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はてなキーワード: 高校受験とは

2017-07-04

男子校女子校

子どもが居て中学受験高校受験男子校女子校で考えてる人は絶対にやめた方がいい。東京近郊や京阪神エリアだとトップ校は男女別学の学校が多いけどレベルを落としても男女共学に行かせた方が良い。

中学高校と多感な時期に異性に日常的に触れ合えなかった人は異性に対する距離感価値観が狂う。

2017-07-02

福岡マンセー」はもう飽きた

当方、生まれも育ちも福岡県で、現在東京住みの20代後半男性です。

最近調査では「市民プライドが最も高い都市」堂々の一位だった福岡市

http://www.murc.jp/publicity/press_release/press_170614.pdf

 

いや、気持ち悪!地元愛が強過ぎだろ!

福岡県出身者の多く、特に福岡市内かそれに近い出身者に限って、「福岡って素晴らしい」的なマンセーをよく耳にします。

福岡移住を促すイベントが盛んに東京で催され、ベンチャー界隈でも「今、盛り上がっている」等ネットでも見かけますが、盲目的に信じて福岡移住して欲しくないです。そんなに給与高い就職先も多く無いだろ。

北九州筑豊等、比較福岡市から距離が有る地域の傾向は少し違うかもしれませんが、上京して数年経った今、私がいざ福岡帰省した時に感じる、福岡の嫌いな所を挙げます。(ほんの一例)

 

1,「福岡って素晴らしいでしょ?」の同調圧力が強い。

アンケート結果の裏を返せばこういうことです。実家に住む両親や、九州を出たことが無い、地元人間によく見られる傾向。私に対しては、「東京とか長く住まんで、はよ帰ってこんね」「仕事とか、こっちで探せば良かろうもん」など、無責任な口でUターンを促してきますが、その背景からは「福岡が住みやすいんだから、帰って来れば良いのに」という無言の同調圧力が有る。こっちとしては東京が楽しくて仕方が無いのに、帰省する度に言われるから嫌気が差す。押し付けがましい。あと、中学高校の仲間に自分の近況が知られたら、出回るスピードが早い。マイルドヤンキーとは言わないけど、普通に地元で働いてる友人の言動こそ面倒。

 

似ている傾向として、福岡に転勤して来た人間に「福岡のご飯美味しいやろ?」「福岡ってアクセスも良いし住みやすかろ?」等、これも同調掛けてると思うが、転勤族からしたら、きっとそういう態度取るお前らが一番押し付けがましくてウザいから!変な一体感持っちゃってて、内弁慶から余計腹が立つ。

 

2,西鉄電車、並びにバスの料金が高くて不親切。

住んでいた頃は何とも思って無かったけど、東京に住み始めてから強く思うようになった。例えば、西鉄天神大牟田線天神から太宰府あたりに行こうとするなら、往復800円近くになる。新宿調布間の往復だったら同じくらいの距離で往復500円だわ。絶対値段高いわ。だから福岡で使うのは「天神博多」の100円バスくらいで、他はあんまり良い気持ちしていない。あとはバスが多過ぎて市内はよく渋滞になってる。例えば初めて福岡に訪れた方は、どのバスに乗ったら良いかからないなど、問題多いと思ってる。とりあえず西鉄不動産でも儲かってるだろうが!鉄道バス部門スリム化して、料金も下げて、物流部門とか、別の部署お金入れて強化してやれよ。

 

3,マナーが悪い。

散々言われてる。まず、歩きタバコ。良くない。あと、タクシー並びに一般人運転が荒い、特に言いたいのは「ベンチャー支援に力入れるくらいなら、福岡市でさっさとUber導入してください。」っていう話。

http://jp.techcrunch.com/2015/02/05/everyonesuber-fukuoka/

これどうなったんだよ!国交省の反発食らっても、頑張って導入して、マナーが悪くて料金が高いタクシーを一掃してくれよ!

 

4,高校受験に学区制が存在している

これ、子供と一緒に移住するなら真剣に考えた方が良い話。私は以前から問題だと思っていることで、公立高校が学区制のため、学区の中からしか公立校受験校を選べない。例えば、筑紫丘高校は「第五学区」の地域に当たるため、中央区早良区西区の子受験すら出来ない。逆に、偏差値が一番高いとされる修猷館高校には「第五学区」の生徒は受験が出来ない。トップ校が存在する学区はまだマシな方で、悲惨なのは子供が優秀でもハイレベル高校が無いから通わせられないパターンお金無かったらハイレベル私立にも通わせられない。

 

福岡私立高校より、公立高校の方が全体的に偏差値が高く、御三家は「修猷館高校」「福岡高校」「筑紫丘高校」とされているらしい。

福岡県の通学区域について

http://fukuto.jp/info/public/system/gakku.php?

 

この学区制に対しての、福岡県教育庁 企画調整課からの回答はこちら。

http://kvoice.pref.fukuoka.lg.jp/voices/detail/id:898

>過度の受験競争を招く

って、それは供給者の都合を押し付けてるだけだろ。競争ってのは、消費者側ではなく、供給者同士のことを言うんだよ。特色有る高校作りをせず、学区に甘えてるだけだろ!他の県では学区制廃止している県も増えているのに、怠慢だろマジで

 

制服高校を選ぶ」とか「いじめっ子中学の奴らとはもう会いたくない」などの場合私立高校を選ぶか、必死勉強してそいつらとは違う偏差値高校に通うしか無い。でも学区が一緒だから電車が同じだとか、同じ高校に同じ中学出身者が絶対存在してくる。(同様に近況がすぐに地元人間に知れ渡る)

 

一旦はこのくらいにしておこう。

 

福岡ぬるま湯過ぎる。福岡に住むのは中学高校までで良い。福岡学生達は、「親が安心するから」「皆が目指しているから」って理由九州大学とか目指さず、大学からさっさと九州脱出して、外の世界を観るべきだと思う。遅くても就職タイミングで。じゃないと福岡大好きで外の世界知らない同調圧力の強い大人なっちゃう。子供や外に出た人からすると良い迷惑だわ。あと、福岡住みの女性も、ずっと福岡に住んでる男としか恋愛した経験無いのは損してると思う。女余りの都市とは言え、外出て付き合ってみるとか、転勤族と付き合ってみて、福岡以外の男も知っておく方が良いと思う。

 

もっとアンチ福岡記事ネットに増えて欲しい。

  

http://toyokeizai.net/articles/-/129445

http://girlschannel.net/topics/247675/

http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2014/04/04/133016

福岡は確かに良いところも有るけど、変えてもらいたい「マンセー」な部分は沢山有りますから

とりあえず、まだ福岡に帰りたく無いけん、居る人達移住する外者で頑張って変えてってよ。

では、ブコメ欄にて、皆さんの意見をどうぞ。

2017-07-01

https://anond.hatelabo.jp/20170606005748

カースト上位というか一軍になるってそんなに重要なのか。

高校までのリア充(一軍)と社会人になってからリア充って違うし。

てか美大カーストあるのだね。

考えてみれば作品(成績)が見られるっていうからにはカーストまれるよなぁ。

自分の行った一般大学ってそういう成績が見られる的なことなかったし。

中学まではわりと見た目と友達の多さが成績になるんだけど、

中学3年生の高校受験モードになると「成績」をはかる基準が変わるのよ。勉強に。

大学生は大きい大学だと同級生の顔なんて把握できないかカーストなんて生まれようがない。サークルは知らない。

で、大学就活時期にまた成績をはかる基準が変わる。会社に。

会社に入ればまた変わる。仕事ができるかに。

最低限のコミュ力はいるさ。

ただ、カーストとか所属ものをいう瞬間がないとは言えないけど、

結局のところ自分だよね。結局。

正直釣りだと思ってしまった。

姉妹が専門技術系の大学に進学したか学歴いらないって書いてあったから。

学歴は知らないけど学力はいるよ。

看護師とかでも大学とかによって違う場合あるよ。

2017-06-12

千代田区公立中学とかどう?

途中までは大体あっているけど、違うと思う点をいくつか。

>即ち、東京には、あなた方が通った、玉石混交公立学校存在せず、否が応でも玉か石かを選ぶ必要があるのです。

ここが違うかな。

玉と石を単純に学力と進学大学だけ、で考えることとしよう。

 (その仮定の是非はさておき)

そうすると、東京地方の違いは次の通りじゃないか

東京の玉はある程度の部分が有名私立小、中にいっている

まあ増田のいうとおり、セレクションは多くが受けるからね。

 →他方、日比谷高校東大実績からも分かるとおり、そのクラスの玉は普通に公立中学校に残っている

 >当方東京一工のいずれか

 であれば、中学校受験で受かった中高、半分が明治大学クラス学力学校に進んでいるとすれば、その学校いかせたいですか?

 http://toyokeizai.net/articles/-/150729?page=2

 この記事に書いてあるとおり、

 >最終的には早慶以上の大学に行かせたい親は多い

 のが現実ではないかと。

 であれば、公立中学校に進学し、 高校受験日比谷受かって東大目指す環境子どもいれたくないですか?

 

 それが結果としては公立中学という実績になるのですよ。

そもそも教育投資している額や熱量東京地方で違う

 →教育自体遺伝云々よりも親の教育環境に大きく左右される。親が準備する教育環境は親の学歴にある程度依存刷る

 →東京一工クラス卒業生居住地分布を取ると、明らかに東京等の都市部に偏る

  →学力だけの玉石比率そもそも東京部のほうが玉の比率が高いという仮説がなりたつ

以上2点から東京公立中学でもある程度玉石混合になっている

一方これは地域依存かもしれない。

 公立中学に荒れたリスクの少ない自治体(例えば千代田区等)の公立中学は玉石残ったままだが 足立区等はどうだか分からん・・・

 

ぶっちゃけ、ある程度収入があるのなら、私立中受験して、平均早慶以上の進学実績のある所に受かったらもちろん進学。

そうでないのなら、千代田区文京区港区あたりに引っ越すのがいいのかもしれん。

例えば東大本郷キャンパスの近くにある6中とか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA%E7%AB%8B%E7%AC%AC%E5%85%AD%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1

東大生が来て教えてくれるらしいぞ

http://www.bunkyo-tky.ed.jp/dairoku-jh/schedule/ouen.html

高い家賃払うの3年間だけだしね

こういうの、偏見なので、増田しか かけないね

http://anond.hatelabo.jp/20170611193846

2017-06-06

髪の毛を黒くした。

転職活動をしているので、髪の毛を黒く染めた。

私は地毛が黒ではない。

欧州系の血が混じっている祖父に似て、かなりの赤毛だ。

旦那

「見慣れてないからかもしれないけど、なんか変。顔に似合わない。地毛が黒じゃない人の黒って変なんだな」

外国人日本人に憧れて黒くしてるみたい」

「とにかくファッション的にとか元々黒じゃないけど流行りだからって黒に染めた様にしか見えない。」

とめちゃくちゃ言われた。

ちなみに旦那はなぜ私と結婚たか謎な、どちらかといえば黒髪信仰AKBにいそうな子結構好き/私はどちらかといえば若い頃当時のギャルっぽかった)な人間なのでびっくりした。

否定じゃなくて意見として言われましたよ、念のため。)

別にデザイン関係で小さい会社ばかり受けるのでいかにも就活生です、転職中ですって見た目しなくてもいいしポートフォリオと実務試験さえ完璧であればいいのだけど

一応転職だし、スーツ着るし、面接だし?と思って黒に染めた。

地毛を黒に染めるって確かに変な話だよなと旦那に言われて気づいた。

そういえば高校受験の時も黒に染めろと生活指導先生に言われたなぁと思い出した。

クォーターだけど割と外人顔の母親が「私の顔をご覧になっても、娘の髪の毛を黒に染めなければなりませんでしょうか?」と祖父若い頃の写真ハーフなのに超外人顔)とともに先生に抗議しに行ってたなぁ。

あの時は恥ずかしかったし一歩間違えればモンスターペアレンツかもだけど、もし自分子供赤毛になって同じこと言われたら同じことしちゃうかも。

母はその時「子供が嫌がってるのに髪の毛を染めるなんて虐待だ」とも言った。

私もそう思う。

天パの人がストパーかけてこいと言われるのと同じ感じかしら。

今までいた会社は友人が独立したとかクライアントデザイン部が発足したからとかでろくに就活したことなかったし、バイトも髪の毛の色をきにするバイトをしたことなかったからこんな問題にぶち当たったことなかったんだけど

逆に染めない方がよかったのだろうか。

2017-06-02

報われたい。

高校受験とか大学受験とか就活とか仕事とか人間関係とか

本当に望んだことが実現されたことはない。

次こそは、にはもう疲れた

嫉妬はもうたくさんだ。

2017-06-01

生きるって何なんだろうな

http://anond.hatelabo.jp/20170526223943 を読んだ。

ぼくも似たようなタイプだ。私立でもトップとは言えないが一般に上位と言われる大学にどこにでもいる文系学生だ。

しかし、やりたいことが全くない。彼は死にたいどころか生きたいのにと書いているが、ぼくは生きるということにすらモチベーションが一切沸かない。自分もなく親の言うことに従い脛を齧りながらなあなあに人生を誤魔化しながらダラダラと生きていた結果、生きるということに関して無気力になってしまった。こんなんで就活がうまくいくわけもない。現にうまくいってない。

付属エスカレーター組の中の更に底辺からすると彼はまだ受験大学入れたんだからすごいと思う。ぼくなんかは高校受験時に「アンタこの日空いてるんだからこの高校受けなさい」で受験して受かった滑り止めに本命落ちで入学し、そこで落ちるところまで落ちたと思う。赤点も数え切れないほど取ったし、担任に推薦はムリとも言われた。けど悪運が強かったのかギリギリで引っかかって今に至っている。大学単位だけはきちんと確保して留年もせずに卒業できそうだ。でもそれは、結局親に単位云々でウダウダ言われたくないから取っているだけで正直自分のためになってないと思う。元々が怠け者の上にプライドが高いからこうなるのである。本当にダメな李徴みたいなものだ。

ふと、親がいなくなったとき自分がどうなってしまうのかを考えてしまった。親が指し示した案に乗っかって22になろうとするこの年まで生きてしまいここまで来てしまった自分にそんなことを考えられる気はしない。

じゃあかといって、自分が何をしたいかというとそれもないに等しい。人と関わるのは根本的に好きじゃないから交遊関係も限りなく狭いし、今だって趣味はなけなしのバイト代が尽きるまでやる競馬パチンコ、それとまぁネットサーフィンぐらいだし、正直こんな人間社会に出たところでロクでもない未来しか想像できない。例えばぼくの知人には彼女結婚するためにも金貯めるから頑張るとか、色々なところに旅行行きたいからとかいうのがいるが、やはり人生における目標があればモチベーションが違うのだろう。ぼくはというとそんなものはない。強いて言うなら遅くても45ぐらいまでには死にたいということぐらいだ。世の中に生きて色々やりたいのに若くして病気で亡くなっていく人を見ているとこの命を相手にくれてやりたいと思う。

じゃあさっさと勝手自分死ねよって話なんだけどな。

日付も変わって今日もただただ気分の重い1日がやってくる。

2017-05-25

起立性調節障害という病気

この名前を聞いたことある人は少ないんじゃないかなって思う。

実際学校先生でも聞いたことあるって人が少ないらしいし。

この病気はまぁ自律神経失調症一種なんだけど、その中でも結構厄介なんだよね、治療法がなかったり、患者が少ないかあんまり注目されてなかったりだとか。

この文章を書いている時点でお察しの通り僕もこの病気にかかってるんだけどすごい厄介なもの

症状は、朝起きれない(体調が悪いから)、起立状態気持ち悪くなる、気を失って倒れる、動機めまいがするなどたくさんある。

どうやらこの病気思春期の子供に多いらしい。

病名のとおり体の調節ができないんだよね。

医者ではないしガキだからあんまり詳しいことは言えないんだけど自律神経には交感神経と副交感神経がある。これは知っている人も多いと思う。

活発にしているときは交感神経が有利に働き、寝ているときなど休息をとっているときには副交感神経が有利に働く。

これが普通なんだけど僕の場合はどんな時でも交感神経が有利に働いているんだよね。座っている状態から立つと心拍数が70から120まで上がってしまって常に走っている状態のような感じになってしまう。

から動くにもしんどいしなにより神経が集中している胃に負担がかかり常に吐き気がする。

そしてなによりもこの病気の大変なところはサボリ癖と勘違いされてしまうところである。この病気になってから4年たつが両親には未だにサボりいからでしょ?と勘違いされている。

それでもなんとか頑張って高校受験を終え、今は大学受験を控えているがとうとう体が壊れてしまった。

なにもできないままベッドの上で一日スマホを眺めて終わり、1.5あった視力も今は0.8まで下がってしまった。

電車で一時間ほどかかる病院にも通院していたが、先日匙を投げるてしまった。

僕には将来の夢があり、そのために今まで勉強を頑張ってきた、けどこのままじゃニートで終わってしまう。

もし自分がこうなったり自分の子供がこうなったりしたときは、まず、こういう病気があるっていうことをちゃんと認知してほしい。

根性論なんかでどうにかなる病気じゃないし、逆にそれはその人を苦しめてしまうと思う。

どんな病気もそうだけどまずは肯定してあげることがその人の気も楽になるし、一番治るのに近い道なんじゃないかなって思う。

そしてこの症状がある人は自律神経失調症なんじゃないかって疑ってほしい。体壊してからじゃ遅いよ、ホントに。

文章書くのって大変だね、結構書いたつもりだったけどまだこれっぽっちなんだな。

これを機にこういう病気があるんだなって知っている人たちが増えていくといいな。

2017-05-07

ワガママ独り言

つい数時間前にこの匿名はてなダイアリーというサービスを見つけ、

ブログも初めてで日本語力もないし

自分が今から書くことはワガママだと分かっていながら書くから

イラっとしたらすぐ引き返してほしい。

私は北陸の某県に住む高3女子だ。

県内ではトップ10くらいに入る謂わば進学校に通っている。つまり受験生だ。関東大学第一志望で、滑り止めも関東大学にする予定だ。

家族構成は父、母、兄、私の4人家族だ。

兄は東京専門学校に通っていて、某大手企業内定が決まっている。長期休暇には必ずうちに帰ってくる。

我が家は私が幼い頃から仲が悪かった。

私が小2か小3の時は離婚しかけた。

父と母は見合い結婚で、周りの友達の両親の様に恋愛結婚じゃないから、元から愛なんてものはなかった(と思っている)。見合い結婚全てが愛がないと思ってるのではない。

離婚しかけた時はまだ私にとっては家族は大切な存在で、離婚してほしくなかった。兄と私がいるからということで離婚はせずに済んだ。

小6くらいから少しずつ嫌な場所になりつつあったけど、中2くらいまでは家は好きな場所だった。中3からは完全に嫌な場所になった。

兄が高校入学した小6の時から、母が兄を甘やかす様になった。周りの大人にそれを言うと、そんな事ないと言うが、今でもそう思っている。

小6の最後の方〜中2の間に、父もよく分からないことで機嫌が悪くなるようになり、私や母の悪口を大声で、目の前ではないけど聞こえる様に言うことが目立ってきて、父も母もだんだん嫌いになり、中3で完全に家が嫌いになった。

えこひいきや怒られることだけで家族が嫌になったのではない。

私はライブ参戦、観劇イベント参加が趣味で、アニメ女性アイドルグループ舞台俳優も好きなオタクである

両親が典型的昭和人間なので、オタクは歩く公害ライブ舞台等の形の残らないものお金無駄アニメマンガ子供の見るもの という考えだから、私とは本当に考え方が合わない。

ライブ観劇イベントも何回か行ったけど全然回数的に満足していない。

こんな田舎に住んでるから私自身が田舎者からライブ等に満足に行けなかった。

からえこひいきする母を、怒って一人で騒ぐ父を、自由にさせてくれないしこんな場所に生んだ両親を、自分の生まれ場所を、憎んでいる。

中3の高校受験の時、今通っている高校に入りたかったので、それを両親に言うと、父は好きにしろと言ったが、母は距離問題や私が合格しないだろうと思って、兄が通った高校を勧めた。

兄の母校は、正直に言うと私が通っている高校よりレベルが一つ下で、センター試験は学年の半分くらいしか受けないし、専門学校に行く人もそれなりにいる。そういう高校やそういう進路が悪いのではない。けれど私は可能性があるのに安全からと一つ下のレベル高校に行くのは嫌だった。厳しい世界だけど頑張っていこうと思って今通っている高校受験した。

成績が芳しくなくても、私は中3の時の決断は間違ってないと思っている。楽しい仲間、憧れの先輩、課題の量は鬼だけど親身になってくれる先生…どれを取っても私は私の意志を貫いて良かったと確信している。

今に至る経緯がとても長くなってしまったが、ここからが本題だ。

GW中に母は実家(県内)に帰り、父は稼ぎどき、兄は帰省してきてうちにいる。

GW前に母からスタバを奢ってもらい、父から直接「稼ぎどきだから協力してくれ」と言われていて、家事を頑張るつもりだった。勉強もそれなりに頑張るつもりだった。

五月病もあって、こころが少ししんどかった。

そんな時に不慣れな家事。でも一つ疑問があった。

なぜ帰省してきている兄は家事をしなくて良いのか?

これを父に尋ねたら、女だからと言われた。戦前かよ。男尊女卑かよ。

確かに不慣れだからやる必要はあるのだけれど、それなりに出来るし、兄がやらなくていい理論は成り立たない。私だって受験生だし勉強したい。成績悪いからそれなりに焦りだってある。

時間ないのに家事やって、でも文句言われて…少ししんどかったこころがどんどんボロボロになって…家事やらないと誰もやらないからやるしかないし…

こんなことを考えて、少し家事ストライキしたら兄から「おい、家事やれ」と言われた。私はおいなんていう名前じゃないし、兄がやればいい。そう思ったが口にしなかった。

家事ボロボロになった私のこころ勉強する元気はなかった。この気持ち家族全員に理解してもらえないのだが、家事がいい気分でできていたなら勉強もいい気分で始められた。確かに私は段取りが悪くて、家事時間かかるし勉強家事の前に済ませておけば良いのに、昼間はゆっくり寝てダラダラしていた。でも、メンタルボロボロの時に早く起きて勉強しようという気分になれない。新しい一日が始まってしまった、また連休無駄にしてしまった、また家事をしなければいけない…こう考えたら現実逃避としてまだ寝ていたくなる。だから昼頃まで寝た。昼からでも勉強すれば良かったのだが、憂鬱すぎてそんな気分ではなかった。そしてまた家事を嫌々やり、また一日を無駄にした。

やっと母が家に戻ってきた。私は全てに投げやりになって、居間で寝ていた。昨晩の洗濯物が洗濯機の中に入ったまま、干していなかった。母が兄にそれを言うと、「いや、妹がやらなかったし…」と言った。私は昨晩、兄に洗濯機を回す様に頼んだ。心の中で、兄が干してくれるか試していた。干してくれなかったし、私のせいにした。どうして全て私がやらなければいけないのだろう。ここで私は怒りを我慢できなくなり、掃除中の母に当たってしまった。

受験生の娘を置いて実家に帰るなんてひどい。なぜ兄は好きな時に出ていって好きな時間に帰ってきて、家事もやらなくて良くて、どうして周りもそういう空気を作るのか。どうして私のことは誰も考えてくれないのか。私だって忙しい。家事していた時間を返してほしい。

こう母に言った。

母は、何が受験生だ。自立するのに家事必要だ。お前の学力で受かる大学なんてない。もう遅い。私のありがたみを感じろ。お前は段取りが悪い。

と言った。

母にはありがたいと思っている。だが、大学受験経験したことのない人にもう遅いなんて言われたくなかった。まだまだ伸び代はある。これから頑張れば絶対第一志望は受かる。私はこう信じて勉強している。

やはり母も兄が家事をしなくて良いと言い、受験についても口を突っ込まれて、私は爆発した。勢いで食器棚ガラスを割った。私はもう家事なんて一切しねえよ!飯もいらねえ!と言い捨てて自分の部屋に行った。

からこの時から家事を一切していないし、ご飯も食べていない。あほらしいのは分かっているけど、食べたら負けだと思っている。私は絶対に負けない。どうなるか知らないけど絶対に食べない。

兄が私の部屋に勝手に入ってきて、勝手にべらべら何かを喋っていった。その中で私は不幸せだと言った。私は自分意思で不幸せになっているのではない。家族全員が私を不幸せにしている。そう言ったら、いつか俺の言った事が分かる日が来るよと言って私の部屋を出て行った。いつまでも勝手な人で本当に腹が立つ。

父は何も言わなかった。居間では何か言っていたのだが、聞きたくなかったから聞かなかった。私のことは本当に呆れたのだと思う。

母も何も言わなくなった。

すごくワガママだと思うが、これからどうしたら良いのだろう。

何も食べていないから頭が痛くて、文章書くのもやっとだ。だからご飯を食べたら絶対楽になれる。

でもあんなことをして、あんなことを言ったのだから食べる資格なんてないと思っている。

本当にどうすればいいかからない。

これ以上のことばが思い浮かばない。どうすればいいのだろう。

乱文失礼しました。

どんな批判のことばでもいいので、何かコメントもらえたら幸いです。

2017-04-17

独学で高校受験した(昔話)

もう何十年も前の話だけど、私は対人恐怖症こじらせて中学は1年しか行ってない。

なんせ対人恐怖症なんで塾にも行けず。

しょうがないので自分勉強して当時偏差値65の私立高校合格したんだけど、私ってすごくね?って今になっておもった。w

英語は満点、総合で二位の点数だったから内申悪くても合格したと後に担任から聞いた。

まあその高校も続かずやはり独学で当時の大検を取ったけど、やっぱ私ってすごくね?w

2017-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20170415012742

この記事を読んで、3つほど思ったことがある。

類は友を呼ぶ

自分場合不思議低学歴おじさんに高学歴の連中が使えないと揶揄されたことはない。

忘れっぽいのでそういう嫌な記憶を忘れてしまったのかもしれないが、おそらく自分が接する方々にそういう品が無い低学歴の方が居なかったのだろうと思う。

トピ主に説教をしにくるおじさんと接する高学歴者はそのおじさんのクラスに属する高学歴者だから、平均的な高学歴から見たらずいぶん落ちぶれた高学歴者なんだろうな。

所詮は暫定高学歴

トピ主の場合高学歴といっても、大学入学時にお勉強ができただけなのかもしれない。油断をしていたら4年もあれば低学歴だと思っていた連中に抜かれることが普通にあり得るよ。

事実自分はそういう例を高校の時に見たね。自分場合高校受験時の成績で選抜コースとそれ以外に分けられる高校卒業したが、選抜コースでは無い連中にもそこそこの大学に進学する連中がいる一方で、選抜コース出身者で専門学校Fランク大学に進学する連中もそれなりにいた。

高学歴の人は思った以上に多い

東京大学学部卒業生が2000人くらいで、早稲田が4000人くらい。他の旧帝国大学やそのレベル私立大学もその程度の人数の卒業生がいるとしたら、同学年の高学歴者は数万人規模でいる。同世代を考えればもっと

そのクラスにいたら、高学歴は当たり前で希少価値でも何でも無いよ。

2017-04-06

忘れえぬ人々

ラジオ番組に送った長文をそのまま載せますね(未採用)。思春期あるあるなのかなあ。当時もちろん誰にも言えなかったし今まで誰にも言えてない。たまたま女子同志だっただけで男女間でも男子同士でもあり得る話だとは思う。

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みなさんこんばんは。いつも本当に楽しく拝聴しています大好きです。35歳、女、既婚です。はじめてメールいたします。

私が中学2年生、14歳の頃の話です。

当時、私はゲーム大好きっ子で、今で言うところの「腐女子」であり、ゲームジャンルBL二次創作に手を染めておりました。夜な夜な推しキャラの絵を描き、さらに男×男のカップリング妄想し、その滾る思いの丈と自らの性の芽生えをミックスジュースにして同人誌というカタチにしたためていました。

定期的に地元同人誌即売会(以下イベントします)に出店して、そこそこに売れてファンレターのようなものをもらったり、同じ趣向の友人が沢山できてイベント以外でも会って一緒に遊んだりして、普段学生生活を凌ぐ楽しさでした。

彼女出会ったのはその同人活動きっかけでした。仮にSさんします。

Sさんは私の3つ上のオネーサン。同じゲームが好きで、知人に紹介してもらって意気投合。初めは文通メール文化はまだなかったので)からはじまり電話で話すようになり、そのうち個人的に二人で遊んだりするようになりました。私が年下ということも関わらず、対等に優しく楽しく接してくれて、一人っ子の私は趣味の合う素敵なおねえちゃんができたみたいでとっても嬉しかったことをおぼえています

Sさんとは、好きなゲームBL妄想で盛り上がる他にも、イベントで知り合った共通の友人であるコスプレイヤー男性に思いを寄せていることを打ち明けてくれて、ちょっと現実の恋バナなんかで盛り上がったりもして。

Sさんと二人で遊んでるうちに「M(私のこと)ちゃん、本当に可愛いねえ、すっごい好き」「私、本当にMちゃんのこと大好きなんだよー♡♡」など、ダイレクト愛情表現散見されるようになり、私ももちろんSさんのことは友人として好きだったので、その熱量違和感を感じながらも「うん、私もSさんのこと大好きだよ」と普通に返していました。

二人で遊ぶようになってから4ヶ月程経って迎えたバレンタイン当日。その年のバレンタインはど平日で、私は学校から帰ってきて家でせっせと同人活動にいそしんでいました。夕方7時くらいに家の電話が鳴り出てみるとSさんからでした。

「Mちゃんこからひま?そっちに遊びにいってもいい?」と。

Sさんの家から私の家までは徒歩とバスを組み合わせて40分ほどかかります

「うん、私は大丈夫だけどもう暗くなるし…これから来るの大変じゃないかな?家の人は心配しない?」

大丈夫だよ、どうしても今日会いたくって…」

何だろう?とは思いましたが深追いはせずに、私はSさんがやってくるのを待ちました。

私は母子家庭で二人暮らし、母は看護師夜勤もやっており、ちょうどその日母は夜勤シフトでした。帰ってくるのは深夜1時過ぎ。母が居ない夜に友達が遊びに来るという、ちょっとしたワクワク感と心強さのようなものもあり、遠いところ悪いなあと思いながらも深く考えずに来てもらうことにしてしまいました。

小1時間後、本当にSさんが家まで来てくれました。

「いらっしゃーい」と出迎えた私に「急にごめんね、ありがとう」と言ったSさんの表情はどこか固く、家にあがってからもどこか雰囲気がぎこちなく心配になる私。「平日にMちゃんち来るのはじめてだね」「ああ、そうだね、今日はお母さん夜勤でいないんだ」など他愛のない会話を交わしていましたが、やっぱり顔つきが冴えないSさん

「遠いところ来てくれてありがとう。でも、どうしても今日、って何かあったの?」

「あの…今日バレンタインから。これ、Mちゃんに。手作りしたんだ」

と、手渡されたのは可愛いラッピングが施されたバレンタイン手作りチョコレートでした。

「えっ、そうだったの!私なんにも用意してなかったよー!ありがとう、うれしい!」

素直に驚きと喜びを伝えたら、Sさんは泣きそうとも笑顔ともとれそうな複雑な表情で私を見つめたあと、強く抱きついてきて「Mちゃん、本当に大好き」と囁くように呟きました。

「う、うん?私も好きだよ…?」

「でもきっと、Mちゃんが言う“好き”と私の“好き”はちょっと違うと思うんだ」

「えっ?…」

そしてそっと私にキスしました。ほっぺにでも、おでこにでもなく、くちびるにです。これが私にとってのファーストキスでした。

とにかくびっくりしたけれど、不思議と嫌な感情特には湧きませんでした。その後何を話したのか、どうやってSさんが帰って行ったのかもよく覚えていませんが、すっかり元気な笑顔を取り戻したSさん玄関口で見送った画はしっかりと記憶しています

その次の週末、Sさんの家へ遊びに行くことになりました。

キスのこともあってドキドキはありましたが、あれは何かのきまぐれだろう、きっと普通に友達でいられるだろう、と思っていました。その日、Sさん宅では二人でゲームをしたり同人活動にいそしんだりとこれまで通りの楽しい一日を過ごしました。特にこの間のキス話題も出ませんでした。

私が「じゃあ、時間からそろそろ帰るね」と、帰り支度をしようとしたとき「やだ、帰っちゃやだ、大好き」と言ってまた抱きしめられて、キスされました。何度かキスをされるうちに、舌が入ってきましたが、私はまた拒否もせず、受け入れてしまっていました。

その日から一緒に遊んだ日の最後は、こんなふうに抱きしめられてキスされることが多くなってきました。私からしようとしたことは一度もありません。拒否をするほど嫌だったわけでもなく、実際キスという行為はやわらかくあたたか気持ちいいもので、拒絶することでSさんとの友情関係が崩れることを避けたかったこともあり、背徳感を抱えたままその関係を続けていました。

そんな関係が3ヶ月位経ったあるとき、私はとあるバンド出会い雷を打たれたように骨抜きになってしまいました。そのバンドのことで頭が一杯の毎日TV雑誌などを追いかけるのはもちろんのこと、同人活動土俵にもそのバンドを持ち込んで、また、同じバンド好きの新しい友達が沢山できました。私とSさんはともに受験生となっていましたが(私は高校受験Sさん大学受験)、電話は週に2、3回ほど、月に2回ほどは一緒に遊んでいました。ですが、Sさんは他の友人たちと一緒のときでも手をつないできたり抱きしめてきたりと過剰なスキンシップが多く、私はちょっとうざったいなあと思い始めていました。

だんだん私の興味がバンド一番になっていることに気付いて、Sさんはひどく寂しさを覚えてしまったのだと思いますバンド関係の友人と遊びに行くことにはじまり、そのうちSさんも交えて共通の友人と居るとき私が他の友人と話しているだけでも深い嫉妬をするようになりました。友人がいてもお構いなし、その場の雰囲気が悪くなるくらいあからさまに不機嫌になり、悲しそうな顔をするのです。周りの友人にも「SさんはMちゃんのこと好きすぎじゃない」「SさんってMちゃんにベタベタしすぎ」などとからかわれることも多くなってきて、私は正直もう面倒くさくなっていました。当時のモットーは友人関係は広く浅くみんなと公平に、束縛するのもされるのも本当に苦手でした。これ以上踏み込まれたくない、と私のSさんに対する態度はだんだん冷たくなり、そうなるとSさんがひたすら謝ってすがるようにさらに甘えてくることに辟易し、電話も合う頻度も自然と減っていきました。自分からきちんと嫌なことを嫌だとは伝えずに、冷たい態度をとることで私のことを嫌いになってもらってうやむやのまま自然消滅すればいい、と思っていました。私にとってSさんを傷つけ続けていることよりも、あの熱量の高い束縛から開放された安堵の方が大きかったのです。子どもですね。

その後、私はバンドに熱を上げつつも勉強を続け、無事志望校高校合格Sさんから東京大学への進学が決まったとの連絡が来ました。

Sさん東京へ行く前に駅前マクドナルドで待ち合わせて二人で会いました。10月頃、同人誌即売会ですれ違って話したのが最後だったので、ずいぶん久しぶりでした。お互いの合格を祝って、近況やこれから新生活についてぼんやりと話して、元気で頑張ってね、と言って普通に別れました。もちろん、好きだという言葉も抱擁もキスもありませんでした。

その後、一度だけSさんに会いました。私が19歳の夏でした。

私は高校卒業して東京専門学校へ進学しました。1年生の夏休みのことです。帰省して久しぶりに地元同人誌即売会へ参加しました。その後、居酒屋へ流れて友人たちと飲みに行ったのですが、そこに遅れて現れたのがSさんでした。3年以上振りの再会。私たちはぎこちない笑顔で「ひさしぶり」くらいの最低限の挨拶を交わして、私を避けるようにして遠い席に座ったSさん。それぞれ周りの友人たちと盛り上がり、Sさんとは全く話しませんでした。ただ、居酒屋の喧噪にまぎれてSさん自分彼氏の話で盛り上がっているのが、ぼんやりと聞こえてきたのでした。

現在、私は同人活動からも一切足を洗って、イベントなども10年以上参加していません。当時の友人たちとも疎遠になっていて、Sさんがどこで何をしているのかは一切わかりません。

毎年バレンタインの時期になると思い出す、私にとっての忘れ得ぬ人です。

長文乱文失礼しました。

2017-04-03

いじめ加害者に謝られた話

いじめ関連のホッテントリが続いていて、ふと思い出したことを書く。

小学生の時、「いじめ」を受けていた、と思う。

当時は「いじめられていた」と思っていたし、つらくて泣きながら下校したことが何度もあるし、数日は不登校にもなったし、ある時は担任に訴えたら担任激怒してくれて授業が1つ潰れたことがあった(S先生ありがとう)。

今になって「と思う」なんて付けて断定を避けるのは、当時の私ちゃんに対しては申し訳ないんだけれども、まあ、彼女未来である私がとりあえずすくすくと真っ当に伸びきったことで相殺してもらいたいと思う。今やいい大人になった私が思い返すに、あの「いじめ」と名が付く機構はわりとどうしようもないタイプのものというか、その発生を回避することはとても難しいものなんじゃないかと感じられるからだ。さらに言うなら、「いじめ」の加害者は、私の友達だった。「いじめをするやつは友達じゃない」という意見はよくわかる。でもそれは定義問題だと今の私は思う。当時の私ちゃんの認識としては、「いじめてくる」あの子たちは、みんな友達だったのだ。むしろ距離感の近しい、仲の良い友達の人々だった。たぶんあの子たちの認識もそうだったと思う。だって、おしゃべりしてたもん。一緒に登下校していたんだもん。よく言葉をかわしていたから、共に行動していたから、それは「いじめ」になりえたんじゃないか。親しくなり、型通りの付き合い方から外れはじめた時に「いじめ」の機構は発生する。

ともあれ、それが発生しているころ、当時の私ちゃんにはほかにも友達がいて、味方になってくれる両親がいて(そういえば、どうしても学校に行きたくなかったある日、1日だけ、父親が手をつないで学校まで一緒に来てくれたのだった。6年間であの1日だけだ)、当時の私ちゃんの問題に気づいてくれた担任先生がいて、それを上の学年に上がるたびに引き継いでくれた先生たちがいた。

さて、小学校から中学校エスカレーター式のところだったので、そのまま人間関係をほぼ引き継いで中学にあがり、「いじめ」は「思春期の男女のすれ違い」に変わって、高校受験をして、それぞれの高校に分かれてしばらくしてからだ。

中学で始めた「ある活動」の人間関係の中に、小学生の頃の「いじめ加害者Yがいた。

その「ある活動」は高校になってもそれぞれに続けており、「ある活動」の場所で、時折顔を合わせ、「おう、久しぶり」「どうよ、そっちの高校」なんて軽い挨拶を交わす仲になっていた。

かつての「いじめ被害者と「いじめ加害者なんだけど、でも高校当時の私さんはそれでいいと思っていた。「いじめられたよなあ」とは思っていたけど、それはそれとして、友人は友人のつもりだったのだ。縁があるご近所さん的な。思い出を共有する同士、的な。

※この割り切ったメンタルが既におかしい、という向きは当然あろうと思う。高校当時の私さんは、既に「思い出話をさしさわりなくできる関係」の良さを知っていたし、それができるだけのトーク力も持っていたので、たまたまそれができたに過ぎない。

だがそんなある日のこと、その活動の場で、Yに「ちょっと話があるんだけど」と声をかけられた。「なになにー」と軽く応じた場で、Yは「俺、お前のこといじめてたよな」と唐突に言った。

面食らった覚えがある。そのあと肯定した。つまり「……そうだねえ」ぐらいの受け答えをしたはずだ。

「謝らせてほしい。ほんとごめん」

そのあとどう返したかはまったく覚えていない。でも当たり散らしはしなかったはずだ。適当に切り上げたのかもしれない。

ただ、その日の夜はもやもやした。布団の中で、延々ともやもやした。

むし返さなくてもいいじゃないか。せっかくうまいこと忘れてたのになあ。お前が謝って、お前がすっきりしたかっただけじゃん。

それ、お前がすっきりしたかっただけじゃん。

それがいじめ加害者に謝られた時の正直な感想

今もしYに再会したら、ささやか意趣返しは目論んでしまうかもしれない。

ささやかで済むような自制をするし、私はそれを成し遂げるだろう。

大人の「いじめ」は、「いじめ」にならない。

2017-03-16

日本公教育の一番の癌って

言葉は悪いが「バカ一生懸命頑張る」だけで最高評価なっちゃうことだと思う。

別にバカである必要はないけど、バカのなかなか結果が出ない努力の方が美しいというね。

みんなブラック企業ばっかり叩いてるけど、原因の一端はこいつらにあるんじゃないか

逆に頭いいキャラなっちゃうと、常に100点取っても褒められず全然いいことがない。

で、こうやってスポイルしといて、高校受験でいきなり結果求めるとかアホかよ。

まあ中高一貫校出身はてなーには関係ないんだろうけどね。

2017-03-04

「親のせいかよ」

ネット出会った元彼に言われた言葉だ。

うちは貧乏だ。今の季節、古い木造なのに冬でも暖房つけないから外と風がないだけでほとんど変わらない。体が震え、手がかじかむ中勉強をしている。

そう言うと「うちもエアコンつけないし寒いよ」と元彼がぬかしていたが、家におじゃますると質のいいマンションで断熱性があるためか全く寒くなかった。


我が家夜勤から帰ってきた母親が夜中までテレビを見て独り言を喋るので寝ようと思っても寝れない。

夫婦仲も悪い。父親風呂に入らないし謎の借金をしている。

低学歴な親は教育価値を知らない。高校受験の頃、私はそこそこ偏差値の高い進学校に行きたかった。先生にも勧められた。でも親は行かせる気がなく、「近いし、兄弟のおさがりがあるから」という理由自称進学校に行くことになった。

対して元彼の家。高学歴人間が周りにたくさんいる。そのためか親も教育熱心だ。(うるさいくらい)

家族の会話がある。これが家族の会話がない私には信じられなくて、私を家に招いてくれた時、正直うるさいなぁと思ってしまった。

あと、私は能年玲奈タイプである。顔がではない。会話が遅いところがだ。きちんと頭の中で整理したり、話しながら推敲したりするから時間がかかる。それを元彼の親には毎回「遅い!」とつっこまれ、元彼には気を遣っているから喋れないのだという勘違いをされ「イライラする」と言われた。

何を書きたいのかわからなくなってしまった。深夜のイライラに任せて書いているのでひとつ推敲してない。

私は別に自分が駄目人間なのを親のせいにしたいわけではない。それでも、なんかやりきれなくなってしまったので元彼に親のことを話したら親のせいかよと言われた。

勘違いされてるのも嫌だけど、いい環境に生まれ人間に偉そうに言われるのが一番イライラする。

私がクズなのはわかっている。

結局私が原因で別れたけれども、なんか最近、元彼への思いが恨みに変わってきていて怖い。

私のこと何もわかってないくせに何わかったような口きいてんだ。みたいな。

私は彼氏を作ったらいけない人間だ。もう結婚は諦めよう。

2017-02-24

左に寄りすぎたところに右により過ぎた物が来ると発狂する

話題になってる某小学校土地問題

実家の近くなので今度あそこにできるんだなと以前から知ってました。

それもかなり右よりだなと。

ちなみに豊中市公立学校北部セレブですが、南部DQNの集まりですw

もっというと日教組無駄に強い。

ン十年前の話ですがとあるサイトを見る限りあまり変わってないのかw

http://www5.plala.or.jp/ysk/kimigayo-toyonaka.htm

http://mid.parfe.jp/kannyo/onbudtoyonaka/katu-hou/H14/H14-6-H13-sotu-tyou-seimei.htm

これ以外に経験したものとして

入学式卒業式日の丸なし、君が代歌った記憶なし

音楽教科書最後のページはプリントを貼るように指示される

小学校修学旅行広島でなぜか公園以外にあるとある慰霊碑の折り鶴まで作らされる

 というかそっちがメイン(ry

夏休みの登校日は大体8月6日原爆関係映画を見せて感想文を書かせる。

通知表評価安心の二段階

運動会徒競走順位付けなし

道徳の名ばかりで授業がない。というか「にんげん」という怪しい本を使った授業になる

 なのでこの辺の子どもは道徳意味を知らない

・というかなぜか授業中にチマチョゴリコスプレやらせ

中学校受験しようと思えば全力で圧力がかかる

歴史近代史だけ無駄に力が入る

高校受験学力が高いかよほどの強い意志がない限り特定学校受験しかさせてもらえない

・その指定された高校には毎年教師が視察にやってくる

成人式になると市民会館の前で日教組の旗を持って突っ立ってる

覚えているだけでこれだからもっと思い出せば沢山あるはず

そんなところに正反対思想を持った学校が来るとなれば

ご近所の選挙区同胞の有名政治家予算委員会サボってでもすっ飛んできますよw

自分場合不幸中の幸いだったのが中学3年間のうち2年が退職した爺さん講師(今思えばバリバリ保守思想)に当たることが多かったので

日教組洗脳を受けず済んだっぽいw

2017-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20170215210731

同じぐらいの偏差値なのに差があるなんてまだマシな方で、高校受験序列表で明確に上の学校なのに教育困難というのが地獄だよ。

やっぱ頭いいか問題起こさないはずって思想はかなり無理があるんだと思う。逆も然り。

頭いい高校なら教育困難にならないはずだったら東大生絶対問題起こさないのかよって話だし。

2017-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20170211230038

高校受験偏差値60って、大学受験の実績ベースではそこまで大したことなランクだった気がするが。

高校受験偏差値だと、大抵の場合私立一貫の人が母集団にいない数字になるから、60と言っても中学生全体で図ればそんなに上じゃないと思う。

まあ、それとコレとは別として、中学から受験で這い上がるってのはそこまで上の高校行かなくても達成しうるシチュエーションな気もするから

自分の書き方は不適切なのかもしれんが。

2017-02-11

お前らさー中学底辺DQNの掃き溜めでいじめられたか高校受験頑張って進学校にいったら世界が変わったとかいう話はどこにいったんだよ

偏差値60でも教育困難校とか今度は高校同級生バカにしないと気が済まなくなったのかよ

はてなー自意識は一体どこまで肥大していくんだ・・・

教育困難校って

教育困難校って具体的に高校受験偏差値いくつぐらいからなんだろ。

自分の言ってた高校は、地元の塾の出した偏差値60ぐらいだけど普通に業態度とかの面では教育困難校レベル

先生も完全諦めてた感じだったから、

まさかボーダーフリー偏差値30未満、定員割れ高校以外全部全員まともに授業受けてるとはとても思えないんだけど。

大学で言うところのF欄だけが教育困難みたいなこと言ってるのを聞くと、随分自分のところと事情が違うなあとびっくりする。

2017-02-09

ADHD発達障害)の、つまずきながらも終わらずに生きられた半生

ADHD診断済の者です。

ここ最近借金玉氏のブログhttp://syakkin-dama.hatenablog.com/)が立ち上がったり、そこでの記事話題を呼ぶのを見て、にわかはてな界隈でも発達障害に関する話題が盛り上がっているのかなと思っていた所、

http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

↑こちらの中学受験の話と、それに付いていたブクマコメントが、あまりにも「そうッ!」という思いだったため、少し乗り遅れた感ありますが思わずキーを叩いてしまっています

そのコメントとは、id:Outfielder 氏の

知能に遅れのない高機能発達障児は、中学で内申が出ないか高校受験で詰んでしま人生終了がほぼ確定してしまうから少々無理してでも中学受験すべき、という体験談は聞いたことある

というもので、まさに自分がそれだった、その通りや…と瞠目してしまいました。

自分がそれ、と言っても結局中学公立に進んだのですが、幸いなことに人生終了は(おそらく)しておらず、今は自分にとっては環境面・経済面でも充分有難い場所で働かせてもらっています

でもそれはたまたま、運が良かっただけという気がしていて、振り返るとこれまでの人生の中で、ADHDのせいとは一概には言えないけれど、幾つかの「挫折ポイント」があったので、もしこれからの進路にお悩みの発達障害傾向のあるお子さんを持つ方などが居たら、参考になればと思いつつ振り返ってみます

(多分あんまり参考にはならないですし、それよりも自分が整理して書き出してみたいというADHD衝動によるもの本心です)

小学生時代中学受験でつまずく)

子供の時から自分は周りとは違う人間だ、という自覚は多少なりともありましたが、それは割とポジティブに捉えていました。運動は苦手だけど、勉強はわりといいところ、そして休み時間や家ではマンガを書くこと、それを披露することでクラスで固有のポジションを得ていた覚えがあります

絵師の皆さんなどもどこかで記憶のあるような体験なのではないでしょうか)

問題ポイントが、中学受験。親の方針もあり、自分もなんとなく説得され特に断る理由もなかったので(通学が遠くなるのはめんどくさいなあくらい)小4くらいか中学受験に向けた塾通いをするようになります

しかし、それがだんだんキツくなり、小6のいつ頃だったか、日曜も朝から夕方まで模擬試験しか提携してる友達も居ない知らない塾まで通っての体制になり、多分その環境自分ストレス耐性がピークに達してしまった気がします。

と同時に、なぜ今の小学校友達と離れてまで、遠い中学に通わなきゃいけないのか、さっぱり意味がわからないと涙ながらの突然の抵抗。自分が覚えている限りの自我の芽生えその1です。

結局、これ以上は無理と親も理解したらしく、中学受験は断念、塾も同じ塾内の進学コースから普通コースに移動しました。この時の迎えてくれた友達安心感たるや今でも思い出します。

中学生時代(内申でつまずく)

この公立中学地域圏内では割と悪評の高い、まあいわゆる「荒れてる」と言われるような学校だったようなのですが、幸いなことに僕が入学する直前辺りから目立って悪い行いは無くなっていったようで、中学の3年間は気の合う(ヲタクな)友達も狭い付き合いながらも出来、全体的には、例えばいじめに遭うなどという特段嫌な思い出もなく平和に過ごせました…

が、

心境的には、中学2年辺りから周囲との違和感を強く感じ始めていました。

まぁこれは、誰にでもある思春期の訪れだとも思うのですが、良くないことに同時期に、インターネット桃源郷見出ししまいました。

テレホタイムは親のPCでこそこそチャット掲示板に入り浸り…(なんとなくこれで年齢が分かりますね)

今思えば、このあたりもADHD衝動性、過集中にフィットしてしまい、その後にやってくる虚脱によって学校を休むことが増え、やがて内申はどんどん悪くなっていきました。。

高校時代公立高校でつまずく)

はい。ここで2度めのポイント、そして最大の「人生終了」感を味わいました。

中学での内申に引っ張られ、「お前はここにしか行けない」という公立校にヒィヒィ言いながら入りました。(試験の点数だけで言えば中の上レベルの人たちと張ってたのに…と今でも悔やむことがありますが、まあしょうがない)

そして、1年ももたずその高校を辞めました。

なんで辞めたのか。今でも正直言ってこれといった理由言葉に出来ないのですが、幾人かの「いやなタイプ」の人の顔、そして、排外的雰囲気、それに合わせることの絶対できない自分の中の何か。

気づいたら高校に行けなくなっていました。僕みたいな人間は、居心地が良くないとマジで死ぬんだなあ、ということが身に沁みてわかりました。

多分この時ほど親は、上記のコメントと同じことを思ったことは他にないでしょう「少々無理してでも中学受験すべきだった・・・

その後、半年ほど引きこもりをしてから、今度は底辺私立校一年から入り直すことになります

ぶっちゃけ誰でも入れるような所で、周りを見渡せば一目瞭然の発達障害ヤンキー、そしてほぼ知的障害とも言えそうな人まで、ワケアリな人種ばかりが揃った愉快な空間でした。

それでも、そんな所に高いお金を払って再チャレンジさせてくれた親には大変感謝しているし、また学校行けなくなるのではという恐怖も乗り越え再びやり直すことを決めた当時の自分も、割とがんばってたと思います。(引きこもってた時分は外に出るだけで怖かったです)

そしてこの私立校が、思いのほか自分には合い、割と気ままに過ごすことが出来、大人になった今でもLINEでくだらないことを言い合うような親友も出来ました。

特にその学校ではPCを使った授業に力を入れていて、もともとネットにハマってたくらいなのでPCに触ることは自然だったのですが、その中で自分特性に合ったジャンル先生見出してくれて、「大学受験してみないか?」という運びになります

大学時代ADHD完熟期)

その高校での先生たちの手厚いサポートのおかげで、(あの悪評高い)AO入試制度を使い大学への入学を果たします。

2ちゃん等ではFランと呼ばれるランクしょうが世間的にはそこそこ名だけは知られているところでした。

そして自分学生時代を見返してみても、この大学時代が一番輝いていたように思います

興味のある授業内容、自由雰囲気キャンパス、そしてどことな普通じゃない人達の集まる文化系サークル出会い、居場所と夢中になれることの両方が目の前に広がり、自分人生が本格的に始まった感じがしました。

色々あったけど、特にここで語るべきことはこれ以上ありません。

就活は例に漏れ苦痛でしたが、それでも思ったよりあっけなく、自分に合いそうな所に内定を得ることが出来ました。

社会人のはじまり(つまずき続けつつそして現在

そして、光に満ちた4年間が終わり、ここから暗く長い旅の始まりです・・・

といっても、第3のポイントは1年目序盤にあっさりと訪れます会社に数日行けなくなりました。

体が動きません。会社メールも見れません。連絡したくありません。何もかもから逃げ出すことしか考えられなくなりました。

それでもなんとか数日休んで、這うような思いで出社し、耐え、またしばらくすると行けなくなる、を繰り返しました。

メンタルクリニックにも行き、「抑うつ状態」の診断書を突きつけたりもしつつ、それでも時には自分に合った業務に携われる期間もあり、何より会社の人が良い人だったので、なんとか辞めたり休職したりはせずに、自分の心と身体を騙し騙し、一つの仕事に人より何倍も時間を浪費しながらも、続けられていました。

ADHD的に特にしかったのは、やはり外部とのコミュニケーションスケジュール管理企画書作成といったところでしょうか。

これらを、自分を無理に奮い立たせながら乗り切っていたため、やがてそういった業務をすればするほど、図太くなるどころか気づいた時にはストレス耐性が全く無くなり、再びしょっちゅう休むようになりました。

それがここ1年ほどのことです。

再びクリニック通いを再開し、軽うつ対応するような薬を飲みつつも、相変わらず同様の環境仕事を続けており、このままじゃどんどんダメになるのではという漠然とした不安と焦りが募っていました。

そして約半年前、同じクリニック内で医師が代わり、その医師の診断方針もあり状況を見直した所、「ADHD」という判断を受けました。

それまでもネットで色々情報は見ていたため、あ~やっぱり、という感じでした。

その後、自分ADHDであり、こういう業務はどうしても脳の形状的に難しいのだと諦めがつくようになり、まずは環境を変えなければどうしようもないと思い、同じ社内ではありますが異動を相談したところ、あっさり通り、そして始めのほうに記したような、落ち着きつつある現在の状況があります

振り返ると

中学受験高校社会人と何度も「周囲との違和感」「やってみてはダメになる」「周りと同じような適応は出来ない」を繰り返してしまっていたのですが、それでも、親や教師理解サポートたまたま巡り会えた環境に恵まれ、なんとか人生終了せずに、今は地道に日々の幸福度回復させていけるようになりました。

中学受験成功していれば全てが上手くいった、とは思わず、結局はどこかで周囲とのギャップ、そして挫折経験していたと思いますが、それでももっと早くADHDという認識を与えられ、それに対応した生活見直しや進路を定められていたら、もうちょっと楽に歩むことが出来たんじゃないかなと思います

一歩間違えれば人生終了待ったなしだった気がするので、それを回避するためにも、もし自分が、そして自分の子供がちょっとあやしいなと思ったら、診断を受けてみたり歩み方を普通の人とは変える、認識を良くも悪くも諦めるようなタイミングが、必要なんじゃないかなと思うのでした。

まぁ、今はどこのクリニックも発達障害の診断で激混みという話も聞きますけど…

空前の発達障害ブーム(?)に備えた人生設計の、一つの参考例にでもなれば幸いです。

2017-02-07

僕のすべての受験体験

http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

これを読んで懐かしくなった。

すべて関西エリアの話です。

幼稚園受験

最初受験記憶はこれ。完全に親の力で決まる受験

高校までエスカレーター私立幼稚園で。周辺の3つの市くらいか金持ちが集まり、お母さんが派手な美人が多い。親が元女優プロスポーツ選手ヤクザ幹部みたいな人も多い。

受験対策というのはほぼ無いので、親の職業年収寄付金なんかで決まる。

受験でしたことと言えばちゃんと記憶にあるのは面接。多動気味だった僕は面接中にもう全身が痒くなって大暴れしたのを覚えている。一応それ以外にも先生と遊ぶ時間もあったから、そこでも見られていたんだろう。

うちは普通サラリーマン家庭だったがバブルで潤っていたこと、母方の祖父母がそれなりの中小企業社長だったこともあってか合格

袖の下も渡したらしいという話は後から聞いた。

キリスト教系だったので、様々なクリスマスハロウィンミサなんかを味わえたのはい経験

小学校受験

エスカレーターで上がれるところを、親の意向で母の母校を受験することに。(幼稚園は人気高い小学校は頭がわるいイメージの強いところだったので、50%くらいの園児が別の小学校に進学する)

受験対策として塾に通わされる。もちろん塾と言っても勉強ということではなく、マナーとかお作法とか創造力があるか、といった試験クリアするためのもの

ひたすら折り紙練習や、箸を正しく持って小豆を皿から皿へつまんで移動できるか、面接で受け答えできるかの練習

そして迎えたお受験日。事前の練習通りやったし、面接もなんとなくだがよく喋れた記憶がある。しかし、結果は不合格。後の親の感想によると、サラリーマン家庭であったことと年収

中学受験

小学校公立に入ることになった僕だが、小2から学習塾に通い出す。小3の夏期講習をきっかけに進学塾へ。

小5の終わりまでは灘クラスにいたものの、常にその中の最下位だったのでワンランク下のクラスへと変更。あと、僕自身の二度と受験したくないという意向を受けて大学までエスカレーター中学第一志望に。

エスカレーター高校までの滑り止め中学合格したものの、第一志望は不合格

正直なところ第一志望は余裕で問題を解けていたが、珍しく内申点を重視する学校だったことが仇になったんじゃないかと見ている。なんせ受験反対派の先生クラス受験のために小学校休みまくっていたので。

高校受験

先述の通りエスカレーターのため無し。

大学受験

普通にすごしていたものの、怠けまくったせいで中学受験第一志望だったところ大学がD~E判定という状態で高3を迎える。まぁ一年留年するか〜と思っていたところにネットAO入試を知り先生相談

さすが私立高校ということで当時は珍しかったAO対策室みたいなところがあり、そこの指導のおかげで、中学受験第一志望だった大学と同ランク大学合格

人生史上一番苦労していない受験

就活

元々行きたい業界は決まっていたので、ちゃんと早めに3年の夏のインターンから就活を開始。3つほどインターンに参加し、そのうちの第一志望だった会社からかなりの早期に内定をもらう。

通常の就活より相当早めのいわゆるインターン裏枠選考だったため、そこで就活終了。なのでちゃんとした就活はしないまま終わった。そして、今も最高の会社だなと思いながら働けている。

うん、やっぱりちゃんと早めに受験対策してりゃ、いい人生送れると思うんだ。

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