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はてなキーワード: 文科省とは

2024-11-20

anond:20241120082747

陰謀論は除けても、阪神カーボンリサイクル炭化水素汚染源やねん

オウム上祐史浩はチ◯ソ水銀汚染ブリストン熊本からやってきてサリン汚染を起こしてん

原子力安全保安院NISA)は東電の社債が2012年償還期限だったのに検査の手を抜いて核物質汚染を起こした

公害責任追及は医者裁判所が結託して原爆被爆訴訟小出しにノロノロやってる

円安期の足尾銅山の銅汚染

二酸化硫黄ガス(ちな化学兵器)の四日市ぜんそく

硫化水素文科省中学実験やって事故多発(主にはマンホールの中、石油化学工業の脱硫を行う施設半導体洗浄水処理施設下水処理場、各種排水処理施設産業廃棄物処分場パルプ工場

しかすると自殺ガスもあるしな

と、国民公害人質司法にハマってるんや

斎藤元彦知事告発者にイチャモンつけて懲戒処分するし、阪神工業地帯が原因で株価暴落NISAが潰れようが、裁判所と国が兵庫県と金会社を守るのは明白

で、NISA無理なので優遇止めますってなると、実質的増税ってことになるしな

2024-11-14

anond:20241114074316

おまえは文科省以上に何もできないグズじゃん

anond:20241114070437

散々金出して未だに大した成果が出てなきゃそりゃ財務省でなくとも「ぼくのかんがえたさいきょうのせいさく」くらい言いたくもなるもの

しかも譲歩もせず真っ向から私達こそ大正義!外部は黙ってろ!なんて返して三流だろうとトップ組織としてどうなのって話

せめて「ぼくのかんがえたしっかりしたぎょうむさくげんあん」くらいのものは形だけでも用意しておけよというのが今の文科省

やつら本当に悪い方向でしか仕事しない

anond:20241114040109

そもそも文科省仕事したくないんよ

国のトップって言っても、他の省庁に入れなかった人が仕方なく流れて来る三流省庁だし

やりたこといっぱいあって人増やしたいから金寄越せ

これも有識者かいろんな外部からやれと言われるから仕方なく予算とって現場丸投げしてるだけで、別に文科省がやりたいことじゃないんよ

うちらは頑張ってんだけど財務省がねぇって学校現場教育委員会言い訳するために抗議してるだけなんよ

教員不足で嘆いてる文科省君、財務省さんの言葉、真面目に聞いてる?

財務省教員不足なんて気にしてないし、問題とも大して思ってない。

というより教員に限らず現存公務員公共サービスがある程度成り立ってるならそれはそれで良し程度の考えしか持ってないんじゃない?

から文科省との認識のズレが生じる。

 

ただ教員不足なんて気にしてない財務省なんだけど、文科省乱暴と切り捨てた提案文科省の言ってることより何万倍もまともで、文科省より問題点を良く見てたりする。

端的に言えば人増やすよりまず業務減らせよという正論パンチ

しか業態をある程度調べて具体的な改善案まで述べてきてる。

教員不足なんてほとんど気にしてない財務省が、文科省より教員不足の問題に詳しいってどういうことなの?

 

で、肝心の文科省はとにかく金が必要一点張り

分かるよ?

現場業務量を減らせと言うだけなら簡単なことで、正論パンチを振りかざすとは何事か!?

人の心が無いんか!?

そんな気持ちでいっぱいだよね。

だけど下っ端組織ならいざしらず、双方は国のトップ同士。

優秀でなければならないし、答えのない問題を具体案に落とし込むのもやれて当然、要求されて当然の立場

なので文科省財務省正論パンチで怯んでる場合じゃない。

しろ正論カウンターくらいできる準備をしておかなければならない。

しか文科省乱暴提案だと切り捨てて、やりたこといっぱいあって人増やしたいから金寄越せとだけ言う。

どっちがより乱暴

そんなの聞くまでもない。

 

国のトップに君臨する組織なら難題を吹っかけられて当たり前、熟せて当たり前。

だってトップに君臨するってことはそれだけの力量を要求されるってことなんだから

でも文科省は難題を見て見ぬふりして、財務省が「既に金を出してる所もあるんだから業務改善の成果を見せてくれよ」という呆れ気味の問いに対しても、まだまだやること多くて教員が足りないし現職を繋ぎ止めたいから金をくれって(大事ことなので2回――)。

 

あの、文科省君さぁ……国のトップ組織の1つがそんなんで良いのかい

2024-11-13

財務省に舐められる文科省無能さよ……

教員不足だから調整手当をどうにか増やそうとする文科省に対して、時間外労働を減らせば考えなくもないと言う財務省

ただ財務省雇用費を減らしたいとも考えてるから、彼らの言ったことを鵜呑みにしたら最終的には教員給料はむしろ減るだろうというのは予想に付く。

とはいえ時間外労働を減らすように何か業務を削れという至極真っ当な言葉に対して、文科省はキョウインノシツガーキョウインノミリョクガーとしか言わないあたり、教員不足の原因から目を背けてるとしか思えない。

 

今どきブラック残業代出ないし事務仕事が大半だけど子供達の成長を共に歩めますよ、なんて言われても人は集まらない。

これから就活する人や転職を考えてる人たちが見てるのは、仕事内容と給与バランスキャリアアップに繋がるかどうかであって、仕事の魅力は二の次

もといそういう部分に仕事の魅力を見出す人が多い印象。

 

教員採用試験にも多くの問題を抱えてる。

試験日時を他県とずらしたり早めることで人を集めようとしてるけど、受ける側からすると滑り止め程度の物でしかないし、複数受けてるから増えてるようでそうでもない。

しか若い人が欲しいからって長年学校を支えてきたフルタイム非正規は半ば無視

10年ほど前から一次試験パスみたいなことも各県でやってるけど、新採で入ってくる大半が20代~30代前半。

んでそういう若いのが教員世界に入ってくるんだけど、理想現実ギャップというか……。

まりにやること多すぎて潰れて、その穴埋めで人手不足という負のスパイラルを生み出してる。

あと女性基本的に0.5人分で数えて欲しい。

女性男性に比べて仕事が出来ない?

否、むしろ出来る人が多いし、仕事も早い印象。

生徒達のコントロールうまい

しか男性に比べると時間制限がある人が多くて、その穴埋めを男性残業までしてやってる現状。

妊娠産休なんて取られた日にはそれも主に男性が穴埋め。

時間的にコスパは良くても総合的に働ける時間男性よりはるかに短い。

今の現場では単純に数と時間が欲しいこともあって、時間制限のある人材現場にとって爆弾しかないし、いざ爆発すると過労死レベル残業を要されることもあった。

 

そんな状況を変えられる存在はいるのか?

文科省である

でも肝心の文科省はキョウインノシツガ―ミリョクガーしか言わないし、教員不足の原因たらしめてる現場ブラック状況から目を背けて改善の具体案のグの字も出てこない。

それでいて現場教員に寄り添ってますアピールまでするから、もはや腹立たしさを通り越して呆れてる。

から財務省に舐められるし、マジで終わってる。

2024-11-05

2段階ではありません。3段階です。

AIの人、生成AIに関して

という2段階を想定しているように見えることが多い。


現行法AI推進者の多くは文科省の出している資料などを見るに

という3段階を想定している。ここが一番違うところだなあと思っている。


AIの人は

で話が完結してしまう。

AI派は

  • 学習をする(おおむね白になるように法的整備が済んでる)
  • 生成をする(おおむね白になるように法的整備が済んでる)
  • 公表をする(原則的著作権はここでなにかしらの判定を行う)

なので、雑な人は「学習生成は真っ白だろ」というし、慎重な人は「(3段階目がどうなっているかが前の段階に波及するので)ケースバイケースですね」とか「白寄りのグレーってとこです」って言う。


ここで問題になるのは学習元のコンテンツ享受する目的だとダメっていうのが反AIにとっては難しすぎる概念なのか、もしくは都合が悪くて無視されている事情のようなんだけど、「海賊版を作る目的でやるのはさすがにあかんでしょ」ぐらいに考えとくとわかりやすい。

プロンプトに「ドラゴンボールの1234コマ目」と書いたらそのまま切り抜いて返してくれるようなDB作って売ったり誰でも使えるように公開したらそりゃ学習元が差し止めに行けるようにしなきゃいかんでしょ、って話。

で、問題なのはこの3つ目の段階にこの世の全ての邪悪が詰まってるっていう運用なのよね現状の著作権って。

紙の雑誌とか買ってくるじゃん。記事ごとに切っていい感じにまとめてスキャンするじゃん。社内共有ファイルサーバに置いて社内のみんなに見えるようにするじゃん。みんなで見るじゃん。

「いい感じにまとめて」も「スキャンする」も一応ファウルなんだけど「社内のみんなに見えるようにする」が一番のアウト行為なのね。次点で「みんなで見る」がいかん。被害額の算定とかそういう感じでやるじゃん。


なので、生成AIモデルインターネットで配布されています自分PCインストールして動かしてみてプロンプトを工夫したらミッキーマウスの絵が作れた。みんな見てくれ!生成AIはこんなに邪悪です!ってX(Twitter)に貼り付けた反AIの人がいたとするじゃん。

悪いのは「貼り付けた」行為なんすね。ディズニーを傷つけたのは生成AIモデル学習させた人ではなく、手元で生成した人でもなく、ネットに貼って公表した人になる。

あれっすよ、絵師さんの書いたちょいエロ画像フェミさんがRTして広めたのを見て傷ついた女さんがいたとして傷つけたのは絵師じゃなくてフェミっていうやつと類似

でも反AIの人はモデルの生成がけしからんってところから全然出てこないんだよなー。モデル利用者責任っていうところ一切触ろうとしない。というかそこ理解ちゃう活動が成り立たないのかもね。


まあ現状の生成AIサービスローカルPCで動かすのが普通の人にはなかなか難しくて、WEB上でブラウザ越しにサービス触る感じになるから生成と公表発表公衆送信が同時に起きてるように見えちゃうのがいかんのかもしれないね

2024-11-03

anond:20241103090654

日本教育文句つけるとき定番日教組ガー」にしても同様。

いや、国の文教政策問題を論ずるのに、文教予算一手に握って中教審握って何より数十年にわたって文科省コントロールしてきた政権与党方針でなく、国の政策にも立法にもほとんど影響を及ぼせず、組織率すら2割程度の組合とき問題だと主張するとか、常識で考えておかしくね?

企業で考えてみてもさ、わけのわからん経営方針赤字続けてる会社役員連中が、自分らと方針対立しているとはいえ組織率2割程度の組合を目の敵にしてわーわー言って組合潰しに精出してたら、いや、あんたらの無能のせいで会社が絶賛傾いてる最中なんやけど?……ってならんか。

anond:20241103093128

全体主義解像度を上げるとすれば

1 情報統制(盲人化)→教育機関メディア癒着構造活用

2 思想統制誘導)→ほぼ同じ

3 経済統制(人事統制、貧困化)→派遣会社移民医療機関個人情報活用

4 差別的決定を可能とする制度→異議手続を複雑化、最高裁活用

5 結社妨害、統制団体の結成 →選挙制度操作司法活用

これかな

どの政党文科省法律教育の薄さを批判しないから、利権統制機関のようなものだよ

2024-11-01

anond:20241101075804

第一東京弁護士会はかつて、国連脱退を推進した超右翼団体でした(会長堀江専一郎は英語力がほぼネイティブ

言論統制思想検事らの弁護士会で、米国ABAとの連絡役でもありました

戦後文科省に手を回し(中教審の林頼三郎)、第一による軍拡活動司法の基礎知識教科書に載せず、解像度の低い正義イメージのみを拡散しました

災害利権で太った保険業とズブズブの内患だと思われます

もっとも一弁の堀江もその上司五輪推進派の東弁の岸清一も、嘉納治五郎のように早世しています

2024-10-11

図書館は貴重な資料学術書を置くところという誤解

なんか最近図書館本質流行の本や娯楽本じゃなくて郷土資料学術書!」みたいな言説流行ってるけど、それ間違いですよ

図書館流行りの小説雑誌を置いても良いところなんです。

なぜかと言うと図書館法で「調査研究」「教養」そして「レクリエーション」に寄与するもののとして定められてるからなんですね。

金の無い人間でも流行りの小説は読みたいというニーズに応えることも理念としてるので、無料貸本屋に甘んじててもそれは理念に沿ってるんですね。

なので流行りの小説読んで図書館でワイワイビブリオバトルしたっていいんです。

なぜなら文科省が「図書館使われてなさすぎるワロタw もっと地域交流の場にしたら?」と言ってるので。



まあそれでも大規模市立図書館の複本100冊とか郷土資料捨てちゃったとかはやりすぎなんじゃないかとは思いますけど。

2024-10-01

anond:20241001093918

仮にほとんどの女性守銭奴だったら

各家庭の平均貯蓄率はこんなに低くならないのでは?

自分の老後資金を優先するはずなので。

 

(H29文科省資料 一番下のグラフ)

https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg7/290313/shiryou4-1.pdf

2024-09-16

anond:20240916153057

英語話す国はあるし、そっちに行ってみてもいいんじゃないだろうか?何年生かわからないけど、トビタテJAPANっていう文科省民間がやってる留学支援みたいなものもあるよ

2024-09-11

報道されなさそう

岸田政権の文科省は外国人児童の教育環境整備で宗教系学校に公金投入 | ASEAN PORTAL(アセアン ポータル)

今回は、令和6年度「高度外国人材子弟教育環境整備に係る調査研究事業」の採択団体に、「学校法人濱名山手学院」「学校法人九州ルーテル学院」「国立大学法人熊本大学」が選ばれたことが明らかになった。予定している金額は、1件あたり年間2,300万円程度となる。

誰の選挙区なんだろうね

2024-09-08

学校健診での上半身問題

学校健診で上半身裸「完全に全部見えている状態ですよね」 文科省が「子供気持ち配慮」通知 「着衣でも診察に問題ない」と医師

https://www.fnn.jp/articles/-/658761

記事に登場している医師が診察の場合上半身である必要は無いって言ってるけど、じゃあ虐待兆候はどうやって発見するんだよって話なんだが。

ちょっと調べてみると文科省がこんな資料出してた。

保健室等における児童虐待の早期発見の機会と視点

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/05/21/1233279_006.pdf

身体虐待

……

● 不自然な外傷

……

・服で隠れている部位の外傷

↑これをしっかり主張すべきと思うんだけど。

医師という医療プロの目による診断で虐待の早期発見につながる大事な機会だろうし、または親が気づかない疾患にも気づいてくれるかもしれないなど、メリットは計り知れない。

だというのに元記事の頭の足りないクソバカ女の主張ときたら

「隠すもの何も持っていない上半身裸の状態でお医者さまの方と正面に座る。もう完全に、全部見えている状態にはなりますね」

呆れて言葉もねえわ。

2024-09-04

国立大学 理工系の50代教授日本大学研究力低下について書く

日本の注目論文数が世界13位であった」というニュースが今更ながら読売新聞に載っていたので、日ごろ思っていることを書いてみる

書いているのは 国立大学 理工系 50代 教授

出勤前のただのガス抜き

日本「質の高い」論文数はイランに次ぐ世界13位、過去最低でも文科省研究所「下げ止まりの傾向」…自然科学分野 : 読売新聞 https://www.yomiuri.co.jp/science/20240903-OYT1T50055/

国立大学法人化されてから20年、日本大学における研究力の低下は歯止めがかからない。

研究力低下に対する危機感は、すでに10年以上前から言われていたが、文部科学省は長いことそれを認めなかった。

この記事のような明確なデータがようやく一般に見られるようになって、今になってあれこれ施策を出してきているが、どれもこれも遅きに失している。


大学研究力がここまで低下した理由は、個々の教員能力とかやる気問題ではなくて、完全に政策問題

個々の教員努力でどうにかなるものではないということをはじめに書いておく。


国の研究力は(国内研究者の数)×(研究時間)。あと金さえあれば向上する。

それがこの20年間、研究時間と金の両方が著しく減少している。

大学には金が無い、という話がネット上には溢れているのでここでは、教員研究時間が無いことについて書く。

現状、ほんとうに時間がない。まったくない。

わたしだってゆとりのある時間が確保できるのであれば、こんなところで愚痴を書かずに、ゆっくり腰を据えた研究をしている)


ではなぜ研究時間が減少したか


その原因の1つは明らかに教育改革(笑)」に時間を投入しすぎているから。

この20年間、大学教育改革w、教育改革w、教育改革w、そんなことばかり繰り返してきた。

これは、教育改革しないと文部科学省から予算が降りてこないからだ。

しかし、この教育改革(笑)と言うのは、ひたすらに教員時間を奪う。それによって研究時間は大幅に減った。


学生はおおよそ4年間大学に在籍するだけで卒業していくから、その変化は感じにくいだろうし、すでに卒業後の社会人には今の大学の実情が見えていないだろう。

この教育改革には、学部改組、新規学科開設、ディプロマポリシー明確化カリキュラムマップ整備(笑)シラバスの整備(笑)、成績評価厳格化学生からの不服申し立てへの対処法の整備、成績不振者のサポートリメディアル教育高校の内容の再教育)、海外留学支援インターンシップ支援情報リテラシー科目、データサイエンス科目の整備などなどがある。

反転授業アクティブラーニンググループ活動といった準備負荷の多い科目も増えた。


さら負担を増やしているのが入試改革だ。

一般入試で入ってくる学生はひたすらに減少し、推薦、AC入試、各種特別枠で入学してくる学生が大半を占めるような大学もある。

留学生枠も増え、編入の受入れも増えている。

一般入試を乗り越えていない学生は、基礎学力が怪しく学習習慣が身についていないケースも多い。おのずとサポート負担は増加し(成績の悪い学生は呼び出して面談をしないといけない)、講義レベルも下げざるを得ない。

アカハラパワハラは厳禁である。それようの講習も受けないといけない。学生に寄り添った学生日常生活支援メンタルサポート必要となってくる。

入試多様化入試業務の負荷増大に加え、オープンキャンパス高校訪問パンフレット整備、Webページ整備などの負荷も増やす(これらを教員がやっている)。


では、こういった教育改革によって大学卒業する人材の質は向上したか

おそらく底辺層落ちこぼれ層の救済には一定程度貢献したに違いない。まさに我が国が得意とする、足並みをそろえて仲良く卒業しよう。という理想の実現に近づいているわけである

(それでも、大学教育は手抜きであって学生は遊んでいる、といつになっても非難される)


これは尖った優秀な学生にとっては悲惨である

全体的に講義レベルは下がった。授業への出席が求められるようになった。

初年次には、分野横断総合的な学習が重視され、専門を深く学ぶ機会が先送りされた。

その一方で、早くからインターンに参加し就職活動に取り組むことがあたりまえになった。総じて、深い学びの機会は失われている。


では、大学院はどうか。

大学院の重点化、大学教育の実質化(笑)も、大学教員の負荷を確実に増やした。

修士学生は増加傾向にあるが、残念ながら修士程度の学生即戦力にはならない。

博士学生専任研究員が減少し、修士学生にも教員が手取足取り指導しなければならない。研究成果と言う面においては完全にマイナス生産性だ。

こうやって育てた修士学生博士へ進学してくれればありがたいが、そうはならずに多くは就職してしまう。

ここ数年の博士進学実績は低下基調だ。日本アカデミアは学生にも見限られている。


こういうった状況をスポーツ界に喩えるならば

国内トップクラススポーツ選手に対して、地元中学高校部活の面倒をみるのと同時にオリンピック出場を目指せと言うようなものだ。

ようするに、教育改革に力を入れれば研究力は下がる。

教育研究の両立と言えば響きがいいが、実現は無理なのだ


さて、今後の展望

これから少子化によって18歳人口が減少するため、ますます大学間の競争が激しくなる。一般入試を経ずに入学する学生が増えて学力は低下する。

活路を留学生に求めることになるため、ますます入試システムが複雑になり、学内には英語コース設立が求められる。これは、新しく学科を1つ開設するのと同等の労力(つまり時間)が奪われることになる。

ますます教育時間がとられ、研究時間は奪われる。


しかし、希望もある。

文部科学省財務省)もようやく現状打破の施策を立ち上げ始めた。

博士学生を増やすための支援を増やし、若手教員比率を高め、若手教員研究時間確保のための取り組みを大学に求め始めた。


そう、もはや若手ではない40代後半以降の氷河期世代アカデミアにおいても国の支援範囲外なのである

おそらく10年後には、我々氷河期世代アカデミアの凋落を招いた張本人であると後ろ指指されるであろう。

2024-09-01

総裁選でなんで「女子枠」が争点になってないんだよ?

記者質問しろよ!

女子枠は国民の賛成を問わずに進められてる認識なんだが、この総裁選で争点にせずいつやるんだ?

男女平等のための重要な争点だろ!

文科省が認めて推進してるんだろ?

機会平等を進めるべきなのにそれをまともにやらずに雑な結果平等で何の罪もない若い世代犠牲にしてるのが文科省のやつら、ひいては政府だろうが!!

早く賛成か反対か表明しろや!国民は見てるぞ!

2024-08-24

ウクライナ人Alex Kさんの思い出と、キリスト教の話

ゼロ年代インターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語ウィキペディアで、ウクライナに関する有益記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。

しかし、Alex Kさんウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナ歴史上の人物や、都市や、教会についての記事執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事修正しようとした。それが問題のはじまりだった。

話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由キリスト教布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自日本語聖書を作った。正教会宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめし文体日本語聖書を作った。カトリックプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。

正教会カトリック
主教司教
顕栄変容
生神女聖母
至聖三者三位一体
イイスス・ハリストスイエス・キリスト

これがいいかいかは、その人の価値観によるだろう。他の教会共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利日本人の正教徒しかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。

このようにキリスト教各派が使っている用語バラバラなので、日本語ウィキペディアでは、「各派の独自用語尊重する」というデファクトスタンダード確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自呼称である教皇」が採用された。カトリック教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。

ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。

  1. 日本語ウィキペディアでは、各派の用語尊重することになっている。正教会事物は、日本語ウィキペディアでは日本正教会用語に従って書かれるべきだ。
  2. 日本正教会があえて違う訳語を使っているのではない。歴史的経緯から各派がバラバラ訳語を使っているだけである日本正教会用語だけ特殊扱いするのはおかしい。
  3. キリスト教徒は日本において人口の1%程度しかいない。したがってキリスト教用語の多くは国語辞典に載っていないかキリスト教用語としての意味が書かれていないので、国語辞典基準にしてしまうとウィキペディアにおけるキリスト教関係記事の多くが成り立たない。実際に、Alex Kさんが参照している国語辞典の「変容」の項には「キリストの変容」という意味は書かれていない。国語辞典基準にするなら、まずAlex Kさんが推す「変容」からしてアウトではないか
  4. 仮に「一般通用しているか」を判断基準にするなら、ウクライナ固有名詞の多くはロシア語読みで書くべきということになるはずだ。Alex Kさんウクライナに関しては慣用表記ではなく当事者呼び方を優先すべきだと主張するのに、日本正教会に関しては当事者呼び方ではなく慣用表記を使うべきだというのはおかしい。
  5. Alex Kさんが振り回す辞典の「顕栄」の項には、「立身出世」のほかに「名があらわれ、身のさかえること」という語義も書かれている。キリストの「名があらわれ、身がさかえる」というのは教義的におかし表現とはいえないだろう。そもそも顕栄は漢語であり、「えある姿をす」と解釈できる言葉だ。Alex Kさん漢文を読めないのか?

このような反論Alex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ投票に参加しなかったにもかかわらず勝手記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさん日本語ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。

Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会ロシア正教会の一部なのである

それの何が問題なのだろうか。日本カトリック教会は、全世界信徒を統べるカトリック教会地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会ロシア正教会支部であって何か問題があるのか? カトリック正教会組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界組織ピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだコンスタンティノポリスの全地総主教あくまで同輩中の首席にすぎない)。

正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会ブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自組織存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的日本人信徒神品聖職者)で決めているが、教会トップモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会ロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジア独立教会がない。中国正教会ロシア正教会の傘下だし、韓国香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。

まりウクライナ民族主義であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会尊重せよ」というのは、「ロシア正教会尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会カトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリック差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたこからウクライナ民族主義の核になっている)。

しかAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会日本人によって運営されている教会、という点である。確かに教会設立ロシア人によるものだし、ある時期まではトップロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒自分たち教会組織運営するようになり、ここ半世紀は教会トップ日本人が務めている。しかも、日露戦争ロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話であるロシア正教会が気に食わないというウクライナ人気持ち理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。

ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人あいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロコロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会用語法を意図的無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会管轄である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイート公然としている。まあ、こういうツイートウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教精神双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。

そもそもウクライナ正教会日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒基本的日本正教会聖堂に通うべきだからだ。とはいえ移民移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワ許可必要なんだ?」と嘯いたそうだ)

さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教日本正教会自治権を認めておらず、韓国派遣したギリシャ人神品日本正教会トップに任命しているのだ。彼は韓国正教会トップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情理解できる。だがそこでも、日本正教会日本人運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人日本正教会トップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?

ロシアウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンプーチン盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人特にウクライナ正教会関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。

ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。

На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].

この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナル記述である

Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».

Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法モスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<

2024-08-20

掛け算順序の件

いろいろな意見を読んでいると

掛け算の順序を強制することは算数への理解が足りない子供を無理やり型に当てはめることで

理解が足りないまでもマシにすることを目的にしていると読み取れた

代わりに理解の足りている子供犠牲になって親も憤慨することに繋がっている

中には自分がかつて理解の足りない子供だった親もいるかもしれない

飛び抜けた子供を育てるよりも全体の平均点をあげる方向性教育だが

今の時代にもうちょっと他にやりようはないのかと思ってしま

他のやりようを採用するためには生徒数を削減して教師雑務から開放することで

余裕を作らないといけないのかな

文科省なんとかしろよ…

いや財務省が悪いのか?

2024-08-19

anond:20240819102622

なるほど。

俺は、それが理想だよなと言う意味で、一定以上お前の意見賛同してる。

そういう前提の上なのを判ってほしいのだが。

 

難しいなと思うのは、

結局のところ"人生必要学問"を判断することが、誰にもできない。

微分必要なやつと必要じゃないやつがいる。社会全体で突如、古文漢文必要になるかもしれん。

そこれが教師にも文科省にもわからん

いまだって必要可能性が高いことをやってるつもりなんだ。

 

となると、本人に判断させるか、という話になって。

実際それをやっている国がある。たしかアメリカにそういうとこがある?カリキュラムを低学年から選択するわけだが。

これがまた問題があって、

ガキはガキなので、他人大人なんかよりも、もっと何が必要かなんてわからない。

いくら自分自信のこととはいえ人生経験も脳の発達も足りなすぎる。

結果、カリキュラム選択式は、子供可能性を伸ばすことではなく、子供無駄責任を負わす結果にしかならんっていうね。

 

そういうわけで、後の人生で要らない部分がでてくること前提で、ある程度網羅的に詰め込むしかないと俺は思う。

この「ある程度」の範囲を縮めたり広げたりすることは必要だし、今もやってるはずだけど。

ゆとり教育が悪かった点は、ゆとりが出来たあとに何をするか、そこの選択を何も用意しなかったことなんだろうな。カリキュラム選択よりもなお悪かったわけだ。たぶん、一部の天才は、ゆとり教育で浮いた時間で、自らを訓練して、社会的に成功したりしたのではないか

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