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2023-12-21

出産を終えたよ〜

今日夕方

赤子は今ナースステーションで預かってもらってる

明日から母子同室だね

赤子は3500gの女の子

これは大きい方でね、産むの大変だったよ

出産2回目でね、上の子も3500gだったんだけれど、いやー大変だよ

いや大きさは関係いか 大きくても小さくても出産って大仕事だよ

今回は陣痛開始から出産まで2時間スピード出産だったんだけどさ、やっぱ痛いよ

訳あって無痛分娩はできなくてね

2時間ぽっちだけど最後は泣いちゃったよ

でも産んでしまえばこっちのもの

嘘 産んだ後も後陣痛お腹痛い

会陰も切開&裂けたから超痛い

でも産後カンガルーケアお腹の上に乗せられた我が子、可愛かったな〜

明日からがんばるぞい

今日はもう寝るぞい

2022-11-11

未婚女の出産のすべて

まるで、ドゥルンという効果音が聞こえるかのように

胎盤をだし私の出産は終わった。

遡ること7ヶ月前、この子お腹にいることを知った。

当時も独身彼氏はなし

そんなことよりも、3ヶ月後に託されていた仕事をどうしようか…

そればかりを考えていた。

誰にも話さずにいれば何とかなるんじゃないか…いや…無理だ…。

こっそり中絶をして何事もなかったように普段生活に戻ろうか……。どうしよう…

いてもたってもいられずに連絡をしたのは

友人でも家族でもお腹の子父親でもなく

その昔お世話になった知人だった。

久しぶりの連絡なのに突然の話に

彼は、少し驚いてはいたがすぐに「俺の素直な意見は産んで欲しいけどな、」とこちらが内心ホッとするようなある意味無責任意見をくれた。

この段階で、私の答えは決まっていたのかもしれない。

でも、悩んでいたのも事実だ。

その後の退社までの日々は、あっという間といえばあっという間だったし

地獄だったといえば地獄毎日だった。

時に泣き、時に発狂し、

Instagram投稿されているキラキラマタニティライフとは全くの無縁な毎日

マタニティマークなんてつけて街へ出たのは2回程だったし

マタニティウェアは、デニムを1枚買っただけ。

あとは、それまで着ていた服を、なんとなく誤魔化し誤魔化し着ていたくらいで

いかに、妊娠を隠し生きていくかを考えていた気がする。

そして、常に自分選択が、間違っていないのかいたのかを

日々、自問自答を繰り返しこれでよかったと何度も自分に言い聞かせてみたり

今考えると、妊娠という幸せを感じられるほど、私には余裕も時間もなかったのだ。

そんな心の不安定な母を選んだとはつゆ知らず

子は、いろいろとハプニングはありつつも

確実にゆっくりと、私のお腹人間へと成長し続けていた。

そして、予定日の5日前の夜

テレビを診ていると

映画ドラマのようとは決して言えない破水をした。

呑気なものだった。痛みすらない少量の破水

その4時間後、地獄をみるとは知りもせずに病院涼しい顔をして受診した。

思い出したくもない今まで経験したこともない痛さを味わい

野獣のように雄叫びをあげ、痛いと喉が枯れるほど叫び

紫色人間を産み落とした。

カンガルーケア概念に唾を吐くかのごとく

赤子を抱き抱えることも話しかけることも無く寝た。助産師さんが焦るくらい

赤子を気にすることも無く寝落したのだった。

産後感想が冒頭のドゥルンだ。

ドラマ映画のような感動の対面なんてなかったと思う。

そこには、大量の血と痛みと生臭い人間ボロボロの母だけ。

これから先、妊婦の日々なんか気にならないほどの地獄が待っているのだが

そのエピソードは、気が向いたら書こうと思う。

2022-10-31

追記出産した。陣痛から出産退院までの記録。

文末に追記しました。

10ヶ月の妊娠期間を経て、先日出産した。

明け方、自宅で陣痛らしきものを感じ始めた時、寝ている夫を起こしてその旨を伝えたところ「えっ、ぼ僕はどうしたらいい?」と発言後、すこしだけ慌てた様子を見せたと思いきやそのまま二度寝をしていた。

陣痛がきたらやることリストを既に渡していたのになんて頼りない人なんだろう、とほんのり絶望しながら、入院の準備を一人で進めた。

その後陣痛が本格的に痛くなってきた頃、私のうめき声に気づいた夫が危機感を抱いたのか起きてきて準備を始めてくれた。

コロナ禍での諸々の制限のため、病院まで送ってもらったもの玄関前で夫とはお別れをした。

その後、病院陣痛室でしばらく待機をした。

私は無痛分娩選択していたのだが「無痛」といえど全く陣痛経験しないわけではなく、ある程度身体の準備が進んでから麻酔を入れることになっていたため陣痛室で2〜3時間ほど痛みに耐えた。

子宮口が少し開いてきた頃ようやく処置室に移動し背中に管を入れ麻酔注射(点滴?)した。

数分後にはそれまで感じていた規則的なお腹の痛みは嘘のようになくなり、下半身に保冷剤を当てられても冷たさを感じることさえできなくなった。

併せて、お腹バルーンを入れたり、陣痛促進剤を打つなどしてお産を進める準備をした。

処置後再び陣痛室に戻り、軽い食事を摂ったり、持参したおやつを食べたり、スマホをいじったり、仮眠をとったりしていた。

麻酔が切れてくると痛みで何もできずうめき声をあげるだけの存在になってしまうので、度々ナースコールをして麻酔を追加してもらった。

途中からポンプを繋いで自動的麻酔が入るようになり、そこからは一度も痛みを感じることはなかった。

麻酔を入れていなければとてもじゃないが眠れる痛みではないらしいので、無痛分娩選択してよかったなと思った。これが12万円の追加費用価値だ。

ただ、麻酔副作用ゼロではなく、陣痛はないもの身体のいたるところが猛烈に痒くなった。

掻いても麻酔が効いているせいで掻いた気にもなれず苦しい。冷やした濡れタオルかゆい箇所に当て気を紛らせていた。

麻酔を入れ始めてから約7時間後、子宮口7センチ破水し、分娩室へ向かうこととなった。身体に痛みはないものの、ほんの数メートル距離だが車椅子に乗せてもらい移動した。

そこからあっという間に子宮9.5センチまで進んだので夫を自宅から呼び寄せ病院駐車場で待機してもらうことになった。

しか子宮9.5センチからなかなか進まず、結果的に夫は駐車場で4時間待機することになった。

私は、分娩台に乗ってからおやつを食べたり、眠ったり、待ちぼうけの夫には悪いがかなりリラックスして過ごしていた。

しか時間が経つにつれ徐々に吐き気を感じるようになり、分娩台の上で4〜5回ほど嘔吐した。ただ、吐いた後はスッキリするのでさほど辛くはなかった。

この吐き気麻酔副作用だったのか、陣痛中よくあることだったのかは聞いていないため分からない。

時折、身体の中から何かが出てきそうな、便意や痛みに似た妙な感覚があり辛かった。助産師さんにその旨を伝えると肛門のあたりをギューと押してもらうことでかなり楽になったのでやはりプロはすごいなと思った。

子宮口全開大になってからもなかなか赤ちゃんが降りてこず、お産を進めるために破膜することになった。

破膜後30分程でようやくGOサインをもらったので夫に連絡を入れた。

夫が分娩室に到着するタイミングでちょうど吐き気の波が来ていたため、入室するやいなや下半身丸出しおっぴろげ状態で桶を抱えてゲロゲロしている姿をどーんと見せることになってしまい少し恥ずかしかった。夫にとっても、かなりショッキング光景だったように思う。

吐ききってからはお産に集中した。夫は私の隣に立ち、とても真剣に励ましたり応援してくれたり、たまに水を飲ませてくれたりした。

しかいくら応援されても赤ちゃんは出てこない。陣痛がないため、いきむタイミングやコツががつかめなかった。

医者さんが「介入しますね」と言い、私の腹部に全体重をかけるようにしてグイグイ押し出してくれた。それに合わせていきんでみたものの結局自力で出てくることはかなわず、会陰を大きく切開しての吸引分娩となった。

「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」

お産が終わればそのような言葉をかけられるものだと思っていたが、期待していた言葉は聞けず、分娩台に横たわる私のすぐ隣で赤ちゃんへの心臓マッサージが始まった。

医者さんと助産師さんたちがよく分からない言葉で会話をしていた。どこかに電話をかけ、よく分からない言葉説明をしていた。電話相手はどうやら小児科の当直医のようだった。

コウノドリ読まなきゃよかった、と思った。当直医が呼ばれるシーンはろくなことが起きないからだ。産休で暇な中、ちょうど漫画アプリで全話無料だったから読んでしまっていた。

不安不安で仕方がない中、そのまま会陰の処置をされた。かなり縫われたようだが、それを気にする余裕はなかった。また、これも麻酔のおかげで痛みはなかった。

分娩台の上からだと、隣で処置をされている赤ちゃんの様子がよく見えなかった。赤ちゃんに繋がれた機械に、SpO2 85の文字が光っていた。

SpO2って95%以上が正常値じゃなかったっけ。新生児は80台でも問題ないのかな。そんなわけないよな。死んじゃうのかな。いやきっと無事だよな。でも死んじゃったらどうしよう。

そんなようなことをグルグル考えて、出産の余韻に浸ることはできなかった。

後に夫とこのことを振り返ったが、この時の私は「このままショック死するんじゃないかと思った」と言われるような表情をしていたらしい。

しばらくして私服姿のおじさんが分娩室に入ってきた。さっき電話をしていた小児科の当直医らしかった。

まり慌てた様子はなく、助産師さんたちに状況の確認と指示を出していた。

赤ちゃんは、検査をして保育器に入ることになった。

検査へと連れていかれる直前に短時間ならカンガルーケアができるよと言われたものの、その数分で何かが手遅れになるのが怖かったので拒否をした。家族3人の写真を数枚だけ撮り、そのまま赤ちゃんを見送った。

赤ちゃんと共にお医者さんも助産師さんも分娩室から出て行き、夫と二人きりになった。

その時夫とあれこれ会話をした。夫は私を労ってくれていたような気がするが、赤ちゃんのことが心配なのと、疲れ果てて眠いのとで頭がいっぱいいっぱいで、今となっては何を話したかまり覚えていない。

しばらくして助産師さんが戻り、立ち会い終了の旨を伝えられた夫は分娩室から出て行った。

私はそのまま分娩台の上で気を失うように寝落ちした。

2時間ほどで起こされ、車椅子に乗せられ、個室へと連れていかれた。

部屋についてから入院に関するあれこれの説明を受けたものの頭がぼんやりしていたため何を言っているかさっぱり分からず、とりあえず分からないことがあれば聞けばいいやと思いナースコールの番号だけ覚えて眠ることにした。

2〜3時間後に目が覚めると、下腹部と会陰の傷が信じられないほど痛かった。

しばし耐えてみたものの、もうだめだと思いナースコールをかけると、枕元にロキソニン置いてるってさっき説明したよと言われた。そんなの覚えてません。

ロキソニンを飲みしばらくすると少し痛みが引いてきたので再度眠りについた。

翌朝、朝食が部屋に運ばれてきた。ご飯が美味しいと評判の産院を選んでいたため、朝からかなり豪華な食事だった。

しか食事の豪華さ以上に、妊娠中に感じていた味覚の変化が元に戻っていることにいたく感動した。美味しいものを美味しいと感じられることはとても幸せことなのだと思った。

その後ハミガキをした際、妊娠中ずっと悩んでいた舌の白さが軽く磨くだけで綺麗になることに気づき、これにも大変感動した。

たった1日でこんなにも身体状態が変わることが不思議だし、面白かった。

お昼頃には赤ちゃんが保育器から出ることができた。すやすやと眠る元気そうな姿を見て、ほっとして涙があふれた。無事で本当によかった。

産後は母児同室がメインなのだが、「ママの休息と回復が最優先」と言ってくれる助産師さんたちの言葉に甘えて、ほとんどの時間ナースステーションで預かってもらった。

入院中には、だっこの仕方、おむつの替え方、ミルクの与え方、沐浴の仕方、産後の過ごし方などを教わった。

事前に育児本やYouTube勉強していたものの、座学と実践は全く違う。下半身の激痛に耐えながらふにゃふにゃの新生児相手にするのはとても大変だったが、愛おしく、充実した時間だった。

最終日、チャイルドシートを搭載した車で夫が迎えにきてくれた。素晴らしい秋晴れの退院日和だった。

分娩・入院費用で既に42万円を支払っていたものの、諸々の処置や薬代等で追加費用が6万円ほどかかった。一時金の直接支払をあわせて、計90万円也。共働きでよかった。でも、出産保険適用にしてもらえると嬉しいです。

帰宅後、お祝いのケーキを夫が買ってくれていた。妊娠中に食べられなかったお寿司も出前をとってくれた。お寿司ケーキを、ベビーベッドで眠る赤ちゃんを見ながら夫と二人で食べた。

とても幸せ時間だった。


追記 10/31

出産の思い出をインターネットの海に流していつまでも見返せるようにしておこう、あわよくば誰かからおめでとうと言ってもらおうというよこしまな考えで書いたものでしたが、思いのほか多くの方に読んでもらい、お祝いの言葉をいただけて大変嬉しいです。

まだ退院から1週間も経っていませんが、少しずつ新生児との生活にも慣れてきました。

分娩直後はどうなることかと思いましたが、赤ちゃんは元気です。今日たっぷりミルクを飲んでたくさんお昼寝しています

一挙手一投足すべてが愛らしく、天使のように思います

たまに悪魔のように泣き喚いてどうにもならない時もありますが、元気に泣いてくれる方が嬉しいよねと自分と夫に言い聞かせてほどほどに奮闘しています

昨日ようやく命名ができたので、今日出生届等の書類を用意しています確定申告のことは何も考えていなかったので、ちゃんと調べますブコメでのアドバイスありがとうございました。

また、冒頭で少し夫の愚痴を書いてしまいましたが、つわりの酷かった妊娠初期から現在まで、ずっとフルパワーで支えてくれている最高の夫です。

陣痛開始時の二度寝は、100点満点中10億点取っていた中での減点マイナス10点で9億9999万9990点になったくらいなのであまり気にしていません。

2022-09-06

妊娠から1歳までの記録 ※追記あり

追記

ブクマコメントくださった皆さんありがとうひとつひとつ大切に読ませてもらっています

この日記は、コロナ前の2018-2019年妊娠出産したとき書き殴っていたメモスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。

あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)

【※一番最後にも追記しました】


妊娠初期

妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。

仕事趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。

妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センター大勢妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。

エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。

つわり

・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。

つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパートイレ芳香剤香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。

食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理趣味からと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。

妊娠中期

・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だってあんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。

・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性覚悟が座ってきた。

・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。

妊娠後期

妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。

お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気ビリビリ覆われている感じ。

ホルモンのせい

妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。

母親学級にて、先生朗読したポエムわたしあなたを選びました」で、おんおん号泣

TV番組ワイルドライフ 野生動物リアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣

エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。

出産予定日のようすと陣痛

出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月胎動が落ち着いてくるとか聞いてたか特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。

・翌朝破水陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。

帝王切開手術

・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…

感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。

・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw

・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたもの文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。

・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。

・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…

・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。

・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。


・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。

・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子ラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。

産後ハイ

産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。

産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンション二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。

ガルガル

産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開ラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。

・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。

産後ケア施設

実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。

施設は1フロアに7部屋あり基本母子同室。

24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳状態もみてもらえるし、疲れた助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事おやつマッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。

・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃん名前はこの時に2人で決めた。

こころのこと

施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後もっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分自己嫌悪したり。

・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビング精神と時の部屋化する。

おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決

産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事バリバリやってスタイリッシュオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランワインを飲んで…というコテコテ月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの

・我が子はものすごく可愛い毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。

・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。

短期スケジュールを断れるようになった。

・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。

読書映画も途切れ途切れで集中出来ない。

・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活必要最低限の会話だけ。

わがやのこと

・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワージャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。

母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉流行る。うんこしたい時の合言葉になった。

(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)

オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占い

・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。

イベント化する選挙夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。

ドケルバン病

産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛おむつ替えのとき赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。

整形外科通院。手首の腱鞘炎注射むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚感触。。ポクン!て鳴った。

・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。

からだのこと

・やたらとオナラがでるんだが。。。

・首、肩、手首、乳首ボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)

妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…

おっぱい

産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグ差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。

母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。

赤ちゃん

・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。

新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。

・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。

・横顔のフォルムがたまらん、クレヨンしんちゃんみたい。

・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。

・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。

1歳〜そしていま

・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古相手をしている。

・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。

・夜中寝ているときちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。


追記

ガルガル期のところ

実母との関係心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしま性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。

個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的ものですので安心してくださいね。

2022-04-30

くたばれ、スピリチュアル育児

母乳信仰から自然派育児から予防接種拒否…これらはほぼセットで散見されません?さらにそういう方々が自治体の子育て広場みたいなところで熱心にサークルやってたりしますしね

https://twitter.com/tomoe_1129/status/1520097278660587520

を見て、助産師をしている母からミルクを与えていることを咎められたことを思い出した。

母の勤める産院ではミルクを与えるというのはけしからんこととされているらしいが、栄養失調によって障害が出たり死んだりする例がなかったのか不安に思う。

私の場合出産時に出血多量だったために母乳ドクターストップされていたので、ミルク餓死かの二択だったのだが、それでもけしからんかったようで。

その母からは3か月目からは果汁を与えなさいと言われるなど、頓珍漢すぎて白目をむきそうだったので、スピった助産師はこんな感じなんだろうなとすぐに見当がつく。

母は占い血液型性格診断も大好きで、それによる思い込みもすごかった。

これ系のネタで言うと、カンガルーケア、完全母乳、抱っこ慣れさせない育児自然派育児と正しそうに見える育児情報普通にあるので、自分で考える能力を何らかの理由で奪われた親たちはそこにはまって危険育児突入するだろうなと思う。子育てサークルなんかでこういう情報ふつうに入ってくると怖いよね。

誰にも相談できない状態でのワンオペ育児とか長くやってると段々と思考能力が奪われていくが、子育て広場なんかはそういう時に行くところだからな。

2022-04-04

anond:20220403234253

子供が生まれる前からカンガルーケア低体温症になった事例とか完全母乳栄養失調になった例とか知っていたので、そういうのは注意してたな。

その辺の信仰を持っている人がいるのは知っているけれど、信仰押し付ける人にはお前のその押し付け子ども障碍者にしてもいいのかよって思ってた。

まあ、育児にはそういうカルトがいっぱい群がってくるので、ちゃん厚労省とか小児学会とかの出している情報に基づいて育児をしないと危ないと思っている。

母乳から感染する病気場合母乳を与えられないし、そうでない場合も量が少なかったらミルクをメインで行かないと栄養失調になるよね。

2021-01-30

心室中隔欠損症をもって生まれた。の続きの続き。

https://anond.hatelabo.jp/20210130130504

うっかり書きもらしたうえに伏線を回収し忘れるというミス

  • 幼い頃、私は「将来の夢は看護婦さん!」と言っていたが、これは母が「大きくなったら看護婦さんになるんだよね?」と言うのでそれをオウム返ししていただけに過ぎなかった。母の母校の女子高に看護科があったので、母はそんなことを言ったのだと思う。母は何かと娘に自分と同じであることを望む人だった。でも、母は看護科じゃなくて普通科出身なんだなぁ~。真面目に看護師の資格を取ったとしても、私は絶望的に血が苦手で、しかも恐怖の度を超えた途端に具合が悪くなるという嫌な性質を持っているため、医療現場はとことん使えない奴になっていたことだろう。
  • 高校時代に、家に刑事さんが二人私を訪ねてきた。その理由はというと、私が受けた手術を見学していた医者達の中に後にテロリストがいたからだった。私はテロリスト支援者かもしれないと疑われていたのだ。
  • 子供時代はよく、世のため人のためになるようなことをしろとか、有名になれというプレッシャーを感じていた。沢山の国費と医療者の労力で命を助けられたんだから当然だと、よく両親と父方の伯母達から言われていたのだ。祖母とか母方の伯父伯母などは、生きてるだけで丸儲けだろ~とユルく可愛がってくれた。

大学卒業

現在

  • 運動不足すぎるせいか、血行の悪さに拍車がかかり、妊娠中に出来て産後に引っ込んだ静脈瘤が復活してきた。下の子小学校に上がったら、何か動き回れる仕事をしようかなあ。
  • 今も少しはバイトをしているが、それでは動き足らない。
  • の子が「ママ、よーいどんしよ!」とよく言うので、一日に一回はかけっこする。去年初の「よーいどんしよ!」に付き合った時、走ってもあまり脈が早くならず、走ってからしばらく経って呼吸が苦しくなった。大学時代に言われた心臓の反射神経130歳の老人並み、という言葉を思いだし、走る最中に苦しく感じなくても意識して呼吸をするように気をつけてたら、走った後で眩暈がすることはなくなった。
  • もう生まれた当初に宣告された余命よりも30年近く生きているし、なんかもういいだろ、好きに生きても……って思う今日この頃だ。


おしまい

と、思ったらしまえなかったー!

伏線回収をまたしても忘れた!!

2021-01-07

産声ってどんな役割があるの?

産声がない出産=死産という訳ではなく、仮死状態で生まれて産声がない場合もある

「産声がない出産です」→「死産です」という表現があるが、死産じゃない場合もあるから聞き手に親切な表現ではない

産声っていったいなんなんだ。どんな役割があるんだ。呼吸をするなら別に泣かなくてもいいじゃないか

赤ちゃんが産声をあげるのは、

訳のわからん異世界召喚されたショックとか

寒いとか

なんか精神不安とか

そういう気持ち的な問題で産声をあげてるんだと思ってたけどちがうのか?

息を吸ったりはいたりするだけなら、別に泣かなくてもいいと思うが

赤ちゃんの心境を客観的に考えたら帝王切開でも普通分娩でも、羊水の中の世界から異世界召喚されたら誰だってパニック起こして泣きたくなるわ

ちなみに自分が産んだ子ども看護師が取り上げたときに「泣いてないけどすぐに泣かせますから!」って言われて遠くに連れていかれて、カンガルーケアもできなかったから、オギャアオギャアみたいなの聞いてなくて

私は私で胎盤出したり、会陰縫われたりしてたから我が子のことを気にする余裕がなくて、しか子供が私から遠くの位置にいたし、なんかめっちゃ動いてたのは見えた。泣いてたのは泣いてたけど産声ではもうなくなってた(?)

の子どもは産まれた瞬間は産声なかったけど、看護師処置したあとに産声あげたのかな。

産声ってなんなんですか。絶対に泣かなくちゃいけないんですか。

赤ちゃん第一声は産声以外じゃダメなんですか?

2019-10-10

自然分娩が過酷過ぎた

今日、初産で自然分娩で女児を産んだのだが、陣痛過酷過ぎて涙を流して苦しみまくり、弱音を吐きまくり悲鳴をあげまくり、ヤバすぎた。息むときに目を閉じていたら、一瞬いつもの瞼を閉じたのとは違う種類の暗闇が見えて(赤ちゃんを産むために全力で息みながらだと別世界が一瞬見えた)「あ、私は死ぬかも」と思った。妊婦さんによってはいきみで毛細血管がぶちぶち切れたり、何て言うかいつもとは違う馬鹿力を出さないといけないから色々と限界突破するんだと思う。私にとってあの暗闇は世界の終わりに見えた。

通っている病院は「妊婦さんにも子供にもダメージが少ないように自然のお産を目指します。」という方針。私のお産は、破水スタートだったんだけど、破水してから陣痛の間隔が短くなるまで一晩待ち、翌日、子宮口が全開になるのを待ち、赤ちゃんが胎内を回転して自然に降りてくるま半日待ち、陣痛経験したものしかからないと思うが、痛み地獄をずっと味わい続けた。お産で息んで、中途半端なところまで進んだら赤ちゃんが引っ込むなんて知らなかった。息んで赤ちゃんが産道?を進んだらそのままその位置赤ちゃんキープされるものだと思ってた。体力がない妊婦陣痛が起きて、子宮口が開くまで、赤ちゃんが降りてくるまでに体力が尽きて息むのが大変すぎると思う。私の病院は吸引分娩とかしてくれなかったのでひたすら赤ちゃん赤ちゃんの力で赤ちゃんが降りてくるまで待つのが辛すぎた。お産のときは会陰切開もされた。お産をしたあとで麻酔をして針と糸で縫われたから、おそらく会陰切開をリアルタイムでされたとき麻酔なしだったんだと思う。

陣痛最中、息んでいる最中に切られたからか、会陰切開の痛みは感じなかった。しかし、お産のあとの麻酔ありの針と糸で縫う手術は麻酔を使ったにも関わらずやっぱりそれなりに痛かったし、私の場合は、産道の中も切れたらしく、それも縫われていたらしい。

世間では自然分娩の他に無痛分娩や、帝王切開や色々とある

私は一番リスクが低いお産が自然分娩なんだと思ってた。帝王切開子宮と皮膚を二重に切るし、手術中は麻酔が効いていて良いが産後ダメージが半端なさそう。あと、帝王切開障害が残ったお母さんが「私は帝王切開車椅子生活になってしまった。もし、自然分娩か帝王切開あなたが選べる立場ならば自然分娩がいいよ」と書いているブログを読んでちょっとトラウマになった。無痛分娩ニュースでよく死亡事故報道されていて怖いし、背中麻酔の針を刺されるのが怖いし、無痛分娩で息むタイミングがわからず上手くいきめなくて子供の脳にダメージが残り、障害児になってしまったというブログを読んでショックを受けた。

色々と考えて自然分娩が一番いいんだろうなーと思って、自然分娩でお産した私だが、私が産んだ子は色々と事情があって産後すぐに治療必要になり、色々と検査を受けなければならなくなった。何も異常のない元気な赤ちゃんだと信じてはいるが、まだ結果を聞いてないのでドキドキする。

人間やっぱり健康であることが一番なので健康であってくれ。そして、ちゃん大人になり、私が死んだあともたくましく元気に生き続ける子供であってほしい。

私は産後カンガルーケアもできず、入院部屋で他の入院患者新生児可愛い声を聞きながら泣きそうになっているが、どうか我が子は健康であると信じている。

 
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