はてなキーワード: 湿布とは
6末で無職になったんだけど、体調が史上最悪レベルで悪い。なぜだ・・・?
不快度5/5★★★★★
不快度3/5★★★☆☆
仕事をしていた時から右腕は痛かったのだが、最近は左腕も痛くなってきている。
不快度5/5★★★★★
目薬なんて差すんじゃなかった。
目薬が悪いのか、それとも眼精疲労が目薬で顕在化したのかは不明。
PCならそこそこマシ。
不快度4/5★★★★☆
原因はまったくの不明だ。
湿布を張って寝ても、まだまだ痛い。
不快度3/5★★★☆☆
食べすぎて口内炎ができて、
単発ならまだ我慢できるが、他の不調と合わせてかなり辛い。
何が言いたいかと言うと、なぜか仕事を辞めてからの方が体調が悪い、ということだ。
まあとにかく辛い。
今まさに文化の衝突が起きているさなかなので、そういうのが好物な人以外は、今は行かない方が良いよ。
これは、ポジショントークなのに、読む人と利害が一致するタイプの珍しい状態なので、自分の記録も含みで書き残しておくよ
身バレはイヤなので、多少はボカして書くよ。
一番はコレ。そもそも、「どうしようかな?」と悩む人はいったん待つのが良いよ。
なぜならば、プレビュー争奪戦を超え、グランドオープンを終え、週末を2回ほど経た状態なので、どうしても行きたい人は既に相当数が行った後なので。
ただ、X(旧Twitter)でネタバレを踏みたくないとか、自分は休みが合わずに行けてないけどどうしても行きたい!という人は、以下理由のあたりを覚悟して行くのが良いと思う。
ディズニー的な書き方をするなら、ファンタジースプリングスエリアは、まだゲストを迎え入れ始めて間もない状態だよ。
アナとエルサも、アレンデール城にこんなにたくさんのお客様を歓迎するのは初めての経験だし、混乱するのは目に見えているよ。
なので、グランドオープン後の混乱を楽しめるくらいの気概が無いと、正直オススメはできないよ。
東京ディズニーリゾートにおいて、安全は何よりも優先されることで、この優先順位が覆ることは絶対に無いよ。
全てにおいて安全側に倒したコントロールが為されるので、結果として、アトラクションに乗れなかったり動かなかったり、場合によっては表示されている時間よりも並ぶことがあるよ。
そのせいで、なんだか不公平だなと感じることが起きたり、せっかくお金を払ったり時間をかけたのに、思い通りに行かないことが多くなるよ。
これは、ある程度時間が経ってみんなが慣れてくると、キビキビと対応できるようになったり、対策が練られてくる部分があるよ。でも2~3週間でどうにかなるものでは無いよ。
ちょっと最初に言ったことと矛盾するかもだけど、どうしても行きたい人とは別に、すごい思い入れを持った人がまだまだたくさん詰めかけているところだよ。
実話ベースで行くと、アトラクションで友達と「あれすごい!」とか「カワイイ」みたいな声をあげると、ツツかれて「動画に声が入るので遠慮してもらえませんか?」と言われたりするよ。
正直なところこれですらマシな可能性があって、思い入れのある人から見てマナーがなってないと思われた場合、X(旧Twitter)に急に晒されることもあるよ。
これはありとあらゆるところで起こる可能性があるので、ある意味ではちょっとピリピリした状況と言えなくもないよ。
オープン直後のホテルなんて、系列がたくさんあるホテルですら腕利きが集められてなんとか回していくようなことが多いのに、ファンタジースプリングスホテルは前例がないホテルなのでより大変なのは想像に難くないよ。
その上、いまは文化的に大きく異なる人たちが大量に集まっているので、輪をかけて大変なことになっている可能性が高いよ。
ただ、お高めのディズニー関連施設はわりとお行儀の良い人が多いので、とんでもない目に会うことはまず無いと思う。
ホテルでバイトをしたことがある人なら知っている人も多いだろうけれども、ある程度の規模以上のホテルでは、宴会と料飲が稼ぎ頭だったりするよ。
宴会は、パーティーや披露宴なんかだね。割と事前準備の積み重ねと当日の大騒動で乗り切る感じのやつ。
料飲は、いわゆるレストランやバーでのサービス提供で、業態によってはココがホテルの花形だったりするよ。
そして宿泊は、流れ作業でかつイレギュラーが多く、その立地その建物独自の対応方法が大量に存在する、ある意味でノウハウの塊だよ。
意外なことに、巨大な外資企業であっても属人性の高い領域であって、支配人が変わるだけで雰囲気すら変わることすらあるのがホテルの面白いところだよ。
そして、開業間もないホテルにはこのノウハウが十分に蓄積されていないことが多いよ。
まあ、そういうもんだよねーと理解が出来る場合以外はあんまりオススメはできないよ。
ぶっちゃけて名前出しちゃって書くけど、ヒルトン系列でも、コンラッドとヒルトンでは客層がけっこう違うよ。
なんでかっていうと、コンラッドは高いから。ざっくり倍くらい違う。
とはいえ、どこも英語が通じて品質が一定しててある程度期待通りのサービスが受けられるのは間違いないので、せっかくだからコンラッドにしちゃおうか!という人も泊まる。
なので、立地が良いコンラッドなんかだと、記念日のディナーの横で、旅行に来た大家族がもりもり食事を取ってる、なんていう光景もままみられる。
マリオット(リッツカールトン)とかもそうだけど、ある品質のサービスに、結構なお金をポンと払える人がわりと多く泊まっているよ。
とはいえ、これらは代替のホテルがないとどうしようもないので、そこにしかないホテルには、様々な文化圏から色んな前提を持った人たちが宿泊に来るよ。
なので、ちょっと高いけどまあせっかくだしなあ、というくらいの気持ちなら、今は避けた方が無難だよ。
おおむね1泊3~8万円くらいの金額相当で良く泊まってる人ほど避けた方が無難だよ。
(10万越えに良く泊まるような人たちは失敗しても別にそんな痛手もないだろうし好きにしたら良いと思う)
感覚でしかないけど、平日の稼働率が5割超えるような繁盛してるホテルだと、ある程度こなれるのに1年は欲しいような気がする。
ファンタジースプリングスホテルに関して言えば、半年でこなれたあたりでクリスマスを乗り越えて、年明けに夏休みを取り終わったスタッフが揃う2月とか4月あたりがねらい目なんじゃないかなあ。
これから暑くなるし、かと思えばクリスマスも控えてるし、となると、正直今年いっぱいはむつかしいのではなかろうか。
今まさに新エリアには大量の思い入れのある人たちが集結しているし、まあせっかくディズニーシーに来たんだし行ってみたいよね、みたいな人も来ているので、逆に新エリア以外は割と空いているよ。
おおむね、2割引くらいの込み具合だよ。
とはいえ、激烈に空いてる!というほどではないので、まあ、多少オトクかな?くらいで、遠方からわざわざ企画してくるほどの空き具合ではないよ。
ふんわり行ってみたいかもーくらいなら積極的に止めるくらい今の新エリアはわりとピリピリしているよ。
全然行ってないけど東京ディズニーシーに新エリアできたみたいだし行ってみるかーくらいの気持ちでも、あんまりオススメはしない。
個人的には、ファンタジースプリングス・マジックを取れて、新エリアは撮影と雰囲気を楽しめてアトラクションも1つ2つは乗れなくても次の楽しみだよね、というくらいの気持ちの人にだけおススメできる感じ。
なので、どうしても子供が行きたがっている!という人は、おとなしくファンタジースプリングスホテル"以外"でバケーションパッケージを使って予約して、気合を入れて向かって欲しい。
その数ヶ月前に始めていたスクワットが原因かと思って数週間休んだりもした。
が、結局しばらく休んでも完全に痛みは消えず、小康状態になってからスクワットを再開していた。
休みの日には痛みが消えるのであんまり気にはしていなかったのだが、今度は反対側の膝まで痛み出したので仕方なく整形クリニックに行くことにした。
スクワットのしすぎによる腱鞘炎かと思っていたら、レントゲン撮られた上に、軟骨のすり減りによる痛みだと診断された。
しかし、レントゲンをみる限りだと骨がとがってるだけでひどい状態ではないらしい。
じゃあ何でこんな痛いんだ?
結局痛み止めのヒアルロン酸打って、後は湿布と塗り薬を処方されたが、
「足を鍛えるように」
と言われた。そうすることで膝の悪化進行を緩やかに出来るとか。
え?と思って「じゃあスクワットしていいんですか?」と聞くと、痛みが収まるまで止めといた方が良いという。
?
?
?
スクワットせずに足を鍛えろ…?妙だな…この医者何を言っているんだ?歩くのもだめならいよいよ鍛えるなんて無理だ。
じゃあどうやって鍛えるんだと聞くと医者は渋々
と言いつつ寝ながら足鍛える方法を紹介したペラ紙をくれた。膝痛い人向けに足を鍛える方法でググると出て来る奴だ。
それから自分はコンビニジムのエアロバイクを週一で使うことにした。平日に筋トレ40分+エアロバイク20分以上のトレーニング時間を確保するのは難しい。
そして、エアロバイクを使っていると今度は、親指が痛み出した。
原因はエアロバイク中にスマホを見ているからだ。エアロバイクの退屈さは経験したことのある人なら知ってるだろう。ひたすら無心でアレを続けるなど私には無理だ。
とかくこの世はままならない。
この医者ヤブじゃなかろうかと思いつつも他に手はないので湿布を貼っているが、膝の痛みが消えるのは一時だけだ。引いたと思った次の日にはまた痛みが出る。
医者に行く前は芥見下々の描く少女の足の様に太かった私の足も、今は、早瀬ユウカ並みに細くなってる。
ここから更に篠澤広の様になるまで続けなければならないのだろうか
膝の痛みはまだ消えない
学生時代から首・肩・腰の痛みに苦しんでいた。氷河期世代で何とか見つけた就職先では連日連夜の残業から来る首・肩・腰の痛みを発端に体調を崩して30代の記憶があまりない。整形外科で首や腰を牽引したり、温熱療法を受けたり、痛み止めを飲んだり、湿布を張ったりしても効果は一時的だった。処方される湿布は年々価格が上がり、サイズが小さく、枚数が少なくなった。痛み止めの薬もいつの間にかジェネリックになり、リハビリテーションも理学療法士がいなくなり、器具のスイッチを入れるだけのアルバイトに替わってしまった。職場では最近後輩が二人目の育休を取得、仕事の負荷が増してついに肩が上がらなくなった。さらに期待の若手が大企業に転職し、残業がエンドレスになり腰の状態も悪化、メンタルも危うくなってきた。整形外科の先生に痛みとつらさを訴えると、笑顔で「五十肩だね。加齢現象だからしょうがないね」と言われて絶望した。
藁をもつかむ思いで近所に住む義兄が勧めてくれた整体院に行ってみた。地元民でもそれが整体院だとは気付かないほどの地味な外観で、立地が良いわけでもなく、保険も効かないので毎回安くはない施術料を払う必要があるが、リピーターが多く一か月前に予約を取らなければならないそうだ。その施術が魔法ではないかと思った。長年苦しんだ痛みが一回の施術で楽になった。神経の反射を利用した手技らしいのだが、手や足を持って動かすだけで、強い力を加えるわけでもなく特別な器具や装置を使うわけでもない。技術の伝承はすべてその術式の創始者からの口伝に限られており、背景にあるはずの科学的な根拠を記した書籍なども皆無であるにも関わらず、プロのスポーツ選手や医療従事者なども施術を受けに来るそうだ。自分は理系の大学で勉強をして科学の知識はある程度持っていたつもりだったけど、この歳になるまで自分の痛みの癒し方すら知らなかったことに驚いた。
二の腕が痛み出して大体一ヶ月。朝目覚めるたびに少しずつ痛みが鋭くなってきてめちゃ怖い。
これは何を原因としたどういう痛みなのかよく分からず、ストレッチをするにも痛い。痛いのは嫌だ。
加齢によるなんか、四十肩とかそういうものなのだろうか。名称的には十年くらい猶予があるはずなんだが。
もっと放置したら治ってこないものだろうか。そうやって一ヶ月放置して今先月より明らか痛いんだからさっさとどこかへ行くべきなんだけど行きつけの整体もマッサージ店もないのでまず良さげなところを探して予約を入れるところからやらないといけない。出不精が痛みに襲われてんだからいつもの倍増しで動かないに決まってるだろ。
そもそも整形外科なのか?整体か?マッサージ店か?どこに行けば楽になれるんだろうか。全部そこそこに値が張るものだから慎重になってしまう。
何かもっとでかい病気になったときにもこうやって手遅れにするんだろうな。そんな気がする。取り返しがつきそうなタイミングで痛い目見ていこう。
追加
コメント見てびびって病院行ったら関節炎だって。四十肩だよ。時代先取りしちゃったよ。
リポDのシロップ感をやや弱めてほんのりと湿布風味を足したような感じだった。
なんかこう閉ざされた北海道のエスニシティへの憧れというか、そんな期待もありつつ勝手にクラフトコーラ的な味を想定してた。
不味いってほどでもない気もするけど、これならリポビタンフィールの方が美味い。これがコーラと並んでるって本当かよ。
5本も買っちゃってどうすんだよこれ。いや5本にしといて良かったわ。
初めてコンビーフ食った以来の肩透かし感だ。がっかり度はコンビーフの方がデカかったけど、思ってたんと全然違う度はタメを張れる。
漫画の雑なメシ的な描写でたまに出てきて妙に美味そうに見えたけど、実際食ったらあの生臭いような何とも言えん風味全く受けつけなかった。焼いてみてもわさび醤油つけてもマヨネーズかけても思ってた味と掠りもせんかった。
小学3年生くらいの頃、私は夜が怖かった。
お化けや暗闇に怯えていたのではない。
私の宿敵は、成長痛だった。
毎晩、眠ろうとしてベッドに入ると、自分の足から、膝から、骨が軋む音が聞こえた。
実際にはそんなもの聴こえていなかったのだと思うのだけれど、少なくとも当時の私は聴こえるなあと感じていた。
ぎゅ、ぎぎ、という音。私と、私の身体の痛みと、ふたりぼっちの夜は本当に怖かった。痛くて、心細くて、不安だった。
「お母さん、膝が痛い。眠れない。」
普段は甘え下手の子どもだったけれど、あまりの心許なさに痺れを切らし、藁にも縋る思いで母に痛みを訴えても、子どもの成長痛を目の前に母親ができることなどほとんどない。
困った顔で湿布を貼ったりマッサージをしてくれたが、結局、無理やり目を瞑り布団に潜り、なんとか眠りにつくまで、その痛みはずっと私から離れてくれなかった。
東京に出て、お酒やライブハウスの楽しみを覚え、夜が大好きになった。
1年半で、といっても、入社してから研修期間が8ヶ月ほどあったため、実務自体は10ヶ月程度しかしていない。
その後、3ヶ月ほどフラフラしたのち、現在は業務委託という形で働いている。フリーランスのWEB編集者だ。
何時に起きても誰にも怒られないし、満員電車に乗らなくていいし、今日みたいに2駅先の大好きなカフェで仕事をすることもできる。
企画書と名刺があれば、会いたい人に会い、尊敬する人と仕事ができる。
持ち前のフットワークの軽さ、衝動性、興味範囲の広さ、好きなものへの熱量、適度なミーハーさ。
自分の性格を鑑みれば、今のこの生活に飛び込んでみたのは正解でしかない、と思う。
それなのに、私は毎日暇さえあれば怯えて、泣いている。
不安なのだ。毎日、ああ、また朝に追いつかれた、という感覚が拭えない。
楽しさとか、ワクワクを食い殺してしまうほどの、強靭で凶暴な不安が、ずっと私の背中を睨んでいる。
仕事をしなければいけない。
仕事をしなければいけないのは、食っていかなければいけないからだ。自活しなければいけないからだ。
仕事をしなければいけないと、食っていかねばいけないと思えば思うほど、自分の心と身体が硬く閉じていくのを感じる。
しなければいけない仕事なんてないのに、自分で決めたこと、始めたことのはずなのに、だんだん食っていくための仕事になっていく。
なんで他の同級生たちができていることが自分にはできないんだ、親孝行もまともにできていないよ、だなんて、ステレオタイプなつまらない比較と自己否定を、気づけば繰り返してしまっている。
こんな己の貧弱さを、まあいっか、と許してあげるほどのゆとりもない。
朝が来るたびに、もうやめてしまいたい、痛い。人生を前に進めるための足取りが、いつまで経ってもおぼつかない。
家族もいて友達もいて恋人もいて、だけどこの痛みを誰かが軽くしてくれるわけではない。
何か悪いことをしているわけではないのに、無慈悲に襲いかかってくるこの痛みは、あの頃の成長痛と同じだ。
先日、とある仕事の打ち合わせで、フリーランスの先輩とも言えるライターの方にこの成長痛の話をした。
「日記を書いてみたら?」
彼女は、フリーランスになってから増田に日記を書き、それを自費出版したという経験を持つ。
「今、私からはあなたはとても可能性に満ちて眩く見えるし、大丈夫だといってあげることもできる。
だけれど、確かに、あなたの痛みを肩代わりすることは誰にもできないし、他人が何をいってもあなたはきっと不安なままだと思う。
でも、そんな気持ちすらいつかの食い扶持にしてやる、って、泣きながらでも歩けば、気づいたら思いがけない楽しいことに出会えるはずだから。」
もしかしたら同じことばかり書いてつまらない日記になってしまうかもしれない。
成長痛記録、闘病記録、ということにして、痛みとふたりぼっちの日々をここに残してみようと思う。
ここ3ヶ月くらい老化が急激に進んでいる気がして怖い。
・この前膝が動かなくなった(30分くらいで治ったが、朝起きたら突然関節が曲げ伸ばしできなくなった)
・たまに膝の動きがやたら悪くなる
・節々がポキポキミシミシ鳴る
・数日に一回腰痛が酷くて湿布がないと就寝の妨げになる(今も湿布が効くのを待ちながら書いている)
・実家に帰省すると家族が張り切ってたくさんご飯をくれるが、すぐ胃がやられておかゆ食べてる。親にも「食細くなったね」って言われる始末。
夏頃まではこんなことなかったのに…。
自分は高齢者相手の営業なので(羽毛布団じゃないよ)、彼らの「腰痛い」「関節痛い」とかいう愚痴によく付き合っているが、もうこの歳で似たような悩み抱えてるのしんどすぎる。しかもたまにやたら元気な高齢者がいて、どう考えても自分より元気そうで最早笑えてくる。一体どこからその元気湧いてくるんだよ😅オラに元気と健康わけてくれ💦
とりあえず温湿布でも貼ったらどうだ
娘の運動会には毎年必ず参加する。
私が娘の帽子をもらって入場門の列に並ぶと、周りは誰かの父親ばっかりだった。応援席では誰かの母親が頑張れって応援してて、児童席では私の娘が真顔でこっちを見ていた。私は元々運動は得意では無いので、保護者競技は余裕で最下位だった。
退場列の中で、他所の家庭の声援を聞きながら、ふと、ここに夫がいれば良かったのに、と思ってしまった。
「(生きて)いれば良かったのに」に高速変換される。そして「もういない」と続く文章を自覚した瞬間に、突然いろんな言い訳と後悔と思い出がどばどば溢れてきて涙が止まらなくなった。
肩凝りがやばいって笑う夫に湿布を貼ったこと、なんてマヌケなんだろう。コロナ禍なんて気にせず病院に連れて行けばよかったのに、せめて私がもう少し早く仕事から帰っていれば良かったのに。
救急車の赤いライトが眩しかったこととか、病院のよくわからない部屋の前で立ち尽くしたこととか、喪服代わりの黒いワンピースを着た2歳の娘とか、お寺の手配とか、元義両親との今後の会話とか
夫と過ごしたなんでも無い日のこととか、
一瞬で色々なことがフラッシュバックした。
四十九日の時に元義両親から「あなたは強いね」と言われた。ずっと取り乱さず、落ち着いていたね、えらかったね、と。元義母が泣きながら「あなたみたいに強くなりたい」と私に言った。私はずっと呆然としていた。私が落ち着いているように見えたのは、彼が死んだ実感がずっと無かったからだ。ずっと他人事のようで、現実から目を背けて、淡々とふわふわとしていた。でも何故か体重は12kgほど落ちていて、実の両親は私を見て何故か泣いていた。
そして約3年後の今、娘の運動会で保護者競技後に、私は何故か死ぬほど取り乱している。
夫のことは、もうどうにもならないとわかっているはずなのに、涙が止まらず、目の奥で水風船が爆発したみたいだと思った。
たぶん私は自分の地雷を自分で踏んでしまった。それも娘の保育園の保護者競技の退場列の中で。よその家庭と自分の家庭を無意識のうちに比べ、夫がいない実感に自爆した。
運動会の帰り道、首から金メダルを下げた娘に、「○○ちゃん、はしるのにがてなんだね」と言われて、ごめん、と謝った。べつにいいけど、と娘が返す。
娘は、夫が死んでからしばらくして何故かママと呼んでくれなくなった。私をママと呼ぶ人は少数派だからか、私の実両親や実姉のように、私を「○○ちゃん」とあだ名で呼ぶようになった。あだ名で呼ばれる度に、この子にかけた心労とこれからを考えると地味に辛くなる。娘はもう父親を覚えていない。
元義両親との会話を思い出す。
元義両親とはまだ仲が良くて、「20代で、まだ若いんだから、」と再婚を勧められる。
元義両親はずっと優しい。本当に私の人生を思ってくれていて、早く再婚した方が良いと言う。けれど、もうその話をしないで欲しいと断っている。死んだ人の代わりを探すなんて、宝物の無い宝探しみたいだと思う。こんな発想しかできないから、このままでいるべきだとも思う。
保護者競技の写真、走ってる時の私の顔が必死過ぎて、本当に不細工だった。展示するのをやめてくれと思った。
買った写真を見ながら娘が「⚪︎⚪︎ちゃんがうんどうかいにきてくれてうれしかったんだー」と言う、言ってくれる。それが、本当に自分勝手な自惚れだけど、救われる。私も嬉しかった。