はてなキーワード: 修士課程とは
タイトル通り、大学院進学希望者が、進学先を決める際にした方がよいこと、すべきことについて助言を書いた。
既に巷に溢れている記事ではあるが、様々なところで進学先の失敗談を聞いて、改めて書こうと思った。主に博士進学を考えているものを念頭に書いたが、修士で就職する人にも参考になるかもしれない。
当方は現在ポスドクで、大学院時代はそこそこ上手くやってきた方であるとは思っている。もちろん、相応の努力はしたが、それだけではない。上手くいった大部分は指導教員、ひいては研究室選びで良いスタートを切れたことによるのだが、修士課程に上がった当時は、右も左もわからず、たまたま見つけた研究室に進んだ。つまり、運が良かったのである。
今だからこそわかることもある。また、諸所で指導教員とのトラブルの話を聞いていると「それは下調べさえしていれば避けられていた・・・」と感じることが多い。
そこで、大学院、特に博士進学まで見据えて考えている人に、今自分が学部4年、あるいは修士2年次であればこうするであろうというTipsを述べたい。
当然、部分的には当たり前であったり、逆に分野によって文化の異なるところもあるかもしれない。なので、納得のいく箇所があれば適宜参考にしてもらえれば幸いだ。
・研究室を探す
まずは自身の関心のある分野の研究室を探さないと始まらない。研究室の探し方は人それぞれで、どうしてもその時々の巡り合わせに左右されてしまう。なので、ここでは私の経験を書く。
私の場合、学部の研究室のテーマからは変える予定であった。具体的ではないにせよ、方向性を決めたのは学部3年生の頃で、大学にその分野の研究室がなかったのだった。仕方がないので、その分野で有名と思しき研究室を調べ、いくつか候補とした。
候補となる研究室は、学部時代の指導教員に当該分野のある大学を聞いたり、学外の研究会に出席することで知った。また、見学に行った先の教員から教えてもらうこともあった。ようはとにかく、行動することだ。
ただ、私の場合は、結局最終的に行き着いたのは学部2年生の頃受講した講義で知った研究者だったので、この点は運がよかったとしか言いようがない。
学会などは、学部生が無料の場合もある。絶好の機会なので参加するとよい。学会にいけば、シンポジウムで当該分野で目立っている研究者の顔ぶれを知ることもできるし、ポスター発表会場で直に会って、実働隊として研究をしている大学院生やポスドクと会話することもできる。「知識もないのに聞いても迷惑ではないのか」と不安かもしれないが、心配はいらない。大部分の研究者は、意欲的な学部生が聞いてくれることを喜んでくれる。邪険に扱ってくる者がいれば、その人の問題なので、気にしなくてよい。
研究室の見学には必ずいった方よい。大学院説明会というのもあるが、可能であれば個別にアポを取って見学にいく方おすすめだ。そちらの方が平常運行の状態の研究室を見ることができるし、個人的な質問や相談ができるチャンスが多いからだ。
多くの研究者は研究室や大学のウェブページに自身のメールアドレスを公開している。そこからコンタクトを取ればよい。大抵の場合は、返信をくれる。メールを書く際には、件名に「研究室見学のお願い」と、要件を必ず書くこと。
メールの文章例を載せる。この例以外にも、「研究室見学 メール」などとググれば文例はいくらでも出てくるので、自身に合った書き方を真似つつ、丁寧かつ、要件が明快なメールを送ろう。
ポイントとしては
といったところだ。
例1
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○○先生
hogehoge大学hoge学部hoge年の○○と申します。
私は大学院進学志望でhogehogeに興味があり,○○先生の研究室を見学したくメールをさせていただきました。
もしお時間があれば研究室を訪問させていただきたいのですがいかがでしょうか。ご連絡お持ちしております。
[ここに名前]
[ここにメールアドレス]
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例2
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○○ 先生
突然のご連絡失礼いたします。
hogehoge大学hoge学部hoge年の○○と申します。
○○先生の研究室を~~~~~~~~~~をきっかけに知り、是非見学させていただきたく、メールを差し上げました。
私は現在~~~[現在の状況]~~~~~で、進学先の進路を模索している最中にあります。
それを考えるにあたり、○○先生の現在のご関心や今後の展望について一度伺いたいと思うに至りました。
つきましては、入試などでお忙しい中大変恐縮ではありますが、2, 3月中に訪問の時間をいただけませんでしょうか。
[ここに名前]
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修士学生ならともかく、学部生は教員にメールを送って見学にいくのは、(他大学だと特に) ハードルが高いかもしれない。しかし、繰り返しになるが、研究室見学には絶対にいくべきだ。相手に無駄な時間を取らせてしまうかもしれないと恐縮する気持ちもわかるが、大学院に進めばあなたは少なくとも2年、場合によっては5年かそれ以上の時間をそこで費やすのだから。
さて、首尾よく研究室見学に行けたとする。何を話し、聞くべきか。こちらから聞かずとも、概ね先方が紹介してくれると思うが、必須な項目を述べておきたい。
・目下の研究について聞く
研究室は大きくなればテーマが多様であることも多いし、先端の分野であるほど研究の流行り廃りは激しい。従って、未来の指導教員が今、現在、何に関心があるのかは率直に聞くべきだ。
とはいえ、下調べは忘れずにしておくの忘れないように。具体的には、見学にいく研究室の直近の論文には目を通しておこう。目安としては、最低5年分はざっと読んでおくとよい。全部理解できなくてもよい。むしろ、理解しきれなくても「面白い」と思えればそれを実際に会ったときにぶつければ会話が弾む。これを面倒に感じるなら、そもそもその研究室はあなたに合った場所なのか考え直すべきだ。
実際に会って話すときは、回りくどい言い方はしなくて構わない。ストレートに聞きたいことを聞けばよい。
「最近の論文、例えば去年のhogehogeに掲載された研究は○○についてでしたが、今後もそのテーマは継続されるのでしょうか?」
「今後5年間では、どのような題材を扱おうとお考えでしょうか?」
「まだ実現していなくとも、先生自身が今後着手したいテーマや注目している現象などがあればお聞かせください」
など。
この手の質問への回答が、あなたの琴線に触れるかどうかが一番大事だ。指導教員が自分と明後日の方向を向いている状態で博士課程を生きるのはかなりつらい。「乗るしかない、このビッグウェーブに!」と思えることがまず重要なのだ。
自分がその研究室に進んだとしたら、どういうことをやりたいのか、興味がどこにあるのかを伝えよう。相手もあなたが何者で、何をしたくて来ているのかわからない以上、何を話せば楽しんでくれるのか探り探りなのだ。博士課程に進むつもりなら、その旨も伝えた方がよい。
興味関心を伝えれば、何を話せばいいのかも明瞭になるし、場合によっては「それを扱うことができない」ときっぱり伝えてくれて時間を無駄にしなくて済むかもしれない。
そうであっても、場合によっては当該分野の研究者を紹介してくれる可能性もある。相手は業界人なのだ。頼りまくって構わない。私自身、それで別の研究室に見学に行かせてもらったことがある。
特にまだやりたいことが明確でない場合、そう伝えればよい。ただ「○○を面白いと思った」といった、どの辺りに関心を持って見学に来ているのかは伝えよう。テーマを決めかねているのを恥ずかしく思う必要はない。多くの教員は「一緒に考えていけばいい」「今日見せたものなら何が面白かった?」「実は君が面白いと言ってくれた○○は今後こうしようかと思っていて・・・」と話を広げてくれるだろう。
余談だが、実を言うと、具体的なテーマが決まっていない方が受け入れ側からすると「楽」な場合もある。なぜなら、学部や修士の学生が独力で思いつくテーマは大抵面白くないのが現実であるからだ。なので、「こういう方向に興味があるが、具体的にはまだわからない」くらいの方が楽しく議論しながら研究を具体化できるので、指導する側からすると気が楽であったりする。最悪なのは「絶対にこれをやりたい」と熱意にあふれているが、そのアイデアがつまらない学生だ。下手に折ると熱意が萎えてしまいかねないが、そのまま受け入れると研究のリソースの無駄になってしまう恐れがある。そのため、気を遣いながら方向修正していく必要があるからだ。
研究には設備が必要だ。自分のやりたいことがある程度決まっている場合、必要な設備も自ずと定まってくる。それが研究室にあるかどうかは、確認した方がよいに決まっている。マウスの研究室でショウジョウバエの研究をしたいと言っても苦笑いされるのが関の山だろう。
また、使いたい設備がわかると、そこから指導教員と会話が広がる可能性もある。どういう方法論に興味があるかがそれで伝わるためだ。
自分が使うかもしれない設備については、研究室の人数に対して適正な規模になっているのかを見ておくとよいかもしれない。例えば解剖スペースが学生数に対して小さすぎると、なかなか自分が使えないといった事態もありうるかもしれない。これは数年の生活では結構なストレスになるので、快適に仕事ができるかどうかは十分に見ておくとよい。
また、実験設備以外にも、共用の院生室などの充実具合も確認しておいた方がよい。
作業机は個人ごとにあるのか、共用であれば十分な広さであるか。私の知っているところだと、二人で一つの机を共用で、曜日ごとに融通し合わなければいけないところがある。キャンパスに通うモチベーションがガクッと下がるのは言うまでもない。
さらに驚くべきことに、ゼミの資料の印刷費が自費という研究室も存在する。学費を払って大学院に来て、さらに雑費まで払わされるのだ。
余談だが、私はコーヒーが好きなので、研究室に上等なコーヒーマシンが置いてあったのはかなりQOLを高めてくれた。
とにかく、見学した際に、自分がそこで生活するイメージが湧くか考えてみよう。
博士院生は金銭に頓着しない人間が多いが、生きていくだけの金銭が確保できるのかはよくよく検討した方がよい。金銭というのは、あまり多くても心理学的な幸福を増加させてくれないが、ないと一瞬で人を鬱にしてしまうのだ。
学振が取れればそれでいいが、問題は修士課程と、博士で学振取れなかった場合だ。
具体的には奨学金、RA (research assistant)、TA (teaching assistant)、学費免除の制度について尋ねよう。研究室によってはRAで学費が実質的にタダであったり、そもそも博士課程に学費がかからないところもある。
一方で、無償でTAをやらせたり、年々あれこれ理由をつけて学費をジリジリと上げている研究科も、私は知っている。
博士課程であれば、学生が非常勤講師をどうの程度しているのかを聞いてみるのもよいだろう。ツテがあれば、非常勤の枠を斡旋してもらえ、収入源となるだけでなく教育歴もつく。
また、日本学生支援機構の奨学金は通常ただの学生ローンであるが、大学院生かつ、一種 (利子なし) の場合、免除制度がある。その研究室ではどの程度通っているのか聞いてみるとよいだろう。
これらのことも、率直に聞けばよい。
のように。
興味がある教員の肩書きが「准教授」である場合、博士号の主査になれないことが多い。
その場合、通常は名目上、その研究科の別の教授に主査になってもらうことになる。その際に不利益が生じることがある。
例えば
真っ当な良心を持っている人には何を言っているのかわからねー部分もあると思うが、私にもわからない。とにかく、現実にあるのだ。
ただ、そのようなことがないかを確認するのは、入学前だと極めて困難であるのが実情だ。
少なくとも、そこの准教授の学生がきちんと学位取得まで学生を育てているのかはよくよく確認した方がよい。
これは博士で、特に学振DCを取る人向け。大学によっては研究費の執行システムがかなり厳格なことがある。研究費不正をなくすためという高邁な精神は清く、正しいのだが、その結果大部分の研究者にとってはただただ煩雑であることも少なくない。将来的にDCを狙う場合は、聞いておいて損はないだろう。
まぁ、「事務は研究者にsupportiveですか?」とか。学生が聞いてきたらちょっと気味が悪いかもしれないが。
研究室の雰囲気というのは面白いもので、実際に脚を運べば必ず漂っている。アクティブな研究室は活気に溢れているし、停滞している研究室には淀んだ空気が流れている。学生が働いている様子を見れば、自分がそこに加わりたいか、実感を持って考えることができるだろう。
気の利く教員なら向こうから、所属している大学院生を紹介してくれる。そうでなくとも見学に行った際には「所属している大学院生と話がしたい」という旨を伝えるとよい。よっぽど後ろめたいことがない限りは、快諾してくれるはずだ。
年収330万の客先常駐をやめて、年収520万の社内SEになりました!
新卒で他業界に進んでいたが2年経ってIT業界に未経験で転職。
転職時は30代前半。
※年齢など、ややぼかして書いてます。
年収は
25歳:450万
27歳:300万
と推移。
客先常駐は給与低いのにスキルはかなりのものを求められて、もううんざり。
お客様的には60〜70万出してるから当たり前なのかもしれないけども。
ミスは決して許されない。
ミスしたら原因探求をしてなるべく他部署の責任へと転化させる。
あと自社がクソ嫌いになる。
自分の単価の6〜7割は自社によりピンハネされ、自社のお偉いさんは定時退社が原則のゆるいお仕事。
特に社長は重役出勤で10時ごろに出社し、事務員を小間使いのように使って悠々自適の生活をする。
社長は何の価値も我々に提供せず、自室(会社の中に社長専用部屋がある)でゴロゴロするだけ。ゴロゴロしてるだけなのに一番高い給与をもらう。その高い給与は我々常駐員の単価からピンハネしたお金である。
社内開発を全くしないのも腹がたつ。
社内開発の案件がたまに来るとなんとかして断ろうとする。社内開発は失敗のリスクがあるが、客先常駐なら失敗のリスクがないからだと思う。
成長を怠り客先常駐の甘い蜜に引っかかったクソ会社だね。今後何の進展もないか、もしくは衰退していく会社の典型です。
周りがみんな優しい!!
でも一番大きいのは
工数つけるの本当に苦手で、特に時間がかかりすぎたタスクがあると現実逃避で工数を変えてしまいがち。
でも今の会社は工数をつけなくてもいい( ´ ▽ ` )楽園か、ここは!!
あとは社長がすごく忙しそうにしている。
おそらく親会社での仕事をいろいろこなしてるのかな?と思うんだけど、よく出張があるしとても大変そう。
重役出勤どころか私よりも早く出社(私は定時出社)し、私より遅く帰る。
客先常駐は部品ごとに担当者が変わるので、作業を分担できるように構造的なプログラムを組むのが普通だ。
再利用がしやすい部品という概念を持つことで、読みやすいプログラム、柔軟性に富んだプログラムが出来上がる。
特に1部品1機能という概念が大切で、1部品に複数の機能を持たせるのは柔軟性に欠けたものとなってしまう。
この発想を客先常駐の中で得たため、転職先での私のプログラミング力はかなり上位にあるようだ。
ただ単に運が良かっただけである。
私は退社してから6ヶ月ほど遊び呆けていた。前職がクソすぎて休息が欲しかったためである。
7ヶ月目に転職活動を再開したが、再開して4日目に現職の企業の求人があったのである。聞けば数年振りの求人らしい。
6ヶ月休息を取っていなければ現職の求人とは出会えなかったであろう。
それだけでなく、この企業よりも先に最終選考まで行った企業がある。
最終選考の感触は悪くなく、教育係(世話役?)の方とも顔合わせがあったほどなのだが、一向に選考結果が届かない。
3日後、最終選考の結果が届き、残念ながら不採用。理由は給与の希望に添えないため、と書かれていた。
もし、ここで合格していたらそこに進んでいて、現職には入っていなかったかもしれない。(実はこの時かなりの金欠でなるべく早く内定が欲しかったのである。)
他にも身バレ防止で詳しくは書かないが、数々の偶然が重なり、現職と出会えた。
一つでも歯車が合わなければ現職には出会えなかったし、無理やり歯車を合わせたりもした。
そして、現職に採用となったことに運が決め手だと思った理由が次である。
しかし、私が選考を通過した理由はこのプログラミング力ではないらしい。
むしろ、入社して分かったことだが、現職の方々はプログラミング能力には期待していなかったらしい。
私が選考を通った理由はおそらく、人柄と大学/大学院の学部が会社のニーズに沿っていたためだと思われる。
やはり会社によって採用のポイントは異なるのだろう。技術力を評価する会社もあれば、人柄を評価する会社もある。
↑ 「統計的に有意でない」というのは「差がない(=平等)」という意味ではありません。
↑意味不明
↑「医学部とそれ以外の学部で女子の入りにくさに差があるというのには、何らかの原因があるのではないか」ということ。「背景にもっと大きな差別問題はある」からこそこの祝辞は東大の入学式にふさわしい。
↑「女子が男子より優れている」とは言っていない。「女子の合格率が男子のそれより低いのは、女子が男子より劣っているから」ではないと言っている。
↑そうですね。
↑「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」はつまり「翼を折られなければ羽ばたけたはずだった」ということ。
↑突然も何も、祝辞の最初から女子学生・男子学生を一般化して取り扱ってきたでしょう。 性差別を批判する文脈では当然です。
とは言え「東大の男子学生がもてる」という言い方も差別的だというのはそうだと思います。「イカ東」みたいな言葉もありましたし。
↑東大の男子学生は「他大の女は頭が悪い」と思っていそうってことでしょう。ここの部分で何を言いたいのかは僕もよくわかりませんでした。
↑実情を知らないようですが、そんなことはありません。東大女子が入れないようにしているのは東大男子です。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。
↑東大のオフィシャルな場で東大批判をするのがいいんでしょう。「東大合格おめでとう!東大万歳」なんて祝辞気持ち悪すぎます。
↑確かに
↑第1人者を自称しているんですから、そうなんじゃないですか?
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
↑私立医学部の入試不正なんて差別の一例に過ぎないってことでしょう。
↑「がんばっただけでは報われなかった。まわりの人や環境に感謝しましょう」ということでしょう。こういう趣旨の祝辞わりとよく聞きませんか?
あと毒親から逃げてきた人もいるかもしれませんが、ごく少数でしょう。この祝辞は最初から最後まで「大多数の」東大生に言及しています。
↑そうですね。
↑そういう人たちを助けてやれってことだよ!
↑そんなことは言ってないでしょう。ここでは「恵まれない人々を助けるための学問をやれ」ということではなく、どんな(分野に進もうとも)周りにいる恵まれない人々のことを慮る人間になれということです。たとえブラックホールやニュートリノを研究しようとも。
↑東大生には弱者もいるし恵まれた人間もいるということでしょう。またある面では恵まれていても、別のある面では弱者ということでしょう。
↑ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?
↑こっちのセリフだわ
↑ここまでの話をまとめると、私立大医学部ではどうやら不正な入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等な入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大の医学部の問題(もちろん背景にもっと大きな差別問題はあるのだろうが)で、東大の入学式の祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子が差別されてる話は具体的な数字出しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字出さないんだよ。
↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。
↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。
↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。
↑てか普通に考えたら 第一:女子は安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
↑どうやって?
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ持たれてることはわかるが、それが実情に反して不当ということならレイプ事件の話持ち出す意味がわからないし、そのイメージが正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。
↑男子サークルって書き方からして完全に男子を悪者にしてるけど他大学の女子が競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能性だってあるだろ。性差別か?お?
↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?
↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。
↑これ普通に気になるな
↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれた環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。
↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?
↑これはまあそういう意見もあるよね。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?
↑「環境と能力に恵まれた東大新入生はそれを恵まれない人々(=弱者)を助けるために使いましょう。」と述べた後で「弱さを認め生きましょう、フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求めます。」と締めるの、結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?
↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?
総評として、全称記号と任意記号の恣意的な混同によってデータを自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。
はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点からの評価のつもりでも、科学の世界を脅かすありふれた権威主義の愚か者の集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。
ブラック企業という言葉が市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室がブラックだとかいった情報は大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。
今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分が修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室だけが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。
第一に、とにかく人員が不足していたというのがあります。まず、先生(教授・講師)はあまり研究室にいませんでした。先生たちは予算の獲得や大学内外の事務に追われるため、多忙になります。基本的に助教や研究員・博士課程の方が下の修士・学士課程の学生の面倒を見ることになります。これだけなら普通なのですが、先生が後先考えずにどんどん仕事を受けてしまうことにより、プロジェクトに対して人間が足りていない状況が常に生じます。(先生曰く「断るの苦手なんだよね~」とのこと。)その仕事は研究だけではなく、各メディアの取材や研究室見学など多岐にわたります。自分が研究室に配属されて一年は、講義を受けるほかに、(詳しくは後述しますが)研究室の立ち上げ用に物を発注したり組み立てたり、見学者対応をやる日々で、ほとんど研究はしなかったように思います。さらに、月一くらいの頻度で(今はだいぶ減りましたが)先生のお友達を呼んで講演兼パーティーをやる準備や、先生の思い付きで増える仕事などに日々忙殺されていました。また、インターンやアルバイトといった形で外部の学生を呼んで研究してもらうこともあり、その人達は雑用をする義務はなくお金をもらいながら成果を出していたのに対し、学費を払っている学生は雑用に追われるといった状況もありました。事務スタッフも教授が所属している社団法人の経理をさせられたり、共同研究先の企業から出向(?)の形で来てた研究員の方も、後述の巨大予算の運営周りの仕事をやらされたりとひどい状況でした。
第二に、新設の研究室で、研究を行う環境づくりをゼロから始めなければいけないことがありました。これは事前からわかっていたことではありましたが、自分の想像以上の大変さでした。情報系の研究室なんて机と椅子とPCを発注すれば、あとは個々人の研究に応じて必要なものを買い足していくだけだろうと思っていました。しかし、先生の方針で、リビングラボという生活空間と研究室が融合したような形態でラボを運営することが決まっていたため、それを満たすような研究室の構築に修士の最初の一年は消えました。なぜ一年もこのようなことをしていたのかというと、9月ごろに先生がとある巨大予算を獲得し、学生・スタッフを増員するとの方針でキャンパスを移動することに決まったからです。一度ゼロから作り上げた研究室をもう一度ゼロから作り上げることになりました。自分としてはキャンパス移動ですら最初に聞いていた話と違うので、とても不満に思いました。通学時間も10倍以上増え、それだけでも大きな負担となりました。(授業は元のキャンパスでやることがほとんどで引っ越すわけにもいきませんでした。)
このような状態でまともに研究が回るはずもなく、助教(自分の所属する学科・専攻で博士までとった唯一の人)はやめてしまいました。そこから、特任研究員の方に学生指導の仕事が集中します。(本来、特任研究員は助教とは違い、学生の指導ではなく自分の研究に専念するという名目で雇用されます。)そして、社会人博士の方がその有能さゆえに研究室内の仕事を一手に引き受けこなしてくれたおかげでなんとかなっていた(?)のですが、当然彼らも自分の研究は進みません。
第三に、教授・講師間でうまく連携が取れていなかったようにも感じました。二人とも物事を放置・後回しにしたり散発的に進んだりと、計画性とは無縁の進行でした。ミーティングでもその場の思い付きのアイデアで話を発散させるばかりで収束には向かわず、学生はどうしたらいいか当惑することが多かったです.
さらに、二人の共感性の低さも研究室内の人間関係に大きくヒビを入れていました。特に事務の方々への接し方や飲み会の席(講師は酒を飲まないので主に教授ですが)での学生に対する発言は聞くに堪えないものがありました。(詳しくは後述)
また、学内の期限(修論の題目の提出など)を過ぎてから学生に通知したりと時間・期限に非常にルーズでした。そのことを詫びる様子もなく平然としている様子も腹が立ちました。その結果、学生や事務員が期限を守らない印象を外部に与えていたのではないかと懸念しています。
オーサーシップ周りに関しても不満が残りました。これは自分ではないのですが、大して面倒を見てたわけでもないのに、camera readyになって急に講師が「見るからオーサーに載せろ」と主張してくることがありました。 教授もゴーストオーサーの常連だからかそれには強く言わず結果的に受け入れられる形となりました。学生側としては教員陣の命令に背くわけにもいきませんしね。(この話に関しては、この研究室に限らず、分野としてそういう傾向があるのかなあと思います。他研究室の話は詳しく知りませんが。)
このように研究室としての体を全くなしておらず、自分を含め最初3人いた同期修了出来たのは自分だけで、1人が休学、1人が留年という形になりました。(もう一人修了者はいますが、別の研究室がなくなった結果移ってきた人です。)
次に、研究室の主である教授の性格が合わず、人間として尊敬できなかったということについて話したいと思います。上司と合わないということはよくあることだと思いますが、よくあることだからこそ、記しておきます。
初めに、衝動的な発言や暴言が多く看過できないということがありました。衝動的気質に相まって、酒癖の悪さがそれを助長していました。例えば、論文を提出できなかった学生に対して「負け犬じゃん」といったり、昔自死した学生に対して「勝手に死んだんじゃん」などといったことがありました。(なお、これらの発言は学生や職員に窘められ即座に撤回しましたが、そう思っていたという事実は消えないと思います)。その他にも配慮のない発言が多くありました。
また、自己顕示欲の強さとマウンティング(いわゆるイキり)が挙げられます。「君たちは潤沢な資金のあって、待遇のいいこの研究室に来てラッキーだ」などといった身内へのイキりを聞いた時は、上で書いたような現状に疲弊していた自分の感情を逆なでするのには十分でした。また、自分は偉く、自分が言ったことはどんな無茶でも通ると思っているきらいがあり、無茶な予算申請で事務の人を疲弊させることが多くありました。それにあきれ果てた事務の人が次々とやめることがあり、その結果事務仕事が逼迫することもありました。怪しい予算の使い方をしていて、機構の人に怒られたみたいな話を聞きました。大学に目をつけられているのはいわずもがな。
内弁慶というわけではなく、外部の人間に対しても自分を良く見せようとしていることが多く、鼻につくこともありました。自分にはこのような先生の在り方が、いわゆる口だけの軽薄な人間に感じられてしまいました。いい環境を作りたいとは口では言いつつも自分は何もせず下の人間が苦労したり(「然るべきとき然るべき場所」というアイバン・サザランドの言葉をよく引用しますが、これが「然るべき場所」なら笑止です。)、自分は人脈のハブだといいつつスタッフをなかなか引っ張って来れなかったり(前の大学にいるときこの業界で悪評が立ち、人が来たがらないとの噂)とあきれかえることが多かったです。他にも「教育が最優先」と口では言いつつも後回しにしたり、下の人間に任せているようなことなどとにかく「口だけの人間」というイメージです。隔月で1回20分ほどの面談で教育したということなのでしょうか。
専門用語を拡大解釈して援用することで知識人を気取るようなスタンスが多く見受けられたのも癪に障りました。例えば、「インピーダンスマッチング」という、高周波の電気信号の伝送路において、入力と出力のインピーダンス(電圧を電流で割った値で直流回路では抵抗にあたります)を合わせるという意味の言葉があります。この単語は力学などでも用いられます(こういった多分野に共通する背景理論を研究しようという思想を持っているのが我が学科・専攻です)が、これを特に理論的背景もなく「折り合いをつける」くらいの意味で使って、さも各分野に精通している感を醸し出すことに長けていました。他には「バウンダリーコンディション」とかもありますね。微分方程式で言うところの境界条件です。これを前提・条件みたいな意味で使います。(こちらについては検索すると若干引っ掛かりますが。)これらにツッコミを入れた学生は以降食事会に呼ばれなくなりました。自分に媚を売らない用済みな人間は簡単に切り捨てるようです。こういった拡大解釈した単語を用いてアナロジーを使い、自分の分野に話を引き寄せるのは上手いなと感じていて、知識がない人を煙に巻いたうえで自分の得意技を披露するのは、非常に参考になると思いました。
3つ目に研究分野であるHCI研究(と研究者コミュニティ)との不適合について書きたいと思います。これは研究室自体の問題というより、自分との相性の問題ですが、研究に着手できなかった大きな要因のひとつです。
そもそも、自分はどちらかというと、巨大で合ったり高性能であったりするものを着実に組み上げていくのが好きで、アイデア勝負だったり、プロトタイピングといった手法だったりが受け付けなかったというのがあります(同じような人のエントリ https://swimath2.hatenablog.com/entry/2018/07/30/205255)。
また、この研究分野は、一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ(もちろんすべての研究がそうというわけではありません)、興ざめしてしまったのも要因の一つです。元々内向的な性格なのもあって、自我・意識などに興味があり、ならば「人に興味があるということであり、工学的なアプローチで人の研究をやれるのはこの分野だろう」という薄い理由で選んだのもあって、この不適合はモチベーションに意外と大きく関わりました。学部時代の成績は良い方で(必要な進振り点はそこそこの学科でしたが、コース内ではトップクラスと周りには言われていました)院試も第一希望で通りましたが、勉強ができるということが研究できるというわけではないという言葉を痛感しました。ただ、この研究室を選ばなければ、自分ももっと研究が出来ていたのではないかと思い、研究室の選択を毎日後悔しています。
それではなぜ、このような大きな問題点が数多く存在しながら、この研究室に進学してしまったのでしょうか?
第一に、自分の所属していた学科は、院試が卒論の研究室配属より前に存在し(実質4か月で卒論を書かないといけないのです)、自分の研究および研究室への適性がいまいちわからないまま、修士で進学する研究室を決めなければいけないという点が挙げられます。(一応研究室に配属されてプチ研究のようなことをするのですが、研究室生活とは程遠いので参考にするのは難しいです) それに加え、卒論の研究室と修論の研究室を別にするという慣習があり、卒論配属後合わないから冬入試を受けようというのも難しいです。
第二に、サークルの先輩(同じ研究室ではないです)にこの研究室を勧められたというのがあります。サークルの飲み会の時に、同じ分野で研究をしている先輩に、「この研究室はいいところだし、一期生として面倒を見てくれる」と勧められたというのがありました。当時は若く、盲目的に先輩の話を信じてしまいました。悪い噂が流れてこないなら大丈夫だろうと。それに先生の記事はネット上で見たこともあり、先生の研究も科学雑誌を通して知っていたこともありました。学科内でも新設の研究室に関わらず人気があり、これは安パイだろうと考えていました。今考えると人気・有名だから自分にとっていい環境だろうと考えるとは愚かなことです。(ちなみに、この先輩はD取得後うちの研究室の内定を蹴り、他の研究室のポストに就くそうです。)
第三に、一番重要ともいえる点ですが、上でも書いた通り自分の大学では新設の研究室で、情報が流れてこなかったというのがあります。今思えば前の大学のOBの方などに話を伺うなどをすればよかったとも思いますが、学部の勉強やサークルに追われていてそこまで気が回らなかったし、回っていたとしてもする余裕まであったかわかりません。しかしながら、新設の研究室に進学するというのは大きなリスクをはらんでいるということはもっとしっかりと自覚するべきでした。これを読んでいる方でもし新設の研究室に行くという人がいれば、もう一度自分の選択をよく考え直してほしいです。
ブラック研究室といえば、拘束時間が長いとか日常的な人格否定などがやり玉に挙げられやすいですが、最近では放置系ブラックなどという言葉も耳にする通り、劣悪な環境というのは色々な形で存在しています。また、他人にとっての良い環境が自分にとっても良いとは限りません。トルストイは著作に「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)との言葉を残しています。研究室も一つの小さなコミュニティであり、同じことが言えるのではないでしょうか。これから研究室に配属される人には慎重に自分の進路を考えていただきたいと思います。このエントリを通して構成員がみんな幸せになるような運営に変わってくれると嬉しいです。
今の状況になったのは強く言えば自分のせいなので仕方はないんだけど、コンプレックスの自覚があってつらいなら、それを変えるチャレンジをするしかないじゃん。
特に得意なものがなくて、人に雇われているだけなら、待遇や環境は悪化していく一方なんだし。
会社で勤務しながら、自分の時間を使って(ごくごく小さなものでいいから)お金を稼ぐ方法をいくつも試行してみて、うまくいけば本腰入れるようにすれば低リスクで起業できるし、たっぷりお金が入ってきて会社経営でもできるようになれば社会的地位高まって劣等感薄まるだろうし。
学歴が気になるんなら、通信制大学でもでて、それから国立大学レベルの社会人修士課程にでも行けばだいたいロンダリング完了でしょ。
何するにしてもそれなりには大変なんだけど、そこまで頑張るのはつらいわーっていうんなら今の環境で頑張ってね、って感じで。
グジグジグジグジ妬みごといっててもべつになんにも改善しないし。
3年前の冬の話だ。
その時の俺は25歳。大学院修士課程を終えて就職したから、社会人2年目が終わろうかという冬だった。
地元は関西だが、就職を機に関東へ引っ越してきた。家族とも友人たちとも離れた場所で一人暮らし、仕事もまだまだ慣れない、そんな生活に孤独感が日に日に強まっていた。
俺には彼女がいなかった。
しかしその時の俺は、寂しさを紛らす相手が欲しいと思っていた。
俺の会社には、昼休みになると食堂の入り口に保険のおばちゃんが何人か集まってくる。入社したばかりの右も左も分からない若者たちを捕まえて、保険に加入させようとするのだ。来るのはいつも決まった三人。一人は矢口真里に似た、ぎりぎりお姉さんと呼べそうな女性。一人は椿鬼奴に似たおばちゃん。一人は小泉今日子似のおばちゃんだ。
俺は小泉今日子と仲が良かった。矢口と椿は保険の話をしてくるのに対して、キョン2とは一度も保険の話などしたことがない。俺とキョン2の会話といえば、乃木坂46の中で誰が一番可愛いかとか、キョン2の娘がドルヲタになりそうで困っているとか、そんな内容だった。俺はキョン2との会話をそれなりに楽しんでいた。
その日も俺が食堂に行くと、キョン2が立っていた。キョン2はコソコソと俺を手招きし、隅の方に呼び寄せた。
「増田君、彼女いないんだよね?私の知り合いに良さそうな女の子いるんだけど、どう?」
確かに俺はいつも冗談交じりに「彼女欲しいっす」と言っていたが、まさか本当に紹介されるとは思っていなかった。今まで恋愛経験がなかったため、尻込みする気持ちもあった。だが俺は、ここは一歩踏み出すべきだと思った。
「是非。」
俺は女の子を紹介してもらうことにした。
後日、キョン2からLINEで3枚の写真が送られてきた。3枚の写真に、それぞれ別々の女の子が写っている。そして直後にメッセージ。
「どの子がいい?」
驚愕した。てっきり紹介されるのは1人だと思っていた。3人とも、と答えたい気持ちを抑えて、俺は1番可愛らしい子を紹介してもらうことにした。
キョン2から、その子の簡単なプロフィールを教えてもらった。キョン2は俺の会社に来ているのと同じように、他の会社へも保険の営業に行っている。その子、仮にバラライカと呼ぼう、バラライカはキョン2が営業に行っている他の会社の事務員だった。俺が選ばなかった他の2人も、そのような感じらしい。
そしてバラライカは、当時19歳、未成年だった。これは俺にとって衝撃的な情報だった。今冷静に考えると、19歳の何が問題なのか。1年経てば立派な成人である。だがこの19という数字が、俺には重くのしかかった。
とはいえ俺は、バラライカと連絡を取り始めた。25歳男が、生まれて初めて1人の女性と真剣に向き合った。慎重派の俺は、がっついて引かれてはならないと思い、ゆっくりとバラライカの職場のことや身の回りのこと、家族のことなどを聞いていった。バラライカは去年まで高校生、さすがに価値観のズレは感じた。まあでもそれは仕方がない、やり取りを続けていけばそのうち気にならなくなるだろう。そんな感じで慎重派の俺が殊更慎重にバラライカとやり取りをしていると、気づいたら2ヶ月が経っていた。1度も会うことなく、LINEのやり取りだけで2ヶ月だ。1度も会おうと言いださない俺もどうかしているが、このLINEに2ヶ月付き合い続けたバラライカもちょっとどうかしている。正直俺はどうしたらいいのか分からなくなっていた。この均衡を保つことが目的になり始めていた。どちらが先に我慢できなくなるか、これは俺とバラライカの戦いだった。結局、この戦いは俺が勝利した。バラライカから連絡が来たのだ。
「一度ご飯でも行きませんか?」と。
女の子の方から誘わせるとは何事だと思うかもしれないが、25年間恋愛経験がない男というのは、そこら辺の女の子以上に女の子なのだ。仕方がない。
とにかく、俺とバラライカはとうとう現実世界で会うことになった。もちろん俺は女の子との食事など初めてである。食事が決まった瞬間から俺の心臓は最高速で暴れまわっていたが、俺はまず、震える手で店選びから始めた。雰囲気が良く、それでいて敷居が高すぎない、丁度良い塩梅の店をなんとか探し出し、予約を入れた。服と靴を新調し、散髪に行った。髪型のセットの仕方も学んだ。
何度も言うが、この時の俺は乙女だったのだ。
そして、当日がやってきた。
俺は待ち合わせ場所に早めに着き、バラライカの到着を待った。バラライカの顔は、最初にキョン2から見せてもらった写真で分かっていたので、それと同じ顔を探した。約束の時間になったが、すぐにはバラライカと出会えなかった。いや、それらしい女性は1人いるのだ。俺の数メートル隣に、誰かを待っているらしい女性が。年齢も、19歳に見えなくもない。実物と写真というのはやはり違って見えるため、すぐには気づかなかったのだ。向こうも向こうで、どうやら俺だと気づいたらしい。こうして、俺とバラライカは初対面した。
軽く挨拶をし、店に向かった。少し雨が降っていた。
2ヶ月間毎日欠かさずLINEでやり取りしていたにも関わらず、いざ面と向かうと言葉が出てこない。不思議なものだ。緊張しているというのもある。しかし、そこまでの2ヶ月の間に一通り聞くべきことは聞き尽くしてしまっており、すでに話題がなくなっていたというのもある。
俺たちは、特別盛り上がることもないまま、食事を終えた。帰り際、バラライカは俺に紙袋を渡してきた。中を見ると、手作りのチョコが入っていた。そう、ちょうどバレンタインデーの時期だったのだ。母親以外からもらった初めてのチョコだった。俺は、こんなものまで用意してくれたのに、会話のないつまらない食事にしてしまって申し訳ないと思った。
ホワイトデーにはしっかりお返しをしようと思ったが、結局その後バラライカからの連絡はあまり来なくなり、そのまま自然消滅となった。
あれから3年が経った。俺には今彼女がいる。バラライカではない。別の知人から紹介されたのだ。半年前から同棲を始めており、近いうちにプロポーズするつもりだ。
バラライカとうまくいかなかったこと、そこから学んだことがあったから、今の彼女とここまで来れた部分もあると思う。
バラライカに何も返してあげられなかったのが少し心残りだ。バラライカから見れば、俺は彼女が欲しいのか欲しくないのか、意図のよくわからないやつだったと思う。俺のことなどとっくに忘れていると思うが、俺はバラライカのことを忘れない気がする。
俺の人生を変えてくれた恩人として。
3年前の冬の話だ。
その時の俺は25歳。大学院修士課程を終えて就職したから、社会人2年目が終わろうかという冬だった。
地元は関西だが、就職を機に関東へ引っ越してきた。家族とも友人たちとも離れた場所で一人暮らし、仕事もまだまだ慣れない、そんな生活に孤独感が日に日に強まっていた。
俺には彼女がいなかった。
しかしその時の俺は、寂しさを紛らす相手が欲しいと思っていた。
俺の会社には、昼休みになると食堂の入り口に保険のおばちゃんが何人か集まってくる。入社したばかりの右も左も分からない若者たちを捕まえて、保険に加入させようとするのだ。来るのはいつも決まった三人。一人は矢口真里に似た、ぎりぎりお姉さんと呼べそうな女性。一人は椿鬼奴に似たおばちゃん。一人はブルゾンちえみ似のおばちゃんだ。
俺はブルゾンちえみと仲が良かった。矢口と椿は保険の話をしてくるのに対して、ちえみとは一度も保険の話などしたことがない。俺とちえみの会話といえば、乃木坂46の中で誰が一番可愛いかとか、ちえみの娘がドルヲタになりそうで困っているとか、そんな内容だった。俺はちえみとの会話をそれなりに楽しんでいた。
その日も俺が食堂に行くと、ちえみが立っていた。ちえみはコソコソと俺を手招きし、隅の方に呼び寄せた。
「増田君、彼女いないんだよね?私の知り合いに良さそうな女の子いるんだけど、どう?」
確かに俺はいつも冗談交じりに「彼女欲しいっす」と言っていたが、まさか本当に紹介されるとは思っていなかった。今まで恋愛経験がなかったため、尻込みする気持ちもあった。だが俺は、ここは一歩踏み出すべきだと思った。
「是非。」
俺は女の子を紹介してもらうことにした。
後日、ちえみからLINEで3枚の写真が送られてきた。3枚の写真に、それぞれ別々の女の子が写っている。そして直後にメッセージ。
「どの子がいい?」
驚愕した。てっきり紹介されるのは1人だと思っていた。3人とも、と答えたい気持ちを抑えて、俺は1番可愛らしい子を紹介してもらうことにした。
ちえみから、その子の簡単なプロフィールを教えてもらった。ちえみは俺の会社に来ているのと同じように、他の会社へも保険の営業に行っている。その子、仮に聡美と呼ぼう、聡美はちえみが営業に行っている他の会社の事務員だった。俺が選ばなかった他の2人も、そのような感じらしい。
そして聡美は、当時19歳、未成年だった。これは俺にとって衝撃的な情報だった。今冷静に考えると、19歳の何が問題なのか。1年経てば立派な成人である。だがこの19という数字が、俺には重くのしかかった。
とはいえ俺は、聡美と連絡を取り始めた。25歳男が、生まれて初めて1人の女性と真剣に向き合った。慎重派の俺は、がっついて引かれてはならないと思い、ゆっくりと聡美の職場のことや身の回りのこと、家族のことなどを聞いていった。聡美は去年まで高校生、さすがに価値観のズレは感じた。まあでもそれは仕方がない、やり取りを続けていけばそのうち気にならなくなるだろう。そんな感じで慎重派の俺が殊更慎重に聡美とやり取りをしていると、気づいたら2ヶ月が経っていた。1度も会うことなく、LINEのやり取りだけで2ヶ月だ。1度も会おうと言いださない俺もどうかしているが、このLINEに2ヶ月付き合い続けた聡美もちょっとどうかしている。正直俺はどうしたらいいのか分からなくなっていた。この均衡を保つことが目的になり始めていた。どちらが先に我慢できなくなるか、これは俺と聡美の戦いだった。結局、この戦いは俺が勝利した。聡美から連絡が来たのだ。
「一度ご飯でも行きませんか?」と。
女の子の方から誘わせるとは何事だと思うかもしれないが、25年間恋愛経験がない男というのは、そこら辺の女の子以上に女の子なのだ。仕方がない。
とにかく、俺と聡美はとうとう現実世界で会うことになった。もちろん俺は女の子との食事など初めてである。食事が決まった瞬間から俺の心臓は最高速で暴れまわっていたが、俺はまず、震える手で店選びから始めた。雰囲気が良く、それでいて敷居が高すぎない、丁度良い塩梅の店をなんとか探し出し、予約を入れた。服と靴を新調し、散髪に行った。髪型のセットの仕方も学んだ。
何度も言うが、この時の俺は乙女だったのだ。
そして、当日がやってきた。
俺は待ち合わせ場所に早めに着き、聡美の到着を待った。聡美の顔は、最初にちえみから見せてもらった写真で分かっていたので、それと同じ顔を探した。約束の時間になったが、すぐには聡美と出会えなかった。いや、それらしい女性は1人いるのだ。俺の数メートル隣に、誰かを待っているらしい女性が。年齢も、19歳に見えなくもない。実物と写真というのはやはり違って見えるため、すぐには気づかなかったのだ。向こうも向こうで、どうやら俺だと気づいたらしい。こうして、俺と聡美は初対面した。
軽く挨拶をし、店に向かった。少し雨が降っていた。
2ヶ月間毎日欠かさずLINEでやり取りしていたにも関わらず、いざ面と向かうと言葉が出てこない。不思議なものだ。緊張しているというのもある。しかし、そこまでの2ヶ月の間に一通り聞くべきことは聞き尽くしてしまっており、すでに話題がなくなっていたというのもある。
俺たちは、特別盛り上がることもないまま、食事を終えた。帰り際、聡美は俺に紙袋を渡してきた。中を見ると、手作りのチョコが入っていた。そう、ちょうどバレンタインデーの時期だったのだ。母親以外からもらった初めてのチョコだった。俺は、こんなものまで用意してくれたのに、会話のないつまらない食事にしてしまって申し訳ないと思った。
ホワイトデーにはしっかりお返しをしようと思ったが、結局その後聡美からの連絡はあまり来なくなり、そのまま自然消滅となった。
あれから3年が経った。俺には今彼女がいる。聡美ではない。別の知人から紹介されたのだ。半年前から同棲を始めており、近いうちにプロポーズするつもりだ。
聡美とうまくいかなかったこと、そこから学んだことがあったから、今の彼女とここまで来れた部分もあると思う。
聡美に何も返してあげられなかったのが少し心残りだ。聡美から見れば、俺は彼女が欲しいのか欲しくないのか、意図のよくわからないやつだったと思う。俺のことなどとっくに忘れていると思うが、俺は聡美のことを忘れない気がする。
俺の人生を変えてくれた恩人として。
3年前の冬の話だ。
その時の俺は25歳。大学院修士課程を終えて就職したから、社会人2年目が終わろうかという冬だった。
地元は関西だが、就職を機に関東へ引っ越してきた。家族とも友人たちとも離れた場所で一人暮らし、仕事もまだまだ慣れない、そんな生活に孤独感が日に日に強まっていた。
俺には彼女がいなかった。
しかしその時の俺は、寂しさを紛らす相手が欲しいと思っていた。
俺の会社には、昼休みになると食堂の入り口に保険のおばちゃんが何人か集まってくる。入社したばかりの右も左も分からない若者たちを捕まえて、保険に加入させようとするのだ。来るのはいつも決まった三人。一人は矢口真里に似た、ぎりぎりお姉さんと呼べそうな女性。一人は椿鬼奴に似たおばちゃん。一人はブルゾンちえみ似のおばちゃんだ。
俺はブルゾンちえみと仲が良かった。矢口と椿は保険の話をしてくるのに対して、ちえみとは一度も保険の話などしたことがない。俺とちえみの会話といえば、乃木坂46の中で誰が一番可愛いかとか、ちえみの娘がドルヲタになりそうで困っているとか、そんな内容だった。俺はちえみとの会話をそれなりに楽しんでいた。
その日も俺が食堂に行くと、ちえみが立っていた。ちえみはコソコソと俺を手招きし、隅の方に呼び寄せた。
「増田君、彼女いないんだよね?私の知り合いに良さそうな女の子いるんだけど、どう?」
確かに俺はいつも冗談交じりに「彼女欲しいっす」と言っていたが、まさか本当に紹介されるとは思っていなかった。今まで恋愛経験がなかったため、尻込みする気持ちもあった。だが俺は、ここは一歩踏み出すべきだと思った。
「是非。」
俺は女の子を紹介してもらうことにした。
後日、ちえみからLINEで3枚の写真が送られてきた。3枚の写真に、それぞれ別々の女の子が写っている。そして直後にメッセージ。
「どの子がいい?」
驚愕した。てっきり紹介されるのは1人だと思っていた。3人とも、と答えたい気持ちを抑えて、俺は1番可愛らしい子を紹介してもらうことにした。
ちえみから、その子の簡単なプロフィールを教えてもらった。ちえみは俺の会社に来ているのと同じように、他の会社へも保険の営業に行っている。その子、仮に聡美と呼ぼう、聡美はちえみが営業に行っている他の会社の事務員だった。俺が選ばなかった他の2人も、そのような感じらしい。
そして聡美は、当時19歳、未成年だった。これは俺にとって衝撃的な情報だった。今冷静に考えると、19歳の何が問題なのか。1年経てば立派な成人である。だがこの19という数字が、俺には重くのしかかった。
とはいえ俺は、聡美と連絡を取り始めた。25歳男が、生まれて初めて1人の女性と真剣に向き合った。慎重派の俺は、がっついて引かれてはならないと思い、ゆっくりと聡美の職場のことや身の回りのこと、家族のことなどを聞いていった。聡美は去年まで高校生、さすがに価値観のズレは感じた。まあでもそれは仕方がない、やり取りを続けていけばそのうち気にならなくなるだろう。そんな感じで慎重派の俺が殊更慎重に聡美とやり取りをしていると、気づいたら2ヶ月が経っていた。1度も会うことなく、LINEのやり取りだけで2ヶ月だ。1度も会おうと言いださない俺もどうかしているが、このLINEに2ヶ月付き合い続けた聡美もちょっとどうかしている。正直俺はどうしたらいいのか分からなくなっていた。この均衡を保つことが目的になり始めていた。どちらが先に我慢できなくなるか、これは俺と聡美の戦いだった。結局、この戦いは俺が勝利した。聡美から連絡が来たのだ。
「一度ご飯でも行きませんか?」と。
女の子の方から誘わせるとは何事だと思うかもしれないが、25年間恋愛経験がない男というのは、そこら辺の女の子以上に女の子なのだ。仕方がない。
とにかく、俺と聡美はとうとう現実世界で会うことになった。もちろん俺は女の子との食事など初めてである。食事が決まった瞬間から俺の心臓は最高速で暴れまわっていたが、俺はまず、震える手で店選びから始めた。雰囲気が良く、それでいて敷居が高すぎない、丁度良い塩梅の店をなんとか探し出し、予約を入れた。服と靴を新調し、散髪に行った。髪型のセットの仕方も学んだ。
何度も言うが、この時の俺は乙女だったのだ。
そして、当日がやってきた。
俺は待ち合わせ場所に早めに着き、聡美の到着を待った。聡美の顔は、最初にちえみから見せてもらった写真で分かっていたので、それと同じ顔を探した。約束の時間になったが、すぐには聡美と出会えなかった。いや、それらしい女性は1人いるのだ。俺の数メートル隣に、誰かを待っているらしい女性が。年齢も、19歳に見えなくもない。実物と写真というのはやはり違って見えるため、すぐには気づかなかったのだ。向こうも向こうで、どうやら俺だと気づいたらしい。こうして、俺と聡美は初対面した。
軽く挨拶をし、店に向かった。少し雨が降っていた。
2ヶ月間毎日欠かさずLINEでやり取りしていたにも関わらず、いざ面と向かうと言葉が出てこない。不思議なものだ。緊張しているというのもある。しかし、そこまでの2ヶ月の間に一通り聞くべきことは聞き尽くしてしまっており、すでに話題がなくなっていたというのもある。
俺たちは、特別盛り上がることもないまま、食事を終えた。帰り際、聡美は俺に紙袋を渡してきた。中を見ると、手作りのチョコが入っていた。そう、ちょうどバレンタインデーの時期だったのだ。母親以外からもらった初めてのチョコだった。俺は、こんなものまで用意してくれたのに、会話のないつまらない食事にしてしまって申し訳ないと思った。
ホワイトデーにはしっかりお返しをしようと思ったが、結局その後聡美からの連絡はあまり来なくなり、そのまま自然消滅となった。
あれから3年が経った。俺には今彼女がいる。聡美ではない。別の知人から紹介されたのだ。半年前から同棲を始めており、近いうちにプロポーズするつもりだ。
聡美とうまくいかなかったこと、そこから学んだことがあったから、今の彼女とここまで来れた部分もあると思う。
聡美に何も返してあげられなかったのが少し心残りだ。聡美から見れば、俺は彼女が欲しいのか欲しくないのか、意図のよくわからないやつだったと思う。俺のことなどとっくに忘れていると思うが、俺は聡美のことを忘れない気がする。
俺の人生を変えてくれた恩人として。
「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!
ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。
いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である。文系の研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。
(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様の勅令だったりお役所の行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である。公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)
何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念・方法論レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキルが全然違うので。江戸時代の歴史なら江戸時代の古文書、明治期の歴史なら明治期の文書、中国史なら漢文、イギリス史なら当然英語の古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生が日本の古文書の読み解き方を勉強しても時間の無駄だろう。逆もまた然り。
慌てて言えば分野による。
社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナルな史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。
ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合、史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのものを要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生は修士論文で初めて学会誌に投稿できるレベルのものを要求されることになる。
何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語は大学で第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史やドイツ史やフランス史の場合、韓国語やドイツ語やフランス語は文系の学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツ語フランス語の論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃんと漢文の史料は読めるよね? 現代中国語の論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語やアラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語が必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本でアイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。
なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語で韓国語を選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語はフランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得を義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域に対応できるね! 史学は語学と言われる所以だ。
あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国に植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語やフランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国の言語が使われていたり宗主国のお役所に植民地統治を担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国の言語で書かれている)。さらに前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである。現代日本語の論文はスラスラ読めても古典日本語はチンプンカンプンという人も多かろう。前近代非西洋の征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級の言語+植民地支配してたヨーロッパの言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語+オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーがいるから勉強も簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語を習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまいウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国の外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生の卒論レベルなら日本語+英語or中国語でじゅうぶん、という運用の大学がほとんどだと思う。
(ヨーロッパの植民地についてしか述べていないのは、日本の植民地の場合宗主国の言語を習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本は植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国や台湾の学生あるいはそれらの国からの留学生は植民地時代の自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)
でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家に指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論や博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。
これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国や台湾、フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学のゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家に指導を受けたり、あるいは分野によっては語学の勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガルに留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。
上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系の大学院なんて資産家の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがきに奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋な感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さんの実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか。
私は34歳のメンヘラ女です。
今つきあっている彼氏がいるんだけど、浮気ぐせがひどくて別れたいと思ってる。でも同棲中でなかなか出て行ってくれず別れ話はペンディングになっている。
そんな状況でこの件を相談というか聞いてもらっていた男友達がいる。彼は某旧帝大の修士課程にいるので以後院生と呼ぶ。属性はキモオタ。三次元に興味がないようなものすごいキモオタ。
院生とは、彼がまだ学部生だった時から共通の趣味である観劇にいくような関係で、とにかく話があう。寝る直前まで話していて、目が覚めて即会話ができるぐらい。ただお互いにステディがいたので時々会って話をしたり観劇したりするだけだった。それでも双方のステディに悪いからとここ数年はほとんど会ってなかった。会うたびに「好きにならないように努力してる」とか言ってたし。
毎回ホンネしか言わないような院生にカノジョが愛想つかして別れてから再会し、また定期的に交流するようになってから、彼氏の浮気が発覚。もういい加減に別れようとするも、前に書いたような有様で、私のメンタルヘルスは加速度的に悪化し、希死念慮がダダ漏れになってきた。
そしたら院生が今度体調を崩し激やせしたりバイトに遅刻したりするようになった。バイトの遅刻なんて生まれてからしたことがないそうで、そのほかにも細かいミスをいっぱいするようになったらしい。電車や駅を乗り間違えたり降り間違えたり。
理由を尋ねると「心労からだ」という。なんの心労かというと「君のことが心配で」。私は院生がなんでそんな状態になっているのか全く理解できなかったし、今もわからないでいる。実利と合理性でしか動かない理系人間だと思ってたし、私が彼氏と別れて自分をターゲットにされたら面倒だと思っているに違いないと考えてたし。
そこで人生相談なんですが、これって院生が私に愛情があるということでいいんですかね?ちょっとだれか教えてください。
追記:
院生に思い切って「私のことが好きなの?」とLINEしてみた。返事は「自分でもわからない。女性に対してセックスしたいという気持ちがないので、明確な基準がなく、自分でも自信がない」とのこと。あなたがわからないなら私もわからないよ。どうなんですかねこれ。キモオタってみんなこんな感じなの?同じような人、経験がある人、誰かいない?教えてほしい。
スペックの欄に書いた通りうつ病を患っている。そのため仕事ができない。
原子力関係のシンクタンクで働いていたところ、ある日ストレスの多さから突然自殺未遂をし、以降休職している。
しかし先日、精神障害があるのでこれ以上雇えませんという宣告を勤務先から受けた。
ハローワークに行って障害者枠で仕事を探そうとしたが、「主治医から『仕事ができる』と言われないと仕事探しは出来ない」と門前払いされた。
大学の非常勤講師にでもなるかと思ってJrec-INを見てみても、能力的な面や専攻的な面、そもそも業績を上げていない(零細学会で一回発表しただけ)より、自分が出来そうな講師職はなかった。
理系の研究職ならまだあるだろうが、文系で「若者の『地元意識』を数理統計的アプローチから明らかにする」という謎研究を修士課程でしていた身としては、研究を生かせる職があるとは思えない。
SPSS(重回帰分析・二項ロジスティック解析)とかEXCEL太閤、KH CODERなら何とか使えるが、それらが使えても何の足しにもならない。
プログラミングや数学(高校時代文系クラスだったため数ⅢCは受けていない)、英語が出来ないため、プログラマーとして働くこともできない。
実家に帰って仕事を探すにしても、実家は熊本の山奥である。一件だけ工場のライン工があったが、体力がないので長続きはしないだろう。土木作業員や警備員も同様の理由から候補から外れる。
普通免許も持っていないため、できる仕事も限られてくる。外回りの営業職はまず無理だろう。
そもそもコミュニケーション能力が皆無だと医者から言われたため、高度なコミュニケーションや感情労働を要する仕事(コンビニやファミレス、居酒屋の店員、営業職)も向かないだろう。
結果できる仕事もほとんどないことになる。フリーターすら無理である。バイトすらできないなら詰みである。
しかし家賃(6万7000円)を払うのもやっとで、生活できるとは思えない。
親に金を無心するにしても、実家もお金がほとんどないとのことなので、お金を無心することは出来ない。
社会保障の緊縮化が叫ばれる中、生活保護を受給するのも難しいだろう。
貯金も尽きそうになる中、お金がないのは致命的である。東京の自宅を引き払って実家に戻るにした場合、恐らく二度と東京には戻れず、実家に軟禁され続けることだろう。
その場合仕事もないし一生ニートになるしかないが、その場合貧乏な実家にさらに迷惑をかけてしまうことになる。
宝くじ一等当たれば話は別だが、そうでないなら人生詰みである。
コミュニケーション能力がないためコンビニバイトすら務まらないということは先述したが、コミュニケーション能力の欠如は友達がいないという形でも顕在化する。
友達がいなければ自身が抱える孤独とかを吐き出せる相手もいないということになる。また、友達がいないことは社会から孤立していることを表している。
社会から孤立している人が人的資源を使って今の窮状から脱することは出来ない。詰みである。
大学時代、オタクコンテンツの消費者のインサイトを探るための参与観察の一環として漫画研究会に所属していた。そこで友人関係を築いておけばよかったと後悔することしきりである。
うつ病をり患しているという事情も勘案せねばならないが、それを差し引いても日々の生活の楽しみがまるでない。
戦隊モノや仮面ライダー、ウルトラマン、一部の深夜アニメ(日常系)が好きだったのだが、最近そういうのを見ても面白さとかを感じることはなくなった。ゲームも同様である。
成城石井に行くために秋葉原に行くことが結構あるのだが、そこでアニメや漫画、ラノベ、ゲームを楽しんでいる人を見ると嫉妬で頭がおかしくなりそうになる。
そのほかに楽しみがあればいいのだが、それもない。大学学部生の頃までは鉄道模型とかトンネル巡りとかしていたのだが、お金がないせいでそういった趣味にももはや手を出せない。
楽しみがなく生ける屍になっている。楽しみがなければ生きる希望もない。生きる希望がないことは人生詰みである。
自殺すれば楽になるとは思っている。他人に迷惑をかけ続けている以上、けじめとして自殺しなければならない思っている。しかし自殺すらできない状況である。
先日も神奈川県のダムで自殺未遂をして警察に保護され、父親が迎えに来たが、熊本から神奈川まで往復数万円かかった。そういった経済的支出が出来るほどの余裕は実家にはない。
今度自殺未遂したら一生実家に軟禁するぞと両親から言われた。実家に軟禁されれば仕事することも、金を稼ぐことも、鉄道模型やトンネル巡りもできなくなる。
実家の通信回線は貧弱なので、アニメや特撮をインターネットで見ることもできない。
つまり、今度自殺未遂をしたら仕事もお金も友達も楽しみもすべて親により永遠に奪われることになる。それだけは何としても避けたい。
今年末にスピリタスを一気飲みして自殺しようかと考えていたが、それもかなわぬ夢となりそうだ。
家族や周辺の人々に不幸をまき散らしている自分がいてよい道理などない。詰んでいる人生から離脱することすらできない。これを地獄と言わずに何と言おうか。
実家に戻ったら二度と東京には戻れないし、働けるような職もない。つまり一生ニートでいることが確定である。何としてもそれは避けたい。
だからと言って東京にい続けるにしてもランニングコストがかかりすぎて、お金を費消することになる。お金が無くなれば生活できなくなり詰みである。
次自殺するような真似をすれば実家に一生軟禁確定である。だからと言って無駄に生をむさぼっていても詰んだ状況から脱出する術は一向に見いだせない。
結局自分の人生は詰んでしまったのだ。自殺できないので、来世に期待すらできない。
クソみたいな人生なので皆さん嗤ってください。
俺はゲーム開発会社のプログラマ。ゲーム業界で働くコンシューマとソシャゲの間でのプログラマの移動を見て来た一人だ。
怪盗ロワイヤルとか釣りスタとかが流行り始めた頃に、ソーシャル業界が3DCGを理解しているコンシューマ系のプログラマを欲しがってた時期があった。ソシャゲ黎明期で製品と呼ばれているそれは専門学校の卒業制作より下らなくて、コンシューマのプログラマ達がかつて通った2Dの、しかもゲームとは呼べない下らない代物を作る事に嫌悪感を強く持ってた。その当時、年収を倍や三倍にするからとDeNAやGREEに声を掛けられていたプログラマは少なくないと思う。それでも動く人間は本当に少なかった。しかし、特に外国人に多かったけど、1千万を超える様な報酬で転職したって知り合いは確かにいる。その時代にソシャゲ業界に身を投じた彼らは、今や大いに出世して高収入を得ている様だ。どうって事ない三流プログラマですら、本当にいい待遇を得られた時代だった。
ガラケーからスマホが主流になり始める頃に、第二次のソシャゲ転職バブルが来たと思う。ある程度の経験を持ったプログラマは、誰もがスマホが早晩PS2程度の性能を持つ事は予想していたし、そうなった時に3D系の経験を持ったプログラマがソシャゲ会社に必要になるだろうと言う見込みも殆どの人が持っていた様に思う。実際にGREEが3D系の研究チームを作るという話や、ソシャゲ企業が好待遇でコンシューマ系のプログラマを募集しているという話は聞いたし、実際に誘いを受けた事もあった。プラットフォームを作ろうという動きやエンジンを作りたいという動きがあったのもこの頃だろう。この時も、1プログラマに支払う報酬としては破格の待遇だったと思う。好待遇を前にしてもソシャゲ業界を下に見て動かない人は多かった。それでも情報工学の修士課程を出た様な優秀な新人や、その時代に決断をしたゲームエンジン開発をした様な現場のプログラマは先行者投資の特権で好待遇を得ている。株式で巨額の利益を得た人も知っている。ある程度は優秀と目されていた位の人材が、破格の待遇を受けられた時代だろう。
それから時が過ぎ、スマホのソシャゲが儲かるし稼げると分かった時にソシャゲ業界に移るプログラマは多くなった。情報工学を修めた学生が新卒でソシャゲ業界に入る事も珍しくなくなった。しかし、コンシューマ系のプログラマが多く転職した事で、珍しくもなくなって、余程の能力がないと歓迎はされない様に今はなっている。一般のプログラマの転職バブルは終わったと言っていい。それでも最近は、儲かっているソシャゲ会社が利益を継続的に生み出すために、そして次の世代のハードに対応する為に、研究部門やAAA開発部門を立ち上げるようになり出した。有名どころではサイゲームスの研究部門などがそれにあたるだろう。やってる事は、どうせゲームエンジンを焼き増しているだけに違いないんだが。これはかつてコンシューマ系企業が通って来た道だ。しかし、最先端の情報を知っているプログラマはソシャゲ業界には少ない。そうなると、再び札束でビンタする攻勢が、コンシューマ業界でも最優秀なプログラマに対して行われることになる。サイゲームスに限らず、利益を出している各社が間違いなく、この動きに追随すると思う。そうしなければ、サイゲームスに最優秀なプログラマを根こそぎ奪われてしまうからだ。今、そう言う意味では第三次の転職バブルがコンシューマ業界に訪れている。優秀な人は、倍、三倍の報酬でソシャゲ業界に移って、ゲームエンジンの焼き直しをする事になる。
こういう動きに対して「ソシャゲ業界とかガチで下らないwwたいした技術も知識もない。2流の集まり。」と斜に構えて馬鹿にしている間に先行者特権を失い続けているプログラマが本当の意味で賢いのかどうか?正直分からんなと思ってる。今はまだ、ポリフォニーとサイゲームスの間には天と地ほどの差が、経験値と技術力であると思う。しかしサイゲームスに続々と優秀なプログラマが集まっている事も事実だ。こうした動きを見るに、恐らくはゲーム業界そのものが、ソシャゲ屋の巨大化で統合される事になるのだろう。サイゲームスか、ディライトワークスか、Mixiか分からんが、スクエニやカプコンに匹敵する技術力と経験を備えた企業になり、S級のコンシューマゲームを開発し始めるまで10年もないかもしれない。
その時、1番最後に列に並ぶ愚か者になるのは、本当に賢い事なんだろうか?そういう事を自分に自問する。任天堂やソニーにいる1部のプログラマ以外は、総じて負け組と言われてしまう時代が来るかもしれない。でもなぁ、俺が愛するのは技術のみで、自分の知識と腕を活かせない職場では働きたくない。今のソシャゲ業界に行って、研究部門に入ったとしても、満足が行く仕事が出来るだろうか?そこには甚だ疑問があるよね。
スクエニがまだスクエアでしかなかった頃、SFCでFFを作っていた時期に飛び込んだ彼らが、今はサイゲで新しい動きを作ろうとしてる。彼らのセンスを信じるなら、サイゲームスを始めとしてソシャゲ企業はもっと大きくなっていくのだろうと思う。これは俺の予測にすぎないがほぼ確定でもあるようにも思える。ユーザー目線でもソシャゲ=ガチャと見なしてる様だけど、なんとなくだが明治維新の波に乗り遅れた時代遅れてしまってる武士の気持ちではいる。それでも俺が愛するのは最先端の技術だけだ。
最近先輩の話を聞いたり、研究者界隈のツイートを見るにつけ、ほんとに研究者って家庭を持つこと前提に就く職業じゃないんだなって思う。
このエントリは夫が研究者だった場合の嘆きだけど、妻が研究者だった場合はそれはそれで出産をめぐる話になる。
女性が20代後半でドクター取って運良く任期付き非常勤になれたとして、30代はたぶんずっと任期付きで常に次の職探し。しかも大抵の場合、最初は地方から。都市圏は人気がありすぎてほぼ埋まってるし。
その場合、いつ子供産むんだろう。子育てしてる間に同じ地域で次のポストが見つかるのかな。違う地域に夫を連れてけるほどの給料はもちろんないのに。
以前、医者のキャリアプランが女性の出産子育てと噛み合わない話がここにあったけど、研究者なんて、家庭を持たなくても焼身自殺する人が出るくらい不安定なキャリアだ。要は研究者ってほとんど転職できないのが辛いとこなんだろうと先輩方を見てたら思う、分野によるだろうけど。
なのに、研究者は家庭を持ったら、更に詰むんだな。
研究に没頭しすぎるなんて理由じゃなくて、将来が不安定すぎるって理由で。
せめて研究がずっと家でできる仕事だったら子育てとも両立できそうなのに、当然ながらそうもいかない。
そのうえ任期なしポストにやっと就けたら、大学の予算がなくて人手不足で雑務に追われる?
すごい世の中だ。
僕は現在修士課程2年の学生で,博士進学をする予定だ.ちなみに理系.
研究はめちゃくちゃ捗ってるわけじゃないけど,週5で1日10時間程度研究・勉強をしているのでじわじわ進んではいる.
修士での発表は国内3回で終わりそうだ.海外での発表と論文を出すのは叶わないだろう.
先生は,理論系にありがちだと思うがやや放置気味で,でも質問とか議論には何時間でも付き合ってくれる.
でも,毎日わからなくて行き詰ることばっかりで,こんな馬鹿が博士課程に進むなんてあっていいのか?とふと苦しいほどの怖さにときどき襲われる.
僕は自分に自信がない.頭もよくない.
先生と話すときもびびってるし,先輩につっこまれたりアドバイスを受けるときもびびってるし,何なら後輩に質問されるときもびびっている.
本当にこのまま進学していいのか?やっていけるのか?院に進学したときからずっと考えている.
そんな心持なら進学なんてやめてしまえ,生き残れるはずがないと皆言うだろう.だから人にはこう思っていることを黙っている.
だけど一番の不安を自分の内にずっと溜め込んでいるからどんどん辛くなってくる.
そんな状況で飛び込んできたのが件のニュースだ.
この事件のせいで震え上がってメンタルずたずたになっている院生・ポスドクはめちゃくちゃ多いと思う.
僕は旧帝の院生で,浪人をしているので人より遅れて大学に入っている ということも重なって余計に動揺してしまった.
正直言って,何してくれてんだよふざけんなと思った.そういう目立つ破滅の仕方はやめてくれ.
僕はあれが,僕の前に伸びている道のどれかであるような気がして仕方がない.
じゃあ就職すればいいじゃん?と言われると思うけど,
うまいこと今の時期から就職できたとして,ニュースでびびって研究を放り出したことを一生後悔するのは目に見えている.
でもこのままでいるのもつらい.
もう博士課程だったら,色々な意味で達観することができたのだろうか?
それにしても,焼身自殺なんてものすごい自殺方法を選ぶなぁと思う.
僕は痛いのも熱いのも怖いのも嫌なので仕方なく生きているが,もし万が一同じ状況になったとしても首を吊るかなぁ.
彼が睡眠薬とかお酒を飲んで前後不覚であんまり感覚もなく意識もぼんやりした状態で焼かれたことを願う.
[追記1]
こうやって見知らぬ人に心の内を吐露するだけでも少し楽になって驚きました.
今日はあまりにも気持ちが乱れすぎていたので,久々に平日に大学を休んで,海を見てぼうっとしています.飛び込む気はありません.
たとえ匿名であってもアウトプットしたことと,休んで海を眺めているおかげで少し落ち着きました(一時的なものかもしれませんが).
理科だけですが,教員免許は一応取得しています.真剣に教員を目指している人には失礼なことですが,ビビりなので保険のために.
学部時代は教職+専門科目で忙しすぎて,もうやめたいと思いながら結局最後までとることになりました.
こうやって保険をかけるところとか,優柔不断で一度はじめたことを辞められないところに僕の駄目な性格が顕著にあらわれていると我ながらあきれます.
専門によって全く状況は異なります。
物理学科で,素粒子ではないですけど,その例だとString寄りです.
誰かも書いてましたがまったく潰しがきかないです.きかなすぎて笑えるくらいのやつです.
[追記2]
https://anond.hatelabo.jp/20180919121421
https://anond.hatelabo.jp/20180919191533
今後の身の振り方・過ごし方についてのご助言を書いてくださった方ありがとうございます.
自分で自分に見切りをつけるタイミングを定めるということはとても重要であると思いました.
あのニュースは,一般的な院生やポスドクなら誰しも動揺せずにはいられないだろうと決め付けていましたが,
それは「メンタルがやられている」院生やポスドクに限っているのかもしれないなと気がつきました.
僕は心療内科に行ったりカウンセリングを受けた経験がありません.
もし行ったら色々なものが決壊しそうで怖かったのと,何より自分の弱さを認めに行っているように思えてならなかったからです.
(通院している人を蔑んでいるわけでは決してありません)
しかし自分でも気がつかないうちに,精神的によくない状況が慢性的に続いているのかもしれません.
[追記3]
https://anond.hatelabo.jp/20180919125143
きっと研究者の方ですよね.僕のような半端者の愚痴に対し時間を割いていただいてすみません.
ものすごく丁寧にアドバイスしてくださってありがとうございます.
論文にまとめられるほどの成果は出ていません.優秀だったらたぶん迷ってないと思います.
これまでの学会も,とりあえずのひとまとまりの経過を発表しているにすぎません.
僕の指導教員は,出来がどうであれ発表したい学生には発表させるタイプの人です.
迷っているのは,就職が厳しくなるからというのももちろんありますが,
ニュースを見てショックを受けたせいでどっちつかずになってしまったからです(そんなんで折れるような熱意だったのかと自分でも悲しくなりました).
修士で就職した自分が,研究を続けていれば発見できたかもしれない色々のことを考えて焼け付くような気持ちになるのが容易に想像できます.
でも「研究が大好きでたまらないか?」と言われるとわからないです.
だから,この感じでしがみついて博士に進んだ自分が,結局研究が何にもならなくて,
博士課程の途中で,僕みたいな阿呆がいっちょまえに思い上がってたんだと死にたくなるのも容易に想像できます.
やっぱりいちど指導教官に相談してみた方が良いように思いますね。
率直な評価を聞いて、就職と研究の道を決断する deadline を決めてもらって、その日まではひたすら研究に没頭するのはどうでしょうか?
このままだと集中もできないでしょう。
仰るとおり,あのニュースを見てから色々なものが手につきません.
集中して論文を読んだり勉強したりができないので,あんまり頭をつかわなくてもできるプログラムの修正作業しかほとんどやってません.
今年の6月頃、早稲田大学文学学術院で起きたセクシャルハラスメントが初めてメディアで取り上げられた。
https://president.jp/articles/-/25434
被害者は現代文芸コースという修士課程の学生だった女性で、加害者は同コースの教授であった渡部直己。渡部は被害者の女性に「俺の女になれ」と迫ったり、じろじろ体を眺めたり、授業中高圧的な態度で接したり、指導をするという名目で研究室に呼び出して密室で二人きりになるなど、深刻なセクハラ行為を行っていた。
プレジデントオンラインに掲載された上記の記事をきっかけに、SNSやメディア等でこの事件は大きく広まることとなった。大学は調査委員会を設置し、渡部は早稲田大学を退職した。一見収束に向かっているように見えるかもしれないが、渡部一人の退職でこの事件を終わらせてはいけない。加害者は、渡部一人ではないのだ。
事件が拡散されるきっかけとなったプレジデントオンラインの記事にも明記されている通り、被害者の女性に対し、渡部のセクハラ行為を口外しないよう口止めした人物がいる。その人物は渡部と同じコースに所属する水谷八也教授である。また、被害者の女性からセクハラ被害について相談を受けていた女性教員に口外しないよう圧力をかけた人物もいる。その人物は市川真人准教授である。
今般早稲田大学は被害者の女性や関係者からヒアリングした証言をもとに報告書を作成した。しかしその内容は、被害者や当時の学生達の証言を無視し、水谷や市川ら教授側の証言を一方的に採用した杜撰なものだった。
プライバシーの観点から、報告書の実物をここに掲載することは出来ないが、以下、問題と思われる点を箇条書きで記す。
①被害者や当時の学生などの証言を軽視し、教授側の発言を重視している
渡部によるセクシャルハラスメントに悩んでいた被害者は、友人同席のもと、当時現代文芸コースの主任を務めていた水谷と三人で面会を行った。また、精神的に落ち込んでいた被害者に代わり、友人は水谷と二人で二回目の面会も行った。
被害者及び友人の申立書によると、水谷は「この件を口外しないでほしい」「口外すると現代文芸コースの存続に関わる問題に繋がるから」「被害者自身にも隙があり、渡部が勘違いしてしまうのもうなずける」といった趣旨の発言をしているにも関わらず、水谷本人が否定していることだけを根拠に、報告書では被害者及び友人の主張を認定していない。
前項の通り、この報告書では一貫して教授側の発言に重きが置かれている。たとえ当時の在学生らの複数の目撃証言が集まっていたとしても、教授本人が否定をすれば、報告書は在学生らの目撃証言を認定しない。一体報告書は何を根拠に教授側の発言を重要視してるのだろうか。教授側の否認が在学生らの証言よりも信憑性の高いものであるという根拠は、どこにあるのか、
また、報告書では「本委員会の認識している資料等からは、同発言(※教授側の問題発言)の存在を認定することはできなかった」という言い回しも登場する。しかしこの「本委員会の認識している資料等」とは何なのか。在学生らの証言よりも信じるに足る「資料」なのだろうか。言わずもがな、本報告書において、その「資料」が明らかにされることはない。
この報告書は非情に冗長で、一読しただけでは意味が取りづらい文章で構成されている。その狙いは明らかに、問題の核心や責任の所在を誤魔化すことにある。先述した被害者と水谷の面会時における水谷の笑い方など、取るに足らない些末な事柄を詳述しているにも関わらず、被害者や友人に口止めを迫る場面など、事態の核心は「認定できない」の一点張りである。
水谷がセクシャルハラスメント被害の実態を認識していながら、「大したことじゃないから第三者機関には口外しないでほしい」と被害者を沈黙させようとしたことは、被害者や関係者などの証言が一致するところだが、報告書はその点を深追いすることはしない。ささいな問題をおおげさに取り上げたり、論点をすり変えたりして、読者を拒むような悪文で責任逃れをしている。
早稲田大学の作成した報告書は、明らかに公正さを欠いている。水谷や市川を始めとする今回の事件の隠蔽に関わった教授陣に不自然なほど有利な記述ばかりだからだ。
また上記の他にも、合意なく女性の学生の腰を抱いて体を密着させるなどのセクハラ行為を行っていた青山南に関する記述なども、本報告書には含まれている。青山のセクハラ行為に対しても、在学生らによる複数の目撃証言が集まっているにも関わらず、青山本人が行為を否定しているというだけで、報告書は青山のセクハラ行為を認定していない。
これが調査と言えるだろうか?
どんな加害行為を行ったところで、教授が「やっていない」と主張すれば黒が白になる。そんなことがまかり通っていいはずがない。教授と学生の間には、絶対的な権力関係がある。その力の差を利用して学生が反抗できない状況に追い込んだ上で、このような加害行為に及ぶとはなんと卑劣なのか。
そして、被害を受けた学生よりも加害者側の教授や学校の体制を守ろうとする早稲田大学の対応にも大きな問題がある。セクハラの隠蔽に携わった全ての教員が自らの責任を認めるまで声を上げ続けたい。
もし、大学院への進学や就職で悩んでいる大学生あるいは大学院生の目にこの文が届くかもしれない。
そのとき少しは参考になればと思っている。
あくまで基礎研究をする学生の偏った主観で記載していることには注意されたし。
特に工学系研究科には適応できないかもしれないことはあらかじめ言及しておく。
進学を望む大学生のモチベーションはどこからくるのだろうか、と私は常々疑問に思う。
自分の中にある知的好奇心、学問的探究心がおそらく大多数を占めるのだろうと思うが、それに一生ないし大学院生活を賭けることにどうして踏み切れるのか?
ライフサイエンスと化学の中間のような研究室だったことから、この研究が将来誰かの健康を守ることにつながればと考えていた。
しかし、アカデミアの世界にはこのような情熱は不一致であったように思う。
私は高学歴・知的の権化として彼らを認識していたが、それはあくまで学問という極めて内向的な世界においてのみである。
彼らは学問を中心に生活し、休みや遊びをごく少量しか要求しない。
仕事(=学問)が生活の8~9割を占めることが普通で、それを学生にも平気で要求する。
学問的な正しさに目が向くばかりであり、研究を活かして企業へ就職する事への理解は乏しい。
誤解を生みたくないがために、少し補足するがこれは私がさぼり魔であるからこのように感じているわけではないということだ。
一応大学も大学院もそれなりに努力して入るところに入ったつもりだし、この感覚が著しく逸脱しているわけではないと思う。
だからこそ、アカデミアにはびこる理不尽とそれを容認する上役に疑問があるのである。
話をもどそう。
アカデミアに残り、博士へ進学する人はこの環境下が好きだということでよいのだろうか。
あるいは、このような環境をマイナスとしてとらえていても、補ってあまりある何かモチベーションがあるのか。
私にはわかりかねる。
これは私の価値観だが、上記のような点を踏まえて、かつ運が悪ければ重要なポジションにつくことが難しいアカデミアにいるよりも、企業に行って高給取りになった方が良いのではないだろうか。
私と同じくらいの年齢の学生に問いたいのは、本当に進学(あるいは就職)するという選択が自分にとってベストなのかを十二分に考えてみたのか、ということである。
進学を希望する場合は上記のようなアカデミアの性格を十分にとらえた上でのことなのか、よく考慮してみてほしい。
幸いなことに、修士課程は二年と程よく短い。
故に、入ったことを悔いても二年だけ何とかやれば博士と違って就職するのにもなんら特殊な工夫が必要になるわけkではない。
それにつらさ以外の部分で大いに収穫になることも多々あることも事実だ。
現に私はつらいとは思うもののいまのところ何とかやっているし、大学院に来てよかったと思うこともある。
大学院に進学した彼女の人生は輝いていた。憧れの研究者の指導を受け、修士課程にして難関国際会議に多数の論文が採択された。留学奨学金を獲得し、北米難関大学博士課程への進学を決めた。同じ研究室の学生と結婚し夫も現地で職を得て、公私ともに充実した彼女の研究者としてのキャリアは順風満帆だった。
難病を患った彼女は、夫と別れ帰国した。若くして教授となった指導教員を追い掛け、国内の博士課程に入学し直した。新進気鋭の若手研究者と再婚し、難病からも立ち直り、彼女の人生は再び輝き始めていた。
彼女には、周囲にへつらい、歓心が得られないと相手の悪口を言いふらし八つ当たりする、そんな性質があった。教授と仲の良い女性助教を目の敵とした彼女は、次第に研究室で孤立した。学会参加中の教授と助教に殺害予告があり、彼女は警察に連行された。そうして彼女は研究の世界から姿を消した。
彼女のようなリケジョは定期的に現れる。一時の輝きで注目を集め、その後いなくなってしまう彼女たち。彼女たちが再び輝く日は来るのだろうか。
健全な精神で大学院を修了するために,自分が重要だと考えていることをここに述べる.
矛盾している点が多々あるが容赦してほしい.
取る時期が決まっている講義に関しては仕方がないが,修士一年の冬に重い講義を取ってしまうと研究や就活に差し障る.
就職するにせよ,博士後期課程に進学するにせよ,大学院の講義が重視されることはない.
どの大学にも普通の講義取得コースと比べてつらめのコースがあると思う.
確かにそのような講義で得るものは多いが,外部から評価されることは少ない.
基本的にどの企業も成果主義であるため,就活でアドバンテージを持ちたいのならば,やはり真っ当に研究に取り組んだほうがよい.
変に他の教員の話を聞くと,テーマがブレてろくなことにならない.
助言をもらうにしても,話半分で聞いたほうがよい.
学生が提案するテーマを頭ごなしに否定し,自分がやりたいテーマに誘導する教員は少なくない.
やたらと教員が突っ込んでくる場合には,失礼を承知で途中で話を切ってよい.
特に,自分のテーマが研究室で前例がないテーマの場合には,指導教員から有益な意見がもらえることは決してないため,早めに外部から意見をもらった方がよい.
億劫な場合には外部文献を調査し,自分の研究に文句がつかないようにするべき.
...そのように自主的に取り組んだ研究はレベルが低いものになり,教員から否定されることが多いが,修士を出るための研究だと割り切ろう.
指導教員によってはテーマではなくプロジェクトを立ち上げることを求めてくるが,研究を初めて高々1年の学生にそのような能力はない.
研究室から脈々と続いているテーマに乗っかり,先行研究を少しだけ変えたようなテーマを提案すると,指導教員は満足することが多い.
どんなに簡単なテーマでもいいので,修士1年の10月頃までにある程度の成果を出しておかないと,就活で不利になるので注意.
テーマが決まらないままインターン時期or就活に入ると,「上司と会話ができない学生」と見なされて詰みやすい.
教授が提案するテーマであるため,研究に失敗しても,降ってきた時点で修了が確定する.
変に立ち上げると軌道修正が難しい.
複数の組織の利権を上手い具合にやりくりする必要があり面倒くさい.
侵襲性の研究や予算の出どころがわからない研究の場合は特に面倒くさい.
進捗も出にくいため,取り組んではいけない.
精神が病むくらいならすぐに変えたほうがよい.
学生相談室などの外部組織を有効活用しないと,研究室変更の決定権を持つ教員から止められるので注意.
これは研究室から学生が抜ける前例を作りたくないことが多いため.
ちなみに,日本国内の論文は研究として途中なものが多いため,海外のトップカンファ漁るくらいでいいです.
ちなみにちなみに,論文の管理はMendeleyがオススメです.
変にしらばっくれられて軋轢を生むことが多いので,記録を取っておいたほうがよい.
どの企業にもインターンからの採用枠があるため,行かない手はない.
なお,やたらとインターンを否定する教員は得てして社会に出たことがない.
すぐに決まる同期を見て,自分を卑下して落ち込むこともあるかもしれないが,自分の得にはならない.
受からない人は本当に受からないので,面接本を読んで,同期に面接練習お願いしてください.
今後の人生もイキり続けるので相手をするだけで精神をすり減らす.
強く生きる
私は大学院で自然科学の学問を専攻している.現在修士課程の1年だ.
でも本当は,そろそろ社会に出て,社会の一員として働いてほしいと思っているに違いなかった.
ちなみに,大学院進学以降は親の援助を殆ど受けていない.主に自分のバイトした金と貯金と奨学金で通っている.
博士課程に進みたい,そしてまだ社会に出れなくてごめんなさいと手紙に綴った.
その返事が今日届いた.
母は,自分の人生なのだから,自分の目指す方向に行くのが一番良いと書いていた.
「でも」と手紙は続いていた.
この間世の中のことをあまり知らずに生きてきたはずです.
何かに打ち込むのは素敵なことです.でもそれだけではいけないのです.
世の中のこと,遠い国でのできごと,自然災害のこと,
自分の狭い世界に引きこもって,そういう周りの色々のことに無関心になって,想像力を無くしてほしくないのです.
世の中がどうなろうと我が道を行く,そんな傲慢さを持ってほしくないのです.
自分の外の世界で変わりゆくものごとを,心に刻んでいってほしいのです」
そう書いていた.
母の言いたいことはわかる.正論だ.
そして図星だった.
私は世の中のことに関心がない.
いつも遠い星のことや目に見えない場所で起こっていることなどを考えている.
毎日たくさんの計算用紙に埋もれ,パソコンのモニターを見つめて,
そうしていると時間が,日々が,あっという間に過ぎ去ってしまうのだ.
それでもまだまだ足りないと,切実に思う.
でも,何かの片手間に適当にやっていたら,何にも辿り着けないと思うのだ.
この余裕のない毎日に,別のことに関心を持つすき間が一体どこにあるというのだろう?
母の言うとおり,
世界には困っている人がたくさん居て,たくさんの悲惨なことが起きている.
そして私は,人の役には立たないことに毎日夢中になっている.
母が望んでいるような,世界のできごとにちゃんと関心を持ち,社会性を保ち,人の役に立つことをする
そんな人間にはなれなかった.
そして,一番ショックを受けたのが
そういう立派な人間になろうという気があまり起きない という自分自身の気持ちだった.
当り前すぎてバカにされるかもしれないが,
私は困っている人が目の前に居たら助けるし,席もゆずるし,犯罪を犯したことはないし,人を騙したことはないし,ズル休みだってほとんどしたことがない.
贅沢だってしていない.
まっとうに生きているつもりだった.
それで,今やっと好きな学問を見つけて,それに打ち込んでいるだけだ.
私の人生なのに,これだけじゃいけないのだろうか?
母の言いたいことはわかるし,そうしたほうが自分にとっても良いはずだと思うのに,
頭のどこかで,それって本当に正しいの?と叫んでいる私がいるのだ.
私はどうやって生きていけばいいのだろうか?