もっとゆうメンタルクリニックは拝金主義クリニックで行ってはいけないことを周知しないといけないと思う
わたしたちの話がすれ違ってばかりなのは、あなたがわたしをバカにして聞く気がないからだと思う。
あなたは、わたしに論理的な話ができないって言うけど、あなたこそ出来てない。
あなた、わたしが「議論するのが面倒くさい」と言ったら「議論出来ない」(anond:20180927135356)と勝手に読みかえたよね。
そのくせ、LGBTの人たちの批判を、「相手の論を曲解している」(anond:20180928120547)とLGBTの批判を無効化している。
自分は「わたしの言葉を書き変える」のに、あなたはLGBTの人が「相手の論を曲解する」ことを許していない(これはわたしが「LGBTは『相手の論を曲解する』と主張しているわけではない」)。
このあなたのお気持ち次第な振る舞いは論理的な振る舞いと言えない。矛盾し、一貫性のない振る舞いだ。
わたしが、LGBTが行なう批判は「排除」するのか、それは差別ではないかと言ったら
あなたは、LGBTの批判は「曲解だから」「犯罪だから」、「批判」の範疇ではないと言う。
なるほど、ではまず
「新潮45」10月号の86ページを見てみよう。
LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが、性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい。
と言っている。その前にはえーっと何か、共産党やマルクス主義が人類に多大な犠牲をもたらしたうんぬん、と書かれている。
LGBTという概念を知らないで、LGBTを批判するのは「曲解」どころの話ではないし、
ついでに言うと、左の人の「安倍政権」という言葉を目にした瞬間、右の人が機械的に発する言葉「陰謀論」と同じである。
あなたの論理で言うと、これはLGBTに対する「批判」の範疇を超えているよね。
まあ、そもそも新潮45が(あなたの定義で言う)「批判」をしたLGBTは「生存権」のある人で、表現ではないから、新潮45に対する「批判」とはまったくレベルの違う話なんですけどね。
「犯罪だから」は、あの器物破損、たぶん新潮社の看板について言ってるのだと思うけど、あれは犯人捕まってないし、その属性も、思想もわからない現段階でうんぬんするのは早計。
デモは違法ではないし、暴言って具体的に何よ? もしLGBTの人の内に暴言、犯罪する人がいたとても、それを「LGBT」という属性に帰結させて語るのは、
このようにあなたの「批判」「排除」「差別」という言葉の使い分けは、あなたのお気持ち次第なわけで、そこに一貫した論理はないわけだ。
総合して、あなたの論はとても矛盾と勝手な理屈、お気持ち次第で溢れていて、まったく論理的ではない。
五百歩譲っても165がデッドラインだね
当方未婚女。未婚ではあるが子供は好きで、甥っ子や姪っ子が遊びに来れば楽しく遊ぶし
友人が子供を連れてくれば子供も楽しめるよう会話内容に心を砕く。
電車の中に大変そうな子供連れがいればなるべく助けたいと思うし
子供が泣いてると舌打ちしたりするような心ないバカが親御さんの付近にいないことを祈る。
少し前に電車が満員の中、母親らしき人がベビーカーで思いっきり勢いよく突っ込んできて
金属部分が自分のスネに当たったので思わず「痛い」と声を上げたのだが、謝るとか頭を下げると言った一切の反応がなかった。
更に今日のこと、とある駅の構内を歩いていると、後ろからガツンと足の腱の部分に何かぶつかってきたので
振り向くと男がベビーカーを押してる。一回ぐらいはと我慢してそのまま歩いてると更に二度三度とぶつけてきた。
さすがにこっちも切れて振り向き「何度も(ぶつけてくるな)」と言いかけたら「そっちが遅いからだ」だと。
つーか早かろうが遅かろうがそっちが前方を注意しなきゃいけないことだろが!(ちなみに、自分だけで塞いでしまうような狭い道でもない)
結局、残念ながら女の身、それ以上何も言えず(逆ギレされて怪我させられたりでもしたら折角の花金が楽しめないし。
つーかこれも自分がゴツい男なら起こらなかった事なのか)自分が後ろに回って距離をとり、そこで終了となった。
案件はたったの二件だけど、残念ながら私はお釈迦様じゃないから、こうも連続でくるとつまんねー偏見だって持ちたくもなるわ。
ベビーカーや子供を連れてる時にはすまなそうな顔をしろという主張じゃなくて
「その他の液」もちょっとどうかと思う
夜寝れないと余計なことを考える。
あそこでああすれば良かったとか、何が楽しくて生きているんだろうとか。
最近は規則正しく生きている。ランニングしたりスポーツをしたりして体も動かしている。
カロリーを控えつつ、太らないような食事を心がけている。朝もダラダラ寝ず、日光を浴びて一日の目覚めとしている。
静かな水面のような心持ちで、刺激こそ少ないものの見落としていた見過ごしていたものの魅力に気づき、しばしそれについて思いを巡らす。
何だか平穏なのだが、これが続くとなると気が遠くなりそうだ。かといって安易な刺激を習慣にすると依存し、エスカレートして不安感が結局増すばかりだ。
うるせぇお前の宗教に巻き込むんじゃねぇ
鬼に言われたくないんだな