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2021-05-10

眠れない夜と、ダムタイプ「S/N」について

深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。

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私は夢見る、私の性別がなくなることを。

女友達手作り料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。

絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔から友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族強制する性の価値観あんまり理解できなかった。

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女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯王子役を押し付けられまくった経験からLGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。

普通であることに安心する家族普通であることに怯えるわたし曖昧言葉には常に適度な距離感必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。

思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。

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「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人から暴力罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。

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わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカー音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。

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本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人わたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。

小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたし眼鏡諸悪の根源にすることで耐えていた。

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恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしかわいいからでしょう?」と母の言葉確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。

当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界レイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。

大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズ問題解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。

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好きな人言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。

まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。

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「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?

好きな人に会う前から男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリライン

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それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白承認する、他人人生を背負うとはそういうことだと思った。

そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。

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好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれプライベート時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。

なんかもう、それだけでよかった。

セックス搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。

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好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命いたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。

そういう、希望だったんだ。

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私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。

でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。

わたしあなたが好き。

それそのものが救済なんだ。

私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。

2021-05-03

anond:20210503063640

今はわかりにくい

もう馬鹿な人みたいに、褒め言葉馬鹿もあるから、わかりにくい。

もちろん掲示板で、人をけなすのは、考えなきゃいけないから、褒めてるんだろうけど

2021-04-22

anond:20210422095814

話題自体セクハラなわけじゃない。

話し方とか態度全体が、他人から見てセクハラということ。

元増田にある「非モテが言うとセクハラになる」は、相手側の以下のような受け取りと思われる:

普段会話のない人から脈絡のない褒め言葉違和感

話題違和感だけでなく、しゃべり方としてもぎこちなく、聞く側として返事に困りストレスがある」 →ハラスメント

「ぎこちないのは、過度に異性を意識しているのが原因と思われる 職場等の男女関係ない場では不適切」 →セクシャルハラスメント

anond:20210421201638

パヨクってのは褒め言葉だと思うが、最後のとこは映画とは関係ないノイズだったな。

邪推されたくないから消しとくよ。

教えてくれてサンキュー

2021-04-21

anond:20210421172825

職場のおばちゃんに「あらイケメン」言われる感覚だろう

 

世代文化で違うから意味がない」とか

「会話の間を埋める褒め言葉」程度の感覚しか沸かないと思う

anond:20210421173913

>「夜ごはん」は言葉無頓着な人なんだろうなと思ってしまう。

・・・そら、アンタだけよ~~(苦笑)

学生時代、部室で女後輩からセンパイ猫っぽいですね!(素敵!)」と言われて「ナニそれ」て苦笑してた同回生女性を思い出した。その後の会話で、「アタシんちの母親がさ、『猫は薄情だ』ばっかりいっててさ、だからウチは犬しか飼ってないんさ、だからいままで褒め言葉だと思わんかった」だと。。。周りで聴いてた全員ギャフン)

逆にブスに褒められると男ってどう思うの?


追記

色々読んで考えたけど、自分が人を褒めたいのは別に相手を喜ばせたいからではなくただ自分が言いたいか

それを何も考えず相手に伝えるのって褒め言葉だと思って「エロいねw」とか言うおっさんと同じで最悪だなと思った

思ったこ我慢できなくなった老人みたいなもんだよね

他人自分投影するな」っていうトラバもあった

そこは常々自分でもダメな部分だなと思ってるんだけど、人に嫌な思いさせる可能性があるならやっぱり言わないわ







若い女おっさんに褒められてキモいって思うのはよく聞くけど逆はどうなの

私は本当はおっさんのことも褒めたい

髪型変えたら爽やかでいいですねと思うし、いつも着てないスーツ着てたらパリッとしてて似合ってますねとか思ってる

この人は腰の位置が高いなとか、この人は頭の形が綺麗だなとか割と万人に褒めたい事項がある

感覚的には推し髪型変えた時Twitterで呟く感じ


ただ実際に口にしたことは一度もない

第一になんか下心があるのかと疑われるのが嫌だし、ブスの私に言われてもキモいんじゃないかと思うから

実際私なんかはイケメンだろうがKKOだろうがほんの少しでも褒められること自体「このレベルの私を褒めるのは何か裏があるに違いない」と思って警戒してしま

自分がやられて嫌なことはするな」の精神で私は人を褒められない

ところが男性と思わしき増田ツイッタラーお気持ちを読んでると、褒める行為について絶対的に喜ばれるはずのことだと思ってる人が多い

ということは彼らは別に誰に何を褒められようが嬉しいということなのかな

いやでもやっぱ「なんだあいつ…」って思われる気がする

anond:20210421060730

アホに失礼なこと言ってる? 関西でアホ

東京バカ褒め言葉でもあるぞ

2021-04-16

美人の寄せ書き

職場美人退職することになり、部署で寄せ書きを書くことに。

寄せ書きの内容が男も女も

笑顔が素敵で元気をもらいました」

「ほんわかした雰囲気で癒やされてました」

「いつも明るくみんなを照らしてくれてありがとう

とか、そんなんばっかなの。

スタイルいいね!みたいなストレート表現こそなかったけど、見た目を褒めるだけのコメントばかりで

なんだかなぁ……と思ってしまった。

流石に仕事の関わりが深かった人たちは、仕事上での感謝を書いていたけど。

美人は見た目を褒めてもらえていいなぁ、という気持ち

見た目しか褒めて貰えなくて悲しいってこういうことか…という気持ち

自分には絶対書いてもらえない見た目の褒め言葉オンパレード勝手自分が惨めな存在に感じる気持ち

そんなこと言っても、私も同じく美人笑顔毎日癒やされてた気持ち

見た目を褒めるだけのコメントは書きたくない気持ち

なんだか普段見ないようにしてた気持ちを突きつけられて、うわーーーーーーーーーっ!!!!ってなった。

2021-04-11

anond:20210409141738

嗜好性がにじみ出まくってるって意味では、

便利屋斎藤さん、異世界に行く」

ゲーム好きなんだろうなーって感じの作者が気の向くまま勝手に描いてる感じ

読んだ感覚は完全に同人誌(一応褒め言葉

2021-04-10

お世辞が苦手

お世辞をうまく処理できない。

とりあえず「ありがとうございます」とか「そんなんじゃないですよ~(笑)」とか言うと、それが偽りだとわかっているのに『自分はこういうことができてしまうのではないか?』みたいな観念が植え付けられて、調子に乗りやすい私は必ずミスを犯し、酷い失敗をする羽目になる。

自分にはそんなことはできない、とはっきりと認識しているから、ギリギリライン社会生活を営んでいるのに、お世辞を単なるコミュニケーション潤滑油程度に考えているコミュニケーション強者の人々は、無根拠褒め言葉を撒き散らす。

私は他人から評価を滅多に貰えないコミュニケーション弱者であるため、他人評価をまともに受け取れるプロトコル脳内で構築できていないのに、コミュニケーションスキルに長けた人たちは軽々しく無邪気な善意でも以てしてそんな発言をする。

私にはそんな能力が欠片もないのに、彼らがコミュニケーションする周囲の環境においては当然に有しているという勝手社会観念を持って無能な私にスキルがあるとでも押し付けようとする。

うまくお世辞を処理することが出来ない以上、私が選択することになったのは「私を肯定する意見のうち根拠がないものを全て否定する」ことだった。

中身のない勝手思い込みか、根拠薄弱で突飛すぎる提案は全て無価値で、私にとってはむしろ害悪だった。

から、褒められた時私は絶対に真っ向から否定するか、無視する。

中身のない肯定はこの世で最も有害コミュニケーションだと、勝手に思っている。

人によってはこれを愛という。

2021-03-23

女性生主Vチューバーへの応援

KKOオッサンなのだが、女性生主Vチューバーへの応援をしている。

「声がかわいいですね」

「おきれいですね」

といったものは当然の褒め言葉として積極的に使っているのだが、

たまに他のリスナーが、

「かじったパンの歯型見せて」

「わき毛そった後みせて」

みたいなことをいうやつが数百人に一人くらい出てきて、

そのレベルになってくると異常さを感じる。

そういうときはたいてい「ラインわきまえろ動物」とか

2000年代エロゲオタクかよ」みたいに横からオブラート罵倒してわからすようにしているw

まあそういうのも含めて楽しむべきな「場」がユーザー生放送なわけだが。

2021-03-21

ソシャゲにしては)凄いは褒め言葉なのか?

例としてウマ娘をあげるが

ソシャゲなのに因子相性が2世代分もある→コンシュマなら5世代からインブリード近親相姦が濃すぎる)による虚弱化なども考慮してるのでそれと比べるとショボい

中山の直線が短い→単に距離だけしかデータがないレースゲームって逆に何?ソシャゲってそんな酷いの?

3DPS2レベル→まあ凄いっちゃ凄いんだろうがそれって本当に映像が凄いにカウントしていいのか?

まりまあこのようにソシャゲの「すごい!」は「ガチャ回してレア度をぶつけるだけのカードダスもどきだらけのソシャゲ業界まれなのにすごい!」でしかないわけだ。

いうなれば幼稚園児が「お名前漢字で書けるの〜〜?しゅごくな〜〜い??」って言われてる状態

でもそれでいいのか?

たとえば職場で「高卒のくせになかなかなやるやないか」みたいな会話を聞くと他人事ながら「は?うっせえわ」と感じるやん?

そんな感じじゃね?

ソシャゲの癖にコンシュマの足元には及んでるやんけ!すごい!」って褒め方は結局さあ。

いや俺もIngressみたいなスマホゲーならではの文化を展開してるゲーム普通に「コンシュマとはうまく差別化して居場所確保してるな。すごい!」と思うよ?

でも最近褒められてるソシャゲって大体は「スマホちんまい画面でピコピコするだけの子供だましのパチもどきの割には良うできとるやんけ。おっちゃん見直したわ」みたいなのだらけじゃない?

いやマジで競馬ゲーム捕まえて「中山の直線が短い!再現度すげーーーー!!!」は「自分名前漢字で書けるとかすげーーーー!!」と同じやと思うよ。

2021-03-19

anond:20210319210957

オナゴに太かねーと言うのは九州では褒め言葉ばってん

2021-03-15

anond:20210315164018

マウントとかではなく、女に対してはヤレるかどうかの判定があって、ある程度以上の年齢の女に対して勃ちにくいという前提があってこその「ババア結婚してくれ」だからな。

本当にただの褒め言葉だとしか思ってないよ。マウント云々は邪推

2021-03-13

かわいいというのは〜note記事に感じたアンバランス

https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899

女性に対して真摯な態度に読めるが、男にも抑圧からまれ言動があることを無視して性欲に一本化してしまうのは男性に対して不誠実な態度だと感じた。

記事の中でかわいいという言葉安易女性に向けるべきではないとし、その対比として「背が高い」を持ち出すのだが、かわいいと対比するなら「かっこいい」だろう。男性例外的状況を除けば「かっこいい」と言われれば嬉しいものだし、学生であればなおさらこの傾向は強いと思う。男は社会に出れば競争学生でも縦の評価軸を強く感じるもので、自分がかっこいいと言われて嬉しいのだから男の子が「かわいい」に褒め言葉としての機能を期待している可能性は考えられる。しか記事ではここには踏み込まない。これを文章に盛り込むと、男が放つかわいいは全て性欲に支配されたもの、ではじまる美しい文章がほころぶ。

この文章女性向けに徹底して書かれたものだ。育った環境もあり若いうちから女性立場共感し、その不遇について考えてきたことを言語化している。ほころびはゆるされない。

note主はこう言及する

> というのも、女の子小学生までは「おいおまえ!」「まてよ!」みたいな言葉かいの子がたくさんいるのに、大人になるとあの子たちはどうして絶滅ちゃうんだろうってよく考えていたから。あの子たちは社会に殺されちゃうんだろうな。男子ばかりがずっと男子でいてよくて、本当ずるい。

ここでは女の子言葉遣いが社会によって矯正されてしまうことを憂いている。社会の抑圧が人の言葉遣いに影響することについて理解しており、これを男の子にも適用するくらいはこれだけ考えられる人ならできそうなものだけど。「男子はずるい」って君ほどではありませんよ。

2021-03-07

村上春樹文章は「うまくはないが読みやすい」(補足あり)

https://note.com/historicalmoc/n/n284957b96801

出したな! 俺の前で! 村上春樹文章の話を! 

村上春樹作品はほぼ読んだので大体同意だけれど、肝心の文章について全く語られていないのは片手落ちしか言いようがない。こういう何かを語っているようでその内実がわかりにくい言葉を並べるからハルキストだのなんだの揶揄られるんだ。ファンなら真面目にやれ。村上春樹以外の人間村上春樹の真似したら中身がない駄文しかならないって小学校で教わらなかったのか。

つーか村上春樹文章別にうまくねえから。特徴的で読解大好き人間ほいほいってだけ。

  1. リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)
  2. 比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない
  3. めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

というこの3点が村上春樹文章もっとも印象に残る要素である。本気で語るなら時期によっての文体の変化とか、もっといえば情景描写についてもまとめたいのだけれど、とりあえず書き散らす。なお、3に関しては他作品に関する読解を含み、ひとによってはネタバレ解釈しうるものも混じるので注意。

1.リズムがあり、断定調である(巧くはないが読みやすい)

実例を挙げてみる。

四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセント女の子とすれ違う。

正直言ってそれほど綺麗な女の子ではない。目立つところがあるわけでもない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方にはしつこい寝癖がついたままだし、歳だってもう若くはない。もう三十に近いはずだ。厳密にいえば女の子とも呼べないだろう。しかしそれにもかかわらず、3メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。

村上春樹4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

1文1文が短い。技巧的な表現を使うわけでもない。文章から浮かんでくるイメージ閃烈鮮烈なわけでもない。日常語彙から離れた単語を使うこともない(「閃烈鮮烈」とか「語彙」といった単語が読めない人間は思いの外多いからな。ここでの「外(ほか)」とか/悪いATOKに頼りすぎて誤用なの気づいてなかった。指摘ありがとう)。ただただ「シンプル」だ。わかりやすい。

また、冒頭の1文の次にくるのは「~ない」で終わる文章連続だ。テンポがいい。あと、どのくらい意図的なおかわからないが、↑の文章音読していみると適度に七五調がまじっているのがわかる。そして、大事なところで「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断言を入れる。リズムで読者を惹きつけた上ですっと断定されると、その一文がすっと印象的に刺さってくるのである

まり別にうまい」わけじゃないんですよ。ただ「読みやすい」。それにつきる。読みやすい以外の褒め言葉あんまり信用しちゃいけない。「うまさ」って意味なら村上春樹をこえる作家なんてゴマンといるし、村上春樹の「文章」がすごいなんてことは絶対にない。うまいとか下手とかを語るならナボコフあたり読んだ方がいい。

とはいえ個人的な所感だと、この「読みやすさ」は村上春樹発見あるいは発明した最大のポイントだ。「リズムがよくわかりやす文章で圧倒的リーダビティを獲得する」という、一見してみんなやってそうでやっていない方策村上春樹が徹底しているせいで、誰でも座れそうなその席に座ろうとすると村上春樹と闘わなければならない。

2.比喩表現を多用し、不思議モチーフをたくさん取り入れるが、書いてることの中身について説明しない

で、そのあとにくるのが「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は地鳴りのように震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。」という文章である村上春樹比喩表現は独特で、たとえば『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を適当パラパラめくって見つけた表現として、「不気味な皮膚病の予兆のよう」「インカの井戸くらい深いため息」「エレベーターは訓練された犬のように扉を開けて」といったものもあった。この、比喩表現の多様さは彼の最大の持ち味であり、真似しようにもなかなか真似できない。

そして何より、「100パーセント女の子である。何が100パーセントなのか、どういうことなのか、この6ページの短編ではその詳細が説明されることはない。ただ、語り手による「彼女は僕にとっての100パーセント女の子なのだ。」という断定だけが確かなもので、読者はそれを受け入れざるをえない。それはこの短編に限らない。「かえるくん、東京を救う」におけるかえるくんとは。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』における〈世界の終わり〉とは。「パン屋再襲撃」はなんでパン屋を襲うのか。「象の消失」で象はなぜ消失するのか。「レーダーホーセン」でどうして妻は離婚するのか。羊男ってなに。

こういった例には枚挙に暇が無い。文章単体のレベルでは「読むことはできる」のに対して、村上春樹小説比喩モチーフ物語様々なレベルで「言っていることはわかるが何を言っているかがわからない」ことが、ものすごく多いのだ。

3.めちゃくちゃはっきりした含意が含まれていることがある(ないこともある)

じゃあ、「村上春樹作品ふわふわしたものを描いているだけなのか?」と言えば、そんなことはない。村上春樹作品には「答えがある」ものが、地味に多い。

たとえば、「納屋を焼く」という作品がある。ある男が恋人の紹介で「納屋を焼く」のが趣味だという男性出会いふわふわした会話をして、ふわふわとした話が進み、語り手は時々恋人セックスをするが、そのうち女性がいなくなる。読んでいるうちは「そうか、この男は納屋を焼いているのか」という、村上春樹っぽいよくわからないことをするよくわからない男だな……という風に、読んでいるうちは受け入れることができる。

だけれど、この作品問題は、「納屋を焼く」とは「女の子を殺す」というメタファー可能性がある……ということを、うっかりしていると完全に読み飛ばししまうことだ(あらすじをまとめるとそんな印象は受けないかも知れないが、本当に読み落とす)。それが答えとは明示されていないけど、そう考えるとふわふわとした会話だと思っていたものが一気に恐怖に裏返り、同時に腑に落ちるのである

その他、上記の「レーダーホーセン」においてレーダーホーセンが「男性にぐちゃぐちゃにされる女性」というメタファーでありそれを見た妻が夫に愛想をつかした、という読みが可能だし、「UFO釧路に降りる」でふわふわゆきずりの女と釧路に行ってセックスする話は「新興宗教勧誘されそうになっている男」の話と読み解くことができる(『神の子どもたちはみな踊る』という短編集は阪神大震災地下鉄サリン事件が起きた1995年1-3月頃をモチーフにしている)。

勿論、これらはあくまで「そういう解釈可能」というだけの話で、絶対的な答えではない。ただ、そもそもデビュー作『風の歌を聴け自体断章の寄せ集めという手法をとったことで作中に「小指のない女の子」の恋人が出てきていることが巧妙に隠されていたりするし(文学論文レベルガンガン指摘されてる)、「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」と書かせた村上春樹がその小説の中で実は死とセックスに関する話題を織り込みまくっている。近作では『色彩をもたない田崎つくると、彼の巡礼の年』で○○を××した犯人は誰なのかということを推測することは可能らしい。

何が言いたいか

まり村上春樹は信用できないのである

たとえば、『ノルウェイの森』で主人公自分のことを「普通」と表現する箇所があったが、村上春樹作品主人公が「普通」なわけない。基本的信頼できない語り手なのだ。信用できないからしっかり読み解かないといけないようにも思える。

(なお、なんなら村上春樹自分作品について語ることも本当の部分でどこまで信用していいのかわからない。「○○は読んでない」とか「××には意味がない」とか、読解が確定してしまうような発言はめちゃくちゃ避けてる節がある)

ただ、勿論全部が全部そうというわけじゃなく、羊男とかいるかホテルって何よとかって話には特に答えがなさそうだけれど、『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』あたりは何がなんだか全くわからないようにも見えるし、しかし何かを含意しているのでは、あるいは村上春樹本人が意図していないことであっても、読み解くことのできる何かがあるのではないか、そういう風な気持ちにさせるものが、彼の作品なかにはある。

このように、村上春樹メタファーモチーフには、「答えがあるかもしれない」という点において、読者を惹きつける強い魅力があるのである

増田も昔は村上春樹を「雰囲気のある作家」くらいの認識で読んでたんだけど、『風の歌を聴け』の読解で「自分作品ちゃんと読んでないだけだった」ということに気づかされて頭をハンマーで殴られる経験してから村上春樹には真面目に向き合わないと良くないな」と思い直して今も読み続けてる。

……なお、それはそれとして、セックスしすぎで気持ち悪いとか(やれやれ。僕は射精した)、そもそも文章がぐねぐねしてるとか(何が100パーセントだよ『天気の子』でも観とけ)(なお「4月のある晴れた朝に~」が『天気の子』の元ネタひとつなのは有名な話)、そういう微妙な要素に関して、ここまで書いた特徴は別にそれらを帳消ししてくれたりする訳じゃないんだよね。

たとえば『ノルウェイの森』は大多数の人間経験することの多い「好きな人と結ばれないこと」と「知人の死を経験し、受け入れること」を描いたから多くの人間に刺さったと自分は思っているが、だけどそれが刺さらない人だって世の中にはたくさんいるのは想像に難くない。

から、嫌いな人は嫌いなままでいいと思う。小説は良くも悪くも娯楽なんだから

余談

マジで村上春樹論やるなら初期~中期村上春樹作品における「直子」のモチーフの変遷、「井戸」や「エレベーター」をはじめとした垂直の経路を伝って辿り着く異界、あたりが有名な要素ではあるんだけれど、まあその辺は割愛します。あと解る人にはわかると思いますがこの増田元ネタ加藤典洋石原千秋なので興味ある人はその辺読んでね。

文章うまい」に関する長い補足(「小説文章」に限定

「うまくない」って連呼しながら「『うまい』のは何かって話をしてないのおかしくない?」 というツッコミはたしかにと思ったので、「この増田が考える『うまい』って何?」というのを試しに例示してみようと思う。村上春樹に対する「別に文章うまくない」とはここで挙げるような視点からの話なので、別の視点からのうまさは当然あってよい。

小説家の文章が読みやすいのは当たり前だが、「文章が読みやすい」なら「文章が読みやすい」と書けばいいのであって、わざわざ「文章うまい」なんて書くなら、そこでの文章」は「小説じゃなきゃ書けない文章であるはずだ。

じゃあ、増田が考える「(小説の)文章うまい」は何か。読んでる間にこちらのイメージをガッと喚起させてくるものが、短い文章のなかで多ければ多いほど、それは「文章うまい」と認識する。小説のなかで読者に喚起させるイメージ情報量が多いってことだから

具体例を挙げてみる。

 長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない。

 そのころのマコンドは、先史時代怪獣の卵のようにすべすべした、白く大きな石がごろごろしている瀬を澄んだ水がいきおいよく落ちていく川のほとりに、竹と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。

ガルシアマルケス百年の孤独』の冒頭。大佐子どもの頃を回想して大昔のマコンドに話が飛ぶ際、「先史時代の」という単語を選んでいることで文章上での時間的跳躍が(実際はせいぜいが数十年程度のはずなのに)先史時代にまで遡るように一瞬錯覚する。

津原泰水バレエメカニック』1章ラスト昏睡状態のままで何年も眠り続ける娘の夢が現実に溢れだして混乱に陥った東京で、父親世界を元に戻すために夢の中の浜辺で娘と最期の会話をするシーン。

「お父さんは?」

「ここにいる」君はおどける。

彼女は唇を尖らせる。「五人兄弟の」

「さあ……仕事で遠くまで出掛けているか、それとも天国かな。お母さんがいない子供は いないのと同じく、お父さんのいない子供もいない。世界のどこか、それとも天国、どちらかに必ずいるよ」

 彼女は君の答に満ち足りて、子供らしい笑みを泛べる。立ち上がろうとする彼女を、君は咄嗟に抱きとめる。すると君の腕のなかで、まぼろしの浜の流木の上で、奇蹟が織り成したネットワークのなかで、彼女はたちまち健やかに育って十六の美しい娘になる。「ああ面白かった」

 理沙は消え、浜も海も消える。君は景色を確かめ自分腰掛けていたのが青山通り表参道形成する交差の、一角に積まれ煉瓦であったことを知る。街は閑寂としている。 鴉が一羽、下り坂の歩道を跳ねている。間もなくそれも飛び去ってしまう。君は夢の終焉を悟る。電話が鳴りはじめる。

作中の主観時間にしてわずか数秒であろう情景、ありえたかもしれない姿とその幸せ笑顔から夢のなかで消えて一瞬で現実に引き戻すこの落差、そこからまれる余韻の美しさですよ。

あるいは(佐藤亜紀小説ストラテジーから受け売りで)ナボコフ「フィアルタの春」という小説ラスト

フィアルタの上の白い空はいつの間にか日の光に満たされてゆき、いまや空一面にくまなく陽光が行き渡っていたのだ。そしてこの白い輝きはますますますます広がっていき、すべてはその中に溶け、すべては消えていき、気がつくとぼくはもうミラノの駅に立って手には新聞を持ち、その新聞を読んで、プラタナスの木陰に見かけたあの黄色自動車がフィアルタ郊外巡回サーカス団のトラックに全速力で突っ込んだことを知ったのだが、そんな交通事故に遭ってもフェルディナンドとその友だちのセギュール、あの不死身の古狸ども、運命の火トカゲども、幸福の龍どもは鱗が局部的に一時損傷しただけで済み、他方、ニーナはだいぶ前から彼らの真似を献身的にしてきたというのに、結局は普通の死すべき人間しかなかった。

ふわーっと情景描写ホワイトアウトしていって、最後にふっと現実に引き戻される。この情景イメージの跳躍というか、記述の中でいつの間にか時間空間がふっと別の場所に移動してしまうことができるというのがナボコフの特徴のひとつである

散文として時間空間が一気に跳躍して物語世界を一気に拡張してしまう、この広がりを「わずかな文章」だけで実現していたとき増田は「文章うまい」と認識する。自分村上春樹文章を「うまくない」って書く時、そのような意味での「小説としての文章」を判断軸にしてた。

村上春樹は下手ではない。村上春樹に下手って言える人いるならよっぽどの書き手だし、その意味村上春樹に関しちゃ言うことはないでしょう。しかしごく個人的私見を言えば、「文章」って観点だと、文章から喚起されるイメージに「こちらの想像を超えてくる」ものがめちゃくちゃあるわけではないと思う。

日本語文法に則りシンプルで誤解の生まれにくい文章を書くことは高校国語レベル知識可能で、その点村上春樹文章プロとしてできて当たり前のことをやっているに過ぎない。平易な文章を徹底しつつその内実との間に謎や寓話モチーフを織り込んで物語を構築するところがすごいのであり、そこで特段褒められるべきは構成力や比喩表現の多様さだろう。その際に使うべきは「構成力がうまい」でも「比喩表現うまい」であって、「文章」などという曖昧模糊とした単語で「うまい」と表現することはない。小説=散文芸術において「文章うまい」と表現しうるときもっと文章としてできることは多いはずなので。そして、このことは、村上春樹がしばしば(「小説」ではなく)「エッセイ面白い」と言及されることと無関係ではない。

ちなみに、増田津原泰水ナボコフ文章技巧には翻訳村上春樹じゃおよぶべくもないと思ってるけど、面白いと思うのは圧倒的に村上春樹ですよ。技巧と好き嫌いは別の話なので。

ここで書こうとした「うまさ」は佐藤亜紀がいうところの「記述運動」を増田なりに表現したもので、元ネタ佐藤亜紀小説ストラテジー』です。

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