はてなキーワード: 中型犬とは
親戚の長寿のお祝いに、もうすぐ一族揃って一泊二日の旅行に行く。
その配偶者に留守中の犬の世話を頼めないかと、うちの親が自分に打診してきた。
本犬並びに彼を可愛がっている家族には申し訳ないが、こちらとしては、実家を出た後に突然飼われ始めた苦手な生き物でしかない。何年いようが恐怖の対象で愛着もない。
自分がこんなだし、配偶者自身も別に犬好きではないし、暇だったとしても私用の旅行中の義実家にわざわざ赴いてシッターをさせられる義理はない。
それに自宅から実家まで普通に距離もある。近所でも通り道でもなくアクセスも悪い。時間だって交通費だってかかるのだ。
仮に交通費に多少色付けてくれても割に合わないだろうし、その金額を出すならもうプロに頼んだ方が双方の為だ。
まあダメ元で念の為言ってるのは伝わってはきてた。で、マジでダメなのでシッターでも探してくれと断った。
対する返信は「注射してなくても見てくれるとこ探す」と来た。
親の片方が自然派反ワクどんどん拗らせてるのは知ってた。良くも悪くも強い思想は何もなかったもう片方も、それに染められつつあるのも。
しかし、野生動物もたまに徘徊してる程度の田舎の外飼いで?力が強くて若い頃には一度脱走もした中型犬を?一体いつからその状態で?
今回連絡を寄越したのは過激派ではない方の親だったので、話が通じることを願いながら、ワクチンは義務であること、そこらにいる野生動物が保菌者かもしれないこと、未接種で見てくれるシッターは多分いないことを伝えた。
過激派ではなくとも反発されたら意味がないので、親や犬を悪く言っていると取られかねない言葉はとりあえず全部飲み込んだ。でも過激派の方の親に隠れてでもやることはやってくれと念押しもした。
悩んで悩んで送信した頃には向こうはもう寝てたようで、今は未読のままだ。
つい先日も別件で親が危ないことをしていたのを咎めたばかりだった(その時も親の自尊心を傷付けずに危険性を伝えるには…と結構悩んだ)
こんなのが続くと心苦しいが、危ないことは看過できないのはわかってほしい。
親戚の長寿のお祝いに、もうすぐ一族揃って一泊二日の旅行に行く。
その配偶者に留守中の犬の世話を頼めないかと、うちの親が自分に打診してきた。
本犬並びに彼を可愛がっている家族には申し訳ないが、こちらとしては、実家を出た後に突然飼われ始めた苦手な生き物でしかない。何年いようが恐怖の対象で愛着もない。
自分がこんなだし、配偶者自身も別に犬好きではないし、暇だったとしても私用の旅行中の義実家にわざわざ赴いてシッターをさせられる義理はない。
それに自宅から実家まで普通に距離もある。近所でも通り道でもなくアクセスも悪い。時間だって交通費だってかかるのだ。
仮に交通費に多少色付けてくれても割に合わないだろうし、その金額を出すならもうプロに頼んだ方が双方の為だ。
まあダメ元で念の為言ってるのは伝わってはきてた。で、マジでダメなのでシッターでも探してくれと断った。
対する返信は「注射してなくても見てくれるとこ探す」と来た。
親の片方が自然派反ワクどんどん拗らせてるのは知ってた。良くも悪くも強い思想は何もなかったもう片方も、それに染められつつあるのも。
しかし、野生動物もたまに徘徊してる程度の田舎の外飼いで?力が強くて若い頃には一度脱走もした中型犬を?一体いつからその状態で?
今回連絡を寄越したのは過激派ではない方の親だったので、話が通じることを願いながら、ワクチンは義務であること、そこらにいる野生動物が保菌者かもしれないこと、未接種で見てくれるシッターは多分いないことを伝えた。
過激派ではなくとも反発されたら意味がないので、親や犬を悪く言っていると取られかねない言葉はとりあえず全部飲み込んだ。でも過激派の方の親に隠れてでもやることはやってくれと念押しもした。
悩んで悩んで送信した頃には向こうはもう寝てたようで、今は未読のままだ。
つい先日も別件で親が危ないことをしていたのを咎めたばかりだった(その時も親の自尊心を傷付けずに危険性を伝えるには…と結構悩んだ)
こんなのが続くと心苦しいが、危ないことは看過できないのはわかってほしい。
マジレスしてみる
個人の感情に任せた場合に、大型犬よりポメラニアンの方が寄付が集まりやすいという前提は正しいと思う。
ポイントとなるのは、寄付が集まりやすい順番に救済されていった結果、最終的には大型犬を含むすべての苦しんでいる対象が最低限必要な水準に至るまで救済を充足できると寄付する人間が信じているか、だと思う。
つまり「順番に多少の前後はあれど、ポメラニアンが救済されれば次には中型犬、大型犬に同情が集まるようになり、結果としてすべての犬が救済されるはず」と信じている人にとっては、とにかく目についた可哀想な犬に寄付を行うのは、(最善ではないにしても)概ね正義にもとる行為ではないと思われる。
一方、諸々の理由により救済が大型犬に行き渡ることはないと考える人ならば、寄付を正義にもとる行為だと感じる傾向が強くなるだろう。
救済が大型犬に行き渡らないと感じる要因としては、
・救済に充てられる全体のリソースが明らかに不足していると感じられる場合
などが考えられる。
そして、この中でより考え方の違いが出やすいのは後者の「救済されたと見なす水準が高い場合」ではないかと思われる。
救済を急迫した危機からの脱却(必要最低限の状態の確保)のためだと考えている人ならば「とにかく今、危機的状況にある人には手当り次第に支援を行うことで、世の中から危機的状況にある人をゼロにすることができる」というロジックは比較的すんなり受け入れられるものだと思うが、救済を可哀想な要因の完全な排除(対象の状態を世の中の平均水準まで押し上げること)だと考えている人ならば「そんなリソースあるわけ無いじゃん→個人の感情で救われるやつを選別するのか?」と感じるのも自然だろう。
自分は犬を買っていない。小型~中型犬と散歩している人はよく見るが、今日は珍しく大型犬を連れている女性を見た。
オールド・イングリッシュ・シープドッグの毛をカットしまくって短髪にしたような見た目をしていた。
3歳の娘を連れていたので私から飼い主に話しかけることができなかったが、大型犬は珍しいのでガン見しまくってしまった。
若い女性が一人でリードを持っていたので「お姉さんよく引きずられないなあ」と思った
その犬が突然ワンワン大きな声で吠えだし
そのまわりには2歳や3歳くらいの子供たちもいたため怖がられていた。
私の3歳の娘も「こわいよ~」と言いながら私に抱きついてきた。
うーん、子供たちにとっては大型犬は自分の体格の四、五倍ありそうだしそりゃこわいよな……
しつけが行き届いているのかお姉さんはリードを操って犬をたしなめていた。
大型犬はエサ代もたくさんかかって費用が大変だから飼ってる人が少ない
大型犬を間近で見れるのは貴重なんだけどなぁ
ペットショップにいっても子犬しか売ってないし動物園にいっても大型犬なんて見れない
ドッグカフェも飼っているのは小型~中型じゃないのか
もう何年も前の話。
高校生のとき、飼っていた犬が死んでしまった。といってもその死自体は決して不幸なものではなかったと思う。中型犬で十数年生き、最期は膵臓を悪くしたのが死因だった。老犬で体力が落ち、毛に白いものが混ざっていたけれど、死んでしまう一ヶ月前くらいまで元気だったから、私たち家族にとっては呆然としてしまうほど急な死に思えた。
餌をあまり食べなくなり、獣医に余命いくばくもないと診断されてから一ヶ月。まだ今日は大丈夫かな、明日も生きているかな、と心配しながら毎日を過ごしていた。物心ついたときから一緒にいた犬だったから、残り少ない時間を少しでも長く過ごしたかったが、終わりは急にやってきた。
家族の中で朝一番早くに起きる母が、「死んでる」と悲鳴のような声をあげて、家族全員が飛び起きたのを覚えている。犬の身体はまだ暖かかったが、呼吸も鼓動も既に止まっていた。
家族全員で泣きながらお別れを言って、クリスチャンの父が祈りを捧げるのに合わせて私も冥福を祈った。プロテスタントの両親を持ち、ミッションスクールに通いながらも無宗教を自称していた私は、そのとき初めて真剣に神に祈ったと思う。
それから両親が犬の亡骸を葬儀場へ連れて行くことになり、私含む子どもたちは学校へいくことになった。私は一限目には遅刻することになってしまったものの、当時の担任が優しい先生でお叱りを受けることはなかった。「私も昔飼っていたゴールデンを亡くしたことがあるから、気持ちはわかりますよ」と言ってくれた。
学校に着くと、明らかに泣き腫らした顔の私を見て友人たちは心配してくれたようだった。「犬が死んでしまって」と事情を説明すれば、それぞれ慰めてくれた。心中では「犬が死んだくらいで大袈裟な」と思っていた子もいたかもしれないが、それを表面に出さないくらいには優しく思慮に溢れた子たちだった。
悲しい、さみしい、と私は泣いた。たぶん目の当たりにした死のショックも多少はあったが、当時の私にそれを言語化する余裕はなかった。一番近い感情をとにかく口に出して、涙で感情をやわらげようとしていた。
「そんなに寂しいなら新しい犬を飼えば?」
不意にそんな言葉を突きつけられて、頭を殴りつけられたような気になった。言ったのはずっと同じ部活で、部活外でもつるんでいた子で、親友だと思っていた子だった。なんでもない、ただのアイデアのように投げつけられた言葉があまりにもショックで、私は言葉を失った。
いや今朝犬が死んだって大泣きしてる子に、「次の犬飼え」とか言う?寂しいって言ったから?犬が一匹からゼロ匹になったのが寂しいとかペットがいないと物足りないとか、そんなニュアンスで言ったと思ってんの?お前知ってるよな、私と十四年生きてきた犬だって、弟みたいな存在だってずっと話してきたよな?知ってて言ってんのかよ頭おかしいのかこいつ?ーーとさまざまな言葉が頭を駆け巡って、出てきたのは「は?」だけだった。そのあとはたぶん、休み時間の終わりとかで会話は打ち切られたのだと思う。
ただ、煮えたぎるような怒りはずっと収まらなかった。ただの何気ない提案、空気読めないあたおか人間の言葉、私の反応が大袈裟すぎる、そう考えようとしても無理だった。怒りのあまり数日後に母へぶちまけると、「まあ猫飼ってる人は感覚が違うのかもね」という苦笑ぎみの反応が返ってきた。
猫ならいくらでも代わりがいるのか、家族だと思えないペットなのか、死んでも悲しくないのか。だったらあいつの猫も死んでしまえばいいと思った。実際、手を下す気概は無かったのでただ死を願うだけだったのだが。猫が死んでどんな反応を示すのか見てやりたい、憔悴して泣き叫ぶなら私の気持ちを思い知ったかと笑ってやるし、ショックを受けないとしても溜飲が下がる。とにかく私は「思い知らせてやりたい」という気持ちでいっぱいで、なんなら今でも思い出すだけで腑が煮えくりかえるほど怒りは持続している。猫はかわいいけど奴の猫は死ねと思っている。
ただただ猫の死を強く念じたとき、高校生の私の頭に思い浮かんだのは「これが呪いなんだな」という実感だった。誰かの冥福を祈った口で誰かの死を願う。直接手を下せない相手に、どうにかして死や苦しみを与えたいという卑怯で陰湿な感情。憎い相手そのものではなく、その大切な存在を苦しめることで傷つけてやりたいという憎悪の発露。そんな人間の目の前に呪いの方法が示されていたら、「私にはこれしかない」と飛びついてしまうことだろう。
あたおか人間とはその後特に決別することもなく、無難に高校生活を過ごしてそれっきりだった。Fラン大学に進んだようなので、就職なり社会人生活なりで死ぬほど苦労して病んでればいいと思う。
※追記あり
正確に言えば犬と猫を飼いたい。
・動物が好き
幼少期より生き物が好きで、将来は複数の生き物と一人でのんびり暮らすことを夢描いていた。
・何かのために生きたい
自分のためだけに仕事をし勝手気ままに生きる生活でいいのだろうか。
30代になり仕事も収入も余裕が出てきたので、自分以外のものに手をかけることができるようになったと思う。
自分以外の生き物にご飯を与えることに人間は喜びを感じるという。
また、生き物のぬくもりを感じることでオキシトシンがなんとかかんとか。
生き物は精神的にいい。
■なぜ犬を飼いたいか
終わっている。30代の未婚女がおなかが出てきているのは人として終わっている。
痩せたい。
現在は睡眠導入剤がないと日が出てからでないと寝付けないといったことはなくなったが、
いまだに朝が弱い。
睡眠障害になる前は生まれてからずっと朝方で、毎日23~24時就寝、5時~6時起床といった生活だった。
朝方に戻したい。
朝起きなけらばならない理由が欲しい。身体的に疲れて夜寝ざるを得ない生活がしたい。
自分以外のモノのためならできると思うので、犬の散歩がしたい。
・しつけがしたい
子供の世話をして、人として成長している。
このまま精神的に大学生のまま、40代50代、老後を迎えると思うとぞっとする。
何かを愛すること、
見返りのない愛情を注ぎ続けること、
思い通りにいかなくても嫌なことでも自分だけの責任で逃げずにやり遂げること、
自分の気持ちや相手の気持ちを読み取ることが生まれつき苦手だ。
コロナ禍になり人と会う機会が少なくなることでそれはますます悪化した。
犬を飼っている人を見ると、犬の気持ちに寄り添ったり、犬を褒めるときに笑顔になったりと、
感情を表現したり感情を読み取る機会が多いように見受けられる。
・脳に刺激が欲しい
一人だけで完結する生活は恐ろしく刺激がない。
最近一瞬で半年が過ぎていたことに気付き、いよいよここまできたか・・・と思った。
新しいことをしないと刺激がなく、ぼんやりとした時間を過ごしてしまう。
しつけや病気等の犬の勉強をしたり、犬が健康であるのかなど様子を見て判断する必要があるため、
頭を使うと思う。
■なぜ猫を飼いたいか
まんまるおめめ、しなやかな体、美しい声、
飼い主が家に帰ってくると走って玄関にきてお出迎え、
猫じゃらしであそんだり持って来い遊びをしたり、
■これからどうするか
・犬と猫の同居
調査の結果(増田調べ)、大型犬が1歳前後になったタイミングで、子猫を飼うのが同居のカギであると思った。
大型犬の理由としては、興奮しにくく、吠えにくく、愛情深いからだ。
キャンキャン吠えたり興奮する生き物を猫は嫌う。
また、1歳前後であれば犬は最低限のしつけはでき大人になりつつある段階であるものの
まだ社会化の途中であるため環境の変化にも適用しやすいのではないだろうか。
子猫の理由としては、猫は環境の変化を好まないため大人になってからでは犬と生活するのは難しいと思う(猫の性格頼みになる)。
ということで、まず小型犬ではない犬を飼い、犬が1歳になる前に猫を飼い始めたい。
しかしこれが難航している。
職場の品川駅まで30分以内で行ける場所で賃貸物件(大型犬・猫OK)を探すと、家賃15万前後となってしまう。
ペットの飼育費を考えると家賃は10万まで、出せても11万円までだが、物件がない。
1.5時間もかかると往復で3時間となる。それに1時間×朝晩2回の犬の散歩に、ご飯やトイレの世話等毎日できるだろうか。
体力的に厳しいと思う。
出張など家を空けざるを得ないことがたまにあるため(もちろん子犬の時期は出張はいかない)、
間を取って中型犬にしたとしてもケージ分のスペースを考えると1DKくらいはあった方がいい。
たすけて
皆さんは、どうおもいますか?
ペットを諦める?
大型犬を諦める?
将来もずっと在宅勤務の比率が高いと信じて遠方に住む?
根気強く条件にあう賃貸を探す?
いい物件があったら教えてください。切実です。
回答遅くなり申し訳ございません。
> 両親と三人ぐらしのおっさん。 「おれの犬」を飼っている。…
>YouTubeの動物動画、猫カフェ、ふれあい系の動物園で満足するのがおすすめですよ。…
→20代のころは飼いたくても金銭的理由で動物は飼えなかったため、
YouTubeの動物動画、猫カフェ、ふれあい系の動物園に行くなどしていましたが、
仕事にも金銭的にも余裕が出た今こそ家族として迎え入れたいと思っています。
>お花畑のなかすまんだけど、結構やつら好き勝手だし相性悪くても捨てられないからね?
→実家を出るまでは実家で猫を飼っていましたが、人間の思い通りにはいかないものだと思っています。
犬を飼っている人のYouTubeやSNSを見たりしますが(これがすべてではないと思っているので参考程度に)、
家具を破壊したり、家をぼろぼろにしたり、誤飲して病院で数十万の手術をしたり、病気をしたり、
大変なこともあるかと思っています。
それでも何があっても捨てるなどもってのほかです。
>マジレスすると大型犬は初心者かつ一人で育てるのは普通に難しいと思うよ…
多頭飼いに向く品種を選び相性が悪い確率は少しでも下げたいと思っています。
本人同士が相性が合うのかは実際やってみないと分からないと思うので、
犬の適性を見て、猫を迎える際はトライアル期間を設け相性が悪そうであれば猫は諦めます。
>犬の散歩してくるやつ、家の周りでオシッコさせて気持ち程度の水をかけて帰りやがるんだよな
→ご意見ありがとうございます。きれいに処理するよう心掛けたいと思います。
>中型犬でもそんなに吠えない子はいるからいきなり大型犬にはいかないほうがいいんじゃないかなー
親犬の様子を見たりブリーダーさんにお話を伺ってみたいと思います。
>まず自分をあきらめればいいとおもう まあ充実してるのはいいことだけどあとは老化ばっかだよ
→理解不足で申し訳ございませんが、意味がよくわかりませんでした。
>犬飼ってる。私も大型犬が好きだけど、結局飼いやすさ、家の大きさからトイプードルを飼うことにした。…
実家で猫を飼っていた時は2~3日開けていても平気でしたが、
犬は1泊でも預けなければいけないと思っています。
もう数年前になる。
毎日たくさんの人が利用してて、敷地内は緑地も多かったから休憩にくる人、ピクニックする人、ランニングする人とか、犬の散歩に来る人とかいっぱいいた。
たくさん人が使えばそれなりにトラブルがある。
犬関係はとにかく飼い主がめんどくせー。
元々動物好きだし最初のころは犬は悪くないって思うがいつの間にか犬も飼い主も嫌いになった。
やむを得ず飼いましたって、ほぼないじゃん。自分が望んでそうなってんでしょ?それなのにマナー悪い人多い。
まず排泄物持ち帰らない人多い。放置は論外。トイレのゴミ箱に捨ててくならまだマシか。
おしっこシートみたいなのさ、便器に流す人いんの。あとうんち入ったビニール袋も。これかなりの頻度で起こる。あいつら注意看板とか何も見ない。
で、トイレの配管って見えないけど上下にすごくグネグネしてる。だからどっかで絶対詰まるしさ、水吸って動かなくなる。基本は俺らで頑張るけど、何しても通水しないと業者呼ぶハメになる。何度もさ、チリも積もればってやつ。金の無駄。
花壇におしっこさせるやつも馬鹿かと。花枯れるわ。土掘られるわ。ボランティアさん泣いてるわ。ボランティアさんの機嫌取りも大変なんだわ。
外灯とかの金属のポールにおしっこさせるやつもふざけんなよ。溶けるんだよ。じわじわ溶けてくからさ、定期点検でこっちが気づいた時にはまじでヤバイってことが多い。耐久年数が大幅に短くなる。
クソ長リードも馬鹿。そのリードにランニングしてる人引っかかって転倒、犬は小型犬だったから突然引きづられて骨折とかさ。可哀想にね?
クソ長リードが何かに引っ張られて犬が怪我すんの何回も見た。そのクレームこっちに来んの。知らねーよ。人がうじゃうじゃいる場所でクソ長リードは犬をコントロールできねーしノーリードと変わんねーだろ。お前の想像力の欠如だよ。
サッカーボールが当たって犬が骨折したサッカーを禁止しろとかさ、おかしいだろ犬禁止の運動スペースに犬連れてくんな。
お前の犬なんだからお前が守ってやれよ。
誰でも見境なく犬を近づけさせて蹴っ飛ばされる犬の話も何度かあるが哀れだった。
しつけが出来てなくて子供に襲いかかる犬とかさ。犬はじゃれてるだけとか飼い主は言うけど、子供怖がってギャン泣きじゃん。
お前の犬可愛いと思ってんのお前だけ。
小〜中型犬は対人関係のトラブルまじ多い。だいたい、うちのわんちゃんがケガしたんですけどって被害者ヅラ。ほんとに被害者だったこと片手で足りるわ。
大型犬はしつけできてるやつが多い。ただしフンの放置は多い。デカさでわかんだよな。
通報あって確認行ってさ、注意した時に犬を犬って言うと怒る飼い主。
犬じゃありません家族なんですって。
わんちゃんって言えば満足か?家族なんだったらしっかり面倒見ろ。外で排泄させんな。
100歩譲って外でさせんなら絶対に持って帰れ。
飼い主同士が群れてんの面倒だった。
大勢で集まってベンチに犬乗せてる汚いって犬嫌いの人からクレームがアホほどくる。
長時間も道塞ぐのやめろ。ここお前ん家じゃねえの。散れ。
人気犬種の珍しい色味の犬連れた飼い主とかさ、こだわり強いのか厄介クレーマーになる確率高い。
すっげー悪質なやつがいてさ、そいつが連れてる色のその犬種は見るだけで嫌だった。
なんかさ、三連休最後の日に朝から玄関先で知らねー犬のフンを踏んでから昔のことを思い出した。
https://anond.hatelabo.jp/20211226230142
上の記事を書いた増田なのだけど、思っていたより反響があったのでブコメに上がっている疑問点に可能な限り答えたいと思う。内容の重複するコメントが多かったので、要旨を丸める。
Q 本当に死にたい人間はこんなに精力的になれない、婚活も結婚もしようとしないはずだ。
A 友人は、婚活をしていたし、結婚もしていたし、国内外の旅行にも行っていたし、資格の勉強をし、亡くなるほんの数か月前に簿記2級に合格するような知性とバイタリティを持っていたし、貯金もあった。だが、死んだ。
活動的であるかどうか、「自分が生きると思わせてくれる何かがあるかもしれない」という一縷の望みに賭けて努力する(婚活や資格取得)かどうかということと、死にたい気持ちは全くの別物であることを理解されたい。寧ろ努力した結果、報われなかった、あるいは何らかの果実を得たものの「やっぱり生きたいと思えなかった」と落胆することで死に一歩近づくことがある。
そしてこれは言っておかなければいけないことだと思うけれど、「本当に死にたい人間なら」というのは、単に「私の観測範囲内では」という話に過ぎない。実際のところ、死にたい人間も多種多様だ。
希死念慮者は死によってでしかその意思が肯定されないのか、それは違うと思う。希死念慮者は、「死にたいという気持ちを抱えた生きた人間」だ。単に自分の想定に沿わないからといって「ニセモノだ」という話をされたのでは、サバイブした事例の話は出来ないことになってしまう。
Q 2019年に破産の申請が通り、仕事がうまくいかなかったにもかかわらず2020年にはバイクを買って数か月も働かずに旅に出られるだけのお金が貯まるのか?
A 裁判所から破産の決定が下りたのは2019年だが、相談をしたのは2018年であり、相談時点で全ての債務の返済及び利息の加算は停止する。その為、2年近く給与を貯蓄し続けることが出来た。仕事がうまくいかなかったのは、単に自分の無能さに嫌気がさしているということ。私は歩合の無い普通のサラリーマンなので、無能でも減給になったりはしなかった。
A 実際ひときわ美人だから。もはや生きることにうんざりしていた私は、「まあ、この人でも良いかな」みたいな妥協をしてまで他人と付き合う気はなかった。なので、ひときわ美人だったことはやはり俗っぽいけれど重要な点だったと思う。しかし最も重要なことは、このエントリは妻も監視しているということ。
Q 2020年年末から「新潟経由スタートで南下」し「冬の北海道をバイクで走破」は、積雪によって不可能ではないか?
A 年末という書き方が悪かったと思う。これは「12月」と読みかえて欲しい。当時、新潟から日本海沿いに寒波が下りてきていた。私は寒波から逃げるように日本海を南下したので、日本海では積雪に遭遇していない。九州では、大分の九重連山で積雪に悩まされたが、それは乗り切ることが出来た。また、東北・北海道については春に入り雪解けを待ってから上陸したので、「冬の北海道を走破」はしていない(春季でも所どころ積雪はあったが)。
A 実際に行動を起こした(自殺未遂、友人の自死、発信し続けたこと)という点において、漠然と死にたいと思うだけで気付いたら理解ある彼くんが人生をリードしてくれたという案件とはフェイズが違うと思う。
が、「人間を救えるのは人間しかいない」と結んでいるように、一度袋小路に陥り自力では抗えないほど閉塞してしまった人生は、理解してくれる(しようとしてくれる)他者によってしか救われないと思う。犬も歩けば棒に当たるみたいなことが伝わってくれれば嬉しい。
Q 首を吊っても縄が切れることはあり得ない。
A 私の場合、購入して数年経った中型犬用のロープを用いたので、劣化していたことと、そもそも中身がスカスカだったこともあり切れたのだと思う。また、これは私が体験談を聞いた範囲での話だが、縄が切れて首吊りが失敗する事例は割とあるようだ。
Q 「遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた」ってどういうこと?
A 友人がわざわざ自宅から持ってこなければ、通常、携帯料金の請求書は手に入らない。そういう紙の裏に書くと、遺書が自発的に書かれたものである(私に無理やり書かされたのではない)という事実を裏付ける証拠になる。
Q ホテルで死のうとするなんて、ホテル側に迷惑だと思わないのか?
A 誠に申しわけございません。
Q 実話? 創作?
A この種の疑問に回答しても栓ないと思うけれど、実話。読んでくれてありがとう。
私も家族の雑種の中型犬が悪性腫瘍で1人きりで亡くなりました。私が1番初めに帰ってきて、直ぐに亡くなっていた事に気づけませんでした。いつも通りものを片付けながら動けない彼女に話しかけて、最後に触りにいったら冷たくてやっと亡くなっていたことに気づきました。
朝は私が最後に出て、その時は行ってくるねと言ったらぐぅーってため息みたいな声で長く鳴いてくれて柔らかくて、温かかったのに帰ってきたらまだ柔らかさはあったけどありえないくらい冷たくて、本当に1人っきりで寂しかっただろうなと思います。看取れなかったので最後が安らかだったのか苦しかったのか分かりません。泡を吹いてたり、布団が散らかってたりしてなかったので安らかだったんじゃないかなと勝手に想像してなんとか心の安定を保っています。
本当に甘えん坊で元気いっぱいだったのでけがをしやすく、足を捻って痛かったら即誰かの傍に一生懸命行って痛いのを主張しながら撫でて撫でてってしにきていたのに、最後だれにも頼ることが出来ない状況にしてしまった事を今も後悔しています。
また、治療費やペットを診れる大学病院が遠方だったため満足な治療が出来ず、苦しい目に合わせました。私は主さんと違い、延命を選んだ側なのですが、こちらも辛いことばかりです。結局病気になった時点で長く最後まで苦しませて殺すか、まだ生きれたかもしれないが苦しみは少ない状態で殺すかしかないです。安楽死を選ばなかったからと言って後悔がない訳ではありません。私のように看取れない可能性もあります。苦しむ姿を見続けなくてはいけません。
どっちにしろ地獄なので、病気になってからどうしたかだけ見るのではなく、今まで幸せに過ごさせてあげれたならそれでいいと思います。
中学2年生のとき、優しかったのにだんだん豹変していった父は破産して消えた。
小学校卒業くらいまでは、工場で働く薄給の父と夢を追う専業主婦だった母のもとで豊かではなかったが兄弟と一緒に愛されて育った。小学校高学年になって三兄弟になり、小さい公営アパートが手狭になったので家族で新築に越した。田んぼ広がるド田舎の、小さい町の中での引越しだった。そこから全部が変わっていったと思う。
幼稚園の頃に高い遊具から下りるのを怖がる私に、「俺が死んでも受け止めるから安心して降りてきな」と私を受け止めてくれた優しい父はいつしかたまに容赦ない暴力を振るうようになり、夜は帰ってこなくなり、身なりはどんどん派手になっていった。そんな父を見て、子供の前でもなりふり構わず自殺未遂を繰り返す母の姿を幼い弟に見せないように頑張って守った(つもりだったが、最近弟に聞いてみたらバッチリ覚えていた)。
ある日父は全く帰ってこなくなり、突然住んでいた家を追い出されることになった。父が破産したと聞かされた。当時高校1年生、破産の意味はよく分からなかったがとりあえず母の知り合いが倉庫に使っているという今にも壊れそうな「かろうじて」一軒家に越した。踏切の近くでいつもうるさかった。
「鬱は甘え」と思い込んでいる、ド直球に鬱病を患った母はベッドから動けなくなった。ベッド脇にはいつも首吊りの縄が吊られていて、踏切に飛び込もうとする母を兄弟全員で羽交い締めにして家に引きずり込むことすらあった。
学校はパワハラが横行する自称進学校で、勉強しないできない者に人権がないレベルの病んだ所だった。未だに高校の時の同級生と再会するとあの場所の凄まじさが1番の話題になる。
そんな毎日を過ごして、私も鬱病を患った。母と同じようにベッドから動けなくなり、死ぬことばかり考えるようになった。その時の記憶が曖昧になってしまっているが、弟もそういう様子だったと思う。家族全員がそうなってしまって、もちろん家にはお金がなかった。最近母に聞いてみると、祖母にお金を借りて何とか生活していたらしい。
ある日、母が「明日の米がない」と泣いた。母はご飯だけはなんとか作ってくれていた。もうそれを見て情けなくて情けなくて、私は出会い系アプリを使って援交しせめて自分の食費は自分で持つことを考えた。処女だったので、小学校の時に使っていた縄跳びの持ち手を使って体を使えるようにして、早速中年の男性と会った。それを繰り返して自分は外で食事を済ませ、パンなどのすぐ食べられる食料を買っておいてそっとリビングの卓に置いておいたりした。
ある日しばらくぶりに顔を合わせた母を見て、なんとなく綺麗になった気がした。言いづらそうに、全身の医療脱毛を始めたと言われた。
全身の医療脱毛は40万もするという。そのお金で私や兄弟が食べられたんじゃないの?一体お金の出処はどこなの?地獄に突き落とされたような気分だった。同時に、顔立ちがよく女として魅力的な母は、私たち子供がいなければ気兼ねなく美容にお金を使って人生を楽しめたんじゃないかと思うともうどこにも自尊心はなくなった。その次の日私は中型犬用のリードを使って(確か完全自殺マニュアルかWEBか何かに効率の良い自殺はそうだと書いてあったから)、首を吊った。死ねなかった。それから嫌なことがあると首を吊る習慣がついた。ドアノブ吊りではなかなか死ねない。死にたいのに死ねない自分がダサくて余計に情けない。死にたいのに異様に腹が減って、援交して得たお金で過食を繰り返した。死にたいのに食うのか(笑)と自嘲してまた首を吊った。体重は身長下2桁+20Kgを超えたのに、そんな醜い体を買いたがる中年男性も、そうして体を売る自分自身も気持ち悪くて仕方がなかった。
もはや記憶が無いに等しいがなにかのきっかけで私は何とかしなくてはならないと急に思い立ち、ダイエットのために絶食し(極端だ)、朝起きて夜眠ることを心がけた。色々あって今は関東の大学を卒業し、学費と生活費を兼ねて借りた700万円の奨学金を返すべく働いている。今は元気でそこそこ幸せに1人で暮らしている。
当時の自分を抱きしめて、コンビニのご飯じゃなくてちゃんとしたご飯を適量食べさせて話を聞いてやりたい。居場所はどこにもなくても生きていていいんだよと教えてあげたい。
庭に金木犀を植えたいと言って、苗木をホームセンターで買ったのは小学生の頃だった。テレビか本か、何かに影響を受けて憧れて買ったその苗木は、植えてすぐに虫がつき、葉はいつでも穴があいてひょろっとした実に貧弱な様子で、ただただ背丈だけを伸ばしていた。
葉付きも悪い病気持ちの金木犀につく花は僅かばかりで、正直植えて数年は自慢の匂いすら薄かった記憶がある。
そうして鳴り物入りで入ってきた若木の前に、我が家の小さな庭には外飼いのわんこがいた。飼い主の知識不足によって、若い頃からフィラリアにかかりずっと病気と闘っていた犬である。そういうと一見可哀想な様相だが、この犬は平均以上に丈夫な身体を持っていた。大きな身体と、ちょっとだけ荒い気性もあって外目には彼が病気でずっと薬を飲んでいるような犬には見えなかったと思う。
たまの発作で苦しむことはあれど、それ以外は概ね元気な子だった。
そんなわんこは持ち前の丈夫さで、大きい体躯ながら15年ほど生きた。
我が家のヒーローはある日突然階段を転がるようにいっきに容態を崩し、あっという間に天に旅立ってしまった。
そうして、彼がいなくなった頃から、帰宅する度に寂しい思いをしていた庭に大きな存在が目につくようになる。
あれほど何をしても貧弱だった金木犀がみるみるうちに枝葉を伸ばしはじめたのだ。薬をやめたにも関わらず、自分から病気を跳ね返し、翌年には幹を太くさせ、初めて大量の花をつけた。
ただの偶然だったのかもしれない。それでも病気の割りに驚くほど元気だった犬を思うと、この木から生命力を分けてもらっていたのか?と考えずには居られない。誰に言っても変な顔をされるが、あの木もわんこを助けてくれていたのだ、と私は思うようになった。
そうして、いくらも間を置かずに生後間もない捨て犬が寂しい我が家に転がりこんでくることとなる。二代目は初代とはまるで違う性格で自由奔放な犬であった。我が儘しほうだいの彼女は、初期のワクチンも手伝い、大きな大病もなく育ったが、晩年は脳梗塞を数度起こし、幾度となく快復しながらも、最後には寝たきりのまま逝ってしまった。二代目を亡くして日が浅いので、つい元気のない時ばかりを思い出すが、そんな彼女は19年と半年を生きた。中型犬にしては大往生といえるだろう。脳梗塞から三年ほどは眩暈と痙攣を繰り返し、何度も獣医に後遺症が残るかもと言われながらきっちり後遺症なく復活する姿はとても逞しかった。倒れたときすら今度も、と皆が思ったけれど、流石に本人の体力も限界だったのだろう。最後までよく頑張ってくれた子だった。
しかし、二代目が息を引き取る3日前。家族が金木犀の枝の殆んどを切り落とした。あの日を境に元気になった木は隣の家に迷惑をかける程に成長した為、仕方のない剪定ではあったが、整えるというにはやりすぎな程すっきりした姿に絶句したものだ。ただの迷信。ただの偶然。それでも、金木犀が自分が生きるための力を注いだがために、二代目の不思議な元気の糸が切れてしまったのでは?と思うのを止められない。
無残に切られた金木犀は、一年程の花は見られないと言われながらその年には新しい枝を伸ばし、見事満開の花を開かせた。実に生命力の強い木である。
コロナ後からバタバタ近所の店が閉店し、新しい店に変わって来た。
繁華街ではないので小さな個人商店だけど皆おしゃれに改装し、オーナーは30代40代ぐらいの人ばかりだ。
テラスはペットOKと言うカフェが出来たのでうちの中型犬を連れて行ったら、大型犬だからダメだと言われた。ホリエモンだったらきっと、中型犬だし小型犬と何が違うんだとゴネたかも知れんが、こっちは小市民なのですごすご帰った。
もう一軒小さなカフェが出来たので行ってみたら、焼き菓子が美味しかった。店内にいる時に4人組が入って来たら、オーナーに一緒に2人までしかダメと言われていた。テーブルは空いているので2人と2人に別れたらダメか?と聞いたら時間差があれば良いと言われていた。4人はすごすご帰った。焼き菓子をお土産に買って帰ろうと思ったら1人一個しか持ち帰りはダメと言われた。
手ぶらですごすご帰った。
おしゃれな自転車屋が出来たので、今まで大切に乗っている自転車の錆びているところを交換してもらおうと思って行ったら、
それはやりたくありません。
と言われた。やりたくない。できないじゃなくやりたくない。ホリエモンだったら(ry
すごすご帰った。
人間の傍にいて頼れるパートナー。その資質を見ても歴史を見ても、犬がナンバーワン(しゃれではない)であることは間違いない。
人類と犬の歴史は古く、猫では逆立ちしてもかなわない。そしてもちろん猫は逆立ちをしない。
そんな犬とのコミュニケーションが、猫「よりも」深いかは置いておくとしても、少なくとも相当程度に複雑であることも、これまた否定しない。人間は犬と共同で、野山で、森林で、河川で、海浜で様々な行動をとってきた。生き抜くために必要な、さまざまなミッションを共にこなしてきたのだ。歴史の中で、犬は人間にとって欠かせないパートナーであり、コミュニケーションの相手であった。そのことに全面的に同意する。だが、そのことは、こと今回の話題においては、明白に二、三のディスアドバンテージとならざるを得ない。それについて説明しよう。
(1)「他者」性の弱さ
犬は人間にとっていつも欠かせぬパートナーであったが、それは、犬が群れを作って生きるという性質を利用したものであった。そして、犬は群れの秩序を上下によって保つ。そのため、人間とのパートナーシップにおいても、犬はそれを「上下関係」として捉えるのである。結果、そこに現れるのは、「命令をする/実行する」とか「叱る/従う」のような、「一定のルールにしたがった意味交換」的コミュニケーションである。特に、中型犬以上のサイズになると必須になる「躾」の実施は、この関係性を加速させる。
これに対して、対人間、対猫のような独立性の高い生き物相手のコミュニケーションにおいては、「命令をした/(しかし)/無視された」とか「叱る/(なぜか)/遊ぶ」のような、コミュニケーションの非対称性が露わになる。必然的に、「相手の行動の意図を推測する」といった、より複雑な思考が求められることになるのだ。これは、犬とのコミュニケーションでは身に付けづらい能力である。コミュニケーションの経験値を上げるためには、やはり猫の方が優れている。
(2)犬の本能を満たすために
犬は探知し、索敵し、探索し、追跡して獲物をしとめるハンターである。これは野外生活に適した性格であり、人間が狩猟採集時代から重宝した、犬のパートナーとしての資質である。その本能を満たすために、散歩などの運動が欠かせない。だがこれは、現代の都会生活、そして、他者とのコミュニケーションに課題を抱える人には、残念ながらあまり適した資質とは言えない。犬と適切にコミュニケーションをとるためには、ただ同居するだけでは不十分なのである。
猫にももちろん運動は必要だ。だが、それは室内で対応できるものだ。木の上に潜み、待ち伏せし、忍び寄って相手をしとめるハンターである猫の方が、現代の都会生活におけるパートナーとしては優れている。
そもそもの到達点を思い出そう。「彼女ができなくて辛い」である。では、もし彼女ができたら、犬はどうするのだ? 「かけがえないパートナー」となってしまった犬は?
できれば一日複数回の散歩に同行し、密な信頼関係とコミュニケーションと何より「共に過ごす時間」を求める存在が犬である。これと彼女を共存させるのはなかなか難しい。彼女が大変犬好きであることを前提としても、おそらく中、大型犬となれば、時間配分において、彼女か犬かを迫られることが大変多くなると想像される。想像してみてほしい。一度や二度ならともなく、彼の家に遊びにいったら毎回犬の散歩に付き合わされる状況を! 彼女との関係を壊さずに犬を飼うことができるのは、彼女とのパートナーシップが進行して首尾よく結婚し、田舎に一軒家を買って子供が生まれてすくすく育ち始めて、そのあと、くらいになるだろう。
対して猫だ。猫はいい。猫は犬ほど時間を奪わないため、大きなトラブルがなければ彼女との共存も不可能ではない。それだけでなく、部屋に猫がいるだけで彼女は(猫好きであろう)部屋に来て、そして、こちらが苦手な会話をしなくても、とりあえず猫と遊んで時間をつぶしてくれる。こちらは猫と彼女を眺めてにこやかに写真を撮ったりしていればそれでいい。楽だ。付き合い始めのきまずい時間も、猫がいるだけで大幅に解消できるため、彼女との末永いパートナーシップを良好にしてくれるだろう。猫は自立し、待機する。猫は、犬ほど人間とのパートナーシップが密でない。だからこそ、彼女ができてからも、猫は共にいられるパートナーなのだ。
(4)最期に…
これは完全に偏見の域だが、彼女に犬をひけらかす男は、どうも男性ホルモン多めのオラついた方々が多い気がする。中、大型犬は原則飼い主にしか心を寄せないので、彼女に対しては警戒心を露わにすることが多い。そういう犬を「おとなしいんだよー」とか笑いながら見せつけ、彼女が内心少し恐怖を覚えてひきつった笑顔を見せたりするのを見てニヤついているような印象がある。どうもDV男臭い。一方、猫好きにはそういう男はいない。そもそも猫自体が、飼い主であるとないとに関わらず勝手に他人を評価するところがあるので、犬をひけらかすように猫をひけらかすのは難しいし、そういうことをしたい人はそもそも猫を飼わない。もちろん、犬好きが全てDV男というわけではない。だがDV男は猫を飼わないというのは声を大にして言いたい。世間にはDV男好きの病んだ女性もいるが、そういう人にモテたいのならともかく、健全な精神をもった一般的な女性を安心させたいのなら、無難に猫をおすすめしておきたい理由の一つがこれである。
いかがだろうか。犬の、人間のパートナーとして「最善」である理由のそれぞれが、今回の場合はむしろディスアドバンテージになってしまうということが、これで犬派のあなたにも理解されたことと思う。彼に勧めるパートナーとしては、やはり猫しかない。猫しかないのだ。