それは確かですね。
「トール・ダーク・アンド・ハンサム (Tall Dark and Handsome)」は、きいたことあります。
「トール・ダーク・アンド・ハンサム (Tall Dark and Handsome)」、
つまり、すらりと背が高く、髪や肌の色が濃くて、顔はハンサム。
https://tokuhain.arukikata.co.jp/glasgow/2010/05/post_115.html
こういう書き込みってなんで作品タイトルやキャラを隠すんだろう?女性のオタク界隈にありがちだがそういうのを見て常々思う。何か迷惑をかけるケースがあるとでも思っているのだろうか?そういう発想が理解できない。そりゃ例えば実在のアイドルの二次創作、のような分野だったら別だが、その手のアングラではない、一般的な商業流通上にあるパブリックな作品のことでも必要以上にボカして特定できないような書き方をする人が多いように思う。個人的には、自分の思ったことを匿名ですらハッキリ正面切って伝えられないのは、配慮ではなく惰弱なだけだと思う。偉そうに言うが、それは世の中に微塵も変化をもたらさない。もっと世の中と、他人と、その化学変化を信じろ。他人の善性を信じて、自分の思いも過小評価したり卑しめたりするな。そういう声はきっと作り手にとっても貴重なものだ。具体的な言及がきっかけで、興味を持って始める人がいたり、開発者に届いていったりして初めて、状況が変化し、何かが変わる。その可能性が生まれる。もちろんその変化を望む人と望まない人がいるだろうが、自分の鮮明な声が表に出ることを躊躇う必要はない。なぜなら、自分が発した声というのは所詮たくさんの声のうちの一つにすぎず、実際に変化があったとしたら自分だけの声によるものではないからだ。いい意味で自惚れるなという事だ。自惚れないからこそ妙な自意識を捨て、自我の殻を破って物が言えるようになるのだ。そうやって殻を破って発言する人たちの意見によって、世の中のあらゆる物事はつねにバランス調整がなされている。だから、曖昧な物言いをする人や裏でコソコソ言うことしかできない人というのは、その習性自体によって、自分を世の中とマッチしない生きづらい環境に自ずと追いやっているのだ。それでもそういう人たちの言い分としては、ただボカして一般化した言い方をして、自分の好みはバラさずに「分かる」「あるあるだね」と共感を得たい、それで十分だ、何か干渉したい訳でもないし出来るとも思わない、そんな所ではないか。そういう人がいてもダメとは言わない。だがそれはエゴだ。何かのコンテンツを楽しんでいるという時点で、社会に、コミュニティに、経済に参加している。無干渉な傍観者ではありえない。自分の席はカウントされている。そういう場を仕切っている人たちは、ボカされた独り言をいちいち汲み取りに来ないし、直接言われた場合ですら腰を動かすのが重い、重くならざるを得ない人たちだ。ともかく、人の輪の中で生きている自覚があれば、フィードバックは責務に近いものだということ、その内容は率直なものであれば何であれ大事にされることが分かるはずだ。
主語を大きくして話すならば、日本の女性の社会進出がかなり遅れている原因の根っこには、このような「(思いはあるのに)ハッキリ具体的にどうしろと主張する習慣や発想がない」という、悪い意味の奥ゆかしさがあるせいだと思う。もちろん女性にもハッキリ言える分野はあるのだが(生活態度やマナーなどは言いやすい典型)、「物事をどう進めるべきか」のような思想的・政治的な、言わば男性が主導してきた分野についての主張を適切な場で訴えられる人となると極端に少ない印象がある。まずはネットの書き込みから、声を上げる練習をしてほしい。増田なんてそのためにあるようなものだ。もっとも、この件に関しては普通に運営に要望メールを送るのが最善だけれども。すでにそれをした上で、ここで与太話をしているのだったら申し訳ない。
首をかけてまで笑いが欲しいのか