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はてなキーワード: 褒め言葉とは

2019-04-16

女子エロに生まれるのではない。エロくなるのだ。

僕は三十歳半ばで、そのとき17歳女の子と良い関係になっていた。

彼女は珍しく、会話が通じる常識的女子で、正しい知識を持ち、無茶苦茶なことは言わない。嫌なら断る。自分を自制できる。自分の身は守れる、女子だった。

僕はある時、ベッドで横になり背中から抱きしめているとき彼女あなるちんこを挿れようとした。

しかし、いちど射精したあとの「ややふにゃちん」のときで、ローションも使わなかったので、

表面が乾いたコンドームを付けていると、ちんこの先であなるを押すだけで、中々挿入できなかった。

すると彼女は「コンドーム付けてるの?」と右手で触って確認したあと、ぱちん。とコンドームちんこから外した。

彼女との初めてのあなるせっくすは、あめーじんぐだった。

その跡に会ったとき、正常位でちんこを挿れるときあなるのほうをつんつんしてみた。

ら、「ああん、そっちがいいの?」と四つん這いになろうとした。

彼女の中で派手、あなるせっくすは背後位でするものらしい。

そのときあなるせっくすもわんだふるだったけど、

インターミッションとき、「女の子の初めてはあげられなかったけど、こっちのはじめては僕さんだからね」と言った。

前に僕としてるっちゅーの。

いやしかしそんなことはどうでもいいのだ。

女子男子を喜ばせようという気持ちが嬉しいのだ。

なので僕も、彼女普通容姿だったが、僕の人生の中で最高のかわい子ちゃん扱いし、

実際、酷いブス以外女の子は笑えば可愛くて、女の子のことを口に出せば、全部褒め言葉なるのだ。

それと彼女からのリクエスとで「俺のちんこ以外ここに挿れるなよ」と言ったり、

ちんこを頬にぐいぐい見せるけたり、イマラチオをしたり(彼女涙目)。

でもあなるからちんこを抜くときは「絶対臭い嗅がないでくださいね!そのままシャワー!」と平常時に戻る。

僕のあなる彼女が指を3本挿れたときは、「カトちゃんペッ」みたく、抜いた指を華に持っていったくせに「きゃー!」

「僕と最後に会ってから今日までに、何本のちんこを挿れましたか?」って正常位のときに聞いたら、

笑った目で「んー」って唇を一文字に閉じて答えなかったの、可愛かったなあ。

でも彼女も歳をとって、20第半ばの大人の女性になると、自分は性に対して奔放じゃない。

清純で僕さんとだけなの。みたいに装うようになった。僕は女性が他の男性セックスしても、

その弾性が「つまらないバカ」でなければ、その弾性の所有物にならなければ、女性として好きだ。

また会ったとき、僕は「さぁー、たのしセックスだ」とディズニーランドに行くかの気分だったけど、

その日彼女は、なんだか最初から僕に庇護を求める弱い女性だった。ピンと来てしまった。

これは最後、僕にとある要求をする雰囲気だ。となれば、僕の要求は断らないはず!

と、最初からあなるちんこを、ローション無しで、舐めたかな?、ゆっくり、挿れた。

「めりめりめりっ」か「みちみちみちっ」って擬音語が聞こえた。

入っていくちんこを、ふたりともずっと見つめながらだった。

全部入る前くらい、急にぬるっと摩擦が無くなる。

この女の子あなるを犯されるような、どうでもいい女の子なんだ。

大切にするに値しない(大切だけど)。149cmの小柄な彼女の頭を抱え込んで、

あなる突き上げながら、女の子を、弱いものいじめ快感を考えていた。

尿道炎気にしない、生で中で出した。まじかるな、女の子との。あなる・せっくす・行為、だった。

僕はちんこシャワーで洗った。「出てくるからトイレットペーパー、あナプキン持ってきて」。

精液を直腸に出すとお腹が痛くなる。ホモの人ならご存知だ。

男性の精液には腹痛を起こす物質があり、これは女性生理痛の原因と同じものだ。

から直腸の中の精液なんてトイレシャワーで出しちゃえばいいのに、

彼女は精液を直腸の中に留めておいた。

そのあと彼女肛門から流れ太ももをつたう精液を舐めさせられたり、

予想通り、3日間のどんちゃん騒ぎの最後に「一緒に生活してクレメンス」と言われたり、

この「結婚して」は生活的な意味でなくて精神的な意味ね。私を助けてとか受け入れてみたいな。

彼女にも10年の間に色々あって、弱ってたんだろう。

彼女は「僕が助ける=結婚」と考えていて、それは間違いではないだろうし、

女性はそうゆうものかもしれないし、

僕としては結婚しても良いけど、全然良い相手だけど、僕がダメ人間だし、

結婚すると共倒れになるだろうって現実的な予想があって。

やっぱり結婚なのかな。

彼女17歳ときにも「いつもは私からは言わないんだけどな。付き合ってください」「無理です」と断っていて、

なんか「恋人」という言葉関係が締め付けられるのが嫌だったのだ。

彼女が他の異性と気持ちよかったり失敗したりする話を、少しづつ聞くのが好きだったのだ。

「せ っ く す ふ れ ん ど」なんてクソつまらない言葉関係じゃないからな。

じゃあ甲子園目指す野球部は「野球フレンド」か?

映画を誰かと見に行くときは、どうでもいい相手じゃなくて、

その後喫茶店で「劇場版完結編は2年後くらいですかねぇ」

「いやまた、15年くらいかかるんじゃないのw」なんて話ができる相手とだろうが!

2019-04-13

anond:20190413013400

全米が泣いた映画で本当に全米の全ての人が泣いたかというとそんなこともないけど

つい褒め言葉で反射的に名文と言ってしまうのは大体は専制者か腰巾着権威主義者だろう

2019-04-11

anond:20190410224200

ワガママいえとか、振り回せとか、そういう個別戦術は話半分に聞いておけばいい。あれは需要が山盛りある若くてかわいい子向けの戦略だ。

でも、その背景にある「男は女が喜んでお礼言うと幸せを感じる」というのはかなり事実

というか、強調しとくけども、男女問わず恋愛とかも関係なく、人間は、自分相手のためにやったことが感謝されて喜ばれることが、むっちゃ嬉しい。

増田民はひねくれててまともな人間関係築けてない人も多いから「そんなことはない、相手に尽くされるほうがいいに決まってる」というのもわくだろうが、実際のところそういうものだし、そこを突かれると相当みんなチョロいんだ。)

現に、増田だってそうでしょ。相手の力になれることが嬉しいから尽くすのだろうし、増田の頑張りを喜んでくれる男と付き合いたい。そうやってお互いに助け合いたい。男だって多分同じことを考えていると思えばいい。

ワガママを言え」の正体は、まず、男にやってもらうと嬉しいポイントや、頑張ってほしいポイントを、わかりやすく女のほうから提示して、そこに向かって力になってもらうこと。

そして、女から感謝を数打つことで、男の好感度を上げていく作戦なんだよ。

なので、増田がやるべきことは

一方、尽くし型の頑張り屋の女性がどうしてだめか。

  • 全部自分でやってしまう→相手へのお礼を言う頻度が下がり「かわいいなあ、うれしいなあ」という加点要素を自分で潰すことになってる
  • 尽くして相手の反応がいまいちだった時、おそらく「こんなに頑張ったのに」って不満になると思う。そこがよくない。どうしても、どこかで見返りを求めてしまう。
    • そうでなくても、相手から見て「見返りを求めているのではないか?」と不安に思われることもある
  • そもそも自分相手のためにと思ってやることが、必ずしも、相手が望んでいるとは限らない

相手幸せにしたい、相手のためになりたいという気持ち尊いけれど、お互いの理解がそこまで行っていないうちは、その気持が独りよがりで空回りしやすいし、地雷を踏みやすい。なので、いざという時のために封印しておいたほうがいいということじゃないかな。あと、明るく、重くなくやるべきだと思う。

2019-04-09

オタクの強い言葉が苦手だ

友人にも言えないのでここで。

最近話題の某コンテンツの盛り上がり方が苦手だ。共通の話法があるのか、主語がでかくてすぐ決めつけるような言葉で話す。

みんな誰しも好きなことを語る時は楽しいものだし、饒舌になるのもわかる(私にも覚えがある)のだけど、彼女たちがそれを話題にする時には常にうっすらマウンティングされている気分になる。マイナー感が強くて自分たちでもトンチキアニメだって自虐しながら、ほら面白いでしょ!???って押し付けるみたく多方面営業活動してるのが目に障る。褒め言葉が過剰で主語がでかくて決めつけがなのはなに?本当に好きで自分で感じたことを語りたいと思ってるの?面白くて強い言葉で話すと別のオタクが褒めてくれるから大喜利みたいになってるだけじゃない?

作品のものは気になるし、きちんと触れたいけど、監督声優インタビューから引っ張り出してきたネタで延々と作品をこねくり回して褒めちぎっててそろそろ食傷気味。隙あらばキャストだけじゃなく、身近な知人の発言まですぐネタにして。最近別のコンテンツコラボしてましたけど、「うちみたいなコンテンツコラボしてくれてマジ感謝」「頭狂っててごめんね」ってお前は運営かよ。

こないだは別作品で、コラボティザー告知があって、その作品ファンより彼女たちの大喜利のほうが盛り上がってて悲しくなった…。相乗効果でお互い楽しいのがコラボのいいところなのに、自分たち推しポイントばかり押し付けているように見えた。てか、確定じゃなくない?それ。まだあなたたちのところの運営からは何のアナウンスもないんですけどね…。

しかすると友人がことごとくハマってて仲間に入れないがゆえの嫉妬なのかもしれないけど、だからこそSNSにもどこにも吐き出せないんだ。3年前のマッドマックスの盛り上がりの時に、それを眺めていた人たちはこんな気持ちだったのかなって反省した。

ちょっと距離をとって、落ち着いたら一人で見ようかと思っている。

2019-04-08

素人絵描きの褒め合いという毒沼

SNS趣味で絵を描いてるけど特に絵のジャンル相手の絵を褒めないといけないローカルルールがクソなんですがあれなんなの。

絵を見たとき感想は3つに分類される

1 好き、上手い

2 嫌い、下手

3 関心ない(どうでも良い)

123は複雑に絡み合う要素だからどんな感想を抱いても良いのだけどたいがい求められるのは

1ばかり。褒めのやわらかな強要。いや同調圧力絵描きナイーブな子が多いから2の嫌いとか下手とか少しでも入れたら泣いちゃうし心折れちゃう

気を使って好きとかここが上手いとか良いところを見つけて相手に伝える。相手の絵なんかどーでも良い。とりあえず(相手を傷つけないように機嫌を損ねないように)自分の持てる褒め言葉ボキャブラリーを駆使して感想を伝える。

あんたの絵がすきなんじゃない

あんたの機嫌を損ねたら自分が損するだけだもん

2019-03-14

anond:20190314205246

うんこ、でかくなったね」

セクハラになることもあるから

相手を選ぶけど

素敵な褒め言葉

2019-03-10

anond:20190310221320

どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。

誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ち文章します。

遺書かな。もうそれでもいいや

後を濁す気満々で申し訳ない。

私としては巡り巡ってファンレターだと思って書きます

(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)

(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)

私は根本的にSNSに向いてないと常々思っていました。

というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。

数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います

とりわけ数値で自己他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットしかありませんでした。

まず、自分創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています

なまじ創作物解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときジャンルCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。

その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。

主観的ものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。

(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)

私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。

「神絵師」という判定こそその人の主観いくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。

前述の通り、私は自己脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、

前述の通り、なまじ創作物(主に漫画ことなんですが)に解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。

絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜き交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。

好きな作品についてや日常雑談について語るにあたっては「同じ路線感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます

でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます

特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。

「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」

フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。

そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。

実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。

万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。

それがその人にとっての本心であろうと。

何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。

万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。

というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います

はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定話題に対してはその人達に対して勝手距離感を感じてしまっているように思います

そういう垣根抜きに自分作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。

自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。

…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通感覚だと思います

性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通感覚だと思います

自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています

(絵を描く人描かない人関係無しに、自分作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)

普通、神絵師はそうでない自分作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由必要でした。

作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。

ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。

尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。

誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手意識している自分ただ一人が悪いです。

作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、

正直、神絵師でない括りの中で自分作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています

贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分創作者としての現状にはとても満足していました。

それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないもの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。

から私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈アウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないか結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています

(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的理不尽感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)

そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情自分の中で生み出していました。

完全に特定できる物言いでめちゃくちゃ申し訳ないんですけど、

最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど

「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。

そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案しかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかたからNOなんて言いようがなかったんですけど。

絵師サンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。

ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。

実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。

よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので

(いやでも必要なんですよ…とある絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)

この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます

本当にその通りだと思います

いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています

逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります

大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアル自分人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います

いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。

あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルから」「女の子から」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からいいね蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。

(と思う感情すら自分劣等感正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)

でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。

私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。

そういう感情ネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分からこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。

本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。

という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね

すいません、ごめんなさい、結局私は自分感情エゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。

でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。

前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれ区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要ものなんだなと痛感しています

それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。

そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的劣等感押し付けしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています

冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情根付いてることには変わりないです。

ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います

本当に一方的で身勝手感情だとは思いますが。

自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます

本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います

あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。

賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見感想お待ちしております

最後最後までろくでもないな

ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっとからなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました

またお会いできたら嬉しいです。

それでは。

交流してくださっていた神絵師の皆々様へ

どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。

誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ち文章します。

遺書かな。もうそれでもいいや

後を濁す気満々で申し訳ない。

私としては巡り巡ってファンレターだと思って書きます

(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)

(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)


私は根本的にSNSに向いてないと常々思っていました。

というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。

数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います

とりわけ数値で自己他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットしかありませんでした。

まず、自分創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています

なまじ創作物解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときジャンルCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。

その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。

主観的ものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。

(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)

私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。

「神絵師」という判定こそその人の主観いくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。

前述の通り、私は自己脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、

前述の通り、なまじ創作物(主に漫画ことなんですが)に解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。

絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜き交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。

好きな作品についてや日常雑談について語るにあたっては「同じ路線感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます

でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます

特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。

「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」

フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。

そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。

実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。

万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。

それがその人にとっての本心であろうと。

何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。

万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。

というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います

はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定話題に対してはその人達に対して勝手距離感を感じてしまっているように思います

そういう垣根抜きに自分作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。

自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。

…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通感覚だと思います

性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通感覚だと思います

自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています

(絵を描く人描かない人関係無しに、自分作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)

普通、神絵師はそうでない自分作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由必要でした。

作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。

ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。

尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。

誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手意識している自分ただ一人が悪いです。

作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、

正直、神絵師でない括りの中で自分作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています

贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分創作者としての現状にはとても満足していました。

それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないもの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。

から私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈アウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないか結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています

(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的理不尽感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)

そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情自分の中で生み出していました。

完全に特定できる物言いでめちゃくちゃ申し訳ないんですけど、

最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど

「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。

そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案しかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかたからNOなんて言いようがなかったんですけど。

絵師サンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。

ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。

実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。

よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので

(いやでも必要なんですよ…とある絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)

この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます

本当にその通りだと思います

いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています

逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります

大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアル自分人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います

いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。

あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルから」「女の子から」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からいいね蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。

(と思う感情すら自分劣等感正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)

でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。

私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。

そういう感情ネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分からこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。

本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。

という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね

すいません、ごめんなさい、結局私は自分感情エゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。

でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。

前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれ区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要ものなんだなと痛感しています

それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。

そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的劣等感押し付けしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています

冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情根付いてることには変わりないです。

ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います

本当に一方的で身勝手感情だとは思いますが。

自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます

本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います

あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。

賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見感想お待ちしております

最後最後までろくでもないな

ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっとからなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました

またお会いできたら嬉しいです。

それでは。

2019-03-06

コミスタ6万で購入したけど3冊描いて辞めた

十年近く昔の話。

何かのついでにクリスタDL版が5000円っていうのを知って驚いてかく。

まだクリスタがなく前身コミスタが出始めたころ、

パッケージがまだまだ高くて手が出なくて手書き原稿派の方がまだ多かったと思う。スマホじゃなくてガラケー使ってる人もまだ多かった。

当時いたジャンルから移動したタイミングで、私もコミスタを購入するにいたった。今までいたジャンル子供から大人まだ幅広く視聴者がいて知名度は大きかったんだけど、それで本を作ったりコスプレしたりとかは、まだマイナー地方中高生に人気のジャンルが幅を利かせてるので、オールジャンルイベでは同ジャンルの人が全然人がおらず、オンリーとかは皆無。

なので、始めた当初から遠征中心で都心オンリーに行っていた。

そういうジャンルだったので下手ながらもオンリーのたびに新刊2冊程だしていたので、活動していた期間は2年間ほどだったけど、20冊近く本は書いていた。放送が終わってから2年以上たっているので大体書きたい話は書き終わってしまい。ジャンルを移動することにした。

ジャンル内に残ってる友達もいなかったこともある。

移動したジャンルは、当時1番人気のジャンルだった。地方でもオンリーが開かれ地方なのにサークルスペース満了する。

今までマイナージャンルからマイナージャンル渡り歩いていた私にはちょっとした驚きだった。

あの時のジャンルの盛り上がりとPixiv流行りがちょうどハマった時期で、ランキングがそのジャンル一式になったり、私が下手な絵を投稿しても

それなりに閲覧数が伸びる状態だった。

そのジャンルにハマってしばらくしてマイナーまでは行かないけど、若干少ないというCPにハマった。pixivを漁り個人サイト渡り歩き、気が付いたら最大手のCPに端役で出てくる推し達を探していた。

読み足りなかった。読み足りないから書くしかないのかよし書こうとなるまで、そこそこの時間が過ぎた。

いつものマイナージャンルだったらとっくに書くゾーンに入っているタイミングだけど、流石旬ジャンル、若干少ないCPでも今までのマイナージャンルより何倍もあった。

こういうゾーンに入ったときは年8冊くらいすぐに出してしまう。

今まで手書きだった分コミスタを買えば少しは楽になるのではないか、どうせずっと絵は書くのだし元を取る意味でもいっぱい書こうと思って、6万円のコミスタを購入した。

こんなに大きいジャンルだし、新しい友達できるかなとわくわくとふわふわした気持ちだった。近いイベントでちょうど別のジャンルから同じように移動してきた友達がスペースをとったというので売り子をする代わりに、1冊本を置いてもらえることになった。

コピーで20冊作ったけど、友達サークルだったこともあって完売した。

そのあと地元イベントがあったので、自分サークルをとった。

1冊目の本にページを増やして今度は印刷所で印刷してもらって再販した。それと新刊を1冊作り2冊並べた。

地元中高生が多く、自分のCPは地元だと2スペースしかなかった。

なのでまあ売れないだろうとは思っていたけど5冊ずつ売れた。

あの時くらいかオンデマンド印刷でも綺麗に本が作れるというので、

いろいろな印刷所がセットを売り出すようになった時期だった。

コピー本の印刷代にプラス5千円くらいで少部数で綺麗な印刷をしてもらえるならとそこそこの冊数を刷った。

旬のジャンルだし、都心オンリーにもいくつかサークル参加をしたかったので、一回のイベントで捌けなくても、大きなイベントに2,3回参加したかったし、その時に机に何もない状態よりはと思って。

前のジャンルにいたときは、最終的にそのくらいは捌けていたので大丈夫だと思って。



締め切りのせまっていた地元イベントに1回と翌月の都心イベントに申し込みをした。

どちらも無事にスペースが取れて、地元では本が売れないので、無配漫画と無配のポストカードを作った。

地元イベントに行ったとき自分のCPは自分も含めて3サークルあった。

やった、増えた思ったけど当日行ってみたら両方とも欠席だった。

今思うとこれがまずかったんだと思う。

私のいた島は

通路からサークルが欠席の私と同じCP。私のサークル。その隣はジャンルは同じだけど別のCPだった。全然別だし全然似てない。

それが私のサークルの隣から先全部だった。

これは別にいい。隣のサークルさんとも別に問題はなかった。

ちょっとアレ?と思ったのは一人のお客さんだった。

「○○に似てない」と言われたと思う。

私の絵が下手なのはともかく○○ってキャラじゃないので似てないのは当然だなって思った。これは××ですよって伝えた。

「××ならなんでメガネしてないの」「背が高いキャラなのに過剰に子供っぽく書いてるのおかしい」って言われたと思う。

××の子時代を書いているので子供っぽいのは、子供からメガネ大人になってから掛けたので、メガネがないのも子供からって伝えたと思う。

子供にしては体型が・・・」とか「××ならもっとイエローぽいブロンドなのに絵だとシルバーブロンドぽくみえる髪の色がおかしい」とか色々言われたと思う。

アレ?アレレ?と思いながらこれはこうだからと答えた。

このお客さんは、なんだろう何がいいたいんだろうと思いながら、たとえ無配でも持って行って貰いたくないな、文句があるならいいですって言っちゃおうかなって思ってた。

そしたら最後に「スペースとってるのにキャラのものもCPも一つもない、おかしい」「無配はいりませんから」って言われて、隣のCPだと思われてたんだって気づいた。

まじで配置図よく見てくれ!

サークルカットだってCP書いてるし、傾向も書いてる。

ちなみに全年齢CPだった。

配置図見ないで勝手勘違いされてなんかよくわからない絵の描き方の講釈聞いて疲弊した。この日はそれだけだった。


そのあと、都心オンリー新刊作業に取り掛かった時にわかった。

手が震えて書けない。コミスタ開いたら、あの時言われた言葉フラッシュバックする。自分イラスト見たら呼吸がうまくできなくなる。

あのお客さんのことは大したことないと思ってたんだ。

全部言い返したし、あの人の言ってたこと全部勘違いだったし。

別に叩かれたわけでも、ヒステリーに怒鳴られたわけじゃない。

でも、ずっと、これはおかしい、これもおかしい、おかしい、おかしいって言われてたんだ。それだけだった。

都心オンリーは行った。

どうしても新刊を作ることはできなったけど、ペーパーラリー用の薄い漫画を描いた。あのお客さんみたいな人は来なかった。

でも、イベント会場にいたらちょっとめまいがしてた。

どうしてもスペースに座っていられなくて友達に売り子をまかして、

会場内で友達の買い物をした。それだけしかできなかった。

そのあと、いくつか出ようと思ってたオンリーはあったけど申し込まなかった。サイトも閉鎖した。pixivイラストは非公開にした。

あれからジャンルも変わって絵をかこうとするたびに、おかしいって言われた言葉と(無配)漫画いらないって言われたことを思い出して、苦しくなる。

今ままでマイナーばっかり歩いてきたので、お客さんもサークルさん同士も仲良かった。旬のジャンルに行ってもいい人ばかりだった。

同人トラブルの話を聞いても、もっと都会の大手とか絵のうまい人の遠い話だと思ってた。

まさか地元イベントでとは思わなかったんだ。

コミスタの元を取るまで書くぞって思った心はしぼんだ。

絵描きの筆を折らせるには、100人ファン褒め言葉より1人の言いがかりなんだって思った。

2019-02-27

セクハラって日本海外意味違わない?

セクハラ上下関係+年齢差がなければ成立しないのだとか。

同じ階級の同僚同士で「今日かわいいね」というのは褒め言葉しかならないらしい。

典型的セクハラは、歳のいったオッサン上司が「今日かわいいね」と言ったらセクハラということ。

それは日本でも当然セクハラなのだけど、むしろそのレベルじゃないとセクハラじゃないらしい。

俺んちの猫が言ってた。

2019-02-26

もう聞き飽きた

「優しい」

「真面目」

「誠実」

褒め言葉であることは間違いないが、「特に褒めるところがなくて万人受けする抽象的で当たり障りのない言葉をとりあえず並べた」だけであることもまた間違いない。

そういうのはもう聞き飽きた。

もっと「男女の関係」に繋げやすい反応を引き出させることができるよう努めなければならない。

2019-02-22

自己肯定感が低い

私は自己肯定感が低い。

自信もない。

特に「男としての価値」に自信がない。

これまでに彼女はいたし、告った数と告られた数は後者のほうが多い。

童貞でもない。

しかしそれは私がモテたからではなくて、自信がなく拒絶されて傷つくのがこわくて手をこまねいている間にたまたま偶然運がよかっただけのことである

その証拠に、30歳をすぎてからはそのような偶発的なことは一切なくなった。

所詮学生時代20代若さがあってのみ成り立つものであったにすぎない。

30歳をすぎてから何もしていなかったわけではなく、いわゆる「自分磨き」的なことでできそうなことは現在も続けている。

が、一向に自己肯定感も男としての自信も高まりそうな気配がない。

過去よりも体力も筋力も経済力仕事力も人間力も高まったはずなのに、自己肯定感と男としての自信だけは高まらないのだ。

それを何とかして埋めようと、月に1回程度「夜のお店」に行くが、いくら褒められても持ち上げられても、自己肯定感も男としての自信も満たされた気にならない。

それどころか、接客業としての癖か、相手言動真意を探ろうとしてしまう。

これは例を挙げたほうが早い。

「落ち着きがない→フットワークが軽い、好奇心旺盛」「マザコン母親想い」などと、否定的言葉肯定的表現に置き換えて発することがある。

これを逆算的に捉え、いくら肯定的褒め言葉を並べられても、「真意は○○なんだな」と否定的解釈をしてしまう。

(まあそもそもがそういう「商売なのだからしかたないのだが)

そしてこのような卑屈な発想になってしまうのもまた、自己肯定感の低さゆなのだ

過去、夜のお店でのことではないが、相手肯定的言動を信じて好意を示したら、結果単なる私の勘違いだったという出来事があり、非常に恥ずかしい思いをした経験がある。

恥ずかしいだけで済んでいれば大きな傷にはならなかったが、あろうことかこの相手はそんな私のことを罵倒してきたのだ。

自分もまた私を勘違いさせるような言動を狙って行っておきながら、その落ち度は棚に上げて勘違いした私だけが一方的に悪であると罵ってきたのである

この出来事は私の心に大きな傷を残した。

大袈裟な話ではなく、この時点から自己肯定感も男としての自信も失ってしまったのかもしれない。

もっとも、このような過去の苦い経験いつまでも縛られていつまでも前を向けないのも、自己肯定感の低さゆなのだ

かくして、今私は自己肯定感を少しでも高め、男としての自信を取り戻したいと躍起になっている。

視野狭窄にもなっているのだろうか、自分1人で考えた結果、男としての自信を取り戻すためには、過去やろうとして失敗し苦い思い出となってしまった「狙った女を狙い通りに落とす(←落とす、ってのは表現がアレだがわかりやすいかと)」という「成功体験」をすることでしか回復できないと考えている。

心理学的には、この成功体験は「代償行為」によって疑似的に満たすことでも心の変化があるといわれているようだけど、こういうことの代償ったってねぇ。

恋愛育成ゲームみたいなのやる?

所詮二次元から何の感慨もわかねぇ。

果たしてどうすれば私は自己肯定感を少しでも高め、男としての自信を取り戻すことができるのだろうか。

2019-02-14

anond:20190214100405

絵を見て何となく上手いと思ったときの当たり障りのない万能な褒め言葉として「デッサン」が使われてるんじゃないか、という気はするね

2019-02-05

大人になり損ねた私

精神年齢大人にならないまま、肉体年齢だけを重ねてしまったような感覚がある。

子供の頃は大人っぽいねと言われてきたのに、今ではいつでも五歳は下の年齢を言われる。顔が若いかと言えばそうじゃない。態度や行動なんかに滲み出るもの子供のまま成長していないからそう見えるのだも思う。

それがコンプレックスのうちの一つ。

自信が持てない原因の一つもこれ。

どこで止まったか

中学卒業の日の、先生言葉だと思う。

その時はまだ周りよりも少し大人びていた私に、「そのままでいい。いつか周りがあんたに追いつくから」と言ってくれた。

その先生に心を開いていた私は、それを素直に受け取ったらしい。

そのままの(ペースで成長した)私、ではなく。そのままの(成長しない)私が出来上がっていた。

先生まさかそんなつもりではなかっただろう。私だってそうだ。

実際、あまりに成長していないと思ったのは成人して仕事をするようになってからだ。

仕事をするようになって、自分の幼さを思い知るようになった。

それでも要領が良かったためになんとかバレずにやってきたけれど、あまりにしんどくて、カウンセリングに行くことにした。

そこでようやっと時間が動き出した気がした。

実際には、自分が頼るのが苦手な人種だと言うことと、どうしても異性が苦手であることを理解しただけだったけれど。

それでも私には十分な収穫だった。

自分を守っていいんだ、自分を優先してもいいんだと思えるようになったから。言いたいことを言えないで飲み込んで一人でひっそりと苦しいというよりは、「苦しい」と訴えられる方が健全だと思えるようになったから。

カウンセリングに行かなくなってから一年以上経って、あの時あたりから少しずつ色んなことをしようという気持ちにもなれて、少しずつ気持ちは動き出している気がする。

今の苦手なことは、褒め言葉を受け入れること。ありがとう言葉を受け入れること。自分に対するいい言葉を素直に受け入れることがとても苦手だと気がついた。

日本人から「そんなことないですよー」「いや、こういうところがダメで…」と言ってしまうけれど、それも受け入れてあげないと、どれだけ褒めてもらっても満足できないし、受け入れてもらえてる感もないし、自分ダメだと思い続けることになるし、悪循環だと理解はしているけれど、まだそこを解く何かは見つかっていない。

いい言葉に慣れるのがいいのか、ドンピシャ言葉が欲しいのかは自分でもわからないけれど、ここが上手く折り合いがつけばもう少し気持ちの面で大人になれる気がする。

いい歳をして何を言っているんだと思われるかもしれない。

それでも私は大人になりたい。

2019-02-04

anond:20190204183535

現実の繊細で複雑な動きを拾いつつ、そこにアニメとしてのメリハリがあわされば意味のある物になる手法だとは思うが。

結果的CGじゃんっていうのが褒め言葉として使われるんだったらねえ。CGでいいじゃん

2019-01-28

リアル」って日本語意味がわかってない案件

anond:20190128071940

リアル」って褒め言葉創作物で実際現実比較したり細かく見たりすれば全然現実的じゃないんだけど、従来の描写よりこだわりがある、演技に熱がこもっていて迫真である、その結果としてそれっぽく臨場感が出てるって意味なんだよ。


アニメ感想で使う例としては「ガルパン戦車リアル」(実際はもっと機械感あるし、女の子が力で動かすにはいろいろしんどいし、戦車砲あたったらとんでもないことになるけど、モデルにこだわりがあって、効果音もいい感じなので臨場感がある)とか。

アニメ以外にもちょっとこだわった刑事ドラマで「警察描写リアル」とか医療ドラマで「手術の様子がリアル」なんて風に使う(現場人間が見たらツッコミどころ満載であるに違いない)。大河ドラマなんてどんなに頑張っても現代人の知識で当時を再現できるはずがないのに、ちょっとテンプレより歴史的事実に寄せるだけでリアルだって言われるからな。リアルだって言われるけど現実全然違うじゃんなんて細かい指摘をするのは無意味。(つまんなかったし臨場感もなかったってのは個人の感想から自由だが)

2019-01-21

なんでお前ら京都弁で煽られると反応しちゃうの?

大体褒め言葉から入るんだから普通に聞き流せると思うんだが、京都弁対応すると逆にイラつくお前ら結構多くないか

割とそのロジックが気になる。

2019-01-15

anond:20190115112212

実際安倍ジャーズみたいなアメコミ系の映画を見てるとマザーファッカーが褒め言葉的な文脈で使われてたりするのでそう勘違いちゃうかもな。

アメ公って自分母親処女を奪ったキリストを信奉してる野蛮人じゃん

しろマザーファッカーって褒め言葉なんじゃね

2019-01-14

anond:20190114185928

いか

私にとってはサバサバはまったく褒め言葉では無いんだ

みんなと同じようにおおらかに仲良くしたいのにそれが出来ない自分の冷たさとか神経質さが嫌なんだよ

その辺読み取っていただきたい

2019-01-09

anond:20190109142845

どすえって廓言葉じゃないの?

あ、だから褒める時に使うのか、元々の方言にないかサービス業言葉なら褒め言葉だもんな

ピアノうまいどすえになる。京都弁は文末にドスエが付くと嫌味でない褒め言葉という意味になる

https://anond.hatelabo.jp/20190109125340

2019-01-08

感想乞食して自己嫌悪した

自分Twitter創作活動をしていて、細々とではあるが作品を公開している。多少の反応は貰えて、いつもはそれで満足していた。

ただ、最近急に自分作品に自信がなくなった。描きたいものも思いつかなくなって、なんとなくペンタブを触ることが減った。

そうすると、過去作品も色褪せて見えてきた。自分作品が全てダメものに感じた。自分は焦った。

そわそわして落ち着かなくなって、自分は思わずマシュマロリンクTwitterに乗せてしまった。「どんなものでも嬉しいからお題や感想をくれ」と書いてしまった。

Twitterにはマシュマロやお題箱みたいなツールがある。そのアカウント匿名メッセージを送るツールだ。

それを通して、自分は誰かになにか言葉をもらおうとした。

呟いてから数分経って、急に恥ずかしくなった。自意識過剰ではあるが、「感想乞食かよ乙」と思われたかもしれないと思った。でも、もしかしたら誰かからメッセージが来るかもしれない、と少し消すのを待った。

しばらくしてメッセージが届いた。ちょっと浮き足立って開いてみると、「新婚」の2文字だった。

頭にはてなマークが浮かんで、すぐに「ああ、お題か」と気づいた。自分が描いていたキャラの中にカップルがいたから、その2人の結婚が見たい、というお題だろう。

メッセージはその1つだけだった。あとは来なかった。

自分は落ち込んだ。そして自分が落ち込んでいることが情けなかった。お題をかく気力もなかった。

「どんなものでも嬉しい」「お題や感想をくれ」と書きつつも、自分が求めていたのはただの褒め言葉だったのだと気づいた。自分モチベーションが下がったから、他人に褒めてもらおうとしたのだ。

なんて愚かな行為だったのだろう。感想褒め言葉が来ないのも当たり前だ。

漫画をあげればいいねRTをされるのだから、誰かしらは褒めてくれるだろう」だなんて軽率に思ってしまったのだ。

ツイートは消した。マシュマロに届いたお題は描くか分からない。この自己嫌悪から抜け出せなくなってしまった。

ここに懺悔すればいくら気持ちが楽になるかと思ったが、ただ自分の愚かさに打ちのめされるだけだった。

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