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はてなキーワード: 不可侵とは

2019-09-18

anond:20190918183729

ツイフェミ不可侵じゃねーだろ。アホか。

増田に書かなきゃフェミの暴虐は止まるとでも?思考力ないのかよ

順調なシャア

地球連邦相互不可侵条約を結び、平和に反映するジオン共和国首相ジオンズムダイクンの御曹司キャスバルレムダイクン。

偉大なる父の後を継ぐべく政治を学ぶ彼の最近の悩みは妹アルテイシアちょっかいをだす不愉快な天パ野郎

今日こそ妹に近づくなとキッパリ伝えるため彼の住むサイド7へと潜入する。

2019-09-02

anond:20190902214033

化粧しなければいいのでは

女の神聖不可侵武器でもなんでもないよ化粧なんて

2019-08-10

天皇陛下国際政治的な価値

津田氏の騒動とは関係ないんだが、ふと疑問に思ったことがある。

政治的思想やら戦前国体論やらを抜きにして、皇室を維持する理由がどこにあるかという議論の一つの軸としてその体外的な価値というものを聞いたことがある。

いわく、世界有数の古い血統であることに価値があるとか、世界に数十人しかいない君主の一人だとか。

まあ言いたいことは分かるし、なるほどなあとも思う。

だが、果たしてそれらの価値皇室に生まれたというだけの一部の人々の人生を縛り付け、国が十数名のために予算を割り当てるに相応しいものなのか?

もしくは、その対価として日本外交上アドバンテージを本当に得ているのか?

個人的にはものすごく疑問に思う。

不可侵として議論されていないのかもしれないが、素人目には皇族の方々は憲法に定められた自由はないように見える。

昭和に生まれた方々は皇族国民戦前から価値観を一部受け継いでいるのかも知れない。

けれど、平成、それも2006年にお生まれになった悠仁親王まで人生を縛られるのはひどく違和感がある。

単に良家に生まれただけとかなら、やり方次第で自分人生自分で選べるだろうけれど、皇位継承である彼はどう考えても逃げられないはずだ。

言い方が正しいかはわからないが、ある意味可哀想境遇に思える。

それに、日本という国が諸外国からリスペクトされているとは到底思えない。

アメリカなんか、明らかに財布くらいにしか思ってないだろ...

別に皇室侮蔑したいわけじゃない。

まれてこの方、真に自由になる時間を得ることもなく国家国民のために人生を捧げてらっしゃるその利他姿勢には尊敬の念しかない。

ただ、本当に皇族を維持する必要があるのかどうかざっくばらんに議論されても良いんじゃないかと思うだけだ。

どう思う?

2019-08-06

他国英雄や王や神様勝手女体化してエロいことさせるのに

天皇だけは絶対不可侵侮辱は許さん!って控えめに見て頭おかしくない?

2019-08-04

ネタバレ】天気の子に込められた権力構造

またみてきたので書く。


歌舞伎町

本作の主要な舞台であり、水商売の一大拠点でもある。また隣接する地域には、コリアンタウンである新大久保があり、本作とのコラボキャンペーン商品を出しているロッテ本社もこの地区にある。スペシャルスポンサーである日清東京本社もある。


代々木

代々木駅のあたりは北参道と言われていて、明治神宮敷地まですぐそこだ。神宮野球場といえばヤクルトスワローズだ。ビニール傘をふる観戦ファン応援の動きは、本作でてるてる坊主のついた傘を振る動きの元ネタだろう。

また、明治神宮の広い敷地を超えた先には代々木公園があり、そこにはNHKの社屋がある。

共産党本部建物代々木駅の近くにある。


銀座

ビルモデル代々木会館だが、屋上神社銀座朝日稲荷神社といわれている。

銀座といえば高級クラブも想起される。

また、隣接する汐留には、日本テレビ本社がある。さらには、電通朝日新聞の本社もあり、本作のスペシャルスポンサーソフトバンク本社もある。


お台場

最初の依頼の舞台となるお台場といえばフジテレビの社屋だ。天然水タイアップCMを出しているサントリービルもある。


六本木

花火の依頼で浴衣で登場したシーンが六本木ヒルズだ。テレビ朝日本社がある。バイトル運営する株式会社dip本社もこの地域だ。

高級クラブをはじめとする夜の街でもある。


芝公園

須賀が娘と面会した公園だ。ところで新海作品には東京タワーがあまり出てこない、という指摘が以前からあった。今作で珍しく描かれているのは、放送象徴という意味合いがあるのではないか


さて、ここで確認しておきたいのは、話題になっているこの指摘だ

https://twitter.com/gentledog/status/1156039018594750465

スポンサー企業は色々登場するんだけど、ヤフー知恵袋ゴミみたいな回答しか返ってこないし、バイトルはろくに仕事を紹介してくれないし、バニラトラックが走る街で未成年が無理やりホテルに連れ込まれそうになるしで「金は貰ったがそれはそれだ!」という作り手の強い意志が伝わってくる。”


まず、特にテレビ放送において、スポンサーを不利にするような表現ができない現状がある。

競合製品を写すことができず、不自然なボカシがかけられる場面をご覧になったことがあるだろう。

そのくらいスポンサー不可侵存在とされているわけだ。


そしてそれを端的に示すような、こんな出来事リークされている

https://www.google.com/search?q=%E7%9A%86%E8%97%A4%E6%84%9B%E5%AD%90%E3%80%80%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%BF&source=lnms&sa=X&ved=0ahUKEwiMorK09OfjAhWFBKYKHcaWDLYQ_AUIDCgA&biw=958&bih=959&dpr=1

歌舞伎町近くのスタジオアルタでの放送内容であり、お天気お姉さん発言した内容でもある


このような現状に一石を投じるべく、先鋒となって、スポンサー製品の失礼にあたるようなことをあえて盛り込んでいったのではないか

ところで、田端が何を意図しているのかなかなかこじつけられなかったのだが、やや強引なのを承知で進めていく。

田端には『株式会社ジェイアール貨物不動産開発』の本社がある。注目してほしいのはこの不動産の部分だ。

あわせてこんな記事確認いただきたい。


フジテレビ赤字転落、もはや不動産会社がテレビ局経営している状態

https://biz-journal.jp/2017/12/post_21616.html


放送事業は急速に儲からない事業となってきているのだ。インフルエンサーとしての力は絶大であるにもかかわらずだ。

作中依頼が多くなりすぎて引き受けるのを止めた端緒として「テレビに出ちゃって」というセリフとともに描かれてもいる。

(うろ覚えなのだけど、陽菜アパートと須賀の事務所テレビが無かった気がしていて、もしそうだったら現在生活ではiPadはあってもテレビは..

みたいな方向でも書こうと思っていたのですがやめときます。もう一回観ようと思いますが、いやテレビあったわという方はコメント等で教えてください。)


さて、終盤洪水によって東京土地の大部分が水没した姿が描かれる。

現状に対する突破口としての「土地」。本作には、そんな意図が込められていたのではないだろうか。

2019-07-05

人権派堀潤ですら差別言論否定せずに媚び媚びで持ち上げた事実

名芸人ってマジで日本最強カーストだろ。

堀潤だって松本何言ってんだあんた」って面食らったはずなのに実際はあの態度にあの返しだもん。

この事実は重い。

松本民主主義否定しても堀潤多分ニコニコ笑って「松本さんのその視点は実は正しくて〜」とかとっさに返すと思うぞ。 

クラス不可侵の人気者の前では優等生キャラも媚びるしかない。

2019-07-04

探していた本がYAコーナーにあった

別の場所に置くならば分類番号を変えるべき

職員に聞けば分かるとネットで予約すれば取り置きできるとか

そういうことじゃないんだわ

KKOとしては誰の手も煩わせず自由に本を手に取りたいわけで

YAあたりは不登校と思わしき中高生不可侵テリトリーと化していて

おっさんが本を探しに近くだけ不快オーラMAX照射されて

つらい苦しい

2019-06-21

言論の自由を与えた結果がこれだ

まりあなたは創造主様で、全ての人に人権を与えて後悔していらっしゃるのですね。

なぜならば、『すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命自由、および幸福の追求を含む不可侵権利を与えられている(アメリカ独立宣言)』

とあるように、言論の自由を含む人権のものを与えたのは創造主様ですからね。

anond:20190621010359

2019-06-19

anond:20190618172112

交尾しても子供が出来なくて、明らかに自分より下等であるとなると、アメリカでの人権運動みたいなムーブメントは起きずに、いまの動物愛護に近い形で権利保障をされるかもね。

昔でいう労働力の延長にある牛みたいな形で、あるいみそこらへんにいる人間なんかよりも価値が高いとされる地域があったり、地域によっては現生人類に害を与えない限り不可侵存在として、地域共有の労働力として使われてるかもとか、いろいろ想像が膨らむね。

俺の想像では参政権やらなんやらは与えられないんじゃないかなって思うわ。

2019-06-05

anond:20190605091908

結局「ゾーニング不要」だと思ってる人って多分ほとんどいないんだよね。

本当に議論すべきことは「ゾーニング必要か?」ではなく、「ゾーニングとはどうあるべきか?」「個人私的領域はどこに線引きされるのか?どこまでが不可侵領域で、何をしたら侵犯したことになるのか?」「公共とは一体何なのか?どうあるべきか?」ということだと思う。

例えば、個人服装基本的には不可侵私的領域に含まれるだろう。一方、全裸で街を歩けば他人領域侵害したと見做され逮捕されるだろう。それが正しい規制のあり方かどうかはわからないけど、私的領域公共の違いって、それほど明確になってないよね。その辺りにズレがあるように思える。

2019-05-26

嫌いだったCPが好きになりそう

作品名は敢えて隠して書いていこうと思う

自分は、1○年もその作品を追ってきた

好きで1○年前にハマってからというもの原作劇場版アニメも本誌も追っている

純粋にその作品が大好きでファンだった

いつからだろうか、その作品がどんどん腐女子に人気になってきた

からそう言うのあったのは知ってたけど、

数年前の映画からCP大手になってしまった

その作品が好きだって言うと腐女子だって周りに決め付けられるのがとても嫌だった

極めつけに嫌だと嫌悪感を感じたのは、そのCP関係ない映画を見に行った時に起こった

映画館の中で「○○×□□は最高ー!」と叫んでる人たちがいたのだ

ものすごく嫌悪感を感じた

因みに自分腐女子です

でも、そういう目線でその作品は見たいと思ってませんでした

寧ろなんとなく神聖不可侵な物を汚すようで罪悪感すら感じていました

そして、この前の映画である

信じられないぐらい、自分はそのキャラにハマった

ただの長年の原作ファンだったはずなのに、そのキャラの虜になってしまった

キャラ自体は嫌いではなかったけど、ずっとキャラを見る度にモヤモヤしてた

思い切ってそのキャラCPを見た

今までの自分気持ちを裏切るようで辛かったけど、見たらモヤモヤが晴れた気がした

そして専用垢まで作ってしまった

まだ、ハマるまでには至ってないけど前程の嫌悪感は薄れた

ただ増したのは、キャラ作品への一層の罪悪感でした

ごめんね……

2019-05-06

anond:20190506120335

じゃあ誰が論理の正しさを証明するのですか?

論理という神(絶対不可侵で何者にも左右されない基準)が存在して、

俺はそれに認められているって感じですかね?(笑)

論理がないという根拠は?

それもあなた判断ですか?(笑)

2019-04-24

anond:20190424144901

何をしても何をやってもオタクは悪くない

結果何が起きてもオタクには責任はない

オタク神聖不可侵存在

2019-03-30

最近オタクの先鋭化はやはりラノベ元凶なのでは?

このまとめを見た。

【またお前らか】『なんでここに先生が!?』のブースツイートに、いつもの連中がイチャモン付けに来た。 - Togetter

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1331836

このおっぱい展示を擁護してる人を見るとある共通点に気づく。それはラノベオタクばかりということだ。

最近社会学VSオタクという構図になってきているが、同時にほとんどの場合社会学VSラノベオタクでもある。

なぜラノベオタクラノベという人文・社会科学産物を超好意的に嗜んでいながら反文学部的なスタンスなのかは興味深い話題でもある。

ひとつの仮説として考えたのは、ラノベオタクは人文・社会科学系の専門書を大して読んでいないということだ(多くの人は理系なのだろう)。そして彼らはラノベや彼らが「一般小説」と読んでいる類の大衆文学ばかり読んでいるということ。

彼らは人文・社会科学産物であるラノベを大量に読んでいながらも、その文脈理解しないままただ漫然とストーリーを楽しんでいるということになる。

これでは人格の涵養など望めないし、ネトウヨ感性のまま年を取っても仕方がないのかもしれない。

ラノベオタクたちは「俺たちは賢い」「他のやつらはバカ」というスタンスが基本になっている。

とても自信に満ち溢れているように見える。

彼らは自分は「読書家」だから知的人間だと思っているのだろう。

彼らが読んでいるのはたかが「小説」にすぎないのだが、しかし「小説」も「本」には違いない。

「本を読んでいる=賢い」というような思い込みがあるのではないか

ラノベオタクたちの高慢さ、傲慢さを見るとそういったものを感じる。

彼らを観察していると、年齢の割に教養のなさ(雑学的な浅い知識だけは豊富)、バランス感覚のなさ、他者への配慮のなさ、といったものをすごく感じる。

深い理解に基づく知識のなさや教養の欠落などは大した問題ではない。問題なのはラノベオタクたちが社会の中で厄介者化していることだ。彼らは被害者意識がとてつもなく強く、他者への攻撃性が高い、ということは外から観察している人にはよく見えていることだろう。

いい大人なら社会というのは人と人との衝突(それも陳腐な衝突だ)が日常的に起きるということを知っている。主義主義思想思想、思惑と思惑、そういったものは衝突するものだ。

彼らが絶対原理として掲げる「表現の自由」だが、もちろんこれも他の主義思想との衝突は避けられない。どんなもの絶対不可侵はいられない。それが社会というものだ。絶対安全圏などない。ここは永遠安寧の天国ではない。

だが、ラノベオタクたちにはこういったことがわからない。社会とは他者との関わりあいだということが理解できない。教条主義に陥っているラノベオタクたちは結果的文字通り「信者」のようなものと化す。したがって、思考は粗雑になり、「正義オタクVS悪のフェミ」という安易な構図・構造でっちあげられるに至る。ここには「対話」「相互理解への意志」といったものはない。

表現規制への反対」これは大いに理解するし共感もする。ただし、攻撃的だったり刺激的・煽情的表現はつねに他の主義思想と衝突することにもなる。だからそこで「対話」が必要になる。議論をして社会の中で落とし所を見つけていくことになる。もちろん一方的排除であっては絶対にいけないし、かといって完全な許容にもならないだろう。

社会の中で生きるということは自分を全肯定されることでもなければ全否定されることでもない。こういったバランス感覚ラノベオタクには欠けているように見える。とてもナイーブで0か100かという思考になっている。彼らには「中間」の状態理解できないのかもしれない。

あるいは溢れる想像力が「中間から「極端」への推移を瞬時に見越してしまって危険信号を受信するのかもしれない。

だがそれこそが教養のなさというものであり、現実の複雑性を理解していない証拠ともいえる。極めて幼稚な思考といっていいだろう。幼稚な想像力に溢れる彼らには大人想像力がない。

ここまでいろいろ書いてはみたが、ラノベオタクには何を言っても無駄だろうということも感じている。

したがって、社会ラノベオタクという厄介者をどう取り扱っていくのかという問題になってくる。

今回書いたようにオタク一方的排除であってはいけない。オタクにも生存権を与えなければならない。ただ、オタク表現社会規範と衝突することが極めて多い。

からゾーニング」という話になってくる。

しかオタクは「ゾーニング」を「表現規制」と言い換えて反発している。

さあどうしたものか。

2019-03-29

最近オタクの先鋭化はやはりラノベ元凶なのでは?

このまとめを見た。

【またお前らか】『なんでここに先生が!?』のブースツイートに、いつもの連中がイチャモン付けに来た。 - Togetter

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1331836

このおっぱい展示を擁護してる人を見るとある共通点に気づく。それはラノベオタクばかりということだ。

最近社会学VSオタクという構図になってきているが、同時にほとんどの場合社会学VSラノベオタクでもある。

なぜラノベオタクラノベという人文・社会科学産物を超好意的に嗜んでいながら反文学部的なスタンスなのかは興味深い話題でもある。

ひとつの仮説として考えたのは、ラノベオタクは人文・社会科学系の専門書を大して読んでいないということだ(多くの人は理系なのだろう)。そして彼らはラノベや彼らが「一般小説」と読んでいる類の大衆文学ばかり読んでいるということ。

彼らは人文・社会科学産物であるラノベを大量に読んでいながらも、その文脈理解しないままただ漫然とストーリーを楽しんでいるということになる。

これでは人格の涵養など望めないし、ネトウヨ感性のまま年を取っても仕方がないのかもしれない。

ラノベオタクたちは「俺たちは賢い」「他のやつらはバカ」というスタンスが基本になっている。

とても自信に満ち溢れているように見える。

彼らは自分は「読書家」だから知的人間だと思っているのだろう。

彼らが読んでいるのはたかが「小説」にすぎないのだが、しかし「小説」も「本」には違いない。

「本を読んでいる=賢い」というような思い込みがあるのではないか

ラノベオタクたちの高慢さ、傲慢さを見るとそういったものを感じる。

彼らを観察していると、年齢の割に教養のなさ(雑学的な浅い知識だけは豊富)、バランス感覚のなさ、他者への配慮のなさ、といったものをすごく感じる。

深い理解に基づく知識のなさや教養の欠落などは大した問題ではない。問題なのはラノベオタクたちが社会の中で厄介者化していることだ。彼らは被害者意識がとてつもなく強く、他者への攻撃性が高い、ということは外から観察している人にはよく見えていることだろう。

いい大人なら社会というのは人と人との衝突(それも陳腐な衝突だ)が日常的に起きるということを知っている。主義主義思想思想、思惑と思惑、そういったものは衝突するものだ。

彼らが絶対原理として掲げる「表現の自由」だが、もちろんこれも他の主義思想との衝突は避けられない。どんなもの絶対不可侵はいられない。それが社会というものだ。絶対安全圏などない。ここは永遠安寧の天国ではない。

だが、ラノベオタクたちにはこういったことがわからない。社会とは他者との関わりあいだということが理解できない。教条主義に陥っているラノベオタクたちは結果的文字通り「信者」のようなものと化す。したがって、思考は粗雑になり、「正義オタクVS悪のフェミ」という安易な構図・構造でっちあげられるに至る。ここには「対話」「相互理解への意志」といったものはない。

表現規制への反対」これは大いに理解するし共感もする。ただし、攻撃的だったり刺激的・煽情的表現はつねに他の主義思想と衝突することにもなる。だからそこで「対話」が必要になる。議論をして社会の中で落とし所を見つけていくことになる。もちろん一方的排除であっては絶対にいけないし、かといって完全な許容にもならないだろう。

社会の中で生きるということは自分を全肯定されることでもなければ全否定されることでもない。こういったバランス感覚ラノベオタクには欠けているように見える。とてもナイーブで0か100かという思考になっている。彼らには「中間」の状態理解できないのかもしれない。

あるいは溢れる想像力が「中間から「極端」への推移を瞬時に見越してしまって危険信号を受信するのかもしれない。

だがそれこそが教養のなさというものであり、現実の複雑性を理解していない証拠ともいえる。極めて幼稚な思考といっていいだろう。幼稚な想像力に溢れる彼らには大人想像力がない。

ここまでいろいろ書いてはみたが、ラノベオタクには何を言っても無駄だろうということも感じている。

したがって、社会ラノベオタクという厄介者をどう取り扱っていくのかという問題になってくる。

今回書いたようにオタク一方的排除であってはいけない。オタクにも生存権を与えなければならない。ただ、オタク表現社会規範と衝突することが極めて多い。

からゾーニング」という話になってくる。

しかオタクは「ゾーニング」を「表現規制」と言い換えて反発している。

さあどうしたものか。

2019-03-04

anond:20190304134351

規制派は「意見」ではなく「要求」をしてるんだけど?何の権利もない事柄に対して。

「多数の同意形成をする」といいながら、ノイジーマイノリティ意見だけを以て表現の圧殺をしている。

合意形成民主的に行うための最低条件が表現の自由。不可侵

2019-03-02

芸術とは本当に高尚なものなのか? 守られるべき絶対不可侵存在なのか?

今巷を騒がしてる連中がさも「高尚な芸術」があるかのごとく振舞って

俺たちを守れ守れ言ってるけどさ、

ぶっちゃけ外野にはリョナ好きの絵描きしか見えない訳で

 

彼らはちゃんとそれを合理的説明できるロジックを持ってるのだろうか?

女性感情論だというレッテルを張り付けているが

彼らの芸術正当化するのも結局のところ取るに足らない感情なのでは?

 

 

エログロナンセンスの旗振り役が学校権威側と言うのも

なんとも歴史皮肉を感じる

彼らを打ち倒す芸術運動近いうちに(というか既に)出てくるのかもしれない

2019-02-11

安倍政権意図を考えると立憲の進むべき道が見える

安倍首相を醜く描くことで庶民イメージ悪化させることに一定意味はある

でも陳腐化させた敵と戦っても勝てない

官渡の戦い袁紹曹操過小評価していなかったら、田豊沮授の持久策を選択たかもしれない

ドアを蹴破っても崩れないと仮定したらヒトラーソ連への不可侵を破らなかったかもしれない

敵の戦力を過小に見積もってもいいことは何もない…正しくとらえるからこそ、対抗策は生まれていく

安倍政権に対してはまずは、金融政策へは一級品との評価を与え、そこから財政拡大への道筋をつけられなかったことを批判すべきではないか

さて財政拡大するためには、社会保障問題をどうするかという問題のしかかってくる

高齢化が進むと自然社会保障費は拡大していく

ここを無視して財政拡大を進める選択肢もあるだろう。しかしその根拠を作り出すのは難しい。

デフレ国債の強さは根拠になりそうだが、銀行日銀が買い手であることが担保になっていることは否定出来ず、金融政策の転換でA+からさらに低下する可能性がある。

そうなると財政赤字を増やせないなら社会保障費を削り、先進技術への投資をすべきと言う話になる。

しかしこれは確実に票田が失われる。なので、安倍政権は出来ないでいる。逆に立憲は社会保障費を削り、なおかつ支持を集めることができるだろうか?

「立憲ならこういう社会が実現する」の仮定は、政権が存続されうる票田を獲得するという根拠がないと意味のないもの

どこから票を集めるのか?についてて議論することが政権獲得に不可欠なものだが、市中での立憲支持層労働者としてのポジショントークに終始し、安倍政権金融政策評価することすら出来ないでいることが多い

2019-02-10

コードギアス 復活のルルーシュ

※本文には「コードギアス 復活のルルーシュ」のネタバレを含む。

10年前のR2放送物語が終盤に差し掛かり最終回というもの意識した時、本当に比喩ではなく毎週の楽しみであり、

生き甲斐だったコードギアスが終わるという切なさを感じつつ、その分素晴らしいものをみれるのではないか

という期待感もあった。

早くこの物語の結末を知りたい、観たいという気持ちと、

この素晴らしい物語が終わってほしくないという気持ちが重なる、そんな期間だった。

  

最終回放送された西暦2008年9月28日

ルルーシュスザクと行った本当のゼロレクイエムナナリーフレイヤでやろうとしていたこ

この二つの類似性に打ち震え、あの悲しい最後のシーンはルルーシュスザクナナリー物語を終わらせるにふさわしい、

素晴らしいもので、それまで見てきたどんな作品最終回よりも美しいと思った。

  

それまでの話数は放送後何度も見返したが、

R2最終回は、その後しばらく見返すことができなかった。

私にとって不可逆で不可侵の素晴らしい思い出だった。

      

最終回放送から8年後、西暦2016年にそのコードギアスが、ルルーシュが復活するとの特報が出る。

    

思い返せば亡国のアキトシリーズの放映や、パチンコ化などのメディアミックス情報は、

アニメ放送後も途切れることはなく、コードギアスは死なないコンテンツになったのだと気付くべきだったのかもしれない。

    

情報は少しずつ鮮明になり、総集編としての劇場版3部作が放映されたのちに

完全新作エピソード劇場で公開すると発表がある。

    

総集編はテレビシリーズとの小さな、だが物語に大きく影響を

与える変更点を加えつつ次々と公開していく。

  

そしてルルーシュが死んでから10年がったった昨日、西暦2019年2月9日平成最後の冬に

コードギアス 復活のルルーシュ」が公開された。

  

タイトルからして復活である

ルルーシュは死んだのに。

美しく、そして気高く世界から憎しみを無くすために文字通り命をかけた主人公

もういないはずで、それでも世界は続いていたのに。

  

復活

  

実は復活と銘打ってはいるが、概念的なことだけで

肉体が蘇るわけではないよ。

ルルーシュがいない世界必死に、彼が求めた願いを実現するために

戦う残された者たちが一生懸命戦う。そんな物語だよ。

それでもよかったのではないかと考えた。

  

だがし復活したのだ、

嘘つきのルルーシュは大切な約束を守るために。

  

復活してルルーシュは、まぎれもなくルルーシュだった。

味方が、特にナナリーピンチの時には全身全霊をもって、

策を練り、有無を言わせぬ迫力で味方を鼓舞し、指示を出す。

  

私が10年前に美しいと感じたルルーシュがそこにはいた。

あれがルルーシュだということに異論を唱えるファンはいないだろう。

それほどまでに素晴らしくルルーシュだった。

  

そして、物語はこれもまたまぎれもなくコードギアスであった。

国の陰謀、計略する首謀者、そこかしこに仕掛けられた罠、

激しく火花を散らし戦闘するナイトメアフレーム

世界の理を変えてしまうほどの強大な力、ギアス

  

コードギアスという作品に込められているものすべてが

詰め込まれており、それでいて色褪せない、新鮮さも感じることのできる、素晴らしいストーリだった。

  

この作品コードギアスであることに間違いはないが、

賛否両論あるということも間違いないのである

  

  

論点は一つ、ルルーシュの復活である

  

  

コードギアスという作品ルルーシュの死をもって

完結した作品であるはずという思いが強い人が多いのではないか

実際私もそうであったからこそこの「復活」にずっと懐疑的

感情を抱いていた。

  

だけれども、観て、楽しんでしまうのだ。

どんなに抗おうとしていたとしても、

観終わった後に私がどんな感想を抱こうが、

劇場で金を払ってみたという事実があるのならば、

コンテンツとして、興行としては大成功だ。

それは全くもって否定できない。

10年前に完結した物語の続きなんてみたいに決まっている。

観ないわけにはいかない。

  

観終わった後、自分感想賛否両論のどちらかなのか

すぐに決めることはできなかった。

この「復活」はあまりにも消化に時間がかかると感じた。

少しでもこの胸のつかえがとれないか

「復活」に関する評価感想ネットであさっていたところ、

監督インタビュータイトルに「批判覚悟制作に踏み切った」とあった。

  

この文言に納得しかかった自分もいたが、

冷静になってみればそれはそうだろうという感想だ。

物語を美しく終わらせるのではなく、

死なないコンテンツとして継続し続け、興行として成功する。

素晴らしいことだが、コードギアスというコンテンツを死んだと

解釈する私の様な人間から批判が出るのは覚悟していただかなくてはならないだろう。

  

10年の歳月コンテンツ評価に対する指標も変えた。

もはや視聴率はその指標としての能力を失い、

配信ツールの普及はいわゆる円盤の売り上げを

抑制するものになった。

  

からネット感想が正しいというつもりはないが、

例えばツイッター等のより個人、とりわけ趣味嗜好を

把握しやすSNSにはおおむね好意的にこの「復活」を

とらえている人が多いように感じる。

  

また、劇場でも終幕後に涙を流し、

良かったと感想を漏らす人も多くいた。

  

これだけでもこの興行成功であったと言えるであろうし、

どんなに賛否両論意見が出たとしても、「賛」の意見が出続ける限り

今後も興行収入を伸ばし続けるであろう。

  

否定というものさらなる否定を己に

向けられる覚悟がないといけない。

ルルーシュ言葉を借りるのであれば

「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」だ。

より情報を発信した個人特定されやすいこの環境では、

批判否定という行為は行いにくいだろう。

  

しかし、「復活」でルルーシュはこのセリフ否定するかのような言動を行う。

  

C.C.と同じ、撃たれてもその命を失うことがない

L.L.にはその覚悟がない。

いや、人ならざる力を持ち、さらには死すらも乗り換えたもの

人とは違う理で生きている。その悲しさを物語っているのかもしれない。

  

思えば10年前は視聴率を上げるために放映時に見る、

円盤を購入するという行為に我々は「支援」という意識を持って行っていたと思う。

  

大量のコンテンツであふれかえる世界から

自分の「好き」を少しでも延命させるために。

  

それはコンテンツというものが、傲慢かもしれないが

我々の支援なしには生き続けることができないと、

その支援が乏しく、延命繁栄をすることができずに死んでいったコンテンツ

観ていたからこそ、そうした感情が行動させていたのではないか

  

私が「復活」を劇場で鑑賞した際に

最も涙腺を刺激されたのは、お調子者だが愛されキャラ

本作でも重要役割を担う「玉城真一郎」のクレジットを見た時だ。

  

ご存知の方もいると思うが、「玉城真一郎」をTVシリーズで演じていた、

田中一成」さんは、西暦2016年に亡くなった。

  

もちろん総集編の劇場版で「玉城真一郎」を演じた演者の方の演技は

素晴らしく、引けをとっているだとか、優劣があるといいたいのではない。

  

私は「田中一成」さんの訃報を聞いたときしかった。

その悲しさは、当然のことながら亡くなった人はもう「復活」しない

ことを理解していたかである

  

10年の歳月があれば、悲しい別れを経験する人も多いだろう。

実際私もそうだった。こんなことを書くと現実フィクション理解していないと

否定されそうではあるのだが、私が10年前に愛した「コードギアス」には

壮大で近未来的なSFとしての要素もありながら、リアリティがあったのだ。

ルルーシュが何度もシャーリーギアスをかけようとしても、

にゆ人間を救うことはできない。そんな現実を突きつけられるような、悲しい物語だったのだ。

  

からこそ私たち最終話ゼロの剣に貫かれたルルーシュを見たとき

そこにリアリティを、死んだ人間は蘇らないという現実フィクション

コードギアスの中に見出し、涙したのではなかったのだろうか。

  

もしこれらを強引に、好意的解釈するとすれば、

私は10年前の最終話ルルーシュの死によって完結した素晴らしい物語

味わうことができたこと。

そして感情胃もたれしそうなほど甘い、

デザートのような続編を味わえたと、いうところだろうか。

  

それならば、一度飲み込んでしまったものは、咀嚼して

何とか消化吸収に努めないといけないのだろうか。

  

私がどれほど批判否定インターネットの海に

吐き出したところで、何にもならないのだから

  

批判覚悟で」

  

私の批判という弾丸は、放ったところで制作側には届かない。

コードギアス」というコンテンツは「復活」したルルーシュ

同じく「死なない」コンテンツに「復活」した。

  

私の撃つ弾丸は、もうルルーシュを殺せない。

  

2018-12-15

結局、現代フェミニズム母性保護論争から何も学ばなかった

母性、それは現代日本不可侵たる聖域と言っても過言じゃないだろう

現代日本母性主義右派左派も同居できてしま構造を持っており、誰にもどうしようもない存在になってしまっている

子供も悪影響があるから右派保守的に、女性性の消費だと左派革新的に様々な娯楽を一緒になり規制しようとしてきたし、実際に悪書追放運動などで規制した

それらを考える際、右派左派とわけて考えること自体が誤っているのかも知れない

彼女らは右派でなく左派でもない母性主義者と解したほうが納得できる面が多い

そして何に驚くかと言えば、そんな母性主義者たちと一緒になってツイッターはてな左派女性同調して物事を話すことだ

ツイッターはてな左派女性はよく考え直したほうが良い

母性主義者は母性の獲得こそ社会的価値が高いとしている者たちだ

まり恋愛結婚出産が前提にある価値観を持っているんだ

そこにはツイッターはてな活動している左派女性の目指す女性の自立なんて無いはずだ

2018-12-01

表現の自由」のくに

フェミニストの一斉弾圧から10年。

20☓☓年の日本ではクリエイター権利神聖不可侵のものとされていた。日本コンテンツ海外に売り込もうという政府意向と、表現の自由を最大限にしたいというクリエイターおよびそのファンの願望が合致したのである保守派議員表現規制を推進しようとした時代はとうの昔に終わり、いまや与党の中枢は表現の自由戦士で占められていた。

刑法改正されて「クリエイター侮辱罪」が制定され、表現の自由侵害するフェミニストの一斉弾圧が行われた。それは表現の自由侵害であると主張した憲法学者弁護士たちも逮捕された。

 現在逮捕された彼/彼女たちは思想改造のため、強制収容所収監され、萌え絵エロ絵に囲まれ生活している。しかし、その一部は弾圧を逃れ、「隠れフェミ」として地下活動に励んでいるとされていた。警察はいまもその行方を追っている。

 街角でも、萌え絵エロ絵に対する批判はいっさい禁止され、公共の場に氾濫するエロ絵に「違和感」でも表明しようものなら、即座に密告され、逮捕収監される状況になっていた。コミケでは、エロ絵のバッグが大々的に復活し、終了後のりんかい線ゆりかもめには幼女の裸のイラストが溢れる事態となった。

 渋谷大通り幼女の裸体イラスト広告が大々的に掲示されたときには、CNNBBCは「二次元ポルノ大国日本」として報じたが、そうした記事SNSで紹介するだけでも「出羽守」「売国奴」とみなされ、たちまち糾弾対象となった。

 街角書店はほぼ全滅し、大規模書店大都市の中心地にみられるだけになっていたが、そのなかで大部分の書籍の表紙は萌え絵になっていた。夏目漱石森鴎外などの小説の表紙は言うでもなく、ハンナアレント人間の条件』の表紙は当然のごとくデフォルメされた美少女アレントであり、アリストテレスニコマス倫理学』の表紙にはニコニコしながらマスをかいている美少女イラストが描かれていた。フェミニスト書籍は言うまでもなく大部分が発行禁止になっていたが、ストロッセンや初期の牟田和恵などの著作は大々的に宣伝されていた。

 この頃になると、全国民あいだで「二分間憎悪」が行われるようになっていた。ある時刻になると、街角スクリーンや各々のスマホの画面に「パブリック・エネミー」が現れる。それを国民全員で罵倒するという儀式である

 そのパブリック・エネミーには、かつて名を馳せ、いまは地下で活動しているとされるフェミニストが選ばれていた。そのフェミニストたちがスクリーンに登場するや否や、国民は男女を問わずフェミナチ!」「全体主義者!」「表現の自由の敵!」といった罵詈雑言をぶつけるのである二分間憎悪最後には、そうしたフェミニストたちが性的に陵辱されるアニメが映し出された。これも「表現の自由」により擁護される表現なのであった。

 そうした体制違和感をもち、密かに「隠れフェミ」に関心をもった女性がいた。やがて彼女は『フェミニズムと表現の自由』なる著作を手に入れ、その内容に惹かれていく。だが、実は「隠れフェミ」は彼女のような異端者を駆り出すための仕掛けにすぎず、『フェミニズムと表現の自由』もその餌にすぎなかった。

 熾烈な拷問の結果、彼女クリエイターへの忠誠を誓って解放される。彼女はただ処刑されるのを待つだけの身である彼女が見上げると、そこには巨大な幼女の裸体のイラストが掲げてあった。そうして彼女は泣きながら、自分がそれを愛していることに気づくのであった。 

2018-10-31

anond:20181031223153

天皇尊敬していて12月に毎年記帳行ってたよ今は東京離れたからしてないけど

皇族からといって全ての人間尊敬する気はない

地位が高い人が尊敬されるのはその地位にふさわしい振る舞いが出来ているからで

話題のあの人に敬意を払う気にはなれない

血筋がいいだけで関係者全てが神聖不可侵の扱いを受けるのは間違っていると感じただけだ

2018-10-26

anond:20181026093353

増田が「ジャーナリズム不可侵でなければならない」みたいなことを書いていたから、そのことに反論しただけ。

ジャーナリズム第四の権力である批判されていることを知らないわけではないよね。

ジャーナリズムも間違うことがあることの例として、朝日新聞日本貶め問題を挙げただけだよ。

もしかして朝日新聞不祥事言及すること自体発狂するタイプなの?

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