はてなキーワード: 不可侵とは
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07131131/?all=1
社会復帰に相当な苦労をした。
助けてくれる外部の者はなかった。
自分こそテロリストだったかもしれないという自我の脆さをかかえながらなんとか
山上容疑者の生い立ちが日々明らかになるのを毎日、胸が張り裂けそうになりながら読んでいる。
「いかなる生い立ちであっても今回の凶行は絶対に許されない。」とか、
「殺人は犯罪」。そういうルールがあるのは、誰だって知っている。
しかし容疑者が殺人を犯さねばならないほど追い込んだのは、社会の側なのである。
無力な子供をこんな目にあわせるのは絶対に許されないことなのだ。
それを黙認してきたのも社会。
https://togetter.com/li/1912610
漫画本編はまとめに載ってる(作者が宣伝用に全ページうpしてる)ので知らん人はまず読んでどうぞ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4722072961604756130/comment/IthacaChasma
内心の自由についての考えが深まる怪作。先生の内面も高潔だったら、きっとサトリ君は救われていないと思う。そして先生が口に出して言っていること(外面)は全て正しい。
賢しげにこんなこと言ってる&星つけてるブクマカが実際は全く内心の自由について考えておらずただ自分の思い込みを強化しているだけとバラしたので確かに怪作
なぜならこの漫画は「内心の自由の尊重についての物語」ではなく「内心の自由が崩れている世界の物語」だから
作者にその意図があったかどうかはともかく作品はそうなっている
先生が口に出して言っていることが正しい?
普通に保身のために嘘ついてるが?
「アンタのそのイカれた本性 必ず表に出させてやるッ!!」
はてな民は人権とか詳しいから3秒考えれば分かると思うんだけど、「読心術で知った他人の内心を周りにバラす」が内心の自由の侵害といえるかどうかはかなり微妙
むしろバラすことを禁止してしまうとサトリくんが自分の知っていることについて自由に発言する「表現の自由」の侵害になりかねない
「恋心を打ち明けられた人間はそれを一生黙っている義務を負うのか?」はブクマカの間でも意見が分かれたのを覚えているだろう
もちろん自分の恋心を自分の意思で打ち明けた一橋の事例と無許可で心を読めるサトリくんの事例は根本的に違うが)
外形と内心を同じように感知できるサトリくんにとっては「ねえねえ、僕の担任の先生はメガネの若い男の人なんだよ」と「ねえねえ、僕の担任の先生は僕の首を蹴りとばしたいと思ってるんだよ」の間に違いはない
まあさすがにこの内容だと名誉毀損濃厚だが、例えば「先生はハムスターを飼いたいと思っている」程度の穏やかな事柄を暴露するのがどういう法律に抵触するというのか
秘密を守るとの約束(つまり口頭での契約)があったわけでもないので民事でも厳しい
なぜこれほど先生に不利な事態になってしまうかというと、サトリくんが心を読んだ時点で内心の自由という原則が崩壊しているから
読心術はその前提を壊すから憲法の自由権全般の作り直しが必要になる
仮にサトリくんがクラスメイト全員に読心能力を与えることができたならと考えると崩壊の様子がわかりやすくなる
重要なのは読心能力者の間では互いに心を読み合ってテレパシーができること
こうなってしまえば他人の内心の暴露も誹謗中傷も企業秘密の漏洩も何もかもが合憲的に合法的に行える
読心能力を得た生徒たちは先生の心を読んでさまざまな感想を抱くだろう
そしてテレパシーで話し合うだろう
表面上は平然と振る舞うことはほとんど不可能だろうし、仮にできたとしてそのような状況で先生の尊厳が守られているとはとてもじゃないが思えない
口に出して話をしてしまうほうがまだマシではなかろうかとすら感じる
ただし実際にはサトリくんは1人しかいない
だから先生は良心の自由原則が壊れたことを他の人々から隠蔽しようと、消滅してしまった自由がまだ存在するかのように見せかけてサトリくんを脅しているしそれは上手くいきそうに見える
しかし内心の自由は読心術を持たないホモサピのポジショントークにすぎないのでサトリくんにそれを押し付けるのは多数派の暴力だ
視覚を持たないヒトデが地上を支配して「視覚から得た情報は一生心の中にしまっておくべき。表に出したら権利侵害」と言い出したら理不尽だと思うだろう
【お願い】広告ブロッカー(Adblock)の除外設定をお願いします。 - すまほん!!
個人的にはこうしてお願いを出すのは真摯だと思うし、良質なコンテンツを提供するサイトが続く世界であればいいと思う。
id:hyperpeppy 広告が不快とか詐欺が危険なのはわかるけど、なぜそこで「サイトを見ない」じゃなくて「ブロックして見る」になるのかわからない。見る以上は対価を払えよ。
また、他の記事のブクマではこんな意見が散見される。下記2記事より引用。
[B! 広告] YouTube広告を16倍速であっという間に終わらせるChrome拡張が公開、広告ブロック警告を回避 | テクノエッジ TechnoEdge
[B! 広告] YouTubeが広告を消す「Adblock Plus」をブロックし始めて大混乱に、Adblock Plus公式も対応に乗り出す
id:beed YouTubeの広告に問題があるとして、利用しないではなく、コストを払わずに勝手に利用するになるの、ただの自己正当化でしかない。
id:manaten Youtubeは広告で利益上げて持続してるビジネスなんだから、広告嫌ならpremiumになるか見るなって思っちゃうんだよな。ビジネス持続の対価を支払わずに利益だけ受け取るのは万引きと一緒やん
id:minaminoani どうもこのGAFAみたいな巨大企業が相手なんだから金払わずに済ましてやろうというのは気に食わない。そんなに広告が嫌ならプレミアム会員になればいいじゃない。
id:bilanciaa タイミング考えろとかで広告ブロックは正当化できるものじゃないと思う。卑しいな
id:kagoyax 他社のサービスの広告引き剥がして金儲けってどう考えても倫理的にアウトだしこれまで放置されていたのがおかしい。Googleいわく規約違反だから何人かアカウントBANしてみせしめ的に取り締まったら効果絶大だろうな
id:hyperpeppy 広告を見たくないならブロックするんじゃなくて「サイトを見るのを諦める」が正しい行動だろ。お店にお金を払いたくないからって商品を盗むのか?
id:shimmering ズルしてる側があたかも正当に書かれているの訳わからんな、これはGigazineが悪い
id:letitbomb78 なぜYouTubeだけは無料で見られるのが当然だと思ってるの?他の動画プラットフォームでも大抵月額制でしょ。広告がどれだけ不愉快でも見れるだけマシだと思わないのか。
id:Meleonic フリーライダーがイキんなと
id:njgj 正式に広告を消す手段(有料化)があるし、広告が著しい不利益をもたらすわけでもないのだから、フリーライドしようとしちゃそらダメでしょ、としか…。
id:pwatermark いや、広告ブロックするくらいなら見るなよ
id:lejay4405 いや広告嫌なら金払えよ。消せる手段があるのに使わないで文句言ってるのマジで謎
id:ao-no 広告ブロック入れるほどYoutube見てるのに有料プラン入ろうとしないのは普通に盗人猛々しいというか、いびつ。よっぽど貧乏ならともかくそうじゃないんでしょ?
id:diesis そもそも最低限の線引したら広告の質なんてこだわらなくていい。不満なら金を払ってプレミアムになるか、立ち去れ。 /ネット草創期の何でもタダな空気をいつまで引きずってんのクソジジイども。
id:daij1n そもそも広告で成り立っているビジネスなので、それを迂回して見る行為は窃盗と同じ。
id:koishi この店には金額に見合った価値はないから盗むのも仕方ないし、窃盗出来ないように対策するなんてひどい!…って君ら正気か?
id:pj_lim 金は1円も払わない。広告ブロック対策には文句言う。ガキが言ってるならまだしも一端の大人が言ってるから普通に引く。正気の沙汰じゃないってブコメあるけどオメーもだよ。
id:zzzbbb 広告ブロックって、必要経費を払ってないってことだからね。税金払ってないのと一緒。さすがに間違ってるとは思う。
id:a_ako 広告をブロックする、お金も払わない、という人は、クリエイターの制作コストやYouTubeのサーバー代を何と思ってるのかな。霞でも食べて生きてると?
id:kamei_rio 広告は嫌いだけど対価も出さずブロックするのはシンプルに不正じゃないの。ブロックしてる方々の分を肩代わりさせられるし正直どうかと思う
これらの意見は私の見解とは異なる。広告ブロックはフリーライドではないし、ましてや万引きでもズルでもない。
コンテンツブロックを推進する側の意見としては主に以下の2つに大別される。
私は1.の意見である。これはプライバシーと自己決定権の問題である。
そもそも広告を配信する自由が与えられているように、広告を見ない自由も与えられている。
GitHub - gorhill/uBlock at eab7cb0e03a642129f33b2755ddf6d06f3922417
uBO is NOT an "ad blocker"; it is a wide-spectrum content blocker. (中略)
It is important to note that using a blocker is NOT theft. Do not fall for this creepy idea. The ultimate logical consequence of blocking = theft is the criminalization of the inalienable right to privacy.
Ads, "unintrusive" or not, are just the visible portion of the privacy-invading means entering your browser when you visit most sites. uBO's primary goal is to help users neutralize these privacy-invading methods in a way that welcomes those users who do not wish to use more technical, involved means (such as uMatrix).
(日訳)
uBOは「広告ブロッカー」ではなく、広範なコンテンツブロッカーです。(中略)
ブロッカーの使用は窃盗ではないことに注意してください。この不気味な考えに騙されてはならない。ブロッキング=窃盗の究極の論理的帰結は、プライバシーに対する不可侵の権利の犯罪化である。
uBOの主な目標は、より技術的で複雑な手段(uMatrixなど)を使いたくないユーザーを歓迎する方法で、ユーザーがこれらのプライバシー侵害手段を無効にできるようにすることです。
よくある質問 · Yuki2718/adblock2 Wiki · GitHub
違法ではありませんし、まともな法治国家においては今後も違法になる可能性はまずないでしょう。ドイツでは6度の訴訟においてすべて広告ブロック側有利の判決が出ました。
ウェブ標準化団体のW3Cは、ユーザーは拡張機能やブロッカーをインストールして、望まないコンテンツをブロックできなければならない、それが倫理的な面でウェブのあるべき姿だと明言しています。プライバシー気運の強いEUにおいては、アンチ広告ブロックのほうが違法にされかけたこともあります。
私たちは見たいものを見る権利がある。強制的に配信されるコンテンツを見ない自由がある。広告を見たいと思ってコンテンツをクリックしているわけではない。私たちは広告と引き換えにコンテンツを見ているのではない。広告は私たちにとって商品ではない。
テレビのCM中に立って家事をするのも、テレビのCMをスキップするのも、テレビのCM中に勝手にテレビが消えるのも体験としては変わらない。同様に動画広告中に立って家事をするのも、広告を表示させないようにするのも変わらない。私たちは配信者に機械に固定され、目を見開かされて広告を見るよう強制されていない。
ウェブにおいてコンテンツは店ではない。どちらかというと取り寄せに近い。広告ブロックは万引きではなく、商品と一緒に届いたDMを読まずに捨てる行為だ。もしくは一度荷物を空けて勝手にDMを捨ててくれる管理人。
広告を見たくない人が見なければ潰れてしまうビジネスモデルなら、そのビジネスモデルが間違っている。YouTubeが無料で見られるのは理由がある、もし完全課金制の方が儲かるのならそうすれば良い。Evernoteのように。その時私が課金するかはまた別の話だ(おそらく数ドルならするのではないかな)あとYouTubeプレミアムは広告除去を目的としたプランではない。
id:akiat YouTubeプレミアムがないならわかるけど、YouTubeプレミアムユーザーにとっては、フリーライダーや不正行為にしか見えん。
これをYouTubeの問題に矮小化するな。YouTubeプレミアムに課金すれば解決?私はそもそもYouTubeのように課金していない人たちに汚い広告を見せつけるビジネスモデルを否定している。YouTubeプレミアムに課金したからといって問題は何一つ解決していない。
私はこれまで世の中の人は広告に対して興味がないものと思っていた。コンテンツブロッカーを使わなければwebが見れないのは少数派なのだと。だがどうやら異なるらしい。広告収入が減るくらいコンテンツブロッカーが広まっているのならば、そのビジネスモデルは間違っている。
個人的にはいまの広告配信型ビジネスモデルは限界だと思う。コンテンツ制作者と広告配信者が一致していないせいで、ノイズでしかない広告が差し込まれる。質の高い広告とはたとえばYouTuberのレビュー動画やオモコロのPR記事のようなものだと思う。PR記事や動画をクリックしてみにいくとき、つまり能動的に広告を見に行くとき、ウェブサイトに差し込まれる広告のような嫌悪感はない。その広告を見たくてみているので。
(これは余談だが、個人的には広告よりもたとえばコインハイブのようにPCパワーを奪ったり、InstagramやTiktokのように完全に嗜好に合致しており煩わしくないと感じる広告の方に未来があると思う。そしてもちろんそのような広告たちもブロック可能であるべきだ。)
コンテンツブロックはマナー違反なので黙ってやれという意見がある。私はそうは思わない。私は無差別に投下された汚い広告がwebを埋め尽くす世界を望んでいない。間違ったビジネスモデルでなければ生き残れないサービスは滅びた方が良い。それを滅ぼすかどうかは私たちが決める。サービス側ではない。
金を払いたくないから課金していないという話ではない。私はそのビジネスモデルが正しいと感じ、続いて欲しいと感じたならば課金している。(たとえばNetflixやSpotifyやIFTTTやPinboardやDeepLやChatGPT PRO)
もちろん私が広告を見ない権利があるように、サービス側にも広告を見ないユーザをブロックする権利があるのだろう。ユーザのバンが認められる国や法があるとは思わないが。
改めてであるが広告モデルだけが全てではない。ユーザーへの不便の押し付けではなく、サービスのアップデートで覆すべきだ。NetflixとSpotifyが違法ダウンロードを駆逐したように。
もっと広告ブロックを使え。Twitterはwebなりtweetpdを併用すれば広告は消える。Wikipediaには募金しろ。もちろん支援したいサイトはホワイトリストに入れるのも良い。やりようはいくらでもある。くだらない未来を甘受するな。
なんかニュースで、
心は女だから男の体のままでも戸籍を女にしろっていう裁判をしてるようだが。
体は男のままでも、日本国内の法律上は女になれば、それで満足なのか?
周囲から女扱いされたいだけなのか?
それじゃ、願望の強度がネカマと変わんねーよ!
性転換手術は金がかかるとか、手術の大変さとかで、リスクがあるらしいが、
当たり前だろ。
リスクがあるなんて、当たり前だろ。
なりたい自分になるためにリスクを背負うなんてことは、世界中の人間がやってることだろ!
心が女なら、体も女にしろ。
整形したり化粧するブスは、心は美人だから整形したり化粧して美人になるんだ。
筋トレする奴は、心はマッチョマンだから筋トレして理想のマッチョマンに近づくんだ。
心は金持ちと同じだって思う貧乏人は、節約したり金儲けして金持ちになるんだ。
心は天才だと思ってる人も、勉強したり成果を出してやっと天才と呼ばれている。
みんな頑張ってるんだ。
心の自分と、現実の自分の違いに、苦しんで、だからこそ努力して、リスクを背負って挑んで、あがいてるんだ。
それができないなら、心の自分を周囲に認めさせるのは、あきらめなきゃいけない。
ブスがブスのまま「整形はリスクがあるからヤダ!でも私の心は絶世の美女なんだ!ミスコンで優勝させろ!」と叫んで、
世の中が「そうか、ブスだけど心が絶世の美女なら、君は絶世の美女だな!」とミスコンで優勝させたら、おかしいだろ。
お前はそんなおかしいことを、性別にだけ認めろと言ってるんだ。
ぜんぶ大事で、心の中は不可侵で、だからこそ、現実を個人の心だけで歪めちゃ駄目なんだろ!
めちゃくちゃな裁判するな!
「人間と違って動物は下等なので痛みとか苦しみとか無視でええんやでー」という逆流防止弁によって防がれているカタストロフィの多さをキチンと想像して欲しい。
動物にも権利があると主張し続けると神聖不可侵たるものとして人間様と動物を切り分けるのが難しくなっていく。
すると「クジラはダメだけど虫は下等だから痛めつけてもセーフ」といった差別基準が人間の方にも波及してくる。
「黒人は白人と違ってモンキーよりだから人間扱いしなくてセーフ」をやっていた時代に逆戻りするということだ。
すべての動植物に人間と同じ権利を認める余裕が産まれるまでは「権利は人間様だけにある。器物損壊や環境破壊は気にしなきゃだが、動物の尊厳や感情は今は気にするな」で貫き通すべき。
もし今後人間の余裕が失われ動物に分け与えすぎた優しさみたいなものが足りなくなったとき、それを動物から取り上げられるかどうかで争うことになるだろう。
そのとき「犬は人間の役に立つけどモニャムニャ族は単なる野蛮な山賊で文明社会の敵みたいなもんだから権利を認めるのをやめよう。まあ面白いから保護はするけど人間扱いはせんでええやん?」「せやせや!」「ほんまやなんで気づかんかったんやろ」「じゃあお猿さんの代わりに薬の試験とかもしてええんか?」「ええんちゃう」「せやなーお猿さんは頑張ってるのにモニャモニャ族は単なる臑齧りみたいなもんやしカスだよなあ」「わかるわー」みたいになりかねん。
昨今世間を騒がせるあの件でつくづく思ったんだけど、炎上は誰のためにもならないことだと思う。
なのに、一旦広がると誰も止めることができない。
だから、炎上は「させてはいけないのだ」というルールを、その他の道徳と同様にして、各人に定着させる必要があると思う。
個々人の良心に訴えて、炎上はさせてはいけないし、それにのってもいけないという世の中を作るべきだと感じる。
そうしないと、あらゆるものが炎上されて、万人が万人の敵みたいな世の中になってしまうと思う。
皆、自分が好きなものを持っている。それを炎上されたら嫌なのだから、そういうマナーも相互不可侵のひとつとして、実現可能だと思う。
例のブログにめちゃくちゃ腹立ったので勢いで書く。
まず腐女子はこういう揉めそうなことで作品タイトルやカプ名を出さない。
あのブログの内容、「ABが好きだったけどACの方が凄い関係だったからABに萌えられなくなった」としても十分通じる。
それなのになぜわざわざカプ名を出したのか?
いつも使ってるブログに書くならまだわかる。しかし筆者はこの記事しか書いていない。匿名書き捨てのノリ。おそらく腐女子の間では眉を顰められる内容であることをわかっている。あるいはそもそも本来の立場とは違う人格を作っている。
三つ目。よりによってはてブロを選ぶ。
カプ名を明かしたのは、『二次創作界隈に慣れていない若い腐女子だから』で説明がつくかもしれない。でもそういう人がわざわざ新規にはてブロを開設して記事書くか?
ツイッターとかで「AB思ってたんと違ったわー」って呟いて終わりだよ(なお表記がめんどくさいのでこの記事ではXのことをツイッターと呼びます)。
あるいは伏せったーとかを使うこともあるかも。
少なくともカプの話をするときに選ばれない。
じゃあなんではてブロにしたのか? 一般に拡散させたかったからでしょ?
四つ目(追記) AB界隈が萌えてるエピを書かないのにAC界隈で萌えてるエピを書いている。
自明のことだから書かなかったんだけど、今気づいた。外野の人たち、例のブログの「AB要素は原作になくそれどころかACだった」を真に受けてるんだね。
あのね、ABはちゃんとカプにできるぐらいの関係性はあります(もちろんこれは=カプであるという意味ではない)。
・基本的にうざったがられるAのノリをBは楽しそうに受け止めるし、性格に難があって慕われないAのことを素直に慕っている。
・Aはわざわざ遠方まで行って頼れる人物にBのことを頼んでいる。
・Bが死んでいるとされていた間Aが地下室に二か月匿い、その間にBがAに鍋を振る舞うこともあった。
ほかにも沢山あるけど、AB好きならこの三つは萌えてる人が多い。二次創作にもよく出てくる。
でも元記事に書いてあったABの話はへそのごまを吸った?のみ。そんなの見たことないぞ。まぁもしかしたらどこかにはあるのかもしれないがあっても一作品でしょ。当然原作には出てこない。「AB二次はAを変態化させる」って思わせようとしてない?
二次創作が原作と違うことはよくあるけど、ABへの認識が薄すぎてこの人本当にAB読んでたのか?という疑念がわく。
以上の事から、私はあの記事は「AB好きだったのに原作読んだらACだったのでがっかりした人」を装っているACの人が書いたものだと推測する。
いやだってめっちゃ覚えがあるんだよACAの人いつもそういうこと言ってるから。
「原作読んだらACAにしかならない」「ABやADの人って二次創作しか読んでないでしょ?」「ABは自己投影」
あの記事はACAの人にとって都合がよすぎる。案の定記事に対する反応で「原作はACAだから当然」という得意げなツイートが多数見られた。
しかも極めつけはこれ。
ツイッターで何百回となく見たわ「ACAが公式でごめんね」「他カプの人って悲しくならないのかな?」「ACA嫉妬されちゃう」
みんな自カプが一番だから他カプのことなんか見てないの! A攻めカプはほかにもあるけど、その人たちは普通に自カプ内で萌えてるから普段まったく意識に上らないしなんとも思いません。たまたま見かけたらそっとブロックして離れます。相互不可侵。そういうものでしょ。
ACAだけだよ、こんなに他カプ下げつつ自カプ公式主張するの。
これだけ規模が大きいジャンルだからどのカプにも変な人数人はいるけど、ACAのヤバい人の数は群を抜いてる。
公式タグつけてACAプレゼンするし、本誌感想タグつけてACA妄想書くし(まったくCが出てこず関係ない回でも!)、公式で明確に恋人であるカプのイメソンを「これはACAのことを歌ってる」って言いだすし(あまりにこれを言う人が多かったためサジェストが『イメソンタイトル ACA』になった)。
何が怖いってこういうツイートが万バズするんだよ。普通の腐女子は公式と混同するようなツイを見たら「あ、ヤバい人だ……」って近づかないんだけど、ACAの人は自カプ公式と思い込んでるから公式タグつけたりキャラフルネームで妄想書くことに何の違和感もなく、それはもう拡散される。
ACAが恋愛関係じゃないってことにするならクイアベイティングだとか主張してる人までいた(クイアベイティングとは、同性愛をほのめかして世間の注目を集める手法。つまり原作はACAが同性愛関係にあることを匂わせており、もし本当は恋愛関係じゃないなら読者を騙して釣ったのだという意味)。
しっかりして! 公式は親友としか言ってませんよ! 二人はキスもハグもしてないし好きだとすら言ってません! CはAの強さに追いつけないことを思い知ったあと離反しテロリストになったけど、Aは追いすがらず十年放置だし再会したときもあっさりしたやりとりに終始しました! もちろん二人特有の絆はあってそれにエモを見出すのは勝手だけど恋愛関係だと断言するのはさすがに妄言です!
個人的な気持ちを言うと、お互い相手より大事なものがあって道を違えたって時点でカプにしようがない。
私も本当はこんな野暮なことは言いたくないけど、もうずっとACAにマウント取られてるので疲れてしまったのだ。
ACAが成立しない理由もABが成立する理由ももっと語れるよ。でもそれやり始めたらきりがないでしょ。腐女子大戦争だよ。だから他カプにマウントとるのをやめてくれ。
いいですか、公式で恋愛関係を明言されていないカプは等しく幻想です。
「でもこんなのどう考えても特別な二人じゃん」それはみんな思ってます。
あなたがその二人を特別かつ恋愛に発展する関係だと感じたのは、あなたの主観です。
自他の区別をつけてください。
自カプ内だけで楽しく盛り上がってください。
以上!
【追記】
はてなブログのことをはてブって言うものだと思ってたけど(なんか誰かがそう書いてたのをみかけたような)、ブックマークと紛らわしいからはてブロに直します。
>>拡散させたいなら捨てアカではてブロに書くよりは増田やツイッターに書いた方がマシだし実際長期間放置されてたので、少なくとも真剣にバズを狙った記事では無いと思っている。
でも少なくともあの記事は書かれた当時も今もACAの人がツイッターで引用してABへのマウントに使ってたんだよ。
今回はACAの人が引用→苦言を呈されて消す→腐女子じゃない人が引用してバズる、の流れ。
そのツイートへの反応見たら、ABや腐女子が馬鹿にされてるのがわかる。
腐女子が普通カプ名出してお気持ちしないのはこうなることが予測できるからだよ。
外野にとっては「原作読まないで二次創作とかおもしれーw」「〇〇って作品は腐女子がいっぱいついてるのか」「これだから腐女子キモい」だし、腐女子界隈でも「原作読まない人がABにはまるんだ……」「AB好きな人が諦めるなんてACAって凄いカプなんだな」になる。
当たり前だけどABだって原作好きで読み込んでて解釈煮詰めてる人が大半だよ。でも「原作の要素を膨らませてカプになる可能性を描く」ことと、「原作の二人はカプだって言う」ことは全然違うことだってわかってるから、違う解釈の他カプを貶めたりしない。
ACAの人が自カプを上げるために名指しで攻撃してくるのは今に始まったことじゃなくて、何年も我慢してたけど本当にやりきれなくなっちゃったから書いた。
ABの人は大人だからちょっとぼかして愚痴るぐらいで済ませてて良かったね。数はABの方が多いのわかってる? ACAが一番多いかと思った~ってジャンル外の人が言うのは、あなたがたが「ACAは公式カプだから検索避けなんかしなくていい」って謎の思考で作品名もキャラ名もそのままに腐妄想書くからだよ?
本当に自カプ燃料が十分で自カプだけで満足できるなら、他カプマウントもイメソン奪略もしなくて大丈夫だよね?
自カプに自信持って。そしてもう関わってこないで。
【北朝鮮】軍事パレードで見えたロシアとの関係 金正恩氏とショイグ国防相が談笑 中国よりロシアを“厚遇”か
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/630396
まず内容に触れる前に見出しに「か」とかつけるんじゃない低脳が。ミスリードさせている嘘はいらない。
北朝鮮は朝鮮戦争の「戦勝記念日」と位置づける、きのう行った軍事パレードの映像を公開しました。今回、ロシアの国防相が参加しましたが、厚遇が目立っています。
どうでもいい
全然笑ってねーよ。目が腐っているかくるっているかのどっちか。まともでもタダの嘘つき。こんなのが教授か。慶応も詐欺だなー
慶應大学の磯崎教授は“朝鮮戦争に参戦していないロシア国防相の参加は異例だ”と指摘。
まずショイグは全然笑っていない。ほぼにこりともしていない。
北熱兵式登場キム・ジョンウン… スピーチの代わりに涙を流した理由 ニュースTOP 10
ここでも3年前もないたとか、あほな解説があるので、日韓マスコミは本当に腐っているな。
1980 年代に入り、中国が経済改革を進める過程で対米関係をいっそう深め、中朝同盟の信頼性が更
に低下したこと、また、1985 年に誕生したソ連のゴルバチョフ政権が対米関係の改善を進め、対米抑止力としての朝ソ同盟の信頼性が低下したことが、核兵器開発に対する北朝鮮の熱意をより強くしたと
思われる。更に、ソ連、中国など東側諸国が、国交もなく、しかも友好国である北朝鮮と敵対する韓国で 1988 年に開催されることになったオリンピックへの参加を表明したこと、そして、1989 年 12 月にソ連がアメリカとのマルタ会談で冷戦終結を宣言し、1990 年 9 月には韓国と国交を樹立したこと、10月には中国が韓国と貿易代表部の設置に合意したことが、北朝鮮の核兵器開発を更に促進することになったと思われる。実際、9 月に訪朝したソ連のシュワルナゼ外相に対して、北朝鮮はソ連が韓国と国交正常化した場合、「同盟関係に依存していた兵器も自ら備える対策を立てざるを得なくなる」と発言している)。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2022/06/11/22770.html
RTを見ても大きく扱われているのは圧倒的にアフリカで、北朝鮮の記事はぽつぽつとしかない。
「(北朝鮮国防大臣。 - RT)セルゲイ・ショイグ氏の今回の訪問は重要な瞬間となるだろうと強調した」とタス通信は同氏の言葉を引用した。
しかもこのように発言しているのはショイグだけでプーチンはなにも言っていない。
「北朝鮮が核武装を決心した経緯について世界の殆どは誤解している。彼らの決心はソ韓国交樹立であった。シェワルナゼがやってきて国交樹立の一方的紙切れを突きつけた。1989年9月のことだ。それに対置したのが、彼らの対ソ覚書である。こう記されている。『ソ連邦が韓国と〝外交関係〟を結ぶならば、朝ソ条約を自ら有名無実にすることになるだろう。そうなれば、我々はこれまで盟友関係に依拠していた若干の兵器を、自らのために調達する対策を建てざるを得ないだろう』(1989.9.2.)。軍事示威で金正恩氏の頬に伝った涙は、あの屈辱を晴らすため辿り着いた現実、苦難、臥薪嘗胆のために携わった父冒頭多くの関係者と、何よりその苦難が脳裏に映写されていあからだろう。その到達したはっきりした現場の隣にロシア代表がいる。彼がその代表の形容し難い表情に構うことなく親指を立てたこと。この意味が外交の解読というのである。ピョンヤンはソ連を指してこう言った。『変質者はそれにふさわしい新しい友を求めるものである』。そのモスクワが旧い友を求めにきた。
つまり、韓国より北朝鮮のほうがロシアにとって重要だというメッセージになる。
武器そのものよりは、北朝鮮ルートで資源、部品を購入するというのが現実的なところと思われる。
一度見捨てられたロシアに再び来てくれた。普通にそこが重要でしょ。
ショイグはそんなでもないけど。
さまざまな国際情勢の変化が背景にあります。
5年ぶりに保守政権を発足させた韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領は、アメリカとの同盟関係を基盤に北朝鮮に対する抑止力を強化する姿勢を鮮明にしています。北朝鮮は、ユン政権への対決姿勢をあらわにしており、ユン政権に揺さぶりをかけるねらいもあるとみられます。
さっきの記事だけど、NHK、マジで頭がいかれているよ。馬鹿でしょマジで、全然理解できていない。個人の落書きではないか?
核兵器は新たな国や地域の発展を続けており、核兵器とは絶対に関係がなく、核兵器が目に入るべきではない場所、つまりロシア国境近くの極東での永住許可の取得を真剣に目指している。
ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、日本と韓国が核兵器保有の意欲を示していると述べた。
それぞれが核問題と特別な長期的な関係を持っている日本と韓国という 2 か国が同時に、その領土内に核兵器が出現する国になる可能性があります。それがどのように現れるかという問題は未解決のままですが、それはともかく、昨日は不可能に思えたことが明日には現実になるかもしれません。
英語にはこんな諺があります:石には何も書かれていない(「石には何も刻まれていない」)。つまり、必要に応じてすべてを変更することができます。これには、これまで核要素が含まれたことのない国家安全保障戦略の不可侵のルールと基礎原則の書き換えが含まれる。
セルゲイ・ラブロフ・ロシア外務省の王毅局長は、ジャカルタで中国の中国共産党中央委員会外務委員会事務局長と会談した際、この件について警告した。
「ところで、日本と韓国はすでに、米国の核兵器の保有や自国の核兵器の保有に否定的ではないとの姿勢を示している。これは非常に深刻で危険な傾向だ」とセルゲイ・ラブロフ氏は語った。
セルゲイ・ラブロフ外相は、自身の懸念を裏付ける形で、同盟の伝統的な責任分野である欧州大西洋地域の安全保障がインド太平洋地域の安全保障と切り離せないことが判明したというNATO戦略家の新たな「創造的な」考えを思い出した。
しかし、ブリュッセルでは、これまで誰もそんなことを考えもしませんでした。アジアは問題や紛争を抱えて生きていたが、ヨーロッパはゲームに熱中していた。
そして、史上初めて日本の岸田文雄首相と韓国の尹錫悦大統領をはじめ多くのアジアの指導者が招待された昨年マドリッドで開催されたNATO首脳会議では、最初の鐘が鳴った。
すなわち、欧州大西洋共同体とインド太平洋共同体の「共通の問題の大釜」を創設することが決定された。
もちろん、NATO 防衛戦略におけるこの地殻変動 (1949 年 4 月の創設以来最も深刻なもの) は、同盟の戦略計画の変更を示唆しました。すなわち、インド太平洋地域への軍事インフラの移転である。
多くの点で、これは、直接の差し迫った脅威として認識されているロシアに加えて、NATO が中国を戦略的挑戦であると認識しているという事実によって可能になった。北京に対抗するためのAUKUS同盟に含まれている国は米国、英国、オーストラリアである - 1年前、我々は極超音速兵器とそれに対する防御手段の共同開発を開始することに合意した。
「米国、英国、オーストラリアは、地域の安全と安定の確保を口実に、オーストラリアに原子力潜水艦を供与し、極超音速兵器などの先端軍事技術の開発で3カ国が協力すると述べた」 」と中国外務省報道官は当時述べた。
「これは核拡散のリスクを高め、国際的な不拡散体制を危うくするだけでなく、アジア太平洋地域の軍拡競争に拍車をかけ、アジア太平洋地域の平和と安定を損なう」と中国外交官は述べた。
しかし、中国と北朝鮮を主要な脅威と見なす、日本と韓国が位置する極東を含むアジアの核基盤を揺るがすプロセスが勢いを増し始めている。
マドリードでのNATO首脳会議とビリニュスでの首脳会議を分ける1年に多くのことが起こった。
そこで昨年9月、ロイド・オースティン米国防長官は「従来型兵器と核能力の全備」を用いて日本を防衛する用意があると発表した。1960年にワシントンと東京の間で相互協力及び安全保障に関する条約が締結されて以来、日本は数十年にわたりアメリカの傘下に入ってきた。
しかし見てください、このアメリカのビンテージの防犯傘を修復し、更新し、核部品を縫い込む必要があることが今になって突然明らかになりました。
ロイド・オースティンが誰からの発言かは明らかではないが、日本防衛のための「核能力」について最初に発言したのは偶然ではない。
北朝鮮のことを指すのであれば、北朝鮮は攻撃ではなく防衛のために核ミサイルクラブを保有しています。中国とロシアは日本に対して核兵器を使用する意図は一度もなかったし、それについて話し合われたこともなかった。しかし、それではなぜ彼はすでに日本列島に居場所を探しているのでしょうか?
AUKUS同盟の加盟国(オーストラリア、英国、米国)は、このブロックとの協力に関心のある国々と交渉を行っている。
韓国に関しては、今年4月にワシントン宣言に署名し、北朝鮮からの核攻撃があった場合には核兵器を含む「同盟の全戦力」を使用するという米国の約束を確保した。繰り返しますが、最初に攻撃するつもりはありません)。
最後に、今年5月、韓国の尹錫悦大統領と日本の岸田文雄首相は、米国との三角安全保障協力を強化することで合意した。同時に、尹錫悦大統領はワシントン宣言と日本に参加する可能性を残した。
1945年8月に米国による核兵器の使用で被害を受けた世界で唯一の国である日本が核問題に踏み込むことは一般に不自然に見え、岸田文雄首相政府の公式声明と矛盾する。
今年6月、日本の松野博一内閣官房長官は、核兵器への支出増加に関する核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の報告書に関する質問に答え、日本政府が核兵器廃絶のための努力を強化すると約束した。核兵器のない世界。
セルゲイ・ラブロフ・ロシア外務省の王毅局長は、ジャカルタで中国の中国共産党中央委員会外務委員会事務局長と会談した際、この件について警告した。
「ところで、日本と韓国はすでに、米国の核兵器の保有や自国の核兵器の保有に否定的ではないとの姿勢を示している。これは非常に深刻で危険な傾向だ」とセルゲイ・ラブロフ氏は語った。
セルゲイ・ラブロフ外相は、自身の懸念を裏付ける形で、同盟の伝統的な責任分野である欧州大西洋地域の安全保障がインド太平洋地域の安全保障と切り離せないことが判明したというNATO戦略家の新たな「創造的な」考えを思い出した。
しかし、ブリュッセルでは、これまで誰もそんなことを考えもしませんでした。アジアは問題や紛争を抱えて生きていたが、ヨーロッパはゲームに熱中していた。
そして、史上初めて日本の岸田文雄首相と韓国の尹錫悦大統領をはじめ多くのアジアの指導者が招待された昨年マドリッドで開催されたNATO首脳会議では、最初の鐘が鳴った。
すなわち、欧州大西洋共同体とインド太平洋共同体の「共通の問題の大釜」を創設することが決定された。
もちろん、NATO 防衛戦略におけるこの地殻変動 (1949 年 4 月の創設以来最も深刻なもの) は、同盟の戦略計画の変更を示唆しました。すなわち、インド太平洋地域への軍事インフラの移転である。
多くの点で、これは、直接の差し迫った脅威として認識されているロシアに加えて、NATO が中国を戦略的挑戦であると認識しているという事実によって可能になった。北京に対抗するためのAUKUS同盟に含まれている国は米国、英国、オーストラリアである - 1年前、我々は極超音速兵器とそれに対する防御手段の共同開発を開始することに合意した。
「米国、英国、オーストラリアは、地域の安全と安定の確保を口実に、オーストラリアに原子力潜水艦を供与し、極超音速兵器などの先端軍事技術の開発で3カ国が協力すると述べた
あまり同じような感想のレビューが無かったので共感できる人を探している。
この作品からは、幻想や理想の世界から現実に引き戻そうというメッセージ性を感じた。「意味がありそうなことも重要ではなかったりする」、「価値観は人それぞれ正義も悪もない」、「個人の想像力や努力が世界に大きな影響を与えることはない」。こんなメッセージが散りばめられているのに、重く押し付けるわけでもない。そんな雰囲気がとても心地よかった。私が好きだったシーンを挙げる。
門と墓があり、墓には「我を学ぶものは死す」と書かれている。ファンタジーの世界では危険なオブジェクトである。ペリカンという不可抗力に巻き込まれて門を開けてしまった。門を開けてしまったがゆえに何か恐ろしい者が目覚め命からがら逃げ出す、という鉄板な流れを期待するものの、そうはならない。キリコが炎を使った謎の儀式をして、墓を見た方向のまま後退する。結局何も起こらない。
「門を開けてはならない」、「怒りを鎮めるには儀式が必要」、「儀式には細かい作法がある」、現実にもこんな類の知らない人には全く理解できないルールが沢山ある。守ってもいいし守らなくてもいい。世の中には様々な価値観がある。眞人は肯定も否定もない。そんな世界で生きていくことを考えさせられる。
眞人は何故か机の下で寝ている。自分の周りには人形が置かれていて、何故か触れてはいけないというルールがある。しかし眞人はルールを破って触れてしまう。この時点で薄々勘付く。何も起こらないと。
何故か自分で自分によくわからない制約を課す。理由はない、面白いからだ。狭い空間で人形に触れないで外に出られたら面白い。成功したら自分を褒める。失敗したら悔しがる。それだけ。
墓のシーンと似ている。子供の1人遊びも大人の儀式も根は同じか。そんな感覚を持った。
ワラワラという赤ちゃんの源である可愛いキャラクターがペリカンに食べられそうになる。そこにヒミがやってきてワラワラもろとも焼き尽くす。全滅するより誰かが助かった方がいい。ペリカンは生きるためにワラワラを食べるしかない。
ありきたりな童話のシーンといえばそうなのだが、個人的に好きだったのは焼き尽くしているのが母親のヒミということだ。
戦争で言えば爆撃機もしくはアメリカをイメージするその役割を、空襲で死ぬ予定の母親がやっているのだ。本人に悪気は無い。良かれと思ってやっている。将来の生命のために、今ある生命を焼いている。その先には因果応報のような結末が待っている。このバランスが面白い。
アオサギの弱点は羽根である。アオサギ自身がそう言っていた。羽根を見せられると慌てた雰囲気になる。そんな中唐突に羽根が裂けてしまう。しかし何も起こらない。心の中で突っ込んだ人は多いんじゃないだろうか。
弱点が本当だったのか嘘だったのかはよくわからない。眞人もアオサギもそれに言及しない。そう、この時点で2人はすでに仲良くなっていて、弱点ゲームをずっとやっていたのだ。懐かしい気持ちになった。
ここまではフラグが立ったのに何も起こらなかったというものだが、産屋に入ってはいけないという制約は、入った後に知らされた。今度は過剰な罰を受ける。もはや謎なレベルだ。このシーンは最も現実に近い。よくわからない知らない人が考えた謎ルールで特大の罰を受けてしまう事が現実にはたくさんある。
眞人はそんかセリフを心で叫んだかもしれない。眞人には同情するが、そうやって大人になっていくんだよ、頑張れ!と応援したくなる。これは眞人の成長ストーリーだ。現実というファンタジーの中でどう生きていくのかを考えさせる。構造が面白い。
この叔父さんは可哀想だ。理想的な世界を自分が維持していると思っている。私のおかげであと1日保つ事ができる。そう言う使命感を持って積み木をしてたらしい。しかし、彼の努力は誰も知らないし、現実世界には何も影響を与えていない。そのことに本人は気がついているのだろうか。ぶっちゃけ小学生でも悪意のない積み木を積み上げても理想的な世界にはならないことは容易にわかるだろう。
その後、ファンタジーの世界が崩壊しても、世の中は変わらなかった。戦争が始まりやがて終戦する。1人の想像力、努力だけでは世界は変わらない。そんな世界でどう生きるか。そんな事を考えさせられる。眞人の目にはどう映ったのだろうか。尊敬、軽蔑、哀れみ、複雑な感情があっただろう。
ファンタジー世界の崩壊と、終戦後の家族の様子を見れば、メッセージは全て受け取った気持ちになった。もうこれ以上のメッセージはいらない、そんなタイミングでのエンドロール。たまらん!
皆さんはどのシーンが好きでしたか?
考察系で追っていた人が「水星の魔女はクィアベイト」と強めの口調で不満を述べていたから、さらっと調べてみたんだけど……違くない?
当方あくまでさらっと視聴勢。基本リアルタイム視聴だが時間が合わなかったら配信。しかし何話か配信も見逃しているので、そのあたりは公式のまとめやファンの感想や考察で補完。小説は未読。
だからところどころ公式とはかけ離れた流れの感想や解釈のまま進んでいる可能性もあるので、そこは普通に突っ込んでほしい。
前提として私はクィアベイトとは、ググって一分の知識だが要するに「同性/両性愛者ではないのに、ゲイ/レズ営業をするな。そうみせかけて寄り添った気になるな」ってことだと解釈している。
スレッタは初恋がエラン4号と明言されている、かつ第一話で「女同士なのに婚約者?」と戸惑っている。
ミオリネもシャディクに「ホルダーを目指さないの?」≒彼と婚約することを悪く思っていなかった、と見れる。
従って二人は同性愛者ではないと言える。
「同性のスレッタ/ミオリネを好きになった」という点で見れば確かに二人は両性愛者と言える。
だが「二人の関係が恋愛とならなかった、親友として完結した、または恋愛関係となったものの破局した場合、その後の恋愛で同性を好きになる可能性は?」と言われると微妙だ。
これは私が両性愛者を「同性を好きになる確率と異性を好きになる確率が2:8くらいはないとそう言えなくない?」と思っているからだ。この好きになるにはどんな形であれ(それこそ一方的にでも)性欲に類するものを抱くことも含んでいる。
あえてこう表現するが、同性を恋愛として好きになるハードルは確かに低くなっているだろう。
ただスレッタとミオリネの関係は二人の間で輝かしく不可侵なもので、同性を好きになるハードルの前に「この関係を過去のものにして、新たな関係を築く」という越えなければならない山のようなものができるように感じる。
この山を越えていけるのか、というよりもこの山ごと愛して新たな関係を築ける共に人がどれくらいいるのかな…みたいに思ってしまう。
時間はかかるけれどぐるっと麓をまわってきれいな山だねという女性に出会うかもしれないし、だったら私はあなたと一緒にこの山も含む国を世界を作ってみせるという女性に出会うかもしれない。
ただ、それよりは異性を好きになる可能性のほうが高く感じるんだよなぁ。
元々初恋やそれに近いだろう感情を異性に抱いていること、好きになったのが異性なら二人の思い出はそのままに別個の関係を築いていけるというか…表現が難しいんだけれど、独立したものとしてきれいな思い出のまま、比較対象となることなく新しい恋に進んでいけるものになるというか……。
私の結論としては「スレッタとミオリネは異性愛者。ただし二人はお互いにだけは友情も性愛もなにもかもを抱く関係になれたらから、友人、親友、婚約者、家族、婦婦(ふうふと読んでほしい)と様々な面を持ち、それらの表現の一つとして結婚を選んだ」みたいな感じ。
決してクィアベイトではない。ただあらゆる関係のうちの一つに性愛があり、それを結婚し婦婦という形で表しているんじゃないか。
マイノリティ(今まで迫害…とまでは言わなくとも後回しにされてきた少数派とする)を蔑ろにした最終話とか言う人もいるけれど、水星世界は「同性愛も同性婚も当たり前、ただちょっと珍しい」故に気持ち悪いとか大丈夫なのかと迫害や疑問を持たれることはなく、だからこそ同性とそういう関係になることに人生をかけるような覚悟も必要ない。二人があるべき関係として結婚を選んだ。友人親友としての延長で結婚したようにも見えるし、愛し合ったからこそ結婚したとも見える。それは現実の夫婦間でも当たり前にあるのは想像に難くない。
ただ現実の日本では同性愛者であることのカミングアウトには人生でトップクラスに勇気がいることだろうし、同性婚は制度として認められていない。だから彼ら彼女らのほとんど当然抱かねばならない覚悟や無念、憤りは水星の魔女では描かれることはない。
そのギャップがあることを忘れて、あるいは見ないふりをしているとクィアベイトという結論になるのかな、という印象。
というか「マイノリティである同性愛を貫く」というような話をする場合、水星世界はとことん相性悪くない?
例えばミオリネがレンブラン家の跡継ぎとされているがあくまで中継ぎとして、本命は彼女の産む息子であることが明らかであり、ノートレットは子供を女一人しか産まなかった役立たずみたいに見る描写が彼女の周囲にだけでもあればそういう話もできた。
一族経営=跡継ぎを作らなければならない=おそらく同格以上の女性と結婚しなければならないジェタークの嫡子であるグエルが同性を好きになった場合もそういう話ができたと思う。ジェタークには庶子のラウダがいるが、物語開始時点でペトラといい雰囲気にしておけば「この二人を引き裂いて自分の感情を優先するのか?」みたいな葛藤も描けた。
世界観で見れば難しい描写も、個々の関係に範囲を狭めれば「戦いつかみ取っていくマイノリティ」を描くスペースはいくらでもあった。だけどそれは描かれなかった。
つまり「マイノリティが~」はこの作品のテーマではなかった。ただ現実とのギャップでそう錯覚してしまうだけの描写がなされており、水星世界では抱かれない疑問や与えられない試練に打ち勝っていく二人を期待していた人達が勝手に裏切られて不満なのかなあと。
小児性愛が許されないのは、酒やタバコやギャンブルが成人してからなのと同じ。対人セックスというのはそれ自体が悪なので、本来であれば一生手を出さない方がいいものなんだけど、あまり厳しくしすぎると不満が溜まるので、愚行権の一種として、ガス抜きとして大人の自己責任でギリギリ許容されているだけ。
一方、エロやポルノといったものは、個人のセクシュアリティやアイデンティティと密接に関わるものであり、決して他人から侮辱されてはいけない神聖不可侵なもの。政治や宗教と同じように、思想の自由、信仰の自由、表現の自由が守られなければならない。とは言え、政治や宗教と同じように、中立と平等を強く重んじる場では、TPOが求められることもある。
小児性愛が許されないのは、酒やタバコやギャンブルが成人してからなのと同じ。対人セックスというのはそれ自体が悪なので、本来であれば一生手を出さない方がいいものなんだけど、あまり厳しくしすぎると不満が溜まるので、愚行権の一種として、ガス抜きとして大人の自己責任でギリギリ許容されているだけ。
一方、エロやポルノといったものは、個人のセクシュアリティやアイデンティティと密接に関わるものであり、決して他人から侮辱されてはいけない神聖不可侵なもの。政治や宗教と同じように、思想の自由、信仰の自由、表現の自由が守られなければならない。とは言え、政治や宗教と同じように、中立と平等を強く重んじる場では、TPOが求められることもある。