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2018-02-22

昔の恋

僕はある恋をした。去年の1月の末頃の話だ。

相手マッチングアプリで知り合ったカザフスタンから来た女性だった。

初めて会った時はラーメン屋に連れて行った。来日したての彼女自分勉強したという拙い日本語を使って、自分のことや、カザフスタンのことを頑張って話していた。

ただ純粋に1人の女性として魅力的だった。彼女日本大学大学院に進学することを目的来日して、日本語学校に通っていた。カザフスタン日本企業で働いていた彼女は、日本での進学に向けて頑張っていた。そんな彼女に、僕は恋をした。

彼女友達と3人で東京ドームシティ遊んだ。寮を出て先の友達と住む家を探す、という時には通訳、というと聞こえはいいけどどちらかというと家に関する説明日本語でする、ということもした。

彼女のことが毎日頭に浮かんでいた。2歳年上の彼女大人に見られたくて、彼女が好きなタバコをもらってふかしてはむせたりもした。

最後に会ったのは、だいぶ前になる。スカイツリーかすみ水族館に行こう、と話していたが、まだバイトをそんなにしてない彼女にはどっちも値段が高くて、ソフトクリームを食べることになった。その後彼女は具合が悪くなって、すぐに帰ってしまった。

それ以来、彼女からは連絡がなかった。僕はてっきり、何か失礼なことをして、嫌われてしまったのだと思っていた。何度かメッセージを送ったけど、一向に既読がつかないから、それこそブロックされてしまったのだと思っていた。

それからの僕は、普通に暮らしていた。勉強バイト趣味。全部、それなりにやって。9月には彼女もできた。今も付き合っている。彼女と恋に落ちた、それだけだった。もちろん、付き合う前、恋に落ちる前に、一瞬カザフスタンから来た女性、好きだった人のことが頭によぎった。でも、嫌われてしまったのだとしたら、どうしようもない。そう思って諦めた。

それからは、あまりその人のことを考えることはなかった。第一彼女がいるわけだし、考えるタイミングもなかった。

そうして、半年弱が過ぎた今日、突然その人から連絡が来た。その人は、昔と変わらない感じで、連絡をしてきた。僕はびっくりして、てっきり何か家に関して問題が起こってしまったのかと思った。でも、違った。

その人は、僕と連絡が途切れた頃、東京ドームシティ遊んだ友達と仲が悪くなってしまい、引っ越ししたことや、それこそ大学院について色々調べることで忙しかったのだという。

僕は、ああ、嫌われた訳じゃなかったんだな、と思った。とりあえず、久々に近況報告を兼ねて通話をすることにした。

そこでその人は、1年間の日本語学校で学ぶ留学ビザが切れるので、カザフスタンに帰るのだと語ってくれた。そこでお世話になった人、日本で会った人に連絡を取っているのだという。

大学院試験は落ちてしまったらしい。でも、その大学院教授と話すことができ、「日本での就職にはその分野の修士課程を修了したことがあまり役に立たないこと」「もし研究職に就きたいのなら、入るのも一つの道だということ」を教わったらしい。

そして、彼女は帰ることを決めた。僕が日本就職するのはどうかと訊ねると、試験が終わってからではもう遅く、前に就職活動した時には日本語能力試験のグレードN2をまだ取っていなかったので、就職もできなかったのだと教えてくれた。

僕は、どうしようもない寂しさを感じた。好きだった、というだけであり、今恋心を抱いているわけではないのに、ただ、寂しかった。

彼女はこうとも言った。せっかく日本語を1年頑張って勉強したけど、帰ってしまったら忘れてしまうだろう。少し、もったいなく思う、と。

何故だか、落ち込んでいる自分がいる。ただただ、寂しさを感じている自分がいる。これが何の寂しさなのかはわからないが、とても孤独感に苛まれている。

実を言うと、僕はその人に好きだと言ったことがある。しかし、彼女日本に来る時に、カザフスタンでの彼氏と別れたばかりで付き合う気にはなれない、と言って断られた。

きっと彼女は、特に覚えてないだろう。ただ、それでも、僕はしっかりと覚えていた。

彼女彼女なりに考えた結果が、カザフスタンに帰るということなのだろう。僕は彼女の何でもないし、止める権利もないだろう。

でも、何故だろうか。いざそう告げられると、まるで自分が1人になってしまうような感覚になってしまう。

これが恋でないことは確信できる。何故なら、前とは全く違った気持ちでその人のことを考えているからだ。それでも、不思議もので、やはり寂しさを感じてしまう。それこそ、もったいないなぁと思う気持ちや、残念だなぁといった気持ちが大きいが、それでない「寂しい」という気持ちが湧いて出て来るのである

僕は、彼女が帰る前に一度会ってみようと思う。どうなるかはわからないけど、それが僕の、僕がどうするか、ということの道標になる気がするからだ。

2018-01-19

博論審査を終えて(所感、長文)

周囲の誰にも話せないので、誰も見ていないかもしれないが、ここにツラツラと書く。

出来の悪い駆け出し研究者の戯言だが、誰かが聞いていてくれたら嬉しい。

身バレは怖いので、専門分野は伏せさせていただく。


先日、博士論文審査を通過して、学位取得がほぼ確定した。

正確には、まだ微修正製本作業があるので、学位授与は2ヶ月ほど先だが。

博論審査が終われば、いろいろと解放されると思っていた。

ブラック気味の所属研究室からも抜け出せるし、次のポスト任期付きだが決まっている。

結婚、の予定は無いし恋人も居ないが、ずっと放置していたプライベートも少しは充実できるだろう。

しかし、実際に終わってみて、期待したような達成感や開放感は全く無い。

それどころか、非常に後味の悪い悔しさばかりに捕われている。

まりに虚しく、情けなくて、もう3日ほど布団から起き上がれない。

私の博士論文は、とても酷い代物だった。

「3年(あるいは5年)間の研究集大成」ではなく、「研究者としての第一歩」にもならず、

博論審査を通過するためだけの博論」にしてしまった。

非常にせこく、下品で、信念が無かった。

こうなったのは当然で、自業自得だ。一貫した研究をやって来なかったのだから

博士課程の研究とは、(人によっては修士課程からかもしれないが)

「1つの大きな研究プロジェクトを立て、試行錯誤しながら遂行する」

プロセスを初めて自力で行うものだ、と思う。

私は、この最初から躓いていた。

博士課程において(おそらく)一番重要な、「1つの大きな研究プロジェクトの構築」が出来ていなかった。

長期的なゴール設定も無いまま、目の前の課題盲目的に取り組み、とりあえず日々忙しいからと慢心していた。

なまじ、目の前の課題は山ほどあったので、散発的にでも小さな成果が出れば、研究したつもりになれた。

本当は「個々の課題が、より大きな研究計画の中で、どう位置づけられるか」こそが重要だったのに。

私は問題本質から目を逸らし続け、そのまま博士3年の後期まで至ってしまった。

10月後半、いよいよ問題から目を逸らせなくなった時、私の目の前にあったのは

複数の、脈絡ない研究課題の、小さな成果の寄せ集め」だけだった。

個別の成果だけでは小さすぎて博論にならないし、全体を包括するストーリー存在しない。

私には、博士3年間でこれをやりました、と言えるものが無い。

そして、この愚か者がどうしたか

分かりやすい業績(論文等)が出ている話を掻き集めて、後付けでゴールを作った。

つぎはぎだらけの代物に、博士論文タイトルをつけて提出したのだ。

元々興味があった話題は、切り捨てた。十分な成果が出ていなかったから。

私のこれを博士論文と認めて良いのか、自信が無い。

少なくとも、「3年間の研究集大成」では決して無い。

なんて、取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。

恥ずかしくて、情けなくて、泣きたいのに涙も出ない。

それでも、博論の提出条件(論文数など)に適っていたから、私は合格を頂いた。

私のこの学位は、半分以上「お情け」で与えられたものだと思う。

これを誇れるだろうか。

博士号とは何だろうか?

私は博士号に値する人間になれただろうか?

博士号とは、先を行く先輩研究者たちに

自分が一人前の研究者であり、1つの研究プロジェクトを完遂させられる人物である

と納得させて、自力で掴み取るものじゃないのか。

お情けで頂いて良いはずがない。

恥ずかしい。悔しい。

それでも、頂いた博士号を返却する気はない。(もっとも、取り消し以外でそんな制度は無いが)

今のラボで、オーバードクターする気もない。

見切り発車で学位を頂いてしまったのなら、これから博士号」に見合う人物になるしかない。

しかし、なれるだろうか?

私なんかが、3年かけて1つの研究プロジェクトも成し遂げられなかった人間が、この先一人前の研究者になれるだろうか。

いっそ、怠けていたら幸せだったと思う。

少なくとも、怠けた故の失敗なら言い訳ができた。本気を出せば良かったのだ、と。

私は、方向性の正誤はともかく、言い訳余地が無いくらいには必死に頑張ってきた。

その結果がつまらないものだったのだ。一体どう受け止めれば良い?

努力たからえらい、結果よりプロセス大事だ、なんて言えるだろうか?

私は言えない。

大人世界では、結果が全てだ。プロセスじゃない。当然だ。

覚悟していた以上に、自分は出来損ないの期待外れだった。

どんなに頑張っても、理想ハードルは超えられない。

自分の期待も、他者からの期待も、簡単に裏切ってしまう。

私は非常に、信用できない奴だ。

でも私には、こんなに信用できない自分くらいしか味方が居ない。

今後も、この胡散臭い研究者もどきを信じて、地道に努力を重ねるしか無い。

そうして度々、期待を裏切られては失望して、潰れて、また立ち上がるしか無い。

他に、私に選べる選択肢など無いんだと思う。

酷い博士論文を提出して、博士号を頂いてしまった分、

自分失望した分、他者失望させてしまった分、この先結果を出していくしかない。

一人前の研究者に、なれるか自信はないが、なろうと努力するしかない。

結果はすぐには出ないから、きっとまた暫くは、挫折感や敗北感とのにらめっこだ。

失った期待や信頼は、一朝一夕には取り戻せないし、そう簡単に一発逆転は起きない。

また1つ、恥を上塗りしてしまった。

また1つ、今後の課題を増やしてしまった。

しかし、挫折や敗北から這い上がることだけは、幸か不幸か慣れている。

博士号に見合う研究者たるべく、今回の反省点を、今後に繋げていこう。

私はきっと自分に甘いし、世界は私に甘くないから、今後もっと苦しいだろう。

それでも、頑張る。

頑張る以外の選択肢が、最初から存在しない。


3日も泣いて寝込んだ。

明日こそは早起きして、やるべき事を地道にやっていこう。

2017-12-03

社会人を辞めてフルタイム大学院生になる選択肢 -大学院入学編-

最初に著者の経歴を書くと、

学部卒業後、SIerで2年弱勤務→某大学院修士課程進学(旧帝大より1ランク下)

という流れで、現在修士1年です。ストレートで来ている人とは、2年ほどの差はあります

今回は、社会人にとっては特にイメージしにくい『大学院入試突破するにはどうしたら良いか?』

というテーマについて書こうと思います

大学院生活とか就活については、また別なタイミングで意欲が湧いたら書きます

MBA等の社会人向け大学院は当記事対応していません。ご了承ください。

1.社会人合格するための入試形態概説

一般入試という手が真っ先に上がりますが、時間がとれない社会人には相性が悪いです。

まずは社会人入試での受験検討すべきです。

しかし、社会人入試といっておきながら、通常の学部生と全く同じ受験科目の場合もあるので、

そこの確認はすべきです。

ちなみに、働き始めてから数年であれば学部時代の成績を元に推薦入試を受けるという抜け道もあるので、

募集要項を見つつ検討してみて下さい(社会人で推薦入試で入ったのは私だけでした・・・)。

推薦入試で受けると社会人で課されている小論文すらなくなる大学院もあるので、格段に入りやすくなります

という訳で、オススメ順は

推薦入試社会人入試一般入試

となります。推薦入試を受けれそうになかったら社会人入試合格を目指しましょう。 

ちなみに、どのレベル大学院を受ければ良いか?という話ですが

大学院入試の倍率で見て1倍を下回っていれば、合格基準に達していれば全入ですので

現在学力とは関係なく頑張れば入れます

目安としては中堅国立MARCH以下は全入のところが多いです。

しかし、心理学etc大学院ネームバリューによらず倍率が高いので、

倍率はちゃんと確認した方が良いです。

それらよりネームバリューで上の大学は、ペーパー試験考慮する必要があり、

相応の学力必要になります


2.入りたい研究室に必ず相談しよう

先ほど述べたように、大学院入試はかなり門戸が広いので社会人経験を持ち合わせていれば

学部入試に比べれば入試自体はかなり楽です。

ただし、より注意すべきことは、『受け入れ先の研究室に枠が存在するか?』という

問題です。受け入れ先の指導教官(=教授)にOKを貰えないと、いくらペーパーで点数がとれても、

口述試験で落とされます

試験的に大丈夫そうな専攻×自分の興味のある研究室という2つの視点で調べ、

大学に願書を提出する数カ月前に、受け入れ先の指導教官に一度会えないかアポイントをとるべきです。

何故直接会うことを薦めるかというと、受け入れ先の指導教官に直接会った時に

入試合格するためにするべきこと(ペーパー含め)も教えてもらえるからです。


以上の2つに注意すれば、入試問題なく合格できるでしょう。

ですが、入学してから思うのは、本当に研究が好きでないと大学院生にはならない方が良いです。

学歴目当てで受験すると、貴重な2年間を棒に振るのでオススメしません。

私が入学してから思っていることとしては、学部時代よりも勉強意欲の高い方が多く設備が整っているという点で、

入学して本当に良かったと思っています

2018/01/18 追記

遅くなりましたが、励ましのコメントありがとうございます。頑張ります

2017-11-17

おまえ働きすぎなんだよ

仕事がつらい

できるなら、仕事なんてせず旅に出て一生遊んで暮らしたい

割と裁量が高くて労働時間管理がいい加減なしごとをしてる

から本来残業代がつくんだけど、時間管理するシステム会社にはないので残業代はない

最近仕事が多くてね、と同僚に愚痴をこぼしたら

「俺みたいにもっとたくさん働けば楽になるよ」

「土日働けば、月曜日憂鬱じゃないよ」だって

あいつは週に100時間働いて、土日無休だ

どうかしてるぜ

そんな生き方を僕に押し付けないでほしい

修士課程時代に週7で研究室に行って、不眠になって教授に責められて精神科に駆け込んでから僕はもう無理しないと決めた

週に100時間も働いて、ケロっとしている奴の気がしれない

どうして僕はこんなに弱いのだろうと思う反面、やっぱ労働時間はちゃんと規制してよと思う

悪いが僕はキッチリ土日休ませてもらうぜ

2017-11-13

高専5年で,来年卒業して,IT企業就職するんだけど,今後の学歴をどうしようか悩んでいる.

夜間なり通信なりで,学士を取るか

はたまた,

もしかして修士課程博士前期過程)に入ろうと思えば入れてしまうのだろうか.

ちなみに,査読付き論文は持っている(日本語だけど).

なにかうまく学歴をいい感じにする方法はないだろうか…

最終学籍高専卒ってのは,大変なのかな.

2017-11-12

anond:20171111203320

自分は数十年前に短大から四年制大学に移行したところに若い期で行ったけど、

やはり四年後に最初卒業生が出ると同時に修士課程ができて、

さらに二年後に博士課程が設置されたと記憶している

文科省事務次官が把握していないとも思えないが、

もう彼はこの方向で突き進むしかないのだろう

哀れではあるが

少し話は変わるが、1期生2期生の優秀さといったらとんでもなかった

評価不明な新設大学高卒段階で飛び込んでくるパイオニア精神を持った学生

教授陣や短大の先輩の研究を回すためってこともあり、

1年時から一般講義や実習実験に加えて研究室に配属されたそうで

必然的教育密度が高くなり、学生レベルも飛躍的に向上していた

もちろん短期間で潰れる大学もあるので

自分経験したのは相当にうまくいっていた例なのかもしれないが、

親族や知人の子供などが獣医志望でメンタルの強いタイプならば

1期生を狙う価値は十分にあると薦めると思う

2017-11-11

新設大学での大学院設置時期はいつか

前川喜平・前文部科学事務次官加計学園獣医学部博士課程が設置されていないかけしからん!と怒っているので、
近年の新設された大学において大学院はいつ設置されたか調べてみた。

「認可すべきではない」前川氏が疑問呈す(毎日新聞)

博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」と加計学園教育体制に疑問を投げかけた。

新設が非常に多いので結論から言うと、非常に数が多いため一部しか調べられなかったが、
調べた限りでは大学新設と同時に大学院が設置されているところはなかった。

新設された4年後に設置されるかといったら、そうでもない大学もあるし、そもも未設置の大学も多い。
また『短期大学』が『4年生大学』に転換したところが多いため、新設大学が多いように感じる。

【参考情報新設大学等の情報:文部科学省

■21年度開設

千葉県立保健医療大学 ⇒ 未設置

新潟県立大学 ⇒ 平成27年度設置(6年後)

愛知県立大学統合学部学科の再編による新設

弘前医療福祉大学 ⇒ 未設置

日本赤十字秋田看護大学 ⇒ 平成23年度設置 ※大学院設置基準第14条特例の実施 (短大卒業者向け?)

東都医療大学 ⇒ 未設置

こども教育宝仙大学 ⇒ 未設置

東京有明医療大学 ⇒ 平成25年度設置

びわこ学院大学 ⇒ 未設置

大阪保健医大学 ⇒ 平成25年度設置

広島都市学園大学 ⇒ 平成30年度設置予定(9年後)

■22年度開設

新見公立大学 ⇒ 平成26年度設置

東北文教大学 ⇒ 未設置

日本保健医大学 ⇒ 未設置

ヤマザキ学園大学 ⇒ 平成28年度設置(6年後)

横浜美術大学 ⇒ 未設置

23年度開設

福山市立大学 ⇒ 平成27年度設置

日本映画大学 ⇒ 未設置

京都華頂大学 ⇒ 未設置

大阪物療大学 ⇒ 未設置

宝塚医療大学 ⇒ 未設置

純真学園大学 ⇒ 平成30年度設置予定(7年後)

新設時と同時に大学院設置された大学があれば教えてください。


<追記>
指摘を受けて追記。
北海道医療大学 ⇒同時に設置
 2013年 リハビリテーション科学部理学療法学科/作業療法学科)開設
 2013年 大学院リハビリテーション科学研究科リハビリテーション科学専攻修士課程開設

私立獣医学部に関しての大学院設置状況
同条件である私立大学獣医学部確認した所、基本的大学と院は同時設置されておらず、
博士課程に関しても後年に設置されている。
同時設置しなければならないと言う法律規則が無い以上、後年に大学院が設置されても問題いかと思われる

大学は届出設置制度である以上、大学設置時に大学院(修士博士)もまた設置しなければならない、
という規定が無い以上、前川氏の「博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という発言には
認可してはいけないという根拠は薄いと思われる


酪農学園大学11年後設置
 http://www.rakuno.ac.jp/outline/about/development.html
 学部 1964年(昭和39年)設置
 大学院 1975年(昭和50年)設置
 ※博士課程 1981年(昭和56年)設置

北里大学 ⇒4年後設置
 https://www.kitasato-u.ac.jp/jp/about/overview/history.html
 学部 1966年(昭和41年)設置
 大学院 1970年(昭和45年)設置
 ※博士課程 1972年(昭和47年)設置

麻布大学 ⇒7年後設置
 https://www.azabu-u.ac.jp/about/history.html
 学部 1950年(昭和25年)設置
 大学院 1957年(昭和32年)設置 (院設置のみ?)
 ※修士課程 1960年(昭和35年)設置
 ※博士課程 1962年(昭和37年)設置

日本獣医生命科学大学 ⇒歴史が古すぎるため参考。修士/博士同時設置
 http://www.nvlu.ac.jp/universityguidance/002.html/
 1881年(明治14年)設置 (日本最初私立獣医学校・獣医学校)
 大学 1949年(昭和24年) 設立  大学院 1962年(昭和37年)設置
 ※博士課程 1962年(昭和37年)設置

日本大学 ⇒設置時期不明
 院設置時期の記載が見当たらない

2017-10-30

文系修士課程の人を面接したんだけど

に対して要領を得ない返答しかなくて、今回面接した人が外れだったのか一般的にこういう面での教育が行なわれてないのか、どっちなのこれ、、、

2017-08-16

私は大学ポスドクの職に就いている30歳。

給与の額面は40万円だからそこまで悪くはないが、ボーナスや手当などは存在しないので年収は500万円いかない。

修士課程でそのまま就職した友人を見るともちろんトータルでの給与は僕より良い。好きなことを仕事にしているから、給与の面で文句を言うのはダメだろうと思ってはいるが、人並み以上に頑張ってきたことや能力への対価としてのお金は欲しい。

もちろん助教になればボーナスが貰えるから給与も上がるだろうし、手当も貰える。更に定職に就いたという安心感が生まれ研究モチベーションも上がるかもしれない。でもなかなか助教ポストが空いているわけでもないし、公募があっても出来レースであることも多い。

まぁ本当に優秀な人はすぐ助教になれるし、私に大学教員になる能力がなかったと割り切るのが一番なのかもしれない。民間企業中途採用で行こうかな。そっちは比較簡単に職を見つけられるみたいだし。

結局は夢よりもお金なんだよなぁ。

2017-08-09

40代大学非常勤講師でも後悔はない

都内私立入学して「大学教授」と呼ばれる職業の人たちと出会い、憧れ、あんな風になりたいと思った。どうすれば大学教授になれるのかと思い、職業ガイドみたいな本を読んで、博士号を獲らないとなれないと書いてあった。姉に話すと猛反対され、就職することにした。猛勉強をして新聞記者になった。給料は良かったし、いわゆる「社会的地位」も高い。どこへ行っても「記者様」扱いをされる。でも、この仕事に興味は湧かなかった。新聞記者になればどんな有名人にも会える。総理大臣にも会える。権力好きな人新聞記者は向いている。自分はそういったことに興味はなかった。偉い人に会いたいとか、有名人に会いたいとかそういう欲求が少なかったから、新聞記者仕事に夢を感じなかった。出世することにも関心はなかった。組織の中で上に行くことにどういう意味があるのか、それで心が満たされるのかと言えば、そんな風には思えない。多分、自分変人の部類に入るのかも知れない。いわゆる「お勉強」が好きだったし、多分「お勉強しか向いている分野がなかったから、社会人としてのスキルとかそういうのは身につかなかったし、身に着けたいとも思わなかった(社会人失格とか、社会不適合とか言われれば、受け入れる)。多分、大学自由雰囲気が好きで、そこに身を置きたいという欲求けが続いたんだと思う。

30代になって会社を辞めて「お勉強」する目的海外留学した。最初語学学校で、そのあと修士課程に入って、博士課程に入って気づくと40代になっていた。博士号はまだ獲ってないし、お勉強研究は別物なので、実はあんまり研究には向いていないのかも知れないけれど、博士論文テーマは一応決まったし、想像していなかったようなきっかけで研究予算をもらえたので、「研究しなければならない」という逼迫した立場になったけど、研究については今まで怠けていたとも言えるので、自分を訓練するいい機会になったと思って毎日資料を読んでる。

留学を始めたばかりのころは新聞社給料が良かったか貯金がなかなかの金額になっていて、それで賄えた。修士課程博士課程では返さなくていい奨学金がもらえた。運が良かったと思う。今は奨学金はなくなって、貯金も底をついたけど、大学非常勤で何コマ担当させてもらえるようになって、大学生と同じか、それよりもうちょっといい生活ができる。40代収入としては笑えるほど低くて、普通の人なら絶対にやらないと思う。大学大学生相手仕事をしていれば、自分生活水準が低くても気にならないか自分収入の低さはあまり気にならない。非常勤講師でも初めて講義をさせてもらえた時は感動した。自分大学生だった時に憧れた職業の最底辺の隅っこの下座も下座とはいえ、入り込めたと思うと泣けてきた。あと、口座に「給与」が払い込まれることにも泣けてはきた。「給与」を受け取るのは、新聞社を辞めて以来のことだった。最近担当するコマ数が増えた。体力的にはそれだけ厳しくなるけど、生活費は楽になる。大学生と同じ生活をするのなら、少し貯金できるかもしれないくらいにはなった。後で聴いた話によると、少子化なので今後は新規採用はしない。とのことで、それでも時々辞める人はいから、結果として今すでに隅っこに入っている自分担当が回って来たということらしかった。運が良かったと思う。もうちょっと遅く博士課程に入っていれば、非常勤講師にすらなれなかった。非常勤講師アカポスとすらも言えないくらいの立場だけど、自分はそれになれたということにやはり今書いていていても感動してくる。

40代大学非常勤講師といえば悲惨人生典型例のように言われる。無駄高学歴で、驚くほど年収は低く、いつ切られるか分からいからだ。そういうのが悲惨で耐えられないという人は、大学院には行かない方がいい。理系企業に雇ってもらえるけれど、文系博士大学教師になる以外に道は残されていない。文系博士には「著述」という道はあるけど、著述はけっこうしんどい上にあまり金にはならない。それでもいいやと思える人にしか勧められない生き方だけど、自分大学という場の雰囲気に馴染みやすいと思うから、それでもいいやと思える。教授様になれるとは思っていない。老後のことも分からない。ある人は「詰んでいる」と言うかも知れない。でもやっぱり新聞社にいるより、今の方がいい。姉の反対がなければ人生の途中で新聞社就職することはなかったと思うし、それがなければ学問世界キャリアもっと積むことができて、もしかしたら教授様も狙えたのでは...と思うこともある。でも、会社を辞めて自分の願望を目指したのは次善の策だったと思う。あと、新聞社にいた時は贅沢な生活はできた。でも、今の生活の方が自分の好きな空間にいられる分、別の意味で贅沢できていると思うし、美味しいものを食べたり、高い服を買ったりするのは若いうちにさんざんやったので、今はあんまりそういうことにも興味はない。贅沢は若いうちにやっておいた方がいい。年を取ると無駄に目や舌が肥えて来るので、無駄な贅沢をしてしまうと思う。若いうちに贅沢しておけば、飽きが来るのでちょうどいい。

今後のことだけど、取り敢えず博士号は獲っておきたい。その後のことは分からない。いずれ帰国したいとも思う。帰国してアカポスに就けるほど甘くはないと思うから、生き延びるという点では今の大学にしがみつき続けるのがベストなのかも知れないけど、もし切られたら帰国するしかないなあとも思う。帰国したらどうしようか...ということは全く分からない。先が見えないという意味ではしんどい生き方かも知れない。でもやっぱり、牛のようなのろい歩みでここまでやれたことは正直に嬉しい。

2017-07-23

https://anond.hatelabo.jp/20170722210312

浪人留年経験した人間からのヒント


教室の一番うしろのドアに一番近い所(講義中に一番抜け出しやすい所)でひとり講義受けてるやつは留年経験者またはその予備軍

何気なくそいつの側に座って、講義中に小テストとか出された際に「すいません、ここわかります?」みたいに聞いてみ

そいつと知り合いになれると情報共有できて大学生活が楽になるぞ


就職をまともにできるのかといった不安は早めに打ち消しておくに限る

いつから就活が始まって、どんなことをしなくちゃいけないのか調べて、やれることをやっとく

一流大学理系ってステータスがあるなら無意味修士課程まで進学するのもいいだろう

仮にお前が機械系か電気系だったら就活は屁だ


自分場合大学外の趣味があったから、GPAが0.8になっても「おれには趣味がある」という謎の心の余裕があった

サイクリングでも同人誌制作でもネット配信でも、好きなことをする時間毎日確保するといい

自分は今社会人会社業務しんどいけど、プライベート趣味時間を確保できているから未だに謎の心の余裕がある

2017-07-04

学業以外に力を入れたことについて、述べてください。

私が力を入れた活動自炊です。私は、大学院生として自活した生活を始めてから3年半もの間、自炊継続しています。私は、自炊を通じて、与えられた課題に対して、さまざまな制約があるなかで、相違工夫を凝らすことで課題解決をすることを学びました。

 大学院修士課程入学した私は、博士課程へ進学する意思のある学生を、修士博士課程の5年間、一貫して支援するためのプログラムに応募し、採用されました。修士課程に入った後は、自立した生活を送りたいと考えていた私は、月20万円の奨励金を利用し、親元を離れ一人暮らしを開始しました。一人暮らしの開始当初から自炊を行い、美味しく栄養バランスのとれた食事を摂ることで健康を維持し、また食費を節約して、学費などを全て自分で賄うことを目指していました。

 自炊継続するにあたり、アパートガスコンロ一口であるというリソース制限、食費の予算は月に1万5千円という金銭制限生活の大部分を研究に割かなければならないという時間的制限、という3つの制限存在しています食材調達予算・出費の管理献立の決定や実際の調理などは、当然全て自分自身で行います。したがって、美味しく、栄養バランスのとれた食事に満ちた生活を自活しながら送るために、私にできることは、リソース金銭時間、3つの制約を創意工夫で乗り越えることでした。

 まず私が着目したのは、時間的制限でした。この制限は、毎日料理をするのではなく、週末に作り置きをして、平日の間は研究室電子レンジ冷蔵庫活用することで改善されることがわかりました。また作り置きは、大量の料理を一度に作ることになるため、調理の順序を工夫することで、一口しかないのガスコンロの性能を無駄なく発揮することができます。週末作り置きによってリソース制限改善することができました。最後制限である金銭制限は、調味料の買い置き、週末のまとめ買いや、季節による野菜価格の変動を学ぶことで改善されました。

 一方で、あまりにも様々な制限意識するあまり食材費の過度な削減や、料理時間のいきすぎた短縮をしてしまうこともありました。それによって、完成された料理の味が満足のいく水準を達成できず、本来目的の1つである健康維持に支障をきたしてしまいました。食生活の乱れによって健康を損なったときに、自分が満足できる料理の味の水準や、バランスのとれた栄養を摂るために必要食材見直し、いき過ぎた制限抑制することができました。私は、継続した自炊を通じて、制約がある中でも、与えられた課題に対し、求められてる水準を明確にした上で、創意工夫をこらして課題を達成することを学びました。

2017-06-15

https://anond.hatelabo.jp/20170615212658

大学というのは一部をのぞいて

大学勉強したことによって頭が良くなる事自体目的ではなく、

4年間のモラトリアムによってバイトやらなんやら、様々な経験を、

正規の職につかずに色々できるということに意義があるんだから

高卒学力自体は大差なくても当然だろ。

学力だけ伸ばせばそれで良いみたいな人はそれこそF欄とかいかない一部の高学歴だろうし。

その一部の基準で語る意味はそこまで無いと思う。

流石に大学院修士課程修了したけど学卒と変わらないとかだと

今はまだヤヴァいかもしれんが、学部課程なんてそんなものだよ、F欄じゃなくても。

2017-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20170608221303

自分あなたと同じく、最近(?)、研究者をあきらめました。あなたとの違いは、私がもうアラサーにさしかかろうとしている点でしょうか。

学部飛び入学しました。諸事情があって修士課程は別の大学の院に進学し、アカデミックに残るには十分なぐらい強い力をもった指導教官の下で研究を満足のいくまでさせてもらいました。

修士課程の内に博士論文審査に進むべき要求条件も満足したので、同期が修士課程でまだ頑張っている中、そこそこ若くでドクターを取れるかと思っていました。

けれども、特に大きな人生イベントがあったわけではなく、研究者の道をやめてしまいました。

研究は大好きでした。周りも研究に没頭するあまり死人もでました。それでも私には世界で一番強い意志があるのだと信じて突き進みました。

しかし、研究者として生きるのをやめてしまったのです。

研究分野とは全く関係のない、外資系金融機関来年から勤務することにしました。

学部卒で就職しておけば私の年齢になることにはたくさん経験がつめたのかな、なんて思ったりもして笑えてきます

軸なんて必要でしょうか。

自分がその瞬間瞬間にときめく、何かワクワクできるもの情熱を捧げれれば、過ぎる時間もとても濃いものになると私は思っています

若いうちは人生の大きな転換期に差しかると息が詰まる思いがして、不安につぶされそうになる気持ちも分かります。私もいくつも経験してきたつもりでいます

軸がないというかブレてるというか、本人の適正が整合するところではないところで生きるって、そんなに悪いことだとは思っていないのです。笑

もっと紆余曲折して人生の横幅を広げるのもおもしろ生き方かと思っています。私はお金がないので、無駄紆余曲折すると食べるに困りますが。笑

いいじゃないですか。院に内部進学してから就活するのも。その後フリーターしたっていいじゃないですか。

そのとき、もしくは未来もっとクワクできるものが見つかればそれでいいんですよ。

適性なんて、一生気づかないままでいいじゃないですか。

2017-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20170530044702

地方国立大修士課程に在籍してバイオやってるけど、修士課程研究倫理講義あったわ

研究倫理講義がない大学があるって指摘は重要だと思うけど、すべての大学がそうだというわけでもない

研究倫理なんて習ってねーよ

当方、そこそこ規模の大きな私大工学系4年生。研究室では一応機械学習いたことをやっている。巷では某事件であれやこれやの議論が活発で、引用の仕方がまずいやら研究倫理配慮に欠けるといった話を聞く。そこで、論文著者と同じような立場学生として読んでいて思ったことがある。

引用の仕方は習ったけど、研究倫理って勉強したこともないし、勉強する機会もなかったぞ?』

この問題は次の二つから発生してるんだと考える。

1,工学系の院生意識ってそんなに高くない

研究室サークルの先輩を見ていて、「研究者」になるいう意識があるのかな? という事がしばしばある。それも仕方がない話で、現状工学系の院って「学部卒だと文系と肩を並べて就活する羽目になるのが嫌だから修士を取って開発職として拾ってもらうか」という意識で進んでいる人も少なくない。院進学が「研究者になる」という意識ではなく「単純に学歴アップのために進学する」ような感じだ。今回、社系の研究者Twitterブログなどで引用の仕方の問題点などを取り上げているが、そもそも社系の院って「研究者」になる気がない限り行かないところであって、その辺で「院進学」に対する意識の違いがあるんだろうなあとは思った。もちろん自分たちがやっていることが「研究であることはよくわかっているのだが、「研究者である意識はないのではないかな、と感じる。

2,研究倫理に関して大学講義で取り上げていない

そもそも大学高校中学じゃないので「必要ことなら『教えてもらってない』は通用しない」というのはよく分かる。しかしながら、理系院生の現状意識は前述の通りなので、それではすこし無理があるだろう。それより研究テーマに対しての学習で皆あっぷあっぷだ。「研究倫理」について取り上げる教育の場って学生実験の場が適当なんだろうが、理工系学生実験課題が与えられて延々実験して解くようなものが多いので、そもそも研究倫理とか以前に研究室に放り込まれるまで「実験設計」というものをしたことがない学生が大半だ。文社系だと学部レベルでもフィールドワーク研究設計などを自分でやるから、おのずと調査対象に対する配慮などを通して「研究倫理」を学ぶことが多いのではないかと思う。ちなみに、技術士資格の絡みで「技術者倫理」という授業は開講されているのだが、聞きに行ったところ技術者として作ったものにどう責任を持つかという話で、研究の話ではなかったように記憶している。もっとかのぼると高校時代にちろっと触れたような気もするが、それは「遺伝子組み換え技術に関する生命研究倫理」であって、今回「データを持ってくるだけでも研究倫理が問われることもあるのか」と初めて気づいた次第だ。「研究室に入ってから指導教員に教えてもらえれば」という話もあるが、正直指導教員間にも学生指導の熱意や認識の差を感じざる終えないで、不安が残る。(今回の一件も、指導教員が発表前に気づけばこんなことになってなかったんだろうし)中高大と「正しい引用の仕方や図番の振り方、『コンピューター』と『コンピュータ』が混在しているようなレポートを書いてはいけない」「実験中に火事を起こしたり使った液体を外にばらまくな」とは習ったが、「研究によそのデータを用いて、それを処理するとき留意点」などは習っていないし、この問題が明らかになるまで自分も考えたことがないことであった。(これは自分の推測だが、論文著者も「データとして使ったなら引用元として示さなければ『ならない』」という意識があったのでないだろうか)

乱文ながらしがない私大の一大学生として思うところを書いた。ある種工学系って就職予備校だよなと。(この話題は本題からそれるが)そこの学生自発的研究倫理を学ばすのって無理があるような気がする。もっとも、倫理感なんて言うものは学ぶものではなく養うもので、「習ってねーよ」というものでもないかもしれない。しかし、学部修士課程社会に出ようと思っている人間にとって、「自分名前ネットで悪評立っている」というはどう考えても就活に響くし、そういうリスクがあるのであれば学会発表もおちおち出来ない。そういうところでは工学系の研究者のみならず、これまで個々人の思想プライバシーも含みうるデータをを取り扱って研究していた社系の研究者の知見を生かして、今回の件であれば人工知能学会の方でも指針を示してもらえると我々学生安心して発表で出来るのではないだろうか。

2017-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20170528113521

良くまとまっていると思います

修士課程なんて君も雑な論文書いてただろみたいなのも入れておくと良い気がしますが、気のせいかもしれません。

追記どうも有り難うございます

めっちゃわかりやすい!

2017-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20170517135942

普段ROM専からトラックバックこれでできてるか自信ないし、少し前の投稿から投稿者の目にとまるかもわからないけど。

同じく宮廷(笑)修士卒見込みとして就活してる身として、とても気にかかったので…。

博士じゃなくて修士という前提で書きます博士課程の方だったらごめんなさい。

修士課程論文努力賞って言われることもあるくらいだし、もう少し自分への研究面での負荷を減らせるといいなと思います

もちろん研究して当然って空気はよくわかります研究>>就活って思考教授がいることも知っています

でも、明らかに投稿者さんはキャパオーバーの段階だと思う。教授事情を話して、研究のペースを落とさせてもらえないか交渉できないのかな。

同じように自分を追い詰めて潰れてしまった人を知っているからとても気にかかります

潰れる前に負荷を減らせたらいいな…。

2017-05-20

修士課程出てから就職すれば良かった

うちのクソ私大なら修士課程にすすむのぬるゲーだし修士論文だって簡単(俺より遥かに成績悪かった奴が全然勉強せずにきっちり修士課程とった)

3年目までで昇給したのたった1万だ

2年修士課程出るだけで初任給3万以上違う

いやー失敗した

2017-03-07

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170306215714

klaftwerk 文系学士卒だと博士課程前期課程修士課程意味するなんて知らないのが大半だと思う。

cloq 誰もが博士前期課程=修士課程博士後期課程=博士課程って知ってるわけじゃないから。理系でも学部生くらいまでなら知らなくても全然不思議じゃないと思う

まじか。

高2のとき志望校選定の段階で、赤本情報とか大学案内とか見てたからそこで

大学院進学率だとか見て、博士前期課程修了者の就職先とかあったからその関係普通に知ってたけどなあ。文系だけど。

まあ今と昔じゃ色々とその辺の事情も違うのかもしれん。

ぶっちゃけ就職先なんぞ気にして大学入試しないような時代が大半だったんだろうし。

http://anond.hatelabo.jp/20170306215714

http://anond.hatelabo.jp/20170307082801

修士課程と呼ぶところもある。

博士課程」という5年間の過程の内、「前期」二年を修了すると修士が得られるという仕組みになってるところもある。

一方で一貫制博士課程だとか、4年制博士課程だとか、専門職大学院かいろいろとややこしそうなのもある。専門職学位修士と同等とみなされる場合もある。

あいろいろと「そういう場合もある」の連発なので、とにかく多様なものだ、という認識がされればいいか個人的には感じた。

まあゴチャゴチャ書いたけど、なにがいいたいかって、

その上で、自分ときとは違うような仕組みで学習したり、学位を得たりした人を見たとしても、それだけを持って叩いたりしないでくれるとありがたい。

2017-02-27

総理夫妻と学歴

安倍昭恵さんという方は、森永創業者一族の方であるにもかかわらず、

専門学校である。(ずっとのちに社会人入学大学院修士課程を修了して修士号を受けているが)

出身である聖心女子学院高等学校から聖心女子大学はもちろん、

慶応義塾大学医大医学部へも進学者がいる学校である

当時と今とでは事情が異なる部分もあるかもしれないが、

あの家柄で、かつ大学が併設されている名門中学高校に通いながら、

大学ではなく系列専門学校へ進んだ、というのは、

率直にいって、それほど出来がよろしくなかったことは想像に難くない。

一方の安倍晋三さんであるが、こちらはさすがに大学は出ているが、

成蹊大学である成蹊大学といえば偏差値的に低いとは言えないものの、

父も祖父東京大卒であることを考えると、「残念な子」と思われていたのではないかと。

森友学園問題において、

知育以外の部分、戦前臣民教育的なものに力を入れていることに対して、

この夫婦共感を抱いたことには、

なんとなくだけど、このあたりの、学問に対するコンプレックスのようなもの

作用しているのではないかと思うのは

飛躍しすぎた考え方だろうか。

大学教員からみた昨今の採用活動事情

経団連が発行する「採用選考に関する指針」では、以下のような文言がある。

http://www.keidanren.or.jp/policy/2016/081_shishin.pdf

採用選考活動開始時期

学生が本分である学業に専念する十分な時間を確保するため、採用選考活動については、以下で示す開始時期より早期に行うことは厳に慎む。

ところが3月前の時期であっても「インターン」や「OB懇談会」なる名のもとに事実上採用選考実施しているのが実態である。結局早く洗脳した者勝ちなので、年末から動いているところすらある。たちが悪いのは共同研究のための訪問を装って、その実は研究にはまったく興味はなく、学生へのコンタクトが目当てであるような企業恋愛でもこんな見え透いたアプローチ成功しませんよ。世の中には経団連会員ではない企業もあるし、指針には何の法的根拠もないので、「採用選考に関する指針」は事実上形骸化している。そんな中、真面目に指針を守っている企業は偉いのだけど、学生確保という意味では確実に出遅れている様子。完全に正直者が馬鹿をみる世界である

そしてこの日記問題にしたいのは企業人事部社員や、人事部配下リクルーターを任されている若手から中堅の社員はおそらく以下のことをまったく考えたこともないであろうということ。

専門性を追求するために大学院に進学した学生が一番力を発揮できる時期に「就職活動」に無駄忙殺され、研究活動がまったく進まなくなる。そしてそのことに頭を悩ましている大学教員は少なくないのである。今の時期教員仲間と会話すると、この話題がため息混じりに出てくる。

就職氷河期は過ぎ去り、就職率は大幅に改善したというのに学生企業採用情報学生間の情報に踊らされ、必要以上に就職活動に没頭し、長いと半年近くも研究学業から切手をひいてしまう。かくして本来であれば大学院在学中に成果が出たであろう研究は停滞し、結局修士課程を修了するまでに大きな成果を得ることはない。ましてや博士進学などをじっくり検討する時間的猶予すらない。せっかく時間をかけて研究のシードを育ててもこれではまったくの徒労に終わってしまう。そして学生からしてみれば大きな成果に向けて十分に時間をかけて日々積み重ね、最後までやりぬくという一連の経験を得る機会を喪失する。もう少し大きい視点で言えば国の研究開発力を測る尺度の一つである論文数も減ってしまう。

そんな悩みを抱える大学教員に対して「OB懇談会」と称して部屋の予約や学生の確保などをお願いしてくるあどけないリクルーター達がいる。学生から貴重な研究学業活動時間をとりあげた上、さら教員採用活動片棒をかつげというのである。お願いする方はちょっとしたお願いしているつもりだろうけど、依頼を受ける側は複数企業からお願いされるので、その対応に追われる。そして本来研究を進めてほしい学生に向かって就職活動のために時間を割いてほしいと頭を下げるという何とも欺瞞に満ちた行動を迫られるのである。そんな昨今の採用活動事情に対して苦々しく思っている教員は少なくないことを知っておいても良いと思う。言われるがままに業務遂行しているリクルーターではなく、裏にいる人事部に届いてほしいもの。

悪いのは一体だれか?企業人事部けが悪いということは決してない。根本的な問題は、企業高等教育機関である大学に期待していないこと、そして学生大学に期待していないことにある。結果として大学社会の期待に応えていない。このあたりは下記の考察が良くまとまっているのだけど、一言で言えばシステム問題がある。

http://toyokeizai.net/category/japan-university

海外大学日本大学システム比較すると恐ろしく事情が異なっているので、愕然としてしまう。例えば下記の書籍を参照するとそれが良くわかる。世界最高の大学教育システム確立したアメリカ問題がないわけではないのだけど、日本大学システム問題は更に根深い。

アメリカ大学の裏側 「世界高水準」は危機にあるのか? (朝日新書)

これでは技術競争で負けるのも必然。負の連鎖が断ち切れない限り、国際的通用する充実した研究教育は成し得ないし、研究開発力や発信力に関して海外との差はますます開くばかりだろう。昨今の採用活動を見るにつけ、この負の連鎖根深さを感じずにはいられない。

2017-02-26

大学院中退しようと思う

一昨年,大学院入試に失敗して,妥協して別の大学院入学した.

それでも憧れの研究者になるために博士課程に行こうと思って,勉強研究もそこそこにやったつもりだった.

先日,飲み会にて指導教員と話した際に以下のような指摘を頂いた.

増田くん,君から熱意を感じられないよ」

「本当に博士課程に行こうと思っているの?」

「考え直してみたら」

「君のやりたいことは博士じゃなくてもできるよ」

衝撃的でもあった半面,確かにそうかもしれないと感じる一面もあった.

今考えると,周りから研究者に向いてるよとか,前の大学先生から研究者やらないか,なんてことを言われて流されてここまできたように感じる.

僕は何がやりたいんだろう.

そう考えると一気に大学院に関するモチベーションを失った.

博士課程を取らないならば修士課程はいらない.

あくま博士課程を取るための途中課程にしか感じらないからだ.

それならもう大学院をやめてしまおうと思った.

こんな自分が情けなくて,将来に対する希望道筋も全く見えなくて,全てがめんどくさくて,死にたいけれどそんな勇気もない.

2017-02-02

死なないためにクソ野郎になった

学部卒業から修士課程中退のおおよそ2年間、その大部分を私は怠惰に過ごした。

まともな研究もせずに卒業論文突入し、指導教員にひたすらダメ出しをされてほとんどお情けみたいな形で卒業はした。進学後、これからはちゃんとしなくてはと思ったのとは真逆に、授業や研究に出ることは減っていった。

家の中(一人暮らし)ではただただ焦燥感が募っていった。授業に出なくては。研究しなくては。なにかしなくては。しかし数日間着替えてないし風呂にも入ってない。しなければいけないことばかり積み重なって後回しにして、ずるずると時間けが過ぎていった。自己嫌悪自己肯定が頭の中をぐるぐる回っていた。同級生生存確認してくるようになったので、コンビニ図書館時間を潰すこともした。家族や親しい人には、事態が決定的になるまで話さなかった。

中退後は今の会社に拾ってもらって、故郷大学からも離れた街で社会人ヅラして生きている。多分、根本的な問題は直ってないし、死ぬまで解決しない。ただ、絶望して死んだり生活できなくならないために、反省しないようになった。悩みすぎて苦しむこともなければ劇的に改善されることもない。安全装置の如く、ある程度まで感情が進んだらそれ以上深くならないイメージ

から出られなくなることがなくなった分、しわ寄せは周りに行く。責任感だけはあると思っていた自分が、責任他人に押しつけていることに気付く。家族からビョーキ呼ばわりだの親不孝者扱いされ、彼女からは本気で死んで欲しいと懇願される。それでもケロッとしているのは、やはりどこかおかしくなったのか。思い悩んでも寝て起きたら出勤して適度に仕事する。そんな日々。

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