はてなキーワード: 野球中継とは
去年、急にスポーツ観戦にハマった。
それもプロ野球。
元々地元にあった球団の、ある選手がきっかけだった。テレビがつまらなすぎてたまたま流していた野球中継で、彼は人一倍大きな声でチームを鼓舞していた。その懸命な姿に惹かれた。
よく見れば顔もタイプだった。
元々長い間色々なジャンルのオタクをしていたため、その後は転がり落ちるようにハマっていった。
球団はSNSやYouTubeなどを駆使して、ほぼ毎日情報発信をしている。バラエティ番組顔負けの企画や、アイドル雑誌にあるようなオフショットなんかもある。試合がない日も決して飽きさせない工夫がなされている。強欲なオタクに優しい。
たまたま中継を見たあの日から数ヶ月後には、すっかり野球ファンになっていた。
ちょうどこの頃、職場の仲の良い同僚(同じくオタク気質)も野球沼に引きずり込まれていた。彼女も地元球団を応援していたが、推し選手は別だった。しかし、互いの推し同士が仲が良く絡みが多いため、ツーショットがSNSに上がるたびふたりで盛り上がった。毎日の会話は野球一色になった。
充実した日々だった。クソみたいな職場で死んだように仕事をしていた毎日が、野球のおかげで一変した。平日も、夜中継があると考えるだけで乗り越えられた。推しがプレーする姿を見るだけで、柄にもなく明日も頑張ろうだなんて思えた。
そして、待ちに待った今年の公式戦が始まった。
去年の推しは一年を通して比較的安定した成績を残し、不動のスタメンとして活躍していた。今年も当然そうだと疑わなかった。
ところが今年のシーズンはなかなか成績が振るわなかった。まだ始まって間もないといえばそれまでだが、ファンとしては気が気でない。本人はいつも通り元気にプレーをしているのがまだ救いだった。推しが打席に立つたび、テレビの前で祈るのが習慣になった。
そんな中で、推しが怪我をした。幸いにも長期離脱は避けられたが、連続スタメン出場の記録は止まってしまった。自分のことよりショックだった。その日の試合中継は見なかった。
怪我の度合いが公式でアナウンスされなかったため、SNSで情報をかき集めた。
推しの名前で検索すると、怪我に驚く声に混じって「スタメン落ちは当然」という意見が多く見られた。
成績が悪いのに使い続けるなんて無駄、怪我を理由にスタメンから外すことができてよかった、高い年俸もらってるくせに役に立たない…
プロの世界である以上、成績を残さなければ生き残ることはできない。かなり落ち込んだが、正直何も言い返せないな、と思った。
ふと、そのツイートを繰り返していた人のアカウントを覗いてみた。同じ球団の違う選手(Aとする)のファンらしい。フォロワー500人以上のアカウントだった。
A選手も、開幕から不調が続いているひとりだった。試合に負けると球団公式のSNSアカウントに対してA選手を非難するコメントが寄せられていたこともあった。
その人はA選手を非難するツイートを晒し上げ、「Aがスタメン落ちるなんてありえない」「Aがいないチームなんて勝てるはずがない」と何度も発言していた。
推しを非難するアカウントをもうひとり覗いてみた。その人は、わたしの推しと同じポジションである選手(Bとする)のファンだった。
推しがスタメンを外れた日、代わりにスタメンとして出場していたのがB選手だった。
推しが怪我したことをとても喜んでいた。これでやっとBがスタメンに復帰できたと。「推しさえいなければBがずっとスタメンだったのに」と恨み節を並べていた。
わたしは普段、公式のアカウントや、推しのファンで現地の写真をアップしてくれるアカウントくらいしか見ていない。
今回初めて色々なファンの意見に触れて、自分の中で思ったことまとめてみた。
①自分の推しは、誰かにとって死ぬほど邪魔な存在であるかもしれない。
②逆もしかり。自分が一切興味のない人も、誰かの人生を支える大切な人であるかもしれない。
②基本みんな推しのことしか考えていない。贔屓目とかのレベルじゃないダブルスタンダードを平気で言う。
でも、推しを好きなあまり、評価してほしいあまり、誰かを引き合いに出したり、比べたりするのはよくない。
それでいいじゃない。
野球というスポーツも球団も実はまったく興味がなかった。別に野球ファンになったわけじゃなくて、ただ推しが野球選手なだけだった。
推しが出てない試合の中継は一切関心ないし、チームが勝とうが負けようがどうでもいい。
来月ついに現地観戦のチケット取ったけど、推しがスタメンじゃなかったら普通に行かない。
そういえば、わたし元々オリンピックすら見たことなかった。普通にスポーツ嫌いだったもんな。
誰が何と言おうと、ずっと。
それでいいじゃない。
ちっちゃいころ野球中継に好きな番組が圧迫されて野球嫌いだったし、そういうつまらんものに没頭する野球観戦おじさんのこともバカにしてたけど
最近になってVALORANTの大会配信見るのがおもしろくって、オジサンたちもこういう感じだったのかなって反省してる
特定チームへの微妙な肩入れから始まって、推しチームの選手のキャリアとか調べたら他のチームにまで興味が広がって、
「この試合のこのシーンは元チームメンバー同士のプライドファイトだったんだな」とか、知識がついて視点が広がったら、もう没頭して引き返せなくなってた
で、夢中になればなるほど、観戦中にちょっとしたお酒が欲しくなり、お酒が入ると簡単なおやつとかも欲しくなってしまう
ほんとうにすまなかった、当時のオジサンたち
君たちは正しかった
プロ野球というかスポーツ全般を自分は見ないんだけれども、子供のころの思い出がそのまま大人になっても引きづっている。それは2つの経験からきている。1つ目が少年野球。2つ目がプロ野球の番組延長だ。
1つ目の少年野球だが、自分の地元では小学生は少年野球に入るのは当然みたいな空気があった。運動神経がよくない自分はなんとなく入りたくないなと思いながら、見学にいった。すると少年野球の監督(地元のおじさんだが)が怒鳴りながら指導をしているのを見た。休みの日に怒鳴られながら野球をするなんて絶対に嫌だと思い、結局入らなかった(入ってたらミスしまくりで怒られていただろう)。ところが小学校では入っている人のほうが圧倒的に多いので「何で少年野球入んないんだよ」みたいなフォローを定期的に同級生や上の学年の人から受ける。そのたびに適当なことをいって入らない。これが続いて野球というもの自体が嫌いになってしまった。ちなみに自分が小学生のときはミニ四駆ブーム(爆走兄弟レッツ&ゴー!! )が来ていて、少年野球に入っていない数少ないやつらで遊んだのは最高に楽しかったのを覚えている。
もう1つあって、それはプロ野球が延長になって見たかった番組が潰されることだ。具体的に覚えているのはドラゴンボールが見れなかったときだ(それぐらいショックだったのだろう)。録画すればいいじゃんと今の人は思うかもしれない。しかし、当時は今みたいに録画追跡機能もなく時間をぴったり決めてビデオテープで録画をしていた。だからビデオテープを再生したら中途半端に野球中継が入っていることになる。もうその番組を見ることはほぼ不可能だ。運がよくても途中までが録画されていて、中途半端なところでビデオが終わる。
他の人はどうなのかよくわからないけれども、小学生のころにミニ四駆ブームだった世代で似たような経験を持っている人はいるのではないだろうか。
江川氏は94年スタートの前身番組「スポーツうるぐす」でメインキャスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説で選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。
巨人原辰徳監督(63)からはビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。
MCのくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。
上田はあきらめず「ひょっとしたら原監督から『ちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後は上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。
終盤には、今年まで巨人の場内アナウンスを担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川、背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者やスタッフに感謝の言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っています。ありがとうございました」と、意味深なコメントで締めた。
選手としての特徴
江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川のストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之、西本聖、槙原寛己など多数の人物が異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日のGoing!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年の中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。
1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しかし2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレートは普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。
《なお、2021年のMLBでは、回転数が高いボールの効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》
1985年頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。
阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。
9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代にチームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。
被本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年はリーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打は通算で1.23本である[59]。
上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神戦通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁は阪神に移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。
打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。
少年時代の写真に笑顔で写っているものはない。それは父親から「写真は真顔でとられろ」と言われたからである[62]。
裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親が財産の管理が上手かったことから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。
幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機嫌いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川が米国開催の日米大学野球選手権大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたことである)。かつて巨人の北海道遠征の取材で東京→盛岡→青森→函館→札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプの取材でも東京→博多→新八代→鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川が引退した翌年、1988年に青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲームを取材したときでも、松山→岡山→東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディングで江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナは松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄へキャンプ取材する際も、時間に余裕があるときは鹿児島から24時間かけてフェリーで沖縄に移動するほどである。横浜DeNAベイスターズの春季キャンプの取材で沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会のハワイでの取材時にも長嶋茂雄から「江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである。飛行機嫌いの一因には幼少時代の体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長も犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。
大学時代、後の夫人となる女性と交際していたときにデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。
現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフ・アール・イー、2007年1月に破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社の役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名は桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。
現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。
本人曰く「成金趣味」に結構な金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。
テレビでの野球中継において選手を呼び捨てにしている解説者が多い中、江川は基本的に呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。
BS放送なんて映画だ野球中継だを流して見ていない人にもお金をとっている、傲慢以外の何者でもない。
朝ドラ、野球中継、コント番組、教育番組で流れるアニメ、BS放送、、、、これらすべて娯楽であって見ていない人に押し売りするものではない。
一方で公共の報道機関としての役割も重要であるのは一理ある。だが、現状の番組の実態が公共の報道機関としての機能を失っているのが問題だ。
なので、NHKのあるべき姿は以下だと思う。
1. BS放送の撤退。2chと12chを統合。昼の1時間だけ国会中継を流す&緊急時に緊急放送を流す。それ以外は教育番組。あるいはそもそもテレビ事業から撤退。
2. 教育番組もあくまで放送大学的なアカデミックや教養の底上げを目指す。
2. 国政や海外情勢に関する中立的立場の報道番組は基本的にネット配信orネット記事として報道する。
3. 野球中継、コント番組、ドラマ、朝ドラ、その他報道に関係ない事業は廃止(公共の報道機関の役割から逸脱している)
蔵の街として知られる静かな町並み。
駅でもらえるマップを片手に、こんなところにもラーメン屋が!と街歩きするのが楽しい。
「ご当地ラーメン」を売る街は多いが、沢山の店舗が町並みに溶け込んでいるのはここが一番ではないか。
いくつか有名店とされる店はあるようだが、私は並ばずすぐに入れるお店へ何店か。
期待通りの太いちぢれ麺。どの店も旨い。
蕎麦を売りとする街。門前町に蕎麦屋が並ぶ街は多いが城下町では珍しいかも。
アクセスの便は良くもなく、周囲に人口の多い地域もない。関西圏以外で知名度はほとんどないのでは。
城下町として古い町並みも整備されているけど、それ単体で観光の売りにするのも他所の有名どころと比較すると厳しいかも。
それでも街にはにぎわいがあり、どのお店も絶え間なく客の出入りがある。
小皿に小分けされて提供される独特のスタイルで、しっかり打たれた蕎麦は間違いなく旨い。
周辺地域の方たちに愛されているのだな、と感じた。
「お好み村」が有名と聞き訪れたが、どのフロアも制服着た学生で大混雑。平日なのに。
期待していたのとちょっと違うかなと立ち退いて繁華街をふらっと歩くと、次々に目につくお好み焼き店。
それこそコンビニと同頻度で点在している。これなら有名店でなくても十分。
小さな店舗に入ると、カウンターが全面鉄板となった席に通される。
店員さんがすべて焼いてくれるのが新鮮だ。投入が前提となっている麺は、そば・うどんが選択できるのも良い。
気取らない普段着のカップル。会社帰りっぽいサラリーマン。カウンター奥の広島カープの野球中継。
ああ、ここではこれが日常なのだな。その土地の日常を体験させていただく贅沢よ。
鄙びた港町。最果て感漂うこじんまりとした街に、街の規模より気持ち多めな料理店・居酒屋が点在する。
鰹を名産として謳う街だがお店では名物!!と押し出される感もなく。定番メニューとして自然に鰹料理が並び、珍しい部位や調理の種類も豊富。
一般的に生ビールがあるようなドリンクメニューの先頭に、当たり前のように位置する「さつま白波」(枕崎に蔵がある焼酎)
鰹料理と手書きメニューの本日おすすめのお刺身を甘い醤油で味わいながら、1杯300円の焼酎を追加オーダーしつつゆったりと。
退店後周囲に目につく鰹節工場の看板眺めながら、こういうのがいいなとほろ酔いで小さな街を夜をのんびり歩く。
私の知らない魅力的な街はまだまだたくさんあるのだろう。
長引くコロナ禍でおそらく街も店も様子が変わってしまったはず。
いつかまたどこかへ訪れることが叶ったとき、その街の魅力が保たれていて欲しい。
【追記】
【東京五輪】体操・内村航平オンライン壮行会終え「選手が何を言おうが世界は変わらない」 | 東スポの体操に関するニュースを掲載 https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/gymnastics/3387282/
1ここんところ常々考えていたこと。
幼少期から手に入れているひとはいたけど少数派だったよね。みんなシンケンジャーとかミニ四駆やポケモンのことを考えて生きていたよね。
自分でやるスポーツは意味はわかる。身体を動かすのは楽しいし。
そういう流れで自分でやるスポーツをもっとうまくやるために鑑賞するというのもわからなくはない。自分ではしないけど。
競技内容からドラマを読み取って感動するとかいってるけどそういうの誰からも教わってこなかったんだよな。
でもある日みんな突然昨日の野球の試合の感想を話し合ったりする。
放置されて育っていたためにテレビのチャンネルは選び放題で映画やバラエティの時間をずらす野球中継は敵だったし。
そういう立場ですらマンガやバラエティに野球選手のネタが入っていたのでまだ少しわかっていたが、今は本当にわからない。
そしていまコロナでオリンピックの開催か中止かで本当に嫌いになっている。
それで自分たちでやっていけることはやるといってる。じゃあオリンピックやスポーツイベントが全部中止になったらなにやるの?ってことだし。
政府のやることにムカついていたけどアスリートやその関係者までも身勝手を感じてイライラしてきている。
とはいえオリンピックははじまるし、こっちがおもしろくなるような突発的なイベントもなく終わり、コロナ収束とともに徐々に元通りになるんだろう。
でも、やっぱりスポーツ鑑賞は嫌いだなと。
オリンピックや野球中継やバラエティ番組なんかで芸能人・記者・アナウンサーが有名スポーツ選手に話を訊く場面はよくある。
youtubeにアップされたそうした場面の切り抜き動画のコメント欄は、実は結構頻繁に荒れている。しかも、同じような理由で。怒りの矛先はスポーツ選手ではなく、彼らと相対した者に対して必ず向けられている。
「『どんなお気持ちでしたか?』じゃねえよ。無礼すぎる!!!」
「バカマスコミが本当に何も勉強せずに質問してるのがよく分かりました」
一事が万事こんな調子で、なんてことない平和なインタビュー動画に因縁付けてキレてる人がたくさんいる。有名スポーツ選手の相手側にこれといった粗相も非礼もなく、過剰反応でしかない。仕事上当然聞かなければいけないお約束の質問を投げかけたり、笑顔を浮かべて朗らかに接したり、相手側のそういった全く問題のない言動や振る舞いを槍玉に上げてブチ切れまくっているという状態だ。
アスリートを天皇みたいに神聖視して、インタビューや対談や番組出演となったら「どこが失礼なの?なにが問題よ?」っていうようなことでタレントや記者を叩くのってメンタルヘルスの症状なの?
アスリートに笑いかけるだけでも、心境を尋ねるだけでも、打ち解けて盛り上がるだけでも不敬の極みに見えてしまうのは脳か精神に異常をきたしているとしか思えないんだが。
数年前に大坂なおみが四大大会初優勝したときも「優勝した大坂なおみにセレーナに関する質問ばかりするなんて無礼!」って批判が殺到したけど、あれ言ってた人達も相当頭おかしかったよなあと今も思う。
あんなもん世界的に注目されてる出来事で、しかも絶対王者セレーナがニューフェイスに完敗して王座を譲った試合なんだから、記者がセレーナにまつわる質問頻繁にするのは職務上当然だし。文句言ってるた奴は頭おかしいと本気で思う。Twitter見る限り記者はめちゃくちゃ不興買ってたけど。
最近は毎年との恒例行事と化してきた日本シリーズが今日開幕した。
無事に勝って良かった。
その理由を挙げてみた。
・増田へのデットボール(仮)。リクエストでデットボールからファールに覆った。鷹ファンとしては嬉しいがネットでは巨人ファンが誤審だのどうので騒いでる。【モヤモヤポイント①】
・丸が中村の足を蹴った。自分としては丸が明確な故意で蹴ったと思ってるがあくまで鷹ファンなのでそこは私見に過ぎない。実査故意か否かは本人にしか分からない。しかしこれで故意か否かでまたファンが揉めてる。【モヤモヤポイント②】また解説やアナウンサーは見てるにも関わらず全く触れない。巨人贔屓もいい加減にしろよ。【モヤモヤポイント③】
・森からデットボールを受けた中島が森を睨みまくる。謝ったにも関わらず。こいついつもオラついてんな。【モヤモヤポイント⑤】
・ホークスが勝ち勝利インタビューが始まる直前にCMに入り結局そのまま終了。CMかなり長かったし絶対わざとだろ。巨人が勝ってたら中継を延長してヒーローインタビューしてたんだろうな。死ね。もう二度と野球中継すんなゴミ。【モヤモヤポイント⑥】
趣味の一環として野球を見てるのにそれでストレス貯めて…って本当に趣味なのか。