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はてなキーワード: 江戸城とは

2023-12-30

逆に東京文化はなんだと思っているか

スーパーセンタートライアル増田がバズってるけど、東京に住みたくて住んでる人間としてどの辺に東京文化的な良さを感じているかを書いてみたい

美術館とか博物館とかそういうのじゃないやつだ 東京/都市部文化という話になると馬鹿の一つ覚えみたいに美術館博物館を挙げてきてそれはただの消費だろバーカバーカみたいに言ってくる奴が後を絶たないが、はっきり言って意味不明ですね

言うてまあ、ノアスミスがだいたいのところは説明しちゃってんだけどさあ ここでは彼が語っていない部分を俺の主観に従って書きたい

参考: 「東京は新しいパリだ」/ノアスミス https://note.com/econ101_/n/nc0b8535512ac

俺が思う東京文化はなんと言ってもまずは地形だ

東京っつうのは江戸の跡地だから江戸時代の街の構造現代まで影響を残している まあ当たり前のことだけど、当時は基本的高台武家だの大名だのの屋敷があって低地には庶民生活の場があったわけだ(上野とか入谷とか鶯谷とかがきったねえ街になってるのはそういうことだよね)

東京高台っつうのはいわゆる武蔵野台地のことで、これは江戸城つまり皇居を端として西側に広がっている 台地と低地の境目部分は坂の多い街になっていて、そのへんはたぶん武家庶民生活が混じり合う地域だったんじゃねえかなという気がする そういうところは面白い街が多いように感じる 上野もそうだし、神保町とか御茶ノ水とか飯田橋のあたりとか、汚ねえけど日暮里の方とかだ 街ごとに個性と特徴がある 歴史を調べると色々な人間エピソードが出てくる そういう街にある商店街構造とか神社とか古い建物とかがどうしてこうなったんだろうと考えながら歩いてる文化っぽい気がするわけだ

あと武蔵野台地でも神田川目黒川が入り込んでるあたりは川に向かって低地になっていて、その周辺にはやっぱり下町と同じ町民文化臭いが残っているように思う 中目黒とか江戸川橋とかだな

完全に高台の方で旧東京市に含まれるあたりは分かりやすハイソな街が多くて、土地持ちの家に生まれただけの勘違いセレブママみたいなのがベビーカーチワワで風を切って歩いてたりしててまあいけすかない でも旧華族庭園屋敷に由来する施設がたくさんあってそれはそれで文化だなとは思うわ

江戸城の下町や旧東京市を越えた地区における文化はおそらく近代というか戦後にできてきたところなんだろうと思う その中でも、どっかのデベロッパー計画して作った街じゃないところは文化を感じますね 中央線沿線とか蒲田とかの大田区の方ですね ちょっと左巻きがキツいところもあるけど独自文化歴史になってるのはいいですよね

逆に東急とかがデザインした系の街はいまいち気に入らないんだよなあ 最近湾岸エリア再開発系もそう あんなの地方ロードサイドジオラマ東京近郊に持ってきただけだろって思う 麻布台ヒルズとかも同じだ 高級ロードサイドしかないだろ 文脈がないロードサイドなんてマジで文化の欠片もないと思うわ

あと東京郊外ダメっすね 歴史を上書きしてニュータウンを作りまくったけど新しい歴史根付くことはなかったって感じがする

要するに、歴史裏付けられた発展が俺に響くんですよ

その中のカスみたいな一部として自分がいると実感できれば、その流れに貢献しようとか思えるわけです

そういう意味では東京である必要特になくて、西日本の方とか、やっぱ何かしらの城下町が多いけど、東京に比べると規模は小さくてもそういう街ってたくさんありますよね そういうところも興味深いんですよ そういうところに住んでたらそれはそれで俺は満足だし文化的だなって感じると思う

でも仕事がないとか関東実家事情とか考えると住めなくて、結局東京以外に現実的選択肢がねえなってなる そういう感じなわけです

東京に住んでても美術館だの博物館だのにはたまにしかいかねえけど、かといって文化摂取してないとか郊外暮らしと変わらないとかは全然思わないんです

2023-12-23

江戸大火の原因を教えてください。

4代目の徳川ヨッシー旗本マリオくんと仲良し。

夜な夜な吉原に出かけては花魁ピーチ姫キノコ遊びをしていた。

そんな様子に呆れた老中筆頭のクッパ守がピーチ姫さらって隠したことからヨッシーは大激怒

源のヨッシーへと大進化します。

大きくなったヨッシーはやがてGODiLAと呼ばれて江戸城本丸破壊します。

(そのご本丸は再建されませんでした。その理由はのちほど説明します)

一方鳥山明東京に行くとゴネて自分専用の空港直通の道路建設させます

しかマリオはそれでもヨッシーのことを親友と思ってます

「彼とはキノコで睦びあった仲だし」

その言葉に驚いた初代将軍シゲルは草葉の陰で泣きます

それがまるで法螺貝の音のようだったので太平の世を切り裂いて100年ぶりに徳川軍団が馬揃え。

その馬に発情したヨッシーは大量の炎を吐き出します。

江戸大火はこうして起こりました。

誰だ?AIに変な学習させたのは?

2023-12-07

anond:20231207191506

何を聞きたいのかがハッキリせんぞ

小僧

お前は江戸城東京シンバルだと

思ってて大好きだから、君んとこはどう?

て聞きたいわけ?

大阪城大好きで大阪シンバル

だと思ってるか聞きたいのか??

しかし、そもそも江戸城なんか中入れんし

思い入れあるのは皇族くらいやろ。

皇族牢屋みたいだから真子さんは

出たわけやし。

大阪大都会やし、人それぞれやろ。

鉄筋やし。

もうすこし松山とか高知とか姫路とか

の人に聞いたら?

小僧

anond:20231207191506

天守台も含めると、江戸城3代目天守の高さはなんと約58m! 20階建てビルに相当し、現存木造建築では日本一の高さとなる東寺五重塔3m上回る高さでした。日本一天守であったのはもちろん、当時は世界最大の木造建築だったのです。

2023-11-14

anond:20231114001239

江戸城本丸が立ってたところは、いまの皇居東御苑のあたり

いまでも一般公開されている

花粉症発症する前はよくサボりに行ってた

anond:20231114000836

江戸城って今の皇居だよね?

再建したところで観光地にできるの?

2023-11-12

NetflixBlue Eye Samurai

・ワイは、ひょっとして

 貴重な休み無駄にしたんか…?

 という心といやでも面白かったから…という

 心がせめぎ合ってる

・途中までは混じり気なく本当に面白かった

 新鮮で違和感無くカッコいい100%CGアニメ

 繊細な感情描写ダイナミックで

 魅せてくれるアクション

 雪の降る幻想的な日本風景

 舞台は昔だけど「女性男性」のそのへんの

 テーマの扱い方とかすごい「最新のアニメ」って

 感じがして「センキューNetflix」だったけど

 「存在しない記憶回」と「ゲームか?城潜入回」で

 少し引き込み力は弱くなった

 城潜入回でスタッフが楽しんでるのは、

 よく、伝わってきた

明美ターン、大体全てとてもいい

 これは偉大になれる女性

 柔よく剛を制して女傑になってくれ…

 もし続編があったら旦那と睦まじいとこ

 もっとみてえ

・関の 気持も わかる

 親こころ

・泰造と明美の濡れ場しながら決闘やり返すのよの口上シーン、「少年漫画ライバル関係少女漫画恋愛と同じ論」の核を視覚的に伝えてきてくれて助かる

・水と泰造のドキッなシーンを…もっと…いやでもこれくらいがいい…いやもっと…いやでも…

 「男性男装した女性」のもだもだは女性バレしたらもう無いと思うとぼくは…ぼくは…

登場人物ハンディキャップ率高いけどポリコレ臭く感じなかった

ラスボス最後もうガノンドロフだろ

海外の何百年も前を舞台にしたこんな大規模な話を作れるスタッフすごすぎ

時代劇無知勢だからだけど江戸城をここまで広範囲舞台移動する映像初めて見た

・泰造、ディズニープリンスみたいな顔だった

・(クリフハンガーで終わったが多分…続編は…

ももし作られたら見させて頂きたい…)

2023-09-21

anond:20230921144630

山手線の内側はだいたいどこも何だかんだいって積み重ねがあると思う。元々江戸城城下町なわけだし。

他にある程度知ってる街だと、札幌松本金沢浜松京都大阪長崎とかかな…。粒度バラバラだけど…

2023-09-12

anond:20230912153252

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A5%A0%E9%83%BD

このへんに詳しく載ってる

要するに新政府軍徳川軍に勝って江戸城が手に入ったから、そこに天皇を来させて江戸を栄えさせたらいいじゃんって話

2023-07-28

東京ってマジで歴史がないんだよな

どうあがいても江戸時代までしか遡れないし、

ずっと平和だったか教科書に載るような事件とかもない。

あったとしてもだいたい江戸城内とか国会議事堂内とかで起きてるわけで、

一般人普通に生活していてそれらの史跡に遭遇することがない。

街並みが近現代的な建物で塗りつぶされているから、

ふと散歩に出かけて歴史を感じる建物出会う…ということもない。

東京で「歴史のある建物」って言ったら明治以降煉瓦造りとかだったりするし。

郷土英雄だとかそういう感覚も薄いよな。

東京人は徳川家康にどれほど愛着を感じているのか?

まあそもそも東京人と言っても大半は地方から移民からな。

アメリカみたいな街だよな。

2023-07-22

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)

名称概要
463年吉備氏の乱雄略天皇吉備田狭の妻を奪ったので、吉備田狭は新羅と結託して反乱を起こしたが、失敗した。
479年星川皇子の乱雄略天皇吉備田狭の妻のあいだに生まれ星川皇子が、吉備氏と結託して皇位を奪おうとしたが、誅殺された。
527年磐井の乱朝鮮半島出兵しようとした大和朝廷軍に対し、北九州豪族である筑紫磐井が反乱を起こしてそれを阻んだが、討伐された。
587年丁未の乱仏教布教を巡って、大臣蘇我馬子と、大連物部守屋対立し、戦に発展した。蘇我氏勝利した。
645年乙巳の変中大兄皇子中臣鎌足らが、朝廷壟断していた蘇我入鹿暗殺、続いて蘇我氏粛清した。
672年壬申の乱天智天皇後継者争いが発生し、皇太子大友皇子に対して、天智天皇の弟・大海人皇子挙兵した。大海人皇子勝利して天皇となった。
729年長屋王の変皇族長屋王に謀反の疑いがかけられて兵が差し向けられ、長屋王自害した。藤原四兄弟による陰謀とされる。
740年藤原広嗣の乱藤原四兄弟の死により藤原氏勢力が退潮し、九州左遷されて不満を持った藤原広嗣太宰府挙兵したが、朝廷軍により討伐された。
757年橘奈良麻呂の乱橘諸兄の息子・橘奈良麻呂が、藤原仲麻呂を疎んでクーデターを企てたが、事前に発覚して逮捕され、獄死した。
764年藤原仲麻呂の乱孝謙上皇対立した太政大臣藤原仲麻呂恵美押勝)が反乱を企図したが失敗、討伐された。
780年宝亀の乱朝廷に帰順して功績を上げていた蝦夷族長伊治呰麻呂が、陸奥按察使・紀広純殺害して反乱を起こした。
782年氷上川継の乱天武天皇の曾孫で臣籍降下していた氷上川継が、光仁天皇崩御に乗じて謀反を企んだが、事前に発覚して流罪となった。
807年伊予親王の変藤原宗成の謀反計画が判明し、その首謀者の嫌疑をかけられた伊予親王自死したが、のちに冤罪と認められた。
810年薬子の変平城上皇嵯峨天皇対立が激化し、平城上皇挙兵決断するに至ったが、嵯峨天皇が先んじて兵を差し向け、平城上皇出家した。
842年承和の変嵯峨上皇崩御に伴い、皇太子恒貞親王擁立する側が謀反人とされて失脚、藤原良房の支持を受ける道康親王皇太子となった。
866年応天門の変応天門放火があり、大納言伴善男が「左大臣源信仕業だ」と告発したが、逆に伴善男真犯人だとされて流罪になった事件
878年元慶の乱長年の苛政に不満を抱いた蝦夷の民が蜂起して秋田城を襲撃した。朝廷の軍はいちど敗れたが、蝦夷を懐柔・慰撫することで鎮圧した。
889年寛平・延喜東国の乱関東治安が低下し、群盗の蜂起が相次いだ。その鎮圧に功のあった平高望勢力を広げ、いわゆる坂東平氏の礎となった。
901年昌泰の変右大臣菅原道真が失脚し、大宰府左遷された事件左大臣藤原時平陰謀だとされる。
938年天慶の出羽俘囚の乱朝廷に服属していた蝦夷たちが反乱を起こして秋田城を襲撃した。その後の経過は不明
939年承平天慶の乱東では坂東平氏平将門が、西では藤原一族藤原純友が、ほぼ同時に反乱を起こしたが、朝廷により鎮圧された。
947年藤原是助の乱伯耆豪族藤原是助が、前任の国司だった物部高茂・忠明父子を襲撃した。物部忠明が追討軍を率いて鎮圧したという。
969年安和の変謀反の計画が密告され、それに関係したと見なされた左大臣源高明太宰府左遷された。藤原氏による陰謀だとされる。
986年寛和の変皇太子の外祖父であった右大臣藤原兼家が、孫の即位を早めるために、当代の花山天皇を唆して出家させた事件
995年長徳の変「花山法皇自分恋人に言い寄っている」と勘違いした藤原伊周が法皇を襲撃して左遷された。政敵の伊周が失脚したこと藤原道長が台頭していく。
1028年平忠常の乱坂東平氏の有力者だった平忠常が反乱を起こし、三年に渡って争いが続いた。元・主人の源頼信が追討に差し向けられ、忠常は戦わずして降伏した。
1107年源義親の乱源義家の子である源義親がまず九州、次いで出雲乱暴狼藉を働いていた。平正盛が追討に向かい鎮圧、のちの伊勢平氏繁栄きっかけとなった。
1113年永久の変千手丸という童子鳥羽天皇暗殺を企んでいると密告があり、輔仁親王の護持僧・仁寛が首謀者とされ、流罪となった。
1156年保元の乱後白河天皇藤原忠通派と、崇徳上皇藤原頼長派が対立して戦に発展し、後白河天皇派が勝利した。頼長は死に、崇徳上皇流罪となった。
1160年平治の乱信西の権勢に反発した藤原信頼・源義朝クーデターを起こし、信西を死に追いやったが、のちに平清盛に敗れ、信頼は処刑された。
1180年治承・寿永の乱いわゆる源平合戦平清盛を筆頭とする平氏政権が打倒され、源頼朝によって鎌倉幕府樹立された。
1184年三日平氏の乱平氏都落ちのあと、伊賀平田家継、伊勢平信兼藤原忠清といった平氏残党が蜂起したが、鎌倉軍に鎮圧された。
1189年大河兼任の乱奥州藤原氏の家臣だった大河兼任出羽国で反乱を起こし、藤原氏の残党も取り込んで暴れたが、鎌倉幕府の追討軍に敗れた。
1199年梶原景時の変源頼朝の死後、その腹心だった梶原景時が有力御家人に弾劾されて鎌倉追放された。のちに謀反を企てたが敗れて一族は滅亡した。
1201年建仁の乱梶原景時に恩のあった城長茂が京で兵を挙げ、本拠越後でも城一族が反乱が起こしたが、鎌倉幕府鎮圧された。
1203年比企能員の変将軍源頼家の舅として台頭した比企能員が、政敵北条一族に謀殺され、比企一族も滅ぼされた。それに反発した頼家も将軍地位を追われた。
1203年三日平氏の乱二十年前の三日平氏の乱で敗れた藤原忠清の孫・若菜盛高が再び伊勢伊賀で反乱を起こしたが、幕府軍を率いる平賀朝雅鎮圧された。
1205年畠山重忠の乱平賀朝雅および北条時政の謀略で、彼らと対立していた畠山重忠とその一族が討伐された。直後に時政は失脚し、朝雅も誅殺された。
1213年泉親衡の乱北条氏打倒の企みが発覚して和田義盛の息子などが捕縛された。首謀者の泉親衡は合戦ののち行方くらませた。続く和田合戦きっかけとなった。
1221年承久の乱後鳥羽上皇北条義時追討を宣言して挙兵したが、鎌倉幕府はそれを打倒した。後鳥羽上皇隠岐に配流された。
1293年平禅門の乱平頼綱北条氏の執事として権勢を振るったが、その権勢を危ぶんだ執権北条貞時に討伐された。頼綱とその一族は滅亡した。
1305年嘉元の乱得宗北条貞時の命令として北条時村が誅殺されたが、続いて「それは北条宗方による陰謀だった」として宗方が誅殺された。
1325年安藤氏の乱津軽で起きた蝦夷の反乱と、蝦夷代官安藤氏のお家騒動が重なり、それを幕府が上手く調停できなかったため内乱に発展した。
1324年正中の変後醍醐天皇の側近たちが鎌倉幕府打倒を計画したとされ、日野資朝佐渡流罪となった。後醍醐天皇は不問となった。
1331年元弘の乱後醍醐天皇鎌倉幕府打倒を計画し、いったんは失敗して隠岐へ配流されたが、その後に盛り返して幕府を滅ぼした。建武新政が開始された。
1335年中先代の乱最後得宗北条高時の息子である北条時行が幕府再興を掲げて挙兵、いったんは鎌倉占領した。足利尊氏に追討されて時行は逃亡した。
1336年建武の乱後醍醐天皇と、そこから離反した足利尊氏の戦い。尊氏勝利して室町幕府が成立するも、後醍醐天皇吉野に逃れて南北朝時代が始まった。
1366年貞治の変室町幕府で権勢を振るった斯波高経斯波義将父子が、周囲の不満の高まりにより失脚した。追討の軍が送られ、斯波氏の領国は没収された。
1375年水島の変九州派遣された今川了俊が、同じ北朝少弐冬資と対立したため、彼を暗殺した。了俊の仕打ちに反発して島津氏大友氏などが離反した。
1380年小山氏の乱鎌倉公方・足利氏満下野守護小山義政が対立し、小山氏が滅ぼされた戦い。小山義政は自害したが、遺児・若犬丸はその後も抵抗を続けた。
1387年小田氏の乱常陸小田氏が小山若犬丸を匿っていたことが発覚、鎌倉公方・足利氏満小田氏を討伐した。小田氏は降伏し、所領を没収された。
1389年土岐康行の乱有力守護の弱体化を図る将軍足利義満が、土岐氏の後継争いにつけこんで当主の土岐康行を討伐した。康行はのちに許されて伊勢守護となった。
1392年明徳の乱一族で十一カ国の守護となり権勢を誇った山名氏が、将軍足利義満挑発に乗って反乱を起こしたが敗れた。山名氏の所領は三カ国まで減らされた。
1395年田村庄司の乱白河結城氏と対立していた田村庄司氏が反乱を起こし、そこに小山若犬丸が逃げ込んだことで、鎌倉公方・足利氏満が出陣して田村庄司氏を滅ぼした。
1399年応永の乱六カ国の守護である大内義弘が将軍足利義満対立鎌倉公方と手を結び、土岐氏山名氏の残党と手を結んで挙兵したが敗れた。義弘は戦死した。
1411年飛騨の乱飛騨国司姉小路氏は三家に分裂しており、その内紛から姉小路尹綱が挙兵幕府の追討軍によって鎮圧された。尹綱は戦死した。
1413年伊集院頼久の乱島津家後継者争いをきっかけに、当主島津久豊対立した重臣伊集院頼久が反乱を起こした。一進一退の末に両者は和睦した。
1416年上杉禅秀の乱関東管領を更迭された上杉氏憲が、諸将を味方につけて鎌倉公方・足利持氏に反乱を起こした。幕府が持氏を救援し、氏憲は敗れて自害した。
1422年小栗満重の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府と結びついた小栗満重などの北関東武将が、鎌倉公方・足利持氏に対して挙兵したが鎮圧された。
1423年越後応永の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府側の越後守護上杉頼方が、鎌倉公方側の守護代・長尾邦景を討伐しようとしたが、邦景が勝利した。
1429年大和永享の乱幕府との結びつきが強い筒井氏と元・南朝越智氏の長年の争いが激化し、最終的に室町幕府の追討軍に越智氏は敗れた。
1438年永享の乱鎌倉公方・足利持氏関東管領・上杉憲実の対立から室町幕府が持氏討伐を決めた。派遣された追討軍に敗れた持氏は自害した。
1441年嘉吉の乱三カ国守護である赤松満祐が、酒宴に招いた将軍足利義教暗殺した。幕府軍の追討により赤松氏は滅亡した。
1443年禁闕の変南朝復興を唱える勢力御所を襲撃し、三種の神器のうち剣と勾玉を奪った。すぐに幕府軍鎮圧されたが、勾玉は奪われたままとなった。
1455年享徳の乱足利持氏の息子・成氏により鎌倉公方が復活したが、関東管領との争いも復活してしまい、二十八年にわたって両者が争った。最終的には和睦した。
1457年蠣崎蔵人の乱陸奥国田名部の領主・蠣崎信純が反乱を起こし、南部氏がそれを鎮圧した。蠣崎信純は北海道に逃れて、のちに勢力を築いた。
1457年長禄の変赤松再興を目指す赤松氏の遺臣が、禁闕の変で奪われた勾玉を奪還した。その功績により赤松氏は再興を許された。
1467年応仁の乱畠山氏の跡目争い、斯波氏の家督交代、赤松氏再興、将軍の後継問題などから東軍細川勝元西軍山名宗全が戦った。東軍有利で和睦に終わった。
1476年長尾景春の乱関東管領・山内上杉氏の家臣・長尾景春が待遇への不満から挙兵したが、太田道灌によって鎮圧された。これをきっかけに享徳の乱も和睦に向かった。
1479年毛利次郎の乱赤松氏らの支援を得た因幡国人毛利貞元などが、山名氏に対して反乱を起こした。鎮圧されたが、国人たちの勢力は保たれた。
1486年江戸城の乱谷上杉氏の当主上杉定正が、麾下の名将・太田道灌を誅殺、その居城である江戸城占拠し、道灌の息子の太田資康を追放した。
1487年長享の乱享徳の乱を経て、関東管領の山内上杉氏とその分家の扇谷上杉氏が対立し、太田道灌誅殺をきっかけに戦乱となった。最終的に扇谷上杉氏が降伏した。
1487年長享・延徳の乱将軍足利義尚が自ら軍を率いて近江守護六角氏の討伐に向かったが陣中で病死した。後を継いだ足利義材が再び六角討伐を行った。
1489年山名新九郎・小太郎の乱伯耆守護山名元之の息子である山名新九郎らが、赤松氏の支援を得て伯耆守護山名尚之に反乱を起こしたが、鎮圧された。
1490年佐竹の乱佐竹宗家と以前から断続的に争っていた佐竹庶流・山入氏らが、佐竹義治の死去を機に佐竹氏の本拠攻撃したが、最終的に山入氏は滅ぼされた。
1502年伊庭氏の乱長享・延徳の乱の後、近江守護に復帰した六角高頼に対し、近江守護代・伊庭貞隆が二度に渡って出奔挙兵するが、最終的に鎮圧された。
1507年永正の乱越後守護代・長尾為景が謀反、越後守護上杉房能とその兄である関東管領・上杉顕定を敗死させた。関東管領の後継争いか関東を二分する戦いに発展した。

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

2023-07-03

サムライマラソン

サムライマラソン 105分-サスペンス/アクション/時代劇

日本元祖マラソンを題材にした映画

面白いかどうかと言えば微妙

「うーん。どちらかといえば面白くない」だ。

それでも記録に残しておく。

光るところが少しあるからだ。

走行邪魔になる着衣で山道を激走する。

疾走感が見事だった。

よくこんなに走れるものだ。

基本的に全場面走る。

ずっと走ってる。

箱根駅伝面白さがちょっと分かった。

走るのを見るための映画だった。

マニア向け。

ここから下は読まなくてもいい。

物語舞台群馬県安中市

殿様が配下の者たちに体を鍛える遠足(とおあし。マラソン大会)を開催するとお触れを出した。

勘違いしたスパイが「謀反だ!」と手紙飛ばししまった。

江戸城から粛清人が送られて、さあ、大変。

という構成になっている。

物語は三組のパートに分かれる。

勘違いしたスパイ

 生まれも育ちも群馬県安中市の侍。

 安中の殿様に従事してそこそこの生活を得ている。

 正体は徳川家スパイ

 早とちりして安中が謀反を企てるとして粛清するよう手紙を出してしまう。

 安中に情があるのでこれを止めようと奔走する。

ジジイ小僧と姫

 遠足の一着には殿様が望みをかなえる。

 

 安中から暇を出されて腐ってたジジイ

 母子家庭キノコ狩りする貧しい小僧

 江戸アメリカに行きたい家出娘のお姫様

 この三人がそれぞれの思惑を胸に遠足に参加する。

 それぞれの望みは叶うのか。

 

・一番足は速いが位が低くて八百長依頼される侍

誰もが認める俊足。

しかし位が低いため勝つことを許されない。

家族純粋勝利を信じている。

八百長依頼されて金子とご馳走を振舞われる。

つのか、負けるのか。

------------

要素だけを抜き出すとかなり面白そうだった。

3組以外にもちょこちょこ人間ドラマが織り込まれている。

しかドラマパート面白くない。

登場人物たちに感情移入できなかったのが敗因。

ジジイ小僧姫の三者にはちょっと興味が湧いたが見せ場の作り方が地味だった。

全体的に地味。

2023-06-02

浅草寺浅草岳関係

浅草寺は、江戸時代江戸城の近くに位置する浅草岳山麓に建てられた寺院です。浅草岳は、かつては日本最古の遊園地浅草公園」があり、その中にある険しい山のことです。浅草寺浅草岳の麓にあるため、浅草岳浅草寺は深い関係があります。このように、浅草寺浅草岳は、伝統的な観光地として、長い歴史を共有しています

Chat GPT作成

2023-05-04

anond:20230504155828

そう考えるとやっぱ徳川家康公って神だね

小田原城もらえるの蹴って荒地江戸城えらんだんだもの

天才だよ

2023-02-11

日本国民でも皇居ぐらい知らなくたっていいじゃない。

俺も少なくとも義務教育で習った覚えはないしなあ。まあ毎年皆勤賞ってわけじゃなかったし先生皇居言及した日に限って休んでたって可能性もあるけど。

警察にしてみれば前後不覚皇居で寝ていた酔っ払いがここはどこだと言うのは信じられないものらしい。

いやあ俺だって歴史自主的に学ぶとあるからたまたま皇居のもとが江戸城だったって知識も持ってはいるけど、そうじゃなきゃ国民から知ってるはずだってのはなんかどこぞの国粋主義者なんじゃないかしらあ。

2023-01-21

東京オフィス規制してほしい

観光立国外国人のケツ舐めて外貨稼ぐって決めたんだから東京は完全に観光地にするべきでしょ

オフィス全部壊して江戸城とその周辺再建して政治家官僚は全員ちょんまげにするべきじゃないの

2022-11-06

anond:20221106152900

とんでもない左遷だな。やっぱ三河武士はんぱねーわ。

もともとの江戸城太田道灌(どうかん)が長禄元年(1457年)に築いた小さな城だった。その後の北条氏時代江戸は寒村にすぎなかった。現在日比谷あたりまで海水が入り込む湿地帯のため農耕には不向きで、人口も少なく、江戸城は荒廃していた。

転機となったのは天正18年(1590年)、豊臣秀吉北条氏を攻めた小田原征伐である。この戦いで最大級の功績をあげた徳川家康は、北条氏の所領をそっくりそのまま秀吉から与えられる。伊豆相模武蔵上総下総上野下野の7国である。だが、これまでの領地駿河遠江三河甲斐信濃の5国を失う。前の領地は150万石、新たな関東領地は250万石。石高は増えても慣れ親しんだ領地を離れることは、家康にとって大きな痛手だった。報奨のかたちはとっているが、関東移封は家康大坂から遠ざけるための秀吉の計略である

家康江戸に移ったのは天正18年(1590年)のことだった。家康はすぐに大きな城を築こうとはせず、まずインフラ整備に着手した。海水が入り込む低湿地帯であった江戸を耕作に適した地に変えていく。なかでも大規模な工事となったのが、文禄3年(1594年)に開始した「利根川東遷」である。当時の利根川江戸を流れていて、しばしば大洪水を起こしていた。そこで利根川の流れを銚子に注ぐように変える治水工事を行ったのである工事がすべて完了したのは承応3年(1654年)、四代将軍・家綱の時代だった。60年におよぶ大事である。この工事のおかげで、新田開発も飛躍的に進み、関東平野日本最大の穀倉地帯となった。

徳川家康江戸城の拡張に着手するのは、征夷大将軍となった慶長8年(1603年)である江戸本拠を構えてから、すでに10年以上の歳月がたっている。家康はこの時機を待っていたのかもしれない。将軍ともなれば、自分の好きなように城を築けるからである江戸城は全国の大名に協力を要請する天下普請(てんかぶしん)によって建造された。加藤清正藤堂高虎といった築城の名手をはじめ、すぐれた築城技術をもった前田細川池田毛利黒田など名だたる大名たちが参加した。この工事は三代将軍の家光の代まで続くことになる。

天下普請による築城費用人材も資材もすべて大名たちの持ち出しであり、経済的に大きな負担となった。徳川に刃向かう可能性のある豊臣恩顧の大名たちの力を削ぐうえでも有効な策であり、この築城方法はのちの名古屋城にも踏襲されるのである

2022-07-28

西田敏行の年表

ニシダトシキノネンピョウ

西田敏行の年表とは、日本史に燦然と輝く西田敏行の業績である

歴史

1169 西田敏行法住寺殿において出家法皇となる。

1180 西田敏行、父と共に源頼朝挙兵に加わり、山木館を襲撃

1561 西田敏行武田信玄啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれ討ち死に

1584 西田敏行西田敏行小牧長久手の戦いで敗れる

1598 西田敏行死去。遺児は後に西田敏行に滅ぼされる

1600 西田敏行真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける

同年  西田敏行石田三成関ヶ原に破る

1603 西田敏行幕府を開き初代将軍になる

1605 西田敏行西田敏行将軍職を譲り、後に駿府城に移る

1614 西田敏行西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける

1716 西田敏行八代将軍になる

1745 西田敏行徳川家重将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る

1860 西田敏行会津藩家老となる

1861 西田敏行愛加那との間に西田敏行を授かる(ナレーション西田敏行

1867 西田敏行西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる(ナレーション西田敏行

1868 薩摩藩西田敏行らと長州藩西田敏行らが協力して幕府を倒す(ナレーション西田敏行

1869 西田敏行五稜郭の戦い新政府軍に敗れる

1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍西田敏行軍は鎮圧され、城山自刃ナレーション西田敏行

1883 西田敏行共立学校の初代校長となる

1904 西田敏行日銀総裁として日露戦争の戦費を調達する

1904 西田敏行京都市長就任し、父である西田敏行のことを、部下に語りだす

1945 西田敏行フィリピン戦場で誤って兄に撃たれる

https://togetter.com/li/976233

https://dic.nicovideo.jp/a/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E6%95%8F%E8%A1%8C%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8

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