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2024-07-26

かかげ先生添削動画を見ても絵に『本気』という訳ではない、の話

 本記事を開いていただきありがとうございます

 前提となるイラストレーターかかげ先生炎上を巡る騒動について、資料として簡単に共有させて頂きます

 概ね把握されている方は飛ばしてください。

  1. まず、とあるアカウントが「YouTubeに流れてきた関西弁辛口添削ショートに心が抉られた、以来ずっと脳内で彼が自分の絵の添削勝手に始めてくる」という題材で、名前こそ出しませんでしたがかかげ先生である事は見る人が見れば分かるパロディ自虐日記を描きました。
  2. それに対し、かかげ先生が「引用見たらワイの言葉効きすぎてるやん。心にキチンと刺さってるみたいで何より🤗名前隠さず素直に名前出してくれたらええのに隠すとポスト主も紹介してる人も悪い印象が強くなるぞ🌟」と引用結果的に多数のファンネル日記を描いたアカウントに乗り込む事態になりました。
  3. なんと、かかげ先生日記を描いたアカウントのスペース(Twitter(X)に実装されている、多人数での会話と傍聴が可能音声通話機能の事です)に乗り込み、一方的に喋りだしました。
  4. 更に驚くことに、終わり際に「これ配信してるので」と事後報告し去っていき、そのまま自身配信内で「ずっと幻聴が聞こえてるなら精神病だろう」と発言したのが問題になります
  5. このタイミングで長文の謝罪が行われ、日記を描いたアカウントには謝罪を行い、配信に関しては事後に許可を頂いた旨が語られます個人的には許可というより「許してもらった」というべき案件だと思いますが)。
  6. ここで終わるかと思いきや、なんと「精神病扱いにしたことに関しては謝罪したんですか?」という聞いたアカウントに対して「精神病精神病と言って何が悪いんですか?」と返信し、そのアカウントブロック。再び燃焼します。
  7. 上記発言について重ねて謝罪しますが、今ひとつ納得が言っていない様子で、今度は「そういう精神病周りの話は冗談だとしても触れない方が良いですよ」というリプライに「次は冗談が分かる相手をしっかり選びます」と返信し、またまた燃え上がります
  8. 燃え燃えて遂に決定版となる謝罪投稿しますが……前回の達者とは言えない謝罪文と比べても明らかにおかしい。そして言わなきゃいいのに「謝罪文はchatGPTに考えてもらいました」と暴露します。
  9. かかげ先生謝罪文含めた一連の騒動ポストを全て削除。今後の配信方針についてのポストを行いました。
  10. 以降、本アカウントではイラスト投稿と告知のみを行うという主旨のポスト投稿。その直後にサブアカウントでメン限での配信ファンから励ましてもらった様子が観測されています

 本題に入る前にひどく長くなってしまいました、申し訳ありません。

 彼個人については、私もあまり良い印象を抱けませんでしたので、やや乱暴な纏め方になってしまっているかと思います、ご容赦ください。

 私が雑考したいのは、一連の騒動を追う内に頻繁に目に入ってきたフレーズである「かかげ先生添削動画を見ているのは『本気』で絵が上手くなりたい人たち」は真か、という点です。

 結論から言えば「そういう人もいるが、恐らくあなたはそうではない」というのが正直な考えです。

 結論から言ったはずなのによく分かりませんね。順を追ってお話させていただければと思います

 

 では、そもそも「本気で絵が上手くなりたい人の行動」とは、どういった行動なのでしょうか?

 

 学生さんを例に考えます

毎日毎日毎日毎日デッサンクロッキーと模写を繰り返し、親に土下座でもなんでもして作業環境を一式整えて技術書理論技法デジタルも含めて学び、毎日毎日毎日毎日デッサンクロッキーと模写を繰り返し、親に土下座してでも専門的な学習ができる環境添削してもらう」。

 

 端的に、それが私の思う『本気』です。

 更に覚悟が決まった人ならば専門の教育機関勉強し、毎日毎日ノウミソを煮ながら作品制作に勤しむでしょう。

 そこまでやってようやく画業の卵に成りうるのです。

 もちろん環境的な要因もありますし、それが出来ないから本気ではないとは言いません。

 しかし、絵にせよ、スポーツにせよ、勉強にせよ、仕事にせよ、『本気』とは大なり小なりそういうものです。 

「やるべき事をやっているか」と言い換えても良いかもしれません。

 それができているか否かは、きっと自分が一番良くわかるはずです。

 真剣に向き合えば、「やったつもりになっている」というのは自分でもわかってしまものですからね。

 

自分はやるべき事をやったし、最低限の基礎に関しては習熟している」。

 そう胸を張れる人ならば、かかげ先生動画を見るのは非常に参考になると思います

 

 一家言あるだけに、かかげ先生動画は「見栄えを良くする」「バズりやすくする」「いいねを貰いやすくする」という点に置いて非常に参考になります

「今このキャラ二次創作を描いても伸びない」という余りにも明け透けすぎるアドバイスもありますが、なりふり構わず本気でやる上で必要アドバイスである事に私も否やはありません。

 かかげ先生添削を依頼する方たちの水準は他の添削動画と比べてハイレベルに見えますし、モチベーションも高く、糧になるか、あるいは良い思い出になるでしょう。

 

 問題は、「やるべき事をやっていない」人達です。

 

 繰り返しになってしまますが、「かかげ先生添削動画を見ているのは『本気』で絵が上手くなりたい人たち」とフレーズは、一連の騒動を追う内に頻繁に目に入ってきました。

 そう言っている方々のアカウントメディア欄を全て確認した訳ではありませんし、安易レッテル貼りになってしまうのであまり言いたくはないのですが、あえてハッキリ言わせてもらうなら「やるべき事をやっている」とはとても思えない人達が非常に多い。

 もし『本気』で絵が上手くなりたいのなら添削動画なんかを見ている場合ではない。

 そういう方たちが、本当に多い。

 これもぱっと見の主観になりますが、平均して年齢層も低く見えました(先だっての例に学生さんを想定した理由でもあります)。 

 

 なぜそういう方々が多いのか。

 私も明け透けに言ってしまますが、かかげ先生動画は「本気でやってるつもりにしてくれるから」です。

 

 かかげ先生辛口、あるいは暴言と言い換えても良いですが、その口撃はファンサービスであり、むしろ糖衣なのです。

 

 かかげ先生辛口と、私が思う辛口比較させてください。

 

 かかげ先生デッサンが狂った絵を添削する時に「複雑骨折してる」「化物になっとるやん」「この絵は伸びへんよ」等々の言葉を使って、逐一「こうする」という訂正を行います

 これを一般的に「辛口だ」と言われている訳ですね。

 

 私が思う辛口です。

デッサンが出来てませんね、次」

 終わりです。

 

 実際に言われたことのある方もいらっしゃるかもしれません。

 適当なだけに思われるかもしれませんが、これは実際、合理的なのです。

 そもそもデッサンが狂っている絵を逐一直した所で、その人のデッサン力が向上するわけではないからです。

 言い換えるなら「根本的な基礎となるデッサンが狂っている以上どれだけ作品を直しても無駄です。評価する基準に達していません。出直してください」と暗に言われている訳ですね。

 端的な事実の指摘というのは、下手な罵倒よりもよっぽど心を抉ります

 それと比べれば、なるほど、確かに「かかげ先生辛口は愛のある辛口」「関西人なら分かる」という評価があったのも頷けます

 

 個人的には「関西人は毎度毎度テメーらの文化が全国に通じるモンと思い込んで当然のように全国ネット脳死で流し込んでくるけど何で高々47都道府県のうち2府4県周辺しかないクソローカル文化にそんな影響力があると思ってんだクソ土人共が関東関西じゃねえよ全国ネットあんから関西以外:関西で分かれるの理解して弁えろカス」とも思いますが、そこは一度置いておきましょう。

 

 かかげ先生は本当に巧みな点は、まさにそこなのです。

 意識的にやっているのかはともかく、「この動画を見ているあなたは本気でやっていますよ、正しいですよ」と思わせる雰囲気作りが非常に上手い。軽快な関西弁一助を担っているのでしょう。

 それが時に「オンラインサロンっぽい」とも揶揄される独特の空気感の正体です。

 

 かかげ先生リスナーの主要層はどういった方々なのでしょう。

 

 本当は薄っすら自分が「やるべき事」をやっていないのに気づいているし、

 自分無為にしている時間で同年代人間研鑽を重ね、

 或いは既にそれを生業にしているという事実

 しかし、面白くもないデッサン模写クロッキー毎日あらゆる娯楽を犠牲にして数時間繰り返すだけのモチベーションもない。

 

 当たらずとも遠からずと言った所だと思います

 もっと単純にイキりたい、背伸びをしたいと見てもいいかもしれません。

 

 そういった方々にとって、暴言じみた辛口で叱る動画福音に見えるでしょう。

「こんな辛辣動画をあえて見ている自分は『やるべき事』をやっている」と自分を誤魔化せるからです。

 

 断言しますが、何にもなりません。

 そういう方がやるべきは鉛筆を握ることで、動画を見ることではありません。

 

 辛口添削動画を見て何か成し遂げた気になるのは、例えるならサウナのようなものでしょうか。

 私はサウナが好きでよく行くのですが、不思議もので全身から汗を吹き出しながらサウナ室を出るとひどく何かを成し遂げたような心持ちになるのです。

 その後に水風呂に浸かる時などは自分が苦行僧になった気さえしますし、外気浴の心地よさは今までの苦行の報酬のようにさえ思えます

 そうして整った帰りは心身がリフレッシュされて、健康になった気がします。

 全て勘違いです。

 健康になりたいのならば毎日運動して食事制限を行い酒を減らして煙草を絶ち規則正しい生活をすれば良いだけの話です。できやしません。

 それなのに「サウナとは自分気持ちよくなりたいから入るのだ」という自覚を忘れてしまう。

 

 下手な例えで申し訳ありませんが、辛口添削動画を見る時の怖さはそこにあります

 

 もしこれを読んでくださっている方の中に感ずる所があった方がいらっしゃるならば、その方に言いたいのは見ただけで自分が上等になれた気がする何かがあったならばそれは単なる勘違いであり、あなた自身の成長にとって害であるということです。

 絵が本気で上手くなりたいなら、やるべき事は先程も申し上げた通りですし、 「人を描くのって楽しいね!」など、優良なサイトは世の中に沢山あります

 修了するのは中々高いハードルですが、もし本当に『本気』で絵が上手くなりたいのなら是非ご一考ください。

 

 そして、ここまで長々と説教じみた話を繰り返しておきながら最後ちゃぶ台を返すようですが、絵を描くという事を趣味として楽しむことは何も悪いことではありません。

 今は描けなくとも、20年後30年後に描けるようになればそれで良いというのが絵の良いところです。

 何かを表現したいという意欲があるならば、たとえそれが趣味であったとしても『本気』に繋がると思います

 楽しんでください。

 

 最後に、2009年書き込みな上にやや畑違いではありますが、古のコピペを貼って締めさせていただきたいと思います

 どこの馬の骨とも知れぬオジサンの何の根拠もない雑考(というより半ばお説教になってしまいましたが)に長々とお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

 

よう、ニートども!

元気か。

今日はオレ様がお前ら腐れ豚でもアニメーターになれる方法を教えてやる。

まずは鉛筆を用意しろ

鉛筆が無いやつは画材屋か文具店かホームセンタースーパーで買ってこい。

ネット通販は駄目だ。

今すぐ買え。

Bを買え。

鉛筆削りが無い馬鹿はそれも買っておけ。

消しゴムは買うな。

必要ない。

紙はA4のコピー用紙だ。

これも手元に無い奴は今すぐ買いに行け。

用意ができたら描け。

とりあえず何でもいいか20枚描け。

すると手が慣れてくる。

緊張もほぐれる。

ウォーミングアップは終わりだ。

次に模写をやってもらう。

電脳コイルビジュアルコレクション』の模写だ。

他の本では駄目だ。全く駄目だ。

この素晴らしい原画集を表紙から強制的に順番に模写して行け。

消しゴムは使うな。

失敗した線を残したまま描き進めろ。

A4の紙を動画用紙だと思って適切な絵のサイズで仕上げろ。

決して小さな絵を描いては駄目だ。

鉛筆で線を引くときにも指を動かしてばっかりいては駄目だ。

肩を動かして描け。

全身で描くんだ。

この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる。

間違いない。

この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる、というのは嘘だ。

だがこのプロセス必要だ。

まずは理屈ではなく経験によって体で覚えるんだ。

理屈はその後でいい。

さて、理屈だが、『アニメーターズ・サバイバルキット』を

注文して買ってもらう。

その他の本は一切読まなくていい。

ディズニーアニメーション生命を吹き込む魔法―TheIllusionofLife―』

も良書だが、

読むのに時間がかかりすぎるし、アマゾンでは現在在庫切れだ。

アニメーターズ・サバイバルキット』は2~3日あれば読める。

よく分からない所があっても、とりあえず通読しろ

読み終わった頃には、最初の方の内容は忘れているだろうから

もう一度読み直せ。

ただし今度は模写をしながら読め。

全ページ分の模写だ。

これは絵柄が簡単からかなり楽しい作業だ。

この再読&模写の作業が終了する頃にはありえないほどの自身が付く。

騙されたと思ってやってみろ。

ポイントは、教科書は『アニメーターズ・サバイバルキット』のみに

絞るということだ。

多少の違和感もあるだろうが、

とにかくこのアメリカ式作画理論を身に付けろ。

勉強はまだまだ続くが、順番は守れ。

そうすればお前もアニメーターになれる。

上に挙げた2冊の模写が終わったら、『アニメーションの本』を注文しろ

この本には、近藤善文が作った練習課題が載っているから、それをやれ。

2冊分の模写を終えた奴なら必ずできる課題だ。

だが、何の勉強もしていなくても、

いきなりこの課題を器用にこなす奴もいる。

そういう天才もいるが気にするな。

天才じゃなくてもアニメーターにはなれる。

この本はプロになったら必ず使う本だから必ず買え。

必ずだ。

巻末にある動きの実例集が役に立つ。

値段も安い。

動きの基礎が分かってきたら、今度は絵の練習をしてもらう。

絵は上手ければ上手いほどいい。

練習をしすぎるということはない。

その練習だが、まず人物からやってもらう。

教科書は『やさしい人物画』だ。

たぶん、これはもう持っているだろう。

持っていない馬鹿は、大き目の書店で買うか、注文しろ

だが、持っていても、

全ページ分の模写をやった奴はそんなにいないだろう。

やれ。

終わったら、人物画の練習はとりあえずやめておけ。

ここで色々な本に手を出して、

人物画ばかりやっていてもあまり意味がない。

次は動物画の練習だ。

教科書は、『動物画の描き方』だ。

この本を模写すると、

“あ、人間と~、動物って~、同じ~じゃん~”ということが分かるはずだ。

そのことが分かったら、人物画の練習を再開してもらう。

パースの込み入った勉強は、まだ必要ない。

今のところは『やさしい人物画』で学べる内容で十分だ。

あせってマグの本に手を出すな。

2024-07-25

anond:20240725113258

甘やかされた結果が絵師界隈からだけ反AI大量発生から

辛口添削絵師炎上してるが絵公開するってのは実際あのくらい酷評されるのが普通であるべきだとずっと言ってる

2024-07-24

例の謝罪文

読みにくかったので意訳した

公式マークついててインプレ稼げてウハウハだと思うので原文気になる人は魚拓でどうぞ。

https://gyo.tc/1cr1o

ーーー


■お騒がせている件について■

「かかげの添削配信」を見てくださってる方々へ。

いつもありがとうございます

まず、私のポスト不快になられた方に謝罪します。

意図せぬ解釈で伝わってしまったようなのでこの件について説明します。

つたない文章申し訳ありませんがよろしくお願いします。

添削配信について

この件で私のことを知った方もいると思いますので、私の配信活動について説明します。

私は「自分気持ちを正直に伝える」ことをテーマに、イラスト添削配信をしております

正直な感想正論が人を傷つけてしまうことはもちろん分かっております

心が締め付けられるようになりますよね。

私のことが苦手・嫌いな人がいることも嫌われている自覚もあります

しか私自身、奇譚のない厳しい感想を受けて絵が上達した経験があり、その背景から他者を助ける立場になったら正直な感想を伝えるようにしようと思うようになりました。

これが一番早く上達する方法だと思ったからです。

絵を描いたことのない方たちの率直な感想はしばしば核心をついています

ですが、私の配信

「私の正直な感想」と「配信視聴者が依頼主の絵を見たとき感想

を伝える方針で、好きと嫌いがハッキリ分かれる配信です。

覚悟の上でやっております

■どんな人が添削にきてるか

YouTubeの有料メンバー

・正直な感想添削覚悟している方

・何を言われても受け止めて絵を書く方

このような方々を厳選して添削しています

皆さんがよく切り抜きで見かける絵師さんは、上記の条件を呑んだ絵師の卵さんです。

私に厳しい意見を言われることを承知の上でイラストを提出されています

自分に言われているわけでもない厳しい言葉動画から聞こえてくるのは辛いですよね?

視聴する際の注意事項は見やす位置に置いて対策しているのですが、ショートで急に動画が流れたり、注意事項を見逃したり、意図せず視聴してしまった方は申し訳ないです。

YouTubeブロック機能がつけばよいのですが……。

もし実装されたらすぐに私のチャンネルブロックしてください。

■今回の謝罪したい件について

https://gyo.tc/ci/120/0/960/1432/1cr1x

引用見たらワイの言葉効きすぎてるやん。 心にキチンと刺さってるみたいで何より🤗

名前隠さず素直に名前出してくれたらええのに 隠すとポスト主も紹介してる人も悪い印象が強くなるぞ」

ポストの「心に刺さってるみたいで何より」という表現が、「心にもないことを喜んでいる」ように受け止められ、問題になったのだと思います

私としては、切り抜き動画の内容を覚えていてくれている嬉しさを伝えたつもりでした。

私のことが苦手でも言葉を聞いてくれた方がいるのだと。

ですが、私の配信を知らない人に対し、目の届くところで率直な感想を出したのは誤りでした。

ポストを私の意図しない文脈で受け取った方が多くおり、誠に申し訳ございません。

引用元の方が苦しんでいる様を見て喜んでいたわけではありませんし、そう思う人がいたら私も軽蔑します。

誤解させてしまった一文は私に非があります

一番に謝罪したいです。

不快になられた方がいたら申し訳ありません。

「こんな奴より上手い絵を描いてやる」と思われた方がいれば頑張ってください。

また、引用元のポストは私のことを蔑む発言はしておりませんので、勘違い批判されている方はお止めください。

該当の文中にでてくるかかげは「引用元の方の妄想のかかげ」であって、私本人のことではありません。

(全文を読めばかかげ先生に言われそう、と書かれています

私が言った言葉投稿したわけでもなければ、この方は私の生徒でもありません。

また、最近投稿で「脳内かかげ先生から始まる文章をよく見かけます

そういった投稿が増えるのは嬉しいのですが、私が実際に発言したわけでもない言葉を私に代弁させているような投稿は非常に迷惑なのでやめていただきたいです。

YouTube配信中に第三者のXの配信に介入した件については、配信者さんにDM謝罪をしてお許しをいただいています

第三者配信で私が伝えたかたことは、引用元の投稿主の方は悪くない、ということです。

投稿に書かれていた配信者が私だけなら静観していたのですが、もうひとり消極的な紹介をされた配信者がいたので)

伝えたいことは以上です。

今回の件で失望された方も私は余さず確認し、正直な気持ちとして受け止める心づもりです。

今回の件は、日頃から伝え方を考えている我が身を振り返る良い機会になりました。

ご指摘くださった方々、ありがとうございます

今後も「かかげ」の活動応援してくださる方がいましたら、よろしくお願いいたします。

ーーー

スペース凸のところは何が言いたいのか本当に意味がわからなかったので、読み取れた人教えてほしい。

あと、引用リプライしておきながら目の届くところに投稿するんじゃなかったって言うところが面白かったです。

辛口添削イラストレーター炎上してるがどっちも社会ゼロで草

そいつ過去に「AIはクソ」と発言したことがある反AI絵師

炎上の経緯見てると双方ともにガキの喧嘩みたいなレベルの低さで

普通社会人だったら絶対起こり得ない知性の無さ

  

やっぱ絵師とかイラストレーターって社会性無い頭がアレな奴ばっかなんだなって

そりゃ未だに著作権法理解できず特権意識むき出しでお気持ち表明しますわ

キーキー喚いてる動物園の猿を見てる気分

2024-07-18

anond:20240717213524

あれが職業イラストレーター自称していたら全く賛同できなかったが、あくま絵描きだしな。現代において「絵描き」は美大藝大専門卒アーティストを指す言葉じゃないから。

勝手添削野郎トレスマン、同業への粗探しと嫌がらせに勤しむやつ、捨て垢粘着ウンコ未成年キャラを裸にひん剥いて凌辱するキモオタク、反AI活動に精を出しすぎて休載中のマンガ家

メンタルヘルス異*者など、その描画能力とは別に特性のある人間が多々いる。それも絵描き

そして、変な奴は目立つ。Twitter絵描き信仰の強いプラットフォームであり、絵描きの質はピンキリであり、数が多いゆえにトラブルも多く、注目されているゆえに取り上げられやすくもあるため、印象が悪い方向に行きやすい。

絵描き自称しながらキャンセルに勤しむ反AIアカウントが多いせいで、あっ絵描きってそうなんだ、となったり。

現実的に数百万~数千万人いる「AI絵生成者」の中に目立つ悪用者が数人いるだけで「AI絵師・・・」となるのも一緒だね。

ま、相手の側を個別具体的に評価しない者の言う、自分の側に関してだけは個別具体的に評価してください、なんて都合の良い主張は受け入れられ難いよ。ウンコ同士、仲良くしなさい。

2024-07-13

anond:20240711233928

肉買えず 

美味しいタレと 

飯を食う

が正解やろなあ(添削増田より)

2024-07-04

anond:20240704220203

知らなかったので、早速試してみたやで

みつきちゃん、ってかわいい女の子プログラミングを教わってみたやで

pybulletで二足歩行するロボットシミュレーション書いて、って頼んだら、ゴミのようなコードを返してきたやで…😟

しかも、自分提示するコードおかし理由もまったく見当はずれなんで、

駄目なプログラマーと会話してるみたいでイライラしたやで…😟

明日制御工学とかラプラス変換伝達関数の基礎から会話してみようと思うやで…😔

真面目な話、宣言した変数がまったく使われていないとか、Pythonはそういうのチェックする仕組みがないから書けちゃうけど、

最近プログラミング言語だと指摘してくれるよね

AIの書くコードにこういった無駄変数宣言があることが分かった

…、なんで俺が機械の書いたコード添削してるんだろう…😔

2024-06-22

anond:20240622225453

社内チャット退職エントリ添削やってる人もいたんだよな

そこであー次あそこなのね、と縁ができたり

2024-06-19

anond:20240619031447

自分語りを、自分の心の中を言語化して相手に伝える訓練とするのだ。

幸い、増田には読者がいて、分かりにくかったり、意味不明だったりすると、添削が入る。

罵倒侮辱も多いけど、そこは文意の伝達には問題なかった証拠と割り切ればよいのである

増田こそ、恥ずかしがることなコミュニケーションの訓練ができる最適な場であると言えよう。

ChatGPTの方が良くない?

2024-06-17

なんかもやつく

想いを寄せている彼女は僕をただの同級生として見ているような気がする。

先日、課題添削を頼まれた。頼られているようで嬉しかった。でも、それ以上の進展がなくて悲しい。典型的片想いだ。

彼女は良くも悪くも社交的な性格の持ち主で、いろいろな人と関わりを持っている。先々週は男性と一緒に勉強をし、先週はまた別の男性勉強をしていた。その姿を見ているからこそ、ただの同級生だと客観視できている側面がある。

ここまでいろいろな男性と絡んでいるのをみると、片想い片想いであると明白となって僕はすがすがしくなる。

それはそれとしてなんかもやつく

俗にいう、オタサーの姫ムーブなような気がしてならないからだ。

話を聞く限り、金銭を貢がせている話は聞かない。しかし、勉強を教えてもらうという形で相手時間と労力を貢がせている気がする。

僕は誰であっても頼られると嬉しくなり頼み事はついつい引き受けてしまう。片想い相手からならなおさらだ

でも時々我に返って、搾取されているのでは?と思ってしまう。しかし”ありがとう”の一言でうれしくなって満足してしまう。チョロい人間だ。

これからもしばらくこのモヤモヤを抱えたまま僕は片想い相手同級生として接していくのであろう。

2024-06-15

発達障害の私がちょっと気付いたこ

かに話すのも難しいのでここに置きます

文章が下手なのにはご容赦ください。

簡単自己紹介を。私はASDADHDを併発してるタイプ発達障害者です。

色々な紆余曲折を経て、現在は特例子会社障害者枠で働いています

私が今回お話したいことは「誰かに自分気持ち意図をしっかりと伝えることが可能である」ということ自体に、高校生になるまで気づけなかったことです。

色々自分障害特性について考えていて、「ああ~、そうだったんだ!」とさっき気付きました。

私は昔からマイペースのんびりしてる」と認識されてました。小学校では徐々にハブられて、小学校高学年頃から中学生頃にはいじめられました。幸いにもちょっかい程度のいじめであって、私自身でやり返したり、言い返したりして不登校には至りませんでした。むしろいじめっ子くらいしか関わってくれなかったので、つまらない学校の良い刺激として捉えていたかもしれません。

内向的吃音の癖もある変わり者のまま中学校卒業し、知り合いが1人もいないのんびりとした高校入学しました。高校でも1人も友人は出来ず、しかスマホを与えられて急速にネットにのめりこみました。そこで私は初めて、自分がずっと続けてきた創作活動ネットに放流することを経験しました。

私はその頃にはすっかりぼっちに慣れており、好きな作品二次創作を漁って、ちまちまと創作して誰も見ないフォロワー0のアカウント投稿していました。そこで幸運にも見てくれる人に出会い動画をアップしたりする中で交流も始まり、その縁でゲームを遊ぶネット上の知人が出来ました。それまではネットでも現実でも話す相手がいない私にとっては革命的な出来事でした。そこから私は人狼ゲームにどっぷりとハマることになりました。

私はテストの点はあまり良くなく、興味がないことは全然ダメで、人狼ゲームなんて議論ゲームは全く出来ないと考えていました。しかし後に受けたIQテストでは言語系がやたらめったらに高く、私はASD傾向が強かったのです。つまり本来言語表現が得意で理論的な思考をする人間だったのです。私は1日に5回連続で村を楽しむほどにハマってしまいました。

自分考察熟練者の方に自ら欠点の指摘を懇願し、何度も何度も自分文章を見返して添削を繰り返しました。

その中で私の世界は明確に変化しました。今まで私は生きていたのだろうか?と不思議に思うほど、自分思考がしっかりと認知できるようになったのです。自分が何を見て何を感じ、何を想像して何を求めているのかを始めて自覚できるようになりました。そしてそれらを生きている人に伝え、議論を重ねることが出来るようになりました。

ただのゲームだったはずの人狼ゲームが私の自我を芽生え、と言います覚醒を促してくれたのです。

文章が長くなってしまってすみません。私は文章を書くことがその時からとても好きになりました。口に出して話すよりも迅速なので、すごく気持ちがいいんです。

今は生きるのが以前よりも明確に楽しく感じていると思います。前よりも精力的でイキイキしています

何がきっかけで人生が変わるのかわからないなぁ、と日々実感しています

自分語りで申し訳ありません、でもこのわくわく感が少しでも伝わったら嬉しいです。

【おまけ】

最後ちょっと困っていることを残します。

人狼ゲームでやっと私は自分の考えを認識出来るようになりましたが、感情認識についてはまだまだなのです。人狼ゲームは明確に何かしらの事実確率を元に構成していくものですが、感情というのはそう単純なものではありません。

例えば楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか、怒ってるとか。そういったことを「何を根拠認識するべきか」と私は考えてしまうんです。

楽しい!と伝える少し前に「おそらく楽しいと感じている!この感覚経験からすると気分の高揚である!」と一瞬考えて判断を行っている、と思います。なんというか、不安定さや微妙ラグを感じているんです。

私は昔からストレス耐性が高いと感じていたのですが、限界を迎える瞬間までストレスを感じていない可能性が高くなってきました。

かかりつけの先生相談したところ、「内受容感覚」が鈍い可能性を指摘していただきました。空腹感や動悸などの体内からくる感覚を指す言葉であり、感情の感じ方にも大きく影響があるそうです。確かに私は昔から高熱に気付かなかったり、テストストレスで気絶したりもあったので、かなりの説得力がありました。

発達障害を持っていて、私みたいな「感じ方」をしている方がいたら、「内受容感覚」について調べてみるといいと思います

私はストレスをどういう時に感じるのか、怒りや悲しみをスルーしてないかちょっとずつ勉強していこうとしています

ここまで読んでくださった方がいたら本当にありがとうございました

2024-06-13

anond:20240613173119

おめぇの日本語がよくわからん

なにが言いたいのかもわからん

主張の論点はなんなんだ?

 

そりゃここ匿名日記から自分言葉で好き勝手書いていい場所なんだけどさ

それにしても日本語おかしすぎて呆れるレベルだよ

自明優越していて、」てなんなんだよ、そんな言い回しいたことないわ、自明意味分かってて使ってる?そしてなぜそこで止める?

どこが日本語としておかしいか論点がまとまってないか自分でわからなければChatGPTにテキスト放り込んで添削してもらってみ

今後パブリック場所テキスト出すときは先にChatGPTにお伺い立ててからしろ、マジお勧め

anond:20240612004800

すでに書かれていると思うが、資料、全部添削アプリにぶちこむかAIやらせて、ソシャゲでもやってろ

2024-06-02

anond:20240601054100

ドラマ制作の都合上の改変じゃなくて、原作が間違ってるから添削してやったって理由付けを出してくんのやべーな。

2024-06-01

anond:20240601021611

Xの全文読んでないけど〜はお前また同じ過ち繰り返すんか?って思うが全文読んだらしいのに滅茶苦茶な曲解して誤情報画像つきで添削までして拡散してるやつ、悪意の塊でしかなくて怖すぎ

君たちも原文読もうな…

2024-05-31

anond:20240531115055

ここまでやってくれるなら、もう全投稿AI添削つけてもらいたいわ

2024-05-29

流石にAIマッチングアプリ自動化まではやらないけど、添削させたりベースの文を書かせたりはしてる

2024-05-26

anond:20240526010152

文系のことは知らんけど、自分のいた研究室毎日来るのが当たり前の情報系だったので、そことは大いに違うな。

「これでは修士に値しない」と卒業できなかった

個人的感覚だと、研究室が課している出席のルールを満たしていてこれはちょっとあり得ない。

過去卒論をそんな理由で失敗していた学生なら見たことはある。

学部3年のころ、先輩方の卒論発表会を傍聴してたんだけど、

一つ下の学年の自分から見てもヤバいと思うような発表内容で、回覧に出されていた卒論ほとんど何も書いてない感じのだった。

後で聞いた話だと、その発表をした学生ほとんど研究室に来ていなかったらしい。

...まあ、こういう状況で「これでは修士に値しない」はわかるけれど、それなりに研究室に来ているのにそれをもらうのははっきり言ってブラック研究室

実際に見たことはないんだけれど、自分のいた学部にかつて卒論発表会で自分学生パワハラを始める人がいたらしくて、

その研究室に行くとヤバいってことが知られているところがあったな。

今でいうAIのような流行ものテーマを扱っている研究室だったので、憧れだけで研究室を選んで地獄を見る場所だったらしい。

文系大学院常識は知らんけど、自分感覚だと修了率50%は相当ヤバいと思う。

ゼミ以外の時間は(研究質問に)来ないでね。

この研究室論文を書く場合って、指導教官はauthorに入りますか?

ゼミ指導をしたと言えば言えるのかもしれないけれど、文系研究室はえらく気が長いんですね。

月1程度(1回1.5時間ほど)以外は研究について話すのNGなんですよね。

研究を進めるうえで研究室特殊機械を借りたり、先生の人脈を使ったりしてますか?

自分感覚だと、その程度の相談時間で、研究室リソースも使わないとなると、指導教官をauthorに入れていいのか怪しいレベルだと思うんだけど。

ちなみに、自分のいたところは毎日指導教官テーマについて話してました。

論文を書くときは構想から相談して、添削もしてもらってました。

増田君が言いたいことはこういうことでしょ」と先生が書き直したことも時々あったので、ぶっちぎりでauthor感があった。

ゼミでのご助言が抽象的すぎる

これが1カ月に1回。ほんとに研究室の進捗がslowなんだな。

そして、シン・仮面ライダーメイキング(NHK制作ドキュメンタリー見てくれ)よりもひどい世界だ。

早いフィードバックで何度も回すのが自分の周りだと普通なので。

もちろん、先生に毎回確認するのは気が引けるので博士などの人が先生質問をするときに一緒に居たりして、一緒に先生の話を聞いて意図を組んで、その人と壁打ちをすることが大半だと思うけど。それでもって、その博士の人もauthorに含まれる。話しているうちに博士の人のアイディアが入ることもあるし。

私たちに聞かれても、知識がないからわからない。私たちを頼りにしないで」

別に正直でいいと思うんだけれど、先生の知り合いでその分野に明るい人を紹介してもらって共同研究できないんだろうかとかは考える。

ヒステリックになっていると言われる

先生同意ちゃうかな。

先生方は現状をどのようにお考えなのですか」の回答はそんなに問題があるとは思えない。

「お考えですか」だからね。

大学としてこの修了率は普通ことなのか、普通じゃないのか?みたいなところからだな。普通のことだったら、それ以上の会話はないよ。

普通じゃなかったら改善案についての話になるけれど、普通のことだったら改善などないからね。

正直、元増田お気持ち表明以上の意味がある質問には見えない。

納得いかない感情をぶつけられても困るだろうなと。

修了率が高い研究室に移れないかを考えてもいいとは思うけれど。

計画性がないと言われる

ここまで読んでいて思うのは先生には学生を育てる動機づけがないってことかな。

先生問題というよりも、大学やその業界問題のような気がしてならない。

うちの分野だと自身研究成果はさておき、育てた学生(特に博士)の数や研究評価対象になるので、下を育てることにそれなりの動機付けがある。

多分、指導能力がない(学生を育ててない)人はテニュアトラックに乗れないんじゃないかなと。

あと、先のところでも書いたけれど、もしかして元増田の通っている大学院別に修了しない学生が多くても構わないって思ってない?

自分のいたところはその分野の人材を育てるという意味合いもそれなりにあったのか、修了率はかなり高めだったと思う。中途で消えた人は見たことない。

でも、修了率50%でなんとも思わないというのは研究室どころか、その専攻科がそれを良しとしているとしか思えない。

休みメールすると怒られる

え?先生って定形勤務なの?てっきり裁量労働なのかと思ってた。

働きたかったら何時間でも働いていいけれど、働きたくなかったら別に何もしないでもokみたいな。

ふんわり定時みたいなのがあったほうが自分学生も働きやすいからそういうのをやっているだけかと思ってた。

前述のとおり、先生には学生を育てる動機づけがないと思う。

でも、この書類GW直後に見てもらうのだと間に合わなかったんだろうかとも思ったりする。

先生だって休みの日を休みの日として過ごす時間必要だと思うので。

家族サービス中にちらちらとメールチェックをするのはokですか?ngですか?

旅行に行けるような休みは、去年の年末からありません。

これは理系だと普通という認識

ちょっと研究室にいた時間と自宅にいた時間かぶってて、なんかおかしいので時間帯はわからんけど、

理系だと追い込みの時期に研究室に住んでいるみたいな人は普通にいる。

ま、事実上研究室に住んでいるような人生研究に捧げた先生なんかもいるらしいしね。

学位論文書いてた時は研究室から徒歩数分のソバ屋で年越しそば喰って、正月研究室にいたけれど...

大学院はこんなものですか?やっぱりおかしい?

研究に費やす時間についてはこんなものだと思う。修了できなかったら死ぬみたいな気持ちでやってたのは事実で、文字通り命を削って学生してた。

親はモラトリアム楽しんで遊びに行っていると思っていたようで、恥ずかしいからと親戚の集まりに来ないように仕向けられてた。

就職して思ったけれど、仕事の方が大学院行くよりも楽だな。

労働基準法で守られているし、学位を取れなかったら死ぬみたいな謎な緊張感もないしね。

でも、指導教官対応はなんかおかしいと思う。そもそも学生を育てようとか卒業させようとかい意思を全く感じない。

でも、それは個人問題というよりもシステム問題なのかもしれないとも思う。

もし、増田の分野が人を育てることを重視していないなら、それは業界問題であって個人問題ではないし、

そこは手厚い育成を求める人たちが行ってはいけない分野なんだと思う。

アカハラで(学校以外で)駆け込むとしたら、どこ?

法テラス

普通に考えると、この手のトラブル弁護士に話す案件かなーと思った。他の人の状況や客観的証言を集めたかったら探偵も使うのかもしれないけど。

2024-05-25

客先常駐コボラー転職備忘録

最近客先常駐から社内SE転職することが決まった。忘れないうちにこの転職に関する備忘録を残しておきたい。

転職理由転職活動にわけて記載したいと思う。

はじめに転職理由

転職理由キャリア形成が難しいと思ったからだ。

この理由に至った現職の内容を話そう。

自分20代だ。新卒客先常駐コボラーになってしまった。

なってしまった、とネガティブに書いているが全否定するつもりはない。新卒で入った会社客先常駐であることだけが悪かった。COBOL別に悪い言語とか思っているわけじゃあない。

ただし『客先常駐COBOL』という組み合わせは、将来の展望を描けなかった。これから新卒の人にはあまりお勧めできない。

なぜか。

まず、『客先常駐』。

これは全くもって良くない。責任が少ない仕事で十分で、人間関係を適度にリセットしたい人には向いていると思う。もしくは、よっぽどのニッチかつ高スキル保持者くらいだろうか。

問題点を述べていこう。

問題点そのいち。

常駐先ガチャが待っている。どんな地獄案件が待っているか行かないと分からない。しかも、客先と戦わない営業マンの方が給料が高いなんてやっていられない。最近Sier側が強気に出られるパターンも小耳に挟むが、まだ稀な印象である

問題点そのに。

上流工程に携われるかは運であるそもそも要件定義とか予算とかを他所から来た人間に任せることは難しい。底辺下請けにはもってのほかである。よって、下流工程のみの経験スキルは身につかないまま、30代に突入する可能性すらある。

問題点そのさん。

契約形態によるが1ヶ月の勤務時間が決まっている。1ヶ月最低〇〇時間以上勤務となっている。これがネックとなり連休を取ることが非常に難しい。さらに、GW年末年始休暇があると残業必須になる月が発生する。勤務時間縛りプレイ経験者は大したことではないと思うかもしれないが、ワークライフバランスにおいてストレスになる。

次に、『COBOL』。

先ほども書いたが悪い言語だとは思っていない。

ただし、大型新規開発は今後ないと思えと言いたい。必然的COBOLを書き書きしていた時代のおじさま方には、技術の点で一生勝つことはない。彼らがくたばるまでは。

それと、たまに聞く「コボラーはこれからずっと需要があるし、新規参入者も減っているから将来安定だよ」なんて話。この嘘、ほんと?

かにCOBOL自分が死んだ後も生き残るだろうが、それほど大きなパイが残るだろうか。元請けか自社の社員しか仕事が残らないのではないか。あったとしても金がどの程度分配されるというのだ。

個人的には、将来の選択肢を増やすためにCOBOL以外"も"経験した方がいいのではないかと思った。加えて、COBOLしか経験がないと求人が少なく30代以降の転職ハードルが高いため、その前に一度足抜けした方が安牌だと判断した。まあ、逃げ切れる世代には関係ございませんけれども。

そして、『客先常駐COBOL』。

悪魔合体させるといけない。

まず、COBOLはほぼ金融業界でのみ生き残っておりコボラーの生息範囲は限られることとなる。結果的に、客先常駐していると別の常駐先で出会った人かその関係とかち合う可能性が非常に高くなる。個人情報や噂が一気に広まってしまうわけであり、一回でも社会からすってんころりんしたら戻りにくい。

なにより、両者ともに揃うと別業界や別ポジション転職しにくくなる。客先常駐コボラーから客先常駐コボラー転職する人が結構いるのが現実コボラーになりたいなら最初からIT土方ピラミッドの頂点コボラーにならなければならない。

という様々な思いがあって、

客先常駐の働き方はこの先これ以上は無理だなとなり、COBOLだけではない肩書きを持ちたいと思って転職を決意したわけである

さて、転職活動に話を移そう。

転職転職エージェントを利用した。

現職の忙しさで心も身体もすり減っており、スケジュール管理企業とのやり取りなんてとても無理だったかである

さて、ステマなし・エージェント会社名無記載個人的エージェントの印象を述べていく。

まず、当初は大手エージェント登録していたが、こいつは全く使えなかった。自社開発か社内SE希望しても、客先常駐とずっと求人出している営業職と介護職の求人票を寄越してくる。

最終的には、客先常駐コボラーは美味しくないため全くフォローされなくなり、ついにはエージェントの気配が消えた。

経歴に自信がある人か自主的転職活動を進められる人以外は、大手向きではない。

次に中規模のエージェント登録した。疲れて自主的に動けない自分向きであった。

エージェント対応としては、大手より転職希望者が少ないためか連絡が頻繁かつ口調が砕けたものであり、転職活動の並走者感を演出することを意識されていたように感じた。

そのため、マメに連絡欲しくない人には向いていないと思う。

なお、結果的こちらで内定まで到達したが、登録してから内定まで平均より1ヶ月ほど長かったようである。これも客先常駐コボラー呪いか。

面接対策については、2つ目の中規模エージェント書類添削及び面接対策の申し出があって実施していただいた。それに従えばおよそ間違いないと思うが、参考として面接経験を書き残す。

面接での質問は、これまでの仕事のことを深掘りされることが多かった。

一問一答で準備しておけるようなものではないため、成功したこと・失敗したこと仕事中に心がけていることなどを整理しておくことが必須である新卒からコボラー人間技術は期待されないから、アピールできるところが仕事の進め方や考え方だけだからだ。

また、気になるIT話題自己研鑽質問への回答をそれぞれ2〜3くらい用意しておくとベスト

志望理由は、表向きの転職理由求人票の職務内容を結びつけて言えばいい。ここを起点に他の話に発展していくことも多く、嘘の理由であっても結びつきをブレさせない意識を持つといいだろう。

企業研究インターネットで調べて、事業内容と今後数年の計画を口で語れれば十分かと思われる。新卒と違って会社説明会なんてものはなかったが、面接担当者面接中にどのような会社か親切に語ってくれるから、そこから志望動機にも繋げていくことができた。

そして、自分と同じく経歴がクソだと思う転職希望者たちには次のことを言いたい。

たとえ転職先で希望キャリア待遇が手に入れられなくても足がかりになるような経験が得られるか、でエントリーしていくといいと思う。

以上が、備忘録である

しかしたら、転職した後に「失敗した」「隣の芝生が青いだけだった」なんてことになっているかもしれないが、そのときはまた転職活動を頑張る所存。

採用教育コストを考えろよというご意見には、退職されないように経営しろと回答させていただく。

最後まで読んでくれてありがとう

ここまで来て一点大きな訂正をさせて欲しい。

コボラーを名乗っているが、実際はCOBOLよりJCLに触る時間の方が多かった。なんなら、JCLで一番動かしたものは読めないアセンブラツールだったかもしれない。汎用機バンザイ

2024-05-15

anond:20240514140151

この文章、「腐女子でも彼氏旦那がいる人が羨ましい。」の20文字表現できます!って夏井先生添削されるやつじゃん

2024-05-14

ホストと頂き女子と頂かれおぢと口悪オバハンと

NHKEテレで「夏井いつきのよみ旅!」という番組をやっている。これは、TVバラエティの口の悪い添削でおなじみ?の俳人夏井いつきと、元ホストホストクラブ経営者ローランドさんがあちこち旅をしながら俳句をなんか色々する番組らしい。番宣しか見てないから、どんな番組説明しようとして急に文章ぼんやりしたが。

なぜ番組を見ないかといえば、どちらの出演者も好きじゃないかなのだが、特にローランドさんが本当にこう、TV出るのかーそれも公共放送教育チャンネルに出すのかー、という思いだ。このいろんなことがあったご時世に。「俺の店では売掛やらないよ」とブログ宣言したことで男を上げたみたいに言う人もいたが、やらない宣言したということは、やってたんじゃん、って思う。まぁ過去のこと言ったところで詮無いんでしょうけど。

ローランドさん個人や彼のやっている店が「悪いホスト(クラブ)」かどうか、ということは私には知る由はないが、ある種の象徴として「TVに出ている元ホスト有名人」だ。

なんだかなー、「社会に許されてんなぁー!」って思う。

歌舞伎町ホスト界隈ではなぜか短歌俳句を作る勢力があって、数年前にバズった「ホスト万葉集」や「アウトロー俳句」と、作品になっているものもあるのだが、ローランドさんは、なんか松本人志の痛いエッセイみたいな感じの本は出しているけど、詩(短歌俳句)はしたためてはいない。のになぜか「俳人と旅する番組」の出演者に収まっている。

まり象徴としてのホスト」としてブッキングされてるんだろうと思うのだが、つまり象徴としてのホスト」は、Eテレ番組持ってる程度には社会に許されてんのなぁ~~。

夏井いつきもせっかくホストを連れて旅に出たいっていうなら、「象徴としてのホストタレント」じゃなくて、アウトロー俳句まわりのホストの人とかを連れて旅をすればいいのに。アウトロー俳句相当いいものなのにな。まぁ夏井いつきホストと旅したがっているわけじゃないとは思うが。

まぁ鮮度の高いホストだと、さすがにTVサイズじゃないんだろうけど、でもなーなんかなー。

頂き女子マニュアルらしきもの流出して、ホストを頂点とした「水商売タコ部屋構造弱肉強食生態系モデル」みたいなものを多くの人が想像しながら、頂き女子罵倒したり(まぁ仕方がない面はあるだって犯罪容疑者もの)、頂き女子にカモられたおぢを馬鹿にしたり(かわいそう)、うっかりキャバクラ行って「頂きそうなキャバ嬢トーク」を目の当たりにしたうっかりしたおっさん馬鹿にしたり(かわいそう)している。

なんていうか、ホストに貢いでた」キャバ嬢や、キャバ嬢に貢いでたおっさんたちは「社会に許されてない~~」という感じであるキャバ嬢は、そして頂かれたおぢたちは、Eテレお金出してもらって旅とかしてない。

まぁ個別にいえばローランドさんは悪いことはしてない(表面上。でも売掛はやってただろう?とやっぱり思う)から当然、許される許されないということではない。

一方で頂き女子容疑者だし、だまされたおぢ達は凄くかわいそうだけど根底には下心があるだろうから100%の同情は生まれにくいというのはあるだろう。でもローランドさんはたぶん売掛さんざんやってたんじゃねーの?と思うんだよな。

まぁ、そうはいいつつ、ローランドさんについてはあんまり知ってることがないから今検索してみたけど、別の源氏名だったけど女を金で見たくないか源氏名を変えたとあって、まぁそういうことなんだろう(売掛さんざんやってたんじゃねーか、というか)

でもその辺は明らかにせず、良い感じにウォッシュしてTV番組に出ていると、いつの間にか社会的に許されてるポジションにいたりする。なんだかね。なんだかなー。

全然話は変わるが、実は、キャバ嬢にハマったおぢを3人ほど知っていて、ハマるところから破滅するところまで身近で観察したことがある。昔の職場にいたのだ。辞めてよかったあの会社笑。

正確に言えば、ハマった3人のうち2人は社会的信用がかなり棄損され、1人はハマりかけてたが「はしかが治った」感じで収まった。

社会的信用の棄損、というのは要するに「妻と別居」「離婚」「左遷」「弁済」である。まぁ今でも元気に暮らしているような話は風の噂で入ってくるが、別居の人は、別居したまま10数年、なぜか離婚せず結構金額の妻子の生活費を振り込みされられ続けているらしい。自業自得とはいえお気の毒である

さて、ハマったおぢ3人に共通しているのは…、と考えて特に外的には大きな共通点がないのだった。

お金はそれなりに(キャバクラ通えるぐらいには)あり、3人とも結婚して子供もいた。未婚だからカモられおぢということではないように思う(まぁ結婚してたって孤独ってこともあるからねぇ)。あと「断れないタイプ」のような弱者男性らしさもなかったと思う。3人のうちの一人は私が別の会社オッサンからセクハラターゲットにされたときに助けてくれた人だったし、別の人は会社宴会や懇親会でも人気のムードメーカーのような明るい人だった。見た目も別にごく普通

でもそんな普通な人でも、ハマる時にはハマっちゃうんだな。

色々ほんと色々あって左遷されることが決まった人に、何でハマっちゃったんですか?と聞いたら「だってあんきれいな子が俺の話で笑ってくれるんだよ!」と言われて、あーダメだこれは…と思った思い出。強いてあげれば3人の共通点は「若くてかわいい女の子がとにかく大好き」なところだったかも。

ハマりかけてたけど治った人は、その職場において三人目だったわけだが、周囲が全力でもう、止めたよね。

医学部に行くお金キャバで稼いでると言っていた、いい子なんだまじめな子なんだよ、親御さんが女が医者になるなんて生意気だと反対していて学費出してくれないって言うんだ」と、割と目が据わった表情で会社忘年会で言われて、同じ卓に座っていた全員が目を合わせて「…第三の被害者が」という感じになった。それはキャバ嬢風俗嬢常套句だよと第二の犠牲者の人が言って、私たちスマホで色々検索したりして「ほら手口なんだよ」とかさんざん皆で説得したけど駄目で、結局2次会の後に、第二の犠牲者の人とそのキャバクラに行ってた。

そして第二の犠牲者の人(離婚済)がそのキャバ嬢にハマって、第三の人は「まんまとハマった第二の人の様子」を見て己を客観視できたらしく、その日でキャバクラ通いをすっぱりやめたみたいだった。

要するに、別に「かわいそうな弱者男性」だけがターゲットなわけでもなく、そして「下心はいろんな危機管理レーダー簡単に狂わせる」んだよね。まぁ気持ち暴走はどうしようもないのかもしれないけどさ。

まぁ、貢ぐおぢは社会的弱者のGiverだ、というのは、当てはまってない被害者結構多いんじゃねーかなとは思うんですよね、だって下心があるからお金貢ぐわけで、別に純粋気持ちお金出してないわけじゃん。ヤラセてもらえるかも、俺は彼女にとって特別から、と思うから貢ぐわけでしょうし。

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

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