はてなキーワード: 表彰台とは
その点だと、俺の「自分が親に求めているものを、自分が持っていないから子供を作らない。(子供から見て)コスパの悪い人生を子供が送ることになるから」はスゲーまともな理由だと感じるぜ。
俺が親に求めるのは4つ!
・不動の精神力
・時間的な余裕
・十分な経済力
俺はこのどれもを持っていないからなぁ……。
まず遺伝的に発達障害の傾向があり、生まれつきのレベルで精神力はカス。
時給1500円レベルの薄給なのに残業は月平均60時間で有給消化率は40%程度、これでは子供と遊ぶ時間なんてないし、子供を私立に通わせるのも難しいだろうな。
ガキの頃オヤジの帰りを待ってから夕飯を食べるっていうルールがあったんだが、電車で2時間通勤してるオヤジが2時間残業したら飯の時間は夜の9時とかでさ、それが習慣づいて今でも完全に夜型だから参ってるよ。
ガチャってのはまずは確率10%程度の小当たりを引くのが最低ラインでそこにさえ届かない水増し部分は最初からハズレなの。
実際、俺は俺が可愛そうでならねえよ。
もしも生まれつきイケメンで、身長も高く、せめて情緒さえ安定していれば楽しく学生時代も過ごせただろうなあ。
毎日死にたいと思いながら人生最初の20年を暮らさなきゃいけなかったのも、今クソみたいな仕事をやってるのも、全部親ガチャがハズレだったからだよ。
セルジオ・ペレスはレッドブルのナンバーツードライバーとして機能しなくなった。
今年のF1を完全支配しているマックス・フェルスタッペンと同じマシンに乗りながら低迷している。
それでもランキング2位を維持しているのは、シーズン序盤では好調であったことと普通にマシンを乗りこなせれば2位に入ることは出来るパフォーマンスをマシンも人も有しているからだ。
なぜフェルスタッペンとこれほど格差が出るのかは、明確ではない。
シーズン序盤ではフェルスタッペンと同様の速さを示しながら、マシンにアップデートが加えられるごとにペレスが低迷するのは昨年と同様だ。
これはフェルスタッペンが好む特性にマシンがアップデートされるからではないか?との疑問が持たれているがチームは明確に否定している。
このチームメイト格差はレッドブルだけではなくアストンマーチンも同じだ。
フェルナンド・アロンソはシーズン序盤表彰台を連続して獲得したがランス・ストロールは表彰台はゼロ。
アストンマーチンは長年レッドブルでマシン開発をしていたエンジニアがアストンマーチンに加わることで今年急激に競争力を増した。
少なくとも1年目の角田にあの走りは出来なかった。
とはいえ、レッドブルでマックス・フェルスタッペンの横で走れるのか?
と問われたら、それはノーのような気がする。
結局、メンタルが保たないのだ。
あんなに安定して図太く、いい走りをするドライバーだったのが、
今や表彰台に乗るときでも、自分のミスでリタイアするレースでも、
同じくらいに「シッチャカメッチャカ」している。
まるで毎回F1デビューレースの新人のような浮つき方をしている。
もうすぐ母国メキシコでのレースがあるが、そこでも混乱が見られるようなら、いよいよシートを失うかもしれない。
ローソンに話を戻すが、多少角田より良いドライバーだったとしてフェルタッペンの横で走れるのか?
ということだ。
これは来年の角田残留がホンダの介入によって決定したことに対する意地だろう。
レッドブルへ選抜する人材を育成するためのポジションであるアルファタウリに4年目のシートはない。
3年やってレッドブルへの昇格の見込みがなく、かつ次の才能が現れているのなら交代の時期がやってきたということだ。
もしもレッドブルのPUがホンダ製でなくレッドブルパワートレインズが製造管理運用していたなら角田のシートはなかった。
つまり、ローソンからすれば俺は実力ではツノダより上なのだ、と証明したかった意地だろう。
それはドライバーと言うか人間としてごく自然の感情だし、勝負の世界に生きる人間にとって必要なものだろう。
しかし、だ。
そのドライバーの意地。
それがフェルタッペンの隣に乗ったときには、そのプライドが仇となるのだ。
見事に打ち砕かれる。
アルボンはやや違うかもしれない。
ペレスも色々なものが積み重なって、調律がとれていないピアノのようになってしまった。
リカルドはどうなるだろう?
彼は依然としてトップドライバーだが、再びフェルタッペンとともに、
フェルタッペンのためのチームに乗った時にどうなるだろう?
マクラーレンではノリスの才能に全く手が届かなくて調子を崩してしまった。
フェルタッペンと同じマシンに乗って、常にフェルタッペンより遅くても彼は失調しないだろうか?
それはわからない。
でもマクラーレンで起こったことと同じことが起こらないとは思えない。
彼は結局セカンドドライバーという立場には満足できない人間なのだ。
だからあのときルノーに移籍したのだし、セカンドでは満足できないからマクラーレンで失調した。
同じことが再び起こらない保証はない。
そして、ローソン。
彼がF1でレギュラーになってキャリアを積んでどういうドライバーになるのかはわからない。
でも、おそらくは良くてもガスリー程度だろう。
ガスリー程度というのは、
賢明に努力してベストを尽くしてフェルタッペンのセカンドドライバーとしてチームに貢献していくことを実行するなら、
辛うじてレッドブルのシートを確保することが出来るかもしれない、という程度の才能だ。
でも、彼のドライバーとしての意地がそれをヨシとするとは思えない。
それは必要不可欠な意地なのかもしれないけれど、同時にフェルタッペンの横になると、その身を滅ぼす。
だからね、結局何がいいたいのかというと、角田くらいがレッドブルで走るのがちょうどいいんじゃないか?ってことなんだ。
彼って、ちょっと変じゃない?
将来の夢はなに?と聞かれて、ドライバーなら必ずチャンピオンになること、って答えるところで
レストランのオーナーになることだ、って答えるような天然というか飄々としたところがあるじゃない?
ああいうちょっとだけ、ほんの少しいい意味でズレているほうがフェルタッペンの横に乗っていても平気な図太さになるんじゃないかな?
毎回、フェルタッペンに負けていても、まあそれはそれだ、って気にしないで前向きに生きていける才能の持ち主のような気がする。
なんかね、余裕があるんだよ、彼には。
そういう部分がないドライバーには、セカンドドライバーという役割はきついと思う。
先日、勤めていた歯医者をやめた。
私は歯科技工士と歯科助手業務、カウンセラーを何年かやっていた。
以前話題になった育児中の社員の仕事を巻き取ることに私も疲れていたけど、歯科医院で働くという事がシンプルに嫌いになってしまったからで、どこの歯医者もきっと同じなのでもう二度と歯科業界では働かないと思う。
フェイクを若干入れるので辻褄合わないこともあるけど、愚痴ともう歯科で働かないぞという決意固めがてら書いていこうと思う。
歯科業界には専門のコンサルが多数存在する。それはきっとどの職種も同じかもしれないけど、コンビニより多い歯科医院はそれだけ競争は激しく、年々「治療だけ」ではご飯を食べていけないのが現状だ。なのでコンサルとしてはいい市場なんじゃないかな、と個人的に思ってる(この辺は多分だけど)歯科医院も今はちょっと街を歩けば2、3軒探さなくても見つかるくらいなので、私が勤めていたような中途半端な田舎町は、患者さんの取り合いに必死だったりする。
私は他院との差別化要員みたいなもので、初め来院した人のカウンセリングや、治療計画を伝える役割をしていた。これに関しては全ての患者さんに行っていた。日本語がわからない方にもだし、歯を折ってしまって急患できた人にも行っていた。
そこで想像してほしいのだが、歯がめちゃくちゃ痛くてどうにかしてほしい時に、カウンセラーを名乗る小娘から「理想のお口の状態をお聞かせください」と言われたらどんな気分になるだろうか。治療を早くしてほしい時に、予防の重要性を説かれたらどうするだろうか。
そう、どんな患者でもブチギレる。 じゃあ聞かなきゃいいじゃん。と言われると思うけど、聞かなかったらドクターからは
「それは努力不足。 患者さんにもなりたい自分があるはず!〇〇出版の▲▲って本がいいからそれを読んで。答え聞くまで治療できない」
と言ってくる。案の定怒って患者さんは帰るし私はヒヤリハット報告書を書く。
ちなみにこれは全てコンサルの受け売り。おそらく歯科界でまあまあな知名度のあるコンサル会社は「そんなフルコンボなことある?」というくらい宗教じみたやりがい搾取を植え付けてくる。働けているだけでありがたい。とかそんな感じのやつ。
年に何回かのセミナーがあって、新人向けには新人が休日に全員参加し、カウンセラーにはカウンセラー向けのセミナーなど、他にも細かく枝分かれしていて、その全てに「宿題」がある。
この「宿題」というのは職場内で改善したことやったことをレポートにして数十枚提出、数冊分の読書感想文の提出などで、提出してコンサル会社でいいなと思ったものはセミナー毎に配られるクソデカい冊子に掲載される。掲載数が多ければ多いほどその歯科医院が優れている、という指標になる。ただ書いただけじゃ選ばれないので写真や絵を入れて長めに書く。これが本当に大変で、もちろん業務中にできないので業務後にやる。行くのを断ることもできるが、断る前にこのセミナーの素晴らしさと尊さを終業後に部屋に集められて熱弁されるので1年目の子で断れるハートの強さがある人はそういない。断った人もいたがその後のあまりの上からその人への当たりの強さに断ろう…ってなる人はいなくなった。(断っても大丈夫だった顔の可愛い子もいた)
そして、それらのレポートが優れてるとそのコンサルが主催する表彰セレモニーで表彰されてプレゼントをもらえる。みんな表彰台に上がりたくて仕事が終わってから課題をこなし、次回のセミナーの冊子で載った載らないで一喜一憂するのだ。
ただこの賞、別に貰えるのは1人だけじゃない。
コンサル会社にもやっぱりお得意様みたいなのがあって、そのお得意様用のオマケみたいな賞もある。私が知ってる限り私が働いてた歯科医院は“先代から代が変わるの成功したで賞”とかをもらってたような記憶がある。 そんなん該当するのうちだけだろと思いつつ、このコンサル会社を利用してる歯科医院にとって「賞を得る」というのはステータスなので院長はじめ幹部スタッフは喜ぶし来年も何か賞をもらえるようにとスタッフを送りこむのだ。詳細は伏せるけどことあるごとに握手とかグータッチみたいなのとかを求めるし大体地下会議室でやる。
正直歯科の仕事は好きだったけどこの部分が嫌いすぎてやめた。え、それで?と思うかもしれないけど本当に大変なんだよ。あとセミナーのたびに拍手して笑い合う時間があるの、昔無理やり連れられて行ったねずみ講のセミナーでしか見たことないよ。
それでも4年頑張れたのは職場の後輩たちが頑張ってたり、仲良い職場の人たちもいたからだ。まあ、そんな人たちもある日突然退職代行から電話がかかってきて来なくなっていったので、最後の年はなるべく仲良くしないようにしていたが。
このコンサルの掲げるキラキラに毒された職場と患者さんに「え?こんなこと必要?」って言われながらカウンセリングしてるうちに適応障害になってしまい、先輩に相談したところ「ネガティヴに考えすぎるのが良くない。毎日よかったことを日記に書いてみるといいよ!」と言われた時は「あーコンサルのセミナーで言ってたやつだ」なんて思いつつもうダメだもう嫌いだ全部。ってなったので辞めた。
私は結構歯科の仕事が好きだった。歯科技工士だって薄給だブラックだなんて言われてたけどやりたかったから専門学校に通って資格まで取った。技術職だからまあブラックはそうでしょ、とか思ってたし。患者さんと距離が近いから技工所じゃなくて歯科医院を選んだ。でもそれ以外の部分でどうしてもダメになってしまった。諦めきれずに別の歯科医院に転職活動をした。でもどこでも聞くのはあのコンサルの名前だったし、院長先生以外はやつれた顔したスタッフばっかりだった。勤めてた歯科医院みたいに朝礼で信念をデカイ声で読み上げてハイタッチをするところばっかりだった。
どこだってそうとは言わない。
私が住んでるのはちょっとだけ田舎だからそうなだけできっと都会はいろんな歯科医院がある。……と思う。
今歯科衛生士の学校に通ってたり、希少となった歯科技工士の学校に通っている人たちを止めたいわけじゃない。技工士は技工所だってあるから歯科医院だけが職場じゃない。歯科助手やろっかなーって思ってる大学生もいると思う。
言いたいことがまとまらなくてぐちゃぐちゃだけど、これを読んだ歯科関係以外の人たちは、歯をしっかり磨いててくれて、虫歯予防をしてくれたらちょっと嬉しいよ。
小学生のとき、日韓ワールドカップでサッカーというスポーツを知る。この頃はサッカーといえば代表戦だった。どこの国が好きか。ブラジルが強豪国のイメージそのままに優勝した。
中学生のとき、ロナウジーニョという特別な選手を知り、バルセロナというクラブチームで毎週のように特別なプレーをしていることを知る。初めてクラブチームというものを意識した瞬間だった。ドイツワールドカップではロナウジーニョのいるブラジルが敗退してしまい、とてもショックだった。
高校生のとき、バルセロナでは確固たる監督哲学と卓越した選手技術の融合した革命的なサッカーが誕生していた。それはどう見ても毎日の練習の中で選手の頭と体に浸透し、育まれたものだった。クラブのサッカーの魅力と、サッカーにおける監督の役割を初めて理解した。ちなみに規律に従うのが苦手なロナウジーニョはクラブから追い出されていた。
代表チーム頂上決戦のワールドカップは四年に一度。それに対し、クラブチーム頂上決戦と言えるチャンピオンズリーグは毎年開催される。初めは毎年開催なんて薄まる感じがして懐疑的だったけど、毎年毎年信じられないくらいの激戦が繰り広げられる。一年でクラブのカラーががらっと変わることもあり、毎年開催の意味もよくわかるようになった。何より、シーズンを通して、もしくは何シーズンかかけて練度を高めていくクラブサッカーの魅力に取り憑かれていくようになった。
それから2010年、2014年、2018年、と3度のワールドカップがあった。日本代表は浮き沈みはありながらも躍進を続け、実力と地位を向上させた。自分含め、国民のサッカー熱は上昇の一途だったのではないか。
一方で、自分の中でサッカーにおける代表チームというものへの熱は次第に下がり、クラブチームについては上昇を続けた。クラブのサッカーは毎日の練習の積み重ねの賜物だ。しかし、代表チームはたまたま同じ国に生まれた者の寄せ集めの場当たり的サッカーでしかない。そんなものに価値はあるのか。いつしか自分の中で、代表チームはサイドコンテンツという認識に変わっていった。
リオネル・メッシは初めて見たときからいつもマラドーナと比較されていた。輝かしいクラブ・個人タイトルを手にしたキャリア晩年の近年もなお、ワールドカップを獲れていないという理由でマラドーナに劣るという声があった。寄せ集め代表サッカーのお祭りよりもクラブでの活躍やタイトルの方が価値があるのに何を言っているのかと思っていたが、それでもなおマラドーナ派には無視できない熱気のようなものを感じていた。
先日終わった2022年ワールドカップ。そのメッシがついにワールドカップを獲得した。エース兼キャプテンとしてアルゼンチンを引っ張り、決勝で感動の3点目をあげ、見たことないほど守備に走ったメッシ。彼は、誰の目から見ても明らかに、ワールドカップを獲るためにあそこに来ていた。
表彰台で優しい目をしながらトロフィーに二度キスをしたメッシ。その表情からは、彼がいかにそれを望んでいたのか、その悠久の時間を想像させた。
メッシだけじゃない。モドリッチもネイマールもロナウドも、誰もが認める偉大な選手達がこぞって本気になり、涙を流す。「代表チームなんて負けても仕方なくない?だって練習してないのだから。」なんて思っている選手は一人もいない。皆が渇望し、それがまたワールドカップの価値を肥大化させていくのを感じた。それは決してサイドコンテンツなどではなかった。ワールドカップはただのお祭り、などと蔑んでいた自分は今大会で打ちのめされることになった。
でも、なぜ特別なのかがわからない。誰かわかる人は教えくれ。国のためだから?四年に一度だから?いつからこんなに特別だったのか。
だって金メダル云々とかは国策でやってるとこも多いやろ?だからそのレギュレーションは大事じゃん。「女子スポーツに興味ないくせにトランスにごちゃごちゃ言うな」は的外れやろ(ただし「棍棒に使うな」は分かる)。
オリパラでは表彰台に上がった人物の所属する国地域の旗が掲揚されるよね。このために税金を投入している国もあるわけで、「国の威信をかけて」とよく言うでしょ?五輪憲章はよく知らんけど「平和に喧嘩する」みたいな意義もあるんじゃね?知らんけど。
という事情から、女子スポーツにもトランスにもなんなら五輪にも興味なくても、アンフェアだと思えば声を上げるのはおかしくないよ、納税してるし、自分とこの「国の威信」に関わるんだから。
旗の掲揚に功罪があるのは確か。功としてスポーツ振興への寄与と国家の宣伝、罪として個人の手柄を国地域に帰属させるのってどうなの?と(なんで金逃して謝るのとか金取って感謝の言葉言えとか)。でもやっぱり功の部分ってすごく大きくて、それはマイナースポーツにとっては日の目を浴びるまたとないチャンスなんだよね。そうしてその競技自体が広がれば競技者の地位名誉金にも直結してくる。そこはアスリートは目を瞑ってはいけないと思うよ。
そういうごちゃごちゃがあって、「興味ないくせに口出すな」はちょっとちがくね?と。「棍棒に使うな!」の一点を強調した方がいいよ。そしてそうでない批判はちゃんと議論の種にせんと。会費制で勝手にやってるスポーツなら誰が出るかとか全然口出さんよ、それこそ興味ないから。
河村たかし名古屋市長のメダルかじり事件、正直ここまでおおごとになるとは思ってなかったので「ええ……」って火の勢いに引いてる。
大前提としてあの行為はクソダサい。アスリートがしばしば表彰台や記者会見の場でメダルをかじるのは、それが自分で勝ち取ったメダルだからで、自分が競技に出たわけでもないのにかじってみせた河村市長の行為は有り体に言ってダメダメ。てゆーかそれ勝手にかじったの? アホか、せめて一言「かじっていい?」って聞くくらいしろや。こいつほんとアホだな。ツイートの日本語が支離滅裂だったこともあったしボケが始まってるんじゃねーの?
……くらいの温度感だったのだが、国民の怒りが沸騰しトヨタが激おこ声明文を出し、みたいな火の燃え広がり方になって、めちゃめちゃ困惑してる。
そうするとどうも、これは世間では、政治家が五輪選手というそれなりに公的な立場にいる人を勝手に人気取りに利用しようとしてスベった、という話ではなく、おっさんが人の持ち物に勝手に体液をつける行為キモいし不衛生、という文脈で怒り沸騰になっているっぽく、なるほどそういう見方もあるのか~と感心してしまった。
いや、これがネックレスを舐めたとかならその怒りもよくわかるんだけど、五輪選手のメダルって、それはもちろん選手の私物だけど同時にそれなりに公的なものでもあり(五輪にいくら公費投入してどれだけ放映時間割いてると思ってんだ)、かつ持ち主本人がそれをかじるというパフォーマンスも定型として確立されているんだから、ネックレスを舐めたとかとは同列に論じられないでしょ。だから許せとか勝手にかじってもよいとか言いたいわけじゃなく、批判のポイントがなんかずれてない? って話。
政治家が下手くそな人気取りをやろうとして失敗した、という話が体液だの何だのの話題になるの、ちょっとあまりにも生理的不快感ドリヴンすぎるのではと思うし、この程度のことでそんなに怒るならなんでリコール署名偽造事件が発覚したときにもっと強く怒らなかったんだよ、メダル勝手にかじるより署名を偽造する方がよっぽど問題だろボケ、というお気持ちもあるんだけど、まあでも政治に興味ない人からすれば民主主義の根幹を揺るがす問題よりも生理的不快感の方がよっぽど重いってことなのかしらん。生理的不快感で駆動される民主主義というのはこうぞわぞわした何ともいえない嫌な感じがあるんだけど、所詮これも一種の生理的不快感でしかないしな。
2021.07.30(Fri)
女子個人総合決勝で、日本女子のエース、村上茉愛(24)=日体ク=は4種目合計56・032点で5位に入り、日本勢で1960年ローマ、64年東京両五輪で6位の池田敬子を上回る最高順位となった。床運動で全体トップの14・000点をマークしたが、女子の個人種目で日本勢初の表彰台に1・167点及ばなかった。
女子個人総合を戦い終えた村上は、27日の団体戦後に自身のSNSに中傷のコメントがついたと告白した。「コロナになってアスリートが発言するのはすごく難しい。もう消去しましたけど、そういう嫌なコメントを見てしまって…。すごく残念でした」。そう話すと涙が止まらなかった。
コロナ禍で五輪を巡る空気は一変。開催に反対する世論が強まる中、夢舞台を目指す選手に対する風当たりが強くなった。今大会でも試合後にさまざまな形でSNS上に中傷コメントが書き込まれ、波紋を呼んでいる。
「五輪を反対している人がいるのも知っている。そういう人を見返したいと思って、この1年頑張ってきた。そういう人たちに思い知ったかと思ってもらいたいです。すいません、最後に泣いてしまって」。3分間、涙とともに訴え続けた。
https://www.daily.co.jp/olympic/tokyo2020/2021/07/30/0014547446.shtml?pg=2
5年前のリオオリンピックで忘れられないシーンがある。
金メダルを取った萩野公介選手がインタビューを受けている。後ろから銅メダルを取った瀬戸大也選手がヘラヘラ笑いながら近づいて来るシーンだ。
目があった二人はガシッと腕を組んでお互いの健闘を称える。その後しっかりと抱き合って喜び合うのだ。
俺はとても羨ましいと思った。
テレビの感動ポルノにさんざん使われてるので知ってる人も多いかもしれないが、二人はライバルなのだ。
はずだったのに、一人、瀬戸大也は食いついてきた。
瀬戸は強靭なメンタルの持ち主で、萩野に何度破れても心が折れることはなく、挑戦を繰り返すのだった。
萩野と瀬戸は何度も戦った。天才だが心の弱さが垣間見える萩野と実力で遅れをとるものの鋼メンタルな瀬戸は相性もよく、やがて実力差もいい感じに埋まり、オリンピックの表彰台の一番高いところを競い合うところまで成長した。そして冒頭のシーンに繋がる。
…みたいな解説がなくても「仲良しなんだな」ということが伝わる一瞬だった。
俺にはそんな関係の人はいなかったので、世界の頂点を極めた上で友達同士ではしゃぐ、その笑顔がかっこよくて羨ましくて仕方がなかったのだ。
金メダルと同じくらい輝いて見えた。4年後また同じことが起きるだろうと信じて疑わなかった。
瀬戸選手はスキャンダルをすっぱ抜かれ…まあ具体的な話はあまりしたくないのだが、とにかく残念なことになった(奥さんにはあと1万回謝れと思う)。
二人ともなんとか復帰して、二人揃って東京オリンピックの代表に選ばれた。
二人とも、まだ決勝の舞台に立てていない。
特に瀬戸の初戦、400m個人メドレーの予選敗退は、見ていた人には衝撃だったろう。
今日(日付超えたな。もう昨日のことだ)は二人にとって最後の一種目、200m個人メドレーの予選があった。
瀬戸は曇った表情で「大会を楽しめてない、と言われた」と答えた。
萩野は落ち着いた表情で「この舞台で、もう一本泳げることに感謝したい」と答えた。
5年前のこと、この5年で起きたことを思い出した。
そうだ、二人はもう二度とオリンピックには出ないんだろうと思った時期があったんだ。
いま二人が同じ種目に出ている、これ自体が俺が諦めかけていた夢の景色だ。
でも本当に見たいのは、楽しそうな二人だ。
まあいちファンの夢は勝手に託してるだけだから置いておいて、絶不調の瀬戸選手の復活には試合を楽しむ心が必要なのは確かだと思う。
だから明日(今日だな)の準決勝、願わくば決勝まで楽しく泳いで、最後は満面の笑みで終われるといい。
俺は正直いって気持ちがぐちゃぐちゃだ。やりたいことがやれてない、やりたいことってなんだっけ。
スペシャルオリンピックスの起源は1962年に遡ります。ジョン・F・ケネディ元大統領がダラスで暗殺される1年半ほど前、元大統領の妹であるユニス・ケネディ・シュライバー氏がケネディ邸の庭を解放し、知的障害者らを集めてデイキャンプを行いました。
このデイキャンプが行われたきっかけはケネディ家のお家騒動でした。デイキャンプの21年前、ユニス氏の姉であるローズマリー・ケネディ氏が父親の独断でロボトミー手術を受けさせられ、重い知的障害を負ってしまいます。それからローズマリー氏の存在は厳重に秘匿されていたのですが、ジョン・F・ケネディ元大統領の就任によって明るみとなり、激しい批判に晒されました。
最初のデイキャンプにはそうした批判をかわす目的があったのです。しかし、知的障害者のレクリエーション参加という新たな可能性が示唆されたことで手ごたえを感じたケネディ財団は、同様のデイキャンプを北米各地に広げる助成活動を始めました。
ただ、予選でわざと手を抜いて下位グループに入り決勝で圧勝しようとする企みも無いわけではありません。それを防ぐために「マキシマムエフォート」というルールも採用されています。マキシマムエフォートとは「最大限の努力」を意味する言葉で、予選と決勝の成績に15%以上の差があると失格になるルールを指します。これによって予選から全力で競技にあたる風土を形成しています。勿論、失格になった選手にも表彰台でリボンが授与されます。
これはよく考えられたルールだね
どんなに結果を出してもモラルがなってない奴はパラリンピックの文脈の上では評価されない。
たとえば乙武が突然車椅子サッカーで地球最強のフォワードになったとしても、きっと評価されない。
たとえば今年のパラリンピックに出た選手が30年後に不倫をしたら、「そいつから金メダルを引っ剥がせ!」と大勢の人が騒ぎ出すだろう。
世界はそういう風に動き出したよ。
これからパラ選手やコーチに対するすごく激しい検査が始まると思う。
フェイスブックだとか卒業論文だとか病歴とか、正義の名のもとに好き放題に全部が掘り起こされて白日の下に晒さられる。
その中にわずかでも、たとえば「酷い悪口を言ったことがある」とか「立ち小便をしたことがある」とか「嘘をついたことがある」とか「遅刻をしたけど事前に連絡を入れなかったことがあるとか」そういったことももう許されない。
選手としての出場を取り消せとか、もしもメダルを取っても表彰台には上がらせるなとか、そういった論調が日本中を吹き荒れると思う。
馬鹿がアホなことをすると間抜けな連中がキチガイみたいにルールを厳しくするのは世の常で、今回まさにそれが起こるんだよ。
パラリンピックは清廉潔白でホワイトなお祭りじゃなきゃアウトになった。
それなのに開催を人質にされてIOCだとかコロナだとかに目を瞑らなきゃいけなくなった。
だからその補填として他はとんでもなくホワイトじゃなきゃ存在意義が揺るがされるよね、そうやって世論が動いていく。
もしも小学生の頃に一度でも友達をいじめたり、逆にいじめられたことに怒ってケガをさせたり、チームメイトと殴り合ったことがあったり、そういっただけでもうメダリストになる資格は失われちゃったよ。