自己評価としては、高卒(大学中退した)文系としては科学的にも情報的にもリテラシー高いほうだとは思ってる。
精々マイナスイオンが出るケータイストラップ使ってたり、プラズマクラスターが搭載された掃除機を買ったぐらい。
最近はトクホマークのついたコーラ飲んだりヨーグルト飲んだりしてるぐらい。
新興宗教にハマってしまった知人にお金貸したこともあるけど、世話になったし、帰ってこなくてもいいや、ってドライに(あー騙されてますねー)って思いながら貸した。
そんな感じで、いざとなって真剣に検討したら上位1~2割に入るぐらいには、論理的科学的な思考や判断が出来ると思ってたし、今まではそうだった。
その場で判断してしまって勢いで自分の意見を出来るだけ持たないようにしてるんだけど、まあそれは大体思った通りの結果に落ち着くのが今まで。
例えば、このニュースはめっちゃみんな賛同してるけど、裏がない(簡単に非難してしまってよい)か? って思ったら、翌日には実はこうでした~、非難してた人は悔い改めましょう~。
みたいな。
だけどたまに、自分の思ってた方向とは違う方の深堀されてく記事ももちろんあって、AというニュースにBという反論が出て、やっぱりにわかに判断したらいかんね、って思ってたらAを擁護してBを非難するもっともらしいCが現れたりする。DとかEとかまで行くともう追いきれないとか、学術論文の世界に踏み込んでったりして、自分の能力では判断できない、意見を持てないって状況に頻会する。
これって、今まで一応裏取りする気でいたけど、暇もなかったし感覚的に裏取りしないで放置してた案件について最近暇だから、その後も追えてしまうから起こった、ある意味では成長と自分の限界に行き当たったってことなのか、
一見正しいっぽいことに対して、ちゃんとした批判が目につきやすいような世の中になってきたのかどっちなんだろう。どっちもなのかな。
それはともかく、他の増田はどのくらい自分の判断を疑ってたり、ちょっと怪しいとかそんなに怪しくもないものに対しての確度をどうやって担保してるんだろってのが知りたい。
あ、ブクマカさんは反射でブコメ書いて、その後そのブコメがめっちゃ恥ずかしいこと書いてることになってもなかったことにするタイプの人が多そうなので意見とかいらないです。
羽根布団のカバーを洗い替えて、形を整えるためにポンポンする時の雑な音。
新しい玄関屋根に雨の降る音がするんだけど、すりガラス状の白いポリカなので温室みたいで、ときどき雨粒を屋根の下からコンテナに座ってみてるよ。
水出しの緑茶を注ぐ音。
開封した状態で冷蔵庫にいれて1週間くらいなら食べる(もちろん、唾液のついたスプーンはつっこんでいないもの)
あとソース・マヨネーズなど調味料はみんなそれ書いてあるので、
今冷蔵してあるなかでは紙パック開封したトマトうらごしが3週間くらいたっててちょっとヤバい
たぶん次のゴミの日に箱ごと捨てる
舞台が横浜の磯子区の小洒落た住宅地なんでしょ。実は磯子区の小洒落た住宅地って限られるし(近接区でも、中区か金沢区ならわかる、青葉区都筑区は海がないので横浜とは認められない)、地元なのでそのうち見たいなと思ってはいる。
増田は可愛くないよ
「俺を助けるってことは、助けるだけの素晴らしい価値が俺にあるからだ。なら助けさせてやろうじゃないか」
っていう、日本人(というか世界中の人)からすると斜め上の発想があるのです。
なので、感謝も感じず(もちろん一部まともな人は感じる人もいるだろう)「ほらやっぱ俺が大事なんじゃねーか。じゃぁ自分の喉元にナイフ突きつけて脅せば、あいつらきっと譲歩してくれるぜw」っていうような外交を本気でやってくる国なのです。
なので、軽々に助けたりすると後々厄介なことになりかねないんですよねぇ。
ほんっっっっっっっとめんどくさい国です。
女は屋外労働をやれ。