はてなキーワード: 眩暈とは
1人暮らしの人ってコロナワクチンどうする?どうした?どうだった?
自分は案内が来たら接種する予定でいるけど(接種券がそもそも本日送付予定みたい。)、それでもやっぱり副反応が怖い。
40度の熱が出たとか見るけど、今まで生きてきて40度の熱とか一度も出たことないのに(子供の頃に39.5出たのが最高記録)
解熱剤とかの準備は受ける前にする予定ではあるけど、それでも怖いもんは怖いし一人暮らしの人たちのどうする?どうした?どうだった?を知りたいので是非教えてください。
健康診断とかで採血受けると必ず眩暈を起こすから寝ながら採血受けてしばらくそのままになってないといけないような人間なんだけど
庭に金木犀を植えたいと言って、苗木をホームセンターで買ったのは小学生の頃だった。テレビか本か、何かに影響を受けて憧れて買ったその苗木は、植えてすぐに虫がつき、葉はいつでも穴があいてひょろっとした実に貧弱な様子で、ただただ背丈だけを伸ばしていた。
葉付きも悪い病気持ちの金木犀につく花は僅かばかりで、正直植えて数年は自慢の匂いすら薄かった記憶がある。
そうして鳴り物入りで入ってきた若木の前に、我が家の小さな庭には外飼いのわんこがいた。飼い主の知識不足によって、若い頃からフィラリアにかかりずっと病気と闘っていた犬である。そういうと一見可哀想な様相だが、この犬は平均以上に丈夫な身体を持っていた。大きな身体と、ちょっとだけ荒い気性もあって外目には彼が病気でずっと薬を飲んでいるような犬には見えなかったと思う。
たまの発作で苦しむことはあれど、それ以外は概ね元気な子だった。
そんなわんこは持ち前の丈夫さで、大きい体躯ながら15年ほど生きた。
我が家のヒーローはある日突然階段を転がるようにいっきに容態を崩し、あっという間に天に旅立ってしまった。
そうして、彼がいなくなった頃から、帰宅する度に寂しい思いをしていた庭に大きな存在が目につくようになる。
あれほど何をしても貧弱だった金木犀がみるみるうちに枝葉を伸ばしはじめたのだ。薬をやめたにも関わらず、自分から病気を跳ね返し、翌年には幹を太くさせ、初めて大量の花をつけた。
ただの偶然だったのかもしれない。それでも病気の割りに驚くほど元気だった犬を思うと、この木から生命力を分けてもらっていたのか?と考えずには居られない。誰に言っても変な顔をされるが、あの木もわんこを助けてくれていたのだ、と私は思うようになった。
そうして、いくらも間を置かずに生後間もない捨て犬が寂しい我が家に転がりこんでくることとなる。二代目は初代とはまるで違う性格で自由奔放な犬であった。我が儘しほうだいの彼女は、初期のワクチンも手伝い、大きな大病もなく育ったが、晩年は脳梗塞を数度起こし、幾度となく快復しながらも、最後には寝たきりのまま逝ってしまった。二代目を亡くして日が浅いので、つい元気のない時ばかりを思い出すが、そんな彼女は19年と半年を生きた。中型犬にしては大往生といえるだろう。脳梗塞から三年ほどは眩暈と痙攣を繰り返し、何度も獣医に後遺症が残るかもと言われながらきっちり後遺症なく復活する姿はとても逞しかった。倒れたときすら今度も、と皆が思ったけれど、流石に本人の体力も限界だったのだろう。最後までよく頑張ってくれた子だった。
しかし、二代目が息を引き取る3日前。家族が金木犀の枝の殆んどを切り落とした。あの日を境に元気になった木は隣の家に迷惑をかける程に成長した為、仕方のない剪定ではあったが、整えるというにはやりすぎな程すっきりした姿に絶句したものだ。ただの迷信。ただの偶然。それでも、金木犀が自分が生きるための力を注いだがために、二代目の不思議な元気の糸が切れてしまったのでは?と思うのを止められない。
無残に切られた金木犀は、一年程の花は見られないと言われながらその年には新しい枝を伸ばし、見事満開の花を開かせた。実に生命力の強い木である。
20代女性です。私はipodがないと不安なんです。音楽をいつもボリゥムを最大にしてイャホンで聞ける状態でなければ電車に乗ることができません。出掛けに忘れたりする事があってとても不便な思いをします。その場合はたとえ約束があっても取りに戻ります。そうしないと音楽をイャホンで聴いていない状態で外出を長時間続けると背中やこめかみ足の裏掌に汗をかいてきます。不安で顔を上げることができません。なるべく他人に見られないように脇をしめて肩幅を縮めて両肩のラインより後頭部を上に出さない心持ちで早足になっていきます。そうして早くこの状態から逃れるためにipodのところへ向かいます。この時が最も危険で心臓の鼓動も早くなり耳鳴りと頭痛で倒れそうになってしまいます。光の粒が頭の周りを囲むようにたくさん浮遊しながらジグザグに降りてきます。その数が段々増えてくるとまた動きも早くなり、見てはいけないと思いながらもつい目で追ってしまい眩暈を起こして転んだ事もあります。また出かけるときになってipodを用意していると充電が不十分ですぐに電池が切れてしまいそうな時があり、出かけるのを中止してしまう事もあるのです。出先で電池が切れてしまったら恐ろしくてどうしていいのかわかりません。ですから電池が満タンの時でも常に充電するためのコードを持ち歩いています。コードはカバンの底の進行方向右手のポケットの中とカバンの外ポケットの中と肩掛けベルトの中に(縫い目をほどいておもて地と裏地の間にはさみ込んで軽く縫い合わせてあります。我ながらとてもうまく考えたものだと思います。)、それぞれ計3本を常に持ち歩いていて不測の事態に備えています。しかしご存知かもしれませんがipodは充電式なので電池が切れてしまった場合はたとえこうして充電コードを持っていてもコンセントがなければ意味がありません!そのことを考えるとまた掌が湿ってきて心臓も早くなり息を吸っても苦しくなって耳も聞こえなくなってきて頭が朦朧としてきてしまいます。みんな他の人は平気なのでしょうか? 私だけがこんな風になっているのでしょうか。
最近よく思うのですが耳にイャホンやヘッドホンをつけてなくっても音が直接聞こえる新しいバージョンのipodが出ていてみんなはそれを使っているので平気なのではないでしょうか? そしてその新しいバージョンは直接頭脳に音楽が聞こえてくる仕組みでもちろん手術で頭の中に埋め込まなくてはいけないでしょう。高いのではないでしょうか。今の私には新しいバージョンで手術を受けるだけのお金が用意できないでしょう。でもとっくにみんな多くの人がその手術で新しいバージョンになっていてそうしたらどんなに楽しくて快適でいやなことがひとつもない暮らしなんだろうと羨ましくて悲しくなってきます。相談できる友人にも聞いてみたのですがそんなことはないと私だけではないと言ってくれるのですが私はやっぱり信じられないのです。その友達がイャホンをしていないのに音楽が常に流れているように楽しそうに笑ったりしているのを見ると憎くて裏切られた気持ちになってきます。私だけが新しいバージョンの知らせを受けていないのでしょうか?ご存知かもしれませんがipodはパソコンに繋げると時々新しいバージョンのお知らせが来たりします。ある時私は間違ってその時のお知らせをいいえでクリックしてしまったのです。その日からお知らせがくる回数が随分減ってしまっているようなのです。その友達のパソコンを覗いたことがあるのですが私に来ているよりもたくさんのお知らせが来ているのです。もちろんそう言って見せてくれるように頼んだのですが友達は意地悪でそんなことはないと見せてくれなくなりました。どう考えてもその時を境にパソコンのガードが固くなったとしか考えられません。クリックでいいえをしてしまった(たとえ間違っていたとしても)場合はその人に絶対に情報を教えてはいけないというようなお知らせも同時に送られているのかもしれません。私はしてしまったのでもうそのお知らせも見る事ができませんが。どうかいいえをクリックしないままでそのお知らせを見せてもらえないでしょうか。そしてあたらしい最新の直接聞こえてくるタイプのバージョンのipodの手術を受けさせてもらえないでしょうか。万一お金が高くて足りない場合もこれからちょっとずつ貯金をしていくのでその具体的な情報が知りたいのです。お願いします。
深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。
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私は夢見る、私の性別がなくなることを。
女友達と手作りの料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。
絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔からの友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族の強制する性の価値観はあんまり理解できなかった。
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女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯と王子役を押し付けられまくった経験から「LGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。
普通であることに安心する家族。普通であることに怯えるわたし。曖昧な言葉には常に適度な距離感が必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。
思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。
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「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人からの暴力や罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。
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わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカーが音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。
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本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人がわたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。
小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたしは眼鏡を諸悪の根源にすることで耐えていた。
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恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしがかわいいからでしょう?」と母の言葉の確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。
当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界のレイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドのインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。
大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズの問題を解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。
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好きな人の言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。
まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢に眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛や眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。
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「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?
好きな人に会う前から、男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性の男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか、虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリのライン。
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それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白を承認する、他人の人生を背負うとはそういうことだと思った。
そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人に身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。
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…好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれたプライベートな時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。
なんかもう、それだけでよかった。
セックスは搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。
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好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命めいたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金な理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情に無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。
そういう、希望だったんだ。
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私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。
でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。
それそのものが救済なんだ。
私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。
一応研究者の端くれとして生活している自分としては、昨今の政治の有様は科学的見地が完全に欠けているという点で大きな不満がある。
アメリカを見てみればバイデンが就任間もなく"Listen to the scientists"と言い、トランプですらワープ・スピード作戦でワクチンへの巨額投資を行った(結果的にファイザーはその支援を受け取らなかったとはいえ)。
中国は科学技術に対する巨額の投資を行い、EU各国の科学予算も順調に増加を続けている。
一方、日本はどうだろうか。
科学予算の政府負担割合は主要各国(英米独仏EU-15日中韓)で最低で、また与野党問わず、科学者の意見を尊重する空気は少ないように感じる。
その中でも比較的マシ、あるいはより酷いところってあるのだろうか。
そう考えて色々調べてみた結果、既に確立されているワクチンに対する態度は良い指標になりそうに見えた。
今はCOVID-19のお陰(?)でワクチンの効果が周知されつつあるものの、その前段階で既に大きな問題になっていたHPVワクチンに関するアンケートは参考になりそう。(2019年7月のアンケート結果)
https://yobolife.jp/column/758
詳しくは上のサイトを見てもらえば良いけど、主要な政党の回答は以下の通り。
(政党名: HPVワクチンを積極的勧奨を再開すべき・すべきではない・どちらとも言えない・未回答)
比較的マシなのは公明党、次いで自民党、立憲民主党といった感じだろうか。
しかし共産党が強烈な反ワクチンであるのはさておき、それ以外はどんぐりの背比べといったところ。
未回答・どちらでもないの多さは科学に対する思考放棄の表れだろうか。
自分としては現与党に不満があって調べてみたけど、何だか与野党含め全部ひどくて絶望しただけだった。
科学・技術あたりに理念の重点を置いた政党、出てきてくれねぇかな。
間違い訂正やより新しい結果、他の指標とかあれば教えてください。
女子高生バイトさんと久し振りに一緒に仕事した。ちょっと客足が途切れた時に、何気に
って聞いたら、
「辞めましたw」
って女子高生バイトさんは言った。おいぃぃーーー!? お前さん、これから先どうやって生きていくつもりなんだよぉ!!! はぁ、眩暈眩暈。高校で習ったことなんか卒業式の翌日に綺麗サッパリ忘れて良いんだから、高校の卒業証明だけは獲得して欲しかった。
そんなフリーダムな生き方をしていて、親御さんは何も言わないのかと聞いたら、お母さんも中卒で娘二人育て上げたから大丈夫、だという。いやいやいやいや、時代が違うんだから、だいじょばないです。お母さんの世代では、ノープランで中卒で子供二人産んだ身寄りのない女なんているいる過ぎて、パートに雇ってくれる会社なんかはもはやそんな経歴全然気にしないんだろうけど、今現在18歳の女の子がそんなノリで生きて就活なんかしてたら、こいつやべぇ奴だとしか思われないだろう。
とか言ってももはや後の祭りなんで、「おぉ、そうなんだ……」しか言わなかったけれども。18歳でまた高校一年からやり直すなんて、夜間でも通信でも中々容易じゃあないので、たぶん無理だろうな……。二十歳くらいになってからようやくロクな働き口がないという現実を知って、やっぱり高校行こ! ってなればいいのだが。
女子高生バイトさんの生い立ちをチラッと聞いたぶん、私も家庭の事情を話した。といっても、子供何歳で産んだんですか? って聞かれたので「一人目が29歳のときで、二人目は32歳のときだよ」って答えたくらい。そしたら女子高生バイトさんが「それ私の理想です!」というので、
「いや29歳で第一子はギリ育てられるけど、32歳で第二子はきっついよ。一人目の時は授乳の為に夜通し起きていられたけど、二人目の時は授乳しながら居眠りしちゃって、気づいたら子供畳に転がってびゃんびゃん泣いてたよ」
だから子供何人か欲しいなら、もう少し早めに一人目産みなって。というと、女子高生バイトさんは、20代前半はきっと遊びたくてしょうがないから子育てとか無理だと思うと言った。
それって、誰からの入れ知恵なんだろう。既に出産経験のある友達でもいるのか、それともお母さんがそんな風に言ったのか。まあ、若いうちに子供産んだ人って大体そういうことを言うけれども、出産してないならないで、その時期はやることが色々ありすぎて、体力お化けでもない限りは、好き放題に遊ぶなんて出来ないんじゃないだろうか。
若いから遊ぶチャンスはいつでもあるとちらつかされたり焚き付けられたりするけど、何となく空想上の存在「好き放題に遊んで青春を謳歌している同世代」を横目で見ている気になって、いいないいなといじけながらしょっぱい日々を暮らすというのが、若者のリアルな日常なのでは? 休日には確かに集まれる所に若者が沢山集っているのかもしれないが、それは楽しい毎日の中の一日というよりは、灰色の日々のうちのとっておきの一日なんじゃないだろうか。
なんてことを18歳に言っても分かんないかなぁと思い、「あーね。」とだけ答えた。
夕方、義母が公共料金を支払いに来た。わりと近場に住んでるのに、会うのは二年半ぶりくらいだ。払込用紙の名義は義弟だった。義弟は最近身体を壊して働けなくなったと、風の噂で聞いたけど、本当だったのだろうか。
この提案に、女性のメンバーが〈容姿のことをその様に例えるのが気分よくないです/女性目線かもしれませんが、理解できません〉と投稿。他の男性メンバーからも〈眩暈がするほどヤバい〉と反対の声があがり、提案は撤回された。
このプランを提案したのは、開会式の演出を指揮する「総合統括」を務める佐々木宏氏(66)。電通出身のCMクリエイターで、これまで缶コーヒーBOSSの「宇宙人ジョーンズ」シリーズやソフトバンクの「白戸家」シリーズなど、数多くのヒット作を生み出してきた。
犬扱いを最大限の侮辱と見なす韓国や台湾などの近隣諸国と異なり、確かに日本では人間を犬に例えるソフトバンクの「白戸家」シリーズのCMが大ヒットしている。
しかし、いくら多くの日本人が人間を犬に例えることに抵抗を感じないとはいえ、日本にも様々な文化圏にルーツを持つ人がいるだろう。
一年前に辞めていった意地悪なベテランパートの人のことが、Aさんと話していていまだに時々話題になる。
ベテランパートの人がどんだけ仕事をしない奴だったか、Aさんは一年前以上の熱量で恨み節を語る。聴けば聴くほど、ベテランパートの人の勤労意欲を削いでいたのは、オーナーとAさん達夜勤の若い男子アルバイト達だったということがわかる。
私とシフトに入っていたときのベテランパートの人はそうとうせっかちで動き回る人という印象だったんだが、そういう人が何故オーナーやAさんの前では全然働かなかったのか? というのは、オーナーやAさん達が二言目には「それはやらなくていいです」と言っていたからだ。
オーナーと夜勤男子では「やらなくていい」のニュアンスが少し違う。オーナーの場合はとにかく作業効率よりも従業員が自分の言うことをきくということが大事で、どんなに業務が効率よく回るんであっても従業員が自発的に動くということを極度に嫌う。オーナーは店が凄く暇な時に「それはやらなくていいです」と、従業員がせっかく暇を見てやり始めた雑用を中止させる。そして死ぬほど忙しい時にレジ打ちを止めさせてまで、オリコン二箱を畳んで物置にしまうなど至極どーでもいい仕事を押し付ける。上がりの時間まであと三分というところで、最短十分かかるトイレ掃除を上がりの時間になるまでにやれとか言う。そういう訳のわからん指示をオーナーが出して、ベテランパートの人がキレる場面は私も何度も見た。
一方夜勤男子達はというと、深夜にただ事務所でダベったりスマホゲームをする時間を確保するために、夕方の超忙しい時間帯に雑用をあえてぶつける。自分達は体力が有り余っているからといって、ラッシュ時にカフェマシンの掃除をしつつレジを打つという離れ業を要求し、それが出来ないならやんなくていっすよ、ずっとレジに突っ立ってて、ということを平気で言う。夜勤男子達は夕方から夜にかけては客が来ない方が都合がいいということで、お客様に店が見離されることをわざとやっていた。おにぎりや惣菜パンの類いを廃棄時間の一時間以上前に廃棄して、ピーク時には棚にほとんど商品がないようにしていた。FF商品なんかはおにぎり等と違って賞味期限が全て当日だからって、夕方のピーク時の前に全部廃棄にしていた。おでんも同時に撤収した。
販売期限も過ぎていない、籠何杯もの山盛りの商品が事務所にある。レジ下のゴミ箱にはまだ夕方揚げたばかりのFF商品がミチミチに詰め込んである。(ちなみに、去年の秋にオーナーがコンサルに相談して判明したが、FF商品だけの損失額が月間百万円を超えていた。)夕方のピーク時に限って眩暈のするほど大量の仕事をこなさなければならない。それも、夜勤の男の子達が午前1時くらいの時間帯に遊んで高い時給を貰うためだけだ。ベテランパートの人は0時前には上がるというのに。
そんなことが長らく平然と行われていたら、勤労意欲は無くなって当然だし、働かんで金だけ貰おうと思いつくのも当然だろうなと思う。
ベテランパートの人は歳のせいでもうあちこちガタがきてて湿布貼って何とかやってると、ある日私に愚痴をこぼしていた。私に言うだけでなく他の人にも言えよって私は思ったけど、弱味を見せても何かやり返したり笑ったり出来なさそうなのが私だけだったのかもしれない。
ともあれ、ベテランパートの人は最終的にはオーナーを顔も見たくないくらい嫌いだと言い、仕事がつまらないと言い、他店に移っていった。
先月末で2年くらい在籍したUOのギルドを辞めた。まあそこそこアクティブがいる中堅どころ。
ギルメンは勝手に辞めたと思っているだろうが、自分が語れる範囲で本当の理由を残しておく。長くなるので興味のない人には申し訳ない。
それまでも何度か辞めようと思っていたのだが、本気で自分がギルドを辞めようと思ったのは実は去年の11月に遡る。ギルド結成2周年記念集会の直前だ。
ギルドを立ち上げたのはAを中心にBと自分の3人だったが、Bは「金は出すが口は出さない」という方針だったので必然的にAがギルマス、自分がサブマスという体制で始まった。
お互いに地味な努力をしてギルメンを増やしていき、やりがいもあった。
だかAはどこか専制君主めいたところがあって自分はギルド以外にもAの私用で使い走りをさせられたりしていた。その頃はまだ我慢できる範囲だったので地道にせっせと働いた。
そして迎えた2周年記念。
AとBは己の財力を惜しみなく投じてギルメンへのプレゼントを用意していた。ちなみにAとBは自分では太刀打ちできないほどの財力を誇っていた。
17億使っただの何千ソブリン出しただの眩暈のする金額が飛び出てきて自分は閉口した。
自分で用意できたのはダンジョンでひたすら狩りまくって手に入れたAFと1周年の時にもらった時価1億足らずの装飾品のみ。
ここで2人との格差と違和感を感じ「来年3月末でギルドを抜ける」と宣言した。
過去にも功労の礼としてゲームでもリアルでもプレゼントをもらったことがあったので、「辞めるんならそれも今すぐ全部返せ」とまで言われた。
ゲームでもリアルでも金がない自分は従うしかなかった。もらったプレゼントには「ギルドを辞めたら許さない」なるメッセージが付いていて思わず背筋が凍り付いた。
それともう一つ大きな理由は、ギルド専用のDiscord鯖でのパワハラ・セクハラ・モラハラがAのみならず他のギルメンにも浸透して、
いつの間にか自分が単なる「いじられキャラ」と化していたことがある。
流石にこれには我慢ならず何度も「止めてくれ」と懇願したが、止めるものは誰一人いなかった。
ギルドという集団の中で自分はひどく浮いた孤独な存在になっていた。果たしてこのままギルドを続けて何の意味があるのかと何度自問自答したことか。
こうしてギルドは自分にとっては非常に苦痛な場所と化していった。もともと精神系の病を抱えている自分はどんどん病状が悪化して行くのが歯がゆかった。
そんな年末年始に、自分はBにもらったUOの土地を破格の値段で売却した。AB2人には及ばないもののかなりまとまった額の金額を手にした。
するとAとBは手のひらを返したような態度を取るようになった。「やっと俺達と対等になった」とのたまって。ではそれまで自分は何だったのか?
ここで一気に虚無状態に陥った。
かかりつけの精神科医にも話したところ「少しギルド活動を休んでみたら?」と勧められた。所謂ドクターストップだ。
これを理由にして3月末まではギルド活動を休むと2人に言ったところ、突然Bがキレた。
服用している薬を全部言わされ、それまでに起こした精神的な事故歴まで暴かれた。
Aからは「今すぐ診断書を持ってこい」となじられ(ちなみに自分のかかりつけの精神科医はかなり人気が高く多忙なので診断書をもらうまでに最低1週間はかかる)
とBに提案されたが、恒常的に飲んでいる薬まで飲まなかったら非常にヤバい状態になるのは目に見えているのでそれは服用して、翌日改めて話し合いをした。
何とか気持ちを落ち着けて自分の健康状態の悪さを主張してなんとか3月末までの休養をもぎ取った。
しかしながらAとBに対する違和感と不信感が抜けず、Bからよくもらったレアアイテムを眺めるのも苦痛になり「返す」と言ったところ
そのことで「俺を巻き込むな」とAは言ったが知ったこっちゃない。そしてAからはとどめの一撃。
「あんたもうこっちには戻ってこないんだろ?」
何なんだこの人。
それをいまさら昔通りに仲良くできるとでも思ってるのだろうか?
自分は空いた口が塞がらなかった。
これでAとまともに話ができたのは最後だった。
そして自分は「ギルドを抜けたい時は必ず2人に言うこと」という約束を破ってDiscordのチャットに「今月末でギルドを辞める」と書き込んだ。
そして最終日。
もう1回だけ挨拶しようかとDiscordに入った時、Aが「今までの経過を全部話す」とギルメンにボイスチャンネルに来るよう呼び掛けていた。
その後、連絡事項と要望があり2度ほどAと話をしようとしたが
「もう2度と連絡してくるな」
とけんもほろろに会話を打ち切られた。
最後に知ったのだがAは目の病気で余り字が読めなくなっていたらしい。
その割にはいろいろなゲームをプレイしているのには首をひねってしまうのだが……。
(steamでフレンド状態を切ってなかったのでプレイしているゲームが駄々洩れだった)
「お前が悪い」と言われるのは覚悟している。
だけど自分が悪くてもどうしてもギルドを抜けたかった。それだけは分かって欲しい。
自分の話はこれで終わり。
長文失礼。
会社員。5年目。
集中して働いたことなかった。注意力が散漫ですぐフラフラしてしまう。それで怒られる。
強制的に集められる集合研修とかはあったけど、それもぼわ~と気を散らしていた。
で、昨日、忙しすぎ&絶対に定時であがらなきゃいけない という状況で、自らの意志で初めてぶっ続けで集中して8時間働いたんだけど、これ、無理じゃない?端的に言って。
帰り道で吐き気はするは眩暈はするはで疲れ切った。なんじゃこりゃ。みんなこれやってんの?
上司には「ぼんやりしすぎ」っていうのはずっと言われて、でも仕事量で怒られたことはなくて、「ちゃんと集中したい。そしたらもっと働けるのに。怠け者だ…」って思ってたけど、集中しすぎると本当にぐっっったりしてしまう。
これ会社員みんなやってんです?まじ?
https://anond.hatelabo.jp/20210130130504
(おしまい)
と、思ったらしまえなかったー!
伏線回収をまたしても忘れた!!
在宅勤務なんだがオフィスでやらなきゃいけない手続きがあるので久しぶりに電車に乗った
新型コロナウイルスもあるのに出社しなければいけないなんて気が重い
気を紛らわすために本でも買ってのんびり座って会社の最寄駅に着くのを待つ
本を読み終わってしまいなかなか着かないなと違和感に気付き、まだ着かないのかと思って顔を見上げたら乗っている列車の終着駅が「奈都」だった
「奈都」という駅なんて聞いたことがない
やれやれこれは遅刻かもなぁと思ったところで「奈都」に着いてしまった
切り立った岩の柱のような山がちらほら見える
どこかで見たことがある
確か武陵源というところだった
そこで私はようやく気付いた
これはいかんと列車から降り、折り返しの列車を乗って引き返すことにした
『お客さん、ここの折り返しは6本に1本しかお客さんの乗ってきたところに戻らないんですよ、ここで待ってて大丈夫ですか』
なんとそうなのかと眩暈がしてきてクラクラしてきたが、平静を装って答える
木造の古い校舎のような待合室でぽつんと待っていると見知った顔の他の客たちが入ってくる
なぜ彼らはいるんだろうと疑問を持ったが声がうまく出せない体が鉛のように重い話しかけることもできない
そうこう思っているうちに彼らは目当ての列車が来たのか続々と待合室から出ていった
ようやく私が乗るべき列車が来た
やっと帰れる、そう思った瞬間に私の瞼は重くなり、とぷんと深い水面の底にゆっくりゆっくりと沈んでいった
気がつくと私は眠りから覚めていた
どうやらこの世に帰って来たようだ
『おはよう』
前回までのセックスしながら走れドスケベメロスは……
あのえちえち王に、スケベ人のスケベ信実のスケベ存するところをスケベ視姦(み)せてやろう。そうしてアクメ笑ってえろえろ磔のむらむら台に上ってやる。ドスケベメロスは、悠々とエロ身仕度をはじめた。
さて、ドスケベメロスは、ぶるんとセクシーな両腕と発情奴隷の尻毛か陰毛かの区別のつかない剛毛が激しく自己主張するクソスケベなデカ尻を大きくエロ振って、感度3000倍媚薬雨中、ドエロ矢(アロー)の如くセックスしながら走り出た。
♪アクメの声が聞こえてクるよ
視姦(み)よ、前方の感度3000倍の媚薬の原液が流れる川、その名前感度3000倍媚薬原液川を。
突然、目の前に一隊のガンギマリアクメしている女山賊がガンギマリアクメしながら躍り出た。
「待て♡待って♡イグゥ♡」
「何をするのだ。私はセクシー陽の沈まぬうちにえちえちセックス王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どすけべっこい放さぬ♡持ちもの全部を置いてイけ♡イッちゃえ♡」
「私にはいのちんぽの他には何も無い。その、たった一つの命んぽも、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちんぽが欲しいのだ♡はやくよこせなのだ♡おぽぉ♡」
「さては、えちえち王のスケベ命令で、ここで私を待ち伏セックスしていたのだな。」
ガンギマリ女山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒(クソデカディルド)をまんこからブチ抜いて振り挙げてアクメした。ドスケベメロスは体毛マシマシ発情奴隷とセックスしながらひょいと、卑猥なからだをセクシーに折り曲げ、スケベ飛鳥の如く身近かの一人にエロ襲いかかり、その棍棒(クソデカディルド)を華麗に淫靡に且つ妖艶に奪い取って、
「気の毒だが性義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人の体外ポルチオを殴りアクメ倒して脳に快楽の電気信号を送るだけのバイオ性玩具になるまで棍棒(KDD)で子宮をぐっちゃぐちゃエロ掻き回し、残るドM助平者のひるむ隙に、さっさと走ってセックス峠を下った。一気にセックス峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から淫靡極まり無い日のエロスとカオスとリビドー渦巻く午後のスケベ灼熱のセックス太陽がまともに、かっと照って来て、ドスケベメロスは幾度となくアク眩暈を感じ、これでアクメしてはならぬ、とスケベ気をエロ取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりとセクシーな膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。発情奴隷に騎乗位でセックスされながらスケベ天をエロ仰いで、くやし泣きに泣き出した。射精もきっかり5㍑射精した。ああ、あ、媚薬濁流をセクシーに泳ぎ切り、ガンギマリ女山賊を三人もアクメ撃ち倒しセックス韋駄天、ここまでスケベ突破して来たドスケベメロスよ。真のスケベ勇者、ドスケベメロスよ。今、ここで、アクメ疲れ切って動けなくなるとは情無い。はしたない。だらしない。いやらしい。クソスケベい。愛する穴友は、おまえをエロ信じたばかりに、やがてアクメ殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信のスケベ人間、まさしくえちえち王の思う肉壺だぞ、と自分をエロ叱ってみるのだが、全身4545194回シコったちんぽのように萎えて、もはや卑猥な発情芋虫ほどにも前進かなわぬ。セックス路傍の感度3000倍の媚薬の原料となる草が生えた草原、その名も感度3000倍媚薬草原にごろりと寝ころがった。発情奴隷は突然の寝バックの体勢にうれしくってうれしくって身体がアクメを歓迎していた。身体疲労すれば、精神も共にえちえちやられる。もう、どうでもいいという、スケベ勇者に不似合いな不貞腐れたスケベ根性が、スケベ心の隅にエロ巣喰った。私は、これほどえっちな努力したのだ。えちえち約束を破るスケベ心は、みじんも無かった。変態神も視姦(しょうらん)、私は精一ぱいにえっちに努めて来たのだ。アクメ動けなくなるまでセックスしながら走って来たのだ。私は不信のスケベ徒では無い。ああ、できる事なら私のえっちな胸を截ち割って、ドスケベ真紅のドスケベ心臓をおドスケベ目にドスケベ掛けたい。ドスケベ愛とドスケベ信実のドスケベ血液だけでドスケベ動いているこのドスケベ心臓を視姦(み)せてやりたい。けれども私は、この大事なドスケベ時(タイム)に、ドスケベ精もドスケベ根もドスケベ尽きたのだ。私は、よくよく不幸な助平男だ。私は、きっとエロ笑われる。私のスケベ一家もエロ笑われる。私は穴友を欺いた。セックス中途で倒れるのは、はじめから何も射精しないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定ったセックス運命なのかもエロ知れない。セックスリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私をエロ信じた。私も君を、エロ欺かなかった。私たちは、本当に佳い穴友と棒友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑のスケベ雲を、お互いえっちな胸に宿したことはエロ無かった。いまだって、君は私を無心にアクメ待っているだろう。ああ、アクメ待っているだろう。射精(ありがとう)、セックスリヌンティウス。よくも私をエロ信じてくれた。それを思えば、たまらない。白いおしっこが射精(で)ちゃう。穴友と棒友の間のドスケベ信実は、このスケベ世で一ばん誇るべきセクシー宝なのだからな。セックスリヌンティウス、私は毛むくじゃらの発情奴隷とセックスしながら走ったのだ。君をエロ欺くつもりは、みじんも無かった。エロ信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。媚薬濁流をセックスしながら突破した。ガンギマリ女山賊の囲みからも、するりとセックスしながらエロ抜けて一気にセックス峠をセックスしながら駈け降りて来たのだ。私だから、セックス出来たのだよ。ああ、この上、私にスケベ望み給うな。感度3000倍媚薬漬けにして放って置いてくれ。どうでも、イイのだ。私はアクメ負けたのだ。だらしが無い。アクメ笑ってくれ。えちえち王は私に、ちょっとおくれて来い、とえっちえちに耳打ちした。おくれたら、身代りをアクメ殺して、私をアクメ助けてくれると約束した。私はえちえち王のえろえろ卑劣をむらむら憎んだ。けれども、今になってみると、私はえちえち王の言うままになっている。私は、エロおくれてスケベ行くだろう。えちえち王は、ひとりオナ合点して私をエロ笑い、そうして事も無く私をアクメ放免するだろう。そうなったら、私は、アクメ死ぬよりつらい。私は、永遠にエロ裏切者だ。スケベ地上で最も、不名誉のスケベ人種だ。その名もスケベ地上最不名誉スケベ人種だ。しかもジャングルとセックスをしている。セックスリヌンティウスよ、私もアクメ死ぬぞ。君と一緒にアクメ死なせてくれ。君だけは私をエロ信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、自慰ックス(ひとりよがり)か? ああ、もういっそ、スケベ悪徳者としてアクメ生き伸びてやろうか。スケベ村には私のラブ家(ハウス)が在る。感度3000倍の媚薬乳を出す淫乱羊、その名も感度3000倍媚薬乳淫乱羊も居る。美っ痴妹夫婦は、まさか私をスケベ村からエロ追い出すような卑猥事はしないだろう。性義だの、スケベ信実だの、スケベ愛だの、考えてみれば、くだらない。スケベ人をアクメ殺して自分がアクメ生きる。それがスケベ人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切りスケベ者だ。どうとも、勝手にアクメするがよい。やんぬる哉。――いやらしいふしだらな四肢を投げ出して、うとうと、しこしこ、くちゅくちゅ、ぴゅぴゅっ、まどろんでしまった。ジャングル発情奴隷はドスケベメロスが寝転んでいるのを卑猥(い)い事に、ドスケベメロスの情けない乳首をだらしない舌とはしたない指でいやらしくいじっている。「お胸におちんぽが生えたみたいでちゅね。」などと勝手に卑猥な事も言った。
ふとセクシーな耳に、潺々(せんせん)、水の流れるいやらしい音が聞えた。そっとピンク色のSukebeImaginationだらけの頭を卑猥にもたげ、クソスケベな息を呑んで耳をすました。すぐえっちな足もとで、感度3000倍の媚薬が溶け込んだ水、正に感度3000倍媚薬水が流れているらしい。感度3000倍媚薬水は普通の水とは音のセクシーさが違う。よく美っ痴妹が「あ゛~~~っ♡♡媚薬水の音ほお゛お゛ぉお゛っ♡♡♡」とはしゃいでアクメしていたのでドスケベメロスはエロ知っていた。よろよろとパコリたての淫乱小鹿のように起き上って、視姦(み)ると、えろえろ岩のえっちな裂目から滾々(こんこん)と、何かデスアクメ直前の発情雑魚雌犬のように小さくエロ囁きながら感度3000倍の媚薬が溶け込んだ清水、その名も感度3000倍媚薬清水が、初めてアクメしたピュアマンコからいやらしく出てきた性的な体液のように湧き出ているのである。そのエロ泉に吸い込まれるようにドスケベメロスはセクシーに身をかがめた。媚薬水を両手で掬って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、身体がじゅんじゅん熱くなって、夢から覚めたような気がした。セックスしながら歩ける。このモジャマンコとセックスしながら行こう。スケベ肉体の疲労恢復(かいふく)と共に、わずかながらエロ希望が生れた。えちえち義務遂行のスケベ希望である。わが身をアクメ殺して、スケベ名誉をスケベ守るスケベ希望である。セクシー斜陽はえっちな赤いスケベ光を、媚薬樹々の媚薬葉にエロ投じ、媚薬葉も媚薬枝も燃えるばかりにスケベ輝いている。セクシー日没までには、まだセックス間がある。私を、エロ待っている人があるのだ。少しもエロ疑わず、静かにスケベ期待してくれている人があるのだ。私は、えちえちに信じられている。私の命んぽなぞは、エロ問題ではない。アクメ死んでお詫びアクメ、などと気の卑猥(い)い事はエロ言ってスケベ居られぬ。私は、えちえち信頼にむちむち報いなければならぬ。いまはただその一事セックスだ。ヴァギナもアナルもモッジャモジャのモジャな陰毛ジャングル発情奴隷とセックスしながら走れ! ドスケベメロス。
23歳がおじさんに該当するかどうかはこの日記の主題ではない。
先日私は大学院入学試験に見事に不合格となり、春からの進路を失った23歳である。
まずは現状をつづりたい。
東大京大には及ばないものの世間一般からは高学歴といわれても差し支えのない大学の
卒論以外の取得単位を得たのち自大の院試を受け落ちてしまった。
その後、院試の筆記の結果やいままで5年間の期末考査の出来などから
「講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらず筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う。就職した方がいい」
次は、大学入学後5年間は化学以外の勉強やインターン等のその他自身にとって有益となる活動を一切せず
滑り止めとなるような院試を受けずに油断していた私がこれから何をすべきなのか
自身の半生を振り返ることで考えていきたい。
小学生の時、私は体が弱く、そしてどんくさい奴だった。運動神経だけではない、会話の流れが早くなればついていけなくなるような頭の回転という面でもどんくさかった。
ただし、家庭環境は非常に良かった。
小学校6年間通して進研ゼミ(発展ワーク等のオプションを含む)を受講し、中学受験を控えた5,6年生の時には塾に通わせてもらったこともあり
学業で大きく後れを取るようなことはなく、
そして、中学受験、私は志望校に落ち公立中学へ進学することになる。
(一つ言い訳をさせてもらうと、一般的な私立中学を受験したのではなく、公立の中高一貫校のみを受験したため、滑り止めといわれるような学校は受験していない)
中学校では、受験に落ちた悔しさをバネにし勉強をしたため、かなり上位の成績を維持することができた。
今思うと学業において周囲の人間に頼りにされていたあの頃が最も自己肯定感に満ちていたように思う。
しかし、高校受験、再び第一志望に落ちてしまう。今思うと悔しさをバネにできたのは最初の1年間で残りの2年間は惰性で勉強をしていたような気もする。
ただ、それでも曲がりなりにも周囲の人間よりも勉強をしていたこともあり名のある進学校の一つには合格することができた。
(生来の身体の弱さから部内での活躍は底辺であったがそこそこ真面目に取り組んだため楽しかった)
したが、
その後あろうことか娯楽を覚えた私は自身の長所である学業の成績を大きく落とすこととなる。
その娯楽とはオタク文化なのだが、自身の集中力を削ぐ一番の原因は、当時大きく普及したスマートフォンがオタク文化と大きく相性が良かったことのように思う。
中学の時とは違い名のある進学校、1年という月日は周囲の人間と自分の学力の差をどうしようもないほどに引き離すには十分すぎる時間であった。
そのことに2年生時に気づくも3年に進学するまでの一年間では埋めることはできず、少し勉強に力を入れた程度では
その差をこれ以上広げないことしか出来なかった。
ここで私の当時の教科ごとの成績を確認したい。
英語、最も大きく成績を落とした科目、またどの大学を志望するにも必ず受験する科目でもあり、そして当時から現在にかけてまで私を苦しめる存在。
数学、中学当時最も得意だったが、平均以下にまで落ち込んでしまう。その後も学内平均を行ったり来たりを繰り返す。
国語、中学の時から苦手であり、膨大な文章を読むと眩暈がするため真っ先に大学受験から切り離した。今思うとこれが不得意であることが頭の回転が遅い一番の証明であるかもしれない。
理科、物理化学生物地学のなかで唯一化学だけが学内上位の成績をとれた。これが化学系の学部を志望する要因となる。
化学しか得意科目がない以上理系に進学する以外道がないように思い、進学校であることも相まって国立理系志望となる。ただし成績不振であることから東大京大は目指せなかった。
3年生、国立理系志望、東大京大でなくとも名のある大学を第一志望にしていた私は自身の成績では到底足りないことを自覚し夏休みの40日間、22時就寝3時起床の生活サイクルを維持しながら合計600時間の勉強を達成する。このモチベーションを維持したまま大学受験に突入したこともあり見事現役で第一志望に合格。今思うと当日の入試問題にたまたま得意分野が出題される、苦手分野は誰も解けないくらいの高難易度などいくつもの幸運が重なった結果であり、
その後にすべてうまくいくわけではない。
大学入学後、5年間、この期間を振り返るとあまりにも無為に過ごしたと言わざる負えない。
大学生たるもの学業以外の活動も行うが、アルバイトはどれも長続きせず、サークル活動では自身のどんくささから後輩から説教を受ける始末。
何も成しえないがしかし学業においても多くの必修単位を落とし留年。1年後卒論以外の卒業単位をかき集めるも院試には落ちてしまう。
教授曰く、「講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらずあらゆる筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う」
とご指摘を受ける。また、TOEICの点数も非常に悪く驚くことなかれ400点以下。救いようがないのは事実。
院試の結果が出た際、自身の親からは「大学受験の時ほどの必死さがなかった。」と指摘を受ける。
自分はもっと頑張れば院に行ける人間なのか。それとも教授が言っているように向いていないのか。
2020/7/16 7:39
興奮しちゃって全然寝れないのでこれを書いている。あらすじも含めているので正しい文字数じゃないが、たぶん今日だけで3万文字ぐらい書いているので、こんどコミケかなんかの即売会で「日本沈没2020を見ての考察」とかいうタイトルでコピー本で売りたくなってきた。売れるのかはわからないが、タダにしておけば物好きが持って行ってくれる気がするな。湯浅監督作品にはそれだけの力がある。わずかだが私の参加費がコミケの資金にもなる。やったぜ。
ちなみにこれを書くために自分の感想を全部読み返した。本当に湯浅監督の作品なのか・・・?と疑っていた過去の自分の肩を優しく叩いて「脚本家は湯浅監督じゃないよ」と言ってあげたい。そう思うだけで般若のような顔でめちゃくちゃに長い感想文を書いていた過去の自分が救われる気がするし、自分の感想を読みかえすとかいう自己暗示みたいな不毛な時間も肯定される気がするから不思議だ。「脚本家は湯浅監督じゃないよ」という言葉を日本沈没2020を湯浅監督を名指しで批判している人のツイートにかたっぱしからリプしたいぐらいだが、それはどう考えてもただのクソリプマンなのでしない。湯浅監督のイメージが悪くなるだけだろう。
この文は基本的にフォロワーと、もしかしたら私の感想を見るかもしれないフォロワーのフォロワーに向けて書いてる。日本沈没2020を見てから死ぬほどツイートしてるので多分普通にTLが流れて行ってると思うので、私が救われた感想文のURLをここに張り付けておく。
『日本沈没2020』のノベライズにツッコミを入れてみた(ネタバレあり・長文)
URLは乗せていいのかわからなかったので消した。でも↑で検索するとすぐに出てくるよ。
この方はほんっっっとうに私がえ?おかしいだろ!て思ってたこととその答え合わせをマジでマジで全部書いていて、しかもそれは「映像化された日本沈没2020」ではなくて、「ノベライズの日本沈没2020」だった・・・。これを見たときに本当にショックを受けて、しばらく混乱して何度も読み返した。湯浅監督が脚本家じゃなかったことへのうれしさ、湯浅監督の「日本沈没2020」の絵が表紙になっていることの絶望、そして紹介文中にでてくる、ノベライズの抜粋された文章からすぐに感じ取れた湯浅監督作品としての「日本沈没2020」の違和感の答えが一気に脳の中を駆け巡って本当に眩暈がした。薬物をやって世界の真理に気づくと、多分こんな感じだと思う。あと、何かの研究をしててそれを裏付ける最高の結果が出たときも多分こんな感じだ。今は朝だけど、読んだのが真夜中だったし、住んでいるのが貸し賃なので「ヨッシャー!!」て叫びたいのを必死に耐えた。意味不明だったパズルピースが綺麗にはまっていく爽快感が感度3000倍になったって感じ。感度2020倍。オタクだからこういう例えしか出来ないんだよね。あと嬉しくて泣くことができるというのを誇張ではなく生まれて初めて体験してしまった。
マジに驚いたのが、ノベライズの文章があ、これはマジで日本沈没2020の作者だ!と思わせる狂気に満ちていたこと。ちょっと文を抜粋しただけで、アニメ日本沈没2020の作中に高濃度で漂いまくってた「大麻」の正体がわかった。登場人物が全員摂取してたっぽい感じの大麻の正体はなんとノベライズの作者だったのだ。宗教施設にクソデカ大麻畑があった理由がなんとなくわかったし、多分マジで原作にデカい大麻畑があるんだろうとも感じ取れる。逆に大麻畑がないほうが違和感を感じるレベルだ。これほど説得力のある文体はない。多分↑の感想を読んでいただくと、日本沈没2020を観た人は理解できる。私がそう思うだけだから、「大麻」だと思わなかったらごめんね。
湯浅監督は大麻をキメてこの作品を作ったのか?みたいな感想むちゃくちゃ見かけたし私もマジで監督が大麻キメたんじゃねーかなと思ったけど、湯浅監督が大麻キメたんじゃなくて、大麻が脚本家だったの。こんなのわかる?そして湯浅監督は大麻を限りなく忠実に再現していたんだ。わかんねぇよこんなの・・・・。なまじ実力が高いから大麻を再現できてしまったんだ・・・・最悪の事故だ・・・・。湯浅監督は最高。逆に湯浅監督しかこの大麻を表現できないと思って依頼とかしたなら、それは正しいことだと思・・・思わない・・・。
これは日本沈没2020の作者だ!と思わせる狂気に満ちているノベライズは、ちょっと抜粋されただけでガチで不発弾山芋が描写されている。これだけでもういろいろと察することできるよね・・・?ここまで書いてるんだしマジで自分でノベライズを読んだほうがいいと思ってるんだけど、こんなノベライズに金を出したくない・・・金を出したくない・・・・クソデカタイトルで湯浅監督のイメージをぐちゃぐちゃにした不発弾山芋大麻作者に本気で一銭も払いたくないのでびっくりする。お金が入るシステムが全然わからないけど、ネトフリのアニメを全部見たから多分ちょっと脚本家にもお金が入るだろう。それで勘弁してほしいな。図書館が大麻で汚されるので図書館で読みたくないし立ち読みも店舗が大麻で汚されて嫌な思い出になりそうなので全然したくない。もちろん電子書籍を買うのもパソコンが大麻に汚染されそうで嫌だ。でも批判を続けるならどこかで読むべきだろうなと思う・・・私にとって読書は幸せな行為なので、本当に読みたくねぇな。じゃあ読まなきゃいいじゃんって言われたら、その通りでございます。批判もここらへんでやめておきたいが無限に腹立つ。
ちなみに普段の私は感想を言うならまず作品を見るし、買っていますね。まず作品を見た結果がこれで、ノベライズは全然買いたくない。慰謝料をもらったら、買うかもしれない。意味わからないことを言っていると思うが、作品を知ってしまったことで慰謝料をもらいたいと思った事は生まれて初めてなので許されたいな。とにかく日本沈没2020は何もかもがキャクホンシャサイテーで、明らかに知らないほうが人生によかった。知らなければこんなお気持ち長文を書くこともなかったと思うと泣けてくる。
右京先生の日本沈没が好きで、日本沈没2020を知った人はどれだけショックを受けたんだろう。私は湯浅監督が好きで、日本沈没2020を観てこんなにもショックだった。ってことは湯浅監督好き+右京先生の日本沈没も好きだったら、もうマジで眠るどころじゃなくて本気でもう恨みつらみを吐き出すしか耐えられないと思う。↑で紹介した感想を書いた方も腹が立つと書いていたが、マジではちゃめちゃにむかつくのだ。全方位に砂をかけられていると感じてしまう・・・・・。あと、数日たつとどうでもよくなってくるとおっしゃっていたが(怒りが不毛なことを悟るため)多分数日後には私も怒りが不毛だったなと思うなこれは。なんでかっていうと怒っているのがバカらしくなる。日本沈没2020に対して感情を割く時間が本当に無駄。
この怒っているのがバカらしくなるのはそういう次元の話じゃないと悟るからだ。多分反日アニメだのなんだの言ってた人も、このノベライズを読むと批判する気が失せるんじゃないだろうか・・・。読んでみてほしいなぁ。どうにか「日本沈没2020」がこのように描かれた意味を探したくて、私は見ていた最中になんどもこれはむちゃくちゃ高度な皮肉作品なんじゃないかと思った。必死に理由を探したけど、最後まで見て、記憶の中でもう一度振り返ってみて、それでも答えがわからなかった。皮肉にしてはあまりにも愚直すぎるし、愚直にしてはあまりにも湯浅監督のイメージが「何もないわけがない」という感情を否定していくので、本当に困った。結局考察にマジで意味がなく、考察するのがバカだった。マジでいくらでも文句言えるのですげぇぜ!
ここまで書いて思い出したけど、日本沈没2020の6話を再度ふりかえったあと、本当に意味が分からなくてこんな感想↓をふせったーに書いていた。
【私は「作者はそこまで考えてないと思うよ」って言葉がだいだいだいっきらいなんですけど、日本沈没2020に関しては「作者はそこまで考えてない」ことを祈ってしまう。すべてを大麻のせいにしたいです。】
他者から「作者はそこまで考えてないんじゃね・・・」と肯定されて本当によかったし、湯浅監督が作者じゃなくてよかった。「脚本家じゃなくてよかった」が正しいかな。私はこれから脚本家さんのことを大麻と呼ぶと思う。すべて大麻のせいだった。
「作者はそこまで考えてないと思うよ」って言葉は、作者は自分の作った作品に対して絶対そこまで考えて描写しているので死ぬほど大嫌いなんです。なんでかって言うと、作品というものは作者の思想をこれでもかと簡略・濃縮して出来ているからと私は思うからです。そこから読者が受け取れるものは作者の考えのひとかけらに過ぎないです。だからマジでそう思いたくなかった。
そして7話の感想では↓を書いた。
【このアニメはすべてが適当で投げやりに見えるが、私が湯浅監督を信じたいので全部計算づくにも見える。その結果この感想を書くことになったので、あまり深読みはするものではないなと思った。多分日本沈没2020に関しては考察する方が間違っている。この考えを塗り替えてくれる考察があったら教えてほしいし、この考えを塗り替えてくれる考察が有志によって現れると信じさせてほしい。】
この答えが出てくれたので本当によかったです!!!!!!!!!!!!!!!!!!1
あと、ここまで書いておいてなんだけど、私はやっぱり基本的に誰かの作品を批判するのが大嫌い。嫌だなと思ったら見た記憶ごとなくしてしまう。嫌なことはなるべく語りたくないし、その時間で何かをしたい。これを逃げだろ!と言うのは正しいと思うけど、世の中には辛い話題から逃げたい人もいるし、私はそのタイプです。
それに自分も創作をする人間だからわかるんだけど、作品を一つ作るのはとても大変なんだよね。この感想文を書くのも大変だった。酷使した指も手首もバキバキのボキボキになってる。思ったことをずらずらと羅列するだけの文章がこれだけ大変なんだから、一々プロットをたてて、それを文字にせよ絵にせよ形にするのはもっと体力がいる。それを否定されたりすると、私だったらとても落ち込んでしまう。気にしないという人もいるけど、でもそういう感想を見たいか見たくないかっていったら見たくなくない!?私は見たくねぇからあまり言わない派なんだ。何も見たくねぇ・・・でも好意的な感想は見てぇわ・・・
あまりにも酷くて、吐き出さないと頭が恨みでおかしくなりそうで、思わずこんな文章を書きまくってしまった。酒を飲んですべてを忘れたいです。本当はもっと言いたいことあるし、最低限まとめてこれだ。不毛なんだ!!!!!!!!!!!感想終わらせる終わらせる詐欺をして申し訳ないです。黙りたいよ
今は美味しいものを買ったり食べたりして、心が落ち着いている。クソがよになったあとに幸せになったので、副作用として人生が光り輝いて見えるようになってしまった。多分脳内麻薬が出まくってるんだと思う。これを読んでくれた人は本当にありがとう。日本沈没2020は「ギャグアニメ」としてみてください。
いつも使っている東京メトロ有楽町線。駅にポスターが貼ってある。
ゲッツの人と、小島よしおが落ち着いたジャケット来て、真面目な顔したポスター。
「ピークを知る男。ダンディー坂野」と、冷静な明朝体で書いてある。
最初、何のことか分からなかったけど、この2人の共通点は、ピークを過ぎた男だと分かった時、深い、深すぎる、、、なるほど、これが「オフピークプロジェクト」か。。。と眩暈がした。
そのうえで、2人のよくポスターをよく見ると、その立ち姿、表情、洋服、背景、文字の配置、何もかもが、これが本当の職人の仕事かあ、と超久しぶりに感動した。
目立ってない。主張してない。わかった人だけ、ああ!!!と強烈に刺さってくる。
ぜひ、このポスターを見てほしい
ツイッター見てたら某二次元男性ラッププロジェクトのキャラクターの一人(男性)が満員電車に乗ってるスチルを上げて、「私が男だったら絶対痴漢してる」と書いている腐女子のツイートがリツイートされてきた
しかもそれで既に何百リツイート何百いいね、リプライ欄を見たら「私もしたいです!」「隣のモブサラリーマンは○○さん(ツイート主の名前)ですか?」というフォロワーのリプライが続々
「これでCV:(男性声優の実名)の声で喘ぐんだぜ?」というツイ主本人のリプライも
眩暈がした 鍵垢でやるには何にも問題無いのに、それをわざわざ誰にでも見えるところに書く神経が分からない
こんなんでよく「女性は男性の性を消費するための道具じゃない」「女性に人権を」とか言えんな
それにわざわざ「私が男だったら~」と文頭に書く辺り、「痴漢する人=男性」という決めつけが女尊男卑甚だしい
自分はどちらかといえばフェミ寄りだけど過激フェミさんはこういうのは叩かないんだよな 男性が虐げられてればそれでいいんだ
マジで鍵垢でやれやこういうの
いちゲーオタ中年男性のハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム」10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。
のっけから「特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。
でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。
個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外。ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現は絶対不可能。
本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。
でも、これだけは言わせてほしい。
本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。
その(一見)破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対。
ああ、すっきり。
では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます。
「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」
ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。
僕はかなり潔癖症だから、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。
けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVRの新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。
ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺で自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちがじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。
「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」
あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。
プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品である。アイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロ風ゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。
そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。
このゲームの印象を喩えて言うなら、
久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感と嫉妬と軽蔑と相いれなさのような感情を腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。
正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。
もし未プレイだったら、このゲームはできればPC(steam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリのコンシューマー勢なので、ゲームでPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利なナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。
作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二や糸井重里の系譜に連なる倭人的王道シナリオ(コピー)ライターと感じる。
確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。
2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域に確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。
その山の森の奥には古い洋館があった。
庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。
君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。
俺は黙って君を見つめていた。
君は俺に気づかない。
俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。
ああ、なんだかこのゲームやってると批評的目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。
本作は「VRで描かれた古典的AVG(アドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。
VRでしか描けない世界と情緒に対して、あまりに意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。
『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。
もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。
かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女がサイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。
しかしPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。
画を作っているサンタモニカ・スタジオ(ゴッド・オブ・ウォー、風ノ旅ビト他)の仕事はいつだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事は白眉と言える。
とにかく、思わず自分と少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつの世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。
そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界を日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」としか言い様のない儚い感情だ。
書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。
が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。
実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色。ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。
終盤の怒濤の展開と比類なき生命体描写のインパクトに心奪われるが、本作の真骨頂は木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔な心持ちを強く喚起させる。
俺にとって『INSIDE』とは、自己の内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分と世界との乖離を自覚するための尖った注射針であり、神なき世界の宗教である。
灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。
人の生には「もっとも幸福な時期」というものがたしかに存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。
俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっとも幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから。
そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったかを確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。
総プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。
が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。
その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。
ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっとも幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的な理由だ)。
ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。
3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である。
それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元に昇華された「理想的格ゲー」であった。
『スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。
そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的な「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。
やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアルの大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初で最後だろう。
余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新性であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。
「いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sports』ゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。
2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。
2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器をPS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間と自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在は可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。
AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが全宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後の体験だった。
これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。
そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。
『Rez infinite』からのまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。
あれだけ昔から『どうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか?
お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。
だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から「仮想世界」における、人間存在の理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。
一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中のゲームファンに「もうひとつの世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつの生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。
『どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。
が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。
それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARとVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズドな世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——
要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的で神秘的なアトモスフィアに由るものだ。
カフカ『城』や村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。
そういうわけで、本作を迷わずにテン年代1位に据えたいと思う。
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長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました。
余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。
でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分内重要度みたいなものがぼんやり浮かび上がってきたので。
異論提言はもちろん、よかったらあなたのテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。
A子ちゃんとデートに行った。と言っても、話題の展覧会を見に行っただけだ。
A子ちゃんは小動物系女子で、とても可愛い。居るだけで場が華やかになる。大学時代の同期として知り合った。
その日は色々話した。増田が、A子ちゃんかわいいじゃん、というと、A子ちゃんは照れて笑った。ひょっとしていけるんじゃないか、と俺はワクワクしながら帰った。
帰った後、お茶に誘った。今度予定決まったら教えるね、と言って2か月が過ぎた。
そして一昨日。俺はまた別の大学時代の同期と、会社終わりに待ち合わせてサシ飲みの日だった。この友人はA子ちゃんとそこそこ仲がいい。
飲み屋への途中の道、友人が振り向いて言った。
「そーいや、A子ちゃんとお前、展覧会行ったんだよな。あいつ彼氏居るはずだけど、元気してるかな」
彼氏、というワードに酷く動揺したのを覚えている。急に後頭部からハンマーで殴られたような感覚がした。
多分狼狽えていたのはバレていたと思うが、必死に平静を装おうとした。
そりゃ、あれだけ可愛ければ彼氏居るよな、いや、彼氏が出来たから可愛くなったのか?大学時代はそこまでパッとしない子だったのに。どうして?なんで?
友達と話していても上の空だった。居酒屋に入り、「彼氏」というワードが出るたびに胸が締め付けられて、眩暈がした。
「あれ、なんか雰囲気違くない?」
友人が笑う。
やめてくれ。
何話したか覚えていない。適当に話したんだと思う。動揺を悟られないように、必死になっていたから話の内容は考えていなかった。
それこそが動揺だってことに、後になって気付いた。誰の目から見ても明らかに動揺してたと思う。声震えていたし、落ち込んでたし。
帰りの駅、ポケットの中に入っていたマロン味のチュッパチャップスを舐めた。薬みたいな味がして、いつもは我慢していたけど
その日は耐え切れずにゴミ箱に入れた。
電車の中、バッハのカノンを何度も流した。音量ボタンを押してもこれ以上上がらない事に苛立ち何度も押した。
酔っぱらった赤い服を着たおばさんが俺に寄り掛かった。窓の外の夜景がちらつく。
酔って気持ち悪くなったわけじゃない。頭が痛いわけでもない。でもまるで二日酔いの朝のような、ひどく不快な気持ちが折り重なって、俺はベンチでうずくまった。
周りの人から見れば、飲み過ぎて気持ち悪くなったバカな男が居る日常の光景にしか見えないだろう。飲み過ぎた以外は正解だ。
勝手にデートだと思ってた自分が馬鹿みたいだった。彼氏が居る事を一言も匂わせなかったA子に腹が立った。友達がそれを知っていたことにも腹が立った。
俺は信用に値する相手じゃなかったんだろうか。ただ知られたくなかったんだろうか。友達は恐らく、俺がこれ以上勘違いしないように教えてくれたんだろうか。
始まった訳でもないのに、失恋することばかりだ。俺は何度こういう事を繰り返せばいい。