2020-08-28

院試落ち 教授からは才能がないと言われた23高学歴童貞運動音痴コミュ障子ども部屋おじさん

23歳がおじさんに該当するかどうかはこの日記主題ではない。

この日記は似た境遇経験した方々を探したいという思いと

自身の半生を振り返りたいという思いからつづる日記である

先日私は大学院入学試験に見事に不合格となり、春からの進路を失った23である

まずは現状をつづりたい。

東大京大には及ばないもの世間一般から高学歴といわれても差し支えのない大学

化学系の学部入学し、その後一度の留年を重ね、

卒論以外の取得単位を得たのち自大院試を受け落ちてしまった。

その後、院試の筆記の結果やいままで5年間の期末考査の出来などから

講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらず筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う。就職した方がいい」

アドバイスを受けてしまった。

次は、大学入学後5年間は化学以外の勉強インターン等のその他自身にとって有益となる活動を一切せず

滑り止めとなるような院試を受けずに油断していた私がこれから何をすべきなのか

自身の半生を振り返ることで考えていきたい。

小学生の時、私は体が弱く、そしてどんくさい奴だった。運動神経だけではない、会話の流れが早くなればついていけなくなるような頭の回転という面でもどんくさかった。

ただし、家庭環境は非常に良かった。

小学校6年間通して進研ゼミ(発展ワーク等のオプションを含む)を受講し、中学受験を控えた5,6年生の時には塾に通わせてもらったこともあり

学業で大きく後れを取るようなことはなく、

自身の頭の回転の遅さを自覚することなく育っていった。

そして、中学受験、私は志望校に落ち公立中学へ進学することになる。

(一つ言い訳をさせてもらうと、一般的な私立中学を受験したのではなく、公立中高一貫校のみを受験したため、滑り止めといわれるような学校受験していない)

中学校では、受験に落ちた悔しさをバネにし勉強をしたため、かなり上位の成績を維持することができた。

今思うと学業において周囲の人間に頼りにされていたあの頃が最も自己肯定感に満ちていたように思う。

しかし、高校受験、再び第一志望に落ちてしまう。今思うと悔しさをバネにできたのは最初の1年間で残りの2年間は惰性で勉強をしていたような気もする。

ただ、それでも曲がりなりにも周囲の人間よりも勉強をしていたこともあり名のある進学校の一つには合格することができた。

高校の時は文武両道を目指し運動部にも所属

生来身体の弱さから部内での活躍底辺であったがそこそこ真面目に取り組んだため楽しかった)

したが、

その後あろうことか娯楽を覚えた私は自身長所である学業の成績を大きく落とすこととなる。

その娯楽とはオタク文化なのだが、自身集中力を削ぐ一番の原因は、当時大きく普及したスマートフォンオタク文化と大きく相性が良かったことのように思う。

中学の時とは違い名のある進学校、1年という月日は周囲の人間自分学力の差をどうしようもないほどに引き離すには十分すぎる時間であった。

そのことに2年生時に気づくも3年に進学するまでの一年間では埋めることはできず、少し勉強に力を入れた程度では

その差をこれ以上広げないことしか出来なかった。

ここで私の当時の教科ごとの成績を確認したい。

英語、最も大きく成績を落とした科目、またどの大学を志望するにも必ず受験する科目でもあり、そして当時から現在にかけてまで私を苦しめる存在

数学中学当時最も得意だったが、平均以下にまで落ち込んでしまう。その後も学内平均を行ったり来たりを繰り返す。

国語中学の時から苦手であり、膨大な文章を読むと眩暈がするため真っ先に大学受験から切り離した。今思うとこれが不得意であることが頭の回転が遅い一番の証明であるかもしれない。

理科物理化学生物地学のなかで唯一化学けが学内上位の成績をとれた。これが化学系の学部を志望する要因となる。

社会センターのための倫政以外の勉強は一切しなかった。

化学しか得意科目がない以上理系に進学する以外道がないように思い、進学校であることも相まって国立理系志望となる。ただし成績不振であることから東大京大は目指せなかった。

3年生、国立理系志望、東大京大でなくとも名のある大学第一志望にしていた私は自身の成績では到底足りないことを自覚夏休みの40日間、22時就寝3時起床の生活サイクルを維持しながら合計600時間勉強を達成する。このモチベーションを維持したまま大学受験突入したこともあり見事現役で第一志望に合格。今思うと当日の入試問題たまたま得意分野が出題される、苦手分野は誰も解けないくらいの高難易度などいくつもの幸運が重なった結果であり、

担任教師からですら浪人すると思われていたが、合格した。

人生で初めて第一志望に受かった瞬間だった。

しか第一志望に受かったからと言って

その後にすべてうまくいくわけではない。

大学入学後、5年間、この期間を振り返るとあまりにも無為に過ごしたと言わざる負えない。

大学生たるもの学業以外の活動も行うが、アルバイトはどれも長続きせず、サークル活動では自身のどんくささから後輩から説教を受ける始末。

何も成しえないがしか学業においても多くの必修単位を落とし留年。1年後卒論以外の卒業単位をかき集めるも院試には落ちてしまう。

教授曰く、「講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらずあらゆる筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う」

とご指摘を受ける。また、TOEICの点数も非常に悪く驚くことなかれ400点以下。救いようがないのは事実

院試の結果が出た際、自身の親からは「大学受験の時ほどの必死さがなかった。」と指摘を受ける。

自分もっと頑張れば院に行ける人間なのか。それとも教授が言っているように向いていないのか。

上記のように自身が今まで頑張ったことが勉強しかない人生。その勉強ですら院試落ちという結果に終わってしまった。

就活、ほかの大学院受験など選択肢は無数にあるがどれを選択するのが自分にとって最善なのかわからない。

  • コロナの影響で今年の就活は大惨事になることが明らかなので、可能ならどこかの院に潜り込んでやり過ごすのが良い。2年後もおそらく日本経済は酷い有様だが、今年より多少はマシで...

  • 東大の院受けろよ あそこなら誰でも受かる 自大に固執するな

  • 冬も院試はあるよ。できるだけ長く学生やろうや。大学院行ってからインターンとか全然あるぞ

  • 頑張ったことが勉強しかない人生 傾倒するな。。

  • あなたが死ぬほど好きなことが科学のどこかの分野にあるのなら頑張って大学院を目指すのは間違いではないと思います。

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