はてなキーワード: 阿呆とは
なんだ?ここらへんのやつらか?
n_vermillion 結局叩きたいところの黒塗り情報開示を前面に押し出してるだし共産党みたいなのが上辺だけ潔癖で隠れて利権ズブズブってのもゴロゴロ出てきたしで俺も叩きたいところだけ叩くわ。
hdampty7 これで公開したらメディアが阿呆みたいに騒いで参列者に迷惑かけるのわかりきってるからだろ。善悪が自分基準しかない幼稚な人間が左派名乗るなっての。マッチポンプなマスコミさんは右へ行け右へ。
toraba 桜を見る会と安倍晋三さんを支える会「東京都がそんなあからさまな不正を見逃すとは普通思えませんのでね。誤解、思い込みがある可能性のほうがよほど真実性があります」
sirotar 「何か不利になるのかね。」とコメントが有るが、そう言ってる輩が不利をもたらす事を警戒しているんだよ。放火魔に名簿を渡すようなもの。
当時、クラスメートが書いてたのを思い出す。
俺はというと内心“そういうカルチャー”を下に見ているような、文化人を気取る典型的イタい若造だった。
そんな陰キャと、そのクラスメートは仲が良くも悪くもなかった。
だが、クラスメートだから教室内にいれば姦しい会話は嫌でも耳に入ってくる。
耳にこびりついてしまったので、気になってその小説に目を通したこともあった。
結局、面白かったんだが、面白くなかったんだが、今ではタイトルすら思い出せない。
俺がケータイ小説の潮流を特に感じたのは、確か『あたし彼女』っていう作品が何らかの賞をとったというニュースだったか。
ケータイでメールやブログを書くような文体で書かれた本作は、ある意味で「ケータイ小説」というジャンルを象徴していたように思う。
それは、このジャンルに今まで触れてこなかった人間も巻き込み、賛否両論の渦を起こした。
そして“賛否両論”なんて表現をするときは、えてして“否”が多いものだ。
かくいう俺も“そのクチ”だった。
小馬鹿にする意図で『あたし彼女』の文体を真似てSNSに書き込んだりした。
「完全に駄作だし、こんなのに賞をやる奴らも阿呆」といった具合の振る舞いである。
今でも本作を面白いとは思っていないが、あれにも評価すべき点があったのは確か。
あげつらうこと自体が目的になっていたのは文化人として3流だったな、と我ながら思う。
そんな潮流のケータイ小説にも「定番の材料」といえるものがあった。
今でいうなら“なろう系”の「異世界」だとか、「転生・転移」だとか、「RPG要素」だとかだが。
ケータイ小説でいうと、それは「セックス」だとか「不倫」だとか、「妊娠・中絶・流産」といったものだった。
なぜそういった材料が定番化したのかを分析できるほど俺は有識者ではない。
それでも考察するならば、「自分にも関係なくはないけど、非日常感のあるシリアスな材料」がそれらだったんじゃないかと。
あれらの書き手や読み手には学生が多いと思うし、学生は保健体育で性知識を学んだばかりだから創作で使いやすかったんじゃなかろうか。
はてさて、なんでこんな話を、今さら。
はてブでもホッテントリになったようなので、既に読んだ人も多いだろうか。
作家は普段「りぼん」で描いているらしく、なるほど絵柄もそうだが表現や演出、コマ割なども実に少女漫画って感じだ。
漫画なら何でも読んでた頃は家族が買ってきたマーガレットも貪っていたが、概ね製法は変わってないんだなっていう安心感を覚えた。
そんな製法で作られた本作は、扱われる題材がケータイ小説みたいで不思議と新鮮。
皆にはどう映ったのだろうとブコメを眺めてみると、“リアリティ”があるだのないだの語る様子が目に留まった。
そういえば『あたし彼女』の選者にも、あれ(あたし彼女)を“リアル”だと評価している人がいたのを思い出す。
その妥当性はともかく、その時に俺はケータイ小説の潮流を、ふと感じたのだった。
潮の満ち引きは海が枯れない限り続くのかもなあ、みたいな?
ネタにするにしても気分悪いわ。
幸い良い病院にあたったよ。信じる人は居ないだろうけど、増田みたいな病院あるんかな???
いいか、病院が嫌いなみんな、下血した時は病院いってくれ。痔って言われるかもしれんがそれでもいいじゃないか。それを確かめるために行ってくれ。
保険は入院1日につきの費用じゃなくて、一時金を重視のものがよいかもしれない。重いのは複数回の入院が必要になるので、保険金が出た後半年でないとか制限がないもの。最近は最低限の入院しかさせてもらえない。あと健康診断の再検査を忙しいからってちぎらないでくれ。
増田は標準医療が信用出来ないみたいなので、低分子コンダインだかをすすめようかな。(ほとんどの確率でこういうのはまじもんの詐欺。徴発もされてる。副作用がなくていいんじゃないかな?????金も無くなるし効き目は無いだろうけど????)
死にたいのは本人の自由だから、そのまま死んだらいいんじゃない。大腸がん自体に痛みは無いみたいだけど、転移した時はその限りじゃないっすよ。
あと重い(閉塞するレベルで腫瘍が大きい(閉塞は激痛)とか腫瘍が沢山あるとか)と大腸を摘出して人口肛門(普通の事のように接してるけど本人の確実にQOLは下がる)になるけど、軽ければポリープ取って終わりなのに阿呆なんじゃねぇの。悪いんだけど、増田には激痛でのたうち回って欲しい。
アフィやってる奴全体的に阿呆やで
私は延岡という典型的な悪魔(ちゃん)しか生まれない地方に生まれたので、それで、悪魔ちゃんという愛称は典型的に日本人の特徴を集約していると思いますが、それで私もごたぶんにもれず
悪魔ちゃんでしたので、昭和62年にオヤジに殺されたときは内心腹が立って、で、それ以来、阿呆として暮らしてきたのが、一度なくなった悪魔的なものが、平成6年頃にまた復活して
自分のためにはなんでもやってやろうというのがその頃に復活して、そのときの担任をしていた、川崎浩二も井植嘉彦も、その当時の、悪魔ちゃんの増加の風潮をどうにもできなくて、安室奈美恵が
悪魔ちゃんが増加した方がいいという時代の風潮で、中学2年生のときに病的なホームページをやっていたので、私はその頃まで、女の子で、悪魔で、性狂いかどうかは分からないにしても
そんなものだったと思います。んでその後の変遷も滅茶苦茶で、特に人生に筋道というのがない。私は、平成という言葉をほとんど使ったことがないというか、まじで幼少時からクソみたいな言葉だと
思っていたので平成という元号をノートに書いたことはほとんどありません。 ただし平成時代におけるこの驚愕的な真実を全部明らかにしてしまうと、10年前から警察が困るというんですが、
多くの30ー40代は、自分のこの40年かたの人生が支離滅裂だったのを知っていると思いますが10年前からすっかり黙っている様子で、それで、なんで悪魔ちゃんが一時期大量にいたかというと
オヤジが死んだからだと思いますが、オヤジというのは長谷川のようなものですが、あと色々、検事からも、この歴史はなかったことにはできないとかいう言葉が流行ったときもありましたが、
テキトーに何か言っといたほうが円滑に進みそうな気はするけど、それはそれとしてそこであんまり料理しないんですねとか見当違いな見下し方してくるような阿呆と関係が進展してもいいことないやろ
縁が切れてよかったよ
めっちゃわかるわ笑
普段のご飯なんて、冷蔵庫に残ってるテキトーなもんのリストでレシピ検索して炒めるなり煮るなりしてできたもの食べたりするよな
それこそ好きな具材と好きな調味料の方向性を言ってもらえればなんでも作るよって話でしかない
他の人も書いてるけど、いまどきこの返答を聞いて料理しないって思ってしまうようなド級の阿呆と結婚すると後々苦労する未来しか見えないから縁が切れてよかったねって思うわ
年収数千万あって一秒も時間がないから毎日外食でしたとかでもなければ、普通の給料しかないのに料理の肌感覚すらない上に他人を馬鹿にしてくるような無能男と結婚してもいいことないやろ 何十年前の価値観で生きてるんだって感じだし、専業主婦になってもらって毎日すごい料理を求めてますパターンでもそれはそれでキツイだろうしな
https://hokkeookami.hatenablog.com/entry/20230505/1683298772
このブログのコメントが記事を読まずに書いたのか、それとも読解力に難があるのか、はたまたサヨク的指向のあるブログ主だから盲目的に批判したいだけなのか分からんが的外ればかりで困惑している。
Gragra 「消した」んじゃなくて「書かなかった」だろ。わざわざ手間をかけてやったのと、手間を省いたのでは全然印象が異なる。こうやって犬笛を吹いて分断を煽る意図はなんだ?
kotobuki_84 単なるミスや省力化と解釈するべき現象に、悪意を幻視して陰湿な怒りの娯楽やるのはまあそりゃ自由だけど、その世界観だと例えば「法華狼は園子温を意識的に擁護している性犯罪フォロワーだ」くらい言えてしまうよね
このような、背景からハングルと中国語を消したのは差別という事がこの記事の主旨であるかのようにコメントしている人が多く、それにスターまで集まっている。
読めば分かると思うのだが、この記事で法華狼が言いたいのは、結論にある「『さくら荘のペットな彼女』で韓国料理の描写が追加された時、原作からの改変自体が批判の根拠」とした連中は、このハングルと中国語を消すという改変も批判しないとダブスタだし、差別意識があったことを証明することになるけどいいの?である。
だから、ハングルと中国語が消された理由は断定できなくてもいいのだ。この記事が主張したい相手にとっては「改変」されていることが重要なのだから。
そもそも最後にわざわざ「念のため、媒体の変化にともなう改変は良くも悪くも必然的だと私は考えているので、改変それ自体を批判の根拠にするつもりはない。しかし当時に改変そのものを批判の根拠として、制作者に非難をあびせた人々はどうだろうか。」
と書いているのに、ブコメはハングルと中国語を消した理由を推測したりとそこまでは別にいいんだが、引用したブコメのように法華狼が作品自体に差別問題を見出しているかのようなコメントは阿呆としか言いようがない。
ハッキリ言って行列させる店が全て悪い。
まずもって、店側が明確に行列のルールを設けないからこういうトラブルが生じる。だが、問題はそれだけではない。
そもそも行列とは、一種の飲食契約の予約である。要するに、紙に書いてその辺で待たせても本来問題はない。紙なら「グループの1人が早く来て人数書いて仲間を待っていても全然問題ない」ことは明白だ。たとえば電話で予約を受けるときに「全員分お声いただけますかー」なんていう馬鹿な飲食店はまずない。時間までにメンバーが揃えば店は何も困らない。
「行列」は、そういった対応を店が面倒がって、客に無意味な負担をかけて紙で済む順序を可視化し、何なら「店の人気を通行人に見せつけるアピール手段」にする卑劣な行為だ。道路という公共財を勝手に店の待合に使うだけに更にたちが悪い。なのに、客は真面目に並んで、何なら「長時間我慢したご褒美のように食事をいただく」という、まるで配給に並ぶ窮民のような卑屈なメンタリティーで店の非道に唯々諾々と従い、返す刀で客同士批判し合っている。控えめに言って阿呆では?
増田が長時間並ばされた理不尽、そして丼に髪の毛が入っていた理不尽を、店にぶつけることなく、客や巡り合わせに向けているのは、極めて残念だ。 店を批判しない自分の卑屈さが惨めにならないのか? 行列に入る人がいたらあなたは「店」にジャッジを求めればよかったし、丼に髪の毛が入っていたら「店」にそれを訴えるべきだった。それはめんどくさい人ではなく、客として当然の権利だった。 あなたは店に搾取されたのである。というか、不快感を持ち越している今も搾取され続けているのである。腹が立たないか?
まあ、なんだ。二度と行列に並ばないというのは、それは見識だと思うよ。さっさと潰れろそんな店。
(念のため、「店にも都合が……」とか店側に立って色々言い訳めいたことを述べる人もいると思うが、そう思う人は行けばいいしそう思わない人は行かなければいい、それだけの話である。そして前者を「随分卑屈だ」と思うのは私の単なる感想だ。それ以上でもなければ以下でもない。強いて言えば、私は増田の「もやもや」に、ある方向性を与えたかっただけである。)
ZARAから「アース・アワー」ってメールが届いて、思い出したことがある
おおむかし、「全世界で一斉にトイレの水を流す」ってイベントなかったっけと
なんかあの頃ってそういう世界規模の阿呆なのもあったし、身近なのは吉野家オフとかもあった
全く人様の役に立たない大規模・小規模な試み
ちょっと昔だとアイスバケツチャレンジとかあったけど、はぁ…善良な…と思って虚しくなった
打ち水とかさ
ポリコレ警察が棍棒振りかざす時代になると、集ってやることも善良いっぽんやり
「わかりやすく善良なこと以外許さないからね。そういうのだけ楽しまないとダメだよ。世界はかんぽ生命のCMみたいじゃないとダメなんだよ」って言われているようだわ
昔の人は「やらない善よりやる偽善」って言ってちゃんと善良なこともしてたんだけど
その格好つけた格言を前提にしてるところが昔のネットだよなって思う
せめてそういう捻くれた部分でも出して「照れ隠し」をしてくれたら良いと思うんだけど。そもそも「照れてない」のよな
大手を振って善良
短期記憶が苦手なADDなのか、記憶以前に音としてやってきた情報が脳内で適切に処理されていないのか
両方ある場合もあるだろうし
で、結局「仕事が出来る(バイトレベルから始まって多くの仕事の基礎的な能力がある)」人の条件として
「出された指示を即座に理解して記銘(そして保持)して遂行出来る」ことなので、それが出来ないとなると致命的
ゆっくりと懇切丁寧に教えてくれて、しっかりとメモを取る時間を与えてくれて、成長を年単位で見守ってくれる様な稀有な職場でない限り仕事を続けるのが難しい
入って直ぐに仕事を覚えないと馬鹿だの阿呆だの言われる(言われずとも「こいつ使えねえ」って視線を向けられる様な)職場では無理だ
それでも数ヶ月耐えられるならば「時間が解決してくれる(仕事を覚えられる)」からなんとかなるけど
まあ、発達障害でも聴覚情報処理障害でも「愛嬌」があればそれで何とかやってけるけど、大体無いよな
でも、「愛嬌」は持って生まれたものだから後天的に身につけるのは難しいけど「愛想」は身につけられる
幼い頃から「この子は…社会に適合しないタイプ」って親が感じてるならば、出来るだけ「場数」を踏ませるしかない
メチャクチャ社会性を身に着けさせる。「人と関わるのは怖くない・楽しい」と覚え込ませる
それで巧くいくかどうかは賭けでしかないけど(あと、子供の方が「強いられている」と感じるので精神的苦痛を感じて余計ダメになる可能性もあるけど)
そんな賭けに出ないで「一人で生きていける(生業的な意味でも人生的な意味でも)」道筋を親が示してやれるならそれが一番だけども
その理由は以下の通りだ。
だが幸運であったのは、私は比較的若い両親のもとに生まれ、現在もなお子供部屋おじさんまたはおばさんでいられるということである。
一応は定職につきなんとか働けている。
友人も数名だけだが居る。
両親も友人も良識があり優しく慈悲深く、たまにこちらの話をまともに聞いてくれない以外は親切だ。
私は頭の出来が良くないので、まともに取り合って貰えないのも仕方のないことだとは思う。
現状は、という言葉が頭につくが。
親は子より早く死ぬものだし、友人は人生に寄り添ってくれる訳ではない。
結婚だとかパートナーシップだとかに対しては正直に言うと、憧れはある。
しかし、まるで出来る気がしない。
私の恋愛対象は、過去に好きになった相手の統計からすると、男女の比率としてちょうど半々ぐらいである。
頭が軽いので短絡的が故に、好きになったら無策のままに即告白を繰り返してきたのだが、残念ながら全ての恋は実らず片思いに終わってしまった。
愚かなので、高望みし過ぎているのだろう。
私は他人から好意を向けられたことはないが、性的な興味を向けられたことはある。
当時の私は男子学生として生活していた。髪をツンツン逆立つほど短くして学生服を着て通学していた。
だが、男子の制服を着ていても見知らぬ男性サラリーマンと思しき人物にナンパされたり、仲良くなった筈の同級生男子から俺の女扱いをされたり、友達の友達ぐらいの浅い関係の女子生徒によりトイレに連れ込まれてズボンを脱がされそうになり死に物狂いで脱出したりしていた。見知らぬOLっぽい女性にいきなり家に来ないかと誘われたり、電車に乗っていたらキツいパーマのおばちゃんに痴漢行為を働かれたりもした。
当時は自覚などなかったが、何故周囲からそのように性的な対象として一方的に扱われるのかという答えを無意識にわかっていたのだろう。
己の肉体から逃れることは誰にも出来ない。
故に、自分の、現状女である肉体から一時的に逃れて、憧れである恋愛を無責任に無我の境地で、荒唐無稽な美しい夢のエンタメを楽しむこと、その欲求を満たしてくれるのがBL二次創作だったのだ。
加えて、追加するのであれば私の身近に居る腐女子は軒並み常識人であり、善良で、精神的にも肉体的にも理由なく他人を加害しない人ばかりだったというのも大きいだろう。
さて、ここでまた話が逸れるが、よく小説や漫画やアニメなどで「精神的ショックから嘔吐する」という描写がある。
1回目は二次性徴を迎えた時、風呂場の鏡に映った自分の姿が気持ち悪くて吐いた。
2回目は数年前にひとまわり年下の仲良しの従兄弟からセックスさせてくれと頼まれた時だ。
今でもまだ引きずっている。
私はそれまでずっと普通に暮らしていたし、従兄弟とはごく稀に顔を合わせる程度であり、会えばソシャゲの話をするぐらいの関係性だった。
呑気かつ平和に「殺生院キアラで爆死した俺を笑えよ」などと気安く話し「それよりメルトリリスが来ねえんだが?」というような返しをするような距離感である。
青天の霹靂だった。
加えて、全く根拠がないというのに、当時三十路をやっと迎えた私は「これでやっと他人の性愛対象ではなくなった」と考えていたし、老いて若さを失うか醜くなるかすれば誰からも路傍の石ころの如き扱いしか受けなくなると信じていた。
私は従兄弟に対して動揺しつつも「金ないならあげるからさっさとソープでもなんでも行きなさい」と凶悪なまでにクソなことを言ったのだが、従兄弟はそれでも引き下がらず途方に暮れた。のみならず、私が学生の頃から好きだったとかふざけたことを言った。
私が学生時代、短く髪を整えて学ランを纏い、ヤンキーの男子生徒に喧嘩を売られれば嫌でもなんでもタイマンに持ち込んで殴ったり殴られたり時にはボディにいいのを喰らってゲロを吐いたりなどして頑張ってきた、男性として必要だと判断して払ってきたコストはまるで無駄だったのだ。
なんだかメンヘラの気配がしたのでそれなりに話は聞いていたのだが、精神的に削れてしまってギブアップした。その後、暫くの間従兄弟は半ばネットストーカーのようになってしまい、私は思った。
「男って気持ち悪いな」
「私の頑張りは無駄だったんだな」
「同じ生き物になりたくないから男になるのやめよう」
と。
そのような体験を経て、二次元であればどれだけえげつないエロだろうが大丈夫だが、現実の性的接触に対して死ぬほど嫌悪感を覚える人間が爆誕してしまった。
阿呆なので、極端から極端に走るが故に、髪を伸ばして赤い口紅を引き派手な化粧をして、ナベシャツを捨ててブラを付けた。
気の強そうな女の姿の方が残念ながら適性があったらしく、他人から面倒な絡まれ方をしなかったので、そのままそうやって暮らすことを覚えた。
驚くべきことに、そうしているだけで頼んでもいないのに見知らぬ若い男を紹介して来ようとする気持ちの悪いお節介既婚者女性もついでに激減した。
遺憾ながら便利なので、以来ド派手なアイシャドウを塗って出勤している。
毎日会社と家の往復をして給料を貰い、帰宅してはTwitterを眺めゲームをして漫画を読み、ごくたまに友人と交流するだけだ。
転機が訪れたのは昨年の秋だ。
何が起きたのか自分でもわからなかった。催眠術だとか超スピードだとか諸々ナントカそういったチャチな外的要因であればまだ納得して呑み込み受け入れられたのだろうが、自分の中にしか要因がないので余計に受け入れ難かった。
今でもまだ受け止め切れていない。
たまたまフォロワーの紹介で教わったジャンルの、とあるキャラクターの夢豚に、なってしまったのだ。
動転しつつもpixivの夢小説用のアカウントを作り、人生初となる夢小説をン万文字書き、震えて怯えながら投稿した。
内容としてはその推しキャラと自己投影した理想の自分がご飯を作って食べたり並んでお昼寝したりするだけのものなのだが、それは紛れもない疑似恋愛だった。
自分自身がどういった存在にどうやって何をして貰いたいのか、自分の欲しい愛情とは何かを探っていくのはとても新鮮な自己分析で、驚きの連続だった。
そして探ってゆくうちに、私は自分が普通の枠に収まりたい、普通に求めたり求められたりしたい、即ち、セックスがもし自分に出来るのなら、やりたいのかも知れないと思い至り、成人向けを書き始めて、手を止めた。
書き始めたところで、決定的な過ちを犯したことに気が付いてしまった。
「私は好きなキャラクターを加害している」
「どうして私は自分がされたくないことを好きなキャラクターにしているんだろう」
しかし、自己投影した夢小説の主人公を推しと性的に絡ませることに、喩えようもないおぞましさを感じた。
BLなら客体であるからと逃避できていた部分が、夢小説となると途端に襲ってきた。
世間の現実に存在するカップルや、仲の良い友人夫婦、加えて、他の夢小説を嗜む友人を見て話を聞いても何も嫌悪感などない。
なるほど、それは確かにさぞかし良いものなのだろうなぁと思うだけだ。
異常であるのは分かっている。
ただ、異常であることは嘆きの対象にはならない。私は基本的に社会のマジョリティになれないという意味において常に異常だったからだ。
理解していた筈のことだが、空想の中ですら不可能であるという事実が、どのような形であれ伴侶を得ることの出来ない欠陥品であることを再認識させた。
自分の中には、
男の体で女を抱きたい願望と、
男の体で男を抱きたい願望と、
男の体で男に抱かれたい願望と、
女の体で男を抱きたい願望と、
女の体で女を抱きたい願望と、
女の体で女に抱かれたい願望、全てがあることを知った。
要するに性欲は厳然として存在しており、己のその性欲の全てが、気持ちの悪い加害行為でしかないと認識している。
唯一の安息の地である二次元が失われて、もうきっと二度と戻ってはこないだろう。
いつになれば人生が終わるんだろうと考えている。
元増田が
>「昼間でも場所によっては強盗性犯罪当り前。地下鉄には独りで乗るな」「目立つ格好をするな」「アジアンは狙われやすい」
と書いてる通りに海外では見ず知らずの女性に対する犯行が多いのだろう
相手を言いくるめて黙らせるうえでも
職場の上司とか年長の同僚とか年長の親類とかのほうがヤりやすいんだろうな畜生めが
セクハラの類も通りすがりの見ず知らずの人間相手には成立しない
だから見ず知らずの男(俺)に「私を襲うかもしれない」って目を向けんな
人口密度の高い日本の都市部でそんなリスクの高いことする阿呆は滅多におらん
(きわめて稀には家宅侵入して犯行する強行レイプ犯もいるけど)
そして職場の部下とか年少の同僚とか近隣の顔見知りの目下の若い娘とかなら
手を出してもなんとかできると思ってるクソ男全員金玉砕けろ