「高校受験」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 高校受験とは

2018-06-13

世間内定習得率は65パーセントらしい。私はまだ35パーセントの中にいる。

自分なりに、去年の夏からやれることはやってきたつもりだった。すべては今後のため。何十年かはわからないけど、人生殆どを過ごす会社くらい、自分が一番希望したところへ行きたいと思っていた。

もうすぐ6月も後半。内定ひとつもない。何時間もかけて書いたES履歴書早起きをしてお金を払って都心まで行って、練習したとおりに言葉遣い笑顔に気を配って質問に受け答えをして。それら労力のすべてが、二週間後くらいには数行のメールに変わる。書いてあることは同じ。

「誠に申し訳ございませんが、採用を見送らせていただくこととなりました。貴殿のご健勝をお祈りいたします。」

何が悪かったのか。考えてもわからない。ご縁は目に見えない概念だ。はっきりと態度が嫌だったとか、適性検査の結果がだめだったとか、言ってくれればこちだって次に繋げられるのに。ご縁はどうすれば改善できるのだろう。

志望していた業界企業ほとんど選考を締め切ってしまっている。いまから業界を変えて、研究して、また志望動機を考えて……気が遠くなってくる。そもそもいまから募集を始める企業なんて存在しているのだろうか。

友人もほとんど就活を終えて、髪を染めて、楽しそうに旅行の話をしている。学校に行って、普通に話していても、気を遣われているのが痛いほど伝わってくる。「あなたにあう企業がきっとある」「まだ始まったばかり」「これからが本番」「いつかきっと報われる」……4月にも5月にも同じことを言われていた。正直もう、ポジティブ言葉は聞き飽きた。はっきりいってくれ。何がだめなんだ。私はそれほどまでに社会不適合者なのか。

面接へ行くのにはお金がいる。アルバイト中、男性に怒鳴りつけられた。店で買ったストップウォッチ不良品だという話だった。商品を詳しく見ると、絶縁テープがついたままになっている。あれ、と思って外してみると、やはり商品は正常に動き始めた。するとその様子をみていた男性に、何故だかもっと怒鳴られてしまった。絶縁テープをひっぱれなんてどこにも書いてなかった。返金しろレジの前で、何人もが見ている中で激しく叱られた。男性スーツを着ていた。男性しかに、立派なスーツを着ていた。彼は社会に求められている。私とは違う。私より、この男性の方が社会価値がある。この人は就活を何十年も前に終えて、人として認められている。

何が何だかよくわからない。カンボジアボランティアへ行ったら偉いのか。ニュージーランド留学へ行ったら偉いのか。自ら主体的に動いて部活動問題解決したエピソードがあれば、なにかコンクール大会入賞した経験があれば、あるいは。

今までの人生就活のために生きてきたわけではない。高校受験大学受験自分が行きたいところに入学した。一連の流れに特別性はない。ほかの人は違うのだろうか。みんな何か特別なことを成し遂げてここに立っているのだろうか。

家に帰ると母がスーツ姿の私を傷つけないように、傷つけないように、と言葉を選びながら就活の進捗を聞いてくる。最終面接二つ受けて結果待ちって言ったよね。ごめんね。あれ昨日二つとも不採用メールがきたんだ。また最初から頑張らないといけないの。そんなことがずっと言えないままで、大丈夫だよとか、心配しないでとか、あやふや言葉しか出てこない。

私には兄が二人いて、父親がいない。兄は高卒で、いまはアルバイトをしている。母も高卒だった。だから大学に行かせてもらって就活をしているのは私しかいない。そんな私がこんな失敗作で本当に情けない。申し訳ない。こんな私が、何の役にも立てない私が家でのうのうと、お母さんがパート終わりで疲れてるのに作ってくれたご飯を食べていていいんだろうか。生きていていいんだろうか。毎日何をしててもそんなことを考えてしまう。

気に入っていた茶色い髪も、楽しみにしていた友達との旅行も、大好きな服を買うお金も。全部全部あきらめた。流行りの服も、メイクも。お気に入りスニーカーも埃をかぶっている。毎日毎日リクルートパンプス、“適切な”メイク。そろそろもう、限界を感じている。

生きていることに理由がない。死ぬことにも理由がない。だから自殺なんか考えたくない。就活に疲れて自殺なんてバカバカしい。わかっている。分かっているけどふと、ホーム電車を待っている時。家に一人きりでいる時。信号待ちをしている時。今なんじゃないか?という声が聞こえる。頭の中でもう一人の自分必死に死を促してくる。死にたい、という気持ちがあるわけじゃない。ただ、そうした方が楽なんじゃないか?と投げかけてくる自分自身がいる。

なんだかもう、ひどく疲れた。近くない、けれどきっと遠くもない未来、情けない私が愚かに自分自身の誘惑に負けて、親を悲しませる選択をしてしまったら。そのときは私の実名と、そこに至った経緯が全国へ公開されて、偉い人がニュースで語り合ったりするのだろうか。

そうなっても、いいのかもしれない。

追記

こんな鬱々としたユニークさの欠けらも無い長文に目に通してくださってありがとうございます

いくつか思ったことを箇条書きに。

・誰かを無差別に傷つけたいわけではありません。それだけは絶対にありません。

風俗は志望職種ではないので…すみませんが。

ニュースで取り上げられる云々は私の浅はかな想像産物であり、例としてあげただけで、別に目立ちたかったりしたい訳ではありません。文章が下手ですみません

他人よりも不幸ではないといけないのですか?個人裁量では勝手絶望してはいけないのですか?

一部の優しい方々、励ましのお言葉、はっとさせられるお言葉ありがとうございました。不甲斐なさで涙が出てきました。しっかりと受け止めて、今後に生かしていきます

もう少しだけ、がんばろうと思います

お付き合いくださりありがとうございました。

2018-06-08

明日試験があるんだけど、

前日になるととたんに何もできなくなる。

2日前までは一心不乱に、勉強するんだけど

とたんに力が抜ける。

まさに天命を待つ、状態になる。っていうか明日まで頑張れよ、と自分でツっこんでしまう。

からこうで高校受験のころからこうだった。前日になると遊び出してしまうのだ。このクセはいったい....

2018-05-22

母と売り手市場

私は就職活動中の大学四年生です。

お祈りの連続内定は一つも持っておらず、選考中の会社もほぼないため、まだまだ会社説明会に通う日々が続いております

この文章地元から東京へ行く高速バスの中で打っていたものです。

私には持病があります

持病と言っても大したものではなく、激しい運動ができないだけで日常生活問題なく送れるものです。

私の持病にもっとも不理解だったのは母でした。

体育の授業や、運動会やマラソン大会を休むことは決して許してはくれませんでした。

思えば、これまでの人生で母が私の要望を聞き入れてくれたことは一度もありませんでした。

高校受験で、私は工業高校へ進もうとしていました。

それは自分の家は母子家庭で裕福ではなく、兄の学費貯金もないから、高校卒業後はすぐに働きたいと考えていたからです。

しか母親三者面談で大泣きをし始めました。

どうやら母は私に家から自転車で通える場所にある公立進学校に行って欲しかったようです。

結局、教師母親から言葉によって私はそこへ通うことになりました。

元々勉強は苦手ではありませんでした。

苦手な数学を除けば、高校勉強で苦労をすることはなかったですし、楽しいと思える分野もありました。

から大学東京私立大学(MARCHのうちの一つ)に通いたいと思えるようにまでなりました。

しかしそれは許されませんでした。

「うちは母子家庭で、お兄ちゃん学費でもうお金がないから。大学は家から通える場所にある国公立大学じゃないと絶対にだめ」

母の言う条件に当てはまり、私に選択できる大学は一つしかなかったです。

滑り止めを受けることは許されませんでした。

浪人なんてもってのほかでした。

落ちてしまったらどうするの?と聞くと、やはり母は激怒して「落ちるんじゃない受かるの!」と叫びました。

多分落ちたら殺されるんだと思いました。

同時期に、兄が通っていた学校中退して実家に帰ってきていました。

高校三年生の一年間は、うんざりする日々でした。

兄に邪魔をされて、家は勉強できるような環境ではなかったので、勉強は全て学校で終わらせて家では休んでいましたが、それすら母親は許してはくれず、「どうして勉強をしないの!?どうしてそれで大学へ行けると思ってるの!?」と毎日毎日ヒステリックに叫んでいました。

母が私を大学へ通わせたいのは、世間体や、周りの友人や親戚などを見返すためだけでした。

兄の中退によって、母親プライドはズタズタだったのです。

大学には結局合格をして、母親に他の子と同じように遊ぶことを禁止され、監視されながら大学へ通い、今に至ります

就職活動の状況はとても悪いです。

学歴フィルターは仕方ないとしても、持病のことが不採用理由になってしまったときはとても落ち込みました。

一番悲しくなるのは企業の人から「今は売り手市場から」と言われることです。

初めて会社説明会へ行った企業で、そこの社長から言われた言葉は今でも忘れられません。

あなたたちは売り手市場で、苦労をせずに就職先を見つけられるはずです。そして学生気分のまま社会人になる」

その後、延々と今の学生いかに甘えているか聞かされた後、適性検査を受けさせられ(これは事前に知らされていなかった)、後日お祈りのメールを送られました。

CMを流すことのできるそこそこ有名な企業でした。

「今は売り手市場 あなたたちは恵まれている」

どこへ行っても、この言葉を聞かされました。

そして圧迫面接や、選考の場でセクハラなどを受けました。

ひどい否定言葉を投げられたこともあります

遅刻をしてきた面接官が謝ってくれなかったりましました。

サイレントお祈りしょっちゅうでした。

「売り手市場から〜」というのは企業勝手に言ってるだけではないのでしょうか。

売り手市場だったとしても、学生に失礼な言動をしてもいい理由になるのでしょうか。

その言葉免罪符にはなりません。

私たちには立派な社会人になることを求める人たちは、そもそも私たち人間として見てくれていないように感じています

最低限の礼儀すら、そこにはないのだから

こんなことなら、大学なんて通わなければよかったと強く感じています

私に大学へ通わないという選択を許してくれなかった母親すら、今は憎いです。

以上です。

まだまだ言いたいことは山ほどあります

言い足りないです。

でもキリがなさすぎて、書き切れません。

2018-05-18

自分偏差値って分かってるものなの?

中学受験高校受験大学受験 すべてにおいて

面接突破してきた私としては、偏差値思い入れがない(全然知らない)

良く「偏差値が~」という話が出てくるのだけれど、

私にしてみたら、数字を言われたところでどの程度のレベルなのか判断が出来ない。

偏差値ってそんなに重要なの?

とりあえず、社会人になったら偏差値関係ないとは思う。

2018-05-16

僕、難関大学学生なんだけど、バイト先の塾で教室長にいろいろ言われて腹立ったし落ち込んでる…きっかけは僕の授業スピードゆっくり目だということから

あなた○○大の学生ってことでおごり高ぶってない?中3の受験勉強指導、そういう気持ちでやってる人には務まらないよ?」

「そんなペースでやってて生徒のためになると思ってるの?」

「○○大の学生から勉強できない子の気持ちなんてわかんないんでしょ」

僕はおごり高ぶってるわけじゃないし、高校受験指導もその子がわかりやすいように一人一人少しずつ教え方や言葉選びを変えてる。自慢みたいになっちゃうけど、僕の数学の教え方は割といろんな子に好評で「一緒に図を描きながら説明してくれるからわかりやすい」「図が綺麗で好き」ってよく言ってもらえてる。「もともと数学はとても苦手だったけど、こうやって丁寧に図を書くとわかりやすくなって、苦手克服にもいいよ」とかのアドバイスをしてあげると、苦手克服のモチベーション上げてくれる子もいる。難関大学生からキトーにやってもなんとかなるでしょなんて思ってないよ。生徒にとったら先生先生であって、大学生バイトじゃないんだから

今日の授業スピードゆっくりなのは、僕の担当してる生徒さんがその分野めちゃくちゃ苦手で一から丁寧に説明してたらあまり進まなかったんだよね。でもその生徒さんがわかってないのに授業のペースだけ気にしてどんどん進めちゃったら生徒さんついてこられなくなっちゃうよ。長期的に見たらその方がヤバいんじゃないかな。

しか難関大学学生ってことで分数計算が苦手みたいなつまづき方をしたことはないせど、僕だって勉強で苦労したことくらい何度もある。中学不登校だったし、その時はめちゃくちゃ悩んだし不安だったし。今の大学合格するためにめちゃくちゃ努力した。でも「どうせ生徒の気持ちなんてわかんないんでしょ」って決めつけた言い方されると、中高の僕の苦労とか全部否定されたように感じちゃってつらい。

辞めようかとも思ったりする。サービス残業の嵐、いわゆるブラックバイトだし。でもバイト先の生徒は慕ってくれてるから申し訳ないなあとも思う。

迷うなあ。でも教室長にそういうこと言われて責められるの初めてじゃないし、そろそろメンタルブレイクしそう…

2018-05-07

少し前に大事な人がしんだ

物騒なタイトルだけど、内容は「浮気かもしれない」という書き主の考察、長い間付き合いがあれば、とある変化に気づいてしまうという事。話が長くなるので暇な時にでも。

ざっと20年前、僕が幼い時にその夫婦とは出会った。

父の仕事仲間(父より年下だが)の家を改装するということで、幼い僕も小学校が終われば自然と父の仕事を手伝っていた。仕事仲間は妻子持ちで夫婦の年齢差はざっと10ほどだが、仲が良く二人の娘がいて、また産まれる予定の男の子を奥さんが身籠っていた。

家の改装が終わっても、仕事仲間夫婦とは家族ぐるみの付き合いが続いた。一緒に温泉旅行に行ったり、遊園地に行ったり、夜ご飯は週一で食べに行ったりと、とにかく仲が良かった。そして何と言っても、3人の子を育てている奥さんと、一生懸命稼ぎに行っている旦那さんの仲はとても良かったのだ。まぁ、実際見ていないところではどうなのかは分からなかったが、子供の成長を見る限り、影響が出るほどの喧嘩はなかったと思う。

やがて僕は高校に入り、あまりの忙しさに少しだけ夫婦と会う時間がなくなった。

高校卒業、そして大人になった後、久々に夫婦出会った。子供はすっかり大きくなって僕よりも背が高くなっていて驚いたし、可愛くかっこよくなっていた。久々に食事をする約束仕事仲間(元、となってしまったが)として、子供と奥さんに会った。

が、ここで違和感を感じたのだ。

明らかに奥さんが化粧をして綺麗になっているのだ。もう子供に手がかからなくなったからと言っても、しっかりしている化粧に、何処と無く香水の様な優雅香りさえ漂う。

ここでなぜか僕は「もしや、浮気しているのではないだろうか」と突拍子のない事を考えてしまった。確信はない、けれどわざわざ家で食事をするために奥さんがここまでしっかりとした化粧をするということはなかったのだ。

子供の手がかからなくなって、刺激が欲しいがために…?と考えたりもしたが、あまりにも失礼すぎるので心に留めておいた。父の奮った手料理を食べながら、夫婦の仲を案じたが…

結果は嫌な予感があたったのだ。

家での食事から一週間後ぐらいだろうか、外で食べようと話が決まり仕事仲間(旦那さん)が奥さんに電話をしたが繋がらず、数回かけた後に奥さんが出たが、どうやら揉めていることがわかる内容だった。

電話を所持しているならば、すぐに出る。出れない状況ならば一言言ってくれ。そう言った旦那さんに対し、奥さんがキレたのだ。

まり唐突なキレ具合に、初めは「まあ今までのうっぷんも溜まっていたのかもしれないし、当人問題だろう」と考えていた。だが、

離婚したのだ。

僕は驚いた。流石に鬱憤あったにしても危害を加えるDVなどもないのに、離婚するのかと。

食事に誘った父が落ち込んでいるの姿に、僕はただただ「鬱憤がたまっていたのかもしれない、親父のせいじゃないって」と言い聞かせながらも、あまりにあっさりと離婚と切り出したのに引っかかりを覚えたのだ。

子供のうち中学高校の娘は父親の方について行くといい、小学の息子はまだ母親と共に居たかったのか、母親について行くと言い、子たちも離れたのを仕事仲間(離婚済み旦那さん)から聞いた。

そして暫く…いや、一週間もたっていないだろう。耳に飛び込んできたのは

(元)奥さんが年上の彼氏と同居している。という事だ。

ここで僕は気づいたのだ。「あのしっかりした化粧」「あっさりと離婚したこと」あれは同居人とやらが絡んでいたのではないかと。都合のいい離婚理由であっさり浮気相手に乗り換えられた、…僕はこの推測が大体当たっている気がした。

まりの事に母親について行った小学生の三男も母親に呆れて父親の方に戻り、3人の子母親と縁を切ると言い出す始末。

当本人もとい元嫁は新しい彼氏にウハウハだったろうが、子に見放される事がどれほど酷いことか理解出来ないのは、哀れだと感じた。

その事件からやがて2年ほどの月日が流れ、また食事に行こうと誘ってくれた仕事仲間の顔を見てからほんの1ヶ月、仕事仲間は車に撥ねられ死んでしまった。

子供はある程度大人になった。だが3男はこれから高校受験前、次女は大学前だ。3人の子が懐くほどとてもいい父親をしていた、まだまだ若い仕事仲間があっさりと、即死状態だった。

元気な顔を見るはずが、食事を楽しみにしていたのだが、まさか綺麗な顔で眠っている姿を見るとは思わなかった。

葬式喪主は長女だった。会場を見渡してみたが、元嫁の姿はなかった。当然といえば当然だが、それでも…もし、亡くなった事実を知ったらどう思うのだろうか、と考えた。

僕の母親浮気で父と離婚したが、僕は父について行った。浮気は浮ついた気持ちから始まるものだ。

みんな、奥さんと旦那さんを大事にして欲しい。ただそれだけだ。

仕事仲間さん、天国ゆっくりとしてほしい、お元気で。

2018-04-15

AV女優にすら拒絶されて童貞のまま死んだAV男優

二〇〇二年十月。V&Rのスタッフが出演依頼の電話をかけたとき母親らしき女性が「あの子は家のマンションから飛び降りて死んだ」と呟いた。鈴鹿イチ ロー(33)という特殊AV男優が、絶望を背負ってベランダの柵を越え、自らの命を絶った。生を受けてからひたすら負けて、屈折に屈折を重ねて、徹底的に 後ろ向きであり続けた男の悲惨な結末だった。無職恋人を一度ももたことがなかった。毎晩、巨乳ビデオを借りてオナニーする。それだけが女との接点だっ た。揺れる乳を触ってみたくて、どうしても柔らかいあの乳に顔を埋めたくて、AV男優になろうと決意したとき、AV界のイチローになろうとイチローという 名前をつけた。飛び降りたのは十五階建て高層マンション最上階、黒いアスファルトに頭から落ちて即死だった。早朝五時近くの出来事だった。誰にも気づか れることなく、孤独自殺したのである鈴鹿イチローはAV男優になっても一発すらセックスできず、絶対に夢や理想希望が叶うことのないこの世界を呪っ て、仕事友達恋人も楽しかった思い出もなにもなく、溢れんばかりの大きな絶望だけを抱えて、この世から消えていったのだった。

 二〇〇三年九月九日。鈴鹿の死から一年が経った晴れの日、将来は時代劇に出演して有名になりたい無職石井ちゃん(44)、無職で激寒な中川 (35)、先日倉庫解雇になって女とセックスしたいか男優志願したミソピーナツ村田24)、元V&R社員で重度の鬱病小林(26)、そしてイン ジャン古河(32)らが巣鴨スタジオに集結した。あのキチガイ飲み会ビデオ『うわさのミスコンパニオン』の撮影のためである。男たちは心が沈んでくるマイ ナスだけの奇妙なオーラを発していて、「ネプチェーンは2人か3人か?」という話題を笑ったり悩んだりしながら30分以上話していて、もはや普通じゃな かった。山ほどの缶ビール焼酎の3リットル瓶が用意され、『追悼 鈴鹿イチローお別れする会』という特注の立派な看板鈴鹿イチローが無表情でピースし ている写真が掲げられ、インジャン古河の「かんぱぁぁぁ~い!」という高らかな声でコップを重ねて飲み会が始まった。最初から一気飲みだった。口に運ぶ手 が休めば、「鈴鹿は飲みたくても飲めないんだぞ」と拳を振りあげる元暴走族暴力的インジャンに脅され、全員が怯えながらもの凄い勢いでアルコールを摂 取していった。宴会はあまり盛りあがらなかった。鈴鹿の死を初めて知った石井ちゃんは、健康に気を使ってるよう学習したようで「これ以上飲むと死んじゃ う」と吐く前に飲みを辞め、中川はいものように開始十分間で「もう飲めません」とお酌を拒絶。赤、白、黄色コンパニオンを投入して、乳を触らせてあげ ると色仕掛けにでるが、2人は頑なにインジャンのお酌を払いのけた。異常なペースで飲むのは、小林だけだった。焼酎ストレートを水のようにあけ、一瞬で ボトルがなくなってしまう。異常なペースだった。鬱病小林は「なんで飲まないんだよ、飲めよ。俺は頭狂ってるけど飲んでるんだよ」と寒い中川に絡みだ し、「飲めよ飲めよテメー飲めよ」ととまらなくなった。前々作、小林は悪酔いして病魔が襲い泣いていた。鈴鹿に「元気だせよ」と励まされた経験あるが、あ いつは死にたいから死んだんだよ、だからどうでもいいんだよ、鈴鹿なんかより飲めよと、冷たい死についてのコメント酔っぱらいながら簡潔に言っていた。 インジャンは「勘弁して下さい」と土下座する石井ちゃんにキレてしまって、グーで思いっきりぶっ飛ばししまった。吹き飛んだ石井ちゃんは壁に頭をぶつ け、ゴンと鳴って倒れた。石井ちゃんは「ポカリポカリ」と命乞いで決死洒落をかましたが、インジャンは「テメー飲め」と最終宣告してさらに拒絶した石 井ちゃんの上に乗って、顔面パンチを乱打。頭から血を流す凄惨な流血沙汰となった。さらイカれてるインジャンナイフをだして、銀色の刃を光らせて 「飲まないと刺し殺す」と不気味に呟いて、石井ちゃん絶望して一口だけビールを飲んだのだ。なにも聞かされてない女たちは、ずっと怯えきっていた。一口 しか飲まなかった石井ちゃんは、回し蹴りの決定打を喰らい、足下から崩れるように倒れてしまった。インジャンはダウンした石井ちゃんの口を無理矢理こじあ け、オマエなんて死んでもいいんだと焼酎を大量に流し込んでいる。鬼より非道い男だった。

 可愛い女の子セックスできると指折り数えて撮影を待って、念願の初出演を果たしたミソピーナツは、あり得ないキチガイ沙汰を呆然と眺めて涙を流してし まった。石井ちゃんリンチしたインジャンは、前にいたミソピーナツに酒を勧めた。ミソピーナツインジャンが近づいてくると「ヤダヤダ……」と言って震 えて「帰りたい、帰りたい」と泣きだし、怯えながら飲むふりしてコップを置いた。インジャンの目つきが変わった。再びナイフを出したインジャンはミソピー ナツの頬にナイフを立てて家族構成を聞き、「飲まないと、親を殺して妹を犯す」と宣言した。これ以上ない絶望的な表情のミソピーナツ小林が「飲めよ、テ メー飲めよ。チビ飲めよ」と抱きつき、震える裏声で「ママ~助けてぇぇ」と最後の声を振り絞って崩壊してしまった。当たり前だが、ママは来なかった。

 

 俺が初めて鈴鹿イチローに会ったのは五年前、『東京セックススタイル2』の撮影ときだった。出演男優オーディションがあった変わった企画で、そこに 鈴鹿イチローがやって来たのだった。鈴鹿は「なぜAV男優に?」というモデル質問に「有名になりたい。アイドルになって、みんなを見返してやりたい」と 真剣に応えていた。狂ってるけど前向きな人だな、と思ったのが鈴鹿最初の印象だった。それから忘年会撮影現場でたまに鈴鹿を見掛けることがあった。 「生きていて、なにも良いことがない」と時間が経つほど、ネガティブ発言が目立つようになった。二年後には自律神経が壊れて、舌が絶え間なく痙攣する病 魔に襲われキモチが悪かった。竹本から鈴鹿イチローの死を聞いたときあいつなら死にそうだなと驚きはなかった。しかし前向きにAV男優を志願した鈴鹿イ チローは、なぜ死を選択するまで追い詰められたのだろう。

 鈴鹿実家は、神戸である。ために撮影に呼ばれると、電車上京していた。死に場所となってしまった実家は、一階に映画館がある神戸新開地の超一等地。 裕福な家庭に生まれている。幼い頃から勉強だけはそこそこできたようで、将来は医者になりたいという夢があった。初めての挫折は、高校受験神戸の有名な 進学校受験して、有名進学校というブランドとそこからエリートとして羽ばたく華麗な人生妄想したが、落ちた。妥協した中堅校からリベンジ医学部を 受けたが、また全滅。妥協をして、水産大学校という国立大学に進学した。鈴鹿水産のようなマイナー職業では、医者ほどの華麗な将来の想像はできなかっ た。なんで俺は上手くいかないんだ、屈折は胸の奥底で脈々と育っていた。鈴鹿がまず欲しかったのは、圧倒的なステータスである社会的地位があり、みなか ら羨望の眼差しにみられ、勝者で女にモテまくるような人間にどうしてもなりたかった。

 医者を諦めてから、まったくヤリたいことは見つからなかった。目標ないままあるメーカー就職した。また妥協選択だった。営業部に配属され一日で嫌に なり、一週間後に「なんでこんな仕事をせなあかんのや」と上司に叫んで辞めてしまった。人に頭を下げるような低いレベル人間でない、鈴鹿はそう思ってい た。会社を辞める頃、頭がハゲてきた。シャンプーすると毛がゴッソリ抜け、だんだん頭皮が見えてくる。ハゲは女にバカにされる。ハゲは嫌いという女の声 が四方八方から聞こえ、勝者になれぬうちにハゲてきたことに焦った。不幸な運命を呪った。女にモテ目標もつことすら困難になり、新しい職業も見つから ず、家に引きこもるようになった。鈴鹿趣味は、貯金ゲームであるバイト代や親からお小遣いを一銭も使わず貯めて、通帳を眺めて少しづつ増えていく 数字を眺めてささやか優越感に浸っていた。貯金好きの鈴鹿は、本当にケチだった。竹本シンゴプライベート神戸に遊びに来て会ったとき、「オマエ、奢 れよ」と言われたことがあった。清水の舞台から飛び降りる思いで、駅前立ち食いソバ屋に竹本を連れていき、なにが食べたいかを聞かず、百八十円のかけう どんを注文した。鈴鹿イチロー自分のぶんと、三百六十円を支払った。

 長年無職が続き、焦っていた。すべてを一発逆転できる職業への憧れが強まった。職歴ない若ハゲという弱者が逆転できるのは、有名人しかなかった。歌手タレントになって誰もが知る存在になり、一刻も早く屈折だらけの人生ピリオドを打ちたかった。雑誌立ち読みして、芸能事務所テレビ局オーディショ ンの宛先に応募した。ハゲている。成功を手に入れたいと一通、一通、合格してデビューする想像をしながら、書類記述したが、ジャニーズのようなアイドル 系は名前すら読まれことなく秒殺で書類落ち、俳優系もいくら送っても連絡は来なかった。歌も喋りもどちらかといえば苦手で、鈴鹿最後希望も実現はあ まりにも厳しかった。どれだけ落選しても、目立ちたいという情念は強まるばかりだった。テレビ番組エキストラ素人企画にも送り、少しでも自分が画面に 映った場面を録画して、テープがすり切れるほど眺めるのが好きだった。

 夜と昼の生活は逆転していた。昼過ぎまで眠って夕方までゲームして、夜は新開地繁華街徘徊する。それが恋人はもちろん、友人すらいない鈴鹿生活の すべてだった。ラブホに消えていくカップルを恨めしそうに眺めて、唇を噛みしめてアダルトビデオを借りて朝方までオナニーして寝る。その繰り返しだった。 心から巨乳が好きだった。飯島直子の胸の膨らみで、何回絶頂に達したかからない。芸能事務所から何年間も無視された鈴鹿は、AV男優で有名になる変化球 を思いついた。社会的地位が低いのが玉に瑕だが、大好きな巨乳を舐めて吸って顔を埋めて、お金もらえて有名になれれば最高までいかないが、プライドの高い 鈴鹿も納得できる範疇だった。

 二十九歳。V&Rに男優志願した。若ハゲキモチ悪いルックス竹本テンプルすわに受けて、出演を果たした。竹本とすわは顔がキモチ悪くて、ハゲてる から面白がって呼んでただけだったが、鈴鹿加藤鷹のような圧倒的な存在を狙っていた。何本出演しても女のコに嫌がられ、セックスまでたどりつかない。予 定と全然違う男優生活だった。女はホストみたいな男優が触ると喜ぶくせに、鈴鹿が触ると睨んで「キモイんだよ」なんて言いだす。社会的地位が低い男優すら つとまらない現実絶望し、悩みすぎて神経を崩壊させていた。三十一歳。『うわさのミスコンパオン3』の頃は舌の痙攣がとまらない神経症に冒され、やるこ とない生活が災いしてアルコール依存になっていた。ハゲがつむじまで達して、恐ろしくおでこが広い波平さんみたいなルックスになったとき鈴鹿はようやく キムタクみたいな圧倒的勝者の芸能人になることを諦めたのだった。

 ナイフをだしたインジャン古河脅迫暴行まらず、小林アルコール過剰摂取で狂いだし、石井ちゃんは流血して、ミソピーナツは怯えて泣きだして、コ ンパニオンは女の子同士で手を取りあって震えるばかりで、拉致が明かなくなり撮影は一時中断した。下手くそな字で第二部と描かれた張り紙が張られ、再び乾 杯となって全員強制的に一気飲みとなった。ガクガク震えがとまらないミソピーナツはコップすら持てない状態だったが、インジャンに親を殺されてたまるか と、泣きながらビールを胃に流し込んだ。「テメー飲めよ。俺は竹本シンゴが好きだから、頑張ってるんだよ。精神安定剤と酒はあわねえんだけど、頑張ってる んだよ。竹本シンゴが好きなんだよ。俺は竹本さんが……」

 気味が悪いが小林は、竹本シンゴ恋愛感情を持ってるようだった。小林独り言の絶叫はとまらなくなり、何百回と竹本への愛の告白しながら拳を握り「テ メー飲めよ」と暴力行為に走り、誰もとめられなくなった。すぐに暴れるので撮影ができない。小林ガムテープで口と全身をグルグル巻きにされ、動けなくな り、芋虫のように顔を真っ赤にさせて転がるだけの存在となった。無理して乾杯した石井ちゃんは、頭をもたれて死んだように動かなくなり、思いだしたように 突然痙攣しだして、口から大量のゲロが噴射した。紫の奇妙な色彩を放ったゲロだった。コンパニオンたちは「キャー!」と絶叫してゲロから逃避したが、反対 側で待ちわびてたかのように芋虫状態小林が吐きだして、口に頑丈に巻かれたガムテープ狭間からゲロがピューと勢いよく噴きだした。窒息死してしまうと 慌ててガムテープを外すと、「俺は竹本シンゴが好きだから、頑張ってるんだよ。俺はそれが言いたいんだよ、俺の話を聞けよ」と絶叫しながら吐くという荒技 を披露し、地獄絵から現実逃避するにはセックスしかないと、生き残った男たちはコンパニオンのカラダに触れて乱交となった。石井ちゃんは真っ直ぐ歩けな い状態で立ちあがり、ふらふらして壁にぶつかり鈴鹿イチロー写真を落として踏みつけてしまって、無表情でピースサインする鈴鹿は破れてゲロまみれになっ てしまった。ミソピーナツインジャンらのセックスを眺めて、さっきは「ママ助けてぇ~」と泣いたくせになんの前触れなく白コンパニオンの乳を揉みだし、 驚いた白は「チビは嫌い」と冷たく言い放って突き飛ばした。飲まないのに乳に触れたことがインジャンに発覚して、ビールを投げられ照明で頭を割られそうに なって、「ひやぁぁぁぁぁー」と断末魔に声を発して柱の影に逃げてしまった。もはやゲロしかしない飲み会乱交現場観念絵夢とゆみ&りえのババア2人を 投入して、現場はこの世の現象と思えない地獄絵図なセックス現場となった。自然と男たちは強い順にいい女をゲットしていて、インジャンは一番美人の白と個 室での情事となり、観念は青とベット中川とミソピーナツババア相手となった。風俗しか女性経験のない中川はどんなに丁寧に責められても一切勃たず、ミ ソピーナツはようやくエッチとなって張り切って全裸になったが勃たず、デブ肉体の入れ墨ババアが「私に魅力がないのね」と寂しげな呆れ顔から怒りだして、 フニャチンを握ってやけくそ気味に乱暴な生フェラして、ミソピーナツのチンポは千切れそうになった。ミソピーナツ勃起しなければ殺されると思ったのか目 を瞑って念じるような表情になり、小さなチンポは申し訳なさそうにピンと勃った。同じく命の危険を感じた中川は、ゆみババア性器に舌を這わせて長時間吸 いついたが、とことんダメな男で「風俗行き過ぎで、ダメです」とチンポは萎縮するだけだった。飲めない、勃たない、喋れないの三重苦の中川が最も救えな く、罰としてスタンガンで襲撃されて肛門ロケット花火が打ち込まれた。ギャーと絶望的な悲痛の絶叫声が聞こえて、花火は破裂した。

 個室からインジャンにハメられてる白のキモチ良さそうな快感声が聞こえる。今日初めてのマトモな人間らしい営みだった。石井ちゃんは全身ゲロまみれのま まババアたちの乱交突入して、デブ入れ墨にチンポをしゃぶらせた。ミソピーナツはあちらこちらでの乱交を眺めて逃れるように消えて、服を着て逃げようと した。セックス最中インジャンに見つかり、親を殺されて内臓業者腎臓が売却されることが決定した。「ヤダヤダ、ヤダヤダ」と真っ青な顔して泣いてる。 ミソピーナツは、恐ろしい決定を信じているようだった。中川肛門ロケット花火を連発され、ゆみババア顔面ウンコされ、波乱まみれの『追悼 鈴鹿イチ ローお別れする会』は終わったのだった。

 鈴鹿イチロー最後の出演AVは、「いじくり絵日記」という作品だった。神戸から青春十八切符を買って各駅停車東京に行くと、紋舞らんという巨乳女がい た。柔らかそうなお椀乳は鈴鹿が長年妄想し続けた巨乳のものだった。今日だけはセックスしたいと強く願ったが、舌の痙攣で口元が締められない鈴鹿が近づ くと紋舞らん露骨に嫌な顔をした。出演者たちに笑い者にされ、い

2018-04-14

合格しても失敗」 おおたとしまさ氏の高校無償化記事に抗議する

おおたとしまさ氏という、中学受験を中心とした評論家がいる。自身麻布中高という名門私立中高一貫校出身であることもあって、私立中受験市場マスメディアに多く登場するが、専門外の記事になると、的外れで、唖然とするような記事を多く書く。

4月13日高校受験に携わるものとしては看過できないような記事を見かけたので、掲載しておく。まずは読んでほしい。

都立高校復権」の裏で「都立高校定員割れ」が意味すること

https://news.yahoo.co.jp/byline/otatoshimasa/20180413-00083769/

おおたとしまさ氏は、中学受験しか精査して調べていないことが丸わかりな記事である。お願いだから高校受験について何も知らない素人が、こういうデタラメ記事を、一般大衆を煽るかたちで書かないでいただきたい。

どうせトップ都立高に入れないのであれば、中学受験をしたほうがいい、あるいは私立高校に行ったほうがいいという判断が働くのも無理はない 【記事より引用


私立高校学費無償化の影響なく、都立上位校の人気はますます高まった

上記記事をご覧になったうえで、おおたとしまさ氏の脳内思考はこうである。「都立高校がいくつも定員割れを起こした」⇒「日比谷や西といった都立トップ進学校の人気が落ちたのだろう」→「都立上位校といえども、中学受験の中堅校の同程度の進学実績だから私立高校に進学する生徒が増えた」

果たして、本当にそうなのだろうか。都内高校入試最大の母体を持つVもぎの合格基準を用いて、過去3年間分の都立高校普通科ランク別の受験者数と実施率倍率の推移を書いてみる。

男子

ランク 1398人→1327人→1427人  (1.66→1.57→1.69倍) ↑

ランク 944人→917人→947人    (1.37→1.42→1.46倍) ↑

ランク 2863人→2934人→3000人  (1.53→1.55→1.64倍) ↑

ランク 2911人→2902人→2967人  (1.53→1.53→1.59倍) ↑

ランク 4403人→4389人→4107人  (1.45→1.46→1.37倍) ↓

ランク 3667人→3858人→3332人  (1.28倍→1.33倍→1.18倍)↓↓

都立高校合格必要偏差値をAランクからランクに分けた。Aが難関校、Bが上位校、C・Dが中堅校、Eが下位校、Fが課題集中校となる。見ての通り、A~Dランクまでは、3年間のうちで2018年度が最も受検者数が多く、倍率も高かった。つまり都立高校のうちのトップから、多くを占める中堅校のC~Dランクまでは、人気の上昇は継続している。

おおたとしまさ氏は、なぜかAランクやBランク進学校の話ばかりしている。きっと、私立中高一貫校の専門家であり、難関校の取材ばかりしているから、EランクやFランク学校をよく知らないのだろう。都立高校の定員割れの話をする際に、今年も人気が上昇した都立上位校の話をするのは、リサーチ不足と言わざるを得ない。

おおたとしまさ氏の「学区撤廃で一部に集中しただけ」は印象だけ

おおたとしまさ氏は、「学区を撤廃して、日比谷のような一部の超トップ校に難関大学合格者が集中しただけ」と語っているが、おそらく、何も分析せずに印象だけで語っている。実際にはまったく異なる。都立高校改革で、2番手や3番手学校大学合格実績も大きく伸びている。おおたとしまさ氏は、まず以下の都立2~3番手校の大学合格実績を10年前と比較されたい。

小山台駒場三田、竹早、小松川、豊多摩大泉富士三鷹武蔵野北、小金井北、調布北、町田日野台、調布北、昭和

これらの学校は、都教委肝いり進学指導重点校ではない。ところが、軒並み大学合格実績が伸びている。特に国公立大学合格者総数は、激増といっていいほど増えている。あなたのおっしゃる通り、都立高校生は、国公立大学志向が強いので、同じ表を、国公立大学合格率で計算したい。

都立高校改革が、当初は「一部のトップ校だけに高学力の生徒が集中して、ほかの都立進学校地盤沈下する」と危惧されていたのは事実だ。2000年代初頭ぐらいには、多くの方々がそう語っていた。ところが、都立高校間で進学指導ノウハウを蓄積した結果、都立高校全体での指導力が高まり、結果としては、都立進学校全体が伸びた。2000年代前半に都立全体で東大に50人台しか合格しなかったのが、2017年改革以後最多となる170人半ばを突破してた。参考までに、東京都内私立高校都立高校全体が、2012年から2017年の5年間でどれだけ大学合格実績が伸びたかを調べたので、掲載しておく。

●国公立大+早慶上智

都立高校 +892人 (115%)

私立高校 -489人 (97%)

●難関国立大(東大京大一橋大+東工大旧帝大東京医科歯科大)

都立高校 +81人 (136%)

私立高校 +41人 (103%)

おおたとしまさ氏の指摘する「特定校への集中」は、実は、氏の支持する私立中高一貫校の方が顕著かもしれない。

合格しても失敗」おおたとしまさ氏の最発言は、教育ジャーナリストとは思えない大暴言

おおたとしまさ氏の最後発言は、もはや教育ジャーナリストという肩書返上してほしいと思わせる大暴言だ。

難関大学合格可能性の観点から言えば、もしも世田谷学園を切り捨てたのであれば、日比谷や西に合格できない限りその選択は失敗だったことになり、同様に、田園調布学園や獨協を切り捨てた場合駒場小山台合格しても失敗だったということになります記事より引用

おおたとしまさ氏のこの発言暴言であるのには二つ理由がある。

第一に、データが滅茶苦茶であるということだ。おおたとしまさ氏曰く、難関大合格観点からすると、「独協を切り捨てた場合小山台合格しても失敗」らしい。だが、この感覚は、一般人感覚とは相当ずれていると言わざるを得ない。

独協  国公立大 12人  (うち現役合格5人)  ※卒業生数約200人

小山台 国公立大 115人 (うち現役合格92人) ※卒業生数約300人

単純に比べて、どちらの方が進学実績が優れているかといえば、独協高校には本当に申し訳ないのだが、どう考えても、小山台高校の方が格上と言わざるを得ない。東大京大東工大一橋大の指標も、小山台が5人(全員現役)、独協が1人(浪人)だ。

それなのに、恣意的データを用いて「独協を切り捨てたら小山台合格でも失敗」とサラッと言ってしま感覚が恐ろしい。そしてそれを、教育ジャーナリストという肩書で全国配信してしまうのだ。

第二に、これは単純に、その高校に通っている生徒に失礼ということだ。「小山台高校合格しても失敗」「駒場高校合格しても失敗」なんてことを、何度も言うが、教育ジャーナリストと名乗っている人間が全国配信している。しかも、具体的な都立高校名を挙げて。

おおたとしまさ氏は、ぜひともこの調子で、中学受験の子を持つ保護者に、逆のことを言ってほしい。

日比谷高校より東大合格者数の少ない私立中高一貫校に通っている生徒は、合格しても失敗」

都立国立高校よりも東大合格者数が少ない桐朋中に通っている生徒は、合格しても失敗」

都立西高校よりも東大合格者数が少ない国学院久我山中に通っている生徒は、合格しても失敗」

南多摩中等よりも東大合格者数が少ない穎明館中に通っている生徒は、合格しても失敗」

都立高校定員割れ分析は、おおた氏のような印象ではなく、精緻分析

おおたとしまさ氏の都立高校に関する記事が、まったくもって不正であることを指摘した。最悪なことに、全国配信されているので、この記事を読んだ一般の方々が「なるほど。都立高校定員割れは、学力優秀層が都立進学校から私立高校へ流れたことが原因か」と誤解してしまう恐れがある。

今回の事象について、日経新聞では、さすがと言いうか、冷静で精緻分析記事にしている。つまり、中堅校以上、偏差値でいうと50以上の都立高校にはほとんど影響はなく、それどころか、大学合格実績の伸長によって、ますます都立高校人気が高まる結果となった。一方で、偏差値30台の課題集中校や、商業科、工業科の人気が極端に下がり、私立高校に流れたと。

私立高校無償化政策による都立高校定員割れについて、我々が考えるべき最大の問題は、都立商業高校工業高校を、このまま不人気ということで廃校にしてしまっても良いのかということだ。今の若い子達には、なかなか商業高校工業高校の良さは伝わらない。嫌な言い方をするが、商業高校工業高校へ行くぐらいなら、私立高校からランクであっても大学へ進学させたいという家庭が多い。しかし、都立商業高校工業高校は、長い伝統の中で実習教育に長けていて、高卒の大切な人材供給の源。これをなくすことは、結果としては、国にとって損失ではないか?そういう議論などをしていかなければならないと思う。

おおたとしまさ氏も、そこに着目して、「都立高校の定員割れは、商業高校工業高校が見捨てられて、私立高校に流れたからだ」という論調で書いていれば、的を射た記事になっていただろうに……。

お願いだから、少なくとも「教育」ジャーナリストと名乗るからには、そういった学校にも目を向けて、足を運び、たくさん取材をしたうえで、この、「都立高校定員割れ」という国レベルでの大きな問題に提起する記事を、ぜひ全国配信してほしい。

開成とか、麻布とか、御三家とかも良いが、それだけじゃ、教育ジャーナリストとは名乗れない。

2018-03-17

中学受験までは自我なんてほぼないし、高校受験は中卒じゃやばいからするだろうけど

大学受験した人達って学びたいことがあって頑張って勉強して学校入るんでしょ?

本当にみんながみんなそんなに学びたいことってあるの?

自分が何もしたいことがないのに一貫校で苦労せず大学生になった身だから大学受験する人って大勢いるけど本当に勉強に意欲あるのか疑ってしまうし、浪人する人の気持ちも正直理解できない

2018-03-11

子供受験

うちの子、小さい時から一学年上の塾教室に行ってたので、

高校受験で先輩たちが先に進学しちゃったとき、すごく寂しがってた。

先輩と同じ高校入学できて喜んでたけど、

今年先輩方が大学受験になり、自分の時のように緊張したり喜んだり。

なんで自分は受けられないんだろう、まだ1年もあるって悲しんでた。

寂しいね。でも来年上京できたら会えるよ。まずは今年合格のみなさんおめでとうございます

2018-03-07

数学から逃げた

京大に行きたかった。

月並み理由だが、オープンキャンパスに行った時にその学風に惹かれた為だった。

毎年数人京大合格者を輩出する中高一貫校に通っていたし、上位の成績だったため、

難関大学はい不可能ではないだろうと思い上がっていた。

挫折を知ったのは中3の時だった。

数学の授業(確か三角関数だったように思う)で、みんながスラスラと解いてみせる問題を、私は解くことができなかった。

何度説明されても今ひとつ飲み込めず、理解するのに時間を要した。

結局、テストまでに応用問題を終わらせることができなかった。

テスト勉強於いて初めての失敗だった。その時のテストはいつもより20点近く低かった。

高1になって数学は難しくなり、勉強時間の6割近くを数学が占めるようになった。

高1の数学先生はとてもフレンドリーで、何度も説明を求める私に優しく砕けた口調で教えてくださった。

その先生と、割いた時間のお陰で中3の時に比べて成績は安定していたが、周りに比べると瞬発的な理解力やセンスが足りていないのは明らかだった。

そして、得意な英語国語勉強に割く時間が減ってしまったために成績が落ち、自習室利用のためにも塾に通うことを選んだ。

塾では、学校の「そこそこの良い成績」は全く通用しなかった。

高校受験を勝ち抜いた公立の生徒や、

授業全て寝ているのにセンス問題を解いてしまえる天才

中学受験の時からずっと勉強を怠らなかった秀才

私よりも頭がいい人なんてごまんといた。同級生に。県内に。こんなに近くに。

分かっていたはずなのに衝撃を受け、自分努力不足を悔いた。

私はまさに井の中の蛙だった。

結局、塾の数学テストの成績ランキングに私の名前が載ることは1度もなかった。

高1終わりの進路選択、私は私文を選択した。

塾に行ったことで、漸く数学を諦める決心がついたのだった。

偶然見つけた某私大学部に興味を惹かれたこと、得意だった英語国語を深く学びたいからだというのもあったが、

京都大学以外の国公立大学に全くと言っていいほど興味が持てなかった。

からと言って不合格になったとき浪人する覚悟もなかった。

私たちの次年度から大学入試制度改革が行われること、私の性格的に浪人が向いていないことが主な理由だった。

公立至上主義の我が校では国公立選択した者だけ進路選択と同時に志望校の提出・面談を行うことが課せられていた。

京大以外の学校を書くのは無理だと思った。

私にかける国公立大学はなかった。

先ほど、高1最後期末試験が終わった。

数学先生に提出した課題ノートが返却され、余白にいろいろなメッセージが書いてあった。

3教科受験からと言って楽な訳じゃないとか、今回のテストケアレスミスしてたよとかお小言めいた言葉もあったけれど、どこか温かいものだった。

結びに、「数学しかったね、大好きだったね。1年間ありがとう」と書いてあった。

それを見て涙が止まらなかった。

私は数学が好きだった。

大好きだったのだ。

何度もなんども苦しめられて、意味がわからなくて苛立って泣いた日もあったけど、数学が好きだった。

だけど、どんなに好きでも圧倒的なセンスを持つ天才には敵わなかったし、

かなり時間をかけて取り組んだ模試数学偏差値が、殆ど対策をしていない英語偏差値を超えることもなかった。

敵わないし、足りないのだと気づいてしまった。

自分選択をしたのにもかかわらず、

「私文って楽でいいな」「俺も数学から逃げたい」

冗談交じりに友人に言われるたびに、泣き出したい気持ちでいっぱいになる。

きっと後悔していないのかと聞かれると嘘になる。

でも自分選択が間違っているとは思わない。

なにはともあれ、もう私は前に進むしかない。

ここからドラマティックに進路希望調査を奪い返すこともできないし、

独学で受験レベル数学をやることも私はしないだろう。

私は、大好きで大の苦手な数学から逃げることを選んだのだ。

2018-02-13

勉強なんか出来なければよかった

義務教育ときの話だ。

小学生時代、私のクラスメイト個性的な子ばかりだった。

やたら計算が早くて算数が得意な奴、誰よりも漢字を知っている奴、国と首都を全部言える奴、作文を書くのがとてつもなく上手い奴、喋るのが得意で説得力が物凄い奴、とにかくいろんな子がいた。勉学において突出した何かを持っている子が、私の友達には多くいた。

かく言う私もどちらかといえばそちら側で、特別な何かがあったわけではないが勉強だけはできた。一応。この広いネットの海からすれば井の中の蛙しかないけれども。

結論から言うと、彼らは後にグレた。ほぼ全員がだ。

グレたといっても夜露死苦とか書いた短ランを着るようなアレではなくて、教師に反抗したり徹夜ゲームしたり、その程度。

その結果(一概に100%そのせいと言い切るのも危険だけれど)、学年でもトップクラス学力能力を誇った彼らは、高校受験の際にいわゆる地区トップ校には行けなかった。では誰がトップ校に行ったのか。

答えは「優等生」だ。

優等生トップ校に行くこと自体は何も不自然なことではない。問題なのは、幼少期から突出した能力を持っていた子達(変人とも言う)が軒並み途中でドロップアウトしていったことだ。

実はこれ、学年が上がるごとに変人の成績が下がって優等生の成績が上がっているのだ。少なくとも私の観測範囲では。

これは私の体験談だが、「終わった人から帰っていいよ」タイプ課題が出た際にとにかく早く帰りたくて全力でそれを終わらせて一番に提出した。すると教師は、早すぎる、本当にちゃんとやったのか、と怒った。ちょっと理不尽すぎて書いてて腹が立ってきた。

他にも、演習問題が終わったからと宿題範囲をやっていたら宿題は家でやるものだと怒られたりもした。一理あるが、ならば演習が終わったらただ黒板を見つめていろとでも言うのだろうか。

……私が怒られすぎなだけな気もしてきたがまあいい、続ける。

こんな感じで、特に小学生時代は「周りと足並みを揃えること」を強要された訳だ。

の子と違うことをしてはいけない。他の子と同じことをしなければならない。他の子より早く終わってはいけない。他の子より上手く出来てはいけない。最早これは呪詛だ。今でも私から離れない強迫観念

特に私が小学生の時はまだゆとり教育時代だったから、競うことは良しとされていなかった。みんな同じが平和だとされていた。みんな同じでなければ平和でない、と言い換えてもいい。

そういった価値観だったから、出る杭は打たれた。突出した能力がある子達は皆そうだった。彼らは頭がよく切れたが、それも教師の癇に障ったのかもしれない。出る杭たちは打たれて打たれて、その多くは折られてしまった。周りに好かれることが得意な優等生たちは折られずに済んだ。その結果が前述した「変人ドロップアウト優等生トップ校に行った」ということだ。

私自身も当時は出る杭だった。例に漏れドロップアウトした。教師同級生から同調圧力に耐えられなかった。今でも出る杭になるのが怖くて何も出来ずにいる。

あのまま伸びていたらとんでもなく凄い奴になっていただろうなという子もいた。本当に勿体無い。

どうして出る杭がここまで執拗に打たれなければいけないのか。生徒の能力を平らにならそうとして、折角の能力を削ぎ落としてしまってはいいか。心を折ってしまってはいいか先生に好かれ、周りの生徒に好かれることがいい生徒の唯一絶対の条件になってはいいか。多少模範から外れていても、秀でた能力をせめて認めてあげることはできないのか。

折れた心は元には戻らない。騙し騙しやってはきたが、義務教育を終えた頃から小学校後遺症が目立つようになった。何がやばいかって受験がとてつもなく苦しい。出る杭は打たれる、終いには折られると刷り込まれた頭でどうやって受験しろと?

勉強なんか出来なければよかった。

できなかったら、きっともっと生きやすかった。

カッとなって勢いで書いた。支離滅裂申し訳ない。

2018-02-07

涙もろいという病気

緊張すると涙が出る。

怒られてるわけじゃないけど、強く言われるとすぐに涙が出てしまう。

そういうのはまとめて「涙腺が弱いやつ」とくくられて、「忍耐が足りない」と思われる。

別に泣いときゃなんとかなるとは思ってないし

いたことで場の雰囲気が悪くなったり、泣かせたことになる相手にも迷惑がかかるのもわかってる。

でも泣きたくなくても涙が出る。

緊張すると涙が出ることで、今まで散々苦労してきた。

まあ泣く自分が悪いんだけど。

中学の時、好感をもっていた同性の先生ですら、向かい合って個人面談するのが苦手で、

お互いに同じ方向を向いて話してもらうようにした。

それでも声は震えていた。

高校受験面接ときも、ずっと声が震えていて、ただの質問なのに泣きそうになった。

緊張くらい誰だってするし、甘いやつだなぁと思うかもしれない。

あと数年で就活なのに、本当にお先真っ暗というやつだ。

叱られることだけでなく注意や指導で涙が出る。

自分のために言ってくれていることもわかってるし、言われてる内容の妥当性も伝わってる。

でも気づくと目には涙がたまってしまっている。

いっそ病名が欲しかった。

これこれこういう病気で、しょうがないんですと、公認されたかった。

社会不安障害?調べてみたけどちょっと違う気がした。

特定病気認定されることで辛い思いをしている人もいるのに、こんなふうに思う自分はやっぱり「甘い」んだろうなあ…。

2018-02-06

小学生の頃、毎年運動会が父の趣味に関するイベントと日程が被るからと嫌な顔をされたこと。

高校受験大学受験の時、自分の進路については何も聞いてくれないくせに友達の子供の進路や現況を逐一報告してきたこと。

家族揃って行ける最後旅行にその友達一家と行くことを勝手に決めたこと。

もうとっくに消化して気にならないことになっていたはずなのに、口論になった時や父への不満が溜まった頃にふっと嫌な気持ちが蘇ってくる。

今思うと自分を見てくれないのに趣味他人の子に目を向けてばかりいることが寂しかったんだろうな。

早く辞めてえコンビニバイト

レシート受け取らずに、差し出したところそのレシートのぞき込んで残高確認するのやめてくれないかな。自分で手に取ってから見てほしい。キモい。あの瞬間が嫌で吐きそう。永遠に感じる。

チャージ残高つまりnanacoのことでセブンってバレるわけだけど(そんなことどうでもいい) 増田には"コンビニ"関連の人達がいろいろ書いてるみたいだしいいよね

「お手に取ってから確認してもらえますか」って言っていいか

最近始まった。こんなことする人見かけるのは最近になって初めて。

名札の顔写真見て、どうこう言われるのも嫌。そら髪型も違うだろ。「こっちのほうがいい」とか知らねーよ。

あーマジで早く辞めたい。同僚もマシな人達だし、オーナーもとてもいい人だけど、客がクソ

ここでバイト始めて、接客が嫌いになった。もう人とも会いたくない、関わりたくない。仕事でもプライベートでも

接客”だから仮面被って演じては来たけど、辛い。でもまだ精神病むほどではないと思う。

でも何年もやっても合わないと思うんだから性に合わないんだろきっと

世の中いろんな人間がいる。あるコンビニから見える世界が全てじゃないとは思うが、ひどい人間ばかりだ。同じ人間とも思いたくない人種もいる。

なんでこんなゲットーみたいな地域コンビニだそうと思ったんだオーナーは。つくづく思う。知らないけどやはり儲かるからなんだろう。

なんで辞めようとしないのか。

・時給が高い

・新しい職場での人間関係

・この歳でまたバイト

生活かかってるし、奨学金の返済もあるし。かと言って毎日バイトだと体壊すし。

新しいバイト先でクソな上司とか同僚に当たる可能性考えたら、クソな客に耐えてたほうがいいのかなーと考えたり。

前にDQN大学生とイザコザがあって二度と経験したくないと思った。

いろいろ天秤にかけて、それなら自分で稼げるようになるか正規が見つかるまで我慢したほうがいいかなーって感じ。

負のスパイラルから抜け出せないのかなー

どこで道間違えたのかなーって過去を振り返る

高校受験もっと頑張ってたらなーとか高校ときバイト代全部貯めてたらどうなってただろうとか

あーなんて自分って愚か。もっと勉強して早く就職してえ、分かってるのにね

馬鹿だよねーフリーター一人暮らし奨学金返済してるやつなんている?

馬鹿だよねーなーんで・・・・・・・・・

実家帰りゃいいじゃん。免許ないんだよねー地元車ないと生活できないし。

貧乏人が大学行くために上京したのが一番の間違いだったのかなー。

返済止まったら、保証人になってる兄貴迷惑かかるし。育英会ブラックリスト行きだし。身動きとれない()

ストロングゼロ飲む金もないよ

2018-02-05

中学受験に受かったやつらに

これは警告だ。

特に親に無理やり中学受験させられたやつに向けた警告だ。

中学受験が終わって

「やっと遊べるぞー」と思ってたらそれは間違い。

2ヶ月後にはまた競争が始まるからな。

高校受験がないから楽よー」とか言われたやつは騙されてるからな。

入学した途端に大学受験への競争が始まってるからな。

小学校では100点ばかりで無双できたかもしれないが中学は甘くないぞ。

同級生はお前と同じ入試をくぐり抜けてきた同レベル以上の人間達だ。

サボったら一瞬で底辺だぞ。

今までに味わったことのない底辺屈辱にお前は耐えられるか?

絶対落ちこぼれるなよ。

勉強ができないと全てが狂うぞ。

特に数学英語は必ずやっておけ。

中学受験が嫌すぎて勉強嫌いになっちゃった君も英語単語だけでもいいからやっておきなさい。

いや、これ本当の話だから

2018-01-23

CAFEditorはAviUtlとは全く関係ない開発初期段階の映像制作ソフトです

記事更新履歴

2018/1/25 公式サイトの閉鎖や開発者から謝罪文について追記。

2018/1/23 初版公開。

概要

2018/1/20からTwitter

 「CAFEditor(CAFE)というAviUtl正式な後継ソフトが開発されている」

勘違いしてしまうかもしれない情報拡散

実際にはタイトルにある通りAviUtlとは何の関係も無いし、AviUtl正式な後継ソフトでもないので、

勘違いする人が少なくなるよう、調べてまとめてみました。

 

AviUtlとは?

 「KENくん」氏によって開発されたフリーWindows映像編集ソフトです。

 プラグインも含めて高機能なので動画投稿者などの間で広く使われており、比較的有名なソフトです。

CAFEditor(CAFE)とは?

 数名の有志が開発しているマルチプラットフォーム対応オープンソース映像制作ソフトです。

 まだ開発初期段階であり、ごく限られた機能しか実装されておらず、実用段階ではなく安定もしていません。

 AviUtlとの互換性についても特に言及されていないようです。

 また、AviUtl作者の「KENくん」氏は一切関与していません。

勘違いやすくなってしまった理由

 ●CAFEditor(CAFE)公式サイトREADME

    「AviUtlの後継映像制作ソフトウェアCAFEditorの公式サイトです。」

    「More STRONG than Aviutl

    「A Way BETTER than Aviutl

    「CAFEAviUtlの後継として開発された映像制作ソフトです。」

    「CAFE(Creator's Advanced Film Editor)は、

     AviUtlの後継として考案されたプロジェクトです。」

  といった文言があり、たか正式AviUtl後継ソフトであるかのような誤解を招きやす状態になっていた。

 

 ●当然ではあるが、AviUtl作者の「KENくん」氏から許可を得たわけではない。

 

 ●指摘を受けてCAFEditor(CAFE)開発陣は

    旧: CAFEAviUtlの後継として開発された映像制作ソフトです。

    新: CAFEAviUtlの後継を目指し開発された映像制作ソフトです。

  という修正を行ったが、他の文言がそのままになっていることもあり、

  AviUtl公式後継ソフトだという誤解を招きやすい状況は1/23時点でも続いている。

  →(1/25追記)

    1/25の夕方頃にCAFEditorの公式サイトが閉鎖され、GitHub開発者謝罪文掲載されました。

 

 ●また、上記修正を行った際、CAFEditor公式ツイッター

    「弊プロジェクトは以前よりKENくん氏の所在をお探ししております

     引き続きKENくん氏との連絡を試みて、公式後継ソフトとなれるよう頑張ります

  という、正直「なんだかなー」と思ってしま発言があった。

  (そうは思わないという人もいるかもしれないが、筆者の考えは後述。)

補足情報

 ●CAFEditor(CAFE)公式サイトに「AviUtlの後継」「将来的に専用の高速レンダリングサーバー検討しています」といった文言

  AviUtl公式サイトへのリンクがある件、また「公式後継ソフトとなれるよう頑張ります」といった発言などは

  開発陣の間で合意がとれていたものではなく、相互チェックがされていなかったり個人の独断であったりという事情がある模様。

 

 ●これらの文言発言などをめぐって開発陣の間でトラブルがあったようで、

  レンダラー/エンコーダー担当者の離脱なども起きてしまっている模様。

 

 ●設計/GUI担当の開発者は中学生で、3月~4月頃までは高校受験のため活動不可とのこと。

筆者の個人的見解

 ●AviUtl1997年から開発されていた歴史のある(古い)ソフトであり、更新2013年4月で止まっているため、

  「Windowsしか動かない」「32bitアプリのためメモリ使用量などに制約がある」

  「重い映像制作(4Kなど)は厳しい」といった課題も抱えている。

 

 ●CAFEditor(CAFE)の開発は、「良い映像制作ソフトを作りたい」という思いから始まったのだと思うが、

  現状を見ると「AviUtlの後継」という言葉に奇妙な執着を見せてしまっているように思える。

 

 ●「KENくん氏との連絡を試みて、(AviUtlの)公式後継ソフトとなれるよう頑張ります」という発言はいかがなものかと思う。

  全くの別ソフトであり、まだ初期開発段階であるにも関わらず、有名ソフト作者から後継認定を得たいという姿勢は正直言って好ましくない。

  もっと言うと、開発が進んである程度優れたソフトになった後だとしても、あまり好ましくないと思う。

  企業等がAviUtl権利を買収するというならともかく、そうではないのだから

  AviUtlの名声に便乗して名声を得ようとするフリーライド的な行為に見えてしまうこともある。

 

 ●CAFEditor(CAFE)はAviUtlという名前に頼ったり無闇に引き合いに出すのをやめて、

  独立したプロジェクトとして開発を進め、独自評価と実績を積み上げていった方が良いと思う。

 

 ●まだ開発初期ということや開発陣の事情などにより、公式サイト作成やチェックなどが滞っていたのは仕方ないと思う。

 

 ●トラブルもあったようだが、高機能映像制作ソフトが望まれているのは確かなので、無事にプロジェクト継続してくれることを願う。

2018-01-19

anond:20180115013925

昼間定時制高校はどう?

私の通っていた昼間定時制はこんな感じでした。

・通ってる人は、不登校だった人、高校をやめた人、スポーツ選手になろうとして高校に行かなかったが怪我等でリタイアした人。

・年齢層は15歳~22歳くらいが多かった。

単位制だった。好きな授業を大学のように自分で決めて学習できる。

時間割自由に組めたため、週4で通い、週3でフルタイムバイトすることができた。

文化祭運動会はなかった。修学旅行任意で参加率10%程度。

定時制なので大学入学資格検定(今はなく高等学校卒業程度認定試験に変わっている)を受験することが出来た。

大検合格科目を高校単位に読み替えできたし、高校単位大検免除科目とすることも出来た。

・昼間通えるので、夜時給の高い仕事ができた。

・男女比率とんとん結構可愛い子も多かったし、イケメンも多かった。もちろんアキバ系も。

運動部は1,2勝すれば全国大会へ行ける世界

・私から見てもバカが多かった。英語アルファベット26文字書く授業から。なお、書けない人もいる・・・

・それでも、数学3Cとか、保育とか、商業工業プログラミングなどなど、特化したければ難易度の高い授業も取れるし、その授業に来る生徒はガチで頭いい。

・3年間で卒業できる(大体の定時制は4年)

願書は余裕で間に合うよ。

でも、君、高校卒業してるんだよね。

はっきり言って大学のほうが楽しいぞw

俺は22歳で入学したし、大学2回目という人も同期にいた。

年齢隠してなかったけど、年齢を知ると、ストレート大学へ来てる人たちは急に敬語になるし、

先輩ですら、敬語になったりするものから必要なければ言わないようになった。

合コンしまくったし、いろんなイベントサークルに顔出したし。

そんでもって、高校時代とは違って、みんな頭いいんだよな。

高校と違って、今から大学受験とか、手遅れ感あるし、

いい大学狙えなさそうだから、1年予備校いくとか。

私は2回目の高校休学して、1年予備校通って、大検使って大学進んだけど、

1年で中高6年分の勉強は大変だったけど、予備校前と大学入学後の学力は段違い。

21歳も22歳も変わらないし、一度真面目に学力上げて、できるだけ上の大学狙ってみるのもいいと思うよ。

正直、大卒ってだけで、日本じゃ大分楽になれるからどこでもいいっちゃいいのかもしれないけど、

つのラベリング効果受けるから偏差値高い大学のほうが気分も待遇大分違うはず。

人生、やりなおすのに遅すぎるということは絶対ないんで、

本当に高校行きたいと思ってるなら、迷わず行くべし。

先のこと考えて生きてる人間なんて1割もいないんじゃないかと。

もちろん、考えて生きてる人たちは、ほとんど成功してる人たちだけど。

少なくとも、匿名掲示板でぼやいて、匿名で煽る人たちのネタになって、嫌な思いしてるよりは、

かに有意義だと思うよw

高校受験してみて、失敗したらそれはそれ。

2回目の高校に無事通うことになって、やっぱり気が変わったとしてもそれはそれ。

やって後悔するほうが遥かに有意義

もちろん、やってよかったと思えたら、大勝利

とらわれていることがあると人は成長が止まる気がしてる。

まずは、君の視界を晴らそう。

高校受験するんだ。そして、通うんだ。

予備校はいつでも受け入れてくれるよ。営利目的でやってる会社なのだから

大学行きたくなったら、高校辞めて予備校行けばいい。

21歳で生きてる意味・・・とか早すぎない?

とりあえず、10人恋人作ってから考え直してw

2018-01-18

生きているのがしんどい

生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。

時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。

いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。

でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。

初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。

親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。

ぼんやりしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気子供だったから。

みんなが可愛いお姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様から使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。

先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。

私の順番は回ってこなかった。

その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。

その時、唯一できた友達は、多分友達じゃなかった。

あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。

でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。

小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドランドセル

母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。

パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。

小学生になって、一緒に登下校をするようになった。

なんで変な赤色なの?って笑われた。

それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。

パシリにされてて、さらセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。

ジャンケンランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。

小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達大学友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。

でも、友達がいても、残りの4年半はいじめられて過ごした。

最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分あんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。

でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。

多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。

親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。

言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの1020って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。

生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。

中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強限界を感じていた。

下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。

中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分担当に人がいないからという理由レギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいかからなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習サボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。

部活同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校授業料無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分学力じゃ、高校勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科自分レベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対ダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。

高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。

得意分野を持つということは自分自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。

多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。

大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。

クラスメイト合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。

母親合格たことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。

正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活シフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。

そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。

誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。

こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。

けれど、高校受験の時に「お金さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。

それでは何をすれば良かったのだろう?

奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。

でも、まさか合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。

何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。

大学に入るまで、そして入ってからお金がかかると言われた。言われ続けた。

大学に入ってしばらく経った頃、仕送り勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。

なんで仕送り勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。

その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。

その月の電気代は1,500円もしなかった。

純粋に、自分すごいとおもった。

こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。

電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。

馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。

こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。

答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。

どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。

バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。

そういうことも含めて、たまにTwitter愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。

頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。

しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立大学に入った。

母親は、私立入学するのを許したらしい。

どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格たことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。

しばらくして、父親入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。

なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。

しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。

学校に行けば嘔吐頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。

しばらくして父親から伝えられた。

離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費生活費だけは出してやるからな」

素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。

両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分社会に出てもやっていけるとは思えない。大学友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメ人間友達でごめんねとも。

高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。

そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。

私とはいったい何なんだろうか。

私が生きている意味とは。

なんでこんなに必死になって生きているのか。

辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。

辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなた仕送りをしているのにという。

私はなんのために生きているのだろうか。

こんな生活、生きているというのだろうか。

ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。

生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬお金がかかる。親が困る。周りも困る。

ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。

母親はそれを私に伝えて、何がしたかったんだろう。

必死に育ててくれてありがとうと言って欲しかったのか。

ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。

「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。

私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。

私は

どうすれば良かったんだろう。

何をすればもっと前向きになれたんだろう。

何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。

毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。

でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから

世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。

みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。

生きていることの何が楽しいのだろう。

生きるなんて、辛いだけじゃないか

早く誰か、私を殺してほしい。

金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。

生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。

早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。

何がマシなのかちっとも分からない。生きているのがしんどい

2018-01-16

anond:20180116140826

何故高校受験会社と比べるのか

中学受験大学受験では一部の推薦を除いて基本テストで点とれば受かるのに何故高校受験だけこんなことやってんだ

都心区は不利

うわさ では、生徒がしっかりしている区(山手線内内側とか)の学校では内申点は厳しめにつけられ、所謂荒れている学校のある区の内申点は緩い模様。

授業中積極的に手を挙げないと、テストで95点とっても通知表3だからね。

えぐいのは5教科だけではなく、残り4教科も採点されること。

男子中学生全教科真面目になんか授業聞けませんって。

高校受験突破できる学力がある生徒は、特別選考枠なくなったので私立に流れているよね

具体的には早慶付属レベル学力だと特別選考枠で日比谷いけたのが微妙なので。

国立開成クラスだと内申点ビハインドを超える位、独自問題で点数とれるが、そのクラスはほんの一握り。

勉強はそこそこな優等生けが日比谷かにいくので、今後都立校の進学実績は落ちるんじゃないかな。

anond:20180115220235

私小説 不登校

私は中一の途中から不登校になった。

元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉スムーズに出すことができなくなっていった。

そして中学入学環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。

そして決定打となったのは合唱コンクール「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り自分学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。

会話からまり日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テスト期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。

不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点基準数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任もっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。

この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三一学期、今まで体験たことのなかった画材出会った。油絵である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。

その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しか問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度発見した。内申点度外視し、受験時の学力テストと実技、面接入学選抜を行うという制度だ。その制度担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラス過去不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。

何はともあれ、私はその制度活用し無事志望校合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。

そしてやってくる大学受験もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。

時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係高校大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代自分メタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験合格した。

卒業制作バイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。

2018-01-15

東京都の「不登校中学に復帰するな」こんな指導をしなきゃいけない現状を知ってほしい。都民ファースト公明党都議会自民党などの皆さん

学校に行きたい中3生に「学校に行くな」と指導する辛さ

皆さんは、長期欠席からの復帰を望む中3生に「学校に行くな」と指導することができますか。

この辛さが分かりますか?

東京都のある公立中学3年生の話です。

温厚すぎる性格が災いしたのか、イジメが原因によって、一時期、学校にいけない状態に。だから内申点は著しく低いものでした。

でもこの子勉強がすごくできる。塾で受ける模試で、偏差値70オーバー。将来の夢は大きく科学者

中学2年生の時、地元の難関校、都立国立高校文化祭で見たクラス演劇に感動。

地元で最難関の都立国立高校に進学したい。そこでもう一度、リセットして再出発をしたい。」

今までだったら、このような生徒であっても、都立進学校に行くことができました。

それは、特別選考枠といって、募集定員の1割を「内申点を見ないで当日の筆記試験得点だけで決める」という枠があったからです。

この枠のおかげで、学力はあるけれども、病気、ケガ、イジメ……様々な事情学校に通えない時期があった中3生の多くが救われてきました。

不登校オール1の内申しか付かなかった生徒が、都立最難関の西高校合格したという例は伝説として語り継がれています

もう何年も前の話だけれども、この実話が、どれだけ多くの生徒達に勇気希望を与えてくれたことか。

私立中学校の数が日本一多い東京都。さまざまな事情から外部の高校受験希望する生徒も東京にはたくさんいます

そういう生徒は、外部受験意向学校に伝えると、嫌がらせのように内申点を大きく下げられたりすることがあります

残念なことですけれども、事実です。

でも、特別選考枠があったおかげで、救われてきました。

舛添前知事時代に突然廃止 多くの人達批判をまったく聞かず

それが、舛添知事の時に、突然に廃止された。理由は、「入試制度が複雑になりすぎる」「あってもなくても同じ」とかだったと思います

この制度がなくなった今、東京都内の多くの生徒達が本当に困っています

東京都には、本当に様々な生徒がいるのだ。内申点がなくても、卓越した能力を持つ中学生がたくさんいます

そういった生徒を一様に排除したのが、特別選考枠の廃止です。

ある生徒は唖然とし、廃止を知らなかった人の中には、泣き出す親子もいました。

東京都教育委員会電話をしてみました。困っている生徒がいるのだと。

反応はこうです。「現行の制度ではこうなので、仕方がない。」と。

では、救う手はあるのか。一つだけあります

それは、中学校には一切通わない、ということ。

たとえ中学校に復帰できる状態になっても、絶対に復帰しないということです。

なぜかというと、1度でも学校に行ってしまうと、その時点で、学校内申点が付いてしまます

内申点がついた時点で、終わりです。もうあなたは、学力相応の都立高校へ進学はできません。

1度も学校に行かなければ、内申点は付きません。判定不能です。こうなれば、高校側は内申点を除外して合否判定をしてくれます

舛添前知事特別選考枠を廃止した結果、今、東京都内では、実力相応の都立高校への進学を希望する生徒に、

中学校絶対に登校するな。1度でも登校すると、都立高校へ進学できなくなるぞ。」

指導しています

中学校に行きたいよね。復帰の意欲もあるもんね。

でもね。ダメなんだ。君は勉強ができる。だから都立進学校へ行って、たくさん勉強して、大学へ進学してほしい。

君が中学校に1度でも通った瞬間に、内申点が付いて、君の進学への道はすべて閉ざされるんだ。

ごめんね。ごめんね。

皆さんで東京都意見を出してほしい 都民ファースト公明自民、皆に声を届けたい

本当にひどい制度です。

そして、その制度を、都民ファーストの会公明党小池都知事は未だに継続しています

みなさん、ぜひこの現状をぜひ拡散してください。広く知ってください。

小池都知事都民ファーストの会の皆様、都議会公明党自民党共産党、だれでも構いません。

この状況が早急に変えられることを願います

ちなみに、都教委の意見箱はこちらです。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/mail.html

2018-01-09

自分自分を育てたいなら

受験生なんだって、2018

1月もも3分の1終わったが今のところ何もやっていない。

今まではそれなりにやってきたと思うしやる気はあるのにやれない自分自己嫌悪しにた〜〜みたいな感じだったのにこの冬休み気持ちがぷっつり切れた。

というか今までぎりぎり均衡を保っていた色々なものがぜんぶおかしくなった。

から長い休みは嫌い。

余計なことをたくさん考えるから

基本装備としてはちゃめちゃに根暗自分嫌いな性分なので思考する隙を与えてはならない。

この冬はそんな隙がたくさんあったか

完全にわたしメンタルが死んだ。

不眠症BBA炸裂して5時寝13時起きみたいなゴミ生活送ってますそんな今ももう3時半です

社会生活を営む上で重大な欠陥ですね。

社会不適合者なわたしだけど、

まれときからそうだったわけじゃない

わりと色んな経験してうつにもなった割にむかしのわたしは擦れてなくて、イイ奴だったと思うんだ。自分で言うのも何だけど。まあそりゃ絵に描いたような不幸は経験たことないからだろうけど。

わたし、イイ奴だったんだよ。

でも気づいたらめちゃめちゃに暗くてめんどくさくて他人気持ち推し量れなくて冷たい難儀な性格の女になってた。こじらせの限界突破

本当に自分でもこんな女嫌だだから喪女なんだって思う。それな。

たぶんわたしがそうなったのは

高校受験に失敗したからだ。

受験に失敗したからなのか高校選びに失敗したからなのか何が明確なきっかけってわけではないけどわたしはあの高校に入ってから坂道を転げ落ちるようにやたらとめんどくさくて暗い女になった。

やらなきゃいけないのに身体金縛りみたいに動かなくなる日も増えた。

絶対にやらなきゃいけないことがあるのに、動けない。涙が出るくらいそんな自分キライなのに、やっぱり動けない。

おまえのそれはただの怠け病だっていわれるけど、自分いちばん様子がおかしいってわかってるんだ。言い訳じゃなくて。

色んなことが噛み合わなくなっておかしい。身体も心もしにかけなのに、やっぱりその異様さが自分しかからない。

たぶん、わたしこのままだとそのうち道路に飛び込みたくなる。

そんなわたしを変える方法

たぶん大学に受かることしかない。

私立最高峰早稲田

こんなにバカ学校だけど

こんなにがんばれない私だけど

わたし早稲田に行く

わたしはそこで変わる

この性格

冴えない顔も

圧倒的に欠如したコミュニケーション能力

なにかを心から楽しむあの感覚

ぜんぶぜんぶ、わたしは変える

私がいるべき場所はここじゃない

から心が浮いてるんだ、馴染めないんだ

だって私の好きなアイドルいじめられた時に言ってた、「自分アイデンティティ中学に収まりきらなくなった」って。

からわたしは馴染めないまま曖昧に笑ってこれでいいのかよって思いながらぼんやり生きてるんだ。

うそなのは御免だよマジで


わたしはこの時を待ってたはずだ

わたしいじめあいつに

わたしをかえてくれたあのひとに

わたしを疑ったあいつに

わたしのともだちでいてくれるひとに

復讐するときを、待っていたはずだ。

しあわせになるという、復讐を。


そのためにわたし死ぬほど勉強しなければならないし性格も顔も生まれ変わるための準備も死ぬ気でしなければならない

まず手始めに、じぶんに自信をつけるためにわたしひとつでも自分で頑張ったと言えることをつくろうと思って

"学校を休まず毎日行く"

という目標を立てた。

いまのところ高校は無遅刻無欠席。

地下鉄内で貧血になってヘロヘロでも、這ってでも学校に行っている。

それがわたしスーパーヒーローとの約束から。(べつに約束はしてない)

これからわたし死ぬほど勉強する

だけどTwitterもインスタもおたく

全部辞めないし休まないよ

やりたいことは全部やってやるよ

やりたいことを我慢して生まれた"余裕"は怠けるための余裕にしかならないのが経験則なので好きなことを全部こなすためにどう動くかを考えて私はこれからしぬほど勉強する。


わたし、昔小説家になりたくて。

しかにすごく文章を書くのが上手だった。

だけどいつからか私は当たり障りのないことばしか綴れなくなった。頭に言葉が浮かんでこなくなった。

それはたぶん、自分のことを書けなくなったからだ。

でも、書けないわたしわたしじゃない。

からわたし

早稲田に行きたい

なんて叶えられなかったらこっ恥ずかしいことを

わざわざ言葉にして決意表明している。

ばか恥ずかしいよ今。

学校の人にだって何一つ言ったことのない話だから。もちろん親にも。

わたし絶対変わるから

アイツ誰だっけ?って言われるくらい

ぜったいぜったい変わるから。見返してやるから



なれっこない大好きな人を追いかけて、

わたしは強くなりたい。

そのための武器ひとつ学問を備えておきたい。

自分で決めてる細かい目標はたくさんあるけど、わたしの今の目標

早稲田大学文化構想学部合格すること

学びたいことを学んでひとになにかを伝えられる人になること

櫻井くんみたいになること



だ。わたしスーパーヒーローさくらいしょうくんの背中、追い越すくらいわたし、がんばるから


自分自分を育てたいからただただひたすらもがくよ。


先僕をみて、最近がんばるわたしのだいすきなキラキラアイドルたちを見て

ひさしぶりに心をからっぽにしてたくさんの本を読んで

やっと決意表明できそうなメンタルまで持ってこれたので増田投稿しました。


宣言しちゃったんだから後には引けないよ、わたし

絶対からないとダサいよ。


やってやろうじゃん2018

どうせクラスハブられてるんだ

勉強友達にしていなくなった友達なんかその程度ってもん

学校でひとりでもおうちに帰ったら

アイドルがいる

ずっとずっとおっきいしあわせがある

から折れずにがんばれ、わたし






ぜったいに未来、つかむから

櫻井くんの笑顔より健人に見える世界よりきらきら未来

わたし、つかむから!!

まってろ、早稲田大学

2018-01-06

成人式明日に控えて

成人式明日に控えて、この20年を軽く振り返ろうと思う。

特定が怖いので所々フェイクとかを交えるのでたまに嘘が入ったりするけど、ある程度はきちんとしたことを書こうとは思う。

僕は田舎町で育った。ド田舎ではないがそこそこの田舎、町にコンビニが一件しか無かったり、8時には終電が出ていったりしてしまうくらいの田舎

同級生100人くらいいるけど、明日成人式で会うと言われても「クソほどどうでもいい」って感じしかしない。

大学に入ってわかったことの一つとして「田舎では勉強する環境を選べず、周りとの競争を全く感じず生きている」というのがある。

小中と勉強はできた。しか生粋変人田舎特有の異質は排除されるというバイアスによってのけ者にされてた。

近所に住んでいて、幼稚園の頃に仲良く話していた女の子とは小学一年の時にからかわれたのが原因で、その子が話しかけてくることがなくなった。

新任の教師が3日で辞めるような中学しか町になく、それしか選択がなかったのでそこに通った。

こんなクソみてぇな地元を出たいと思って進学校を目指して勉強をしていたが、DQN教科書を破かれたり、前日に受験票を燃やされたりして精神はズタボロ、高校受験は見事に失敗。結局地元バカ高校入学した。偏差値は40もない。

高校になって他の地区人間が出てきたり、適当に話を会わせて一人で勉強してたので、とくに苦労もなくその道だと名の知れた国立大入学できた。

大学に入って分かったことが、やはり都会は何もかも田舎とは違った。

学校を選ぶことができる、友人を選ぶことができる。他人干渉されることが少ない。

当たり前かどうか分からないけど、これが都会ではごくごく普通のことだということをうらやましかった。

学校では休み時間勉強したり読書したりすると叩かれたり、物を隠されたりした。授業はDQNたちが妨害するせいできちんと授業が執り行われたことの方が珍しい。このような雰囲気ではまともに勉強する人も無くなってくる。

家は家で、田舎特有高校至上主義地元名門の高校以外は頭の固いジジイババアがこれでもかというほどこき下ろす田舎はどこの大学よりも、どこの高校かというのですべてが決まる、悪習しか残っていない土地だった。

父親母親もそこの出身だった。

高校受験はそこしか許されず。勉強をされられた。

勉強のために職員室に通ったり、図書館に行ったりもした。けれどもやはりいじめられたストレスに負けた。学年一桁には入っていたけど、世間的に見たらただのバカだった。親に受けさせられた統一テストも全国では真ん中より上くらい。これで学年一桁を取れるような地元に嫌気が差した。

結局受験前日の受験票を燃やされたので全てが終わった。(当日再交付はされたけどメンタルはズタボロ。ほぼ白紙)

なんとか入れた高校で、今までいじめて来たヤツらを見返すために必死になって勉強して、胸を張るとは言えないが一般では普通大学には入れた。

大学に入って2年だが、刺激的な生活連続だった。地元にはないような店がいっぱいあったし、何よりも友人と話が通じた。ろくに友人もいないような人間で、話が通じるような友人に出会たことに感謝の念しかない。学力人間を作るというのも間違いではないと思った。

間違っても型落ちのクラウンマークII下品にシャコタンにして、バカみたいに低音を効かせたサウンドで夜中に走り回っては橋の下タバコを吸ったり、たかだか数人が集まった写真ゴリゴリに盛って「地元最強卍」とかバカやってるやつらはいない。

そんなやつらをSNSで見てると反吐が出る。地元に残ってなにが最強だ。ロクに勉強もせず、ただ昔はヤンチャだったアピールをしてイキがっているだけなのに。

なぜそのような人たちの方が人生謳歌しているのかが分からない。そういう人間に蔑まれ。いつか勝ってやると思ってた人間地元には居場所がない。

全てが狂ってるんじゃないだろうか。地元も、世間も、あいつらも。

ただムカムカするだけ、成人式は出るだけ出て。家に帰ってすぐ大学に帰ろうと思っている。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん