はてなキーワード: ひとりよがりとは
あと法律ってとどのつまりが解釈次第でその法律が適用されないとするのも解釈なら
首相のような公職に就いている人のことを報道した場合に簡単に名誉毀損罪が成立しては,報道の自由や知る権利が侵害され,報道機関は萎縮してしまいます。
そこで刑法では,首相など公務員について摘示された事実が真実であることの証明があったときは処罰されないと定めています(刑法第230条の2第3項)。
また,判例では,真実であることが証明できなくても,確実な資料や根拠に照らして真実だと信じた場合にも,名誉毀損罪は成立しないとされています(最高裁大法廷昭和44年6月25日判決など)。
ってこの法律や判例が適用されます!(ドーン)とか主張するのもまたひとつの解釈でしかないんだよ?
なんで自分の解釈は完全無欠で必ず尊重しなければならなくて相手の解釈は感想でしかないとかなっちゃうの?
ひとりよがり酷くない?
Nくんはここにいる女子が全員イケメンって言うほどのイケメンですけど、私は全然性欲が湧きません。でも、例えばO先生とNくんのどっちかとセックスができるなら、私はO先生を選びます。O先生はここにいる女子全員がイケメンか?って思う感じの微妙に普通の、フツメン、ですけど。O先生ってもう子持ちのオッサンですし。でも断然O先生。O先生の方がセックス上手そうなんですよね。Nくん、なんかセックスうまくなさそう。なんか自信なさげなんですよ、もたもたしそう。セックスには自信と関心を持って臨んでほしいんですよ。やるぞ!っていう。もっと気持ちよくする・なるにはどうするか?っていう前のめりな、探求心を持った人がいいんですよ。O先生って、なんかそういう議論できそうじゃないですか。これ良かったよね~みたいな。Nくん、なんか、言えなそう。あれ微妙だったな~って時に、プライド傷つけないように余計な気を使いそう。そういう雰囲気出てるんですよ。あとはそうだな~H先生は絶対、ひとりよがりですね。好き勝手やって自分だけ先にいってそう。全然相手見てなさそう。てかH先生嫌いなんで、ムリっすね。次はC先生。C先生はああ見えてめちゃくちゃ性欲強そうです。これは予感ですね。セックスは確かな根拠に基づく仮説と毎日の実践の積み重ね、という時論を掲げてアスリートみたいに毎日しそうです。終わったあとは議論ですね。あれはもっと時間をかけるべきだったのではないか?とか、こことここを2点同時に刺激すればいけるかもしれない、とか。良く分からないところから仕入れたマニアック情報で楽しいセックスができるかもしれません。いいですね。O先生とC先生。両方セフレにしてほしいです。次。K先生はイケメンですね。Nくん系です。シュッとした誰もが納得の。でも性欲、淡白そうです。余裕で全然レスになりそう。それよりも話をちゃんとしてくれそうです。それはそれでいい事なのですが、私、セックスしたいので。って言うと残念な顔されそうです。でもしたら普通に上手そうです。K先生、人間性が良く分からないんですよね。声ちっちゃいし。でもイケメンなんで、セフレにはしてほしいです。隔週とかでもいいんで。てか、強気なイケメンっていないですね。私が知る限り、みな自信なさげでセックスにも淡白そうに振る舞います。イケメンじゃない方が色気があるからセックスしたくなります。これはどういうことでしょうか。卒業論文にしていいですか。Nくん、O先生、C先生とK先生で見た目からの性欲の強さを予測して、その後定期的にセックスして予測の正しさを確かめます。それで、本当にイケメンと性欲の関係を見るんです。楽しそうだけど疲れそうですね。セフレがたくさんいるって大変です。
みなさんは社会をどう考えるだろうか?
我々は基本的に、問題を自分の“経験”をもとにして考える。だれもが、経験からしか物を語れない。だがそのこと自体は、特に問題というわけではない。
ただし、我々がそうした自分の経験を過度に“一般化”して、まるでそれが絶対に正しいことであるかのように主張したとしたら、それは大きな問題だ。にもかかわらず、我々はあまりにしばしば、自分の経験を過度に一般化してしまうのだ。
対話や議論において重要なのは、こうした「一般化のワナ」に陥ることなく、お互いの経験や考えを交換し合って、どこまでなら納得し合うことができるのか、その“共通了解”を見出そうとすることだ。
「社会学は絶対の悪だ」とか、過度の“一般化”をするのじゃなく、たとえば、「どのような社会学をどのように実現すべきなのだろう」といった仕方で、お互いの考えをすり合わせていく必要がある。
言われてみれば、当たり前のことだ。でも我々は、この「一般化のワナ」に、案外簡単にひっかかってしまうものだ。我々は、自分の経験はあくまでも自分の経験にすぎないんだということを、ちゃんと自覚しておく必要がある。
とりわけ教育は、だれもが受けた経験があるから、多くの人が自分の信念を強固に持ってしまいやすいテーマだ。もちろん、そうした考えを個人の意見として主張するのはかまわない。でも我々は、そういった議論をやるにあたっては、それが「一般化のワナ」に陥った意見になってはいないか、たえず振り返る必要がある。そうでなければ、お互いにお互いの経験や信念をただ表明し合うだけになって、物事の本質を洞察するなんてできないだろう。
自分の信念を、ただ相手にぶつけるのではない。もしかしたらこれがひとりよがりな考えかもしれないということを自覚した上で、相手に投げかける。そうやって、自分の考えの“共通了解可能性”を問う。
ふと、ランキングをつけるならどうなるだろう、って疑問が浮かんだので小一時間考えた。
結果は…
人類の歴史という大きな流れの一部に入れたと感じるのは、ほかの趣味には変えられない意義深さがあります。自分よりも希望にあふれた、自分の小型バージョンをカスタマイズさせるのは育成ゲームの究極形とも言える。しかも自動で成長してくれる放置ゲーの要素もあり。
下ネタっぽくなってすいませんけど、大好きな人と肌を合わせるセックスは、満足感という面では他の追随を許さない。パートナーを確保するまでに手間がかかるけど一度枠組みを作り上げてしまえば、最大レベルの幸福感が毎週届くサブスクになる。
ねこを吸う。ねこいう名の完全合法麻薬をやっていた時代は、これほどまでにカワイイ生き物が存在するはずないと思っていた(注・存在する。第一位)。終始、飼い主のことなど気にしないかのように、そっぽを向いているが、目を逸らすと甘えてくるモフモフの温かいやつは、自分だけの為の至上のツンデレヒロイン。
ほかの候補も考えた。
タバコや、パチンコ、は射幸性という意味ではパフォーマンスが高い。
でもタバコには吸ってないときの幸福度を奪うこと、パチンコは負けてるときが辛いために、コスパという意味ではさほどでもないな。
ラーメン巡りはこだわりを持つとハマれるけど、移動に時間が掛かったり、並ぶのが×。
第四位はそうすると、散歩になるかな。私が考えると。みなさんはどう思いますか?
実を言うと、趣味を選ぶときに得られる幸せを基準に考えるのはオススメしない。
客観的にみて幸福な状態になれるのは、直感でイイと思った時間の過ごし方を選んだときだと思う。
経験上、こころの準備ができてるのがハイパフォーマンスの条件だった。
本当の幸福は、受け入れる準備ができた人の元に舞い降りる。
ポルノを書くのは、というか小説を書くのは頭がいい人しかできないらしい。というのがこの小説家(BL)を目指してきた4年間の感想だ。
情景描写が本当に書けない。
模写とか本を読むとか努力ができない。
指南本読むとかセミナーに行くとか上っ面だけの努力しかできない。
キャラクターは良いですね、テーマもいいです、起承転結も大体いいです。でも心理描写と情景描写がゴミカスです。どうしても直らない。
作家志望は結果が全てだ。
三次選考、四次選考、最終選考まで行っても落ちたのは事実。デビューしなければただのワナビ。だから焦って、どっかの賞を取りたくて計50回以上落選した。筆はめちゃくちゃ早くなった。でも何も賞は取れなかった。
同じ作家志望の人はレーベルの研究をしました!ってみんな言ってるので、私もしてみた。が、3行で脱落。
小説が好きで小説家目指してたのに、小説がいつの間にか読めなくなっていた。
文字を追うのが辛い。頭が回らない。集中力が持たない。感情移入できない。物語に入り込めない。
なんでかなと思ったら自分の書いたものだから脳内で映像補填されているのと、情景描写諸々全部省いてるからだった。そりゃ余分なもんないからよめるでしょ。ひとりよがりの原因はここにあった。
でも直そうとは思わない。思えない。
もう疲れてしまった。
レーベル色も大事だが、流行り廃りというものがある。私はどうも今の流行りが苦手だ。
ファンタジーならまだ大丈夫だ。いいじゃないか、今流行りの悪役令嬢系とか追放系とか。私は結構あったら読む。
でも○○バース系。あれはダメだ。だってあれそもそも海外ネキが考えたものだろ?権利関係とかどうなってんの?とどうしても考えてしまう。海外ネキに金入るならバシバシ書くけどどうも虎の威を借る狐のような、なんかパクリ感が……。と罪悪感が出てしまう。
あと最近の子育て家族獣人のオンパレードはなんなんだ書店行ってびっくりしたわ。いや子育てものも家族も獣人も私は好きだからこれは嬉しいんだけど、日本ネキの性癖はどこに向かってんの?どこ発どこ行き?
読んだ人に喜んで欲しいな♪ルン♪って気持ちはあるんだけどなんか色々疲れた。時代のせいにしたくないけど私があと20年早く産まれてれば競争者も少なくてデビュー出来たかもしれないのにって思う。
芽の出ない努力は疲れる。
書きたくないものは書きたくない。
先が見えない道を走るのは難しい。
後ろを振り返って何も残らなかった時が怖い。
わくわくするものだと思ってた。
小説を読んでる時はわくわくしてた。昔は。
小説のいいところって漫画では20巻とか使うところを1冊でぎゅって詰められるからタイパとコスパがいいとこだと思ってるけど中身がエロだけなら書く意味ない。BLのいいところって山あり谷あり2人で解決して恋愛がついでって感じだと思ってたけどなんか最近違うみたい。
※※このお話は知的障碍者の方への差別を助長してしまうかもしれない内容になっています。
ですが、そういう内容であるがゆえに、今まで誰にも言えずにいました。
相当前の話なのでほぼそのままではありますが、一応フェイクを要所で入れています。
あまり読ませようと書いている文章ではないので、ポエムだと思って読み流してください。
当時うちがあったのは関東の片田舎。住宅地であったその周辺には昔、少し有名な知的障碍者の人がいた。
出歩くのが好きな方なようで、小学生だった私も登下校の時にほぼ毎日レベルでよく見かけていた。
電柱の影や、建物の隙間などに隠れて(?)いることが多く、たまに「いー!!」と声を出しながら走って移動していた。
「いー!」と言っている様子から、みんなからは「いっくん」と呼ばれ親しまれていた。
ほぼ毎日レベルで見かけていたこともあり、私たちにとっては日常の風景であった。
からかう子すらもはやいなかった。たとえ事情を知らない子がたまにいて、ついからかってしまっても、周りの友人が注意し謝罪するような雰囲気があった。
ある日、私たちが通っていた小学校にいっくんの兄と名乗る人が来た。
いっくんの兄と名乗るその人は、重々しい空気の体育館に児童が集まるやいなや泣き顔で
いわく、いっくんが私たちの学校の児童からからかいや暴力を受けているというのである。
それも一度や二度ではなく、自分は非常に頭にきていること、加害者を同じ目に遭わせてやりたいと、大の大人が泣きながら怒鳴る姿は数十年経った今も忘れられない。
いっくんのお兄さんが他の職員に制止されながら帰っていったあと、体育館は異常に静まり返っていた。
突然のことであったし、小学生にとっては迫力がすごく、かなり怖かった。
確かにいっくんがいくら親しまれていたといっても、一部には石を投げるなどのいたずらをした人もいたようだ。
ともあれ、そのようなこともあり、より一層いっくんにはみんな優しくした。
その集会が行なわれる少し前、いつものようにいっくんを道で見かけた。
いつも通り、電柱の影に隠れて周りやこちらをじっ……と見ている。
私はその時たまたま一人だったが、こちらもいつも通り横を歩きすれ違った。
「さちーーー!!!」
さち、私の名前だ。
繰り返し、繰り返し。
聞き間違い?早口に「いーー!」と言っているのがたまたまそう聞こえるだけ?
混乱し、足が止まった。
バチっと目が合えば、いっくんはそれまで居た電柱の影から勢いよく飛び出し、突然走ってどこかへいった。
自分より大きい生き物が突然予想していない動きをするというのは、いざ目の当たりにするとかなりビビる。
こっちに来たらどうしよう、逃げたい、そう思っても体が固まって動かなかった。
確かに登下校の時、いっくんの前で友人たちと呼びあっていたけれど。
あの集会で、お兄さんが言っていた。
「○○(いっくん)は普通の、君たちとなんら変わらない俺の大切な弟だ。」と。
―――――ちがうよ、こっちに移動しようと走ってただけだよ。
気のせい。
気のせいだよ。
ほんとに?
何年も、ずっと続いてるのに?
横を通ったその時、また「さちさちさちさちさちーーー!!!」と叫ばれた。
母は笑いながら「名前呼ばれてるみたいに聞こえるわねぇ」と言った。
私は「早口で何言ってるか分からないけど、びっくりするよね~」と笑いながら返した。
正直、今真剣にこのことに向き合うと「気持ち悪かったな」と思う。怖かった。
本当に言い方が悪いのは分かった上で書くと、言葉が通じるかわからない相手に、名前を叫ばれ、待ち伏せされ、追いかけられるのはひたすら気持ち悪かった。
でも差別はいけないことだから。あの人は知的障碍者で仕方がないから、これは気持ち悪がってはいけないし、何も悪いことはされていないんだ。
当時は本気でそう思い込んでいた。気持ち悪いと思うことすらできなかった。怖いとか避けたいとか、感じさせてもらえなかった。
本音をいえば今現在も、知的障碍者の方とはなるべくフラットに接しようとはしているものの、心の底の抵抗感がすさまじい。
できるだけ関わらずに生きていけるなら、その方がいいとまで思ってしまっている自分もいる。
大人になり、「そういう被害」もあると知った今、それでも誰にも打ち明けられないけれど
せめて自分の中でだけでもあの頃の自分を救ってあげたいと思い、匿名の海に流すに至った次第。
これを読んだ諸氏は賢いから、きっとこれは質の悪いフィクションだと笑い飛ばしてページを閉じてくれるだろう。
私視点だけで怖かった、嫌悪感がひどかったということばかり書いていたからなんとなくひとりよがり感が強いかもしれないけれど、
そういうのは「信じてる」というのではなくひとりよがりって言うんやで
ジャニーズWESTはかれこれ1年半?もっと?くらいずっと売れかけているんですが、売れかけている今がオタクになるにはいちばん楽しいんじゃないかな?と思うし、彼らのパフォーマンスはどこをとっても素晴らしく、7色の魅力があるので必ずどこかしら、なにかしら刺さるところがると思います。今、めちゃくちゃオススメです。最新アルバムが発表されたばかりなので、是非気にかけてみてくれたら嬉しいです。
いろいろ種類あって選び方わからないですよね??
そんな風に彼らを布教してみた口で、台無しかもしれないことを言ってしまいます。
ジャニーズWESTというピッチャーは今、ちょっと、投げることを追求することに、熱くなりすぎちゃっている感じはします。
いうなれば、地に足ついてない、力任せでひとりよがりな球を、1日150球くらい投げてきます。よく肩壊れないなって思います。
わたしは少し、それを捕ることに疲れてしまったかな、という気がしています。
昨年から少しずつ、そういうファンの声が目立ちはじめて、夢中でキャッチングしてる多くのファンの皆さんは嫌な思いをすることもあったりするかと思います。
この日記が万が一そういうファンの方の目に入ってしまったら、そんなこと言うなら見なければ良いのにって思うと思います。
わたしの大好きな漫画に、ピッチングはピッチャーとキャッチャーが一体となって作り上げる作品だ、という台詞を言うキャラクターがいます。
なんか、色々もやもや考えていた時にふと、この言葉を思い出しました。
ああわたし、地に足ついてない、力任せでひとりよがりな球を捕ることに疲れてたんだなーってすっきりしました。
なのでかきました。
少しだけスッキリするキャッチャーがいるかもしれないと思って。
それだけです。
最高のピッチングつくりあげようね!(怖)
妻の方が同じように考えてるならいいけど、どうも違うっぽいな。ただのひとりよがりだよ。仲が悪いと思われてるのはそんなに間違ってない。
「~でも不思議じゃない」論法を否定する人間が「証拠を出さずに何かを言うことは誰にでもできる」と言うのは自分の首を絞めてることになるかもしれない。
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たとえば「以前関ケ原の戦いが関ケ原で起こったことは偶然とされていたが、周辺の山で城の痕跡が見つかったことから関ケ原で戦うことは予定されていたとしても不思議ではない。」
はい。不思議じゃない論法なので、関ケ原という場所は必然だったという主張は通りません。
そもそもそれらの城が関ケ原の戦いに使われる予定だったという証拠、あるんかいな。
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と、証拠あるんかいなというのはまさしく誰でも言えることである。
その証拠能力を否定する根拠が否定側に義務として求められる。「証拠あるのか?」と言いがかりつけるだけでは証拠を見つけ出した側の労力と到底釣り合わない。
不思議じゃない論法を使用する人間が無関係に思える要素をひとりよがりに結び付けて憶測を展開する傾向があるのもまた事実だが…ああなんかよくわからなくなってきた。
以前手紙を書きながら、この速度感いいな?!となったので懲りずに書いてます。よっぽど気が向いたら読んでください。
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ラインの既読機能が苦手です。いつ読んだかとか読んでないとか、、手紙はそういうのないから気が楽だな。読まなくてもいいし、読まれないかもと思うと、不思議と素直になれる。
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逆に私は_さんのどこが好きなのか考えて、昔の日記もぜんぶ読み返して、結論は、見た目でした。
今だから言いますが、どタイプです。めちゃくちゃ好み。そそられる。いちばん好きな部位は、、全身360゜ナイスだけど、、ふくらはぎかな。すっごくきれい!
なんて美しい人なんだろう。好きすぎる。私は_さんにつりあう人間ではない、できる限り魅力的に映りたい!でもこの人、何を考えてるんだろう?
_月に初めて話したときから、私の原動力は性欲でした。言いすぎか。でも恋って性欲じゃないの?
何を考えているの?と問うのをやめてみました。立ち入らないことにしよう。わからないってことを尊重しよう。別々の場所ですごして異なる受容体をもつ他人同士が、知り合う、わかりあうなんてそもそも無理なんだ。
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結果として、_さんの価値観をないがしろにする行動に出たことを、後悔しています。
ごめんなさい。
セフレになりたいわけではなかったんです。
でもさわりたい。内面にふれることができないならせめて。_さんはセックスに愛が必要だと言う。それ性欲のマイルドなやつじゃないの?恋と愛は何が違うの?そんな、誰に対しても欲情するわけじゃない。他の誰でもなく、_さんに、さわりたい。けどさわれない。私は_さんをなにひとつ知ることができない。頭痛も快感もわかりあえない。だけどこれ以上立ち入った話をしたらきっと拒絶される。。
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立ち入らないということは、受け身でいるということです。受け身ばかりでは、勝てません。
いつしか、私は負けているんだ、1位には程遠いんだ、最後に選ばれるのは私ではない、、妄想からの執着、不安と嫉妬が全身に充満していました。なにひとつ現実ではなく、ただの思い込みで、本人に訊けばはっきりすることなのに。
私は自分の想像力を全く制御できません。爆発的な負の感情。疲れた。腫瘍でしかない。切り落としたい。
だから_さんが荒療治をさずけてくれたことに、とても感謝しています。
助かった。
醒めました。
勝負と考える時点で何かがずれていることに、やっと気づきました。_さんは標的、獲物だったのか。手に入れたら終了?私は_さんに向き合っていない。自分勝手に設定したゴールに押し込もうとしているだけだ。
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私は_さんをどう思ってるのか?
どういう関係になりたいのか?
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あらためて、打算を抜きにして、考えました。打算を抜くのになかなかの時間とエネルギーを費やしました。
もし目の前にあなたがいたら、気持ちをどんな言葉で伝えるだろう。
「好き」とは言えるけど、「つきあいたい」とは言えるかな。
友達でも恋人でもない、そんな categorizeできるような、一般的な関係にはなれない気がする。
でも、絶縁はやだな。
さみしいな。
そう思って手紙を書きました。読んだ?読んだからラインくれたのかな。
ありがとうね。
実はね、あの日、もうブロックされてると思ってて、どうせ届かないし好き放題言っちゃえ〜てなったの笑
うれしかった。
初めて、コミュニケーションがきちんと一往復した感じがした。
ということはこの_ヶ月間の私は、一人相撲だったのか?_さんはずーーっと隣にいてくれて、きいてもないのに始まる自分語りに静かに耳を傾けてくれていたのに、私は見栄と性欲と妄想に振り回されていただけだったのか?私は一体なにと戦っていたのだ、to be continued...
これくらいにしとこう。もう十分伝わったからね。
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出会う前と後で、明らかに異なっています。いろいろな事柄が。事柄に対する私の反応が。
当事者としての人生に直面したというのでしょうか?役割を演じるのではなく、目標から逆算するのでもなく、、
今までの私にとって人間関係は利害と役割だったので、この構造はとても新鮮で、むずかしいです。
とてもchallengingだな、と思います。
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自意識過剰で保守的で不器用で、めんどくさい・まわりくどい・しんきくさいの三位一体みたいな私につきあってくれて、本当にありがとう。
あらためて、_さんのことが好きです。外見だけじゃないです。この場合は_さんの私に対する態度が好きという意味。
やさしい人。
臆病で、極端で、疑い深くなることが恋なら、もう、やめたいな。
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