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はてなキーワード: 旧体制とは

2024-01-29

Twitter地獄、誰のせいで死んだか犯人探し

日テレのせい

脚本家のせい

製作委員化のせい

テレビ局のせい

本人のせい

 

こいつらマジで無自覚なんだな

 

2.4万いいね

いやこれ芦原氏から原作変えるなと念押されていたにも関わらず、日テレ脚本変えて放送した結果、こんな最悪の結末になってしまったんでしょ。

なぜ作品を1番愛してるであろう作者がこんな結末を辿らなくてはいけないのか。

日テレご冥福をお祈りしますじゃ済まされないよ。

 

1万いいね

原作自殺って最悪の結末。

それに対して日テレコメントがあまりに残念すぎる。

日テレは今後原作とか使わないで自力ドラマ作った方がいいよ。

人は簡単に死を選ぶんだから相手尊厳尊重できない旧体制のままなら、もう何もしない方が社会のため。

芦原妃名子さんのご冥福をお祈りします

 

1.8万いいね

芦原先生、考える限りの最悪の結末。

条件付で許可した実写化

条件無視する製作委員

権利行使作品を守る原作

何故か被害者面する脚本家

世間事情説明をする原作

何故か黙り製作委員

騒動、巨大化、ポスト削除

数日後に原作自殺

原作者を自殺に追い込んだ委員会に名前変えろや。

 

4000いいね

最悪の結末とか全く考えてもなかったけど原作自殺って…

完結してないかドラマ原作の内容が違ってて原作者が謝罪した後にネット原作者悪くないのにってなったら原作者の芦原妃名子先生攻撃したいわけではとポストしたけどInstagramでは脚本家相沢友子さんが原作者に責任なすりつけて…

 

4000いいね

最悪の結末。

脚本家相沢友子氏の余計なインスタ投稿さえなければ原作自殺はなかったのでは…。

日本テレビセクシー田中さんHP言い訳してないで、原作クラッシュしてしまった経緯を明確にして、再発防止に繋げないと負の連鎖は止まらないと思う。

本気で反省して。じゃないと浮かばれないよ。

 

当事者言葉

攻撃たかったわけじゃなくて。 ごめんなさい」

 

_____

 

追記

ヤフコメでも同じみたいだ

 

共感した 1.1万

ドラマ化する時には、TV制作サイドはちゃん原作に対してリスペクトをもって望んでほしい(以下略

共感した 5000

もう今後、漫画家さんにはお互いの為にドラマ化の話には乗らない方がいいかもしれませんね。(以下略

共感した 4000

自分記憶の中で

漫画ドラマ化での改悪で一番酷かったのが(以下略

 

まじで信じられない

さすがに自分が間違ってるのかもしれないと思えてきた

炎上・バズがなければ人は死ななかったと思ってるんだが違うのか?

どっちだとしても怖いよ

何にしても距離を置くわ

 

はてブもだろっていう意見あるけど多分そうだと思う

でも最初のバズ記事はてブコメントは避けたから見てないんだ

地獄が容易に想像できた

 

続き

https://anond.hatelabo.jp/20240129213843

ダメだ、これ以上のめり込まないようにする

anond:20240126162507

ふと見てみたらすごいことに…こんなにコメントもらうとは思わなかった。文章とっ散らかっててすみません。納得するところも初めて気づいたところもありで、思ったより簡単な話じゃなかったようなかえってシンプルでもあるような、やっぱり悩んでます。これを踏まえて少し踏み込んでみたので話し合った内容をちょっとまとめてみる。

①現時点での俺や俺実家の考えは?

子供なしの二人暮らし結婚したいと思ってる。事実婚でも構わないんだろうけど、せっかくなら結婚したいなというのが俺の希望。俺の周りは結婚してる友人が多いが地元にいる友達はほぼ子持ち、近くのやつはほぼ子供なし。俺の親については子供好きだけど姉が2人・孫4人いるので足りてる気がするし、彼女のことはかなり気に入ってると思うが遠距離なのでそもそも会う機会はほぼない(故に望む・望まないに関わらずサポートは見込めない)。

②現時点での彼女実家の考えは?

→直接聞いてるわけではないけど彼女の両親は孫に夢ありそう。これまでも彼女は親に知り合いの子供の話をされて反応に困ると言ってた。かなりしっかりしたタイプのご両親なので俺は近くに住んで助けてもらうのもアリでは?と思ってたけど、彼女の反応からしてある程度距離を保ちたいだろうなという感じ。

③「結婚してそのうちしたら俺が子供欲しがりそう」について

コメント見て、あーこれは絶対彼女が思ってることだなと思った。正直子供についてちゃんと考えたことなくて、子育てするビジョンは皆無だった。気がついたら子供がいて家が立ってて、という。子持ちの友達から子供可愛いけどお金の苦労がね、みたいな話を聞いてからうわ、みんなもうそんな歳?と気づいた感じ。はっきり言ってそのくらいの「欲しさ」しかなかったし、子供とどうこうしたいみたいな夢もない。子供にこだわらず彼女とずっと暮らしていく方を選びたいし彼女希望がなければ覆らないと思う。かなり見通しが甘いなとも思うけど。

そもそも彼女子供が欲しい?

→色々な理由がなかったらどうなんだろう?と思ったので聞いてみた。彼女はだいぶ悩んでいる様子で、まとめると「元々子供きじゃないから“子供のいる未来”を望んではいない、でもそれとこれとは別で産むのが当然。“子供を産んで一人前”という考え方に異論はあるし世間は違うだろうが、私は旧体制に準ずるべき」みたいな考えがあるみたいだった。メリットがないって感じ?と聞いたらちょっとニュアンスが違う、「古い一般論として子供は産むべきでそうするつもりだが個人的には要らない、なので可能な限り先延ばしにして有耶無耶にしたい」という感じだった。

彼女子供を産むつもりがある?

→③の話をしている中でつまり将来的には子供を産みたいのかな?と思ったので深掘りしたところ、子供を産んだら不満は飲み込んで「いいお母さん」になるつもりはある。でもあわよくば適齢期をやり過ごしてその後不妊などで逃げ切り完了、が本当は理想と話してくれた。話した感じだと「子供は要らない、持ちたくない」という自分に対する罪悪感みたいなものが大きい気がした。俺の決断だったら支持できるのかな?と聞いてみたら「社会規範から離れることが問題からそれはないよ」とのこと。

彼女は俺より決断力のある人なのでここまで悩んでいる様子を初めて見た気がする。煮え切らなくてごめんね、と言われたのでそれは俺のせいだし人生かかってる話だからすぐには決められないよと言った。なるべく彼女負担を減らしたいと考えたんだけど、これが合ってるかはわからんね…。俺が決めて話した方が楽なのかもしれない。

俺にとって彼女がいうんならそれが正しいし、でも別れるって話になると別だよなという感じ。自分の頭で考えなきゃいけない(そしてそれを彼女に伝えなければいけない)ことだと思うので、もう少し悩んでみようと思います

2024-01-01

2011年twitter(現X)が落ちなかった事には感心したが、怪しげなお役立ち情報RT(現RP)でTLが埋まってしまい、こりゃ使い物にならんと感じてTLの再構築や使い方の見直しをするようになった。

この機に乗じてイーロン体制批判したがる人達散見され、中には頷く所もあるが、旧体制方針が正しかったのかというとかなり疑問がある。

2023-10-14

ヤン・ウェンリー

https://somethingorange.jp/entry/wakararanai

これを読んで、頭の中に出てきたこ


ヤンのような人間を書く場合必要なのは

人物設定をどうすれば、とかではないと思うんだよ

ヤンラインハルトは、無能旧体制に対して対象的に置かれた駒であることは、誰も否定しないでしょ?

旧体制破壊して自身が新しい体制を作り出していくことが許されているラインハルト

旧体制破壊することに対して思想的な枷を嵌められたヤン

民主制に対して強制力を発揮することが、すなわち民主制否定という、わかりやす舞台装置

あの作品世界では、ヤンにもラインハルトにも、汚い野望がない

どちらも根底には理想があり、その理想に沿って忠実に動く駒なんだ

そして、それが実現される世界

普通なアスター会戦はアレだけの負けの中でヤンの指示なんて通らずに潰走してる

ヤンに心酔してるわけでもないのに、部隊の末端までもが指示に完璧に従う

なろうもかくやという、ものすごいご都合キャラだよ

それが違うように見えてるとしたらば、単に世界リアリティラインに引っ張られてるだけ


ヤン怠惰でなくてもいいんだよ

理想燃える能動的な人物だとしても、自身思想足枷になって十全に能力を発揮できないキャラクターとなる

そういうキャラって多いだろ?

オーバーロードのガゼフ・ストロノーフとかもそうだな

あのキャラもなかなかの人気だ


ヤンを「厭世的で皮肉屋で怠惰に見えるが実はすごい才能をもっており、不本意ながら大活躍してしまい周囲にチヤホヤされる」と評価するから間違うんだよ

設定した理想の通りに動くブレのないキャラとして考えると、その辺のキャラと大して変わらないキャラとして認識できるはず

ここまできたら仕組みとしては単純で

「設定のとおりにコマを動かす」ことに納得感がどれくらいあるのかって話になる


銀英伝世界は、なんだかんだ揶揄されながらも、人々の琴線に触れる物語なわけ

同盟しろ帝国しろ旧体制は腐り切っている

片方は、それを根っこから潰してしまう話

もう片方は、正当に評価されないやつが実はすごかったという話

わかりやす

半沢直樹とかと一緒だ

「厭世的で皮肉屋で怠惰に見える」みたいなことは、替えがきくパーツでしかないんだよ

生存バイアスのもの

「厭世的で皮肉屋で怠惰に見える」キャラが人気であることと

その人気の根幹が「厭世的で皮肉屋で怠惰に見える」にあるかどうかは別の話

2023-09-18

anond:20230918105352

旧体制利権からこそ「出る杭は打たれる」の旧体制理論で叩き落とされる

2023-08-06

名興文庫新体制の衝撃 ~「名興本格ファンタジー文庫」の誕生

はじめに

8月4日現代表の退任が以前から告知されていた「名興(なおこし)文庫」の新体制が、正式に発表された。

ttps://twitter.com/naocoshilibrary/status/1687387922541187072

【お知らせ】

名興文庫新体制となりました。

代表代理:天宮さくら

相談役:堅洲斗支夜

ブログに「相談役就任のご挨拶」「名興文庫基本的運営方針」「私という人間について」の記事公開しました

是非ご覧ください。

これが、web小説界隈の一部にちょっとした衝撃を与えている。

この内容のどこがそんなに衝撃的なのか?

この増田ではそれを、部外者にも分かるように順を追って説明していく。

「名興文庫」とは?

名興文庫は、2022年11月始動した電子書籍専門の新興「出版社である

名興文庫とは何か? | 名興文庫

ttps://www.naocoshibunko.com/question/

名興文庫(なおこしぶんこ)は良質な物語を多くの方々にお届けする出版社です。

理念は『原点回帰

現状の小説界、特にweb小説の閉塞感に強い危機感を抱き、それを打破することを目標としているらしいことが、公式サイトの各所からうかがえる。

しかし、名興文庫は「出版社」を名乗ってはいものの現状では法人化はしておらず、出版物Kindle Direct Publishingを用いた電子書籍が数点(主に既存web小説の電書化)。実質的に、電子出版代行サークルとでもいうべきものに近い活動に留まっている。

客観的に見て今のところ、掲げた目標肩書実態が追い付いていない状態と言えるだろう。

(名興文庫名誉のために言っておくと、いわゆる「自費出版」とは異なるビジネスモデルではあるらしい。もっとも、イラスト費用作家負担すると作家の取り分が増えるコースというもの存在するようだが)

出版までの流れ | 名興文庫

ttps://naocoshi.com/flow/

イラスト費用を作者様が負担した場合

 ロイヤリティの40%〜50%(実績などの複数評価軸に応じて変動します)

また、「煽り」「炎上商法」に近い内容のコラム文章公式サイト掲載しながら、文責の記載がないどころか、組織代表者の名前さえ(そもそも代表存在するのかすら)不明状態が、立ち上げからしばらくのあいだ続いていた。

ttps://www.naocoshibunko.com/question/

貧相な読書ばかりしていては物事を単調に見る癖がついてしまます

 深みのある物語を読むことで、人生を良質なものしませんか?

名興文庫は良質な物語提供し、読者の心の健康度を向上させるお手伝いをします。

 毒にも薬にもならない物語だけでは人生は良質なものになりません。


ライトノベル』とは何か?(3) | 名興文庫

ttps://naocoshi.com/column002-3/

書かれている情報だけで物事判断するのではなく、自力で考えを深め、問題解決できる思考力を身につける。その能力を育む必要があるのではないでしょうか? それを『ライトノベル』はできるのでしょうか?

ライトノベル』ばかり読んでいるため、読書を通じて育むべき思考力を身につけられずにいる人が存在しているのではないでしょうか?



代表不明ということは、何かあった時に誰が責任を取るのか分からないということであるコラムの内容と同時に、「出版社」としてはやや問題のあるこの姿勢が一部で強い反発を呼んだ。

(早い段階で匿名の「代表概念」へのインタビューと称するジョーク企画も公開されていたが、かえって読者の神経を逆なでするだけだった)

【Q&A】名興文庫代表概念質問【part1】 | 名興文庫

ttps://naocoshi.com/part1/

代表概念「話をしよう」

天宮さくら「ほわっ?! 名興文庫代表者さん?! いたんだ?! あ、でも「代表概念」ってなってる……」



この点について外部からさんざんツッコミが入り、さすがに危機感を覚えたのか、今年の4月に「雑食ベアー」(@bearhawk99)氏が正式代表就任することになる。

代表あいさつ | 名興文庫

ttps://naocoshi.com/aisatu-002/

雑食ベアー氏は名興文庫とだいたい同様の形態活動していた電書レーベルシロクマ書庫」の代表を務めていたこともある人物である。その意味では比較妥当な人選とは言えるだろう。

ただ、この「シロクマ書庫」も詳細は不明だが内部で何やらトラブルがあり、その結果として半年足らずでの解散という終わり方を迎えていたようだ。

シロクマ書庫応援してくださっている皆様方|雑食ベア

ttps://note.com/bearhawk/n/n718317f3d456

新興電子書籍レーベルシロクマ書庫」が解散宣言!? - Togetter

ttps://togetter.com/li/1912196

また雑食ベアー氏本人も、建前としては無関係のはずのシロクマ書庫解散の経緯について、名興文庫公式サイト個人的な釈明をするなど、「出版社」の代表としては疑問を感じる振る舞いもいくつか見られた。

01.拝啓 みなさまへ | 名興文庫

ttps://megalodon.jp/2023-0601-0857-08/https://naocoshi.com:443/z01/

魚拓現在は削除済み)

そんな雑食ベアー氏だが、7月半ばに体調不良代表を退くことを発表していた。

代表辞職のご報告 | 名興文庫

ttps://naocoshi.com/aisatu-003/

雑食ベアーです。

この度、名興文庫代表を辞して活動を休止することを決断しました。

理由は持病が悪化し、実務に無視できない影響を与えるようになってきたためです。

引き継ぎや今後の運営をどうするかはメンバーと話し合って決めます


そのため、「引き継ぎや今後の運営」は一体どうなってしまうのか……と一部の名興文庫ファンが気になっていたところに発表されたのが、今回の新体制というわけだ。

堅洲斗支夜氏、および「『本格ファンタジー』派」について

名興文庫新体制発表には、二つの人事が含まれている。

このうち、代表代理の「天宮さくら」(@HAoIDxazYae2q6v)氏の方にはあまり意外性はない。

名興文庫ローンチタイトル?の作者にして、当初から名前を公開して活動していた唯一の名興文庫メンバーである旧体制での具体的な役職肩書不明だが、繰り上がりで代表になっても不思議ではないだろう。

(なぜ「代理」なのかは気になるが)

問題は、相談役の「堅洲斗支夜」(@kadas_blue)氏の方だ。web小説界における堅洲氏の、特異な立ち位置についてここで説明する。

web上の小説書きたちの中には、「『本格ファンタジー』派」と呼ばれる特殊な一団が存在する。現在web小説界における、主にゲーム要素を多く取り入れたファンタジー、いわゆる「なろう系」の流行に反発し、「本格ファンタジー」を復権させるべきである強硬に主張する人々だ。

堅洲斗支夜氏は、この「本格ファンタジー」派の思想指導者とでも言うべき人物である

というより「本格ファンタジー」派とは、「本格ファンタジー」を書いているか、「本格ファンタジー」が好きか、ではなく、堅洲氏の見解賛同しているかどうかが実質的定義と言っていい。

小説執筆者としての堅洲氏の代表作は「ダークスレイヤーの帰還」。

ダークスレイヤーの帰還(堅洲 斗支夜) | 小説投稿サイトノベルアップ+

ttps://novelup.plus/story/965776640

最初最後の本格ファンタジー!

政治文化言語まで設定された世界舞台に、素敵なヒロインたちと硬骨な冒険が続いていきますが、やがて物語は多くの他の異世界無限世界全域の問題を浮かび上がらせていきます


そして、「本格ファンタジー」派内での堅洲氏の通称は、「総帥」。

ttps://twitter.com/sando9979834081/status/1684893061967691776

総帥が人気ラノベWEB小説品評会ガチで開いたら界隈が核の炎に包まれますね。



堅洲氏は数年前から、「本格ファンタジー」復権必要性を世の中に訴える発言を、ことあるごとに繰り返していた。

それだけなら情熱のなせるわざと言えるだろうが、具体的な表現の点で、少々「行き過ぎる」ことが多々あった。

ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1258657576847208450

あそこは正確には「ライトノベル作家になろう」とでも言うべきサイトなので、普通小説は誰だって苦戦します。

言ってみれば、マクドナルドで一食千円を超える高級ハンバーガーを出すようなものなので、完全に河岸違いです。


ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1264941942607015937

折角だから真面目な話をしておくけど、例えば和製ファンタジーってずーっとラノベのままで本格的なものちゃんと出てないんですよ。

言ってみればカップラーメンだけでラーメン絶滅しているような状態なのね。

創作文化も担ってるって事を忘れてる人が多すぎると感じてますね。


ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1254809415007404037

そもそも、なろうで本格ファンタジーで戦おうとしちゃいけない。

コンビニに本格ラーメン食いに来る人はいいからね。

置いとくだけでいいのさ。


ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1269506359877267457

便宜上、「なろう系」に仮称をつけるなら、wikiの書意見を汲むに、

ユートピア小説」とでも言うべきものだろうね。

これは、

校長先生挨拶の時にテロリストが入ってくるんだけど、無双してモテモテになる」

を形にしたものだ。読むハードルさえゼロに近くするべき分野。


ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1262062868695969792

見ないようにしてるけど、なろうの上位ランキングって結局は3次創作とか4次創作みたいなもんだからなぁ。

じゃあ日本独自ファンタジーって何かあるのかよ?って言われたら、ロードスくらいしか出せないし、ロードスも深く突っ込むと色々とな。

新紀元社の見事な資料20年以上も前に出ているのに。


ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1268215066232406016

マーケティング顧客の知能を分かりやす偏差値表現するように、小説だってそれはある。

例えば長文タイトルであらすじみたいな物しか読まない人が、本当に紙の本を買うと思ってるんだろうか?

読者の質を下げ過ぎればジャンルが枯れるだけだよ。


ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1264887303698149376

長文でネタバレしてるタイトルなんて、自分作品は頭の悪い人向けって言ってるようでおれにはとても無理。

そこまで読者を理解力の無い人々と思えない。


ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1290055222119686144

自分は100歳を超えていますが、自分妄想のきたねぇ走り書きと創作の違いも分かんない人だとか、PV書籍化が全てで小説界隈をストロングゼロにするような人には、狂犬のように襲い掛かる気概です。

気概です。


ttps://peing.net/ja/q/17f59709-c66c-4b30-b744-74c1b82d3692

堅洲さんの考える「なろう系」の定義とは?

安易さが一定レベルを超えてしまったもの」でしょうね。

酒で言うならストロングゼロ

長文タイトルにして適当な設定で量産型の最強を設定し、中身のないヒロインを侍らせて適当ファンタジックワードをちりばめた感じでしょうか。

でもしょうがないんだよね。

建物も食い物も、多くの人々にいきわたらせるために『本物』からどんどん遠ざかっているのだから



御覧の通り、「本格ファンタジー」の価値を持ち上げる以上に、なろう系およびその作者・読者を貶めるような傾向が目立つ。

こういう物言いを続けていれば、当然ながら何度となく衝突も発生する。現在では堅洲氏本人はもちろん、もはや「本格ファンタジー」という単語自体が、web小説界隈では一種タブーに近い扱いになっている有り様だ。

老婆心ながら忠告するが、はてなー諸氏もネットでは「本格ファンタジー」という言葉を迂闊に使わないことをおすすめする。

堅洲氏と名興文庫関係

さて、そんな堅洲氏が名興文庫の「相談役」に就任した、という話に戻る。

「本格ファンタジー」派総帥と名興文庫。舌禍体質の人物炎上商法組織が遂に最強タッグを組んだことが、web小説関係者たちから驚きをもって迎えられた……というわけでは、実はない。

名興文庫の立ち上げ直後、ほとんど無名状態だった頃から公式アカウントツイートを堅洲氏はほぼ欠かさずRTしている。好意的言及炎上時には擁護)も多い。

また、筆者不詳ながら名興文庫サイトに「本格ファンタジー」に関するコラム掲載されたこともあった。そこで語られている史観思想は、堅洲氏が普段から主張している内容と概ね一致している。

私は本来ファンタジーを希望する~本格ファンタジーとは何か~ | 名興文庫

ttps://naocoshi.com/column004/

【はじめに】

コラム代表概念ファンタジーの篤学者三顧の礼執筆していただいたものです。

これらの事実により、名興文庫と堅洲氏の間に当初から何らかの繋がりがあること自体は、以前からほとんど周知の事実だった。

では何がそんなに衝撃だったのかというと、そのバレバレ偽装を今になってわざわざ捨てたことだ。

『たとえバレバレでも建前として名興文庫との関係を伏せてきたのは、堅洲氏が自分の世評をある程度自覚し、自分が表に出ない方が上手くいくと考えているせいだろう……』

そのように考えられていたのに、「相談役」という曖昧肩書とはいえ、堅洲氏が自ら名興文庫の表舞台に躍り出たことが驚かれているのだ。

元々いつかは名乗り出るつもりがあり、雑食ベアー氏の退任を機に満を持して、ということなのだろうか。それにしてもよく分からない。

おわりに 堅洲氏と名興文庫のこれから

冒頭で引用した告知ツイートにもあるように、「相談役就任に際し堅洲氏はいくつかの文章を名興文庫サイト掲載している。

相談役就任のご挨拶 | 名興文庫

ttps://naocoshi.com/008-1/

画一的数字webで良く言われているような単純な面白さだけではない事を、あなた作品と共に世に知らしめ、それで焼き肉を好きな時に食べられるようにしていきます


私という人間について | 名興文庫

ttps://naocoshi.com/008-3/

私は出来る仕事とやってきた仕事、持っている知識、そして経験がかなり幅広くなってしまい、一言にまとめると『もしかしたら世界一と言っていいほど面白い人』という言葉しか出てこないのだそうです。

 実際、私の職歴や経歴は荒唐無稽に等しい部分があります。ので、非常に平たく言えば、身体ほとんど動かない状態にならない限り、もう一生仕事生活には困らない状態に至った、と言うにとどめておきます


名興文庫基本的運営方針 | 名興文庫

ttps://naocoshi.com/008-2/

当面は『web評価されているが既存出版社が拾い上げない作品作家』、『作家(特に商業作家)が本当に好きにやりたい企画作品』、『本格的なファンタジー』、ニッチ趣味分野などを特に取り扱う方針です

小説出版社としてはハードSFや本格ファンタジーをも定期的に供給できる環境を整え、海外との双方向翻訳環境を整えていき、人気のある未翻訳海外作品国内販売なども手掛けていく考えです。

 理想としては弊社の作品及び作家ヒューゴー賞ネビュラ賞を取れるような方向を目指します。


この「運営方針」は特に興味深い。

堅洲氏の主張に従えばライトノベル等の非本格ファンタジーの影に隠れてきた「本格ファタンジー」はともかく。まがりなりにも独立したジャンルとして今日まで成立し続けてきた日本SFが、それでも手が届かなかったヒューゴーネビュラ賞。これをどのようなやり方で狙っていくつもりなのか。

具体的な方策が示されるのを待ちたい。

今後、名興文庫は何かにつけて、堅洲斗支夜=「本格ファンタジー」派総帥という特異なキャラクターとセットで語られることになるだろう。これはどうあっても避けられない。

そのことが堅洲氏・名興文庫それぞれの活動にどう影響するのか。それはただの第三者である増田には予想できない。

だが、できることなら、web小説を含む日本小説界に良い刺激を与える建設的な方向に動いてほしいと願ってはいる。非常に難しいかもしれないが。

2023-08-04

anond:20230804102620

海の向こうで旧体制革命でぶっ壊した連中も、その後にやることと言ったら派閥いからの恐怖政治ですし

2022-12-04

Twitterメディアからプラットフォームに戻ろうとしてるだけ

少なくとも現時点ではね

なのに異常な拒否反応を示してる人たちは自分たち立ち位置思考を一回よく省みたほうがいいよ

程度や良し悪しは置いておいて旧体制Twitter特定思想に沿った情報コントロールしていたのは確定していて

本来であれば思想などにコントロールされるシステム運用体制ってのはどの立場からしても忌避されるべきもの(とくにリベラルであればなおのこと)なのに

それが自分と近い思想によって運用されているときは是とするのは非常に危ない思考から

マスク共和党寄りであることもまた明確だけど

少なくとも現時点では自身思想に寄ったメディアに変えようとしているのではなく(将来的には怪しいと思うけどね)

Twitterによるメディア編集機能排除し良くも悪くも純然たるプラットフォームに戻そうとしている

これに対して利用者としてはいろいろな意見があってしかるべきだけど

思想的に批判してる人は自分思想に沿った有力メディアが消えることへのポジション批判に過ぎないことを自覚しな

Twitterに限らずSNSユーザーが発信した情報に対する責任論に対して有耶無耶にし続けてきた歴史があって

それはSNSメディアorプラットフォーム論争と近いステージで語られてきた

で、Twitterに関しては明確に情報コントロールしてきた「メディア」だったのに

トランプにしては珍しくまともな指摘の「Twitter編集行為を行うのであれば掲載される情報責任を持て」から逃げてきたんだよね

SNS掲載される情報に対する責任放棄するのであれば

法に則った場合を除いてあらゆる思想などによる検閲編集を行ってはならないと自分も思ってる

それを否定する人はどういう立場なんだろなーって邪推してしまうよ

2022-10-05

日本人死ね

自分日本人からよく分かるけど、お前らは死んだほうが良い。

 

お前らが真面目で勤勉であるというのは真っ赤なウソだ。

現代知性的であることや、真面目に働くというのは仕事効率的に行ったりイノベーションを起こせるような環境体制を作ることだ。

ところがお前ら日本人は若手を活用しようとせずに、書類上は真面目に働いたことにして実際は全く効率化のための改善を行おうとしない。

効率化というのは結局のところ新体制や新システムへの連続的な移行そのものであり、旧体制派との衝突は避けられない。

もし自分たちの上司クライアント出資者立場人間旧体制派であった場合は新しいシステムに移行する際の障壁となる。

 

そこでお前たち日本人は

ビビって引き下がる」

ことを

「優しさ」

だとか

「真面目」

だとか

「思いやり、空気を読んで」

とか

「和をもって」

とか

負け犬の口で言い換えているだけだ。

実際は戦いすらせずに自分と仲間の命を全くかけようとせずに自分たちの権利自由を勝ち取ろうともせず、

理想を一切叶えようとせず、しゃぶり尽くされてカラカラになった残飯の骨だけ加えて引き下がるだけの糞犬でしかない。

自分らの方が正しいと信じて、理論的にも論理的にも正しいという主張を持っているにも関わらず、

相手権力者相手の方が有利で会社組織内で有利であるというだけで、しっぽを巻いて逃げる負け犬のものだ。

いや、闘ってすらいないからクソ犬だ。

 

お前らはドラマの中ではレインボーブリッジを封鎖したり討ち入りしたり仕事人したりして

自分たちで考えて行動したり不正人間を裁いたりするが

現実では自分より強い存在にはビビって何も言えなくなるホビット族でしかない。

何が誇り高き日本人だ。

そんなやつらは太平洋戦争で大量に死んで、今生き残ってるのは他人の命よりも自分の命を優先にしたやつらの子々孫々だろうが。

生き残って帰ってきた人間たちがどれだけ戦争悲惨だったのか、同じ間違いを繰り返さないように教えても

お前ら日本人馬鹿からテレビに映る裸の男をみて手を叩いて笑うだけで誰も真剣に考えてこなかっただろ。

そのときからお前たちはずっと勇ましく吠えるだけのチワワだ。

 

なぜお前らはそうなってしまったんだ。

何もデモを起こせなど言ってるわけではない。

自分らに正当な主張を持っているという確信があるなら同調する仲間を集めろ。

おまえ一人では動かせなくても数が集まれ一定の力になる。

その主義主張が受け入れられるものであれば、どんどん広がっていく。

たとえそれが現代法律に反していても自分たちのもつ倫理論理が正しいと思うなら主張すればいい。

法律の元となるものが何なのかお前らは忘れてしまったのか。それは一般常識だ。

一般常識とはお前らが考えて行動している日常生活におけるルールのものだ。

お前らがこのルールは違うと思えばいくらでも変える権利がある。

元々立法権はお前ら一人ひとりが持っているものだ。

だがそれを国民全員で決めれない、だから選挙で選んで代理政治をさせるのが間接政治だ。

お前らは元々の権利自分ら個々人にあることすら完全に忘れている。

政治家とは常にお前らに評価されなければ代理人としての使命を果たさなくなることすら忘れている。

今、お前ら日本人が何年も続けてきた、権力に対する無関心のツケを支払うときが来ている。

 

団結しない

正しいことを正しいと主張することすらできない

自分らが新しいリーダーになるのではなく、権力者おこぼれをもらうのを成功だと信じている

 

今、そういった古い考えで人生を生きている日本人は一度死ななければならない。

実行しろ

反抗しろ

もうお前ら汚くなった日本人たちに、誇るべき精神文化なんて残ってないんだよ。

勇気をもて。

お前らに必要なのはただの1つ、勇気だけだ。

たったそれだけがないせいでこの国はこうなった。

その責任はお前ら一人ひとりに確実に存在している。

2022-09-15

[] トクヴィル効果 (トクヴィルパラドックス

トクヴィル効果トクヴィルパラドックスとも)[1]とは、社会的条件や機会が改善されると、社会的不満がより急速に増大する現象である[2][3]。 フランス革命とその後のヨーロッパアメリカにおける改革に関するアレクシス・ド・トクヴィルの観察に基づいていると言われている。この効果説明する別の方法として、「食欲はそれを糧とするものによって増大する」という格言がある[4]。 より大きな社会正義が達成された後、以前よりもさらに小さな社会不正に対して熱烈な反対運動が起こるといった例である


トクヴィル効果によれば、社会改革がそれに見合わない期待を高めることがあるため、社会的平等政権による譲歩と意図しない結果との間の関連性を示唆している[5]。 トクヴィル効果によれば、プロレタリアートの没落の進行の結果としての革命というマルクス理論とは対照的に、社会条件の改善の後に革命が発生しやすいとされている[6]。



1949年にハーラン・クリーブランドは、冷戦文脈で彼は特に第三世界関係があると考えた、期待の高まり革命概念を導入した[6]。それに関連して、政治学者James Chowning Daviesは革命のJカーブ提唱しており、富と進歩の期間の後に条件の悪化の期間が続き、革命につながると主張している[7]。またテッドロバート・ガーは相対的剥奪という言葉を用いて、改善への期待とそれとは対照的な厳しい現実があるとき革命が起きると提唱している[7]。


中央計画されたが地方実施された改革において、地方実施が高い基準点を下回る場合トクヴィルパラドックスが起こる可能性が高くなる[7]。

起源

アレクシス・ド・トクヴィルは、著書『アメリカ民主主義』(1840年)の中で、この現象を初めて説明した。


特権に対する人間の憎しみは、特権が少なくなればなるほど大きくなり、民主主義情熱は、燃料が最も少ないときに最も激しく燃え上がるように思われる。私はすでにこの現象理由を述べた。すべての条件が不平等であるとき、どんな不平等も目を悪くするほど大きくはないが、一般的な均一性の中では、わずかな異同が忌まわしい。それゆえ、平等を愛する気持ち平等のものとともに絶えず増大し、それを糧として成長することは自然なことである」[8]。



改革革命パラドックスは、次の著書『旧体制革命』(1856年)で次のように説明されている[7]。




"革命破壊する体制は、ほとんどの場合、その直前の体制よりも優れており、経験上、悪政にとって最も危険な時期は、通常、改革を始める時である。"


https://en.wikipedia.org/wiki/Tocqueville_effect

DEEPL参照

2021-12-06

雑誌映画秘宝』の記憶(60)

 2021/12/04に『映画秘宝編集部オフィス秘宝、悪質なのはどちらか』と題する文章https://anond.hatelabo.jp/20211204193505

が、はてな匿名ダイアリー投稿されました。その内容を要約すると「旧体制映画秘宝』主要メンバーであった町山・柳下高橋・てらさわは誠実に動いていた。一方それに対して、造反組岡本奈良・ギンティ市川は誠実に動いていなかった」と主張する内容です。

 この内容は、一般人女性に対するDM恫喝事件の余波が未だ冷めやらぬ2021/3/18、元『映画秘宝編集部員かつ高橋ヨシキらのシンパ秋山直斗という人物Note投稿した、文章の焼き直しです。そのため、はてなユーザーの中には「この増田秋山直斗なのではないか?」と推測する人もいるようです。私個人も同じことを疑いましたが、しかし、増田の正体が秋山であるか否かは確認する術もありません。

 しかしこれも機会ですので、秋山直斗文章から私が感じ取ったことを述べます

 まず、2021/3/18に秋山Note投稿した文章から、一部を引用します。

引用その1・ここから

 23時ごろ(※引用者注:元『映画秘宝編集長岩田によるDM恫喝行為が発覚し、その対応に追われていた2021/01/25のこと)から柳下氏、高橋氏と共にオンライン会議を行い、上記の考えを伝えました。なお、18時ごろに状況確認のため高橋氏に連絡をしてきていた、てらさわホーク氏も会議に加わっています。3氏ともに、謝罪必要認識しており、私は実現のために実務を担うことになりました。

 23時09分に、編集部メンバー4名(田野辺氏・岡本氏・奈良氏・ギンティ小林氏)に対し、「新たな謝罪文」作成必要性をメールにて伝えました。早急には対応しないでおこうといった内容の返信があり、これは私の主観的意見にすぎないものの、主体的事態収拾に乗り出す意思が感じられませんでした。

引用その1・ここまで=

 上に引用したNote文章は「誠実だったのは旧体制側。それに比べて新体制側は不誠実だった」というイメージを読者に植え付けたいと、秋山が考えていることをよく表す部分です。

 では次に『〜悪質なのはどちらか』と題する文章はてな匿名ダイアリー投稿される2日前、2021/12/02に秋山直斗(アカウントSquids_squib)がTwitter投稿した内容を引用します。

引用その2・ここから

 映画秘宝編集長が送ったDMについては被害者の人とは和解してるわけでしょ? 当事者同士で解決したのだから、これ以上蒸し返す必要はないというオフィス秘宝と双葉社判断が、被害者に対して不誠実なものだとは思わないけど。

引用その2・ここまで=

 私は、この秋山ツイートにある"蒸し返す"という表現から秋山直斗本心が読み取れるように感じます恫喝DM事件及びその被害者に対して、秋山直斗本心ではどのように考えているのか、端的に言えば「馬脚を露わした」のです。

 DM恫喝事件被害者は「雑誌映画秘宝』の誌面上で何かしら掲載されることを期待していた」とする内容のツイートをしていらっしゃいます。ということは、被害者に対して『映画秘宝』側が示すべきであった誠実さとは、誌面の上というオープンな場で総括を行うことだったと考えるのは当然のことです。だとするならば、双葉社に対して「誌面上での総括を行うことを認めて欲しい」と、被害者要望に沿うように求め続けていた新体制映画秘宝』の中心メンバーが、被害者要望に応えられなかった能力不足を批判されるならばまだしも、要望に応えようとした姿勢のもの批判される謂れは無いと私は思います

 しかし、秋山直斗は「これ以上"蒸し返す"必要はない」と表現して、被害者要望に応えようとしていた造反組4人の姿勢をこそ批判するのです。実に奇妙です。以前は「謝罪のために主体的に動いていなかった。不誠実だ」と批判した人間たちを、今度は「和解も済んだのに、わざわざ"蒸し返す"ようなことをするな」と批判するのですから矛盾しているとしか言えません。

 では最後に、さらに遡って2021/1/26付で秋山直斗Twitterアカウントツイートから引用します。

引用その3・ここから

 『秘宝』は映画を軸に、社会不正義・不公正と闘う雑誌だと思っています。つまり綺麗事こそ重要だという雑誌です。

引用その3・ここまで=

 これまで私は、古株の元『映画秘宝』読者の一人として、はてな匿名ダイアリーに『映画秘宝記憶』と題する一連の文章投稿して続けてきました。

 過去バックナンバーや『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』等の『映画秘宝』関連の単行本を一読すれば、誰にでも直ぐに分かるとおり、雑誌映画秘宝』はこれまでに女性同性愛者、非・都市部居住者、非・富裕層高等教育から疎外された人間etc.に対して、頻繁に、且つ執拗差別発言を行い続けてきた雑誌です。それらの差別的言動実例を、引用によって具体的に私は示してきました。

 秋山直斗が語る、美化された『映画秘宝』像は、虚偽以外の何物でもありません。したがって、秋山直斗の言う「『映画秘宝』を読むことを通じて、自分(秋山)は社会不正義・不公正と闘うことを学んだ」という主張もまた、やはり虚偽以外の何物でもありません。つまり秋山直斗は『映画秘宝』と同時に彼自身を美化しているのです。

 近年の町山智浩高橋ヨシキらは、人権尊重差別反対のような言動を繰り返していますが、自分たち自身女性同性愛者に対して行ってきた差別に関しては全く総括していません。本当に「誠実な人間」であれば、己自身の罪や過ちとも真摯に向き合うはずです。しかし、そのような誠実さを町山や高橋が示したことはないのです。

 元『映画秘宝編集長岩田による一般人女性へのDM恫喝事件を産んだ要因には、長年に渡って同誌内部に根深蔓延っていた女性蔑視の思想があると私は考えています。そして、そのような女性蔑視の思想を『映画秘宝』に植え付け続けてきた張本人は、町山や高橋旧体制人間なのです。繰り返しになりますが、本当に誠実な人間ならば、自分たちが女性への理不尽攻撃の手本を示して、岩田のような人間に対して誤った教育や影響を与えたことを反省するべきでしょう。

 町山智浩高橋ヨシキの信者を今でも続けているような人間たちは「昔のことを"蒸し返すな"」と、愚にもつかない、擁護にもならない言い訳します。そうです、秋山直斗と同じ"蒸し返すな"という言い回しです。この"蒸し返すな"という言い回しは、例えば関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺事件や、日中戦争当時の南京虐殺従軍慰安婦問題などについて「済んだ話を"蒸し返すな"」と言うネトウヨ言い回しと瓜二つです。秋山直斗が『映画秘宝』を読んで学んだ、社会不正義・不公正と闘う姿勢とは「済んだ話を"蒸し返すな"」と言うことなのでしょうか?

 そのような秋山直斗や、彼の同類人間が言う「誠実さ」など、薄っぺらい虚飾に過ぎないというのが私の見解です。

 「どちらが悪質か」などという無意味比較詭弁によって、旧体制映画秘宝』を美化するのは、歴史修正主義者のネトウヨと同レベルと言うべきでしょう。

 この投稿は以上です。

2021-12-03

anond:20211203181334

ちょっとからねえよな

知名度能力がもしあるとしても、ぶっちゃけあの人っておもっくそ立民旧体制の人なわけじゃん

それで構わねえんだっていうならわかるんだけど

2021-09-08

anond:20210908083306

下克上としては旧体制を撲滅するのが大事なんじゃねーの。知らんけど。

2021-08-25

anond:20210825153218

そもそもリベラル価値観の持ち主を自認している人が結婚という旧体制システムを求めている時点で矛盾

「私は性についてはリベラルですが、それ以外の多くの価値観においては保守的です」という人がいても別に悪いわけではないが、それならちゃんと「保守寄り」を名乗って要求を整理するべきだ

しかあなた達が本当にリベラルであるなら、必要なのは結婚という古い価値観を維持することではなくて、結婚というシステム解体することの方なのでは?

2021-07-27

雑誌映画秘宝』の記憶(59)

 健康がすぐれないので、この投稿は短めです。

 小山田圭吾障害者虐待に関して執筆されたQuick Japan(QJ)やRockin' On(RO)の記事、そして北尾修一によって発表された村上清と小山田圭吾擁護するブログ記事を読んで、改めて感じたのは「自分たち(=サブカル業界人)の欲求愉悦のためには、他者尊厳を踏み躙ること、他者負担を負わせることを何とも思わない」と云う、昔も今も変わらないサブカル業界人自己中心的な体質です。そして、この体質は、町山智浩旧体制映画秘宝』と瓜二つです。

 件のQJ連載記事いじめ紀行』の中で村上清は「イジメエンターテイメントだ!」と明言しました。それが本当ならば、村上清は何故、彼自身イジメ加害者取材しなかったのでしょうか?何故、村上清は、彼自身イジメ加害者を探し出し、彼(ら)を取材して、村上イジメた時に加害者(ら)が覚えたであろう興奮や愉悦、或いは村上自身が舐めた辛酸屈辱感について、詳細にレポートしなかったのでしょうか?何故、村上清は加害者(ら)と「アレはヤバかったよね(笑)」と、いじめトークで盛り上がらなかったのでしょうか?村上清が言う「救いが無いことも含めて、イジメエンターテイメントだ!」と云う主張が本物ならば、村上にはそれが出来たはずです。

 もちろん、村上清がそれをしなかった/出来なかった理由は分かりきっています。本当は「村上清にとってイジメは、決してエンターテイメントではなかった」からです。記事執筆した当時の村上清は、彼自身イジメ加害者に対して、依然として恐怖感や忌避感を抱いていたのです。

 本当は村上清は、彼自身イジメ加害者リベンジたかったが、それは村上には出来なかったのです。本当の加害者へのリベンジが出来ないことは、村上清にとって大いなる屈辱であり、劣等感の源でした。その代償行為として『いじめ紀行』を執筆し、それを通じて仮想的に加害者となることで、被害者としての屈辱感を解消しようとしたのです。

 この村上清の行動は、見れば見るほど町山智浩旧体制映画秘宝』と瓜二つです。

 小山田圭吾に対する世間批判が高まった後、町山智浩Twitterで「悪趣味鬼畜カルチャー原動力は、電通ホイチョイフジテレビ的なカルチャーへの対抗心だった」と云う主旨の発言を行いました。また町山智浩だけでなく、旧体制映画秘宝』全体が、ジョックス(米国スクールカーストで上位である体育会系)に対する怒りと憎悪を撒き散らしていたことは周知の事実です。

 では町山智浩らは、その電通ホイチョイフジテレビジョックスに対して復讐したでしょうか?していません。町山智浩らの怒りや憎悪を向ける本来相手である電通ホイチョイフジテレビジョックスには町山らの力では敵わないから、その鬱憤を晴らす代償行為として、女性同性愛者やアニメ愛好者を攻撃して、憂さ晴らしをしていたのです。或いは『映画秘宝』内部のカースト下位の人間(ギンティ小林等)に対してパワハライジメをして、いじめ加害者としての立場を楽しんでいたのです。

 そして、町山智浩による筋違い鬱憤晴らしは、今なお止むこと無く続いています現在町山智浩は、女性差別蔑視発言同性愛差別蔑視発言を繰り返しています

 このように比較することで、悪趣味鬼畜系であろうがなかろうが、また90年代から変わることな現在も、サブカル業界人たちは、恨み(?)を晴らすべき本来相手に敵わないが故に、その鬱憤を晴らすために「弱そう/反撃してこなさそうな相手」を選んで攻撃している卑怯者たちであることが理解できると思います

 この投稿は、以上です。

2021-07-25

雑誌映画秘宝』の記憶(58)

 表題に反して、今回は小山田圭吾村上清の話が主ですが、サブカル全体の話と考えて投稿します。予め言いますが、長文です。

 小山田圭吾障害者在日朝鮮人に対して虐待イジメを行った或いは関与したとして、東京五輪を機に一般人に広く認知され、これに伴って、過去雑誌Rockin' On(RO)』及び『Quick Japan(QJ)』が小山田に対して行ったインタビュー記事が注目されています

 それと共に注目を浴びているのが【小山田圭吾自身が、スクールカーストの中では上位ではなく、むしろ下位だったのではないか?】とする仮説です。件の雑誌記事でも「小山田圭吾イジメ加害者だった?!」と、インタビュアーが驚く場面があります。外見的なイメージから「むしろ小山田圭吾は、イジメを受ける側だった」とインタビュアー想像していたのでしょう。また、インタビュアーだけでなく、これまで雑誌記事存在を知らず読んだことも無かったファンも同様に、外見的なイメージから小山田圭吾イジメをしていたとは想像もできなかった」とショックを受けていた人が少なからず見られました。

 あまり他人の外見を云々したくはないのですが、小山田圭吾は顔立ちは整っているものの、身長はどちらかと言えば小柄で、頭部が大きくて肩幅が狭く、体格的には恵まれておらず、お世辞にもスタイルが良いとは言えません。(しかし、そんな小山田圭吾でも「オシャレでイケてるモテ系」に仕立て上げて持て囃すことが可能だった訳ですから、親の七光りやスタイリスト/メイク担当者の優秀さだけでなく、当時のマスメディア一般人との間に、如何に大きな情報発信能力の差が有ったか、それを指し示す一つの証拠と言えるでしょう。)このような外見的な印象に関しては、アンチだけでなくファンの間にも共通認識が有ったからこそ、インタビュアーファンも「イジメ加害者」と小山田圭吾カミングアウトしたことには落差を覚えて驚いた訳です。

 小山田圭吾擁護する人間の一部には「小山田圭吾は、インタビュアー(村上清)に迎合して話を盛ったのではないか?」とする者もいます

 例えば、北尾修一などのQJ関係者、それに小山田圭吾ファンなど、村上清と小山田圭吾擁護する側の人間意見総合すれば、彼らの仮説は概ね「村上清は、彼自身が『いじめサバイバー』だからいじめ問題を無くすための試みとして連載企画いじめ紀行』を立ち上げた。小山田圭吾村上清の人間性に絆されて、連載企画を盛り上げる為に話を盛った」と云う感じです。

 正直に言えば私も現在は、小山田圭吾が話を盛ったと云う仮説は少し可能性が有り得ると考えていますしかし、私の仮説は、村上清と小山田圭吾擁護する北尾修一たちの言うような「美しい関係性」を想定した仮説とは異なります。私の仮説を、以下に述べます

=仮説ここから

 そもそも村上清は、社会存在するイジメ問題解決する又は発生件数を減らす為に連載企画いじめ紀行』を立ち上げた」と云う前提は、果たして事実なのでしょうか?(※そもそもの話をするならば、村上清が『いじめサバイバー』とされていること自体事実であるのか疑わしいのですが、煩雑を避ける為、ここではそれが事実であるもの仮定して話を進めます。)

 むしろ村上清は、イジメの「被害者」になったことで彼自身が背負い込んだ劣等感を解消する為に、己がマスメディア関係者となった今(※記事執筆した当時)こそ、イジメ問題記事を書くと云う手段/大義名分によって合法的に「加害者」の立場になろうと試みた、それによって「被害者であることから生じる劣等感の埋め合せにしようとしたのではないでしょうか。

 何か/誰かを「観察/取材」して、それに基づいて執筆した記事雑誌等の公的媒体に「発表」すると云う行為には、一種の「暴力性」が不可避的に付き纏うものです。観察や取材対象に対して、好意的感情を抱いている場合ですら。況や、SNS等の個人的ネットメディアが発達した2021年現在とは異なり、当時の雑誌一般人との間には、情報発信力の差や「何となくマスメディア人間一般人よりも格上」と云うイメージなど、圧倒的な権力勾配が有りました。そのような権力勾配を利用して、取材と称して他人領域にズカズカと入り込むこと、カメラテープレコーダーを向けること、記事にして発表すること、これらの行為の持つ圧倒的な「暴力性」。

 北尾修一によれば、村上清は極めて優秀な人間のようです。そんな優秀な人間が「取材/執筆と云う行為の持つ『暴力性』」に気づかないはずが有りません(それに気づかないならば、端的に言えば馬鹿でしょう)。おそらく村上清は、このように考えたのではないでしょうか。「マスメディア人間になった自分(村上清)は、今や取材執筆名目合法的に、他者に対して『暴力』を振るうことが可能になった」と。

 取材対象者が「被害者」ならば、取材と称して心の古傷を抉り、取材対象者が苦しむところを観察して「加害者」の立場を擬似体験して楽しめば良い。取材対象者が「加害者」ならば、贖罪意識を持つ人間は、良心の呵責を起こさせて苦しむ様子を観察して楽しむも良し、過去の過ちを反省していない人間は、調子に乗らせて問題発言をするように仕向け、社会から批判を受けるように仕向けるも良し。どっちに転んでも村上清にとって「イジメエンターテイメント」となる訳です。

 差別犯罪被害者が、その苦しみから逃れる為に加害者の側に立とうとすることは、往々にして有ることです。例えば、白人から人種差別を受けた黒人が、鬱憤を晴らす為に黄色人種人種差別するように。村上清も、そんな被害者の一人だったのではないでしょうか。

 村上清は、彼の取材対象として小山田圭吾選択しました。その選択動機には、もちろん既にRO記事が先行して存在したことも有ったでしょうが、ひょっとしたら「オシャレな渋谷系モテ系のミュージシャンに対して『取材と云う名の暴力』を振るうことが出来る」と云う愉悦の予感も有ったのかもしれません。更に、相手イジメの「加害者」ともなれば、その悪行を証言させて世に知らしめる事で、世間からバッシングを浴びるように仕向けて復讐することもできると、そう考えたのかもしれません。しかし、村上清が想定した以上にQJ編集者や読者が本物の鬼畜クズだったこからいじめ紀行』を発表しても小山田圭吾への批判が一向に高まらなかったために、小山田圭吾を転落させるまでに到らなかったに過ぎないのではないでしょうか。

 ここで私は、取材暴力性に関して、別の可能性も考えます。当時のマスメディアは、果たして本気で「小山田圭吾イケてる/格好良い」と考えていたのでしょうか?実は「コイツ、ヒョロヒョロのヘナチョコのくせに、自分のことを格好良いと勘違いしてるw」とか「コイツ、無理してワルぶってイジメ武勇伝として語ってやがるw」とか、マスメディア関係者は表面的には持ち上げつつも、心の底では小山田圭吾小馬鹿にしていたと云う可能性は無いのでしょうか。持ち上げて落とすのは、何と言っても、マスメディアが好む暴力典型です。

 そして、小山田圭吾も、己自身スクールカーストが低いと見做されていることや、マスメディア関係者から心の底で小馬鹿にされていることを感じ取って「いやいや、オレはイジメられっ子じゃないから!むしろオレは、イジメる方だったから!」と、ROQJ取材に対して虚勢を張ったのではないでしょうか。村上清が、もし本当に「いじめサバイバー」だったならば、小山田圭吾には同じイジメられっ子の臭いがすると気づいたかもしれません。もし、そうだとすれば、余計に小山田圭吾が虚勢を張ることに拍車を掛けたことでしょう。「いやいや!オレ(小山田圭吾)はオマエ(村上清)とは違うから!」と。

 小山田圭吾が「報道内容には、一部、事実とは異なる部分が有る」と言いながらも、事実関係説明することを避けて頑なに沈黙を守っているのは、もしもイジメ加害者であることを否定すると、和光学園在籍中の自分スクールカーストが低かったことを認めることに繋がり、それはイケてる渋谷系として持て囃された自身プライドが許さないのではないでしょうか。

=仮説ここまで=

 さあ、如何でしたでしょうか?北尾修一は頻りに「こう考えるのが自然」「普通こう考える」と云う表現を用いましたが、私はそれを避けたつもりです。

 身内であるサブカル業界人(北尾修一)が、自分たちに都合が良いようにアクロバティックに美化したストーリーと、村上清にも小山田圭吾にも利害関係を共有していない第三者(私)が、ごくありふれた話として考えたストーリー。どちらが本当っぽく感じたでしょうか?それは貴方自身が決めて下さい。解釈の無理強いは致しません。

 「長々と書いて、一体これが旧体制映画秘宝』と何の関係が有るんだよ?」と思われたかもしれませんね。しかし、勘が良い方は既に気づかれたはずです。これらの「若かった頃にイケてなかった人間が、大人になってから加害者になることで、若かった頃の劣等感を埋め合わせようとする」「ワルぶって武勇伝を吹聴する」と云う行動様式は、旧体制映画秘宝』の主流派(町山智浩ら)と瓜二つであると云うことに。それに、小山田圭吾の語るイジメの話に登場する被害者障害者在日朝鮮人など反撃が出きなさそうな弱者ばかり選択しているところも、町山智浩旧体制映画秘宝』が(電通ホイチョイフジテレビジョックスへの怒りや憎悪を唱えつつも、本丸のソイツらを避けて)女性同性愛者・アニメオタクとかを攻撃対象にしているところに似ています

 要するに、悪趣味鬼畜系であろうがなかろうが、サブカル業界人は五十歩百歩ということです。

 思った以上に長文となりましたが、この投稿は以上です。

2021-07-23

雑誌映画秘宝』の記憶(56)

 元ラーメンズ小林賢太郎が、過去に行ったお笑いコント公演の中でナチスによるユダヤ人虐殺ジョークネタにした事が発覚し、この情報海外にも拡散してサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)の知るところとなり、東京五輪閉会式総合演出担当を解任されましたね。

 小山田圭吾障害者虐待世間一般に広く認知された結果、小山田東京五輪閉会式音楽担当を辞任した際には、一部の人間が「90年代には、悪趣味鬼畜カルチャー存在を許されていた、時代の空気存在して云々」と小山田擁護し、それに対して町山智浩は「小山田圭吾悪趣味鬼畜系とは無関係(だから自分[町山智浩]たちには責任は無い)」と反駁しました。

 では、今回の小林賢太郎の件については、どうでしょうか?

 ラーメンズ悪趣味鬼畜系ではないと思いますが、間違い無くサブカル領域に属する芸能人です。また、今回問題視された90年代半ば当時の彼らの芸風が、当時の、いや、今もサブカル界隈に根強く蔓延る「不謹慎なことを言う/するのがオモシロイ/カッコイイ」と云う風潮の下に成立していたことも明らかでしょう。そして、この風潮を作り出すことには、旧体制映画秘宝』界隈も関与していたと言えます。たとえば『キネマ旬報』の編集部を襲撃して同誌の編集部員に暴力をはたらいたことを、町山智浩パイ投げ事件などと称して矮小化して面白おかしく笑い話扱いしていますが、アレは「言論の自由を脅かす暴力事件」以外の何物でもありません。しかし、サブカル界隈の身内贔屓の体質は、町山智浩の仕出かしたことに対して真摯批判反省を行うことを忌避する道を選びました。昔からサブカル業界人は身内贔屓が大好きで、これは松江哲明性的強要搾取ダンマリを決め込んだのを見ても判るように、今も変わりません。

 ラーメンズお笑いコントの中でナチスユダヤ人迫害虐殺ジョークネタしたことに関して、擁護として「米国サウスパーク英国モンティ・パイソンジョークネタにしているのに、何故、彼我に批判の差が有るのか?」と言う人もいましたが、個人的には、連合国側の人間枢軸国側の人間では、それをジョークネタにする資格に差が有るのではないかと思います。何か死傷者を伴うような事件があって、それをジョークネタにするのは、被害者親族が言うならまだしも、加害者親族が言ったらアウトになるのと同じです。

 一般的な傾向として多くの日本人は、自分たちが枢軸国側であったこと、戦時中にはナチス政権ドイツ同盟国だったことについて、自覚が稀薄だと私は思います。だからナチスドイツポップカルチャーの一部として、エンターテイメントとして、カジュアルに消費するのだと思います

 さて、エンターテイメントとしてナチスドイツの残虐行為を楽しむといえば、長年に渡って率先してそれを実行し続けてきた人間が、旧体制映画秘宝』に1名いますナチス強制収容所ネタエクスプロイテーション映画が大好きと公言し、自ら「所長」と名乗ってそれらの作品の"素晴らしさ"を布教している、赤毛入れ墨だらけのオジサンが1名。そう、高橋ヨシキです。高橋は、間違い無く、悪趣味鬼畜系の範疇に属する人間です。高橋ヨシキによる布教活動は、日本において「ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺を、カジュアルに楽しんで消費しても許されるのだ」と云う風潮を作ることに寄与し続けてきました。

 もちろん、高橋ヨシキ存在布教活動が、ラーメンズを生み出した訳ではないでしょう(ラーメンズネタ公表よりも、高橋ヨシキ布教活動開始の方が時期的に後だと考えられますし、世間的に認知されたのも、ラーメンズの方が高橋ヨシキよりも先でしょうから)。しかし、ラーメンズネタ世間に発表されてしまった後、長年に渡ってそれが見過ごされたのは、観客である一般人たちの中に「コントネタなのだから(批判するのはおかしい)」「たかフィクションネタに何をマジになってるの?」と云う間違った考えや言い訳の口実が存在たからです。これは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺と云う出来事が"エンターテイメントコンテンツ"として、誤った"市民権"を獲得していたからでしょう。そして、高橋ヨシキによる「ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!」という布教活動は当に、その誤った"市民権"を獲得するための活動でした。だから、次のようには言えると思います

 「高橋ヨシキによる『ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!』と唱える布教活動は、ラーメンズネタの"誕生"には影響を与えなかったかもしれないが"生存"には影響を与えたであろう。したがって、その点については、高橋ヨシキ及び彼に同調した人間責任が有る」と。仮に時代の空気と呼ぶべき何かが有ったとしても、それは勝手に生まれたのではなく、それを意図的に作り出した人間がいるのです。この場合、それを作り出した人間の一人は、間違い無く高橋ヨシキです。

 SWCの人たちも驚愕するのではないでしょうか。21世紀日本で、ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺ネタにしたエクスプロイテーション映画を「面白い!素晴らしい!」と公言賞賛し、他人にも観るように推奨活動している人間存在して、しかも堂々とメディアに登場し続けていると知ったら。誰か英語が得意な人がいたら、高橋ヨシキがしていることをSWCに報告すると良いかもしれませんね。もしもそうなった時、町山智浩SWCに対して「悪趣味鬼畜カルチャーをやっていたのは、電通ホイチョイフジテレビに対する対抗心が有ったから」と弁明できるのでしょうか。見ものです。

 それと、SWCといえば思い出しましたが、長年に渡る町山ウォッチャーならばご存知のとおり、過去町山智浩自身他人に対して「オマエのことSWC通報しといたからな」と言ったことがありました。その矛先が自分の近しい人間に向けられた時、町山智浩はどうするでしょうか。

 この投稿は以上です。

2021-07-20

雑誌映画秘宝』の記憶(51)

 最初に、町山智浩Twitterから引用します。

引用ここから

障碍者虐待していた小山田圭吾五輪音楽担当させて、政府がそれを承認し、NHKがそれを放送するわけですから、誰にも迷惑かけてない大麻使用芸能人すべてを復権してくれないとなー。

(投稿年月日:午後10時43分2021年07月18日)

引用ここまで=

 今回は小山田圭吾の件で一丁噛みしている町山智浩ですが、大麻使用芸能人擁護する程度に留まるだなんて、パトリック・マシアスパワハラしていた頃の町山智浩タイム電話で聞かせたら「オメエのtweetは退屈なンだよ! 一般人がオメエに訊きてえことはソコじゃねえだろ!」と怒鳴られるのではないでしょうか?

 では、一般人町山智浩に聞きたいこととは何でしょうか? それは、小山田圭吾イジメ自慢インタビュー擁護する人間たちが口にする「90年代にはワル自慢、悪趣味自慢を許す鬼畜ムーブメントとでも呼ぶべき風潮が存在した」という主旨の主張に関してです。

 この鬼畜ムーブメントの有無については、90年代当時に物心ついていた年齢の人たち同士でも、認識には差と言うかグラデーションがあるようです。ムーブメントのものの有無について、私の個人的見解を述べると「有った」という人の記憶も「無かった」という人の記憶も、半分づつ当たっていると思います。「有った」と記憶している人は、何らかの形でその狂った風潮とその産物に触れた人間で、「無かった」と記憶している人は、そのような狂った風潮に触れなかった人間というだけのことです。

 個人的見解としては、鬼畜ムーブメントは「限られた領域の、少数の人間による、小規模の狂ったムーブメント」と言っても構わないと思います。だからあんムーブメントに触れたからと言って別に偉くも何ともないですし、むしろ「無かった」と記憶している、鬼畜ムーブメントに触れなかった人の方が正常なのですから安心して下さい。

 こういう鬼畜ムーブメントに触れたことによって「自分は他の人間とは違う!」と、己が偉くなったと勘違いした人間が何をするか知っていますか?一例を挙げると、何か「切り株映画はセカイのシンジツを描いている!」とか馬鹿なことを言うわけです。耳(目?)にタコが出来るほど聞いた、この"切り株映画讃歌"の決り文句を此処で持ち出したのは、別に牽強付会ではありません。

 例えば、90年代鬼畜ムーブメント悪趣味アンダーグラウンド文化象徴するような出版物として『危ない1号』という鬼畜ムックがあります(このムックは、90年代の半ばから終わりにかけて発行)。その執筆陣の中には、町山智浩柳下毅一郎名前確認できます

 また別の例を挙げると、一部の精神疾患罹患者が示す"電波"妄想及びそれに翻弄される彼らを、特殊漫画家・根本敬が「電波系」と呼び始め、面白コンテンツとして消費するような悪趣味な風潮を生み出したことは有名ですが、この「電波系」を面白がる風潮に乗っかって雑誌宝島』『宝島30』でも記事掲載したり、別冊宝島を出したりしていました。その頃、彼らの言う「電波系」に該当する人が店主として経営する喫茶店に行って、店主が示す奇妙な言動などを陰で嗤ったり面白おかし記事にしていた人間の一人に、町山智浩がいます宝島における根本敬担当編集者は、町山智浩でした。また、根本敬のツテで「電波鬼畜ライター村崎百郎」という悪趣味ギミックによるデビューを果たした編集者ライター黒田一郎は、ペヨトル工房時代から柳下毅一郎の友人でした。蛇足ですが、根本敬は、嫌韓/嘲韓ムーブメントを生み出した張本人の一人でもあると私は思います

 ここで幾つか例に挙げたのは一部に過ぎませんが、90年代鬼畜系、悪趣味系の系譜を辿れば、その中に旧体制映画秘宝』の源流の一つが有ることは確かです。あるいは、悪趣味系のムーブメントを作り出したのと同じ人間たちが生んだものこそが、旧体制映画秘宝』と言っても過言ではありません。

 さて、今回ようやく小山田圭吾断罪火刑場に引かれていく羽目になった訳ですが、爆笑問題太田をはじめ有象無象のギョウカイジンは、小山田圭吾、Rockin' onQuick Japan擁護する為に「90年代には悪趣味系が流行ってたという、時代空気考慮しないと」などと言っています

 これらの擁護を見た時に私が感じたのは、関東大震災当時の朝鮮人虐殺事件や、戦争当時の性暴力虐殺のことについて「当時の時代空気考慮しないと」と言う人間を見た時に似た気持ちです。

 百歩譲って、90年代当時「一般人」だった人間が言うならば、たとえ許容は出来なくても、まだ理解可能です。90年代後半からインターネットが少しずつ一般人に浸透し始めていたとはいえTwitterのような高い情報拡散性と手軽さを兼ね備えたSNSの普及以前には、まだ名も無き一般人社会的流行や風潮を生み出すレベル情報発信を行うことは、事実上不可能に近かったからです。また、虐殺事件などにおいて、武装した多数の暴徒を目の前にして怖じ気づいた一般人が、独りで立ち向かうことができなかったと告白懺悔するのも、これもまだ理解可能です。

 しかし「90年代鬼畜ムーブメント流行」を根拠にして、小山田圭吾擁護しているギョウカイジンの多くは、既に90年代メディア活動芸能活動をし始めていて「ムーブメントを作り出す、或いは、影響を与えることが可能だった立場人間」ではないですか。「オレたちギョウカイジンは、お前ら一般人と違って、世間を動かせるんだよ!」という考えの持ち主だったはずです。例えば、爆笑問題太田は、当時から過激発言が売りだったのだから、得意の毒舌小山田圭吾を「アイツ、イジメ自慢して格好悪いな!」とか攻撃することも、やろうと思えばやれたはずです。反権力的な言動がウリのミュージシャン文化人も同様です。なのに、それをやらなかったのは、結局は彼ら自身の打算や保身が理由でしょう。ならば彼らは「90年代時代空気や風潮」のせいにするのではなく、せめて己自身問題として「打算や保身、我が身かわいさから自分という個人は、小山田圭吾蛮行批判せずに見過ごした」とハッキリ言うべきなのです。先に虐殺に立ち向かえなかった一般人を例に出しましたが、90年代当時のメディア関係者芸能人が「当時の空気」と言い訳するのは、関東大震災当時に「不逞朝鮮人」などと世間を煽っていた官憲人間が、いざ朝鮮人虐殺が起きたことの批判を受けたら「時代空気が」と言い出すのと同じぐらいには無責任且つ卑劣だと、私は思います

 更に、小山田圭吾擁護する人間たちを卑劣に感じるのは、彼らが小山田圭吾のしていることを勝手に「過去の話」にしようとしているからです。私は「していること」と書きました。そうです。あの暴力事件を犯して以来、そして雑誌インタビューによって一般人に広く認知されて以来、小山田圭吾被害者に対して謝罪も償いもせず、謝罪反省を促す一部のファンから真摯な声さえも無視し、逃亡し続けているのですから、これは「したこと」ではなく「していること」つまり「終わってしまった過去の話」ではなく「継続している現在の話」です。小山田圭吾の盟友である中原昌也も、小山田圭吾のしていることを「あの頃は」と「終わってしまった過去の話」にしようと画策した卑劣人間の一人です。渋谷系って本当にダサいですね。石原慎太郎罵倒することは出来ても、オトモダチのギョウカイジンの悪さは批判出来ない、そんな自称"反権力"作家は、毎朝鏡を見て恥ずかしくなったりしないんでしょうか。

 長くなったので、今回は一旦ここまでにします。

2021-07-17

anond:20210717095831

自己放棄

信仰のために自分の都合や仕事学業などの事情、ひいては命を放棄すること。転じて、学校会社を休んだり、退学、退職して、合宿布教活動などを行うこと。旧体制時代は、これを行うことが誇りとされ、大いに推奨された。

小山荘吉前会長は、「自己放棄とは自己解放である」と説いた。自己放棄という言葉信仰的に善意解釈すると、「自己を捨て、神の意志に自らをゆだねる」のような意味だと解釈できなくもないが、実際にはこの言葉は、会社学業などの本業休み布教などの宗教活動に専念すること、の意味に使われることがほとんどだった。「自己放棄をしなさい」と言われることは、そのまま「会社学校を休んで布教活動をしなさい」という意味として通用した。

あほみたいに、何も知らずに行ってるミホミュージアムのとこの本部

拉致軟禁されて、決意させられるんだよ。

どれだけの人生、家庭が破壊されたか

こいつらは全く裁かれてない。

中田英寿が、ルイビトンのイベントで参加してる

時、軽蔑したね。

神慈秀明会

MIHO MUSEUM

2021-05-10

眠れない夜と、ダムタイプ「S/N」について

深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。

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私は夢見る、私の性別がなくなることを。

女友達手作り料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。

絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔から友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族強制する性の価値観あんまり理解できなかった。

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女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯王子役を押し付けられまくった経験からLGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。

普通であることに安心する家族普通であることに怯えるわたし曖昧言葉には常に適度な距離感必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。

思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。

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「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人から暴力罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。

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わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカー音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。

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本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人わたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。

小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたし眼鏡諸悪の根源にすることで耐えていた。

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恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしかわいいからでしょう?」と母の言葉確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。

当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界レイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。

大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズ問題解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。

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好きな人言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。

まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。

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「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?

好きな人に会う前から男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリライン

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それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白承認する、他人人生を背負うとはそういうことだと思った。

そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。

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好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれプライベート時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。

なんかもう、それだけでよかった。

セックス搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。

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好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命いたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。

そういう、希望だったんだ。

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私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。

でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。

わたしあなたが好き。

それそのものが救済なんだ。

私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。

2021-04-04

雑誌映画秘宝』の記憶(41)

町山智浩柳下毅一郎問題発言集】(No.16)

 出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』(2004年洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記記述形式

   [ページ数]

   発言者発言内容

   【※】付随情報や私個人の感想など(適宜)

   (初出)

です。

引用ここから

[p149-150]

【※】『キル・ビル』の話題からワインスタインタランティーノ蜜月関係の話に。

 町山:ワインスタインファイナルカット権を監督から奪ったり、シナリオに何度も書き直しを命じるので悪名高いんだけど、タランティーノだけはノーチェックなんだって

(中略)

 柳下:鬼のワインスタインタラちゃんにだけは甘いんだ。

 町山:ヤクザ親分のドラ息子みたいなもんだ。

【※】『キル・ビル撮影当時、クエンティン・タランティーノが「演技指導」の名目で、ダリル・ハンナハードコアポルノを観せたは有名な話です。

【※】その話をタランティーノから聞かされて、一緒に面白がっていたのが町山智浩です。

【※】タランティーノワインスタインが甘かった理由も、二人に「性的強要セクハラ体質」という共通項が有ったからではないか?と私は推測しています

【※】「特定人間にだけは甘い」という体質は、町山智浩旧体制映画秘宝』と共通していますね。町山智浩らは、自分たちのことは棚に上げていますが。

(初出『映画秘宝』03年vol.47)

感想

 セクハラ面白おかしく話すような人間は「似た者同士」で集団形成するものなのでしょう。

 この投稿は以上です。ヘイル・サタン

2021-02-25

私はフェミニストが嫌い / なぜフェミニストは嫌われるのか

突然ですが、私はフェミニズム共感しています

一方で、私は現代日本の多くのフェミニストが嫌いです。

普段noteとか書いたりするんですけど、過剰な反応でnote焼かれたりしたくないので、はてなで書きます。初めて使いました。

フェミニストさん。今日バチバチにやっていきましょう。


私は、フェミニズム共感している

(前提として、私のフェミニズム-フェミニストに関する造詣は浅いです)


フェミニズム

女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動総称であり、政治制度文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差を明るみにし、性差別に影響されず万人が平等権利行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である。 女権拡張主義、男女同権主義などと訳されることもある。

(引用wikipedia)


私は、フェミニストが嫌い

正確には、Twitterで目に付くフェミニスト (≒ツイフェミ?) が嫌いです。


なぜかというと、論理的でないかです。

私に偏見がないとは言えませんが、ツイフェミはだいぶヒステリックに見えています


私は差別に対しての、正しいアクションを知りません。

ただ私は、現状SNSで行われているような 、フェミニストの(単なる)自分に都合の良い主張には辟易しています


知性を重んじる私としては、主張をして相手理解してくれないとしたら、たとえ釈然としなくても「なぜ相手はその主張を聞き入れないか/わかってくれないか」を掘り下げるべきだと考えています

大体は(精神的/物理的)既得権益の兼ね合いがあるんじゃないでしょうか。

どんなに主張が崇高であれ、彼らの既得権益破壊するのであれば旧体制から強い抵抗があるでしょう。彼らは不利益回避したいので。


これはフェミニズムに収まらず、全ての差別に対して同じことが言えると思います

もう少しクレバーに、何故この主張を呑むと良いか社会として何が変わるのか、あるいはどう良くなるかを説明しないと彼らは動きません。

(これ自体は非常に嘆かわしいことです…)


その観点から言いますと、フェミニストは全くもって、論理的でない。

あなたあなた理想子どもわがままのように押し付けはいけないのです。


世界を変えるのは論理だけなのか

そんなことはありません。世界を変えるのは大まかに二つあります


論理暴力です。


論理世界を変える

論理的で…って難しいですよね。


でも、わりと世界論理ベースで動いてます(嫌なところで感情が出てきていますが…)。

相手ロジック理解した上で論理的に説得するのは…知性的で好きです。

時間はかかりますが、文明らしい解決策だなぁと。


暴力世界を変える

世界というのは暴力をふるうことで変えることができます


論理に比べるとローコスト且つ楽しいです。

暴力をふるって従わせるのって楽しいみたいですからね。ねぇ?


身体暴力だけではありません。

例えば山のように相手批判的なコメントをぶつけるとか。

論理としての正当性というよりは、量による圧じゃん。


もちろん論理的だけでダメなこともありますけれど

もちろん、論理的けが解決策とは言いません。


夫婦別姓とかはこの方針ですが詰まってますよね。

(伝統的な家庭の形が破壊されるとか……なんですかそれ)


あるいは女性用のピルとかもそうでした。

(ピル実用のための論議に54年かかりました。対して男性用の精力剤であるバイアグラ実用が1年で決まったそうです)


冷静に議論をしても解消されないことは多くありますが、世界残酷なので子供のように喚き散らかしても何も変わりません。

(こういうギャップ、ほんとどう解決したらいいんですかね)

大人であれば、論理的に話せてほしい…というのが、私の願いです。被差別者も、差別者も。


なぜ、あなた自分理想押し付けはいけないのか

実はこれはめちゃくちゃシンプルです。


なぜかというと、社会リソース無限ではない」からです。


あなたの言うことを完璧に反映できるほどのリソース社会にはありません。自分理想的な社会を作りたいのであれば、現代社会脱出して自分理想コミュニティを作る方が楽かと思います


でも、今苦しんでる人がいます

ほら、そういうことを言い出すからフェミニストが嫌われてるんですよ。


苦しんでる人がいることはわかりました。

では、世界の全てがその人に合わせなければいけないんでしょうか?


世界リソースが足りず、全ての人を助けられないことは嘆かわしいことです。

しかしながら「特定のだれかを完璧に支える」という、現実にできないことを成せというのは理性的とは言えません。もはや取引になりえません。


あなた自分で成し遂げください。社会あなたの面倒を見切れません。


社会とはみんながうっすら不幸になりながら支え合うシステム

多分、社会というものを誤解しているのだと思います


元来、群れ-社会とは、「一人でいるより多人数でいる方が何かと便利」をコンセプトに自然形成されているのですが、その社会の維持のためには誰もが少しづ負担を担う必要があります

例えば税金とかイメージしてもらうとわかりやすいです。あるいは、最善ではない福祉施策なんかもそうです。


「0よりはマシ」「ないよりはいい」をベース社会を構築してようやく今の姿があるのです。

もちろん搾取するコミュニティも多く存在しますが、日本比較的みんなのことをうっすら支えているコミュニティだと思います(高齢者への待遇が厚く次世代に興味がない…とは辟易していますが)


針に刺されながら生きろというのか

ここまでの主張をすると


「これは実際に痛みを感じていない人」の理論と言われることがあります


では「女性は針に刺されながら生きろというのか」という問いが出てくると思うので、それに答えます


「そうです」


だいたいみんな、針に刺されて生きている

フェミニストのみなさん、2021年はいいですね。

フェミニズムはだいぶ主張を聞いてもらえるようになっています


私もまた、とある事象被差別者ですが、私のされている迫害に関してはまだまだ解決には程遠く、差別を受け続けています

(そもそも私自性差別範疇に居ますし)


誰しもなんらかの迫害をうけているんじゃないでしょうか。

程度や事柄が違うこともわかりますが、世界迫害を受けている人はあなただけではないでのです。


社会とはみんながうっすら不幸になりながら支え合うシステム、ですからね。


まぁ、2021年女性の番かもしれません。

いつか私たちのことも救ってくださいね


”誰か”が利益搾取してることは事実

まぁ、とはいっても誰かしらが搾取してる現状はありますよね。


その上で、無意識搾取意図的搾取は別なものなので、無意識搾取には丁寧な説明を、意図的搾取には交戦していくのがよい…のかもしれません。

無意識搾取してしまっている人を、再起不能なまで叩くのはやめてもいいんじゃないですかね。人はもう少しやり直せると思います


終わり

あとはフェミニストの方が私に冷静な議論を持ちかけてくることを祈るだけです。


補遺:本当に喚き散らしても世界は変わらないのか

実をいえば、未成熟なのはフェミニストだけでなく受けてもそうです。先程喚き散らしても変わらないと言いましたが、それは受け手成熟している場合に限ります


企業炎上に怯えてすぐに記事をとりさげます

森さんはすぐに後任に変わりましたね(後任が最善かはこの際置いておきます


かにアクションすれば世界は変わります

ただし、必ずしも良い方向に変わるのではなく、過剰反応として変わります


今の日本は異常にクレームに怯える社会で、クレームが出されるとすぐ反応してしまます

論者も未熟ですし、企業も未熟です。メディアは未熟…というか日本に対して害意を持っていると思いますし。まぁそんな感じです。


その他

なお、サービスの注意に「サービス匿名性は、特定対象攻撃する目的に使われるべきでないと考えています」と書かれていました。

これって攻撃、なんですかね。

あと、この長いのを短縮で表示したいんですけど、タグの使い方がうまくできないので誰か教えてください

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