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2020-08-08

アルバイト退職した。

大学進学を機に上京し、勉強部活の傍ら、生活趣味に遣うお金のために様々なアルバイトをしていたが、どれも長続きしなかった。

一昨年のこの頃は飲食店に勤めていたが、ある日バイト中に社員に手を上げられ、そのまま店を辞めてしまった。

勢いでアルバイトを辞めてしまったが、働かないと生活が苦しくなる。

飲食以外でアルバイトを探していたところ、隣町の小さな本屋求人を見つけた。

時給は低かったものの、仕事が暇そうだったのととても雰囲気がよかった事もあり、そのまま応募した。

無事に採用され、先輩からレジ周りの仕事から教えてもらうことになったのだが、その先輩は高校生だった。

名前、似てますね。」

「私もそう思いました。」

私の名前増田、先輩の名前曽田だったので同じことを考えていたが、先に言われてしまった。

これが曽田さんとの初めての会話だった。

曽田さんは私より年下なのにとてもしっかりしていて、明るくて芯のある人だった。

キャラクターで例を挙げるなら夜は短し歩けよ乙女黒髪乙女が近いかもしれない。

シフト曜日固定なので、毎週曽田さんと同じ時間バイトに入っていた。

その頃私は大学から課される大量の実験レポート忙殺され、心身ともに疲れ切っていたが、

曽田さんのしゃきっとした態度を見るだけで疲れなど忘れ、私はだんだん曽田さんを好きになっていた。

私と曽田さんは、アルバイト数人でご飯を食べたり遊んだりする仲ではあったが、

私が二人で食事に行こうと曽田さんを誘っても、曽田さんは決してその誘いに乗ることはなかった。

食事の誘いには乗らなかったが、曽田さんに勧められた飲食店ご飯を食べた感想を伝えると、

「どうして私を誘ってくれなかったんですか」と言われることもあり、私はカンチガイしていた。

募る思いだけが日に日に増していった。

曽田さんは高校卒業して近隣の大学に進学したため、去年の四月以降も曽田さんとのシフトは続いていた。

そんな関係が続くうちにアルバイトを始めてから一年が過ぎた。

一年、いい区切りだと思った。

私は曽田さんに告白した。

今まではバイト終わりに「お腹空いたね、ご飯行かない?」と食事に誘っては断られてを繰り返していたため、

曽田さんは私に気は無いんだろうなとは薄々気付いていた。

食事は断られるが、仲は良かったので今の関係のままでもいいかなと考えもしたが、

どうしても諦めきれず、関係が壊れることも覚悟してその日は「君のことが好きだから、今度一緒に食事しませんか。」と気合を込めて誘った。

好きな人いるから、行けません。」

むなしくもまた、断られた。

曽田さんは幼馴染の浪人生が好きということと、勉強邪魔をしないため、浪人生活が終わるまでは告白しないと決め、

もどかしい思いをしていることを私に教えてくれた。

完全敗北を喫した私は、しばらくの間は曽田さんとぎくしゃくしていた。

曽田さんを諦められない気持ちもあったが、曽田さんは曽田さんでバイト中に好きな人の話を私にしてくるため、

さすがにこれ以上曽田さんのことを追いかけていても曽田さんの迷惑になるなと思い、身を引くことにした。

去年の暮に、私も私で別の人から告白され、付き合うことにした。

曽田さんへの思いを吹っ切るためだったのかもしれない。

そんな気持ちで付き合い始めたのは恋人に失礼だったなと今は反省している

曽田さんとは相変わらず同じシフトだったが、その頃には曽田さんともだいぶ打ち解けていた。

「私、振られちゃいました。」

曽田さんが私にそう告げたのは今年の三月だった。

曽田さんはそれから幼馴染の話をしなくなり、私と私の恋人の話を聞くことが多くなった。

私と恋人との関係は順調だったが、曽田さんのことを吹っ切れたかというとそうでもなかった。

告白する前より仲が良くなったかもしれない。

この頃から曽田さんはバイト後にバイク帰宅する私を見送ってくれるようになり、

増田さんが恋人と別れたら後ろに私を乗せてくださいね。」なんて言われたりもした。

バイト後に曽田さんが私を食事に誘うこともあったが、断っていた。

曽田さんを吹っ切れなかったが、恋人に対して失礼な事をしたくなかった。

新型コロナ蔓延し始め、世間でも騒がれ始めた頃、本屋も一時休業することになった。

「お互い元気なままで再会しような。」

休業前の最後バイト曽田さんとそんなやり取りをした後に「次に会うときバイト後にラーメン食べに行きましょう。」と約束した。

バイト後のラーメンとはいえ恋人以外の異性と二人で食事に行くことは恋人申し訳なかったため、恋人にはちゃんと報告した。

休業が明け、久しぶりに会った曽田さんとバイト後にラーメンを食べているとき、月日の流れを感じた。

曽田さんと二人で食事をしたのはそれが最初最後だった。

「八月で閉店します。」

一時休業が明けて少し経った頃、店長にそう告げられた。

経営不振だそうだ。

曽田さんとの関係が終わる。

その日はあまり眠れなかった。

恋人との関係も続いているが、曽田さんと会えなくなることを考えるととても辛かった。

恋人と別れて曽田さんにもう一度告白することを考える自分もいたが、

恋人に対してなんて酷いことをしようとしているのだろうという思いの方が強かった。

最後バイトでは「振られた後もずっと曽田さんのことが好きだった、今までありがとう。」なんて伝えようかなと考えていた。

そして先日、本屋も閉店し、曽田さんとの最後バイトを終えた。

退職手続きを済ませ、本が無くなった本屋簡単打ち上げをした。

その日は徒歩だったので、曽田さんと並んで帰っていた。

とくにこれといった話はしなかったが、曽田さんに別れ際に「増田さんの恋人よろしく言っておいて下さい」と言われた。

その言葉を受けて何も言えなくなってしまい、別れた後は放心状態帰宅した。

全部見透かされていた。

曽田さんは私の好意に気付いており、曽田さんも少しは私のことが好きだったのかもしれない。

私と私の恋人関係のためにも、私に「曽田さんが好きだ。」と言わせなかったのかな、なんて考えたりもする。

どこまでが合っているのかは分からない。


これから曽田さんと会う機会もなくなり、曽田さんへの思いは日に日に小さくなっていくんだろうけど、

曽田さんの気持ちを汲むためにも恋人のためにもそれが最良なのかなと考えている。

2020-08-05

高齢処女ができあがる一例

私は30代前半の女である

男性とお付き合いした経験はあるけれど、処女だ。

母親がやたらと婚前交渉を悪だと思っていて、私が10歳の頃に映画かなにかでカップルだったか夫婦だったかセックスした感じの表現早送り飛ばして、映画(かなにか)が終わったあと少なくとも私にとっては唐突に「増田ちゃん結婚するまで男の人とこういうことしちゃだめだからね。約束して。もし結婚もしてないのにこういうことになって、あんたが大変な目にあっててもお母さんは何もできないから。お母さんもお祖母ちゃんもそうやって生きてきたから、あんたも守ってほしい。守れなくて、もしだまってそういうことしちゃったら絶交する。約束守れる?」

大体こんな感じの事を言われたと思う。

私の頭に強く刻まれたのは母と「絶交」という考えもつかない状況への恐怖だった。

普通に考えればなんとも幼稚というか、なんでそこで個人として「絶交」すんねん、という謎のおかしみがあるが私はマジのガチ小学生だったので単純に絶交=絶望だった。

から「…うん……わかった…」って答えた。じゃあ「約束からね!」と念押しされたので「約束するわ」と。

のしょーもない約束を守り続けた。

理由高校生の時、ちょっと大病をして母にだいぶ迷惑かけたのもあるし、その大病のせいでなかなか実家から出られなかったのもある。

実家に置いてもらっている限り、やっぱり親の方針を守らなくては、この家に居られないという恐怖があった。

顔面偏差値は平均よりちょい下レベルだったが、まぁどこにでもいる地味で内気な女子だったのでので19歳の時初めて彼氏が出来た。18歳の浪人生であった。

彼はなんか異常に童貞コンプレックスがあり、その事をいろんな人に公言していた。そしていい雰囲気になるとやたらと体を触ってきた。

内心「まずいな…」って感じだった。

セックスってもっと大人の人がする、先の話だと思っていたので、こんなにすぐ母との約束をああだこうだ思う時が来るとは思わなかったからだ。

なので、「あなたの事はとても好き。だけど私は幼い頃こういう約束を母からさせられていて、セックスすると家に居づらくなりそうで怖いし、結婚妊娠も今全く想像できない。変な話に聞こえるだろうがそういう気持ちに応えることができないと思うがいいか」というような事を彼に告白した。

じゃあ「増田ちゃん気持ちに時期が来るまで自分は待てる」というような分かってるのか分かってないのかという返答だったが取り敢えず話せてホッとした。

しかし甘かった。彼は交際4ヶ月目の9月自分ちにおいでと言ってくれて、おうちにお呼ばれして一緒にDVD見たり、彼のコレクションである映画美術展のリーフレットを見せてもらって楽しく過ごしたあと、ベッドにそっと押し倒された。

内心「えぇ…説明したのに……」という残念感と、安易プランにガッカリしてしまった。

ブラウスの中に手を入れる彼に「ちょっと待って、落ち着いて、無理だから」と困った調子で言ってしまった。

彼は傷ついた顔をしていた。お互い口数も少なく、駅まで送ってもらい帰路についた。途中、彼からメールが来て「気持ち押し付けしまいごめん。でも親との約束を越えられるくらいの絆を築けたと思っていたから、無理だからと言われて正直傷ついた。これから受験も忙しくなるしちょっと当分会えそうにない」という旨の事がかかれていた。要するにセックスしたいという気持ちを受け入れない私に彼側もガッカリしていたのだ。

私自身も徒労感と所詮男女の関係ってこんなもんなんか?セックスできなきゃ心のふれあいとか無意味なのか?今まで心通わせてたと思えてた瞬間も彼にとってはセックスへのプレリュードだったのか?と思えて、心がささくれ立った。

電話して私もガッカリしたこと、親との約束を越えられるくらいの絆と言うなら、私の親に会えるのか?あなたの親に私を会わせられるのか?確かに出し惜しみのようなことをして申し訳ないが、こちらの立場も考えてほしい。私はあなたコンプレックスを解消するための道具じゃない。急な展開に私が及び腰になって断ってそれで距離を置こうなんて脅しみたいじゃないか、と割と彼を責めてしまった。

結局そんなすれ違いで一週間後別れる事になった。

この経験は私をより頑なにしてしまった。

このあとも20代に4人とお付き合いをする機会に恵まれたのに結婚意思が見えなかったので説明してセックスを断ると大体気まずくなって破局した。

段々分かってくる。この時代、中の下レベルの女に対してセックスというコミュニケーションなしに結婚意識する男なんてほんとに稀なんだって

そこで考えを変えられればよかったが私も意地になり「時代錯誤だろうがこうなったら婚前交渉なしで結婚したい」とか余計自分の首を絞めた。

当の母も私がちょろっと相談すると「くだらない誠意のない男とそんな関係にならなくてよかったじゃない。あんたも今に分かるよ。本当にあんたを愛してくれる人はあんたの気持ち尊重してくれる」とか言っていた。(面白いのは「セックス」って単語が「例のあの人」並みに母の中で禁句になっていることだ)

そんな人は私レベルじゃ見つからないし捕まえられない。時代錯誤も甚だしい。今やセックス恋人同士のコミュニケーションで娯楽なんだよ。約束でも契約でもない。そんな重み感じてるほうが変なんだ。いくつになっても門限22時で過ぎそうなら鬼電してきて、あんたのかけた呪いで私はすっかり行き遅れだよ!と心のなかで憤慨した。もう自分の中の矛盾ヤバイ理想現実ヤバイ

4人目の人にはいちゃついているときにいい雰囲気になり始め、セックスできない理由を伝えたが、じゃあセックスはしないから触るだけでいいということで手でするようにお願いされた。

そこはカラオケボックスで、もう私は27歳だった。

理想現実約束と意地とでぐちゃぐちゃになっていたので了承した。

その後何度か胸を触らせながら手でした。

その時は最善策だと思っていたが、まともに考えればそんなにマトモでもない。

私は性愛関係で本当に迷走していた。

結局その彼にも口でしてくれだの本当はセックスした方が気持ちいいよだのもともと贖罪気持ちでしていたのに要求がでかくなっていき「私との結婚を考えられる?」という質問をしたとき、「考えないわけじゃないけど今は無理かな」という回答でなんとなく心が折れた。結局性的奉仕してても関係性の延命措置をしているだけのようなもので、セックスしなくちゃ恋人と本当に根っこの部分で打ち解けられないと思っている男性が多いのだろう。

どこか自然体になれなくて、結婚して生活を共にするというようなリアル想像をさせづらくなるんじゃないか、と勝手考察している。

婚活でその後もお付き合いともいえない数回のデートもしたが、一度親が厳しくて門限があって未だに処女であることを告白したら相手全然喜んでなかった。

世の中処女をありがたがる層がいるとは聞くが、大体の男性は「普通女性」と結婚したいのだ。30over処女は重いし奇異だ。変な物件は引き取りたくない。

当たり前だ。実際私は面倒くさいメンタリティーの持ち主である自覚している。

呪い張本人の母はのんきにいつか娘には理解があって誠実な男性が現れると信じている。

今年はちゃんとした結婚相談所に登録しよう…と思っていたところにこの新型コロナちょっとそれどころでなくなったので、通信教育webデザイン勉強を始めた。

なまじ一時間電車に揺られれば都市部に出られる立地に住んでいるので勝手結婚実家を出るのが一番オーソドックス方法と考えていたが、自立して家を出ている女性なんかいっぱいいる。結婚を諦めきったわけではないが当面は能力をつけて自立して独り暮らしをしようと計画している。

ここでも母は「実家お金貯められるし安全だしあんたみたいに雑な人間でもどうにか暮らせてるんだよ。独り暮らしは厳しいよ」と呪いをかけている。

すっかり信じていたが長年の友達が独り暮らしを数年前初めて、遊びに行ったりして独り暮らしの実情を少しは知った。

単純に独り暮らしした方がいい経験になることが多い。

流行りの「普通の人でいいのに!」も読ませていただいたが、主人公は面倒くさいメンタリティーながら自立していて性愛に変な抵抗感がなくてほんとうに平均的な「今時の女性」で十分素晴らしく見えた。幸せになれる可能性の方向性が多そう。そんな感じだ。

私は「ぽい」タイカレーにすらなれない。

訳のわからない作り方をされたうまくもない民族料理みたいな感じか?増田レシピ増田グダグダに煮込んだやつだ。自分でも食べたくない。

しかしま別にまだゴミと決まったわけではないのでもうちょっとマイルドに食べられる人を増やせるように手直し入れることは不可能ではないと信じつつ頑張っていこうと思う。

私を闇落ちさせてるのは男性の性欲というか、母親への見捨てられたくないという子供みたいな私自身の思いであることを言っておきたい。

私を少しの間でも恋人に選んでくれた男性5人方、どうもありがとう婚活で知り合ってデートしてくれた方もありがとう

超絶長いお気持ちを読んでくれたあなたありがとう

これは私が30前半までなんで処女でいたかという振り返りだ。

他の人に参考にはならないだろうがやたらと純潔をギャーギャーいう親がいる人は話し半分でいいんじゃないか?時代価値観も違うしそんな重視しないでいいんじゃないか……?という消極的提案でもある。

性教育はもちろん大切だし、無知から悲劇が生まれるなら避けるに越したことはないが、性愛なんていうほんとにほんとのデリケートな話には親といえどもズカズカ入り込んでしまうと大変こじれるので娘さんをお持ちの親御さんは難しいだろうなと思う。できれば私の母のように性愛全否定はやめて差し上げてもらいたい所存である

2020-07-24

幼馴染が結婚した。

幼馴染がつい先日、婚姻届結婚指輪共にinstagram投稿していた。

よくあるワンシーン。よくある話。

27歳の僕と、26歳のキミ。

まさに適齢期の幸福なキミと、せわしなく仕事に追われる失楽園の僕。。


相手美容師だそうで、ルックスもよく、

大塚マンションを買えるくらいには稼いでるらしい。

美容師で稼げるとは、とてつもないカリスマなのだろうか。


ナナ(と呼ぶことにしよう)は一個下だったのだけど、

学年で一番と噂されるほどには可愛かった。

30人3クラス、全校生徒90人。

とはいえ高校に上がってもそのモテランキングトップクラスを維持していたそうだ。

一応僕も高校では「顔は学年一だけど性格は学年一悪い」という非常に類いまれ称号

同級生からいただくことのできる持ち主ではあるので、

僕たちはそれなりに恵まれ関係だったんだと思う。

正直に告白してしまえば、

僕はナナに対して少なからぬ恋心を抱いていたことがあることを否定できない。

今までの僕はずっと、バランスを取っていたんだろう。

少し気が楽になったような気持ちと、少し寂しいような、、

複雑な気持ちだ。

もし僕がそのことを言ってしまったとしたら、

今ナナはどうなっていただろうか。

幸せな家庭を築くことができただろうか、

あるいはまるで関係なかったのだろうか。





僕たちには姉がいた。その姉同士が友達だった。

ぐるみ関係だったから、

次第にお互いの家を行き来するようになった。

そんな感じで仲良くなっていったもんだから

学校ではなんとなく他人のフリというか、距離を取りながら

だけどそのよそよそしい距離感にお互いニヤニヤしながら、

学校から帰宅するとPCに電源をつけて、

当時流行っていたHABBOホテルチャットをしている

そんな関係だった。

校内でHABBOホテル流行らせたのは僕だったけど

僕に教えてくれたのはナナだった。



中学に上がると、思春期が訪れる。

クラス同級生から言い寄られているだったり、

先輩である僕の同級生からも。

ナナが付き合い始めた男のうちの一人は

学年で一番足が速くて

僕が一番仲良くしている男だった。

だけどその彼のすぐ次に付き合ったのは

イケメンのこれまた僕の友達だった。

中学3年生か、高校1年生くらいの時の話。

僕たちは学ランを着ていて、ナナがセーラー服だったときの話。

奪った奪われただの、とにかくそのこじれたすったもんだ関係

ど真ん中に「我関せず」といった素振りをしていた僕に

相談役が回ってきた、という感じだ。


僕はピュアに一途だったので、初恋女の子のことはロクに話したこともないのに

2年間の片思いを続けていたり(これはあとで両思いだったことが発覚するのだけど、別の話)

2個下の女の子一目惚れをして学校中(これは大袈裟ではなく)からロリコン扱いされているといった

強靭プラトニック精神があったから、都合がよかったんだろう。

そういう相談ごとに乗ってあげるお目付役でありながら、

僕の恋愛も一番に聞いてくれる

よき相談相手だった。

僕たちの中学では付き合っては別れて、みたいなことをみんなが繰り返していたか

同級生の中には「めぼしい同級生とは全員と付き合ったことがある」ような子もいる状態

当時の僕は「どうせ結婚もしない相手と付き合ったところで、その人のことを思いやれているの?」

ということを説法しては、煙たがられた。



ナナはそんな僕の一途なところを信頼してくれていた。



ナナのいいところは偏見がないところだった。

僕は学校ではとかく問題児だったから、多少嫌われる部分があったけど

それでも僕の正義をしっかりと聞いて

リュウくんは間違ってないよ」ってしっかり言ってくれた。


当時の僕たちは、そんなお互いの価値観や嗜好性を語り合っては、

どういう関係として歩み寄っていくべきか、

そんなことを話すような間柄だったのだ。




高校生のある冬の夜。

中学校の目の前にあるナナの家の前で、

いつものように塀の上によじ登って

お互いに話し合っていると、

寒いから、ウチあがっていく?」と言われた。

断ったんだけど、いいからっていうことで

今までは部屋に入ることはあまりなかったんだけど

今回初めてナナのベッドの中に入ることになった。

するとナナの姉が部屋に入ってくるや否や

修学旅行で買ってきた沖縄コンドームを部屋の机の上にばらまいて

「ヤるならしっかりとゴムしなよ」と言った。

その時の僕は正直、なんて返事をしたのか覚えてない。

そしてその時のナナの様子も覚えていない。

だけど机の上にばらまかれた「ゴーヤ味」「バナナ味」

お土産家でちんすこうと一緒に並んであるコンドームけが

鮮明に記憶に残っている。

僕たちがそれを使うことはなかったし、

僕がナナに触れることはなかった。

しかしたら、ナナはそれを期待していたのかもしれないけど。




僕が大学受験を決意して、お金がないか受験ができなくって

うちが貧乏生活に困窮していたのも知っていたか

そんな時に「私の働いているパン屋においでよ。パン、もらえるよ」

といってくれたのがナナだった。

僕は潔くお邪魔することにした。

大学入学するまでの2年間

夜になると廃棄されたゴミ袋に入ったパン

ゴミから取り出して更衣室に持ち込み

みんなでこっそり拝借する。


浪人中、幾度となく、1日3食パンを食べ続けていたし、

おそらくパンを食べなかった日はないだろう。

もう山○パンは一生食べなくていい。。

だけど、僕はその廃棄されたパンがあったから、

こっそりパンをとっていることを知っていながらも

黙っていてくれた社員の方がいたから、

過酷浪人生活で、自分食材を買って料理する手間を減らしながら、

食費を節約することができた。



ぶっちゃけて言えば、ナナは恩人だ。

社会的な接合点を失っている状態で、ものすごくやさぐれたし、

ひねくれた。

そんな状態でも、僕がいつかやり切ることをナナだけは知っているかのようだった。



僕が無事に大学生になって、疎遠になっている中でも、

お互いの誕生日にはかならず「おめでとう」の連絡を

欠かさずに行っていた。ナナがそうしてくれていたか

僕もそうしていたし、

なんでかわからないけど、誕生日プレゼントを買いあったりもしていた。



そんな関係であることを「学年で一番足が速いやつ」は知っていて

「ナナが好きなのって、実はリュウなんじゃないの?」

と言われた。

まさか

と思っていた矢先、「相談したいことがある」

と連絡がきた。

じゃあ久しぶりにご飯でも食べようかっていって、地元魚民

二人で久々にご飯を食べていて。

どうやら最近付き合っていた彼氏と別れたらしい。

その理由は「同棲中、寂しかたから犬を飼い始めたら彼氏に怒られた」

らしい。不可思議現象に僕も首を傾げたが、

犬>>>超えられない壁>>>彼氏

だったらしく、犬と共に去りぬ。という状況だった。



ナナは彼氏と別れるたびに、僕に必ず連絡をくれる。

そして必ず、「好きだよ」と言ってくれる。

僕がお金持ちにならなくても、ずっと。


もし僕に、彼女がいなかったらよかったのだろうか。

僕たちはたまたまタイミングが合わなかっただけなのだろうか。

それとも、僕の方に受け入れるだけの覚悟がなかったのだろうか。



婚約前夜、池袋バルで、「このまま本当に結婚してもいいのかわからない」

という相談をされた時、僕が「そんな男と別れて、俺と結婚したら」

と言ったら、キミはどう思ったんだろう。







ポコパンの招待が届くたびに

「はあまたライフ回復してんのか」

と同時に、「なんか話したいことあんだな」

と思う。

ナナのストーカー事件

法的な制裁方法を教えてあげると

ありがとう、お兄ちゃんおやすみ

と言った。


お兄ちゃんかあ。

ずるくない?


あいっか。

結婚、おめでとう。

頑張ってね。

晴れそうで雨降りそうな

深い愛と、濁った恋

笑ってるの怒ってる?

ああ、楽しい。ああ、少し好き。

2020-06-25

回避性パーソナリティ障害人生詰んでる

回避性パーソナリティ障害は、自己否定が強く、失敗や批判を極端に恐れ、対人関係社会活動において臆病になってしま障害

診断を受けたのは回避性パーソナリティ障害気分変調性障害

長いことうつ症状と付き合っている

干渉母親ネグレクト父親のもとに育ち、小学校中学校高校では理不尽な難癖をつけてくる教師達に勉学と道徳を説かれた

学んだのは、大人の顔色の窺い方とバレない手抜きの方法だけだ

勉強はそれほど努力しなくてもそこそこ良かった

高校の時模試では某旧帝大理系学部でいつもA判定だった

当時、容姿が悪く性格も捻くれた私にとって勉強は唯一誇れるステータスだった

高校2年の冬、うつ悪化した

特に決定打となる具体的なきっかけは無かったが、明らかに肉体的にも精神的にもエネルギーが枯渇していた

徐々に学校にも通えなくなっていき、しまいには実家の自室に籠りっぱなしになっていた

毎朝自室に起こしに来る母親に対して「胃が痛い」「頭が痛い」「動けない」と言い続けるのは苦痛だった

「気のせいだから学校に行きなさい」とまくし立てる母親に対して、口が裂けても「死にたい」だなんて言えなかった

高校は、当時の担任(私が唯一感謝している先生)が尽力してくださったおかげで不登校ながらもなんとか卒業できた

卒業後は予備校に通うため、都会に出て一人暮らしを始めた

最初の数カ月こそ解放感にハイになっていたものの、すぐにまた引きこもりに戻ってしまった

親に金を出して貰ってまで一人暮らし引きこもりをやっていること、

自分より遥かに成績の悪かった連中がAO指定校推薦で難関大医学部に行き、未成年飲酒の様子をSNSに垂れ放蕩の限りを尽くしていること、

心が進学を望んでいるのに体が言うことを聞かないこと、

毎日母親から連絡が来ること、

全てが酷だった

それでも進学を諦めたくなかったので一人暮らし浪人生活を続けていたが、翌年遂に進学を放棄し、引きこもりニートが完成した

今は心療内科カウンセリングに通うニートをしている

ずっとバイトを探しているが、ここで回避性パーソナリティ障害が真価を発揮している

まず、一番求人件数の多い接客業であるが、厄介な客1人にでも出会おうものならすぐに辞表を叩きつけるであろうことが目に見えている

10代にして大人達の醜さに触れ、理不尽さへの耐性が異常に無くなってしまっている

コロナ禍においてマスクの欠品が相次いだ時、マスクが無いからと店員にキレる客が社会問題となっていたが、もし私が店員だったらすぐにでも自死していただろうと思う

接客ダメなら事務系か?とも思ったが、求人サイト事務系として募集している仕事内容にはだいたい電話応対が含まれている

それを省いたとしても残る求人件数は数少なく、社名を検索すれば悪評が湧き出てくるようなものほとんどだ

私は某求人サイトでヒットした事務系の求人の社名を全て検索し、ああでもないこうでもないと虱潰しに探していったら全てダメだった経験がある

頭のどこかには「やってみたらなんとかなることもあるだろう」という考えはあるのだが、それよりも「失敗が怖い」という感情が遥かに上回ってしま

あらゆる職種に就こうと思えず、かといって今更進学を目指す気持ちにもなれない今、本当に行き場を失い、詰んでいる

だって失敗は嫌だ、ただ逃げているだけだ、甘えだ、そう思われるかもしれないが、

私にとってこの問題はそんな言葉で片付けられるほどのものではないのだ

人の感情矮小化する行為ほど無礼ものは無いと私は思っている

嫌なものは嫌、無理なものは無理なのである

10代にして人への信頼、新たなことに目を向けるエネルギー、ここぞという時に踏ん張る力、自己肯定感

あらゆる人生の楽しみを失ってしまった私は、これから先どうすればよいのか

私はもう疲れてしまった

2020-06-19

75年生まれの俺を作ったゲーム10本を全力で紹介する

そういうわけで、1975年まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。

それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。

パックランド1984/AC/ナムコ

俺にとっては、ヴィデオゲーム魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。

結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。

今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。

カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク大学生たち)でひしめきあい

当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。

忍び込むようにして入ったこゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。

パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。

キャラクターBGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。

消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。

それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。

ポートピア連続殺人事件(1985/FC/エニックス

もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、

ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、

中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。

犯人はヤ●」は、個人的にはたいした問題じゃない。

推理小説よりもゲームブックよりも面白い推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。

シナリオ堀井雄二/制作チュンソフトゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。

本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。

けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である

ドラゴンクエスト(1986/FC/エニックス

ポートピアと初代ドラクエ記憶が地続きになっている。

子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。

プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。

作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体UIポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。

そしてエンディングスタッフロールでは母親の前で号泣した。

そういえば、ここに挙げたゲーム殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。

それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲーム凄さによるものだったのかは知らん。

ウィザードリィ(1987/FC/アスキー

通称ウィズ」。

ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。

RPG」というジャンル/概念意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。

種族職業キャラメイク、鑑定しなければ不明アイテム

「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか

もろ鳥山明ドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター末弥純デザイン)たちに慄いた。

寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。

ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。

おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。

あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、

バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律羽田氏ならでは。

タイトル画面、カント寺院キャンプBGM永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。

MYST(1994/SS/サンソフト

当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。

当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードファミマバイトして購入した。

膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。

トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。

インターネットなき時代に本作を自力クリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。

ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。

ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。

風来のシレン(1995/SFC/チュンソフト

つい最近まで「自分ローグライクゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。

が、結局、初代シレンが好きだったのだという結論に落ち着く。

当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。

タクティクスオウガドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、

朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲーム自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。

後期SFCらしい完璧ドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作UIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、

ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。

手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。

フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。

中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜

moon(1997/PS/アスキー

思うところありすぎて、何を書けば良いのか困ってしまう。

「昨年ついにSwitch配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから絶対やっとけ!!!

それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。

数多の熱狂ファン批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。

俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である

あるいはクラブカルチャーサブカル世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM

本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。

人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物

でも、だからこそ『moon』はゲーム以外の何ものでもない。

もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。

すまん、自分でも何言ってるかわからんくなってきた。

CONTINUEYES.

ゼルダの伝説 時のオカリナ(1998/N64/任天堂

世代的にゼルダディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。

神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。

正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。

あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからクローズドワールド結構

時オカだけが俺にとってとくべつなゼルダである

なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームから

BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。

エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。

夕暮れ時、ロンロン牧場マロンちゃんオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。

L.O.L(Lack of love)(2000/DC/アスキー

moonディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。

moon』が作り出したうずたか第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。

エンディングはいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後ゲーム)。

坂本教授BGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。

内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。

ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)

おまけにリメイクアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。

だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲーム趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。

とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。

しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。

スプラトゥーン(2015/WiiU/任天堂

本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。

本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。

そしてそのアオハルは俺を(おそらく)最後に「再構成」した。

それまでスタンドアローンしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘しか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。

その体験は視界を塗り替え、時間感覚刷新し、現実異化した。

これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMSしか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。

『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。

あの頃、夢中になって1日中プレイしてたイカ中毒者なら、

汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。

※※※※※※※※※※

俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝

何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。

※※※※※※※※※※

追記

まさかホッテントリ入りしてたので追記

ブコメ全部読みました。

こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事ゲームの思い出とか括りでは語れない気持ち排除するみたいで、

あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、

ブコメで多くの世代の皆さんを作ったゲームを知れて(知らなかったゲーム、やりたかったゲームがたくさんあった。やる)、

思いきって書いて良かったと思えた。心から感謝

剣呑な現世界だけど、みなさんと俺がこれから面白いゲーム出会える世界でありますように。

2020-06-15

フラれた彼女の家にジーパンを取りに行った話

私が彼女と付き合い始めたのは高校3年の夏頃であった。

私達は受験を控えていたので、付き合ってはいたが頻繁に会うことはなく勉強に取り組んだ。

志望校にことごとく落ち落胆していた私だったが、滑り止めは流石に受かっているだろうと考えていた。

そして、滑り止めの合格発表日が訪れた。その日はバレンタインデーであった。

彼女から渡したいものがあると言われ、私は駅へと向かった。

その駅に向かう途中に私は合否確認を行った。結果は不合格であった。

私は浪人を決めた。

彼女と会うとチョコレートを渡された。「ありがとう」と私は言った後に、浪人する事を伝えた。

すると彼女からこう言われた。

「私はもう進路決まりました。残念ですが、別れましょう」

そうして彼女は帰りの電車に乗って行った。


人生で初めてフラれた私はひどく動揺した。

もらったチョコレートチャリを漕ぎながら道端にぶん投げた。

そして私と彼女との関係は終わった。


浪人生活が始まってしばらく経った5月頃、彼女から連絡があった。

「やっぱりよりを戻したい」

アホな私は承諾した。

高校時代彼女とはプラトニックな付き合いをしていたが、気がつけばそのような関係性も終わっていた。

行為というのは完全に脳をアホにするのかもしれないと当時の私は真剣に思うほどであった。

夏までは猿のように性行為に勤しみ、それに反比例するように私の成績は落ちていった。

流石にまずいと感じた私は、9月頃から彼女と会う回数を減らしていった。

受験が終わったらたくさん遊ぼう、今は勉強に全力を出すよ」

こんな事を彼女に伝えながら1ヶ月に1〜2回程会っていた。


そして年が明け、センター試験まであと1週間といった頃、彼女から連絡があった。

「新しい彼氏が出来たから、別れてほしい」

その時の私は怒りというよりも、もうどうでもいいという気持ちの方が強かった。

センター試験前に動揺させるような事をしやがってというぐらいの気持ちであった。

ただの学生浪人生の付き合いであったので、家の鍵を渡しているような事もなく、私はスムーズに承諾するはずであった。

しかし、私は急にその存在を思い出した。

ちょっと待って、ジーパンを取りに行っていいか?」

私は小柄な男性なので、彼女ジーパンを共有するほどである

彼女が私のそのジーパンを気に入り、自分ジーパンのように履いていたのだ。

「いや、もういいでしょ。ジーパンはもうしょうがないと思って。彼氏も今家にいるし。」

「いや、ダメだ。今からジーパンを取りに行く」

私は彼女の家に向かった。

すると途中で見知らぬ番号から電話がかかってきた。

「おい!お前気持ち悪いんだよ!家に来んなよ!」

恐らく彼女の今の彼氏だろう。

「俺はお前に用ない、ジーパンを取りに行くだけだ」

電話は切られた。

そして彼女の家に着いた。

見た事もない軽自動車が止まっていた。その車のフロントガラスの内側にキ○ィちゃんぬいぐるみが置いてあった。

私が今に至るまでキ○ィちゃん人形を見ると殺意が湧くのはこの為である

彼女から電話が入った。

「私の自転車のカゴにジーパン入れてます。取ったら早く帰ってください」

私はジーパンを手に取ると安堵した。

彼女と新しい彼氏は、窓から私を見ていたのかもしれない。

私が本当にただジーパンを取りに来ただけである事を確認して安堵しただろうか。

彼女文句を言うでもなく、新しい彼氏に殴りかかるわけでもなく、私はただジーパンを返してほしいという気持ちであった。


帰り道になんだかよくわからない政治家ポスターを見ていると、思いっきり蹴り破りたくなった。

しかし私は思いとどまった。そういった行為は罪に問われる事を思い出したのだ。

「俺はもうジーパンを取り返したんだ。今後の人生をより良いものにしてやる」

そんな事を思いながら帰路に就くのであった。

こんな事が起きてしまったのか自分学力足りなかったのか、センター試験の結果は散々であった。

しぶしぶ国立大学は諦め、私は私立大学赤本を開くのであった。


その彼女名前は果穂という名前であった。

2020-05-31

失敗した陽キャって何してんの?

陽キャからといって全員人生バラ色とも限るまい?浪人生で、同級生セックス三昧なのにシコシコFANZAサンプル動画で抜いてる陰キャみたいな陽キャもいるでしょ中には。

2020-05-25

浪人界隈に入れなかった

浪人が決まりTwitterアカウントを作った。現役の頃から浪人界隈はよく見ており、自分浪人したら彼らのように334ネタツイをしてTwitterを楽しみつつ勉強に励もうと思っていた。

しかし、どこで間違えたのか。浪人垢を作って2ヶ月程経つが、未だ私は334ツイートをしていないし、下ネタツイートもまだ一度もしていない。誤って、真面目な浪人生ばかりをフォローしてしまっていたため、そういったツイートしづらくなってしまったのだ。

2ヶ月前の自分に「ちゃんツイートを見てからフォローするんだぞ」と言ってやりたい。

FFは皆、高校時代には彼女がいて、好きな歌手BUMPやワンオク。当然のようにインスタをやっている。私のようなDTVTuberオタクなどいない。

真面目な人たちにふざけたツイートを見せるのは申し訳なくて、かといってなにもされていないのにブロ解するのも悪いしで、私は毎日おとなしく勉強関連のツイートをしてばかりいる。陽キャばかりで怖いので、オタクであることも隠している。

あってほしくはないが、また来年があるとすれば、今度こそ私は私の思うような"浪人界隈"に入りたい。

2020-05-24

暗記数学絶対に間違っている

はじめに

自分は、「一般的に、暗記数学に賛成している人」とされている、

の中の一人だが、そのはしくれとして、「暗記数学が正しい」という妄言を徹底的に批判する。

自分が暗記数学を間違いだと考えるようになった理由

自分浪人生向けの大学受験塾でアルバイトをしていた。

その塾では基本的に生徒に自習させ、分からないことがあったら講師自分)に質問する、というスタイルを取っていた。

基本的自習だが、毎日チェックテスト(基礎的な数学問題が数題出題される)のみ、全員に共通したノルマだった。

講師初日、全員にチェックテストやらせていたが、一人(A君とする)だけなぜかやらなかった。

話を聞いてみると、「基礎の練習など無意味自分もっと応用問題の解答を暗記する」という強い信念を持っていて、基礎はやらない、とのこと。

生意気言うな。基礎もできない人間に応用問題なんてできるわけないだろ」と何度も注意したが、

なんでも和田秀樹の本を読んで感動したらしく、忠告拒否され、毎日せっせと解答の丸暗記をしていた。

結局浪人期間の一年間で一番A君と仲良くなった(自分説明が分かり易いので気に入ったらしい)が、

彼の解答の丸暗記法では、全く同じ問題だと解けるのだが少しでも違う問題だと全く太刀打ちできなかった。

彼が熱っぽく如何に和田秀樹理論が素晴らしいかを語るを聞き、

問題が解けるようになってから言えよ。とはいえいたいけな受験生をここまで変な考えにさせるなんて和田秀樹ってやつはトンデモねー極悪人だな。」

しか思えなかった。

結局彼は成績が上がらず、目標としていた難関大学ぶっちゃけ慶応)よりも相当偏差値の低い大学に行った。

最後に彼は「やっぱり基礎は大事なんですね」と反省していたが、彼の貴重な一年を棒に振った暗記数学はもう極悪だとしか思えなかった。

以上が、私が和田秀樹提唱する暗記数学絶対に間違っていると判断するに到った根拠である

A君は暗記数学を誤解していたのでは?

とは言え、暗記数学氏の

論理ギャップや式変形の意味等の不明点は曖昧なままにせず、人に聞いたり調べたりして、完全に理解すべきである

との主張は至極最もだし、暗記数学氏の提唱している勉強法は「暗記数学」というタイトルを除けば極めて全うだろう。

また、私もA君からの又聞きによってしか和田秀樹理論を知らないので、

「A君のやっていた『解答を丸暗記する』法は本当の暗記数学ではない。本当の暗記数学理解して暗記するものだ」

との反論はあるかもしれない。

詳しくは知らないが、自分の読んだことのある和田秀樹エピソードは、

和田秀樹大学時代に灘の高校生(B君とする)の家庭教師をしていた。B君は灘というプライドがあったため、和田秀樹が何度も

「解答を覚えろ」と忠告したのにも関わらず、いきなり難問を自力で解くという勉強法を繰り返し、成績が上がらず、大学受験で撃沈した

というものである。これは暗記数学氏の言う「何かをこじらせて勉強法無駄な拘りを持っている人たち」に対応するものだろう。

かに数学は暗記だ」という言葉は、B君みたいな灘に入ったからと言って勘違いしてしまった一般人(灘にいる本当の天才はそんな勉強法でも大学受験レベル数学くらい解くだろう)には有効言葉かもしれない。

しかし、である

A君みたいに解法を暗記するだけ暗記して全く応用の聞かない馬鹿を産み出したのは確実に和田秀樹のせいである。

そして、日本の「数学が出来ない高校生」のうち、A君タイプ(解法の暗記はするけど理解が追い付いていなく、暗記した問題から少し変えると答えられない)が99%で、

B君タイプ自分天才だと勘違いした凡人)は1%にも満たないだろう。

そのような状況で、B君タイプを減らすことを目的として、A君タイプを量産することになる

数学は暗記だ!」という言葉に何の意味があるのだろう。

仮にA君の暗記数学理解が不十分だったとしても、暗記数学という言葉有害無益である

じゃあどう言えばいいんだよ?

暗記数学氏の主張が

平方完成のロジックを暗記せずに二次関数問題を解こうとするな

という主張なら、それは100%正しい。オイラーガウスでもない一般人が平方完成も知らずに

二次方程式が解けるはずがない(というかオイラーガウスも平方完成は暗記しただろう)。

しかし、オイラーガウスが行ったことを「暗記数学」とは言わない。

暗記数学氏の想定している「アンチ暗記数学派」の主張は「数学の体系をゼロから始めて全て車輪の再発明をしよう」

という荒唐無稽な主張であるため、このような主張のアンチテーゼである「暗記数学

という言葉には何の意味もない。

よって、暗記数学氏の言う暗記数学は「数学」という名前で呼べばよいのではないだろうか。

https://anond.hatelabo.jp/20200521175803

2020-05-04

9月入学なんか絶対やめてくれ

うちの娘は年長

・就学が半年遅れる

その間どうすんの。待機児童増えるよ。はやく学校入れたい

・今年全員留年

娘の学年だけ人口2倍?入試不利すぎるでしょ、断固反対

・今の生徒たちの学習の遅れは?

いや、オンライン授業とかでちゃん対処してる学校も多いでしょ。全員が全員遅れてるわけじゃないぞ

無策で4か月過ごした学校だけ遅れているんだが、それをケアする必要ある?

受験はどうする?

受験生の条件一緒でしょ

進学校はだいたい2年まででカリキュラム終えてるしね

現行ルールの中でどう対処するかも受験能力

ルールを後から変更すると、それで損する人と得する人が出るので大反対

現行ルール維持だと浪人生が有利になるかもしれないけど、新センターを嫌って昨年度は浪人生が少ない

浪人選択した子は賭けに勝ったってこと

ここで浪人生不利なルール変更とかかわいそうに思う



で、それに対してメリットは?

・無策だった学校で授業こなせないところに、正規時間だけは与えられる

海外とそろえられる

改革をしてやった感が得られる

2020-03-22

なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。

一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。

俺が貧乏浪人生で、お前が月20万稼ぐフリーターだったとき

おごってもらったのが白木屋だったな。

「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから

お前はそういって笑ってたっけな。

俺が大学出て入社して初任給22万だったとき

お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。

「毎晩残業休みもないけど、金がすごいんだ」

バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」

社長の息子も、バイトまとめている俺に頭上がらないんだぜ」

そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。

あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だ。

ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。

別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。

油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。

なあ、別に女が居る店でなくたっていい。

もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を

いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?

でも、今のお前を見ると、

お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、

俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。

お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。

新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代若いフリーターの中に混じって、

使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。

だけど、もういいだろ。

十年前と同じ白木屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。

そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。

大学に落ちるような自分の実力を勘違いしてる馬鹿はさっさと死ねばいいのに

浪人生なんかなにやらしても無理

2020-03-12

anond:20200312054228

死ぬなと無責任な事は言わんが…。

これから春だ。

外で体を動かすには良い季節。

軽いアルバイトをしてから浪人生活に戻っても遅くはないんじゃないかね?

2020-03-05

問題:3人目の参加者を考えて

 

第1のコース 湯島天神のお守りを首から下げた浪人生 3浪

 おもしろ回答を繰り返す

 銀座に 君の名はときかれて

 今思い出している との回答

 

第2のコース 現役東大生

2020-03-03

anond:20200301173451

これまで順調に高校まできて、初めて、高校生でもなく、大学生でもない不安定立場である浪人生になったことに不安を感じているんですよね。

わかります自分20年前そうでした。私はその後東大卒業して、研究者をしています

あなたが今やるべきことは



最後に。あなた純粋にやる気のある人なのか、落ちた言い訳をしているだけの人なのか、私にはわかりません。

あなた研究者に向いているのかどうかもわかりません。

ただ今の段階で、研究者になりたいという夢があなたががんばることの原動力になるのであれば、それを否定する権利は誰にもありませんし、

夢に向かってがんばってください。

大学に入った後で、やっぱり自分スタートアップを起こそう、大企業に勤めよう、やっぱり医者になろう、芸能人になろう。

何でもいいと思います。好きにすればよいと思います。いま研究者を目指したからといって、一生研究者をする必要もありません。

東大研究者すら辞めて自分会社を起こしたり、Google等の大企業所属したりする時代です。

浪人生研究者になりたいといった夢を一貫してないなどと批判する大人戯言など無視してください。

4月になったら、増田にも書き込まず、インターネット遮断して、TwitterLINEなどもやめて勉強をしてください。

来年の春に、また増田に書き込んでくれることを楽しみにしています

2020-02-29

ある中途半端絵描きの半生

子供の頃から絵を描くことが好きだった。

兄弟は年の離れた兄が一人、近所に同年代の子供もいなかったため、幼稚園から帰宅するといつもいつも一人でお絵描き工作をしていた。

母はそんな私に絵日記帳を与えた。

それから毎日出来事を絵と文章表現することが私の日課となった。

小学校入学して友達が増えても、それはあまり変わらなかった。

この頃になると好きな漫画アニメキャラクターの模写もするようになった。

ノート漫画を描き始めるようにもなった。

増田漫画家になりたいの?」

先生友達からよく聞かれたが、私はそんなつもりは全くなかった。

だって絵を描くことは日常から、それを仕事にするなんて考えは浮かばなかった。

中学校入学する頃には興味の対象アニメ漫画から音楽に移っていたので、思春期は好きなアーティスト似顔絵や、自分気持ち表現した抽象的なイラストを書き散らしていた。

当時はまだデジタルイラストなんて普及していなかったから、水彩やコミックマーカーを使ったアナログ作業

中二病臭すぎるのでもちろん誰にも見せなかったが、やっぱり絵を描くことは私の日常だった。

肝心な絵のレベルは多分中の上くらい。

そこそこ描けるが飛び抜けて上手いわけではない。

でも私が心底楽しそうに絵を描くので、美術教師には美術科のある高校を勧められたが、私はそれを断った。

絵を描くことを自分人生武器にすることに違和感があった私は、ごくごく一般的普通科に進学した。

高校入学後も美術部には入部しなかった。選択科目でも美術ではなく音楽選択した。

なんちゃって進学校の中でも勉強は中の下、人との距離の取り方が下手で友達さえうまく作れなかった。

孤独で惨めな自分気持ちを、3年間ただただノートに絵とテキスト表現し続けた。

本当のことを話せる友達なんか一人もいなかったけど、毎日自分気持ちをそうやって吐き出すことで何とか高校生活を耐え抜いた。

身分不相応な大学しか受験しなかったせいで、私は浪人生になった。

からは「偏差値ではなく、本当に好きなことができる場所に行きなさい。絵が好きなんだったらデザインCGが学べる学校検討したらどうだ?」と言われたが、反抗期だったこともあり、私はその意見無視した。

この頃時間をかけた絵は描かなくなっていたが、絵日記のような落書きのような本音吐露は密かに続けていた。

一年遅れで大学生になった。

プライドだけは無駄に高かったので、学部無視して合格した中で一番偏差値の高い大学に進学した。(それでも大した大学ではないが)

そこで人生初めての恋人ができた。

勉強アルバイト、そして友達恋人との時間ネガティブ孤独だった自分をすっかり忘れ、夢みたいに楽しい大学生活を過ごした。

この頃、絵はほとんど描かなくなっていた。

卒業間近の大学四年生2月、4年付き合った恋人に「もっと遊びたい、他の人と付き合ってみたい」と別れを告げられた。

自分の周りに靄がかかっているような、世界から一人だけ放り出されたような、そんな気持ちになった。眠ることも食べることもできず、何度も死のうと考えた。

内定を貰っていた企業には結局一度も出社できなかった。

生きている自覚もなく、ただ毎日が過ぎていくのを眺めていたある日、ふと絵を描きたいと思った。

久々だったので道具なんか何もなくて、そのあたりに落ちていたコピー用紙の裏に描いた。

そのまま色を塗りたいと思ったけど何もないので、父のスキャナを使って自分ノートパソコンに取り込んだ。

色を塗るツールなんてペインしか知らなかったので、そのままペイントを使ってマウスでひたすら色を塗り続けた。

ものすごい時間がかかったけれど、描いている間は辛いことも悲しいことも全部忘れられた。

もっともっとたくさん絵を描きたい、パソコンを使って色を着けたい、そう思って色々ネット検索して、Photoshopを知った。こんなことができるツールがあるのか、使ってみたい、そういったポジティブ気持ちがふつふつと湧いてきた。

一生に一度の新卒カードを無くし、失恋のショックで無職なんて情けなくて全然笑えないし、この先の展望なんて何もない。もちろん就活で志していた業種とは全く違うのだが、このツールを使って仕事がしてみたい、そう思った。

求人サイト必死Photoshopを扱える仕事を探し、身なりを整えて面接に行き、内定をもらった。

ただし全然別の職種であるレタッチトリミングアルバイトに応募をしたが、そちらはすでに別の人の採用が決まっていた。

Photoshopが使えないのは残念だったが、会社雰囲気業界担当者の人柄に惹かれ、同じ会社の別職種として勤務することになった。

失恋から5ヶ月、季節は夏になっていた。

初めての給料ではWacomペンタブレットを買った。

セットになっていたPhotoshop(Elements)と初めてのご対面。とても感動したのを覚えている。

その後デジタルイラストについて色々勉強し、SAIなど他のツールとも組み合わせてたくさん絵を描いた。

イラストサイトにアップすることはあったけれど、私にとって絵を描くことは相変わらず自分だけの秘めた行為だった。

この会社には3年ちょっと勤めて正社員にもしてもらったが、Photoshopを覚えたことでWeb制作に興味を持つようになり、通信教育コーディングWebデザインを学び、転職をしてWebデザイナーになった。

その後も何度か転職を繰り返し、いわゆるブラック企業で危うく死にかけたりもしたが、今は生きていくのに十分な賃金を頂き、Webディレクターとして充実した毎日を送っている。


でも昨年末結婚も考えていた恋人に別れを告げられた。私の性格が耐えられなかったそうだ。

大学卒業以来何度か失恋はしたけれど、久々にあの時と同じくらいの衝撃が襲ってきた。

眠ることも食べることもできず、何度も死のうと考えたけれど、もう大人なので仕事は休まなかった。

かなり痩せたし、薬を飲まなければ今でも眠れない。

自分の考え方や振る舞いが人に不快感を与えてないか不安でうまく会話ができなくなり、カウンセリングにも通っている。

だけど大丈夫だと思う。

この3ヶ月間仕事以外何もできなかったが、先日ふと絵が描きたくなってiPadを立ち上げた。

構図を考える。線を引く。色を塗る。それだけで辛いことも悲しいことも全部全部忘れられる。

私は人生分岐点でいつも「絵を描くこと」を選ばなかった。

だって「絵を描くこと」は私にとって救済で、それを学問仕事にして、評価されたり否定されたりしたらもう生きていけないと思ったから。

だけど「絵を描きたい」という気持ちが私をここまで連れてきてくれた。

絵が好きじゃなかったらきっと今の仕事にも出会えなかった。

から大丈夫。私はきっと立ち直れる。

2020-02-13

フェミニストが「男は得をしている」と主張するのは、自分が常に下駄を履いてきたうしろめたさから

実際の統計だと、女より男の方が性別理由として将来の職業制限された事の方が多い。

医大問題になってたけど、金のかかる医大なんて目指すのはホント日本の一握りなわけじゃん。

あれって黙って浪人生とか減点してたのが悪いんでしょ?

その証拠に「男子医大」は無いのに「女子医大」なんてもの存在する。これ完全に「女枠」だよね。「男枠」より広大な枠が存在するわけ。

小学校入学した時から男児よりも女児先生基本的に優しく、大切にされる。

中学に入って先生ちょっと媚びれば成績も上げてくれるし、ちょっとした事も多めに見られる。

同じくらいの成績なのに、女の方が成績が甘くつけられている経験、誰でもあるよね。

ちょっとした運動も、「女なのに~して凄い」と褒められる事の方が多いだろう。夢を語れば、博士だろうが芸術家だろうが留学だろうが、最後は男に養ってもらえるから応援してもらえる。

まぁ相手が男だったら、夢追って最悪な道をたどった人見てるだろうから、気軽にガンバレなんか言えないよな。

苦しくて泣いたり文句を言えば、先生友達はすぐ駆け寄ってくれる。男は泣いたり文句を言えばもっと苦しい目に会うからそもそも学校に来ない。

将来の夢も、女は主婦という選択があるから自由に選べるし、やめろとも言われない。

絵とか音楽とかでも、twitterで女が挙げるだけで、わらわらと人が集まってくるわけだろ。ダンスでも、リズムにあってない、動きがへにゃへにゃでも、

マスク付けて体細けりゃ評価される。

ラッパーとか小説家でも、「女ラッパー」とか「女小説家」「女芸人」枠で、本来入れないようなレベル技術の人が入ってくるわけで。

「女だからという理由評価されない!」と言ってる人は、まず女じゃなかったら評価されてないわけだよ。

結局男はやりたい夢や目標があっても、きつくてやりたくないサラリーマンを選ばされて、鬱で何人も死んでいく。

それでお金をもらうと、「男は得をしている!」と言われる。嘘だろ、そもそも既婚じゃない男女の収入殆ど差が無いからね。

女が「子育て」という夢を追ってるあいだ、男はそれしかなかった道でそれを支えてるのが現実

子供は育てなくても生きていけるけど、働かなきゃ生きていけない。これが事実なんだよ。子育てしたくないなら、そもそも子供産まなきゃいいじゃん。

共働きでも3年間子育てしたら、以後自由時間が逆転。家計を握ってるのは妻。その上「イクメン」だの「家事を一緒に」だの言われて、夫は妻のパパ扱いが現実

当たり前だけどそんな人たちに「私たちは抑圧されてきた」とか「私たちは頭を押さえつけられて」とか「黙れと言われて」

とか言われても、全く共感できない。その抑圧も押さえつけも、黙れも、のびのびとぬるま湯で育って、社会に出て女の下駄を外された時に感じたものだろ。気付けよそのくらい。

男が好きじゃない女に体を触られようが、女の性的発言ニコニコしてるのはそう育てられたから。「体触られた程度でごちゃごちゃ言うなよ」「セクハラされたぐらいで騒ぐなよ」

って思ってるよ。

いつでも脱げる下駄を履いといて、足が歪んで苦痛とか騒いでるんじゃねぇよって思う。自分で選んだ道なのに。

フェミの主張、殆ど統計だと逆になる。実は分かってるんだろ。良心が痛むんだろ、同じ人間だってわかってるから。だから叩くんだろう。

俺も男だから、若くて綺麗な女の子見れば、のびのびと、ぬるま湯につからせてあげたいと思うよ。でも本心馬鹿にしてるからね。

普段は叩くけど、正直社会だと年取ったババアとか、肌カサカサで髪ボサボサの根暗女くらいしか信用してない。

2020-02-09

パラサイト観た

主人公のギウのキャラがほんとにつかみどころがなくて怖かった

愚直なようで狡猾なようで上昇志向があるのかないのかもよくわからない。

今思い出していちばん怖いのは、妹にソウル合格偽証書を作ってもらった後、いやこれは別に悪いことではない、当然来年もらうものを今前もってもらったというだけだ。とか言うの

なのにその前も後も浪人生らしく勉強に励んでる様子もないし

かといってサイコパスとしても描かれてなくて、ただなんとなくつかみどころがない感じ

アカデミー賞取るといいですね

2020-01-21

ある中年教授が「医学部では数年間女性に点数をあげるべきだ」って言ってたのよ

これ見たとき、何というかリベラルとか政治を語る時の中年世代ダメなところがすごくつまってる感じがした。

医学部点数操作については、正直なんとも言えない。(というか浪人生も点数下げられてた事は何も言われてないような……) 命を多く救える選択肢ならしょうがないと思う。

結局、リベラルとか、こういう中年世代って「自分には関係いから」好き勝手言えるんだなって。

これで本当に「関係ない」のなら分かるけど、実際点数操作恩恵を得て、かつその制度を設定した世代

若い世代にその責任押し付けてる構図でしょ?

こういう思想自然中年世代にはできてしまうんだなって。「自分関係ない」んじゃなく、「自分関係無いように構図を操作する」のが当たり前になってるんだなって。

国の借金の話もそう。「次世代借金さない為」と言いつつ、現時点での若い世代にその責任押し付けている。

本来ならバブル世代から上の世代がその責任を負うべきなのに。

ただ単に数が多いから、数が多い老人の為の政策をし、責任若い世代押し付ける。先進国どこでも見られる闇なわけだけど。

結局国全体がパパ活の構図。

かわいそうランキング上位者尻尾を張って、中年世代がその他から吸い上げた金でよしよしする。

この国は終わってると思う。

2020-01-20

私の大学入試について

厳しい両親だったので塾には行かせてもらえなかった。学習塾には中3の秋からようやく通わせてもらえて、頑張った高校受験たまたま偏差値の高い学校に進めたからか、もしくは父親は塾に頼らず大学合格していたのも「受験予備校不要」と錯覚させた要因なのかもしれない。いずれにせよ、人生方向性を大きく決めるであろう大学受験にはノーガードで挑む他無かった。

私の親戚は1人を除いて極めて優秀な大学を出ており、両親は当然私も自身のような大学に入るものだと思っていたらしい。両親が受験代を出してくれるのは二校(国立私立のみ)だった。何校も受験している同期が本当に羨ましかった。

結果、両方とも落ちて浪人が決まった。出身校がそこそこ優秀だったか授業料は相当安くなったが両親は激怒し、自分授業料を払えと行ってきた。この一年勉強するだけで人生は変わるのに、勘当されかねないので仕方なく予備校近くのうどん屋バイトを始めた。毎朝6時過ぎに家を出て18時まで勉強し、22時まで働いて家に着くのは0時過ぎ。バイトは週5日。

死ぬほど頑張って働いた金は親は全て取り上げられ、昼飯はトップバリュブランドカロリーメイトの偽物と冷水機の水のみ。必死勉強し、夏休み猛勉強のおかげで駿台偏差値は58から65に伸びたが秋口にとうとう気持ちが切れた。3日ほど寝込んだか親は知らんぷりで、今月のバイト代はどうなるとばかり聞いてくるので半ば絶望しながらバイトへ向かった。

年も暮れつつある12月、私は親から大学受験料は出さないとの通告を受けた。本気で死を考えたが亡くなった祖父の遺してくれた金を使って3校受験した。入試の2日前までバイトを入れて体力は限界に近かった。結果、滑り止め以外全落ちした。親は激怒した。何度も殴られて部屋はひっくり返され、散々な目にあった。

幸い大学特待生だったので授業料はほぼゼロ学生支援機構から金を借りて入学金を振り込み、本当に辛い浪人生活は終わりを迎えた。

いざ振り返ってみると、私以外の従兄弟たち4人は皆東大東工大に進んだ。彼らは高校一年の頃から予備校に通っていた。本当に親が憎かった。なんで私がこんな目に合わなきゃいけないんだ。

最悪な大学入試だった。そのあとの人生も大概だが、人生においてこの時期が最悪だった。

2020-01-18

anond:20200117141801

元増田のような神様的な出来すぎた浪人ライフを送ってる人もいれば、一方で俺みたいなガチ屑も存在する。

光があれば陰もある。当然のことだ。

現役の時、私立全滅、国立前期も落ちた俺は親から浪人をしてはいけないと釘を刺されていたので最悪就職について思いを馳せつつ毎日腹を酷く下すほどストレスを抱えていた。そんな最中、某底辺公立大後期課程に一抹の希望を持って挑んだ。

私立全滅、国立前期落ちで一ミリたりとも自信を失っていたのでおよそ9割型落ちてるだろうと思いきや、なんと受かっていた(!)

この時はかつてないほど安堵してたが、両親から浪人してもいいよ(!?)と言われ、とても戸惑った。

ダメって言ってたじゃん。何のためにここまで酷いプレッシャーの中で受験したのか。

と思いつつも、当然合格した大学はずっと行きたかった大学ではなかったので、有り難く予備校に通わせてもらうことにした。あと一年あれば余裕だろ笑寧ろ東大受かったるわ笑と浪人を軽く捉えていた。

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4-5月

このうちはやる気が滾りまくってたし、1回目の模試第一志望校がB判定だったので、もしかしたら頑張ればマジで東大かいけるんじゃね笑笑とさえ思っており、1回目の模試が良かったことですっかり天狗になっていた。

そう考えてた俺は手の施しようのないアホだった。浪人生は一年アドバンテージがあるので、判定が良く出るのは当然だ。それなのにそれを盾にして自分が優れていると思おうとは言語道断のアホと言えるだろう。

だが天狗になってたとはいえこの頃はかなり頑張ってた。一日9-10時間程度。

6月- 7月前半

既にダレ始める。一ヶ月強ではじめの頃の炎は消え去っていた。この時点でもう辛かった。一日7-8時間程度。

7月後半-8月夏休み期)

空前絶後サボり期。特別講義を受けるために、他の校舎に行き講義を受けたあとは、食べログラーメンを調べて、食べ歩き回っていた。他の浪人生はせっせと勉強しており一秒たりとも時間無駄にできないのにも関わらず。平気で数キロ離れた美味しいラーメン屋(★3.5↑)さんに行っていた。当然ながら時間蛇口を全開で回しているが如くドバドバと浪費。無論このラーメンを食べるお金は昼飯のために両親が出してくれたお金だった。普通親思いの浪人生はここで一食800円や1000円も使ったりしない。浪人させてもらっているという負い目があるから、せめて昼くらいは安く済ませようと500円,600円の定食うどんを食べるだろう。

けれども俺は屑だった。申し訳ないという思いが頭の片隅にありつつも、何か正当性のある理由をつけて勉強をしたくないという考えが自分支配していたのと、単にラーメンに関してはグルメな一面があったので、”特別講義を頑張った自分へのご褒美”のため美味しいラーメン屋さんでお昼を食べるという理由があるから多少勉強の開始が遅れてもしょうがないという謎理論の下、ラーメンを啜っていた。

これで何時間も潰してしまったとき自己嫌悪で死にたかった。

たこんなこともよくあった。勉強が嫌すぎて、両親には図書館勉強すると言っておきながら、実際図書館では本を読み漁っていた。勉強するくらいなら今まで全く興味がなかった読書さえ何よりも楽しく輝かしいものに感じられた。

ソシャゲ徹夜なども何度かあり見本にすべきでない浪人生の象徴にほかならなかった。一日3-4時間程度の勉強だった。

9-12月

夏休みはかなりサボってしまったという自覚があったので、ちょっと頑張り直す。だが、夏で身についたさぼりぐせはなかなか抜けない。しばしば予備校後に家ではスマホに夢中になる。一日5時間程度の勉強

センター直前

センター直前にも関わらず、過去問すら碌に解かなかった。一日4-5時間程度しかやらなかった。それ以外はソシャゲをしているというカスっぷりだった。

センター

センターが酷すぎた俺は、両親とまじめにf欄大への進学について話し合った。両親から持ちかけられたことだったのでf欄も考えればという言葉は余計に胸に突き刺さっていた。(模試でニッコマがD判定だったので当然の対応だと思う)自業自得とはいえ現実を突きつけられるのはかなり辛かった。

話し合ってる間は、睫毛が濡れて翌日目がものもらいのように腫れあがるほどボロボロとずっと涙を零していた。

流石に危機感を感じたので、この頃から死ぬ気になって勉強した。(我ながら遅すぎるとは思ったが

サボっているのに自己評価だけは高かったので、f欄大なんて天地がひっくり返ろうが何が起きよう行きたくなかった。今思えば、アホの極みで恥ずべきことだが、俺はもっと上だ。そんなところ俺が行く大学じゃないと思ってた。めちゃくちゃ見下していた。勉強分相応のところしか行けないのだから、f欄大にしか行けないのもそれくらいの能力しかなかっただけのことのなのにプライドだけは一丁前だった。

その熱心な勉強のおかげか私大はニッコマクラスに、国公立は現役より若干上の国立大に受かった。

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浪人しても俺のようにダレる奴が一定数いる事も肝に銘じてほしいと思い書いた。

決して俺の浪人話はサクセスストーリーではないだろう。それだけならばまだしも

サボってる浪人生は途轍もなく死にたくなる。頭ではやらなければならないと分かっていても行動が伴わない。だから、そんな自分に対する嫌悪が膨れあがる。結果コンナゴミイキテイテテモシカタナイナという思いが常に内在するようになる。自己評価が低くなり卑屈になる。

予備校講師の人が言ってたが受験期に受験を苦にして自殺するなんて勿体なさすぎる。浪人時代なんて人生のごく極々一部に過ぎない。という言葉が嫌に印象に残っているが、今ではこれは本当にその通りだと思う(当時は何言ってんだ、その極々一部が死ぬほど辛いんだろうが。だから死ぬのも仕方ないだろ…。とか思ってたけど。)大学楽しいし、自分の好きなことがたくさんできているので充実感がある。大学卒業してもこれから楽しいことがたくさんあるだろう長い人生、あそこで死んでたら勿体なかったと思うし、今思えば浪人時代に悩んでいたことはなんて小さかったのだろうとも思う。でも、経験たからわかるがあの時はその悩みが何に替え難く切実だった。危うく人生に終止符を打ってしまうほどその悩みは大きかった。鎌を持った死神のように命を奪う機会を虎視眈々と狙っていた。実際俺は浪人時代軽く100回は死にたいと思ってた。未だによく実行しなかったなと思う。

以上の経験があるので、俺は全く浪人お勧めしない。

本当にやめとけ、罪悪感と自己嫌悪で死にたくなるから死にたくなかったらやめとけ。ここまでいってやろうとするのなら止めはしないが

2020-01-17

センター試験の思い出

人生ターニングポイントと呼べる瞬間があるとしたら、私にとってそれはセンター試験だ。

10年以上前1月、朝から雪が降っていた。東京から滅多にないのに。そういえば去年も雪の日だったな、何かの運命かな、とぼんやり思った記憶がある。

浪人して、1年ぶり2度目の受験だった。

***

現役で受けた大学は全敗。初めてのセンター試験も散々だった。

勉強を全くしていなかったから当然の結果。でも、それまで順風満帆に走っていた「人生のレール」から脱線したというか、レールそのもの消失したような途方もない虚無感に襲われたのを覚えている。初めての経験だった。

公立後期の不合格を見届けた後、親に懇願して浪人生となった。それからは、怠惰だった高校3年間を取り戻すかの如く、予備校で朝から晩まで勉強漬けの日々を送った。

心を入れ替えた、というと語弊がある。気を抜くとまた現れる虚無感が怖くて仕方なかった。眠る前に漠然とした不安に襲われる夜も幾度となくあったし、浪人生という以外に肩書きがない不安は常につきまとった。それらを紛らわすには勉強しかない、それだけだった。

見失ったレールの続きは、この大学受験の先できっと見つかる、そう愚直に信じて過ごした1年間だった。

***

迎えた2度目のセンター試験本番。

前日、私は例に漏れず緊張していた。布団に入っても「また散々な結果だったら?」と失敗する未来ばかり想像した。でも気がつくと熟睡していて、朝になって我ながらその図太さに驚くとともに、「もうなるようになれ」と吹っ切れた。

試験会場は大学の大講堂で、私の席は最前列だった。目の前の教壇には複数試験官がいて、無駄に緊張したのを覚えている。でも、今思えば視界に他の受験生が入らないぶん、試験に集中できて良かったのかもしれない。

そう、後でわかることだけど、試験結果は控え目に言って上出来だった。各科目で凸凹はあったものの、総合では過去のどの模試よりも良い点数だった。

ただ、2日間の日程を終えた直後はそんなこと知る由もなく、とにかく安堵した。やりきったという達成感と微かな手応えもあった。そして何より、今日この日に実力を出し切れた「環境」に感謝していた。

そうだ、これは環境のおかげだと、なぜかそのとき唐突に悟った。あれだけ勉強してきたのに、自分の頑張りだとか、努力の賜物だとは一切考えず、今この場所にいることが全てだと感じた。

思えば1年前、両親が浪人を許してくれたことに始まり予備校に通えたこと、長い間勉強に専念できたこと。応援してくれる人がいたこと。健康でいれたこと。今日、雪の中交通機関が動いてくれたこと。そして、無事にこの会場で受験できたこと。

どれも当たり前じゃないし、これを「運が良かった」の一言で片づけるのは勿体ない。私一人の力ではどうにもできない、有り難いことばかりではないか

そんな当たり前のことに気付いて、私はいてもたってもいられなくなった。この感謝気持ちを今すぐ誰かに伝えたい。そう思って、全科目が終わり皆が一斉に会場を後にする中、私は出口とは真逆の、試験官のいる教壇に向かった。

「2日間、お世話になりました。ありがとうございました」

「ああ、こちらこそ。帰り道、気をつけて」

短く他愛のないやりとり。でも私はそのとき、この瞬間を一生忘れないだろうと思った。

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