はてなキーワード: 理工系とは
はまあ曲論だけど、彼の言っていることは、まあまあわかる。
理工系の女性っていうのがそもそも少ないから、スクールカーストの同族性の人が少なかったり、
1人しかいなかったり、或いは全くいなかったりするのが現状で、
でもって、男性も男が多いので良くも悪くも男子校ノリみたいなところがあるから、
そこに女性が入ってくるとめんどくさいから距離を取っている部分はある。
その男子校のノリを間違えて、かわいい女子には普通に接するけど
陰キャ女子だとぞんざいに扱うみたいなことをするやつもいるんだろう。
でもそれは逆も然りで、男女比が逆ならきっと同じように扱われる男だっているはず。
3年くらい前に日本の半導体産業の近況をまとめたのですが、ここ数年で政治家の先生たちが何かに目覚めたらしく状況が大きく変わりつつあるので各社の状況をアップデート。
前回の記事 https://anond.hatelabo.jp/20200813115920
熊本工場:28nm, 22nm (工場稼働時) / 16nm, 12nm (将来計画)
日本政府の補助金とソニー・デンソーの出資という離れ業により、業界人が誰も信じていなかったTSMCの工場進出が実現した。現在は建屋の建設が進んでおり、順調にいけば2024年内には量産開始となる。生産が予定されているプロセスはいずれも世界最先端に比べると古いものだが日本では最先端であり、HKMG(ハイケーメタルゲート、トランジスタの性能を上げる技術)やFinFET(フィンフェット、性能の良い3次元トランジスタ)といった技術が新たに導入される。工場で生産される半導体の主なクライアントは出資者のソニー。衰退の激しい日本の電機業界だが、ソニーはまだ世界と戦う余力を残しており年間半導体購入金額世界10位で日本トップである。ただし、PS3のCell Processorを長崎で作っていたように先端プロセッサをここで作れるわけではない。PS5のCPUはTSMCの6nmプロセス製造であり、この工場では製造できないのだ。識者の予測ではイメージセンサー向けロジック半導体を生産すると想定されている。
■ Rapidus (ラピダス)
日本政府の国策で、IBMから技術を導入し自前で最先端の半導体製造を狙う野心的なプロジェクト。量産開始は2027年を予定。
彼は日立→トレセンティテクノロジーズ(ルネサスの那珂工場の前身)→SANDISK→Western Digitalという国内外の半導体メーカーを渡り歩いた華麗な経歴の持ち主である。
以前に社長を務めていたトレセンティテクノロジーズは2000年に日立と台湾の大手ファウンドリUMCとの合弁の半導体製造会社で、世界に先駆け現在の標準となる300mmウェハに対応した先進的な工場であった。ファウンドリ全盛の今から後知恵で見れば、限りなく正解に近い経営戦略と先進性を併せ持っていたがビジネスとしては成功しなかった。工場はルネサスに吸収され、小池氏はSANDISKへと移籍することに。そんなわけで今回の国策ファウンドリRapidusの社長就任は小池氏の二十数年越しのリベンジマッチでもある。
なお、氏のポエミーなプレゼンは業界でも有名。記者会見で日本半導体衰退の原因を「驕り」と一刀両断した一枚のパワポが話題をさらったが、本人が一番驕っているのではと不安がる声もある。
■ ルネサスエレクトロニクス
日立・三菱電機・NECのロジック半導体部門が統合した日本を代表する半導体メーカー。
5万人いた従業員を1/3にする大リストラ、先端プロセス製造からの撤退、海外メーカーの買収ラッシュを経て復活。そして大躍進。
昨年の売り上げは1兆5千億円を超え、はじめて統合直後の売り上げ(ピークは2011年3月期の1兆1千億)を抜いた。もう1+1+1=1とは言わせない。
旺盛な車載半導体需要にこたえるべく、政府の補助金を得てリストラで閉鎖した甲府工場の再稼働を決定。
コロナ禍では働き方が柔軟になり、リモートワークは全国どこでもできるようになった。ルネサスは開発拠点も大リストラで統廃合しており、三菱系の伊丹やNEC系の玉川をはじめ全国にあった設計拠点を日立系の小平に集約している。地元の拠点が閉鎖されて単身赴任をしている人も多かったのだが、最近ではリモートワークを活用して単身赴任先のマンションを引き払った人も出てきている模様。
増大する車載半導体需要にこたえるべく、デンソーが出資してパワー半導体のIGBTの生産を始めた。筆者はパワー半導体は専門外で、家電芸人が語る家電の説明程度にしか話せないため軽く紹介するにとどめたい。
半導体部門を手放したがっていたPanasonicがイスラエル企業のTower Semiconductorと共同で運営していた工場。
Panasonicが台湾Nuvoton technologyに持ち分株式を売却したため、現在ではイスラエル・台湾共同運営という珍しい業態になっている。
さらに、半導体最大手のIntelがTower Semiconductorの買収を進めているため、将来的にはIntelの拠点となる可能性があり、日本でIntelのCPUが作られる世界線もあるかもしれない。
が、本案件は米中対立のあおりで中国での買収審査が長引いているため、先行きには不透明感が漂う。
■ キオクシア
日本を代表するメモリ半導体メーカー。前回からの3年で、積層数は96層 → 112層 → 162層と2世代進化した。競合他社は232層品の量産も始めている(キオクシアは開発完了 / 本格量産前)が、最近の3D NANDは闇雲に積層数を増やせば低コストで作れるというわけでもない模様。
なお世間では半導体不足のニュースの印象が強く、半導体はもうかっているとの認識があると思うがコロナ禍でのIT投資ブームが終了したメモリ業界はリーマンショック以来の大不況である。
キオクシアも例外ではなく、最新の4半期決算で1000億円単位の赤字を計上してしまった。Western Digitalとの統合のうわさがあるが、もちろん筆者は何も知らないし、仮に知っていても絶対にここには書けない。
■ Micron Memory Japan (旧エルピーダメモリ)
ルネサスと同じく、NEC、日立、三菱電機のDRAM事業統合で生まれたエルピーダメモリを倒産後に米Micronが買収。
前にも書いたが、DRAM業界はプロセスのサバ読みが横行しており、20nmを切ったあたりから具体的な数字ではなく1X, 1Y, 1Z, 1αときて、ついに1βnm世代の量産にたどり着いた。広島サミットに合わせて、社長が来日。岸田総理と会談後大々的な設備投資を発表。1γnm世代を目指して日本初の量産用EUV露光装置が導入されることが決まった。
このEUVというのは波長が13.5nmの極超紫外線(Extreme Ultra Violet)を使った露光装置で1台200~300億かかる人類史上最も高価で精密な工作機械でありオランダのASML社が独占的に製造している。もっとも、メモリ業界の大不況を食らっているのはMicronも例外ではなく、岸田総理と華々しく会談している裏で数百人規模のリストラを慣行。こういう外面の良さと裏でやってることのえげつなさの二面性は、いかにも外資だなと思う。
東芝と共同でフラッシュメモリの開発を行っていたSANDISKをHDD大手Western Digitalが買収。キオクシアの四日市工場と北上工場を共同で運営している。
Western Digitalはメモリコントローラーを内製していることで知られSSDの性能の良さに定評があり、スマートフォン向けの売り上げが多いキオクシアとは、同じ工場を運営していても得意としている販売先が微妙に異なり、住み分けがなされている。(そのため、2社統合によるシナジー効果が期待されたびたび観測気球的な記事が出回る。)
なお、もともと日系半導体メーカーが大リストラをしていた時の人材の受け皿として中途をたくさん採用していた経緯もあり、人材の流動性は高い。在籍時の仕事ぶりがよければ、他社へ転職していった元社員の出戻りも歓迎と聞く。前述のRapidus社長の小池氏は、つい先日までここの社長をしていた。余談だが、上記Micronの米国本社の社長も旧SANDISKの創業者でWestern Digitalによる買収後に引き抜かれている。こういう話を聞くと、いかにも外資だなと思う。
イメージセンサーで世界最大のシェアを誇るソニーの半導体部門。2020年、2021年は米中対立のあおりを受けて主要顧客のHuawei向けの出荷減少に苦しんだが、2022年度は大幅に売り上げを伸ばし、1兆4千億円となった。他の半導体の例にもれずイメージセンサーも国際競争が過酷であるため、対抗して人員増強を進めている。Panasonic系エンジニアを引き抜くために関西に設計拠点を開設し、各地の工場の拡張も並行して進めている。調子のいい半導体メーカーはどこも人員増強を進めているが、ここ10年ほどは理工系の学生の半導体業界人気がどん底、かつ人材ニーズも少なかっため、新卒で半導体メーカーに就職した絶対数が致命的に少なく30~40歳くらいの中堅技術者の確保にどこも苦労している模様。なお、スマートフォン向けカメラの次の飯の種として、車載用途に数年前から注力開始。最近徐々に成果が出始めている。
■ ソシオネクスト
富士通とPanasonicのLSI設計部門が統合してできた日本最大のファブレス半導体メーカー。昨今の半導体ブームの波に乗り、株式上場、売り上げ2000億突破と非常に好調。3年前は1000億程度の売り上げだったので、すさまじい成長である。もっとも、母体となった富士通・Panasonicはピーク時の半導体売上が1社で5000億近くあったので、少々物足りなさを感じなくもない。復活は道半ばである。
■ メガチップス
ソシオネクストが誕生するまで日本最大のファブレス半導体メーカーだった。もともと任天堂向けの売り上げが大半だったのだが近年は多角化を進めている。昨年の売り上げは約700億とSwitch人気がピークだった時と比べるとやや劣るが営業利益は過去最高を記録している。
かつては日本を代表するファブレス半導体メーカーと言えばここだった。昨年の売上高は54億と、3年前紹介したときの30億から伸びたものの、ファブレス上位2社からはかなり離されてしまっている。大昔は韓国のサムスン電子に自社製品が採用されたのがウリで創業者の武勇伝にも頻繁に登場していたが、今では売り上げの75%を国内に依存しており海外展開の出遅れが否めない。
■ 東芝
車載用途のパワー半導体需要が伸びており、石川県の工場に300mmウェハ対応ラインを建設。この記事でよく出てくる300mmウェハとはシリコンの基板の直径であり、大きい方が製造効率が良い。125mm → 150mm → 200mm → 300mmと順調に大型化が進み次は450mm化と思われたが、大きすぎて弊害が大きく、ここ20年間はずっと300mmが最大サイズである。
従来はCPUやメモリといった分野の製造にしか使用されていなかったのだが、ここ5年くらいでパワー半導体にも300mm化の波が押し寄せてきている。
■ ローム
何かと癖のある京都系メーカー。車載事業が好調で売り上げが順調に伸びている。次世代パワー半導体材料と呼ばれていたSiCで日本国内の他のメーカーをリード。
余談だが、筆者は学生のころSiCを実験で扱っていた。単位を落としまくっていた不良学生だったので、教授がワクワクしながら話していたSiCの物性の話はすべて忘れている。今では家電芸人並みのトークしかできないのでSiCについて語ることはご容赦いただきたい。研究から本格量産まで20年超の時間がかかっていることに驚きである。基礎研究の大変さを実感する。
■ 三菱電機
パワー半導体大手。半導体に力が入っていないシャープから福山工場の敷地を取得し、300mmウェハ対応のラインを構築。SiCのラインも熊本に作るぞ!パワー半導体には詳しくないからこの辺で勘弁な。
日本の半導体産業が衰退しまくっていたころに、トヨタが危機感を覚えてデンソーとの合弁で設立した車載半導体メーカー。コロナ禍中に行われたオンライン学会に知らない会社の人が出てるなと思って調べたらここだった。
■ TI
米系のアナログ半導体世界最大手。富士通とAMD合弁のNOR FlashメーカーSpansionから買収した会津若松工場と茨城県の美浦に工場を持つ。最近は日本法人の話をあまり聞かない。
米系のアナログ半導体大手。三洋電機の半導体部門を買収したが、旧三洋の新潟工場は日本政策投資銀行出資のファンドに売却した。現在の日本拠点は富士通から買収した会津工場。富士通が半導体事業から手を引き工場を切り売りしたため、会津若松市内には米系大手半導体メーカーの工場が立ち並ぶことになった。
■ Infineon Technologies (インフィニオン)
ドイツの大手電機メーカー、Siemenseが20年ほど前に半導体部門を分社化して誕生した。従来欧州系半導体メーカーは日本での存在感があまりなかったのだが、富士通のマイコン半導体部門を米Spansionが買収、そのSpansionを同じく米Cypressが買収、そのCypressをInfineonが買収した結果、日本市場でも存在感を示すようになった。もともとInfineon自体が車載半導体に力を入れており、有力自動車メーカーがそろう日本市場に注目しているというのもある。
■ Nuvoton Technology (ヌヴォトン)
台湾の半導体メーカー。半導体から撤退したがっていたPanasonicから、Tower Semiconductorと共同運営している工場と、マイコン設計部門を買収する。Panasonic時代は、自社家電向けの独自マイコンをメインに作っていたのだが、Nuvotonに買収された後はArmベースの汎用マイコンに設計品目が変わった。日本法人は車載やモーター制御向けのマイコン開発に特化させていく方針で台湾の開発チームとは住み分けを図る模様。富士通ほどではないが、Panasonicも半導体部門を切り売りしており、所属していたエンジニアはバラバラになってしまった。研究室が一緒でPanasonicの半導体部門に入社した友人がいたが、彼は今どこに流れ着いているのだろう?
大学教員の攻略それとなくわかるからアドバイスはあるけど,疑問として彼のポストの説明に謎が多い.
(補足)はてな記法はコピペしても確認画面で出力を確認できなかったので見づらいと思うけどご容赦を.
というか (連続した空白の行2つ) をしても改行すら挿入されないしはてな記法は難しすぎる.みんなよく書けるね.
それとも何記事か書かないとはてな記法使えないとか縛りでもあるの?本文は↓から
> この春に博士号を取得し、出身大学に任期付き(任期3年)の助教として就職。
PhDとって任期付き助教ってことは理工系なんだろうけど,29歳でPhDは優秀と呼ぶには取得が遅い.
それなのに
> 大学からの特別奨学生として奨学金をもらっているので、大学院卒業後(つまり2023年春から)5年は大学の職員として働かないといけないらしいです。
> 大学側としては将来的にポストが空くことが確定しており、助教→講師→准教と順当に彼を育てていきたいと思っているらしく、海外留学もその一環とのことです。
というのは非常に謎.それなら少なくとも任期5年つける.
そもそも常勤安定財源の任期付き助教は基本5年(全部じゃないけど傾向はJREC-INで調べらればわかる https://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekTop)だし3年にする意味がわからない.
特任助教とかなら3年というのは納得の数字だけど,それは安定財源じゃない.
そもそも助教は「教員」であり「職員」ではない.「教員」と「職員」は業務上明確に違うのでここの間違えるのは違和感しかない.
通常,ポストが空くことが確定しているならテニュアで採る.テニュアじゃなくて任期付き3年ってことは少なくとも大学側に彼を順当に育てていきたいという思いと矛盾する.
邪推だけど,研究員なら「職員」なので,彼は助教ではなく特任研究員とかなのではないだろうか?任期3年の特任研究員なら29歳PhD取得後の最初のキャリアならわりと合点がいく.
まったく将来性のないポジションで大学側が彼を育てたい説明とまるで一致しないけど,アカデミアにいない人には,そういうのわからないからからフェイクがすぎるか増田は嘘を付かれていると思う.
邪推はともかく,助教で将来性が本当にあるポストにいると仮定すると一応留学周り,
> 教授に、論文を1つ書いたら、海外留学の話を持ち出されているそう。ほぼ強制で断ると、ポストに影響がでるから、彼も留学する気でいる。彼の大学の教職員の留学は、最低半年~最大2年(2年目は休職扱いらしい。)
> 留学先も提携大学になるだろうけど、いくつかあってどこの国になるかわからない。
など,海外大学で Visiting Researcher をやるのはよくあるはなし.昇進のために必要なところも多く,海外留学がその一環という説明は納得できる.
そして受け入れ先の都合もあるので,別にどこにいつからというのが事前に決まっていないのも少なくない.
・初産は遅く見積もっても35歳以前でないとリスクが跳ね上がっていくのは医学系でよくいわれるので,そういう論文やデータを集めて結婚と子供について説得する
・もちろん高齢出産も不可能ではないので35歳以降でも諦めることはないけど,常識的な適齢期に入ってからは早ければ早いほどあらゆるリスクが低いのは否定できない事実
・なお,理工系的に査読のない書籍は情報が古かったり嘘が平気かかれてあるのでデータ集めは論文をベースとすると反撃する隙を潰せる
・真っ当かつオープンアクセス論文も最近は多い,medRxivはプレプリントで情報の確度の判断に能力を要するのでおすすめはしない
・余談だけど結婚・育児雑誌や本は有名どころ含めて信頼性低い情報がかなり多いので真面目な理工・医学系のPhD持ちにこれらの情報提示するときは相当の注意が必要
・どうしても雑誌や本の情報使いたい場合信頼性を確認する手段として素人でできる範囲としては,本や雑誌は専門家が意見していたらその専門家の研究歴(科研費dbやresearchmap,非公式なものとしてはresearch-er.jpとか)と論文執筆状況(Google Scholarで最近の記事出てくるか)の確認となる
業績なかったり本・雑誌ばかり出てくるならその情報は居酒屋の酔っ払いの与太話と科学的信頼度は同じなので,扱わない方が無難
・余談の余談だけど,日常的にはそこまで科学的信頼度高い情報じゃなくても普通に生活する上でなんとかなるので,そういう雑誌や本読んだり知識を使うのはほどほどにしていれば喧嘩にはならないはず
・専門外だからと論文に目を通そうともせず話を聞こうともしないなら少なくとも大学教員としての資質はそう高くないので,大学で重宝されて順調に昇進できるタイプには思えないので,よほど好きとかでないなら違う人探したほうがいい
・学内も男性の育休取得率や育児支援制度は拡充しつつあるので,そういう制度を(表向きだけでも)利用できると大学は実績としてカウントできるので大学側はハッピーになると説得する
・ただし研究活動は大学の用務ではないので休業できるわけではなく(科研費の研究は育休できる),早い昇進で生活を安定させるためにも研究実績が必要で,夫氏が休んで育児に参加するより1本でも論文を書いて出してもらった方が冗談ぬきで1年後から数年後に収入が増えて生活が楽になる可能性はあるので覚悟は必要
・そういう大学の用意した制度や中期的な視点をもてない人なら,順調に出世できる資質も疑わしいので,よほど好きとかでないなら違う人探したほうがいい
・結婚式はいったん棚上げて子育てに向けて貯金すると割り切って,入籍はする.紙出すだけなのでほぼ0円でできる(戸籍謄本取得とかで経費はちょっとかかるけど1000円以下切り捨て)
・なお結婚式のおすすめは10年後とかバウリニューアルでと言っておくのがおすすめ
・特に10年後なら本当に大学に重宝されているなら少なくとも准教授にはなってるだろうからお金に余裕もでてくるはずで,新婚夫婦のやる盛大な結婚式より数ランク上の結婚式も難なく盛大にすることは可能
・盛大にとまでいかなくても,キッズスペース設ける費用もそんな負担にならずできて,同級生とかも子供大きくなってきた頃なので参加しやすいし,たぶん同級生からはすごく評判な結婚式にできる
・金銭的負担が心配なら結婚式などなしで紙出して一緒に住むのが名実ともに一番金銭的負担が少なくなる.この金銭的合理性に同意できないなら結婚的ない不安が別にあることなので話し合うか,よほど好きとかでないなら違う人探したほうがいい
・「寄り添えるのは俺以上に居ないと自負する」としながらも「遠距離恋愛はしたことがないから考え方が変わって、増田のことが好きでいられるか不安」の感性が謎
・大学に重宝されるほど優秀な理工系教員の基本的な思考ではプライベートでもそのような結論は安易に出さないし,未知なることへの探求に対して不安は覚えずむしろ挑戦的な傾向を示すorなんとかなるとする傾向が強い
・ただし,私調べ,理工系の業績がぱっとしない教員・間違いなく優秀な教員での比較,それぞれn=20±5,なおサンプルは国立の方が少し多めだが十分な私立教員含む
・優秀でもただ単に相手はそこまで本気でない可能性が十分に否定できないので,よく話し合うか,よほど好きとかでないなら違う人探したほうがいい
(追記)
邪推がすぎましたね.助教で間違いないのですね,失礼しました.また6年生学部とのことで,こちらも失礼しました.
ただ逆に本当に助教であるなら,より採用側の認識とご本人の認識に齟齬があるのではと思われる状況ですね.
分野によりますがAMEDの若手育成枠の採択目指せそうな実績でもあるのでしょうか.とてもとても不思議です.
(追記終わり)
それを言い始めたら女性が犯罪をしない可能性の証明(説明)してください。ってのと同じですよ。
設計関係に女性が少ないのは理工系に進む女性が少なくて求める能力が不足しているからです。
同じ会社の同じフロアに事務や組み立て部署の女性はたくさんいますし仕事のやり取りで頻繁に顔を合わせますが皆さんしっかりと働いていますよ。
たしかに異性が多い職場へは行きづらいでしょうが私としては恋愛に脳を使うくらいなら仕事に脳を使えと思います。
安定したイメージと言うのはどう言うものを想像しているか不明ですが、
あなたが働いた職場ではそういうのが無かったのかもしれませんが、労働組合とかが目を光らせてるので仕事量以外でひどい部分はないですよ。
視聴者や番組常連の男性出演者からアンケートを募って「若い頃にお世話になった(※性的な妄想のネタにした)女優・女性芸能人ベストテン」を選出する企画。みうらじゅんが、ポルノ・ピンク映画女優の名前を一人で四百人以上書いてきたので、多すぎてボツにしたとタモリが言っていた。
空耳アワーの逆のスカイ・イヤー・アワーという企画。在日外国人の人たちに、彼らの母国語で面白おかしく聞こえるという、日本語の歌を挙げてもらう企画。
電卓が普及する以前に理工系の分野で使われていた、歯車式の手回し計算機。それを使った計算と、在日インド人の人たちの暗算と、どっちが速くて正確かを競う企画。ちなみに、古本屋で買って手元にある昭和三十年代ごろの線形代数の教科書には、巻末の附録として、手回し計算機を用いた数値計算のハウツーが掲載されている。
事務所の戦略なのか本人が本当に好きなのか分からないが、あいみょんは何故か下ネタ企画にゲスト出演することが多かった。官能小説朗読会(※番組初登場)、江戸の春画本朗読会、東京・関東近辺のラブホテルの内装鑑賞会。あいみょんの損得勘定が謎である。
オープニングのお尻映像をリニューアルする際、テレビでの顔出しは駄目だが美尻なら披露しても構わないという女性を一般から募った時、星野源が審査員としてゲスト出演していた。そんなことをしていてもガッキーのハートを射止められたのは、いったい星野源は前世でどれほど大きな徳を積んだのだろうか。
空耳アワーで『ムトゥ/踊るマハラジャ』のタイトルテーマ曲が「汗(あーせ)と涙(なみだー)、なぎらも泣ーく」と聞こえるというネタの時は、ちゃんとなぎら健壱が出ていたし、PUFFYがゲストの時には奥田民生が出ていたし、不意打ちで芸能人がさり気なく映像に出てくるのは好きだった。
DIYで色々な工作をしている鉄好きの人たちは、素直に凄いと思った。自家用の鉄道運転シミュレータとか、好きな電車のモーター音を再現する機械とか。
身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。
コメントで、築50年、1970年代に作られたマンションの様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。
このマンションは1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取りは3LDK。私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年、1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。
小学校に入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれが班長、レストランのせがれが副班長。スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋の社長、理工系の技術者、保育士、共産党員、福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋のおやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油や砂糖がないときは借りに行ったりというつきあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域の情報を過剰に共有していた。マンションが商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったかの情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。
おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者はほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり、住民がいぶかしがるような時代だった。独身者はアパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民がマンションに住むという構造だったのだと思う。商店街にコンビニやレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しかし資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館や集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズのコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京の未来を信じていた時代だったのだと思う。
その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人と同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由な暮らしを謳歌していた。文化的な地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブのファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線と私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。
そんな2000年代。わが地元のマンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化したからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンションの世帯は四方にあり、衛星放送のアンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたとき、マンションの理事会が開かれるという。私は屋上に衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき、長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話でインターネットに繋いでいた時代の話だ。
「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンションの構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下」である。エレベーターはマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段だけが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人は住み込みで管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心ついたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦で住民とは打ち解けている。数年前、管理会社の方針で住み込みでの雇用は打ち切るとなったとき、マンションの自治会が自治会費で管理人室を買い取り、管理人を雇用することになったとのことだ。そのときの声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込みの管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠に管理人に介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人の裁量で判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民も管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。
マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球やサッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターとしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭の大人は行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技は禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師の夫人が、先生の師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき、野球だサッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由な環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。
たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護が必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしをいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生は最近どうなのという話題は常にあがる。先生はスーパーや下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。
ほとんどの医学部はちゃんと試験しとるだろ だから問題になったしこういう話になると絶対持ち出してくるからわざわざ除外して書いてやったってだけだよ
問題になってからあからさまなことはできなくなっただろうし、今年は桜蔭が理3に大量に入ったとか含めて女性でも医学部行ってる人なんてたくさんいる
そもそも医学部以外にもルートなんていくらでもあるやろ お前医学部目指してて点数引かれて落とされたんか?そもそもお前には縁のない話やろ
医学部とか以外は面接ないんやから落とすもクソもないどころか、理工系なんて男女比率是正のために女性優遇しまくってんぞ
言い訳してないでそういうとこ行けばいいのに