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はてなキーワード: 公民とは

2021-07-17

社会的信用がなくて詰んだので人生強制終了するしかない(適宜追記します)

https://anond.hatelabo.jp/20160117121121

後日談です。

https://twitter.com/chejffs

補遺とか書くと思います(21:00補遺アカウントブコメの返信行いました)。

 

スペック

 

 

 

 

 

  • 友人は2~3人程度いたが今は疎遠
    • 地元に友人はほぼいない

郊外辺鄙なところにある激安事故物件すら借りられないレベル社会的信用がない。そのうえ生活保護すら受給できないっぽいしどのみち詰み。

「いつ人生強制終了するの?今でしょ!あとこの点は出ねぇよぉ!」と脳内予備校講師がささやきかけてきます。もう駄目ですね。

こんな増田を書いて一時期は持ち返したけど結局は詰んでしまったという話。やっぱりあの時自滅しておけばよかったのか。

 

あ、田中くんはいつもけだるげはすごく良いアニメでしたよ。2期は来なかったのが残念…

 

追記1】

https://anond.hatelabo.jp/20210505173406

>なんで知人の手伝いを続けようとするのかが知りたい

実はジオラマに頻繁に使われるあるパーツ(特定防止のためどれかは答えられない)が今はほとんど流通していません。

そのパーツは10年ぐらい前までは秋葉原専門店かに行けば20種類、場合によってはそれ以上簡単に手に入りました。当時は各社も矢継ぎ早に新製品出していましたし。

しかし今はそのパーツは2~3種類ぐらいしか流通していません。恐らくジオラマ趣味で作る人が減って需要がなくなったからだと思います

そういう状況に風穴を開けたい!という自分エゴで墓穴掘ったのが正直なところです。

ジオラマ素材で10年前と比べ手に入りにくくなったものはたくさんあります

恐らく中国の工賃上昇でビジネスモデルが成り立たなくなったのと、スマホゲームが娯楽を丸呑みして他の娯楽産業が成り立ちにくくなったことが要因だと思います

追記2】

共産党事務所相談して一緒に行ってもらう

一時期赤旗読んでいた時期もありましたが、共産党はなんか支持できないんですよね。社民党支持者ですし。

ついでに社民党共産党は『きんいろモザイク』と『あそびあそばせ』ぐらい違います

まあ弾圧大好きな中国共産党とは今は一切関係ないですし、いざとなったら使うことは考えるかもです。

ケースワーカーさんとかいるの?

現時点ではいません。障害者福祉サービスヘルパーさんにも相談したのですがなしのつぶてでした。

障碍者年金という、絶対確実な毎月のインカムがあるなら、公的融資を受ければいいじゃない。

そういうのもあったのですね。余裕があったら調べてみたいと思います

うまくいけばノウハウだけを持ち逃げして知人に依存せず新たに起こすというのもありかもしれないです。

2021-07-02

やまもといちろう氏の土地取引規制擁護擁護になってない件 (前半)

山本一郎氏が重要土地取引規制法の擁護をしているが突っ込みどころしかない文章で驚きだ。これ本当に隊長が書いたの?

釣りかと訝るぐらいだ。特に後編はヤバいよこれ。プリントアウトして病院に行った方がいいレベル

前編 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84444?imp=0

後編 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84445?imp=0

不動産移転登記認識おかし

例えば前編の4頁では故人が不動産を取得したという例が書かれていて理由を「売買を仲介した地元宅建不動産業者が本人確認を充分に行わなかったので売買時の登記変更がそのまま通ってしまった」と推察している。

だがこれは一発でおかしいと気が付く話だ。不動産登記しないと所有権移転しない。そして移転登記をするのは安い物件なら本人の事もあるが、通常は司法書士だ。

ところで登記をする時に必要本人確認書類ってなんだったろうか?実印印鑑登録証明書である契約書に双方の実印印鑑があり登録証明書が添えられていないと法務局受理しない。

印鑑登録印鑑登録証明書を発行するのは市区町村役場で、身分証明書を求められる上に役場管理している住民台帳と照合される。とっくに逝去した故人名義で移転登記するというのは難しい。

一方、これが「故人名義のままになっている」ならよくある事例だ。相続登記せずにほったらかしの物件なんていくらでもある。この場合でも法的には所有権相続人に移っているので故人名義のまま売却して登記するのは無理だ。一度相続登記してからになる。

まり故人が取得した事が明らかなら公文書偽造行使も明らかだ。告発した方がいい。

そもそもこれは隊長が見つけた事例なの?誰かから二次情報なの?後者ネット情報だったらライターとしてかなりマズイ記事を出したことになるのだが。

登記デジタル化されてるが?

登記はとっくにデジタル化されていてどこの登記からでも不動産法人登記簿見れるようになってるでしょ?それ以前は管轄法務局調べて現地まで行く必要があった。これの導入時、資金負担として手数料が爆上げされたがそのままになっている。

 

もう一つデジタル化されているのが市町村。ここは固定資産税徴税の為に法務局と繋がっていて登記いじれば新たな所有者に請求が行く。当然税務署とも繋がっていて申告しない売主には税務調査が行く。売主は所得税分離課税義務があるからであり、買主は不動産取得税を市区町村徴税される。

先ほどの故人所有不動産の例でも法定相続人名義で固定資産税督促は行われる。相続人が仲違いして揉めてる場合には相続人毎名義での請求って形にもしてくれる。そういう柔軟な運用できるデータベースになってるわけよ。デジタル化されてるじゃん。

市町村事務所の督促のお支払いにはコンビニ払いやペイジーネットクレジット決済もご利用頂けます。うん、デジタル化されてるね。

この法案が求めてるのって、総理大臣権限市区町村土地利用台帳データを見せろと請求出来るって事でしょ?デジタル化云々では全くない。

 

ちょっと脱線するが土地使用法を変更するとそれも見つかって連絡来るし税率上げられるよ。正月セスナ機とかがブンブン飛んでるんだけど気が付いてる?あれって正月航空写真撮って土地用法が変わってないか調べてるのね。

よく自治体公有地で畑やって更地に戻せって言われるって事があるんだけど、それもこれのせい。因みに公有地勝手に畑作やる人出るのは藪の問題が原因なのね。空き地放置して藪化すると蚊が出る。だから近所の人間草刈りしてくれと請願するんだけどずれ込んで秋とかにやられても意味無い。仕方ないから近所の人間勝手草刈りやる。重労働だ。

こういう場合に一番いいのが畑やる事で、ホムセンとか農協で土買い込んで近所の人間共同で耕してやると雑草は生えない。おイモも穫れる。ジャガバタおいしい。でもやがて役所土地利用調査で耕作してるのを見つける。他人土地で畑やる場合地上権の設定が必要固定資産税も発生するのね。で役所に「止めろ戻せ」と言われる→「草刈りしないからだろ」と揉めるのね。

線路内を耕作しないで下さい。名古屋鉄道」の面白画像も多分これ。遊休側線なんかを土被って藪になるまで放置してるので「だったら線路脇を畑にしてやらあ」こういう背景かなと思う。

そもそも外国人外国法人の取得を禁じる条文が無い

隊長法案読んだのだろうか?この法には「外国人外国法人の取得を禁じる」なんて条項どこにも無いのだが?外国人を示す箇所すらない。

それなのになんで隊長中国人の事ばかり書いてるかっていうと、この法案対馬が危ない水資源が危ない!っていう一連の産経キャンペーンが発端だからでしょう。このキャンペーンに乗ったのは他にWILLとかの媒体だけしかない。そんなのを法案化したのだから隊長的に言えば香ばしい

で、外国人土地取得を制限したいんでしょ?そしたらその旨法に書かないと駄目だし法益が得られ無いのが普通だ。

法案外国人の事は書いてないのに運用外国人土地取得制限、そんな法律運用出来るのだろうか?そんな運用近代国家がして良いものなのか?

法案文言は無茶な立法を命じられた官僚妥当性がある内容に無理に落とし込んだ、そんな印象を受ける。この法案が「何がしたいのか、これで何が出来るのか判らない」と言われる所以だ。

土地取得を予め妨害する効果が無い

再度、隊長法案を読んだのだろうか?この法には土地取得をさせないという効果が無い。

 

うん、収用や売買契約差止め、取消の効果はない。収用委員の事は書かれているが、損失補償に収用委員の採決利用できるよというだけ。だからわざと土地を購入する→アヤシイ行為を行う、或いは工作物を建造する、政府が止めろというような商売を考えて理由書を提出する→止めろ命令が出る→機会損失弁済を国家請求する、というハックも可能だ。

この法で何がしたいの?立法意図保護法益制限したい行為は何なの?と言われる所以だ。

DQN議員立法レベルの閣法で溢れる日本未来

ちょっと立法の基礎をおさらいしよう。

立法は専ら国会議員がすると公民教科書的に思ってる人が多いが、これは誤りだ。これは議員立法という。立法される法律割合としては実は少ない。また衆議院での議員立法を衆法、参議院でのそれは参法という。

一方、内閣が提出する法案を閣法という。内閣といっても内閣の面々が法案を作るのではない。実際の行政を行っている省庁が立法改正必要だと考えて提出され審議される法案だ。業法などが多く、マスメディア経由では余り馴染みのない法律が多い。法案提出の権限は省庁ではなく内閣しか無く、内閣行政権力の権原であるので閣法というのである

日本での立法はこの閣法が断然に多い。提出数も成立数もだ。一方議員立法は何より成立の率がかなり低い。閣法が100%近く成立であるのに議員立法は5割に満たない。これは議員立法の信用が低い事による。それは何故か?

 

法律はそれだけでは何の意味も持たない。具体性が薄いからだ。法律が具体的に効力を得る為に立法後に政令省令が制定される。AAA法に対してAAA法施行令、AAA法施規則というのを後から役人が作る。これを委任という。

でもそれだと国会で成立した法律とまるで違う内容の政令を作ってしまう事が出来そうだ。政令委任する幅が大きすぎるとそうなる。

そういうのを白紙委任という。やってはいけない事である。その為に政令委任する幅を柔軟性がある限りでなるべく小さくして、更に付帯決議を付ける。ここに問題があって話し合ったか政令ではそこを踏まえるようにという命令だ。

閣法は実際に執り行っている行政法案を作るのでこの委任する内容、つまり政令の内容も最初から考えられている。だが議員立法はそうではないので信用が低く、リジェクトされやすい。(新しい内容を導入することが多いので拒絶されやすいというのももちろんある)。

 

もう一つは内閣法制局の存在である安保法制で騒がれたのに以後忘れてしまった人も居るだろうが、内閣法制局の役割憲法判断だけではない。

内閣法案閣議決定する事で国会法案が提出されるが、その前に内閣法制局に法案が提出され審査を通る必要がある。ここで審査されるのは憲法だけでなく他の現行法との齟齬が無いか立法意図法益がきちんと書かれているか?等が視られる。

この審査は相当に厳しく、法案作成官僚としてはかなり神経がすり減る仕事だそうである

また、内閣法制局は内閣から独立した機関であり、故に同時に法案作成省庁から独立していた。(過去形)だから閣法は法制局の審査を通っているのでこの時点でヘボじゃないとお墨付きがあるのであった(過去形)。外国人権利行為制限する意図法律だが法案には書かれていないなんて事は無いという事である。(あった。過去形)。

だが内閣法制局は今では内閣から独立性を失い傀儡となり、内閣が推す法案なら何でも審査が通るようになっている。閣法だからヘボじゃないとは言えない状態になった。

 

更に内閣人事局である。これの設立運用により官僚公共心良心に基づく仕事というのは出来なくなった。無茶クソ法案を出せと言われたらその通りにしなきゃならない。意見すれば左遷決定である。ここが2014年設立されて以後、行政の腐敗、独走を抑えるという本来目的が履行された事などありはしない。腐敗の大本であり官僚ポピュリスト政治家田舎キャバクラみたいな茶坊主接待する為の装置しかない。

こうして閣法はDQN議員立法より品質が優るとの保障は無くなってしまった。

 

隊長外国人の事が書かれていない法案擁護に、外国人行為規制の意義を唱えているのだがそこにおかしさを感じないのだろうか?立法意図に書かれていない事は政令委任されてはならない。規制内容が書かれず政令に丸投げ委任する法律先進国のものではない。それは2014年以前のDQN議員立法固有の特徴であったはずだ。なぜ書かれていない意図説明して平気なのだろうか?

 

TPP抵触する

日本批准したTPPには一歩進んだIDS条項がある。投資家VS国家補償スキームではなく障害となる法の改正義務がある。この点で外国人経済行為規制する政令が出来た場合撤廃義務が発生する。

但し中国TPPに参入していない。だから隊長中国の動きが云々というのではなく、豪州カナダニュージーランドシンガポール不動産投資の動向を書くべきだった。これら国家企業個人経済活動を阻害した場合、法を撤廃する義務が発生するからだ。

外国人特定経済行為をさせない法律は他にもあるのでその意図立法可能である

有名どころでは放送法だが、他にも内航船は外国人株主、外国資本が参入できない等の法規制がある。これらはTPP撤廃させられる可能性もあるが、人権環境安全保障であれは大丈夫であろう。

ならば若し本当に外国人外国資本土地取得により安全保障問題が発生するならその旨で立法すべきである。但し「特定アジアの害人だから」とか「産経キャンペーンで見た」とかのクソ馬鹿理由では駄目だ。

その為には立法事実が居る。なぜ立法事実を積まないのか?立法事実が積まれなきゃ法案意図はふんわりとしたイメージしかない。政令だって実効性があるものが出来るわけがない。

なのに隊長は後編3頁で「河川堤防外国人が」「送電線が!」「官邸に近い赤坂には中国人韓国人街がある!」「赤坂見附には中国銀行支店が!」と脳が蕩けたような事を羅列するのである。これよく書いたな。

こういうのをゆるふわクソ馬鹿イメージって言うんですよ。国会Youtube動画見て目覚めて立法みたいな事してて良い訳ないでしょ。その動画投稿者どうせ明日にはBANされてるから法案擁護Youtubeで目覚めた老人みたいな事書くなよ。サイレント脳梗塞起こしてないかこれ。おらオヤジ狩りしてる気分になってきたぞ。

あとこれWikipediaのこのページ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%9C%9F%E5%9C%B0%E6%B3%95 見て書いてない?なんかこの薄い記事に肉付けしてるみたいなんだよね後半の文章は。

産経キャンペーンと元非主流非実務家政治家政治ごっこ

一連の流れは産経が展開していた対馬が危ないキャンペーンに遡る。韓国資本対馬不動産取得してるって話だ。あそこは韓国人旅行者が多い。だがハワイ日本旅行者が多いから日系のお店は多いのだから危ないと言われても微妙な顔しか出来ない。

次は水が危ないキャンペーンで、水源地が中国資本に買われているというもの。これは水資源メジャーの事が問題化されていた頃でもあり少しバズった。

でもこれも微妙な顔しか出来ない。何故なら水源地から工業地港湾に運搬するコストがかかるからだ。鉄道が運搬してくれるのは契約した会社石油貨車だけで日本の急河川では船は登れない。河川には水利権が設定されている。

低地や扇状地で汲み上げしようとすると地下水規制にぶち当たる。これは日本工業化公害経験たからだ。こんな主張するなら利水権を持っている工場田んぼを買っているところが無いか探し方がよさそうだ。

そして産経は後に水道民営化法に反対しなかった。あのさ、水道業は地下の水管だけ所有してるんじゃないんだけど?ダム水路、水源地を丸々所有しているのだけど?

東京なら狭山湖っていうのがあって低地の真ん中に山の斜面とダム湖だけがあるっていう不思議な地形だが、ここは水道の為にこの山とダム湖が東京都所有となっている。こういうところの管理権を外資が取得するのには憂慮しないのか?因みにこのキャンペーンでは産経主催見学ツアー等も行われている。ところがNHKの他に朝日取材して「原野商法では」との一応の結論を出しているのに追撃しないのだ。登記簿取って相手取材、売主にもインタビューするってマスメディアにとって難しい話か?売主なんて多分沢山居るよ。山林なんだから。答えてくれる人は多く居るに決まってる。

 

長すぎた。後半 https://anond.hatelabo.jp/20210702180742

2021-06-10

anond:20210610120005

市民Aが銀行に10000円預ける、その10000円を銀行会社Bに貸す、そうすると見かけのお金が20000円になる(市民Aが10000円、銀行も10000円の資産を持つ)みたいな仕組みがあり、そもそも紙のお金市場総資産釣り合っていないんです。

で、銀行会社Bに貸してる10000円を市民Aが引き出そうとした場合はどうするかと言うと、別の市民Cが預けている10000円を代わりに返すんですね。

市民はみんな使う分のお金しか引き出さないから、銀行は手元にある程度のお金を残しておけばあとのお金自由に使うことが出来て、それを再投資することで実際に存在するお金の総量(これは過去には純金の総量でもあった)を超えて市場が拡大していくことが出来ます。ちなみに、銀行のこの機能信用創造といいます

なので、実は銀行の持っているデータとしての預金を書き換えたら確かめ方法はありません。だから銀行データを書き換えられないように色々な方法を使っています。(別にデータの書き換えを検知したり信頼性を上げる方法ブロックチェーンだけではありません)

この銀行が持つシステム勘定系システムといって、とても信頼性必要なので凄くお金がかかります。(みずほ銀行の4000億円のシステム更改は記憶に新しいです)

みたいな話を中学校公民の授業でやります

2021-06-09

新聞の読み方」と「経済金融への理解」←これアカデミックアプローチ一切無視する人ばっかだけどさあ

そういう我流でぶつかって身に着ける方法では絶対に正しい知識理解が身に付かないジャンルという。

そして世のビジネスマンの大半が我流習得できたつもりでいるという。

日経新聞毎日読むだけであるときから勝手理解できるようになる」と新人に説いてた先輩が売りオペ意味買いオペ意味も知らなかったときの衝撃が忘れられない。公民というお勉強の科目でいうなら基礎の基礎で出てくるところだぞ。

2021-06-07

基本的人権の尊重

て、中学公民の中にしかない国なんだよ

もうほんと無茶苦茶

実際の娑婆見たら。

2021-06-03

架空政党名を考えてみた

政党略称
義勇民主党義民
実権民主党民党
公平党公平党
日本理進の会理進の会
日本共生共生
公民民主党公民
査会民主党民党
PKOから国民を守る党P国党
めいわ先進めいわ

解説

架空政党名の定番といえば、民自党だろう。元ネタ自民党だとわかりやすいのがメリットであるが、様々なフィクション上の作品で使われるので食傷気味である。なのでイメージダブる恐れもある。また、将来において民自党なる政党誕生しないという保証もない。

そこで実際に架空政党名を考えてみたのが上記である。工夫点を以下にまとめた


なお、上記政党名の利用は自由である。許諾は不要だ。創作において、架空政党名を使いたいときに利用してもいいし、実際に政党を作る場合でもそのまま利用してもよい。

2021-05-19

anond:20210519000008

高校時代公民先生定年退職するとき受験関係の無い授業でまともに聞いていなかったクラスメイト一同が、花束とか送ろうと言い出したとき感情を思い出す

2021-05-05

anond:20210505142621

知人の商売の手伝いが諸々の元凶なのは、たぶん気付いてるよね。

運営資金の一部を支払ってるからには本当は経営権の一部も持てなきゃおかしいのに、その知人が増田をただの手伝い扱いしてるってことは、その知人はクソ野郎ってことだ。縁を切ろう。

あと将来的に生活保護から脱したいならどっかのタイミング破産しておこう。今はまだ家賃が高いところに住んでるみたいだから引越し債務(家賃の滞納)の額が定まった後の話だけど。

地理公民が優秀で修士まで行っていて、生活保護で金の心配がいらないのなら、職が見つかるまでは自分の専門分野のnoteでも書いてみてはどうだろう。修士を取れるほどの知識なら、たとえ反響収入が小さくとも社会の役には立つぞ。

2021-03-02

anond:20210302190332

自由が許されるのは公共の福祉範囲内のみだ。中学公民の授業を受けなかったのかな?

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

2021-02-20

anond:20210220112414

もちろん数値データが必ず必要なわけではないし、数値データがあったところで、それをどう分析するかで結論操作できることが多い。

ただし、数値データ必要としない場合ってのは、観測方法が成立されていないとか理由がある。

古典義務教育とする理由」の証明に、「数値データ必要ない」という主張でしょうか?

この場合、その主張の根拠は何になりますか?

数値データ必要性を、「国民としてのアイデンティティ形成」に限定して書く。

まず、この場合の数値データはおそらく、

 A:古典教育を行っている群

 B:古典教育を行わない群

を用意し、そのAB間での比較を行うことでしか得られない。

が、この比較教育では難しい。ある群に「教育的に行うべき」と考えられていることを「あえて行わない」ことが倫理的に許されにくいからだ。

日本場合古典教育を行わなかった時期は存在しない。そのため、時代を変えて比較することもできない。あえて行うなら、不登校層などになるかもしれないが、その場合その他の条件が異なりすぎる。その他のフリースクールなどを参照することも考えられるが、これも前提条件が異なりすぎて比較にならないだろう。

参照するなら、他国におけるデータになるだろう。これは探せば存在するかもしれない(以前は行っていたが行わなくなった、あるいは、行っていなかったものが行うようになった、など)。

また、短期間のデータ古典教育を行う前と行った後でどのように変わったか)も存在するだろうが、短期間で「効果がある」と言えるのかは疑問(短期的には何かしら影響は出るだろうが、長い期間では剥落するかもしれない)

もちろん、その他の「意義」に関しては、各種質問調査(などでよければ)であれば、データ玉石混淆存在している。

もっとしっかりとしたデータを取った方がいいんじゃないか、ということであれば同意する。

これって、「義務教育として必要」の説明ですか?

これって、大学なりなんなりで専門分野としての必要性の説明じゃないですか?

義務教育高等学校も含むということなので確認しておくと、まず、高校入学した「全員」が必修で受けるのは高校では古文漢文を合わせて「40時間」くらいだ。仮に1作品に3時間かけるとしても、13本くらいしか触れられない。

古事記竹取物語大鏡源氏物語平家物語枕草子徒然草奥の細道論語史記唐詩故事成語類 ぐらいか。この中にも「選択」に回されているものもある。

この40時間は、上記の「まあ存在は知っといてほしいことになってるよね」という古典におおまかに触れる、くらいしかできないだろう。かつてこの国で、どういったものが読まれていたか/書かれていたかについて学ぶ時間を40時間も取るべきではない、と言われたら、「そうですか……」と沈黙するしかないが、「矛盾ってなんで『矛』と『盾』でパラドックスって意味なんだろうな」という国民が大部分を締めるのはちょっと勘弁してもらいたい。ただし、自分もここは「現代語訳」をもっと使ってもいいんじゃないかと思う。ただ、現代語訳使っていいよ、と一度学習指導要領でなったんだが、教科書会社現場が着いてこなかったんだ……。

で、こういった「古典」を相対化していくのは義務教育(正確には高校教育)の「選択」の役割だろう。これは、全員が受けるわけじゃないんだから高校生には要求してもいいんじゃないか。一部の、日本文学科などに進んだくらいの人しか古典を相対化できないというのは、これはこれで望ましくないだろう。

市民形成のためには、「国家」がどのような装置なのかを学ぶ機会があることは必要だ。もちろん、それは社会や地歴公民でも学ぶことができるが、ただ書名として「論語」や「古事記」と認識するのと、「ああ、ああいう中身の本が祭り上げられたわけね」とピンとくるのとでは全然違うと思う(これは主観なので、「いや、別に中身知らなくてもよくない?」と言われたら、特に反論はない)

2021-02-11

みんななんで自閉症とか自称したがるの?

ン年前、会社員のころうつ病休職したら精神病院に連れていかれてテスト(WAIS-Ⅲ)受けさせられた。結果自閉症と診断された。

少なくとも自分高校時代(2007.4~2010.3)のころから親や周囲の人から自閉症だなんだと周囲から言われ続けてきた。

しか自分自閉症だとは到底思えない。エビデンスも知能検査だけである

3時間程度の知能検査を受けただけで自閉症認定され劣った人間の枠に入れられることは、正直憤懣やるかたない。

自閉症向けの支援施設に何度か無理やり連行されたこともあるが、はっきり言って自尊心がへし折られて泣きたくなった。

自分は五体満足であり、成育歴をみても「自閉症だよね」というエピソードには乏しい。

自分アスペだということは周りには隠している。そんなことを周囲に吹聴しても何の得にもならないからだ。

たまに診断書必要となってもらってくるのだが、診断書に踊る「自閉症」の3文字を見るたびに陰鬱な気分になる。

多分誤診で本当は自閉症ではないとは思いたい…

 

一方SNS特にTwitter)を覗くと「私は自閉症です」みたいに自称している人を大勢見かける。何が目的なのかはわからない。

自閉症というのは負の属性であり、少なくとも差異ゲームの道具やブランディングツールではない。

自閉症コミュニケーション問題が生じやすい(と一般的には言われている)ことから特にSNSのようなコミュニケーションツールでは忌避される属性のはずである

自閉症の症状を個性だと歪曲する人も散見されるが、障害個性というのはおためごかし以外の何物でもない。

自閉症成功した人も中にはいる。そういうのは自閉症から成功したのではなく、それ以外の特技があったか成功したのである

日本人の○○さんはすごい、だから日本人自分もすごい」と何ら変わらない論法だ。

結局自閉症であることを自称することの意味が分からない。

 

【補記】自分自閉症だ!とこじつけられた行動

かにもいろいろあるけどまあこんな感じ

2021-02-02

anond:20210202000943

直近だと最近話題の数理社会学博士課程いました。査読は3本ですが指導教官が亡くなって自分も色々あって鬱をやってしまったので中退

一応、プログラミングというほどではないですが疑似コードで数理シミュレーションとかしてました。マルチエージェント疫学シミュレーション経験があります(なのになにやってるんだかw)

その前だと塾講師歴史公民)ですね。

ただ、親の介護のために実家からリモートワークで働けるようになるのが目標なのと、鬱の原因にまた関わるのには少々抵抗があるので「普通プログラマ」になれれば嬉しいのですが。

相当困難なのは理解してるつもりです。

2021-01-18

担当者によると、受験生は16日の東京都内の会場で、試験中に鼻を出したままマスクを着けていた。地理歴史公民から受験し、試験監督が鼻まで覆うよう6回注意したが従わなかったため、英語試験中に不正行為とみなしたという。

何の不正になるんだろうか・・

2021-01-06

ペナルティノック素手捕球させた高校野球監督

卒業生から知ってるけど倫理教えてた先生なんよな

地歴公民教員免許だけあるけど他の教科は流石にまだまともな先生に割り振られて余り物の教科を教えてたような微妙先生だったよ、まだ高校生の方が頭がいいだろうってレベル

日焼けしてて角刈りで半グレみたいな見た目した野郎だった

2020-12-09

anond:20201209182015

私は中学高校公立だけど教員の方がやばかったぞ。

ちなみに年齢は数え年で36。

キモオタ教諭がずっと中学時代担任だったし、高校偏差値60弱だけど進学校並みに体罰が多かった。中には空き教室に一人だけで何分も閉じ込めて授業に出させないという会社パワハラ紛いの体罰をする教員もいた。

おまけに高校時代の3年間一緒だった担任数学教諭は元女性暴走族気取りで、同学年の別のクラスの人からすら異様さを知らない生徒はいなかった。

私も私ですごいことをしていて、高校入試は社会公民だけでたらめな解答で提出して残りの科目は満点を取って受かったし、大学センター試験物理数学1A2Bで満点を取った。ちなみにセンター試験リスニングのなかった時代の話ね。

ちなみに最終学歴は某政令指定都市国立大情報科学系(某鉄道YouTuber卒業予定のところ)ね。偏差値早稲田慶応上智にボロ負けしていてGMARCHよりは上の方。

2020-11-25

少子化の何が問題か良く分からない

タイトルの通りだ。

コロナ少子化が進行し、騒がれている。しかし、少子化の一体何が問題なのだろうか。

よくあげられている原因として以下の点があげられる。

1.労働力の減少

2.GDPが低下

3.社会保障費の負担が増加

4.過疎化が進行

5.文化消滅

6.火葬場が足りなくなる

だが、これらは全て解決できると主張している人は少なくない。というわけで、今回はこれについて説明していく。

1、労働力の減少について

 これについて、そもそも困るのはブラック企業だけだ。

だいたい人口が減るだの、労働力不足だの言われているが、その割には日本にはワーキングプアだの高齢ニートだの働けない人やひどい条件の元で働かされている人がすでに大勢いる。この人達がいる分、労働力不足はありえない。給料を上げれば人手不足なんて解消されるはずだ。

さらに、少子化が進むとむしろ日本個人幸福度は上がる。例えば、どこの企業も完全に人手不足になったとしよう。(完全雇用とも言ったりするが)

もしひどい条件(安月給、パワハラなど)をする企業があったらどうだろう。そこで働いている人は、当然そこをやめたくなる。ふと、外に目を向けてみると自分が働いている企業よりもよい条件で募集をかけているところがある。

大抵の人はそちらへ転職するだろう。人がいないと企業も困るので、社員にやめてもらわないよう労働条件を良くするだろう。

社長が「嫌ならやめればいい。代わりはいくらでもいる」と発言したこと問題になった。もし、このまま人が減れば”代わり”がいなくなる。そのために、企業はより社員によい待遇を出すようにするだろう。

わざわざかなりの売り手市場になって、ブラック企業に行く人はいないだろう。こうすれば、ブラック企業はどんどんと駆逐されていく。

これと同じことは実際に起きた。中世ヨーロッパだ。

当時ペストヨーロッパで大流行し、人口が激減した。これにより、労働力不足が発生した。それぞれの農地工場では、人手不足を解消したいと考えていた。これにより、労働者待遇生活水準は非常に良くなったのだ。産業革命が起きた原因はこれでないかとする経済史家もいる。

また、経済学でもソロー・スワンモデルという理論によって、人口が減ると一人当たりの給料が増えるといわれている。

さらに、企業待遇をよくすれば、海外から労働者がやってくるだろう。世界的にも待遇が良い事で有名なGoogleがいい例だ。世界から労働者が来ている。

なので、この問題ブラック企業が減少することで解消できる。

2.GDPが低下

 当たり前だ。GDPはみんな給料の合計だからだ。人口が減れば、GDPは下がるに決まっている。

しかし、問題ない。というのも、GDP順位生活水準が変わることはないからだ。アメリカ格差がひどいことで有名だ。GDPランキングが高い=公民全員が豊かとはいえない。ルクセンブルクリヒテンシュタイン一人当たりのGDPでは上だが、GDPランキング順位が低い。

多くの人は、自分生活していけるかが重要だろう。なのでGDPにこだわる必要はない。

3.社会保障費の負担が増加して、国債が増える。

 おそらく多くの人はこのことを問題に思っているだろう。でも、これも問題がない。理由は「通貨発行権」だ。

日本という国は絶対破綻しないといわれている。理由としては、お金を刷ることが出来るからだ。足りなければすればいいのだ。

こんなことを言うと、ハイパーインフレになると騒ぐ人がいる。が、そもそもそんな簡単ハイパーインフレにはならない。ハイパーインフレの例として、よくあげられる戦前ドイツは、多額の賠償金を無理に払おうとしたからだ。早い話、国が暴走していたのだ。

今はどうだろう。日本は30年もデフレから脱け出せていない。もし、そんなに簡単インフレになるなら、とっくにデフレなんて解消している。

お金バンバン刷って、社会にばらまけばよい。しかも、国家ちゃんとしていて、国がきちんと監視してくれている。

インフレになる手前に止めることは十分できるだろう。

そういうわけで、この点も問題ない。また安楽死などを導入すれば、社会保障費は減るだろう。

4.過疎化が進行

 過疎地域若者は都会に出て、老人は死ぬ。するとその土地には誰もいなくなる。それで終わりだ。

まず、インフラはある程度人がバラバラで住んでいるとお金がかかる。以前和歌山の山奥で一人のおばあさんのために2億円かけて橋を作ったことがあったそうだ。これを聞いて思うことがある人もいるだろう。

そもそも国民はまとまって生活していた方がよい。日本はある程度災害が多いから、完全に一極集中は難しいだろうが、それでもある程度は過疎化が進んでまとまった方が効率は良くなる。

実際、インド中国では過疎化を勧めようとするプロジェクトが進行しているくらいだ。過疎化が進んでいけば、国はさら効率が良くなる。むしろ良い事なのだ

5.文化方言消滅

 優れた文化なら残る。大丈夫。また、今のように日本全国で行き来するなら、言語統一した方が効率がよい。今方言を学ぶ意味果たしてあるのだろうか。

6.火葬場が足りなくなる。

 増やせばよい。

このように少子化がなぜ叫ばれるのか 良く分からない。全て解決できるからである

2020-11-21

anond:20201121143806

近代暴力を専門機関(警察軍隊)に委譲することで人々の安全を確保してきた歴史があるから

小さな政府から大きな政府に移行していったのが歴史

中学公民勉強するはずなのであと2、3年我慢して下さい。

2020-10-31

なんで野党学術会議内閣を訴えないの?

臨時国会召集しないのは違憲だとか、日本学術会議の会員任命拒否違法だとか言うけどさ

本当にそう思うんなら行政訴訟起こせばよくない?

明らかに違憲、明らかに違法、って言うけど、本当にそうなら裁判すれば勝てるわけでしょ。三権分立なんだから

なんか学校で習ったことと現実政治が違いすぎて正直おっちゃんは時代についていけません。

公民原田先生、元気かな。左寄りを隠そうともしない人だったけど、安倍世代中学生相手にどうやって三権分立法の支配を語ったんだろうか。

日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

http://studiit.jp/

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日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

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 日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、

明確な理由説明はなく、説明要求を斥けることは学問の自由理念に反すると同時に、民主主義敵対するものであり、

これに断固として異議を唱えます

.

 《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力行使国民に対する暴力)であり、主権者である国民説明責任を果たすことが

民主主義の基本だからです。

情報公開制度古代ローマ時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。

必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望します。

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令和 2 年 1017

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イタリア学会会長

藤谷道夫慶應義塾大学教授

.

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理由

 イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)

イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動適用することは、学会目的に適う実践行為判断し、

今回の声明を発した理由簡単説明したい。

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 菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民

理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員

一員として、政権批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。

学問国家従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、

政権批判をしてはならないという誤った公民である

.

 学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類資するものである与党資するものだけを学問研究

なすことは大きな誤りである学問研究によって得られる利益人類全体に寄与するものでなければならず、

時の政権のためのものではない。

判りやすい例を挙げれば、日本西洋から数学物理化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵無償で受けた。

万有引力定数や相対性理論発見したのは日本人ではない。その恩恵利益を受けながら、その使用料は払っていない。

なぜなら学問成果は全人類共通善として無償で開放されているかである

日本国には受けた恩恵人類に返すべき義務があることは言うまでもない。

.

 国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である

公務員政権の《しもべ》ではないかである公務員国民全員の利益のために働く。

政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員義務である

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古代中国では臣下君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。

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翻ってイタリアの地、古代ローマ時代には、時の政権勝手な振る舞いか国民を守るための公的機関である

護民官が設置されていた。現代公務員匹敵する護民官は、時の権力批判牽制するために作られた

驚くべき官職である

.

 次に、菅首相憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味理解していない。「学問の自由保障とは、

学者学問良心に従って行なった言動評価は、まずは学者うしの討論に委ね、最終的には歴史判断に委ねるべきであり、

間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授

.

権力学問世界に介入する事例は西洋史に無数に見出される。

1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と

イエズス会士はこれに激怒し、同書を禁書にした。

ガリレオローマ異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。

ガリレオ自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究放棄するよう宣誓させられた。

そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。

教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力判断によって封殺された。

.

 「今回、菅首相は、特定学者言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》

について自分権限判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民理解され

存在ではない》と認めたのである

.

問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、

そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなである

にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の

ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の

ものでもない。」(小林節名誉教授

.

 私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、

国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官

見解を示している。

.

しかし、菅首相官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法無視してきた。

.

世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、

元老院議事録国民日報編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル20

これが民主主義への第 1 歩である

それまで国民元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。

議員私利私欲談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、

貴族権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったかである

.

 一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書改竄捏造、削除され続けてきた。

かに日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、

人事異動プロセスも民草には窺い知ることもできなかった。

.

おそらく安倍菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。

紀元前 5 世紀のアイスキュロス作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。

この劇は二人の登場人物プロメーテウスを連行する場面から始まる。

プロメーテウスは絶対君主であるゼウス意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、

暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。

この時、彼を連行する 2 人の登場人物名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。

二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言言葉を発しない。

ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である

ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力強制意味する。

ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである

.

同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される

(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。

その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、

これが現実になったのが、ソヴィエトである

ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。

逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、

また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。

これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民心理的権力によって完全に支配される。

まり、《説明しない》ことこそが権力行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。

なかに権力忖度し、取り入る者が出て来る。

.

こうした事例から民主主義いかに「説明すること」にかかっているかが判る。

説明情報公開民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなである

たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。

ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。

しかし、問題本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。

科学分野の基礎研究予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、

また軍事研究に手を染めない学術会議方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。

.

実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、

国立大学都道府県教育委員会日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。

公金は自民党のためのものではなく、国民のためのものである

国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。

かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである

(文責:藤谷道夫

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ナチス最初共産主義者攻撃した時、私は声を上げなかった。

なぜなら私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。

彼らが労働組合員を攻撃した時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は労働組合員ではなかったから。

ユダヤ人が連れ去られた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。

そして彼らが私を攻撃した時、

私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。

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.

通常の娯楽に加えて、(古代ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、

凱旋式があった。

(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。

将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆面前であげつらうのである将軍高慢ものぼせ上って、

自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである

例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!

あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代独裁者たちに対しても同じように言うことが

できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。

(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)

.

.

犬儒派キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、

世の中で最も素晴らしいものは何かと訊かれたとき

《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」

ディオゲネース・ラーエルティオス『ギリシャ哲学列伝』69~

2020-10-14

anond:20201013213028

から言えるのは、とりあえず現代社会とか公民勉強してナショナリズム論かじっとこうぜということです

圏論とか関数型プログラミング構文解析よりもそっちのほうが大事なんじゃないかな?

2020-09-01

判断力がない人間選挙権を与えるのは不適切。やっぱり日本リベラルはこの知の巨人を大切にすべきだと痛感したは


民主主義考 白井聡さんが語る安倍政治(上) 国家権力の腐敗と本質

2017/5/22(月) 0:46

https://news.yahoo.co.jp/byline/shiraisatoshi/20170522-00071188/

 だがおよそ7割の有権者はそのことを認識していなかった。正論を言えば、こんな状況下で普通選挙をやっている事の方が間違っている。

 かつて制限選挙が当たり前だった時代普通選挙導入論に対する批判は、「判断力のない人々(愚民貧乏人と女性)に選挙権を与えたら、ろくでもない政治家を選ぶので危険だ」というものだった。貧しい人や女性には判断力がないという考え方は間違っているが、しか判断力がない人間参政権を与えるのは不適切、という論理もっとである

 だが、普通選挙制度は導入された。ではかつての批判にどう答えてきたのか。最も筋の通った反論は、「判断力が未熟な場合があるとしても、人は判断力を高めるべく努力するはずだ」というものだ。

 今日惨状をみたとき、この反論は成り立つのか。人口の大多数が義務教育の年限を超えて教育を受けているはずなのに、最低限の政治知識も持ち合わせていない。それは要するに、公民たろうとする意思がないということだろう。あるいは、地方に行けば投票先について「うちは昔から代々ずっと○○先生に決めていますから」という話をよく聞く。現に未熟であるだけでなく、その自覚もない。

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