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はてなキーワード: 院試とは

2021-07-30

明日院試なのに眠れない

明日の午前から院試なのに眠れずこんな時間になってしまった。

もう諦めて、今日早く眠ることにかけるしかない。

決して私が普段から昼夜逆転生活をしているのではなく、なんなら規則正しく生活してきたし、むしろ徹夜なんてこれまでの人生で初めての経験になる。

完全に院試不安で眠れない。

こんなに内部進学の院試ストレスがかかるとは思わなかった。

自分試験ストレスにはめっぽう強いタイプだと思い込んでいた。

学部入試の時も、適度に勉強して旧帝大理系学部に現役合格することができた。

親や友人から、誰々は受験ストレスで病んでいる、とか、浪人して発狂した、という話を話半分に聞いていた。

自分とは縁遠すぎて、へー、そんな奴もいるんだな。としか思わなかったし、浪人したらあと一年のんびりできて最高だなとも思っていた。

そんな私が、世間的には通って当たり前のような風潮がある大学院入試不安すぎて夜も眠れない。

そもそも私は試験ストレスに強い人間でもなかったのだろう。

学部入試の際は、高校校風もあって、ある種浪人しても当たり前のような風潮があった。

浪人という逃げ道があったからこそ、そこまで追い込まれことなく、伸び伸びと勉強受験ができたのだろうと今になって気づいた。

それに対し、院試、ましてや内部進学の者にとっては通って当たり前の試験である。落ちるなんて考えられない。

という世間的な評価に対し、私の志望する大学院は倍率1.5倍の完全一試験勝負である

さらに、学部合格最低点ギリギリで通った私は、優秀な同期たちと競い合わねばならない。

決して同期たちに勉強時間で遅れをとっているとは思わないが、あまり勉強してない彼らが、私よりもはるかに簡潔で明瞭な解答を作っているのをみると地力の差に打ちのめされそうになる。

少しでもその差を縮めるためにも当日は万全のパフォーマンスで臨みたかったのだが、こんな状況になってしまった。

2021-07-07

anond:20210707213922

院試なんて凄いじゃないか!!

このご時世にさぞ目標をもってらっしゃるのだろう

出来る!増田なら頑張れる!偉い!偉い!

もしも落ちても増田に還っておいで!

褒めてほしい

最近疲れてるし梅雨のせいか頭痛毎日するのでまじで気が滅入ってる。

他の人から見たら全然ダラダラしてるように見えるかもだけど自分なりに院試勉強頑張ってる。

誰でもいいから褒めてほしい;;

日記

水曜日

今日は頭がいたいので休もうと決める。

院試勉強したくはないけどこのまま内定先に就職するのも嫌だ。

もうすこしちゃんと考えて就活すればよかった。

;;

2021-03-19

俺の電気通信大学大学院(都内理系)卒業までの6年間

こんにちは

突然だが俺はもうすぐ電気通信大学大学院卒業する

そこで卒業にあたって、情報共有と備忘録目的に6年間の系譜をここに記そうと思う

高校生

プログラミングに興味を持つ

埼玉偏差値60ぐらいの高校に通っていた

ゲームが大好きで当時は家に帰ると深夜3時までネットゲーム寝不足で授業爆睡という感じだった

ゲーム作りたいという意識が芽生えて見様見真似でプログラミングを始め、理系志望になった

関東国立理系情報は限られる

理系志望になって気づいたのは私立学費が高いということ

から埼玉の家から通える国立に行けといわれ、不幸にも電通大に進学を決めてしま

灰色大学生活が幕を開けた

電通大1年】

最初から陰キャに厳しい電通大

最初から新入生合宿があって北関東に知らない奴らとバス旅行した

これで友達ができるかと思ったが、なんと陽キャグループとそれ以外が自然と分かれる

俺は自然陰キャ側へ、しか守備範囲バラバラオタクトークが盛り上がることはなかった

旅館では陰キャは全員すぐ寝る、陽キャは深夜まで大騒ぎ

これがオタク大と言われた電通大現実なのかと戦慄した

・授業も陰キャに厳しい電通大

授業が始まるとクラス分けされた高校みたいな日々が始まった

1年はだいたい全員同じ授業で履修の自由度は皆無だった

既に教室には合宿形成されたコミュニティに別れている

陽キャの固まりが1つ、やや陽キャの固まりが2つ

散り散りになった陰キャ達に居場所はないし、後から仲間に入れてとも言えない雰囲気だった

大学生活終わったと思った

・助け合わないと生き残れない

意外と授業は簡単過去問大学が公開するなどぼっちに優しかった

時間割高校に比べるとスカスカで暇すぎて時間を持て余していた

もう精神さえ保てば大学ぼっちでもいいかなと思い始めたところで

体育と実験が始まった

[体育]

電通大には体育がある(必修)

中学の「はいペア組んで〜」が大学でも発生するとは思わなかった

やめろ

[実験]

1年は週に3時間ぐらいの実験があった

2人1組でペアを組む

ペアを組まなくてもいいが実験効率は半分になる

協力が大事

やめろ

そういうわけでいくら勉強がどうにかなっても知り合いを増やさないと精神が摩耗するのは明らかだった

俺は早急に単独行動者に声掛けを行ってなんとか生きるための知り合いグループを作った

無慈悲な別れ

なんとか1年間過ごしてみたが

当時の電通大は2年からは専攻ごとにクラスが分かれた

頑張って繋いだ薄い人間関係は専攻分けでズタズタに寸断された

電通大2年】

・慣れた

開始直後に生きるための知り合いグループを作った

このタイミンググループに入る重要性は去年痛いほど学んでいた

授業は相変わらず楽だが、面白くもなかった

内容としてはプログラミングを少しやるかぐらいで基本的には数学勉強が続いた

サークル重要

2年からだがサークルに入ってみたところ利害関係のない友達ができた

飲み会というものに生まれて初めて参加した

精神的な安定感や大学への通学欲が増したのは確かで人間関係重要性を再認識した

電通大3年】

・楽しくなってきた

3年になると勉強が専門寄りになってきて一気に面白くなった

そうだよこれを待ってたんだよ俺は

人間関係も2年生で培ったものを引き継いで安定した

時間を持て余してゲーセンに通っていた

研究室配属

4年生から研究をやるために研究室に分かれる

他の大学理系もだいたい同じだと思う

電通大では3年生のうちに学生が行きたい研究室希望を出し、成績と面接教授から選ばれる

俺の研究室選びは就職先を何より重要視した

有名企業に行くために大学に通っているんだから就職の悪い研究室なんて行きたくない

ずうずうしく質問して回り徹底的にサーチした

分かったことは研究が強い研究室就職も強いということ

就職先は研究室次第でかなり偏りがあると感じた

最後学生生活

研究室配属が希望通り決まるとまともな学生生活はこれで終わりなんだと実感した

研究室には春休み夏休みもないと聞いていた

大学院に進むことは決めていたか就活はしなかった

電通大4年】

研究室生活

研究室に配属が決まると

大学生活は研究室生活になった

毎日研究室に行き、自席でプログラミングする毎日が始まる

興味のあることでもずっとやるのは気が滅入るなと思った

・何かに追われている

研究室は1週間に1回、進捗報告があった

しか研究はどれだけ頑張っても成果が出ないことがあった

大学でも家でも研究成果を出さないといけないという気持ちになり

報告までに研究成果が出ないと憂鬱気持ちになった

院試に落ちる不安

俺は大学院に進む前提で将来を考えていたため3年生で就活をしていない

院試に落ちたらどうしようと思った

結果的には2月から早めに勉強していたのが功を奏し、危なげなく院試合格した

・とはいっても楽しい

研究室自分の席があるというのがまず楽しかった

研究さえすれば研究室マンガを読んでも怒られない

夏冬もエアコンつけ放題で、電気代的に家にいるより良かった

同期と切磋琢磨するのもエキサイティング

電通大大学院1年】

・何も変わらない

大学院に進むと授業がほぼない

ただ研究をやるという日々が変わることはなかった

自分との戦いになってきた

学会で発表

自分研究海外学会で発表した

ポスターを壁に貼って近づいてきた人に英語説明する

そんなの無理に決まってると思っていたが

俺の英語が下手だとわかると英語話者も優しい英語で話してくれた

海外に行ったのは初めてで、渡航費は研究室持ちだから興奮した

就活がある

から就活を始めた

インターンに行くと宮廷早慶の多さに驚いた

電通大一般知名度が低い

大学名を言うのが若干恥ずかしかった

でもだいたい知ってくれていて良かった

インターンからの早期選考内定は冬には出た

第一志望だったので満足

電通大大学院2年】

・何も変わらない…だがコロナ

去年と変わらないがコロナ学会が中止、延期、オンライン

研究海外に沢山行くという夢が絶たれた

・そして卒業

とくに何も起きずに卒業を迎えた

【総括】

Q. 電通大で良かったのか

A. 分からない

3年生から先の勉強は楽しかった

就活成功といっていいはずだ

後半は貴重な友人もできた

しか自業自得でもあるが、一般大学生のような学生生活は送ってこなかった

まれ変わったら文系に進んでもっと別の大学生活を送ってみたいとも思う

Q. 大学生活のターニングポイント

A. 研究室選び

研究室選びは就職先に直結すると思った

教育してくれる度合いも研究室ごとにバラバラ

得られる経験も機会も研究室によってバラバラ

研究室選びに成功するのが何よりも大事だと思った

10年後これを読んで笑っていられる自分がいることを願いたい

それからたまたま見かけた誰かの参考にもなれば嬉しい

2021-02-27

大学院に行くのがシンドイ

気持ちが落ちつかなくて、twitterの140字では収まらなくて、ずっと見る専だったここに初めて書き込む。

受かった大学院行きたくない

わたしの専攻は入試的にはゴリゴリ理系だったし、宮廷レベル大学なので周りはみんな院に行く。それでわたしも3年生の12月までは自分の専攻の大学院に行くつもりだった。でも、わたしの専攻はいわゆるピペド的なやつ。企業連携している専攻もあるらしいけど、わたしのところはそうではなく色々ググったら就職の役には立たない事を知った。専攻で学んでることは好きだけど、卒論もやってないのに研究修士二年やれるのかわからないし、その後就職する見込みがないなら院行く意味ないと思って、4-6月卒論進めながら教授かに相談して決めようと思ってた。

そこにコロナが来た。

4月から大学は必修授業のない学生立ち入り禁止で、教授とは一度も顔会わせず月一の研究計画書の提出と添削だけ。これがずっと続いたらやばいと思った。研究に向いてたらいいけど、向いてなかったら二年地獄だし、zoom会議もしてくれない教授研究室なんて…

この時点で誰かに相談すればよかったんだけど、友達とか全然いないタイプ人間なんだ。同じ学部に話したことある人はいないし、軽音サークルの人とは音楽の話しかしない。就職課やエージェント?に相談する勇気もなく、教授コンタクトをとる方法がわからなかった。ってか、レポートとかじゃない私用でメールを出すにはメール送信許可事務にもらう必要があると思って必死HP申請書探してた。今思えば阿呆らしい。

三年の時民間インターン10回くらい?申し込んでいたけど、いつも適性検査で落ちていたか民間は無理だと諦めてしまった。

座学だけは出来たので、色々ググった結果公務員試験なら受かると思ってギリギリで申し込んだ。初学の法学区分で受けたけど、試験が遅れたおかげもあって余裕で通る。でも、面接で全部1日目で切られた。で、公務員試験が遅れたから、官庁訪問終わった時点で院試の出願期限三日前。公務員試験クリアすれば官僚になれると思ってたんだよね。こんなことな地方とかも出しとけばよかった

それで院試出そうと思ったけど、やっぱり研究に適正あるかわからんし、ブラック研究室匂いがする。迷ってとなりの研究室にアポ取ったら、去年の研究不正処分がまだ決まってなくて実験許可がでないかもと言われた。今いるm1は秋には全員研究移籍するらしい。そんなことある?色々調べてるうちに出願期限、不戦敗なっちゃった

秋に卒論やりながら、自分にはそこそこ研究適正あるなって自信がついた。

で、似たようなことやってる文理横断系の地方大の院を見つけて藁にもすがる気持ちで出願した。

でも、受ける前からずっと行きたくない気持ちがあった。その大学じゃ文系の院卒だし、そもそも専攻自体就職いから、文系院卒じゃ未経験就職キツイって聞く。だいたい、それやるのになんで地方行く?っていう話。今の研究室より確実にランクも落ちる。でも、今年の卒論優秀賞も貰ったのに留年するのも嫌で、受けに行ってアッサリ通る。

卒業決まって進学先に挨拶とかしなきゃいけない、それがマジでしんどい。贅沢な悩みよね、留年すればよかったじゃんって声が聞こえる。学部内で優秀な方だっていうくだらないプライドだったな…院のあいだに会計士でも取ろうかと思ってるけど、その時にはもう同期には追いつけないだろうな

2021-01-23

修論間近で鬱が悪化した

どうせ学生だろ、甘えだよ、と思われても仕方がない話だ。

だが実際心の片隅では学生で居続けるよりも速く社会人になりたい気持ちが勝っている。

大学3年の頃から睡眠障害があったがその頃はたまに通院しては半年後にふらりとまた病院に行く、程度だった。

大学院進学で別の大学に進学したいと兼ねてから思ってたので院試に向けて勉強、無事合格、そして進学した。

研究実績もほとんどないような大学からハングリー精神あふれる大学院へと進学した。

身の程知らずだった。知識もやる気も不十分だったのだ。

入学当初はやる気に満ち溢れ、新規テーマ自分提案した。

気がつけば目標到達点の1合目程度で止まっていた。進め方、発展のさせ方がわからなかった。

教授陣はあなたの好きなように決めて、あとはあなたが考えるべきだ、とミーティングの毎回最後に行った。

当然だ、このテーマは周りにやっている人がいない。新規開拓で皆がわからないんだ。

それも間違いだった。先輩のテーマを引き継ぐべきだった、と今になって思う。

やがて布団から出られず、眠れず、起き上がれない状態朝日を迎える状態が多くなった。

残された正気大学カウンセリングに通った。

薬に頼るべきだ、という話になった。

それだけではなく、臨床心理士の方から学習障害があるのでは、という流れになった。

残された正気心療内科に通った。

鬱と不安症、気がついたら膨大な心理テストを受けることになり、ADHDであることが分かった。

心理テストに分かったのはそれだけではない。

言語処理能力(行列推理など)のIQが極端に低かった。平均未満。

理系で非言語処理能力IQ一般人未満の中、修士まで進学してしまったという大事故。

通っていたカウンセリングも日程を2回連続で忘れてすっぽかして気まずくなってから行っていない。

修士論文の締め切りまでもう両手分も残されていない。

怒涛のように先生から来るチャット

進捗はどうか?

先生コロナ言い訳に在宅をさせてもらっていますが年明けから布団から出られません。

ここ2年間、好きだった自炊家事も全くできなくなりました。たまるゴミ袋。50m先までゴミ出しに行くのも面倒なりました。

なんて言えない。現状は同期を含めて誰も知らない家族も。

進捗はどうか?

先生、昨日は布団の中でアニメ版エヴァ最終話だけを見ましたよ。今になってようやく意味がわかりました。

自分の殻に閉じこもって自分が嫌いで周りに嫌われていると思っている現状がシンジとまったく一緒です。

10歳も若いシンジがこんな気持ちになってるなんて周りの大人は何やってんだ。

結局修士に進学して、卒業わずかな現在教授からは放たれた言葉はこうだった。

「その研究新規性はなんですか?」

2021-01-01

anond:20201231161221

博士課程進学の話じゃなくて?うちは9割以上は修士修了だった

学部卒で就職する人は、経済的事情院試落ち、とにかく早く社会人になりたい、いずれかの理由持ちだったな

2020-12-26

TUTちょっと良かったこ

アドベントカレンダーからリンク先が思いつかなかったので、ここで生成する。)

TUTTUT

はい、そういうわけで、ですね!TUTちょっと良いところ、言ってみたいんですけど!

東京工科大学だと思った人、残念ながら帰っていいですよ!

今はホットなのはそっちのじゃないほう大学です、ギコ大です!技科大です!

ちょっとあらぬ感じアレだったことを観測したので・・・時を戻そう。

(この記事12月23日のアドベントカレンダーからリンクされています、ていうかする予定ですという分かりづらいボケです。

 だって26日より先が空いてなかったどころか枠がなかったんだもん。もんじゃねーよ。)

そもそも豊橋駅技科大敷地は同列に語るべきでなくて

都会度というか、その辺りは

豊橋駅<<(超絶超えられない壁)<<技科大

で、私自技科大から豊橋駅に行くには上京する心づもりでした。

あとこれは200x年頃のお話なので、今は全然違うかもしれません。

環境

豊橋さらに奥の僻地にあり、近場のミニストップを神のライフラインとして崇めていた

・その次に近いのが徒歩10分位の距離にあるすき家(都会のライフステーション

イオン初日に行った帰りに迷うほど、目印の少ない牧歌的風景

・そんな感じなので、基本的に車がないと人権がない

・最低でも原付は欲しいところ。なので学内原付の売買がお盛ん

・それでも鋼の意思チャリと徒歩で生き抜くならば毎日エクササイズという特典が

・なのでお出かけの基本は車となり車を運転できる人間はそれだけでデキるやつだった

・車に全員載らない場合は車と単車原付場合によってはチャリで編隊されて行軍する

大学はそれくらいの秘境にあるので、その寮へのネット回線はボッタクリナロードバンド月5000円一択のみ

貧乏学生ライフライン業務スーパー普段生活のみならず学園祭仕入れにもお役立ち

・なんで飛んで火に入る夏の虫のごとく、緑の看板には生活を求めて日々飛んで行ったよね

ブレーカーを数部屋で共用する男子寮ドライヤーひとつで数部屋を道連れにするスリル

・当然クーラーなんてないよね~、あん貴族嗜好品。夏の猛暑アイスノンと扇風機で生き抜くサバイバル

・当然激セマ君ではあるのだが、寮費が光熱費込みで1万も行かなかった(5000円位だったか

貧乏学生をしていたので、食堂はあまり記憶にございませんねぇ

バカ舌もあって味噌ラーメンとかはそんなに悪くなかったような

⇒そんな感じで、今や絶滅種の「昭和貧乏学生生活が送れる素敵な場所です。

◆勉学回り◆

学生ほとんどは高専病に起因する英語ヨワヨワなんで許してあげてほしい

・というか高専教育が悪い。今は変わってきてるのかもしれないけど

中学から受験以降、受験とほぼ無縁で単位取得のサバイバルのみで生き延びた学生が多いイメージ

・なんで、興味範囲以外はいかに取りやすいかいかに出席や提出物が少ないかが授業選択の最重要ファクター学生がいたとかいないとか

自分の居た系のみかもしれないが、大学で割り当てられるアカウント個人領域ディレクトリ学生番号出来られていて、他からも見ることができた

・そこには過去の学年のレポートとかが眠っていた。なんで、そこから引っ張ってレポート提出する学生もいたとかいないとか

・だがまぁ、それは誰しもが考えるので、過去の有料レポートを提出すると中身同一レポート教授のもとに集まり、諸共無言で最低点の裁きを受ける

・なんか学生課の職員の人が異様に態度LLだった気がする。

院試自分苗字名前ケアレスミス無く書ければ徹程度の難易度

・なんて状況がまた単位効率コスパ厨を醸成しているのだけど

先生ダイバーシティの極みの極み、二重の極みで、まともな人、あきらめ系、変人などなんでもござれだった気がする。

・他と比較できてないかわからんけど変人比率は高かった、と思う

⇒背景、状況から普通ではない」ふいんきなぜか変換できない)が醸成されていたのは事実かなぁ

サークルとか◆

・そんなわけで、高専から入学ほとんどの技科大サークルちょっと関係が難しい

・具体的には3年生新入部員と2年生の先輩部員という時空のひずみ

とはいえ、3年生新入部員と3年生先輩部員も発生しうることから大概は学年で先輩後輩関係は形作られる

・ただし、そこにさらに時空の法則を破る留年先輩が出てくるがそうなるともう、年齢で判断することになる。

そもそもサークル活動的なのはまり活発ではなかったイメージ

・ほぼ男子校技科大生のあこがれ「愛知大学」との連携女子とのキャッキャウフフを夢見る生徒も多かったとか少なかったとか

・あ、そうそう。サークルだけではなくて愛知大学連携していて、確か愛知大学図書館も使えたはず

・数式をおかずにして飯を食えと言わんばかりの糞高い技術書しかない技科大図書館に比べて、文学教養の良書がタダで借りられる裏技があるんですよ!

陽キャは居たにはいたけど、レア種でしたね。居ても、フェードアウトするとか。3年の夏休み前にパチプロになると聞いて以来、音信不通の彼はパチプロマガジンかに出ているのかな。出ているといいな。

なんだろう、ぱっと思った限りこんな感じ。

うーん、まぁ学生生活にはちょうどいい閉塞感で、自分としてはこの環境を楽しませてもらいました。

なんか思い出して行きたくなるくらいには。

社会人だと厳しいか、な?

引きこもりの私には何の問題もないけどそれはなんというか、属性問題かな。

産休も育休も権利だけど、何にも考えないでいいわけじゃないと思う

いま大学4年生で、来年から別の大学の院に進学することが決まっている。

理系の人ならわかると思うんだけど、大学に進学するというよりかは、研究室に進学するって意識が強い

進学先で指導教員となる予定だった先生が、そろそろ子供が生まれから来年半年間休むらしい。ということを人伝に知った。

何も休むなとか言ってるわけじゃなくて、どうして直接言ってくれなかったのかと思う。他の研究室候補にあったし、半年間も指導してもらえないなら他の研究室に行ったと思う。今の研究室に残ったってよかった。そもそも院試受けるときは何回かオンラインで話したけど、そのときはわかってなかったのかな?

なんかもやもやした気持ち

2020-11-16

ペーパーテスト以外が全くうまくできない

から勉強はできたので高校受験大学受験まではうまく行ったけど学力以外が評価されるようになると躓いてしまった。

まずは大学4年次の研究室所属。人気の有る研究室だと定員を超えると面接があり希望が通らないことがある。

俺の場合希望者6人定員5人だったけど、一番成績優秀だった(らしい)俺が落とされ、全然希望してなかった研究室所属することに。

次に院試。結局合格はしたんだけど成績開示すると面接と小論の得点が3割もなかった。学力試験TOEFLの点数が良かったかギリギリ受かったらしい。

今は修士二年。コロナ禍ということもあるかもしれないけど、面接からず未だに内定ゼロメーカー学内推薦を5つくらい応募したけど学内選考で全部落とされてる。

から勉強だけすればそのうち報われると思っていたから、部活恋愛バイトもせずに学力に全振りしていた。しかし、コミュ力重要になってくるとどうにもならない。

今年24だけど彼女どころか気軽に話せる友人もいない。後悔しかない。

2020-10-21

中流家庭で育ったけど、自分貧困層になりそうで嫌だ。

都内の親元暮らし国立美大大学四年生。一応目標は院進してドクターになる事(その先はしらん

けどドクターになってどうすんだ??美術系なんて全く食えない。特に自分ファイン系だからなおさら。非常に困った。

困ったけど何故か焦りは無い。なんでだろ。

うちの大学の8割は就職しないからかな?不思議となんとかなる気がする。

弟は地方国立大。兄弟そろって国立親孝行ですわ。(なお自分も弟も一浪

なので家計も逼迫してないと信じたい。かじれるスネがあると信じたい。

一応中流家庭だったか旅行はよく行ってたし、外食もよく行く。学校でもまわりは中流以上だから気軽に友達飛行機とって海外行ったりした。

車も一応外車で、保険も出してくれるからよくドライブ行ってる。

この生活が今後できるのか、、?

ある程度の贅沢を知ってしまった身として貧困は耐えられない。

車は安いのは無理。

気軽にグリーン車乗りたい。

海外旅行は最低2年に一回行きたい。

鰻は月1じゃないと、、。

けど働きたくない。どうしよ。

一応貯金は250万あるから積立nisaを始めて気を紛らわし、宅建勉強をして親のアパート経営を引き継ぐ方針で生きていきます。なんとかなるやろ。

取り敢えず、院試勉強しますね。

私はなんとか大学院を出た。

院試を受け合格通知が来たときから修了後2年ほど経った現在でも、学位に見合った実力は自分にはないと思っている。院に受かったこ自体、今でも信じられない。

学生ときには自分が何をテーマに、何をしたいのか、自分のために考え、それなりに手も動かしてできる限りのことはやったつもりだった。

だが、いまだに自分がどうしたいのか、どんな思考によって創作という行為をしているのか、それによって何を期待しているのか、何もかもよくわからない。

とはいえまずは経済的に自立しなければならない。何をするにもお金必要だ。生きていくにはお金を稼げなくてはいけない。

そして学生の期間が終了したら社会に出なければならない。社会生活を送らなければならない。私は自分作品が金になるとは思えなかったので、なんでもいいか会社員になって安定した収入を得ることが第一だと思い、中途採用という形でなんとか就職することはできた。創作云々は、社会生活を送りながら時間をつくってやればいいのだ。

基本的に、私は自分を信用していない。信用できない。

過去に様々なトラブルに遭遇し、それは自分にも非があることが多いからだ。

あのときちゃんと断っていれば、あのときちゃんと逃げていれば、あのとき本当のことを言っていれば、あのときちゃん自分の考えを伝えていれば。

様々な後悔があり、その大半は十数年経ったいまでも引きずっている。ネットのどこかで見た表現だが、「宿題を終わらせていない夏休みの最終日が毎日続いている」ような感じだ。

すっきりしない。肩の荷が下りない。毎日かに懺悔し、後悔し、罪悪感でいっぱいになり、無力感に襲われる。

過去自分判断力、行動力を、いつまでも責めている。そんなことしても無駄だとわかってても、過去自分が許せない。いや、自分にしてはよくやったほうなのだとも思うが、それでももっと最善を尽くせたのではないか

仕事自体楽しい職場環境人間関係も悪くはない。そもそも正社員として会社に入れたことが恵まれていることをもっと感謝しなくてはいけないと思う。

現状にもっと感謝しなくては。私はまだまだ全然良いほうなのだと、もっとありがたみを持たなければ。

一体なにに不満があるというのか。なにが「しんどい」だ。そんなこと言える身じゃないだろ。甘ったれるな。

から傷つけられたこともあったが、自分も知らないうちに人を傷つけているのだろうし、傷つけた自覚があることもある。

大学時代は楽しかったけど、その楽しい思い出を卒業後の自分言動でどんどん壊していっている。崩壊しかけている。

自分で撒いた種だとわかっていても、やはりあのとき無理してでも、表面だけ取り繕ってでもやっていればよかった。

グループに居づらい。連絡を取り合うのは年に数回程度、誰かが結婚してその招待がきたときくらいしかしない。グループに向けて言葉を送っても、明らかに私に対してだけ返信がない。反応がないというのはこんなにつらいものなのか。

無視もつらいが、それに感づいて哀れんで別の子が返信してくれる、それもまたきつい。心のどこかで馬鹿にしてるんだろうな、「気を遣って返信してる自分」を大人だと思って悦に浸ってそうだなとか考えてしまい、そんな自分がまた嫌になる。

こんなことで悩んでても仕方ないのだが、心のどこかでずっと引っかかって、気持ちが悪い。こんなこと悩んでても仕方ないのに。詫びのプレゼントでも送ればいいんじゃない?行動に移せよ馬鹿

なんでこんなことを書き、誰かに向けて発信したいのだろうか。

聞いてくれる人が周りにいないからだ。

2020-10-03

兵庫県立大学大学院 情報科学研究科 博士前期課程2021年入学一般入試

兵庫県立大学大学院 情報科学研究科 2021年入学一般入試 受験

2021年度開設であるので、今年度は全く情報なし。

この冬に予定されている院試受験者と、来年度以降の受験者のために内容をメモしておく。

前提として私の背景は下記となる

入試

研究科のページから教員一覧に目を通して、やりたい研究に近い研究室で学生ウェルカム感のあるウェブページもつ先生に連絡した。

そのあとオープンキャンパスに出席し、そこでの座談会で事前に連絡させてもらった先生と話したが、どうも研究テーマ研究室とミスマッチ感がでていたので、その先生に他の先生を紹介してもらった。最終的には、紹介してもらった先生第一希望受験申し込みをおこなった。

研究計画書

つの項目について2ページ以内で書かないといけない。

いわゆる"研究計画書"・"論文"みたいな仰々しいフォーマットではなく、見出しフォント大きく、太字にして、必要なところはリスト形式にして、と、口頭試問前提の読みやすさ重視のフォーマットにした。

例えるならGitHubのREADMEのようなフォーマットで書いた。といっても下記については一般的なレポート記法に従った

志望動機

半ページ強を使った。内容としてはざっくり下記の3点を記載した。

現在もしくはこれまでに専門的に取り組んだ研究(例えば卒業研究)等の概要

半ページ弱使った。卒業研究はどうも書きづらかったので、幸い長いこと取り組んでいるプロジェクト研究ではない)があり、そのプロジェクトについて、研究ぽいとこだけ抽出して概略を書いた。

博士前期課程修了後に希望する進路

2行程度書いた。博士後期課程行きたいけど、そのとき金銭事情にもよるから未定ということを書いた。

入学後に取り組みたい研究について

2枚目丸々1ページを使った。

構成研究テーマ名・背景・方法・成果

背景・方法・成果で1/4ずつ、加えて残りの1/4に研究テーマの概略図(パワポ1枚みたいな)を載せた。

下手なこと書いて口頭試問で痛い目に合わないことを意識して、とにかく専門用語・具体的なアルゴリズム名は避けるようにした。

統計機械学習なら、平均・分散までしか使わない。SVMディープラーニングなんて言葉は避ける。可能な限り高校生でも知っていそうな言葉だけ使うようにした。そうすると参考文献を書く必要もなくなり全体的にスッキリした体裁になった。といいつつ専門用語まったくないのも薄っぺらい気がしたので、確実に解説できる1語だけを記載して、その1語には参考文献の番号振って、ページ末端に小さいフォントで参考文献を記載した。

あと、提案手法評価方法だけはすごい意識した。このあたりは"研究計画書の書き方"で、グーグル検索してもらったほうが詳しい。

小論文

会場は大きめのホール受験生は30名ほど。多くの受験生はスーツだったが、Tシャツジーンズ受験生もいた。試験当日の座席配置と合格発表の番号を見るに私服受験生も受かっていた。

問題は2問でた。

必答1問 A4 1枚

"研究科で何を学んで何に活かすか"みたいなテーマだった。私は具体的な志望業界があるので、データ分析に関する研究をして、その業界研究職でこういう仕事がしたいということを書いた。

選択1問 A4 1枚

テーマから選ぶ

  1. あなた企業データ分析業務の立ち上げをすることになった、社内で人を集めるか or 外注するか どちらか選びその理由を書け
  2. データ収集-データ処理-アルゴリズム-可視化を通じて、社会課題をどう解決するか。
  3. 生体情報が普及した場合医療現場はどう変わるか
  4. 企業情報漏えいをなくすためにはどうするべきか

私は2を選んだ。具体的なシチュエーションを想定したうえで、下記のような観点で、ストーリーを作った。AIビジネス/ビッグデータビジネスの事例の本で読んだことを項目にあてはめて回答した。

口頭試問

待合室として教室に移動させられる。1人30分で、口頭試問は3会場あって1人ずつ呼ばれる。試験時間は当日に案内があった。一番遅い人は4時間待ちだと思う。待合室は比較的出入り自由。待合室にスタッフがいるわけでもない。自分試験時間に待合室にいればよいと案内あったが、途中、試験時間時間変更があった。受験生は各々スマホいじったり、トイレにたったり、おそらく外出もしていた。すごい暇なのでスマホの充電は十分にしていったほうがいいと思う。

試験会場は少し狭めの教室希望をだした先生+3~4名の先生方が長机に並んでいて、その前にパイプ椅子がおかれているような形式先生方はおそらくコース混合だったと思う。

希望先生から研究計画書に書いた統計用語から発展した内容の用語について説明できるかという質問があり、教室の黒板を使って説明した。たまたま口頭試問対策でヤマはってた質問だったが、対策していなければ答えられない用語だった。必修講義統計基礎レベルではでてこない用語で、統計応用レベル教科書でこんなこと書いてたなという内容を説明した。といっても決して"専門書"レベル範囲ではないので、私が勉強不足なだけかもしれない。分からないことは分からないで通して、しどろもどろになりつつ自己採点100点満点中40点ぐらいの説明になった

そのあと他の先生方も含めて、いろいろ質問を浴びせられた、なぜこの研究科を選んだのかとか、なぜこのテーマをやるのか、どうやるのかとか面接に近い感じ、研究計画書に書いた、これまでの研究希望進路についてはとくに聞かれなかった。終始、なごやかな雰囲気ではあった。

こんな雑多なメモだが、役に立つと嬉しい。

2020-09-29

anond:20200929104822

切れたので分けました

・このように私は研究職向いていないのではないか就活は①にすべきでは?と思うのだが、ただ、両親や教授就職課のお兄さんは、このまま理系就職した方がいいよって言うんです。

・母は、私がさっき挙げた研究職向いていないと思う要素のほとんどは、別に他の職種でも必要能力なのだから別にあなたはどの職種も向いていないのよ。そもそも働くのが向いていないのよ、でも就職しなきゃいけないの、と言うの。

・私は高学歴なのか?まあ一般にはそうなのだろうな。学歴足切りはされない学歴だとは思う。そりゃ東大とか偏差値的に上はいるけどね。

この大学に行きたくても入れない人は沢山いるんだよ、は色んな人に言われた。

就活を始めてインターンとかで他の学生所属を聞いて、エッ、優秀な化学系の大学って日本全国にめちゃくちゃあるじゃん!私その中じゃめちゃくちゃちっぽけじゃん!マジムリ!と思った記憶はある。狭い研究室の中で井の中の蛙をやれていた頃は幸せだったなぁ、とも当時思った。

まあ私の大学も、そのめちゃくちゃある優秀な化学系の大学ひとつではあるのだろう。

理系就職しないとしてじゃあどこに行きたいの?特に希望無いんでしょ?とも母に言われた。それはそう。大卒平均(できたらうちの大学卒業生無難金額くらい)は稼ぎたい、とはふわっと希望している。化学系の研究開発以外で何の業界があるのかどんな職種があるのかもよく知らない。知らない幸せがあるとM1の時は思っていた(就活視野を広げない言い訳とも言う)。あーあと敢えて言えば文系就職としてもいわゆる人気な業種は怖い。知り合いにいないのでよく知らないが、金融とか商社とかコンサルとかその辺ね。

就職課の人に言わせれば自己分析が足りないのだろうな。自己分析自己PR全然かけなくて1月かに発狂しながら作った。

・あれかしら、本当に退学しないまでも、第二新卒就職するつもりで少し就活するのはありだと思うの。下を知るべきかしら。

そういえば大学受験で病んだのも下を知らなかったのはあるかもな、と思っている。ハナクソほじってても入れそうな大学なんてひとつも知らなかった、高校の知り合いで、私がハナクソほじってても入れそうな大学に入っている人をかけらも知らなかった。

3年生の時に、今の学力そのままで受験になったとして入れそうな大学はどこですかと聞いたとき怒って教えてくれなかった塾の先生は少し恨んでいる。逆恨みだが。

高校受験別に病まなかったのは、私がまだ世間を知らずにぽやぽやしていたか理想が上がらなかったのが大きいと思うが、下を十分知っていたのもあるのかもしれない。楽に入れる滑り止めが沢山あったのもある。

んーただ受験就活を同様に考えるのは危険かなぁ

嗚呼やだやだ忘れてた「大学受験もっと勉強すればよかったな病」を思い出しちゃった

でもね、しょーじき大学受験ちっとも勉強しなかったし、浪人生ときセンター前2週間くらいしかまともに勉強しなかった記憶あるけど、それでもうっかりそこそこの大学に滑り込んでしまったじゃん。それが悪い意味成功体験にはなってると思う。あの時なんとかなったんだから今回もなんとかなるんじゃね?みたいな。

・院進学はほぼ即決で決めたが、就活したくないから、文系就職絶対病むから、院進をすればきっと就活楽勝だろう、は理由の半分くらいであった。もう半分は、内部進学します!と言わないと教授研究室に入れてくれなさそうだったのと、実験レポートは好きだったのはある。

この手の、結論先延ばしにしたいというモラトリアム思考でここまで来てしまう、勉強はできる人ってありがちだと思うのよね。ほら見た?ちょっと前に私が書いた理想キャリアプランもさ、結論先延ばしにしていると思わない?

・これ思いつきなんだけど、自信が無いのって有機化学ができないと思っているからかな?もう一度勉強したら自信がつくかしら?院試もう一度解いてみる?失くしたと思うから誰かから借りてやらなければならない。

あーでもこれは躁による無謀な思いつきな気がする。怖いな。

・というか今絶対躁入っているのよね、どうしよう、自己管理ができない。昨日の夜も興奮して眠れなくてこの追記を書いていたら筆が滑って朝になってしまった。

トラバ返信でもしたように、やる気が出るときと出ないとき乖離が激しくて、私は勝手に躁鬱のケがあると思っているのですが、頑張れる時期は馬鹿みたいに頑張れて徹夜休日実験早出残業も厭わないでできるのですが、できない時期は御覧のとおり引きこもる、というかんじで、高校時代から苦しんでいる。

一時期ラミクタールに手を出したが、就活で不利になるかな、というのと、平日ラボを休んで病院に行くのが嫌だったのと、お前のそれは薬じゃなおんねーよと友人に言われて2週間でやめた。

・今までの文章を読んでいただけたら分かるかと思いますが、私はどうにも理屈っぽくて、特に自己を語ると理屈っぽくなり、行動に移すまでにものすごく腰が重いという悪い癖があります。あまりよくない性格だろうなと思うので、改善出来たらいいのにな、とは思っています。やらない理由を探すのが得意で困ってしまます

この理屈っぽさを研究でも生かせればよかったのでしょうが、残念ながらあまり生きることはなく、見切り発車で実験をかけて失敗することが多いです。

それから自分選択責任を取るのが怖くて、つい逃げの言葉を使いがちなのもよくないと思っています。うっかり、とりあえず、などの副詞をよく使いますが、責任を逃れたい意識がにじみ出る言葉だな、と思って本当はあまり使いたくありません。

それから、私は自罰的で自己批判的である、との評価は人からよく貰います。そのこと自体はそんなに悪いことだと思わないで生きてきましたが、自己PRがかけらも書けないのが本気で困っています

それからもしかして謙遜と私の自己批判は違うのでは…?」みたいな思いが少しあります

・私はこれまで相談室のようなサービスを使うのにものすごく罪悪感があって、いや、今でもあるのですが、まあこんな状態なら使う権利があるだろう、と思って使うことにします。コロナ渦で登校する学生が激減して空きは多いそうです。

・いや、罪悪感と言うより、敢えて露悪的に書けば、「手のかからないいい子でいたかった」という話だと思う。これはB4になったばかりの時にめちゃくちゃ思って病んだが、もう教授迷惑をかけることは気にしないことにした。

本気でだらだら書いてしまいました。これだから女の話はつまらないと言われるのです。

と言うことで就職課に相談に行こうと思います

たすけて、いけるんじゃない?と思うときと「もうだめだおしまいだ」と思うときが交互に訪れている。

2020-09-04

院試

なんか受かってたは

んじゃおれは人文系大学院修士課程)に進学してくるから……(25さい・男性

2020-08-28

anond:20200828163206

冬も院試はあるよ。できるだけ長く学生やろうや。大学院行ってからインターンとか全然あるぞ

院試落ち 教授からは才能がないと言われた23高学歴童貞運動音痴コミュ障子ども部屋おじさん

23歳がおじさんに該当するかどうかはこの日記主題ではない。

この日記は似た境遇経験した方々を探したいという思いと

自身の半生を振り返りたいという思いからつづる日記である

先日私は大学院入学試験に見事に不合格となり、春からの進路を失った23である

まずは現状をつづりたい。

東大京大には及ばないもの世間一般から高学歴といわれても差し支えのない大学

化学系の学部入学し、その後一度の留年を重ね、

卒論以外の取得単位を得たのち自大院試を受け落ちてしまった。

その後、院試の筆記の結果やいままで5年間の期末考査の出来などから

講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらず筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う。就職した方がいい」

アドバイスを受けてしまった。

次は、大学入学後5年間は化学以外の勉強インターン等のその他自身にとって有益となる活動を一切せず

滑り止めとなるような院試を受けずに油断していた私がこれから何をすべきなのか

自身の半生を振り返ることで考えていきたい。

小学生の時、私は体が弱く、そしてどんくさい奴だった。運動神経だけではない、会話の流れが早くなればついていけなくなるような頭の回転という面でもどんくさかった。

ただし、家庭環境は非常に良かった。

小学校6年間通して進研ゼミ(発展ワーク等のオプションを含む)を受講し、中学受験を控えた5,6年生の時には塾に通わせてもらったこともあり

学業で大きく後れを取るようなことはなく、

自身の頭の回転の遅さを自覚することなく育っていった。

そして、中学受験、私は志望校に落ち公立中学へ進学することになる。

(一つ言い訳をさせてもらうと、一般的な私立中学を受験したのではなく、公立中高一貫校のみを受験したため、滑り止めといわれるような学校受験していない)

中学校では、受験に落ちた悔しさをバネにし勉強をしたため、かなり上位の成績を維持することができた。

今思うと学業において周囲の人間に頼りにされていたあの頃が最も自己肯定感に満ちていたように思う。

しかし、高校受験、再び第一志望に落ちてしまう。今思うと悔しさをバネにできたのは最初の1年間で残りの2年間は惰性で勉強をしていたような気もする。

ただ、それでも曲がりなりにも周囲の人間よりも勉強をしていたこともあり名のある進学校の一つには合格することができた。

高校の時は文武両道を目指し運動部にも所属

生来身体の弱さから部内での活躍底辺であったがそこそこ真面目に取り組んだため楽しかった)

したが、

その後あろうことか娯楽を覚えた私は自身長所である学業の成績を大きく落とすこととなる。

その娯楽とはオタク文化なのだが、自身集中力を削ぐ一番の原因は、当時大きく普及したスマートフォンオタク文化と大きく相性が良かったことのように思う。

中学の時とは違い名のある進学校、1年という月日は周囲の人間自分学力の差をどうしようもないほどに引き離すには十分すぎる時間であった。

そのことに2年生時に気づくも3年に進学するまでの一年間では埋めることはできず、少し勉強に力を入れた程度では

その差をこれ以上広げないことしか出来なかった。

ここで私の当時の教科ごとの成績を確認したい。

英語、最も大きく成績を落とした科目、またどの大学を志望するにも必ず受験する科目でもあり、そして当時から現在にかけてまで私を苦しめる存在

数学中学当時最も得意だったが、平均以下にまで落ち込んでしまう。その後も学内平均を行ったり来たりを繰り返す。

国語中学の時から苦手であり、膨大な文章を読むと眩暈がするため真っ先に大学受験から切り離した。今思うとこれが不得意であることが頭の回転が遅い一番の証明であるかもしれない。

理科物理化学生物地学のなかで唯一化学けが学内上位の成績をとれた。これが化学系の学部を志望する要因となる。

社会センターのための倫政以外の勉強は一切しなかった。

化学しか得意科目がない以上理系に進学する以外道がないように思い、進学校であることも相まって国立理系志望となる。ただし成績不振であることから東大京大は目指せなかった。

3年生、国立理系志望、東大京大でなくとも名のある大学第一志望にしていた私は自身の成績では到底足りないことを自覚夏休みの40日間、22時就寝3時起床の生活サイクルを維持しながら合計600時間勉強を達成する。このモチベーションを維持したまま大学受験突入したこともあり見事現役で第一志望に合格。今思うと当日の入試問題たまたま得意分野が出題される、苦手分野は誰も解けないくらいの高難易度などいくつもの幸運が重なった結果であり、

担任教師からですら浪人すると思われていたが、合格した。

人生で初めて第一志望に受かった瞬間だった。

しか第一志望に受かったからと言って

その後にすべてうまくいくわけではない。

大学入学後、5年間、この期間を振り返るとあまりにも無為に過ごしたと言わざる負えない。

大学生たるもの学業以外の活動も行うが、アルバイトはどれも長続きせず、サークル活動では自身のどんくささから後輩から説教を受ける始末。

何も成しえないがしか学業においても多くの必修単位を落とし留年。1年後卒論以外の卒業単位をかき集めるも院試には落ちてしまう。

教授曰く、「講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらずあらゆる筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う」

とご指摘を受ける。また、TOEICの点数も非常に悪く驚くことなかれ400点以下。救いようがないのは事実

院試の結果が出た際、自身の親からは「大学受験の時ほどの必死さがなかった。」と指摘を受ける。

自分もっと頑張れば院に行ける人間なのか。それとも教授が言っているように向いていないのか。

上記のように自身が今まで頑張ったことが勉強しかない人生。その勉強ですら院試落ちという結果に終わってしまった。

就活、ほかの大学院受験など選択肢は無数にあるがどれを選択するのが自分にとって最善なのかわからない。

干渉ママから逃げた発達障害早大生のイマ

母は「女手一つで子どもたちを育て上げた立派なママである

しかし一方でたいへん過干渉な束縛ママだった。

ーーーまぁ、ここまでの話はよく聞く。

先日

https://ddnavi.com/serial/563023/a/

を読んだ。母子密着と共依存の話。見てみると面白い

ほんで

早稲田政経発達障害先輩が職場不適応を起こしている話を読んだ。

私の場合、深刻な問題が起きたのは、

母親から距離を置き、共依存関係が切れ、自力で生きて行かざるを得なくなった時だった。

就職活動である

母親高卒で、就活のことは全くわからないというタイプだった。

今まで「恋愛ダメ」「○大に行かないとダメ」「ママを養わないとダメ」などと言ってきた母親が、ここで急にハンドルを切ってきた。

「娘ちゃんの選びたいようにするのがいいよ。ママにはわからないし。」

めちゃ今更である

私は自分意思判断力で決定するという岐路に、唐突に立った。

ママを養わないダメなのかな…?」と、公務員試験勉強をやってみたり、安定した大企業面接を受けたものの、全くダメだった。

主体性ゼロで育ったお人形のような私が、

強い意志モチベーションを持って社会自分を示す同級生と闘わないといけない。

早々に心が折れ、一人暮らしの部屋で昼夜逆転適応障害になった。そのうち、一学年下の人たちの就活が始まった。

心療内科ガチ心理検査を受けた。

そこで判明したのがガチガチ発達障害(ADHD)と愛着形成からくる不安障害である

数値を見て「わはは!こりゃすごいね」と医者が笑っていた。

私は19歳くらいまで「偏差値の高い大学に入れば自動的人生薔薇色、大手企業で働けるのだ」

という母親第一書記洗脳を大真面目に信じていた。救いようのないアホである

そして早稲田大学滑り込み上京

母親という「最高指導者」がいない環境に放たれたADHD。在野の精神

…タガが外れ放蕩時代を過ごした。

ストロングゼロ中毒者みたいな精神状態を思い浮かべてくれれば雰囲気は合っている。

本当なら大学でも学友とコミュニケーションを沢山とってインターンサークルで結果を残し自信をつけないといけない。プログラミング英語も使い物になっておくべきだ。

こういうことの知識収集プランニングが全く出来なかった。まぁ頑張ってはみたのだが、足りなかったかもしれないし、怠惰だったこともある。

サークルコンテストで頑張った時期もあるようだが、適応障害ストロングゼロ生活記憶ボロボロになってから、それを生き生きと語ることが出来なくなった。

(頑張った気持ち、というのは瞬間真空パック出来ないので、早めにアピールして他者から評価にした方がいい、と思う。)

ともかく、母の「指導」を受けることが出来なくなった私は孤立し、無数の選択肢がある自由から逃げ出したくなった。自分で選ぶということをしっかりやってきた同級生に比べて自我がなく、きわめて幼なかったと振り返って思う。

これが母子密着、共依存を経て、唐突に野に放たれた発達障害者の怖さだと思う。

甘え、逃げ、依存思考停止責任放棄

親と共依存になった子どもが誤って学んでしまう悪癖の一覧である

子ども母親の言われた通りにやっていて、大学受験は大団円しかし後で大きなしわ寄せがやってくる。

就活で失敗したことをいくつか書く。

発達障害で言うと、

複数あるESの締切に間に合わない。落ちる。各社の方向性に合わせて自分を微調整して動くことが出来ない。発達障害を見抜かれる。地図が読めない。大手町のビル迷子になる。

不安障害では、不安自己PRが出来ない。PRしていることが嘘のようで罪悪感があり眠れなくなる。(アスペ的要素もある)

そんな感じで、就活は大きな傷を残し失敗。

背水の陣で挑んだ院試で某院に入り、何とかバイトのかけもちでピヨピヨと生きている。

もう親から仕送りはない。

しかし2度目の就活もまた、怖くて出来ないでいる。

もうすぐ、夏が終わる。

2020-08-23

既卒就活現実

今、私は二年目で大学院中退して、既卒生として就活をしている。学部大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較知名度の高い大学だ。受験勉強したことがない人でも知っているような大学所属していた。

大学院中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかコロナ関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれいたことに起因することは、断言できる。

さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。

企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解共感もできる。

が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。

記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。

からこそ、こうして記事として起こしてみた次第だ。

さて、まずは私の経歴や就活経験から話したいと思う。

私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。

中退という部分を隠して読めば、比較キレイ学歴をしていると思う。

ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ中退をすることとなった。奨学金生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。

就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代友達ウェブテスト替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ES面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。

そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人自発的就活をすることはなかった。

さて、私は無事に大学院合格通知を得ることができた。確か9月10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。

そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。

ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。

結局、私がした就職活動は、企業分析業界分析自己分析ES推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズ上場している中規模投資銀行三井住友銀行に応募してみることとした。

三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったこから、結果に関してはもういうまでもない。

投資銀行については、説明会選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。

さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接私の履歴書に打ち出された単語面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。

そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。

と、学部時代比較的わかりやす就活をできていたので、既卒就活既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。

既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りであるそもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。

学部時代より、より入念にES作成するようにしていた。就活ハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテスト学部時代経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。

他に落ちる原因は何か。ESウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか

さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。

というのも、まず、既卒生の就活記事ハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである既卒生の就活成功談を見ない。

そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったこである)、「既卒大企業就職できた」という記事は見ない。クラシックオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。

勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界職種でないことから断っていた。

話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。

学業においては、学部上位5%以上の英語クラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。

二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。

ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価単位を授与してもらえた。

学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。

課外については、私は文化系サークル所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。

役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル研究会の会長を務めていた。

サークル研究会長については、基本的に後輩の勉強指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。

ただ、企画系については、一筋縄はいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿企画発案や、旅行会社ホテルとの交渉参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。

大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。

…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。

さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージ飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。

精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会からサークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生バイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織移譲に伴ってするべき後輩への引継資料作成が本当に苦痛だった。当然、在学生参加者を募るための広報もしなければならない。

このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンプリンターといった周辺機器一新してもらえた。大変有難かった。

さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシート既卒からという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。

勿論、就活では上記エピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。

成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。

ウェブテストESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。

でも、シンプル留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。

形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である留学インターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプル留年であっても、新卒新卒である既卒には劣らない。

私は、大学を四年間で卒業し、大学院一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。

但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれ大学院を退学をせざるを得なかった。

それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。

新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。

この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。

特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分キャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別残酷ものとなっている。

2020-07-25

大学の専門科目の講義日本語でやってくれ

大学院日本人教員による英語講義を履修しているが、苦痛なのでやめてほしい。

ここでは大学院の話をするが、大学を含めた日本高等教育グローバル化、あるいは英語化を推し進めようとする動きに対する不満を吐く。

筆者について

経緯

講義英語で行われる旨の通知を受けたときは「自分英語力だと講義の内容を理解する上で困ることはないだろうし、専門用語の語彙が身について得だなあ」などと呑気に考えていたが、今では「どうして優秀な教員講義日本語で受ける機会を奪われているんだろう」と考えながら講義を履修している。

現在講義形式

本来は対面で行う予定だった講義が、感染症の影響を受けて映像配信になった。誰もいない講義室で教員講義を行う様子を録画した映像学内システム配信されていて、それを視聴して受講している。また、講義使用されているPowerPointスライド(原則として英語)が資料として配布されている。ただでさえ今年度から講義英語化する必要があるのに、講義形式まで変わるとあって、教員対応に苦心されているように見受けられる。

このように講義形式が例年とは異なるのは事実だが、仮に対面で講義を行っていれば英語化した講義がうまくいっていたかというと、筆者にはそうは思えない。

問題だと感じている点

教員英語発音が致命的に下手

無礼承知で言えば、大半の教員が話す英語アクセントがめちゃくちゃで、聞いているのが苦痛になることもある。録画配信のおかげで聞き取れなかった部分を聞き直せるので、もし対面で講義が行われていたら現状よりも講義理解度が低かったかもしれない。

また、英語出身教員によって行われる講義もあり、それらを視聴していると講義の内容に集中できて安心する。意味がわからない。

講義の質の低下

教員が話す英語を聞き取るのに苦労するだけでなく、そもそも講義の内容が薄い。講義によっては、ある項目について説明しようと数秒間考えた挙句教員の語彙の不足によって次の内容の説明に移ってしまったりして、スライドに表示されている内容以上の情報が得られないこともある。仮に日本語での講義だったら詳細な解説や具体例による説明が得られたかもしれないと考えると胸が痛くなるし、本来得られるはずだった情報が得られないことがもどかしく、損している気分になる。

講義資料原則英語提供されているが、教員裁量スライド日本語版(おそらく講義英語化される前に使用していたもの)を配布してもらえることがある。また、基本的には英語講義を進めつつ、適宜日本語で同じ内容を解説してもらえる場合がある。とてもありがたいが、いよいよ英語講義を行う目的がわからない。筆者は教員英語練習に付き合わされるために学費を払って大学院に在籍しているわけではない。どうしても高等教育英語化したいのであれば、講義自体日本語で行い、講義資料英語にするくらいが妥当だと考える。

教員を責めるべきではない

そもそも教員が自ら進んで英語講義を行っているわけではないし、問題は(これも無礼だが)英語での表現力が十分でない日本人教員英語での講義を強いていることだと考えている。筆者はある言語講義を行うためには少なくとも日常生活で苦労しない程度の表現力が必要だと考えるが、これを唐突にすべての教員要求するのは無理がある。おそらくグローバル化を推進する活動を行うことで国から大学補助金支給されていると思われるが、教員学生がそのしわ寄せを受けるのでは本末転倒ではなかろうか。

おわりに

誤解を招きうるタイトルかもしれないが、筆者の英語力が不足していて講義理解できないか日本語でやってくれという趣旨ではない。

英語での表現力が十分な教員に関しては、英語講義をしてもらえるとグローバル化につながると考える。ただし、日本語での講義と同等の情報量が提供されないのであれば、無理に講義英語化することは教員にも学生にも苦痛を与えるだけなのでやめてほしい。もっとも、日本高等教育においてグローバル化を進める必要があるのかという根本的な問題存在する。

筆者にとって大学院に進学した目的研究活動であって講義の履修ではないが、それは本来提供される可能性があった日本語の講義よりも質が低い英語講義提供されることを正当化する理由にはならない。大学(院)での講義は各分野の優秀な研究から知見を享受できる貴重な機会だと筆者は考えているので、それを蔑ろにしてまで「グローバル化に取り組んでいる大学」という肩書きを得ようとすることに反対する。

anond:20200725110948

勉強が苦手の一点張りだけど、周りに流されて院試を受け、落ちて「適当」な会社就職し、きついのに休業も転職もせず欠勤してクビ、資格ダメと判ってから慌てて次の職を探し、結局親の一声に流されてもう一年勉強って。

少なくとも増田については、無資格ではなく無計画なのが問題なんだよ。

2020-07-14

院試で県外行くときにごーつーなんとか使わせてもらいます

必須の外出だから許してくれよな

2020-07-13

就活してたら自分がわからなくなってきた話

内容はタイトルの通りだ。

なんだかもう色々と疲れてしまったし、自分がなにをしたいのかもとうの昔に解らなくなった。

以下、駄文だけど簡単自己紹介

22歳、理系大学生大学都内の中堅レベル

元々、浪人して適当都内で遊べる理系大学、ということで選んだだけの大学なので思い入れもなんもないし、そもそも今いる学部だって正直なにも興味がない。機械やりたかったのに全く違うところにいるし。

大学生活はだらだらと、文系のように過ごしてしまった。いや、文系以下かもしれない。サークル一年で辞め、ぷらぷらと単位を落としつつ、人当たりだけはいいので友達に助けてもらってなんとか留年はしなかった。大学生活は女の子を落とすこと、車で遊ぶことに励み(全然容姿オタクだけど)、勉強はほぼしなかった。

まさにクズ理系の極み。

バイト適当にサボれてそこそこ稼げるところ、だからなんのスキルもない。もし、身についたものがあるとすれば、適当愛想笑いをし、適当に客の気分を取る。それぐらい。

趣味は車。金がかかる趣味代名詞とも言えよう。いろんな車を乗り継いで売って...というのを大体15台ぐらいやったと思う。仲間の輪は広がったし、たぶん一生付き合うなこいつらとはっていう奴らにも出会った。これだけは唯一大学生活で成功したことだと思う。

他にも、マーケティングだとか、そういうのがちょっとだけ興味があった...といえば聞こえはいいが、ただ馬鹿みたいに安い金額でモノが欲しい、ついでに稼げたらいいなっていう理由だけで労力をかけない転売まがいのこともやってる。中国とかアメリカから適当にモノを買ってきて、日本で捌く。後メルカリバカ安いのをヤフオクに流す。まあこれがそこそこの利益が得られるからって一昨年ぐらいからやってる。情報商材屋を嘲笑うぐらいの事は独学でできたと思う。

まああんなの全部胡散臭いけど。

さて、就活に話を戻したい。

元々ぼんやり就活院試で迷っていた。去年の11月はどうすっかな、ってマックの外でメニューどれにする〜駄弁ってるようなレベルインターン第一志望のインターンに参加できたし、ここ入れたらいいな〜って思ってた。

それが2月に入り、気がついたら3月の早期選考ラッシュの時期だった。この段階ではまだ早期どうなるかな〜って自動車系にエントリーをなんとなくしていた。

まあなんとかなるでしょwの感覚だった自分を悔やんでる。

4月採用中止の連絡が届いたり、不合格の連絡が届き始める。この段階で本命に落とされる。

5月大学も行けない。就活も進まない。不合格の通知がそこそこ溜まってきた。自分無能なんじゃないか?焦り始める。エントリーすらままならない。なにをすればいいんだ?

6月無気力。逆オファーアプリ選考の案内が来た企業に落とされる。もうダメだ。でも今年採用遅れてるっていうしな〜ってヤケになっている。

何もかもままならない。この頃には自動車以外のITとかも考えるようになってた。遅すぎる。俺はなにがしたいんだろう?

そして気がついたら7月大学が再開した。周りの友達はみんなホワイト大企業内定を持っている。院進勢は外部を受け始め結果待ち。対して自分はどうだ?なにも決まっていない、就活エントリーすら出来ていないし、院試勉強のために買った教材すら開いていない。マックの注文はレジ前でキャンセルした。就職が決まった人達内定先を聞いて回る。みんな仲がいいからすぐに教えてくれる。どこどこだよ〜だとか、あそこだよ〜とか。聞くたびに、自分無能だとわかる。

大企業エントリーはほぼ終わったし、一番あれだけ行きたいと思っていた自動車系にすら興味がなくなってきた。日に日に焦りが募るだけで何もしない。やるとしたら日々ヤフオクメルカリ監視。いつから自分はこんなにつまらない人間になったんだろう。もうなにがしたいかもわからなくなってきた。そもそもこんな自分を雇ってくれる、まともな企業はあるのか?

今日大学喫煙所で一人黙々とタバコを吸っていたらヒグラシが鳴いていた。

いいよな、セミ人生が決まってて。

うそろそろ夏がやってくる。今思うと、自分就活が完全に失敗したのは

無気力

計画

無頓着

の三つが起因していると思う。

ちなみに今日エントリーしたところから落とされた連絡がきた。

これはコロナのせいではなく、完全に自分責任だ。ただ、自分無能だと自覚させられるだけの就活

一番タチが悪いのは、少なくとも死ぬ気には全くならないこと。ぼんやりと、今でもなんとかなるだろうって考えている。だが行動は起こさない。

結局、全てが中途半端になっている。やる気も、行動力も全て中途半端。これはたぶん元々。それが今まで単に上手く行ってただけ。人当たりはいいから。

それなのに、自分だけは違うと思っていた。別の意味で周りと違う人間になったけど。

長々書いてきて、尻切れトンボになるけど今日はこれで終わり。ここまで書いてきて、さらに一つ分かったとすれば、自分には特技はなにもないし、やる気も続かない、とてもつまらない人間だということ。

社会から見ればこんなの、無気力、無価値だとか評価されると思う。ものすごく妥当

今日は家に帰ってからヤフオクに投げる商品アップロードして、タオバオebayの進捗状況を見守って寝る。

最後に。

タオバオでモノ買う時は650元以下にしないとAsiax通されて通関手数料バカ高くなるから気を付けろよ!軽かったらEMSを使おう。デカかったら4pxで涙を飲もう。







常磐線でこれ書いてて辛くなってきたわ。

はてな匿名ダイアリーでやってるあたりも”逃げ”なんだろうな。俺の人生のもの

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