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はてなキーワード: トウモロコシ畑とは

2023-08-10

野外でビックリするくらいうんこ出た

トウモロコシが入ってるのを見かけた

きっとこのトウモロコシが芽吹き、数年後

ここには一面のトウモロコシ畑が広がっていることだろう

2022-11-10

「おーん」っていいよね。

北海道トウモロコシ畑のような牧歌的な響き。

2021-05-28

自分の曾祖父戦争の話

太平洋戦争から70年以上経った現在戦争経験者は少なくなっているこのごろ。

私の曾祖父戦争経験なのだが、もう曾祖父は私が生まれる前に亡くなったしその息子である祖父も亡くなった。

それ故にもう戦争を伝える世代我が家にはほぼいない。

けれど祖父が伝えてくれた曾祖父武勇伝…が私の中で残っている。

しかしもしかしたら忘れてしまうかもしれないし伝える子供もいないかもしれないのでここに残しておく。なお、本当にその出来事があったのかは私自身疑問に思うこともあるので「へ〜そんなことがあったかもしれないのか〜おもしろ」みたいに流してもらえればと思う。というかむしろ本当にそうだったか検証してもらいたい。

ちなみに曾祖父戦争の途中で日本へ戻ったため終戦時は地元にいたらしい。

①出立日

祖父戦争の割と初期に徴兵された。出立の日、地元の駅ではみんなご存知のあの「バンザイ」が行われ、列車に乗り込んだ。

目的地がそこそこ遠いため、空いた時間がたくさんあったという。そこでいるメンバーカードゲームらしきもので遊んでいたらしい。戦争に行くとは思えない、まるで遠足に行くかのように和気藹々とした車内だったという。

トウモロコシ畑炭火焼き

祖父が配属されたのは中国とある地域だった。陸軍だったので陸地の移動にはトラックが用いられたらしい。

ある日、曾祖父が同期とトラック運転していると一面のとうもろこし畑が目の前に広がった。曾祖父達は喜び、何故か車内にあった炭火焼きを出して勝手とうもろこしを収穫、焼いて食べたらしい。

しばらくした後、様子を見にきた隊長が「お前達何やってるんだ!」と走りながらこちらへ向かってきた。

その瞬間、隊長のいた場所が爆発し、死亡した。

地雷が仕込まれていたらしく、その地雷トラックをこのまま走らせていたら確実に踏んでいた場所にあったという。食欲が命を救っていたのだった。

ちなみにこの他にもトラック地雷を踏んだ事案はあったが曾祖父特に怪我なく生き延びている。

憲兵を殴る

祖父は酒好きな人で、陽気な人であった。そんな酒をよく飲んだ日の晩、門限を過ぎてから隊へ戻ったとき憲兵からかなり厳しく注意された。

しかしここで曾祖父は「うるせえ!」と酔った勢い憲兵をぶん殴った。

もちろん憲兵を殴るなど刑罰に値することである

そのため曾祖父懲罰房に少しの間入ることになってしまった。

普通な素面に戻り、やってしまったと反省することだろう。

しかし曾祖父には人望があった。

大丈夫か」「これを食え」など憲兵の目を盗んで仲間たちが曾祖父のことを心配し、ご飯差し入れしていたのだ。

そして曾祖父懲罰から出るときには、入った時より太っていたという。

④敵と遭遇し逃亡

その日は霧が濃い日であった。隊が霧の中を進軍し、少し休憩に入ることとなった。曾祖父一休みしすでに休憩に入っている仲間のすぐそばで休憩していた。

もう一度言うが、その日は霧が濃い日であった。ちょっとすすんだ先も危ういくらいの。

強風が吹いたのか、霧が少し晴れる。

すると、仲間の姿が映る。自分のようなアジア系の顔立ち、しかし装備している軍服が違う。

なんと、敵も休憩しているところに曾祖父達も休憩してしまったのだ。

突然目の前に現れた敵に、お互い驚く以外なく。

慌てて撤収し、両軍攻撃せず逃げた。

その日、会敵したにも関わらず戦死者はおろか傷病者も出なかったという。

他にも思い出したら追記するかも。

2020-01-27

テン年代俺的最強ゲームベスト10

いちゲーオタ中年男性ハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。

特別賞『Doki Doki Literature Club!(ドキド文芸部!)』(2017/PC

のっけから特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。

でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。

個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現絶対不可能

本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。

でも、これだけは言わせてほしい。

本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。

その(一見破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対

ああ、すっきり。

では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます

10位  『ASTRO BOT Rescue Mission』(2018/PSVR)

「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」

ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。

僕はかなり潔癖症から、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。

けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVR新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。

ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。

9位  『ショベルナイト』(2014/PCほか)

「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」

あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。

プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品であるアイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。

そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。

8位  『Undertale』(2015/PCほか)

このゲームの印象を喩えて言うなら、

久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感嫉妬軽蔑と相いれなさのような感情腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。

正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。

もし未プレイだったら、このゲームはできればPCsteam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリコンシューマー勢なので、ゲームPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利ナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。

作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二糸井重里系譜に連なる倭人王道シナリオコピーライターと感じる。

確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。

2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。

7位  『デラシネ』(2018/PSVR)

その山の森の奥には古い洋館があった。

庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。

君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。

俺は黙って君を見つめていた。

君は俺に気づかない。

俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。

ああ、なんだかこのゲームやってると批評目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。

本作は「VRで描かれた古典的AVGアドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。

VRしか描けない世界情緒に対して、あまり意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。

『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。

6位  『バウンド 王国の欠片』(2016/PS4/PSVR

もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。

かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女サイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。

しかPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。

画を作っているサンタモニカスタジオゴッド・オブ・ウォー風ノ旅ビト他)の仕事はいだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事白眉と言える。

とにかく、思わず自分少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつ世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。

そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」しか言い様のない儚い感情だ。

5位  『INSIDE』(2016/PCほか)

書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。

が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。

実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。

終盤の怒濤の展開と比類なき生命描写インパクトに心奪われるが、本作の真骨頂木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔心持ちを強く喚起させる。

俺にとって『INSIDE』とは、自己内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分世界との乖離自覚するための尖った注射針であり、神なき世界宗教である

灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。

4位 『スプラトゥーン』(2015/WiiU

人の生には「もっと幸福な時期」というものがたしか存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。

俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっと幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから

そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったか確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。

プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。

が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。

その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。

ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっと幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的理由だ)。

ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。

3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である

3位  『ARMS』(2017/Switch

それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元昇華された「理想的格ゲー」であった。

スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。

そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。

やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアル大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初最後だろう。

余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。

いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sportsゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。

2位 『Rez infinite』(2016/PSVR

2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。

2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器PS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。

AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後体験だった。

それは精神開放であり、身体解放だった。言葉遊びに非ず。

これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。

そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。

1位 『とびだせ どうぶつの森』(2012/3DS

Rez infiniteからまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。

あれだけ昔からどうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか? 

お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。

だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から仮想世界」における、人間存在理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。

一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中ゲームファンに「もうひとつ世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつ生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。

どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。

が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。

それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズド世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——

要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的神秘的なアトモスフィアに由るものだ。

カフカ『城』や村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。

そういうわけで、本作を迷わずテン年代1位に据えたいと思う。

※※※※※※※※※※

長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました

余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。

でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分重要度みたいなものぼんやり浮かび上がってきたので。

異論提言はもちろん、よかったらあなたテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。

ああ、10年はDECADE(でっかいど)。

2019-04-14

時代性という話

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンインディアンに対する差別黒人奴隷プランテーションを大々的に行ったから、建国の父として讃えられることは間違っていると主張するニュース記事を見た。

個人的にはアメリカにもワシントンにも思い入れはないので、別に彼を擁護するわけではないのだが、このような考え方には違和感を覚える。あなたが彼だったとして、あの時代に生きて、奴隷制に反対という立場を取るだけの勇気があったのか?と偉そうなことをいってみたくなるのである。よく言う、時代性を考えれば妥当じゃないかというやつである

どうして時代性という考えが生まれるのか。我々の倫理観はどうして進歩するのか。

人は、環境によってその生き方を変える。アイヒマンという有名なナチ高官がいた。彼はもともとは穏健派でマジメな公務員タイプ人間で、ユダヤ人はアーリア(ドイツ)人と隔離して生活させるべきという思想こそ持っていたが、虐殺することはやりすぎだと当初は考えていた。しかし、他のカリスマある過激派幹部党員たちと討論を重ねた結果、ユダヤ人はやはり根絶やしにするべきだと意見を翻す。

結果としてユダヤ人虐殺する命令書にサインした彼は、当然のことながら裁判にて死刑を言い渡されるが、のちに、彼と同じような圧迫状態に置かれたとき人間倫理にもとる行動を取るかを調べた、いわゆるミルグラム実験において、人間の多くは道徳より権威安全・保身を優先することがわかった。

人を、倫理を、道徳規定するのは環境だ。では環境規定するのは何か?一体何が奴隷という怖ろしい制度肯定する道徳を生むに至ったのか?

ワシントン時代奴隷労働による大規模なプランテーションなしにはアメリカ工業化は支えられなかっただろう。リンカンによる奴隷解放だって北部工業化が十分に進んだ結果、奴隷需要が薄くなったのが原因のひとつだとされている。

彼らは、奴隷労働なしには生きられなかったのだ。少なくとも、奴隷労働なしにはアメリカ今日のような巨大工業国に育つことはなく、このグローバルな科学社会もいまほど繁栄することはなかったであろう。

環境規定するのは科学技術だ。人類の知恵だ。我々の需要を、その時代科学技術が満たしきれないとき、我々は一部の社会的弱者に負担押し付けてやり過ごそうとする。これは時代を超えて起こってきたことだ。日本国内を見ても穢多非人部落など枚挙に暇はない。

奴隷労働という『悪徳』の恩恵享受した我々が、そのことによって得た新たな道徳観で彼らを批判するとはなんだか皮肉だ。回顧主義によって昔の人の悪徳批判するのもいいが、むしろ未来人間批判されるべき悪徳が自らに備わっていないか、我々はもっと考えるべきではないか

非正規雇用労働者医学部不正入試問題保育士看護師と言った一部の職業常軌を逸した低賃金労働、過密環境下での畜養エトセトラエトセトラ……これらは、数十年後科学技術進歩したときにはおそらくほぼ解決されるだろうと私は考えているし、その暁には未来運動家たちの回顧的な批判さらされるだろうとも、私は考えている。

貧困にあえぐ非正規雇用労働者労働者全体の数十パーセントまでをも占めるのはなぜか。会社正規雇用者を雇って保険料その他の経費を払うだけの経営的体力がないからだ。会社流動性の高い人手を求めているからだ。正社員がその要件を満たすようにするための仕組みがないからだ。それらの問題解決し、全ての雇用者たちに十分な生活物資を与えるだけの生産技術を我々が持っていないからだ。

犬や猫といった一部の哺乳類動物愛護法で手厚く守られているにも拘らず、同じ哺乳類でも豚や牛は毎日おびただしい数が動物愛護という概念につばを吐きかけるような環境で肥育され屠畜され死んでいくのはなぜか。そうしないと我々は良質かつ大量の動物性蛋白質を手に入れることができず、そして動物性蛋白質を手に入れなければ人は健全に成長することが難しいからだ。

女性医者になることが嫌われるのはなぜか。女性妊娠したときに、医療という絶対に穴を開けてはならない業務にできる巨大な穴を埋める方法現在見つかっていないからだ。そもそも女性妊娠したときに長期に渡って休職しなければならないほど、医療技術リモートワークが進歩していないからだ。

話はそれるが、医学部不正入試の際に、この問題を提起した人が炎上していた。女性が多くなると、その分医療従事者に負担が増えることになり、システム全体が崩れかねないと。日本に生きている以上、誰しもこの構造的な問題恩恵を受けているはずなのだが、これを一方的に叩いていた人は一体何様のつもりなのか。さぞ時代を先行きする高い道徳心をお持ちなんだろうな、と思いながら見ていた。

もっと直接的な話をしよう。石油資源を燃やさないため、トウモロコシなんかの生物資源から取り出した燃料を使おうという動きはかなり昔からある。だが、もし今すべての車がバイオエタノールを使いだしたら何が起こるか。全ての森林トウモロコシ畑にしたとしても、我々の消費しているエネルギー生産するにはとうてい足りないのだ。つまりバイオエタノール生物燃料という考え方は(少なくとも現行の技術では)人類を支えるだけの力を持っていない。現在の我々は自らの使うエネルギー自己生産することすらできないのである。そして、そのつけを払わされる社会的弱者とは、未来人たちだ。彼らは、化石燃料は燃やし尽くされ、大気汚染され尽くした地球という大きな負担押し付けられるのだ。

この我々の巨大な『悪徳』に対して、我々は未来人になんと言われるのだろうか。呪詛を投げつけられるのだろうか。それとも、時代性という言葉とともに、やんちゃをしてしまった子供を見るような目で許してくれるのだろうか。いずれにせよ、今のところは物言わぬ存在である彼らから批判されないのを良いことに、彼らに莫大な負債押し付けていることは間違いない。

我々は皆、生きていくために必死だということを言い訳に、平気で他者を踏みにじる、巨大な業を背負った罪人なのだ。そして、そうである以上批判されることはあるし、完全に正しく生きてかつみんな幸せにしようなどという幻想は捨てねばならない。様々な意見を取り入れ、熟慮し苦悩した末の自らの選択批判されないと思ったら大間いである。皆あなたと同じように苦しんで、罪を背負って生きているのだ。むしろ、我々の権利とは、自由とは、選択とは、もらった批判を受け入れるか、心の中でくさすか、そこにこそあるのだ。

理想論を語るにしろ現実論を語るにしろ、それを受け入れるところから始めなくては、現代社会問題に関する議論的外れものになってしまうだろう。

2017-06-27

あらいぐまラスカルの思い出

はじめてあらいぐまラスカルを観たのは

大学生くらいの時に深夜、ケーブルTVを回してた時だった。

 

ちょうど観た回はラスカルトウモロコシ畑を食い荒らす回だった

主人公が胸騒ぎで夜中起きて見回りに行くとラスカルが何本も何本もトウモロコシだかをかじり倒していく

かわいらしさの欠片もない光景結構ホラーだった

2016-09-22

ゴリラとのドライブうってつけの日

ドライブに行かないか?」と僕は言った。「ウホウホ」とゴリラと言った。

海を見たことがないゴリラのために、僕は海岸沿いの景色のよい道を選んで運転した。ゴリラは「ウホウホ」と無邪気そうに喜んだ。

しばらくしてゴリラバナナを僕によこした。一緒に食べよう、ということだ。ドライブしながら食べるバナナは、いつもより甘く、ほとんどバナナとは思えないほど美味しかった。

僕たちは食べ終えたバナナの皮をあたりかまわずから放り投げて、ドライブを続けた。

しばらくして、トウモロコシ畑を襲撃するイナゴの群れのように、夥しいパトカーが僕たちの車に近づいてきた。

停車した僕たちを取り囲んだパトカースピーカーから「手を上げて今すぐ車から出てきなさい」と声がした。警察官たちはひとり残らず銃をこちら側に向けていた。

やれやれ、仕方なく僕が車から降りると、一人の警官が「危ないからそこを離れなさい」と叫んだ。彼の銃口は車内のゴリラに向けられていた。警官たちはゴリラを射殺するつもりなのだ

僕は警官に顔を向けたまま「ここでおとなしく撃たれるよりは、いっそ逃げよう」ってゴリラに言った。

そう言い終えた途端、僕の体は宙に浮かび上がり、ヒルトン神宮球場スタンドに放つホームランのように、爽やかな午後の空に放物線を描いた。もちろんそれはゴリラが僕を持ち上げ、警察の包囲の外側へ投げ飛ばしたのだ。

着地すると同時に、警官たちの銃声とゴリラの咆哮が耳をつらぬいた。僕はどうすることも出来ず、必死に走り、その場から逃げだした。

それ以来、ゴリラ消息は分からなかった。僕は時折「あいつは無事に逃げられたのだろうか」と思いながら、それまでの生活に戻っていった。

ある日のこと、僕は新聞地方欄の片隅に、こんな記事を見つける。「ゴリラ捕まる、処刑今日

僕が街の広場に着いた頃には、すでに群衆が断頭台とゴリラを取り囲んでいた。

人混みをかき分けてゴリラに近づこうとする僕とゴリラの目があった。ゴリラは驚いた顔をして「俺のことはいいから、早くここから立ち去れ」と目で合図をした。

「そんなことは出来ない」と僕は目で答えた。ゴリラが僕にしたように、僕も自分の命を投げ打ってでもゴリラを助けないといけない。絶対に助けないと。

けれどもそう思えば思うほど、僕はベトナムの沼地に踏み込んだアメリカ兵のように動けなくなった。百人の小人が両手をつかまえて、体を左右から引き裂いているような心持ちだった。


「だから」と、僕は彼女に言った。「僕はゴリラドライブには行かないんだ。もうあんな目にはあいたくないからね」

何だかおとぎ話みたい」と彼女は言った。

「きっと楽しいけど、僕はゴリラドライブに行ったらいけないんだ。そういう運命なんだよ」と僕は答えた。

「じゃあ、これから私とドライブするのはどうかしら?」と彼女は言った。「もちろん、ゴリラほどには楽しくないかも知れないけれど、そんな悲しい思いはしないと思うわ」

「悪くないね」と僕は言った。

http://anond.hatelabo.jp/20160921123623

2016-05-12

マヤ文明顛末予想

あの少年考古学分野に進学して研究者となる。

数十年たった後も、どうしても星座配置仮説が捨てられず、

話題となったトウモロコシ畑を掘り返したら、地下に埋められた幻の古代文明発見

みたいになるといいね

http://anond.hatelabo.jp/20160511142842

ギズモード掲載専門家コメント



元増田が貼ってる記事編集が入っててどこまでが専門家の言ったことが分かりにくいので、コメントがそのまま載っているオリジナル記事の追記部分を元にざっと訳出

http://gizmodo.com/teen-discovers-lost-maya-city-using-ancient-star-maps-1775735999

Update 2:56 pm

David StuartさんFacebook引用元増田が貼っているものなので省略。

本人のWikipedia情報は以下参照。

https://en.wikipedia.org/wiki/David_Stuart_%28Mayanist%29


Update: 3:25 pm

Thomas Garrisonさんのコメント掲載USC(南カリフォルニア大。1880年設立名門校所属人類学者であり、リモートセンシング専門家でもある。

I applaud the young kid’s effort and it’s exciting to see such interest in the ancient Maya and remote sensing technology in such a young person. However, ground-truthing is the key to remote sensing research. You have to be able to confirm what you are identifying in a satellite image or other type of scene. In this case, the rectilinear nature of the feature and the secondary vegetation growing back within it are clear signs of a relic milpa. I’d guess its been fallow for 10-15 years. This is obvious to anyone that has spent any time at all in the Maya lowlands. I hope that this young scholar will consider his pursuits at the university level so that his next discovery (and there are plenty to be made) will be a meaningful one.

(意訳)若者努力は素晴らしいことだ。しかしこの結論ちょっとリモートセンシングができるなら、この画像トウモロコシ畑の跡地だとはっきり分かる。おそらく10から15年間、休閑地になっているところだろう。マヤ低地を調べた経験があれば、誰でも分かることだ。私としては、この若者が次は有意義発見ができるよう、大学に行って勉強して欲しいと思っている

Garrisonさんはよく似た地形が写っている画像ギズモード提供している。耕作放棄されてから間がない分、もとの画像よりもはっきり形が分かる


Update: 4:30 pm

Ivan Šprajcさんのコメント掲載スロベニア芸術科学アカデミー所属人類学者であり、天文考古学研究している。

Very few Maya constellations have been identified, and even in these cases we do not know how many and which stars exactly composed each constellation. It is thus impossible to check whether there is any correspondence between the stars and the location of Maya cities. In general, since we know of several environmental facts that influenced the location of Maya settlements, the idea correlating them with stars is utterly unlikely.

(訳)もともと、特定されているマヤ文明星座は非常に少ない。それに、星座が分かっていても、それぞれの星座が、正確にはどの星を組み合わせたものなのかは分かってない。したがって、星の位置マヤ文明都市位置が一致しているかをチェックすることは不可能だ。また、マヤ文明居住地位置決定に影響を与えた環境的な要素はある程度分かっている。それに星が関係するというのは、まずありえない

2016-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20160511151050

うーんと、衛星画像の解析の担当先生?の所属先の大学ブログを読むと、次のようにありますね。

For now, they will continue their research to confirm if this site was once the spot of a Mayan settlement.

They would like to visit the site one day if funding is available. The site is about 100 kilometres from the closest town, which is perhaps why no one else discovered it.

It’s right in the centre of the jungle. It’s like an Indiana Jones expedition,” Dr. LaRocque said with a laugh.

http://blogs.unb.ca/newsroom/2016/05/10/unb-researcher-helps-15-year-old-student-discover-forgotten-mayan-city/


”今から、彼らはその場所(this site)にマヤ文明建造物があったかどうかを確かめ研究継続する予定です”

資金調達のメドが経ってから現地調査...。

確実な実地の検証は、お金が集まってからということかね。最寄りの人の住む都市から100キロ離れたジャングルの中を調べるからインディージョーンズ冒険のようなもの、とかって。

確かに、本格的な調査は、これからみたいだね。

  

からマヤ文明専門家の話のように『休閑地トウモロコシ畑と主張してもいい』し、15才の少年カナダ大学先生達のように『マヤ文明の跡だと主張してもいい』が、両者ともに根拠がない、という状態のようですね。

  

シュリーマンだって素人ながらギリシア古代遺跡発見したのだから

  

まだ、何も言えない状態ではないのかな?

加えて、マヤ文明専門家が、論文ではなくてFacebook発言しているのならば、私的意見として言っているだけではないか

2015-10-26

鉄血、あんまり楽しくないな。

もともとあの脚本の人が好きじゃないこともある。キャラクターの扱いが不平等不快なんだ。

説明台詞にも白けるし。まあこれは若い人にも見てもらうために、わかりやすさを優先したのかなとも取れるけど。

やたらシリアス少年兵たちの境遇説明たかと思ったら、あのラブコメ仕様お嬢ちゃんアッパッパー双子は何なんだよ。

トウモロコシ畑で貧しい生活をしてるみたいなのに、なんでビスケットは太ってんだ。まずいレーションばかり食う生活してたんじゃないのか?

背景が一貫してねーよ。

これ三日月さんの俺Tueeeアニメじゃないの?今のとこすべてが三日月さんとオルガきゅんをかっこよく見せるためだけにあるように見えるよ。

要は、お嬢さんも、ギャラルホルンも、三日月たちを搾取してたオッサンたちも、人間としての魅力というか面白みがない。

2話で死んだオッサンも、一見まともそうに見えてただの道化だしな。

魅力のないキャラを相手に優勢になってドヤってる主人公も、魅力的に見えない。

 
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