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はてなキーワード: 入学試験とは

2024-09-21

東工大看護専門学校より学歴が下」

婚活東工大出身の男にあった看護専門学校卒の女性東工大Fランだと思った。同級生Fランに行った子より、入学試験があって選抜された私のほうが学力が上で賢い。この人より学歴頭脳も私のほうが上じゃんと思った。

という事例を、自分はこの目で確認した

自分はこの女性が嫌いなのでここからはっきりと悪口になるが、この女性は何でも自分と比べて、相手自分より上か下か判断する人である

職業年収学歴、親の職業実家が持ち家かどうか、親の職業きょうだい職業出身校などなど

それで、例外なく婚活相手も値踏みしてタイトルに至る

知らないのは仕方がないけど、人を値踏みして比べる趣味がなかったらこんな結果にはならなかったと思う

この人らしいエピソードだなと思った

2024-08-24

anond:20240824102628

校風こそブランドの最たるものじゃん草

過去校風がどうだろうとその時所属してる教師、その時入学する同級生性格がその校風を培った頃の教師や生徒たちと一致する保証なんてどこにもないし

 

進学実績は入学試験による学力選抜の結果とその時所属してる教師指導の結果だよ

 

現時点の実績より「校風」なんて曖昧実態のない風評を重視する、まさにブランド重視の女の考え

2024-07-18

ソフトバンク選手逮捕 神奈川、600円窃盗疑い

野球選手

・塁を「盗む」

投手の癖を「盗む」

・モーションを盗む

と褒められるから



富山第一高校では2年にして4番左翼手

甲子園出場。準々決勝まで進む。

2014育成ドラフト1位指名

2018年引退


中学校時代には学業成績で校内の上位に入っていて、富山第一高校では特別進学コース所属していた。

幸山自身も、現役引退大学受験を決めた直後の取材で、「勉強することは嫌いではない」と語っている

富山県内の高校硬式野球部監督になることを目標に、

日本学生野球協会へ加盟する高校大学野球部での指導必要学生野球資格回復に向けて、2018年12月講習会を受講した。

2019年4月からは、教員免許の取得に向けて國學院大學へ進学[27]。

日本プロ野球選手会によるNPB選手経験者へのセカンドキャリア施策の一環で、

2017年から高卒の元選手に限って実施している入学試験合格したもので、この試験による入学者は幸山が初めてとされる[28]。



大学出て高校野球指導者の道半ばにして

金銭に困窮?

千葉県松戸から横浜の元バイト先まで窃盗に?

合鍵を持っていたり、内部事情レジ状況等知っていたのだろうけど)


神奈川県警青葉署は17日、横浜市青葉区の飲食店侵入して約600円を盗んだとして、建造物侵入窃盗の疑いで、千葉県松戸市、高校非常勤講師

山一容疑者28)を逮捕した。容疑者富山第一から2015年育成ドラフト1位でソフトバンク入団した元選手。18年に退団した。

 逮捕容疑は今年3月22日午前3時ごろから午後3時ごろの間に、横浜市青葉区の飲食店侵入し、現金約600円を盗んだ疑い。「間違いありません」と容疑を認めているという。

 署によると、当時店に従業員はおらず、出入り口から入ったとみられる。幸山容疑者は昨年3月までこの店でアルバイトとして勤務していた。

2024-03-28

大学8割潰したらいいと思う

で、潰した大学を全部もうちょいガチめの職業訓練校に置き換えたらいいと思う。

残した大学は今よりもっとガチガチ研究機関にすればいい。

 

はっきり言って8割くらいの大学研究機関として機能してなくて

社会的には単に就職予備校くらいの機能しか果たしてないんだから

もっと本格的に就職用の施設にしちゃえばいいと思う。

大学でダラダラ将来に必要でもなし興味もない単位を取る時間

自分が就きたいと思ってる職業必要技術技能潰しが効く技術の取得に充てれば

そいつらを採用する企業も今よりは多少は"即戦力"を取りやすくなるだろ。

 

あぁ、入学試験制度とかはとりあえず今のままでいいよ。

ちゃん必要とされる知識必要とされるタイミングまでに取得できるかって指針は

"即戦力"ランク普通に影響するだろうし。

今でも大学ごとに特色があって偏差値低くてもある学部だけは特化してるみたいなのがあるように

大学8割職業訓練校化してもそういう差別化は生まれるんじゃないかな。

AO入試とかも残しとけば勉強は苦手だけど、プログラミングめっちゃやってます

みたいな奴がより高度な訓練校で高度な訓練を受けることができそうだし。

ちゃん学業という社畜訓練を受けた奴が高度な就職訓練を受けて、

そうじゃなかった奴はどうせブルーワーカーになるんだから低度の訓練を受ければいいよ。

社会の構図自体は今のまま変わらなくてもいい。

とにかく今の大学制度ほとんどの場合しょうもない

2024-03-01

anond:20240301175645

そこはそれ、受忍限度ってものがあるでしょう。

いくら願書を遅れて出しても構わないからといって、入学試験が終わって、合格者発表も完了してから

すんませーーーん、願書忘れてましたぁぁ(テヘペロ

されても無理なのは誰でも理解できるでしょうけど、

たった2時間遅れでは、たまたま日下痢してトイレに囚われていただけくらいのことはよくありそうやん?

橋本環奈の母校で教員不祥事

入学試験も佳境を迎えていますが、あってはならないミスが発覚しました。私立博多女子中学校公立高校入試願書を学校側が出し忘れ、生徒3人が志望校受験出来なかったことがわかりました。

願書の出し忘れが発覚したのは、福岡市東区馬出私立博多女子中学校です。

学校などによりますと、在校する中学3年生3人が古賀市にある公立高校受験希望していました。

この公立高校入学試験は、多くの県立高校が3月5日に行われるのに対し、2月22日に実施されるため、願書の閉め切りは2月16日正午に設定されていました。

しかし、願書の提出を担当する学校職員が当該公立高校を県立高校と誤認し、願書の閉め切りは2月20日と思い込んだということです。

2024-02-21

アフリカ言葉を知らないながらもアフリカ言葉で書かれたIQテストで点が取れる日本人入学試験で落とすには

持ち込み禁止アフリカ言葉テーマに沿った作文ないし読書感想文を書かせる試験をするとおのずとゼロ点となるのでアフリカ言葉に詳しい人のみを選抜可能である

2024-02-05

デスティニープランって実現可能性とかばっか言われるけど

実現できないかダメ、ってんじゃなくて

実現可能ってのは前提として、それを受け入れるか否定するかってのが大事ちゃうんか?

単純に、進路選択の自由はあるけど受験戦争メチャクチャハードなのと、進学先は自動で割り振られるけど入学試験なしである意味イージーモードの二択で、それでも!学びたい事があるんだ!で前者選べるかって話でそ

成功した独裁と失敗した民主主義のどっちがいいか的な

2024-01-10

1998年漫画なるたる」の小沢さとみって、「理解ある彼くんw」揶揄に苦しむ女を先んじて描いてたな

小沢さとみ17歳お嬢様女子校万朶学園の高校生

万朶学園は中高一貫校で、高等部から入学に関しては進学率を上げるためにペーパーテスト重視だが、中等部は違う

中等部は家柄も厳しく審査し、片親家庭や両親高卒のような家の子テストができても落とされる

さとみの父はブルーカラーで社宅暮らし収入低め、母親高校在学時にさとみを妊娠高校中退して出産し今はパート勤め

中等部入学試験をさとみは完璧にこなせたが、両親の経歴や肩書校風にそぐわないため受からなかった

小学校の時から可愛くて気弱で泣き虫なさとみは、男子いじめられて煙草の購入を強要されたり殴られたりしていたが、そいつらと同じ公立中に進学することに

いじめの内容自体性的な要素はないが、嗜虐心をくすぐるからターゲットにしているんだし、そのうち性的ものに発展しかねない危うい感じがあった

万朶中の受験を志したのはそういうDQNらと離れるためであったが、行けなかったので中学生になってもさとみはいじめられる

内気すぎて女友達もおらず一方的いじめられるさとみであったが、彼女には高野文吾という幼馴染の素敵な彼くんがいた

文吾はDQNボコボコに殴って武力でもうさとみに手出しさせないようにした

その日のうちに13歳ぐらい同士で初セックスしてラブラブハッピーになるわけだが、さとみはその幸せには浸れなかった

さとみと同じ小学校には、万朶に進学することのできた「校風にそぐう真っ当な家庭」の女の子新川がいた

新川はさとみが中学受験に失敗したことを知ると「また3年間あのバカどもと一緒で大変だね。でもいざとなったら高野くんに守ってもらえばいいから」と発言していた

蔑視を含む嘲笑的なニュアンス言葉である

現代では「理解ある彼くんw」という短い言葉定型化された、「お前は一人前ではなく男に依存し体を開くことで生きられる無能力の脆弱娼婦だ」という意味合いのこもる相手コケにするこの上ない侮辱

さとみは文吾と結ばれるよりも前に、そうなることをコケにされてしまった

からいじめから守ってくれる素敵な彼とラブラブ」という本来素晴らしいはずのシチュエーションの中でも彼女幸せになることができなかった

さとみは文吾とセックスする時、どこか後ろめたいような顔をしている

「男に守られてその代わりに体を差し出すような生き方なんて…」みたいな葛藤をしている

楽しいはずのセックスが、新川によってノイズを混ぜられている

17歳現在のさとみはかつてとは違う居丈高高慢な振る舞いをするようになっているが、呪い払拭しようとあがく虚勢丸出し

一緒に大人になっていく中でいつかは新川呪い言葉払拭できたかもしれないが、さとみも文吾も超常の存在出会たことで大人になれず人間としての余命は残り僅かな存在となった

「男に依存して自立できないクソ女」というニュアンス呪い言葉に蝕まれていたさとみが、一番最後カットでは、ショック死したらしき文吾の体を抱き支えている姿はなんとも皮肉

2023-12-14

教育委員会最後に取り組んだ課題 <其の三>


(前part)

https://anond.hatelabo.jp/20231213191557

3. 若手職員のB君

直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである

最初の方で説明した場面で、職場コピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。

ストレスには耐えられないし、自分勝手スタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手意見曲解することが多かった。

私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行必要個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である

ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。

ところで、あなた職場にもいるのではないか仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレス精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。

残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。

市職員場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。

教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働サービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定基準に達した教育人材を育成することができている。

人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格能力が磨かれ、玉になっていく。

さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合学校歴がよかった。地元の名門公立高校卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。

縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共学童クラブ指導員は、その多くがスカウトである特に男性場合はほぼ100%だ)。教職員採用試験においても、学科面接試験の点数以外で、非公式評価すべき点というのは確かにある。

行政一般事務職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的統計である

高等学校入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。

プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者児童中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合入試前に合格が決まっていた。内申点中三期を満点にするなどして対応する。

マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校入学試験の基本は、学科試験内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。

ただ、その子合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ高校側も不用リスクを取りたくない。名門とされる公立高校問題児が少ない理由ひとつである

B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。

梅雨が明けた頃に、霞が関新卒キャリア官僚研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁研修先のひとつに選ばれていた。

キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。

最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所よもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。

国土交通省官僚が酒を飲んで調子に乗る

 ex.研修部署部長肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど

飲み会最中にB君が頭にきて、国交省キャリア口論になる

国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる

④ほかのキャリア官僚とB君の部署係長が、彼を羽交い絞めにして止めた

……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚場合調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリア東京大学卒だった)。

かくいう私自身も、文部科学省事業査定担当であるとか、会計検査院検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ

人間はいかなる状況の下においても、自己衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当見解であると私は考える。衝動制御することができるし、制御しなければならない。それは現実要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまり一貫性および価値観要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存葛藤解決不能問題さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295



私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。

声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。

B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。

しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。

それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明

本来名誉であるはずだが、その出向期間中退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?

現代社会において、感情が表に出るタイプ人間しんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。



4. サイコパスのC係長

先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。

例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。

係長「お前、こないだできるっていったよな!」

若手部下「すいません」

「なんでできねーんだよ」

「……なんとかします」

「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」

はい。やってみます……」

※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。

後は、イベントだろうか。市区町村においてイベント主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的ものもある。

さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。

その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。

その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである

□ 雨天の場合の中止ラインは?

イベント会場は維持できるのか?

□ 中止の際の広報手段は?

上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テント備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段提示したのがC係長だった。

彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。

私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。

教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社現場責任者と交渉を始めた。

夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社ロビー交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。

私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。

以下、会話を手帳メモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである

「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社契約します。それでいいなら、あなた判断で断ってください。テント作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」

「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」

あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間あなた会社上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる

判断ができません」

「毎年、あんたの会社契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式競争入札せんといか金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間電話するか、あなた判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」

「……」

「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」

「わかりました。指示をお願いします」

係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。

結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業絶対必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である

手続き的には違法である。正しくない。警備会社ロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司処分を受けたという話は聞いていない。

個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。

例えば、テント崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。

(次part)

https://anond.hatelabo.jp/20231216182406

2023-12-07

子供思い込みの強さ

子供思い込みの強さが激しい

学校のなかでおそらく同年代友達からの話が絶対という時期ではあるけど

「無理していい大学ヘ行かないとクズ

偏差値の低い大学は全部fラン

「塾ヘ行って詰め込まないと勉強できない」

みたいなことを言い張って親に金を出させようとする

大学へ行きたいなら何か学びたいものがあるだろうし入学の仕方はいくつかあるし入学試験を受けるなら自分必要勉強すればいいしそもそも高校で授業してくれてるよね

と言っても聞く耳を持たない

2023-11-02

anond:20231102124520

ヒロアカ、序盤は結構好きだったんだけどヴィランが目立つようになってからドンドンつまんなくなってきたわ・・・

入学試験の頃の勢いどこいったねん・・・

2023-09-09

人混みや順番待ちがあまりにも無理すぎる

きっかけははっきりしている。大学生時代東京暮らしからだ。

俺の通ってた高校地方ながら学年最下位でも地方国立目指すようなところで、当然のように俺も国立を受けた。そして前期後期落ちた。

そんなに金がある家でもないし何より俺自身浪人絶対嫌だったのだが、滑り止めのつもりだったマーチもぜんぶ落ちて、結局某G大に入った。


東京暮らしは端的に言って地獄だった。人が多すぎるからだ。

そんなことは入学試験ときに分かるだろうと言わないでくれ。受験時の移動範囲は駅と、大学までちょっと歩いただけだ。田舎暮らしの俺には、東京の人の多さが想像できていなかったんだよ。どこを見ても人、人、人。まさかあらゆるところに人がいて、視界に人が映らないのは自分のボロアパートだけだなんて思いもしなかったんだ。

まれ育った町ではそんなことなかった。通勤通学の時間以外は道を歩いている人なんてほとんどいないし、夜22時にもなればそれなりに舗装された道でも車すら走ってないし、昼間でもコンビニに行けばレジ店員しかいない。だーれも見てないから、夜に散歩して催したら河原立ちションしたりもしていた。だが、東京はどこを切り取っても人の目があってそんなことはとてもできない。


結果、俺はノイローゼ気味になった。元々苦手だったが、より「人がたくさんいる空間」が無理になった。

それでもなんとか卒業まで耐えて、逃げるように地元役所Uターン就職した。


だが、田舎モンが田舎に逃げ帰ってHAPPY ENDとはいかなかった。

さっき書いたことと相反するようだが、地方とはいえ人はまあそれなりにいる。俺のいる役所仕事ジョブローテーションで数年おきに配置換えがされるのだが、最初に配属されたのがよりにもよって市民課の窓口勤務だった。

毎日毎日延々と知らん人と接し続ける業務に苛立ちと吐き気頭痛を覚えるようになりながらも耐えていたが、働き始めて数ヶ月経った頃、俺はクレーマー対応中に突っ伏すように倒れてしまった。後から聞けば真っ青な顔をしていたらしい(そのときに止めてくれよとは思った)。

そこから面談を経て、いまは市民と直接接することがほとんどない部署を優先的に回してもらってる。


まあ、なんだ。俺の精神東京の人混みにブッ壊されてしまったってわけだ。

鬱とか、対人恐怖症とか、パニック障害かいったやつかもしれないと心療内科にも行ったが、特に病名はつかなかった。そもそも知らん人間と同じ空間で待つことが苦痛で仕方がなく、待合室にいるのもうんざりしてしまったので結局通うのをやめてしまった。


30過ぎた今でも、コンビニに入って4, 5人並んでるだけでウワってなって店を出てしまう。後から冷静に考えれば買うもの選んでるうちに列が捌けるかもしれないって思い至るけど、「並ばされるかもしれない」っていう可能性を感じた時点で拒否反応を起こす。

昨年、子供を連れて横浜アンパンマンミュージアムに車で行ったときも、下道に降りてからの車の多さに辟易とし、ついてからの人の多さに具合が悪くなってしまい結局ひとりで車で休んでいた。妻と息子には申し訳ないことをした。妻には「パパとはディズニーランドも行けないね~」なんて言われてしまっている。


何が言いたいのか俺にもわからなくなってきたが、人が苦手なのに都会で暮らしてみようとしてる奴は、1週間でも数日でも本当に耐えられそうか一度滞在してみることをおすすめする。俺のような奴がもううまれないように。

2023-07-25

anond:20230725121700

入学試験ちゃん文章構成力を見ないで入学させておいてきながら入学後適切な指導もせずに、大学生にこの能力がないのは義務教育のせいと言うだけでいいなんて、大学教授って楽ですね

2023-07-16

anond:20230716204214

筆記試験能力高校卒業時の入学試験で把握したのを流用してるんやから面接もその時やって面接偏差値就活説明会フィルターで利用したらええねんという話

2023-06-05

田舎高校に通っていた頃の思い出


昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。

ちょっと長くなるけどごめん。ピュア気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。

かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。

地元の小中学校卒業してからは、家からキロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。

偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校かに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラス大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニアルバイトに挑戦することにした。同じクラス女子アルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。

七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。

60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。

友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。



八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。

その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリストラップひとつ付いていた。

ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品バーコードを読み取っていった。

レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。

その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。

ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。

その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。

Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。



八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃん小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。

で、私も晴れて、初めてもらったお給料美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。

入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃん受け売りだった。「シャンプーしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。

こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。

それで、次の土曜の昼にコンビニレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶あいまい)。ちょっとびっくりした。

増田さん、髪切った?」

どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、

「似合ってるね!!」

と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。

あの頃は、Kさん特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。

瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラス男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさん目力ダントツだった。

ありがとうございます…」

途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。



土日のどちらかで、Kさん接客をすることが多かった。

別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆正月シフトに入る。試験間中休み」という約束を守っていただけ。

月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリ死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。

和やかな日々が続いていた。学校勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子可愛い、ということで有名な広島県東部公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。

その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部活動が終わった後だった。彼女自分の机に座っていて、私は自分椅子をそこに移動させていた。

Mちゃんカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。

「これ、あの人からもらった」

とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。

もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。

増田さん。これどうすればいい?」

「あー、はいはい。うん。すごいね。知らんよ。好きにすれば」

気持ち言葉で表すとこうなった。

そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。

今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。

コンビニを休むようになった。それまでは試験間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金好きな音楽漫画雑誌に使っていた。

美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。



高二の梅雨時だった。Mちゃんコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。

そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。

Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。

Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品ホットスナック炭酸水ビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はいお久しぶりです!」と作り笑いを返した。

昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。

それからKさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。

その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。

馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色ラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。

次の日、コンビニレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズTシャツラフな格好だった気がする。

増田さん、今日どうしたの。金色じゃん」

はい。変えました」

「うん、うん。変わってるね」

「どーですか?」

「似合ってるね!」

この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。

Mちゃん気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。

でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんレジの三番目に並ぼうとしていた。

ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。

でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。

かに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。

「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」

「……兄さん警察呼ぶよ」

「呼べ!!」

「……」

おじさんが退散すると、Kさんバツが悪そうにしていた。ほかの子応援に来たので、私は向こうのレジに行った。



もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。

Kさん手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。

何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。

増田さんはよく動いていてすごいと思う

・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい

・今年中に引っ越すのでその前に

・興味があるならメールがほしい

・興味がない場合は返信はいらない

当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子タイプ男子だった。

そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。

ある夜、その彼氏Kさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさん圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。

もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。

Kさん雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。



高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。

当時、高校を出た後の進路は美容専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。

自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。

その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。

入学試験ちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニ駐車場に入った私を呼び止めた。

お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はいめっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。

その時、Kさんが「増田さん。俺、今日最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日コンビニ最後から。じゃあ、元気で」と、Kさん自転車に乗った。

私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。



あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社契約社員ポジションを探そうか思案している。

実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容専門学校卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。

お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。

この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那カバンに付いているぬいぐるみストラップを眺めていて、思うところがあった。

とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。

2023-05-29

anond:20230528200836

同志社もっとひどいがなぜか教えてやろう。20年くらい前までは、同志社附属中学では「親が同志社」が優遇されるのが当然だった。それで入試クリアできるくらいの勉強はできるけど親が反社すれすれの育ちが悪い連中がくるのを防いでたんだが、「差別だ!」って大騒ぎされて、入学試験だけで入れるようになってしまった。その結果いろんな連中に入り込まれ奴らが仲間を引き入れ、この体たらく慶応ハンド性犯罪で捕まってる奴も、昔の基準では入れなかったんよ。

2023-05-28

なぜ東大生勘違いするのか

高校野球甲子園に行ったからといって、「自分には小説家の才能がある!」「自分漫画家デビューできるはず」と思う人はいないと思うけど、

東京大学入学試験に通ると、「自分東大合格たから、小説家になれるはずだ」「東大合格したのだから漫画家になれるのは当然」と思いこむ人が一定数いるのはなぜだろう。

東大を順調に卒業してエリートコースを歩んでいる人は、そういう勘違いをする人はほとんどいないが、何かの事情中退したり就活失敗したりして、人並みの東大卒になれなかった東大関係者小説家漫画家目指しがち。

東大入試に、小説家漫画家としての才能を問う要素は全くないのに、「東大合格天才=俺はすごい」の誇大妄想が爆発しちゃうんだろうね。

人事担当者として、そのような東大卒(東大中退)が応募してきたら、書類審査を通して、面接で思いっき圧迫面接して落としている。

まあそれが本人のためだから。

2023-05-11

anond:20230511235411

女性社会的弱者だよ。現に、各種の入学試験採用試験でも、女性限定枠の試験が行われている。

社会的に弱い女性でも受かるように、ちゃん配慮した仕組みがようやく整ってきたのが昨今の状況だよ。

そのようなジェンダーギャップの激しい現状において、機械的男性と同じ要求女性に向けるのが正しいことだとは思わない。

2023-04-28

ほとんど学校に行ったことないけど、社会人として働き始めて3年経った。

社会人として働き始めて、3年経った。

いくつかの失敗も重ねたが、今のところ、それなりに順応し、馴染んでいるとおもう。

給与は身に余るほど、仕事内容も悪くない。同僚や上司との関係も良好に進んでいる。

これまでを振り返れば、今は上手く回りすぎているようにさえ感じる。

自分は、日本公教育ほとんど受けていない。まともに通えなかった。

いわゆる「怒る先生」が怖かった。今でも大声で怒鳴る人や、怒りをあらわにする人は非常に苦手だ。

義務教育たる小中学校の9年間のうち、保健室登校を含めても、学校に行った期間は2年に満たない。

続いての高校も2か月足らずでやめた。

しかし、両親が教員だったこともあり、幸いにも、何とか勉強をする環境は与えられた。

通信教育家庭教師、無数の本を与えてくれた。ピアノバイオリン習字などの習い事もできた。

いくつかの科目は両親が教えてくれることもあった。

感情表現の乏しい両親であるが、おそらくさぞやの心配をかけていただろう。感謝しなければならない。

その後、大学イギリス通信制大学に通った。途中から日本通信制大学にも所属する二重学籍だった。

というのも、自分勝手に偏った勉強ばかりに加え、社交性にも乏しい自分にとっては、入学試験がなく、学生間の交流も限られる通信制大学が、ほぼ唯一の現実的選択肢だった。

想定通り、グループワークのコミュニケーションには、社交性と語学力の両面から相応に難儀したが、あらゆる面で実りは多かった。

結局、想定よりも長い7年間、修士まで所属した。

日本就職活動を始めた時、自分のような学生は、面接官に奇異に映ったのだろう、これまでの学業の歩みを詳しく聞かれることが多かった。

少なからずはただの「奇異の目」で終わった。「社交性、精神的な脆さや不安定さに不安が残る」といったコメントをもらったこともある。

妥当懸念だと思う。しかし、いまさら隠しおおせようもない。そのまま続けるしかない。

そんな中でも、いくつかの企業は「主体的な学びの姿勢」と評価してくれた。

ジッサイは、「オモシロ人材枠」として、くじ引き感覚で拾ってくれたのかもしれない。それでも嬉しかった。

この会社で働き、3年が経った。

まだまだ分からないことがほとんどだが、それでも少しずつコミュニケーション能力を補いつつ、専門性も高めてきたと思う。

同僚や上司とも関係は良好で、待遇身分不相応に感じる。

とはいえ、いつ自分不安定さが致命的な落とし穴となるかは分からない、これからだろう。

いつも不安定にふらふらとしている自分が、今にあるのは、周囲の支援と偶然のおかげだとおもう。

今の自分は、本来自分デフォルトからまりに上振れしている。

いつそこに戻ることになるのかは、まだ分からない。戻ることになっても、それはそれで良い、と思っている。

でもまぁ、とりあえず、もう少しは戻らずに進んでみようと思う。

2023-04-13

anond:20230413050437

まず努力をこう定義する。

自らのリソース特に時間)をある目的を達成するために費やすこと

この定義に従えば努力所詮手段であり、目的を達成することが重要。その目的の達成自体価値がない、あるいはリソースを費やす必要なく目的が達成可能であれば努力必要はない。従って、努力は全てのものに対して必要ものではない。

では、何故、人は努力するのか。

入学試験入社試験同業他社との競争給与アップ等、理想的共産主義社会でもない限り、あるいは全ての人に十分な資源が割り当てられる理想的に豊かな社会でない限り、限られた何かの奪い合いは必然的に発生する。それら限られた何かを捨てることができるか、努力なしに手に入れることができれば前述の通り努力必要ない。でも多くの人にとって、限られた何か(多くの場合お金帰着する)はあって困らないし欲しいもの。その競争を避けることは経済的な豊かさを諦めるに等しい。

残念なことに、人間平等には生まれてこない。人それぞれ受け継いでいる遺伝子環境も異なる。ほんの少しの努力リソース投入)で他人に勝つことができる人もいれば多くの努力必要な人もいる。

ただし、競争の種類は一つではないから、肉体的な強さで競争することもあれば、頭脳競争することもあれば、容姿競争することもある。人の才能のパラメータはそれぞれの競争に対して持ち、その値は神様けが知っている。

小学校中学校義務教育や、高校という高等教育入口の段階で努力重要視されるのは、競争から逃げることが経済的脱落に直結するので慣れて免疫をつける必要がある点と、神様しか知らないそのパラメータ自分で知る時期であることだからだ。

伸ばせば伸びる隠れた才能を食わず嫌いで眠らせたまま死んでしまうのは勿体ないし、苦手と得意なものを知っておくことで、得意なもの勝負することが可能になるのだから時間があり余っている子供の頃にいろんなことに自分時間を振ってみて伸びるもの、伸びないもの自分限界を知ることはすごく価値のあること。そしてその中で勝つためのコツを掴んだ者が社会に出てから競争を格段に有利に進めていく。

増田のように悪い思い出しかない者もいるだろう。ただし、それに費やした時間によって知ったことは努力なしでは得られなかったものからそれは決して無駄なことではない。運が悪かったのかも知れないがたまたま才能のないことの確認に費やした努力が多かったのだろう。

競争に勝つことに価値を見出さないのであれば努力ではなくゲーム余暇自分リソースを費やせばよい。それは個人自由批判されるべきではない。ただそれによってギブアップする経済的な豊かさを求めたりするのは虫が良すぎる。競争に参加しないことによって手に入らないもの社会に求めることさえしなければ努力する、しないは自由に選べばよい。それだけ。

2023-04-11

anond:20230410220023

また俺に「大学入学試験によりフィルタリングの役目は果たされており、それ以上のことを大学には期待されておらず、そのフィルタだけで一定役割を果たすことはこれまでの長い採用分析から明らかなので、『いい大学』に入って『いい会社』を目指すのはほとんどの一般日本人にとってコスパ最強」って話をさせるの?

2023-04-04

anond:20230403094144

学ぶのなら入学試験があるところで学ぶとか、新聞雑誌買うとかして選定しないと。

相手自分にあわせて加工してだしてくれないと全部やってたんじゃ人生がとても足りないか意味がないよ

チョコレートを人にあげるのにまずはカカオニブの栽培からやってみたいみたいな。

あるいは、「うどんゆでてよ」「じゃあ小麦から?」みたいな。

そんな今更な不合理をだれもおもしろがれない。

しかもおまえなんて芸能人でもユーチューバーでもない単なる一般人だろ。

いまさらいちいちつきあっても企画にすらなりゃしないよ。

ただおまえがそうしないと食の安全性に納得がいかないとか理由があっていってるのなら

「一番好きな米一種類だけ調べてがんばれば?」…くらいのことは友人としていってやるかもしれんが。

金も時間も有限なんだよ。

 

せめてチャットGTPがもうちょっと賢くなるまで待てよ

2023-03-17

ラッキー東大最低点>東大ギリギリからなかったが学校の授業の内外で、自らの興味・関心を生かして幅広く学び、その過程で見出されるに違いない諸問題を関連づける広い視野、あるいは自らの問題意識を掘り下げて追究するための深い洞察力を真剣に獲得しようとする人

入学試験得点だけを意識した、視野の狭い受験勉強のみに意を注ぐ人よりも、学校の授業の内外で、自らの興味・関心を生かして幅広く学び、その過程で見出されるに違いない諸問題を関連づける広い視野、あるいは自らの問題意識を掘り下げて追究するための深い洞察力を真剣に獲得しようとする人を東京大学は歓迎します。」

点を取らないと何も言えないんだよ

2023-03-12

文字通りに受け取る奴いるよな

誰も見ないアドミッションポリシーとかを読んでる奴とか

大学入試なんて点取れてればいいの

趣味入試問題解いたりかつてのセンター試験受けてた人も居るんだから

参考までに東大の期待する学生像より引用

「(中略)入学試験得点だけを意識した、視野の狭い受験勉強のみに意を注ぐ人よりも、学校の授業の内外で、自らの興味・関心を生かして幅広く学び、その過程で見出されるに違いない諸問題を関連づける広い視野、あるいは自らの問題意識を掘り下げて追究するための深い洞察力を真剣に獲得しようとする人を東京大学は歓迎します。」

入学試験得点が最低点に達していなくてもいいじゃんとはならない

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