はてなキーワード: 正規分布とは
集積の経済を考慮したモデルを用いて説明します。都市の生産関数を以下のように定義します:
Y = A * L^α * K^β * N^γ
ここで、Y は総生産、A は技術水準、L は労働投入、K は資本投入、N は都市の人口規模を表します。α, β, γ はそれぞれの弾力性を示します。
γ > 0 の場合、規模の経済が働きます。人口 N が減少すると、総生産 Y は比例以上に減少し、一人当たり生産性も低下します。
臨界点 N* を下回ると、急激な経済活動の縮小が起こります:
dY/dN = γ * A * L^α * K^β * N^(γ-1)
N < N* のとき、dY/dN が急激に大きくなり、小さな人口減少が大きな経済縮小をもたらします。
不確実性下での投資決定モデルを考えます。企業の期待利潤関数を以下のように定義します:
E[π] = p * f(K) - r * K - C(I)
ここで、p は製品価格、f(K) は資本 K の生産関数、r は資本コスト、C(I) は投資 I のコスト関数です。
不確実性を導入するため、価格 p を確率変数とし、平均 μ、分散 σ^2 の正規分布に従うとします。
リスク回避的な企業の効用関数を U(π) = -e^(-λπ) とすると(λ はリスク回避度)、企業の最適化問題は:
max E[U(π)] = -E[e^(-λπ)]
この問題を解くと、最適投資量 I* は以下の条件を満たします:
f'(K) = r / p + λσ^2 * f(K) / 2
右辺第二項はリスクプレミアムを表し、不確実性 σ^2 が大きいほど、最適投資量 I* は小さくなります。
効率賃金モデルを用いて説明します。労働者の努力関数を e = e(w, u) とし、w は賃金、u は失業率とします。
max π = p * F(e * L) - w * L
一階条件より:
p * F'(e * L) * (∂e/∂w * L + e) = L
これを解くと、最適賃金 w* は市場清算賃金よりも高くなり、非自発的失業が発生します。
非正規雇用を導入するため、労働を正規雇用 L_r と非正規雇用 L_n に分けます:
max π = p * F(e_r * L_r + e_n * L_n) - w_r * L_r - w_n * L_n
ここで、e_r > e_n, w_r > w_n となります。企業は正規雇用と非正規雇用のバランスを調整することで、柔軟な雇用管理を行います。
私もあれから色々と考えたが、現状思っていることとしては「おっぱいは個人差が大きいため、一概には言えない」である。
では順に見ていきたい。
そのように下着店員も嘘をついてるんじゃないかと思われるのはわかります。
ただ、そのような水増し行為はありえません。
どんなに胸の小さい客にもBカップ以上だと嘘をつくのであればAカップのブラは一つもないはずです。(中古に流れているので購入実態もある)
これはAAカップのお姉さんがトラバしてくれた通り、あり得る話なのである。ただ、どの程度あることなのかは分からない。結構あるのかもしれないしほとんどないのかもしれないが、「あることはある」のである。
また、全員が計測して買うわけではないことにも留意したい。自分がなんとなくAカップ以下だと思っている場合は普通にAカップを買うだろう。
次に、大きくて固いブラの上から採寸すれば確かに結果もおかしくなるかもしれません。
しかしこれで騙せるのは「ブラを買いに行くためのブラがある客」だけです。
成長途中の人にAAAカップと告げるのと、育ちきった人にAAAカップと告げるのでは違うのではないだろうか。
前者なら普通にジュニアブラみたいなものを勧めればいいが、後者はそういうわけにもいかない。ワコールでは取り扱いがあるらしいが、ないメーカーもあるだろう。
高校生以上でノーブラで下着屋に行く人がどれぐらいいるのかは不明だが、恐らく非常に少ないのではと思われる。
よって、ここで考える対象としては「ブラを買いに行くためのブラがある客」だけで十分である。
こうして自分のカップサイズがAAやAAAだと知った客にお世辞でAなどと言っても嘘だとバレてしまい、喜ばせるどころか「あの下着屋は嘘つき」と悪評を呼ぶことにしかならないでしょう。
そうなればネットでウワサになってそうなものですが一度も聞いたことがないので嘘カップが常態化しているということはないものと思われます。
本当に悪評を呼ぶだろうか?
ちゃんと測ってもらったら2カップアップした!とキャッキャしている人が多いように感じる。
「自分で測ったらAAだけど店で測ったらBだった」のような類の投稿はたまに見かけるが、疑問に思ってこそいれど怒ってはいないことが多い。
基本的に、「店で測ったらサイズアップした」は「嬉しいこと」なので、炎上するようなことはないのではないか。
ただ、常態化しているとまでは言わない。そこの割合までは分からない。
これはもちろん基準の不統一です。しかし、だからどうしたというのでしょう。客にとって重要なことは自分に合う下着を選ぶことであって、よその客と同じ基準で測定されることではありません。
スタッフの仕事はフィッティングであるため、自社のもので合うものを探すために計測しているということなのだろう。
実測がAだったとしても、体型や形状によってはBカップやCカップがフィットするということが十分あり得るのは理解できる。
しかしここで、「実測はAですが、当店のものではこちらのCカップのものがぴったりかと思います」としっかりと伝えることが重要なのではないだろうか。
スタッフが「こちらのCカップのものがいいと思います」とだけ伝えた場合、客は恐らく「私Cカップなんだ!」と思うだろう。
そんな彼女が脱いだとき、男性からこう言われることになる。「え?これでCなの?嘘でしょ?」と。
女性の認識がおかしいのもあるし、男性側の「バストサイズはパッと見では分からない」という認識の欠如も大きい。
そもそも、大抵の女性は「自分のバストサイズ」を「着けているブラのサイズ」だと思っているように感じられる。
自分のアンダーとトップをちゃんと測ったことがある人はそんなに多くないそうである。トリンプの記事にもそう書いてある。「なんとなくこのくらいかな?」で買うのだろう。
ここで、前に書いたアンダー67、トップ83の女性の話をしたい。
実を言うと彼女は妻なのだが、上記の値は授乳期間中にお辞儀状態で測ったものである。
授乳開始から数ヶ月後あたりの、パンパンに張っているわけでもなければ垂れているわけでもない状態である。
ちなみに、直立で測るとトップは78ぐらいになる。2サイズダウンだ。
妊娠前はトップ76であったが、妻の自称はCカップであり、持っているブラもCであった。
トップ76だとAカップだね、と伝えたところ、「そんなわけない!私はAじゃない!」と言われた。
確かに、ぱっと見Aカップっぽくはないし、Cのブラもぴったりかはともかくスカスカではない。「実測はAだけど合うのはC」という体型なのだろう。
なんでのCブラ買ってるの?と聞いたところ、なんとなくこれくらいかと思って試着して、だいたい合ってると思った、とのこと。
妻は自分で測ったことはないそうだが、「Cのブラをつけて行ってお店で測ってもらったところ、ブラの上から測られ、Cカップと言われた」そうだ。
n=1のサンプルではあるが、やはり実測値は把握していないようだった。
これは、自分のバストサイズを実測値ではなく「着けているブラのサイズ」で表すことが認識に歪みを生じさせているのではないか。
メーカーの違いや個人の体型の違いにより、同じ実測Aカップでも着用サイズは異なる。
だからこそ、「個人のバストサイズの定義」は実測値からくるものであるべきなのではないだろうか。
私が測り方のレギュレーションが必要だと言っているのは、「自称するためのバストサイズを正しく測定するため」という話である。
「いやいやそんなの女からしたらどうでもいいんだが」と言われればそれはそうかもしれないが、世界から争いが減るのはいいことである。情報は正確であればあるほどいい。AAカップ以下透明化問題もある程度解消されるかもしれない。
これも今は「一概には言えない」と思っている。
リンク先のサイトから、豊胸の経過の画像が多く見られるが、見れば見るほど「一概には言えない」。
これでAAAなの?!というのもあればAだけど全然小さいな・・・のような画像もある。
AとAAAであまり見た目が変わらないパターンもあれば、結構変わっているものもある。
なんなら術後にワンサイズダウンしたものすらある。(バストの形はきれいになっているので、あまりサイズダウンしたようには見えない)
カンチガイサイズと実際のサイズについては、多くの女性の体型をスキャンして、カップサイズ毎の平均の体型を3Dモデルとして出力すればある程度傾向は見えるだろう。ワコールあたりに期待したい。
もちろん、それが実現したからと言って個々のケースには当てはめられないことには十分な注意が必要である。
結局のところ全員に合うものを用意することはできず、大抵の人にそれなりに合うものを作ることになる。
正規分布の1σか2σぐらいまでをターゲットとし、それ以外はある程度切り捨てるしかない。
これは下着に限らず、靴などでも同様だろう。
バストがすごく寄ってたり離れたりしている方、すごく大きい方や小さい方、靴で言えば爪先がすごく広かったり細かったりする方は、なかなか会うものが見つからず苦労することになる。
「身長170cm〜172cm」かつ「ペニスの長さが12.8cm〜13.7cm」の男のことをこのように表現できます。便利ですね。
AA | 6.5~8.5 |
---|---|
A | 9.0~11.0 |
B | 11.5~13.5 |
C | 14.0~16.0 |
D | 16.5~18.5 |
E | 19.0~21.0 |
F | 21.5~23.5 |
G | 24.0~26.0 |
H | 26.5~28.5 |
I | 29.0~31.0 |
ペニスの長さ × 5 + 6 で表します。小数点は 切り捨て します。四捨五入しないでください。
出た結果よりも小さい整数で、かつ1の位が0か5で終わる最大の整数が、サイズです。
たとえば、ペニスの長さが13cmなら、まず13 × 5 + 6 = 71です。71より小さな整数で、0か5で終わる最大の整数は70なので、サイズは70です。
カップ ペニスサイズ13cm + 145.5 = 158.5
サイズ 13 × 5 + 6 = 71 → 70
この男性は「B70」です。
カップ ペニスサイズ15cm + 145.5 = 160.5
サイズ 15 × 5 + 6 = 81 → 80
この男性は「E80」です。
カップ ペニスサイズ10cm + 145.5 = 155.5
この男性は「A55」です。
カップ ペニスサイズ18cm + 145.5 = 163.5
身長190cm - 163.5 = 26.5
サイズ 18 × 5 + 6 = 96 → 95
この男性は「H95」です。
カップ ペニスサイズ12cm + 145.5 = 157.5
この男性は「D65」です。
日本人男性の平均身長は171.5cmとされているそうです。また勃起時のペニスの長さは13cmとされています。
これを日本人女性の平均バスト「B70」に揃えたかったわけです。ちなみに、ローマ字に相当する部分はカップ、数値に相当する部分はサイズ(アンダーバスト)です。
ペニスよりも身長の方が表面に出ており見えやすいこと、アンダーバストとペニスの下ネタ感から、アンダーバストに相当する数値部分をペニスの長さに設定しました。
ペニスの長さをアンダーバストの範囲に入れたかったわけです。アンダーバストは60〜110の範囲にあり、平均は先述の通り70です。
正規分布に揃えるためにはより高度な計算が必要そうですが、線形変換を使うことにしました。もともとの平均値が13cmで、標準偏差は1.89のようです。1.89は海外のものも入っていますがまあよいでしょう。
アンダーバストの標準偏差は知りませんが、恣意的に10としました。まあそんなもんでしょう。
ここで、標準偏差同士の比率は5.29です。またバストの平均70とペニスの長さの平均13*5.29の差は1.23です。
したがって、ペニスサイズは「ペニスの長さ × 5.29 + 1.23」です。しかしこのままでは計算が面倒です。
どうせ計算の根拠も曖昧なので、ざっくり簡略化することにしました。「ペニスの長さ × 5 + 6」にしてみました。
誤差をチェックしたところ、「ペニスの長さ × 5.29 + 1.23」の誤判定は9 / 71の約13%だったため、まあいいかと思ってこう定義しました。
比較はスプレッドシートで13cm〜20cmまで0.1cm刻みで行いました。
女性のカップは、トップバストとアンダーバストの差で表現されています。したがって、これも身長とペニスの差で表現しようと考えました。
ふつうに差をとると値が大きくなってしまいますから、調整のためにペニス側に145.5を足すことにしました。
この値はBカップを身長170cm以上にそろえるためのものです。Bカップの範囲「11.5〜13.5」は女性のカップに準拠したかったので変えられません。したがってこの範囲に身長170cmとペニスの長さの関係値を入れる必要があったわけです。170 - (13 + x) = 11.5 となるような値が145.5です。したがって145.5を足すことにしました。
考え方としては身長から145.5を引いてもいいのですが、ペニスに足した方が身長の方に意識を向けられると考えて、表現方法は足し算にしました。カップが身長を表すわけですので。
これも正規分布していると仮定して線形変換してもよさそうですが、めんどくさいしどうせみんな計算しないと思うのでやめました。
たしかにアンダーバストとペニスの長さは逆相関です。アンダーバストは減れば減るほどよいものであり、ペニスの長さは増えれば増えるほどよいものであります。
しかしもし逆にした場合、70以下に良いものが入りすぎ、極端な値が出現することが予想されます。
また、無理なダイエットは奨励されない方がよいと考えています。したがってそこまで厳格にする必要はないと考えました。
それに、男性のほとんどはアンダーバストのことなどどうでもよいのです。重要なのはカップと、なんとなくの「良さ」です。
女性のみなさまにおかれましては、その「なんとなくの良さ」を感じてもらえれば幸いです。
きみのペニ比を教えてくれ!
身長 | ペニ長 | ペニ比 |
---|---|---|
170 | 13 | B70 |
165 | 10 | A55 |
180 | 15 | E80 |
175 | 12 | D65 |
190 | 18 | H95 |
160 | 9 | A50 |
185 | 14 | D75 |
175 | 11 | C60 |
165 | 12 | C65 |
180 | 16 | F85 |
170 | 10 | A55 |
185 | 17 | G90 |
160 | 8 | A45 |
190 | 19 | I100 |
175 | 13 | B70 |
この説明は、ダニングクルーガー効果に対する批判的な見方を数学的に表現しようとしたものです。以下にその内容を解説します:
この説明では、ダニングクルーガー効果を以下の変数で表現しています:
命題「A~Oであることを証明せよ」は、実際の評価(A)と過大評価(O)に相関関係があることを示そうとしています。
証明では、O(S,A)という関数を定義し、OがAの関数であるため、自動的にAとOに相関関係が生じると主張しています。
この説明は、ダニングクルーガー効果が単なる数学的な関係性から生じる現象であり、実際の心理学的な意味を持たないという批判を示唆しています。
具体的には:
2. 実際の能力や自己評価の内容に関わらず、統計的に成立してしまう
3. これは心理学的な現象ではなく、単なる「数字のマジック」である
さらに、平均以上バイアス(多くの人が自分を平均以上だと考える傾向)を加えることで、この相関関係がより強くなると述べています。具体的には、100点満点の評価で自己評価(S)を60点程度に設定し、実際の評価(A)をランダムに与えることで、A~Oにより強い相関が得られるとしています。
この説明は、ダニングクルーガー効果が実際の心理学的現象ではなく、単に数学的な関係性や統計的な偏りから生じる見かけ上の効果に過ぎないという批判的な見方を示しています。
import numpy as np import matplotlib.pyplot as plt from scipy import stats def simulate_correlation(n_samples=10000): # シナリオ1: AとSが一様乱数(0〜100)の場合 A1 = np.random.uniform(0, 100, n_samples) S1 = np.random.uniform(0, 100, n_samples) O1 = S1 - A1 # シナリオ2: Aが一様乱数(0〜100)、Sが60周辺の正規分布の場合 A2 = np.random.uniform(0, 100, n_samples) S2 = np.random.normal(60, 10, n_samples) S2 = np.clip(S2, 0, 100) # 0〜100の範囲に制限 O2 = S2 - A2 # 相関係数の計算 (AとOの間) corr1 = stats.pearsonr(A1, O1)[0] corr2 = stats.pearsonr(A2, O2)[0] # 結果のプロット fig, (ax1, ax2) = plt.subplots(1, 2, figsize=(12, 5)) ax1.scatter(A1, O1, alpha=0.1) ax1.set_title(f'シナリオ1: 相関係数 = {corr1:.3f}') ax1.set_xlabel('実際の能力 (A)') ax1.set_ylabel('過大評価 (O)') ax2.scatter(A2, O2, alpha=0.1) ax2.set_title(f'シナリオ2: 相関係数 = {corr2:.3f}') ax2.set_xlabel('実際の能力 (A)') ax2.set_ylabel('過大評価 (O)') plt.tight_layout() plt.show() return corr1, corr2 # シミュレーションの実行 corr1, corr2 = simulate_correlation() print(f"シナリオ1の相関係数 (AとO): {corr1:.3f}") print(f"シナリオ2の相関係数 (AとO): {corr2:.3f}")
アドラーの本を途中まで読んだ.
これによると,精神疾患など生きるのに役立たない道に陥るものには,幼少期から共通感覚(コモンセンス)を獲得できていないという特徴があるらしい.
そして共通感覚を獲得できなかった子供いじめられたり問題行動を起こしたりする.
この共通感覚は家庭において保護者から学ぶらしい.つまり保護者が共通感覚を有していなければその子供も共通感覚を獲得することが困難で,大人になってから苦しむのだ.
なぜこの世界では誰でも子供を持つことが許されるのだろうか.ペットですらちゃんと育てられないなら飼うなと批判されるのに.
あるいはせめて,誰でも子供を作る自由があるのなら,どんな子供も自分で死んでいい自由を認めるべきではないか.
この物語では,子供は生まれたらすぐに親から引き離されて専門の施設で集団的に育てられるというユートピアが描かれている.
作中ではこのユートピアを明示的には否定も肯定もしていないが,画一的に育てられた子供は個性がなく皆同じような表情をするという描写が描かれている.
「個性なくしたら死んでるのと一緒だよ」
共通感覚を有しない"悪い個性"を持つことは決して本人のためにはならない.
個性を持つことが良いとされるのは,個々の親が独立して子供を育てる現在社会におけるナッシュ均衡にすぎないのではないか.
消滅世界のシステムのように全員が同じ教育を受け,共通感覚を有していることこそがパレート最適なのではないだろうか.
あるいは,個性,個体差は環境が変化した際に種全体が生き延びるのに有利だと説明される.
だが,これは明らかにほとんどの平均から外れた個性を持つ個体にとっては酷な話だ.当然ながら平均から外れた個体の殆どは環境に適応できず苦しむからだ.
上のような理論を唱える者は,「お前らのような珍獣が居た方が俺/私の遺伝子が残る可能性が高まるから生きろ.そして苦しめ」と言っているのに他ならない.
現代社会は第二次世界大戦前の全体主義を反省し,個人の幸福を最大化しようとしたのではなかったか.所詮それは,正規分布の真ん中あたりにいるマジョリティの自己満足に過ぎなかったのか.
そもそも,人類が環境変化を生き抜くのに,遺伝子の多様性は必要なのだろうか.
多数のサイコロをばらまいて確率論的に変化に打ち勝とうとするその他大勢の生き物とは違って,人類は理性を持って変化を予測し,技術で環境を変えて乗り越えることができるのではないだろうか.
だが,ときに個性は天才を生み出し,その天才が技術を飛躍的に進歩させる.
こういった天才を生むために正規分布の端のほうの人間も,その殆どは苦しむ運命にあるとはいえ,大人になるまで生きていなければいけないのかもしれない.これによって,苦しむ未来の天才に生きる希望を与えることができるから.
本当にそうだろうか.電球の発明のように一人の天才の発想が大きな一歩を生み出した時代とは違って,現代の科学の進歩は過去の技術を積み重ねて積み重ねて演繹的に導き出された進歩ではないか.
いや,そうでもないか.私も理系の大学院で研究の真似事をしたことがある.今でも科学の最先端では天才の発想が不可欠だ.そしてそういう人は共通感覚を有していない人が多い.少なくともそう見える.
つまり,現代においても正規分布の端にいる,共通感覚を有しない,遺伝子的耐用性を持った人間を生きさせることは必要なのかもしれない.
私は天才ではない.だが,共通感覚を獲得することができず,苦しんでいる.正規分布の中央に行けなかった人間の中の,一握りの天才を除くその他多数の中のひとりだ.
私の意識は死ぬことがのみが正解だと確信している.だが,私の無意識が生きることを声高に主張している.そのせいで私はまだ生きていてこの文章を書いている.
理性で動く私は,なんとかして自分が死ぬことが論理的に正しいのだと結論付けたい.だが,今日も失敗した.
誰か私を助けてくれ.お前はもう開放されて良いのだと背中を押してほしい.
東京都の婚活アプリとかで身長ネタが格好の炎上ネタになってるけど、実際の結婚相談所での婚活では「身長ってあまり関係ないなー」という感触だったので、婚活相手の身長だけを晒してみようと思う。(ほかの情報は個人を特定できてしまうので勘弁な)
もっと具体的に言えば、統計を「平均」のことだと思い込んで、「分散」を考慮に入れて議論することができないから。
個々のデータと平均値の差の2乗の平均のこと。分散が大きいとデータのバラツキが大きい。
分散の平方根を「標準偏差」という。平均値を50とし、標準偏差を10とするようにスケールし直したデータをおなじみ「偏差値」と呼ぶ。
分布が正規分布に近い場合、凡そ68%が偏差値40〜60の間に収まる。また95%が30〜70の間に収まる。
もともとの日本の「一億総中流」のような、多様性を否定する信仰がさらに「平均以外に意味はない」というバイアスを強めている可能性がある。
日本人にはもともと「普通」を定義しその中に収まるという強い欲求があるために、たとえ義務教育で統計の基礎を学んでいても、その中から「平均」という普通の定義だけを学び、「分散」という多様性の定義を学ばない心理的取捨選択があるということだ。
増田自身、男女の能力差に関して「統計的に考えろ」とここに書いたら、「女は男より(平均で)下だと統計が言ってるんだ」と騒ぐやつばかりで話にならなかったことがある。
統計的に言えば、「普通」と言うのは、例えば偏差値40〜60のように平均以上以下に幅を持って定義しなければ意味がない。平均の周囲どれだけに何%が収まるのかという分散の発想なしに「普通」は本来定義できない。
「生活保護基準」と「相対的貧困ライン」は、それぞれ別の定義で、別の目的で作られた概念だが、結局は同じ層だよねってなることが学術的に知られている。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853651279758080
相対的貧困ラインは「可処分所得(手取り)」が中央値の半分を下回る水準であり、これは収入格差が大きいほど当然拡大する。
欧州などは10%程度に抑えられているが、日本のように16%もの相対的貧困層がいる場合、「生活保護の本当に必要な人」は1000万人〜2000万人は見積もる必要があると統計を理解していれば必ずわかるのだ。
民主主義の本質って、良くも悪くも有権者の意向が影響しやすいことだと思う。
偏差値の正規分布曲線の観点から見ると、全人口(全有権者)の半分は偏差値50以下ということになる。
なので民主主義社会とは、偏差値50以下の集団の意思が、国家・地方自治体の意思決定の方向性に影響を及ぼすことなのだ。
偏差値50以上の半数集団と、偏差値50以下の半数集団のせめぎあいということである。
なので民主主義社会では有権者同士がしばしば「エリートのおごり」だの「衆愚政治」だの「パフォーマンスに騙される情弱」だの「顔の良し悪しで投票する愚か者」だの批判が起こる。
こういうことを書くと、だったら独裁政権にするべきか。
あるいは大正時代の日本のように高額納税者の男性のみが普通選挙権を持っていた時代に戻すべきかという反論をもらう。
それについては「どちらもメリット・デメリットがある」としか言いようがない。
北朝鮮のような独裁国家は当然却下だし、選挙で容姿のいい候補者に人気が集中してそういうのが当選したりするのも、何だかなと思う。