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2018-05-10

実家つらい

卒研も行き詰まり就活もできなくなり唯一希望だったロキノン試験は先日渋谷陽一署名で丁寧にお祈り申し上げられた。まあちょっと音楽が好きなだけでロキノン大して読んでないのがバレバレだったんだろうから仕方ない。

別に高望みはしないんだけどな。結婚子育ても一切する気はないし、僕の人格にはその資格もないと思うし、ある程度休みがもらえればなんでもいいし、そういう企業を探して受けまくればいいだけなんだろうのにこんな短期間でダメなっちまった自分ほとほと嫌気がさす。

人の話を聞かず、キレると手のつけられなくなる父親が嫌いで本気で殺してやりたくて、殺すか死ぬか家を出るかの選択肢の中から最後を選んで東京に進学した。

3年までで卒業単位はほぼ取り終わり、あとは卒研に取り掛かるだけといった時期から体調を崩し始めた。初めは腹の具合が悪くなり、飯が食えなくなり、微熱頭痛が続き、これではダメだと科学的知見に基づいてメンタル医者を頼り、薬に頼ったら余計にどんどんダメになって、自殺を具体的に考えるようになり、僕の具合が悪いことも母親に知られてしまった。

うちの母親はきっとすごくいい母親だ。少し考えが安直なところはあるけど、多分僕のことを本気で心配して「とりあえず少し帰っておいで、誰もあなたいじめいから」と電話口で泣いて嫌がる僕をなだめすかした。僕も死ぬ前に一度実家の猫を撫でたかたから帰る事にした。

結果としてはだめだった。実家になんか帰らないでビバラロックかに行けばよかった。

帰省した間の時間にして総計10時間ちょっと、父のありがたい話を正座で聞かされた。お前はいかに間違っているのか、俺がどれだけ苦労してお前たち兄弟を育ててきたのか、どれだけ苦労して仕事を続けているか、大小様々な人生エピソードを交えつつ、時に声を荒げつつ、とうとうと10時間語り尽くし、予約していた新幹線が発車する時間を過ぎても語り尽くし、絶対に今年中に卒業すること約束するまで帰さないと言って、ようやく解放されたのち予定していた時刻に5時間ほど遅れて僕は自由席東京に帰ってきた。帰った後で予約していたタトゥー屋さんはドタキャンするしかなかった。馬鹿にされても蔑まれてでもリスクがあっても若気での至でも僕が僕自身意思で入れたいと思ってたタトゥーだった。どうせ死ぬ体なら好きな格好をしたかった。キャンセル料は数万だった。

僕は父親復讐したくて生きてきたんだと思う。

僕が成功し圧倒的に父親勝利した上で年老い父親を見下げてお前は間違ってんだよって言ってやりたかった。ただ俺がこうして失敗してしまった以上、成功して復讐するという道は絶たれてしまった。

もう成人してる子供に10時間も話し続けるの、並みの愛情じゃなかったらできねえよな。いい父親なんだよきっと。俺が勝手被害者妄想を拗らせているだけなんだ。客観的に見て間違ってるのは俺の方なのも分かりきってる。ただ、俺が間違っていることは認めた上で、「内心は間違っててもいいから、それでも外では頑張って体裁整えてこい」って言ってもらえるならよかった。むしろそれを期待して実家に帰った。

けれど、父のありがたい話の中身は俺の内心から音楽の好みまで全てが間違っているということだけだった。プライベート空間だと思ってうっかり好きなマイナーアーティストの曲を聞こえる場所でかけてしまったのが迂闊だった。「高い金払って病院になんか行きやがって、そんなクソみたいな曲ばっかり聞いてるからこんな事になる」らしい。母が仕事でいない隙を見計らって、隣に浪人生の妹もいる場で「お前らは失敗作だ!」と怒鳴られた。僕はまあいいけど今時浪人もそんなに珍しくないのに妹が傷ついてないか心配だ。

僕は父親にてめーのやり方は間違ってんだよって言ってやりたくて生きてきた。でも僕がこうなってしまった以上、父親よりも僕が間違っているのだ。僕が何かを好きだと思う気持ちも、面白いと思う気持ちも全部間違ってるんだと思ったら本当に辛くて、馬鹿みたいだよな、好きな曲を親に否定されたくらいでこんなに凹んでんの。母も大部分は黙っているか、概ね父に味方した。僕は僕の人格を捨てない限り家族にすら居場所を用意されないらしいということが予想以上につらかった。別に布教したわけでもないんだから、嫌な顔はしてもいいから放っておいてほしかった。俺が間違ってるんだけど。実家になんか帰らないでビバラロックかに行けばよかったって思ってる気持ちも多分間違っている。

俺が間違っているから、俺がいまやっているのはただの甘えだから、とりあえず学校に復帰しようと思う。これから教授勝手に1ヶ月消息を絶ってしまったお詫びと今後のサポートのお願いのメールを送ろうと思う。胃が痛いけど気合い出して頭下げるしかない。就活は一旦諦めろと言われたので、卒業したら実家に帰る事になるんだろう。

一方で死にたい気持ちますます強まってるから卒業した後で晴れて死ぬのも悪くないなと致死量ジフェンヒドラミンを少しずつ集めている。最近ギターストラップが首括るのに良さそうだなあと思ってもいる。どっちが間違ってたかなんてどうでもいい、俺が死ねば、一人の若者自殺するまで思いつめていたという客観的事実さえあればあいつは「俺が間違っていた」と認めてくれるだろうか。俺が苦しかたことを誰か認めてくれるだろうか、これで復讐ができるんなら、と思って暴れようとする内心の俺がいるので、どうしたもんかなあ、と思って増田に書いた。

知り合い全員集めて真ん中で包丁腹にぶっ刺して、「てめえらのその顔が見たかった!」って叫んで藤原竜也顔で死にたい。オラ、典型的モラトリアムアホ学生だぞ、笑えよ。

2018-05-02

ニート

大学落ちた。

進学校に通ってたし沢山勉強してたし、滑り止め受けたっちゃうけたけど日程的に厳しいものだったから落ちた現実は受け入れてるけど浪人生活する気力ない。

これからどうしよう。〜勉強するべきなんだろうけど気力がマジでないよ・・・

もう四月終わっちゃった・・・つらい・・・

2018-04-08

35歳ではじめてセックスした話

35歳まで処女だったがギリシャ人ワンナイトラブセックスをした。

ちんこまんこに入れることは思い描いていたような強烈な体験ではなかったが、今後2度とない体験かもしれないので覚えているうちに書き留めておく。

物語に描かれるセックスはとても魅力的にみえたしそう描かれることが多いように思う。

から興味はあったがセックスには相手必要なのでこれまでする事がなかった。。。でももしかすると性に関して人並みの興味がなかったのかもしれない。

ネット環境があったのにエロ動画を初めて検索したのは30過ぎてからだし、女性オナニーをすることを知ったのは19歳の時だった。

浪人生活中のお昼休み、地下のフードコート高校時代クラスメイトで同じ予備校に通っていた女子自分は性欲がないかオナニーほとんどしないんだと言っていた。

その時に初めて女性オナニーをすることを知った。

なんと返答したかは覚えていないが部屋に帰り下宿先のこたつの上に設置されたノートPCで「オナニー 女 方法」と検索したことは覚えている。

机の角にこすりつけたり、鉄棒に登る等の方法を目にしたがとてつもなく痛そうに感じられて心底驚いた。

そんなことが気持ち良い事になるとは到底思えず信じられなかったが、しかし今にして思うとはっきりと性的気持ち良い感覚を私は知らなかった。

性的イラスト映画を見て乳首が立ったり若さゆえにまんこが濡れまくってパジャマまでびしょびしょになっていたが、それはじんわりとしたものでそれ以上自分の体を触って性的気持ち良さを追求出来るとは夢にも思っていなかったというか発想がなかった。

オナニーちんこを擦って気持ちよくなることだったので、ちんこのない女はできないと思い込んでいたんだと思う。

男性オナニー描写は成人向けでない漫画小説映画に描かれているが女性描写は少なく、完全な成人向けの表現は当時ゾーニングもされず売っていた雑誌の印象が強く、それがあまりにもグロく映ったので手に取りたい知りたいと思う事もなかった。

3大欲求の食欲も睡眠欲も生まれてすぐに自動的に行われて実施しないと死ぬが、性欲はこれが性欲である意識しないとわからない人間もいるし別に死なない。

多分自分はとろい。

これまで自分セックスしたいのかどうかも分からなかった。

男性から好意を示されると全く意中にないと強烈に拒絶しそこそこだと2回のデートまでは合わせるがそれ以降どうしても肉体的な接触に進む事が気持ち悪くなり逃げ出してきた。

なのでそもそも男性セックスがしたくないのかとも思っていたがだからと言ってレズビアンでも無く自認は明らかにヘテロだった。

そして今回初めてセックスしたギリシャ人に会って分かったがセックスしたい人間に会うとちゃん自分発情してセックスしようとしていた。

まりただただ理想が針の穴を通すように小さくこれまでそういう人に出会ってこなかっただけだった。

性欲が沸き起こるというよりはこの男性とならセックスが出来る、みんながしているセックスというものを私も出来るチャンスが来た、という感覚だったので性欲だったのか難しいところだがセックスが出来ると感じれた事は喜びだった。

そのギリシャ人陸上選手大会出場のために来日していた男性だった。

大会中だったので20代後半の筋肉質な非常に良い身体をしていた。それに私は発情した。

セックスする前のただのファン選手だった時に撮影した写真がありその時の自分の表情が見れるのだが、発情のお手本のように頬に赤みが差し瞳孔が開き目がキラキラと潤んでいてすごく可愛い顔だと自画自賛出来るので撮影しておいて本当によかったと見返すたびに思う。

痩せている色白の小柄な星野源華丸大吉が好きだったので肉体に惹かれる事に自分自身でも驚いたが頭で考えたタイプではなく原始の欲求自分に沸き起こった事が嬉しかった。

今回セックスして嬉しかったのは自分にも欲求があるんだとはっきり分かり普通人間になれたと思えたことだった。

世の中にはセックスという美味しい物があり皆食べたがっているしほとんどの人が一度は食べた事があり又男性お金を払えば食べる事も出来るようになっているが、女性にはリスクが大きくまたお金を出して気軽に買えるものでもなく社会的にも恋人とのセックスという物が推奨されているが、それは余りにも手の届かない存在だがしかしセックスしたいしする事が普通人間であり皆セックスの話をするのだ。

私はセックスを食べた事がないので知識だけで得た事をなんと無く言うだけで、セックスの話はあまりしたくないけどした事ないわけではないと言う嘘つき童貞と同じスタンスでいた。

35歳にわざわざセックス話題を振ってくる者はまさかやった事ないとは思ってないので非常に嘘がつきやすい。

20代前半の時は処女かどうかの探りが入っているようでどう答えても気持ち悪かったので出来るだけ嫌悪感をだしていたと思う。

35歳ではじめてセックスした話

35歳まで処女だったがギリシャ人ワンナイトラブセックスをした。

ちんこまんこに入れることは思い描いていたような強烈な体験ではなかったが、今後2度とない体験かもしれないので覚えているうちに書き留めておく。

物語に描かれるセックスはとても魅力的にみえたしそう描かれることが多いように思う。

から興味はあったがセックスには相手必要なのでこれまでする事がなかった。。。でももしかすると性に関して人並みの興味がなかったのかもしれない。

ネット環境があったのにエロ動画を初めて検索したのは30過ぎてからだし、女性オナニーをすることを知ったのは19歳の時だった。

浪人生活中のお昼休み、地下のフードコート高校時代クラスメイトで同じ予備校に通っていた女子自分は性欲がないかオナニーほとんどしないんだと言っていた。

その時に初めて女性オナニーをすることを知った。

なんと返答したかは覚えていないが部屋に帰り下宿先のこたつの上に設置されたノートPCで「オナニー 女 方法」と検索したことは覚えている。

机の角にこすりつけたり、鉄棒に登る等の方法を目にしたがとてつもなく痛そうに感じられて心底驚いた。

そんなことが気持ち良い事になるとは到底思えず信じられなかったが、しかし今にして思うとはっきりと性的気持ち良い感覚を私は知らなかった。

性的イラスト映画を見て乳首が立ったり若さゆえにまんこが濡れまくってパジャマまでびしょびしょになっていたが、それはじんわりとしたものでそれ以上自分の体を触って性的気持ち良さを追求出来るとは夢にも思っていなかったというか発想がなかった。

オナニーちんこを擦って気持ちよくなることだったので、ちんこのない女はできないと思い込んでいたんだと思う。

男性オナニー描写は成人向けでない漫画小説映画に描かれているが女性描写は少なく、完全な成人向けの表現は当時ゾーニングもされず売っていた雑誌の印象が強く、それがあまりにもグロく映ったので手に取りたい知りたいと思う事もなかった。

3大欲求の食欲も睡眠欲も生まれてすぐに自動的に行われて実施しないと死ぬが、性欲はこれが性欲である意識しないとわからない人間もいるし別に死なない。

多分自分はとろい。

これまで自分セックスしたいのかどうかも分からなかった。

男性から好意を示されると全く意中にないと強烈に拒絶しそこそこだと2回のデートまでは合わせるがそれ以降どうしても肉体的な接触に進む事が気持ち悪くなり逃げ出してきた。

なのでそもそも男性セックスがしたくないのかとも思っていたがだからと言ってレズビアンでも無く自認は明らかにヘテロだった。

そして今回初めてセックスしたギリシャ人に会って分かったがセックスしたい人間に会うとちゃん自分発情してセックスしようとしていた。

まりただただ理想が針の穴を通すように小さくこれまでそういう人に出会ってこなかっただけだった。

性欲が沸き起こるというよりはこの男性とならセックスが出来る、みんながしているセックスというものを私も出来るチャンスが来た、という感覚だったので性欲だったのか難しいところだがセックスが出来ると感じれた事は喜びだった。

そのギリシャ人陸上選手大会出場のために来日していた男性だった。

大会中だったので20代後半の筋肉質な非常に良い身体をしていた。それに私は発情した。

セックスする前のただのファン選手だった時に撮影した写真がありその時の自分の表情が見れるのだが、発情のお手本のように頬に赤みが差し瞳孔が開き目がキラキラと潤んでいてすごく可愛い顔だと自画自賛出来るので撮影しておいて本当によかったと見返すたびに思う。

痩せている色白の小柄な星野源華丸大吉が好きだったので肉体に惹かれる事に自分自身でも驚いたが頭で考えたタイプではなく原始の欲求自分に沸き起こった事が嬉しかった。

今回セックスして嬉しかったのは自分にも欲求があるんだとはっきり分かり普通人間になれたと思えたことだった。

世の中にはセックスという美味しい物があり皆食べたがっているしほとんどの人が一度は食べた事があり又男性お金を払えば食べる事も出来るようになっているが、女性にはリスクが大きくまたお金を出して気軽に買えるものでもなく社会的にも恋人とのセックスという物が推奨されているが、それは余りにも手の届かない存在だがしかしセックスしたいしする事が普通人間であり皆セックスの話をするのだ。

私はセックスを食べた事がないので知識だけで得た事をなんと無く言うだけで、セックスの話はあまりしたくないけどした事ないわけではないと言う嘘つき童貞と同じスタンスでいた。

35歳にわざわざセックス話題を振ってくる者はまさかやった事ないとは思ってないので非常に嘘がつきやすい。

20代前半の時は処女かどうかの探りが入っているようでどう答えても気持ち悪かったので出来るだけ嫌悪感をだしていたと思う。

2018-04-04

大学人間関係作り面倒くさい

小学校は1学年1クラスの小さな学校に通っていたか転校生がたまに来るくらいで6年間同じクラスメイトと過ごした。

中学中学受験をして中高一貫校に入ったので6年間ほぼ変わらない人間関係が続いた。

そして一年間の浪人生活ではたまに友達と会うだけでそれ以外はほぼ家族しか会話をしていなかった。

そんな俺が今、大学人間関係を作ろうとしている。とりあえず近くにいる人に声をかけたりサークル見学に行ったりして繋がりを模索している。

すげー疲れる。精神がやられそう。

2018-04-03

彼女けが大学に行く

からクソ雑魚浪人生の身ですが、繰り言をどうかお許しください。


僕には高校2年の夏から付き合ってる彼女がいる。

同じ部活同級生で、付き合う前からよく一緒に居てニコイチなんて言われてた。

たまにケンカもしたけれど、付き合ってからもずっと仲良しで、だいたい毎日一緒に登下校してたし、LINE毎日欠かさなかったし、夜は電話もしたし、休みの日はしょっちゅう遊びに行ったりご飯食べたりしてたし、記念日写真を集めて手作りアルバムなんか作ったりした。

からもちろん受験期は勉強もずっと一緒にしてた。塾も同じ所、自習室図書館でもいつも隣や向かいの席に座って勉強するような、そんな大好きな彼女だ。

大学生になっても当たり前にずっと二人で付き合っていたかたから、もちろん同じ大学を志望して(学部は将来やりたいことが少し違って別だけど、理文は一緒だ)勉強に打ち込んでた。地元大学じゃなくてちょっと遠い都会の大学を選んで、そうすれば進学したら一人暮らし、お互いの家に泊まったりしていっぱい一緒に過ごすのもいいねサークルも一緒に同じの入ろっか、同棲続けて大学卒業したら結婚ちゃう!?なんて、夢物語で盛り上がったよ。

それなのに、フタを開けてみれば、彼女だけ大学に受かって、僕は落ちた。

合格発表だってつのパソコンに二人で顔近づけて、一緒に見たんだよ。緊張するね、でも受かってるよね、大丈夫だよね、なんて言って、せーの、でボタンクリックしたよ。番号探したら僕のだけ無いんだ。結果が出たとき彼女は素直に喜べなかっただろう。僕だって信じられなかった。模試の判定だってBくらいは安定してたし、本番の手応えも全然悪くなかったから楽観視してた。それなのにまさか落ちるなんて。何で落ちたかからなかったし、僕だけ落ちたという事実彼女と離れてしまうという事実に目の前が真っ暗になった。

僕は彼女と別の大学生活するなんて正直有り得なかったから、すべりどめは考えてなかった。わけがからなかった。泣いた。嘘だろと思った。寝て起きたら全部夢で、本当は二人とも受かってたんじゃないかとも思った。それくらいショックだった。彼女絶望に暮れる僕を励ましてくれた。1年くらい平気だよ、待ってるからLINEだってするし、大丈夫だよ、と言ってくれたけど、志望校を蹴って僕と一緒に浪人してくれはしなかった、当たり前だ。

彼女は3日前、春から大学生になるために引っ越していった。

僕は予備校入学する手続きをした。

僕たちは離ればなれになった。

僕は1年間勉強し直して、彼女と同じ学部を再び志望し、彼女の後を追う。

彼女はどのサークルに入るのだろうか。

髪を染めたり、化粧がちょっと派手になったりするかもしれない。

クラスにもサークルにも男子がたくさんいるだろう。

彼女可愛いから、誰か狙う奴が出てきてもおかしくない。

そいつらとは毎日顔を合わせるだろうに、彼氏である僕は会えない。

僕が彼女に会えるのは1日に1回から1ヶ月に1回に減ってしまった。

彼女は1年間、ちゃんと待っててくれるだろうか。

信じてないわけじゃないけど、彼女引っ越しから毎日LINEの量が減った。

入学の準備や初めての一人暮らしに慣れるのに忙しいらしい。

なんでこんなに心がざわざわするんだろう。

会いたい。会いたい。

早く次の春が来ますように。

受験勉強、頑張ります

2018-03-06

自分世界の中だけで生きるのは駄目なの?

私は大学院自然科学学問を専攻している.現在修士課程の1年だ.

研究を続けたく思い,母にその旨を手紙で告げた.

私は出来の悪い子供だった.大学もやっとの思いで入った.

大学合格したとき,母は我が事のように喜んでくれた.

研究のこともいつも応援してくれている.

でも本当は,そろそろ社会に出て,社会の一員として働いてほしいと思っているに違いなかった.

ちなみに,大学院進学以降は親の援助を殆ど受けていない.主に自分バイトした金と貯金奨学金で通っている.

博士課程に進みたい,そしてまだ社会に出れなくてごめんなさいと手紙に綴った.

その返事が今日届いた.

母は,自分人生なのだから自分の目指す方向に行くのが一番良いと書いていた.

「でも」と手紙は続いていた.

貴方は,浪人生活,大学生活,大学院生活と過ごしてきて

この間世の中のことをあまり知らずに生きてきたはずです.

かに打ち込むのは素敵なことです.でもそれだけではいけないのです.

世の中のこと,遠い国でのできごと,自然災害のこと,

自分の狭い世界に引きこもって,そういう周りの色々のことに無関心になって,想像力を無くしてほしくないのです.

世の中がどうなろうと我が道を行く,そんな傲慢さを持ってほしくないのです.

自分の外の世界で変わりゆくものごとを,心に刻んでいってほしいのです」


そう書いていた.

母の言いたいことはわかる.正論だ.

そして図星だった.





私は世の中のことに関心がない.

いつも遠い星のことや目に見えない場所で起こっていることなどを考えている.

毎日たくさんの計算用紙に埋もれ,パソコンモニターを見つめて,

そうしていると時間が,日々が,あっという間に過ぎ去ってしまうのだ.

それでもまだまだ足りないと,切実に思う.

私は研究を高尚な行為だと考えたことはない.

でも,何かの片手間に適当にやっていたら,何にも辿り着けないと思うのだ.

この余裕のない毎日に,別のことに関心を持つすき間が一体どこにあるというのだろう?

母の言うとおり,

世界には困っている人がたくさん居て,たくさんの悲惨なことが起きている.

そして私は,人の役には立たないことに毎日夢中になっている.

私はひどい人間なのだろうか?

きっとひどい人間なのだろうと思う.

母が望んでいるような,世界のできごとにちゃんと関心を持ち,社会性を保ち,人の役に立つことをする

そんな人間にはなれなかった.

そして,一番ショックを受けたのが

そういう立派な人間になろうという気があまり起きない という自分自身気持ちだった.


当り前すぎてバカにされるかもしれないが,

私は困っている人が目の前に居たら助けるし,席もゆずるし,犯罪を犯したことはないし,人を騙したことはないし,ズル休みだってほとんどしたことがない.

贅沢だってしていない.

まっとうに生きているつもりだった.

全然頭良くなくて苦労したけど,勉強だってちゃんとやった.

それで,今やっと好きな学問を見つけて,それに打ち込んでいるだけだ.

私の人生なのに,これだけじゃいけないのだろうか?


母の言いたいことはわかるし,そうしたほうが自分にとっても良いはずだと思うのに,

頭のどこかで,それって本当に正しいの?と叫んでいる私がいるのだ.


私はどうやって生きていけばいいのだろうか?





3/7 追記

私の専攻は天文学ではなく,惑星科学ジャンルに属しています(ざっくりしていますが).

(興味なかったらすみません

天文学をやっている人を見ると,皆本当に頭がキレて数学ものすごく得意な人ばかりで,すごいなぁと思っています

役に立たない研究についてですが,指導教員

「我々が研究を進めることで,多くの人々の知的好奇心を刺激することができる.

そして,その中から研究を志す人が出てくる可能性がある.だから間接的に社会に貢献しているといえる」

というようなことをおっしゃっていました.

先輩は

「役に立たない?まあ事実だけど,別にいいじゃねえか,面白ければ」

とおっしゃっていました.

「それだけ」で生きていくだけの圧倒的な才能のない、その他大勢の凡人は、「好き」を貫くために、自分以外の人に「好き」に打ち込むことを許してもらうための「説明」をしなくてはならない。

説明」を求めないのは親くらいで、それ以外の人は、必ず「説明」を求めてくる。あなた自身ですら、いずれ自分に「なぜ」という説明を求めることだろう。

そのとき、たとえば「それでいいの」と問いかけられたくらいで動揺して「私はどうやって生きていけばいいのだろう?」

なんて考えてしまう程度の姿勢で、この先あなたはどうやってあなたの「好き」を貫くつもりなのか。たとえば研究のことで他人から「やめちまえ」と罵られたら、あなたはやめてしまうんだろうか。

恋人から就職しないの?」って聞かれたら? 親が病気になって介護必要になったら? 自分が命に関わる病気可能性があるとしたら? 

この方のコメントを見て,私はnext49さんの「精神背骨」の話を思い出しました.

価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習

自分で考えて決めたことなので,母の言葉で進路を変えることはありませんが,かなり動揺したのは事実でした.

価値判断の基準がまだ自分の中に確立されていない証拠だと思います

そういう考えの人たちにストーリーを語って研究価値を伝えることは むしろ研究者の必須スキルと思われるので、まずは自分 次にお母様を納得させてみては

自分生き方自分で決めなさいとしか言えないのだけど、ある程度自信を持って自分生き方を決めようと思ったら、そこには哲学がいる、とだけ自分なりのヒントとして出しておく

他人言葉で迷うのも含めて人生

こちらの方々のコメントもそれに通ずるところがあると思いました.

私自身が圧倒的な才能がないその他大勢の凡人である ということからはもちろん,

自分研究価値を伝えること・自分なりの哲学を持つことの大切さ,という点から

外に,他者に向けて説明することの重要性を感じました.

最後になりますが,言葉をかけてくださった皆様に感謝します.

思った以上に自分は狭い世界にいるのかもしれないと感じました.じっくり考えますありがとうございました.

2018-03-05

童貞浪人生って似てる

はあちゅうツイッター見たらいまだに童貞をイジってて笑った。

あいつ何が反感買ったのか1ミクロンも分かってないのな。

ま、これ以上あいつに言及するのは炎上商法に加担することになるのでやめる。

でこの時期というのもあって、ふと気付いたのだが童貞浪人生って似てるんじゃないか

ストレート入学20歳までに童卒」として「一年浪人=童貞歴に+3歳」ぐらいで加算してくと丁度いい。

多くの人が身の丈にあった目標設定をして、それ相応の努力を重ねてストレート入学する。

でも色んな人に話を聞いてみると一浪(童貞でいうと21~23歳)ぐらいなら全然居る。

二浪(童貞でいうと24~26歳)になると数は減るもののまあ居るレベル

三浪(童貞でいうと27~29歳)になってくると、そろそろヤバめって感じがジンワリ出てくる。

この辺りを突破して更に年数を重ねると周囲の風当たりがグッと強くなってくる。

理想高い」「周りは皆もう社会人」「家族の身にもなれ」「逃げてるだけ」と突っつかれる。


かにこのレベルまで来てしまうのは

努力が足りてない

そもそも努力方向性が間違ってる

・身の程知らず、目標設定が無茶過ぎ

そもそも圧倒的に向いてない、適性がない

な奴らが大半なわけだ。(辛辣になってしまってすまない。)

で、そんな暗鬱とした奴らを見てイジってるのが一部のストレート入学した連中だ、ってことだね。

そもそも勉強の仕方が悪いんじゃないの?w」「裏口入学(=ソープ)でよくねw」

「俺のときはさ・・・(以下自慢)」「それだけが人生じゃないよw」とか言ってるわけ。

ストレート入学組にとってはとっくに済ませた出来事なので気付かぬうちに上から目線だ。

いや、上から目線っていうか子供に接するような目線になってしまっているのだと思う。

自転車に乗ろうと練習してる子供かに接するような感じかな。相手も同年代なのにね。

で、いつまで経ってもできないと見てる側もやっぱりイライラしてくる。

最後は「俺はこれで出来た!出来ないお前がおかしい!」っていう

めちゃくちゃ単純な生存バイアスで殴り付けてしまうんだよな。

この辺りの無意識に醸し出るアトモスフィア対立が生まれる要因なんだと思う。

他の人が最も輝いてる時期を暗澹たる気持ちで過ごしてしまう、ってのも似てる。

2018-02-19

1992年まれだけど5年かかってやっと大学卒業できた。

今日、成績が発表されて必要単位が揃った。自分勘違いがなければ、予定どおりに大学卒業ができる。

高校卒業して、2年間の浪人生活は非常に辛かった。

1年目は予備校に通うも、合格したのは地元私立大学。結果に満足できず、もう一年宅浪を選んだ。

人間は昨日今日で新しい自分になれる訳でもなく、学力は伸びず、合格安全圏の地方国立大学に進学した。

学部経済学部。選んだ理由は「生きていく上で9割の事柄支配しているお金のことについて知りたかった」から

しかった浪人生活も大学入学で変わると思いきや、周りの勉強や世の中の出来事へのモチベーションの低さに幻滅。

何故なら、僕は2年の間に「大学生という生き物は毎日友達と世の中のことや勉強のことについて高度な議論を戦わせている」との幻想を抱いていたからだ。

しかし、現実議論すらなく、また議論をしてもそもそも事象に対する基礎知識がなくて「2ちゃんねる」の方がマシなのではと思える程であった。

学部の授業も最初の2年半は楽しかったけれど、だんだんマンネリしたこと一人暮らしアパートにひきこもって引きこもってしまい外出しなくなる。

いま思い返すと軽い鬱状態だったんだと思う。

1年の夏頃から始めた居酒屋バイトは結局3年生の秋まで続けることになるが、いま思い返しても嫌な想い出しかない。

板前からは客の前で毎日怒鳴られるし、タイムカードを押した後でも平気で1時間は皿洗いや掃除をさせられるし、夕方から日付が変わって深夜まで7時間ほど働くも6000円ほどにしかならないしで最悪だった。しかも、翌日は一日中眠かった。

3年生の頃はサークルでの友人関係彼女もできたこともあり、この時期は単位を一つも落とさなかった。また学部勉強以外も非常に充実していた。

4年生には遅れながらも4月頃から動き始め、金融関連の勉強をしてきたので証券会社を中心に受け内定もそこそこ貰えた。

しかし、いざ年度末を迎えるも卒業単位が10単位も足りなかった。周りには「勉強はした」なんて言い訳もしたが実際は、家でスマホばかり見ていた。

結局、内定が決まっていた。上場会社入社直前に断ることとなった。

24歳で大学5年生となった。前期は全単位を取ろうとしたが結局8単位しか取得できなかった。簿記すらも落とした。

9月に決心してもう一度就活を始めた。内定は一部上場会社を含めて2社ほど貰えたが、色々考えて大学がある県の中小企業に行くことにした。

そして、今日やっと卒業できることとなった。

最終的には高校卒業してから浪人留年を含めて7年が経過した。

小さい頃から勉強が苦手だった自分が今は勉強する喜びを知れたことが一番の成果だったと思う。そのことに大きな感慨を覚える。

色々言い訳して来たけど、ここには自分ホントのことを書いておく。

ああ、すっきりした。

2018-02-05

元彼が精神病んで自殺未遂たか婚約破棄した話

高校とき付き合っていた彼氏とは、恋に恋して「オツキアイ」を楽しんでいただけだって、今なら思うけど、真剣だった。

10代なりに真面目に青春してた。

私が受験に失敗して、私だけ浪人したのが歯車の狂い始め。先に大学生活を始める彼と、支え合うとか微塵も思いつかなかった。一年間会わなかった。それでも机に写真置いて、待ち受けにして、我慢して我慢しての最低限のメール必死に恋してた。

一浪して予備校に行って、志望校が変わった。滑り止めに東京大学が入った。それが二つ目歯車。結局また第一志望に落ちて、上京することになった。そこで気持ちがぷつんと切れた。一年間彼を心の支えにしてたはずなのに、遠距離という現実を前に、一年間会わなくても大丈夫ならそんなに好きじゃなくなったんだと思い込んだ。お互いに、納得のいかない別れ方をした。まだ浪人生という中途半端な心のままの私と、もうすぐ大学二年生になる心の彼は、理解し合えていなかった。

東京に出ると、人が多くて、慌ただしくて、華やかで、楽しいことも苦しいこともたくさんあった。それで彼との別れは押し流されていった。でもたまに地元に帰ると、彼から連絡があって、復縁の話も度々出たかど、そんな気になれなかった。いつからか、「帰省するよ」ってSNSで言わないようにして、友だちだけに個別LINEした。彼の大学一年目を私のために棒に振らせたとか、私が二回も受験失敗したせいで別れることになったとか、変な負い目で、会いたくないのに直接会ったときは良い顔してしまった。どんどん彼からの連絡が負担になった。

新宿サザンテラスにあるスペイン料理を、東京出会った男の人と食べに行こうと二人で歩いていたとき、彼から珍しく電話が入った。男の人とデートするなんてほとんどないことなのに、なんで今?!ってすごくびっくりした。新宿にいるのに地元の元彼から電話がかかってくることが、すごく不自然で、気持ち悪い、おかしなことのように思えた。全く別だと思っていた物語世界が、実はつながっていたような気持ち。歩きながら電話をとると、なんにも緊急の話題はないようだった。なんの話だったか全然覚えていない。私が何を言ったか全然覚えていない。変な罪悪感を感じてすぐに切ったことだけ覚えてる。それで、ご飯食べて、家に帰ったら、元彼は事故に遭っていた。今ならそれが最初自殺未遂だったと分かる。

自分電話した後だったことに変な気持ち悪さはあった。でも考えないようにしていた。ある日高時代の彼の友人で、ほとんど面識のない相手から「付き合ってる彼氏事故にあったんだから遠距離でも見舞いに来いよ」という旨の連絡が入った。心底ゾッとして、私は彼と彼の友人のLINEを両方ブロックした。

それからは彼と関わらず、大学生活を過ごして、二年生で人生二人目の彼氏ができて、卒業して、就職して、そして婚約した。

その間も、成人式同窓会高校の友人と会うたびに、ちょこちょこと彼の近況が耳に入った。「事故のあと大学に来ていない」「単位が足りなくて留年した」「大学を辞めた」「引きこもり」「バイトをしてる」「入院してる」……。

考えないように、考えないようにしていたけど、ずっと心の奥底に黒いものが積もっていた。

婚約してから仕事を辞めて、結婚までの間たびたび地元に帰ってくるようになった。ある日実家に帰ると、元彼から電話があって母親が話したと聞いた。実家に帰ってくる日を教えたと。その日の夜に彼は実家までやってきた。

彼は全然元気そうだった。気まずかったことにはまったく触れずに、高校ときに戻ったみたいに話した。不思議なくらい、あの頃のままで変わっていないと思った。もう10年近く経つのに。それで、「なんで今地元に帰ってんの?」という質問に、「専業主婦で暇だから」と答えた。「結婚したの?おめでとう」「まだ婚約だけどね、ありがとう」多分こういう会話だった。

その日のうちに彼は首を吊った。でも死ななかった。

そのあとは色んなことがあった。私の両親と元彼の両親が互いに土下座している姿を見た。高校ときに元彼の両親とは面識があった。制服を着たまま彼の家で彼の母が作った晩御飯を食べた。あのときのおじさんとおばさんが、すっかり老けて、痩せて、小さな身体丸めるように土下座して、私と会えないと息子が死んでしまうと、助けてくれと言った。おばさんは泣いていた。

私は眠れなくなって、婚約者の待つ家にも帰れなくなって、元彼のお見舞いに行くこともできなくて、何が何だかからないうちに婚約破棄をした。私が望んだことだけど、望んだことじゃない。

それから何年かたって、元彼のことを本当に死んでくれればよかったのにと恨んだこともあった。でももし本当に死んでいたら、私はもう重みに耐えかねて生きていけなかったかもしれない。私の人生歯車が決定的に狂ったのはいつだったのか、今でも分からない。どこからやり直せばこうならなかったのか、何が正解だったのか。誰が悪いのか。

やっとまた地元から引っ越すことになって、昨日荷物を整理していた。元彼から貰ったものは全て捨てていたけれど、唯一受験の時にもらった学業成就のお守りだけは捨てていなかった。というか元彼からもらったことも忘れていて、単に捨てちゃいけないものとして保管していた。何を思ったのか、ふと魔が差して、お守りの中を開けて、それで元彼からプレゼントだと思い出した。「頑張れ👍絶対受かる!」という汚い字のメッセージが入っていた。どこで誰が間違えたんだろう。

2018-01-23

うっひょお!深夜テンション

ただの独り言です。   

私は花のLJKです♡

日々勉強して第一志望校に向けて勉強してます〜☆ 

受験生から塾にも通ってる。そこでいろんな人に会う。

チャラい浪人生だとかもう何年あん医学部目指してるのって奴いろいろいるんだけど、最近一番やばいタイプに気がついた。

幸せを目の前にすると不幸に向かって大暴走する奴

これ結構いる

最近いたのが、日本人なら誰でも知っている大学二次試験まで行けたのに二次選考マジで意味わかんないこと言って落ちた人。

一次選考がクソムズイのに楽勝な二次選考で落ちるってえ?って感じだったよ。

後々になって聞いたんだけど、その子家庭環境が複雑だったらしくて今まで多分そんな幸せになったこととか一生懸命になった経験がないんだと思う。

そいえば落ちた理由支離滅裂っていうのははあんま言うと身バレしそうだから例えて言うと

「今何時ですか?」

「このりんごはおいしいです。」

って感じ

話を戻すと幸せになったことがないから思わぬチャンスが舞い込んできて多分びっくりしたんだろう。

びっくりして幸せっていう未知のものが怖いから多分大暴走したのかね。

あとは一生懸命やって落ちたら辛いか暴走する。

私もよくやってしまう。変な風にしたらさ「今回変だったから次ここで頑張れば、受かるね、できるね」って言ってもらえるし、思えるけど

ガチで挑んでダメだったら次にすがるものがないじゃん。いつもみたいに次がんば れば が出てこないじゃん。

レバにすがって生きてる自分ですけれども、逃げたらあかんってことはわかってます。。。。

もしこれを読んでくださっている方がいたら釣りだと思ってもいいので覚えていただきたいことがあるのです。。。。

傷ついてでも進んでる人は気付いたら凄い人になってるけど、レバレバ言ってる人は傷を見ないふりしてるだけで気付いたら全身大火傷です。。。

から、少しでも逃げないで挑戦してみようって話ね。

以上深夜テンションでお送りしました〜〜〜

2018-01-12

浪人生「あの、今年センター試験受けたんですけど、」

浪人生「隣の席がオードリー春日で……」

さんま合格~!!」(オーメデトクリスマッスー♪)

2018-01-03

初めて淫夢を見た

昨日の夜、初めて淫夢を見た。

マンションの寝室に俺と女の子がいて、二人で裸になってベッドに入った。

からは陽の光が差し込んでる。

まず俺と女の子は体を密着させながら濃厚なキスをした。もうすでに大満足。女の子の体温が伝わってくる。幸せ。この温もりを感じることが人間が生きている理由なのかと思った。

それから下半身を触っていく。ああなんて綺麗な脚なんだ、羨ましいなと思った。

そして、おっぱいに顔を埋める。ああ幸せ。この前戯が終わった後、この女の子に俺を入れることができるんだと思うと嬉しくなった。もしかしたら入れた後に自分は生まれ変わって別の人間になるのかもしれないと思った。

いっぱい愛し合ってじゃあそろそろ入れようかとなった。だがその時、謎の男が部屋に入ってきた。俺と女の子は息を殺す。でも男はベッドのところまでは入って来ることはなかった。ドアの前で腰にタオルを巻いた状態で座っていた。

セックスは中止になった。これから入れるところだったのに、と悲しんでいたら目が覚めた。俺は枕を抱いていた。

夢精はしてなかった。だから性欲はMAX。でもこれから親戚来るし抜くのはまずいかなと思ったのでソープランドに行く妄想をした。受験が終わったら(俺は浪人生)ソープランド新地に行こうと決意することで性欲を抑えた。彼女ができるまでは待つという選択肢もあったが性欲MAXの俺は風俗を選んだ。

でも性欲は抑えきれず親戚が帰った後、抜いた。

抜いたら、彼女ができるまでは女の子の温もりは我慢しようかなと思うようになった。お金持ってないのに風俗に突っ込むのはもったいないかもと思った。

淫夢で感じたあの温もりは自分記憶から作り上げたのかと思うと感心する。今まで触れた女性、つまり母とか幼稚園先生とか塾の先生とか小学生の頃に触れた女の子感触を体は覚えていたんだな。まあ最近は全く女性と触れ合ってないから本当の感触なのかは確かめようがないんだけどね。でも多分あってる。

2017-12-30

センター試験申し込み忘れた

タイトルの通り

べつに私立しか受けないか問題はなかったし受けるつもりもなかったのだが、とにかくセンターを申し込み忘れた

理由は、高校中退して一人で勉強していたのでなんのインフォメーションも入って来なかったからだ

なんの情報も集めようとしなかった私も私なのだが、私立1月から受付開始というくらいなのでセンター10月に締め切るとは全く思っていなかったし、予備校の皆も知らなかった、なんなら現役高校生友達すら知らなかった

どうやら学校側が勝手に申し込んでいるらしい

それに気づいたのは10月の終わり頃でもう遅かった

来年浪人生や宅勉現役生になる予定のある人は気をつけてもらいたい

2017-12-24

クリスマス誕生日の人は結構いる

自分特別存在ではないことに気づき始めたのは中学生の時だ。そして高校生の時に自分がこの世界モブキャラであるということを嫌という程思い知らされた。そして浪人生になる。浪人生の俺は高校自分の凡人さを思い知らされたくせに

「まだ可能性があるんじゃないか

「俺はモブキャラじゃなくて何か特別な何かがあるんじゃないか

という願望を捨てきれずにいた。もうほとんど諦めてはいたけど自己啓発書成功者の書いた本を読むことで自分が凡人であるという現実から目をそらしていた。

そんな時にクリスマスまれ結構多いということを知った。そしたら「ああ自分誕生日普通なのか、名前もよくいる名前だしやっぱり俺はモブキャラなんだな」となぜか納得できた。

それから生きるのがちょっと楽になった。

2017-12-04

喫茶店勉強している高校生

大学入試も近くなり,自由登校なのか浪人生なのか知らないけど,駅前喫茶店私服英語参考書だったり数学問題集広げてる男子高校生

制服着てないのに,ひと目で高校生って分かっちゃうのはなぜかって,机の上に広げた本たちには見向きもせずにスマホに熱中してるから

まぁスマホに夢中なのはこの際特にどうだっていいんだけど,とにかく高校生って喫茶店勉強したがる.

私も当時は喫茶店勉強したがりだったか別にいいんだけどさ.わかるよ,少し人間的な雑音が入ってる方が集中ってできるもんね.私なんか今でも喫茶店作業ちゃうし.

よく見る彼らだけど,それとは別に気になることがある.

すごい周りをキョロキョロするのはなぜ?

喫茶店にいる高校生ってすごい挙動不審にさ,物音がする度にそっちのほう向いたり,数分おきに顔上げて左右確認したり,ひどいときには後ろ向いたりしてる.

特定個人じゃなくて,今まで遭遇した赤本かにペン走らせてる高校生多数がそうなんだよね.

イヤホンもしてるはずなのに,素早く音を拾って「どうしたどうした??」といった具合に反応する.

集中できていないのか,喫茶店環境に慣れていないのか,それともそれほどまでに周りの客の反応が気になるのか.

作業中に彼らが常に視界に入るような位置に座っていると,一動作ごとにチラついてひどいときにはこっちまで能率下がってしまう.

その時期特有習性か何かなのか.

取り留めもないことだけれど,今斜向いに座ってる彼が今まで以上にすごい挙動だったので書いてみた.

2017-12-01

眼鏡が曇るとウケる

自分は鼻が高いオッサンなので、立体型やらなんやらのマスクを買っても盛大に曇る。

今日みたいに寒く小雨がパラつく天気の時は最悪で、電車に乗ると勉三さんになってしまう。

「うー何も見えん」

と心の中で呟いていると、

「あの人眼鏡曇ってる」

「本当だーウケるー」

と近くにいる若い娘達(女子大生っぽく感じた)に言われた。

何故眼鏡が曇るとウケるのか?

窓が曇ってもウケないのに。

うーんと考えていてふと思い出した。

眼鏡をかけていなかった学生時代に、自分眼鏡を曇らせた友人を見て、

ウケるー」

と言っていたことを。

その時自分が何故笑ったかはちゃんと覚えていて、曇らせた友人は先程出て来た勉三さんに似ていたからだった。

勉三さんはキテレツ大百科に出て来るキャラクターで、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%84%E5%A4%A7%E7%99%BE%E7%A7%91%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9

詰襟学生服を着用し、レンズの分厚い牛乳ビンの底のような眼鏡をかけている。

初めは浪人生であったが、六浪の末に高尾大学経済学部入学する。夏冬問わず詰襟学生服普段着としている。

出身山形県で、純朴な性格物語中盤頃から東北弁口調になる。キテレツをはじめとする子供たちには優しく、ちょっと頼りないお兄さん的存在

こんな感じの人。

今は全く面白いと思わないけど、

6浪

ビン底眼鏡

東北の訛り

一年中学生

という極端な設定が小学生の頃は笑えたのだ。

これがきっかけで、

眼鏡曇る=勉三さん

という単純な式が出来上がった。

でも、今の若い娘達は勉三を知っているとも思えないので、誰をイメージしてウケると言ったのかが気になった朝の電車


勉三さんが無くても、眼鏡を曇らせたビジュアルってのは間抜けからね。単純にそれだけだと思うけど、

眼鏡が曇って目が見えなくなるだけで何故ユーモラスになるのか。不思議

2017-11-30

文科省道徳教科書にこれを載せるくらいやれ

 私は浪人生の頃、地元ガソリンスタンドアルバイトをさせて頂いておりました。

 そこは近年稀なセルフでないスタンドで、よってガソリン価格こそ高かったものの、時給も悪くないし、働いている人たちも優秀だと思えるような、いい職場でした。

 SSというのは車が来る時と来ない時の差が激しく、その時は私が一仕事し終わった後の事でした。

 いつもの様に勤務に励んでいると、職場の大先輩(正社員)がこういう様な旨を話してきたのです。

「ああそうだ。この間君のお母さんがここに入れに来て会ったんだけど、なんていうかガソリン社員割で当たり前のように入れてもらうってのは、違うと思うんだ。僕の前いたスタンドではガソリンの割引なんて、させてもらえなかったしね笑」

 それを聞いて私は何か、申し訳なく思いました。と同時に、こういった私へのアドバイス(というより人生の先輩としての教え的な言葉──さらに付け加えるなら、この職場は良い意味ルーズで、働く上での方針や心意気なんかの統一はなされてなく、だからこそそれぞれの人の言うノウハウなんかを総合的に受け取って私は働いていた)は日々少なくなく、その方は歳も歳だし(定年後の再就職で、私より一つ前に入ってきて間もない人)、甘んじて受け入れる事もできたのですが、どうにも何かおかしい。

 私の母はそんな、その人が快く思えない態度を取るハズがない。

 そう言いたかったがしかし、実際に自分対応している訳ではない(本来なら身内の社員割においては当の本人である自分がその車の全てのサービスを任されるのだが、その日は自分シフトではなかったのだ)ので、本当のところどうなのかも分かりかねない。

 仕方なく私は、

「なんかすみません」

と言いつつ、先輩の

「でもこんな話しないでよね。トラブルになるの俺やだからね」

という笑い混じりの軽い忠告を聞き流しながら、これは一応話しておくか〜、とか思ったのだった。

 私は家に帰って、食卓にてその話を母親しました。

今日こんな事言われちゃったからさ、ま〜これからも、どうかよろしく頼むよ?」

 そうそして精一杯の私のオブラートは、無残にも瞬く間に溶け散ったのです。

「えっそれどういうこと? 私が何かしたってワケ?(……云々」

 まあ軽く終わるだろうという謎の期待は思い込みに終わり、議論は続きました。

 そして結論としては、一応母に問題があったようで、曰く

「私はいつもと同じ様に、ポイントカードを渡して現金満タンを頼んだだけだ。強いて言うなら、このように息子はもう受験が近くてシフトがあまり入ってなく、だからこそ私は別に社員割で入れてもらわなくてもいいと思っている(あんたが働く前からここには普通に入れに来ていた訳だし)」

 なるほどあの人には、この母の態度が何か、横暴に見えたのかもしれない。その気持ちは大いに分かり得る。

 しかし、この出来事は、果たして伝えるべき事だったのだろうか? と、そうも思えるのだ。

 あの人は確かに「こんな事は親に言わなくていい(伏線)」と言っていた。だが本当に言わなくていいのなら、そもそもこんな話題は振らないんじゃないのか──人間とはそういう生き物ではないのか?

 ──話は続く。

 その夜床に入る前に、以下のLINEが届いた。

 私の母にしてみればこんなような長文のご高説はかなり頻繁に来たりもしていて、別段驚愕を呈するものでもないのだが……

それから先程の話ですが、やはりその人の言うことはおかしいと思います

上司立場でおまえに対して何か注意をするというのならわかりますが、私は客です。

従業員家族であることを申告しなかったのは、家族割希望していなかったからであり、当然のように割引を受けるつもりだったわけではありません。

私がその人の立場だったら、お客様から申告はなかったけれど従業員のご家族であることに気づき割引をした。

仕事人としてその、気の利いた対応を誇りに思いこそすれ、申告しなかったお客様を責めるようなことは考えられません。

その人の仕事をする姿勢共感できません。

よってその人には、次回から家族申告がなかった場合は割引の必要はないとお伝えください。

本当は大変不愉快である旨伝えてほしいところですがおまえの立場ではそれはできないでしょうから結構です。

正直とても気分悪いです。

そうだいいことを思いついた。

おまえこう言えよ。

実は困ったことになりました。

この間の件母に話して態度を改めてもらおうと思ったんですが、母が申しますには、自分は横柄な態度を取った覚えはない、割引をしてもらってちゃんと礼も言ったはずだ、従業員家族であることを申告しなかったのは、最近僕があまりバイトに言っていないので割引してもらうのは悪いと思ったせいだ。

それで母はすっかり気分を害してしまって、自分従業員家族である以前からここの客であるのに、その接客姿勢は許し難いと。

で、本社電話して先輩の名前を出して苦情を言うと息巻いているんですが、いや〜どうしたらいいですかね。

で、その先輩の名前は何だ?

あと言っとくと、おまえがあそこの従業員である以上、おまえにとっても私は客だ。

金払ってガソリンを入れている。

そのことを忘れるな。

──流石にここまで極め付けな文章を送られると、人間とはこうも気が滅入るのか。いやそれはお互い様なのかもしれないが、私にはもう、二言返事で終わらせることしかできなかったのだった。

いやあ別にどうでもいいんだけどさ、正直何か、冷ややかな目線を感じるし、「お客様」以前に

人間じゃん? 従業員ってそう見てるよ。疲れてるね!(俺も!)寝よう!!

おやすみ〜〜〜☆ミ

2017-11-28

朝弱い私の半生【追記あり】

朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。

幼稚園時代

朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。

確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。

母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。

小学校時代

基本的に間に合わない、起きれない。

小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。

中学校時代

ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。

無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み冬休み部活練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。

高校時代

眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないか医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリン規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。

死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。

浪人時代

再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族から批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。

英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田慶応マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか

いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。

昔は大学卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。

もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器

志望校は、早稲田慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)

大学時代

受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。

サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルボーカルギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラス経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店バイトギターを習う。ボランティア読書会浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。

就活

大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。

まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。

結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。

自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか椅子に座ることが苦手だから事務職視野に入れなかった。

確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。

最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。

販売職時代

数年前炎上したブログに、「社会底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的ギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。

一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿愛嬌コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。

色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。

専業主婦時代

本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。

ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。

しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。

「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」

他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。

そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。

やっぱり私はダメなのかな。

そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。

保険屋時代

最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である

相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。

しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料お客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。

1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェ図書館時間を潰して、適当報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。

数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。

私は愛嬌保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。

この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。

今月、私は上司退職したいと申し出た。

最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。

私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。

はいだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。

私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。

ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那高収入から基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からいから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。

いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。

欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。

誰がこの増田を読んでいるかからないけど、読んでくれた人、ありがとう


【追記】

書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。

反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。

ありがとうございます普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます

元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について

まずは、ご意見ありがとうございます

あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。

匿名ダイアリーからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田醍醐味だと思います

知り合いには誰にも見せない日記から、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本謙遜する文化から、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要ファクターでした。

正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。

この記事コメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。

から、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。

自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。

あと、ちなみにイージーモードではありません。

美人からと言って何でも許される訳じゃないんです。

それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます容姿の良さが仇となることもあるのです。

・そこまで朝弱いのは起立性調節障害や低血圧では

血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。

大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。

しろ今の会社の上司が、女性営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います

起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。

・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う

私もそう思いますそもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。

あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。

・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった

自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那暮らしから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います

・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも

そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいますコメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います

2017-11-23

アホは、白チャートで充分。

20年以上前自分に教えてやりたい。

数学参考書について。

チャートは、Z会とか東京出版とかの難しいことをやっている人の世界

チャートも、中間期末試験とかで平均点取れてないならば、背伸びする必要ない。

浪人生でも、一緒。

センター試験。6割程度なら、まず、白チャートでいいやろ。

計算馬鹿にせずに、解いていこう。

からなかったら、分かるところまで戻ればいい。

  

もう一度、出直そう。

2017-11-18

森次慶子は「性格は悪いが "天才的に絵が上手"」なのか?

下手糞プロ絵師です。

以下を読んだので意見を述べたい

https://togetter.com/li/1172284

https://togetter.com/li/1172310

私はアニメーターではないが商業イラストレーターだ。

この記事を書く目的クリエイターに関する理解を深めて欲しいかである

件に関しては二つの意見に集約されると思う

①発議者は業界賃金問題の話なのに「お前は下手、私は上手い」とクソリプとばしている森次は論旨を理解してない

しかし森次の絵は実際上手い。ポケモンメインキャラクターデザインしているようだ。絵描きとしては天才だけど性格が壊滅的に悪い人なのだろう

①については特に異論はない。しかし②について、つまり森次氏の実力については意見を挟ませて欲しい。

私の結論として森次氏の表面的な作画能力天才的なレベルはいえず、業界基準でいうなら凡庸程度。過去仕事をいくつか検索させてもらったがカードイラストに関しては良くて「まあまあ」、絵画作品は「少し下手」という評価をしている。絵が上手いか、下手か、という話は抽象的な議論に聞こえるが、プロ作家編集からみると顕著に評価がわかれる。もちろん理由セットで。プログラミングが分からない人に “Hello World” を表示させるコードを見せたら、さも難解なことをしているのだと思われるのと同じことだと思う。要するに無理解から来る尊敬だ。

以下、発言プロフィールなどへの突っ込み

エビの絵は「模写」である

特に話題になってたのが高校生の時に描いたというエビの絵だ。10代でここまで描けるなんて天才だろうという意見が多く出ていた。これは本人も言っているが模写である。「模写だったとしてもすごい」という人もいるかもしれないが、美大受験レベル高校生であればざらにいるレベルである。上位20-30%には入っているかもしれない。ただ模写はやってみるとわかるが想像以上に上手にかけるので、あの絵を正しく評価するには現物をみるしかない。多摩美芸大油絵科の学生に、この絵を見せても「天才」と思う人はおろか「なんで学生時代課題を公の場に晒しちゃったのかな…^^;」という反応が来ると予想する。ただ素人目にみるとすごく見えちゃうので、そこを堂々と出してくるのが逆にすごいというか、まともな神経なら恥ずかしくてできないんだけど。

ポケモンのNは多人数でデザインされている

これはゲーフリの開発体制を知らないか想像しかないのだけど、恐らく一人のスタッフキャラクターデザインピンからキリまでやらされることはないし、何を持ってして「デザイン」と呼ぶかにもよる。大げさにいうなら「髪は緑」というコメントを出してそれが採用されるだけでも「デザインをした」という実績といえる。さすがにそのレベルの実績をプロフィールに書かないだろ!と思いもしたがエビの件をみるとあり得るのではと勘ぐってしまう。

美術予備校飛び級

気になった言葉なのでプロフィールから抜粋した。そもそも予備校飛び級意味がわからないが、言い方の問題で、浪人生クラスに混じって高校の頃から授業を受けていた、ということなのではないか。これは本人が希望して時間の折り合いがつけば普通にできる。私も美大浪人したがクラスに1〜2人は高校生がいた。

森次氏自身アニメ制作に携わってた

自分アニメーションに関わってるから適当発言しているんじゃないよ?」アピールが入っている。映像仕事アニメ3DCG技能ツールも全く異なる。自分仕事領域を明確にしてないので色々謎。発議者は「自分仕事動画」だと明言しているのでこの話はフェアじゃない。この件がどうだかわからないが、大して重要ポジションコミットしているわけでもないのに「私は〇〇の仕事をした!(実際にはデバッグをやっただけ)」というクリエイターは珍しくない。

細かく突っ込むと他もいくつかあるがとりあえずはこんな感じでしょうか。なにか質問あれば追記します。

普通美大ゲーム会社で育つとまわりに上手い人いっぱいいるので「いや〜私なんてまだまだですよ…」となるのだが。本当にものっっっそい上手な人でも謙遜するくらい化け物クリエイターばかりの世界なのだが。彼女場合、そういうのをみじんも感じないので素で自分の実力がわかってないのかもしれないし、そういうロールなのかもしれない。しかし周りもその自信に怖じ気づいて「天才なんだな」って同調しているのがわりとつらい。

twitterを見ていると美少女イラストに対してのリテラシー可愛いor可愛くない)はとても高くて私も嬉しいのだけど、少しジャンルはずれると(特にリアル描写系)「よくわからないけどすごい」のような評価になってしまうのが少し残念に感じる。あと森次氏の比較対象としてあきまん氏が挙げられてたけどあきまん氏の方が性格の悪さも技術力も万倍は上だろう。それくらい差がある。

2017-09-20

予備校さない。

私は今某予備校浪人生

をしているのだが、

文句を言いたいことがある。

それは空調のクソさ。

前々から空調がクソすぎて

体調崩していたが

流石に今日の空調はその中でも

クソすぎて風邪ひいてるのが

悪化した。

何がクソか書くと、

暖房入れたり冷房入れたりを

今日交互にやられた。

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