庭に金木犀を植えたいと言って、苗木をホームセンターで買ったのは小学生の頃だった。テレビか本か、何かに影響を受けて憧れて買ったその苗木は、植えてすぐに虫がつき、葉はいつでも穴があいてひょろっとした実に貧弱な様子で、ただただ背丈だけを伸ばしていた。
葉付きも悪い病気持ちの金木犀につく花は僅かばかりで、正直植えて数年は自慢の匂いすら薄かった記憶がある。
そうして鳴り物入りで入ってきた若木の前に、我が家の小さな庭には外飼いのわんこがいた。飼い主の知識不足によって、若い頃からフィラリアにかかりずっと病気と闘っていた犬である。そういうと一見可哀想な様相だが、この犬は平均以上に丈夫な身体を持っていた。大きな身体と、ちょっとだけ荒い気性もあって外目には彼が病気でずっと薬を飲んでいるような犬には見えなかったと思う。
たまの発作で苦しむことはあれど、それ以外は概ね元気な子だった。
そんなわんこは持ち前の丈夫さで、大きい体躯ながら15年ほど生きた。
我が家のヒーローはある日突然階段を転がるようにいっきに容態を崩し、あっという間に天に旅立ってしまった。
そうして、彼がいなくなった頃から、帰宅する度に寂しい思いをしていた庭に大きな存在が目につくようになる。
あれほど何をしても貧弱だった金木犀がみるみるうちに枝葉を伸ばしはじめたのだ。薬をやめたにも関わらず、自分から病気を跳ね返し、翌年には幹を太くさせ、初めて大量の花をつけた。
ただの偶然だったのかもしれない。それでも病気の割りに驚くほど元気だった犬を思うと、この木から生命力を分けてもらっていたのか?と考えずには居られない。誰に言っても変な顔をされるが、あの木もわんこを助けてくれていたのだ、と私は思うようになった。
そうして、いくらも間を置かずに生後間もない捨て犬が寂しい我が家に転がりこんでくることとなる。二代目は初代とはまるで違う性格で自由奔放な犬であった。我が儘しほうだいの彼女は、初期のワクチンも手伝い、大きな大病もなく育ったが、晩年は脳梗塞を数度起こし、幾度となく快復しながらも、最後には寝たきりのまま逝ってしまった。二代目を亡くして日が浅いので、つい元気のない時ばかりを思い出すが、そんな彼女は19年と半年を生きた。中型犬にしては大往生といえるだろう。脳梗塞から三年ほどは眩暈と痙攣を繰り返し、何度も獣医に後遺症が残るかもと言われながらきっちり後遺症なく復活する姿はとても逞しかった。倒れたときすら今度も、と皆が思ったけれど、流石に本人の体力も限界だったのだろう。最後までよく頑張ってくれた子だった。
しかし、二代目が息を引き取る3日前。家族が金木犀の枝の殆んどを切り落とした。あの日を境に元気になった木は隣の家に迷惑をかける程に成長した為、仕方のない剪定ではあったが、整えるというにはやりすぎな程すっきりした姿に絶句したものだ。ただの迷信。ただの偶然。それでも、金木犀が自分が生きるための力を注いだがために、二代目の不思議な元気の糸が切れてしまったのでは?と思うのを止められない。
無残に切られた金木犀は、一年程の花は見られないと言われながらその年には新しい枝を伸ばし、見事満開の花を開かせた。実に生命力の強い木である。
金木犀が分けていたのではなく刈られたから犬の生気を吸い取ったのでは…?