はてなキーワード: 修士課程とは
僕はある恋をした。去年の1月の末頃の話だ。
相手はマッチングアプリで知り合ったカザフスタンから来た女性だった。
初めて会った時はラーメン屋に連れて行った。来日したての彼女は自分で勉強したという拙い日本語を使って、自分のことや、カザフスタンのことを頑張って話していた。
ただ純粋に1人の女性として魅力的だった。彼女は日本の大学の大学院に進学することを目的に来日して、日本語学校に通っていた。カザフスタンの日本企業で働いていた彼女は、日本での進学に向けて頑張っていた。そんな彼女に、僕は恋をした。
彼女の友達と3人で東京ドームシティで遊んだ。寮を出て先の友達と住む家を探す、という時には通訳、というと聞こえはいいけどどちらかというと家に関する説明を日本語でする、ということもした。
彼女のことが毎日頭に浮かんでいた。2歳年上の彼女に大人に見られたくて、彼女が好きなタバコをもらってふかしてはむせたりもした。
最後に会ったのは、だいぶ前になる。スカイツリーかすみだ水族館に行こう、と話していたが、まだバイトをそんなにしてない彼女にはどっちも値段が高くて、ソフトクリームを食べることになった。その後彼女は具合が悪くなって、すぐに帰ってしまった。
それ以来、彼女からは連絡がなかった。僕はてっきり、何か失礼なことをして、嫌われてしまったのだと思っていた。何度かメッセージを送ったけど、一向に既読がつかないから、それこそブロックされてしまったのだと思っていた。
それからの僕は、普通に暮らしていた。勉強、バイト、趣味。全部、それなりにやって。9月には彼女もできた。今も付き合っている。彼女と恋に落ちた、それだけだった。もちろん、付き合う前、恋に落ちる前に、一瞬カザフスタンから来た女性、好きだった人のことが頭によぎった。でも、嫌われてしまったのだとしたら、どうしようもない。そう思って諦めた。
それからは、あまりその人のことを考えることはなかった。第一、彼女がいるわけだし、考えるタイミングもなかった。
そうして、半年弱が過ぎた今日、突然その人から連絡が来た。その人は、昔と変わらない感じで、連絡をしてきた。僕はびっくりして、てっきり何か家に関して問題が起こってしまったのかと思った。でも、違った。
その人は、僕と連絡が途切れた頃、東京ドームシティで遊んだ友達と仲が悪くなってしまい、引っ越しをしたことや、それこそ大学院について色々調べることで忙しかったのだという。
僕は、ああ、嫌われた訳じゃなかったんだな、と思った。とりあえず、久々に近況報告を兼ねて通話をすることにした。
そこでその人は、1年間の日本語学校で学ぶ留学ビザが切れるので、カザフスタンに帰るのだと語ってくれた。そこでお世話になった人、日本で会った人に連絡を取っているのだという。
大学院の試験は落ちてしまったらしい。でも、その大学院の教授と話すことができ、「日本での就職にはその分野の修士課程を修了したことがあまり役に立たないこと」「もし研究職に就きたいのなら、入るのも一つの道だということ」を教わったらしい。
そして、彼女は帰ることを決めた。僕が日本で就職するのはどうかと訊ねると、試験が終わってからではもう遅く、前に就職活動した時には日本語能力試験のグレードN2をまだ取っていなかったので、就職もできなかったのだと教えてくれた。
僕は、どうしようもない寂しさを感じた。好きだった、というだけであり、今恋心を抱いているわけではないのに、ただ、寂しかった。
彼女はこうとも言った。せっかく日本語を1年頑張って勉強したけど、帰ってしまったら忘れてしまうだろう。少し、もったいなく思う、と。
何故だか、落ち込んでいる自分がいる。ただただ、寂しさを感じている自分がいる。これが何の寂しさなのかはわからないが、とても孤独感に苛まれている。
実を言うと、僕はその人に好きだと言ったことがある。しかし、彼女は日本に来る時に、カザフスタンでの彼氏と別れたばかりで付き合う気にはなれない、と言って断られた。
きっと彼女は、特に覚えてないだろう。ただ、それでも、僕はしっかりと覚えていた。
彼女が彼女なりに考えた結果が、カザフスタンに帰るということなのだろう。僕は彼女の何でもないし、止める権利もないだろう。
でも、何故だろうか。いざそう告げられると、まるで自分が1人になってしまうような感覚になってしまう。
これが恋でないことは確信できる。何故なら、前とは全く違った気持ちでその人のことを考えているからだ。それでも、不思議なもので、やはり寂しさを感じてしまう。それこそ、もったいないなぁと思う気持ちや、残念だなぁといった気持ちが大きいが、それでない「寂しい」という気持ちが湧いて出て来るのである。
僕は、彼女が帰る前に一度会ってみようと思う。どうなるかはわからないけど、それが僕の、僕がどうするか、ということの道標になる気がするからだ。
周囲の誰にも話せないので、誰も見ていないかもしれないが、ここにツラツラと書く。
出来の悪い駆け出し研究者の戯言だが、誰かが聞いていてくれたら嬉しい。
身バレは怖いので、専門分野は伏せさせていただく。
正確には、まだ微修正や製本作業があるので、学位授与は2ヶ月ほど先だが。
ブラック気味の所属研究室からも抜け出せるし、次のポストも任期付きだが決まっている。
結婚、の予定は無いし恋人も居ないが、ずっと放置していたプライベートも少しは充実できるだろう。
しかし、実際に終わってみて、期待したような達成感や開放感は全く無い。
それどころか、非常に後味の悪い悔しさばかりに捕われている。
あまりに虚しく、情けなくて、もう3日ほど布団から起き上がれない。
私の博士論文は、とても酷い代物だった。
「3年(あるいは5年)間の研究の集大成」ではなく、「研究者としての第一歩」にもならず、
非常にせこく、下品で、信念が無かった。
こうなったのは当然で、自業自得だ。一貫した研究をやって来なかったのだから。
博士課程の研究とは、(人によっては修士課程からかもしれないが)
「1つの大きな研究プロジェクトを立て、試行錯誤しながら遂行する」
博士課程において(おそらく)一番重要な、「1つの大きな研究プロジェクトの構築」が出来ていなかった。
長期的なゴール設定も無いまま、目の前の課題に盲目的に取り組み、とりあえず日々忙しいからと慢心していた。
なまじ、目の前の課題は山ほどあったので、散発的にでも小さな成果が出れば、研究したつもりになれた。
本当は「個々の課題が、より大きな研究計画の中で、どう位置づけられるか」こそが重要だったのに。
私は問題の本質から目を逸らし続け、そのまま博士3年の後期まで至ってしまった。
10月後半、いよいよ問題から目を逸らせなくなった時、私の目の前にあったのは
「複数の、脈絡ない研究課題の、小さな成果の寄せ集め」だけだった。
個別の成果だけでは小さすぎて博論にならないし、全体を包括するストーリーは存在しない。
分かりやすい業績(論文等)が出ている話を掻き集めて、後付けでゴールを作った。
つぎはぎだらけの代物に、博士論文とタイトルをつけて提出したのだ。
元々興味があった話題は、切り捨てた。十分な成果が出ていなかったから。
私のこれを博士論文と認めて良いのか、自信が無い。
なんて、取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。
恥ずかしくて、情けなくて、泣きたいのに涙も出ない。
それでも、博論の提出条件(論文数など)に適っていたから、私は合格を頂いた。
私のこの学位は、半分以上「お情け」で与えられたものだと思う。
これを誇れるだろうか。
博士号とは何だろうか?
「自分が一人前の研究者であり、1つの研究プロジェクトを完遂させられる人物である」
お情けで頂いて良いはずがない。
恥ずかしい。悔しい。
それでも、頂いた博士号を返却する気はない。(もっとも、取り消し以外でそんな制度は無いが)
見切り発車で学位を頂いてしまったのなら、これから「博士号」に見合う人物になるしかない。
しかし、なれるだろうか?
私なんかが、3年かけて1つの研究プロジェクトも成し遂げられなかった人間が、この先一人前の研究者になれるだろうか。
いっそ、怠けていたら幸せだったと思う。
少なくとも、怠けた故の失敗なら言い訳ができた。本気を出せば良かったのだ、と。
私は、方向性の正誤はともかく、言い訳の余地が無いくらいには必死に頑張ってきた。
その結果がつまらないものだったのだ。一体どう受け止めれば良い?
努力したからえらい、結果よりプロセスが大事だ、なんて言えるだろうか?
私は言えない。
私は非常に、信用できない奴だ。
でも私には、こんなに信用できない自分くらいしか味方が居ない。
今後も、この胡散臭い研究者もどきを信じて、地道に努力を重ねるしか無い。
そうして度々、期待を裏切られては失望して、潰れて、また立ち上がるしか無い。
他に、私に選べる選択肢など無いんだと思う。
自分に失望した分、他者を失望させてしまった分、この先結果を出していくしかない。
一人前の研究者に、なれるか自信はないが、なろうと努力するしかない。
結果はすぐには出ないから、きっとまた暫くは、挫折感や敗北感とのにらめっこだ。
失った期待や信頼は、一朝一夕には取り戻せないし、そう簡単に一発逆転は起きない。
また1つ、恥を上塗りしてしまった。
しかし、挫折や敗北から這い上がることだけは、幸か不幸か慣れている。
博士号に見合う研究者たるべく、今回の反省点を、今後に繋げていこう。
私はきっと自分に甘いし、世界は私に甘くないから、今後もっと苦しいだろう。
それでも、頑張る。
3日も泣いて寝込んだ。
最初に著者の経歴を書くと、
学部卒業後、SIerで2年弱勤務→某大学院修士課程進学(旧帝大より1ランク下)
という流れで、現在修士1年です。ストレートで来ている人とは、2年ほどの差はあります。
今回は、社会人にとっては特にイメージしにくい『大学院入試に突破するにはどうしたら良いか?』
大学院生活とか就活については、また別なタイミングで意欲が湧いたら書きます。
※MBA等の社会人向け大学院は当記事は対応していません。ご了承ください。
一般入試という手が真っ先に上がりますが、時間がとれない社会人には相性が悪いです。
しかし、社会人入試といっておきながら、通常の学部生と全く同じ受験科目の場合もあるので、
そこの確認はすべきです。
ちなみに、働き始めてから数年であれば学部時代の成績を元に推薦入試を受けるという抜け道もあるので、
募集要項を見つつ検討してみて下さい(社会人で推薦入試で入ったのは私だけでした・・・)。
推薦入試で受けると社会人で課されている小論文すらなくなる大学院もあるので、格段に入りやすくなります。
という訳で、オススメ順は
となります。推薦入試を受けれそうになかったら社会人入試で合格を目指しましょう。
ちなみに、どのレベルの大学院を受ければ良いか?という話ですが
大学院入試の倍率で見て1倍を下回っていれば、合格基準に達していれば全入ですので
目安としては中堅国立・MARCH以下は全入のところが多いです。
しかし、心理学系etcの大学院はネームバリューによらず倍率が高いので、
倍率はちゃんと確認した方が良いです。
それらよりネームバリューで上の大学は、ペーパー試験を考慮する必要があり、
先ほど述べたように、大学院入試はかなり門戸が広いので社会人経験を持ち合わせていれば
ただし、より注意すべきことは、『受け入れ先の研究室に枠が存在するか?』という
問題です。受け入れ先の指導教官(=教授)にOKを貰えないと、いくらペーパーで点数がとれても、
試験的に大丈夫そうな専攻×自分の興味のある研究室という2つの視点で調べ、
大学に願書を提出する数カ月前に、受け入れ先の指導教官に一度会えないかアポイントをとるべきです。
何故直接会うことを薦めるかというと、受け入れ先の指導教官に直接会った時に
入試に合格するためにするべきこと(ペーパー含め)も教えてもらえるからです。
ですが、入学してから思うのは、本当に研究が好きでないと大学院生にはならない方が良いです。
学歴目当てで受験すると、貴重な2年間を棒に振るのでオススメしません。
私が入学してから思っていることとしては、学部時代よりも勉強意欲の高い方が多く設備が整っているという点で、
2018/01/18 追記
遅くなりましたが、励ましのコメントありがとうございます。頑張ります。
前川喜平・前文部科学事務次官が加計学園の獣医学部に博士課程が設置されていないからけしからん!と怒っているので、
近年の新設された大学において大学院はいつ設置されたか調べてみた。
新設が非常に多いので結論から言うと、非常に数が多いため一部しか調べられなかったが、
調べた限りでは大学新設と同時に大学院が設置されているところはなかった。
新設された4年後に設置されるかといったら、そうでもない大学もあるし、そもも未設置の大学も多い。
また『短期大学』が『4年生大学』に転換したところが多いため、新設大学が多いように感じる。
【参考情報】 新設大学等の情報:文部科学省
■21年度開設
千葉県立保健医療大学 ⇒ 未設置
弘前医療福祉大学 ⇒ 未設置
日本赤十字秋田看護大学 ⇒ 平成23年度設置 ※大学院設置基準第14条特例の実施 (短大卒業者向け?)
東都医療大学 ⇒ 未設置
こども教育宝仙大学 ⇒ 未設置
びわこ学院大学 ⇒ 未設置
■22年度開設
東北文教大学 ⇒ 未設置
横浜美術大学 ⇒ 未設置
■23年度開設
日本映画大学 ⇒ 未設置
京都華頂大学 ⇒ 未設置
宝塚医療大学 ⇒ 未設置
<追記>
指摘を受けて追記。
・北海道医療大学 ⇒同時に設置
2013年 リハビリテーション科学部(理学療法学科/作業療法学科)開設
2013年 大学院リハビリテーション科学研究科リハビリテーション科学専攻修士課程開設
■私立獣医学部に関しての大学院設置状況
同条件である私立大学の獣医学部で確認した所、基本的に大学と院は同時設置されておらず、
博士課程に関しても後年に設置されている。
同時設置しなければならないと言う法律や規則が無い以上、後年に大学院が設置されても問題ないかと思われる
大学は届出設置制度である以上、大学設置時に大学院(修士、博士)もまた設置しなければならない、
という規定が無い以上、前川氏の「博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という発言には
認可してはいけないという根拠は薄いと思われる
・酪農学園大学 ⇒11年後設置
http://www.rakuno.ac.jp/outline/about/development.html
学部 1964年(昭和39年)設置
大学院 1975年(昭和50年)設置
※博士課程 1981年(昭和56年)設置
・北里大学 ⇒4年後設置
https://www.kitasato-u.ac.jp/jp/about/overview/history.html
学部 1966年(昭和41年)設置
大学院 1970年(昭和45年)設置
※博士課程 1972年(昭和47年)設置
・麻布大学 ⇒7年後設置
https://www.azabu-u.ac.jp/about/history.html
学部 1950年(昭和25年)設置
大学院 1957年(昭和32年)設置 (院設置のみ?)
※修士課程 1960年(昭和35年)設置
※博士課程 1962年(昭和37年)設置
・日本獣医生命科学大学 ⇒歴史が古すぎるため参考。修士/博士同時設置
http://www.nvlu.ac.jp/universityguidance/002.html/
1881年(明治14年)設置 (日本最初の私立獣医学校・獣医学校)
大学 1949年(昭和24年) 設立 大学院 1962年(昭和37年)設置
※博士課程 1962年(昭和37年)設置
・日本大学 ⇒設置時期不明
院設置時期の記載が見当たらない
給与の額面は40万円だからそこまで悪くはないが、ボーナスや手当などは存在しないので年収は500万円いかない。
修士課程でそのまま就職した友人を見るともちろんトータルでの給与は僕より良い。好きなことを仕事にしているから、給与の面で文句を言うのはダメだろうと思ってはいるが、人並み以上に頑張ってきたことや能力への対価としてのお金は欲しい。
もちろん助教になればボーナスが貰えるから給与も上がるだろうし、手当も貰える。更に定職に就いたという安心感が生まれて研究のモチベーションも上がるかもしれない。でもなかなか助教のポストが空いているわけでもないし、公募があっても出来レースであることも多い。
まぁ本当に優秀な人はすぐ助教になれるし、私に大学教員になる能力がなかったと割り切るのが一番なのかもしれない。民間企業に中途採用で行こうかな。そっちは比較的簡単に職を見つけられるみたいだし。
結局は夢よりもお金なんだよなぁ。
都内私立に入学して「大学教授」と呼ばれる職業の人たちと出会い、憧れ、あんな風になりたいと思った。どうすれば大学教授になれるのかと思い、職業ガイドみたいな本を読んで、博士号を獲らないとなれないと書いてあった。姉に話すと猛反対され、就職することにした。猛勉強をして新聞記者になった。給料は良かったし、いわゆる「社会的地位」も高い。どこへ行っても「記者様」扱いをされる。でも、この仕事に興味は湧かなかった。新聞記者になればどんな有名人にも会える。総理大臣にも会える。権力が好きな人に新聞記者は向いている。自分はそういったことに興味はなかった。偉い人に会いたいとか、有名人に会いたいとかそういう欲求が少なかったから、新聞記者の仕事に夢を感じなかった。出世することにも関心はなかった。組織の中で上に行くことにどういう意味があるのか、それで心が満たされるのかと言えば、そんな風には思えない。多分、自分は変人の部類に入るのかも知れない。いわゆる「お勉強」が好きだったし、多分「お勉強」しか向いている分野がなかったから、社会人としてのスキルとかそういうのは身につかなかったし、身に着けたいとも思わなかった(社会人失格とか、社会不適合とか言われれば、受け入れる)。多分、大学の自由な雰囲気が好きで、そこに身を置きたいという欲求だけが続いたんだと思う。
30代になって会社を辞めて「お勉強」する目的で海外に留学した。最初は語学学校で、そのあと修士課程に入って、博士課程に入って気づくと40代になっていた。博士号はまだ獲ってないし、お勉強と研究は別物なので、実はあんまり研究には向いていないのかも知れないけれど、博士論文のテーマは一応決まったし、想像していなかったようなきっかけで研究予算をもらえたので、「研究しなければならない」という逼迫した立場になったけど、研究については今まで怠けていたとも言えるので、自分を訓練するいい機会になったと思って毎日資料を読んでる。
留学を始めたばかりのころは新聞社の給料が良かったから貯金がなかなかの金額になっていて、それで賄えた。修士課程、博士課程では返さなくていい奨学金がもらえた。運が良かったと思う。今は奨学金はなくなって、貯金も底をついたけど、大学で非常勤で何コマか担当させてもらえるようになって、大学生と同じか、それよりもうちょっといい生活ができる。40代の収入としては笑えるほど低くて、普通の人なら絶対にやらないと思う。大学で大学生相手に仕事をしていれば、自分の生活水準が低くても気にならないから自分は収入の低さはあまり気にならない。非常勤の講師でも初めて講義をさせてもらえた時は感動した。自分が大学生だった時に憧れた職業の最底辺の隅っこの下座も下座とはいえ、入り込めたと思うと泣けてきた。あと、口座に「給与」が払い込まれることにも泣けてはきた。「給与」を受け取るのは、新聞社を辞めて以来のことだった。最近、担当するコマ数が増えた。体力的にはそれだけ厳しくなるけど、生活費は楽になる。大学生と同じ生活をするのなら、少し貯金できるかもしれないくらいにはなった。後で聴いた話によると、少子化なので今後は新規の採用はしない。とのことで、それでも時々辞める人はいるから、結果として今すでに隅っこに入っている自分に担当が回って来たということらしかった。運が良かったと思う。もうちょっと遅く博士課程に入っていれば、非常勤の講師にすらなれなかった。非常勤の講師はアカポスとすらも言えないくらいの立場だけど、自分はそれになれたということにやはり今書いていていても感動してくる。
40代の大学の非常勤講師といえば悲惨な人生の典型例のように言われる。無駄に高学歴で、驚くほど年収は低く、いつ切られるか分からないからだ。そういうのが悲惨で耐えられないという人は、大学院には行かない方がいい。理系は企業に雇ってもらえるけれど、文系博士は大学の教師になる以外に道は残されていない。文系の博士には「著述」という道はあるけど、著述はけっこうしんどい上にあまり金にはならない。それでもいいやと思える人にしか勧められない生き方だけど、自分は大学という場の雰囲気に馴染みやすいと思うから、それでもいいやと思える。教授様になれるとは思っていない。老後のことも分からない。ある人は「詰んでいる」と言うかも知れない。でもやっぱり新聞社にいるより、今の方がいい。姉の反対がなければ人生の途中で新聞社に就職することはなかったと思うし、それがなければ学問の世界のキャリアをもっと積むことができて、もしかしたら教授様も狙えたのでは...と思うこともある。でも、会社を辞めて自分の願望を目指したのは次善の策だったと思う。あと、新聞社にいた時は贅沢な生活はできた。でも、今の生活の方が自分の好きな空間にいられる分、別の意味で贅沢できていると思うし、美味しいものを食べたり、高い服を買ったりするのは若いうちにさんざんやったので、今はあんまりそういうことにも興味はない。贅沢は若いうちにやっておいた方がいい。年を取ると無駄に目や舌が肥えて来るので、無駄な贅沢をしてしまうと思う。若いうちに贅沢しておけば、飽きが来るのでちょうどいい。
今後のことだけど、取り敢えず博士号は獲っておきたい。その後のことは分からない。いずれ帰国したいとも思う。帰国してアカポスに就けるほど甘くはないと思うから、生き延びるという点では今の大学にしがみつき続けるのがベストなのかも知れないけど、もし切られたら帰国するしかないなあとも思う。帰国したらどうしようか...ということは全く分からない。先が見えないという意味ではしんどい生き方かも知れない。でもやっぱり、牛のようなのろい歩みでここまでやれたことは正直に嬉しい。
教室の一番うしろのドアに一番近い所(講義中に一番抜け出しやすい所)でひとり講義受けてるやつは留年経験者またはその予備軍
何気なくそいつの側に座って、講義中に小テストとか出された際に「すいません、ここわかります?」みたいに聞いてみ
そいつと知り合いになれると情報共有できて大学生活が楽になるぞ
就職をまともにできるのかといった不安は早めに打ち消しておくに限る
いつから就活が始まって、どんなことをしなくちゃいけないのか調べて、やれることをやっとく
一流大学の理系ってステータスがあるなら無意味に修士課程まで進学するのもいいだろう
自分の場合は大学外の趣味があったから、GPAが0.8になっても「おれには趣味がある」という謎の心の余裕があった
私が力を入れた活動は自炊です。私は、大学院生として自活した生活を始めてから3年半もの間、自炊を継続しています。私は、自炊を通じて、与えられた課題に対して、さまざまな制約があるなかで、相違工夫を凝らすことで課題解決をすることを学びました。
大学院の修士課程に入学した私は、博士課程へ進学する意思のある学生を、修士・博士課程の5年間、一貫して支援するためのプログラムに応募し、採用されました。修士課程に入った後は、自立した生活を送りたいと考えていた私は、月20万円の奨励金を利用し、親元を離れ一人暮らしを開始しました。一人暮らしの開始当初から、自炊を行い、美味しく栄養バランスのとれた食事を摂ることで健康を維持し、また食費を節約して、学費などを全て自分で賄うことを目指していました。
自炊を継続するにあたり、アパートのガスコンロが一口であるというリソースの制限、食費の予算は月に1万5千円という金銭的制限、生活の大部分を研究に割かなければならないという時間的制限、という3つの制限が存在しています。食材の調達、予算・出費の管理、献立の決定や実際の調理などは、当然全て自分自身で行います。したがって、美味しく、栄養バランスのとれた食事に満ちた生活を自活しながら送るために、私にできることは、リソース・金銭・時間、3つの制約を創意工夫で乗り越えることでした。
まず私が着目したのは、時間的制限でした。この制限は、毎日料理をするのではなく、週末に作り置きをして、平日の間は研究室の電子レンジや冷蔵庫を活用することで改善されることがわかりました。また作り置きは、大量の料理を一度に作ることになるため、調理の順序を工夫することで、一口しかないのガスコンロの性能を無駄なく発揮することができます。週末作り置きによってリソースの制限も改善することができました。最後の制限である金銭的制限は、調味料の買い置き、週末のまとめ買いや、季節による野菜価格の変動を学ぶことで改善されました。
一方で、あまりにも様々な制限を意識するあまり、食材費の過度な削減や、料理時間のいきすぎた短縮をしてしまうこともありました。それによって、完成された料理の味が満足のいく水準を達成できず、本来の目的の1つである健康維持に支障をきたしてしまいました。食生活の乱れによって健康を損なったときに、自分が満足できる料理の味の水準や、バランスのとれた栄養を摂るために必要な食材を見直し、いき過ぎた制限を抑制することができました。私は、継続した自炊を通じて、制約がある中でも、与えられた課題に対し、求められてる水準を明確にした上で、創意工夫をこらして課題を達成することを学びました。
自分もあなたと同じく、最近(?)、研究者をあきらめました。あなたとの違いは、私がもうアラサーにさしかかろうとしている点でしょうか。
学部は飛び入学しました。諸事情があって修士課程は別の大学の院に進学し、アカデミックに残るには十分なぐらい強い力をもった指導教官の下で研究を満足のいくまでさせてもらいました。
修士課程の内に博士論文審査に進むべき要求条件も満足したので、同期が修士課程でまだ頑張っている中、そこそこ若くでドクターを取れるかと思っていました。
けれども、特に大きな人生のイベントがあったわけではなく、研究者の道をやめてしまいました。
研究は大好きでした。周りも研究に没頭するあまり死人もでました。それでも私には世界で一番強い意志があるのだと信じて突き進みました。
研究分野とは全く関係のない、外資系の金融機関に来年から勤務することにしました。
学部卒で就職しておけば私の年齢になることにはたくさん経験がつめたのかな、なんて思ったりもして笑えてきます。
軸なんて必要でしょうか。
自分がその瞬間瞬間にときめく、何かワクワクできるものに情熱を捧げれれば、過ぎる時間もとても濃いものになると私は思っています。
若いうちは人生の大きな転換期に差し掛かると息が詰まる思いがして、不安につぶされそうになる気持ちも分かります。私もいくつも経験してきたつもりでいます。
軸がないというかブレてるというか、本人の適正が整合するところではないところで生きるって、そんなに悪いことだとは思っていないのです。笑
もっと紆余曲折して人生の横幅を広げるのもおもしろい生き方かと思っています。私はお金がないので、無駄に紆余曲折すると食べるに困りますが。笑
いいじゃないですか。院に内部進学してから就活するのも。その後フリーターしたっていいじゃないですか。
そのとき、もしくは未来にもっとワクワクできるものが見つかればそれでいいんですよ。
適性なんて、一生気づかないままでいいじゃないですか。
当方、そこそこ規模の大きな私大の工学系4年生。研究室では一応機械学習めいたことをやっている。巷では某事件であれやこれやの議論が活発で、引用の仕方がまずいやら研究倫理上配慮に欠けるといった話を聞く。そこで、論文著者と同じような立場の学生として読んでいて思ったことがある。
『引用の仕方は習ったけど、研究倫理って勉強したこともないし、勉強する機会もなかったぞ?』
研究室やサークルの先輩を見ていて、「研究者」になるいう意識があるのかな? という事がしばしばある。それも仕方がない話で、現状工学系の院って「学部卒だと文系と肩を並べて就活する羽目になるのが嫌だから、修士を取って開発職として拾ってもらうか」という意識で進んでいる人も少なくない。院進学が「研究者になる」という意識ではなく「単純に学歴アップのために進学する」ような感じだ。今回、社系の研究者がTwitterやブログなどで引用の仕方の問題点などを取り上げているが、そもそも社系の院って「研究者」になる気がない限り行かないところであって、その辺で「院進学」に対する意識の違いがあるんだろうなあとは思った。もちろん自分たちがやっていることが「研究」であることはよくわかっているのだが、「研究者」である意識はないのではないかな、と感じる。
そもそも大学は高校や中学じゃないので「必要なことなら『教えてもらってない』は通用しない」というのはよく分かる。しかしながら、理系院生の現状意識は前述の通りなので、それではすこし無理があるだろう。それより研究テーマに対しての学習で皆あっぷあっぷだ。「研究倫理」について取り上げる教育の場って学生実験の場が適当なんだろうが、理工系の学生実験は課題が与えられて延々実験して解くようなものが多いので、そもそも研究倫理とか以前に研究室に放り込まれるまで「実験の設計」というものをしたことがない学生が大半だ。文社系だと学部レベルでもフィールドワークや研究設計などを自分でやるから、おのずと調査対象に対する配慮などを通して「研究倫理」を学ぶことが多いのではないかと思う。ちなみに、技術士資格の絡みで「技術者倫理」という授業は開講されているのだが、聞きに行ったところ技術者として作ったものにどう責任を持つかという話で、研究の話ではなかったように記憶している。もっとさかのぼると高校時代にちろっと触れたような気もするが、それは「遺伝子組み換え技術に関する生命と研究倫理」であって、今回「データを持ってくるだけでも研究倫理が問われることもあるのか」と初めて気づいた次第だ。「研究室に入ってから指導教員に教えてもらえれば」という話もあるが、正直指導教員間にも学生指導の熱意や認識の差を感じざる終えないで、不安が残る。(今回の一件も、指導教員が発表前に気づけばこんなことになってなかったんだろうし)中高大と「正しい引用の仕方や図番の振り方、『コンピューター』と『コンピュータ』が混在しているようなレポートを書いてはいけない」「実験中に火事を起こしたり使った液体を外にばらまくな」とは習ったが、「研究によそのデータを用いて、それを処理するときの留意点」などは習っていないし、この問題が明らかになるまで自分も考えたことがないことであった。(これは自分の推測だが、論文著者も「データとして使ったなら引用元として示さなければ『ならない』」という意識があったのでないだろうか)
乱文ながらしがない私大の一大学生として思うところを書いた。ある種工学系って就職予備校だよなと。(この話題は本題からそれるが)そこの学生に自発的に研究倫理を学ばすのって無理があるような気がする。もっとも、倫理感なんて言うものは学ぶものではなく養うもので、「習ってねーよ」というものでもないかもしれない。しかし、学部か修士課程で社会に出ようと思っている人間にとって、「自分の名前がネットで悪評立っている」というはどう考えても就活に響くし、そういうリスクがあるのであれば学会発表もおちおち出来ない。そういうところでは工学系の研究者のみならず、これまで個々人の思想やプライバシーも含みうるデータをを取り扱って研究していた社系の研究者の知見を生かして、今回の件であれば人工知能学会の方でも指針を示してもらえると我々学生も安心して発表で出来るのではないだろうか。
普段ROM専だからトラックバックこれでできてるか自信ないし、少し前の投稿だから投稿者の目にとまるかもわからないけど。
同じく宮廷(笑)の修士卒見込みとして就活してる身として、とても気にかかったので…。
博士じゃなくて修士という前提で書きます。博士課程の方だったらごめんなさい。
修士課程の論文は努力賞って言われることもあるくらいだし、もう少し自分への研究面での負荷を減らせるといいなと思います。
もちろん研究して当然って空気はよくわかります。研究>>就活って思考の教授がいることも知っています。
でも、明らかに投稿者さんはキャパオーバーの段階だと思う。教授に事情を話して、研究のペースを落とさせてもらえないか交渉できないのかな。
同じように自分を追い詰めて潰れてしまった人を知っているからとても気にかかります。
潰れる前に負荷を減らせたらいいな…。
cloq 誰もが博士前期課程=修士課程、博士後期課程=博士課程って知ってるわけじゃないから。理系でも学部生くらいまでなら知らなくても全然不思議じゃないと思う
まじか。
高2のときの志望校選定の段階で、赤本の情報とか大学案内とか見てたからそこで
大学院進学率だとか見て、博士前期課程修了者の就職先とかあったからその関係で普通に知ってたけどなあ。文系だけど。
まあ今と昔じゃ色々とその辺の事情も違うのかもしれん。
修士課程と呼ぶところもある。
「博士課程」という5年間の過程の内、「前期」二年を修了すると修士が得られるという仕組みになってるところもある。
一方で一貫制博士課程だとか、4年制博士課程だとか、専門職大学院とかいろいろとややこしそうなのもある。専門職学位は修士と同等とみなされる場合もある。
まあいろいろと「そういう場合もある」の連発なので、とにかく多様なものだ、という認識がされればいいかと個人的には感じた。
まあゴチャゴチャ書いたけど、なにがいいたいかって、
その上で、自分のときとは違うような仕組みで学習したり、学位を得たりした人を見たとしても、それだけを持って叩いたりしないでくれるとありがたい。
安倍昭恵さんという方は、森永の創業者一族の方であるにもかかわらず、
専門学校卒である。(ずっとのちに社会人入学で大学院修士課程を修了して修士号を受けているが)
出身校である聖心女子学院高等学校からは聖心女子大学はもちろん、
当時と今とでは事情が異なる部分もあるかもしれないが、
あの家柄で、かつ大学が併設されている名門中学・高校に通いながら、
率直にいって、それほど出来がよろしくなかったことは想像に難くない。
一方の安倍晋三さんであるが、こちらはさすがに大学は出ているが、
成蹊大学である。成蹊大学といえば偏差値的に低いとは言えないものの、
父も祖父も東京帝大卒であることを考えると、「残念な子」と思われていたのではないかと。
知育以外の部分、戦前の臣民教育的なものに力を入れていることに対して、
なんとなくだけど、このあたりの、学問に対するコンプレックスのようなものが
飛躍しすぎた考え方だろうか。
経団連が発行する「採用選考に関する指針」では、以下のような文言がある。
http://www.keidanren.or.jp/policy/2016/081_shishin.pdf
学生が本分である学業に専念する十分な時間を確保するため、採用選考活動については、以下で示す開始時期より早期に行うことは厳に慎む。
ところが3月前の時期であっても「インターン」や「OB懇談会」なる名のもとに事実上の採用選考を実施しているのが実態である。結局早く洗脳した者勝ちなので、年末から動いているところすらある。たちが悪いのは共同研究のための訪問を装って、その実は研究にはまったく興味はなく、学生へのコンタクトが目当てであるような企業。恋愛でもこんな見え透いたアプローチは成功しませんよ。世の中には経団連会員ではない企業もあるし、指針には何の法的根拠もないので、「採用選考に関する指針」は事実上形骸化している。そんな中、真面目に指針を守っている企業は偉いのだけど、学生確保という意味では確実に出遅れている様子。完全に正直者が馬鹿をみる世界である。
そしてこの日記で問題にしたいのは企業の人事部社員や、人事部配下でリクルーターを任されている若手から中堅の社員はおそらく以下のことをまったく考えたこともないであろうということ。
専門性を追求するために大学院に進学した学生が一番力を発揮できる時期に「就職活動」に無駄に忙殺され、研究活動がまったく進まなくなる。そしてそのことに頭を悩ましている大学教員は少なくないのである。今の時期教員仲間と会話すると、この話題がため息混じりに出てくる。
就職氷河期は過ぎ去り、就職率は大幅に改善したというのに学生は企業の採用情報や学生間の情報に踊らされ、必要以上に就職活動に没頭し、長いと半年近くも研究や学業から一切手をひいてしまう。かくして本来であれば大学院在学中に成果が出たであろう研究は停滞し、結局修士課程を修了するまでに大きな成果を得ることはない。ましてや博士進学などをじっくり検討する時間的猶予すらない。せっかく時間をかけて研究のシードを育ててもこれではまったくの徒労に終わってしまう。そして学生からしてみれば大きな成果に向けて十分に時間をかけて日々積み重ね、最後までやりぬくという一連の経験を得る機会を喪失する。もう少し大きい視点で言えば国の研究開発力を測る尺度の一つである、論文数も減ってしまう。
そんな悩みを抱える大学教員に対して「OB懇談会」と称して部屋の予約や学生の確保などをお願いしてくるあどけないリクルーター達がいる。学生から貴重な研究・学業活動の時間をとりあげた上、さらに教員に採用活動の片棒をかつげというのである。お願いする方はちょっとしたお願いしているつもりだろうけど、依頼を受ける側は複数企業からお願いされるので、その対応に追われる。そして本来は研究を進めてほしい学生に向かって就職活動のために時間を割いてほしいと頭を下げるという何とも欺瞞に満ちた行動を迫られるのである。そんな昨今の採用活動事情に対して苦々しく思っている教員は少なくないことを知っておいても良いと思う。言われるがままに業務を遂行しているリクルーターではなく、裏にいる人事部に届いてほしいもの。
悪いのは一体だれか?企業の人事部だけが悪いということは決してない。根本的な問題は、企業が高等教育機関である大学に期待していないこと、そして学生も大学に期待していないことにある。結果として大学は社会の期待に応えていない。このあたりは下記の考察が良くまとまっているのだけど、一言で言えばシステムに問題がある。
http://toyokeizai.net/category/japan-university
海外の大学と日本の大学のシステムを比較すると恐ろしく事情が異なっているので、愕然としてしまう。例えば下記の書籍を参照するとそれが良くわかる。世界最高の大学教育システムを確立したアメリカで問題がないわけではないのだけど、日本の大学システムの問題は更に根深い。
アメリカの大学の裏側 「世界最高水準」は危機にあるのか? (朝日新書)
これでは技術競争で負けるのも必然。負の連鎖が断ち切れない限り、国際的に通用する充実した研究教育は成し得ないし、研究開発力や発信力に関して海外との差はますます開くばかりだろう。昨今の採用活動を見るにつけ、この負の連鎖の根深さを感じずにはいられない。
一昨年,大学院入試に失敗して,妥協して別の大学院に入学した.
それでも憧れの研究者になるために博士課程に行こうと思って,勉強も研究もそこそこにやったつもりだった.
先日,飲み会にて指導教員と話した際に以下のような指摘を頂いた.
「本当に博士課程に行こうと思っているの?」
「考え直してみたら」
「君のやりたいことは博士じゃなくてもできるよ」
衝撃的でもあった半面,確かにそうかもしれないと感じる一面もあった.
今考えると,周りから研究者に向いてるよとか,前の大学で先生から研究者やらないか,なんてことを言われて流されてここまできたように感じる.
僕は何がやりたいんだろう.
学部卒業から修士課程中退のおおよそ2年間、その大部分を私は怠惰に過ごした。
まともな研究もせずに卒業論文に突入し、指導教員にひたすらダメ出しをされてほとんどお情けみたいな形で卒業はした。進学後、これからはちゃんとしなくてはと思ったのとは真逆に、授業や研究に出ることは減っていった。
家の中(一人暮らし)ではただただ焦燥感が募っていった。授業に出なくては。研究しなくては。なにかしなくては。しかし数日間着替えてないし風呂にも入ってない。しなければいけないことばかり積み重なって後回しにして、ずるずると時間だけが過ぎていった。自己嫌悪と自己肯定が頭の中をぐるぐる回っていた。同級生が生存確認してくるようになったので、コンビニや図書館で時間を潰すこともした。家族や親しい人には、事態が決定的になるまで話さなかった。
中退後は今の会社に拾ってもらって、故郷も大学からも離れた街で社会人ヅラして生きている。多分、根本的な問題は直ってないし、死ぬまで解決しない。ただ、絶望して死んだり生活できなくならないために、反省しないようになった。悩みすぎて苦しむこともなければ劇的に改善されることもない。安全装置の如く、ある程度まで感情が進んだらそれ以上深くならないイメージ。
家から出られなくなることがなくなった分、しわ寄せは周りに行く。責任感だけはあると思っていた自分が、責任を他人に押しつけていることに気付く。家族からはビョーキ呼ばわりだの親不孝者扱いされ、彼女からは本気で死んで欲しいと懇願される。それでもケロッとしているのは、やはりどこかおかしくなったのか。思い悩んでも寝て起きたら出勤して適度に仕事する。そんな日々。