はてなキーワード: 題目とは
Sの二世だけど選挙は個人の自由と思うので活動してない、題目だけは唱えてる、習慣だから
新聞も配ってる。信心深いのではない。田舎のため徒歩で朝30分のジョギング運動になるのだ、健康維持にちょうどいい。新聞を配達しないわけにはいかないのでサボれずおかげで肥満とは無縁だ
全てが本尊様のおかげとは思っていないが、しんどいって時に祈る物があるってだけで気持ちの問題が違うなってだけ
前にもう死ぬかもしれないって病気になったときもう自分にできることないから毎日ずっと祈ってたら、なんだかんだで5%の壁を乗り越え生き残れたんだけど、信仰のおかげというより
「何も出来ることがないときに、とにかくなにかやった気分になる希望が持てる」っていう存在がありがたかった
母は熱心なSだが年老い、認知症が発生しはじめたがSの人間関係のおかげで「会合にいかなければ」などの使命?があるのと日々のお祈りをしなければ、の長年の習慣のせいで精神的に安定してるんだよな
そういう意味で心の支えになっているのならこの存在は悪くないなと思っている
Sとしてはありえない思考かもしれんが宗教はキリスト教でも何教でも俺はいいと思ってる
その宗教で本人が辛い時に乗り越えられて、他人に迷惑をかけず、家族を不幸にしないならそれでいいと思ってる
増田はその宗教のせいで結婚などができなくて苦労するのなら自分の幸せのためにそれを捨てていい
俺は嫁はSではなかったが説明したら「あなたの宗教に口出しはしない好きにすればいい、他人に迷惑をかけたり押しつけないならいい」という理解があったので結婚した
増田の気持ちはわかる。おかしいだろと思うこともあるだろう。捨てたければ捨てていい。
あとおじさんのSの歴史では、独身の時バリバリやってた女性が結婚した途端に脱会はしないまでもなにもしなくなった。あれだけ活動家だったのに。旦那が嫌がるというのはあれだけ叩き込まれて日々頑張っていた信仰を吹き飛ばすのか、愛ってすごいな、って思ってた。
結婚したら女性ってここまで180度変わるんだなって思った。増田のようなのもよくあることだから気にしないでいい。
ネットだとSはフルボッコだから俺も肩身が狭いが、親しくなった人にはSなことは言っている。今のところそれで縁を切られたことはない
Sは昭和の頃に比べれば相当緩くなってきたと思う
酷い目にあった人もいるが、あれ行き過ぎた信仰心のバカとか長期間大組織のぐだぐだとかまあいろいろ。Sは緩やかに衰退していく宗教だろうしそれは他も一緒だろう
いわゆる宗教四世で、生まれた時から新興宗教の会員やってた。ネットだとよくおもちゃにされがちな、三色旗のとこ。
小さいころから家に仏壇があって、母親と祖父母が超熱心な人で、言葉をしゃべり始めた時から経を読まされてたし、ちゃんとやればみんな褒めてくれるから悪い気はしなかった。
母親が熱心な場合って厄介なんだよな。おかげさまで土日は宗教関連の予定でつぶれるし、父親も母親に勧められて入ったひとだから止めないし。そんなわけで、20数年生きてきて、最近やっと初めてちゃんと神社に参拝したような始末。だから、一般的な人間と自分の宗教観がかなりかけ離れてる、ってことに最近気が付いた。まぁ、それが当たり前だったんだけど。
高校の時とかはそれなりに真面目に、っていうか結構がっつりやってて、たぶんその時の周囲の何人かは幹部クラスになるんだろうな、って人間ばっかりの団体にもいた。
割と勘違いされてそうだけど、いやもう常識なのかな?一般的な認識が全くわからんからあれだけど、s大学行くのはもはや当たり前で、幹部になろうと思ったら、何かしらの宗教の団体に所属してたことがほぼ必須になるんだぜ、笑えるよな。
高校生はそうやって過ごしてたけど、大学に入ってから恋人ができて、その人が何というかこう、自分の所属してるとこ以外も含めた宗教全般のアンチだった。
今思えばものすんごい幸運なことに、現実社会の親しい人にそんな人がいなかったから大いに嘆いたし、なんで自分が、とも思った。でも、今は割とその出会いに感謝してる。
ここまでが前置き。すまんね長くて。
まぁ、親に「信仰捨てたいです!」とか言える訳も無くて。だってそんなことしたら普通に絶縁されそうだし、妹たちも割とがちがちに染まってるし。あと我が家、割と毒親気味で過干渉のケがあるから、最悪今住んでるところから連れ戻されかねない。
それは困る、だって実家には自室が無いし、プライバシーもへったくれもない。未だに帰省するとめちゃめちゃ消耗する。二週間とかしか滞在しないのに。実家を出るまで、自分のスペースと言えば本棚のついた机一台だけだったし、その中身も親が勝手に開けて改める始末だったから、秘密とか絶対無理だった。
かといって、じゃあ真面目にやるか?と言われるとそれは心がしんどい。
そもそもの話、自分は「信仰とは人生の杖であり頼り切るものではない」って思想を高校時点で持ってて、現指導体制に不信感しかなかったし。
やれって圧を掛けられて、今渋々試験の勉強してるけど、それにしたって普通に気色悪くて嫌になる。だって仏教ってマインドフルネスの一手法でしかないし。それだって、多様な方法がある現代社会でわざわざそんな化石みたいな方法、って思う。
そもそも悟りってざっくりいえば「この世のすべては気の持ちよう、自分の気の持ちようで天国にも地獄にもなる、それなら天国みたいに考えられるようになった方がお得じゃね?」的な考え方だし、唱題にしたって、「悟りを開けないお前らが悟りを開くための一助にしろよな!」的なものだから、自力でメンタル立て直せるようになった人間には必要ないんだよ。そもそも仏教って「人生なんて全部しんどいんだから、しんどいことそのものはもう諦めて楽しくやっていこうぜ」的なあれだし。ガバガバ解釈だが。
その上で、何もかもを宗教に依存して、生きてくための目的そのものを宗教にしてるの本当に頭おかしいと思う、それお前の人生じゃなくて教団の人生やんけ。生きてる価値ある?って思う。言わないけど。
確かに苦しい時に縋れるものは多い方がいい、人生かなりしんどいし、税金高いし内定はもらえんし、何もかもままならんし、ここからってときに病気になったりするし、なんかすげーもんに縋らないと生きてけない気持ちもわかる。
でも、その気持ちもわかるけど、それでも自分で立って自分で歩かない道に価値はあるんか?って思う。だって信仰してると、どんなに血反吐を吐くような努力をしたって、どんなに周りの人に恵まれたって、どんなに運がよくたって、それ全部「信仰のおかげ」にされちゃうんだぜ。そこに至るまでの努力とか、工夫とか、人間関係とか、そういうもの全部自分の成果じゃなくてなんかようわからんもののおかげになるんだぜ、それって悔しくないか?自分はそれを恋人に指摘されて初めて気が付いて、すごく悔しいと思った。だってここまで努力したの自分だし。別にすがってる”なんかすげーやつ”が何か叡智を下賜してくれたわけじゃないし。苦しいのも悲しいのも悔しいのも自分が背負わなきゃいけないのに、喜ばしいこととか楽しかったこととかは全部他にかっさらわれるって思うとはらわた煮えくりかえらんか。自分はキレそうになる。
そもそも、他力本願の他宗派をめちゃめちゃ批判する癖に、何かあったら馬鹿の一つ覚えみたいに「ご本尊に縋れ」だの「お題目を」だの普通に矛盾してて笑える。それはお前らの言う所の他力本願じゃないんか?あと題目とか言う呪文的なあれを大事にしてる割に、唱題の時の発音みんなガバゆるだよな、何それ。ダブスタまみれで普通に気色悪い、反吐が出る。
と、まぁ最近はこんな事ばっかり考えている。親には勉強したらわかるって言われたけど、勉強するほど意味わからん~~きしょい~~~ってなるの中々芸術点高い。って言うかそもそも子供の許諾を取らずに宗教に入れるな、はっ倒すぞ。これはどの二世問題でも共通だと思う。四世なんだけど。ウケるね。
ちなみにこの宗教だとよく取りざたされるのは政党の話なんだけど、自分は政策はまぁましな方なんじゃないかな、って思う。そこから声の汲み上げするの????正気か???って思うような政治を国政ではよくやらかしてるけど、地方政治だとそれなりに要望の反映早いし。政治と宗教観は切り分けて考えるので。まぁ今後の動向にもよるかな…でも宗教活動の一環で選挙活動やらされるのは普通に最悪で気色悪さの極みだからやめた方がいいと思う。実質強制の投票の「お願い」はお願いと言わない。海外から来た同じ宗教の人に選挙ばっかりしてるのどうして?って聞かれて、日本では信仰を広げることが十分にできたから、今度は政治の方からも生活をよくしていくんだよみたいなこと指導してるの聞いたことあるけど、それ普通に公職選挙法違反なんじゃないですかね。政教分離の法則死んでないか?
これを見て同じ宗教の人がどう思うかは知らんが、自分が納得できてないならなんかしらの答えにはなるんじゃないんですかね。がちがちの幹部ルート辿ってた人間がこう言ってるんだから、それなりに信ぴょう性はあると思うよ。
今から入りたいって思ってる人、人生に発生する損害と天秤にかけて、本当にそれじゃなきゃダメなのか一か月真面目に考えてみ、そんなことないから。周りからの偏見の眼はものすごいし、結婚したいと思った人ができてもめっちゃ苦労したりするぞ、自分は今死ぬほど苦労してる。
今しんどい思いしてる人、お互い頑張ろうな。自分は今何とかして家にあるご神体的なサムシングを親にバレないように滅殺する方法考えてる、なんかいい方法あったら教えてくれ。
マジで徒然なるままにって感じだなこれ。乱文で本当にすまぬ。ここまで読んでくれた人ほんとにありがとう。自販機でジュース当たるくらいの幸運が訪れますように。
追記:みんなコメントありがとう、ほんとに正気に戻れてよかったと思う。なんでカルトの話から仏教に?ってコメ見たんだけど、それはだな、s学会は曲がりなりにも仏教を名乗ってるから、仏教を学ばされるんだよ…だからです。
まぁ、s学会のは「ブッダの」仏教ではなく、日蓮とかいうなんかよくわからん狂人が急に悟っちゃったものを信仰してるんで、仏教かと言われるとかなり怪しいけどね……昨日このエントリ書いたあと、勉強の動画流し見してたらそんなこと言ってて笑っちゃった。仏教名乗るの辞めたら?
自然科学とかSDGsとか信仰してそう、って言われたのはマジでそうなりかねんからほんとに気をつける。一応これでも科学をやってる人間だから、変なのには引っかからないと思いたいけど…こういう気持ちが落とし穴だとは思うのでね!科学的思考大事。すごく苦手だけど。
預金額を全額現金で持ってるわけではないので、預金の2~3割ほど1日で引き出されると資金ショートしてしまう
ところが、同じ程度の財務内容の銀行であっても、取り付け騒ぎにならなければ、潰れない
その「取り付け騒ぎが起きるか否か」の違いって世間のほんのいっときの空気の違いでしかないんだけど、
じゃあ取り付け騒ぎで預金を引き出そうとした預金者は「非合理的なバカ」なのかというと、そうじゃないよね
というか、そういう「非合理的に見える行動」も学問的に研究できるんじゃないかということで、経済学なんてものがある
経済学における様々な研究や理論が正しいか間違ってるかはさておき、
人間はそうして「わからないこと」をなんとか理解しようと努めてきた歴史がまがりなりにもあるわけです
一方、「原発事故で発生した汚染物質で汚染された水を処理した処理水を海に流す」というイベントに対する、いろいろな立場の人々の行動について、
「非合理的な行動である」と切って捨てる人って、「なぜそういった、一見、非合理的に見える行動を人々は行うのか」ってとこまで思考しようとしない
彼は、「自分の理解できる範囲のこと」だけ語って終わりにしたいだけなんだよね
でも、そもそも原発がなぜ必要で、なぜ動かすのかといえば、社会に参画する個々人の利便性に供与するため、という理由づけがあって原発を管理運営し発電するわけです
別に「物理学の理論通りにエネルギーが発生するのを証明する」ために原発動かしてるわけじゃない
原発事故後の対応も、同じく個々人の利便を最大限考慮し、地域ないし日本ないし地球上の諸国家、諸国民にとっての全体に資する結果を最大化するための最適解はどうすればいいか、という目標のために原発事故後の対応を行っているわけで、
「理論科学的に正しいのを証明するために処理水の放射性物質の量を測定してる」わけじゃない
で、その目標においては、当然ながら、それぞれの人々の経済活動も、心理的な幸福も、全部が「最大限の結果」の計算の内に入れなきゃ話にならんのよね
なぜなら、そもそも原発を建てること、運用すること自体が、そういう目標のために作られてるはずだからさ
「科学的に正しい」なんて題目は、そういう目標を達成するなかの一要素でしかないのに、そこに囚われ続けて、目標を見失う人っているよねと
「銀行の取り付け騒ぎで預金を引き出そうとパニックを起こす連中はバカだ」としか言えない
その先を、その先の先を、その先の先の先を考えるとこまで学問の領域はとっくに到達してるのにさ
なんなんだろうね、ああいうの
俺は「どんな害があるか言ってみろ」って言ったんだぜ?
トラックバックなどを精査したが
lacucaracha さん
匿名の返信は筆者を悪魔化しているが、しかし自説を誠実に答えた lacucaracha さんを筆者は追い込んだりはしていない。
にも関わらず、追従する人は現れない。
…などなど、話を逸らす人々ばかり。
賭けてもいいけど、悪意があるからそーしてるんじゃなくて、
でも人間は完璧にはなり得ないから、他人を説得できるような理屈をつける必要がある。
性のモノ化を題目に規制を推し進めるなら、それがメイントピックにならなきゃいけない。
何が性のモノ化に当たるのか、どうしてモノ化が悪いのか、…
モノ化にどんな害があるのか。
「子ども欲しくない」半数 若年未婚男女
https://nordot.app/1013827502317699072
だよなーー既婚だがすごいわかるわー
自分は結婚した方が色々生きてく上で便利そうってことで早めに婚活して、嫁と方針が合って入籍して5年なんだが、一切子どもが欲しいと思えない。まぁ額面だけ見れば2人まで育てられんこともないくらいお互い正社員で稼いでると思うし、自分はフレックスタイム制で嫁はテレワーク。世間的にいかにもな家ではあるが…
子育てってさ ただでさえ少ない空き時間すら全部子どもに吸い取られるんだろ。リアルで子育て中の同年代の奴らは「大丈夫大丈夫」て言ってるけど実際は…
https://anond.hatelabo.jp/20230330173858
https://anond.hatelabo.jp/20230511191354
びびった。カラ元気じゃん。全然大丈夫じゃない。仕事だったら速攻で辞めろ・転職しろとコメントつく労働環境なのによく狂わずにやってるよな。
カネだって、必死に稼いでも国に吸い取られるし諸々払って残った分も子どもに全部吸い取られてるじゃん。
自分と同じように倹約してたやつらが、子ができた途端に金使いだして、お金がない〜お金がないよ〜とこぼしてるのを見てきた。自ら作ったもんで自分の首を絞めてるの訳が分からん。子がどう成長して自分に還元してくれるのか分からないし、何も返ってこないのに。
うちは稼ぎが大凡半々だし生活費はワリカン。基本嫁と財布を別にしてるが、節税できる科目や貯蓄は二人で協力してやってる。お互い勉強して、ガンガン働いて、投資して、貯めて、自分で稼げなくなっても生き残るために必死だ。でも自分のために生きてる実感がある。正社員共働きでもこのくらい危機感持ってんだからそりゃ非正規は子を持ちたがらないわな。
「子供は“嗜好品”“贅沢品”だと」“異次元”の少子化対策の陰で・・・結婚・子供を諦め始めた若者たち
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6458879
子どもがいる奴ら、なんというか、
ボロボロなのにニコニコ笑ってんのが不気味だ。なんで笑ってられる?
子どもができたらなんとかなるよお…子どもかわいいよお…愛は理屈じゃないよお…て口揃えて言うが、カルトに金注ぎ込んでる信者と変わらないように見える。子どもっていう神サマの信者。クソ高い壺買って、買ってしまってから壺のありがたみを殊更にアピール。
周囲の子育ての愚痴は黙って聞いてるし知人の子の遊び相手もやるが、子持ちの考えが正直全然分からん。後継ぎとか介護要員のために産んだならまだ分かるが「子をあてにするな」「子は親の所有物ではない」「社会貢献のために産んだ訳じゃない」が散見されるし、こっちが何か言ったら「私の子が将来あなたの年金払いますけど」「あなたの介護は私の子が…言う奴が出てくるのなんなんだよ。
子育て勢さぁ
自ら作った存在に全部吸い取られて消耗して何も返ってこない上に、沈み行くこの国に放流するのが確定してんのに笑ってられるのはなぜなのか、御題目で誤魔化さずにそろそろ具体的に教えてくれよ。
ひたすら不気味なんだよ。なんとかなる・子がかわいい・愛は理屈じゃないの御題目3点セットを唱えて、やつれた顔で笑ってるのが。別に、未来の納税/介護要員を確保するために産んだんじゃないんだろ?「子は親の所有物ではない」もんな。
ほんとはさぁ、子どもなんか産むんじゃなかったと思ってんじゃないの?
とか聞いてもどうせ、負け惜しみ・酸っぱい葡萄・年金も介護も医療も受けるな・お前に分られたくないとか言われるんだろうな。
別に嫌われても構わないが…自分みたいな「少子化を進める非国民」な夫婦が今、とんでもないスピードで日本に増殖してってる気がする。
自分は三重県鈴鹿市出身で現在も鈴鹿市在住、幼い頃から鈴鹿という言葉に囲まれて育ってきた。
私の地元には鈴鹿と名のつく施設がたくさんある。遊園地、学校、山脈、企業、デパート等、様々な場所で鈴鹿という言葉が使われているが、それらはもちろん鈴鹿に縁を持つから鈴鹿を名乗っているわけだ。
そんな自分が同じく鈴鹿を名乗る、新進気鋭の俳優「鈴鹿央士」を見ると、どうしても「鈴鹿央士って誰に許可得て鈴鹿を名乗ってるのか?」と感じてしまう。
そもそも鈴鹿という言葉の出自は非常に古く、地名の成立から定かではない。
最も古いところでは日本書紀(西暦720年完成)にも鈴鹿の名は登場し、それでいうと我々鈴鹿市民は1300年以上鈴鹿という地名を守ってきたことになる。由来も鈴をつけた鹿がいたとか、鹿に鈴をつけて川を渡ったとか、古い地名によくあるように色んなふうに言われている。
だいたい鈴鹿をスズシカでなくスズカと読むのもその成立が古いことを表す証左だ。古代の日本では鹿のことを単にカとか、カノシシなどといった。もし令和の時代に鈴と鹿を使った地名を作るならスズシカだろう。でも鈴鹿市は1300年代々住民がその名を守ってきたからスズカと呼ぶのだ。
日本には他に鈴鹿という地名や鈴鹿と呼ばれる事物はない。正真正銘鈴鹿の民がずっと守ってきたからこそ、鈴鹿という日本語が存在するわけである。
鈴鹿央士に関して特段の説明は不要かと思う。それでも知らない人のために説明すると、彼は映画やドラマで広く活躍している俳優だ。最近だと2022年に大ヒットした木曜劇場のドラマ「silent」にも出演していた。要は期待の若手俳優である。
この鈴鹿央士なる人物がテレビに出てきた頃、自分はてっきり鈴鹿という名字は本名なのだろうと思っていた。しかし、名字は芸名で後からつけたものらしい。そうなると鈴鹿という芸名はやはり鈴鹿市に由来するような名前なんじゃないか?とちょっと期待してしまう。鈴鹿央士の芸名命名についてのエピソードがあるので紹介する。
央士が高校2年生だった2016年、ある映画のロケが通学していた高校で行われ、エキストラとして参加。その際、出演者の広瀬すずの目に留まり、広瀬がマネジャーにスカウトするよう進言した。
2018年、スカウトをきっかけに、東京の大学へ進学すると同時に芸能事務所に所属。広瀬すずの「すず」にちなんだ芸名として「鈴鹿央士」とした。
驚いたことにこの俳優は鈴鹿を名乗りながら鈴鹿市とは何ら関係がないらしい。ただ広瀬すずになぞらえて鈴がつく名前なら何でも良かったようだ。
鈴鹿の民が1300年守ってきた鈴鹿という地名、なんら鈴鹿との関係も持たない俳優が、ただ鈴が付く言葉なら何でもよかったという理由で自分の芸名として使っているのはなんだか釈然としない。
それに加えて情報汚染である。最近ニュースサイトでも鈴鹿が踊る題目をたびたび目にするようになった。しかし中身を開いてみると鈴鹿央士の話題である。テレビを見ていても「鈴鹿が〜」という話を聞くことがあった(日テレ系だったと思う)。なんだなんだとテレビを見るとこれまた鈴鹿央士の話題。鈴鹿と言うのに鈴鹿市関係なくガックリくる。
鈴鹿という言葉はこれまで我々鈴鹿市民が使い、我々鈴鹿市民のためにある言葉だったはず。どうして鈴鹿の地に関係のない人間の話題に吸い込まれないとならないのか。
鈴鹿市民だからといって鈴鹿央士の名にケチをつけるな、鈴鹿を名乗ることぐらいいいじゃないかというご意見ももちろんあることと思う。おそらく鈴鹿央士に対するこの憤りは、幼い頃から当たり前に鈴鹿という地名に囲まれてきた人間でないと通じない。なので1つ思考実験をしてみたい。以下はあくまでフィクションの話だ。
最近ハリウッドで新進気鋭のイケメン俳優がデビューした。身長190cm、ふわりとした金髪に青い目、スーツのよく似合う長い足は白人の特徴をよく表している。彼は芸名Mr. Japanを名乗り、現在もドラマに映画に大活躍している。
Japanを名乗った理由は意外だ。彼は学生時代、Justin Bieberに声をかけられそれをきっかけに俳優の道を歩むことになった。この道を進むきっかけになったJustinに感謝の気持ちを込めて、芸名はJで始まるものにしたいと考えた。別に日本に思い入れはなかったがJから始まる適当な単語でMr. Japanを名乗っている。
彼の活躍はニュースサイトでもよく見かける。「Japan映画が大人気!」「いま大注目のJapanに密着」。日本で生まれ育った私達が密かな期待を込めて記事を開くと、その中身はMr. Japanのニュースだった。テレビでもJapanの声を聞く。「Japanの演技は最高ね」「会ってみたいセレブはやっぱりJapanだよ」。メディアではもうすっかりJapan=日本のイメージではなくJapan=イケメン映画俳優になった状況に、日本で生まれ育ったあなたは深く溜息をつくのだった。
もしあなたが上記の思考実験でため息を付いた人物であったら、Mr. Japanに「誰に許可得てJapanを名乗ってるの?」と文句の一つでもつけたい気持ちになったりしないだろうか。そうであればその気持ちは今自分が鈴鹿央士に感じているものと同じものだ。
私は鈴鹿央士に特に攻撃的な感情があるわけではない。ましてバッシングしようとか活動止めさせようだなんてことは微塵も思っていない。ただそれでもやはり、鈴鹿市になんのルーツも思い入れもないのに勝手に鈴鹿を名乗っていることに、深い憤りを覚えてしまうのだ。
最後に、どうして携帯電話でスズカと入力して一発で鈴鹿と変換できるのか、それは鈴鹿市民がこの地名を大切にし守ってきたからこそなのだ。鈴鹿央士さんが鈴鹿市で1300年守られてきた鈴鹿という地名になんの思いも持たないのであれば、さっさと改名してもらいたいものである。
「子ども欲しくない」半数 若年未婚男女
https://nordot.app/1013827502317699072
だよなーー既婚だがすごいわかるわー
自分は結婚した方が色々生きてく上で便利そうってことで早めに婚活して、嫁と方針が合って入籍して5年なんだが、一切子どもが欲しいと思えない。まぁ額面だけ見れば2人まで育てられんこともないくらいお互い正社員で稼いでると思うし、自分はフレックスタイム制で嫁はテレワーク。世間的にいかにもな家ではあるが…
子育てってさ ただでさえ少ない空き時間すら全部子どもに吸い取られるんだろ。リアルで子育て中の同年代の奴らは「大丈夫大丈夫」て言ってるけど実際は…
https://anond.hatelabo.jp/20230330173858
びびった。カラ元気じゃん。全然大丈夫じゃない。仕事だったら速攻で辞めろ・転職しろとコメントつく労働環境なのによく狂わずにやってるよな。
カネだって、必死に稼いでも国に吸い取られるし諸々払って残った分も子どもに全部吸い取られてるじゃん。
自分と同じように倹約してたやつらが、子ができた途端に金使いだして、お金がない〜お金がないよ〜とこぼしてるのを見てきた。自ら作ったもんで自分の首を絞めてるの訳が分からん。子がどう成長して自分に還元してくれるのか分からないし、何も返ってこないのに。
うちは稼ぎが大凡半々だし生活費はワリカン。基本嫁と財布を別にしてるが、節税できる科目や貯蓄は二人で協力してやってる。お互い勉強して、ガンガン働いて、投資して、貯めて、自分で稼げなくなっても生き残るために必死だ。でも自分のために生きてる実感がある。正社員共働きでもこのくらい危機感持ってんだからそりゃ非正規は子を持ちたがらないわな。
「子供は“嗜好品”“贅沢品”だと」“異次元”の少子化対策の陰で・・・結婚・子供を諦め始めた若者たち
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子どもがいる奴ら、なんというか、
ボロボロなのにニコニコ笑ってんのが不気味だ。なんで笑ってられる?
子どもができたらなんとかなるよお…子どもかわいいよお…愛は理屈じゃないよお…て口揃えて言うが、カルトに金注ぎ込んでる信者と変わらないように見える。子どもっていう神サマの信者。クソ高い壺買って、買ってしまってから壺のありがたみを殊更にアピール。
周囲の子育ての愚痴は黙って聞いてるし知人の子の遊び相手もやるが、子持ちの考えが正直全然分からん。後継ぎとか介護要員のために産んだならまだ分かるが「子をあてにするな」「子は親の所有物ではない」「社会貢献のために産んだ訳じゃない」が散見される。そのくせこっちが何か言ったら「私の子が将来あなたの年金払いますけど」「あなたの介護は私の子が…」とか言う奴が出てくるのなんなんだよ。
子育て勢さぁ
自ら作った存在に全部吸い取られて消耗して何も返ってこない上に、沈み行くこの国に放流するのが確定してんのに笑ってられるのはなぜなのか、御題目で誤魔化さずにそろそろ具体的に教えてくれよ。
ひたすら不気味なんだよ。なんとかなる・子がかわいい・愛は理屈じゃないの御題目3点セットを唱えて、やつれた顔で笑ってるのが。別に、未来の納税/介護要員を確保するために産んだんじゃないんだろ?「子は親の所有物ではない」もんな。
ほんとはさぁ、子どもなんか産むんじゃなかったと思ってんじゃないの?
とか聞いてもどうせ、負け惜しみ・酸っぱい葡萄・年金も介護も医療も受けるな・お前に分られたくないとか言われるんだろうな。
別に嫌われても構わないが…自分みたいな「少子化を進める非国民」な夫婦が今、とんでもないスピードで日本に増殖してってる気がする。
インデックス投資の宗教性について検討することは、自分自身の資産形成の一部について見つめ直す良い契機となりそうなので、少し考えてみたい。
具体的には、インデックス投資について回る「分散・長期・積み立て」の3要素について検討してみたい。
インデックス投資における「分散」の大部分は、2つの点において技術である。
「分散」は99%まで技術である。残り1%は「株式か、債権か、バランス型か」というファンドの選択をめぐる宗教である。
インデックス投資における「長期」は「ターゲットとする市場の平均価格は、短期的にはランダムウォークしつつ、長期的には右肩上がりである」という前提に基づいている。
S&P500なんかだと、過去150年のチャートを見せられて「ほら、長期的には右肩上がりでしょ?」となるところだが――実のところ「過去、そうだった」と「今後もそうなる」は別物である。
例えばニューヨークに証券取引所が開設されたのは1817年である。まだ200年の歴史しかない。世界全体を見回しても、人類史において近代的な株式・債権は歴史が浅く、まだ誕生から500年ぐらいしか経っていない。これから「今まで経験したことのない、初めての出来事」が起きる可能性は否定できない。「過去、そうだった」から「今後もそうなる」と無邪気に考えるのは宗教である。
全世界株式は「長期的に見て、世界経済は今後も右肩上がりである」と信じる宗教である。実際のところ、右肩上がりじゃないと非常に困るのだが(世界経済の長期停滞とか、悪いジョークだ)、しかしそれは願望である。願望だが、それでも縋るしかないのである。
ちなみに「長期」において確実に事実なのは複利効果である。元利金継続の定期預金でも複利効果はある(なお金利
インデックス投資における「積み立て」の半分は「弱者の兵法」だといえる。手元に大金がないから、毎月定額をコツコツと積み上げていくのである。
「積み立て」の宗教面は、大金の投資方法に現れる。「長期」を信じるならば、一刻も早くまとまった金額をつぎ込んで、少しでも長く運用するべきである。なぜならば、運用期間が長くなるほど、リターンが大きくなるはずだからだ。
ここで大金を一括投入することを躊躇する人は、信心に欠ける半端者である。悔い改めよ。
>何というか、自分の経験でも『女性、子供』を助ける為、という題目なら通る筈の事が、『少年、男子』では途端に通らなくなる。
普通に今の世間の風潮であれば、女の子は救済対象にするけど男の子は救済対象もしないなんてことやったら
吊し上げるお題目としては充分だと思うけど
それって公平な措置をそもそも掲げてる行政レベルのところで言ってくる話なのかね?
救いたい人を救ってるに過ぎなんだからそんなとこは
高校の時からはバイトと奨学金で何とか学費と食費を稼いで卒業した。
常日頃からカネカネうるさい母や、家に帰ると彼氏とやらとよろしくやってる様な家にすっかり嫌気が差して
バイトが無い日でも似たようなダメ家庭育ちの連中とつるんで公園とかでたむろう、典型的な健康優良不良少年になっていた。
もっとも自分達はせいぜいイキってタバコ吸うぐらいだったけど(バイト先の先輩に良くして貰う、覚え良くする為に、そういう文化に染まっていたのもある)
もっと悪い仲間や先輩だと、万引きとかカツアゲしてたのもいたし、女子は女子で万引き+援交(当時の呼び名)って感じだった。
そんなのとも(悪い遊びに誘われるのは上手く避けつつ)普通につるんでいたのだから、倫理観は色々バグってたと思う。
高校卒業後は親元を堂々と離れ、住み込みの仕事とかで何とか食いつなぎつつ、ある時から正社員としてのキャリアをスタートさせて今に至る。
自分自身の経験から、夜の街を出歩く少年少女達が少なからず困窮してるしその脱出方法も分からないケースが多いというのは身をもって知っているから
幾つかの団体を手伝って(ノウハウも覚える目的もあった)、協力してくれる人達も集めて困窮する若い少年をメインで助ける活動をやろう、とした所で躓いている。
何というか、自分の経験でも『女性、子供』を助ける為、という題目なら通る筈の事が、『少年、男子』では途端に通らなくなる。
世間の目も、女性や子供を対象とした救済活動をしていた時とは違っていた。
「どうして男を助けなければいけないのか、優先するべきは子供や若い女性では?」みたいな事はしょっちゅう言われた。
拒絶されるだけならまだしも、女性職員等に感情的な酷い言葉を浴びせられた事も一度や二度では無かった。
(傾向的には男性相手だとドライ・冷酷に拒絶される、女性相手だと感情的に否定される、という事が多かった)
自分はまだ諦めて無いけど、こういった現実を目の当たりにして、心折れる事は全然あると思う。
実際問題、金も人手も労力もかかるし、いつまでも手弁当で支援も無く補助もロクに活動も出来ないんじゃ、サークル感覚では続けられないと思う。
(諸々の過程で活動から抜けた人も少なくないし、引き止めようにも引き止められないのが現実だった)
女性がメイン対象の支援が多々あるのに対し、男性へのそれは圧倒的に少ない。理由の一つがこれだと思う。
少しでも良いからパイを分けて欲しい、難しいのならせめて拒絶はしないで欲しい、けれどそれすら難しい。
困窮する女性や子供を救うのは社会的にも意義がある事だと思うんだけど、どうしてその中に『少年、若い男性』を含めてくれないのだとつくづく思う。
ダメな家庭や貧困で苦しんでいるのは女子も男子も変わらないし、夜の街を彷徨って変なのと繋がってしまったり、暴力・犯罪に晒されるのだって一緒だ。
「男子なら丈夫だから働けるから大丈夫でしょw」じゃ無いんだよ。
まあそんな愚痴は置いといても、支援どころか邪魔すらされる若年者向けの救済活動は本当にしんどい。
別に称賛を得たくてやっている事では無いが、色んな所で否定され(「何故女性を助けようとしないのか」と差別主義者みたいに非難される事もままある)拒絶されるのは普通に辛い。
「 自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」という諺だかネットミームを思い出す様な人間と少なからず出くわすと、人の悪意と向き合うのが過去の体験と繋がってしまって精神的に病みそうになるのが分かる。
(これはこういった活動をしている人達にとってはあるあるかもしれないけど)
そんな人間が一方では女性対象の活動には熱心に支持・支援しているみたいな話を聞くと、思わず世を恨みたくなってしまう。
「男性の事は男性が助けるべき」という意見もネットでもリアルでも良く聞くが、では実際に男性である自分達が(同士には女性もいるけど)
困窮している少年や若い男性を助けようと行動しても、当たり前の様に邪魔されたり、拒絶されたり、「先に子供や女性を助けろよ」などと非難されるのが現実だ。
(そしてそれを言うのは大概女性や女性の味方に立つ男性というのが胸糞悪い事実でもある)
「男なら放っておいても良い」というのは、個人的には完全に間違っていると思う。
自分の周りだと、当時つるんでいたダメ家庭の困窮育ちの仲間達で、比較的まともな道に戻れたのは自分含めて4割ぐらいだと思う。
残り3割は今も非正規で歳も歳だから正規職のアテも無くてその日暮らしだ。
反○のと繋がってしまってそっちの道に行ってしまい、何をしているか知りたく無いのもいる。
ケチな犯罪を犯して逮捕されて、そのまま行方知れずのヤツもいた。
連絡も行方も知らない何人かは、恐らく自殺していると思う。便りがないのは息して無いからだろう。冷たいし悲しいがこれが現実だ。
困窮し救済もされずに貧困に陥る元少年が増えるのは、近い未来の社会の負担や不安を増やす事でもあるし、巡り巡って社会全体が困る事になるだろう。
もし仮に「女性は社会を形成する一員では無いのから責任は無い」と言うのであれば話は別だけど(もちろん実際にはそんな事は全然無いだろうけど)
社会を安定させる為にも、社会支援で救済すべき『困窮している、困っている若年層』の中に、『少年や若い男性』を含んで欲しいと願っている。
これは男性がやるべきとか女性には関係無いという問題では無い、『社会全体』の問題だ。
追記:勢いで愚痴・鬱憤を書き捨てたつもりだったので、こんなに反応あるとは思っていなかった。
未成年だとさすがに男子だから除外される事は少ないけど、それでもせいぜい中学生ぐらいまでで、それ以降は区別される。そこでセーフティーネットから溢れ落ちるケースが多い。
シェルターも長年殺人未遂レベルの暴力含めたDVで抑圧され続けて逃げてきた『50歳の母と25歳の娘』を受け入れる所は沢山あるけど『45歳の母と20歳の息子』だと、難しくなる。
実質女性専用とまでは行かないが、男女「年齢」問わず受け入れられる所は、少ない。ブクマ等でもある様に、男性の被害から逃げてきたケースが多いからだ。(女性からDV加害されたケースもあるだろう、とは思うが)
それでも女性の保護者なり血縁者なりと共に逃げて来てくればまだマシで(他と連携出来る)、単独で駆け込まれたとしたら……残念ながら、駆け込み寺にはなってくれない所の方が多い。
少年や男性も受け入れてくれる所は少しずつ増えてはいるが、数は圧倒的に足りない。DVシェルター=女性の為のセーフティーネット、という世間一般の認識・宣伝も大きい。
何というか、「男なら体も大きいし抵抗出来るだろう」というジェンダーバイアスが世間一般に強くあるのも感じる。
家庭で長年抑圧され続けても男ならば抵抗出来るのか?と思うが、現場や現実を知らない人間からしたら「そうでしょ?」になるのだろう。同じ体験をしろとは言えないが、想像力や優しさを少しでも働かせて欲しいと思う。
男性が怖くて逃げてきた女性の為にも、男性専用のシェルターももっと増えて欲しいのだが、「男なら抵抗出来る」「DV暴力加害するのは男」というジェンダーバイアスが、大きな壁として立ち塞がっているのが現状だ。
自分が関わっている(いた)、見聞きしている活動の範囲だと、未成年の場合は男女問わず受け入れる様にしている。自身も困窮する少女や女性は少しでも救済したい。
『少年、若い男性だけ』を救う為にも、性別問わず受け入れる方向にする他無いのだが、「何故女性を(優先して)救済しないのか」という批判を受ける事は多い。受け入れない、とは言っていないのにね。
先にも書いた様に『困窮した若い女性、子供』を助けるという名目があれば受け入れられる事が、『困窮した若い人達』とし、助けるべき『人達』の中に『少年、若い男性』を含めようとすると、受け入れられない。
(少年含めた)男性の困窮者は「救いたい形」をしていないから、助けてを求めていないから、という意見も聞くし、残念ながらそういった現実もあるのも事実だから否定はしない。
しかし、困窮した少年や若年層が更に歳を重ねると、それこそ福祉へ繋げようとするには、仕事も家庭も失いどん底まで落ちてから、になってしまう。
ガラスの天井ならぬ鉄の地下室に閉じ込められたままだと、それすら出来ない。
人は貧すれば鈍する。犯罪や、自死という最悪の道を辿ってしまう、その手前で何とか救いたい。(自分みたいに何とか立ち直れる人達ばかりでは無い)
けれども難しい。「男性への救済」に対しては冷たく厳しい世間の壁が立ち塞がる。辛い、しんどい。そんな愚痴を書き捨てていた。
(優先すべきは女性・子供であるという意見も非常に分かる。でもせめて同率位か、次点にして欲しい。今は何段階も下げられ後回しにされているのが現状だ)
自分の体験ベースでも活動を通じて見聞きした話でも、基本的に困窮する家庭は環境も家族関係も悪い事の方が多い。ネグレクト、虐待を受けているケースも当然多い。
夜の街でたむろする少年達は(少女も)、周囲に「信頼出来る大人」「所属出来る場所(家庭)」が無いから、「同類の(非行)少年達」「悪い大人達」と繋がりやすく、そのまま居場所となってしまう。
その世界から抜け出せない者達が、最終的には社会を脅かす存在、搾取する側となってしまう。そしてその被害に遭うのが、主に少女や子供達なのだ。(もちろんそこには少年も多数含まれる)
困窮し夜の街を彷徨う『少女』だけでなく『子供達』として『少年』を救う事は、長期的には被害者側となる少女や女性も救う事に繋がる、と少なくとも自分は信じている。
そんな事を語って説得しようとした事もあったが、最終的には差別者呼ばわりされた事もあった。『女子供』を優先して救わないのが差別者であるならば、自分は差別者でも良いから少年も含めて救いたいよ。
愚痴も入って攻撃的な表現も多いと思うので、団体名などは差し控えさせて頂きたいです。(自分が主催では関わっていない所も多いので)
けれど、少しでも社会の事を思うのであれば、自分が理念と行動に共感出来る団体があれば、少しでも支援をしてあげて欲しいと心から思います。
最近、某襲撃事件の影響か、宗教の話題がホットエントリー入りすることが多く、概してネガティブな内容を目にする。
そうした記事のひとつについたブックマークコメントに、「宗教のネガティブでない側面を知りたい」というものがあった。
日本人の多くは実質的に無宗教であるし、宗教のことで話題になるのはネガティブかつショッキングな事件ばかりだ。
宗教をしながら普通に生活している人とはどのようなものだろうか、気になる人がいるのも当然だと思う。
そこで、タイトルの通り、創価学会の学会員2世である私が、みなさんからブックマークコメントや質問を頂いて、追記する形でいろいろお答えしたいと思う。
何か書いてみようかと思ったけれど、あまりに普通に生活していて事件らしい事件もないので、質問を募集する形にしたい。何か聞きたいことがあればお気軽にコメントしてください。できるだけお答えします。
なお、2世とは書いたが、厳密にいえば3世か4世くらいにはなる。ここでは、生まれたときから学会に属しているという意味で2世と称します。
→特に疑問を感じたことは無いな。生まれたときからそういう環境だから「受け継ぐ」っていう感覚がそもそも無かった。気づいたら学会員という属性を持っていたって感じ。それに対して、別に良い気持ちも嫌な気持ちもなかったから疑問はなかった。そういう家に生まれたんだなってだけ。後々ネットで叩かれていることを知ってちょっとショックを受けたりはして、そのせいで思春期は創価学会に対してマイナスイメージを持っていたりしたけど、今は特にプラスもマイナスも感じてない。俺の家も同じように仏壇があって、子供の頃から座って勤行するように教育されてきたけど、そんなに嫌な気持ちはなかった。ちょっと面倒くさいな~って程度。歯磨きするのめんどうだなーってのと同じ感覚かな。反省を促されたりしてたら嫌になってたかもしれない。自分自身は両親ほど熱心な学会員ではなくて、死後の世界を信じていないから、境遇は近いかもね。
→あんまり歴史得意じゃないから一向一揆の時代に何があったのかわからないんだけど、「他者を攻撃することが是とされる暴力装置として生まれ」たっていうのは私のことを指してる?創価学会は暴力装置ってこと?あんまり賢くないのでもうちょっと嚙み砕いて教えてほしいかも。他者を攻撃しているつもりはないのだけれども、仮に自分が暴力装置なのだとしたら、そのことには自覚的でいたいね。
→それマジ?でも、誰かの知りたいって気持ちにこうして応えられる人生で良かったと思ってるよ。そんなに嫌な目に合ってるわけでもないしね。
→選挙前に公明党に投票よろしくってお願いするやつは実際にやってるね、親がお近所さんを回ってたわ。やめてくれって言われたら素直に引いてるみたいだけど。法的に大丈夫なんか見てて不安になりますわ。ちなみに俺はやったことないし、実を言うと公明党以外の党に投票したりしている。
勧誘っていうのは、創価学会入りなよってやつだよね。やってる人はやってるみたい。でも、そんなにたくさんの人がやってるわけではない気がする。よく聞くのは、人生に悪いことがあって落ち込んでいる人を折伏(学会員に誘うことを折伏と言います)しましたーみたいな話。うまくいったら学会員の集まる大会とかで、感動エピソードとしてスピーチしてたりする。「悪いことがあった→折伏→うまくいくようになりました→宗教最高」みたいなパターンよく聞く。で、折伏は、学会活動の中でも大事な行いだとされているから、熱心な人はがっつり取り組むと思うけど、別にノルマがあるわけではない。俺はひとりも誘ったことない。そういう人が多数派だと思う。けれども熱心な人は熱烈勧誘してるかも。それも、単純な善意でやってると思う。よく効くサプリを人に勧めるみたいな感じかな。悩める他人を救うことが世界平和につながるって考えがあるから、本当に悪意なく救おうとして熱烈勧誘しちゃってると思う。それで、何十人折伏しましたーってスピーチしたりすると褒められるのよ。だから熱烈勧誘しちゃう人ができる。でも、勧誘される側からしたら、かなり嫌な気分になることもあるだろうなと想像つくね。熱烈具合は人によるけど、ダメな勧誘する人もいるんだろうなと思うよ。
→マジでそんなとこあんの?ヤバない?違う看板ってアレか、例えばサッカーサークルみたいに銘打ってるのに、実際は部員たちが部室で勤行してるみたいな感じってこと?そうだとしたらちょっとびっくりですわ。そこが創価大学だったら入学者の殆どが学会員だろうからまだわかるけど、普通の大学でそれやってるんだったらドン引きです。いままで全然そんな話を聞いたことがなかったので、内部的な評価はわからない。けれども、一学会員としては、それは良くないと思う。そういうことすると、ただでさえネガティブな感情を持たれているのに、余計にマイナスイメージ付くし、おっしゃる通り自分たちで首を絞めている感じする。別の看板掲げてるんだったら、それに沿った活動をしなさいよって思うね。
→?どういう意味?
→葬式は形式と居心地が若干違うかな。学会員の友人葬では、坊さん的な人を呼ぶんじゃなくて、集まった皆で題目を唱えて供養をするんだよね。友人が代表になって唱えて、それに皆で唱和する感じ。題目自体は普段から唱えているから馴染みのある文言だし、坊さん的な立ち位置の人が部外者じゃない友人だから終始アットホームな感じがある。もちろん葬儀だから厳かさもあるけどね。坊さん的な人を呼ぶ場合って結構当たり外れがあるじゃない。なんか説教下手だなーとか素人ながら感じる時もあるし、お金もかかる。そういう問題は無いから個人的には友人葬の方が好きかな。ただ、学会員じゃない人が友人葬に出席する場合、周りの出席者が急にお経みたいなのを唱えだすからちょっと驚くことになるかもね。でも、出席者みんなが葬式に参加している実感が得られて不謹慎かもしれないけど面白いと思うよ。
あと、これは非科学的でかなり主観的な話になってしまうから話半分で聞いてほしいんだけれども、信心している人は死に顔が違うってよく言われるんだよね。生前学会員だった人は死に顔が穏やかだって言われるの。そんなもん眉唾だろうって思ってたんだけど、実際に今まで出席してきた葬儀を振り返ると、学会員の故人の顔色が穏やかなのは本当に思える。というか、学会員じゃない人の葬式に出るたびに、棺桶から覗く顔色の悪さに驚くんだよね。単純に経験してきた葬式の数が少ないからそう思うのかもしれないし、化粧の問題も大きいのかもしれないけど、死に顔を穏やかにしたい人は入会するのもありかもねって思う。
→良い部分もたいがい他人事だよ。自分はあんまり積極的に活動してないからね。同じ属性を有しているからといって、他人の行動の責任を負うことはできないでしょ。
→自分はあんまり熱心な学会員じゃないから、毎日は唱えてないのよね。悩み事があったり、神頼みしたくなったりしたときに、思い出したように勤行してるわ。なんとなく頭をすっきりさせたいときとかに唱えると、気持ちが落ち着く感じがある。自分は、最近流行のマインドフルネスの一種みたいな感じで題目を捉えてて、そんなに無駄な時間とは思わないよ。どうせ気持ちが落ち込んでるときなんて、意味もなくYouTubeでだらだら動画見たりしているだけだし、それに代わる行動としてはやる分には無駄の程度は変わらないんじゃないかな。両親はほぼ毎日題目を唱えているけど、瞑想を毎日やる習慣にしてる人もいるだろうし、それと同じ感じだろうと思えて疑問を感じることもないかな。しかも、唱えたら(ざっくり言うと)幸せになれると言われているからお得感あるよね。
→自分の年収は300万程度。まだまだ新米社会人だから薄給ですわ。寄付額は0円。全く寄付していない。学会からも家族からも寄付のお願いはされてないね。されたとしても多分断るかな。薄給なので自分ひとり生きるのに必死なんだよね。将来大金持ちになったら少額寄付したりする可能性あるかもしれんけど、いまのところは余剰金が無いし、あったとしても投資信託とか買うかなー。親の年収は推定だけど1000万無いくらいだと思う。寄付は毎年しているみたいだけど、どのくらいの額かは知らないんだよね。でも、世間で問題になるようなウン千万円の寄付とかでは絶対にない。多分多くても10万円以内じゃないかと思う、少額と言ってるのは聞いたし。寄付によって家庭が壊れたりとかは無いです。自分は大卒なんだけど、奨学金を借りずに親のお金で卒業させてもらえたし、金がないから必要なものを買えなかったとかも無い。自分の住んでいる地域では、高額な寄付によって苦しんでいる人は見たことないかな。ニュースでそういう人たちがいるみたいなこと聞いて、マジでいるんだーって初めて知る感じだ。親が身の丈を超える高額な寄付して苦しんでいる子どもとかって大変やな、可哀想だなと思う。何とか救済されるといいっすね。
Jリーグの試合が全国中継された10月29日あたりで「忖度」というフレーズがバズった。川崎が審判から忖度されているというものだ。
あの傾向は今年ずっと続いている。なぜそうなっているのかを事例を交えて解説する。
Jリーグの試合の審判団の割り当てや、審判がどのカテゴリ(J1,J2など)で審判員として活動できるかを決めるのは日本サッカー協会(JFA)である。Jリーグには決定権は一切ない。
その審判に対するライセンスの付与や、問題ジャッジがあった時の処分を決めるのもJFAである。Jリーグは一切関与できない。つまり審判員の生殺与奪はJFAが握っている。
例えば審判の引退についてJリーグではなくJFAの公式サイトで発表されるのもそのためである。
一方で、違反行為を犯したJリーグの選手やクラブに対する処分を決めるのはJリーグである。JFAは一切関与できない。
選手やクラブに対する出場停止処分や罰金などに関するアナウンスがJリーグの公式サイトで発表されるのはそのためである。
また、試合開催有無を判断するのもJリーグでありJFAではない。
いっぱいある。
・川崎vs鹿島(Away) 実際スコア○2-0→本来スコア●1-2 川崎側のPA内ハンド見逃し、ファウル見逃しが1回ずつ。いずれもVAR介入を経て「ノーファウル」。さらに鹿島側の得点取消。
・川崎vsセレッソ(Away) 実際スコア●1-2→本来スコア●1-3 川崎側のPA内ハンド見逃し。VAR介入を経て「ノーファウル」
・川崎vs鹿島(Home) 実際スコア ○2-1→本来スコア△2-2 川崎側のPA内ハンド見逃し。VAR介入を経て「ノーファウル」
・川崎vs札幌(Away) 実際スコア●3-4→本来スコア●2-5 川崎側のPA内ハンド見逃し、さらにその直後に川崎得点という事象。
・川崎vs名古屋(Away) 実際スコア△1-1→本来スコア●0-1 川崎の得点は直前にFW知念の豪快なハンドがあったが見逃し。
・川崎vs神戸(Home) 実際スコア○2-1→本来スコア●1-2 川崎がもらったPKは本来川崎側のファウル(神戸DFの靴紐に足を掛けている)、ラストプレーは神戸決定機だったが試合終了の笛。
いずれもVARを経て川崎側が得する判断が行われている。特に顕著なのは「ハンド見逃し」である。
試合結果を左右するレベルでの川崎不利のジャッジ事例は一度もない。あったら今回の忖度騒動の中で反論として提示されるはずだが誰からも出てきていない。
川崎の敗戦試合を担当した主審はしばらくJ1の主審から外されるという懲罰的運用が行われている。直近2か月で見ると以下の通り。
・9/3 湘南2-1川崎 担当主審:飯田→次にJ1主審となったのは10/12
・10/2 札幌4-3川崎 担当主審:岡部→その後J1主審機会無し
その間無職であるわけではなく、J2の主審やJ1のVARを担当しているが、審判手当はJ1主審よりも落ちる。(手当額はJ1主審:12万、J2主審:6万、J1のVAR:6万)
つまり川崎の敗戦を主審として担当してしまうと、その後しばらく収入が減る構図が成立している。
逆に川崎の勝利試合を担当した主審は翌節、遅くても翌々節にはJ1の主審が再び割り当てられている。1回だけ例外があったがそれは主審が負傷して途中交代した試合(川崎2-1横浜)だった。
このような運用をされていては、川崎に負けないようにジャッジで調整するという審判が続出して当たり前だろう。彼らも生活が懸かっているのだから。
・「だったら(出場可能選手数の虚偽報告→試合延期が問題となった)Away名古屋戦は没収試合になるはずだ」
・「コロナ感染の影響で13人で川崎が試合する羽目にならなかったはずだ」
の2点しかないが、この2点は前提事項を理解していない的外れな反論としか言えない。たまに、その前提事項を知ってるはずの人がこのような反論をしてくるケースもあるが、悪質なミスリードでしかないと書いておく。
逆にその2点が反論の題目として出てくることで、一連の事象をリードしているのはJリーグではなくJFAであるということを表してもいる。
簡単に言えばJFAが提唱している「ジャパンズウェイ」の影響である。
日本人監督が日本代表を率いて結果を出す、そのためには実績のある日本人監督が必要。今の森保監督はJリーグで広島を3回優勝に導いた実績を経て日本代表に入っている。
これに匹敵する実績を有している日本人監督は現時点で川崎の鬼木氏しかいない。
既にカタールW杯終了後の代表監督就任の最有力とされている鬼木氏であるが、その鬼木氏率いる川崎が、外国人監督が率いる横浜や広島、日本人監督であるが選手経験がないセレッソなどに成績で上回られ、優勝を逃してしまうことはJFA的にはタブーなのである。
また、日本代表選手の多くが川崎出身者や川崎所属選手で占められるようになった。昨日発表されたワールドカップメンバーのうち6人が該当する。
もし横浜が優勝し、川崎が優勝を逃すとその代表のブランド力が落ちてしまうのだ。JFAとしてはそれも避けたい。
前提事項にも書いたが、JFAはJリーグの試合開催可否やクラブへの懲罰などはコントロールできないが、審判の割り当てや審判員の生殺与奪はコントロールできる。不可解なジャッジ連発など一連の問題はJFAによる忖度の結果と見た方が自然であろう。
現実として、JFAから派遣される審判は中立な立場で笛を吹くことは出来ていない。彼等は日本代表の選考に関する利害関係の中に入り込んでしまっている。
近年でも例えば中国共産党によるゲーム規制という名の当局からの圧力は、基準が曖昧で結局のところ年配の党員たちが考える正義のようなふわふわした概念による裁量的な制裁にほかならず、そういった不透明なものが絶大な影響力をもって蔓延ることで業界自体が萎縮し明確で建設的な筋道が示されないままゲーム会社への新規ライセンス発行が止まる(ゲームの製作販売が免許制であるということ自体も非自由主義国家の異様さを示す重大な注目点だが)ことで数万社が倒産したという事態に陥っていることを思うと、リバタリアンいや自由主義者が訴える「裁量よりルール」の重要性が分かることだろう
自分はヴァに釣られてきただけの横増なので公共の福祉なんたらの話はまったく追っていないが
その公共の福祉というのはひょっとして中国共産党が圧力をかけているような「同性愛者や男の娘みたいな性的倒錯をゲームで描くな、偉人を女体化するな」みたいな、頭が時代に追いつけない為政者の偏屈にすぎない、過剰反応にすぎないものになっていく危険性を孕んでいないかよく考えてほしい。公共の福祉という題目で、価値観の自然な変化を阻害していないか、商業や文化的交流の障害点を老人たちが作り出して若者の足を引っ張っていないか。変化を恐れすぎることは人類にとってマイナスの側面が強いということが想像できる人とできない人がいることは仕方がないのかもしれないが、恐怖に支配されず本当に排斥するに値するものなのかを冷静に考えられる人が増えて欲しい。
TBS人気番組「SASUKE」が五輪種目候補に 近代五種テスト大会で番組セットの使用決定
https://news.yahoo.co.jp/articles/93e62a68baea470ad420dc1d40e19a8eefd92bb7
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/93e62a68baea470ad420dc1d40e19a8eefd92bb7
五輪、ニッポン、IOC、メディア、とか言葉がそろった瞬間に思考停止して、ニッポンはだめだー 利権まみれな五輪廃止廃止廃止!!!! みたいな思考に陥っちゃうブクマカはなんなんだろうね。
国際近代五種連合(UIPM)は5月2日、2024年のパリ五輪後に近代五種から「馬術」を外し、新たな競技として「障害物レース」を試験導入すると発表。
UIPMによると、障害物レースの五輪競技化に向けて、これまで積極的にロビー活動を展開してきた国際団体「World Obstacle」との共催で2種類の障害物レースをテストする予定
という話で、SASUKEのいくつかの種目がその中に入ってるって話よね。
で、そのプロセスも
アンカラ大会を含め、複数回行われるテストを経て12月のIOC(国際オリンピック委員会)理事会で正式競技として採択されれば、2028年ロサンゼルス五輪から「SASUKE~Ninja Warrior~」が五輪競技となり、人気テレビ番組が五輪競技化という異例の変貌を遂げることになる
ということで、何回かUIPMがテストして、その結果をもって、IOCが判断するということだよね。
つまり、この案件、現状はIOCは(おそらく)全然かかわってない。主導権はあくまでUIPMなんだよね。
それなのにブクマを読むと、五輪反対、五輪廃止、ニッポン滅べみたいな論調がいくつもあって、なんだこれって感じなんだが。
いいかい、拾ってみるよ
afunrupar 多額の放映権料獲得するためにエンターテイメント性のある競技が欲しいのだろうな。オリンピック委員会は金の亡者だし
これが一番★集めてる。
kuzudokuzu 致命的なまでに失墜した日本でのオリンピックの権威を挽回するため、ごますってニヤニヤしながら近づく手法としてはピカイチかもしれん。日本人はすぐ忘れるしニヤついて褒められれば一緒になってニヤついてしまう。
afurikamaimai 五輪は興行が生き延びることを最優先するあまり、どんどん当初の理念やら題目やらから乖離していってて生き意地汚すぎてホントにおもしろすぎる。記録の連続性とかどうなるんだろ? そんなの関係ねぇか。 yahooworldくたばれオリンピック
Schrd これでまた日本にオリンピック誘致したい勢増えるな。日本人チョロすぎワロタ。ただ、ミスターサスケが出るなら見るしかないな。
まあ、これは取り上げるのは酷かね。
記事がやっぱり読み取れてない人
5という数字とスポーツとを見て、五輪と反射神経でブクマしてしまう人か。
やっぱり記事が読めていない。
読めてないぞ
greenbuddha138 五輪は汚い祭
dollarss ハッとさせられた。五輪がただの商業催事であると完全に認識させてくれた。利権と利権、そして利権のためにのみ存在している。二度と日本に来ないでくださいね。
何にハッとさせられたのだろうか。この人は。
kimurasun 割と好意的なコメントが多いけど、オリンピックでやる必要性が全く見いだせない。素人にはあんな巨大な装置で練習できないしフェアネスにも欠ける。銭クサくてかなわん。
SASUKEはやるけど、五輪では採用しないとなったら意味のないコメントだな。
timetrain オリンピックが興行だなと分かりやすいなと思ったが、馬術よりはまだ肉体スポーツでいいかもしれん オリンピック スポーツ 芸能
Byucky 目の付け所はとても良いんだけど、もうオリンピックは一回委員会が解体されないと積極的に観ないだろうな。後からでもよいので、バッハ会長のことを批判することがあったら見直すだろうな
なんでバッハ批判につながるんだよ。どういう思考ロジックだか教えてほしいわ。
もうね、はてなのブクマカって、五輪=絶対悪だから、アスリートだろうが競技団体だろうが、すべて利権で批判対象みたいになっちゃうのはなんでなんかね。
はっきり言ってバカですよ。
なぜそうなるか、順を追って説明する。
これは誰もが想像つくだろう。今回なぜか厚労省から通達が出たが、そのうち他の省庁も同調してくるようになり、最終的に総務省も同調する。
「ガイドライン」なのに法律と同等の扱いをするのはどうなのかという声も一部で出るが、黙殺されるだろう。
病死の場合や事故死の場合は大々的に、詳細に報じされるが、自殺の場合は小さく「○○日に亡くなった」とだけ報道されるようになる。死因についても伏せられる。病死や事故死の場合は追悼番組も出てくるが、自殺の場合はそれすらも無くなる。ここまではガイドラインの狙った通りになるだろう。
ここからは想定外になると思われる事象。死因が伏せられた著名人に対して、「真実を追及する」という題目で死因を追いかけるメディアが出てくる。メジャー放送局や大手新聞社はそういうことをやるわけにはいかないので、バイラルメディアやタブロイド紙の出番になる。Youtuberもそれに乗っかってくる。
その結果、そっとしておいて欲しい遺族がどこの馬の骨と分からない連中から追いかけられるようになる。今はメジャー放送局や大手新聞社の記者という「どこの馬の骨なのか一応わかる連中」に追いかけられている分だけまだマシなのだが(抗議を受け付けてくれる場所があると言う意味で)、その要素すら消えてしまう。
STEP3の結果もたらされる事象としては、「そもそも亡くなったこと」が伏せられるということが考えられる。出演中の番組や舞台がある場合はその人が突然消えることになるので、表向きは「体調不良で当面休養のため降板」というプレスリリースが行われるだろうが、本人が死んでいるのでいろいろ不自然なものとなる。そしてSTEP3と同様バイラルメディアなどに追いかけられ、実は自殺していた・・・という報道が相次ぐようになる。
そしてこういう事象に繋がる。もはや本末転倒である。芸能界でNGワード化したのだから一般社会でもNGワード化してしまい、「休養」「休暇」などの言葉がつかえなくなってしまう。
そして、このような本末転倒なことが起きている根本原因は何だと言う声が日本全国から上がるようになり、元をたどれば自殺報道ガイドラインのせいということに(当然だが)なり、このガイドラインが撤廃される。