はてなキーワード: はとことは
嫌なことはやりたくない
やらなきゃいけなくてもやりたくない事だと全く手付かずになってしまう
やらなきゃと分かっていても画面を見てぼーっとしてしまう
提出物の期限は勿論守れない
営業の仕事だが、業務内用は平気なので成績の部分だけで言えば特に問題はない、むしろ良い方
ただそれに関する進捗報告や、PDCAサイクルのまとめ、成果に対して取り組んだことの報告などが特に苦手で出来ない。
シート提出やチャット報告などすぐになあなあにしてやらない。評価を付けられないと注意を受けてもどうしても腕が動かなくなる。最終的に直属の上司にかなり手伝ってもらって記入したものを提出したりする。
その面倒見てくれる上司からは自分で考えて行う仕事が苦手と評価を受けてるがみんな苦手だからと一応お目こぼしをもらってる。自分の成果が良いときはお目こぼし対象だが、成果が悪いときは見放される
ADHDの診断は貰ってるんだがこれはその直属の上司や会社に伝えるべきか?
嫌なこと嫌と思わないマインドがあったら切実に教えてほしい。
今も今日〆切のシート記入ができていない
https://www.youtube.com/watch?v=x5Ufcn5ONdY
こういう動画で思うんだがジャップテレビ局ってYoutubeに好き放題書かれてるコメントを放置し過ぎだろ
お前らが取材した対象がコメント欄でボロクソに誹謗中傷されてるのを2週間以上も放置できる神経が分からんわ
今どきそこら辺の木っ端Youtuberですら取材した企業とか店の動画のコメント欄で酷い事書いてる奴が湧いたら通報したりBANしたりしてる時代に
電波独占してるテレビ局がその程度の意識すら持ち合わせてないって終わってんなマジで
ジャニーズみてえなクソッタレ性犯罪企業には忖度しまくって犯罪の実行者が死ぬまで何十年も礼賛し続ける癖によ
金と権力持ってねぇ人達にはとことん無関心で一切守ろうともしねぇんだなこいつらは
自由な意見を書き込んで欲しいからーとか舐めた事抜かしてるんだとしたら
こいつらジャップテレビ局は意見とクソガイジの暴言の違いすら理解できてねぇゴミクズの猿だわ
インタビュー取材する時に電車内とか道端で訳わかんねぇ事ほざいてる馬鹿とか犯罪者の屑みたいなクソガイジ共にはインタビューしねぇだろ
それと同じ様にコメント欄に同様のゴミガイジが湧いて訳わかんねぇ事ほざきだしたらお前らが責任持ってそいつらのコメントを消すんだよ
成績が悪い子が理解できなかった。
わからないことがあるのに授業後に質問しない子も、授業後の休み時間にどこがわからなかったのか一呼吸おいて考えることをしない子も、夏休みの宿題を後回しにする子も。
わからないこと自体に落ち込むことは全然ないけど、そういう子は厳しいことを言えば自分を過大評価しているとしか思えなかった。
勉強のことを同級生から相談されて、一緒に図書館に行って調べようと言ったことがある。しかし渋って結局行きたがらず、自分の中で結論出てるなら私に相談しなくていいじゃんと思ってめちゃくちゃだるかったのを覚えている。この手のことは公立小中だからだと思っていたが、トップ高校ですらまだそういう子がいた。成績悪い自慢を聞かされるたび、いや勉強しようよ…と内心うんざりしながら次頑張ろ、私も正直よくわかってないしむしろ教えてほしい!一緒に勉強しよ!と励ますのも毎回の儀式だった。
家で全く勉強せず、ゲームしたり高3の12月まで部活やったりとにかく遊びまくってるのに毎回全国模試で1桁台の同級生という例外はいた。でもその子も授業中は死ぬほど真剣だったし、毎授業後に先生を捕まえて学校にいる間にすべての疑問を解決するように心がけていた。彼女ですらそうなのに、我々凡人が努力せずにどうするんだと思っていた。
塾に行かせてもらえる経済的なゆとりのある家庭の子の方が成績がいい傾向があるとか、そもそも努力できるのが才能とか、人間には自身の力ではどうにもできない部分があるというような概念を大学に入ってから知り、これまでのもやもやが少し晴れた。こんな当然のことにずっと気づかなかったのだから笑える。私だってどんなに努力したところで橋本環奈になれないのは嫌ほど経験しているはずなのに、持って生まれたものにはとことん鈍感で浅はかだったというわけだ。
勿論恵まれたものを持ってても本当に努力不足の人もいるけど、それも生き方というか選択だし、皆が皆優等生にならなきゃいけない理屈もないなと、最近は他人に対してああしたらいいのにこうしたらいいのにと思うことも最早なくなってしまった。
アラサーからアラフィフの独身男子向けのレシピ集。週末に好きな音楽を流しながら、つまみ食いを肴にビール飲みながら作って過ごすのは至福の時間。料理が好きなおっさんのおっさんによる、おっさんのためのエントリ
見栄えにこだわらない。簡単で美味しいものこそ正義。女子供が喜ぶようなのはないから素直にすっこんでろ。
某YouTuberの虚無シリーズとは言わないが味に影響を与えない工程はとことん省く。工数減らせば洗い物も減る。シンプル・イズ・ザ・ベストだ。20分以内が目安
美味しい旬の魚か野菜をできるだけ材料1点のみで楽しむ。肉も工数少なくておいしければやる。ちゃらりんこクッキングのイメージ
みんな働いてて偉いね みんなどのくらい仕事が嫌でそれにどのくらい耐えてるのかな
入社して3年、月の残業時間5時間超えたことない(ほぼ0)だし、むしろ暇なときは本当に仕事ないし、これで辛いとか言ってたらもうどこにいっても働けないんじゃないかと思うけど、仕事の嫌なところを書く
・暇なときは仕事がない一方、案件に入ると割と短納期で、不安との戦い
・アシスタント職なのもあって、作成した資料がどうなっていくのかイメージしづらい、作った資料に対してフィードバックがされない
・たぶん短納期でも、自分がその資料を使って何かしなければならないというなら、作ってみてそのでき加減が明らかに自分に跳ね返ってくるし、作るときも目的が明確で作りやすいのではないかと想像する でもそうではないので、疑心暗鬼になってどこまでやったらいいのか、正確に作れているのか、追い詰められていく感じが辛い
・案件をひたすらこなしていい意味でどうでもよくなって適当にこなれていくと上記はマシになるのかもしれないが、暇なときはとことん仕事がないのでそこでリセットされてしまう感もある
みんな働いてて偉いね みんなどのくらい仕事が嫌でそれにどのくらい耐えてるのかな
入社して3年、月の残業時間5時間超えたことない(ほぼ0)だし、むしろ暇なときは本当に仕事ないし、これで辛いとか言ってたらもうどこにいっても働けないんじゃないかと思うけど、仕事の嫌なところを書く
・暇なときは仕事がない一方、案件に入ると割と短納期で、不安との戦い
・アシスタント職なのもあって、作成した資料がどうなっていくのかイメージしづらい、作った資料に対してフィードバックがされない
・たぶん短納期でも、自分がその資料を使って何かしなければならないというなら、作ってみてそのでき加減が明らかに自分に跳ね返ってくるし、作るときも目的が明確で作りやすいのではないかと想像する でもそうではないので、疑心暗鬼になってどこまでやったらいいのか、正確に作れているのか、追い詰められていく感じが辛い
・案件をひたすらこなしていい意味でどうでもよくなって適当にこなれていくと上記はマシになるのかもしれないが、暇なときはとことん仕事がないのでそこでリセットされてしまう感もある
5年、まともに働いてない夫がいる。
私は自営。5年前まで夫も自営。
いろいろあって、儲かってたけど自営をやめた夫は
今は会社員になりたがっている。だけど、
体が弱く、女性上司が苦手で、お客様根性が強く、メンタルは弱く、PCスキルがなく、職業倫理は高くて上司や同僚を批判的に見ているため、
会社に入っても長続きしない。
ここから戻すの、すごくきつい。
世間の皆さんに、この使えない社員を引き受けてもらうのは忍びないから、
私の仕事を手伝ってもらうのが一番だと思うんだけど、
夫は私の仕事の手伝いは嫌いだ。
えらく、えらく使いにくい。
ただし、その4歳児は社長さんみたいに丁重に扱わなきゃいけない。
これさ、私の接し方の問題なんだろうか。
私が何か変えたら夫も変われるんだろうか。
良いところはもちろんあるんだ。
細部に目が行き届く。職業倫理がしっかりしている。
間違いを上手に指摘すれば子供みたいに素直。
でもそれを活かせるレベルになる前に、普通の人だとめんどくさい人だと嫌うと思う。
好き嫌いの分かれるタイプの人で、たぶん嫌いな人には夫はとことん気持ち悪い人だと思われるのだろう。
こんなこと言ったらかわいそうなんだけど。
今のままじゃ、そろそろ詰む。
どうしたら良いのだろうね。
陰謀論者の使命感というのはどういう立ち位置においてのものなのだろうか?
ライフワークみたいなやつもたまにいるが、そいつの周りには今更困ってる親族とかもいないだろう。
促成の信念というのは過激でも根が浅い。
血肉になりきってない。
なんとなくだが、陰謀論者の御高説にはコメンテーターの気楽さが感じられる。命がけの真剣さというより、床屋政談でムキになったような表面だけの熱さ。
本当に大勢の人の命に関わるような判断をする権限と責任を与えられて、いつもの持論を開陳できるか?
そういう権威者の立場に憧れつつも、自分はその器でないとどこかで知り抜いているからこそのお気楽な放言であるように感じるのだ。
何らかの形で陰謀論者に「権限と責任」を感じさせることが回復のきっかけにならないだろうか。
彼らはとことんちゃらんぽらんな人間ではない。粘り腰で考え続けるのも苦手だが、何も考えずに騒ぎたいだけという愉快犯でもない。自力の回復力を持っているはずであり、そこをエンカレッジしていく以外にない。
妻の実家に来ている。妻の母親の一周忌に合わせて、妻の実家に泊まる形である。
妻の母親が亡くなって以来、妻の父がボッチ気味だなぁという感じがあったので、こちらに到着次第、妻の父と差し飲みのような形で妻の父親と話をずっとしてた。嫁はその間、嫁の友達と他のところで話をしてた。
妻の父の気分を盛り上げるためにも、「みんなで麻雀しましょうか」と言ったのがあんまり良くなかったようで、妻の父に怒られてしまった。
その場はこっちが謝るような感じで収めたが、正直やってらんないね。怒られたことを妻に共有すると、余計ボッチが進行してしまうから、俺の胸の中に留めるしかない。正直やってらんないね。
悪いけどさあ、おれも仕事でクソ忙しいところで泊まりで妻の実家に来てんだわ。妻とかその兄弟の冷たさがわかってるから、残された妻の父親のボッチ具合もわかるから、飲みに付き合ってたわけよ。
で、ぶっちゃけ、そこに自分の娘のむこが訳知り顔で、飲みに付き合ってます的なことにむかつくのもわかるわけよ。だから、こっちも表面上は謝るわけよ。で、この後も、毎年の盆と正月の年2回ぐらいは愚痴に付き合ってやろうという気持ちはこっちはあるわけよ。で、ほぼそういう付き合ってやる的なものにムカつくのもわかるわけよ。で、ムカつかれてもこっちはとことん付き合ってやろうという気はある訳よ。でも、そこら辺のを、嫁含めて、誰にも打ち明けられない未来がこの瞬間に決まったわけよ。やってらんないね。
暇なんでマジレスしてやるがオマエが悪い。
不器用にも程がある。
外国人は別の文化や常識や価値観を持っていることに不見識すぎる。
オマエはベトナム人に対して上司であり昇給や配置などの決定権を持っていることを誇示しなきゃならない。
威張って堂々とな。
あと仕事の指示、文書で出したか?口頭指示なんて誰も聞かねぇよアホか。
あいつらマニュアルを出せばそれには素直に従う。曖昧な口頭の指示は縛りがないものとしか認識されない。
あのな、社会は建前で回ってるの。
書面体裁が整えばいいの。管理会社の人間は「下から書面を取った」って事実をエビデンス付き(反省文)で「残す」ことにしか興味が無い。ようは管理会社責任者の責任逃れの体裁を整えてやればいいの。
テンプレ反省文をコピペで作ってせいぜい本人にサインさせるだけでいい。
オマエは方方から放り投げられてくるボールを素直に受け取っちゃってるの。無駄
どんだけ不器用なんだ。
クレームが来たら会社に「ちゃんと教育した人間を寄越せ」と文書(メール)で放り投げるの。
教育はオマエがせぇと返されるだろう。
「それは俺の仕事では無い」「他人を教育をするスキル教育を受けてない」って意味の返事をぶん投げる。
アホみたいにそのまま書くなよ。
やんわりとだがそう解釈せざるを得ない、自分は責任を負いませんよというサジェスト込みの文書を書くの。これ社会で重要なスキル。
念のために「他人を教育をするスキル教育を受けてない」を補足しとくぞ。
オマエに他人を使役する能力があるかってのも含まれるわけだが、それが欠けているならその職能を取得させる教育投資をするのは会社の責任なの。金がかかるの。
そういう会社ならそういう会社で生き延びるスキルも身に付けなきゃならない。
無責任でいいんだよ。
責任持った生き方をしろ、なんて道徳を叩き込まれたんだろうが、あんなもん人を都合よく使いたい支配者の戯言だ。真に受けるな。
頑張れ。賢く生きろ。
考察系で追っていた人が「水星の魔女はクィアベイト」と強めの口調で不満を述べていたから、さらっと調べてみたんだけど……違くない?
当方あくまでさらっと視聴勢。基本リアルタイム視聴だが時間が合わなかったら配信。しかし何話か配信も見逃しているので、そのあたりは公式のまとめやファンの感想や考察で補完。小説は未読。
だからところどころ公式とはかけ離れた流れの感想や解釈のまま進んでいる可能性もあるので、そこは普通に突っ込んでほしい。
前提として私はクィアベイトとは、ググって一分の知識だが要するに「同性/両性愛者ではないのに、ゲイ/レズ営業をするな。そうみせかけて寄り添った気になるな」ってことだと解釈している。
スレッタは初恋がエラン4号と明言されている、かつ第一話で「女同士なのに婚約者?」と戸惑っている。
ミオリネもシャディクに「ホルダーを目指さないの?」≒彼と婚約することを悪く思っていなかった、と見れる。
従って二人は同性愛者ではないと言える。
「同性のスレッタ/ミオリネを好きになった」という点で見れば確かに二人は両性愛者と言える。
だが「二人の関係が恋愛とならなかった、親友として完結した、または恋愛関係となったものの破局した場合、その後の恋愛で同性を好きになる可能性は?」と言われると微妙だ。
これは私が両性愛者を「同性を好きになる確率と異性を好きになる確率が2:8くらいはないとそう言えなくない?」と思っているからだ。この好きになるにはどんな形であれ(それこそ一方的にでも)性欲に類するものを抱くことも含んでいる。
あえてこう表現するが、同性を恋愛として好きになるハードルは確かに低くなっているだろう。
ただスレッタとミオリネの関係は二人の間で輝かしく不可侵なもので、同性を好きになるハードルの前に「この関係を過去のものにして、新たな関係を築く」という越えなければならない山のようなものができるように感じる。
この山を越えていけるのか、というよりもこの山ごと愛して新たな関係を築ける共に人がどれくらいいるのかな…みたいに思ってしまう。
時間はかかるけれどぐるっと麓をまわってきれいな山だねという女性に出会うかもしれないし、だったら私はあなたと一緒にこの山も含む国を世界を作ってみせるという女性に出会うかもしれない。
ただ、それよりは異性を好きになる可能性のほうが高く感じるんだよなぁ。
元々初恋やそれに近いだろう感情を異性に抱いていること、好きになったのが異性なら二人の思い出はそのままに別個の関係を築いていけるというか…表現が難しいんだけれど、独立したものとしてきれいな思い出のまま、比較対象となることなく新しい恋に進んでいけるものになるというか……。
私の結論としては「スレッタとミオリネは異性愛者。ただし二人はお互いにだけは友情も性愛もなにもかもを抱く関係になれたらから、友人、親友、婚約者、家族、婦婦(ふうふと読んでほしい)と様々な面を持ち、それらの表現の一つとして結婚を選んだ」みたいな感じ。
決してクィアベイトではない。ただあらゆる関係のうちの一つに性愛があり、それを結婚し婦婦という形で表しているんじゃないか。
マイノリティ(今まで迫害…とまでは言わなくとも後回しにされてきた少数派とする)を蔑ろにした最終話とか言う人もいるけれど、水星世界は「同性愛も同性婚も当たり前、ただちょっと珍しい」故に気持ち悪いとか大丈夫なのかと迫害や疑問を持たれることはなく、だからこそ同性とそういう関係になることに人生をかけるような覚悟も必要ない。二人があるべき関係として結婚を選んだ。友人親友としての延長で結婚したようにも見えるし、愛し合ったからこそ結婚したとも見える。それは現実の夫婦間でも当たり前にあるのは想像に難くない。
ただ現実の日本では同性愛者であることのカミングアウトには人生でトップクラスに勇気がいることだろうし、同性婚は制度として認められていない。だから彼ら彼女らのほとんど当然抱かねばならない覚悟や無念、憤りは水星の魔女では描かれることはない。
そのギャップがあることを忘れて、あるいは見ないふりをしているとクィアベイトという結論になるのかな、という印象。
というか「マイノリティである同性愛を貫く」というような話をする場合、水星世界はとことん相性悪くない?
例えばミオリネがレンブラン家の跡継ぎとされているがあくまで中継ぎとして、本命は彼女の産む息子であることが明らかであり、ノートレットは子供を女一人しか産まなかった役立たずみたいに見る描写が彼女の周囲にだけでもあればそういう話もできた。
一族経営=跡継ぎを作らなければならない=おそらく同格以上の女性と結婚しなければならないジェタークの嫡子であるグエルが同性を好きになった場合もそういう話ができたと思う。ジェタークには庶子のラウダがいるが、物語開始時点でペトラといい雰囲気にしておけば「この二人を引き裂いて自分の感情を優先するのか?」みたいな葛藤も描けた。
世界観で見れば難しい描写も、個々の関係に範囲を狭めれば「戦いつかみ取っていくマイノリティ」を描くスペースはいくらでもあった。だけどそれは描かれなかった。
つまり「マイノリティが~」はこの作品のテーマではなかった。ただ現実とのギャップでそう錯覚してしまうだけの描写がなされており、水星世界では抱かれない疑問や与えられない試練に打ち勝っていく二人を期待していた人達が勝手に裏切られて不満なのかなあと。