謎じゃないすか 原罪とか十戒とか、創世記とか黙示録とかアルマゲドンとか…。

名前がいいだろってどういうことすか。雰囲気で感じろとか言われてもそれはあなた感想ですよね

相対性理論とかシュレディンガーの猫とか万有引力とか、今の時代ってちょっとネットで調べれば出てくるんすよね

中途半端説明されるより、ググった方が早くないすか

ニーチェとかゲーテ言葉引用しないでくださーい

文脈無視して差しまれても、何が言いたいのか全然分かりません

自分言葉でしゃべってくださーい

あの、マジで日本語喋ってくれると助かります

厨二って何すか? 厨二ってどういうことなんすか

分かんない分かんない分かんない分かんない! 分かんなーい!!ってな感じで、

ひげおやじさんの言うことって、昔っからひとつ、これっぽっちも、分かんないんすよね

2022-05-04

万引きとは何なのか?

千引き、百引きはないのか?

万有引力の略ではないのか?

2022-03-09

万有引力って知ってるか?

りんごは落ちる

バキフォン

2022-02-12

人が恋に落ちるのは、万有引力のせいではない。

2022-01-08

万有引力法則によれば質量の大きいものに小さいものは引き寄せられる。これが引き寄せの法則の正体である

デブな私が立ってるだけで、寝てるだけで、ようじょたちが引き寄せられるはずである

なのにそうはならないのである

まり、これは私が痩せているということの裏返しではないだろうか

2021-09-03

anond:20210902235904

万有引力という言葉天体相互作用説明したら、天動説でなくなるに決まってんだろ。

セルフ論破ありがとうな。これで君も賢くなったな。

2021-09-02

anond:20210902234254

釣りだと思うけど。万有引力遠心力の合力だよ。取り敢えず月を含む他の天体万有引力太陽を周回軌道する遠心力考慮しなくてもOK

anond:20210902230736

そんなに変なことを言ってるか?

万有引力」って言葉があるくらいだから重力を「地球の中心に引っ張る力」と説明するのは不十分だと思うが。

2021-08-12

anond:20210812164519

自転が止まって無くなるのは遠心力であって重力万有引力)は無くならないよねとマジレス

と思ったんだが、自転が止まる=公転周期と一致するってことでいいのでしょうか?

それとも、公転面に対して停止するということなのでしょうか?

教えて偉い人

2021-08-11

anond:20210811044247

デタラメを言うなよ。

一般論として、逸話という語は嘘を指すものではない。

個別の件(この場合ニュートンリンゴの話の件)に関して言えば、リンゴの実が木から落ちるのを見て「万有引力法則」を発見したという『逸話』は嘘ではない。本人がそう語っていたという信頼できる証言が少なくとも二人の人間から得られている。

2021-07-16

anond:20210716143535

たとえば太陽の表面を基準に考えれば、太陽の外にある物体はすべて、太陽脱出するのに必要位置エネルギーを持っていることになる。(だいたい、質量 × 1900ジュール。1kgにつきTNT爆薬190トン分くらい)

一方、地球生活している人間にかかる太陽万有引力なんてカスみたいに小さい。

から重力の影響がないことと位置エネルギーがないことには何の関係もない

2021-04-08

anond:20210408122232

万有引力質量に対して働くのだから、圧倒的に巨大な質量である地球があるから気が付かないだけで、

例えばデブが立ってれば、みんな微弱にはデブに引き寄せられているんやで

からデブキモいワイが公園に立っているだけで、遊んでるようじょは引き寄せられてるんや

これを引き寄せの法則というんや

知らんけど

2021-03-30

anond:20210330155012

太陽が地級の周りを回っているなんて常識 万有引力法則もしらないの? ただし 体積は考えず 中心点で考えるとする。

2021-02-01

社会学は滅びるべきなのか

 以下の文章は、社会学客観性が無いか学問の体をなしていないか解体すべき、という暴論を見かけて、趣味社会学を学んでいる人間イラッとして書き散らしたものです。専門家によるまともな読み物としては、盛山和夫社会学方法立場: 客観性とはなにか』(2013)、佐藤俊樹社会学方法――その歴史構造』(2011)(たまたまですがどっちも東大系の人ですね)、あるいは以下で紹介する「客観性論文」やそれ関係論文などがあります。ちなみに「岩波科学科学論文」の人に関しては擁護のしようも無いと思います

 たとえば、この宇宙スパゲッティモンスターによって創作されたという誤ったイデオロギーを抱えた科学者がダイナマイト発明したとして、ダイナマイトは誤った発明であるとか、あまつさえ存在しないということにはなりません。それはそれ、これはこれ、という態度が科学的というものでしょう。しかし、誤ったイデオロギー社会学者が抱えることは望ましくないとされます。なぜでしょうか。

 それは社会社会問題が、原子DNAが「存在する」のと同じ意味では「存在する」と言えないことに根本的な原因があります。たとえばホームレス現在社会においては色々な意味問題とされていますしかし、ホームレス人類の定住以前においては間違いなく問題概念として存在していませんでしたし、中世近世においても今日と全く同じ問題としては存在しなかったことでしょう。原子がこの宇宙の始まりから今と同じように存在していたのとは対照的です。ホームレスを扱う社会学が、物理学生物学と比べて胡乱なものに見えがちな理由はここにあります。誤ったイデオロギーを抱えた社会学者は誤ったもの存在するとみなしてしまいかねないのですね。

 しかしだからといって、今日ホームレス問題としてまったく「存在しない」と言い切ることはできないのもまた確かな実感でしょう。原子の「存在」とは別の意味とはいえ社会社会問題は確かに存在」する、と言いたくなります。「実在」と「非実在」のあいだの独特な在り方。社会学者はそのことを「社会実在」のような言葉で表してきました。これはいかにも怪しい物に思われますしか今日における我々が「ホームレスになりたくない」、「ホームレスが怖い」、あるいは「そうしたホームレスに対する差別的見方こそが問題なのだ」と思っているのもまた確かなことです。およそ100年前、そのことを単に思うだけでなく、その思い自体を当時隆盛しつつあった科学方法分析しようと考えた人々がいました。

 マックス・ウェーバーの「社会科学社会政策にかかわる認識の『客観性』」(以下、客観性論文)という1904年論文がありますウェーバー社会学におけるビートルズであり、この論文イエスタデイくらいの重要さと著名さを誇ります。要するに、まともに社会学をやっていればなんとなくは知っているべきもの、という位置づけでしょう。(ちなみにLet it beは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。読んでいないのは許されない)

 とか言いながら私は手元にその本が無いので、ネット記述に頼りつつ思い出した記憶で以下のことを書くことをお許しください。

 ウェーバー客観性論文のなかで社会学者がよって立つべき「価値自由」という概念提唱します。この主張はしばしば「価値判断をしてはならない」とか「価値判断に影響されないデータだけを虚心に扱うべきである」といった主張として誤解されていますしかしそうではなくウェーバーはここで「社会学者もまた人間である以上、何かの価値判断を持ってしまうことは避けられない。そして価値判断は時として認識を狂わせる。しかしだからこそ、社会科学的に取り扱う社会学者は価値判断認識区別しなければならない。そのためには自分の持っている価値判断に対して敏感でなければならないのだ」といったことを主張していたはずです、たぶん。客観性論文については多様な読解や批判がなされている(上に私の手元にその論文が無い)ので客観性論文の内容についてはこれ以上立ち入らないことにします。以下ではその代わりに、客観性論文に関する微かな記憶を頼りにしながら、社会学客観性について考えてみたいと思います

 たとえば次のような主張がなされることがあります。「数字は嘘をつかないが、数字を使う人(社会学者!)は嘘をつく」。けだし名言でしょう。しかし、社会学であるならばもっと深く考えなければなりません。ここでは「ホームレスの人数」について考えてみましょう。ここで名言に従って単純に考えるのであれば次のようになるでしょう。ホームレスの人数は、数学物理における定数のように誤ることなく(それを測り間違うことはあるかもしれないが)存在しているが、それを多いとか少ないとか、それを減らすべきだとか主張する人は誤ることがある、と。

 後半は確かにそうでしょう。しかし、前半は間違っています。たとえば、日本政府ホームレスについての統計を発表していますしかし「国民税金を使ってホームレスの人数を数えよう」という時点ですでに何かしらの価値判断が働いています。そのことは政府サイトに「ホームレス実態に関する全国調査」が載っていて、「鼻くそをほじって鼻血を出した人の実態に関する全国調査」が載っていないことを考えてみればわかるでしょう。こうした極論を言うと、「どちらも数字としては存在するが、後者はただ(未発見物理性質のように)見つかっていないだけだ」と言われるかもしれません。しかしたとえば日本政府ホームレスに関する調査は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法第2条に規定する「都市公園河川道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」」を対象にして行われているようですが、ここからはいわゆる「ネットカフェ難民」がその統計から漏れています。これは単なる「測り間違い」なのでしょうか。そうではありません。「ネットカフェ難民」をホームレスに入れるべきか、あるいはそもそもネットカフェ難民」をそもそも問題」とすべきかこそが、ひとつ価値判断であるのです。「ネットカフェ難民」を入れたホームレスの人数と入れないホームレスの人数、どちらが正しいでしょうか?それは重力加速度として2m/s^2と9.8m/s^2のどちらがより正しいか、という問いのようには答えが出そうにありません。

 社会についての数字は、自然科学における定数のようには存在しないのです。つまり社会における事実は、自然科学における事実のようには存在しません。そのような状況で、いかにして社会科学的に扱うことができるでしょうか?

 もしかしたらそもそも可能かを問う以前に、そんなことを目指す必要があるのか疑問に思う人がいるかもしれません。あるいはより直裁に「社会科学的に扱う学問社会学って何の役に立つの?」と聞かれることはしばしばあります。それには多様な答えがありうるでしょうが、私は次のように答えることにしています。「何かの役に立つわけでもないのにやらずにはいられないのが科学の出発点なのだ」と。人間が持つ認識能力や、何かを書く/描く、喋るといった能力は、生存する上での必要から発達したはずです。自分の周囲を見渡す能力や、自分が見た物事他者に伝える能力は、それを持っていない種よりも生存上の有利をもたらしたことでしょう。しか人間は、その必要性を越え出たところまでその能力を、あるいはその能力によって生み出すものを発達させました。それは、芸術とか哲学とか、あるいは科学とか呼ばれるものです。存在しない風景を描くことに、どんな必要性があるでしょうか?死後の世界を思い描くことに、どんな必要性があるでしょうか?そして宇宙の星々の表面を調べることに、どんな必要性があるでしょうか?こういうことを言うと、次のように返されるかもしれません。「芸術哲学生存に不必要かもしれないが、いまのわれわれは科学無しには生きられないではないか」と。まあ、確かにそうです。でも、それは科学根本的な不必要性を否定するものではありません。人間ホモサピエンスは、ニュートン万有引力発見する以前からずっと世界覇者であったではないですか?それでもニュートン万有引力発見したのは、「世界のことをもっとよく知りたい」という、ただ生きるためには不必要知的欲求、こういってよければ人間特有本能からであったはずです。「ただ生きる」ことに飽き足りないのが今の人間であり、そうした人間が生み出したのが芸術哲学科学です。そのうちの科学欲求が、これまた不必要に複雑化した社会のありように向かうことも、私は自然なことだと思っています。先のような問いをする人には、正直に言えば「なぜあなた社会について科学的に分析したいと思わないでただ生きていられるのですか?」と私なんかは思うのですが、これはさすがに社会学に頭をやられてしまった奴の意見でしょう。ほかの社会学者はもっとうまく説明することができるはずです。まあ、そんな可哀想な奴もいるんだなと思っておいてください。でも実際、「社会に対する科学認識って必要?」と言われたら、究極のところ「認識したいんだから仕方ないじゃん?」としか私は返せません。なのでこの問題放置して次の段落に向かいます

 さて、いか社会科学的に扱うことができるかという問題でした。その問題は、社会に「存在する」もの数字が、ふつう科学が扱うもの数字と同じようには「存在しない」、というところから発生しているのでした。より明確に言えば、社会実在は、それを観測する人や社会価値判断を抜きにしては存在し得ないという独特の性質を持ちます。たとえば「ネットカフェ難民」は、ここ二十年ほどの日本労働環境ネットカフェの事情抜きには科学的な意味で「存在しませんでしたし、さらに言えば科学的な意味で「存在」していても、支援団体の人々などが発見ニュース等で取り上げられるまでは社会的に「存在」しえませんでしたし、いまだに政府ホームレス統計には「存在」していない、という状況にあります。そのことは万有引力宇宙の始まり以来、ニュートン発見しようとしまいと科学的な意味で「存在」していた、あるいは今現在未知の物理現象生物現象が、まだ発見されていないだけですでに世界のうちに「存在」していることとは対照的です。

 価値判断抜きで存在し得ない対象を、いか科学的に扱うか。それこそがウエーバー客観性論文のなかで考えたことでした。ここでよくある誤解は、そして絶対に避けられるべきなのは、「社会実在は実は価値判断抜きに存在しうる」と考えたり「価値判断抜きで存在するもの社会学は扱うべきだ」と考えたりすることです。前者が存在しないことはすでに説明しました。社会実在は――それが単なる数字統計であっても――価値判断抜きには存在し得ません。であるからして、後者社会学根本的に否定する思想です。そういう価値判断に影響されざるを得ないもの、すなわち社会社会実在をよりよく知りたいと考えるのが社会学なのですから。それを否定する人に対しては何も言えないということはすでに述べました(あくまで私個人からは、の話ですが。ほかの社会学者はもっとうまく説得するかもしれません)。

 そこでウェーバーが述べたのが「価値自由」でした。社会学者は自分価値判断をわかっていなければならない。より分かりにくく論文に忠実な言い方で言えば、「存在する」ことと「存在するべき」ことを区別しなければならず、科学は「存在する」ことしか明らかにできない。このウェーバーの主張に対しては、それもまたひとつ価値判断ではないか、という主張を投げかけることが可能ですし、一見ただのいちゃもんに見えるその問いは、社会学の中で大真面目に議論されてきました。私の見たところ、この問題は答えが出ない種類の問いなので、取り扱わないことにします。いいじゃないですか、どんな学問だってドグマの一つくらいありますよ。それより重要なのは、「自分価値判断をわかる」ことが、本当に社会実在を扱う上での十分条件であるのか、ということです。それが必要条件であるのは確かにそうであると思います。ある社会学者が「ホームレス問題についての社会学分析」という論文を書くとして(テーマが広すぎますがそれは置いておいて)、その人が「自分ホームレスを望ましい人間の在り方ではないと考えている」とか「というかホームレス気持ち悪い」とか「ネットカフェ難民をホームレスに含めていない日本政府問題である」とかい自分価値判断自覚していなければ、それは社会学研究として成り立たないでしょう。しかし、それだけで十分なのか。社会実在というものは、もっと慎重に取り扱わなければならないものではないか。(実際、客観性論文より後の後期ウェーバーも、そう考えて「理解」を社会実在根本に据えたと私は理解しています[詳しくないので間違っているかもしれません])

 と、ここまで書いて疲れたので一旦筆を置きます。続きは最初に挙げた二冊を読んでください。でも、ここまで読んでくださったあなたに問いたいのですが、私の書いたことは多少なりとも興味深くはなかったですか。社会学はこのような根本的な問いを抱えながら成長してきましたし、まだその途中にあるのかもしれません。私の考えるまともな社会学者はこの文章における中心的な問い「社会実在とはどのようなものか?」に対する、この文章以上に説得的な答えをそれぞれ持っています。そこが人によって違っていいのか、と思われるかもしれません。もしかしたらそこが社会学の駄目なところかもしれません。しかし、おおよその社会学者は確かにウェーバーや(この文章では触れませんでしたが)デュルケームなどが作った社会学歴史の上で考えている、という点では一致していると思います。それこそが社会学共通性であり、知的伝統であるとみなしてはもらえないでしょうか。よろしくお願いします。

2021-01-15

anond:20210115183829

しろ、いま、試験内容がかわっているからな。

万有引力を2回微分できる以上の物理必要か?というとき

プログラマーでもできないと困るが、

それ以上は必要がない。

他方ハードウェアエンジニアには必要だろう。

まり物理専行 化学専行では、IT系には不足

物理化学50%専行というのがソフトウェアエンジニアには適切 不適切テスト方法高得点を取れるというのは、適正がない

 

君を待っている。僕たちの後輩にならないか

毎年点数を調整するのが下手くそな後輩のために教授謝罪しに文部省に行く伝統も、令和では打ち切ろう。

配点書いてあるから

算数はできてくれ。

 

まいとし、算数ができない後輩を救済するのが大変なんだよ

2020-12-07

質量のある物体同士は惹かれ合う

のが万有引力法則なのだから質量のある人体同士がぶつかるのは当然ではないだろうか

まり質量を小さくするほど引力は小さくなるわけで、衝突を回避したければ痩せるしかないのである

身近にデブがいたら、周囲の人間は微弱な力であれそのデブに吸い寄せられているのである

すべての人間物体は巨大な地球に吸い寄せられているか重力という引力を感じるのである

衝突を回避したければ痩せるしかないのである

2020-10-31

日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

http://studiit.jp/

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日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

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 日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、

明確な理由説明はなく、説明要求を斥けることは学問の自由理念に反すると同時に、民主主義敵対するものであり、

これに断固として異議を唱えます

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 《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力行使国民に対する暴力)であり、主権者である国民説明責任を果たすことが

民主主義の基本だからです。

情報公開制度古代ローマ時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。

必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望します。

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令和 2 年 1017

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イタリア学会会長

藤谷道夫慶應義塾大学教授

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理由

 イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)

イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動適用することは、学会目的に適う実践行為判断し、

今回の声明を発した理由簡単説明したい。

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 菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民

理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員

一員として、政権批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。

学問国家従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、

政権批判をしてはならないという誤った公民である

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 学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類資するものである与党資するものだけを学問研究

なすことは大きな誤りである学問研究によって得られる利益人類全体に寄与するものでなければならず、

時の政権のためのものではない。

判りやすい例を挙げれば、日本西洋から数学物理化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵無償で受けた。

万有引力定数や相対性理論発見したのは日本人ではない。その恩恵利益を受けながら、その使用料は払っていない。

なぜなら学問成果は全人類共通善として無償で開放されているかである

日本国には受けた恩恵人類に返すべき義務があることは言うまでもない。

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 国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である

公務員政権の《しもべ》ではないかである公務員国民全員の利益のために働く。

政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員義務である

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古代中国では臣下君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。

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翻ってイタリアの地、古代ローマ時代には、時の政権勝手な振る舞いか国民を守るための公的機関である

護民官が設置されていた。現代公務員匹敵する護民官は、時の権力批判牽制するために作られた

驚くべき官職である

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 次に、菅首相憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味理解していない。「学問の自由保障とは、

学者学問良心に従って行なった言動評価は、まずは学者うしの討論に委ね、最終的には歴史判断に委ねるべきであり、

間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授

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権力学問世界に介入する事例は西洋史に無数に見出される。

1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と

イエズス会士はこれに激怒し、同書を禁書にした。

ガリレオローマ異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。

ガリレオ自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究放棄するよう宣誓させられた。

そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。

教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力判断によって封殺された。

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 「今回、菅首相は、特定学者言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》

について自分権限判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民理解され

存在ではない》と認めたのである

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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、

そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなである

にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の

ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の

ものでもない。」(小林節名誉教授

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 私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、

国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官

見解を示している。

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しかし、菅首相官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法無視してきた。

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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、

元老院議事録国民日報編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル20

これが民主主義への第 1 歩である

それまで国民元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。

議員私利私欲談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、

貴族権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったかである

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 一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書改竄捏造、削除され続けてきた。

かに日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、

人事異動プロセスも民草には窺い知ることもできなかった。

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おそらく安倍菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。

紀元前 5 世紀のアイスキュロス作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。

この劇は二人の登場人物プロメーテウスを連行する場面から始まる。

プロメーテウスは絶対君主であるゼウス意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、

暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。

この時、彼を連行する 2 人の登場人物名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。

二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言言葉を発しない。

ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である

ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力強制意味する。

ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである

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同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される

(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。

その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、

これが現実になったのが、ソヴィエトである

ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。

逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、

また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。

これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民心理的権力によって完全に支配される。

まり、《説明しない》ことこそが権力行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。

なかに権力忖度し、取り入る者が出て来る。

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こうした事例から民主主義いかに「説明すること」にかかっているかが判る。

説明情報公開民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなである

たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。

ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。

しかし、問題本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。

科学分野の基礎研究予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、

また軍事研究に手を染めない学術会議方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。

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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、

国立大学都道府県教育委員会日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。

公金は自民党のためのものではなく、国民のためのものである

国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。

かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである

(文責:藤谷道夫

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ナチス最初共産主義者攻撃した時、私は声を上げなかった。

なぜなら私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。

彼らが労働組合員を攻撃した時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は労働組合員ではなかったから。

ユダヤ人が連れ去られた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。

そして彼らが私を攻撃した時、

私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。

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通常の娯楽に加えて、(古代ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、

凱旋式があった。

(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。

将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆面前であげつらうのである将軍高慢ものぼせ上って、

自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである

例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!

あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代独裁者たちに対しても同じように言うことが

できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。

(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)

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犬儒派キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、

世の中で最も素晴らしいものは何かと訊かれたとき

《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」

ディオゲネース・ラーエルティオス『ギリシャ哲学列伝』69~

2020-08-25

anond:20200825044059

変な話だが、おとなが、

地球 つまり、僕たちの星の周りを太陽が回っているといって、うそだ 太陽の周りを地球が回っているのだという ということの意味がわかってない。

わかった、万有引力法則の数式書いてくれ、どうやったら、地球の周りを太陽が回っていないと、その数式で言うのか?

2020-07-19

蝉の声

僕が地球に不時着したのは32年前で、故郷の星に戻ることを諦め今の妻と結婚してから4年になる。

結婚を機にウォーターサーバー営業の職に就き、契約先のオフィスを巡って重たい水のボトルを運ぶ日々を送っている。

ーー

数年に一度くらいのことなのだけれど、街角で僕以外の宇宙人を見かけることがある。

地球人にはまったく気づかれないと思うが、やはり宇宙人同士だと一目でそれとわかるものだ。

苦笑いを浮かべて会釈を交わすこともあれば、こっちに気づいた瞬間に走って逃げられることもある。

お互いにいろんな事情があってこの星に迷い込み、生きることを決めたのだろう。

ーー

地球人は安全まりない生き物だけれど、得体の知れない異星人には捕食される危険性がある。

から宇宙人同士で会話することはないし、会話したとしても必要最小限の二、三言で、以後はできる限り互いが会わないように注意して行動するようになる。

なので今日最終電車を待つ夜のホーム出会った宇宙人と、数分とはいえ世間話しをしたのは初めてのことだった。

普通ならそんな危険なことは絶対にしないのだけれど、彼の首筋に宇宙刑務所マーク刺青(脳に施されるため、刑期を全うしない限りはどれだけ肉体改造しても神経を伝達して浮かび上がってくる)があり、それで彼が宇宙刑務所から脱獄囚だと気づいて、思わず自分からしかけてしまったのだ。

「あの刑務所って、宇宙誕生してから、たった一人しか脱獄成功していないんですよね?」と僕は尋ねる。

「ええ……そうらしいですね」と男は遠慮がちに言う。彼は50代後半の男性地球人が休日を過ごすときのような姿をしていた。

「なにか、生まれつき特殊能力をお持ちだったんですか? テレポーテーションとか、サイコキネシスとか?」

「いえいえ、そんな凄いことなんて何一つ……というか、実際にそういった能力を持つ宇宙人って、実在するのですか?」

「いや、すいません」僕は頭を搔く。「地球テレビ番組とかでよくそういう設定の宇宙人を見るので、つい。実際には、聞いたことがないです」

「ははは。そうですよね。私の故郷の星は地球とよく似た環境で、というかほとんど違いがなくて、むしろ地球人に比べてわずかに非力なくらいです。だから自動じゃないドアが重くってね、ははは」

地球人は宇宙人の中では怪力なほうですもんね」僕は持っていた缶コーヒー一口飲んで一拍間を空けてから「それで、どうやって脱獄したんですか?」と、一番聞きたかった質問について、できるだけなんでもない風を装い、尋ねる。

「うーん、あれは脱獄したというか、気づいたら脱獄していたというか」と彼は言葉を選ぶようにして言う。「脱獄には地球時間で8週間ほどかかったのですが、意識がなかった時間も多くて。心音を止めないと探知機が作動する通路があって、心停止していた期間とかもあって、記憶曖昧なんです、無事に蘇生できたからよかったのですが」

心停止、ですって? かなり、壮絶だったんですね」

「そうですね。一緒に脱獄を企てた幼馴染が蘇生に失敗して、途中で息絶えてね。あとは刑務所から脱獄計画を中止しないと一緒に収監されている息子を拷問するぞと監内放送で脅されたりして……ブラフとわかっていても、あれはこたえましたね」

「それは……」僕は絶句する。

宇宙警察では収監されるときに服はおろか、体毛も歯も爪も触手も手術で没収されるでしょう。食事も粉末栄養から脱獄に使える道具もなくて、とにかく知恵をしぼりましたねぇ」

そこまで聞いて僕は、最終電車が来るまであと数分もないことに思い至る。

彼に聞きたいことは山ほどあった。だが、残り時間でそれを全て聞くことはできそうにない。

「どうして、あなただったんですか?」この機会を逃したらもう2度と会えないのだ。僕は失礼を承知で、思い切って知りたいことを端的に尋ねることにする。

宇宙刑務所では毎日、何億人という荒くれ者や知能犯宇宙人たちが、ありとあらゆる方法脱獄に挑んでは命を落としてるって聞いたことがあります。どうして、あなたけが脱獄できたんでしょうか?」

「そう……ですね」彼はうつむいて、黙り込んでしまった。僕は気に触るようなことを言ってしまたかと一瞬不安になったが、彼の表情を見るに、僕の投げかけた問いに真剣に答えてくれようとしているみたいだった。僕は辛抱強くその問いの答えを待ち続ける。

待ちながらふと、その問いは彼がずっと自分自身に対して問い続けてきた質問なのではないか、と僕は思う

「私は、ずっと」と絞り出すように、彼は言った。

「私はずっと幼い頃から、【この世界は私のためにつくられてなんかいないんだ】と、はっきりと認識していました。

 どうやら、家族友達はみんな、この世界自分自身にとってなんらかの意味があると自然と感じているんだ、と知って、自分にはそれがとにかく不思議しょうがなかったんです。

 世界自分が大なり小なり呼応した存在であるという、周囲の人たちが当たり前に感じる感覚を、私は幼い頃からずっと感じることができなかった。私は、この世界自分というちっぽけな存在を全く気にしてもいなくて、ただ自分の隣を通り過ぎていくだけの存在しかないのだ、と、そういうふうにはっきりと感じていました。

 この世界は偶然私と出会っただけで、私のことに気づいてなんていやしない。深い海の底で巨大な鯨と出会っても、鯨は私を気にもとめずに泳ぎ続けていくでしょう。私にとって世界とは、そういうものなんです。

 私は生まれつきこの世界に対して、違和感というか、距離感を感じていました。なんというか、それを私のように感じている人に出会たことがないんです。近いことを感じていても、私のようにはっきりと確信している人は、いない。もし、私だけに宇宙刑務所脱獄できた理由があるとするなら、脱獄手法は全く本質的ではなくて、その距離感こそが――」

彼がそこまで話したところで、僕が乗る最終電車ホームへ入ってきた。

僕は彼の顔を見る。彼はまだ何か話したそうな、もどかしい表情をしていた。

もう少しだけ。もう本当にわずかな時間さえあれば、彼が幼い頃から感じてきた何かを、やっと言葉にできる手助けができるのかもしれない、と僕は思う

でも僕にはそれを待てるだけの時間がない。明日仕事があるし、なにより終電を乗り逃したら、家で待つ妻がひどく心配するだろう。

けれど――

『二十億光年孤独』ですかね。

その時、そんな言葉が、僕の口を衝いて出てきた。

僕と彼はその言葉に、一瞬だけあっけにとられたような顔で見つめ合ったあとで、あはは、と一緒に笑った。

ああ、彼もあの詩を読んだことがあるんだ。と思い、僕は嬉しい気持ちになる。

無言の会釈を交わして僕たちは別れ、それぞれの日常へと帰っていく。

ーー

自宅のマンション前に辿り着くと、部屋の明かりが消えているのが見えた。妻はもう先に眠っているようだった。

僕はエレベーターで八階に上がり、音を立てないように玄関を開け、リビングの明かりを灯す。

リビングテーブルの上に、妻が僕のために作ってくれた夕食と、A4サイズ封筒が置かれていた。

僕は夕食のおかずを電子レンジに入れてから椅子に座り、封筒を手に取る。中には書類が入っているようだった。僕は中の書類を取り出す。

そこには、妻の不妊治療の結果と、夫向けの精子検査パンフレットが入っていた。僕は詳細については読まず、書類封筒に戻す。

僕はその封筒をじっと見つめ、それから寝室で寝ている妻のことを思った。

「この世界は私のためなんかにはつくられていない」

と彼は言っていた。僕には彼の話を完全に理解することはできなかった。

彼の言ったことが僕にも当てはまるとしたら、僕と妻はこの世界でどれだけ一緒にいられるのだろうか、と僕は考える。

僕は僕の夕食が温まりきるまでのわずかな時間、目を閉じ、『二十億光年孤独』の詩を思い出そうとしてみる。

 万有引力とは

 ひき合う孤独の力である

 宇宙はひずんでいる

 それ故みんなはもとめ合う

いつだったか僕は図書館でその詩に出会い、

その時にはっきりと、故郷の星に戻ることを諦めたのだ。

それはたしか夏だった。あの日の蝉の声が僕の中で蘇ってくる。

 

 宇宙はどんどん膨らんでゆく

 それ故みんなは不安である


電子レンジ現実へ帰れと僕を呼んでいる。

二十億光年より深い孤独に、僕は思わず涙をこぼした。

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