はてなキーワード: 入学試験とは
きっかけははっきりしている。大学生時代に東京で暮らしてからだ。
俺の通ってた高校は地方ながら学年最下位でも地方国立目指すようなところで、当然のように俺も国立を受けた。そして前期後期落ちた。
そんなに金がある家でもないし何より俺自身が浪人は絶対嫌だったのだが、滑り止めのつもりだったマーチもぜんぶ落ちて、結局某G大に入った。
そんなことは入学試験のときに分かるだろうと言わないでくれ。受験時の移動範囲は駅と、大学までちょっと歩いただけだ。田舎暮らしの俺には、東京の人の多さが想像できていなかったんだよ。どこを見ても人、人、人。まさかあらゆるところに人がいて、視界に人が映らないのは自分のボロアパートだけだなんて思いもしなかったんだ。
生まれ育った町ではそんなことなかった。通勤通学の時間以外は道を歩いている人なんてほとんどいないし、夜22時にもなればそれなりに舗装された道でも車すら走ってないし、昼間でもコンビニに行けばレジ店員しかいない。だーれも見てないから、夜に散歩して催したら河原で立ちションしたりもしていた。だが、東京はどこを切り取っても人の目があってそんなことはとてもできない。
結果、俺はノイローゼ気味になった。元々苦手だったが、より「人がたくさんいる空間」が無理になった。
それでもなんとか卒業まで耐えて、逃げるように地元の役所にUターン就職した。
だが、田舎モンが田舎に逃げ帰ってHAPPY ENDとはいかなかった。
さっき書いたことと相反するようだが、地方とはいえ人はまあそれなりにいる。俺のいる役所の仕事はジョブローテーションで数年おきに配置換えがされるのだが、最初に配属されたのがよりにもよって市民課の窓口勤務だった。
毎日毎日延々と知らん人と接し続ける業務に苛立ちと吐き気と頭痛を覚えるようになりながらも耐えていたが、働き始めて数ヶ月経った頃、俺はクレーマー対応中に突っ伏すように倒れてしまった。後から聞けば真っ青な顔をしていたらしい(そのときに止めてくれよとは思った)。
そこから面談を経て、いまは市民と直接接することがほとんどない部署を優先的に回してもらってる。
まあ、なんだ。俺の精神は東京の人混みにブッ壊されてしまったってわけだ。
鬱とか、対人恐怖症とか、パニック障害とかいったやつかもしれないと心療内科にも行ったが、特に病名はつかなかった。そもそも知らん人間と同じ空間で待つことが苦痛で仕方がなく、待合室にいるのもうんざりしてしまったので結局通うのをやめてしまった。
30過ぎた今でも、コンビニに入って4, 5人並んでるだけでウワってなって店を出てしまう。後から冷静に考えれば買うもの選んでるうちに列が捌けるかもしれないって思い至るけど、「並ばされるかもしれない」っていう可能性を感じた時点で拒否反応を起こす。
昨年、子供を連れて横浜のアンパンマンミュージアムに車で行ったときも、下道に降りてからの車の多さに辟易とし、ついてからの人の多さに具合が悪くなってしまい結局ひとりで車で休んでいた。妻と息子には申し訳ないことをした。妻には「パパとはディズニーランドも行けないね~」なんて言われてしまっている。
何が言いたいのか俺にもわからなくなってきたが、人が苦手なのに都会で暮らしてみようとしてる奴は、1週間でも数日でも本当に耐えられそうか一度滞在してみることをおすすめする。俺のような奴がもううまれないように。
昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。
ちょっと長くなるけどごめん。ピュアな気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。
かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。
地元の小中学校を卒業してからは、家から十キロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。
偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校とかに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラスで大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニのアルバイトに挑戦することにした。同じクラスの女子でアルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。
七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。
60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。
友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。
八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。
その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツとネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリのストラップがひとつ付いていた。
ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかわからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品のバーコードを読み取っていった。
レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。
その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。
ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。
その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服の男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。
Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。
八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃんは小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。
で、私も晴れて、初めてもらったお給料で美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。
入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃんの受け売りだった。「シャンプーはしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。
こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。
それで、次の土曜の昼にコンビニでレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶があいまい)。ちょっとびっくりした。
「増田さん、髪切った?」
どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からもコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、
「似合ってるね!!」
と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。
あの頃は、Kさんが特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。
瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラスの男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさんの目力はダントツだった。
「ありがとうございます…」
途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。
別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆や正月もシフトに入る。試験期間中は休み」という約束を守っていただけ。
月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリの死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。
和やかな日々が続いていた。学校の勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子が可愛い、ということで有名な広島県東部の公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。
その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部の活動が終わった後だった。彼女が自分の机に座っていて、私は自分の椅子をそこに移動させていた。
Mちゃんがカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色の封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。
「これ、あの人からもらった」
とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんがコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。
もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。
「増田さん。これどうすればいい?」
そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。
今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。
コンビニを休むようになった。それまでは試験期間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金は好きな音楽や漫画や雑誌に使っていた。
美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。
高二の梅雨時だった。Mちゃんがコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。
そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。
Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。
Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品やホットスナックや炭酸水やビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はい、お久しぶりです!」と作り笑いを返した。
昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。
それから、Kさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。
その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。
馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色のラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。
次の日、コンビニでレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズとTシャツのラフな格好だった気がする。
「はい。変えました」
「うん、うん。変わってるね」
「どーですか?」
「似合ってるね!」
この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計の金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんがカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。
Mちゃんの気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。
でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんがレジの三番目に並ぼうとしていた。
ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。
でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。
ほかに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。
「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」
「……兄さん警察呼ぶよ」
「呼べ!!」
「……」
おじさんが退散すると、Kさんもバツが悪そうにしていた。ほかの子が応援に来たので、私は向こうのレジに行った。
もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。
Kさんに手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。
何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。
・増田さんはよく動いていてすごいと思う
・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい
・今年中に引っ越すのでその前に
・興味があるならメールがほしい
当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子者タイプの男子だった。
そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。
ある夜、その彼氏とKさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさんの圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。
もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。
Kさんは雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分は相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。
高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。
当時、高校を出た後の進路は美容の専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校に入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクやファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。
自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。
その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。
入学試験のちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニの駐車場に入った私を呼び止めた。
「お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日も寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はい、めっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。
その時、Kさんが「増田さん。俺、今日で最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日でコンビニは最後だから。じゃあ、元気で」と、Kさんは自転車に乗った。
私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはいい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。
あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社の契約社員のポジションを探そうか思案している。
実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容の専門学校を卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載の営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんがサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。
「お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんはちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日の約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。
この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那のカバンに付いているぬいぐるみのストラップを眺めていて、思うところがあった。
とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。
高校野球で甲子園に行ったからといって、「自分には小説家の才能がある!」「自分は漫画家デビューできるはず」と思う人はいないと思うけど、
東京大学の入学試験に通ると、「自分は東大に合格したから、小説家になれるはずだ」「東大に合格したのだから、漫画家になれるのは当然」と思いこむ人が一定数いるのはなぜだろう。
東大を順調に卒業してエリートコースを歩んでいる人は、そういう勘違いをする人はほとんどいないが、何かの事情で中退したり就活失敗したりして、人並みの東大卒になれなかった東大関係者が小説家や漫画家目指しがち。
東大の入試に、小説家や漫画家としての才能を問う要素は全くないのに、「東大合格=天才=俺はすごい」の誇大妄想が爆発しちゃうんだろうね。
人事担当者として、そのような東大卒(東大中退)が応募してきたら、書類審査を通して、面接で思いっきり圧迫面接して落としている。
まあそれが本人のためだから。
安倍晋三のことを「低学歴www」とか馬鹿にしていたはてなブックマークユーザたちが、何故か小泉"woke"今日子を持ち上げるという心理が、今一つよく分からない。
法学、政治学、歴史学、経済学、安全保障論、何一つ学問的に積み重ねたものを持たない人間だよ?
学が無いことに劣等感を覚えて「その代わりに読書している」と言って、読んでいたのは赤川次郎だよ?学が無いことの埋め合わせとして選ぶ本が、赤川次郎の本という時点で、もう絶望的に頭が悪いじゃん。
まだ、岩波文庫・新書、講談社学術文庫、ちくま学芸文庫、平凡社ライブラリー、有斐閣ブックス辺りを熟読していたなら分かるよ?でも、赤川次郎だよ?
うちの両親は、経済的な理由で高校に行かせてもらえなかった中卒だから、それが悔しくて悲しくて、広辞苑をページの縁が手垢で真っ黒になるまで読み返して、スタンダールとかドフトエフスキーとかヘルマン・ヘッセとかトマス・マンとか古典文学を読んでいたよ。そういう人間を見れば「ああ、心の底から勉強をしたかったんだな」と分かるけど、赤川次郎だよ?ちなみに、うちの両親は、わざわざ「スタンダールやドフトエフスキーを読んだ!」とか、家の外で他人にアピールしたりしないよ?
「事務所から独立して個人事務所を設立しているから、小泉今日子は一味違うんだ」とか言っている人間もいるみたいだけど、学の無い代わりに個人経営者に成り上がった人間なんて別に珍しくもないよ。そういう学問的な下積みも持たない凡庸な人間が、何かに目覚めたつもりになるなんて、歳がいってからネットde真実に目覚めた普通のオッサン・オバサンの典型例じゃん。「ネットを見て、本当の日韓の歴史を知った!」とか言っている学無し零細企業経営者と、知的水準で言えば小泉今日子はドッコイドッコイなんだよ。小泉今日子の場合は、その目覚めたきっかけが彼氏de真実というだけで、ネットde真実と五十歩百歩だよ。
小泉今日子自身や彼氏が芸能界関係者だから、マスメディアから優先的に取り上げてもらえるという、恵まれた身分じゃん。その恵まれた環境にも気づかずに「元アイドルというだけで馬鹿扱いされるているんだ!声を取り上げて貰えないんだ!」とか言うから、嗚呼、元アイドルという肩書とは関係なく馬鹿なんだなと見抜かれているだけじゃん。
元アイドルじゃなくても、この前死んだ坂本龍一にしても、まだ生きているAsian Kungfu Generations後藤にしても、馬鹿なことやトンチンカンなことを言っている時には、ちゃんと馬鹿扱いされているじゃん。
馬鹿が馬鹿に相応しい扱いをされることは、不当じゃなくて妥当なんだよ。そんなに馬鹿扱いされるのが悔しいなら、金もあるんだから個人教授を受けて大検(今は高校卒業認定だっけ?)でも受けて合格すればいいじゃん。芸能人枠・有名人枠じゃない国立大学の入学試験を受けて合格すればいいじゃん。でも、そういう地道な努力をするのは、目立てないからしたくないんだろ?だから、手っ取り早く目立てるように政治的発言をするわけだ。そういう安易さを見抜かれているんだよ。
もうさ、小泉今日子の政治的発言なんて、松本人志が映画監督に挑戦していたのと何ら変わらないわけ。「映画なんかロクに観てへんかったし、脚本執筆も絵コンテの切り方も勉強せえへんかったけど、別に映画監督ぐらい簡単に出来るやろ!」という姿勢だった松本人志と「学校の勉強はしなかったし、法学も政治学も経済学も学んでいないけど、政治的発言で民衆を導くジャンヌ・ダルクぐらい簡単になれるでしょ!」という姿勢の小泉今日子は、同レベルだよ。
紅白歌合戦の出番が済んだら初日の出暴走に出掛けていたような人間を、神輿にするつもりなの? 神輿として持ち上げるにしても、他に選びようがない? そんなに人材難なの?
まあ、ジャニーズを批判して潰すとか、是枝裕和のセクハラを批判して実写邦画業界から追放するとか、そういうことが出来たなら小泉今日子を評価しても良いと思うけどね。
社会人として働き始めて、3年経った。
いくつかの失敗も重ねたが、今のところ、それなりに順応し、馴染んでいるとおもう。
給与は身に余るほど、仕事内容も悪くない。同僚や上司との関係も良好に進んでいる。
これまでを振り返れば、今は上手く回りすぎているようにさえ感じる。
自分は、日本の公教育をほとんど受けていない。まともに通えなかった。
いわゆる「怒る先生」が怖かった。今でも大声で怒鳴る人や、怒りをあらわにする人は非常に苦手だ。
義務教育たる小中学校の9年間のうち、保健室登校を含めても、学校に行った期間は2年に満たない。
続いての高校も2か月足らずでやめた。
しかし、両親が教員だったこともあり、幸いにも、何とか勉強をする環境は与えられた。
通信教育や家庭教師、無数の本を与えてくれた。ピアノやバイオリン、習字などの習い事もできた。
いくつかの科目は両親が教えてくれることもあった。
感情表現の乏しい両親であるが、おそらくさぞやの心配をかけていただろう。感謝しなければならない。
その後、大学はイギリスの通信制大学に通った。途中から日本の通信制大学にも所属する二重学籍だった。
というのも、自分勝手に偏った勉強ばかりに加え、社交性にも乏しい自分にとっては、入学試験がなく、学生間の交流も限られる通信制大学が、ほぼ唯一の現実的な選択肢だった。
想定通り、グループワークのコミュニケーションには、社交性と語学力の両面から相応に難儀したが、あらゆる面で実りは多かった。
日本で就職活動を始めた時、自分のような学生は、面接官に奇異に映ったのだろう、これまでの学業の歩みを詳しく聞かれることが多かった。
少なからずはただの「奇異の目」で終わった。「社交性、精神的な脆さや不安定さに不安が残る」といったコメントをもらったこともある。
妥当な懸念だと思う。しかし、いまさら隠しおおせようもない。そのまま続けるしかない。
そんな中でも、いくつかの企業は「主体的な学びの姿勢」と評価してくれた。
ジッサイは、「オモシロ人材枠」として、くじ引き感覚で拾ってくれたのかもしれない。それでも嬉しかった。
この会社で働き、3年が経った。
まだまだ分からないことがほとんどだが、それでも少しずつコミュニケーション能力を補いつつ、専門性も高めてきたと思う。
とはいえ、いつ自分の不安定さが致命的な落とし穴となるかは分からない、これからだろう。
いつも不安定にふらふらとしている自分が、今にあるのは、周囲の支援と偶然のおかげだとおもう。
今の自分は、本来の自分、デフォルトからあまりに上振れしている。
いつそこに戻ることになるのかは、まだ分からない。戻ることになっても、それはそれで良い、と思っている。
でもまぁ、とりあえず、もう少しは戻らずに進んでみようと思う。
自らのリソース(特に時間)をある目的を達成するために費やすこと
この定義に従えば努力は所詮は手段であり、目的を達成することが重要。その目的の達成自体に価値がない、あるいはリソースを費やす必要なく目的が達成可能であれば努力の必要はない。従って、努力は全てのものに対して必要なものではない。
では、何故、人は努力するのか。
入学試験、入社試験、同業他社との競争、給与アップ等、理想的な共産主義社会でもない限り、あるいは全ての人に十分な資源が割り当てられる理想的に豊かな社会でない限り、限られた何かの奪い合いは必然的に発生する。それら限られた何かを捨てることができるか、努力なしに手に入れることができれば前述の通り努力は必要ない。でも多くの人にとって、限られた何か(多くの場合はお金に帰着する)はあって困らないし欲しいもの。その競争を避けることは経済的な豊かさを諦めるに等しい。
残念なことに、人間は平等には生まれてこない。人それぞれ受け継いでいる遺伝子も環境も異なる。ほんの少しの努力(リソース投入)で他人に勝つことができる人もいれば多くの努力が必要な人もいる。
ただし、競争の種類は一つではないから、肉体的な強さで競争することもあれば、頭脳で競争することもあれば、容姿で競争することもある。人の才能のパラメータはそれぞれの競争に対して持ち、その値は神様だけが知っている。
小学校や中学校の義務教育や、高校という高等教育の入口の段階で努力が重要視されるのは、競争から逃げることが経済的脱落に直結するので慣れて免疫をつける必要がある点と、神様しか知らないそのパラメータを自分で知る時期であることだからだ。
伸ばせば伸びる隠れた才能を食わず嫌いで眠らせたまま死んでしまうのは勿体ないし、苦手と得意なものを知っておくことで、得意なもので勝負することが可能になるのだから、時間があり余っている子供の頃にいろんなことに自分の時間を振ってみて伸びるもの、伸びないもの、自分の限界を知ることはすごく価値のあること。そしてその中で勝つためのコツを掴んだ者が社会に出てからの競争を格段に有利に進めていく。
増田のように悪い思い出しかない者もいるだろう。ただし、それに費やした時間によって知ったことは努力なしでは得られなかったものだからそれは決して無駄なことではない。運が悪かったのかも知れないがたまたま才能のないことの確認に費やした努力が多かったのだろう。
競争に勝つことに価値を見出さないのであれば努力ではなくゲームや余暇に自分のリソースを費やせばよい。それは個人の自由で批判されるべきではない。ただそれによってギブアップする経済的な豊かさを求めたりするのは虫が良すぎる。競争に参加しないことによって手に入らないものを社会に求めることさえしなければ努力する、しないは自由に選べばよい。それだけ。
そもそも数学力をどう定義してるのかという話が全然重視されてないよな。
たとえば数学のテストとか能力と一言に言ってもいろんな要素がある。くもんの数学テスト、就活の適性検査における数学、共通テストの数学、センター試験の数学、東大の入学試験の数学、京大の入学試験の数学、大学院数学科の入学試験における数学……と、もうここに挙げたやつだけで、同じ数学のテストでも全然性質が違って、求められている能力が全く違うわけよ。
フェミニストがよく言ってるような「女性の数学能力が低いのは女性差別のせい」というのは、そもそも一体どの数学力を指すのか、絶対にこれを声高に言ってるたちはわかってないよなと思う。
試験秀才でさえあれば、誰でもそこそこの医者になれる、近代医学と医学教育すげーなーと思う。
医学とまったく関係ない入学試験で点数取れる能力さえあれば、教育を受ければ、医者としてやっていける。
東大文一に入っても、大学の入学試験結果だけでは、法曹としての素質があるかどうか分からないし、法科大学院出ても法曹になれない人は大勢いる。
研究者目指して大学院に入っても、研究者としてやっていけるかどうかは、実際に研究をやらせてみないと分からない。
東京藝大の入試に受かっても、美術や音楽の専門家としてやっていけるのは、ごく一握り。
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ちなみにこの件の実情はこれ↓
義父との関係
さらに、萌景さんは義父との関係にも悩んでいたという。佐々木氏や他のメンバーたちは、「義父と同居していてストレスを抱えている」「夜も眠れない」などという相談を受けてきた。
では、何がきっかけで彼女は自ら命を絶ったのか。被告側は、自殺の原因は事務所によるパワハラではなく、高校進学を控えていた萌景さんに対する母親の言動にあると反論してきた。
17年4月、萌景さんは、一度は通信制の高校に進学したものの、学習意欲を保てず、全日制高校への再入学を目指した。18年2月、全日制高校の入学試験に晴れて合格。萌景さんの恋人も同じ高校への進学が決まっており、二人で一緒の学校に通うことを楽しみにしていたのだ。
だが、そこにお金という“壁”が立ちはだかるのである。それは、入学金、制服代、教科書代など、すべて足して20万円ばかりの金額であった。裁判で原告側が証拠として提出した、母親と萌景さんとのLINEのやり取りは衝撃的だ。
入学金3万円の納付期限を二日後に控えた2月21日、萌景さんは母親に、消費者金融の広告画像を送り、こう聞いている。
〈ここで借りれんのかな?〉
母親の答えは、
〈サラ金なんか大変やけん!〉
親が進学費用を用立ててくれなかったため、16歳の少女はここまで追い詰められていたのである。
結局、この3万円はどうしたかというと、事務所が貸すのである。3月1日に、制服代とかばん代として、6万6000円を再び貸し付ける。母親も了解のうえでだ。それでも、教科書の購入費など約12万円が足らず、これも事務所が用立てることになっていた。だが、そこで一悶着が起きた。
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